連載
posted:2021.12.1 from:埼玉県熊谷市 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Kazuhiro Hakuta
白田和裕
はくた・かずひろ●1981年埼玉県草加市出身。熊谷にて〈設計事務所ハクワークス〉〈まちづくり団体A.A.O〉、草加にて〈キッチンスタジオアオイエ〉で活動中。大学卒業後、ドイツ・ケルンの設計事務所にて研修し、古いものを生かしたリノベーションの虜に。2016年よりハクワークスとして独立。「空き家にチャンスを。空き家でチャンスを」をテーマに活動中。空き家をシェアキッチン〈デンクマル〉に、空きビルをシェアカフェ〈シェアカフェ★エイエイオー〉に、空きビルの区画をシェアサロン〈みかんビル〉にするなど、“空き家を開き屋“に。建築士が空き家を妄想する不動産サイト『空き家妄想バンク』も展開。まちの旗振り役として地域を巻き込み、“ おもしろい妄想”を繰り広げる。
https://www.denkmal.work/hakuworks
埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。
今回のテーマは、熊谷市の中心市街地、星川エリアの再生を目指して生まれた拠点
〈原口商店★エイエイオー〉。
まちの人がチャレンジできる場を目指し、
シャッターが閉じられていた酒屋を地域のレンタルスペースへ。
今回はその誕生のプロセスからオープンまでを振り返っていきます。
いまから書く話は20年後にもつながり、
将来的にいまの子どもたちに「熊谷っていいね!」と
読み返してもらえることを期待しています。
20年後、子どもたちが大学を卒業する頃に、
地元・熊谷も住むまち、働くまちの選択肢のひとつとなりますように。
前回書いたように、10年前に出産を機に妻の地元である熊谷に越してきました。
当時、整然とした見事な風景にもかかわらず人がいない状況を見て驚き、
どうにかできないかと思っていた矢先に、
地元・草加市のリノベーションまちづくりイベントを知り、
草加市にてキッチンスタジオ〈アオイエ〉を設立。
そこを運営しながら同時に熊谷でも空き家を利用して、
地域がちょっと元気になるようなアクションができればと考えていました。
とはいえ、仲間がいませんでした。
まずは、興味のありそうな人に猛烈にアタックを開始。
リアクションがよかったのは、僕も所属している
建築士事務所協会熊谷支部にいる同年代の3人でした。
3人とも熊谷に個人の設計事務所を開設していて、
やはり建築と近しいまちづくりには興味があったようです。
さらに驚いたのは、3人中、ふたりが僕と同様に、
嫁が熊谷出身で子育てのために移住した建築士でした。
千葉、長野から来て、「星川の哀愁をどうにかできないか」という
感想を持っていたのです。
この3人に「胸が熱いぞ!熊谷」という題名の
プレゼン資料80枚でアタックし、話が進みます。
ただ、定説では、まちづくりのチームには多様なキャラクターが求めらます。
さまざまなスキルを持ち寄って活動できるからだと思うのですが、
ここにいるのは僕を含めて同じ職種の4人。
果たしてプロジェクト「熊谷20年妄想。空き家を開き家に」はどうなるのか。
不安も含め、20年の旅路のスタートを切ります。
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まずは星川エリアで空き家を探します。なぜ、まず建物からなのか。
僕らは建築士として、空き家問題を意識していたのと、
職能を最大限に生かせると考えていたからです。
星川沿いの通りは熊谷駅から約10分の距離で、
鎌倉時代からの歴史の逸話があるほど、熊谷を長く見守ってきたシンボルロード。
戦後に整えられ、一時はスナックなど夜のネオンが輝き賑わう場所でした。
商業の中心であり、いまではビル型の空き店舗が目立つエリアです。
車社会などをきっかけに、中心がずれてしまった場所とも言えます。
出合ったのは、旧酒店である〈原口商店〉。
築40年の4階建てのビルで、星川の通りから1本外れた
角地にある最高のロケーションです。
昔は1階が卸酒屋、2階が事務所、3~4階は住居として利用されていました。
先代から息子さんに相続されていましたが、息子さんは埼玉県の別の市に移住しており、
週末にときどき掃除をしに帰ってくる程度。所有しているだけでもコストはかかるので、
維持するために入口を塞ぐほど自動販売機を並べて、
税金などの支払いに充てていました。
僕たちは「なんていうファサードなんだ……(萌)。
この角地を開けられて、人が集まる場所になったらいいな」なんて妄想していました。
オーナーの原口勇司さんは、実績もなくただただ怪しい僕たちを
受けて入れてくださり、感謝しかありません。
この空きビルを利用した事業計画とエリアのビジョンを組み立てて、
オーナーとの折衝が始まりました。
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僕らはユニット名を〈A.A.O〉と名づけました。
「エイエイオー!」からカッコつけたA.A.O(エーエーオー)へ。
