“豊かな人間力が育まれる環境”で 子育てしてみませんか? 離島と親子をつなぐウェブメディア 『シマ育コミュニティ』へ

10年以上、離島を取材し続けてきた『ritokei』による姉妹メディア

1万4000以上の島からなる島国・日本。
そのうち、北海道・本州・四国・九州・沖縄本島のほか、
人が生活をしている「有人離島」が416島ある。

有人離島の魅力や情報を発信しようと2010年に、
編集長を務める鯨本(いさもと)あつこさんが仲間とともに立ち上げたのが
NPO法人離島経済新聞社が運営するウェブサイト『ritokei(リトケイ)』だ。

ウェブ上での情報発信のほか、年に4回、タブロイド紙『季刊ritokei』も発行しながら、
それぞれの島で受け継がれてきた固有の文化や自然、暮らしの情報などを紹介している。

タブロイド紙『季刊ritokei』。

タブロイド紙『季刊ritokei』。

そんな『ritokei』が、2023年9月30日に「子育て」をテーマに据えた
新しいメディア『シマ育コミュニティ(シマイクコミュニティ)』をオープン。
離島の子育て環境を紹介する記事や、島の人と直接交流できるオンライン勉強会により、
より良い子育て環境を探す親子と、日本の島々をつないでいる(※)。

※2023年度は子どもたちを取り巻く社会課題を解決することを目的とした
日本財団の「子どもサポートプロジェクト」の助成をもとに実施

シマ育コミュニティビジュアル

ではなぜ、『ritokei』は子育てに特化する取り組みを始めたのだろうか。
その背景には、子育てをとりまく日本社会の問題と離島ならではの問題がある。

近年、政府も子育て支援に積極的に取り組むなど、
人口減や少子高齢化対策は、喫緊の課題となっている。
それは離島にとってはより深刻なものだ。

戦後の日本が人口増加に向かう頃、
すでに人口減が始まっていた離島では、島の存続自体に直結する大問題となっている。

離島地域を10年以上見つめてきた鯨本さんは、
今回「子育て」に特化したメディアの立ち上げに込めた思いをこのように話す。

「島に住む人や関わる人が増えなければ、価値ある文化や営みは消えてしまいます。
そこで、どうすればいいかと考えたときに最も重要なのが子育てです。
リトケイでは医療や産業など、さまざまな課題にフォーカスしてきましたが、
島の未来にとって、最優先事項である子育て層の増加に貢献できるよう、
島と子育て層をつなぐメディアを立ち上げました」

シマ育コミュニティ

「人間本来の子育て」をシマで

メディア名でもある『シマ育』という言葉には、
住民同士互いに支え合う地域共生コミュニティを指す「シマ」のなかで、
多様な人と関わり、自然や文化に触れ、
そして人間力を「育む」という意味が込められている。

そのようなシマでの子育てを、鯨本さんは「人間本来の子育て」だと感じている。
かつては日本中に存在していたものだが、
現代では失われつつあることが「日本社会が抱える問題」だと鯨本さんはいう。

一方、海で隔てられる島々には「人間本来の子育てが残っている」と気づいた鯨本さん。
離島で子育てをする魅力について、大きくふたつ挙げている。
ひとつは、子育てが「親と子に閉じた1対1」にならないこと。

「2023年の冬に発行した『季刊ritokei vol.44』では、2020年発行の32号に続いて、
島の子育てを特集し、発達心理学者の根ヶ山光一(ねがやまこういち)先生に
お話をうかがいました。
根ヶ山先生は、子育てに親以外の人が積極的に関わることを意味する
『アロマザリング』を推奨している方です。

最近は、子育ては親だけが行うような風潮もありますが、
本来、子育ては子どもをとりまく地域社会の人々が多様に関わり行われるもの。
島の人々は、基本的に、
地域社会のなかで人と支えあう価値観を持っているため、
子どもを島(=社会)のまんなかに放ちやすい環境ともいえます。
もちろん、島によってもいろんな環境はありますが、
私が知る限り、島では『子育ては親だけが行うものだ』という空気に、
ふれたことがありません。

私自身、子どもを連れて離島を取材したこともありますが、
島の子どもではない我が子にも、島の方々は温かい目を向けてくださいます。
『子ども』という存在がものすごく尊ばれる世界なのです」

そして、もうひとつの魅力が
「生きる力が養われる環境がある」ことだと、鯨本さんは話す。

「こちらも『季刊ritokei vol.44』の取材で、〈家族・保育デザイン研究所〉の
代表理事を務める汐見稔幸(しおみとしゆき)先生と、
〈森のようちえん&冒険学校〉を立ち上げた中能孝則(なかよくたかのり)先生に、
島の子育て環境の何がいいのかをうかがいました。

おふたりから返ってきたのが、島には生きる力が養われる環境があるということ。
その生きる力というのは、非認知的能力とも言われています。
汐見先生いわく、チーム力やリーダーシップ力、人を励ますのが上手い、
上手に失敗する。そういった力が生きていくために必要です。

