山形市の児童遊戯施設〈シェルター
インクルーシブプレイス コパル〉は
何をデザインしたのか?

写真提供:コパル

この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。

第1回は、2022年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した、
山形市南部児童遊戯施設〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉(以下コパル)の
色部(いろべ)正俊館長に話を聞いた。
コパルは2023年4月に「2023年日本建築学会賞(作品)」も受賞するなど、
建築作品としても話題になっている。

すべてが公園のような建築

矢島進二(以下、矢島): 今日はよろしくお願いします。
いきなりですが「準公共」と聞いてピンときましたか?

色部正俊(以下、色部): 実は民間と公共が合わさって、
それぞれの良さを持ついい言葉はないかとずっと考えていたのです。
今回「準公共」というワードを聞いて「これだ!」と思いました。

〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉色部正俊館長。

〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉色部正俊館長。

矢島: では、最初にコパルはどんな施設かを教えてください。

色部: コパルは2022年4月に山形市南部にできた児童遊戯施設です。
「すべてが公園のような建築」をコンセプトに、
雨天時や冬の期間でものびのびと遊べる施設で、障害の有無や国籍、
家庭環境の違いにかかわらず、すべての子どもたちに開かれた遊びと学びの空間です。

入口を入ると壮大な木造ドームの体育館に迎えられる。背後には蔵王連峰の山並みが稜線に沿って見えるように窓の位置が工夫され、一枚一枚大きさや形の異なるガラスが使われている。

入口を入ると壮大な木造ドームの体育館に迎えられる。背後には蔵王連峰の山並みが稜線に沿って見えるように窓の位置が工夫され、一枚一枚大きさや形の異なるガラスが使われている。

矢島: 設計事務所は、大西麻貴さんと百田(ひゃくだ)有希さんの
〈o+h(オープラスエイチ)〉ですね。
建築・外構・遊具が一体となったデザインで、
スロープでひとつながりに回遊できる構成など、建物全体が遊び場という斬新な計画で、
これまでまったく目にしたことのない画期的な建築です。
コパルをつくることになった経緯を教えてください。

色部: そもそもは、2015年度に山形市が策定した
「山形市発展計画」重点施策のひとつに、「子育てしやすい環境の整備」を掲げ、
新たな子育て支援拠点を市南部に整備すると定めたことが起点です。

市の北西部には2014年に〈べにっこひろば〉という子育て支援施設ができ、
年間25万人以上が来館する人気施設になっているのですが、
混雑の解消など、いくつか課題が見えてきました。
そのため、南部での計画では、新しいふたつの前提条件が提示されました。

ひとつ目は、政府も推進し始めた「PFI*の導入」です
(べにっこひろばは市の直営で整備し、運営は市の指定管理方式)。
ふたつ目は、要求水準書に「障害の有無や人種、言語、家庭環境等にかかわらず、
多様な個性や背景を持ったすべての子どもたちを対象にする」
と記載されていたことです。
「インクルーシブ」という表現はまだありませんでしたが。

*PFIとは「プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ」の略で、公共施設などの設計・建設、維持管理、運営や公共サービスの提供などを、民間の資金と経営能力などを活用し、民間主導で行うこと。コパルの場合は、特別目的会社(SPC)が設計・建築し、完成後に市へ所有権を移転したうえで、SPCが指定管理者指定を受け、15年間の契約で運営・維持管理を行う「BTO方式」を採用。

法律的には、児童福祉法第7条に規定する「児童厚生施設」と、児童福祉法第6条の3の第6項に規定する地域子育て支援拠点事業としての「子育て支援センター」を併設する施設。

法律的には、児童福祉法第7条に規定する「児童厚生施設」と、児童福祉法第6条の3の第6項に規定する地域子育て支援拠点事業としての「子育て支援センター」を併設する施設。

意外と知らないカリンの話。
空海ゆかりのカリンのまち、
香川県まんのう町へ

秋の果物、カリンって食べたことある?

カリンといえば、のど飴などの原材料として名前はよく知られているものの、
その実を見たことがある人は少ないのではないだろうか。
この、コロンとした楕円形の実がカリン。
秋に収穫期を迎える果実のひとつだが、食べたことはあるだろうか?

実を割った断面は、まるでリンゴのように白くおいしそうなものの、
ぎゅっと詰まった果肉にかぶりついたが最後、
口の中の水分が全部持っていかれてしまうかのように渋くて酸っぱい。
カリンは生では食べられないのだ。
砂糖で煮たりお酒に漬けたりと、手間と時間がかかるため、
スーパーマーケットなどでは、いまや見かけることすらなくなっている。

輪切りにしたカリン。タンニンや酒石酸、ポリフェノールなどを含んだ魅力的な果実。

輪切りにしたカリン。タンニンや酒石酸(しゅせきさん)、ポリフェノールなどを含んだ魅力的な果実。

だが、秋冬の乾燥した季節に旬を迎えるカリンは、
昔からその季節になるとシロップをつくって飲むなど、
多くの家庭で暮らしに取り入れられてきた果実でもある。

その歴史は古く、空海が唐から持ち帰ったといわれ、
平安時代から日本にあるとされている。
1000年以上前に植えられたという文献も残るほど、
カリンとの結びつきが強い香川県のまんのう町を訪ねた。

まんのう町には1300年以上も前につくられ、空海が改修したという満濃池がある。日本最大級のため池は、いまもたっぷりと水を蓄えて丸亀平野を潤している。

まんのう町には1300年以上も前につくられ、空海が改修したという満濃池がある。日本最大級のため池は、いまもたっぷりと水を蓄えて丸亀平野を潤している。

香川県と徳島県の県境に位置するまんのう町には、空海ゆかりのものがふたつある。
日本最大級のため池「満濃池」と、
空海が唐から持ち帰ってそのほとりに植えたとされるカリンだ。

まんのう町の町木はもちろん、カリン。
1984年に町木に選定された際に、まちの活性化を期待し、
一家に1本カリンの苗木が配られたこともあって、
秋にはまちの至るところでたわわに黄金の実をつけた果樹が見られる。
カリンの一大産地なのだ。

バラ科のカリンは、中国が原産地。まんのう町には、空海が唐から持ち帰って日本で初めて植えたといわれるカリンの2代目の木がある。

バラ科のカリンは、中国が原産地。まんのう町には、空海が唐から持ち帰って日本で初めて植えたといわれるカリンの2代目の木がある。

遠目からはよくわからないが、上のほうはたわわに実をつけており、実りある風景は1000年以上続いていると言われている。

遠目からはよくわからないが、上のほうはたわわに実をつけており、実りある風景は1000年以上続いていると言われている。

〈南三陸311メモリアル〉
アートとラーニングを取り入れた
東日本大震災伝承施設が開館

設計:隈研吾建築都市設計事務所(写真提供:南三陸町)

東日本大震災の経験をどう継承するか

宮城県の北東部、太平洋に面して、三方を山に囲まれる南三陸町。
町境がほぼ分水嶺と重なり、山、里、海がつながっている。
東日本大震災からの復興のなかで、
「森 里 海 ひと いのちめぐるまち」というビジョンを掲げ、
より農山漁村の恵みを循環させる持続可能なまちづくりを進めてきた。

津波でほぼ壊滅し、海抜約10メートルの嵩上げ工事が行われた
志津川地区中心市街地では、防災と共存しながらも、
海と陸が切り離されないようなグランドデザインを建築家・隈研吾さんが行った。
建物には地元産の南三陸杉が使われている。

隈研吾さんがデザインを担った〈道の駅さんさん南三陸〉全景。中央の杉板が見える建物が〈南三陸311メモリアル〉。その右棟がJR志津川駅、左棟が観光案内所〈南三陸ポータルセンター〉となっている。その向こうに軒を連ねるのが〈南三陸さんさん商店街〉。川にかかる手前の橋が中橋。(写真提供:南三陸町)

隈研吾さんがデザインを担った〈道の駅さんさん南三陸〉全景。中央の杉板が見える建物が〈南三陸311メモリアル〉。その右棟がJR志津川駅、左棟が観光案内所〈南三陸ポータルセンター〉となっている。その向こうに軒を連ねるのが〈南三陸さんさん商店街〉。川にかかる手前の橋が中橋。(写真提供:南三陸町)

2022年10月1日には、南三陸町東日本大震災伝承館〈南三陸311メモリアル〉が開館。
2017年に先行オープンした〈南三陸さんさん商店街〉と合わせて、
この一帯を総称する〈道の駅さんさん南三陸〉がグランドオープンした。
被災した鉄道駅の代わりに開通したBRT(高速輸送バス)などが発着する
JR志津川駅も併設する。

震災の経験を共有し、語り合う場として誕生した、
南三陸311メモリアルを中心に、開館までの経緯も併せて紹介したい。

生鮮魚介などが楽しめる南三陸さんさん商店街。(写真提供:南三陸町)

生鮮魚介などが楽しめる南三陸さんさん商店街。(写真提供:南三陸町)

八幡川の向こう〈震災復興祈念公園〉へと渡る中橋。橋の左手に、震災遺構の防災対策庁舎、右手奥に慰霊碑の建つ〈祈りの丘〉がある。

八幡川の向こう〈震災復興祈念公園〉へと渡る中橋。橋の左手に、震災遺構の防災対策庁舎、右手奥に慰霊碑の建つ〈祈りの丘〉がある。

グローバルな田舎町?
岡山県和気町に、
海外から移住する理由とは

写真提供:和気町

岡山県の南東部に位置する和気町(わけちょう)。
岡山駅から電車で約30分、豊かな自然に恵まれた人口13600人ほどのこのまちに、
移住者が増えているといいます。

和気町への移住者はこの5年間で500人を超え、
関東や関西から移住する子育て世代に加えて、
ニューヨークやロンドンをはじめとした海外生活の経験がある移住者も増えています。
海外での暮らしを経て、和気町で暮らすことを選んだ4家族を取材しました。