僕らは本業もあり、自分たちで店をやったり新事業を立ち上げることは難しいので、
まちの応援団として、みんなが利用してくれる場づくりができればと思ったのです。
オーナーさんと話し合い、紆余曲折がありながら、以下のことが決まりました。
・入口を塞ぐ2台の自動販売機は撤去する
(その分の利益は、僕らからの家賃で補ってほしい)。
・工事にともなってオーナーの出資はなし。こちらで改装する。
ただし、将来の原状回復もなし。
・契約は不動産屋を通す。保険に入る。
そして、運営するなかでなにか問題が起きた場合は、A.A.Oが対応。
このような条件で、家賃4万円でお借りすることができました。
4人が月1万円払えばどうにかなる金額です。
無事に契約が終わり、僕たちでさらに工事費の35万円を出し合い、
DIYにて改装を完了させました。
作業中、同業者同士で細かい構造やデザインについて話し合うことも新鮮で、
同じ建築士であっても、キャラクターはそれぞれまったく違うのだと
理解できたこともまたよかったです。
工事を終えてなんとかオープン。〈原口商店★エイエイオー〉と名づけました。
何もないレンタルスペースで、誰もが気負わずチャレンジできて、
友だちと悪ふざけができる秘密基地のような場所。
自分たちがイベントで利用したり、そのまま貸出したりと、
まずは空き家を楽しんで使ってもらうところから始めました。
白い壁に床。家具もなし。
「え? どういうこと? なにもないの?」
という空間ですが、これはよく話した結果です。
いろいろな人に自由に使ってほしいという狙いがありました。
オープンは2017年7月20日、熊谷が毎年一番沸き立つ「うちわ祭り」の日。
国道を止めるほどのビッグイベントの日にこっそりオープンしました。
7月の熊谷はさすがの猛烈な暑さです。
原口商店は冷房を効かせた休憩所とし、トイレの無料貸出の看板を並べました。
1階の一部では、アイスと飲み物とチーズ大福を販売する
2店舗に出店してもらったほか、協力者が現れてピアニカの生演奏をしてもらい、
子どもたちにも楽しんでもらったのが印象的でした。
人がいない空き店舗を開けることで歯車が動き、
連鎖的になにかが始まる予感がありました。
このうちわ祭りの休憩所は、翌年の2018年にはバージョンアップし、
星川エリア外のカフェ4店舗がここに集結し、
ポップアップ的なカフェとしてオープンしました。
この空き店舗に灯がともると、以前にこの酒屋でバイトしていた人や
お客さんだった人が、「あれ、開いてる?」と驚き、集まってきます。
昔話を聞くと、先代のおばあちゃんが最高な人格者だったのだと感じます。
配達帰りに手づくりのおにぎりをくれたとか、
新しい店を出すと気にして見に来てくれた、とか。
みなさん揃って「本当にお世話になりました」と話していました。
建物はいろいろな人の物語の舞台なんだと感じます。
まるでアルバムのように、まちの人々の地域に根ざした活動や行為、
当時の風景が思い出せる装置のような。
空き家になってしまうのは、持ち主のさまざまな要因の結果です。
ただ、現状や環境を考慮して使い方を再考できれば、
人も建物もまた喜ぶようになります。
そんなこんなで「場所、居場所とは?」と考えたり、
「ハードからソフトがどう自走するか」、逆に
「ソフトが盛り上がるようにどうハードを整えるか」など、
4人の建築士のチャレンジが、それぞれの学びや成長につながっていると思っています。
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僕らは、「この活動を始めてから、友だちが増えたね」と話しています。
個人の建築設計事務所のクライアントとしては、
年に5~6件あれば充分かもしれません。
同業と一緒になにかに取り組むことも稀で、わりと孤独な職業です。
“まちづくり”とは謳っているものの、今回学んだのは
「人と人がどうつながるか」「誰とつながるか」
はたまた「おもしろいと一緒に思える人と出会えるか」。
ここに尽きると思います。
正しいことよりも、おもしろいことを優先しよう。
それが僕らの決まりごとになりました。
その後、この何もないスペースはいろいろな人や用途に合わせて利用されてきました。
うどんをつくるワークショップ、日本酒のお披露目会、
商材の撮影、猫の譲渡会、フードトラックの説明会など、
多種多様な企画が行われながら、自前のイベントとして、
熊谷市による出前講座、屋上で花火を見る会などを開催しました。
時にはオーナーさんにも参加してもらい、常に話ができる状況をつくっています。
元酒屋の息子さんですから、お酒好きだったことも気が合う一因でした。
現在は、僕らのやりたいことに共感していただき、応援してくれています。
応援団の応援隊長です(笑)。
もうひとつ、自前のイベントに「熊谷妄想会議」というのがあります。
僕らの「熊谷をこうしたい!」というアイデアをアウトプットする企画であり、
そこで大きな出会いがありました。そこからまた新たな出会いが生まれ、
僕らの活動がブーストしていくことに……。
今回はここまで! 次回に続きます。
ご期待ください!
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