瀬戸内の島々で4月14日から
〈瀬戸内国際芸術祭2022〉開催!

3年に1度の国内最大級アートイベントが、今年も開催!

2022年が始まりました。
寒い日もありますが、小豆島では穏やかな冬時間が流れています。
農家である私たちにとって、農閑期であるこの時期は
大事な休息期間でありメンテナンス期間。
家の気になるところを直したり、働く環境を整備したりしています。

さて、2022年!
今年は〈瀬戸内国際芸術祭2022〉(以下、瀬戸芸)が開催されます。
瀬戸芸は、3年に1度開催される現代アートイベントで、
小豆島も含めた瀬戸内海の12の島と、その島々と本州、四国をつなぐ
ふたつの港が舞台となります。2010年に第1回目が開催され、今回で5回目です。

小豆島・中山地区、棚田の中にあるワン・ウェンチー(王文志)さんの『小豆島の恋』(瀬戸芸2019)。

小豆島・中山地区、棚田の中にあるワン・ウェンチー(王文志)さんの『小豆島の恋』(瀬戸芸2019)。

小豆島・三都半島の海岸にある『潮耳荘』。波や船の音を拾い集め建物の中に響かせる作品。

小豆島・三都半島の海岸にある『潮耳荘』。波や船の音を拾い集め建物の中に響かせる作品。

私たちは小豆島に移住する前、2010年の瀬戸芸のときに
小豆島と豊島(てしま)を訪れました。瀬戸芸のアートを見に行こうと、
それまで足を運んだことがなかった田んぼや古い民家へ。
そこで見た風景や、感じた空気感がすばらしくて、
小豆島ってこんないいところなんだなぁと思ったことを覚えています。
この思いがのちに小豆島に移住するきっかけのひとつとなりました。

第1回目の瀬戸芸。開催期間に合わせて小豆島を訪れました。

第1回目の瀬戸芸。開催期間に合わせて小豆島を訪れました。

現在私たちが暮らしている場所のすぐ近くのこの田園風景。いまでは私たちにとっては暮らしのなかのいつもの風景。行くきっかけがなかったけど、瀬戸芸の作品を見に訪れたら、とても美しくて感動したのを覚えています。

現在私たちが暮らしている場所のすぐ近くのこの田園風景。いまでは私たちにとっては暮らしのなかのいつもの風景。行くきっかけがなかったけど、瀬戸芸の作品を見に訪れたら、とても美しくて感動したのを覚えています。

5回目となる瀬戸芸2022は、前回同様、春・夏・秋の3会期に分けて開催されます。
会期によって公開される作品や会場が変わるので、
公式サイトでチェックしてみてください。

東京から北海道に移住して10年。
仕事、子育て、
暮らしの何が変わった?

無計画、衝動的な移住から始まって

東京から北海道に移住して10年が経った。
移住のきっかけは東日本大震災。
マンションの12階だった自宅は激しく揺れ、棚の本がすべて落ちた。

その翌日、福島第一原発に事故が起こったと知った。
原発事故による放射性物質の放出が次第に明らかになっていき、
関東にもホットスポットができてしまった。
当時、長男は生後5か月。子どもを安心して育てられる場所を求め、
夫の実家だった北海道岩見沢市に移住を決めた。

ここではないどこかへ行きたい。無計画、衝動的な移住だった。
夫の実家は、これまで何度か訪ねたことはあったが、
岩見沢市がどんなところか、ほとんど調べていなかったし、
移住後のビジョンも持ち合わせていなかった。

いま、原稿を書いているのは2021年の冬至。
もうすぐ年が終わろうとする日に、仕事と子育て、
そして暮らしがどう変わっていったのかを振り返ってみたい。

まず仕事。大学4年生の頃にアルバイトで働き始めて以来、
ずっと勤めていたのが美術の専門出版社。
震災が起こったとき私は育児休暇中で、地震から2か月経った頃に
職場復帰について会社側と打ち合わせをする機会があった。

そのとき経営者から
「子どもも小さいのでまずは在宅勤務でも構わない」という提案があり、
「それなら勤務地は北海道にしたい」と私は咄嗟に返した。
すると、驚いたことに経営者はあっさりOK。
この打ち合わせのあと、慌てて段取りをして7月に移住した。

復帰してから3年半、在宅勤務を行った(その間、第2子出産で育児休暇もとった)。
ポストは書籍部の編集長。年間12冊ほどの単行本を担当し、
部下の仕事の監督や売り上げの数字も任されていた。
月に1回、東京に出向いて打ち合わせを行い、持ち帰って黙々と編集作業。
電話やメール、オンラインで東京の仕事先と連絡をとる日々。
いまにして思えばオーバーワーク。朝、目覚めると吐き気におそわれることもあった。

独立した頃。夫が自宅の壁に看板を描いてくれた。

独立した頃。夫が自宅の壁に看板を描いてくれた。

2015年、会社の経営状況が悪化し、在宅勤務は認められないこととなって独立。
自分から進んで会社を出たわけではなかったが、重圧から解放されたことに安堵した。

出版社時代に知り合った仲間が、書籍や雑誌の編集、執筆の仕事を振ってくれて、
本当にありがたいことに、現在まで絶えることがない。
しかも最近では、コロナ禍によってリモートワークが進んだおかげで、
僻地にいても物事がスムーズに進むようになっている。

岩見沢に移住してから3度、引っ越しをした。2018年に市街地から、山あいの美流渡(みると)地区へ移った。

岩見沢に移住してから3度、引っ越しをした。2018年に市街地から、山あいの美流渡(みると)地区へ移った。

また、2016年に山を買ったことがきっかけになり、
美術関連だけでない、新たな仕事が生まれていった。

自分でつくったイラストエッセイ『山を買う』を世に出してから、
林業関係のみなさんや山主のみなさんと知り合うことができ、
山購入や森林についての執筆や講演会をさせてもらうようになった。
北海道では美術系の編集の仕事はそれほど多くないなかにあって、
新たな関心事から仕事の幅が広がってうれしかった。

買った山で遊ぶ。

買った山で遊ぶ。

収入は勤めていた時代の半分ほど。
一家5人を支えるには十分とは言えないが、つねになんとかなっている。
移住して意識が大きく変化したのは、
お金がそんなになくても生きていけるという実感がわいたこと。

東京にいたときは、どこかに出かければ何かしらお金を使っていたけれど、
ここではスーパー以外でお財布を出す場面はほとんどない。
家賃もほとんどかからないし、
ご近所さんから野菜やおかずを分けてもらうことも多いので、
住む場所と食べ物には困ることはないだろうという安心感がいつもある。

2017年から〈森の出版社ミチクル〉という独自の出版活動を始めた。

2017年から〈森の出版社ミチクル〉という独自の出版活動を始めた。

小豆島の農家〈HOMEMAKERS〉が
1年間に育てた野菜全品種!

2021年の総まとめ! 今年育てた野菜は何種類?

2021年も残り数日となりました。
1年365日、今年もほぼ毎日野菜と向き合って過ごしてきました。
種をまき、苗を植え、手入れをして、収穫……。
ふと、「私たちいったい何種類の野菜を育てているんだろう?」と
そんな思いが頭の中に。

年間だいたい100品種ほどの野菜を育てているのですが、
ちゃんと数えたらいくつになるんだろう。
ちょうどいいタイミングなので、今回は2021年の総まとめ、
私たち〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉が
この1年で育てた野菜全品種を公開します。

毎週月曜日、全畑をまわってその週に収穫・発送する野菜をチェックします。

毎週月曜日、全畑をまわってその週に収穫・発送する野菜をチェックします。

「今週の野菜」をWebサイト、Instagram、LINEでお知らせしてます。こちらも毎週月曜日に更新。

「今週の野菜」をWebサイトInstagram、LINEでお知らせしてます。こちらも毎週月曜日に更新。

2021年1月からシーズン別に見ていこうと思います。
1年に何度も栽培している野菜もあるので、それは1品種としてカウント。

ちなみに、品種というのは、
〈あやめっ娘大根〉〈三太郎大根〉〈宮むらさき大根〉など、
大根でもいろいろな種類があって、そのひとつひとつのことで、
たとえばうちでは4品種の大根を育てています。
大根、にんじん、キャベツなどという、いわゆる野菜の名前は「品目」といいます。
今回は品種を見ていきます。

1月 小寒~大寒

1年の中で一番寒い時期。冬野菜シーズン真っ最中です。
水分の多い野菜は寒い時期に自分自身が凍ってしまわないように
糖度を増して凍らないように寒さ対策をします。
だから寒さは野菜の甘さを増す重要な要素なんです。
寒さのなかでゆっくりと野菜が育ちます。

これぞ冬野菜セット。にんじんも大根もしっかり味がのっていて一番おいしい時期。

これぞ冬野菜セット。にんじんも大根もしっかり味がのっていて一番おいしい時期。

大根とにんじんのサラダ。紅くるり大根の赤色がきれい~。

大根とにんじんのサラダ。紅くるり大根の赤色がきれい~。

あやめっ娘大根

三太郎大根

宮むらさき大根

紅くるり大根

黒田五寸にんじん

バイオレットハーモニーにんじん

パープルターゲットにんじん

ブロッコリー

オレンジカリフラワー

紫カリフラワー(紫雲)

白菜

芽キャベツ

紫キャベツ

子持ち高菜

春菊

ほうれん草

金時草

フェンネル

パクチー

馬と水族館とハッカ。
帯広から北見へ、
北の大地を感じる旅

今回の旅は、帯広から北見へ

さまざまな北海道の魅力を満喫する周遊旅。
今回はまず、とかち帯広空港から車で約20分、
馬と触れ合いながら乗馬体験ができる〈ヒロユキ モチダ ホースマンシップ〉へ。
帯広のまちではばん馬が馬車を引く〈馬車BAR〉を体験。

