連載
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
杉浦一生さんに初めて会ったのは1年前。雪がしんしんと降る日だった。
場所は三笠市の桂沢湖にほど近い山あいの宿〈湯の元温泉旅館〉。
廃業を考えていたこの旅館を2019年に杉浦さんは継業し、新たなスタートを切った。
雪の降りしきるなか、車を停めると、玄関がガラガラと開いて、
Tシャツ、サンダル姿の杉浦さんが現れた。
身長193センチメートル。雪の中で仁王立ちする姿に息を呑んだ。
このときの取材では杉浦さんのこれまでの歩みと、
なぜ赤字だった温泉旅館を継業したのかを中心に話を聞いた。
岩見沢市出身で高校時代にレスリングに出合い、
22歳になって全日本学生選手権で優勝。その後プロレスラーとしてデビューし、
一時はアメリカやカナダで対戦を行ったことも。
しかし、ケガに悩まされ引退。
今度は東京でボディーガードを専門に行う警備会社に入った。
ボディーガードと聞くと要人警護が主な仕事のように思えるが、
その会社で中心になっていたのは、精神疾患者や薬物依存者の医療機関への移送だった。
杉浦さんによると、精神的に追い詰められ、孤独のなかにある人たちは、
ときに自分の身を守りたいと過剰に武装をしていることがあるという。
そうした人たちの気持ちをときほぐしながら病院へとつき添っていくなかで、
「行き場のない人たちがこんなにも多いのか」と強く感じたという。
やがて杉浦さんは、関東各地に障がい者のグループホームをつくった。
ひとつまたひとつとホームを増やして入所者は100名にもなった。
このとき複数の施設の経営が重くのしかかり、
現場にいる時間が思うようにとれなくなってしまったという。
またスタッフたちとの意思疎通の難しさも感じていたことから代表を辞任。
故郷へ戻り、もう一度、“行き場のない人たち”と
自らが真剣に向き合う場をつくりたいと、湯の元温泉旅館を継業した。
旅館は設備が整っていたことからグループホームもすぐにスタートできたという。
新館部分を入所者が利用するスペースとしつつ、
これまでどおり宿泊や飲食、日帰り入浴のサービスも継続することとした。
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この日の取材以来、私は杉浦さんの活動に注目するようになった。
杉浦さんも私たちが美流渡(みると)で行っているアートプロジェクトに
興味を持ってくれ、互いに行き来が始まった。
美流渡に昨年移住した画家MAYA MAXXさんによる、
閉校になった校舎の窓板に絵を描く取り組みや、
校舎の清掃などを杉浦さんは手伝ってくれた。
そんななかで杉浦さんが、あるとき
「マタギのチョッキ(防寒着)のようなものを誰かつくってくれませんか?」
とSNSで呼びかけた。私はすぐさま
「つくったことはないけれど、やってみたい!」と手を挙げた。
服づくりは高校時代によくやっていたし、
どんな衣装が似合うかパッとイメージが浮かんだからだ。
杉浦さんがなぜこの衣装が欲しかったのかというと、
北海道を中心に活動する団体〈北都プロレス〉で、
覆面レスラーの「北海熊五郎」がリングに入場するときのガウンとしたかったためだ。
覆面レスラーの正体は明かされておらず(!?)、
杉浦さんが北海熊五郎のマネージャーという設定になっている。
杉浦さんのお母さんが着ていたというフェイクファーのコートをもらいうけ、
それをベースにしつつ、さらに友人が本物の毛皮のコートを提供してくれ
衣装づくりが始まった。調子に乗って、頭にかぶる熊のオーバーマスクまで
つくってしまった(美術大学卒なので立体再現が得意!)。
「プロレスを見て、湯の元温泉に泊まってみたいという人も増えています。
この場所に関心を持ってもらえたらうれしいですね」
一時現役を引退したものの、こうして再びプロレスと関わる理由も、
“行き場のない人たち”が社会に受け入れられる環境をつくりたいという思いから。
今年の夏は、湯の元温泉の駐車場でチャリティープロレスの興行を実施。
杉浦さんは地元企業や商店を足繁く回って協賛金を集め入場料を無料とした。
「開催した理由は、第一にグループホームの入居者たちに、
