現在、東京の千代田区、中央区、文京区、台東区の各所で行われている
国際芸術祭〈東京ビエンナーレ2020/2021〉。
2年に1度開かれるビエンナーレとして、今回初めての開催を迎えた。
都市型の芸術祭や美術展では大きな美術館などが軸となることが多いが、
東京ビエンナーレは神田・湯島・上野・蔵前エリア、
本郷・水道橋・神保町エリアといったいくつかのエリアに会場が分かれ、
歴史的建築物や公共空間、商業ビルなどさまざまな場所に作品が点在。
国内外のアーティストが参加し、サイトスペシフィックな展示やアートプロジェクト、
デジタルで鑑賞するAR作品など、多様な作品が展開されている。
小川町の交差点にほど近い、元額縁屋の〈優美堂〉でも
アートプロジェクトが行われている。
戦前からそこに佇み、戦後まもなく富士山の看板を掲げて額縁屋として開業し、
長く地域で愛されてきた木造2階建の建物。
しばらく使われていなかったこの建物に新たな息吹を吹き込み、
また人が集まる場所に再生させるプロジェクト
『優美堂再生プロジェクト ニクイホドヤサシイ』だ。
手がけているのは、東京ビエンナーレの総合ディレクターでもあるアーティスト、
中村政人さん。
「これだけ特徴的な看板建築をなんとか残したい。
建物の中にたくさん残っていた額も使いながら、
新たな小さなコミュニティを生み出せないかという思いで
プロジェクトを始めました」と話す。

中村さんがこの建物と出合ったのは、2012年に神田のまちを中心に
自身が手がけたプロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」のとき。
あるアーティストが地域のリサーチをするなかで、
作品のモチーフに優美堂を選んだのがきっかけだった。

戦後間もなく創業した〈優美堂〉。(写真提供:三澤義人)
その当時はまだ額縁屋として営業していたが、
その数年後にはシャッターが降りていることが多かったそう。
店の前を通りかかるたび気になっていた中村さんは、
ここでプロジェクトをつくりたいという思いを手紙に綴り、
一昨年の秋頃にシャッターの隙間に手紙を差し入れたのだという。
それから半年近く経ち、たまたま通りかかったときにシャッターが開いていて、
店主の息子さんと話すことができたが、そのときにはすでに取り壊しが決まっており、
新たな建築計画もできていた。
それでも中村さんはこの優美堂を地域で大切にしたいという思いを伝え、
諦めずに粘り強く交渉を続け、5年間の契約で貸してもらえることになったのだ。

プロジェクトタイトルの「ニクイホドヤサシイ」は、優美堂の電話番号の語呂合わせから。
そこから改修計画を練り、場をどう運営していくかなどプロジェクトの骨子を固めた。
SNSで人を募り、昨年8月頃から掃除をスタート。
近くに住む人ばかりでなく、近県からやって来る人や、
学生から建築家までさまざまな人たちが集まるように。
50~60人の人たちが関わりながら、片づけから改修まで協働した。

優美堂から運び出した約3000点以上の額。(写真提供:東京ビエンナーレ)
「業者に頼めばすぐできることですが、それでは何も関係が生まれない。
みんなでつくるという経験をすることで、それぞれの意識のなかに
自分が携わったという感覚が芽生えると思うんです。
こういう都心で自分ごととして関われる場所って、意外とないんですよね。
建物がいずれ壊されたとしても、ここに優美堂があったという記憶が、
この場所に関わることで心に刻まれる。そのためのプロジェクトです」と中村さん。

優美堂の大掃除に集まった30名以上のボランティア。(写真提供:東京ビエンナーレ)
これだけこの建物にこだわるのには、
東京のまちが均質化されていくことへの違和感がある。
「建物が壊されても、“ここに何があったっけ?”って何の記憶も宿らない。
どこもかしこも同じような風景になって、同じようなことをしていて、
誰がどこにいるのかもわからない。
それよりは、自分の興味や関心を優先して関われる場があると楽しいですよね。
東京でそういう場をつくるのはなかなか難しいけれど、
ここであればできると思いました」
改修が終わってからは、展覧会が開かれたり、ヨガをするイベントが企画されたり、
カフェを開く準備が進められるなど、
プロジェクトメンバーによって、人が集まる場所がつくられつつある。

額縁を製造販売していた優美堂。その額に入った作品を展示する「ニクイホドヤサシイ/千の窓」展を開催中。