さらに帯広市から車で北上し、北見市の〈北の大地の水族館〉までは約2時間半。
そしてかつて世界に誇る一大産業だった北見のハッカについて知ることができる
〈北見ハッカ記念館〉〈薄荷蒸溜館〉を訪れ、
そこから車で約40分、女満別空港が旅の終着地。

帯広では馬に触れるアクティビティを体験し、
北見では北海道ならではの魚たちの生態や産業遺産に出合います。
北の大地に生きる動植物、そして人々の知恵に触れる旅へ。

馬の気持ちになって考える。
ホースマンシップが教えてくれること

十勝平野の西側、南北に約150キロ連なる日高山脈に守られて、とくに冬は晴天率が高く「十勝晴れ」になる。

十勝平野の西側、南北に約150キロ連なる日高山脈に守られて、とくに冬は晴天率が高く「十勝晴れ」になる。

とかち帯広空港から向かったのは、雄大な日高山脈を望む場所にある、
〈ヒロユキ モチダ ホースマンシップ〉。
7頭の馬と、お揃いのスウェットを着たスタッフ4名が出迎えてくれた。
胸には“Think like a horse”のメッセージ。
ここは、「ナチュラルホースマンシップ」を学ぶことができる研修施設でもある。

ナチュラルホースマンシップとは、馬の習性や自然界における行動の原理を利用して、
馬と関わっていく方法。
たとえば人間の両目は並んでいて焦点が合わせやすいが、
草食動物である馬は両脇に目がついている。

「広い視野を持ったばかりに視力は弱くて、距離感も掴みにくい。
だから馬が私たちに興味を持ったときにどうするかというと、
少し離れて両目で見える位置に動こうとする。
近づいて片方の目だけを見せているのは、興味がない証拠。
実はすぐに逃げる準備をしているんです」と教えてくれるのは、代表の持田裕之さん。

持田裕之さんは、約25年前に帯広に移住した。現在は全国各地を巡りながら、調教師をはじめ馬に関わる仕事をする人たちに、ナチュラルホースマンシップの考え方を伝えている。

持田裕之さんは、約25年前に帯広に移住した。現在は全国各地を巡りながら、調教師をはじめ馬に関わる仕事をする人たちに、ナチュラルホースマンシップの考え方を伝えている。

異なるのは目だけにあらず。

「『馬が好きなものは何ですか?』と質問すると多くの人は、
『ニンジン』や『牧草』と答えるのですが、それは捕食者の考えなんです。
馬は被食者なので、優先すべきは“安全”や“快適”なんですよ。
だから環境が整っていなければ、どんな餌であっても食べない。
馬と関わるには、人間本位ではなく、馬の気持ちになって考えて
コミュニケーションを深めるべきなのです」

インストラクターは、川島伶未さんを含む女性3名。馬たちと息を合わせて行うホースショーは、YouTubeでも配信されている。

インストラクターは、川島伶未さんを含む女性3名。馬たちと息を合わせて行うホースショーは、YouTubeでも配信されている。

ナチュラルホースマンシップに基づいたプログラムは、
初心者向けから1週間研修まで、ニーズに合わせて多彩に用意されている。
今回体験させてもらうのは、初心者向けの体験40分コース。
相手は、10歳のクォーターフォース種、マディソン君。
開口一番、インストラクターの川島伶未さんが教えてくれたのは、
「快適と不快。このふたつの感情を使い分けます」ということ。

マディソンに挨拶をしたあと、まずはお掃除。毛並みに合わせてブラッシングすることは、馬にとっては“快適”なのだ。

マディソンに挨拶をしたあと、まずはお掃除。毛並みに合わせてブラッシングすることは、馬にとっては“快適”なのだ。

最初は馬のお掃除から。体の部位の説明を受けたあと、
胴体の毛をブラッシングしながら汚れを落とす。
作業を終えるたびに馬と向き合って、額を撫でながら反応を見る。
続いて「裏掘り」。足先を掴んで、蹄に詰まった土を落とすのだ。
ひとつの足が終わるとマディソンの表情を確認して、次の足に。
こうしてお掃除が済んだら、鞍を装着して、いざ馬場へ!

乗る前に、引き馬体験。人差し指を立てて左右に振ったら、マディソンは後ずさりする。目障りな指の動きは“不快”だ。

乗る前に、引き馬体験。人差し指を立てて左右に振ったら、マディソンは後ずさりする。目障りな指の動きは“不快”だ。

続いて行うのは、グランドワーク。
馬には乗らず、手綱を引きながら馬場を歩くことでコミュニケーションをとっていく。

「馬の目の前で指先を左右に動かすことは、不快。
手綱を緩めることは、快適。このふたつの動作で、後退と前進を促します」

左手で手綱を握り、後ろに馬を従えて、一定の距離を保ちながら歩いてみる。
近づきすぎたら指を振って後退させ、定位置に戻ったら手綱を緩める。
マディソン君、なんと思いどおりに動いてくれた。
動物と意志の疎通ができるなんて、なんだか感動する。

手綱と足の動きで意思を伝える。川島さんに誘導してもらいながらではあったものの、細い通路もなんとかクリア。

手綱と足の動きで意思を伝える。川島さんに誘導してもらいながらではあったものの、細い通路もなんとかクリア。

最後は乗馬体験。足でポンとお腹を叩いて発進、「ドォ~」と声を発すると停止。
こうした合図をいくつか教わりながら、マディソンの背中で揺られて馬場を周る。
広い空の下、十勝の風景を眺めつつ爽快な気分。

慣れてきたら、障害物を避けながら進んだり、
少しスピードを上げた速歩にチャレンジしたり。
もちろんその間も常に馬の反応を見ながら、
コミュニケーションがとれたときには首を撫でて感謝を伝える。
こうしてあっという間に40分が過ぎた。

「口をもぐもぐしたら、受け入れている証拠ですよ」と川島さん。口や耳の動きからも馬の状況が読み取れる。額をなでて、感謝の気持ちを伝えた。

「口をもぐもぐしたら、受け入れている証拠ですよ」と川島さん。口や耳の動きからも馬の状況が読み取れる。額をなでて、感謝の気持ちを伝えた。

大切なのは、相手の気持ちになって考えること。

「馬の反応は正直でシンプル。馬との関わり方を学んでいくと、
人間関係の問題解決につながることもあるんです」
という持田さんの言葉が印象的だった。

十勝の大地で馬と触れ合う体験には、アクティビティのおもしろさだけに留まらない、
たくさんの魅力が詰まっている。

information

map

ヒロユキ モチダ ホースマンシップ

住所:北海道帯広市富士町西6線58-13

TEL:0155-63-7676

アクセス:帯広空港から車で約20分、帯広駅から車で約30分

営業時間:8:00~16:30(夏季)、8:00~16:00(冬季)

主なメニュー:体験コース(20分)3500円、40分コース7000円、4回コース(40分×4回)24000円

Web:ヒロユキ モチダ ホースマンシップ

三笠市の山奥で、温泉旅館と
障がい者福祉施設を運営する
プロレスラー

プロレスラーからボディーガードへ。行き場のない人たちに出会って

杉浦一生さんに初めて会ったのは1年前。雪がしんしんと降る日だった。
場所は三笠市の桂沢湖にほど近い山あいの宿〈湯の元温泉旅館〉。
廃業を考えていたこの旅館を2019年に杉浦さんは継業し、新たなスタートを切った。

雪の降りしきるなか、車を停めると、玄関がガラガラと開いて、
Tシャツ、サンダル姿の杉浦さんが現れた。
身長193センチメートル。雪の中で仁王立ちする姿に息を呑んだ。

このときの取材では杉浦さんのこれまでの歩みと、
なぜ赤字だった温泉旅館を継業したのかを中心に話を聞いた。

岩見沢市出身で高校時代にレスリングに出合い、
22歳になって全日本学生選手権で優勝。その後プロレスラーとしてデビューし、
一時はアメリカやカナダで対戦を行ったことも。
しかし、ケガに悩まされ引退。
今度は東京でボディーガードを専門に行う警備会社に入った。

ボディーガードと聞くと要人警護が主な仕事のように思えるが、
その会社で中心になっていたのは、精神疾患者や薬物依存者の医療機関への移送だった。
杉浦さんによると、精神的に追い詰められ、孤独のなかにある人たちは、
ときに自分の身を守りたいと過剰に武装をしていることがあるという。
そうした人たちの気持ちをときほぐしながら病院へとつき添っていくなかで、
「行き場のない人たちがこんなにも多いのか」と強く感じたという。

三笠市の山あいにある〈湯の元温泉旅館〉。

三笠市の山あいにある〈湯の元温泉旅館〉。

やがて杉浦さんは、関東各地に障がい者のグループホームをつくった。
ひとつまたひとつとホームを増やして入所者は100名にもなった。
このとき複数の施設の経営が重くのしかかり、
現場にいる時間が思うようにとれなくなってしまったという。

またスタッフたちとの意思疎通の難しさも感じていたことから代表を辞任。
故郷へ戻り、もう一度、“行き場のない人たち”と
自らが真剣に向き合う場をつくりたいと、湯の元温泉旅館を継業した。

旅館は設備が整っていたことからグループホームもすぐにスタートできたという。
新館部分を入所者が利用するスペースとしつつ、
これまでどおり宿泊や飲食、日帰り入浴のサービスも継続することとした。

日南市〈JR日南駅〉
「待つ駅」から「行く駅」へ、
新しいまちの居場所が誕生

PAAK DESIGN vol.5

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市の中心地にある〈JR日南駅〉のリノベーションがテーマです。
多様な世代が集う新たなまちの居場所となった日南駅が
どのようにしてできあがったのか、振り返っていきます。