リモートワークで活躍する傍ら、備前焼の魅力を発信

最先端のカルチャーや技術とは無縁と思われそうな田舎町、和気。
ここで暮らす移住者に、ハリウッド映画のVFX(CGによる視覚効果加工)を
手がけるクリエイターがいる。
『スパイダーマン』などのVFXを手がけたファビオ・ピレスさんだ。
2019年、ニューヨークから妻の三村絵美さんと子どもたちと共に移住してきた。

約20年のアメリカ生活を経て移住した三村絵美さんと、夫のファビオ・ピレスさん。日々の暮らしでも備前焼のカップを。モダンな暮らしにもなじむ佇まい。

約20年のアメリカ生活を経て移住した三村絵美さんと、夫のファビオ・ピレスさん。日々の暮らしでも備前焼のカップを。モダンな暮らしにもなじむ佇まい。

「移住先の候補に、和気町は考えたこともなかったです」

候補は広島と岡山、そして和歌山。帰国中の1か月間で
3か所を巡る予定を立てていた絵美さんが笑いながら話す。

「移動の途中、和気町は2週間からお試し住宅を利用できると知って
訪れてみたのがはじまり。
コンパクトなサイズ感のまちで、コミュニケーションのやりとりもラク。
移住者やまちそのものにポテンシャルを感じました。
将来の姿がなんとなく見えやすかったのも、移住を決めた理由のひとつになりました」

まちが持つポテンシャル? 
それってどういうこと、と聞く前にファビオさんが続けてこう話す。

「町役場に出向けば、言葉がわからなくてもわかろうとしてくれる。
この個人を受け入れようとしてくれる姿勢が和気には強くありました。
人口が減るなかで価値があるのは人。そして人こそが資源。
人がやりたいこと、やろうとすることが発展につながるものなので、
そうした人の動きを町が認識してサポートしてくれることこそ、和気のポテンシャル」

なるほど。コンパクトだからではなく、まちそのものが暮らす人々をつなぎ、
サポートする姿勢にあふれているのだ。

小学生の娘、未就学児の息子と娘の、子ども3人とのんびり散歩を楽しむ時間も大切。

小学生の娘、未就学児の息子と娘の、子ども3人とのんびり散歩を楽しむ時間も大切。

「it takes a village to raise a child」

子どもをひとり育てるのに、村全体が協力する。
このまちに暮らして実感を持った言葉だと絵美さん。

「医療費が18歳まで無料。これは大きな恩恵ですが、それ以上に人のよさに尽きます。
子どもが自転車でそこらへん回ってきていい? と聞いてきても
安心して行っておいでと。みんながうちの子どもだと知っているし、
なにかあったら連れて帰ってきてくれる。
みんなで子育てしようという、いいかたちが残っている気がしますね」

田舎ならではのことかもしれないけれど、と続けたが、
このあと出会った人の話を聞くと和気ならではのような気もした。

家の裏は見晴らしのいい景色が広がる。「見える範囲ならどこに行ってもいいよ」と絵美さん。

家の裏は見晴らしのいい景色が広がる。「見える範囲ならどこに行ってもいいよ」と絵美さん。

たとえばニューヨークでは、自宅のベランダであっても
子どもがひとりで遊ぶことは許されない。そして高額の医療費と教育費。
せわしなく過ぎるニューヨークの日常のなかでは、
なにもしない時間にも罪悪感を感じていたという。

ここでの暮らしは、ニューヨークとは180度異なる。

「和気にきて、初めてなにもしない時間が尊いものだと感じられました。
この自然豊かな地で、のんびりと過ごしながらも
新たなクリエイトにチャレンジする人は多い。
それが学びにも、そして刺激にもなる」と、ファビオさんは、新たにAIを学習中。
畑にイノシシがくると教えてくれるシステムも考案した。

ファビオさんのワークスペース。最先端映像が映るモニターの横には田んぼや畑。

ファビオさんのワークスペース。最先端映像が映るモニターの横には田んぼや畑。

夫婦共にクリエイター。絵美さんはWebデザイナーとして、
ニューヨークで暮らしていた頃からリモートワーク。
現在もその仕事を続けながら、新たにWebサイトを立ち上げた。
それが、備前焼の魅力を世界へ届ける『motsutou.com』
Webデザインやテキストは絵美さん、撮影はファビオさんが担当し、
時にぶつかりながらも二人三脚で歩みを進めている。

「伝統工芸はそのルーツを含めて、受け継いでいってほしいもの。
備前焼でもその歴史を受け継ぎ、新たな挑戦を続ける若手作家が存在しています。
彼らの作品が多くの人に届くお手伝いになればと思い、サイトを立ち上げました。
和気のオーガニック糸なども、備前焼を取り巻く日常品として捉えて
発信できればと考えています。備前というエリアを活性化できれば。
若い人たちが都会ではなく、この地で働きたいと思う場所になればいいなと」

ポテンシャルがあるなと思ったから。
その言葉を見えるかたちにするためのチャレンジもスタートしている。

ふたりのお気に入りは、備前焼のイメージを変えようとチャレンジする若手作家の作品。

ふたりのお気に入りは、備前焼のイメージを変えようとチャレンジする若手作家の作品。

薪ストーブのある暮らし、
どうやって薪を集める?

わが家に薪ストーブがやってきた

小豆島で暮らし始めて10回目の冬、
ようやく我が家に薪ストーブが設置されました。
すでに季節は春に向かっていますが、
わが家では薪ストーブがうれしくて毎日火を入れています。
気づけばストーブの前は猫たちの特等席に。
幸せそうで何より。

何も教えていませんが、自然と集まってくる猫たち。よく知ってますね、暖かい場所。

何も教えていませんが、自然と集まってくる猫たち。よく知ってますね、暖かい場所。

どの薪ストーブにしようか、家の中のどこに置こうか、
そもそもどれくらいお金がかかるのか、
どうしようかなぁ、どうしようかなぁと考えているうちに、
あっという間に年月が流れ、冬が何度も過ぎていきました。

冬が来るたびに今年こそは! と思いつつ、実現せず……。
でも今年の冬は寒い日が多かったうえに、灯油も異常な値上がり。
石油や電気に頼らなくても暖をとれる薪ストーブが必要だなと
心を決めて、具体的な導入計画をスタート。
なんとかこの冬に間に合いました。

初火入れの日。ただ薪を入れればいいんじゃなくて、最初の焚き付け、薪の入れ方、並べ方など、ちゃんと燃焼できるように知っておくことは多い。

初火入れの日。ただ薪を入れればいいんじゃなくて、最初の焚き付け、薪の入れ方、並べ方など、ちゃんと燃焼できるように知っておくことは多い。

猫も人も暖かい場所に集まります。家の中に新たな居場所ができました。

猫も人も暖かい場所に集まります。家の中に新たな居場所ができました。

煙突と積まれた薪。ニヤニヤしてしまいます、この風景。

煙突と積まれた薪。ニヤニヤしてしまいます、この風景。

ちなみにわが家の薪ストーブ導入コストは、ざっとですが

薪ストーブ本体 8万円

煙突一式 30万円

屋根、土台工事 20万円

という感じです。
薪ストーブ本体の価格はブランドや機能によって
さまざまなので、ひとつの参考として。

屋根に穴を開けるのは大変です。地元の大工さんに手伝ってもらいました。

屋根に穴を開けるのは大変です。地元の大工さんに手伝ってもらいました。

薪ストーブは100キロほどあるので、床もそのままでは載せられず補強工事。

薪ストーブは100キロほどあるので、床もそのままでは載せられず補強工事。

さて、薪ストーブを設置するまでも大変でしたが、
実際に使いだしてから気づいた大変なこと、
「燃やすものがない!(笑)」
いや、わかってたんですが、そうなりますね。
薪ストーブの燃料となる薪(木材)が大量に必要なんです。

どうやって薪を手に入れようか。
まさか、これだけ木々に囲まれた場所で暮らしているのに、
通販で薪を買うなんて選択肢はうちにはありません
(そんなお金もないし……)。
身近な場所で集めるんです。

伐採されて積まれた木。持ち帰っていいよと聞いて、もらいに行きました。

伐採されて積まれた木。持ち帰っていいよと聞いて、もらいに行きました。

軽トラに山盛り積んで帰ります。

軽トラに山盛り積んで帰ります。

自分たちの暮らしに薪が必要という状態になって、視点ががらっと変わりました。
山などで伐採された木材や、解体された木造建物の廃材は、
いまの私たちにとって宝の山。
いままではなんとも思っていなかった、
むしろどうやって処分しようかと悩んでいたものが宝になるんです。
ゴミじゃなくて必要なものになる!