大手IT企業が、どのような能力を持った人が
いい仕事をしているのか研究したところ、
認知能力にあたる学力で得られる能力や数値化できる能力を持っている人よりも、
非認知的能力を持っている人が圧倒的に多かったという結果を発表していました。
島の場合は、その非認知的能力が養われやすい環境があるんです。

なぜかというと、単純に不便だから。
もともと、都市部のように何でも揃う環境ではなく、
大きい台風が来たら2週間ぐらい物流が止まることもあります。
『ない』という状況があるからこそ、
共助力を発揮して、周りの人と何かを貸し借りしたりと、
各々が工夫して、どうにかやっていく。
そのとき、その場にいる人たちと連携して何かをやり遂げる機会が多いため、
日常のなかで、リーダーシップ力やチーム力が養われるのです」

離島留学のパンフレット

小豆島で持続可能な農業って? 身近な山にある雑草や 落葉、枝で土をつくる

農業に必要な資材が高騰

ものの価格がどんどん上がっていくこのご時世。
私たち農家にとっても物価高騰は人ごとではありません。
肥料、農業用マルチシートや防虫ネットなどの資材からダンボールや袋まで、
野菜を育てるため、販売するために使っているほとんどのものの
価格があがっています。
野菜の販売価格も少しずつ上げさせてもらっていますが、
それでは追いつかないほど経費が上がっているのが現状です。

防虫ネットやそれを支えるトンネル支柱、ロープなど、野菜を育てるためにはたくさんの資材が必要。

防虫ネットやそれを支えるトンネル支柱、ロープなど、野菜を育てるためにはたくさんの資材が必要。

さて、このピンチをどう乗り切るか。
ここ1年くらいずっと考えてきました。

もともと、平地の少ない中山間地域で、それも離島で、
多品目の野菜を育てる農業をどうやったら成り立たせることができるのか、
それはこれまでもずっと課題でした。
ジンジャーシロップなどの加工品事業や飲食事業の売上などを組み合わせて、
なんとかぎりぎり運営していますが、農業事業(野菜の栽培・販売)単体でも
持続可能なかたちにしたい、つまりちゃんと利益が出るかたちにすることが目標です。

栽培する野菜の品目を減らして効率化したほうがいいのか、
野菜セットの個人宅配というかたちを変えたほうがいいのか、
もっと規模を小さくして、夫婦ふたりだけでまわせるようにしたほうがいいのか、
いろんなことをずっと考え続けてきました。

どういうかたちの農家を目指すのか悩んでいたときに参加させてもらったのが、
2023年10月に徳島県神山町で開催された
『Farmer’s Meeting』というイベントでした。
〈シェ・パニース〉のアリス・ウォータースさんとの出会い、
ほかの地域でがんばっている農家さんたちとの出会い、
「ファーマーズ・ファースト」という思想、
その思想が共有されていた場に参加できたこと。

これは私たちにとって、これからも農家としてがんばっていこうと
思わせてくれるすばらしい体験でした。
詳細は、小豆島日記vol.328をぜひお読みください。

富山を離れる人々にエールを。 県外に進学・就職する若者を応援する 「I’m Your Home.」プロジェクト

「富山県が、いつでも帰れる場所」だと、 富山を離れる若者たちに伝えたい

春は旅立ちの季節。
富山県では県外に進学・就職する若者を応援する
「I'm Your Home.」プロジェクトが2023年から始まっています。

第2弾となった2024年は、
生活のさまざまなシーンで若者たちが関わってきた25組の人たちによる応援メッセージ
動画が公開されています。
名付けて「街角から“いってらっしゃい”スナップ動画」です。

生まれ育ったふるさと、または学生時代を過ごした思い出ある場所から、
新しい土地に旅立つ若者は夢と希望、不安が入り混じっていることでしょう。

現在約100万人の人口を抱える富山県は
「幸せ人口1000万人」というビジョンを掲げています。
この県民の10倍である「1000万人」という数字には、
富山に関わるすべての人が富山の仲間だという意味が込められています。
富山で生まれ育ったり、学生時代を過ごしたりしたけれど、
今春から別の土地に移る人たちだって、
これからもずっと富山の仲間で、いつでも歓迎するということです。

「I'm Your Home.」プロジェクトは、
新しい生活に夢と希望、不安が入りまじった気持ちをもつ若者たちを、
「大丈夫。」と気持ちよく背中を押すこと、
そして「富山県が、いつでも帰れる場所」だと感じてもらうことが大切だと
立ち上げられました。

18歳の門出を、まち全体で応援 「さぁ、行っといで。」の想いを込めて 南相馬市が伝えたいもの

大人への入り口に立つ18歳を、まちのみんなで祝いたい

18歳の春。成人になり、進学、就職、引越しなど、環境が大きく変わる、人生の節目。
福島県南相馬市では、夢に向かって巣立っていく18歳を地域全体で応援する
「巣立ち応援18歳祝い金支給事業」を令和4年度よりスタート。
今年で2年目の取り組みです。