日南駅の存在

日南駅は、日南市の中心市街地にある駅です。
隣には城下町として栄えた飫肥(おび)駅と、
マグロ漁で栄えた油津(あぶらつ)駅があり、
市の名前がついている駅にしては少し影の薄い駅でした。
また、近年のJR利用者数は年々減り、
10年前と比べて約半分という状況でもありました。

日南駅は、日南市役所や県の出張所、高校などの最寄りの駅で
一定の利用者があるので、当面は廃線になることはないまでも、
このまま利用が減っていけば将来どうなるかはわかりません。

2015年以降は、日南市がJRから駅業務を受託して運営する簡易委託駅となり、
建物所有権もつい最近JRから日南市へ譲渡されたばかり。
市の施設としてあらためて駅舎の活用を検討しなければならない状況になりました。
建物自体は築60年ほどで、いままで外壁の塗装や看板のつけ加えがあった程度。
今回が初めての大規模なリニューアルとなります。

正面玄関のビフォー。サッシと看板が古く、くたびれた印象のファサード。

正面玄関のビフォー。サッシと看板が古く、くたびれた印象のファサード。

切符売り場と待合スペースのビフォー。駅舎全体の約半分以上は活用されておらず、この壁の向こう側には使用されていないスペースが存在した。

切符売り場と待合スペースのビフォー。駅舎全体の約半分以上は活用されておらず、この壁の向こう側には使用されていないスペースが存在した。

学生を交えたワークショップの開催

駅舎のリニューアルにあたって始めたのは、駅の利用者や近隣の学生、
子育て世帯を対象とした駅の空間づくりのためのワークショップでした。

このプロジェクトは、日南市が事業主体として行い、
企画プロデュース、ワークショップデザインやデザイン監修について、
〈無印良品〉でおなじみの〈良品計画〉さん、
全国でさまざまな集客施設・商業施設を手がける〈乃村工藝社〉さんのサポートがあり、
日南市と協働で〈PAAK DESIGN〉も地元企業として設計に携わることになりました。

ワークショップは3回ほど行い、
「どんな駅なら利用してみたいか」
「駅に何を求めるか」など、学生とその親世代、
近くで働くビジネスマンにも参加してもらい、
それぞれの立場から意見を発表してもらいました。

小中高生からは「子どもだけでも気軽に行ける場所になってほしい」、
ビジネスマンからは「列車を待つ間に読書がしたい、
仕事が快適にできるようwi-fiのある場所が欲しい」、
そして親世代からは「子どもを送迎する際にちょっと立ち寄れる
ミニスーパーのような場所があると便利!」など、いろいろな意見が出てきました。

また、既存の駅舎はただ待つだけの場所になっており、
「JRを利用する以外で行きたいと思ったことはない」
「暗くて寒くてきれいじゃないから、長時間は待ちたくない」
「市の名前がついた駅なのに自慢できない」など、
あまりいいイメージを持っていないこともわかりました。

ワークショップの様子。既存の駅舎の使用していないスペースを借りて行った。

ワークショップの様子。既存の駅舎の使用していないスペースを借りて行った。

駅の近くにある子育て支援施設〈ことこと〉でのワークショップの様子。想定利用者であるママ層の意見に耳を傾ける。

駅の近くにある子育て支援施設〈ことこと〉でのワークショップの様子。想定利用者であるママ層の意見に耳を傾ける。

毎年つくり続けていく、
〈HOMEMAKERS〉の
ジンジャーシロップ

繰り返しの連続から生まれるもの

今年も残すところ半月となりました。
一年中さまざまな野菜を育てている私たちは、
春夏秋冬、種をまき、苗を育て、草を抜き、土に草をすき込み、
野菜の手入れをし、収穫し、出荷する。
今年もこの作業を繰り返してきました。

ある日の畑作業。〈HOMEMAKERS〉の畑では一年中野菜が育っています。

ある日の畑作業。〈HOMEMAKERS〉の畑では一年中、野菜が育っています。

種をまいて育てた苗を畑に植えます。

種をまいて育てた苗を畑に植えます。

立派な外葉に覆われたキャベツ。今年のキャベツもおいしい!

立派な外葉に覆われたキャベツ。今年のキャベツもおいしい!

農家というのは、本当に繰り返しの連続だなとよく思います。
例えば、種をまくという作業に関して、
「ひと粒の種をまく」が一番小さな単位だとすると、

300粒の種をまく。
時期をずらして1年に5回まく。

だとすると、300粒×5回で1500回繰り返すことになる。

とにかく種をまかないと野菜はできない。当たり前だけど、ひとつの種からひとつのラディッシュが育つ。

とにかく種をまかないと野菜はできない。当たり前だけど、ひとつの種からひとつのラディッシュが育つ。

収穫も同じで、例えばさつまいもの収穫だと、
さつまいものつるを切ってどかす、土を掘る、さつまいもを土の中から出す、
ひとつひとつ収穫コンテナに収納する、コンテナを倉庫に収納する、
これをひたすら繰り返して、ようやく収穫が完了する。

ひとつひとつの作業も繰り返しだし、もう少し大きな視点で見ても繰り返し。
春に生姜を植えて、夏に手入れして、秋に収穫する。
これを毎年繰り返す。私たちはまだ9年目だけど、
何代も続く農家というのはそれを何十年も繰り返してきている。

春になったら生姜の植えつけ。ここから半年間、草抜きや追肥など手入れしていきます。

春になったら生姜の植えつけ。ここから半年間、草抜きや追肥など手入れしていきます。

秋になったら生姜の収穫。ひとつの種生姜から育った新生姜。

秋になったら生姜の収穫。ひとつの種生姜から育った新生姜。

それって農家だけじゃなくて、自動車会社だって
ずっと繰り返し自動車を生産しているわけだし、
飲食店なら仕込みをしてそうじをしてお客さんを迎えるを日々繰り返してる。

その繰り返しのなかで、少しずつノウハウがたまっていき、改善していく。
その会社・店らしさができてくる。
信頼が生まれて、ファンができる。存続していく。

どんなに華やかそうな仕事でも、そのベースには
地味に何度も何度も繰り返しやってる何かがあるんじゃないかなと思います。

うちは毎週火曜日と金曜日に野菜を収穫して発送しているのですが、
出荷の日は朝から夕方までいつもの120%増くらいの勢いでバタバタと動いていて、
「ふぅ、今日も無事に出荷作業終わった〜」とほっとしたのもつかの間、
またすぐに次の出荷の日がやってきます。

それを1年間ほぼ休むことなく繰り返すことで、
新鮮な野菜を届けてくれる農家としてようやく知ってもらえて、
信頼してもらえて、野菜を継続して注文してもらえるんだと思っています。

毎週2回の収穫&発送作業。年間で約100回! 今年もたくさん野菜お届けしました。

毎週2回の収穫&発送作業。年間で約100回! 今年もたくさん野菜お届けしました。

収穫して、洗って、選別して、小分けしてを繰り返します。

収穫して、洗って、選別して、小分けしてを繰り返します。

繰り返し繰り返しというと、飽きちゃいそうですが、
繰り返すことで確実に成長していて、それを感じるときちょっとうれしくなるんですよね。

HOMEMAKERSの野菜セット。日々の繰り返し作業で、このひと箱がようやく完成します。

HOMEMAKERSの野菜セット。日々の繰り返し作業で、このひと箱がようやく完成します。

地域の人々を光らせたい。
幾春別で制作を続けるアーティスト、
上遠野敏さん

校舎活用プロジェクトをサポートしてくれた“ご近所さん”

今年の夏から秋にかけて、
閉校になった旧美流渡(みると)中学校で活動を行うようになってから、
“ご近所さん”という感覚が広がったような気がしている。

美流渡に移住した画家のMAYA MAXXさんと一緒に行った、
校舎に打ちつけられた雪除けの窓板に絵を描くプロジェクトでは、
地元のみなさんだけでなく三笠市や長沼町、札幌市からも
人々がサポートに駆けつけてくれた。

さまざまな人との出会いがあり、その縁は
校舎活動が一時お休みとなった冬季期間にも続いている。
アーティストであり数々のアートプロジェクトを手がけてきた
上遠野敏(かとおの・さとし)さんもそのひとりだ。

旧美流渡中学校の窓板ペインティングプロジェクト。板に白いペンキを塗る作業に上遠野敏さんは何度も参加してくれた。

旧美流渡中学校の窓板ペインティングプロジェクト。板に白いペンキを塗る作業に上遠野敏さんは何度も参加してくれた。

出会ったのは4年前。
札幌市立大学の教授だった当時、上遠野さんは
〈札幌国際芸術祭 SIAF2017〉に企画者のひとりとして参加。
そのときに私は取材をさせてもらったことがある。

その後、長年勤めていた大学を退官し、
2年前に札幌の住まいとは別に三笠市にアトリエを設けた。
取材以来、上遠野さんとはSNSでつながっていて、
投稿されるアトリエでの日々に、私は大変興味を持っていた。

春になればさまざまな種類の水仙を生けたり、
羊の毛を洗いフェルトをつくり刺繍をして作品を制作したり。
私が住む美流渡からアトリエまでは車で30分ほどと、そう遠くはないこともあり、
いつか訪ねてみたいという思いが募っていった。

上遠野さんのアトリエがある三笠市の幾春別(いくしゅんべつ)には旧住友炭鉱立坑櫓が残る。櫓の高さは約51メートルで、当時は東洋一の立坑と呼ばれた。

上遠野さんのアトリエがある三笠市の幾春別(いくしゅんべつ)には旧住友炭鉱立坑櫓が残る。櫓の高さは約51メートルで、当時は東洋一の立坑と呼ばれた。

今年に入り別媒体の仕事で上遠野さんに再び取材をする機会が巡ってきた。
2度ほどお目にかかるなかで、校舎で行っているプロジェクトに関心を寄せてくれ、
窓板のペイント作業や展覧会の設営にも参加してくれるようになった。

