連載
posted:2021.10.14 from:宮崎県日南市 genre:旅行 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Junzo Onitsuka
鬼束準三
おにつか・じゅんぞう●PAAK DESIGN株式会社代表取締役。1983年宮崎県日南市生まれ。大学進学とともに東京に移住し、大学院、設計事務所を経て、独立したのち、Uターンで故郷に帰る。商店街活性化のための取り組みをしていた〈油津応援団〉を経て、2017年、日南市の飫肥城下町にある建築デザイン事務所〈PAAK DESIGN〉を設立。地域資源を生かした循環型の仕組みをつくることを常日頃考えている。自転車いじりとコーラづくりが趣味。
https://paak-design.co.jp/
credit
写真提供:ワタナベカズヒコ Kiraku Japan合同会社 パークデザイン株式会社
宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。
今回は、日南市飫肥(おび)城下町にある古い屋敷を復元改修した
お食事処〈武家屋敷 伊東邸〉がテーマです。
始まりは、日南市役所に呼ばれたところからでした。
打ち合わせ場所にいたのは、日南市のすべての文化財を管理する
文化財担当課の方々とクライアントさん。
「古民家再生の設計をお願いしたい」とのことでした。
対象物件があるのは、飫肥地区の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたエリア。
この文化的景観を守るため、市の条例や、文化庁の指導のもとに
改修を行わないといけないエリアです。その代わり、ルールに基づいた改修を行えば、
文化庁から改修費の一部に補助がもらえるというもので、
打ち合わせでは、条例や手続きなどについてお話をうかがいました。
クライアントさんは本田清大さんといい、実は中学の同級生。
彼は、私より少し早くUターンで日南に戻り、
家業である鰻屋さんと観光バスの運営をする会社を継ぐために働いていましたが、
このプロジェクトは「家業だけでなく、自分でも新しくリスクを背負って
歴史的な風景を守り、まちづくりに寄与していきたい」という想いで始めたそうです。
物件があるのは、歴史的な景観が残る飫肥城下町。
江戸時代から約300年間、飫肥藩伊東家5万1千石の城下町として栄えたまちです。
飫肥城跡を中心に建ち並ぶ武家屋敷と風格ある武家門、
飫肥石でつくられた石垣などで形成される美しいまち並みが保存されていて、
1977年には九州初の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
地域の住民と行政が一体となり保存活動が進められ、先人たちの活動のおかげで、
全国でも有数の武家屋敷群が、非常に美しい状態で保存されています。
最近では宿泊客が減り、日帰り観光客が増え、ひとり当たりの地域消費額は2000円弱。
ランチをして、資料館など施設の入館料を払うか、お土産を買って帰るかという内容。
観光客自体も年々減っている状況でした。
そんな状況を少しでも改善させるため、
2015年に行政が飫肥のまち専属のまち並み再生コーディネーター事業を行い、
タウンマネージャーのような役目をひとりの民間人に託しました。
さらには日帰り観光が多い現状を変えつつ、
少しでも多くの消費を促し、よりいまの観光ニーズに合わせるため、
武家屋敷を改修した一棟貸しスタイルのふたつの宿泊施設〈季楽〉 がオープンし、
滞在型の観光となることを目指しました。
その宿泊施設がオープンし、新しくまちが変わっていく気運のなか、
私が初めて取り組むことになる古民家再生リノベーション、
〈武家屋敷 伊東邸〉の設計が始まりました。
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いよいよ設計に着手していきます。
とはいえ、明治時代の建物で、図面の類は一切なく、
元家主が描いたであろう間取り図が1枚あったのみ。
現状の図面を描くことから始まりました。
現場は壁や屋根まで植物が登っているところもあり、
採寸することが困難なほど荒れた状態。毎回、草刈りから始まります。
敷地全体の草を刈り、外形の寸法から、柱や梁の長さ、
断面の寸法まで取りこぼしがないよう調査していきました。
採寸などの調査をしていると、昭和の時代にやったであろう、
家族や生活様式の変化に合わせるための増築や改築の跡が見られ、
屋根の下地材を支える桁(けた)には茅葺き屋根がかかっていた跡も見つかりました。
市の担当者に報告したところ、
「できるだけ以前の状態まで戻してほしい」とのこと。
ここで、ふと「何を基準に以前なのか」
「いつを基準に歴史的な風景なのか」と疑問に思い始めました。
どこまで歴史をさかのぼって残すのか。
元の状態だった茅葺き屋根にしたり、伝統的な工法でやったり、
柱梁の材料も既存のものを積極的に再利用したりと、
戻せることなら建築当初の姿まで戻したい思いがありました。
しかし、今回の物件では、建築基準法の壁が立ちはだかり、
いずれも実現することができませんでした。
茅葺き屋根は、物件がある地域が準防火地域で、
不燃の材料で屋根を覆う必要があり、断念。
工法や材料についても、現在の耐震基準を満たすことはできませんでした。
それでも、茅葺き屋根が将来実現できることを想定した下地を敷き、
屋根や全体の構造も茅葺きにした際の強度を確保した設計をし、
未来に託すことにしました。
昭和につけ加えられたアルミサッシや、セメント瓦、
現代の生活様式に無理矢理合わせた水回りやトタン製の外壁など、
無秩序に足されていった歴史的ではないと判断されるパーツをひとつずつ剥がしていき、
アルミサッシは木製の建具に、セメント瓦は日本瓦仕様の飫肥瓦に、
トタン製の外壁は飫肥杉張りに変更。
できるだけ当時も使用されていた素材を採用し、
畳間の寸法、材料の厚みやサイズなど、現代の法律をクリアできる範囲で
当時の様子を残すよう心がけました。
内装についても、できるだけ歴史のかけらや伝統的な様式を感じられるよう、
鴨居の高さは昔のままに、以前に茅葺き屋根だった様子が伝わるように、
天井は張らず、屋根の下地がすべて見えるようにしました。
床には、素材として不向きながらも、武家屋敷の板間に使われていた
地元産・飫肥杉の板材を張りました。
そうすることで、当時の様子を感じてもらうとともに、
地域の風土も感じてもらえるはずです。
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外装の復元改修と飲食店としての内装工事も終え、
いよいよお客さんを受け入れる準備ができました。
上棟式には、何ができるのかと楽しみにする近隣の方々が集まり、
オープン前のお披露目会にも、このプロジェクトの関係者や
これから関わる方々が多く集まり、祝福してくれました。
2018年4月、まちの期待を背負った〈武家屋敷 伊東邸〉は無事にオープンを迎え、
飫肥城下町の新たな観光スポットとして、生まれ変わりました。
当初は観光客だけを想定していましたが、
飫肥城下町やこの復元された武家屋敷を自慢げに案内する
地元の方に連れられた友だちグループや、
親戚一同で食事をする地域の方々もよく見かけます。
こうして、地元の人にとっても、県外から訪れた観光客にとっても、
居心地のいい場として親しまれる新たな飫肥の観光スポットとなりました。
次回は、油津商店街にオープンした〈ADDress〉の日南拠点についてご紹介します。
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