いままではただの廃材の山でしたが、いまの私たちにとっては燃料の山。いただいて帰ります。

いままではただの廃材の山でしたが、いまの私たちにとっては燃料の山。いただいて帰ります。

人の生と死にやさしく寄り添う。
今治タオルとMAYA MAXXの
絵本プロジェクト『タオルの帽子』

『タオルの帽子』原案・伊藤幸恵 絵と文・MAYA MAXX

タオルにまつわる物語を公募し、絵本にするプロジェクト

私が住む美流渡(みると)地区に2020年に移住したMAYA MAXXさんが、
新しい絵本をつくった。
MAYAさんは画家の活動と並行して、これまでさまざまな絵本を刊行してきた。
その多くは、福音館書店の幼児向けのシリーズだったが、
今回の絵本は、それらとは異なる佇まいを持っている。

タイトルは『タオルの帽子』。
制作されたきっかけは、MAYAさんの故郷・今治でのプロジェクト。
今治はタオルの産地としてよく知られた地域。
高い品質を誇り、ブランドとして定着しているが、一方で後継者不足という課題もある。

そんななかで、『タオルびと』制作プロジェクト委員会が発足。
タオル工業の現場の声をインタビューする取り組みが行われ、
今年10年の節目を迎えた。これを記念して、
タオル工業のものづくりに関心を持つきっかけになってほしいとの思いから、
タオルにまつわる物語を公募し、そのうちの1点をもとに
MAYAさんが絵本をつくるという企画が生まれた。

MAYAさんは、動物をモチーフとしたシンプルなフレーズの絵本を多く描いてきた。

MAYAさんは、動物をモチーフとしたシンプルなフレーズの絵本を多く描いてきた。

昨年7月、『タオルびと』絵本プロジェクトと題して公募が行われ、
全国から100件以上の物語が寄せられた。
その中でMAYA MAXX賞に輝いたのが、伊藤幸恵さんによる『タオル帽子』だった。

この物語は、伊藤さんの体験とこれまでの活動を綴ったもの。
2006年に突然がんの告知を受け、闘病中に抗がん剤治療によって髪の毛が抜けた。
そのときに姉が送ってくれたタオルの帽子が、その後の活動を決定づけた。

3年後にがんが再発。治療の道を求めて講演会やセミナーへ通うなかで、
あるとき医療従事者たちが
「抗がん剤の副作用による脱毛にはタオル帽子が一番良い」
と口々に語っていたのを聞き、自身の記憶が蘇ってきたという。

『タオルの帽子』原案・伊藤幸恵 絵と文・MAYA MAXX

『タオルの帽子』原案・伊藤幸恵 絵と文・MAYA MAXX

毛髪が一本もない。眉もなく、まつ毛のない。
私にとって、その事実は、丸裸にされている様な、とても惨めで、恥ずかしく、
悔しくて、心がざわつき落ち着かない状態だったのだと思います。
タオル帽子を被った瞬間、全身がふわぁーとくるまれた様な優しさに、
安堵感が広がったのでした。

(『タオル帽子』より)

ここから、がん患者さんにタオル帽子を贈る活動が始まった。
タオルのメーカーに提供をお願いしたり、つくり手を募集したり。
約10年の活動で、協力者は100名以上、
これまで800枚以上を患者さんに届けることができたそう。

無我夢中で毎日が暮れることは、私にとってありがたく
不安からの脱出法でもありました。病を忘れ、熟睡できる。
それで十分でした。

(『タオル帽子』より)

授賞式にて。MAYAさんと伊藤幸恵さん(右)。

授賞式にて。MAYAさんと伊藤幸恵さん(右)。

家ごはんが増えると、幸せも増える?
おいしい! はわが家の食卓にある

島に移住してから減った外食

この1~2年で、働き方や暮らし方が
大きく変わったという方は多いのではないでしょうか。

いままで毎日電車で1時間かけて通勤してたのに、
その通勤がなくなり家で働くことになった。
1週間の半分くらい夜は飲みに行ってたのに、ほぼ行かなくなった。
都会で暮らしていたけど、地方に引っ越した。
などなど、いろんな変化があったと思います。

そんな変化のひとつに、以前はよく外食してたのに、
いまはほとんど家でごはんを食べるようになった! という方、多いと思います。

この日のごはんは、野菜たっぷりカレーライス。

この日のごはんは、野菜たっぷりカレーライス。

色とりどりの野菜が、お皿の中を楽しくしてくれます。

色とりどりの野菜が、お皿の中を楽しくしてくれます。

私も名古屋で暮らしていたときはよく外食していました。
平日のお昼ごはんは、オフィス近くのごはん屋さんやカフェで
よくランチしてましたし、仕事終わりに飲みに行くことも多かったです
(子どもができてからはなかなか行けなくなりましたが)。

とにかく、まちには飲食店がめちゃくちゃたくさんあって、
とりあえずあの店に入ろうかという感じでいけちゃうんですよね。
外食することが普通でした。

小豆島に引っ越してからは、それがぐっと減りました。
なぜなら単純に飲食店が少ないし、営業時間も短いから(笑)。
ふらっとカフェに立ち寄るなんてことはほぼなく、事前に営業日時を調べて、
そこに行こうと決めて、わざわざ行くという感じ。

観光客の人に、夜ごはんおすすめありますか? とよく聞かれますが、
夜遅くまで開いてるお店は少ないし、予約制のところが多いです。
下手すると夜ごはん食べそびれちゃったりするので要注意です。
都会と田舎では外食事情は大きく違いますね。

そう、私たちはコロナ関係なく、外食することは少なくて、家で食べることが多いです。
もともと外でごはんを食べることが好きな私たちにとって、
最初は仕方なくという感じでしたが、
最近ではポジティブに家で食べようと思うことが増えました。
なぜなら、家ごはんがおいしいから!

つまみ食いが止まらなくなる紫イモのロースト。ちょうどいい甘さ。

つまみ食いが止まらなくなる紫イモのロースト。ちょうどいい甘さ。

表面にちょっと焦げ目をつけた大根ソテーに、自家製味噌と生姜をあわせた生姜みそをのせて。

表面にちょっと焦げ目をつけた大根ソテーに、自家製味噌と生姜をあわせた生姜みそをのせて。

『福島ソングスケイプ』
アーティスト・アサダワタルが
復興公営住宅の住民とつくる作品

歌と物語の「ドキュメント音楽」

東日本大震災からちょうど11年となる2022年3月11日、
「アサダワタルと下神白(しもかじろ)団地のみなさん」によるCDアルバム
『福島ソングスケイプ』がリリースされる。

「下神白団地」とは、東京電力福島第一原子力発電所事故により、
富岡町、大熊町、浪江町、双葉町から避難してきた人々が住む、
いわき市小名浜にある福島県営復興公営住宅だ。

左側が下神白団地。

左側が下神白団地。

ディレクターを務めるミュージシャンで文化活動家のアサダワタルさんは、
この団地で暮らす人々を「住民さん」と呼ぶ。
『福島ソングスケイプ』では、住民さんがまちや人生の思い出を語り、
当時の懐かしい曲を歌い、ミュージシャンたちで結成した、
伴走型ならぬ“伴奏型”支援バンドがバック演奏を行っている。

例えば、嫁いでから苦労を重ねてきたと話す女性は、
いまでは「歌ねかったら死んでるの」「ごはんより歌」というほど歌を愛し、
高齢とは思えないパンチの効いた歌声で『宗右衛門町ブルース』を歌い上げる。
所どころリズムがズレても不思議と辻褄が合う味わい深いボーカルだ。

クリスマス会での“歌声喫茶”では『宗右衛門町ブルース』をみんなで歌った。

クリスマス会での“歌声喫茶”では『宗右衛門町ブルース』をみんなで歌った。

『青い山脈』など、ほかの住民さんが歌う歌も、懐かしく聴く人はもちろん、
あるいは曲を知らなくても心に響くはず。

歌が生きる物語を引き出すこのアルバムを
「ドキュメント音楽」とアサダさんは名づけた。
ドキュメント音楽とは何なのか、どのように生まれたのかを聞いた。

みんなが気持ちを寄せ合う場所を
美流渡に本気でつくりたい

移住しても、心は東京を向いていた

3月11日が近づいてくると、思うことがある。
私は何かできたことがあったのだろうかと。
とても抽象的で捉えどころがないのだが、何かこのままの状態ではいけないような、
そんなザワザワとした感覚が湧き起こってくる。
その感覚は、これまでは重苦しさが伴っていたのだけれど、ほんの少しだけ今年は違う。
小さな決意のようなものが、胸に灯っている。

振り返れば11年前。
東京で激しい揺れを体験し、その後に福島第一原発の事故を知った。
当時、5か月だった息子を抱え恐怖に慄き、
京都、北海道、沖縄とさまざまな場所に身を寄せた。

いったんは東京に戻ったものの、関東一帯にもホットスポットができていて、
ここで子育てするのは難しいと感じ、当時育児休暇をとっていた勤め先の出版社に、
復帰後は在宅勤務をしたいと申し出た。
勤務地として希望したのは、夫の実家のあった北海道岩見沢市。
ラッキーなことにOKとなり、震災から4か月後に移住した。

東京を脱出できた大きな安堵感とともに、居心地の悪いザラザラした気持ちが残った。
当時住んでいた小金井市では、
子どもが安心して暮らせる未来をつくりたいと活動をする人々がたくさんいて、
講演会の開催や議会への提案などが活発に行われていた。
震災後、わずかな期間ではあったけれど、それらの活動に関わらせてもらい、
不安な気持ちを共有でき、どんなに救われたかわからない。

私が北海道へ移住することを、みんな応援してくれたのは本当にうれしかったけれど、
同時に自分だけがよければいいのか? と自問自答した。
さらには在宅勤務で同僚には不便を感じさせただろうし、
ハードワークのなかで心身の不調を感じ辞めていく同僚に
気持ちを寄せることもできなかった。

小金井市を中心に活動する〈子どもと未来を守る小金井会議〉が震災から5年の節目に刊行した冊子。これまでの活動記録とともに、メンバーの震災体験の手記が掲載されている。

小金井市を中心に活動する〈子どもと未来を守る小金井会議〉が震災から5年の節目に刊行した冊子。これまでの活動記録とともに、メンバーの震災体験の手記が掲載されている。

やり切れなさが積み重なっていったなかで、7年くらい前のことだと思うが、
当時京都に住んでいた20年来の友人でもある画家のMAYA MAXXさんが、
「みっちゃん、エコビレッジを北海道につくったら」と提案してくれた。
エコビレッジがあれば東京の友人たちを招く拠点になるかもしれないと思い、
やってみたいと考えるようになった。
そのとき私は、岩見沢市にいながら東京のほうばかりを向いていた。

熊谷〈みかんビル〉
女性の起業をサポートするシェアサロン

ハクワークス vol.6

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

今回のテーマは、熊谷市中心市街地の目抜き通りにある築40年のビル。
外壁工事の依頼からビルの運営にまで発展し、
女性が集うシェアサロンとなった経緯を振り返っていきます。

熊谷のシャンゼリゼ通りにあるレトロビル

とある日、1本の連絡がきました。
「市役所通りにあるビルで、タイルの改修の見積もりが欲しいんですけど」

そこでお会いしたのがオーナーの荒井広美さん。
相続したビルのタイルが劣化し、剥落する可能性があるので改修したいとのこと。
熊谷の目抜き通りである市役所通り(僕は“シャンゼリゼ通り”と呼んでいる)にある、
築40年の3階建てのレトロビル。タイルの具合も見ながら、
ビル内も見学させてもらいました。ワクワク!

