連載
posted:2021.8.24 from:東京都 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
editor’s profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画、美術、カルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではその土地のおいしいものを食べるのが何よりも楽しみ。
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撮影:池ノ谷侑花(ゆかい)
現在、東京の千代田区、中央区、文京区、台東区の各所で行われている
国際芸術祭〈東京ビエンナーレ2020/2021〉。
2年に1度開かれるビエンナーレとして、今回初めての開催を迎えた。
都市型の芸術祭や美術展では大きな美術館などが軸となることが多いが、
東京ビエンナーレは神田・湯島・上野・蔵前エリア、
本郷・水道橋・神保町エリアといったいくつかのエリアに会場が分かれ、
歴史的建築物や公共空間、商業ビルなどさまざまな場所に作品が点在。
国内外のアーティストが参加し、サイトスペシフィックな展示やアートプロジェクト、
デジタルで鑑賞するAR作品など、多様な作品が展開されている。
小川町の交差点にほど近い、元額縁屋の〈優美堂〉でも
アートプロジェクトが行われている。
戦前からそこに佇み、戦後まもなく富士山の看板を掲げて額縁屋として開業し、
長く地域で愛されてきた木造2階建の建物。
しばらく使われていなかったこの建物に新たな息吹を吹き込み、
また人が集まる場所に再生させるプロジェクト
『優美堂再生プロジェクト ニクイホドヤサシイ』だ。
手がけているのは、東京ビエンナーレの総合ディレクターでもあるアーティスト、
中村政人さん。
「これだけ特徴的な看板建築をなんとか残したい。
建物の中にたくさん残っていた額も使いながら、
新たな小さなコミュニティを生み出せないかという思いで
プロジェクトを始めました」と話す。
中村さんがこの建物と出合ったのは、2012年に神田のまちを中心に
自身が手がけたプロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」のとき。
あるアーティストが地域のリサーチをするなかで、
作品のモチーフに優美堂を選んだのがきっかけだった。
その当時はまだ額縁屋として営業していたが、
その数年後にはシャッターが降りていることが多かったそう。
店の前を通りかかるたび気になっていた中村さんは、
ここでプロジェクトをつくりたいという思いを手紙に綴り、
一昨年の秋頃にシャッターの隙間に手紙を差し入れたのだという。
それから半年近く経ち、たまたま通りかかったときにシャッターが開いていて、
店主の息子さんと話すことができたが、そのときにはすでに取り壊しが決まっており、
新たな建築計画もできていた。
それでも中村さんはこの優美堂を地域で大切にしたいという思いを伝え、
諦めずに粘り強く交渉を続け、5年間の契約で貸してもらえることになったのだ。
そこから改修計画を練り、場をどう運営していくかなどプロジェクトの骨子を固めた。
SNSで人を募り、昨年8月頃から掃除をスタート。
近くに住む人ばかりでなく、近県からやって来る人や、
学生から建築家までさまざまな人たちが集まるように。
50~60人の人たちが関わりながら、片づけから改修まで協働した。
「業者に頼めばすぐできることですが、それでは何も関係が生まれない。
みんなでつくるという経験をすることで、それぞれの意識のなかに
自分が携わったという感覚が芽生えると思うんです。
こういう都心で自分ごととして関われる場所って、意外とないんですよね。
建物がいずれ壊されたとしても、ここに優美堂があったという記憶が、
この場所に関わることで心に刻まれる。そのためのプロジェクトです」と中村さん。
これだけこの建物にこだわるのには、
東京のまちが均質化されていくことへの違和感がある。
「建物が壊されても、“ここに何があったっけ?”って何の記憶も宿らない。
どこもかしこも同じような風景になって、同じようなことをしていて、
誰がどこにいるのかもわからない。
それよりは、自分の興味や関心を優先して関われる場があると楽しいですよね。
東京でそういう場をつくるのはなかなか難しいけれど、
ここであればできると思いました」
改修が終わってからは、展覧会が開かれたり、ヨガをするイベントが企画されたり、
カフェを開く準備が進められるなど、
プロジェクトメンバーによって、人が集まる場所がつくられつつある。
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この優美堂再生プロジェクトには「“私”から“私たち”へ」という、
東京ビエンナーレのメッセージが根底にある。
東京で暮らしているひとりひとりの“私”と、社会はどうつながっているのか。
さまざまな個があっても、全体を見渡すと、
文化よりも経済を優先してきた政策の結果、結局まちに残っているのは
均質化された無個性のものになっていないだろうか、と中村さんは言う。
「個人のおもしろい考え方を持っている人が、
全体とどういう関係を持てるかが重要なんじゃないかと思う。
なかなか個が全体とつながらないのですが、もし個々のおもしろい関係が広がって、
それが東京のひとつの個性となるくらいの文化として成長できれば、
東京はもっと魅力的になるはず。
一個人の魅力と一個人のあり方が生き生きしているならば、
全体も生き生きとなれるはずだと思うんです。
個人の思いがつながって“私”から“私たち”という意識が出てくるのが、
ひとつの重要な価値。いま徐々にその意識が生まれてきていると思います」
中村さんは優美堂のほかにもいくつかのプロジェクトを手がけている。
そのひとつが『東京Z学』。
都市の再開発のなかで忘れ去られたかのように佇む標識や、
ボロボロになったカラーコーン、なぜこんなところに? と思うような石など、
