連載
posted:2023.8.31 from:大阪府大東市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
従来の官と民の境界が曖昧となり、新しい「公」のあり方に注目が集まっています。
コモンズ、官民連携、PPP、PFI、ゆるやかな公共など、
それらを仮に「準公共(セミパブリック)」と名づけ、先行事例を紹介。
そこで働く人・暮らす人のスタイルや事業モデルなど、新しい価値観を探っていきます。
この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。
第2回は、大阪府大東市にある市営住宅の建て替えを、
民間主導の公民連携型で進めた国内初のプロジェクト〈morineki〉。
2022年度グッドデザインを受賞したこのプロジェクトを手がけた
大東公民連携まちづくり事業株式会社(現〈株式会社コーミン〉)の入江智子さんと、
グランドデザイン設定から建築デザインまでを担った
〈株式会社ブルースタジオ〉の大島芳彦さんのふたりに話を聞いた。
morinekiのある大東市は、大阪市の東に位置する人口約12万人のまち。
JR学研都市線四条畷駅から徒歩5分、生駒山系の自然と清流に守られたエリアに
2021年3月にできた、まさに「準公共」と呼べるプロジェクトだ。
古いまちを、デザインによってどのように市民のための新しい居場所に変えたかを探る。
矢島進二(以下、矢島): 〈morineki〉は、
多々ある公民連携プロジェクトのなかでも、
独自で新規性のあるスキームによって実現したと思いますが、
なぜ実現できたかをお聞きします。まず最初にプロジェクトの概要を教えてください。
入江智子(以下、入江): morinekiをひと言でいうと、大阪府大東市による
「市営住宅の建て替えを民間主導の公民連携型で進めた国内初のプロジェクト」です。
市と民間が連携してPPP*手法を用いて、
古い市営住宅があった約1ヘクタールの市有地を、
民間賃貸住宅、オフィス、商業施設や芝生の都市公園などにつくりかえ、
賑わいの場を創出し、地域全体のリノベーションの起点となるプロジェクトです。
市民にとって、ちょっと自慢ができる風景をデザインすることで、
市にも土地の賃貸料収入や固定資産税などが新たに入り、
地価も上がり、人口減少の歯止めにもなっています。
矢島: 入江さんは市役所職員でしたが、
このプロジェクトを実現させるために退職され、
まちづくりのための会社に移籍したと聞きます。
当時はどんな部署にいて、なぜこのプロジェクトはスタートしたのですか?
入江: 私は兵庫県宝塚市の出身で、京都工芸繊維大学を卒業後、
大東市役所に入庁し、建築技師として市営住宅や学校などの営繕を担当していました。
市営住宅の建て替え担当者は、交付金を使い
ごく普通のマンション形式にするのが通常の業務だったのですが、
「本当にこのやり方でいいのか?」といった課題意識をずっと抱いていて、
何か違う手法を探していました。
市営住宅の建て替えは、国交省による交付金制度できっちり固まっています。
morinekiのような面倒な手続きをしなくても、
粛々と建て替えができるシステムが用意されているのです。
ですがそれでは「どこにでもある市営住宅」しかできません。
そうしたなか、市長がまちづくり専門家の木下斉さんの講演会に行き、
岩手県紫波町での、国の補助金に頼らない公民連携の成功例
〈オガールプロジェクト〉を知ったのです。
折しも第2次安倍政権によって「まち・ひと・しごと創生本部」が内閣に設置され、
地方も自ら人の流れをつくり、稼ぐことが求められていました。
大東市は、創生総合戦略に
1.市民や民間を主役に据える、
2.大阪市にはなく大東市にあるものを磨く、
というふたつの政策的な視点を掲げ、その実行部隊として、
市役所に「地方創生局」を新設しました。
その局長が、木下さんらが始動した「公民連携プロフェッショナルスクール」
(現・都市経営プロフェッショナルスクール)の1期生として
参加したのが大きな起点です。
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矢島: その後すぐに、入江さんはお子さんと一緒に
紫波町に移り住んだのでしたよね。
入江: はい。2016年春から夫を残してオガールに赴任し、
オガール代表の岡崎正信さんのもとで9か月間、研修を受けました。
