連載
posted:2023.6.12 from:山形県山形市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
従来の官と民の境界が曖昧となり、新しい「公」のあり方に注目が集まっています。
コモンズ、官民連携、PPP、PFI、ゆるやかな公共など、
それらを仮に「準公共(セミパブリック)」と名づけ、先行事例を紹介。
そこで働く人・暮らす人のスタイルや事業モデルなど、新しい価値観を探っていきます。
photographer profile
Kohei Shikama
志鎌康平
1982年山形市生まれ。写真家小林紀晴氏のアシスタントを経て山形へ帰郷。2016年志鎌康平写真事務所〈六〉設立。人物、食、土地、芸能まで、日本中、世界中を駆け回りながら撮影を行う。最近は中国やラオス、ベトナムなどの少数民族を訪ね写真を撮り歩く。過去3回の山形ビエンナーレでは公式フォトグラファーを務める。移動写真館「カメラ小屋」も日本全国開催予定。 東北芸術工科大学非常勤講師。
http://www.shikamakohei.com/
この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。
第1回は、2022年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した、
山形市南部児童遊戯施設〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉(以下コパル)の
色部(いろべ)正俊館長に話を聞いた。
コパルは2023年4月に「2023年日本建築学会賞(作品)」も受賞するなど、
建築作品としても話題になっている。
矢島進二(以下、矢島): 今日はよろしくお願いします。
いきなりですが「準公共」と聞いてピンときましたか?
色部正俊(以下、色部): 実は民間と公共が合わさって、
それぞれの良さを持ついい言葉はないかとずっと考えていたのです。
今回「準公共」というワードを聞いて「これだ!」と思いました。
矢島: では、最初にコパルはどんな施設かを教えてください。
色部: コパルは2022年4月に山形市南部にできた児童遊戯施設です。
「すべてが公園のような建築」をコンセプトに、
雨天時や冬の期間でものびのびと遊べる施設で、障害の有無や国籍、
家庭環境の違いにかかわらず、すべての子どもたちに開かれた遊びと学びの空間です。
矢島: 設計事務所は、大西麻貴さんと百田(ひゃくだ)有希さんの
〈o+h(オープラスエイチ)〉ですね。
建築・外構・遊具が一体となったデザインで、
スロープでひとつながりに回遊できる構成など、建物全体が遊び場という斬新な計画で、
これまでまったく目にしたことのない画期的な建築です。
コパルをつくることになった経緯を教えてください。
色部: そもそもは、2015年度に山形市が策定した
「山形市発展計画」重点施策のひとつに、「子育てしやすい環境の整備」を掲げ、
新たな子育て支援拠点を市南部に整備すると定めたことが起点です。
市の北西部には2014年に〈べにっこひろば〉という子育て支援施設ができ、
年間25万人以上が来館する人気施設になっているのですが、
混雑の解消など、いくつか課題が見えてきました。
そのため、南部での計画では、新しいふたつの前提条件が提示されました。
ひとつ目は、政府も推進し始めた「PFI*の導入」です
(べにっこひろばは市の直営で整備し、運営は市の指定管理方式)。
ふたつ目は、要求水準書に「障害の有無や人種、言語、家庭環境等にかかわらず、
多様な個性や背景を持ったすべての子どもたちを対象にする」
と記載されていたことです。
「インクルーシブ」という表現はまだありませんでしたが。
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矢島: 「インクルーシブ」という言葉は、当初なかったのですね。
色部: プロポーザルをした際、私たちのチームの提案のなかに
「インクルーシブ」を追求する旨を記載し採択されたので、
「インクルーシブプレイス」の名称になったのです。
矢島: コパルは「生きる力」「インクルーシブ」「地域共生」の
3つをテーマとしていますが、これらもプロポーザルチームの提案によるものですか?