東日本大震災から13年。震災当時小学1年生だった子ども達は、18歳を迎えました。
この地で育った地域の大切な宝である子ども達を応援したい。
どんな支援が必要だろうと、市は令和3年度から検討を重ねてきました。
18歳、新生活が始まるタイミングはなにかと出費が増えることから、
祝い金(5万円)を支給。さらに「支給して、はい、終わり。にしたくない」との想いから、応援ポスターの作成が決まりました。

見る人の心を打つ、まちの応援ポスターが話題に

「さぁ、行っといで。」の思いを込めた応援ポスター。

「さぁ、行っといで。」の思いを込めた応援ポスター。

「さぁ、行っといで。」のコピーが目を引くポスターはこの時期、
市内の公共施設や商業施設など、いろいろな場所に貼られ、
まち全体で18歳をお祝い、応援するムードを生み出しています。
漁師、小学生、美容師、パン屋、農家…被写体はすべて、地域のみなさん。
被写体となった方の言葉をもとに紡がれた応援メッセージは、
どれも心に響くものばかり。18歳のみならず、
多くの人々の共感を呼んでいます。
令和5年度に作成されたポスターから、1枚をご紹介。

いつでも見守ってるよ。
心がトゲトゲしちゃったら、いつでもおいで。
そのままの個性でいいじゃない。
「こうじゃなきゃいけない」はないのよ。

梶田千賀子さん、鉄男さんご夫婦

モデルは「ちゅうりっぷ文庫」の梶田千賀子さん、鉄男さんご夫婦。
梶田さんは震災後より子育て中の方の居場所として
自宅の一室を開放し、絵本の読み聞かせや手遊び、
紙芝居などを行い、多くの子どもたちに笑顔を届けてきました。
年に数回は、震災で被災した方を追悼し、海に向かって絵本の読み聞かせを
行っています。そんな梶田さんの活動に共鳴し、ポスターへの出演を依頼。
市内在住の絵本作家が描いた絵で包まれた移動図書館車と一緒に、
海を背景に撮影されました。

市内各地でのポスター掲示は卒業シーズンの3月いっぱいを予定。
それ以降は南相馬市のホームページやnoteで確認できるので、
ぜひご覧ください。

地域の似顔絵マップ、 制作を続けて7年。 新たなカフェやショップが誕生して

毎年、更新してきた岩見沢市の東部丘陵地域を紹介するマップ

美流渡(みると)はまだまだ雪に覆われているけれど、まわりにいる動植物も、
そして私たちも春の準備に忙しくなる時期。
美流渡をはじめとする岩見沢市の東部丘陵地域のPRを行う活動を続けて今年で8年目。
毎年欠かさず更新している〈みる・とーぶマップ〉がいよいよ完成となる。
みる・とーぶとは「東部丘陵地域」を「見る」からとったもの。
この名前で、私たちは展覧会開催などの地域活動も行っている。

片面が地域のみなさんの似顔絵。
もう片面がスポットや見どころを掲載している。
制作のきっかけは、山あいのこの地域を紹介するマップがそれまでなかったことから。
当時は飲食店やショップなどが数えるほどだったこともあり、
地域の魅力をそこに住む人々の似顔絵を通じて伝えようと考えた。

東部丘陵地域のエリアごとに似顔絵を掲載。少しずつ人数が増えて現在125名。</p/></p>
<p class=東部丘陵地域のエリアごとに似顔絵を掲載。少しずつ人数が増えて現在125名。公式サイトからダウンロード可能。

毎年、更新を続けるなかで、地域の状況はさまざまに変化していった。
そして、今年のマップでは、飲食店やショップの情報が
入り切らないのではないかと思うほど件数が増えた。

その理由を一概に言うことは難しいのだが、
近年移住者が増える傾向にあることもそのひとつだと思う。
昨年の新聞記事では、人口300人ほどの美流渡地区に過去5年間で
47人が移住しており、2022年は最も多い13人が移住したとあった。

そして、田園風景や山並みに囲まれた静かな環境で、自分が思い描くビジョンを
実現したいという意識を持つ人々が集まってきているようにも思う。

飲食店やショップ、アクティビティスポット、宿を紹介するコーナー。20件を紹介。

飲食店やショップ、アクティビティスポット、宿を紹介するコーナー。20件を紹介。

東部丘陵地域はさまざまなエリアがある。
道道38号線沿いの20キロほどの間が、上志文、朝日、美流渡、毛陽、万字などの
地区に分かれていて、田んぼや果樹園があったり、
炭鉱の名残を感じさせる旧跡があったりと、それぞれに異なる歴史や個性がある。

