連載
posted:2020.12.9 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
この地域の移住者で、実はまだ連載で紹介できていない家族がいる。
私の住む美流渡(みると)からさらに山あいへ15分ほど車を走らせた、
万字地区に住む笠原さん一家だ。
3歳になる息子さんはうちの次女と同じ保育所に通っていて顔見知り。
親しくなってしまうと、なかなかあらたまって取材というのもやりづらい。
けれど、先日、北海道のテレビ局から、このあたりの移住者を
紹介してほしいという依頼があり、番組制作に協力し、
あらためて笠原さんの移住までの道のりを聞く機会があって、
今回ようやく記事にすることができた。
笠原一家が東京から移住したのは2018年のこと。
その前年、当時、オーディオ販売会社に勤めていた夫の将広さんは
仕事で北海道を訪れ、美流渡にすでに移住していた友人の
新田洵司さんの家に立ち寄ったことがあった。
その暮らしぶりに感銘を受け、その数か月後、美流渡に家族で遊びにやってきたという。
「2泊3日の旅でした。そのとき私たちも田舎暮らしをしてみたいという気になって。
そうしたら、そのときたまたま空き家を見せてもらったんです」(妻の麻実さん)
2軒空き家を見せてもらったそうで、その1軒は万字地区の元炭鉱住宅。
ここにはかつては炭鉱があり、その当時建てられた長屋がいくつか残っていた。
築50年以上は経過しており、床が沈んでいて直さなければ住めない状態だった。
北海道への移住は、まったくプランになかったというが、ふたりの心は動いた。
「帰りの飛行機に乗ったときには、もう移住しようと決めていました」(将広さん)
そのとき将広さんは、会社勤めはしていたものの、
都会の暮らしに先が見えない、そんな閉塞感を感じていたそうだ。
そして3か月の間に、仕事を整理し引っ越しの段取りをしていったという。
「全部、置いてきました」
そんなふうに将広さんは笑った。まさに電撃移住だった。
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移住してからは、慣れない北国の生活でおそらく苦労が絶えなかったに違いない。
将広さんは初めて家の修繕に挑戦したり近隣の果樹園に働きにいった。
麻実さんは当時1歳だった息子さんの面倒を見た。
互いに余裕がない状態だったのではないかと想像するのだが、
会うとふたりは必ず暮らしのことを目を輝かせて話してくれた。
家の裏にドラム缶風呂をつくって入ったときの爽快感や、
山で採れた山菜やキノコを分けてもらったときの喜び、
庭の草花を干してリースづくりをした感動など、数え上げればキリがない。
さらに、麻実さんは免運転許を持っていないのだが、
この夏、近所(と言っても2キロくらいある)の果樹園でアルバイトを始めていて、
山道を自転車で上り下りするのも「楽しいですよ~」と話してくれたことには
驚かされた(万字の坂は私には絶対登れない)。
「ここで生活を始めてから、東京の便利さが
不自然に感じるようになりましたね」(将広さん)
極めつけは、夏に子ヤギを2匹飼い始めたこと。
ヤギのおかげで、家の周りに生えていた背丈2メートルにもなるイタドリの茂みが、
すっかりきれいになったそう。地元の人たちも、ヤギを飼うことを応援してくれて、
放牧できる柵までつくってくれたという。
今後はヤギの乳を搾ってチーズづくりにも挑戦したいそうだ。
「自然、人、環境すべてがすばらしいと思っています。
ここは何をしてもシンプルでわかりやすい。
例えば東京はいろいろなことが複雑すぎて、
水を流してもどこへ行くのかわからなかった。
ここでは、私たちが使った水は、すべて川に流れていきます。
だから洗剤も使わなくなりました。何がどう影響していくのか
目に見えるから、いろんなことに気づけるんです」(麻実さん)
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いつも元気な麻実さんだが、一度だけ子育ての辛さについて語り合ったことがあった。
そのとき、東京では「こうしなければならない」という
社会の中にある暗黙の決まりに自分を押し込めようとしたり、
どうしても人と比べてしまっていて、そんな自分を変えたかったのだと話してくれた。
しかし、移住ですべてが解決したわけではなかったようだ。
車の運転ができず気軽に外に出かけられないため、
孤独に自分と向き合う日々を過ごしたこともあったという。
そんな話をしていても、麻実さんはどこか
現状をおもしろがっているような雰囲気がある。
自分のことを観察し、ネガティブな部分からも
何かしらの発見ができる才能があるように思えた。
将広さんも、さまざまなことに興味を持っていて、いつも感心させられる。
性格がマニアックなのか(!?)、例えばあるときは発酵食品について、
あるときはヤギの餌となる牧草について、熱く語ってくれる。
こんなふうにさまざまな知識を吸収できるからこそ、
家の改修など初めての体験をどんどん乗り越えていけるんじゃないかと私は思っている。
そしてふたりにはいま目標がある。
もう1軒、ご近所さんから空き家を譲り受け、改装に着手している。
「万字はひとり暮らしのおじいちゃんおばあちゃんが多いので、
そうした人たちに向けたごはん屋さんをやってみたいんです」(将広さん)
万字地区の人口は、美流渡よりもさらに少なく70人ほどで、商店もない。
そんな場所で果たしてお客が来るのかと、周りから言われることもあるが、
やはりここでも笑顔で「無理せずに続けられる方法を考えたい」という。
麻実さんは東京にいる頃からタイ古式マッサージの施術を行っており、
こうした仕事を組み合わせながら、暮らしを立てる方法を考えている。
何も持たずに何も決めずにたどり着いたこの場所で、
ふたりの周りで流れるように物事がスッと動いていくのはなぜなのだろう?
「ここに導かれたとしか思えない」
口を揃えてふたりが語ってくれた言葉が、すべてを物語っているように思えた。
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