秋の小豆島〈四方指展望台〉で
楽しむ山コーヒー

アウトドアで景色とコーヒーを楽しむ

9月も下旬となり、日に日に秋の気配が強くなってきました。
ミーンミーンと鳴いていたセミはすっかり静かになり、
スズムシがリーンリーンとよく鳴いています。
入道雲は姿を消し、空は高くなり、鳥の羽のようなすじ雲が美しい夕焼け。
絵に描いたような秋の景色を、10月~12月頃の小豆島では楽しむことができます。

毎年9月下旬に咲く「彼岸花」。秋を知らせてくれる花です。

毎年9月下旬に咲く「彼岸花」。秋を知らせてくれる花です。

秋の夕空。夕陽に照らされて少しピンクがかった雲が美しい。

秋の夕空。夕陽に照らされて少しピンクがかった雲が美しい。

秋といえば栗! 宝探しみたいでいつも楽しい。

秋といえば栗! 宝探しみたいでいつも楽しい。

気候が穏やかになると、外に繰り出したくなりますね。
そろそろ山でコーヒーを飲むのがおいしい季節かなと、
久しぶりに「四方指(しほうざし)」へ。

その名のとおり、360度ぐるりと四方を眺められる標高777メートルの高台。
ちなみに小豆島で有名な観光地「寒霞渓(かんかけい)」のロープウェイ山頂駅は
標高612メートルなので、そこよりも高い位置にあります。
四方指はレストランやお土産屋さんがあるような観光施設ではなくて、
ただただ四方に広がる景色を楽しむ展望スポット。
ドライブの途中にちょっと立ち寄ってみようかなくらいで訪れてみるといいと思います。

標高777メートルの高台にある「四方指園地」の展望スポット。

標高777メートルの高台にある「四方指園地」の展望スポット。

四方指展望台と大観望というふたつの展望台があります。

四方指展望台と大観望というふたつの展望台があります。

大観望と呼ばれる台の上からの眺め。小豆島内海湾とまち並みを見渡せます。

大観望と呼ばれる台の上からの眺め。小豆島内海湾とまち並みを見渡せます。

夏は北海道、
冬は三重を拠点に暮らすキッチンカー
〈カフェ・アルコバレーノ〉の物語

キャンピングカー暮らしのふたりが美流渡(みると)にやってきた

キャンピングカーで暮らし、北海道を新婚旅行中だった
ケビンさんとキャサリンさんに出会ったのは2年前の夏のこと。
私が案内人を務めた美流渡をめぐるツアーがあり、そこにふたりは参加してくれた。

ケビンさんは本名・中谷兼敏(かねとし)。
名前を音で読むとケンビン。それがいつしかケビンとなった。
キャサリンさんは本名・清美。
ケビン名義で兼敏さんがブログを書き始めたとき、
ケビンに似合う名前としてキャサリンという呼び名が生まれた。

そのときふたりは、これからソフトクリームの
移動販売を始めたいという話をしてくれた。
そして、「また美流渡に来るね」と言って去っていった。
ふたりはいったいどんな生き方をしているのだろう? 
大きな車を見送りながら、固定された家を持たない暮らしの様子を
いつか聞いてみたいと思った。

7月の中旬に、突然ケビンさんから
「今日の午後会えませんか?」というメッセージをもらった。
15時に待ち合わせをすると、2年前とまったく変わらないふたりの姿があった。
あのときの言葉どおり、ふたりはソフトクリームの移動販売を実現させていて、
来週末に美流渡でお店を開きたいのだという。

すぐさま場所を探すことになり、
私たちが利活用を行っている旧美流渡中学校の駐車場と、
地域で長年食堂を営んでいる〈一番〉の駐車場で、2日間の営業ができることとなった。

この夏、北海道は記録的な暑さ。
キッチンカーが旧美流渡中学校にやってきてくれた日は、地域住民による校舎の清掃日。
猛暑のなかでの草刈りや雑巾掛けけでヘトヘトになった私たちにとって、
ソフトクリームは活力のもととなった。

しかも、美流渡にはソフトクリームを提供してくれるお店はどこにもなく、
この地域にいながら食べられることが、大袈裟だけれど“夢のよう”だった。
乳化剤を使っていないそうで、口に入れるとサーッと溶けていって、
爽やかなミルクの味がたまらなかった。

草を食べて育ったグラスフェッドミルクを使用。濃厚だけれど後味がスッキリしている。

草を食べて育ったグラスフェッドミルクを使用。濃厚だけれど後味がスッキリしている。

「新生姜」ってどんな生姜?
その旬と、おいしい食べ方

おいしい生姜ができるまで

夏の始まり頃に、スーパーの野菜売り場に並ぶ「新生姜」。
この新生姜ってどんな野菜か知ってますか? 
そもそもふつうの生姜とどう違うんでしょ。

まず、生姜はどうやって育つのか。
露地(ビニールハウスなどの施設を使わず、屋外の畑で栽培する方法)で
生姜を栽培する場合、霜が降りなくなった4月頃に種生姜を植えます
(地域によって多少ずれます。北海道では6月頃に植えるそうです)。
種生姜というのは、前年に収穫して保管しておいた生姜。
普通に食べることもできる生姜です。

今年(2021年)は少し遅めで、4月28日に種生姜の植え付け。

今年(2021年)は少し遅めで、4月28日に種生姜の植え付け。

150〜200グラムにカットした種生姜をひとつずつ土の中に植えていきます。

150〜200グラムにカットした種生姜をひとつずつ土の中に植えていきます。

土の中がいい環境になるように、落ち葉と米ぬかなどを土の上に。

土の中がいい環境になるように、落ち葉と米ぬかなどを土の上に。

地上に最初の茎が出てくるのは6月頃。
土の中では親生姜が分けつして新しい生姜が増えていき、
新しい生姜からそれぞれ茎が伸びていきます。
1本目の茎が1次茎、続いて2次茎、3次茎……と、
ひとつの親生姜から何本かの茎が出てきます。

5月24日、最初の茎を発見! うれしい瞬間です。

5月24日、最初の茎を発見! うれしい瞬間です。

生姜と同じように、そのほかの草もぐんぐん育ちます。栽培中は何度か除草作業も必要。

生姜と同じように、そのほかの草もぐんぐん育ちます。栽培中は何度か除草作業も必要。

8月頃にはそれぞれの茎が1メートルくらいまで伸び、葉を茂らせます。
土の中では新しい生姜が育ち、大きく育った新しい生姜が
ときどき土の外に出てきてしまうので、土をかぶせてあげます。
土の中で生姜はじっくりじっくり育っていきます。

この日はすごい入道雲でした。8月上旬の生姜畑。雨が欲しい。

この日はすごい入道雲でした。8月上旬の生姜畑。雨が欲しい。

栽培中は何度か生姜に土をかぶせる作業をします。

栽培中は何度か生姜に土をかぶせる作業をします。

9〜10月、ようやく生姜の収穫を始めます。
この時期のまだ若い生姜は、肌が白くてほんとにきれいなんです。
繊維も少なくてみずみずしい。
カットするとフレッシュな香り。青りんごみたいな香りがします。
そして生姜の塊と緑の茎との間のピンク色がなんともかわいらしい。

そう! これが「新生姜」。この夏の終わり頃に収穫した、
掘ったばかりのピチピチの生姜が新生姜と呼ばれます。

9月に入りようやく生姜の試し掘り。茎は立派ですが、生姜は意外と小さかったりします。

9月に入りようやく生姜の試し掘り。茎は立派ですが、生姜は意外と小さかったりします。

まだまだ大きくなりますが、若い時期限定の、白肌でみずみずしい状態の新生姜を楽しむために少しずつ収穫。

まだまだ大きくなりますが、若い時期限定の、白肌でみずみずしい状態の新生姜を楽しむために少しずつ収穫。

収穫後、土を落とした新生姜。ほんとにきれいな肌。ピンク色も鮮やか。

収穫後、土を落とした新生姜。ほんとにきれいな肌。ピンク色も鮮やか。

焼酎工場の倉庫がコーヒー焙煎所へ。
日南市・飫肥城下町の〈塒珈琲〉と
〈PAAK DESIGN OFFICE〉

PAAK DESIGN vol.2

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市にあるスペシャルティコーヒー焙煎所〈塒(ねぐら)珈琲〉と、
同じ建物の2階にあるPAAK DESIGNの事務所がテーマです。
元焼酎工場の倉庫が店舗とオフィスへ。
PAAK DESIGNのビジョンについても紹介していきます。

父の開業への想い

このプロジェクトは、2015年にオープンした私の父の店の話です。
2012年、長年にわたって市役所で働いてきた父が
「早期退職して、コーヒーの焙煎所を始める」と言い始めました。
今後は毎月、東京にあるコーヒーのレジェンドの店に焙煎の勉強をしに行くからと。

〈塒珈琲〉を立ち上げた、私の父。

〈塒珈琲〉を立ち上げた、私の父。

2年間ほどそのお店に通い技術を身につけ、
その後はリノベーションして店舗をつくる話になっていきました。
物件は飫肥(おび)城下町にある、父の仲のいい後輩が所有していた元焼酎工場の倉庫。
父自身も若い頃に遊び慣れ親しんだ飫肥城下町に新しいお店を開くことで、
まちに対して恩返しをしたいとの思いがあり、
「それだったら協力したい」と物件を貸していただけることになったそうです。

