連載
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
前回の連載で、岩見沢市の美流渡(みると)に昨年移住した
画家のMAYA MAXXさんが陶芸の制作をしていることを書いた。
実は傍らで、昨年の冬から私も週1回、陶芸をするようになった。
きっかけはMAYAさんと一緒に、地域にある〈栗沢工芸館〉を訪ねたことだ。
ここは市民が予約をすればさまざまなクラフトが体験できる施設で、
冬季は地元の陶芸家のきくち好惠さんが担当となり、
陶芸制作を中心にした体験が行われている。
MAYAさんがあるとき、きくちさんに「菊練り」を学ぶというので、
私も教えてもらうことにした。
菊練りとは、粘土の中に残っている空気の粒を抜くために行う基本の工程で、
一度ちゃんと知っておきたいと思っていたのだ。
〈栗沢工芸館〉には地域の人々がクラフトを体験できる環境がある。
午前中、たっぷり菊練りを練習。
けれど練った粘土をどうするのか、私はまったく考えていなかった。
せっかく練ったんだから、何かつくってみようかな。
そう思ったとき頭に浮かんだのは、函館にある北海道唯一の国宝、「中空土偶」だった。
函館市南茅部地区で発見された中空土偶で「茅空(カックウ)」という愛称で親しまれている。〈函館市縄文文化交流センター〉で公開。
土偶は縄文時代につくられた素焼きの造形物で、全国各地で出土している。
以前から土偶の独創的な形に惹かれていて、
写真集や文献を集めたり、絵本を描いたこともあった。
2016年に近隣の地区に山を買ったときには、山の土で土偶をつくったこともあった。
そのとき、土をきちんと精製していなかったため手のひらサイズしかできなかったが、
いつか大きな土偶をつくってみたいという気持ちを持っていた。
土偶の何が好きなのかは言葉で言い表すことが難しいのだが、
私にとってはかわいいぬいぐるみを見たときのように心が和み、
またさまざまな土偶の形を見れば見るほど、
なぜこのような造形になったのかとあれこれ想像するのがとても楽しい。
2012年につくった絵本『DOGU』。ウェブで公開したことがある。
山の土を使ってつくった土器と土偶。
というわけで、中空土偶をまったく同じようにつくってみようと考えた。
この土偶の高さは41.5センチ。
中が空洞になっている「中空」構造の土偶の中で最大の大きさ。
きくちさんにアドバイスをもらい、上半身と胴体、足をパーツに分けてつくり、
最後に合体させることにした。
私は美術大学に通っていたので、粘土で立体をつくった経験はあった。
しかし、中を空洞にした大きな物体をつくるのは今回が初めて。
手探りのなかで少しずつ作業をしていった。
まずは上半身をつくっていった。
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制作をしているうちにいろいろなことに気づいた。
中空土偶の足はボールのようで、直立するようにはできていないこと。
足と足との間に、窪みがあって、そこに何かを刺していたのではないかということ。
また、上半身と下半身で同じ法則で模様がつけられているのだが、
そのつけ方に微妙な差異があって、もしかしたらふたりの人間が制作し、
それをくっつけたのではないかと思えた(これは私の推測なんだけれど)。
下半身。足と足の間をつなぐ窪みがあって、ここに何かを指していたのではないかと想像できた。
やり始めると、土偶制作のことが自分の中で大きな部分を占めるようになった。
毎週金曜日は陶芸の日と決めて、それまでに本業である編集の仕事を
できるだけ終わらせるように努めた。
私はずっと仕事の締め切りをすべてにおいて優先してきたので、これは大きな変化だ。
胸部や背中の装飾には、思いのほか時間を要した。
子どもの頃から、絵を描いたり、ものをつくったりするのが好きだった。
そして、目の前のものを平面や立体としてそっくりに再現するのが得意だった。
だからこそ高校も大学も美術を専門とする学校に進学した。
ただ、そこで目の前のものを再現するだけではない何かが、
芸術には必要であることを知った。
その何かを求めて制作を続けたが、結局はそれが理解できず、
自分には才能がないと思うようになっていった。
上半身と下半身を合体。じっくり時間をかけて乾燥させる。
やがて、美術を専門とした本の編集という道を見つけた。
本づくりはとても自分の性格に合っていて、良いものをつくれるという手応えもあった。
約28年間、この仕事に夢中になって取り組んできたが、
いまこうして土偶をつくってみて思うのは、
絵を描いたりものをつくったりしてきた以前の自分を、
どこかで“置き去り”にしていたのではなかったかということだ。
そして心のどこかで、目の前のものを再現するのが得意という能力を、
もっと発揮してみたいという欲求があったことに気づいた。
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中空土偶は無事完成した。
きくちさんが細心の注意を払って焼いてくれたおかげだ。
しかも、土偶の完成を我がことのように喜んでくれた。
隣で制作をしていたMAYAさんも
「みっちゃん、すごいものができたね~」とほめてくれ、
焼き上がった土偶にヤスリをかけてくれたり、
彩色したほうがいいとアドバイスもくれた。
SNSで焼き上がりを投稿すると、友人たちから多くの反響があった。
割れずに美しく焼き上がった。ここにアクリル絵具で彩色を施した。
以前は、再現するだけではない何かが芸術には必要という考えにとらわれていて、
自分がこうして素直にものをつくることができなかったわけだが、
芸術か否かということよりも、つくりたいという衝動を大切にすることで
気持ちがとても楽になることに気づいた。
若い頃からずっと心に蓋をしてきた“引っかかり”をなくしていくことは、
予想以上の喜びがあった。
「次は中空土偶の彼女をつくったら?」
MAYAさんがそっと背中を押してくれたことで、
さらなる土偶をつくることもできた。
きっと自分だけだったら、つい本業の締め切りに気持ちが移ってしまっただろう。
私のものづくりを近くで理解してくれる人がいることも、本当にありがたいこと。
何より、こうしていつでも陶芸が制作できる環境があるなんて、とても恵まれている。
土偶にヤスリをかけて、仕上げをしてくれたMAYAさん。
1980年代後半に、陶芸家の塚本竜玄さんがこの地に窯を開き、
その後、工芸家やアーティストが移住してきたことで、
ここに美流渡アートパークをつくろうと考えたことが、栗沢工芸館の誕生につながった。
塚本さんは故人となってしまったが、
この数年に新しく工芸家やアーティストなどが移住してくるようになり、
そうした人たちの手によって栗沢工芸館は活気づいている。
工芸館にはギャラリーが併設されていて、地域の作家の作品も見られる。
北海道に移住して10年。美流渡に引っ越して4年。
住み慣れていた都会を離れて過疎地で暮らすいま、
自分の内側からわいてくる声のようなものに耳を傾ける時間が持てるようになった。
自分の中で、やり残してきたことはないか?
それを心に問いかけている。
次に焼いたのは函館の中空土偶の彼女という設定。模様などは縄文の土偶を参考にして仕上げた。そして次なる目標は火焔土器づくり!
information
栗沢工芸館
住所:北海道岩見沢市栗沢町美流渡東町48番地1
TEL:0126-47-3300
開館時間:9:00~16:00
休館日:月・火曜、8月12~15日、12月25日~1月5日
*陶芸、木工、ガラス工芸、フラワーアレンジメントなど各種体験(内容は要問い合わせ)。12〜3月は陶芸体験のみ。いずれも要予約。
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