連載
posted:2021.11.1 from:埼玉県草加市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Kazuhiro Hakuta
白田和裕
はくた・かずひろ●1981年埼玉県草加市出身。熊谷にて〈設計事務所ハクワークス〉〈まちづくり団体A.A.O〉、草加にて〈キッチンスタジオアオイエ〉で活動中。大学卒業後、ドイツ・ケルンの設計事務所にて研修し、古いものを生かしたリノベーションの虜に。2016年よりハクワークスとして独立。「空き家にチャンスを。空き家でチャンスを」をテーマに活動中。空き家をシェアキッチン〈デンクマル〉に、空きビルをシェアカフェ〈シェアカフェ★エイエイオー〉に、空きビルの区画をシェアサロン〈みかんビル〉にするなど、“空き家を開き屋“に。建築士が空き家を妄想する不動産サイト『空き家妄想バンク』も展開。まちの旗振り役として地域を巻き込み、“ おもしろい妄想”を繰り広げる。
https://www.denkmal.work/hakuworks
埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。
そもそもなぜ白田さんは、建築家でありながら、
空き家を使った場の運営までも行っているのでしょうか。
今回はエピソードゼロ。きっかけは、白田さんの地元・埼玉県草加市で実施された、
まちづくりのイベントにありました。
10年前、出産をきっかけに、奥さんの実家である熊谷へ引っ越してきました。
そのときの印象は
「まち並みはきれいに整っている。なのに、人がいない」ということでした。
熊谷の中心市街地にある星川通りは、終戦の前日に空襲を受けました。
終戦後、まちが再編されて、川と通りが直線的に抜ける、
緑豊かな、いまで言う“インスタ映え”抜群なロケーションに。
ただ、その後の社会の変化で、星川付近の商店街は元気を失っていきました。
ふわっと建築に携わる者として、大学でもなじみのあったまちづくり。
「この星川を元気にしたい」となんとなく思ったのですが、すぐ壁にぶつかります。
「まちづくりって、どうやるねん」
モヤモヤを抱えながら、時間は経っていきます。
そんなある日、日本全国のまちづくり事例を調べていくなかで、驚きの発見が。
「え! 地元の草加でまちづくりやってんじゃん!
しかも、テーマがリノベーション!!」
草加市主催で、「リノベーションまちづくり@そうか」という
イベントが行われていたのです。
実際の空き家を利用して、地域課題解決も含めた事業をつくり上げる
民間応援型のイベント。前段の説明会では、佐賀でまちづくりを行う方の講演が行われ、
「こんな方法があるのか!」と心打たれて、すぐに参加の申し込みをしました。
残念ながら、子どもの運動会の日程と被っていましたが、
どうにか奥さんの了承を得て、いざ参加へ。
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2017年9月、3日間にわたって開催された
「第2回リノベーションスクール@そうか」。
プロジェクトの題材になったのは、
草加駅前にある4世帯分の2階建て、木造風呂なし賃貸アパート。
当時築52年で、10年近く空き家の状態でした。
こちらを対象物件として、10人で構成されたユニットで
近隣のエリアに変化をもたらす事業提案に取り組みます。
草加市は東京に隣接する、人口約25万人のまち。
高度経済成長期に、一気にベッドタウンとして宅地開発が進みました。
都心までの利便性から、マンションが次々に建ち並び、急速に都市化が進んだまちです。
その流れに沿うように、僕の両親も家を購入しつつ
都内に勤めるために、墨田区から草加へ移住してきました。
つまり僕はベッドタウンベイビー。そこであらためて考えてみると、
自分は草加についてあまり知らないことに気がつきます。
そんな地元愛とは程遠い自分が
「草加で暮らすとしたら、どんな場所がほしいか」と、
意見を出していくことになりました。
ディスカッションでは、まず草加の問題点が挙げられました。
・人口は増加している稀有なまち。
ただ、地域文化である御神輿の担ぎ手は常に不足している。
・引っ越してくる人はまちを知らず、仕事と家の往復ばかり。
マンションからまちに降りてこない。
そんな問題に対して、僕らが提案した事業は、
「地域コミュニティが弱体化する草加で、
昔から住む人も、新しく引っ越してきた人も、
食を通じてつながる地域の食卓のような場所」
その名も〈キッチンスタジオ アオイエ〉。
真っ青なアパートをそのまま屋号にしました。
コミュニティを育む料理教室を軸とした、新たな場づくりが始まります。