岩見沢駅より車で20〜30分のエリア。MAYA MAXXさんが車体に絵を描いたコミュニティバスが走る。

岩見沢駅より車で20〜30分のエリア。MAYA MAXXさんが車体に絵を描いたコミュニティバスが走る。

上志文にアトリエ兼ショップのオープンが相次いで

その玄関口となる上志文には、この1年で3つの拠点が新たに生まれた。
上志文にある隠れ家的アトリエで販売を行うのは、
エディブルフラワーとロースイーツのお店〈Shunka〉と、
オーダーを中心にした花屋でブーケやアロマのワークショップも行う〈日々の花 糸〉。

〈Shunka〉では、ロースイーツの魅力を知ってもらうために月替わりでさまざまな商品を販売している。月の最終週の土曜・日曜・月曜のみ営業。冬期休。10:30〜14:30オープン。詳細は@harukiflower

〈Shunka〉では、ロースイーツの魅力を知ってもらうために月替わりでさまざまな商品を販売している。月の最終週の土曜・日曜・月曜のみ営業。冬期休。10:30〜14:30オープン。詳細は@harukiflower

空知の花農家さんとのつながりから、規格外の花の販売やオーダーに合わせたギフトを制作。不定期オープン。詳細は@hibinohana.ito

空知の花農家さんとのつながりから、規格外の花の販売やオーダーに合わせたギフトを制作。不定期オープン。詳細は@hibinohana.ito

また札幌と帯広で職人の縫製技術と染めの技術を伝える服づくりを行ってきた
〈giorni(ジョルニ)〉が、アトリエ兼ショップとして〈HATAKE TO GIORNI〉を開いた。
ここでは服の取り扱いだけでなく、家の周辺で育てた自然栽培の野菜の販売も行っている。

いずれも月に2回程度のオープン。
それぞれが道内の複数の地域で活動していて、ライフスタイルに合わせた運営の仕方を選んでいる。

〈HATAKE TO GIORNI〉は、デザイナー自らがショップを開く。フード部もあり仲間と野菜を育て販売も。月2回、日曜営業。13:00〜16:00オープン。詳細は@hatake_to_giorni

〈HATAKE TO GIORNI〉は、デザイナー自らがショップを開く。フード部もあり仲間と野菜を育て販売も。月2回、日曜営業。13:00〜16:00オープン。詳細は@hatake_to_giorni

ゆっくりと、波紋が広がる 『佐賀に暮らし困ったこと。』 ローカルな“みんなの困り事”を 紹介した本が話題

佐賀に移住後、写真家とデザイナーの夫婦がつくった一冊

写真家の刑部信人さん(以下刑部さん)と
妻の刑部あゆみさん(以下あゆみさん)がふたりの子どもたちを連れて
東京から佐賀市へ移住したのは、2022年の3月のこと。

コロナ禍を契機にこれからの暮らしについて真剣に考え、
移住を決めたという刑部さん夫婦。

佐賀へ家族で移住後、どのような暮らしや活動をしてきたのでしょう。

夫は写真家、妻はグラフィックデザイナーというクリエイティブなご夫婦。

夫は写真家、妻はグラフィックデザイナーというクリエイティブなご夫婦。

佐賀で暮らし始めてすぐのこと。

刑部さんは妻の勧めでオンライン受講していた〈世界文庫アカデミー〉で、
鳥取県の書店〈汽船空港〉のモリテツヤさんがつくった
『WHOLE CRISIS CATALOGをつくる』というZINEに出合います。

「そのZINEは、“政治とは困っていることを解決することである”として、
みんなの困っていること(CRISIS)をカタログにしようという試みで、
政治的な内容が濃いんですがとても惹かれるものがありました」

当時、刑部さん家族は新生活が始まったばかり。
「なんで佐賀ではこうなんだろう?」と、
長年暮らした環境からの変化に戸惑う日々だったといいます。

「些細なことが一番困るなって思っていて。
それまでと違う環境で、ネガティブとは思ってないけど、
どうしても差を比べてしまう。
でも決して東京の生活がよかったということではなくて、
“なんで、こうなんだろうね?”っていう疑問形が僕らのなかで生まれていました」

佐賀での暮らしの「?」を積み重ねていくうちに、
周囲の人に聞いてみたくなった刑部さん。
徐々に知り合いが増えていくなかで、
出会う人たちに「佐賀で暮らして困ったこと」を聞いて回りました。

そしてより佐賀を知るために、「困ったことを集めた本」をつくることにしたのです。

あゆみさんは佐賀市出身。高校を卒業してからは京都や東京での暮らしが長く、家族ができた30代で佐賀へ帰郷したときには地元といえど環境が大きく違い、戸惑うことばかりだったと言う。

あゆみさんは佐賀市出身。高校を卒業してからは京都や東京での暮らしが長く、家族ができた30代で佐賀へ帰郷したときには地元といえど環境が大きく違い、戸惑うことばかりだったと言う。

