連載
posted:2022.11.21 from:宮城県本吉郡南三陸町 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Yuri Shirasaka
白坂由里
しらさか・ゆり●神奈川県生まれ、小学生時代は札幌で育ち、自然のなかで遊びながら、ラジオで音楽をエアチェックしたり、学級新聞を自主的に発行したり、自由な土地柄の影響を受ける。映画館でのバイト経験などから、アート作品体験後の観客の変化に関心がある。現在は千葉県のヤンキー漫画で知られるまちに住む。『WEEKLYぴあ』を経て、97年からアートを中心にライターとして活動。
宮城県の北東部、太平洋に面して、三方を山に囲まれる南三陸町。
町境がほぼ分水嶺と重なり、山、里、海がつながっている。
東日本大震災からの復興のなかで、
「森 里 海 ひと いのちめぐるまち」というビジョンを掲げ、
より農山漁村の恵みを循環させる持続可能なまちづくりを進めてきた。
津波でほぼ壊滅し、海抜約10メートルの嵩上げ工事が行われた
志津川地区中心市街地では、防災と共存しながらも、
海と陸が切り離されないようなグランドデザインを建築家・隈研吾さんが行った。
建物には地元産の南三陸杉が使われている。
2022年10月1日には、南三陸町東日本大震災伝承館〈南三陸311メモリアル〉が開館。
2017年に先行オープンした〈南三陸さんさん商店街〉と合わせて、
この一帯を総称する〈道の駅さんさん南三陸〉がグランドオープンした。
被災した鉄道駅の代わりに開通したBRT(高速輸送バス)などが発着する
JR志津川駅も併設する。
震災の経験を共有し、語り合う場として誕生した、
南三陸311メモリアルを中心に、開館までの経緯も併せて紹介したい。
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南三陸311メモリアルは、東日本大震災の基本情報を解説した「エントランス」、
町民の証言映像を中心とした「展示ギャラリー」、
昨年急逝したユダヤ系フランス人アーティスト、
クリスチャン・ボルタンスキーの作品と出合う「アートゾーン」、
防災について学び語り合う「ラーニングシアター」、
フリー交流スペース「みんなの広場」、
そして海を臨む「展望デッキ」で構成されている。
館内の展示を企画したのは、〈ダ・ハ プランニングワーク〉代表で
アートプロデューサーの吉川由美さん。南三陸町とは震災前から交流がある。
「震災被害が大きく、残せる遺物がほとんどなかったので、
まちの人ひとりひとりの証言を一番に未来に伝えるべきものと考えて収集しました」
展示ギャラリーとみんなの広場では、
オープニング展『あの日、生と死のはざまで』を開催。
のべ81時間、91のインタビュー映像の中から
8本の映像と、エピソードをまとめた22バナーを展示している。
今後も企画展ごとに編集して上映される。
「本当は思い出したくないけれど、次の世代のためにと
お話しくださったことも多々あります。
自分ごとに置き換えて、自分の命を守るにはどうしたらいいのか、
防災・減災を考えるきっかけとしてほしい」と話す吉川さん。
展示ギャラリーには、3階建て庁舎の屋上が津波に飲み込まれ、43人の死者を出した
防災対策庁舎から生還した人々の証言映像や資料を常設。
エントランスの天井近くの15.5メートルの印は、そのときの津波の高さだ。
また、ラーニングシアターでは、防災について学ぶ映像プログラムが上映され、
周囲と話し合い、ミニブックに書き込む時間もある。
映像プログラムのひとつ『生死を分けた避難』では、
「高台か、屋上か」を議論した避難訓練から、
震災当日、高台に逃げて全員無事だったエピソードなどを
南三陸町立戸倉小学校元校長が語る。
明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ地震津波の教訓を受け継ぎ、
防災計画や避難訓練に努めていてもなお
津波の高さは想定を遥かに超え(志津川地区林で最大23.9メートルを記録)、
死者620人、行方不明者211人、約6割の家屋が被害に遭ったのだ。
と同時に、被災後には「海側の人たちを山側の人たちが守る」といった
助け合いがあったこともわかる。
一方、自分が住む地域ではどうか。
答えはひとつではなく、語り合う必要性に気づかされる。
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小さなアートゾーンには、クリスチャン・ボルタンスキーの新作
『MEMORIAL』が常設された。なぜアートを導入したのだろうか。
あの防災対策庁舎で、仲間を失うと同時に九死に一生を得た佐藤仁町長は、
時の流れとともに記憶を継承する難しさも感じていた。
そのため、アートを通して地域振興を進めていた〈公益財団法人 福武財団〉を訪ね、
歴史を受け継ぎながらアートで島を再生した〈ベネッセアートサイト直島〉を視察する。
そこで瀬戸内海の豊島(てしま)にあるボルタンスキーの2作品、
世界から収集した心臓音に合わせて電球が点滅する空間『心臓音のアーカイブ』と、
森の中で風鈴の音が鳴る『ささやきの森』を体験した。
「生きるとは、死ぬとは、空間のなかであなたは何を感じるんだと
問いかけられている気がしました。
伝承館にボルタンスキーのアートがあれば、普遍的な感動を通じて、
自分ごととして命を思っていただけるのではないかと考えた」と語る。
2019年、さまざまな協力を得て、南三陸町から、
国立新美術館の個展で来日したボルタンスキーに制作を依頼。
震災直後に三陸沿岸を訪れていたボルタンスキーはその場で快諾し、
生前に制作が進められたのだった。
積み重なるビスケット缶は、南三陸町の板金工場で手作業で制作されたものだ。
ボルタンスキーに箱のサンプルを送り、確認を取りながら制作が進められた。