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物件は木造2階建てアパートで、各階は2部屋ずつという構成。
各階の壁を取り除き、大きなワンフロアで
吹き抜けのあるキッチンスタジオへと改修しました。
その際、一部の違法な部分を適法化にしたり、
断熱性能や耐震性の向上も同時に行いました。
自分たちで塗装するなど予算を抑えながら、
ときには大家さんにも手伝っていただき工事を進めていきます。
そのほか、菓子製造の保健所許可を取得し、
シェアキッチンとしての機能ものちに追加しました。
アオイエの隣には再建築不可の土地があり、そこに畑をつくることに。
料理教室では、畑で採った野菜を使って料理しようと考えてのことでした。
食をきっかけに人と人がつながり、コミュニティを育む料理教室。
大きな特徴として、地元飲食店のシェフや店主が
料理教室の講師を務めるスタイルを考えました。
そうすることで、さらに人とまちとがつながっていきます。
リノベーションスクールを発端に、運営会社として〈株式会社アオイエ〉を立ち上げ、
企画から、集客、運営までを自社で行っていきました。
開催したのは、以下のような企画。
食をエンターテイメント化した料理教室を目指しました。
・親子で参加できるパン教室
・忙しいママのための常備菜講座
・母の日に贈る、子どもとパパの料理教室
・家ではできない流しそうめん
・スパイスをシェアするカレー部
2時間調理して、1時間ごはんを食べる。
こうして同じ目的を持って時間を共有することで、
参加者同士が仲良くなり、また飲食店のシェフとも親交が深まり、
その飲食店の常連になっていくこともありました。
次第に人と人がつながり、人とまちがつながっていく感触をつかみ始めていきます。
SNSグループができたり、厚意でお酒を持参してくれる人がいたり、
開催を楽しみにしてくれる方々が増えてきて、
「久しぶり」「おかえり」など、声をかけ合う教室になってきました。
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参加者さんの意見をきっかけに、イベントが行われることもありました。
例えば、「47都道府県のおいしい郷土料理を食べたい」という声。
参加者の中から地方出身の方に想いを伝え、
郷土料理をつくってもらう会が始まりました。
山形の芋煮会、高知のかつおを食べる会、
佐渡寒ブリを食べる会、淡路島の玉ねぎと桜鯛を食べる会など、
草加で地域の習慣を学びながら“旬”を味わいました。
地酒を用意することも多く、ほぼ飲み会です。
アオイエをきっかけにして、同郷の方々同士が出会うことができたり、
多様な年代、性別の方が悩みを相談し合ったりする姿が見られました。
企画の内容がおもしろいだけでなく、
家庭とは別の居場所として人が集まっているように感じました。
「子育てが終わったら、次は介護。悩み事は尽きないから、楽に行こう!」
と、乾杯したときは大笑いしました。
子育て、老後、会社、介護など、みんなたくさんのことを抱えていますが、
聞いてもらえる環境や、笑い飛ばしてくれる場所があって救われることもある。
「アオイエができて、草加が楽しくなりました!」と言われ、
「やってよかった」と、僕も救われることがありました。
僕自身、草加に愛着はありませんでした。
というのも、両親が都内で勤めるために草加に移住してきたという経緯。
両親は草加について知らず、そんな両親から草加について学ぶことはありませんでした。
ベッドタウンにおいて、僕と同じようなケースは
案外よくあることかもしれないなと思うのです。
しかし、この歳になって振り返れば、僕にとって草加は紛れもない地元であり、
そこにはまだ家族が住んでいます。
現在、母は草加でひとり暮らし。
家族だけでは面倒をみきれない場合、コミュニティがあるまちでは、
何かあったときでも他人と寄り添って暮らすことが可能で、
それって幸せなことなんだろうなと思います。
コロナ禍で、料理教室はクローズとなっていますが、
また「おかえり」と会えることを楽しみにしています。
“まちづくり”といって、始まったアオイエ。
結果的に、人とのつながりを生む小さなきっかけの連鎖が起きていると感じています。
「みんなで食べるとおいしいね」といった
小さなきっかけをたくさんつくっていくことで、まちが豊かになる。
そんなお話でした。
次回は熊谷に戻って、中心市街地の空き商店を複合施設にリノベーションした事例。
草加での実戦から学んだことを生かし、同時並行で熊谷でのアクションが始まります。
乞うご期待!
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