本を制作するにあたって、企画から「困ったこと」の情報収集、
撮影とデザイン、そして編集とすべてをこなして、2023年2月3日、
1年近くをかけて『佐賀に暮らし困ったこと。』は完成しました。

そして、佐賀に移住するタイミングで夫婦で設立した
〈株式会社日當リ(ひあたり)〉から、
『佐賀に暮らし困ったこと。』を出版します。

日當リという会社名は
「クリエイティブという職業は、光が当たっていないところに
ちゃんとスポットライトを当てること」という考えで名付けたのだそう。
「それと僕自身、日あたりのいい場所が気持ちよくて好きなんです」
と刑部さんははにかみます。

「この本は僕らの名刺にしよう」
出来上がった本を手に、ふたりは新たなスタートを切りました。

印刷と製本をした小城市にある〈株式会社 音成印刷〉。佐賀で出会ったひとり、音成さんに『佐賀に暮らし困ったこと。』をお願いして以来、日當リの印刷物を頼むことが多いという。

印刷と製本をした小城市にある〈株式会社 音成印刷〉。佐賀で出会ったひとり、音成さんに『佐賀に暮らし困ったこと。』をお願いして以来、日當リの印刷物を頼むことが多いという。

下田在住の絵本作家、鈴木まもるさんが 子どもたちに伝えたいこと

大人も子どもも、
自分らしさを見つめる特別授業

伊豆下田に移住して暮らす津留崎家。
お子さんが通う小学校で、
絵本作家であり、鳥の巣研究家である鈴木まもるさんによる
特別授業が行われました。

それに参加した津留崎徹花さんにとっても、
心に響く内容でした。
はたしてどのような授業が行われたのでしょうか。

まちの未来は自分でつくる 福島県大熊町に生まれた 〈学び舎 ゆめの森〉が目指すもの

すべては2011年3月17日に始まった

2023年、〈学び舎 ゆめの森〉が福島県大熊町に開校した。
小学校・中学校に相当する義務教育学校と、
認定こども園、預かり保育、学童保育を一体にした町立の学び舎だ。

東日本大震災後、町民の避難を余儀なくされていた同町にとっては、
12年ぶりとなる待望の教育機関の再開。

会津若松市に避難していた義務教育学校8名の児童生徒に加え、
園児や移住者も含めた合計39名がこの場所で時間をともに過ごしている
(2023年12月現在)。

構内図。同じ形の教室はなく、ユニークな形のスペースで構成されている。

構内図。同じ形の教室はなく、ユニークな形のスペースで構成されている。

図書ひろばを中心に、特徴的な形の11のエリアによって構成される校舎では、
年齢の違う子どもたちが自由に行き来している。
抜け道や隠れ家のような場所もあり、大人でもわくわくさせられる空間だ。

いたるところに本が置かれている校舎内。こども園のエリアには絵本や紙芝居が充実している。

いたるところに本が置かれている校舎内。こども園のエリアには絵本や紙芝居が充実している。

こうした施設や、学習のペースを個々に合わせる
「学びの個別最適化」といった環境に惹かれた教育移住による転入学も多く、
移住を検討している家族の見学や教育関係者などの視察が後を絶たないという。

全国でも先進的な学び舎が、なぜ大熊町に誕生したのか。
GM(ゼネラルマネジャー:校長・園長)の南郷市兵(いっぺい)さんに聞くと、
「ゆめの森の鼓動が鳴り始めたのは、2011年3月17日だったと私は思っている」
と話してくれた。

 2023年に同校のGMに就任した南郷さんは、文部科学省で東日本大震災後の教育復興を担当。副校長として福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の立ち上げにも寄与した。

2023年に同校のGMに就任した南郷さんは、文部科学省で東日本大震災後の教育復興を担当。副校長として福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の立ち上げにも寄与した。

東日本大震災が発生した2011年3月11日の翌日、
大熊町民は、着の身着のままで避難した。
何年にも渡り避難が続くとは、誰も思っていなかったからだ。

しかし状況は一変。まちには当分住めないことがわかった2011年3月17日、
町長と教育長が話し合いの場をもち、
「まずは学校をどこに避難させるか決めよう。
学校を受け入れてくれる場所が見つかったら、町民をその土地へ避難させよう」
と避難先を探し始めたのだという。

子どもたちの学びの場を最優先にしようとした同町の英断。
「大熊町は、もともと子どもを大事にしてくれるまちだった」と南郷さん。
だからこそ今のゆめの森の環境が育まれてきたのだとうなずける。

◯年◯組という教室はなく、違う学年の児童・生徒が一緒に行う授業も多い。写真は図書ひろばで行われた帰りの会の様子。席は決まっていないため、各々が好きな場所に座っている。

◯年◯組という教室はなく、違う学年の児童・生徒が一緒に行う授業も多い。写真は図書ひろばで行われた帰りの会の様子。席は決まっていないため、各々が好きな場所に座っている。