色部: 有識者による「創造会議」を設け、
そこでテーマを検討するワークショップを行った際に
集まったご意見を集約したのがその3つです。
「生きる力」は現在の教育においては最もベーシックなものです。
「インクルーシブ」は、ユニバーサルデザインやダイバーシティと比較すると、
まだなじみが薄く、ほかの言葉との意味の違いが少し曖昧な感じがしますが、
これからの変化の激しい時代を生き抜いていくために不可欠な概念だと認識しています。
私は、特定の一個人にとことん寄り添うのが
インクルーシブデザインの原点だと思っています。
車椅子の「すべての子どもたち」ではなく、車椅子の「○○ちゃん」です。
その子が喜び、笑顔になることをイメージするのが、
インクルーシブデザインだと捉えています。
そして「○○ちゃん」にとってはもちろん、ほかの立場の子どもにとっても使いやすく、
居心地の良いものになるはずだと。
それがいっぱい重なり合っていったときに、「すべての子どもたち」につながる。
個性や背景の異なる一人一人を尊重することは、
これからの時代に必須な考えだと思っています。
矢島: 色部館長はコパルに来る前は、
小学校の教頭先生だったということですが、
「インクルーシブ」を学内で使うことはありましたか?
また障害のある方との直接的な接点はあったのですか?
色部: インクルーシブという言葉はほとんど使っていませんでしたが、
一昨年まで勤務していた市立の小学校の校舎には、
県立の特別支援学校も入っていたので、インクルーシブを当たり前のように実践し、
日常の感覚になっていました。
矢島: 「創造会議」はどんなメンバーが集まったのですか?
色部: 南山形地区の振興協議会、地区の小学校と特別支援学校の校長、
大学の先生、山形市など約20名と、コパルのための事業会社の約20名、
合わせて約40名です。2年間で10回開催し、
全体のプランニング、遊具の仕様、運営方法などの討議を重ねました。
これとは別に「建設」「設計・工事監理」「運営」「維持管理」を担当するSPC各社が
隔週で集まって議論をしました。議事録を数え直すと計150回を超えていたので、
このメンバーが常に揃って討議を重ねたことが大きな意味を持ち、
インクルーシブの原点である相互理解につながったのだと思います。
例えば、インクルーシブを我々が先に理解しないと、オープンできないと考えました。
またチーム内で議論が割れることもたびたびあったのですが、
チームを支えたのもインクルーシブの考え方だったのです。
自分と違う意見を述べる人の背景を考えるなど、相手のことを思い、
相手を理解しようと努めることが内部で少しずつ浸透してきたのです。
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矢島: 計画では年間利用者数を15万2000人としていましたが、
達成しそうですか。
色部: コロナ禍によって最初の半年は、
山形市民限定にせざるを得なかったので、その間は平均月9000人台でした。
10月に「居住地制限なし」と制限を解除したあとは、一気に増えて、
月平均約1万5000人、今年(2023年)3月は1万8000人台と急増したので、
15万人を超えることができました。
2年目は、18万人から20万人を目指したいと思っています。
矢島: 来館者の内訳はどうなのですか?
色部: 子どもの内訳は、未就学児が80%弱、小学生20%、残りが中高生です。
大人と子どもの比率は、不思議とほぼ1:1でした。
コパルは大人だけ、子どもだけでは入れません。
大人1名で子ども2名か3名が多いので、
逆に子どもひとりなのに家族や親戚が複数で来館する方も多いことになります。
大人にとっても居心地のいい場所にしたいと思っています。
市内:市外は、2:1。初来館:再来館は、1:3と、すでにリピーターが多いです。
障害の有無の調査はしてないので不明ですが、障害のある方の利用は確実に増えています。
特に特別支援学校・学級や、放課後のデイサービスなどの団体利用は増えているので、
浸透し始めてきた感じがします。
また、障害のある方限定の「インクルーシブ・デイ」を年2回実施しています。
1日400人ほど来館され、スタッフの研修にもなっています。
車椅子のまま乗れるブランコが「みずの広場」にあるのですが、
青森の八戸から往復10時間かけておいでになった親子がいました。
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矢島: 小学校の教頭先生を早期退職してまで
コパルに移られた理由はなんですか?
