連載
posted:2021.12.8 from:北海道三笠市 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
今年の夏から秋にかけて、
閉校になった旧美流渡(みると)中学校で活動を行うようになってから、
“ご近所さん”という感覚が広がったような気がしている。
美流渡に移住した画家のMAYA MAXXさんと一緒に行った、
校舎に打ちつけられた雪除けの窓板に絵を描くプロジェクトでは、
地元のみなさんだけでなく三笠市や長沼町、札幌市からも
人々がサポートに駆けつけてくれた。
さまざまな人との出会いがあり、その縁は
校舎活動が一時お休みとなった冬季期間にも続いている。
アーティストであり数々のアートプロジェクトを手がけてきた
上遠野敏(かとおの・さとし)さんもそのひとりだ。
旧美流渡中学校の窓板ペインティングプロジェクト。板に白いペンキを塗る作業に上遠野敏さんは何度も参加してくれた。
出会ったのは4年前。
札幌市立大学の教授だった当時、上遠野さんは
〈札幌国際芸術祭 SIAF2017〉に企画者のひとりとして参加。
そのときに私は取材をさせてもらったことがある。
その後、長年勤めていた大学を退官し、
2年前に札幌の住まいとは別に三笠市にアトリエを設けた。
取材以来、上遠野さんとはSNSでつながっていて、
投稿されるアトリエでの日々に、私は大変興味を持っていた。
春になればさまざまな種類の水仙を生けたり、
羊の毛を洗いフェルトをつくり刺繍をして作品を制作したり。
私が住む美流渡からアトリエまでは車で30分ほどと、そう遠くはないこともあり、
いつか訪ねてみたいという思いが募っていった。
上遠野さんのアトリエがある三笠市の幾春別(いくしゅんべつ)には旧住友炭鉱立坑櫓が残る。櫓の高さは約51メートルで、当時は東洋一の立坑と呼ばれた。
今年に入り別媒体の仕事で上遠野さんに再び取材をする機会が巡ってきた。
2度ほどお目にかかるなかで、校舎で行っているプロジェクトに関心を寄せてくれ、
窓板のペイント作業や展覧会の設営にも参加してくれるようになった。
上遠野さんは、いつでも笑顔を絶やさない。
現在、札幌市立大学の名誉教授でアーティストとしても大先輩ということもあって、
こちらとしてはつい恐縮してしまうのだが、
いつも気さくに校舎活動をサポートしてくれた。
そして、活動をつねに褒めて(!)くれたことに、何度も勇気づけられた。
「みなさんのプロジェクトを手伝ったり、ほかにも農家さんの収穫を手伝ったり。
そうすると思わぬ発見がある。
アトリエにこもっていたら、新しい発想なんてわかないから。
それに人生をケーキのホールに例えたら、まだ端っこしか味わっていない状態。
いろんな経験を積んで、すべてを味わい尽くしたいよね」
旧美流渡小学校に残されていた二宮金次郎像を見て「白御影石で彫られていてなかなか良い」と写真に収める。そこかしこにあるものから発見をする。
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上遠野さんのアトリエは三笠市の幾春別地区にある。
産炭地として栄え、市内でもっとも賑わっていた場所だという。
現在は過疎化が進み、商店も数えるほどしかなくなっている。
その一角にあった元食堂が、上遠野さんのアトリエとなった。
2階建てで10部屋ほどある。入り口にはクマの形の看板が取りつけられている。
「僕はこれまで各地の炭鉱遺産でアートプロジェクトを行っていて、
幾春別はそのひとつです。プロジェクトを通じて、
地域のみなさんと親しくさせてもらっていたことがきっかけで、
この場所を購入しました」
アトリエの中に入ると多種多様なものが並べられている。
自身の作品だけでなく、大竹伸朗さんや舟越桂さんといった
同時代のアーティストのポスターや作品写真、グッズ、
直売所で見つけた農家のみなさんの手づくりポーチ、
各地のお土産品、教え子の作品などで埋め尽くされていた。
上遠野さんは、そのひとつひとつを手に取って、
「ハピネスにあふれているでしょ」と言いながら注目ポイントを熱く解説してくれる。
並べられた物を見ていると、あらゆる人々の活動を否定せず、
フラットな視線でとらえていることが伝わってきた。
1階の様子。自身の彫刻作品のほか、鴨居にはさまざまな写真が貼られ、教え子の作品も飾られている。
2階の本棚。古今東西の美術書やグッズが集められている。
そのほか、無数の“素材”もあった。
綿毛を大きく広げるつる性の植物「ガガイモ」の種や、
フランクフルトのような穂をつけるガマなどを集め、
アクリルケースに納め作品としても発表していた。
さらには、ドリップしたあとのコーヒーフィルターや、洗濯機に残った糸くずなども。
「これらは自分の分身とも言えるものですよね。
こうした素材から、何かの作品が生まれないかなと考えているんですよ」
ガガイモの実から綿毛が出ていく様子をそのままケースに閉じ込めた作品。『もっと遠くに飛ぶために』。