上遠野さんは、いつでも笑顔を絶やさない。
現在、札幌市立大学の名誉教授でアーティストとしても大先輩ということもあって、
こちらとしてはつい恐縮してしまうのだが、
いつも気さくに校舎活動をサポートしてくれた。
そして、活動をつねに褒めて(!)くれたことに、何度も勇気づけられた。

「みなさんのプロジェクトを手伝ったり、ほかにも農家さんの収穫を手伝ったり。
そうすると思わぬ発見がある。
アトリエにこもっていたら、新しい発想なんてわかないから。
それに人生をケーキのホールに例えたら、まだ端っこしか味わっていない状態。
いろんな経験を積んで、すべてを味わい尽くしたいよね」

旧美流渡小学校に残されていた二宮金次郎像を見て「白御影石で彫られていてなかなか良い」と写真に収める。そこかしこにあるものから発見をする。

旧美流渡小学校に残されていた二宮金次郎像を見て「白御影石で彫られていてなかなか良い」と写真に収める。そこかしこにあるものから発見をする。

熊谷〈原口商店★エイエイオー〉前編
空き家だった酒屋を
地域のレンタルスペースへ

ハクワークス vol.3

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

今回のテーマは、熊谷市の中心市街地、星川エリアの再生を目指して生まれた拠点
〈原口商店★エイエイオー〉。
まちの人がチャレンジできる場を目指し、
シャッターが閉じられていた酒屋を地域のレンタルスペースへ。
今回はその誕生のプロセスからオープンまでを振り返っていきます。

熊谷20年妄想。空き家を開き家に

いまから書く話は20年後にもつながり、
将来的にいまの子どもたちに「熊谷っていいね!」と
読み返してもらえることを期待しています。
20年後、子どもたちが大学を卒業する頃に、
地元・熊谷も住むまち、働くまちの選択肢のひとつとなりますように。

熊谷の中心市街地を流れ、熊谷のシンボルでもある星川。川の両サイドには歩道と車道、飲食店や商店などもあります。「星川」というシンプルな名前も好きです。

熊谷の中心市街地を流れ、熊谷のシンボルでもある星川。川の両サイドには歩道と車道、飲食店や商店などもあります。「星川」というシンプルな名前も好きです。

前回書いたように、10年前に出産を機に妻の地元である熊谷に越してきました。
当時、整然とした見事な風景にもかかわらず人がいない状況を見て驚き、
どうにかできないかと思っていた矢先に、
地元・草加市のリノベーションまちづくりイベントを知り、
草加市にてキッチンスタジオ〈アオイエ〉を設立。

そこを運営しながら同時に熊谷でも空き家を利用して、
地域がちょっと元気になるようなアクションができればと考えていました。

熊谷駅。新幹線も停まります。

熊谷駅。新幹線も停まります。

ミッション1:チームをつくれ

とはいえ、仲間がいませんでした。
まずは、興味のありそうな人に猛烈にアタックを開始。
リアクションがよかったのは、僕も所属している
建築士事務所協会熊谷支部にいる同年代の3人でした。

3人とも熊谷に個人の設計事務所を開設していて、
やはり建築と近しいまちづくりには興味があったようです。
さらに驚いたのは、3人中、ふたりが僕と同様に、
嫁が熊谷出身で子育てのために移住した建築士でした。
千葉、長野から来て、「星川の哀愁をどうにかできないか」という
感想を持っていたのです。

この3人に「胸が熱いぞ!熊谷」という題名の
プレゼン資料80枚でアタックし、話が進みます。

ただ、定説では、まちづくりのチームには多様なキャラクターが求めらます。
さまざまなスキルを持ち寄って活動できるからだと思うのですが、
ここにいるのは僕を含めて同じ職種の4人。
果たしてプロジェクト「熊谷20年妄想。空き家を開き家に」はどうなるのか。
不安も含め、20年の旅路のスタートを切ります。

〈つきに文庫〉札幌と美流渡。
2拠点暮らしで始めた、
小さな古本屋さん

週末暮らす美流渡で、月2回開くお店

私が住む岩見沢市の美流渡(みると)は、人口350人ほどの小さな集落。
お店は数えるほどしかないが、ここ数年、移住者の手によって
カフェやカレー屋さんができ、まちに新しいにぎわいが生まれている。

そして、ついに(!)今年は、古本屋〈つきに文庫〉が誕生した。
毎月2回オープンするところからつけられた名前で、
平日は札幌、週末は美流渡で暮らす、寺林里紗さんが始めた。

私が里紗さんと初めて会ったのは2019年春。
美流渡コミュニティセンターで定期的にアフリカ太鼓の教室が行われており、
同時にアフリカンダンスの教室も開かれるようになったことがきっかけ。

太鼓教室は、美流渡の近くの万字地区に移住した
アフリカ太鼓奏者の岡林利樹さん、藍さんが開いていて、
参加者からダンスもやってみたいという希望があがり、
その先生として里紗さんに声がかかった。

里紗さんは、大学卒業後にアフリカンダンスを始め、
札幌で会社勤めをしながらライブ活動やワークショップを行っている。
私もこの教室に参加したことがあって、
以来、美流渡をたびたび訪ねるようになった里紗さんとは、
折に触れ、会うようになった。

アフリカンダンサーであり古本屋さん。札幌と美流渡の2拠点暮らし。
そんな里紗さんに、今回、あらためてその人生と日々の暮らしについて話を聞いた。

野菜をつくるだけじゃない。
農業をしながら、里山の風景をつくる

美しい里山の景観を守るということ

私たちが暮らす小豆島の肥土山(ひとやま)という地区は、
山に囲まれた里山の集落です。
島で暮らしているのに、海が1ミリも見えない。
それはちょっと寂しいのですが、でも里山としての魅力は抜群! 
集落の中には小さな畑が点在していて、家々と畑と山が織りなす風景、
それが私が毎日眺めている美しい里山の風景です。

山の斜面に建つ家々、その間にある田んぼ、まわりを囲む山々。いつもの風景。

山の斜面に建つ家々、その間にある田んぼ、まわりを囲む山々。いつもの風景。

幸いなことに、まだ肥土山集落では多くの人たちが暮らしていて、
耕作放棄地や空き家など、荒れてしまった土地や家が
あちこちにあるという状態ではありません。
暮らしている人たちが自分の家や畑をきれいに維持していて、
地区の清掃活動などみんなで協力して行う活動も定期的に行われていて、
その結果として肥土山という集落はいまも美しいです。

でも、確実に島の人口は減少していて、ここから10年、20年経つにつれて、
維持できなくなる畑や家が増えてくるのは間違いないと思います。

現に私たちが小豆島に移住してきてからこれまでの9年の間にも、
住んでいた方が亡くなって空いてしまった家や、
管理されなくなって山に戻りつつある畑が、うちのまわりで少しずつ増えてきています。

少し高台にある畑からは集落を見渡せます。作業の合間にふぅ~と眺める景色が好き。

少し高台にある畑からは集落を見渡せます。作業の合間にふぅ~と眺める景色が好き。

いま、私たちが使わせていただいている農地は、集落の中に14か所あります。
どれも1000平米以下の小さな畑で、そのほどんどが、もともと田んぼや畑だった土地。
もう使わないからと、元の持ち主から借り受けて私たちが農業をしています。

農業をするというのは、里山の景観を守ることにつながると思っています。
野菜や米が育てられている畑、そこで作業する人々の様子、
それこそが美しい里山なんですよね。

2021年の〈HOMEMAKERS〉生姜収穫祭。みんなに集まってもらって一気に収穫。

2021年の〈HOMEMAKERS〉生姜収穫祭。みんなに集まってもらって一気に収穫。

11月のある日、そんな私たちの畑で春から育ててきた生姜の収穫祭をしました。
いつも畑仕事を手伝ってくれている仲間に集まってもらって、
朝からいっせいに収穫作業を始めました。

毎年11月後半には初霜がおりるのですが、生姜は寒さに弱く、
霜にあたると一気に傷んでしまいます。
さつまいもも同じで、10~11月はさつまいもの収穫、生姜の収穫と、収穫作業続き。
とにかく人の力がいるので、家族や友人たちに手伝ってもらって、
日曜日も休みなく働いています(泣)。

生姜栽培9年目。今年はしっかり大きく育ちました。

生姜栽培9年目。今年はしっかり大きく育ちました。

土の中から掘り上げた生姜。ずっしり重たい。

土の中から掘り上げた生姜。ずっしり重たい。

収穫はうれしいけれど、作業としてはかなり重労働。
スコップで土を掘り上げるというのは思っている以上に大変な作業で、
それを何度も何度も繰り返してひとつずつさつまいもや生姜を収穫していきます。
もう少し大きな規模の農業の場合は、土をごっそり掘り上げる機械を使ったりしますが、
うちは手掘り……。大変です。

ひと株ひと株スコップで掘り上げていきます。

ひと株ひと株スコップで掘り上げていきます。

掘り上げた生姜の茎を落として、保管します。

掘り上げた生姜の茎を落として、保管します。

日南市〈ADDress Kado〉
商店街の空き店舗を、
定額制・住み放題サービスの拠点へ

PAAK DESIGN vol.4

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市・油津商店街にある空き店舗をリノベーションした
〈ADDress Kado〉がテーマです。

〈ADDress(アドレス)〉とは、全国どこでも定額制・住み放題のサービスで、
定住でも所有でもない新しいライフスタイルを提案するもの。
以前、コロカルの記事でもご紹介しました。
ここでは、どのようにして日南にアドレスの拠点ができあがったのか、
振り返っていきます。

アドレス代表・佐別当隆志さんとの出会い

アドレス代表の佐別当(さべっとう)隆志さんとの出会いは突然でした。
2019年1月、引き渡し間際の物件で仕上げ作業に没頭している最中、
「こんにちは」と挨拶され、ふと顔をあげると男の人が立っていました。
僕のクライアントでもあり、いつもいろんな人とつなげてくれる
田鹿基倫さんも立っていて、「佐別当さんです」と紹介され、
設計の相談をしていただいたのです。