色部: ただ単に「ときめいたから」です。
仕事のことは小学校の教員しか知りませんし、ほかの職業を考えたことはまったくなく、
定年まで教員を貫くつもりでした。コパルの計画は知らず、
知り合いからたまたま教えてもらったのですが、
そのとき「ときめいて」しまったのです。
この歳になってときめくことがあるんだと、自分でもびっくりしました。
完成図など資料を見る前に、話を聞いただけで
胸の鼓動が高まるように体が反応したのです。
これまで感じたことのないその「ときめき」は、理由はどうあれ、
本当の自分の気持ちの表れなのだから、自分の直感を信じよう! と思いました。
これだけ魅力的な施設に関われることは、100回生まれ変わってもないことだと思い、
決断しました。
教員を36年間続けてきたなかで、多様な子どもたちと接する経験は多々ありました。
最終的には、子ども一人一人が、「自分が大切にされている」と思えることが、
教師と子どもの信頼感を築く原点であることを確信しました。
矢島: そうだったのですね。
では、スタッフはどうやって集め、どういう基準で選んだのですか?
色部: 市からの出向者はいません。
コパルで働きたい人を純粋に募集しました。
いまは20代から60代まで、正社員8名とパート社員8名です。面接では、
子どもへの想い、特にインクルーシブに対する関心や考えを重視して選考しました。
社員のほかに、有償ボランティアの「コパルアテンダント」という方もいます。
1日研修を受けて、通過すると、市長から認定を受ける仕組みです。
現在30名程度います。
矢島: そうした開かれた仕組みもあるのですね。
コパルで働くために、移住してきたスタッフがいると聞いたのですが本当ですか?
色部: はい、山形市出身の女性ふたりですが、
横浜と湘南からUターンで移ってきました。
ひとりは病院に勤めていた方。もうひとりは家族揃って移住してきた方です。
コパルができることを知って、「ここで働く!」と決めて前職を辞めて、
引っ越してきたのです。
そこまでして覚悟を決めて戻ってきた方なので、
いまやコパルにとって欠かすことのできない存在です。
確かなモチベーションがあって、ポジティブな性格なので、
仕事が増えても「お客様が喜んでくれるならやりましょう!」と
自らかって出てくれます。そうしたスタッフに支えられている感じがします。
実際にUターンで戻ってきた佐藤花南さんに話を聞いた。
「もともと人と関わる仕事、誰かの役に立つ仕事がしたいと思い、
理学療法士の免許を取得したのですが、地元では就職先が限られ、
横浜の病院に就職しました。
仕事は毎日充実していたのですが、心のどこかで“子どもと関わりたい”
“障害のある子どものリハビリをもっと学びたい”という想いがありました。
そんなときにコパルができるのを知って、Uターンを決意。
ほかの遊戯施設と違い、障害のあるお子さんや、どんな子でも来られるところに
魅力を感じて、自分の経験を生かせると思いました。
地元だからというよりも、この施設で働けることが最大の魅力です。
それが地元と聞いて“私のためにつくってくれた”と感じました。
偶然というより、運命みたいなことが本当に起きたと思っています。
ですので、本当にすごく楽しく仕事をしていますし、とても幸せに感じています」
湘南から家族揃って移住してきた青木操さんからも話を聞いた。
「1歳と小学1年生の息子と湘南出身の主人と、
私の地元である山形に移住してきました。
自分が生まれ育ったところに魅力的な場所ができると聞き、
立ち上げから関わりたい! と家族へ移住したい思いを伝え、現在に至ります。
私は新卒時に東京で営業職に就き、その後も事務やWebの仕事など
さまざまな職種を経験しました。
山形で暮らしていたときには出合わなかった仕事や暮らしが東京にはあり、
進路を考える時期に知りたかったなと思いました。
そんな経験から、小中学生や高校生に、さまざまな職業や生き方、
山形を出たからこそ得たもの、地元の魅力を伝えていきたいなと考えています」
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矢島: マルシェやコンサートなどのイベントを多々やっていますが、
スタッフが企画から実施まで担当しているのですか?