morinekiは、当初からオガールをモデルにすると決めていたので、
PPPのスキームなどを、現地でじっくり学びました。
その間に、オガールで成果をあげた「デザイン会議」設置や、
「公民連携基本計画」策定などのプロセスをトレースしていきました。
そして、大東市版「公民連携基本計画」の作成に着手し、
「デザイン会議」を開き、大島さんにも参加してもらいました。
矢島: 大島さんが大東市に初めて来たときの印象はどうでしたか。
大島芳彦(以下、大島): 市営住宅を見に来たら、想像以上に老朽化が進み、
明るい雰囲気はなく、どうしようかとかなり悩みました。
周辺にある高齢者施設や青少年センターなども、
どれも半世紀ぐらい経った施設で、手を入れないといけないものが多く、
これはチャレンジングなプロジェクトになると思いました。
矢島: 大島さんは、このプロジェクトで
ディレクション担当になるのでしょうが、
どういう立場でどんな役割で関わったのですか。
大島: 私はまず「リノベーションまちづくり」の専門家として呼ばれました。
すてきなデザインの建物を考える前に、
対象地のある「北条エリア」のグランドデザイン、
エリアビジョンの構築に取り組んだのです。
この地域にどれだけ潜在的な魅力があるのかを検証し、炙り出し、再編集する。
そしてその仮説とも言えるエリアビジョンをもとに
市民の方々と「デザイン会議」を通じた意見交換をする。
その後、市民のみならず民間企業の共感をも促す
「北条の樹」というまちづくりのコアとなるビジョンを完成させました。
これはプロジェクトの初期段階で多くの人を巻き込むための
キッカケとなることを意図したものです。
実際にまちをくまなく歩き、宝物を発掘し、歴史や文化、自然環境も含めた
さまざまな文脈からこの地だけのストーリーをつくっていきました。
その後、入江さんらがこのビジョンをもとに始めた
パートナー候補企業へのコンタクトや事業計画を積み立てている間、
僕らはいったん現場を離れ、具体的な事業決定の段階になってから再召集され、
建築設計やランドスケープのデザインを開始しました。
その段階ではすでに入居するテナント(パートナー企業)は確定しており、
目指すべきビジョンを共有する彼らの意見をとり入れながらの設計でしたので、
竣工後の運営イメージも具体的に議論するような
有益なコミュニケーションができました。
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矢島: 大東市は昭和47年と50年に水害に襲われ、水害対策が優先され、
平成のはじめには「赤字日本一」になってしまい、まちづくりが遅れたと聞きます。
そうしたなかで、このデザイン会議は、どのように進めていったのですか。
大島: デザイン会議のあり方はさまざまだと思いますが、
僕たちは市民の意見をただうかがうというより、専門家として仮説を立て、
それを市民に提示し、これを活発な議論を生むためのきっかけとする。
そんな手法をとっています。
この手法はとても有効だと思っています。
多くの声、要望をまず集めてしまうとその答えは最大公約数的なものになってしまう。
僕らのような客観的な視点を持つ第三者がまず先行して
「こういうことではないでしょうか?」と仮説のストーリーを提示します。
当然反対意見も出るのですが、それがむしろ進歩的な議論のきっかけになるのです。
市民とのデザイン会議を単なる「ないものねだり」の
ヒアリングの場にしないということです。
この演繹的なアプローチは、民間のビジネスモデルデザインのやり方と一緒で、
まず多角的なリサーチを行ったうえで、
ビジョンやグランドデザインとして僕らなりの大胆な仮説を立て提案する。
それをもとに、クライアントや市民の活発なディスカッションを促す方法です。
矢島: 市長は反対などはしなかったのですか。
入江: 市長はすぐに「これはどこの行政でもやっていない
画期的なプロジェクトだ」と認識され、応援してくれました。
矢島: 実際にmorinekiは、国内初の
「民間主導の公民連携型で進めた市営住宅の建替」を実現しました。
大島: 市営住宅はセーフティーネットとしての側面が大きいので、
その計画を行ううえで極端に現実から乖離した理想的な住環境のあり方や、
抽象的な理念を掲げる機会は一般的に少ないものです。
単純に「建て替え」という目的だけなら、ここまでやる必要はなかったのですが、