佐別当さんからアドレスの事業について説明を聞き、
淡々とした会話のトーンとは裏腹に、
ものすごく魅力的な未来が描かれていて心が打たれました。

これを4月から全国に展開していく予定で、海や自然が近いこと、
サテライトオフィス誘致の取り組みで話題となっていたこと、
手頃ないい物件が商店街内にあることなど、
さまざまな理由から我が日南にも拠点をおきたいということで、
ワクワクと胸を踊らせたのを覚えています。

〈ADDress〉代表の佐別当隆志さん。オープニングセレモニーでの挨拶の様子。

〈ADDress〉代表の佐別当隆志さん。オープニングセレモニーでの挨拶の様子。

なぜ藝大でヤギを飼うのか?
茨城県取手市で始まった
「ヤギの目」プロジェクトとは

東京藝術大学取手キャンパスには、2匹のヤギがいる。
なぜ藝大でヤギなのか? その真相を取材するべく、取手キャンパスを訪ねた。

2匹がやってきたのは2020年12月のこと。
11歳のおばあちゃんヤギ「エヒメ」と、
昨年9月に誕生し1歳になったばかりの雌ヤギの「ムギ」が仲良く暮らしている。
「2回目の冬に備えて、暖かい場所に飼育場を移さなきゃ」
そんな話も始まっている。

人間ではない「他者」の視点で人間社会を深く見つめてみよう。
そんなヤギの目で社会を見ることをテーマとし、
2匹のヤギを真ん中に置いた新しいアートセンターを目指す、
その名も「ヤギの目」プロジェクト。

東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の小沢剛研究室と
〈取手アートプロジェクト「半農半芸」〉が共同で立ち上げ、
東京藝術大学の学生や教員、地域住民から有志が集まって活動している。
そのメンバーに、ヤギを飼い始めてからの変化などを聞いた。

アートの現場にヤギがいると、いい景色が見えてくる

まず「ヤギを飼おう」と発案した、アーティストで
東京藝術大学教授の小沢剛さんにその動機をうかがった。

「農家と古民家カフェをしている知り合いがヤギを飼っていて、
いいなと思っていたんです。
もともとヤギには人と共存してきた長い歴史があって、
戦中戦後の頃には食糧難に対する国策として飼っていたそうです。
僕が子どもの頃には、近所でヤギを飼っている人もいたので懐かしい気持ちもあってね。

東京農業大学の学生に会ったときには、その学生が所属する“ヤギ部”の話から、
ヤギは“景観動物”だということも聞いていました。
ヤギが草を食べることで除草になるという話も聞いていましたので、
雑草が生い茂って荒れた里山のようになっている取手キャンパスにヤギを投入すれば、
いろいろといい方向に動くんじゃないか。そんな確信を持っていたんです」

アーティストで東京藝術大学教授の小沢剛さん。

アーティストで東京藝術大学教授の小沢剛さん。

モリモリと葉を食べ尽くすヤギ。こちらはムギ。

モリモリと葉を食べ尽くすヤギ。こちらはムギ。

一方、市民と取手市、東京藝術大学の3者で行っている
〈取手アートプロジェクト〉(以下、TAP)では、
会期を設定してイベントを行うフェスティバル型から、2010年度以降、
地域に日常的な芸術インフラの仕組みをつくる拠点型へと移行して活動してきた。

自然と地続きに行う表現活動のあり方を探る「半農半芸」を
コアプログラムのひとつとしていたことから、
2017年度より「藝大食堂」を芸大からの委託を受けて、
TAPの事業を担うNPO法人で運営している。

TAPの事務局長・羽原康恵さんは
「芸術家のおなかを支え、またディレクターも芸術家が務める食堂らしく、
つくれるものはできる限り手づくりで、をモットーにしています。

例えばドレッシングも毎日手づくり、
材料になる野菜もちょっとずつ自分たちでつくったり、
応援してくださる方からいっぱい採れた旬のものを譲っていただいたり。
食べることを最初の目的にすると地域の方も気軽に来てくださるし、
つながりもつくりやすいんです。
フェスティバルを行っていた頃は助成金に頼っていましたが、
藝大食堂はTAPが自立した事業になっていくための挑戦でもありました」と語る。

〈取手アートプロジェクト〉(TAP)事務局長の羽原康恵さん。

〈取手アートプロジェクト〉(TAP)事務局長の羽原康恵さん。

パプリカ、トマト、バジルなどを栽培。土が粘土質で、根っこが張り巡らされていて、石がゴロゴロしていたところから、地域のお父さんたちの多くの協力のもと開墾し、いまは小さな畑に。

パプリカ、トマト、バジルなどを栽培。土が粘土質で、根っこが張り巡らされていて、石がゴロゴロしていたところから、地域のお父さんたちの多くの協力のもと開墾し、いまは小さな畑に。

その中心を担ったのが、〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉で
数年かけて集落のコミュニティを再生したアーティストの岩間賢さんだ。

岩間さんは、取手で学んだ経験もありながら、
TAPの半農半芸にディレクターとして招聘されるかたちで、取手で再び活動することに。
食堂の運営を行うことまでは想定していなかったそうだが、
藝大食堂が始まるタイミングに、食の場を中心として
取手キャンパスの土地の開墾から始めるマスタードローイングを描いていた。

それには木材や粘土など「素材研究の森」、畑や養蜂なども描かれている。
今年は急斜面を耕して野外劇場をつくる予定だ。

「絵の中で、雑草を食べてくれるヤギの飼育も描いていたのですが、
同じ時期にたまたま小沢先生もヤギを飼うことを考えていたんですね」と岩間さん。
ふたりの思いが一致したことから「ヤギの目」が動き出した。

アーティストで愛知県立芸術大学准教授、TAP「半農半芸」ディレクターの岩間賢さん。

アーティストで愛知県立芸術大学准教授、TAP「半農半芸」ディレクターの岩間賢さん。

「土地整備のやり方もわからなかったけれど、
岩間さんが慣れているので一緒に動いてくれて、市民の人々も手伝ってくださって。
僕と学生だけだったらできなかったと思います」と小沢さん。

いただきものは応援の気持ち!
ご近所さんからのおいしいお裾分け

パーティプレートいっぱいの晩ごはん

あれは9月中旬のこと。
ご近所の農家さんから、パーティプレートいっぱいの晩ごはんをいただいた。
丸いプレートの半分がナポリタン。もう半分が炊き込みご飯。
雨で農作業がお休みになったからとつくってくれたものだった。

家族5人、一度に食べきれないくらいたくさんのナポリタンと炊き込みご飯。炊き込みご飯には紅生姜が合う。

家族5人、一度に食べきれないくらいたくさんのナポリタンと炊き込みご飯。炊き込みご飯には紅生姜が合う。

子どもたちは、このナポリタンが大好き。
私がナポリタンをつくろうとすると
「Yさんの味つけで!」とリクエストされるほど。
口に入れるとほんのり甘くてバターのいい香り。
トマトケチャップがしっかり効いてクセになる味。

昨年の冬に初めていただいてから、
「おいしかったです」
「子どもたちがすぐに食べちゃいました」と伝えていたら、
日に日に量が多くなって、ついにこの日、
パーティープレートのケースに大量に詰めてくれた。
「足りないかな?」と思ったそうで、炊き込みご飯までつけてくれたのだという。

晩ごはんをつくらなくていいという開放感。
味にうるさい子どもたちでも、このナポリタンなら文句はあるまいと顔がニヤニヤした。

秋になるとご近所さんからカボチャやブドウをいただく。冷蔵庫の中は食材でいっぱい。

秋になるとご近所さんからカボチャやブドウをいただく。冷蔵庫の中は食材でいっぱい。

この地域には果樹園が多い。さまざまな品種のリンゴをいただくことも。

この地域には果樹園が多い。さまざまな品種のリンゴをいただくことも。

夕方に、今度はお隣さんから立派な梨をいただいた。
そのとき私は、はっとした。毎日のように誰かに何かをいただいている。
2日前は長沼の友人が梅干しのお裾分けをしてくれ、
昨日は近所のカレー屋さんがピューレ用のトマトを置いていってくれた。

そういえば、東京から北海道に移住したとき、
ご近所さんが家庭菜園でとれた野菜をたくさん分けてくれ、
驚いたことがあったのを思い出した。
お金を払わなくても家にどんどん食材が集まってくることに、
とても不思議な感覚がしたし、お金をたくさん稼がなくても
生きていけるという安心感を持つこともできた。

ただ移住して10年が経つと、何かをあげたりもらったりすることは、
日常的なことで特別意識をすることもなくなっていた。

義母からもいつもおかずをもらっている。この日つくって持たせてくれたのはお赤飯。北海道のお赤飯は、ふかしたもち米に甘納豆を混ぜ合わせてあって、甘さが際立っている。

義母からもいつもおかずをもらっている。この日つくって持たせてくれたのはお赤飯。北海道のお赤飯は、ふかしたもち米に甘納豆を混ぜ合わせてあって、甘さが際立っている。

紅はるか、シルクスイート、安納芋。
どの「さつまいも」がおいしい?

ほくほく系、しっとり系、ねっとり系、どれが好き?

11月になり、だいぶ秋らしくなってきました。
食卓に並ぶ野菜も、大根、にんじん、かぶなどの
根菜類やその葉っぱなど、秋冬モードに。

そんな時期に食べたくなるのが、焼きいも! 
最近はコンビニでも、おでんや肉まんなどと一緒に焼きいもが並んでるそう。
「熟成 紅はるかの焼きいも」なんて書かれるとついつい食べたくなってしまいますよね。

この時期、アウトドアイベントやキャンプなどで食べる「焼きいも」最高です!