いろんなものを見せてあげたいと思ったからでした。
第二に子どもたちに楽しんでもらいたいと思いました。
コロナの感染が拡大する難しいなかでしたが、子どもたちは日々成長していて、
いましかない大切な時間があります。
リスクをゼロにすることはできないけれど、それでも楽しいことがあった、
そう思う体験をしてもらいたいと考えました」
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プロレスへの参戦とグループホームの運営とともに、
日々、力を入れているのは、湯の元温泉の裏に広がる山の開拓だ。
継業して以来、裏山の草を刈って敷地を整備し、キャンプ場を始めた。
近くの桂沢湖にあるファミリーキャンプ場と差別化を図るため、
ソロキャンパー向けの施設とした。
コロナ禍によって世間では旅館業が大打撃を受けていたが、
湯の元温泉ではキャンプ場がにぎわったという。
11月頃になるとほかのキャンプ場が閉まってしまうこともあり、
冬季にもコンスタントに利用客があるそうだ。
バーベキュー場をつくったり、仲間とツリーハウスを建てたり。
来年はさらに山奥のエリアを開拓しようとしている。
木々の間に川が流れ、温泉の源泉があり、お地蔵様が立っているエリアがあり。
それらをぐるっと一周できるようなコースをつくっていきたいのだという。
「コースをつくって入所者が森林ガイドのような役割を果たせないかと考えています。
リスがよく通る場所や木の種類を説明したり。
ひとりで回るだけではわからなかった楽しみを伝える機会にしていきたい。
普段は誰かに支えられている立場だと思われていた人に、
僕らが教えてもらうことになる。どちらが上とか下とか、
そういう概念を変革するような取り組みをしていきたい」
グループホーム開設以来、入所者は地域の美化活動に参加し、
草刈りや高齢者世帯の除雪を手伝っている。
「高齢者のみなさんにありがとうと言ってもらえるのがうれしいですね。
入所者は、これまで感謝されたことが少なかった人たちです。
限界集落では、圧倒的にマンパワーが足りていないですから、
障がい者を受け入れてくれる度量があるように思います。
活動を通じて障がい者と接してもらうことで、偏見がなくなっていってほしいですね」
関東でグループホームをつくろうとしたとき、
住民が反対運動を起こすこともあったという。
その根幹には「わからないものに対する恐怖」があると杉浦さんは指摘する。
「電車で叫んでいる人がいると、みなさん怖いと思いますよね。
僕はボディーガードを始めてから、なぜ叫ぶのかがわかるようになってきました。
それからというもの『どうしたの? 話してみて』と
声をかけられるようになったんですね」
グループホームの入居者は、知的障がい者や精神疾患のある人などさまざま。
先日、入所者同士のもめごとが起こってしまい、
どちらか一方をほかの施設に移すしかない状況となってしまった。
しかし、杉浦さんは地域に別の施設を見つけ、
4名が暮らせる新たなグループホームを短時間で整備した。
「共同生活ができなかったり、悪いことだと理解できずに
物を取ってしまったりする人もいます。
そのため施設を転々として行き場をなくしている人がいるのですが、
僕は断らずにみんなを受け入れたいと思っています」
入所者と生活をともにし、ときには親のような気持ちで相手と本気で接する杉浦さん。
心のすべてをこうした人々に向ける姿勢の奥底には、いったい何があるのだろうか?
「小中学校の頃、いじめられていたことが大きいかもしれないですね。
弱くて自信がなくて。そんななかでレスリングに出合って、
日本代表の先輩や海外で活躍する選手など、力のある人たちに僕は救われたんです。
そういう人になりたいなと、つねに思っています」
“行き場のない人たち”が普通に暮らせる、偏見のない社会をつくりたい。
湯の元温泉を拠点としつつ、この地域全体が、そんな場所になったら。
理想の国は「すぎうらんど」と名づけられた。
杉浦さんは有言実行の人。1年ずつ年を重ねるごとに、
次第にくっきりと“国”のかたちが現れていくに違いないと思った。
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