大熊町の避難を受け入れたのは、福島県会津若松市。
震災直後は、約700人の子どもが仮校舎に通った。
着の身着のまま避難した彼らには、教科書も、ランドセルも机もない。
そんな状況で、学校に必要なものは何なのか、
行事は何のためにやるのか、
朝の会も帰りの会も部活動も、何が子どもにとって必要で幸せなのか、
徹底的に問うたのだという。

日直もいないため、帰りの会では、その日司会をしたいと思った子どもが自然と前に立ち、会を始める。

日直もいないため、帰りの会では、その日司会をしたいと思った子どもが自然と前に立ち、会を始める。

「震災が起こった頃は、日本の学校もひとつの曲がり角を迎えていました。
そうしたときに、東北で今まで通りの教育をやっていても復興は見込めません。
新しい取り組みが生まれ、東北の学校の復興が、
今の日本の学校のあるべき姿を指し示したというところはあったと思います。

原発の被害を受けたまちがどうしたら復興できるかというのは、
教科書には書いていないし、誰も答えを持っていなかった。
テストで100点をとれる子どもを育てられたとして、
その子がその答えをつくり出せるかというと、
決してそうではなかったというのは誰の目にも明らかだったと思うんですよね。

じゃあ何を育てればいいのかということを、学校現場の人たちは真剣に考えたし、
先生だけではなく子どもたち自身も地域に飛び出して行って、
まちを復興させたいという想いでいろんな活動を始めた。
それが現在の探究学習を形づくっていったわけです」

タブレット端末を活用し、時間割を自分で決められる曜日があるほか、テストの日もひとりひとりが個別に決める。自分のペース、自分の選択で、学びを深めていくことができるのが魅力だ。

タブレット端末を活用し、時間割を自分で決められる曜日があるほか、テストの日もひとりひとりが個別に決める。自分のペース、自分の選択で、学びを深めていくことができるのが魅力だ。

少しずつ耕すまちの未来 福島県・大熊町 〈あまの川農園〉の 軽やかな歩み

自然や生き物を第一に考える農園

福島県の太平洋沿岸、「浜通り」に位置する大熊町は、
2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因した
東京電力福島第一原子力発電所の事故により、
全域が「避難指示区域」および「警戒区域」となった。
全町民11505人が避難生活を余儀なくされたが、
震災から約8年後の2019年にはまちの一部である「大川原地区」と「中屋敷地区」、
2022年にはかつてのまちの中心部だった
「下野上地区を含む特定復興再生拠点」の避難指示も解除され、
新しいにぎわいを生み出すための整備が進んでいる。

JR大野駅西口の「大野駅西交流エリア」では、2024年12月オープン予定の産業交流施設・商業施設・広場等の大規模工事が行われている(2023年12月現在)。

JR大野駅西口の「大野駅西交流エリア」では、2024年12月オープン予定の産業交流施設・商業施設・広場等の大規模工事が行われている(2023年12月現在)。

この大熊町で、2023年3月から農業を始めたのが、フランス出身のブケ・エミリーさん。
イラストレーターとしても活躍しながら1.7ヘクタールの農地を借り、
果樹やハーブ、根菜などの栽培を始めた。

「ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、じゃがいも、カラント、コウゾ、ミント、
ラベンダー、ドングリ……何でも、いろいろ植えています。
何がうまくいくかいかないか、やってみることが大事ですよね」

田んぼだった場所には麦を植えてみた。梅雨前には収穫できる想定だ。

田んぼだった場所には麦を植えてみた。梅雨前には収穫できる想定だ。

農業は独学。「自然や生き物を大事にしたい」という想いがあり、
農薬や化学肥料を使わない自然農法やパーマカルチャーの情報を
インターネットで集めながら取り組んできた。

「農薬は使いません。だから今年できたじゃがいもは小さかったけど、悪いことじゃない」とエミリーさん。土地のありのままの力でできるものを育てるのが、
あまの川農園の魅力だ。

「農園を通じて、自分の周りの自然とか、
食べているものを大事にすることを伝えられたらと思っています。
自然は私たちがいなくても大丈夫だけれど、
私たちは自然がないと生きられないから。
作物や土にかかった農薬は簡単に消えるものではないですからね」

小豆島の農村ホテル〈NOTEL〉。 小さく試しながらつくりあげていく

NOTELはいつオープンするの?