緑のタイルがクラシックな雰囲気のレトロビル。

緑のタイルがクラシックな雰囲気のレトロビル。

既存の部屋(和室)。

既存の部屋(和室)。

木目と柄のクロス。クセが強い。

木目と柄のクロス。クセが強い。

レトロなクロス、アンティークな家具に時代を感じさせる照明。
窓の向こうからは、市役所通りのケヤキの新緑が飛び込んできます。
このビルの魅力をビシビシと感じました。

先代は1階で薬局を経営し、2階は住居、
3階は倉庫と趣味のカラオケ教室だったそうです。
それが現在では1階にフレンチのお店が入居するのみで、
2~3階は当時のまま空き家となっていました。

窓を開けると街路樹の緑が広がる。

窓を開けると街路樹の緑が広がる。

困ったなー! 相続空き家問題

タイルの改修の見積もりは200万円となりました。
オーナーさんは別の場所に居住し、子育てをしています。
このビルを所有しているだけで固定資産税がかかり、
今回は改修費用も重なるしんどい事態。
またこの先どのタイミングで解体するのか、
どう引き継いでいくのかといった不安も出てくるはず。

僕自身、空き家建築士の名にかけて、この萌ゆるビルの行末に伴走したいと、
2~3階を借りて運営させてもらえないかと願い出ることにしました。

タイルはちゃんと改修しました。

タイルはちゃんと改修しました。

〈りんごチッププロジェクト〉
手描きラベルに込められた
アツい思いとは…?

撮影:オジモンカメラ

秋田県の最南に位置する湯沢市は、その名のとおり多くの湯(温泉)が湧き出る、
「地熱」エネルギー豊かな土地。温泉の産業利用に加え、
複数の地熱発電所が稼働する地熱モデル地区にもなっています。
「地熱」豊かなこの地には、アツく、力強く、たくましく生きる
「自熱(じねつ)」を持った人々がいる――。
コロカルでは、湯沢市の「じねつのチカラ」を4回に分けてご紹介してきました。

湯沢市では、その後もモクモクと「じねつ」が湧き上がり、
さまざまな取り組みが行われています。

次世代へ受け継ぐ「じねつ」〈りんごチッププロジェクト〉

湯沢市の皆瀬地区には、長年、食堂〈ダムの茶屋〉を営みながら、
〈りんごチップ〉を手づくりする石山研二さん夫妻が暮らしていました。
温泉熱を利用してリンゴを乾燥させたりんごチップは、
石山さん夫妻が自身の手で皮をむき、カットすることはもちろん、
パッケージのラベル一枚一枚を研二さんが手描きするという、
まさに「じねつ」あふれる商品。

ところが2020年冬、湯沢の地を大雪が襲い、ダムの茶屋の屋根が破損。
建物の老朽化もあり、石山さん夫妻は店を閉め、
息子夫妻が暮らす県外へ転居することになりました。

「温泉熱(=地熱)」と、石山さん夫妻の「じねつ」でつくり続けられてきた
りんごチップが、このままでは湯沢からなくなってしまう。
この「じねつ」を、次世代へ引継ぎたい――。
そんなアツい思いで始まったのが、〈りんごチッププロジェクト〉です。

長年〈りんごチップ〉をつくってきた石山研二さんと、プロジェクトに参加した湯沢翔北高校商業クラブの生徒、〈皆瀬地熱利用農産加工所〉を管理する佐藤くみ子さん。(撮影:オジモンカメラ)

長年〈りんごチップ〉をつくってきた石山研二さんと、プロジェクトに参加した湯沢翔北高校商業クラブの生徒、〈皆瀬地熱利用農産加工所〉を管理する佐藤くみ子さん。(撮影:オジモンカメラ)

プロジェクトには、湯沢市産のサクランボを地熱で乾燥させてつくった商品
〈ミッチェリー〉を開発した、湯沢翔北高校商業クラブの生徒が参加。
りんごチップがどのようにつくられているかを見学し、
石山さんご夫妻と〈皆瀬地熱利用農産加工所〉を管理する佐藤くみ子さんに、
リンゴのカット方法や乾燥の仕方など、こだわりを教えてもらいました。

2021年9月23日、石山さん夫妻と佐藤さんからりんごチップづくりを教えてもらう〈りんごチッププロジェクト〉を実施。リンゴは約8時間かけて乾燥させます。(撮影:オジモンカメラ)

2021年9月23日、石山さん夫妻と佐藤さんからりんごチップづくりを教えてもらう〈りんごチッププロジェクト〉を実施。リンゴは約8時間かけて乾燥させます。(撮影:オジモンカメラ)

りんごチップのこだわりのひとつは、包丁で手切りすること。
最初はスライサーでリンゴをカットしていましたが、
ある日、手切りしたリンゴとスライサーでカットしたリンゴを乾燥機にかけ、
比べてみたところ、違いが出たのだといいます。

「うちのばぁちゃんに、食べ比べさせたのよ。
そうしたら、断然こっちさ(手切りしたほうがおいしい)。
厚くて、かじっているうちに、リンゴの味がするって」と研二さん。

撮影:オジモンカメラ

撮影:オジモンカメラ

実際、道の駅で“手切りした”りんごチップの販売を始めると、
真似をする人が出るほど評判になったといいます。

規格外のリンゴを使用し、来客が少ないため食堂を休業する
冬期に販売を行ってきたりんごチップ。
空気が冷え湿度も低い11月末は乾燥にも適しているそうで、
加工所に泊まり込みでつくったこともあるのだそう。

撮影:オジモンカメラ

撮影:オジモンカメラ

廃棄物を地域の資源へ。
古物事業〈PAAK STOCK〉と
オンラインショップ〈PAAK Supply〉

PAAK DESIGN vol.7

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、産業廃棄物として処理されてきた古材を引き取りストックする、
古物事業〈PAAK STOCK〉の取り組みと、
そこから派生したオンラインショップ〈PAAK Supply〉がテーマです。

古材集めのきっかけ

東京にいた頃、当初は新築の仕事が多かったのですが、
次第に空間ストックを生かした案件が増えていました。
そして地元にUターンすると、地方都市のほうが
空き家、空き店舗が加速度的に増えていて、
リノベーション案件に対面することが多くなりました。

解体され、廃棄されていく空間や多くのモノたち。
まだまだ使えるし、見方によっては価値があるのに……と思いながら、
使い道がないことやストックする場所がないという理由で、
産業廃棄物として処理するしかありませんでした。

解体現場から出てきた古材。

解体現場から出てきた古材。

いよいよ、これはなんとかしなければ、と思ったことがありました。
以前にご紹介した〈武家屋敷伊東邸〉の復元工事に携わったときです。

旧藩主であった伊東家の分家が代々住み継いだ築120年超えの建物。
主要部分の劣化がひどく、解体して新しい材料で復元する計画だったので、
いつもどおり既存の材料は処分される予定でした。

ところが、現場に何度も通うなかで、
まだ使えそうな材料もどんどん捨てられていくのを目の当たりにし、
そのままではいられませんでした。

100年以上前の当時の大工さんが技術を尽くして切り出し、
住み継ぐなかで丁寧にメンテナンスされてきた材料や家具。
現代の先端技術をもってしても、この100年の歴史や情緒を
身にまとうものをつくることはできません。
これはどうしても捨てることができない! と、
自分が運べる分だけでも引き取ることにしたのが最初のアクションでした。

これから解体される古民家。寂しそうに残る古道具と古材。

これから解体される古民家。寂しそうに残る古道具と古材。

白菜のナバナにチンゲンナバナ。
春のナバナをおいしく楽しむ!

春の楽しみな野菜が登場!

2月後半、小豆島でも寒い日が続いていますが、
立春(2月4日)を過ぎ、春の日差しを感じる日が少しずつ増えてきました。
日もだいぶ長くなり、夕方5時でもまだ明るいねと話しながら畑仕事しています。
外で仕事していると、そんなちょっとした季節の変化に敏感になります。

立春の頃に咲く梅の花。寒い寒いと思っていても、春に向けて植物たちは動き出しています。

立春の頃に咲く梅の花。寒い寒いと思っていても、春に向けて植物たちは動き出しています。

さて、この2月後半~3月後半にかけて楽しみな野菜があります。
それは「ナバナ」!

春のナバナ。チンゲンナバナやキャベツのナバナ、紅菜苔(こうさいたい)、アスパラ菜など。

春のナバナ。チンゲンナバナやキャベツのナバナ、紅菜苔(こうさいたい)、アスパラ菜など。

花を咲かせようとにょきにょき伸びてきた茎葉とつぼみの部分が「ナバナ」。

花を咲かせようとにょきにょき伸びてきた茎葉とつぼみの部分が「ナバナ」。

先日いつものようにみんなで野菜出荷作業をしていて、
「ナバナって都会で暮らしているときはスーパーで見かけても
あんまり魅力を感じなかったし、買わなかったよね~」
「わかるわ~。あの紙でぐるっと巻かれて四角くなってるやつよね」
そんな話をしてました。

その日は「チンゲンナバナ」の初ものを収穫、出荷しました。
チンゲンナバナ? チンゲン菜?
チンゲン菜はみなさんよく知っていると思いますが、
チンゲンナバナはチンゲン菜のナバナなんです。

チンゲン菜のナバナ、チンゲンナバナ。2月中旬頃から収穫が始まります。

チンゲン菜のナバナ、チンゲンナバナ。2月中旬頃から収穫が始まります。

チンゲンナバナの茎の部分はとても柔らかくて甘くておいしい。

チンゲンナバナの茎の部分はとても柔らかくて甘くておいしい。

ナバナというのは、小松菜や白菜、チンゲン菜、かぶなど
アブラナ科の野菜が花を咲かせようと「とう立ち」した葉茎とつぼみの部分。
だから、小松菜のナバナ、白菜のナバナ、チンゲン菜のナバナなど、
いろんな種類のナバナがあるんです。

味も見た目も違っていて、ナバナは春の楽しみな野菜のひとつです。
昔はあまり魅力を感じなかった野菜ですが、
いまや私たちにとってナバナはテンションが上がる春の楽しみな野菜!