この時期、アウトドアイベントやキャンプなどで食べる「焼きいも」最高です!

砂糖を使わず、さつまいもの甘みだけでおやつになるからうれしい。

砂糖を使わず、さつまいもの甘みだけでおやつになるからうれしい。

ところで、〈紅はるか〉って何でしょ?
ブランドの名前? 商品名? 

さつまいもにはたくさんの種類があって、
紅はるかというのはさつまいもの品種名です。
最近では、国内で約60品種の栽培が報告されているそうです
農林水産省のページ参照)。
それ以外にも、報告されていないもの、地域の在来種など、
細かく分ければもっとたくさんの種類のさつまいもがあるとされています。

さつまいもは、品種によって形や色、甘さや食感などが違います。
自分でさつまいもを栽培し販売するようになるまでは、
「さつまいも」というひとくくりでしか考えてませんでしたが、
同じさつまいもでも随分と違うもんだなぁと最近では思います。
その違いを知っておけば、さつまいもを選ぶときにちょっと役に立つかもしれません。

今年の〈HOMEMAKERS〉さつまいも収穫風景。霜が降り始める11月中旬までに収穫完了。

今年の〈HOMEMAKERS〉さつまいも収穫風景。霜が降り始める11月中旬までに収穫完了。

これは〈紅はるか〉。さつまいも掘りは重労働だけど、収穫の喜びも大きい。

これは〈紅はるか〉。さつまいも掘りは重労働だけど、収穫の喜びも大きい。

さつまいもは、食べたときの食感で分けると、よく言われるのが
「ほくほく系」「しっとり系」「ねっとり系」の3種類。
これ、誰が最初にそういう表現をしたのかわかりませんが、
うまいこと分けたなぁといつも思います。本当にそんな感じです。

【ほくほく系さつまいも】

水分が少なめで、口の中でほろりとほどける粉質、やさしい甘さのさつまいもです。
水分少なめなので、少しずつ口に入れてしっかり噛んでから飲み込まないと、
のどに詰まりそうになります(汗)。

昔ながらの焼きいもは、このほくほく系ですね。
最近は水分多めのねっとりとした食感の焼きいもが人気ですが、
でもやっぱりこのほくほく感が好きという人も多いかと。

有名な品種でいうと〈紅あずま〉〈鳴門金時〉などがあります。
香川県では〈坂出金時〉という品種が有名で、私たちも栽培したことがあります。

ほくほく食べたい「さつまいものかき揚げ」。

ほくほく食べたい「さつまいものかき揚げ」。

160度くらいに温めたオーブンでじっくり50分程度焼くだけで、甘い一品「さつまいものロースト」のできあがり。

160度くらいに温めたオーブンでじっくり50分程度焼くだけで、甘い一品「さつまいものロースト」のできあがり。

デザイナー・皆川明と
〈ミナ ペルホネン〉が考える、
都市とローカルの関係性

「100年続くブランド」のあり方

かわいい、華やか、やさしい、温かい、繊細、有機的、
物語がある、つくりが精巧、長く着続けられる――。
そのような言葉で表されるテキスタイルや服で
人々を魅了し続けているブランド〈ミナ ペルホネン〉。
創設者でデザイナーの皆川明さんがビジュアル・ディレクターを務める
〈北アルプス国際芸術祭2020-2021〉のオープニングの機会にインタビューを行った。

「ミナ ペルホネンは自然への好奇心とそこから生まれる
空想の世界を描いているんです」と皆川さん。

「僕は京浜工業地帯にある住宅街で育ちました。
光化学スモッグの警報で学校が休みになるほどでした。
そんな環境のなか、父がよく山登りに連れて行ってくれました。
そのときの爽快感が、後に自然への敬愛と好奇心につながったのかもしれません」

多様で、常に変化する自然。その環境に身を置けば、無限に空想が広がる。
皆川さんは空想から生まれた物語を絵にし、服の形を纏わせる。

ビジュアル・ディレクターを務める〈北アルプス国際芸術祭2020-2021〉のMilla Vaahtera(ミラ・ヴァーテラ)の作品と一緒に。以前からヴァーテラの作品が好きだったという皆川さん。「彼女の有機性に満ちた作品や、真鍮やモビールを使った表現は、この芸術祭に合っていると思って、総合ディレクターの北川フラムさんに推薦しました」

ビジュアル・ディレクターを務める〈北アルプス国際芸術祭2020-2021〉のMilla Vaahtera(ミラ・ヴァーテラ)の作品と一緒に。以前からヴァーテラの作品が好きだったという皆川さん。「彼女の有機性に満ちた作品や、真鍮やモビールを使った表現は、この芸術祭に合っていると思って、総合ディレクターの北川フラムさんに推薦しました」

〈北アルプス国際芸術祭2020-2021〉では
劇団カンパニー〈マームとジプシー〉との公演『Letter』も上演された。
劇中のセリフは、2011年からミナ ペルホネンのHPで
毎週配信している皆川さんのテキストから、演出の藤田貴大さんが構成。
ミナ ペルホネンは衣装用の服やテキスタイルも提供した。

木々に囲まれた野外劇場と、生をめぐる四季の情感にあふれた舞台に、
俳優たちが身につけた服は、まるで森の中で息を吹き返した生き物のようだった。

マームとジプシー×ミナ ペルホネン『Letter』は2021年10月2日、3日に森林劇場で上演された。2019~2020年に東京都現代美術館で開催された展覧会『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』での関連企画に続いてのコラボレーションとなった。衣装はミナ ペルホネンの服をスタイリングの遠藤リカがアレンジ。(Photo:Moe Kurita)

マームとジプシー×ミナ ペルホネン『Letter』は2021年10月2日、3日に森林劇場で上演された。2019~2020年に東京都現代美術館で開催された展覧会『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』での関連企画に続いてのコラボレーションとなった。衣装はミナ ペルホネンの服をスタイリングの遠藤リカがアレンジ。(Photo:Moe Kurita)

「服も言葉も僕らの手から離れて、原形もないものもあります。
でも、目的のために人の手が加わりながら続いているんだったら、
それでいいと思うんです。
最終的に『皆川明』という痕跡がなくなってもまったく問題ありません。
ミナ ペルホネンがいろいろな人と関わりながらつながり、
自然発生的に世の中に残っていくほうがいい」

フィンランドの作家ヴァーテラの作品は、国営アルプスあづみの公園内の「杣人(そまびと)の家」の周辺の風景に溶け込んでいる。どこに作品があるのか探しながら散策するのも楽しい。

フィンランドの作家ヴァーテラの作品は、国営アルプスあづみの公園内の「杣人(そまびと)の家」の周辺の風景に溶け込んでいる。どこに作品があるのか探しながら散策するのも楽しい。

皆川さんは「100年続くブランド」というあり方をよく口にする。
ひとりの人間が仕事に費やせる時間を30~40年と考え、
その持ち時間を使って人とつながり、新たな可能性を見つけ、何かを実現し、
次の人に課題を渡し、組織は理念を深めながら続いていく。

そのスケールは自然界の循環と重なる。
自分は確かに種を蒔き、育てた。
けれども実をつけて、種を落とし、また芽が吹いて、やがて森になったとき、
それはもはや自分ひとりの仕事で成したことを超えている。

「自分ひとりの寿命だけで考えるプランなんてつまらない。
次の人に委ねる前提で始めたほうが、自分個人の満足に終わらなくていい」
と皆川さんは言う。

麹のもと、「もやし」って?
ハッピー太郎さんと
日本の発酵食のルーツを訪問

滋賀県彦根市で〈ハッピー太郎醸造所〉を営む、ハッピー太郎こと池島幸太郎さん。
前回は、主宰するワークショップで滋賀県の伝統発酵食・鮒ずしのつくり方をレポート、
その文化的背景などを語る様子をお伝えした。
本編ではいよいよ、池島さんが生業とする麹そのものについて探っていく。

麹づくりの現場へ

最初に訪ねたのは、池島さんがアドバイザーを務める〈梅小路醗酵所〉。
ここは、大阪の酒屋〈酒高蔵〉が運営する麹をテーマとした施設で、
ガラス張りの麹室(こうじむろ)を備え、本格的な麹づくりに取り組んでいる。

その麹づくりを主に担当するのはスタッフの竹内美和さんだ。
つくった麹をどう商品に落とし込んでいくのか、レシピを考え、
実際にランチをつくるのも竹内さんの仕事。
つまり、麹まわりのあれこれが竹内さんの守備範囲というわけだ。

「麹づくりで教えることはもうほとんどありませんね」と目を細める池島さん。
ふたりで話している様子は、まるで師匠と弟子のようだ。

竹内美和さんは大阪の酒屋〈酒高蔵〉に就職し、梅小路醗酵所の担当となって初めて麹づくりをすることに。「麹をよく食べるようになって、肌がきれいになったと言われます」

竹内美和さんは大阪の酒屋〈酒高蔵〉に就職し、梅小路醗酵所の担当となって初めて麹づくりをすることに。「麹をよく食べるようになって、肌がきれいになったと言われます」

竹内さんが前日に仕込んでおいた麹を見せてもらうと、
米の一粒一粒がふっくらとし、発光しているかのように白い。

そのつくり方は、まず米を蒸し上げ、
少し冷ましたあとに種麹(たねこうじ。種菌、もやしともいう)をまいて付着させ、
48時間ほど保温をして菌糸を増やすというもの。

草加市〈キッチンスタジオ アオイエ〉
人と人、人とまちがつながる
ダイニングキッチン

ハクワークス vol.2

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

そもそもなぜ白田さんは、建築家でありながら、
空き家を使った場の運営までも行っているのでしょうか。
今回はエピソードゼロ。きっかけは、白田さんの地元・埼玉県草加市で実施された、
まちづくりのイベントにありました。

