連載
posted:2019.6.12 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
「岩見沢の山で買えるところありますか?
土地を購入したいというアーティストがいるんです」
3月、札幌のトークイベントに招かれて、自分がつくった本
『山を買う』などの出版活動について話をさせてもらったとき、
参加者から、こんな質問を投げかけられたことがあった。
質問をしてくれたのは、20年ほど北海道で
アーティスト・イン・レジデンスの活動を続ける
NPO法人〈S-AIR〉の代表・柴田 尚さん。
柴田さんは、フランス人アーティストのニコラ・ブラーさんから
「作品を恒久設置するための場所を岩見沢で探すことはできないか?」
と相談されていたのだという。
ブラーさんは、このときすでに4~5月に北海道に滞在する予定を組んでいる
とのことで、柴田さんは土地探しの糸口をなんとか見つけようと、
私のトークに参加してくれたようだった。
柴田さんの話によるとブラーさんが必要としているのは、
100平方メートルほどの土地だという。
生家は7代続くシャンパン生産者。
これまでワインとチーズに関連した美術作品をつくってきた彼は、
今回のプロジェクトで、岩見沢に自分が住む家のコピーとなる
建造物を設置したいと考えているとのことだった。
プランの全貌ははっきりとわからなかったが、
とにかくブラーさんが来道したときには、
わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区を案内する約束をした。
4月末、柴田さんと一緒にブラーさんが美流渡へやってきた。
土地探しの参考になればと、この地に移住してきた人たちが、
どのように住まいを見つけたのかを聞いてまわることにした。
岩見沢の山間に位置するこの場所は、過疎化が進み、
空き家や空き地が点在しており、住まいを見つけることは
そんなに難しくない(古家が多くて、相当な手直しは必要になるけれど……)。
しかし、実際に土地を購入しているケースはそれほど多くないように思う。
たとえば、この日訪ねた上美流渡にある〈マルマド舎〉。
地域おこし推進員だったふたりが、古家を自ら改修して
ゲストハウスをオープン予定のここは、
土地は市の所有で、それを借り受けるかたちになっている。
この一帯の土地の多くは、元炭鉱街であったため、
閉山後に市が管理することとなったそうだ。
また、わたしの住む美流渡地区では地主さんが広い土地を所有していて、
何人もの住人がその土地を借りて暮らしている。
市でも地主さんの所有でも土地代は驚くほど安い。
大きさや条件によって違うようだが、おそらく年間で数千円から数万円のレベルなので、
わざわざ購入するというケースは少ないのではないかと思う。
ただ、個人の所有であれば、購入できる可能性もあるんじゃないかと、
地元の人たちはブラーさんに語っていた。
こうした状況を聞いていくなかで、ブラーさんは、
ひとつ気に入った場所が見つかったようだ。
それは、美流渡地区にたった1軒ある〈コーローカフェ〉の
向かいにある建物の脇にある小さな空き地。
「川の音が聞こえて、風景も美しい」
ブラーさんは何度も頷きながら、たくさんの写真を撮っていた。
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ブラーさんが今回の来道で滞在していたのは〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。
2014年にアーティスト・イン・レジデンスの拠点として札幌にオープンし、
国内外のアーティストたちが制作やリサーチのために利用しているスペースだ。
ここから岩見沢の美流渡地区まで車で約1時間30分ほどかかるのだが、
その後も滞在中にブラーさんは足を運んでくれた。
また、岩見沢の市街地も訪ねて商店街の人々に会ったり、
郊外のワイン生産者に会ったりとさらなるリサーチも進めていた。
驚いたことに、わたしの住む地区で開催した
超ローカルな宴会にまで顔を出してくれたのだった。
こうした積極的な活動を行っていたものの、果たしてブラーさんの作品構想は
固まりつつあるのか、わたしはつかむことができなかった。
わたしの英語力がなさすぎることもあるし、またブラーさんは
作品について多くを語ろうとはせず、黙々と写真を撮っていたからだった。
ブラーさんの北海道滞在も残すところ3日となったとき、
さっぽろ天神山アートスタジオで、彼のトークイベントが開催されることになった。
もしかしたら、岩見沢でのリサーチ活動で何を感じていたのかが
わかるかもしれないと、期待を胸にわたしも参加することにした。
トークでは、まずブラーさんのこれまでの作品についての紹介があった。
このときキーワードとして上げられたのが“移動”。
その例としてブラーさんが見せてくれたのは『Clos mobile』という作品だ。
出身地であるフランス北東部のワイン生産地でつくられる
「シャンパン」というブランドは、品種や製造方法などに厳格なルールがあり、
それらをクリアしたものしか、この名で呼ぶことは許されない。
こうしたルールに対して、ある意味“掟破り”を提示したのがこの作品だという。