別棟の元酒造の内観。現在は取り壊されて駐車場になっている。菌がついた柱や梁が印象的。

別棟の元酒造の内観。現在は取り壊されて駐車場になっている。菌がついた柱や梁が印象的。

1階のビフォー。元酒造の向かいに立っていた焼酎用の倉庫をコーヒー店にすることに。

1階のビフォー。元酒造の向かいに立っていた焼酎用の倉庫をコーヒー店にすることに。

当初から父は「厳選された豆で、風味特性を生かした焙煎のコーヒーを
まちの人に飲んでもらいたいし、コーヒーの本当の魅力を伝えていくお店にしたい」
と話していました。

いまでこそスペシャルティコーヒー店は地方のまちでも見かけるようになりましたが、
当時は宮崎県内にほとんどなく、私としては
「おもしろそうだけど、いままで行政の仕事しかしてこなかった父が
商売なんてできるのだろうか……」と少し不安に思っていました。

倉庫にあった焼酎の銘柄〈銀滴〉の看板。解体時に廃棄するのがもったいなく、いまでも大事に事務所に飾っている。

倉庫にあった焼酎の銘柄〈銀滴〉の看板。解体時に廃棄するのがもったいなく、いまでも大事に事務所に飾っている。

工事中。シャッターを開けると玄関もない、がらんどうの空間だったため、すべてを一からつくることに。

工事中。シャッターを開けると玄関もない、がらんどうの空間だったため、すべてを一からつくることに。

画家・MAYA MAXXの描く姿勢に
地域の人たちは……?
校舎の窓板に絵を描くプロジェクト

雪止めの板に絵を描くプロジェクト、1か月経過

前回の連載で、2年前に閉校になった
岩見沢市の美流渡(みると)小・中学校の窓に張られた板すべてに、
画家のMAYA MAXXさんが絵を描くプロジェクトについて書いた。

雪から窓を守るために打ち付けられた板は、およそ40枚。
幅が5メートルにもなるものもあり、
前回はようやく5枚描き上げたところまでだったが、
あれから約3週間が経過して、メインの部分が仕上がる段階までこぎつけた。

並んで建つ小学校と中学校。そのすべての窓板をタイムプラスで撮影してみた。

8月中旬まではSNSで告知を行い、ペイントをサポートしてくれる仲間を募ったが、
それ以降は、MAYAさんが単独で黙々と制作を続けるようになっていった。

MAYAさんは本当に毎日まったく休まない。
窓板ペインティングの制作期間中、故郷・今治での展覧会開催のため、
1週間ほど美流渡を離れたことがあった。
今治の美術館では設営を行い、展覧会オープン後はギャラリートークなどの
イベントを行うという目まぐるしいスケジュールだったが、
美流渡に戻ると、何事もなかったかのようにすぐに窓板に絵を描き始めた。

今治で開催された『みんなとMAYA MAXX展』、ギャラリートークの様子。

今治で開催された『みんなとMAYA MAXX展』、ギャラリートークの様子。

小学校から始めたペイントも、ようやく中学校へ行き着いた。

小学校から始めたペイントも、ようやく中学校へ行き着いた。

その姿勢に引きつけられるように、地域の人たちも動き出した。
学校の向かいにあるお寺の住職さんが、
閉校してから伸び放題になっていた草を刈ってくれ、
また近隣のカフェのオーナーが、板に下地となる白いペンキを塗ってくれた。
そのほか、農家さんがドローンで制作中の記録映像を撮ってくれたりもした。

それぞれ一緒にお昼を食べたり休憩したりすることもなく、
作業が終わるとスッと自分の仕事に戻っていった。

このプロジェクトが進むにつれ、MAYAさんを“手伝う”という意識を離れ、
自分のこととして、これを進めようとする人たちが
増えていったように私には感じられた。

草がきれいに刈られ、絵がとても見やすくなった。

草がきれいに刈られ、絵がとても見やすくなった。

〈東京ビエンナーレ〉がまちを変える?
『優美堂再生プロジェクト』で
中村政人さんがやろうとしていること

東京のまちなかに小さなコミュニティを生み出す

現在、東京の千代田区、中央区、文京区、台東区の各所で行われている
国際芸術祭〈東京ビエンナーレ2020/2021〉。
2年に1度開かれるビエンナーレとして、今回初めての開催を迎えた。

都市型の芸術祭や美術展では大きな美術館などが軸となることが多いが、
東京ビエンナーレは神田・湯島・上野・蔵前エリア、
本郷・水道橋・神保町エリアといったいくつかのエリアに会場が分かれ、
歴史的建築物や公共空間、商業ビルなどさまざまな場所に作品が点在。
国内外のアーティストが参加し、サイトスペシフィックな展示やアートプロジェクト、
デジタルで鑑賞するAR作品など、多様な作品が展開されている。

小川町の交差点にほど近い、元額縁屋の〈優美堂〉でも
アートプロジェクトが行われている。

戦前からそこに佇み、戦後まもなく富士山の看板を掲げて額縁屋として開業し、
長く地域で愛されてきた木造2階建の建物。
しばらく使われていなかったこの建物に新たな息吹を吹き込み、
また人が集まる場所に再生させるプロジェクト
『優美堂再生プロジェクト ニクイホドヤサシイ』だ。

手がけているのは、東京ビエンナーレの総合ディレクターでもあるアーティスト、
中村政人さん。

「これだけ特徴的な看板建築をなんとか残したい。
建物の中にたくさん残っていた額も使いながら、
新たな小さなコミュニティを生み出せないかという思いで
プロジェクトを始めました」と話す。

中村さんがこの建物と出合ったのは、2012年に神田のまちを中心に
自身が手がけたプロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」のとき。
あるアーティストが地域のリサーチをするなかで、
作品のモチーフに優美堂を選んだのがきっかけだった。

戦後間もなく創業した〈優美堂〉。(写真提供:三澤義人)

戦後間もなく創業した〈優美堂〉。(写真提供:三澤義人)

その当時はまだ額縁屋として営業していたが、
その数年後にはシャッターが降りていることが多かったそう。
店の前を通りかかるたび気になっていた中村さんは、
ここでプロジェクトをつくりたいという思いを手紙に綴り、
一昨年の秋頃にシャッターの隙間に手紙を差し入れたのだという。

それから半年近く経ち、たまたま通りかかったときにシャッターが開いていて、
店主の息子さんと話すことができたが、そのときにはすでに取り壊しが決まっており、
新たな建築計画もできていた。
それでも中村さんはこの優美堂を地域で大切にしたいという思いを伝え、
諦めずに粘り強く交渉を続け、5年間の契約で貸してもらえることになったのだ。

プロジェクトタイトルの「ニクイホドヤサシイ」は、優美堂の電話番号の語呂合わせから。

プロジェクトタイトルの「ニクイホドヤサシイ」は、優美堂の電話番号の語呂合わせから。

そこから改修計画を練り、場をどう運営していくかなどプロジェクトの骨子を固めた。
SNSで人を募り、昨年8月頃から掃除をスタート。
近くに住む人ばかりでなく、近県からやって来る人や、
学生から建築家までさまざまな人たちが集まるように。
50~60人の人たちが関わりながら、片づけから改修まで協働した。

優美堂から運び出した約3000点以上の額。(写真提供:東京ビエンナーレ)

優美堂から運び出した約3000点以上の額。(写真提供:東京ビエンナーレ)

「業者に頼めばすぐできることですが、それでは何も関係が生まれない。
みんなでつくるという経験をすることで、それぞれの意識のなかに
自分が携わったという感覚が芽生えると思うんです。
こういう都心で自分ごととして関われる場所って、意外とないんですよね。
建物がいずれ壊されたとしても、ここに優美堂があったという記憶が、
この場所に関わることで心に刻まれる。そのためのプロジェクトです」と中村さん。

優美堂の大掃除に集まった30名以上のボランティア。(写真提供:東京ビエンナーレ)

優美堂の大掃除に集まった30名以上のボランティア。(写真提供:東京ビエンナーレ)

これだけこの建物にこだわるのには、
東京のまちが均質化されていくことへの違和感がある。

「建物が壊されても、“ここに何があったっけ?”って何の記憶も宿らない。
どこもかしこも同じような風景になって、同じようなことをしていて、
誰がどこにいるのかもわからない。
それよりは、自分の興味や関心を優先して関われる場があると楽しいですよね。
東京でそういう場をつくるのはなかなか難しいけれど、
ここであればできると思いました」

改修が終わってからは、展覧会が開かれたり、ヨガをするイベントが企画されたり、
カフェを開く準備が進められるなど、
プロジェクトメンバーによって、人が集まる場所がつくられつつある。

額縁を製造販売していた優美堂。その額に入った作品を展示する「ニクイホドヤサシイ/千の窓」展を開催中。

額縁を製造販売していた優美堂。その額に入った作品を展示する「ニクイホドヤサシイ/千の窓」展を開催中。

小豆島〈タネむすび堂〉
ごはんとおやつと量り売り商店

手づくりの空間でいただく、体にも地球にもやさしいおやつ

小豆島でおいしくて体にやさしいごはんを食べたいなぁと思ったら、
おすすめのお店があります。
池田港という港近くの住宅街にある小さな一軒家を改修した
〈タネむすび堂〉というお店です。

たしかこの辺にあるんだよなぁと地図で確認しながら、住宅街をぐるぐる。
この細い道でいいのかなぁと向かっていくと、ようやく手づくりの看板発見。
ちゃんと地図を見て行かないと迷います(笑)。

鉄くずでつくった〈タネむすび堂〉の看板がすてきです。

鉄くずでつくった〈タネむすび堂〉の看板がすてきです。

昭和中期頃に建てられた一軒家を改修したお店。

昭和中期頃に建てられた一軒家を改修したお店。

タネむすび堂は、ごはん屋さんであり、おやつ屋さんであり、量り売り商店。
2013年に小豆島に移住してきた片岡玲子さんが営んでいます。
何かのお話に出てきそうな小さな平屋のおうち。
庭を通り抜けて、今日はお店やってるよなぁと思いつつ玄関をあけると、
玲子さんが自分たちの手でつくりあげた空間が広がります。