こんにちは、熊谷

10年前、出産をきっかけに、奥さんの実家である熊谷へ引っ越してきました。
そのときの印象は
「まち並みはきれいに整っている。なのに、人がいない」ということでした。

熊谷市の中心市街地を流れる星川と遊歩道。

熊谷市の中心市街地を流れる星川と遊歩道。

熊谷の中心市街地にある星川通りは、終戦の前日に空襲を受けました。
終戦後、まちが再編されて、川と通りが直線的に抜ける、
緑豊かな、いまで言う“インスタ映え”抜群なロケーションに。
ただ、その後の社会の変化で、星川付近の商店街は元気を失っていきました。

ふわっと建築に携わる者として、大学でもなじみのあったまちづくり。
「この星川を元気にしたい」となんとなく思ったのですが、すぐ壁にぶつかります。

「まちづくりって、どうやるねん」

モヤモヤを抱えながら、時間は経っていきます。

リノベーションまちづくり@そうか

そんなある日、日本全国のまちづくり事例を調べていくなかで、驚きの発見が。

「え! 地元の草加でまちづくりやってんじゃん! 
しかも、テーマがリノベーション!!」

草加市主催で、「リノベーションまちづくり@そうか」という
イベントが行われていたのです。

実際の空き家を利用して、地域課題解決も含めた事業をつくり上げる
民間応援型のイベント。前段の説明会では、佐賀でまちづくりを行う方の講演が行われ、
「こんな方法があるのか!」と心打たれて、すぐに参加の申し込みをしました。

残念ながら、子どもの運動会の日程と被っていましたが、
どうにか奥さんの了承を得て、いざ参加へ。

リノベーションスクール@そうかの告知ポスター。

リノベーションスクール@そうかの告知ポスター。

美流渡での『MAYA MAXX展』。
小さな集落に多くの来場者が訪れた、
その理由とは?

駐車場が満杯、予想外のにぎわいに驚いて

10月3日、『みんなとMAYA MAXX展』と『みる・とーぶ展』が、
2年前に閉校した美流渡(みると)中学校を舞台に始まった。

『みんなとMAYA MAXX展』は、昨年夏に東京から美流渡地区へ移住した、
画家・MAYA MAXXさんが、閉校した校舎の窓に打ち付けられた
無数の板に描いた絵を、みなさんに見てもらう機会となった。
また、2021年に描いた新作と、この夏、福岡アジア美術館で描いた
全長70メートルにもなるダンボールに描かれた作品も校舎に展示された。

1階の廊下にはMAYAさんが描いた『縄文の草』を展示。この夏、福岡アジア美術館で開催された『おいでよ! 絵本ミュージアム』で制作された作品を展示した。

1階の廊下にはMAYAさんが描いた『縄文の草』を展示。この夏、福岡アジア美術館で開催された『おいでよ! 絵本ミュージアム』で制作された作品を展示した。

3階の教室に壁を立て、絵が展示できるギャラリーとした。MAYAさんが美流渡で描いた新作を2室に展開。

3階の教室に壁を立て、絵が展示できるギャラリーとした。MAYAさんが美流渡で描いた新作を2室に展開。

これまで動物や植物などを連想させる形を描くことが多かったが、美流渡に移住して不定形の色があふれ出した。

これまで動物や植物などを連想させる形を描くことが多かったが、美流渡に移住して不定形の色があふれ出した。

同時開催となった『みる・とーぶ展』は、教室の1室を使い、
地域でものづくりの活動を続ける7組の移住者の家具や器、ハーブティーなど、
さまざまな商品を並べる場となった。

理科室の机を利用した、みる・とーぶの展示コーナー。

理科室の机を利用した、みる・とーぶの展示コーナー。

一昨年、この地に移住した陶芸家・こむろしずかさんの作品。

一昨年、この地に移住した陶芸家・こむろしずかさんの作品。

自らの農作業や薪割りの姿をデザインした〈Out Works Zootj〉。

自らの農作業や薪割りの姿をデザインした〈Out Works Zootj〉。

初日、10時に扉を開けると、ひとり、またひとりと来場者が現れた。
人の流れは途切れずに、ついには中学校の駐車場が満車になってしまった。
札幌から車で1時間半ほどと、道内ではそれほどアクセスは悪くはないものの、
予想を超える出足だった。
スリッパを補充したり、アルコール消毒液を追加したりと対応に追われた。

『みる・とーぶ展』の会場も、終日賑わった。
この日、接客に立ったのは、木工作家〈遊木童〉の五十嵐茂さんと、
ハーブティーをつくっている〈麻の実堂〉の笠原麻実さん。
お昼もそこそこに、ふたりはずっと商品の説明をしてくれて、
遊木童のスツールは午前中で完売。
麻の実堂の在庫も、ほとんどが品薄になってしまう事態に。

さまざまな樹種を組み合わせたスツールが完売。慌てて在庫を補充することに。

さまざまな樹種を組み合わせたスツールが完売。慌てて在庫を補充することに。

あっという間に閉館の16時を迎え、来場者は130名にもなっていた。
『みる・とーぶ展』は、この4年間、札幌などで会場を借りて開催してきたのだが、
それとは比べ物にならないほど好調な売り上げとなった。

美流渡は人口わずか350人の小さな集落。
これまでは自分たちが外に出向いて発信していたが、
地元にこんなにも人が来てくれることに勇気づけられた。

「まったく疲れを感じなかった。
一日中、いろんな人とお話しするのが楽しくて楽しくて」

麻の実堂の笠原さんは興奮気味にそう話した。
ハーブティーのお店としてイベントに出店するのはこれが初めて。
試飲をすると、みなさんそのおいしさに感動して買ってくれ、
大きな手応えを感じたという。

麻の実堂の笠原さんは、ハーブティーのパックを販売するだけでなく、イベント期間中にお茶を振る舞うスタンドを初オープン。

麻の実堂の笠原さんは、ハーブティーのパックを販売するだけでなく、イベント期間中にお茶を振る舞うスタンドを初オープン。

小豆島移住10年目。
思い描いた島暮らしは実現した?

そもそも、なぜ移住してきたのか

今年の秋は突然やってきました。
つい数日前まではTシャツ短パンで過ごしていたのに、急に温度がさがって、
ストーブ出さなきゃ、毛布干さなきゃ、フリースどこだっけ? と急いで冬支度。
あらま、もう秋を通り越して、冬? くらいの勢いです。
そんな10月の小豆島。

セイタカアワダチソウの黄色い花、すすきの黄金色の穂、ちょっと茶色っぽい緑色の山、やさしい水色の空。穏やかな秋の里山の風景。

セイタカアワダチソウの黄色い花、すすきの黄金色の穂、ちょっと茶色っぽい緑色の山、やさしい水色の空。穏やかな秋の里山の風景。

少しずつ採れ始めた冬野菜。間引いた「紅くるり大根」。

少しずつ採れ始めた冬野菜。間引いた「紅くるり大根」。

私たち三村家は、2012年10月31日に小豆島に引っ越してきました。
名古屋でも古い一軒家で暮らしていたのですが、
前日の朝まで徹夜で荷物を詰め込んで、掃除して、
次にその家で暮らす人たちに鍵を渡して。
荷物は引っ越し屋さんが大きなトラックで運んでくれて、
私たちは深夜便のジャンボフェリーに乗って神戸から小豆島へ。

いまどき「ものを持たない暮らし」がかっこいいとされていたりしますが、
私たちは愛する本やおもちゃ、家具を手放せず、丸ごと運んできた感じでした。
三村家の大移動(笑)。

小豆島に移住してきた当時、5歳だったいろは(娘)。引っ越し荷物の梱包。

小豆島に移住してきた当時、5歳だったいろは(娘)。引っ越し荷物の梱包。

名古屋で暮らしていた家。古い一軒家でした。掃除をして、次にここで暮らす人へ受け渡し。

名古屋で暮らしていた家。古い一軒家でした。掃除をして、次にここで暮らす人へ受け渡し。

9年前の私たち。名古屋の家の庭で。ここでほんの少しだけ野菜を育てたりもしていました。

9年前の私たち。名古屋の家の庭で。ここでほんの少しだけ野菜を育てたりもしていました。

そんな大移動から9年。
今年の10月31日から10年目の小豆島暮らしが始まります。

さて、そもそもどうして私たちは小豆島に引っ越してきたのか。
この小豆島日記でも何度も書いてきました。
記念すべき連載1回目「小豆島日記 vol.001 小豆島の里山から」には、

消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。

と書いています。

2012年10月31日、私たちが小豆島に引っ越してきた日の朝。ジャンボフェリーから。

2012年10月31日、私たちが小豆島に引っ越してきた日の朝。ジャンボフェリーから。

引っ越してきてから数日後。祖父の家を片づけ、計測し図面を作成。リノベーションを開始する準備。

引っ越してきてから数日後。祖父の家を片づけ、計測し図面を作成。リノベーションを開始する準備。

日南市・飫肥〈武家屋敷 伊東邸〉
城下町の古民家再生リノベーション

PAAK DESIGN vol.3

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市飫肥(おび)城下町にある古い屋敷を復元改修した
お食事処〈武家屋敷 伊東邸〉がテーマです。

プロジェクトの始まり

始まりは、日南市役所に呼ばれたところからでした。

打ち合わせ場所にいたのは、日南市のすべての文化財を管理する
文化財担当課の方々とクライアントさん。
「古民家再生の設計をお願いしたい」とのことでした。

既存の外観。内部にあった不要な家財道具を撤去している様子。

既存の外観。内部にあった不要な家財道具を撤去している様子。

対象物件があるのは、飫肥地区の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたエリア。
この文化的景観を守るため、市の条例や、文化庁の指導のもとに
改修を行わないといけないエリアです。その代わり、ルールに基づいた改修を行えば、
文化庁から改修費の一部に補助がもらえるというもので、
打ち合わせでは、条例や手続きなどについてお話をうかがいました。