高菜のナバナ。ぴりっとわさびのように辛さのあるナバナ。食べると辛さがやみつきになります。

高菜のナバナ。ぴりっとわさびのように辛さのあるナバナ。食べると辛さがやみつきになります。

地域でのインタビューは
“仲良し”の秘訣…!?
奥底にある本当の声を聞きたくて

苦手だった文章を書くことと向き合った連載

コロカルのこの連載は、スタートから6年が過ぎた。
日頃から出版に関わり、ライターとしても活動をしている自分にとっては、
文章を書くことの鍛錬の場でもある。

連載が始まったのは長年勤めていた出版社を辞めて独立したばかりの頃。
最初は自分の暮らしや地域の人々について
どのように書いたらいいのかわからず困惑していた。

出版社で働いていた頃は、編集部や会社といった
組織の考えにそった匿名性の高い内容の文章を書くことが多かったため、
まったく異なる領域に踏み込んだ感覚があった。
もともと美術系の高校・大学に進学し、絵ばかり描いていて、
文章を書く経験は少なかったし、本を読むのも苦手だったこともあり、
書くことにコンプレックスがつきまとっていた。

2年前に自宅とは別に仕事場を設けた。取材で出かける以外はひとり部屋にこもって編集や執筆を続ける。

2年前に自宅とは別に仕事場を設けた。取材で出かける以外はひとり部屋にこもって編集や執筆を続ける。

最初のうちは連載記事に1週間を費やしたこともあった。
取材で収録したインタビューの音声起こしを始めれば、
途中で眠くなってしまって、なかなか前に進められず3日間をかけてしまったり。
つい長く話を聞いてしまって、とにかくそれを端から端まですべて文字に起こしていた。
こうしてできた大量の音声起こしの原稿を解読するのに、またも時間を費やし、
さらにはその中から骨子を見つけ出すのに2、3日使ってしまい……。

仕上がった原稿の多くは長文。
コロカルの担当編集さんに「また、大作ですね」と言われることもしばしばだった。
要点をシンプルに伝えられない自分に、もどかしさが募った。

連載でもっとも執筆に時間がかかったのは、南インドの出版社〈タラブックス〉の編集者が来日したときのシンポジウムをまとめた記事。タラブックスみたいな本づくりをしたいと思っていたので、思い入れがありすぎて長文になってしまった。

連載でもっとも執筆に時間がかかったのは、南インドの出版社〈タラブックス〉の編集者が来日したときのシンポジウムをまとめた記事。タラブックスみたいな本づくりをしたいと思っていたので、思い入れがありすぎて長文になってしまった。

〈宙COCORO〉
お猪口に広がる小宇宙。
新潟の蒔絵師が手がける人気プロダクト

新潟の伝統工芸のひとつ「新潟仏壇」。
その若き職人によるユニークなプロダクトが、いま注目を集めています。
今回はその人気商品を、
『新潟のつかいかた』Twitterフォロー&リツイートキャンペーンの第4弾
編集部が見つけた「新潟のいいモノ」としてプレゼントします。

手のひらサイズの小宇宙

直径5センチほどの見込み(酒を注ぐ内側の凹み)に、
大小さまざまな無数の星が描かれたお猪口。
のぞき込めば、そこに広がるのはまさに“宇宙”。
澄みわたる酒をお猪口の縁いっぱいまで注げば、表面張力の効果で
レンズを透かして見るかのような、壮大な銀河が浮かび上がる。

伝統工芸士の資格を持つ、新潟の蒔絵師・佐藤裕美さんが手がける
〈宙(そら)COCORO〉は、2019年の販売開始以来、
その美しい宙模様がSNSを中心に話題となっている。
12星座が描かれたお猪口は、自分の星座のものを購入する人や、天文ファンをはじめ、
成人式や結婚記念日といった慶事のプレゼントとしても人気が高い。

ポップアップ販売が行われるとなれば、オープン前から長蛇の列ができ、
オンライン販売ではものの数分で完売となる、きわめて入手困難な一品だ。

ステンレスのお猪口に蒔絵の技術で模様が描かれた〈宙COCORO〉。そこにあるのは、大小さまざまな星、光の帯、星雲……まるで本物の天球を眺めているかのよう。角度の違いによって宙の表情がさまざまに変化していく。

ステンレスのお猪口に蒔絵の技術で模様が描かれた〈宙COCORO〉。そこにあるのは、大小さまざまな星、光の帯、星雲……まるで本物の天球を眺めているかのよう。角度の違いによって宙の表情がさまざまに変化していく。

澄んだ酒や水を注ぐことによって、色の深み、浮かび上がる星の様子に変化が。このお猪口を眺めながら、別のお猪口でお酒を楽しむ人もいるのだとか。

澄んだ酒や水を注ぐことによって、色の深み、浮かび上がる星の様子に変化が。このお猪口を眺めながら、別のお猪口でお酒を楽しむ人もいるのだとか。

熊谷〈原口商店★エイエイオー〉後編
まちをDIYせよ!
住民が妄想し実践するワークショップ

ハクワークス vol.5

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

前回から続き、〈原口商店★エイエイオー〉を舞台に、
シェアカフェのオープン後に立ち上がったコロナ禍の飲食店救済企画と、
まちづくりワークショップについてお届けします。

コロナ禍で苦悩する飲食店を応援したい

今回は原口商店という場所をつくったからこそ、できることが広がったよ! 
というスピンオフ的な回になります。よろしくどうぞ。

シェアカフェのレセプションパーティー。この頃は数か月後に起こる事態を誰も予想していなかった。

シェアカフェのレセプションパーティー。この頃は数か月後に起こる事態を誰も予想していなかった。

2020年1月に〈シェアカフェ☆エイエイオー〉がオープンします。
オープニングパーティーを開催して大きくお披露目をしましたが、
その先にはコロナが待ち受けていました。
ウイルスの影響が出始め、入居が決まっていた3組のうち、2組が辞退。
本業の建築の仕事にも影響が出て、打ち合わせがストップし何も進まない状況に。
空いた時間のなかで、できることを探していました。

一方、草加の〈キッチンスタジオ アオイエ〉の共同経営者である
デザイナーのリッケンは、コロナ禍で困窮する草加市の飲食店を応援したいと、
テイクアウトの情報を集約したサイトを立ち上げていました。
本当に心から尊敬するデザイナーです。

「熊谷でもやりたい」と伝えると、情報とサイトのフォーマットを提供してくれました。
さっそく飲食店の知り合いの店のテイクアウト情報をアップし、
その後は「笑っていいとも」方式で知り合いの店舗を紹介してもらい、
掲載数を増やしていきました。

同時にメッセンジャーグループをつくり、
飲食店コミュニティや人脈の広いローカルヒーローたちを巻き込み、
コロナ禍でどんなことができるか情報交換をする場もつくりました。
オンラインにて、知らない方々ともつながり始めます。

そのなかで気づいたのは、多くの店舗が
一定の金額以上を購入した場合にのみデリバリーをしていたこと。
少額の商品のためにデリバリーをするとお店に負担がかかるのは当然であり、
危機的な状況の飲食店が個々で負っているリスクを
みんなで協力することで分散できればと思い立ちます。

その日の夜にデリバリーの仕組みをつくり、オンライングループにアップしました。
その名も「クーマーイーツ」。テイクアウトサイトのアップから2日後の話です。

物議を醸した!?「クーマーイーツ」のロゴ。

物議を醸した!?「クーマーイーツ」のロゴ。

湿原カヌーに、阿寒湖アイヌコタンと
伝説の彫刻家。釧路から旭川へ、
大自然とアイヌ文化に触れる旅

今回の旅は、釧路から旭川へ

さまざまな北海道の魅力を満喫する周遊旅。
今回はまず、たんちょう釧路空港から釧路湿原でカヌー体験。
車で1時間半ほど北上し、阿寒湖アイヌコタンを訪れ
アイヌ古式舞踊や、アイヌの木彫り作家、藤戸竹喜の作品に出合う。

阿寒湖温泉から車で約4時間半、旭川へ。
もうひとりのアイヌ民族の伝説的彫刻家、砂澤ビッキの作品に触れ
さらに、100年以上の歴史を持つ〈川村カ子トアイヌ記念館〉を訪ねます。
そこから車で約40分の旭川空港から帰路に。

釧路湿原の自然を体感するアクティビティと、
阿寒湖温泉と旭川のアイヌ文化に触れる旅へ!