印象的なのは、やさしいサーモンピンクや黄土色、薄緑色に塗られた壁。
昭和中期頃に建てられたちょっとレトロな民家の雰囲気を残しつつも、
でも日本じゃないみたいな感覚。

玲子さんが自分たちの手でつくりあげた店内。

玲子さんが自分たちの手でつくりあげた店内。

庭に面した縁側の席。いい光が入ってきます。

庭に面した縁側の席。いい光が入ってきます。

サーモンピンクの壁、黄土色のメニューボードなど、色がつくりだす店内の雰囲気がいい。

サーモンピンクの壁、黄土色のメニューボードなど、色がつくりだす店内の雰囲気がいい。

そんなすてきなお店の中心にあるのが、スコーンやマフィンなどの
焼き菓子が並ぶガラスのショーケースと、さまざまな食材の量り売りのガラス瓶。
よく見てみるとガラス瓶には、素材名と価格が書いてあります。
オーガニックシナモンスティック、オーガニッククミンシードなど、
島のスーパーでは買えないようなものがずらり。

量り売りのいいところって、パッケージ袋などのゴミが出ないのはもちろん、
必要な分だけ買えるからロスが出ないこと。
島内だとオーガニックスパイスなど手に入らない食材が結構たくさんあって、
ネットで注文すると送料がかかるので、まとめて買ってしまう場合が多い。
そうすると使い切るまえに古くなってしまったり……。
身近なお店でこまめに必要な分だけ買えるって、あらためていいなと思いました。

そうそう、持ち帰り用の容器(空き瓶やタッパーなど)は
自分で持って行かないといけないですよー。
もし忘れちゃったら、玲子さんに相談すれば何か貸してくれるかもしれませんが。

お店の中心にあるガラスのショーケースと量り売りのガラス瓶たち。

お店の中心にあるガラスのショーケースと量り売りのガラス瓶たち。

ずらっと並ぶ量り売りのスパイスやナッツなどの食材。

ずらっと並ぶ量り売りのスパイスやナッツなどの食材。

量り売りの際は、持ち帰り用の容器を持って行きましょう。

量り売りの際は、持ち帰り用の容器を持って行きましょう。

旧美流渡小・中学校に
アートの力で賑わいを。
窓板にMAYA MAXXが絵を描く

30枚以上の窓板に絵を描く新たな挑戦

6月に、私の仕事場の向かいにある、
2年前に閉校した旧美流渡(みると)中学校の活用プロジェクトが始まり、
前回の連載では7月に行った活動についてリポートした。
今回紹介したいのは、8月に入って、
校舎の1階の窓に打ちつけられた板に絵を描く取り組みについてだ。

活用を進めている中学校に隣接して、同じく閉校になった小学校があり、
どちらの窓にも落雪による破損を防ぐために、閉校してすぐに板が張られた。
岩見沢市は豪雪地帯であるため雪止めの板を張るのは仕方のないこと。
けれど、ここが閉鎖された場所であることが強く感じられて、
建物全体が物悲しい印象となっていた。

煉瓦造りの小学校の校舎。窓に貼られた板の1枚は幅5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

煉瓦造りの小学校の校舎。窓に貼られた板の1枚は幅5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

白い壁の小学校の校舎。こちらにも大きな窓板が10枚ある。(撮影:佐々木育弥)

白い壁の小学校の校舎。こちらにも大きな窓板が10枚ある。(撮影:佐々木育弥)

この校舎活用の中心的なメンバーとなっている、
昨年美流渡に移住した画家のMAYA MAXXさんは、
あるとき窓の板に絵を描いてはどうだろうと提案してくれた。

窓にたくさんの板が張られているのは主に小学校側。
この校舎は築年数も古く、内部の活用は難しいのではないかという話が
持ち上がっており、それならばせめて廃墟のようなイメージにならないように
外観だけでも明るい印象にできたらとMAYAさんは考えてくれた。

そこで、私は市役所や教育委員会、町内会のみなさんと相談をし、
さらに市内にある北海道教育大学岩見沢校にも協力を呼びかけ、
8月6日から「MAYA MAXX 窓板ペインティング」を実施することとなった。

先頭に立って動くMAYA MAXXさん。(撮影:佐々木育弥)

先頭に立って動くMAYA MAXXさん。(撮影:佐々木育弥)

ペインティングの初日、北海道教育大学の学生9名と
札幌などからSNSを見て駆けつけた数名が集まった。
窓の板は非常に大きく、小学校の煉瓦造りの校舎にある3枚は、
高さ約2メートル、幅5メートル。
高い位置にあるため足場を組んでの作業となった。

まず、周囲にペンキがかからないように養生をして、
合板のヤニを止めるためにシーラーを塗る作業から始めていった。
しかし、この日は午前中で32度。
風通しが悪く壁面から反射する熱もあって、体感温度はそれ以上。
熱中症にならないようにこまめに休みを入れたものの、
体力の消耗が激しく、午前中で作業は終わらせることにした。

壁面にペンキがつかないように養生をする。(撮影:佐々木育弥)

壁面にペンキがつかないように養生をする。(撮影:佐々木育弥)

2日目も10数名の参加者が集まってくれたのだが、
この日もたいへんな猛暑だったため、思うように作業ははかどらなかった。
日陰部分の作業を優先させつつ、ようやくメインの壁面のシーラーが塗り終わり、
上から下地となる白いペンキを少し塗り始めたところで作業が終了。
当初の予定では、この時点で下地となる白いペンキをすっかり塗り終えて
絵を描いているだろうと予想をしていたが、状況はまったく違っていた。

あまりの暑さに水道水をかぶるMAYAさん。

あまりの暑さに水道水をかぶるMAYAさん。

「手伝いに来てくれる人は、下地塗りじゃなくて
絵を塗りたいと思っているんじゃないかな。
早く絵を描ける状態になったらいいよね」

そんなふうにMAYAさんも語っており、
とにかくどこか1面だけでも下地を完成させる必要があると私は感じた。

そこで、次の日、私は集合より2時間早く現場に行って、白ペンキを塗ることにした。
白ペンキは1度塗っただけでは下の板の色がうっすらと見えてしまうので、
2度塗りが必要。
なんとか集合時間までに2度塗りまで仕上げられれば、
すぐにMAYAさんが絵を描き始められるんじゃないかと考えた。

窓に張られていた板はOSB合板。細かな凹凸があるため刷り込むようにペンキを塗る。(撮影:佐々木育弥)

窓に張られていた板はOSB合板。細かな凹凸があるため刷り込むようにペンキを塗る。(撮影:佐々木育弥)

〈fan! -ABURATSU-
Sports Bar & HOSTEL〉
宮崎県日南市の商店街に
“ファン”が集うゲストハウスを

PAAK DESIGN vol.1

はじめまして。
宮崎県日南市で〈PAAK DESIGN株式会社〉という
設計事務所の代表をしている鬼束準三と申します。

PAAK DESIGNは、地元にUターンして4年目に設立した会社です。
設計をしながら地域の課題に悪戦苦闘して向き合っていたところ、
いまでは設計だけでなく、宿泊や物販などさまざまな事業に取り組むようになりました。
大学や設計事務所で学んだ、建築の美しさや先進性を追求することからは
ずいぶん離れているなと感じながらも、
いまでは、設計をベースにどこまでできるかを試している感覚もあります。

そんな建築家やデザイナーとしては邪道とも思える現状や取り組みが、
地方においては、ものすごく大事なのではないかと思うのです。
この連載では、携わってきたリノベーションの事例を通して、
日南市の魅力ある活動や場所や人、まちの変化を伝えられたらと思っています。

第1回は、Uターンしたきっかけから、起業するまでの空白の3年間と、
商店街にオープンしたゲストハウス
〈fan! -ABURATSU- Sports Bar & HOSTEL〉の事例を振り返っていきます。

エントランスロビー兼カフェエリア。

エントランスロビー兼カフェエリア。

地元の魅力を再認識してUターン

大学を卒業して東京で設計事務所に勤務後、独立し、ひとりで建築の仕事を始めました。
上京して10年ほど経ち、仕事はなんとか続けられる状況になっていた頃、
ふと地元の日南市のことが気になり始めました。
いままで、2〜3年に1度しか帰らなかったのですが、
独立して自由に動けるようになり、年に何度も帰省してみると、
自分は地元のことをなにも知らないのだと自覚していきます。

ひとまず人脈づくりから始めようと、いろんな場所へ出向き、
気になる人に積極的に会いに行くことに。

すると、地元資源である飫肥杉(おびすぎ)のこと、
それにまつわる活動をする〈オビスギデザイン会〉という団体や、
少し前から日南に移住して商店街の活性化に尽力していた人、
そのほかにも、自然の魅力や、磨けば輝きそうな不動産などを含め、
たくさんの遊休資源と出合うことができました。

日南の自然(乱杭野山頂・霧島神社から)。

日南の自然(乱杭野山頂・霧島神社から)。

このいろいろな出会いが、その後の私のUターンを大きく後押ししました。
地元に根を張り、地域の課題と向き合っている人がいたり、
外から来て日南のためにとがんばってる人がいたり、
ふと顔をあげるときれいな自然があったり。

いま、動ける状況にあり、なおかつ地元人である私が
何かできることがあるのではないか、
自分も何か貢献しなければいけないのではないか? と一念発起し、
東京の事務所や家を引き払い、地元に戻ってきました。