この計画をきっかけにエリア全体の住環境としての魅力を向上していきたいという、
入江さんや市長の思いを受けて僕らは仕事をしました。
入江: 私も「まちづくりの視点」を入れたいと考えました。
例えば、家の前の庭にキレイな花を育てるなど、
入居者に当事者意識をもってもらうことで生活の質が上がっていきます。
そうした視点は、単なる「箱」をつくる交付金制度にはまったくありません。
ハード面でのバリアフリー対応は完璧なのですが、
自立支援などソフト面での取り組みはないんですね。
私たちはひとりひとりの住民が心身ともに元気になって、
周辺の住民にもそれが波及するような建て替えにしたかったのです。
大島: 市民とのデザイン会議で一番考えたことは、
「地域のプライド、シビックプライドをどう取り戻すか」でした。
どこの地方都市もそうですが「このまちには何もない」
「年寄りばかりで若者はみんな出ていってしまう」という感覚の人だらけでした。
会議を通じて地域の魅力を再認識し、暮らしている人たちが
みんなで一緒の未来を見られるようなエリアビジョンをつくる。
それが会議の目的でした。
調べてみると、大阪平野でも北条という地域は、
京橋から17分という都心からの交通の便の良さに加えて、
生駒山系の麓にあって自然環境が豊かなことはもちろんのこと、
この地域ならではの多くの魅力があることがわかってきました。
1000年以上前から人や物が行き交う東高野街道沿いの北条は、古くから農業が盛んで、
ここには「だんじり」などの豊かな文化が脈々と継承されていたり、
背後の飯盛山が戦国末期に畿内を平定した大名、三好長慶の居城だったりと、
大阪のほかの地域と比べても北条には誇るべき史実が多いことがわかったんです。
それらを2016年度に複数回開催された公開のデザイン会議で、
市民と共有していきました。
そして「大東市公民連携基本計画」を策定し、デザイン会議の成果物のひとつとして、
市営住宅の建て替えを機に「北条の樹」を生駒の山々に向かって育てていく、
という北条地域のエリアビジョンをつくりました。これがグランドデザインです。
morinekiの敷地は、すぐ背後の飯盛山を水源とする清らかな権現川に面しており、
さらにかつて鎌池という農業用水のため池だった場所でもあるので、
この辺りの農作物や人々の暮らしそのもののさまざまな“糧”を生み出す
源があった場所と言えます。なので、この場所を起点、つまり「根」として、
飯盛山に向かって幹・枝を育て、その先には暮らしの花を咲かせ、
果実も実らせるような樹を育てようというのが「北条の樹」のコンセプトです。
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矢島: ちょうど2017年1月にNHKの番組
『プロフェッショナル仕事の流儀』に大島さんが出演され、
最新の取り組み事例として、北条まちづくりプロジェクトの経過が紹介されましたね。
入江: 子育て中のママたちをターゲットとしたアパレルメーカーの
〈ノースオブジェクト〉社の社員のひとりが、
その番組で映ったスケッチが気になり、連絡をくれたのです。
社長に何度もお会いして、このプロジェクトのほかにはない魅力を伝えました。
その結果、大阪の繁華街にあった本社を移転し、
ここのキーテナントになってくれたのです。
大島: 彼らは一緒にまちをつくる仲間になりたいと参加してくれました。
私たちは“リーシング”でなくて、事業に対する“ビジネスパートナー”を
先行して探していたので、本当に幸運でした。
これがハコモノ先行ではないグランドデザイン先行の効果なのです。
ビジネスパートナーをはじめとした共感の輪を培うビジョンや理念が大事なのです。
矢島: その後すぐに、入江さんは市役所を退職され、
大東公民連携まちづくり事業株式会社(現・株式会社コーミン)に出向したのですね。
入江: はい。正確には「公益的法人等への
一般職の地方公務員の派遣等に関する法律」というのがあり、
それに則り「退職派遣」ということになります。
株式会社コーミンは市も出資する第三セクターで、
私は「公民連携エージェント」になったのです。
その間お給料などは市からは出ませんが、
3年を限度にまた市役所に戻ることができます。
矢島: その法律は2000年にできたもので、
準公共を広げる「手段」にもなるかもしれません。
入江さんは1年半を残して完全に市役所を退職しました。
そうしなければならなかったのですか?