「小豆島の廃校になった小学校を改装して農村ホテル〈NOTEL〉をつくります!」
と、この小豆島日記で宣言したのが2023年7月。
あれから半年が過ぎました。
たくさんの方から反響をいただき、廃校になった学校建築など
使われなくなった公共建築物をこれからどうしていくのか、
多くの人たちが注目していることなんだなとあらためて感じています。

さて、気になるのは「NOTELはいつオープンするの?」ということかと。
2024年2月現在、どんな感じでNOTELオープンにむけて
工事を進めているのかをお伝えしようと思います。

2005年に閉校した大鐸(おおぬで)小学校。その後、建物を分割、改修工事し、公民館および介護施設として使用されていたのですが、介護施設は移転し、2018年頃から分割された半分の建物は空き家状態。

2005年に閉校した大鐸(おおぬで)小学校。その後、建物を分割、改修工事し、公民館および介護施設として使用されていたのですが、介護施設は移転し、2018年頃から分割された半分の建物は空き家状態。

まず、これまでの動きを整理しておくと、

【2019年10月】
以前から気になっていた廃校になった旧大鐸(おおぬで)小学校の
建物利用について土庄町役場に連絡して、建物内部を初めて見学。
使わせてもらえるのか相談したものの、ほかの用途で利用予定があるため
借りることはできず。

このあと世の中はコロナ禍となり、何も変わらないまま約3年経過……。

【2022年7月】
再び役場に問い合わせ、こんなかたちで使いたい! とプレゼンしに行く。
何度か話し合い、建物を借りられることに。

週に1回のペースで集まり、打ち合わせを重ね、事業計画の作成、
会社の立ち上げ準備、建物の改修設計、補助金申請などを進める。

【2023年3月】
NOTELを運用していくための会社「肥土山ランドスケープ合同会社」を、
肥土山(ひとやま)地区で暮らすメンバー5人で設立。

【2023年4月】
土庄町と建物の賃貸契約をかわす。これで正式に建物を使えるように!

事業計画、資金計画を何度も練り直して、実現できるプランに落とし込んでいく作業を
粛々と進めながら、少しずつ掃除や撤去作業を進める。

【2024年1月】
小さくおためしオープン! 第一回『NOTEL軒下市』を開催してみる。

という流れでここまできています。

自分たちでできるところからとにかく始めてみる。床のシートをはがしまくる。

自分たちでできるところからとにかく始めてみる。床のシートをはがしまくる。

事務所になる場所に台やイスを集めてきて打ち合わせ。窓から見えるのは太麻山(たいまさん)。

事務所になる場所に台やイスを集めてきて打ち合わせ。窓から見えるのは太麻山(たいまさん)。

札幌でMAYA MAXXの個展。 なぜ白い象が描かれたのか?

どうしても書くことができなかった展覧会リポート

ついに立春! 
北海道でもほんの少しだけ、空の青さに春の気配が感じられるようになった。
コロカルの連載が200回となって記念座談会の記事がアップされたので、
私自身が書くのは、これが今年初。
昨年からずっと書こう書こうと思っていていたのに、
どうしてもかたちにできなかったことを今回語ってみようと思う。

美流渡はまだたっぷりの雪に覆われている。近隣の旧美流渡中学校に設置されたMAYA MAXXの鳥の塔も雪景色の中。

美流渡はまだたっぷりの雪に覆われている。近隣の旧美流渡中学校に設置されたMAYA MAXXの鳥の塔も雪景色の中。

それは、美流渡在住の画家・MAYA MAXXさんが描いた白い象の絵について。
キャンバスの幅が3〜4メートルにもなる大作で、
2023年9月に近隣の閉校した旧美流渡中学校で開催した
『みんなとMAYA MAXX展』に、新作として2点展示されたもの。
実は、この展覧会が開催される少し前から約50日、
MAYAさんは体調不良で入院をしていて、期間中に会場を訪れることはできなかった。
入院前、この象の絵についてMAYAさんから話は聞いていたけれど、
あと一歩、つかみ切れない部分があるように感じられた。
また病状がどう変化していくのかわからない状態が続いていたことも重なって、
展覧会のリポート記事がまとめられなかった。

旧美流渡中学校で毎年開催している『みんなとMAYA MAXX展』。2023年秋に展示された「林の中の象のように」。

旧美流渡中学校で毎年開催している『みんなとMAYA MAXX展』。2023年秋に展示された「林の中の象のように」。

横向きの姿と少しこちらに体を向けている姿の2枚が描かれた。

横向きの姿と少しこちらに体を向けている姿の2枚が描かれた。

MAYAさんは退院後、療養しながら少しずつ体力回復に努めている。
入院中に少しお休みをしていた岩見沢のコミュニティラジオのトーク番組を1月から再開した。
ラジオでは病気のことについて本人の口から語られ、
私も少しずつ状況を客観的に捉えられるようになった。

エフエムはまなすで毎週金曜夜9時から放送中の『MAYA MAXXのplaypray』。新年第1弾で入院中の様子が語られた。

編集者・ルーカスB.B. 焼津を第2の拠点に、新たな旅を始める

焼津での生活は予期せぬものだった

ルーカスB.B.。伝説的なユースカルチャー雑誌『TOKION』を創刊した人であり、
現在も20年以上続くトラベル・ライフスタイル誌『PAPERSKY』の編集長を務める、
“つくり続けている”人だ。