日本一組みやすい自治体・日南市

最近の日南市では、日々いろんなことが起こっています。
2013年に崎田恭平さんが当時33歳の若さで市長になったことが話題になり、
就任後は若い民間人を積極的に登用して事業を行い、
商店街活性化事業を成功させたり、10社以上ものIT企業を誘致したり、
伝統的建造物群保存地区の利活用事業を推進したり。
いまでは「日本一組みやすい自治体」と言われたりしています。

なおかつ、海・山・川とすべての自然要素がすごく豊かで、
現在の日南市は日本の中でも「人」と「自然」の資源が豊富な地域のひとつです。

日南の海辺の風景。

日南の海辺の風景。

美しい飫肥杉林。

美しい飫肥杉林。

アーティスト志村信裕さんが
千葉県香取市に移住して
創作活動をする理由

環境を変えたいという思いから始めた家探し

見る者の記憶や感情を引き出すような映像を制作するアーティスト、志村信裕さん。
2019年から千葉県香取市に住み、金継ぎ師であるパートナーの
志村いづみさんとともに、古民家を住居兼アトリエとして活動している。

香取市の志村さんの住居兼アトリエ。

香取市の志村さんの住居兼アトリエ。

2016年~18年には、文化庁による海外研修制度でパリに滞在し、
バスク地方で羊飼いを撮影するなど「羊」をめぐる映像を撮り始め、
帰国後、成田市三里塚の農家を撮影し続けるために近くの佐倉に住んだ。
1年後に完成した作品『Nostalgia, Amnesia』は、
『21th DOMANI・明日展』(国立新美術館)で好評を博した。

志村信裕《Nostalgia, Amnesia》2019年

志村信裕《Nostalgia, Amnesia》2019年

そんな、コンスタントに展覧会があるように見える志村さんでも
アルバイトをしないと生計は立てられず、
環境を変えて自分たちの仕事に集中したいという思いから家を探し始める。

「夫婦ともに自営業なので普通の賃貸は借りづらいんですね。
それで千葉県にゆかりのある知人に東京で偶然会ったときに、
空いている家はありませんか? ってふと聞いてみたら、
佐原に近い香取に家があると言われたんです」

庭も広大で、緑に囲まれた一軒家。

庭も広大で、緑に囲まれた一軒家。

佐倉は千葉県のなかでも人口多めな東京通勤圏だったので、
不便になっても静かな香取はむしろ魅力だった。
しかし、見学したときには、空き家になってから6、7年経っていたので
家が朽ち始めており、敷地や家も大きいので、
1か月くらい考えてから踏み出したという。
大家が応援のために家賃なしで貸してくれると言ってくれたのもありがたかった。

「家に残っていた荷物の中に香取神宮のものがいろいろありました。
香取神宮の御祭神、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の“フツ”は、
刀剣でものが断ち切られる音ともいわれ、
刀剣を神格化した神ともいわれているんですが、
何か断ち切って決断を後押ししてくれたようにも感じたんですね」

メロンみたいな野菜!? 
スッキリとした甘さの
「マクワウリ」って知ってる?

いまではちょっと珍しい、メロンの先祖

夏ーーーーー!
絵に描いたように青い空、モクモクの入道雲、
じりじり照りつける太陽、響き渡る蝉の声。
これでもかっていうくらい夏の風景が広がっている小豆島。
暑くて暑くて夜になるとクタクタの毎日ですが、夏だからしょうがない。
畑で作業して汗かいて、海で泳いで体冷やして、そんな日々を送っています。

小豆島の夏の太陽はパワフルです! 焦げる〜。

小豆島の夏の太陽はパワフルです! 焦げる〜。

ビビッドな夏野菜たちが元気をくれます。

ビビッドな夏野菜たちが元気をくれます。

さてさて、畑も夏モード全開です。
といってもトマトやピーマンなどの夏野菜の多くは7月にピークを迎え、
8月は夏終盤戦という感じ。
暑さに加えて雨も少ないので、夏野菜たちにとっても厳しいシーズンです。

そんな8月の上旬〜中旬に収穫ピークを迎えるのが「マクワウリ」。
ウリ科キュウリ属の野菜で、見た目は黄色だったり模様があったり、
いろんな種類があります。

漢字で書くと「真桑瓜」。
岐阜県の真桑村(現在は本巣市)が名産地だったことから
この名前が浸透したそうです。

畑一面のマクワウリの葉。よーく見てみるとたくさん実がなってます。

畑一面のマクワウリの葉。よーく見てみるとたくさん実がなってます。

黄色のマクワウリ〈金太郎〉!

黄色のマクワウリ〈金太郎〉!

ひと言で言うと「甘すぎないメロン」という感じ。
マクワウリはメロンの仲間というかメロンの先祖。
昔から日本各地で育てられている野菜です。
プリンスメロンやマスクメロンなどあまーいメロンに押されて、
いまはほとんど育てられなくなってしまったみたいです。

カフェ店頭やイベントなどでマクワウリを販売すると結構人気で売り切れちゃいます。

カフェ店頭やイベントなどでマクワウリを販売すると結構人気で売り切れちゃいます。

私たちも小豆島で暮らすようになって初めてマクワウリのことを知りました。
マクワウリを並べて販売していると、
「懐かしいなあ、小さい頃によく食べたわ〜」とよく言われます。
地元の人はマクワウリのことを「マッカウリ」とか「マッカ」と呼んだりして、
お盆のお供えものとして欠かせない野菜だったそう。
いまでもうちではお仏壇にお供えしてます。

庶民のメロン!(笑)

庶民のメロン!(笑)

マクワウリの断面はこんな感じ。皮を向いて中のタネを取り除いて食べます。

マクワウリの断面はこんな感じ。皮を向いて中のタネを取り除いて食べます。

アフリカ太鼓に日本舞踊、壁画制作。
美流渡らしい旧校舎の活用が始まる

活用から1か月。こんなふうに使いたいという声が上がって

仕事場の向かいにある旧美流渡(みると)中学校。
2年前に閉校になったこの校舎の利活用の取り組みが、約1か月前から始まった。
私が代表を務める地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉が
活用の窓口になったことは、以前の連載で書いた。
その後、オンラインで校舎の試験活用についての説明会を行ったり、
月1回の清掃活動を行ったりするなかで、予想以上の広がりが生まれようとしている。

今年は試験活用期間ということで、
まず地域のみなさんにさまざまなかたちで使ってもらって、
意見をヒアリングして、今後につなげていこうと考えており、
さっそく、体育館を使ってみたいと申し出てくれたのは、
岩見沢市の山あいの万字地区に2018年に移住した岡林利樹さんと藍さんだった。

ふたりはアフリカ太鼓の奏者。週末に美流渡地区で開かれることになった
小さな音楽会に参加することになり、そのリハーサルを行いたいというのだった。
リハーサル当日には、道内各地からアフリカ太鼓仲間が集まってきて、
体育館で音合わせが行われた。

広々としたスペースでリハーサル。

広々としたスペースでリハーサル。

その傍らで、太鼓メンバーの子どもたちがボールを蹴って駆け回っており、
これだけ広いスペースがあれば、練習をする大人も、
それを待っている子どもも伸び伸びできてハッピーだということがわかった。

駆け回るスペースも十分。

駆け回るスペースも十分。

また、定期的に体育館を使いたいと言ってくれたのは、
一昨年に美流渡地区に移住した陶芸家のこむろしずかさん。
こむろさんは日本舞踊の名取にもなっていて、
地域の人たちと一緒に踊る教室を開くようになっている。

「ソーラン節」や「炭坑節」など、地域のお祭りがなかなか開催できないなかで、気分だけでも味わってほしいと、少人数で開催。

「ソーラン節」や「炭坑節」など、地域のお祭りがなかなか開催できないなかで、気分だけでも味わってほしいと、少人数で開催。

みる・とーぶでも、8月から9月にかけてイベントを企画。
校舎活用の中心的存在になってくれている、
昨年夏に美流渡に移住した画家のMAYA MAXXさんと
1階の窓に打ち付けられている雪止めの板に絵を描く企画を進めている。

期間は8月6~11日の6日間。
地元の人や市内にあるアートとスポーツに特化している
北海道教育大学岩見沢校の学生にも協力を呼びかけ、
MAYAさんの下描きをもとに、みんなで色を塗る予定。

中学校の隣に立つ、同時期に閉校した小学校側のものを合わせると、
窓は全部で40枚近く。
大きい窓は縦2メートル、横5メートルにもなるので、
絵ができたらきっと迫力あるものになるに違いない。

小学校の一部は煉瓦造り。窓は大きく幅は5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

小学校の一部は煉瓦造り。窓は大きく幅は5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

このほか9月には教育大学と連携しながら
教室にMAYAさんの作品を展示する計画も進行中だ。
現在、福岡アジア美術館で開催中の『おいでよ! 絵本ミュージアム』で、
MAYAさんは何十メートルにもなるダンボールに、動物や木々を描いており、
これをなんとか美流渡に運び入れて、こちらでも展示ができたらと
調整をしているところだ。

『おいでよ! 絵本ミュージアム』の展示風景。縄文文様のようにうねる木々をMAYAさんが現地で描いた。(撮影:小川真輝)

『おいでよ! 絵本ミュージアム』の展示風景。縄文文様のようにうねる木々をMAYAさんが現地で描いた。(撮影:小川真輝)

シェアスタジオ〈南太田ブランチ〉
2拠点居住者の
新たな住まいのつくり方

YONG architecture studio vol.7

横浜市の野毛山エリアで活動しながら、
長野県立科町で地域おこし協力隊として活動する
〈YONG architecture studio〉永田賢一郎さんの連載です。

