連載
posted:2021.7.21 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
昨年の7月17日に、20年来の友人であり、
これまで数々の仕事をともにしてきた画家のMAYA MAXXさんが、
美流渡(みると)に移住してきた。
移住してちょうど1年が経つのを前に、1冊の本が生まれようとしている。
タイトルは『移住は冒険だった』。
東京から北海道への移住をMAYAさんは“冒険”であるとし、
その活動と描かれた作品を収録した本だ。
編集と文章は私が担当し、4年間続けている小さな出版活動
〈森の出版社ミチクル〉から刊行することとなった。
本をつくるきっかけは、今年の3月に私が編集した『いなかのほんね』だ。
この本は、美流渡をはじめとする岩見沢の山あいに住む人々10組に
インタビューをしたもの。
このときMAYAさんにも取材をさせてもらい、完成したばかりの本を手渡したところ……
「このくらいの小さな本で、1年ごとに活動の記録をまとめてみたい」
そう、話したことから本づくりがスタートした。
刊行目標は移住から1年後。
印刷所への入稿時期を考えると、準備期間はわずか3か月。
編集の期間はとても短いものだったが、これまでコロカルの連載でも
MAYAさんの活動について記事にしてきたし、写真も撮りためていたものがあったので、
とにかくそれらをもとに全体の構成を考えてみることにした。
まず、節目となった時期に撮影した写真と作品を時系列に並べていった。
なぜ北海道への移住を決断したのかも大切だと考え、移住する以前についても触れた。
昨年は新型コロナウイルスの感染拡大によって外出自粛が要請され、
MAYAさんの個展が中止や延期となったわけだが、今回時系列に活動を追うことで、
どんな状況でも絵を描き続けてきたMAYAさんの姿が浮かび上がってきた。
そして、編集を進めていくなかで、北海道へと移住して、
瞬く間に絵に変化が起こっていたことをあらためて感じることができた。
アトリエの整備が終わって本格的に制作が始まったのが9月1日。
その後、絵の全面にグリーンやイエローなどが現れ出したのが10日後のこと。
ものを際立たせるための輪郭線が消え、
森の木々を感じさせる色で画面が埋め尽くされていった。
「住む場所に影響を受けるというのはわかっていましたが、
これほどまでとは思いませんでした。何を描こうとは思っていなくても、
見たものが蓄積されて、それが画面に表れていきます」
秋が過ぎて冬へ。そして10年に1度の大雪を体験。
季節がめぐるごとに色彩は変化し、絵から立ち上ってくるムードも変わっていった。
そして、真っ白な雪の中で過ごした数か月を超えて、
まるで雪を内側から見たかのような、透き通るブルーの絵が生まれた。
Page 2
ここまでの流れを写真と作品とで迫り、
ある程度の構成が固まってきたのが5月中旬だった。
このときMAYAさんは苔を採取することに興味を持っており、
その行為と呼応するかのように濃いグリーンの作品も生まれていった。
スケジュール的には、そろそろこれでページの構成を固めたいところだったが、
何かもうひとつ、未来を予感させるようなものを入れたいと私は思っていた。
だが、苔を思わせるような絵画を数点描いたあと、
MAYAさんはパッタリと描かなくなった。
アトリエにあった絵は片づけられ、白く塗られたパネルやキャンバスが
いくつも置かれていたが、静けさだけが漂っていた。
そんなある日のこと。MAYAさんの誕生日の頃だったろうか。
5月下旬になって、新しい絵ができたから見てほしいと言われアトリエに行くと、
形はぼんやりとしつつも確かな感触のある赤い炎のような絵があった。
そこには、これまでの絵とかすかに違う、変化の兆しが感じられた。
MAYAさんの中に、ある“確信“が芽生えたと言ってもいいのかもしれない。
その絵が生まれたあとに、120×240センチメートルの大きな作品が描かれた。
草が渦巻くようなその作品は、グリーンが使われていたが、
1年前のグリーンとは、明らかに質の違うものだった。
言葉が追いつかないのが残念だが、目に映る緑ではなく
心に灯る緑と私は言いたいと思う。
「大地から沸き起こるものや、天から降り注いでくるものがあったとして、
それと自分の歯車がカチッと合うような感覚があるんです」
5月に現れた一連の作品を本の最後に収録し、
これで1年の幕を閉じることができると思った。
デザインを依頼したのは『いなかのほんね』も手がけてくれた
〈ナカムラグラフ〉の中村圭介さんと、この事務所のスタッフである樋口万里さん。
日付と写真や絵が際立つようなレイアウトを考えてくれ、
これをもとにして、1年を振り返りながら文章を執筆していった。
このとき、できれば絵を前にしてMAYAさんが何かを語ったときに、
ふわりと感じられるアトリエの空気感のようなものを表したいと思った。
それは絵によって違っていて、時にぴーんと凍りつくように冷たい感覚であったり、
春のようにやわらかな感覚であったり。
微細な変化をすくいとって書くことができるのは、
いつでも顔を合わせているから可能なことなのかもしれない。
それが紙面からわずかにでも感じられたらと願った。
Page 3
「ずっと心の奥に私は自然というものを本当には知らない、
その中に自分がいるという実感を持てたことがないという想いがありました。
そのことが私の根のなさ、軽さ、薄さに通じているのではないかと思っていました。
そしていま。窓から緑しか見えないようなところで1年暮らしてみて、
いるだけで幸せだなぁ、何かあるわけではないのだけど
なんだかウキウキするなぁと思うようになりました」
これはMAYAさんがこの本に寄せた言葉だ。
そもそも、美流渡に移住するきっかけとなったのは、
「この地区にあった空き家を借りてアトリエをつくらないか」
と私が提案したところから始まっている。
都会が長かったMAYAさんが、過疎地でどんな暮らしをするのか。
自然しかないようなこの場所は、人との出会いも限られてしまうので、
コロナが収束したら東京との2拠点に戻っていくのかな? と想像したこともあった。
けれど、最近、個展やイベントで東京などへ1週間ほど滞在して戻ってくると、
「思いのほか、自分がここを気に入っていることがわかった」
とMAYAさんはたびたび語るようになった。
この言葉を聞いて私は本当にうれしい気持ちでいっぱいになった。
MAYAさんがここにいてくれることは、私にとっても、
自分自身の執筆や編集活動にも大きな気づきをもたらしてくれる、
本当にありがたい機会になっているからだ。
仕事場の窓からは、MAYAさんのアトリエが見えていて、
そこを行き来する姿をいつも見ている。
筋書きのない冒険の物語がどう展開していくのか、まったく予想がつかないので、
私も毎日ワクワクした気持ちでいる。
ある日、風のように別の場所へと冒険の旅に出てしまうようにも思えるけれど、
願わくは、これからもずっとお隣さんの状態で、
MAYAさんの創作を記録し続けることができたらいいなあと思っている。
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