「その土地から動かしてはいけないブドウ畑も、
実は移動して展示できるのではないか? という発想からつくった作品です」
こうした“移動”への興味は作品に反映されるとともに、
北海道へ訪れるきっかけともなったという。
初来道は2005年。その後、昨年は柴田さんが企画したイベントの
ゲストとして招かれ、このとき初めて岩見沢の地を踏んだそうだ。
「昨年、岩見沢を訪ねて発見したのは、ここが昔、炭鉱街として栄え、
次第に衰退していったものの、いま転換期にさしかかっているということでした。
その転換の試みとして、岩見沢でワインの開発が行われているということに
興味を持ちました」
岩見沢をはじめとする空知地方は、こだわりを持ったヴィンヤードがある
ワインの産地として近年注目度が高まっているエリア。
「もう一度、岩見沢を訪ねて、ここで何が起きているのか
実地に検証してみたいという想いが強くなっていきました。
わたしの制作方法は、最初にこういう作品がつくりたいという構想があるのではなく、
実際にこの地で起こっていることから新しいアイデアを生み出していくというものです」
今回来日した理由をブラーさんはそう語り、岩見沢の市街地や美流渡付近で撮影した、
さまざまな写真をスライドで紹介してくれた。
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トークイベントの翌日、再びブラーさんは美流渡を訪ねてくれた。
翌日には北海道を出発するということで、その前に今後のプランについて
わたしに語りたいと思ってくれていたようだ。
この機会に、なぜブラーさんが岩見沢に興味を持ったのかを、
わたしはあらためて聞いてみた。
「昨年訪ねてみて、岩見沢の市街地は何もない空虚な場所だと思いました。
わたしはこの空虚さを掘り下げてみたい、
避けるのではなく中に入っていきたいと思ったんですね」
“移動”とともに、作品制作のきっかけに“空虚”というものがあるのだという。
例えばそれは『DRC 1946』という作品。
ブラーさんはロマネ・コンティの偽物のワインを制作した。
「ロマネ・コンティのぶどう園は、1946年に全面的に植え替えられて、
以前のものではなくなっています。これ以前のヴィンテージには、
オークションで数千万円の価格がつけられたものもあります。
この欠落した部分、いままで存在していたのに、
ぽっかりと空いた穴のような空虚なものに惹かれるのです」
岩見沢が空虚である、この洞察にはハッとするものがあった。
市の人口は約8万人。国道沿いには大型スーパーや電気屋、ホームセンターなどが並び、
必要なものは揃う便利さはあるが、これといって特徴のないまちといえる。
いまでは見慣れた風景になってしまったが、確かにわたしも東京から移住したときは、
岩見沢の市街地に、ブラーさんと同じような空虚さを感じていたことを思い出した。
しかし、ブラーさんは、今回、美流渡地区にやってきて、
岩見沢の第一印象とは異なる印象を持ったことも話してくれた。
「美流渡は、わたしにとって“隠されていた土地”でした。
ひとりひとりに会って活動を知ったことで、空虚とは別の印象を持つようになりました。
都市部から別の可能性を求めて人が移住している。
自然に添った生き方をしたい人たちがいるというムーブメントを感じます。
こうしたいままで見えていなかったものが見えてくること自体が、
すごくおもしろいと思っていますし、ここで起きている変化を検証して、
私の作品の方向性を見極めたいと思います」
いくつか土地の候補は見つかったものの、
今回すぐに購入の手続きをすることはせずに、フランスに戻って
さまざまな可能性について想いをめぐらせたいのだという。
「装飾的な作品というよりも、この土地に必要な機能や活動といった
ソフトに近いものをやってみたいと思っています。
わたしは、過疎化して交通の便もよくない土地に
いかに関わっていくのかに興味を持っています。
これからも年月をかけて美流渡と関わり、この地に身を置いて、
ワインが熟成していくように、作品の構想をゆっくりと
かたちづくっていきたいと考えています」
ブラーさんが美流渡に大きな興味を抱いてくれたことに、私はうれしさがこみ上げた。
なぜあえて、アクセスの良い市街地ではなく山間の不便な場所に住んでいるのかと、
ときどき知人から怪訝な表情をされることがあるが、
こうした尺度とは別の部分で、この土地の魅力を発見してくれる
ブラーさんのような人がいることに勇気づけられる思いがしたのだ。
「近いうちにまた来ます」
そんなご近所さんのような挨拶を交わしてブラーさんは去っていった。
フランスで作品の構想をどのように広げていくのだろう?
美流渡という地区には、人を惹きつける“雰囲気”のようなものが
漂っているように感じられるのだが、どうだろうか?
言葉を超えた感覚を研ぎすませているアーティストだからこそ、
敏感にそれを感じ取ってくれたのかもしれない。
この土地の“雰囲気に”まるで吸い寄せられるように、
個性あふれる人々が集まってくることに、いまとてもワクワクしている。
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