色部: イベントは、全体イベントのほか、
運営企業が自主事業として行うイベント、子育て支援センターが行うイベント、
市民ワークショップなど、年間100件前後にのぼります。
プロジェクターを多数使い、館内全部を水族館にしてしまう「夢水族園」や、
文化フェスティバル、大人だけを対象とした「ファンタジックナイト」など多彩です。
市民ワークショップは、「そば打ち」「寄席」「産後の骨盤ケア」
「抱っこフラダンス」とかユニークなものが多いですが、
これは自分の趣味に近いものを、みんなと一緒に楽しみながらやるものです。
当日の運営は提案者に任せていますが、とても人気があり、
申し込み開始1分で定員になるものもあるのです。
矢島: そのあたりも、市民の参加性の仕組みがよくできていますね。
色部: 市民ワークショップはとても良かったなと思います。
やってくださる方のモチベーションにもなりますし、
これだけ多彩で魅力的なプログラムを、スタッフだけではできません。
ボランティアのみなさんのおかげです。
矢島: コパルのようなコモン的な場所があると、
ボランティアとか地域貢献という意識ではなく、
自分たちが楽しいことを率先して行う人たちが集まってくるのかもしれません。
コパルの誕生によって、山形に住んで良かった、
山形市民で良かったといった声もあがるのではないでしょうか。
そうしたシビックプライドの醸成にも貢献するような気がします。
色部: 確かに、そうした声はお聞きします。
本当にその方の人生にとっていいのかどうかわかりませんが、
山形に住むことの要因のひとつにコパルが入ると、とてもうれしいです。
矢島: PFIを使ったことで、公共サービスのクオリティが
上がったといえるのでしょうか?
色部: PFI事業に関して、設計・建設・運営・維持管理など、
さまざまな業種やジャンルの方々の視察が月100件超あったことなどからも、
個人的には明らかに高まったと実感していますが、
公共サービスの質とは何かにもよるので、ひと言で言うのは難しいですね。
矢島: 市民にとって、コパルは公共施設と認識されているのでしょうか?
それとも民間の施設なのでしょうか?
色部: どうなのでしょうか。両方のいいとこ取りをしていますので、
やはり中間のような気がします。市全体の計画のなかで位置づけられ、
15年間の運営が保証されていることで、大きな安心感があります。
公共の土台があって、その上に、民間の新しい発想、見たことのない建築物、
時代の求めに応じた理念(インクルーシブ)がのった、
本当に「準公共」の位置づけにあるといえるものなのです。
矢島: ですので、この連載の1回目に登場いただいたのです。
コパルがひとつの準公共のモデルとして、今後各地に広がっていくと思っています。
今日はどうもありがとうございました。
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「準公共」という言葉は、デジタル庁ができた際に、最もデジタルが必要な領域、
つまり医療・教育・防災分野などを総称する名称として使っていたのを見て知った。
「公」と「民」、パブリックとプライベートのふたつの輪が重なる
「コモンズ的な領域」を「準公共(セミパブリック)」と位置づけ、
公民連携や市民共創など新しい価値を生み出すプロジェクトに
スポットをあてたいと考えた。
そのプロジェクトは、誰が発意者で、どんな構想を掲げ、どうやって実現させ、
どんな仕事が生まれ、どういった働きがいが見つかり、
どうして地域に根づいたかを、この連載では探っていく。
コパルはグッドデザイン賞だけでなく、日本建築学会賞も受賞するなど、
これまで目にしたことのない斬新で美しいデザインだ。
設計した〈o+h〉の代表作だが、現地を訪問し、単に「建造物」としての設計のみならず、
「山形発展計画」そのものを具体的な形にリアライズし、
インクルーシブという理念のもと「すべてが公園のような建築」を
見事に可視化したものだと認識した。
それは当然、o+hだけでなく、
山形市及び特別目的会社の関係者が当事者意識を持って一体となり、
本質的な意味でのPFI方式のスキームや、特別目的会社の座組と推進体制、
創造会議などによる合意形成の仕方などがあったからだろう。
さらに、今回お話を聞いた色部館長の寛容さと闊達さ、
理念に共感するスタッフやボランティア、そしてコパルを日常生活のなかで
使いこなしている山形市民の創意が、準公共を育んでいると感じられる事例だった。
information
山形市南部児童遊戯施設
シェルターインクルーシブプレイス コパル
住所:山形県山形市大字片谷地580-1
TEL:023-676-9876
開館時間:9:00~18:00(屋外施設は10月~3月は16:00まで)
休館日:第2・4火曜(祝日の場合は翌日)、元日
料金:無料
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