真冬のカヌーで出合う絶景と動物たちの物語

写真提供:釧路マーシュ&リバー

写真提供:釧路マーシュ&リバー

たんちょう釧路空港から向かったのは、釧路湿原国立公園内、
釧路川支流の「アレキナイ川」。今回の旅はカヌーツアーからスタート。
「わざわざ厳冬期にカヌー?」「寒そう!」という声が聞こえてきそうだが、
気温が最も下がるこの時期だからこそできる体験がある。

日本最大の湿原である釧路湿原は、国の特別天然記念物「タンチョウ」をはじめ、
約2000種もの動植物を育む大自然の宝庫。
太古の時代に、海から湿原へと変わる過程で多くの湖沼が点在し、
その名残が現在も見られるのが特徴だ。

釧路湿原最大の湖、塘路(とうろ)湖とつながるアレキナイ川は、
本流との高低差や、大きな岩や石がないため流れは穏やかで、
道路からも離れているため人工の音も聞こえない。

だからこそ、往復約3キロのコースを約1時間かけて
じっくりと景色を堪能でき、野生動物との出合いも楽しめる。
聞こえるのは野鳥の羽音、パドルを漕ぐときのチャポン、という水音。
ひと漕ぎするだけで、川の上をスーッと滑るように進んでいくのもおもしろい。
あまりの静けさに、川にいることを忘れてしまいそう。

川の水蒸気が凍り、結晶が花のように育つフロストフラワー、
湯気のようなけあらし、霧氷で真っ白にコーティングされた木々……。
冬ならではの幻想的な光景の連続に、ひととき寒さを忘れ、多幸感に包まれた。

とは言え、厳冬期の釧路湿原は氷点下20度を下回ることもある。
帽子、手袋、ブーツに加え、首回りの防寒は必須。
さらにつま先とお腹付近にカイロを仕込んだ。
北海道の建物内は暖かいことが多いので、重ね着で着脱しやすい服だとなおいい。

今回のガイドは、〈釧路マーシュ&リバー〉の斉藤松雄さん。
釧路出身で、子どもの頃から湿原を遊び場にして育ち、
一度は地元で就職したが「自然体験を通して湿原の魅力を伝えたい」と、
脱サラして同社を設立した。「三度の飯と同じくらいカヌー好き」なのだそう。

「一般的に川下りといったら森の中というイメージですが、視界を遮るものが何もなく、
広々とした空と大地を感じられるのは釧路湿原ならでは。
カーブの先にどんな景色が広がっているのか予想がつかないのもいい。
川は蛇行し、カーブが大きいから曲がるごとにわくわくしますよ」

アレキナイ川と塘路湖を往復する冬のカヌーコース。(写真提供:釧路マーシュ&リバー)

アレキナイ川と塘路湖を往復する冬のカヌーコース。(写真提供:釧路マーシュ&リバー)

アレキナイ川は川幅が狭いので、野鳥や小動物たちを間近に観察できる。
11月末から翌年3月頃までオオワシが見られたり、
タンチョウが川の中で魚をついばむ姿や、エゾシカが見られるのも珍しくない。

「せっかくこの自然環境が良くて暮らしている彼らを大事にしたいので、
見かけたら、なるべく川の端っこを静かに通過します」

さらに斉藤さんの解説は続く。

「タンチョウは冬になると通常、釧路市の隣の鶴居村にある
給餌場に多く集まっていますが、アレキナイ川は凍りにくいため、
そこを縄張りにしているタンチョウたちが餌の魚をとりに来ます。
タンチョウはお互いの強さ、弱さを認識する生き物。
いい縄張りを持っているのは、そのタンチョウの強さの証だと思う」

そんな話を聞いていると、動物たちは自分たちの仲間であり
隣人という思いが自然にわいてくる。

タンチョウの家族とオジロワシのつがいが同時に見られた珍しいシーン。(写真提供:釧路マーシュ&リバー)

タンチョウの家族とオジロワシのつがいが同時に見られた珍しいシーン。(写真提供:釧路マーシュ&リバー)

斉藤さんは「ここは春夏秋冬、いつ来てもベストシーズン」と胸を張る。
アレキナイ川のカヌーツアーはゴールデンウィーク頃まで行い、
夏のグリーンシーズンは、釧路川本流を下る。
途中から木が少なくなって葦原(よしわら)の景色になる変化や、
開放感ある湿原の中を行く体験が楽しめる。

四季折々、まったく異なる景色が楽しめるのも釧路湿原の魅力。(写真提供:釧路マーシュ&リバー)

四季折々、まったく異なる景色が楽しめるのも釧路湿原の魅力。(写真提供:釧路マーシュ&リバー)

釧路湿原でのカヌーは、スポーツ的でアクロバティックな川下りとはまた違う、
いわば「大人のカヌー」という趣だ。そこで感じられるのは、
川や湖が織りなす自然の歴史と、動植物がつむぐ命の物語。

「お客様に、疲れがスッと落ちた、リラックスしにまた来るよ! 
と言ってもらえるときがとてもうれしい」という斉藤さんの言葉に、深く頷いた。

information

map

釧路マーシュ&リバー

住所:北海道釧路郡釧路町トリトウシ88-5

TEL:0154-23-7116

冬の釧路湿原ネイチャーカヌー

実施期間:1月5日~3月31日

所要時間:約1時間30分(準備・移動含む)

料金:大人1名6500円(2名以上で参加の場合。1名で参加の場合、上記料金にプラス 3000円。傷害保険は別途1名500円)

※このほかネイチャーカヌー&塘路湖氷上あそびのコースもあり。

Web:釧路マーシュ&リバー

住み続けて10年、
古い家を直しながら快適に暮らす

農家にとって大切な冬時間、どう過ごす?

穏やかな冬の日が続いています。
毎年1、2月は〈HOMEMAKERS CAFE(ホームメイカーズカフェ)〉の営業を
冬季休業としてお休みさせていただき、
いつもより少しゆっくりとした時間を過ごしています。
私たち農家にとって大切な休息期間です。

休息といっても、ぐーたらしてるわけではなく、
ここぞとばかりにやりたいことをしています。
山歩きや岩登りにでかけたりすることもあれば、
家の気になっていた場所の片づけをしたり。

それからちょっと話がそれますが、新年早々、
庭で鳴き続けていたチビ猫を保護することになり、そのお世話をしたり(笑)。

毎日うちから眺めている「大麻山(たいまさん)」を登りました。山の上から自分たちの家や畑が見える〜。

毎日うちから眺めている「大麻山(たいまさん)」を登りました。山の上から自分たちの家や畑が見える〜。

新年早々、家の庭で保護したチビ猫ちゃん。お世話の日々。

新年早々、家の庭で保護したチビ猫ちゃん。お世話の日々。

そして、この冬は少し大きな改装工事をしています。

私たちが暮らしている家は曾祖父ちゃんの代に建てられた築130年以上の古い家です。
木造の農村民家。ここに住み始めた頃、
家の一部をカフェとしてオープンするために大規模な工事をしました。
ほぼすべての部屋の床をめくってシロアリの駆除、基礎の補強工事をし、
お風呂や洗面所、トイレを新しく設置、大きな本棚をつくったり。

2013年の家の改修工事。自宅の一部をカフェとして改修しました。

2013年の家の改修工事。自宅の一部をカフェとして改修しました。

あれからもうすぐ10年、壁を塗ったり、レイアウト替えしたり、
少しずつ手を入れながら住み続けてきました。

住み続けていると、もっとこうだったらいいのになぁという部分が見えてきます。
家って毎日毎日過ごす場所で、ごはんをつくったり食べたり、
パソコン仕事をしたり、書きものをしたり、映画を見たり、洗濯をしたり、
とにかくいろんなことをしています。
ここに収納棚があったらいいのになぁ、この作業台がもっと広かったらいいのになぁ、
冷蔵庫こっち向きのほうが便利だよなぁとか、そういう小さな思いがいっぱい。

ま、でも不便なことにも慣れてしまって、慣れてしまってというか
なんだかんだとごまかしながら日々は過ぎていきます。

いやいや、家に対する「もっとこうしたい」という思いは大事にすべきだと思うんです。
もちろん工事の内容によってはお金がかかるので
そこはやりくりが必要だし、時間もパワーも必要。
だけど、よいしょして、家を直していく。
自分たちがより快適に過ごせる場所に家を育てていくことが、
私たちにとっては最高の楽しみだったりします。

譲ってもらった古材でキッチンの作業台をつくります。

譲ってもらった古材でキッチンの作業台をつくります。

新しくできた作業台になんだなんだと寄ってくる猫のヨーダ(2019年夏に保護して一緒に暮らしてます)。

新しくできた作業台になんだなんだと寄ってくる猫のヨーダ(2019年夏に保護して一緒に暮らしてます)。

昔ながらの農家の暮らしを伝えたい。
古家を改修した
渡辺正美さんとの本づくり

撮影:渡辺正美

ご近所の農家さんがずっと温めていた本の企画

私が行っている小さな出版活動のなかで、
昨年、立ち上げたレーベル〈ローカルブックス〉は、
地域の仲間で協力し合って本をつくる取り組みで、いま新刊を制作中だ。
シリーズ3冊目となる著者は、私が住む岩見沢市に隣接する
美唄(びばい)市の農家・渡辺正美さん。
住まいを2014年に本格的に改修したドキュメントを一冊にまとめたいと考えている。

渡辺正美さん。年齢を聞くと「80代の人にはまだまだ若いねって言われるよ!」と笑顔。

渡辺正美さん。年齢を聞くと「80代の人にはまだまだ若いねって言われるよ!」と笑顔。

渡辺さんに出会ったのは、私が北海道に移住して間もない9年ほど前のこと。
友人が営む有機野菜を販売するお店で、渡辺さんの野菜を買うようになり、
その後、畑を訪ねるようになった。

大根やネギ、白菜など、さまざまな野菜とともに、ブルーベリーも育てていて、
夏に子どもたちと一緒に実を摘ませてもらったこともある。
木で熟したブルーベリーは格別。
東京で食べていた頃は生だとちょっと渋いと思っていたのだが、
味が濃くて酸っぱさのなかにも甘みがあった。