入江: 地元の人たちの覚悟を思ってのことでしたが、
みんなが私のように市役所を辞める必要はありません。
中にいてもできることは多々ありますし、
私が辞めたからできたものでもないと思います。さまざまな制度を使い、
市とエージェントがチームとなって取り組むことが大事だと思います。
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大島: morinekiは、市営住宅の建て替え、都市公園の整備に加えて
民間企業向けの賃貸建物の開発が一体化したもので、
一般的には個々に扱われるプロジェクトになるのですが、
それらを「北条の樹」という同じビジョンの上で相乗効果を期待しながら
同時に進めることで、まちを変えていく契機にしたかったのです。
多くの人が関われる状況をデザインし、周辺に連鎖反応を起こさないといけない。
そんな環境づくりにはデザイナーや事業主だけでは限界があります。
住んでいる人、お店を営んでいる人、そこを訪れる人などが、
自分たちでまちの当事者として能動的に行動を起こしたり、
お互いに影響を与え合っていかないと、まちは変わりません。
矢島: そのために大島さんが考えたキーワードが「曖昧な境界」ですね。
これを説明してください。
大島: そういった環境づくりの大前提が「境界を曖昧にする」ことです。
明確な境界線があってプライバシーやそれぞれの権利を優先してしまったら、
相互の居場所はほかの人にとって侵食してはならない場所になってしまいます。
お互いの居場所の一部がコミュニケーションを目的として
誰もが参加できる場所だと認識してもらうためには、「曖昧な境界」が必要なんです。
都市公園と市営住宅、商業・事務所などのテナントの敷地の境を曖昧にしたことで、
公園に散歩に来た人が、入居者と気軽に会話を交わすような風景を
日常的につくろうとしました。
事務所なのか店舗なのか、また市営住宅は住民同士の暮らしの領域も曖昧です。
物理的なものだけでなく、機能の境界も曖昧にしています。
1住戸の中の「パブリックとプライベートの境界」も曖昧にしています。
それぞれの住戸専有部分には玄関先と一体の土間とたたきがあって、
そこには個別のベンチがあって、前庭があって、公園につながっています。
お隣同士も緩やかにつながっています。
立ち話で終わらず、少しだけ座って話をするような。
また、玄関を「引き戸」にしました。
引き戸の良さは「開けっぱなし」にできること。
風の通りもいいですし、声も聞こえるので、お互いの存在を感じ合えるのです。
大阪の古い長屋の玄関はそもそも引き戸ですから、
ご高齢の方にとっては身近なイメージのはずです。
プライバシーやセキュリティも重要ですが、他者との関係性をつくるための
「きっかけとなる装置」が引き戸や軒先のベンチなのです。
入江: 最初は引き戸に抵抗があった方もいましたが、慣れていきました。
全部で74戸あるのですが、ひとり世帯が44戸と多いので、
お互いを見守る役目も果たしています。
遮光カーテンをかけた部屋では、それが開いたら元気に起きているサインにもなり、
ずっと閉まったままだと、私に連絡が入るようになっています。
大島: お互いが暮らしの気配を感じることが、一番のミソだと思うのです。
昔の長屋の玄関引き戸には型ガラスなどが入っていたのですが、
それも内と外の気配を感じ合うための機能を果たしていたんだと思います。
矢島: さきほど部屋を見せてもらったときに、1階にいたおばあちゃんが
「見学料をちょうだい」と冗談を言ってくれるのは、
それだけ他者(社会)との接点が近く、日常生活の一部になっているのですね。
大島: 同じようなことを民間の共同住宅で実践し、コミュニティ形成上、
極めて良い効果を生んでいる実績を私たちは数多く持っていました。
ただし、高齢者が大多数の公営住宅建て替えでの実践は初めてでしたので、
そもそも積極的なコミュニケーションなど期待していない人が入居するのであって、
これがうまくいくかどうかはあくまで定性的な仮説でした。
大阪のお年寄りのかつての長屋の良い関係性の記憶に賭けたわけです。
矢島: 今後は昔の長屋を知らない次の世代に入れ替わっていく際に、
抵抗感はでませんかね。
入江: 図面だけしか見ていなかった人の中には
「うえー」と思われる方もいるようです。
ですが、住んでしまえば「そういうもんだ」と思うのでしょうし、
いったん、コミュニケーションをとるカルチャーが根づけば問題はないでしょう。
矢島: このプロジェクトができたことで、変化したことはほかにありますか。
大島: 今日はなんでもない平日の昼ですが、
この賑わっているレストランの風景や、
当たり前のように外でベビーカーを押して時間を過ごしている家族の姿などは、
morinekiができる前は、地域の多くの人にとって“ありえない景色”でした。
当然エリアのグランドデザインとして計画初期に仮説を立てたわけですから
期待はしていましたが、いまの状況はその想像を遥かに超える状況が誕生しています。
こうした幸せそうなファミリーが広場に集うシーンは、
いろいろなプロジェクトの計画時のプレゼンテーションのスケッチや
CGで見かけますが、morinekiでは本当にそのシーンが実現した感じです。
矢島: ここができたので、引っ越してくる方が
増えたということはあるのでしょうか?