錆びの風合いは、三陸の潮風に当てて研究を重ねた成果による。
職人たちは「ひとつひとつの表情が違うと人みたいだ」と真心を込めてつくったという。
「戦争や災害で犠牲者の数が報じられるとき、
ひとりひとりの人生や家族のことを想像してほしい。
この作品には命の重さを感じさせる力がある」と吉川さんも語る。
静かな祈りを感じる空間だ。
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最後の展示室「みんなの広場」は、
「感謝と生きる喜びを伝える」空間と位置づけられた交流スペースとなっている。
今回はこちらの部屋もオープニング展に活用され、被災直後からの支援への感謝や、
町民たちの支え合いのエピソードを紹介。
また2013年秋~2021年夏、写真家・浅田政志さんが
南三陸町の人々と行った写真プロジェクト「みんなで南三陸」の作品を、
全47点の中から19点常時展示していく。
そのなかからオープニング展の証言映像と、
浅田さんの写真が重なるふたつのエピソードを紹介したい。
ひとつは、志津川湾戸倉地区の牡蠣養殖で、
2016年、日本初のASC(Aquaculture Stewardship Council)国際認証
(国際規格のエコラベル)を得たエピソード。
震災前は養殖棚の密植で海の力が弱まり、牡蠣の収量が減少していた。
そこで、震災ですべてを失った漁師たちが議論の末、
それまでの3分の1に養殖棚を減らし、
省エネルギー、自然環境・生物多様性への影響の低減など
厳しい項目をクリアして最高品質の牡蠣を育てるに至ったのだ。
それ以降、地域や海の未来について考えるようになり、漁師の文化が変わったという。
その間の2015年、「牡蠣などの養殖は山の恵みで育ち、
木は海から上がる空気中の水分で育てられる」と、
林業でも宮城県初のFSC(Forest Stewardship Council)国際認証を取得している。
もうひとつは、震災時に中学生だった青年が語る、
伝統芸能「行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)」
復活のエピソード。
水戸辺集落の瓦礫の中から装束や太鼓などが奇跡的に見つかり、
震災から2か月後に避難所で踊ると、拍手と涙に包まれた。
頭に鹿の角をつけた装束や踊りには、諸説あるが、東北地方の狩猟文化などを起源とし、
生きとし生けるすべての命への供養の意味が込められているという
本質的な意味を聞き、思いを新たにしたという。
「なにもかもなくなったところで、昔から伝わってきたものが
ひとつ取り戻されたという安心感なのか、懐かしさなのか。
伝統芸能には人々にパワーを与えるような、まだ見えていない可能性がある」
と語っている。
「南三陸の人たちは、仕掛けなくても準備して待ってくれている。
笑っていられるはずがない人たちがそれでも踏ん張ろうとする笑顔が魅力だ」
と浅田さん。展示を見た町民も誇らしげだったと聞いた。
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そんな南三陸町のレジリエンス(回復力)はどこから来るのだろうか。
南三陸311メモリアルの計画・管理に携わる
南三陸町役場商工観光課長の宮川舞さんに尋ねた。
「いわゆる観光名所がない小さなまちなので、
地域の人々にとって生きがいになるような、生業を生かした
体験型の観光交流プログラムを2008年から行っていました。
修学旅行の野外プログラムから始まり、
次第に農業・漁業体験が食育や産業の学びにつながっていったんです」
震災後も、震災ボランティアとのつながりが生まれ、
「もう一度観光で交流を復興できないか」と、地域から声が挙がったという。
震災ボランティアで初めて南三陸町を訪れた人に
「本当はすばらしい海山の景色があったんだよ」と自分たちの口から伝えたいと。
地域の人が語り部となり、話しながら涙が出てきてしまう時期も続いたが、
震災の年の6月には震災学習プログラムが立ち上がる。
議論を重ねながら、震災の基本情報と語り部の体験談による
学びのプログラムをつくりあげていった。
「さらに、全国各地で自然災害が多発しているいまは、
被災地だからできることではなく、もう一歩成長が必要でした」
そこで、南三陸311メモリアルでは、
これまで行ってきた海山資源の活用と防災を組み合わせて、
後世まで続く価値あるプログラムづくりを心がけた。
「展示やアート、映像によって多くの真実と向き合い、
考えるきっかけになってほしい。そして最後は浅田さんの写真を見て
自分もがんばろうと思ってもらえたらうれしいですね」
「南三陸町の観光復興は行政主導ではなく、
民間主軸でここまできたと言えるんじゃないかと思います。
今後も、それぞれの現場と二人三脚でかたちにしていきたい。
町内各所に魅力がたくさんあるので、道の駅さんさん南三陸を拠点として
町内を散策していただけたら」
宮川さんの語り口に故郷への愛情が滲む。南三陸町に移住した人々からは
「やりたいことを応援してくれるまち」だとも聞いた。
震災の伝承や防災の奥にある「心」を感じる南三陸をぜひ旅してほしい。
information
南三陸311メモリアル
住所:宮城県本吉郡南三陸町志津川字五日町200番地1(道の駅さんさん南三陸内)
TEL:0226-47-2550
開館時間:9:00~17:00
休館日:火曜、年末年始
入場料:レギュラープログラム(60分)1000円、高校生800円、小中学生500円/ショートプログラム(30分)600円、高校生500円、小中学生300円 ※Webサイトからの事前予約推奨
Web:南三陸311メモリアル
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