木によって味が違うブルーベリー。真っ黒く熟した実をいただく。

木によって味が違うブルーベリー。真っ黒く熟した実をいただく。

渡辺さんはときどきわが家にやってきて、楽しいイベントを開いてくれた。
お正月には、庭で餅つきの会を開いてくれたり、節分には鬼の格好で現れたり。
日本で伝統的に行われていた行事を後世に伝えたい、
そんな思いを常に持って活動をしていた。

庭先で行った餅つき。近所のおじいちゃんおばあちゃんや子どもたちが集まった。

庭先で行った餅つき。近所のおじいちゃんおばあちゃんや子どもたちが集まった。

節分に昭和時代のスキーを履いて鬼のお面をかぶって現れたことも。

節分に昭和時代のスキーを履いて鬼のお面をかぶって現れたことも。

〈Nazuna 飫肥 城下町温泉 小鹿倉邸〉
日南市の築140年の屋敷を、
城下町を旅する古民家宿へ

PAAK DESIGN vol.6

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市の観光地、飫肥(おび)城下町にある
〈Nazuna 飫肥 城下町温泉 小鹿倉邸(こがくらてい)〉の
リノベーションがテーマです。まちを周遊するための施策とともに、
古民家宿がどのようにできあがったのか、振り返っていきます。

プロジェクトの始まり

2017年4月頃。
まだ、〈PAAK DESIGN〉の会社設立の準備をしている頃の話です。
日南市の「まちなみ再生コーディネーター」(当時)を務める
徳永煌季(こうき)さんから、
「旧小鹿倉邸」という大きな武家屋敷を活用するために、
一度建物を見てほしいと相談を受けました。

ちなみに、まちなみ再生コーディネーターとは、
日南市が飫肥城下町の歴史的風景を保存しながら、魅力を向上させ活力を高めるために、
タウンマネージャー(コーディネーター)となる人材を全国公募して、
コーディネーターが移住し、まちの中に住みながらまちづくりを推進する事業です。

空き家の状態だった小鹿倉邸の玄関付近。

空き家の状態だった小鹿倉邸の玄関付近。

2015年に市に寄贈されたときの様子。家財道具がそのまま残り、当時の生活感がうかがえる。雨漏りもなく、保存状態も極めて良好だった。

2015年に市に寄贈されたときの様子。家財道具がそのまま残り、当時の生活感がうかがえる。雨漏りもなく、保存状態も極めて良好だった。

飫肥城下町について

2015年にまちなみ再生コーディネーター事業が始まって以降、
飫肥城下町では新しい取り組みが続いています。
2017年4月に徳永さんらが中心となり、
一棟貸しの古民家宿〈季楽 飫肥 勝目邸(かつめてい)〉
〈季楽 飫肥 合屋邸(おうやてい)〉の2棟をオープンさせました。

続いて、2018年4月には、以前ご紹介したお食事処の〈武家屋敷伊東邸〉が開店し、
2020年3月に今回の物件である〈Nazuna 飫肥 城下町温泉 小鹿倉邸〉が
オープンすることになり、段階的に新しいまちづくりが行われています。

朝市にシメパフェ、ローカルフード。
函館から札幌、最北の地・稚内へ、
温泉とグルメを堪能する旅

今回の旅は、函館から札幌、そして稚内へ

さまざまな北海道の魅力を満喫する周遊旅。
今回はまず、函館空港から車で5分というアクセス抜群の湯の川温泉へ。
湯の川温泉から市電に揺られ、函館朝市では、海鮮グルメを堪能。

函館駅から特急で約4時間で札幌へ。
札幌を代表するグルメ、ジンギスカンを味わったら、
ここ数年、新たな定番となっている“シメパフェ”を食べ比べ。
札幌の奥座敷と言われる定山渓温泉、さらに豊平峡温泉まで足を延ばして、
知る人ぞ知るグルメに出合う。

そして新千歳空港から1時間のフライトで稚内空港へ。
最北端の温泉でゆっくり体を癒したら、日本最北端の地を訪れ、
最後は稚内のソウルフード「チャーメン」の名店へ。

各地の特徴ある温泉とグルメを堪能する旅へ、ご案内します!

日常と非日常が交差する、湯の川温泉で

約10分ごとに1本程度の間隔で行き来する市電。湯の川温泉から、五稜郭や函館朝市方面まで行くことができる。

約10分ごとに1本程度の間隔で行き来する市電。湯の川温泉から、五稜郭や函館朝市方面まで行くことができる。

函館空港から車で5分。
全国でも珍しい、空港に近い温泉街として知られるのが〈函館湯の川温泉〉だ。
飛行機を降りてタクシーに乗り込めば、あっという間に到着する。
短い移動距離で、疲れた体を熱い湯に浸すことができるのはうれしい。

湯の川の語源は、アイヌ語のユ(湯)と、ベツ(川)からきているとされる。
1868年の箱館戦争時には旧幕軍の総裁である榎本武揚が傷病兵を療養させたほか、
自身もたびたび入浴に訪れたという歴史を持つ。
1886年に湯治場が開かれてからは、料理店や宿、土産物屋などが立ち並び、
温泉街として栄え始めた。

いわゆる街場の温泉地で、中心地は市電の路面電車が行き来する。
観光客と地元の人たちの日常が交差する、湯の川温泉らしい風景だ。

足湯の利用可能時間は9時~21時。利用者は足拭き用のタオルを持参。目の前にはバス停があるため、バス待ちの間に入る人も多そう。

足湯の利用可能時間は9時~21時。利用者は足拭き用のタオルを持参。目の前にはバス停があるため、バス待ちの間に入る人も多そう。

市電の「湯の川温泉」停留所からほど近い場所にあるのが、無料開放されている足湯。
こんな中心部に足湯が? と最初は面食らうが、
入れ替わり立ち替わり人が入る姿を見て、
足湯が暮らしの一部になっていることを実感する。
談笑したり読書をしたりと、思い思いに楽しむ人たち。
冬場は少し滞在時間が長くなりそうだ。

そして温泉に入るのは、人間だけではなかった。足湯から歩くこと約10分。
温室の中に約300種類もの南国の珍しい花や木が育つ〈函館市熱帯植物園〉では、
なんと源泉に浸かるニホンザルたちが見られる。

現在は大小合わせて60頭ほどのサルがいる。本来水に入ることを嫌うサルも、温泉ならウェルカム。

現在は大小合わせて60頭ほどのサルがいる。本来水に入ることを嫌うサルも、温泉ならウェルカム。

1970年に開園し、「植物園に訪れる人を楽しませたい」と、翌年にサル山が誕生。
かつてこの周辺にたくさん湧いていた源泉をサル山に引いて以来、
約50年もの間、湯の川温泉はニホンザルの体を温め、それを見る人々を和ませてきた。
毎年12月1日から5月の連休最終日までは、
ニホンザルの入浴シーンにお目にかかることができる。

一方、空港だけでなく、海も近いのが湯の川温泉の特徴。
北海道と本州の玄関口である津軽海峡を、
最上階の露天風呂から遮るものなく眺められるのが、
2021年7月にオープンした〈函館湯の川温泉 海と灯〉だ。

〈函館湯の川温泉 海と灯〉のインフィニティ露天風呂は絶景のオーシャンビュー。

〈函館湯の川温泉 海と灯〉のインフィニティ露天風呂は絶景のオーシャンビュー。

特に7月から秋にかけては、真っ暗な海の上にぽつん、ぽつんと
蛍のように光るイカ釣り漁船の漁火が美しい。
冬は雪見風呂、天気が良ければ満月。四季折々の楽しみ方ができる。

地元〈箱館醸蔵〉の地酒を、風呂に浸かりながら升で味わえるサービスも(有料)。(写真提供:海と灯)

地元〈箱館醸蔵〉の地酒を、風呂に浸かりながら升で味わえるサービスも(有料)。(写真提供:海と灯)

そして、温泉といえばおいしい食事。
館内のブッフェレストラン〈月舟〉には、函館周辺の漁港で
その日の朝にとれた新鮮な魚介を中心に、夜は150種類、朝は140種類もの品目が並ぶ。
ブッフェ形式で好きなものを好きなだけ盛れるほか、
焼きたて、つくりたて、握りたてを心ゆくまで堪能できる。

まち歩きもしたいけど、ずっとここにいたい……。
そんな気持ちにさせてくれる宿だ。

information

map

函館市熱帯植物園

住所:北海道函館市湯川町3-1-15

TEL:0138-57-7833

アクセス:函館空港から車で約5分、バス15分

営業時間:4月~10月 9:30~18:00、11月~3月 9:30~16:30

休園日:12月29日~1月1日

料金:300円(小中学生100円)団体割引有

Web:函館市熱帯植物園

information

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函館湯の川温泉 海と灯 
ヒューイットリゾート

住所:北海道函館市湯川町3-9-20

TEL:0138-57-5390

アクセス:函館空港から車で約5分、バス15分(熱帯植物園前下車徒歩1分)

宿泊料金:1泊2食付1室26000円~

日帰り入浴料金:大人1100円、4~12歳550円、3歳以下無料

日帰り入浴時間:14:00~18:00

Web:函館湯の川温泉 海と灯

瀬戸内海の冬の楽しみ、
牡蠣とレモンとオリーブオイル

小豆島でおいしい牡蠣を楽しめる理由

ここ数年、冬にとても楽しみにしていることがあります。
それは、牡蠣! です。

小豆島の牡蠣って有名なの? となると思うので、
その理由を書いておこうと思います。

ここ数年、冬になると楽しみにしている牡蠣を楽しむ会。庭で焼き牡蠣。

ここ数年、冬になると楽しみにしている牡蠣を楽しむ会。庭で焼き牡蠣。

加熱用の牡蠣はしっかり加熱しないとお腹を壊してしまうことがあります。まずは牡蠣のことをよく知っている人と楽しみましょう。

加熱用の牡蠣はしっかり加熱しないとお腹を壊してしまうことがあります。まずは牡蠣のことをよく知っている人と楽しみましょう。

日本国内で流通している牡蠣は、大きく分けて
夏が旬の「岩牡蠣(イワガキ)」と、
冬が旬の「真牡蠣(マガキ)」の2種類です。

私たちが楽しみにしているのは、冬の牡蠣、真牡蠣。
この真牡蠣の産地として有名なのは、北海道、三陸(岩手県、宮城県)、
伊勢(三重県)、広島県など。瀬戸内海では、広島県だけじゃなくて、
岡山県や兵庫県、香川県でも真牡蠣の養殖が行われています。

小豆島では牡蠣を養殖している人はいませんが、
近くの漁師さんから牡蠣を直接仕入れて販売しているところがあって、
新鮮な牡蠣を手に入れることができるんです。
香川県の志度(しど)の牡蠣、岡山県の日生(ひなせ)の牡蠣を販売されています。
瀬戸内海つながり!