中央にある丸い球が、洗濯機に残された糸くず。そのほか、農家でネギやブドウの収穫を手伝ったときに出た根なども集めている。
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現在、取り組んでいるのは、家庭に残されていたぬいぐるみを
羊毛で包んでいくという作品。
「SNSでぬいぐるみの提供を呼びかけたところ、10家族から集まりました。
これをフェルトで包むことで、何らかの特徴が浮かび上がってくると思います。
それぞれの“家族の肖像”をつくりたいんです」
最初に取り組んだのは自身の子どもが遊んでいたぬいぐるみをフェルトで包むこと。『上遠野家の肖像』が現れた。
ぬいぐるみに薄く羊毛を重ね、フェルト用のニードルで叩いて
2~4層重ねていくと白い膜ができていく。
よくよく見ていくと、家庭によって、ぬいぐるみの大きさや形、量が異なっていて、
白い形状になることで、塊としての違いが際立ってくるように感じられた。
上遠野さんによると、絵画や彫刻といった、
描いたり彫ったりという作為が感じられる制作とは別の方法で
表現ができないかと模索をしているのだという。
羊毛を置きニードルで叩くとフェルト化する。大きいものだと完成するのに1か月ほどかかるという。
北海道の白糠町でとれた羊毛。下はまだ汚れがついている状態。洗ったりピンセットでゴミを取り除いたりして上のようなキレイな状態にする。手間のかかる作業。
こうした姿勢は、上遠野さんのこれまでの作品にも共通する。
炭鉱遺産での数々のプロジェクトでは、まず土地の歴史や人々の関わりをリサーチし、
そこから発想を広げてふさわしい素材と手法を選びとってきた。
例えば赤平(あかびら)炭鉱では、閉山して25年の間に、
敷地内に生えた苔を坑口にあった浴場の施設内に集め、
それを炭鉱の木々に見立て模型のようなランドスケープを出現させた。
こうした作品によって炭鉱の記憶を呼び覚ますことを試みている。
閉山後に生えた苔を1か所に集め『炭鉱街のランドスケープ』をつくり上げた。「赤平アートプロジェクト 2019」より。(撮影:中優樹)
「僕はアートプロジェクトを行うことによって、
地域の人々を主役にしたいと考えています」
7年前には、巡礼する地蔵カー『赤帽ハイパーレスキュー六地蔵』という作品を制作。
赤帽のトラックに自身が彫った地蔵を乗せ、
三笠市、岩見沢市、夕張市の産炭地に住む人々のもとをめぐった。
展示会場で待つのではなく、自ら出向いて人々と語り合い、
その写真を撮ってツイッターで発信した。
『赤帽ハイパーレスキュー六地蔵』。「そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014」で産炭地をめぐった。(撮影:上遠野敏)
「アートは鏡の役割を果たすもの。作品という鏡を通じて、
埋もれているものを光らせたいんです」
夏から現在にかけて、何度も上遠野さんと会っているうちに、
地域の人々を主役にしたいという想いは、
制作やアートプロジェクトにとどまらないことがわかってきた。
例えば、校舎プロジェクトを介して知り合った、
美流渡にほど近い万字地区に住む笠原麻実さんが主宰する
〈麻の実堂〉のハーブティーブレンドをFacebookで絶賛。
さらに友人にハーブティーをたくさんプレゼントし、
そのおいしさを独自に広めていき、これがきっかけで
多くの人に麻の実堂が知られるようになった。
こんなふうに、いつも自分のことを脇に置き、誰かの魅力を発信し続けている。
上遠野さんおすすめの〈麻の実堂〉のハーブティー。笠原さんを師匠と仰ぎ、自らもハーブティーづくりに熱中。
一度、上遠野さんに、なぜ、こんなにも人々の作品や活動を
紹介することに情熱を注ぐのかと聞いてみたことがある。
「人や場所を光らせることで自分も光ると思っていますから」
そんな答えが返ってきた。そして、
「來嶋さんも同じでしょ。取材したり本を出して、
地域の人を光らせているんだから」とニコニコ笑顔で答えてくれた。
こんなふうに言ってくれる“ご近所さん”に出会って、
私は心の底からうれしくなった(上遠野さんの足元にも及ばないけれど)。
アトリエの2階には、友人からプレゼントされたという
武者小路実篤の書が飾られている。
論語からとられた一節で「徳不孤必有鄰」とある。
辞書で調べてみると、徳があれば孤立せず必ず隣があるという意味。
隣とは「理解し助ける人」なのだそうだ。
この書はまさに上遠野さんにピタリとハマると私は思った。
幾春別は人口も少なくなった山あいのまち。
にもかかわらず、アトリエには人の出入りが絶えることなく、
そしていつでも温かなムードに包まれている。
先日、画家のMAYA MAXXさん(左)と笠原麻実さん(中)と一緒にアトリエを訪ね、フェルト作品の制作を手伝った。笑い声にあふれた楽しいひととき。
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