入江: 明らかに地価が上がりました。そして、戸建ての建て替えが増えたり、
小学生の人数の下げ止まり、未就学児が回復したと聞きます。
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矢島: 最後にこのプロジェクトの今後の展開をお聞かせください。
入江: いろんなイベントをやっていきますし、
マウンテンバイクのコースをつくったり、
ほかの市営住宅のリノベーション計画もあります。
民間でもブックカフェの計画があったり、少しずつですが、まちが変わってきています。
「北条の樹」の絵のような芽が出てきた状態になりそうです。
矢島: そして住民のみなさんが、このまちを良くしよう、
それに直接関与していこうと機運がでるといいですね。
大島: エリアのグランドデザイン、エリアビジョンとは
最初から全部を決めてしまうマスタープランとは違います。
ハコから仕組みからすべてを事前に決めてしまうと、意識を持った人たちも、
それを「消費する人」に陥ってしまうことが多いのです。
「消費者」ではなく、「当事者」になってもらいたいので、
ビジョンにも曖昧さが必要なのです。
解釈の幅、余白を持せておくと、同じ目的を共有しながらも
参加する人々は自分なりにそのビジョンを発展させられるので、
当事者性や能動性を生むのです。クリアーなビジョンで、
やわらかさを持ったグランドデザインを発展させていってもらうために。
矢島: 各地の行政に「公民連携室」が増えていますが、どう思いますか。
大島: かたちばかりでなく、実行のための制度的なものも覆さないと
いい成果を生み出せないのではないでしょうか。
旧来の契約や発注の仕方なども障壁になるので、それを超える必要があります。
入江: morinekiは発注方法を工夫したので、実現したのです。
いまの時代、行政も発注方法の限界に挑まないと、画期的なものは生まれません。
行政は「何のために?」を常に考えていく必要があります。
入居者の生活の質を上げるとか、市民の良質な財産を構築するとか。
それを実現するにはどんな「手段」がいいのかを考え、
今回はPPP、公民連携、エージェント方式を選びました。
市役所のほかの部署でも「まずは公民連携で考えてみよう」という思考が出てきたのも、
morinekiの効用かと思います。
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入江さんの著作『公民連携エージェント』には以下のような記述がある。
自治体職員は、自らは『稼ぐ才能がない』ことを自覚して、
やりたいことをやってしまわないようにまずは気をつけなけばなりません。
そして外注主義をやめ、自らの足でまちへ出て民間の言語を習得し、
『やりたいこと』のある良い民間と出会い、
公にしかできない『やるべきこと』を見つけるのです。
入江さんは公務員だったが、高いクリエイティビティをお持ちの方だと
話を聞いてわかった。こうした格好いい方が、リーダーとなりさらに活躍されると、
公務員のイメージも変わるし、その地域もより良くなると強く感じた。
大島さんは、「公共」と言わず、「公」と「共」を分けたほうがいいと言う。
「公」というのは本当にオフィシャルなもので、民間は入れない。
「共」はコモン、パブリックなので、民間も担うことが可能なものだと。
「準公共」というのは、従来の「公共」ではなく、かなり曖昧なイメージがあるので、
線引をしたり定義をしないといけないものかと考えていた。
が、大島さんがmorinekiのキーワードにした「曖昧な境界」という言葉を聞き、
かえって曖昧な余白があったほうが、誰もが関与できるノリシロが生じ、
当事者意識が芽生えることになるのだと気づいた。
「準公共」という言葉もしばらくはゆるやかなままにしておこうと思った。
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