今回はついに最終回。横浜で新しく立ち上げた、
住居兼シェアスタジオについてご紹介していきます。

横浜での新たな暮らし方

2020年6月から始まった、横浜と長野の2拠点生活。
横浜には金・土・日の週3日の滞在になり、
それまで住んでいた〈藤棚のアパートメント〉から引っ越すことになりました。
日中は仕事場の〈藤棚デパートメント〉〈野毛山Kiez〉があるので、
夜に寝泊まりができる25平米くらいの小規模な物件を探すことになったのです。

4年間暮らした〈藤棚のアパートメント〉を出ることに。

4年間暮らした〈藤棚のアパートメント〉を出ることに。

藤棚のアパートメントの管理でお世話になっていた
〈東京R不動産〉さんに物件を問い合わせてみると、
横浜駅から京急本線で7分ほどの南太田にある物件を紹介されました。

4階建てのビルのうち3〜4階が住宅仕様で空いたままになっており、
主に3階が住居スペース、4階は倉庫と屋上という構成。
3〜4階の室内の面積は約180平方メートル、
屋上を合わせるとおよそ300平方メートルの物件です。

〈荒川電気商会〉さんという電気資材問屋の物件で、
3〜4階は前会長宅であったようでした。
老朽化が進んでいますが、改修して活用できそうか相談したいとのこと。
探していた物件は25平方メートル。かなりスペースを持て余しそうですが、
ひとまず現地へ行ってみることになりました。

南太田にある4階建てビル。

南太田にある4階建てビル。

3階の既存図面。3階には7つの部屋とキッチン、4階には広い屋上と倉庫がある。

3階の既存図面。3階には7つの部屋とキッチン、4階には広い屋上と倉庫がある。

全部で7部屋、各部屋が25平方メートルくらいはあります。
室内には以前の生活感が残りますが、それぞれ特徴のある仕上げで
そのまま使えそうな部屋もあり、とても魅力的な物件でした。
とはいえ、自分だけでは使い切れない大きさです。
何か活用できないかと考えていました。

雰囲気のあるテクスチャーの廊下が迎える。

雰囲気のあるテクスチャーの廊下が迎える。

寝室はRのかかった織り上げ天井に暖炉も。

寝室はRのかかった織り上げ天井に暖炉も。

子ども部屋は壁のクロスが印象的。

子ども部屋は壁のクロスが印象的。

移住は冒険だった。
豪雪地帯にアトリエを構えた
画家・MAYA MAXXの1年の記録

〈森の出版社ミチクル〉から活動記録を刊行

昨年の7月17日に、20年来の友人であり、
これまで数々の仕事をともにしてきた画家のMAYA MAXXさんが、
美流渡(みると)に移住してきた。

移住してちょうど1年が経つのを前に、1冊の本が生まれようとしている。
タイトルは『移住は冒険だった』。
東京から北海道への移住をMAYAさんは“冒険”であるとし、
その活動と描かれた作品を収録した本だ。
編集と文章は私が担当し、4年間続けている小さな出版活動
〈森の出版社ミチクル〉から刊行することとなった。

〈森の出版社ミチクル〉の新しいレーベル〈ローカルブックス〉より7月31日発売予定。A5版96ページ。Facebookから注文可能。

〈森の出版社ミチクル〉の新しいレーベル〈ローカルブックス〉より7月31日発売予定。A5版96ページ。Facebookから注文可能。

本をつくるきっかけは、今年の3月に私が編集した『いなかのほんね』だ。
この本は、美流渡をはじめとする岩見沢の山あいに住む人々10組に
インタビューをしたもの。
このときMAYAさんにも取材をさせてもらい、完成したばかりの本を手渡したところ……

「このくらいの小さな本で、1年ごとに活動の記録をまとめてみたい」

そう、話したことから本づくりがスタートした。

北海道教育大学の学生がインタビュアーとなり、なぜ不便な地域で暮らすのかを住民にインタビューした文庫サイズの本。『いなかのほんね』(中西出版)

北海道教育大学の学生がインタビュアーとなり、なぜ不便な地域で暮らすのかを住民にインタビューした文庫サイズの本。『いなかのほんね』(中西出版)

刊行目標は移住から1年後。
印刷所への入稿時期を考えると、準備期間はわずか3か月。
編集の期間はとても短いものだったが、これまでコロカルの連載でも
MAYAさんの活動について記事にしてきたし、写真も撮りためていたものがあったので、
とにかくそれらをもとに全体の構成を考えてみることにした。

まず、節目となった時期に撮影した写真と作品を時系列に並べていった。
なぜ北海道への移住を決断したのかも大切だと考え、移住する以前についても触れた。
昨年は新型コロナウイルスの感染拡大によって外出自粛が要請され、
MAYAさんの個展が中止や延期となったわけだが、今回時系列に活動を追うことで、
どんな状況でも絵を描き続けてきたMAYAさんの姿が浮かび上がってきた。

10年間京都で活動し、その後東京で制作を行っていた頃の作品を、日付とともに掲載した。

10年間京都で活動し、その後東京で制作を行っていた頃の作品を、日付とともに掲載した。

そして、編集を進めていくなかで、北海道へと移住して、
瞬く間に絵に変化が起こっていたことをあらためて感じることができた。

アトリエの整備が終わって本格的に制作が始まったのが9月1日。
その後、絵の全面にグリーンやイエローなどが現れ出したのが10日後のこと。
ものを際立たせるための輪郭線が消え、
森の木々を感じさせる色で画面が埋め尽くされていった。

アトリエで制作をしつつ、北海道各地の森も訪ねた。

アトリエで制作をしつつ、北海道各地の森も訪ねた。

「住む場所に影響を受けるというのはわかっていましたが、
これほどまでとは思いませんでした。何を描こうとは思っていなくても、
見たものが蓄積されて、それが画面に表れていきます」

秋が過ぎて冬へ。そして10年に1度の大雪を体験。
季節がめぐるごとに色彩は変化し、絵から立ち上ってくるムードも変わっていった。
そして、真っ白な雪の中で過ごした数か月を超えて、
まるで雪を内側から見たかのような、透き通るブルーの絵が生まれた。

厳冬期に描かれた正方形の作品『Snow』。

厳冬期に描かれた正方形の作品『Snow』。

少量多品目栽培って? 
いろんな種類の野菜を育てる
小さな農家は儲かるの?

小豆島の夏野菜、収穫中!

7月上旬、まだ本格的な暑さの夏がやってくる前ですが、
畑では夏野菜が旬を迎えています。
7月第2週だと〈HOMEMAKERS〉ではこんな野菜が収穫できます。

・トマト 5種

・ピーマン 3種

・ナス 5種

・キュウリ

・トウモロコシ

・空芯菜

・トレビス(赤チコリ)

・ズッキーニ 3種

・コリンキー

・レタス 2種

・ケール 2種

・ルッコラ

・赤紫水菜

・赤リアスからし菜

・紫小松菜

・インゲン

・ラディッシュ 2種

ざっと、17品くらい。
これに春に収穫して保管してあるじゃがいも、玉ねぎを合わせると
20品ほどの野菜を出荷できる状態です。
トマトやナスなど細かい品種に分ければ、30種類以上に。
毎日毎日たくさんの種類の野菜を見ています。そしてもちろん食べてます。

ある日のまかないごはん。ケール、トマト、赤リアスからし菜、バジル、ナス、コリンキー、じゃがいも、ズッキーニ、玉ねぎ、オクラなどなど野菜を盛りだくさん食べてます。

ある日のまかないごはん。ケール、トマト、赤リアスからし菜、バジル、ナス、コリンキー、じゃがいも、ズッキーニ、玉ねぎ、オクラなどなど野菜を盛りだくさん食べてます。

〈HOMEMAKERS〉の基本の旬野菜セットは9品ほどの旬の野菜を組み合わせています。

〈HOMEMAKERS〉の基本の旬野菜セット(2660円)は9品ほどの旬の野菜を組み合わせています。

私たちはいわゆる「少量多品目栽培」の農家です。
言い換えると、たくさんの種類の野菜を少しずつ栽培している農家です。

具体的な数が定義されてるわけではないので、
ほかの農家さんと比べて多いか少ないかということですが、
だいたい年間60種類以上の野菜を育てていたら多いほうじゃないかなと思います。
栽培量としては、市場などに卸せるくらいの量になってくると
多いんじゃないかと思います。

日本全国の農家の中でうちがどれくらいかなと客観的に考えてみると、
たぶん「超少量多品目栽培」くらいだと思います。
うちは農家の規模としてはとてもとても小さくて(栽培面積が小さくて
栽培量も少なくて)、そのわりにいろいろな野菜を栽培している。
分類したら、家庭菜園に近いほうだと思います。

ま、そもそも北海道や九州の農家さんと比べたら、
平地がほとんどない「島」という場所で農業をしているんだから、規模が全然違います。
農家と名乗っていいのかな? と、ときどきふと考えたりします(笑)。

5月上旬、植えたばかりのナス、ピーマンの苗たち。

5月上旬、植えたばかりのナス、ピーマンの苗たち。

7月上旬、収穫が始まったナス、ピーマン。畑の景色は日々変わってます。

7月上旬、収穫が始まったナス、ピーマン。畑の景色は日々変わってます。

定番の真黒ナス。このほかに、長ナス、越前水ナス、緑ナス、紫宝ナスなど色や形、食感の違う5種類のナスを育てています。

定番の真黒ナス。このほかに、長ナス、越前水ナス、緑ナス、紫宝ナスなど色や形、食感の違う5種類のナスを育てています。

校舎ににぎわいを取り戻したい!
旧美流渡中学校の校舎再生プロジェクト

撮影:佐々木育弥

2年前に閉校になった中学校の試験活用が始まる

私の仕事場の窓からいつも見えるのが旧美流渡(みると)中学校の校舎とグラウンド。
過疎化によって2年前に閉校。中学校の裏手には同時期に閉校になった小学校もあり、
こちらには息子が2年間通っていた。