そのなんとも名づけがたい存在を「Z」と呼び、
それらを使ってインスタレーションとして展示するほか、
実際にまちに点在するZを見て歩けるマップも用意されている。
かつて赤瀬川原平らが行った「路上観察」にも近いように思え、
そういう視点でも楽しく見ることはできるが、
「Z学」は「純粋」「切実」「逸脱」の視座からそれらを批評する、
都市論とアートの研究でもある。
「カラーコーンがぐしゃっとなっている、あれが東京のひとつの姿だと思うんです。
あれを受け止めている場所があったり、受け入れる人がいるだけでも、
まだこのまちには可能性がある。Zは“絶望”のZだと言ってますが、
Aから始まってZまできても、まだ存在しうる。
あのカラーコーンが東京という全体に関係をつけられるまちであれば、
たぶんこのまちは豊かになれるはずなんです」
そういう意味では、優美堂そのものがZを体現しているという。
ボロボロの状態でシャッターが閉まったまま何年も経っていた優美堂は、
中村さんの思いと多くの人の力で蘇った。
「Zはその次にくるA、“愛”とか“明るさ”とも言えるけど、次を内在させているんです。
都市が新陳代謝をしていくなかで、ちょっとしたゴミや石ころのように見えるけれど、
それらは次なる大きな可能性を確実に持っている。
文化的な意味で考えると、Zを考えることは、それぞれの生き方や
それぞれの多様な価値観を受け止めるとともに、次の東京を、
次の僕らの生き方を考えるうえで、大事な切り口なんじゃないかと思います」
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今回の東京ビエンナーレでは70ほどのアートプロジェクトが進行しているというが、
もっと増やしていきたいと中村さん。小さな単位でいいので
コミュニティがたくさん生まれてくる必要があると話す。
「隣の人や大事に思っている人と一緒にワクワクできる、
一緒に共感できるような、そんな協働をしたい。
小さな“私たち”が生まれる場所を東京にたくさんつくりたいんです。
そうなってくると、本当の意味で東京のアートシーンが
グラスルーツで下から立ち上がってくる。
プロのアーティストが狭き門のギャラリーや
国際展で発表することだけがアートなのではなくて、
市民活動とインターナショナルなトップランナーの間には、
もっとグラデーションがあるのだから、
狭い範囲だけでアートだと思いこんでしまうとダメだと思う。
そういう思いで東京ビエンナーレをやっています」
いまは各地でさまざまな芸術祭が盛んだ。
いろいろなタイプの芸術祭が出てくるのはいいことだと中村さんは考えるが、
そのほとんどは行政が主導のもの。
東京ビエンナーレは、中村さんが構想し、
〈一般社団法人東京ビエンナーレ〉を立ち上げて運営している。
もちろん文化庁やアーツカウンシルなどの支援もあるが、
基本的には自分たちで出資金を集めてスタートした。
大規模な公的予算に頼るのではなく、
小さくてもできるやり方でやりたいと考えるためだ。
そもそも中村さんはアーティストが主体となって活動する
〈コマンドN〉という非営利芸術活動団体を立ち上げ、20年以上活動してきた。
そのなかで、アートセンター〈3331 アーツ千代田〉を2010年に開館したが、
その事業計画書に、すでに東京ビエンナーレは入っていたという。
「東京には美術館はあるけど、アートセンターはなかった。
アーティストイニシアチブで運営していく場をつくろうと3331をつくりました。
いまはあそこで近所の子どもたちからプロの作家まで、
いろいろなレベルの活動が発表されています。
ああいうアートセンターが東京には必要だと思ったんです」
その3331での活動や「TRANS ARTS TOKYO」などのプロジェクトの
積み重ねがあったからこそ、今回のビエンナーレが実現できたといえる。
さまざまな個人や民間企業の人からなる「市民委員会」を立ち上げて、
ビエンナーレを市民でつくってきた。
もちろん、総合ディレクターは中村さんと小池一子さん、
そのほかにもクリエイティブディレクターに佐藤直樹さん、
プログラムディレクターに宮本武典さんなど錚々たる顔ぶれが関わっているが、
20~30人からなる市民委員会は、アートに携わる人だけでなく、
場所を提供してくれたり、さまざまな意見交換や提案をしたり、
金銭的な面からアドバイスをしたりなど、それぞれが持つ情報を俎上にあげ、
会議では活発な議論が行われているそうだ。
そして2018年に「東京ビエンナーレ構想展」、
2019年に「東京ビエンナーレ計画展」を経て、
本来は2020年に行われる予定だったが、ついに今年の開催にこぎつけた。
中村さんはもう次の開催のことを考えているという。
いまのプロジェクト数を3倍に増やし、海外の作家も増やしたいと話す。
実現したら壮大なスケールになりそうだが、中村さんは淡々と未来を見据えている。
「個人の想像力が都市とシンクロするというのが大事だと思っていて、
ずっとその考え方でやってきています。
まずは個人の“おもしろいね”が仲間に伝わって、
それが東京につながっていけば、東京はもっとおもしろくなる」
東京ビエンナーレが2回、3回と数を重ねていけば、
東京はきっともっとおもしろくなるはずだ。
profile
Masato Nakamura
中村政人
なかむら・まさと●1963年秋田県生まれ。アーティスト、東京藝術大学絵画科教授。1997年からアーティストイニシアチブ〈コマンドN〉を主宰。2001年第41回ヴェネチアビエンナーレ日本館に出品。2010年アートセンター〈3331 アーツ千代田〉を立ち上げ、「TRANS ARTS TOKYO」(2012~2017年)などのアートプロジェクトを展開。自ら企画した〈東京ビエンナーレ2020/2021〉で総合ディレクターを務める。著書『アートプロジェクト文化資本論 3331から東京ビエンナーレへ』(晶文社)が9月2日発売。
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