小豆島移住10年目。
思い描いた島暮らしは実現した?
そもそも、なぜ移住してきたのか
今年の秋は突然やってきました。
つい数日前まではTシャツ短パンで過ごしていたのに、急に温度がさがって、
ストーブ出さなきゃ、毛布干さなきゃ、フリースどこだっけ? と急いで冬支度。
あらま、もう秋を通り越して、冬? くらいの勢いです。
そんな10月の小豆島。

セイタカアワダチソウの黄色い花、すすきの黄金色の穂、ちょっと茶色っぽい緑色の山、やさしい水色の空。穏やかな秋の里山の風景。

少しずつ採れ始めた冬野菜。間引いた「紅くるり大根」。
私たち三村家は、2012年10月31日に小豆島に引っ越してきました。
名古屋でも古い一軒家で暮らしていたのですが、
前日の朝まで徹夜で荷物を詰め込んで、掃除して、
次にその家で暮らす人たちに鍵を渡して。
荷物は引っ越し屋さんが大きなトラックで運んでくれて、
私たちは深夜便のジャンボフェリーに乗って神戸から小豆島へ。
いまどき「ものを持たない暮らし」がかっこいいとされていたりしますが、
私たちは愛する本やおもちゃ、家具を手放せず、丸ごと運んできた感じでした。
三村家の大移動(笑)。

小豆島に移住してきた当時、5歳だったいろは(娘)。引っ越し荷物の梱包。

名古屋で暮らしていた家。古い一軒家でした。掃除をして、次にここで暮らす人へ受け渡し。

9年前の私たち。名古屋の家の庭で。ここでほんの少しだけ野菜を育てたりもしていました。
そんな大移動から9年。
今年の10月31日から10年目の小豆島暮らしが始まります。
さて、そもそもどうして私たちは小豆島に引っ越してきたのか。
この小豆島日記でも何度も書いてきました。
記念すべき連載1回目「小豆島日記 vol.001 小豆島の里山から」には、
消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。
と書いています。

2012年10月31日、私たちが小豆島に引っ越してきた日の朝。ジャンボフェリーから。

引っ越してきてから数日後。祖父の家を片づけ、計測し図面を作成。リノベーションを開始する準備。
「消費するために働いてお金を稼ぐという生き方ではなく、
生きること自体を働くことに」
会社で働いて、つまり自分の時間を費やして、その対価としてお給料をもらう。
そのお金で、生活に必要なものを得たり、
さらに欲しいものを買ったり、好きなところに遊びに行ったり。
それはそれで楽しかったし、贅沢だったなぁと思うんですが、
移住前の数年間は何か違うなぁと違和感を感じるようになっていました。
虚しさというか。
稼いで消費する、そうじゃなくて、もっと生み出すことをしたい、
自分の手でつくりたいそんなふうに感じるようになっていました。

小豆島に移住してから始めた農業。今年は生姜が立派に育ちました。土壌分析、日頃の手入れなどの成果。

どーん! 新生姜の収穫。ひと株で2キロ近くのサイズに。
小豆島に移住してからは、畑で野菜を栽培し、収穫した野菜や果物で加工品を製造。
とにかく毎日なにかしら作業しています。
その作業が仕事なのか家のことなのか特に意識してなくて、
働くことこそ毎日の生活そのもの。
完全な自給自足をしているわけではないので、
いまでももちろんお金は必要ですし、まちに買いものに行くのは楽しみだし、
どこか遊びにいきたいなーってよく思ってます(笑)。
でもいまは稼いで消費するという感覚はなくて、
というか消費するほど稼げてないという話もありますが(汗)。
つくることや働くこと、暮らすこと自体を楽しめているので、
買うことで満たされることが減りました。
週末にふらふらと買いものに行ったりせずに、家族でさつまいも収穫したりね。

日曜日、どこかに遊びに行きたいなぁと思いつつ、家族でさつまいも収穫。

終わってみれば、収穫作業してよかった。家族で共に働くというのはいいもんです。
「暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる」
いまはなんでもかんでも買うことができるけど、
ほんとはもっと自分たちの手でつくることができる。
ただつくるためには能力もいるし、時間もかかる。
でもそういう生き方をしたいと思っていました。
生活に必要なものをすべて自分の手でつくることは難しいけれど、
自給自足じゃなくて、「自」が自分ひとりじゃなくて、まわりの友だちや
知り合いまで含めればけっこういけるんじゃないかなと思っています。
小豆島でいうと、島給島足みたいな。
私たちは野菜をつくります。誰かがパンを焼きます。
ほかの誰かが服をつくります、家を建てます、ジャムをつくります……。

里山にはおいしい食材がいっぱい。栗!

でもこの拾ってきた栗を料理するのが大変。時間と手間のかかる作業です。茹でてからひとつひとつむきます。

私がどうしても食べたかった「栗あん」。栗と砂糖をあわせて炊いたもの。パンに塗っていただきました。最高!
気づくと自分たちのまわりには何かをつくったり、
育てたりしている人たちがたくさんいて、
友人がつくったものを食べたり、身につけたりすることが増えました。
知らない誰かがつくったものを買うんじゃなくて、知ってるあの人にお願いする。
そんな暮らしをなるべくしたいなと思っています。

娘の誕生日ケーキ。今年はどこかにお願いしようかなかと思いましたが、いや、つくろう! とチョコスポンジケーキを焼きました。
「ごはんを家族そろって食べる」
これが一番うれしいことかも。
小豆島で暮らすようになってからは、みんなでごはんを一緒につくって、
みんなで食べることが日常になりました。
朝ごはんは家族で、昼ごはんは働く仲間と、夜ごはんは家族や友人たちと。

ある日の三村家の晩ごはん。収穫したさつまいも(シルクスイート)の天ぷら。
移住する前は、仕事帰りにスーパーでお惣菜や食材を買って、
急いで子どもにごはん食べさせて、
夜遅く帰ってくるお父さんのためにもごはんを用意しておく。
私はこれがとにかく苦手で、楽しくなかった。変えたかった。
そもそも外で働いて、家では家族のごはんをつくって、
洗濯や掃除などの家事もして、子どものこともして、
あれもこれも全部ひとりでやれるスーパーお母さんなんて少ないと思うんです。
くたくたになってしまう。
だから家族で分担したり、近くの友人たちと協力したり、
それぞれが得意なこと、できることをやればいいと思うんです。
家族や友人と台所に並んでごはんをつくり、自分たちが育てた野菜、
友人や知り合いがつくった食材や調味料が並ぶ食卓をみんなで囲むとき、
おいしいなぁ、幸せだなぁと感じます。

畑作業をみんなでして

まかないごはんをみんなで食べる。
いまも小豆島にはいろんな人たちが移住してきています。
人口約2万6000人の小豆島に、その約1%にあたる
250人ほどの人たちが移住してきているそうです。
それでも毎年500人くらい島の人口は減っていて、
いまと同じ状況だとすると10年後には2万人、
30年後、私たちが70代のころには1万人くらいになっているのかもしれない。
事業を起こしたり何か特別なことをしなくても、ただそこで人が暮らしているだけで、
家や畑は荒れず、美しい里山、漁村の風景が保たれる。
楽しく暮らすということが、小豆島の未来につながる。
そんなふうに思いつつ、三村家の小豆島暮らし10年目も続いていきます。
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