小中学校は一緒に運動会をしたり、PTAでの交流もあったりと、
私にとってはどちらもなじみ深い場所。
そして、ふたつある校舎のうちの中学校については、
今年から試験活用が行われることとなった。

学校として使われていた10年ほど前に大規模な改修が行われていて、校舎はとてもきれい。(撮影:佐々木育弥)

学校として使われていた10年ほど前に大規模な改修が行われていて、校舎はとてもきれい。(撮影:佐々木育弥)

閉校については、以前の連載でも書いたとおり、
地域の灯がひとつ、またひとつと消えていく寂しさを感じさせるものではあったが、
同時に私は始まりでもあると捉えたいと思った。

子どもの人数が減っていけば、学校という形態を維持するのは難しい。
それであれば、地域の現状に即した活動内容へと変化させていくことで、
また新しい風が起こるんじゃないだろうか。
何よりわが子の思い出も詰まったこの場所が、
だんだん荒んでいくようなことになるのは避けたい。

そんな思いから、私が代表を務めている地域PRプロジェクト
〈みる・とーぶ〉が中心となって、市内にある北海道教育大学岩見沢校と連携しながら、
一昨年、昨年と学生さんや市民のみなさんと、
校舎活用やまちづくりに関するディスカッションの場を設けてきた。

北海道教育大学岩見沢校の学生たちが考えた美流渡中学校の3年後の未来予想図。

北海道教育大学岩見沢校の学生たちが考えた美流渡中学校の3年後の未来予想図。

このとき、校舎の管理をしている市役所や教育委員会が
どんな展望を考えているのかは、はっきりとはわからなかったが、
市民側からのアクションを続けていくことは大切なんじゃないかと考えていた。
しかし、新型コロナウイルスの感染が拡大していき、
校舎活用のディスカッションも一時中断せざるを得なくなり、
1年ほどこの活動が止まったままとなってしまった。

そんなあるとき、昨年夏に東京から美流渡へ移住し、
地域活動にも関わってくれている画家・MAYA MAXXさん
こんなことを話した。

「雪に覆われた真っ白なグラウンドに、
ひとつだけ巨大なオブジェがあったら美しいと思う」

今年の3月ごろだったのではないかと思う。
美流渡地区は10年ぶりの大雪に見舞われており、
中学校のグラウンドはまだ真っ白な状態だった。
誰も踏みしめていない雪の絨毯を毎日のように見ていたMAYAさんは、
ここに数十メートルのポールを立て、それを芯にクマのオブジェをつくって、
実際に自分でそれを眺めてみたいと思ったという。

一面の雪に覆われたグラウンド。

一面の雪に覆われたグラウンド。

このクマのオブジェというプランは奇想天外なものではあったが、
私はグラウンドを借りられないかと市役所に掛け合うこととなった。

市の担当者と話しているなかで、このオブジェ制作とともに、
校舎の整備や清掃活動も自分たちで行いたいと申し出た。
日々、窓から校舎やグラウンドが見えており、
雪解けとなってからは雑草が勢いを増していく様子を見ていて、
気になってしかたがなかったからだ。

また、小中学校ともに豪雪対策から、1階の窓には雪止めの板が貼られていた。
地域の住民からは、校舎が閉ざされてしまった感じがして
悲しいという声が上がっていたことから、
MAYAさんが窓の板に絵を描いたらどうかという話をしてくれた。

1階が雪止めの窓で塞がれた校舎。

1階が雪止めの窓で塞がれた校舎。

MAYAさんは、昨年アトリエのドアや窓に紺色の絵具で石を描き、今年は倉庫に植物の文様を描いた。美流渡がどんどん明るいムードになっているように思う。

MAYAさんは、昨年アトリエのドアや窓に紺色の絵具で石を描き、今年は倉庫に植物の文様を描いた。美流渡がどんどん明るいムードになっているように思う。

摘みたてのハーブにお湯を注ぐだけ!
おいしいフレッシュハーブティー

レモングラスにローズマリーにバジル! 庭のハーブを楽しむ

初夏の小豆島、日に日に風景のなかの緑色が濃く、力強くなっていきます。
うちの庭の木々やハーブたちも新しい葉を増やしながらぐんぐん成長してます。
植物の力強さを感じる季節です。

庭の緑も庭越しに眺める山の緑も夏に向かって濃くなっていきます。

庭の緑も庭越しに眺める山の緑も夏に向かって濃くなっていきます。

いまの家で暮らし始めて9年目。
少しずつ少しずつ手を入れて育ててきた庭。
観賞用の美しい庭もいいのですが、ハーブなど食べられる植物をメインで育てる
「エディブルガーデン」(食べられる庭)にしたいなと思い、
ハーブの苗を分けてもらったりして、毎年増やしてきました。

小豆島で暮らし始めて9年目のうちの庭。リュウゼツラン(トゲトゲしたアロエみたいな植物)がだいぶ大きくなりました。

小豆島で暮らし始めて9年目のうちの庭。リュウゼツラン(トゲトゲしたアロエみたいな植物)がだいぶ大きくなりました。

レモングラスにセージにローズマリー。庭に近寄って見てみると実はいろんなハーブが植わってます。

レモングラスにセージにローズマリー。庭に近寄って見てみると実はいろんなハーブが植わってます。

植物には1年で枯れてしまう「一年草」と、
何年も枯れずに育ち続ける「多年草」があります。

例えば、スイートバジルは、苗を植えてもその株は1年で枯れて終わってしまいます。
種が自然と落ちて、環境がよければ次の年の春に新しい芽が出てきます。
ちなみにバジルは熱帯地域を原産とするシソ科のハーブで、
本来は毎年枯れずに成長する多年草なのですが、
寒さに弱く四季のある日本では冬に枯れてしまいます。

一方で、ローズマリーは寒さに強く、小豆島では年中葉を茂らせています。
越冬しますが、新しい葉が出てきて元気に成長するのは春夏です。
やっぱり冬はじっと寒さに耐えてる感じですね。

それから、ミント! ミントは宿根草で、冬の間は地上の葉は枯れてしまったり、
残っていても弱々しい感じですが、しっかり土の中で生きています。
一年草か多年草かといえば多年草ですね。
ミントに関しては地植えをおすすめできないほど
土の中で根を増やし、毎年繁殖してきます。
気づけば庭中ミントだらけ。力強い植物です。

そんな知識も何年も庭の手入れをしているとだんだんとついてきます。

「今年はここらへんにパクチーの苗を植えてみよう」
「レモンバームをもっと増やしたいなぁ、株を分けて移植しようかな」

その植物が1年で枯れてしまうのか、来年もそこに残り続けるのか、
そんなことをイメージしながら植えてます。

鉢植えで育てているレモングラス。いつもこの葉を摘んでハーブティーにしてます。

鉢植えで育てているレモングラス。いつもこの葉を摘んでハーブティーにしてます。

昔おじいちゃんが植えた松の木やサルスベリの木、あやめなども残っています。少しずつ庭もリノベーション。

昔おじいちゃんが植えた松の木やサルスベリの木、あやめなども残っています。少しずつ庭もリノベーション。

小さな丸い葉がかわいいタイムは冬の間はほとんど枯れてしまいますが、春になるとまた新しい芽が出てきます。

小さな丸い葉がかわいいタイムは冬の間はほとんど枯れてしまいますが、春になるとまた新しい芽が出てきます。

ヨモギでオイルバームづくりに挑戦!
庭の草花を暮らしに生かす

野草が自生する庭に

昨年から岩見沢市の美流渡(みると)地区に借りた仕事場で
日課となっているのは、庭づくり。
幅10メートル、奥行5メートルくらいの広さがあって、
雪解けから少しずつ手入れをしている。

手入れといってもすごく簡単で、イネ科の草とセイタカアワダチソウという外来種を
ときおり抜いていくだけ。少しだけ花を植えたり畑にしたりもしているが、
あとは野草が自然にまかせて育つのを見守るようにしている。

なぜ、イネ科の草とセイタカアワダチソウだけを抜こうかと思ったかというと、
以前、岩見沢の市街地で暮らしていたときに、何もしていなかった庭が、
だんだんとイネ科の草とセイタカアワダチソウに覆われて、
ほかの植物が消えていく様子を見ていたからだ。

全面を覆うカバー力のある植物の繁殖を弱めてあげると、
いろんな野草が生えるんじゃないかと考え、
借りたばかりのときは荒れ放題となっていたこの庭の手入れを始めた。

庭には野草がいっぱいに生えている。

庭には野草がいっぱいに生えている。

今年は雪解けとなった4月中旬頃から、この手入れを始めており、
昨年とは庭の様子が明らかに変わっていった。
以前の住人が植えたバラやボケなどの低木の勢いもよく、
その手前には、白と赤の花を咲かせるクローバーが成長していった。

ほかにも、アサツキやミツバ、ドクダミ、ヨモギ、フキなどが芽を出し、
あっという間に緑に覆われていったのだが、昨年とは違い
植物たちが上手に棲み分けしながら、調和を持って育っているように見えた。
このエリア分けを崩さないように、小さな道をつけてみると、
さらに庭らしい雰囲気となっていった。