海から引き上げられた牡蠣。まだ生きています。

海から引き上げられた牡蠣。まだ生きています。

殻についた汚れや藻などをきれいに洗ってくれます。

殻についた汚れや藻などをきれいに洗ってくれます。

産地が近いというのはすごく重要なことで、なんといっても新鮮な牡蠣を楽しめる!
数時間前まで海の中で生きていた牡蠣。
貝や魚、それから私たちが育てている野菜に関しても、
新鮮な状態であるというのは“おいしさ”に直結してます。
これが小豆島でおいしい牡蠣を楽しめるひとつめの理由。

小豆島の北側にある道の駅、大坂城残石記念公園で殻付きの牡蠣を販売しています。季節限定なので要問い合わせ。

小豆島の北側にある道の駅、大坂城残石記念公園で殻付きの牡蠣を販売しています。季節限定なので要問い合わせ。

それからもうひとつの理由は、牡蠣を食べるときに
絶対必要(だと個人的には思ってます)な「レモン」があること。
もちろん小豆島で育った農薬を使っていないレモンです。

最近は、鍋に日本酒と牡蠣を入れて、酒蒸しにして食べるのにはまっているのですが、
殻を開いて牡蠣の身にたっぷりレモン果汁をしぼって身を食べる、
そして殻の中に残った牡蠣の汁&レモン果汁を飲みほす。
くーーー! これが最高においしい。
磯の味とレモンの酸味が合わさって、もうおいしいとしか言えない。
レモンを惜しげなく使えるのがうれしい。

この日は、牡蠣の下にキャベツの外葉を敷いて白ワインで蒸しました。

この日は、牡蠣の下にキャベツの外葉を敷いて白ワインで蒸しました。

さらにもうひとつ、小豆島産のエキストラヴァージンオリーブオイル。
オリーブオイルは、友人がオリーブを育てて、実を収穫し、搾油したもの。
蒸し牡蠣にレモン果汁をかけて、さらにオリーブオイルをたらします。
オリーブオイルの香りがまた合うんです!

蒸した牡蠣にレモンとオリーブオイルをかけていただきます。

蒸した牡蠣にレモンとオリーブオイルをかけていただきます。

蒸し牡蠣+レモン果汁+オリーブオイル、この完璧な組み合わせに
さらに白ワインを合わせる! 
これが最近の冬の楽しみ。むふふ。

画家MAYA MAXXが
自由が利かないなかで描いた、
シカの連作

1か月半、利き手が思うように動かせない状態に

それは突然の出来事だった。
昨年11月、美流渡(みると)に住む画家のMAYA MAXXさんが
この地で創業100年以上となる〈つつみ百貨店〉のシャッターに
絵を描こうとしていたときのことだった。

シャッターを水で洗ってから白いペンキを塗っていたとき、
バタンと大きな音とともにMAYAさんが足場台から転落した。
足場台は1メートルくらいの高さであったが、顔面と肩を打ったようで、
そのまま数分間動けなくなってしまった。
塗装を手伝っていた私は、オロオロしながらその場にいることしかできなかった。

しばらくして、MAYAさんがゆっくりと起き上がったものの、
右肩と腕がひどく痛む様子だった。
私は運転が苦手なので、病院に車で連れて行ってくれる人を急いで探した。
幸いご近所さんが助けてくれることになり、
美流渡から車で20分ほどの市街地にある整形外科へと向かった。
車内でMAYAさんは、穏やかに世間話をしていたので、少し安心したのを覚えている。

昨年は夏から秋にかけて、閉校した美流渡中学校の窓に打ち付けられた板に絵を描いた。高所での作業も多かったが事故なく終わった。

昨年は夏から秋にかけて、閉校した美流渡中学校の窓に打ち付けられた板に絵を描いた。高所での作業も多かったが事故なく終わった。

雪が降る前の最後の作業として取り組もうとしたのが、〈つつみ百貨店〉のシャッターだった。人口減少で商店が数えるほどしかなくなるなか、地域のためにずっと店を開け続けている。

雪が降る前の最後の作業として取り組もうとしたのが、〈つつみ百貨店〉のシャッターだった。人口減少で商店が数えるほどしかなくなるなか、地域のためにずっと店を開け続けている。

診察してもらったところ、右肩の脱臼と骨折だった。
関節から外れた部分を元に戻してもらい、翌日に詳しく検査。
1か月半ほどバストバンドと三角巾で肩を固定することとなった。
右手の動かせる範囲は手首から先だけ。
手が上がらないため、上着を羽織ったりするだけでも大変な状況となってしまった。

そんななかにあっても、MAYAさんは歩みを止めようとはしなかった。
骨折から3日後には、新十津川町図書館で開催中だった絵本原画展で
ギャラリートークを行った。翌週には札幌の高校で講演会を、
さらには地元の小学校で絵を描くワークショップも実施。
絵が思うように描けない状況のなかで、
イベントがあったほうが気が紛れると語っていた。

トークを行うMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

トークを行うMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

地元の小学校で開催したワークショップ。

地元の小学校で開催したワークショップ。

手が動かせる範囲は限られていたが、それでも制作は行われた。
まず取り組んだのは粘土。手で握れるくらいの大きさに粘土を丸め、
ペンギンのような形をつくり、先の尖ったヘラで毛の一本一本を表していった。
毎日つくり続け、その数は30体以上にもなった。

ペンギンやリスを形づくった。手首から先を細かく動かして毛並みを表現した。

ペンギンやリスを形づくった。手首から先を細かく動かして毛並みを表現した。

次に絵画の制作も行われた。
完成に至らないままアトリエに置かれていた
240×120センチメートルのパネル作品の制作を再開したのだ。

このパネルは、移住してきてすぐに取りかかったもので、
夏の青々とした緑や秋から冬へと向かう薄暗い森を想起させるような
抽象形態が描かれていた。その上から、自由の効かない右手と、
利き手でない左手をゆっくりゆっくりと動かし、シカを描いていった。

『Deer in the Forest 1』2021

『Deer in the Forest 1』2021

「右手を上にあげることはできないけれど、
床に画面を置いて自分が動けば、画面の隅々まで描くことができる」

紫色の空間で木立の間からこちらを見るシカには胴体が描かれていなかった。
筆のタッチは、まるで小声でささやくように、か細く、静かだ。
MAYAさんは、この描き方を“骨折画法”と呼ぶようになっていた。

『Deer in the Forest 2』2021

『Deer in the Forest 2』2021

熊谷〈原口商店★エイエイオー〉中編
シェアカフェから生まれる
新たなコミュニティ

ハクワークス vol.4

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

前回に続いて、熊谷市の中心市街地、星川エリアの再生を目指して
生まれたシェアスペース〈原口商店★エイエイオー〉がテーマです。

オープン以降、この場所にシェアカフェの機能が追加され、
さらにコミュニティが広がっていきました。そのプロセスを振り返ります。

熊谷妄想会議

〈原口商店〉という元酒屋の空きビルを
レンタルスペースにリノベーションした〈原口商店★エイエイオー〉。
まちの余白のようなスペースとして、地域の人が気軽に集まれたり、
新たなチャレンジの受け皿になる場所を目指してオープンしました。

運営者である僕ら建築士4人組のユニット〈A.A.O〉も、
この場所でアウトプットを始めるようになりました。
その名も「熊谷妄想会議」。

初イベント「熊谷妄想会議vol.01」。

初イベント「熊谷妄想会議vol.01」。

僕らメンバーの3人が移住組であり、熊谷の外から来た者として、
熊谷の正直なイメージをお伝えするイベント。
人口動態から考える熊谷の未来、僕らが目指す未来、
子どもたちに継ぎたい未来を妄想して発表しました。
いま振り返ると少し挑戦的な内容だったような……。

身内で集まり“やった感”を出さないよう、今回は知り合いには声をかけず、
新規の方を集客しようとSNSで募集を開始。その結果、3人が集まりました。
無名のイベントとしては上出来でしょうか(笑)。

参加者は、またまた建築士! 
建築士の八木重朝さん、奈都子さん夫妻と
原口商店のオープン時に子ども向けの演奏会を開いてくれた方でした。
少ないメンバーだからこそ、みなさんとじっくりお話ができました。
そして、この出会いが、また新たな出会いを紡いでいくことになります。

同じエリアのリノベ案件〈108 ocha stand〉の八木重朝さん、奈都子さん夫妻。

同じエリアのリノベ案件〈108 ocha stand〉の八木重朝さん、奈都子さん夫妻。

ちなみに建築士の八木さん夫妻は、一時は川崎市で事業をしていました。
僕も参加した「リノベーションスクール@川崎」に参加しており、
同じように空き家、空き店舗を使ってまちに開くアクションを計画していました。

その後、Uターンで熊谷へ戻り、設計事務所を開設して、
僕らと同じエリアで空き店舗を自力で開拓し、
〈108 ocha stand〉というお茶スタンドをオープンさせました。
ふらっと立ち寄りたくなる場所として地域に愛されているお店です。
力強い同志ができたことがうれしく、この関係はいまでもずっと続いています。