クライアントさんは本田清大さんといい、実は中学の同級生。
彼は、私より少し早くUターンで日南に戻り、
家業である鰻屋さんと観光バスの運営をする会社を継ぐために働いていましたが、
このプロジェクトは「家業だけでなく、自分でも新しくリスクを背負って
歴史的な風景を守り、まちづくりに寄与していきたい」という想いで始めたそうです。

既存の内部の状態。さまざまな時代の家財道具が混在していた。

既存の内部の状態。さまざまな時代の家財道具が混在していた。

飫肥城下町の魅力

物件があるのは、歴史的な景観が残る飫肥城下町。
江戸時代から約300年間、飫肥藩伊東家5万1千石の城下町として栄えたまちです。
飫肥城跡を中心に建ち並ぶ武家屋敷と風格ある武家門、
飫肥石でつくられた石垣などで形成される美しいまち並みが保存されていて、
1977年には九州初の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

地域の住民と行政が一体となり保存活動が進められ、先人たちの活動のおかげで、
全国でも有数の武家屋敷群が、非常に美しい状態で保存されています。

桜の季節の飫肥城大手門の前の通り。

桜の季節の飫肥城大手門の前の通り。

最近では宿泊客が減り、日帰り観光客が増え、ひとり当たりの地域消費額は2000円弱。
ランチをして、資料館など施設の入館料を払うか、お土産を買って帰るかという内容。
観光客自体も年々減っている状況でした。

そんな状況を少しでも改善させるため、
2015年に行政が飫肥のまち専属のまち並み再生コーディネーター事業を行い、
タウンマネージャーのような役目をひとりの民間人に託しました。

さらには日帰り観光が多い現状を変えつつ、
少しでも多くの消費を促し、よりいまの観光ニーズに合わせるため、
武家屋敷を改修した一棟貸しスタイルのふたつの宿泊施設〈季楽〉 がオープンし、
滞在型の観光となることを目指しました。

その宿泊施設がオープンし、新しくまちが変わっていく気運のなか、
私が初めて取り組むことになる古民家再生リノベーション、
〈武家屋敷 伊東邸〉の設計が始まりました。

新しい飫肥のまちづくりの起点となった古民家宿〈季楽 飫肥 勝目邸〉。まち並みになじむ風景を保存し、古民家を利活用した宿。

新しい飫肥のまちづくりの起点となった古民家宿〈季楽 飫肥 勝目邸〉。まち並みになじむ風景を保存し、古民家を利活用した宿。

小豆島の本屋〈TUG BOOKS〉
本と出合える場所を島につくる

本を味わえる場所がなければ、つくればいい!

小豆島で暮らしていて思うことのひとつに、
「島におもしろい本屋さんがあるといいなぁ」というのがあります。

もともと私は本が好きで、名古屋で暮らしていたときは、
ちょっと空き時間があれば本屋に立ち寄っていました。
大学の建築学科時代には、卒業設計で図書館を設計して、
論文も図書館について書いたくらいです(笑)。

といっても、無類の読書好きというわけでは全然なくて、
ふらっと本屋さんに寄って、何かおもしろい本ないかなぁ、
新しい雑誌出たかなぁといろいろ見るのが楽しくて、
おもしろそうな本があれば買ってカフェで読んだり、電車の中で読んだり。
本というもの、本がある空間、本を読む時間、そういうのが好きなんだと思います。

わが家の本棚。大学生の頃くらいから約20年分の本や雑誌、漫画が並んでます。

わが家の本棚。大学生の頃くらいから約20年分の本や雑誌、漫画が並んでます。

まちにはふらっと立ち寄れる本屋さんがたくさんあります。
あらゆる本が揃っている大きな本屋さんから専門書店、
独自セレクトの小さな本屋さんまで、本に出合う機会がたくさんありました。

ですが、島で暮らすようになってからは、
ぐっと本や雑誌を読む時間が減ってしまいました。
移住したばかりの頃は、そもそも現実の世界に
いままで触れたことのないような生活や文化があって、
本を読むよりも現実から得られる情報がいっぱいで、
それで満たされていたような気がします。

それと、島での暮らしは車での移動がメインなので、
電車での移動時間とか何かの待ち時間みたいな隙間時間がほとんどなく、
ちょっと本を読もうという時間がなくなってしまいました。

島には立派な公立図書館があります。いろは(娘)が小さい頃はよく一緒に図書館に行って本を読んだり借りたりしてました。

島には立派な公立図書館があります。いろは(娘)が小さい頃はよく一緒に図書館に行って本を読んだり借りたりしてました。

そして、島には本屋が少ない! 
昔からあるまちの小さな本屋さんや、大手書店チェーンが数軒ありますが、
いずれも並んでいるのは話題の新刊本や雑誌、漫画などがメイン。
本とのはっとするような出合いはほとんどないかなぁ。
それでも本屋さんがあるだけでもありがたいのですが。

そんな小豆島に2019年に引っ越してきたのが、田山直樹くん。
なんと〈TUG BOOKS(タグブックス)〉という本屋を
2022年春頃に小豆島でオープン予定で、いままさに準備を進めています。

〈HOMEMAKERS〉でのブックイベント。〈TUG BOOKS〉の田山直樹くん(写真右)と。

〈HOMEMAKERS〉でのブックイベント。〈TUG BOOKS〉の田山直樹くん(写真右)と。

「書物の海の水先案内」のような存在の本屋を目指して。

「書物の海の水先案内」のような存在の本屋を目指して。

閉校した校舎で、移住者による展覧会。
暮らしのなかから生まれた作品の数々

ハーブティーのお店や古本屋さんが加わって

2年前に閉校した岩見沢市の美流渡(みると)中学校で、いよいよ展覧会が始まる。
ひとつは、校舎全体をキャンバスのようにして絵を描き、
教室に作品を展示した『みんなとMAYA MAXX展』
そして、もうひとつは、理科室を使って行われる『みる・とーぶ展』だ。

今回は、この『みる・とーぶ展』について書いてみたい。
〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢市の山間一帯をPRするプロジェクトで、
2016年から活動が始まっている。
私が代表を務めていて、地域の人々の似顔絵を集めた
「みる・とーぶマップ」の制作とともに、札幌や東京、関西などで、
地域の作家のみなさんと一緒に毎年展覧会を開催してきた。

いままでの『みる・とーぶ展』は、地域の外に発信しようと考えて、
こちらから出かけていたのだが、今回初めて地元での開催となる。

2017年に札幌市資料館で初めて開催した『みる・とーぶ展』。

2017年に札幌市資料館で初めて開催した『みる・とーぶ展』。

5年間、展覧会を開催してきて、メンバーはますます多様になった。
初回からずっと参加をしているのは、
上美流渡地区で花のアトリエを営む〈カンガルーファクトリー〉
木工作品を発表する〈遊木童〉
そして私が行っている出版活動〈森の出版社ミチクル〉も本の販売を続けている。

さまざまな樹種の木を組み合わせた〈遊木童〉の木のおもちゃ。(撮影:佐々木育弥)

さまざまな樹種の木を組み合わせた〈遊木童〉の木のおもちゃ。(撮影:佐々木育弥)

翌年には、美流渡にたった1軒のカフェ〈コーローカフェ〉でコーヒーを淹れる
新田洵司さんが立ち上げたブランド〈Out Works Zootj〉が加わり、
3年目には、この地域に移住してきたアフリカ太鼓の奏者であり、
マクラメ編みのアクセサリーも手がける〈らんだ屋〉
陶芸家のこむろしずかさんが参加。

アクセサリーを制作する〈らんだ屋〉は、メキシコなどを旅するなかでマクラメ編みを身につけた。

アクセサリーを制作する〈らんだ屋〉は、メキシコなどを旅するなかでマクラメ編みを身につけた。

そして今回、万字地区に新しくオープンしたハーブティーのお店〈麻の実堂〉と、
美流渡にある古本屋〈つきに文庫〉が登場することとなった。

万字地区に移住した笠原麻実さんが始めたハーブティーのお店〈麻の実堂〉。

万字地区に移住した笠原麻実さんが始めたハーブティーのお店〈麻の実堂〉

ソーシャル空き家こと〈デンクマル〉
日本一熱いまち熊谷で
空き家を“開き屋”へ

ハクワークス vol.1

こんにちは。
埼玉県熊谷市で〈ハクワークス〉という建築設計事務所をやっています、
白田和裕と申します。
空き家オタクの自分が、日本一熱い(暑い)まち熊谷市で、
ノリとテンションで進めている空き家利活用の事例をご紹介していきます。
よろしくお願いします。

僕は建築士として
「空き家をまちに開くような巨大なアップサイクルができれば、
まちも変わるんじゃないか」という想いのもと、
不動産事業にも関わりながら建築の可能性を模索しています。

ということで第1回目は、元住宅だった空き家が
めちゃ安のレンタルスペースになった事例。
ソーシャル空き家、その名も〈デンクマル〉。レッツゴー!

建築士、空き家を買う

建築士として独立したのは2016年。
大きなクライアントのひとりに不動産事業を営むお義父さんがいました。
彼が購入する古い不動産に僕がリフォームの設計と工事をして優良賃貸化し、
その後に再販していく事業の過程で、
“不動産業に片足を突っ込んだ建築士”となっていったのだと思います。

そういったつながりのなかで、今回の舞台となる空き家に出合い、
自身で購入することになります。築年数は僕と同じ=39歳。
土地建物付き200坪で金額は1000万円、坪単価は5万円。
隣は国道407号線という立地。
最終的に更地にすれば土地として売れるだろうという算段のもと、
個人出資という覚悟のある空き家プロジェクトが始まりました。

購入当時のリビング。

購入当時のリビング。

購入当時のキッチン。

購入当時のキッチン。