野菊があちこちに生えている。東京で暮らしてきた私にとっては、雑草として刈ってしまうのは惜しいくらいの美しさがある。

野菊があちこちに生えている。東京で暮らしてきた私にとっては、雑草として刈ってしまうのは惜しいくらいの美しさがある。

あえてタネや苗をお店で買って植えたわけではない庭だけれど
(ほかの家と様子がかなり違う)、それでもいろいろなものが収穫でき、
毎日の楽しみになっている。
ほとんど雑草のようにあちこちに自生しているアサツキやミツバをつんで薬味にしたり。
スギナやカキドオシを干してお茶にしたり。

スギナ、ヨモギ、カキドオシなどを干してお茶にする。

スギナ、ヨモギ、カキドオシなどを干してお茶にする。

そして、今年どうしても挑戦したいと思っていたのがバームづくりだ。
化粧品のジャンルでいえば、クレンジングや保湿などに使われるオイルを
固形化させたものがそれにあたる。
ネットで調べてみると、自分でもつくれることがわかり興味を持った。

今回挑戦したのは、ヨモギのオイルバーム。
ヨモギは、かぶれやかゆみをやわらげる効果があるというので、
虫に刺されたときに使ってはどうかと考えた。

以前から、ドクダミの花をホワイトリカーにつけた
「ドクダミチンキ」を虫刺され対策として愛用していたのだが、
かきむしったあとにつけるとしみるので、子どもたちには案外不評。
ヨモギのオイルであれば、アルコール分がないからしみないんじゃないか。

効くか効かないかはよくわからないが、
何かつけると子どもたちはひとまず安心するので、
おまじないのような役目を果たしてくれればと思った。

ドクダミの花を摘んで、それをホワイトリカーにつけるとチンキになる。

ドクダミの花を摘んで、それをホワイトリカーにつけるとチンキになる。

長野県立科町〈町かどオフィス〉
工事費3万円!? 古い建物を再利用して
空き家活用の拠点に

YONG architecture studio vol.6

横浜市の野毛山エリアで活動しながら、
長野県立科町で地域おこし協力隊として活動する
〈YONG architecture studio〉永田賢一郎さんの連載です。

立科町にて、空き家活用の促進をミッションに活動拠点をつくるべく、
まちの中心部に空き店舗を見つけたのが前回まで。
今回はその空き物件のリノベーションの過程と、
そこから広がる活動について紹介します。

〈藤屋商店〉を開く

前回ご紹介した〈藤屋商店〉さんは、築97年と歴史ある建物であり、
まちの中心に位置するため、かつてはまちのみんなが知っている商店でした。

お店は約10数年前に閉店しているが、オーナーさんはまだこの建物に住んでいらっしゃる。

お店は約10数年前に閉店しているが、オーナーさんはまだこの建物に住んでいらっしゃる。

内見させていただくと、当時の様子が想像できる家具や小物がたくさんあり、
移住者である僕にとっては、とても魅力的でどこか懐かしい空気のある場所でした。
なるべくこの雰囲気を壊さないよう、
最小限の手数で活用していくのがよさそうだと思いました。

藤屋商店の山浦文子さん。

藤屋商店の山浦文子さん。

昔の藤屋商店の様子。

昔の藤屋商店の様子。

ただ、こちらの物件の店舗部分には水回りがなく、
トイレも老朽化して撤去された状態でした。
地方では下水道の整備が不十分で、汲み取り式のトイレも少なくありません。
そのため、水回りの工事はコストがかかります。

空き家や空き店舗を活用する際、
「こうした不利な条件をどう捉えるか」が場所づくりのヒントになります。
お金をかけて修繕するだけでなく、現状使えるものから
場所の使い方を考えることで、新しい活用方法が見えてきます。

ここにあるもので何ができるか。

ここにあるもので何ができるか。

藤屋さんの場合、徒歩15秒ほどの距離に、ふるさと交流館〈芦田宿〉があります。
なので、トイレを使うなら交流館へ行けばいいのです。
そして、コーヒーが飲みたくなったり、まちについて聞きたいことがあれば、
同じ通りの〈はじまるカフェ〉さんや〈清水商店〉へ行けばいいのです。

建物がすべての機能を備える必要はなく、積極的にまちや周辺環境に頼れば、
不完全な建物は活路を見い出せるし、まちには人の往来が生まれるようになります。

小豆島の素材を味わえる
〈キッチンUCHINKU〉の
おいしいランチ

地元の人たちで賑わう、「自分の家」のようなカフェ

小豆島の「醤(ひしお)の郷」という醤油蔵が立ち並ぶ地区に、
〈キッチンUCHINKU(うちんく)〉というカフェレストランがあります。
「うちんく」とは、四国地方の方言で「私の家」という意味。
元そうめん工場の倉庫をリノベーションした広くてゆったりした店内で、
もうひとつの自分の家で過ごしているような気分で
ごはんを食べたり、話をしたりできるお店です。

住宅街にあるそうめん工場の倉庫をリノベーションした〈キッチンUCHINKU〉。

住宅街にあるそうめん工場の倉庫をリノベーションした〈キッチンUCHINKU〉。

ワークショップで子どもたちと一緒につくったみんなの「うちんく(私の家)」が店内に飾られています。

ワークショップで子どもたちと一緒につくったみんなの「うちんく(私の家)」が店内に飾られています。

UCHINKUは、小豆島に移住してきた西本さんご夫妻が2017年4月にオープン。
奥さんの西本理香さんは小豆島出身。
移住する前にご家族で何度も小豆島を訪れていたそうで、
京都や大阪のレストランで、20代にして店長を務めてきたご主人の西本真さんは、
いつかこの場所で自分のお店をやりたいと思っていたそう。

オープンして4年、いつも地元の人たちがごはんを食べに来ていて、
ランチ時は特に賑わっています。

周年おめでとう! の絵をお子さんが描いてくれたそう。こういうの宝ですね。

周年おめでとう! の絵をお子さんが描いてくれたそう。こういうの宝ですね。

ランチのデリプレート。野菜いっぱいでうれしい。パンは奥さんの理香さんが焼いてくれます。

ランチのデリプレート。野菜いっぱいでうれしい。パンは奥さんの理香さんが焼いてくれます。

パスタやデリプレート、グリーンカレーヌードルなどいろんなランチを楽しめます。

パスタやデリプレート、グリーンカレーヌードルなどいろんなランチを楽しめます。

UCHINKUさんには毎週、私たち〈HOMEMAKERS〉の野菜をお届けに行っています。
島内のレストランやカフェなどで野菜を使ってもらえるのは、
私たち農家にとってとてもありがたく、うれしいことです。

「来月ってどんな野菜があります?」
「花ズッキーニが採れるけどどうかな?」
「エンダイブ育ててほしいんですよ」

近くにいてちょくちょく会えるからこそ、そんなやりとりができる。
お互いにフィードバックしながら野菜を育てる、料理する、そんな関係です。

コリンキーやインゲンなどを使ったサンドを試作中。盛りつけを一緒に検討。

コリンキーやインゲンなどを使ったサンドを試作中。盛りつけを一緒に検討。

「焼くとうまいんすよ」とグリル。うん、たしかにおいしい。

「焼くとうまいんすよ」とグリル。うん、たしかにおいしい。

土偶をつくってみたい!
〈栗沢工芸館〉で始めた
中空土偶づくり

縄文時代につくられた土偶を完全再現!?

前回の連載で、岩見沢市の美流渡(みると)に昨年移住した
画家のMAYA MAXXさんが陶芸の制作をしていることを書いた。
実は傍らで、昨年の冬から私も週1回、陶芸をするようになった。

きっかけはMAYAさんと一緒に、地域にある〈栗沢工芸館〉を訪ねたことだ。
ここは市民が予約をすればさまざまなクラフトが体験できる施設で、
冬季は地元の陶芸家のきくち好惠さんが担当となり、
陶芸制作を中心にした体験が行われている。
MAYAさんがあるとき、きくちさんに「菊練り」を学ぶというので、
私も教えてもらうことにした。

菊練りとは、粘土の中に残っている空気の粒を抜くために行う基本の工程で、
一度ちゃんと知っておきたいと思っていたのだ。

〈栗沢工芸館〉には地域の人々がクラフトを体験できる環境がある。

〈栗沢工芸館〉には地域の人々がクラフトを体験できる環境がある。

午前中、たっぷり菊練りを練習。
けれど練った粘土をどうするのか、私はまったく考えていなかった。
せっかく練ったんだから、何かつくってみようかな。
そう思ったとき頭に浮かんだのは、函館にある北海道唯一の国宝、「中空土偶」だった。

函館市南茅部地区で発見された中空土偶で「茅空(カックウ)」という愛称で親しまれている。〈函館市縄文文化交流センター〉で公開。

函館市南茅部地区で発見された中空土偶で「茅空(カックウ)」という愛称で親しまれている。〈函館市縄文文化交流センター〉で公開。

土偶は縄文時代につくられた素焼きの造形物で、全国各地で出土している。
以前から土偶の独創的な形に惹かれていて、
写真集や文献を集めたり、絵本を描いたこともあった。
2016年に近隣の地区に山を買ったときには、山の土で土偶をつくったこともあった。
そのとき、土をきちんと精製していなかったため手のひらサイズしかできなかったが、
いつか大きな土偶をつくってみたいという気持ちを持っていた。

土偶の何が好きなのかは言葉で言い表すことが難しいのだが、
私にとってはかわいいぬいぐるみを見たときのように心が和み、
またさまざまな土偶の形を見れば見るほど、
なぜこのような造形になったのかとあれこれ想像するのがとても楽しい。

2012年につくった絵本『DOGU』。ウェブで公開したことがある。

2012年につくった絵本『DOGU』。ウェブで公開したことがある。

山の土を使ってつくった土器と土偶。

山の土を使ってつくった土器と土偶。

というわけで、中空土偶をまったく同じようにつくってみようと考えた。
この土偶の高さは41.5センチ。
中が空洞になっている「中空」構造の土偶の中で最大の大きさ。
きくちさんにアドバイスをもらい、上半身と胴体、足をパーツに分けてつくり、
最後に合体させることにした。

私は美術大学に通っていたので、粘土で立体をつくった経験はあった。
しかし、中を空洞にした大きな物体をつくるのは今回が初めて。
手探りのなかで少しずつ作業をしていった。

まずは上半身をつくっていった。

まずは上半身をつくっていった。

建築家が地域おこし協力隊に。
長野県立科町で空き家問題に挑む

YONG architecture studio vol.5

横浜市の野毛山エリアにて、
オフィスや住宅、アトリエなど複数の拠点をつくり活動する
〈YONG architecture studio〉永田賢一郎さんの連載です。
今回は2020年6月から活動している、
長野県北佐久郡の立科町(たてしなまち)での取り組みを紹介します。

多拠点で動き回る「風の人たち」

建築の仕事に限ったことではありませんが、複数の地域に拠点を持ち、
地域の人と関わりながら活動している人たちがいます。
横浜で日々接する知人や友人たちにも、そのような暮らし方をする人たちがいました。

地域の風土をつくるには、外からやってくる「風の人」と
地域に根ざした「土の人」の存在が重要だといいます。
風の人の役割は、地域に新しい価値観や人を運んでいくことです。

横浜の藤棚商店街にて〈藤棚のアパートメント〉
〈藤棚デパートメント〉の職住近接の暮らしを送るなかで、
自分も風の人となって横浜以外の別の地域にも関われたなら、
もっと多角的に地域のことを見られるようになるのでは、と思うようになりました。

立科/蓼科との縁

僕にとっての“別の地域”は、長野県の立科町でした。
この立科町は「蓼科」という字のほうがなじみがあるかもしれません。
蓼科山の北側の山麓にあり、県内では東信地区といわれるエリアです。
「蓼」という字が当用漢字になく「立科」という名前が町名になりました。

立科町移住定住支援サイト『旅する移住』より抜粋。立科町は面積66.87平方キロ、人口7000人弱と小さな町で、南北に細長く、中央でくびれているのが特徴。

立科町移住定住支援サイト『旅する移住』より抜粋。立科町は面積66.87平方キロ、人口7000人弱と小さな町で、南北に細長く、中央でくびれているのが特徴。

蓼科山は幼少期からよく家族で訪れていた場所で、
訪れるたびに工作をしたり絵を描いたりして過ごしていました。
自然に囲まれた環境のなかで、最初にものづくりの楽しさに目覚めた場所でもあり、
建築の仕事に進もうと思ったのも当時の環境が影響している気がします。
いつか何かのかたちでここに関わりたいと思いつつ、
それは遠い先の話だと思っていました。

中学生の頃。蓼科に来たら工作するのがお約束。

中学生の頃。蓼科に来たら工作するのがお約束。

北海道の森の景色が育んだ
臼田健二さん、
MAYA MAXXさんの二人展

森に囲まれた道北のまち、下川町を訪ねて

昨年7月に東京から北海道の美流渡(みると)地区へ移住した
画家のMAYA MAXXさんと
木工作家の臼田健二さんの二人展が、吉祥寺で開催されている。

開催の経緯は思いがけないものだった。
昨年秋、私は雑誌の取材で道北・下川町に住む臼田さんのもとを訪ねたことがある。
このとき運転が苦手な私に代わって車を出してくれたのがMAYAさん。
道内各地を巡ってみたいという思いもあって一緒に下川町を訪ねてくれた。

臼田さんは下川町木工芸センターで作品を制作している。工房には樹種も形もさまざまな器が無数に並んでいた。

臼田さんは下川町木工芸センターで作品を制作している。工房には樹種も形もさまざまな器が無数に並んでいた。

臼田さんは静岡県出身。東京でシステムエンジニアとして働いた後、
1992年に北海道に移住し木工制作を始めた。
東川町で工房を開き、2015年に下川町に拠点を移した。
主に器を制作していて、ナラやセンなどさまざまな樹種が使われている。
クルミの器は、木の皮の部分をあえて残していて、その有機的な形からは、
天に向かって木が伸びていく生命力のようなものが感じられる。

クルミの器。皮の部分と内側の部分の色のコントラストが美しい。

クルミの器。皮の部分と内側の部分の色のコントラストが美しい。

臼田さんは地元の材を使うことにこだわりを持っている。
北海道の広葉樹は、紙の原料としてチップにされてしまうことが多い。
年月を経て大きくなった木でさえも、粉々になってしまう状況を見て、
そこに新しい命を吹き込むことはできないだろうかと考えたという。

取材で訪ねた日、臼田さんは所有する森に案内してくれた。2016年に山を買い、自ら間伐をして道をつけ、大きなウッドデッキもつくった。

取材で訪ねた日、臼田さんは所有する森に案内してくれた。2016年に山を買い、自ら間伐をして道をつけ、大きなウッドデッキもつくった。

「道北の風景は美流渡はとはまた違う」、下川町を訪ねMAYAさんは語った。

「道北の風景は美流渡はとはまた違う」、下川町を訪ねMAYAさんは語った。

MAYAさんは取材に同行するなかで、偶然にも
以前から家に置きたいと思っていたランプシェードが
臼田さんの手によるものだったことに気づいた。
ちょうど欲しいサイズがネットで売り切れていたという話をMAYAさんがしたところ、
その翌日、取材帰りの私たちに臼田さんがランプシェードを手渡してくれた。
昨日、取材を終えてすぐに工房でつくってくれたというのだ(!)。

MAYAさんの自宅に取りつけられたランプシェード。

MAYAさんの自宅に取りつけられたランプシェード。

塩分18%の昔ながらの梅干しレシピ!
小豆島の梅と瀬戸内海の塩でつくる

梅の下準備から土用干しまで! 丁寧に紹介します

6月、梅仕事の季節です。
梅干し、梅シロップ、梅酒、梅コンポート、梅酢など、1年分の梅食材を仕込む季節。
私たちにとって、特に「梅干し」は欠かせない食材なので、
梅仕事は暮らしの大事な仕事です。

小豆島に移住して、この地で育った梅で梅干しをつくるようになって
今年で9年目(途中仕込めなかった年もありますが)。
ようやくレシピも落ち着いてきたので、
今回は私たち〈HOMEMAKERS〉の梅干しのつくり方をご紹介します。
塩分18%の昔ながらの梅干しづくりです!

幼稚園時代の娘。一緒に梅の収穫をしました。

幼稚園時代の娘。一緒に梅の収穫をしました。

夏休みに梅干しを干す仕事。

夏休みに梅干しを干す仕事。

まずは主役となる「梅」の準備。
梅干しに使う梅は黄色く熟した完熟梅が理想的。
黄色く熟して、樹から自然に落下した梅を使うのが最高なのですが、
それはなかなか難しいので、熟し始めた頃に木から梅を手摘みします。

ちなみにうちは梅専門の農家ではないので、
そんなにたくさんの梅の木があるわけではありません。
祖父が残してくれた大きな梅の木。
もう収穫しないからと近所の方から譲り受けた梅の木。
耕作放棄され、山に戻ってしまいそうな段々畑に植えられている木も多く、
自然栽培といえば聞こえがいいですが、自然の中でワイルドに育った梅たちです。

農薬も化学肥料も使わず、自然の中で育った梅で梅干しをつくれることがうれしい。

6月に入ってから梅の収穫が始まります。

6月に入ってから梅の収穫が始まります。

まだ少し緑色の梅。梅干しをつくるときは、収穫後に追熟させます。

まだ少し緑色の梅。梅干しをつくるときは、収穫後に追熟させます。

梅ひと粒ひと粒を手で摘みます。

梅ひと粒ひと粒を手で摘みます。

収穫した梅は、より柔らかくふっくらした梅干しになるように
「追熟(ついじゅく)」させます。

収穫してからも梅は呼吸していて、熟していきます。
このとき気をつけないといけないのが、追熟させる環境。
ビニール袋などに入れたままでは傷んでしまいます。

おすすめなのはダンボールに新聞紙を敷いて、
そこになるべく重ならないように梅を広げ、フタは半開きの状態にして、
常温で直射日光の当たらない風通しのいいところに置いておくこと。
そうすると、梅が緑色から黄色に変わり、なんともいい香りがしてきます。
皮が柔らかくなってきたら、梅干しにするグッドタイミングです!
(ちなみに最初から熟した黄色い梅であれば、この追熟は必要ないです)

追熟して黄色くなった梅。部屋中に梅のいい香りが漂います。

追熟して黄色くなった梅。部屋中に梅のいい香りが漂います。

さて、ようやく梅干しづくり。
大きな流れとしては、

1 梅を塩漬けする(6月中旬)

2 赤紫蘇を入れる(6月下旬)

3 土用干しする(晴れの日に3日ほど干す)(7月下旬)

という感じ。
時期はあくまでも目安で、赤紫蘇を入れるのが7月になってしまっても、
梅を干すのが8月になってしまっても、梅干しがつくれないわけじゃないです。
ただ、梅が採れるタイミング、赤紫蘇が採れるタイミング、
晴れが続くタイミングに合わせると、だいたいこのような時期になります。