東京を拠点に各地を旅するように活動するルーカスさんが、
静岡県焼津市との二拠点生活を始めたと聞いて、焼津にある彼の家へと向かった。
日本各地を取材で訪れるルーカスさんは、なぜ焼津を第2の拠点としたのだろうか。

民家が並ぶ道路を走っていると、
突如ほかの民家とは明らかに異なる前庭を持つ民家が現れた。
明るい白系の石が敷き詰められた駐車場、庭にはミモザやオリーブの木が植えられ、
タイルで囲われた小さなプールもある。一目でそれとわかるルーカスさんの家だ。

ルーカスさんが住む焼津の家。家の正面左に見えるガラスの扉を開けると、ルーカスさんのオフィススペースがある。

ルーカスさんが住む焼津の家。家の正面左に見えるガラスの扉を開けると、ルーカスさんのオフィススペースがある。

「僕はカリフォルニア出身だけど、庭はその雰囲気に寄せてるんだよね。
サボテンやソテツもある。
オフィスの窓を開けるとそこから植物の様子がよく見えていいんだよ」

出迎えてくれたルーカスさんは、異国情緒あふれる庭のこだわりを語ってくれた。
ルーカスさんがスケッチを書き、
庭師さんに見せてイメージを共有しアイデアをもらうというキャッチボールを繰り返した。

石の間には本当はクローバーを敷き詰めたいのだそう。「それはまだまだこれからだね」。

石の間には本当はクローバーを敷き詰めたいのだそう。「それはまだまだこれからだね」。

庭の植物

ルーカスさんのこだわりと遊び心はこの庭だけでなく、
どうやら家の随所に生かされているようだ。
家の中にお邪魔すると、新しくリノベーションを施した部分と、
もともとの日本家屋の雰囲気が見事に調和した空間となっている。

そもそもこの家は、ルーカスさんのパートナーの香織さんの実家だというが、
どうして焼津と東京の二拠点生活を始めることになったのか。
ルーカスさんに案内されたオフィススペースをインタビュー場所に、
まずはその経緯を訊ねた。

「この家には妻の父親と祖母がもともと住んでいたんだけど、
おとうさんが脳梗塞になってしまって、介護施設に入ることになったんだ。
だけどそうなるとおばあちゃんひとりになってしまうから、
僕らが一緒に住もうということになったんだよね。
妻は実家に戻ることをあまりイメージしてなかったみたいだけど、
僕はいいんじゃないかと思った。それがだいたい3年ぐらい前かな」

ルーカスさんの横顔

そうして東京と焼津を行き来する生活が始まったが、あるひとつの問題が浮上した。

「この家には近所の人やおばあちゃんの友だちがやってくるのね。
僕は玄関横の部屋でよく仕事をしていたんだけど、
みんな僕が仕事していると思ってないから、
おばあちゃんたちの話し声とか笑い声がすごい(笑)。
リモートで打ち合わせしてるときにもその声が入っちゃったりするから、
家の中で問題なく仕事できる場所がほしかったんだ」

築70年近く経っていた家の改装と合わせて、
ルーカスさんは焼津における自らの快適な仕事場をつくろうと考えた。

冬の備蓄は?働き方は? 北海道に移住した編集者 3人のオンライン座談会

北海道岩見沢市で暮らしている、編集者の來嶋路子さんの
「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」が
連載200回を突破した特別企画として、
北海道へ移住した3人の編集者の座談会を実施!

前編では、移住のきっかけや物件事情、雪かき、光熱費などについて話しました。
後編の今回は、冬の備蓄や働き方の変化などについて話が広がっていきました。

座談会の参加者

來嶋路子「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」著者。東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。

來嶋路子
「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」著者。東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。

井出千種弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。コロカルで「弟子屈の森から」を連載。

井出千種
弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。コロカルで「弟子屈の森から」を連載。

小林百合子1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人からなる山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)、『山小屋の灯』(山と溪谷社)など。2023年に北海道の弟子屈町へ移住。

小林百合子
1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人からなる山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)、『山小屋の灯』(山と溪谷社)など。2023年に北海道の弟子屈町へ移住。

冬の備蓄と周辺買い物事情

—— みなさん冬の間はあまり外に出ないというお話もされていましたが、冬の備蓄はどうされているんですか。

來嶋: 弟子屈はお店までどのくらいあるんですか?

井出: 私の家から1番近いコンビニは車で15〜20分ぐらいですかね。小林さんもそんな感じだよね。

小林: 私もそうですね。あとは井出さんの教えを受けて、コープさっぽろを頼みました。なので、家の外に出なくても大丈夫。

來嶋: 「トドック」!

小林: そう、「トドック」!

—— トドック? なんですか?

小林: 自宅に食品や日用品を宅配してくれるサービスです。井出さんに、「すみやかに登録せよ」といわれて、登録しました。来週届きます。

來嶋: 田舎ならではですけど、ご近所からいろいろもらったりしますよね。

井出: お野菜とか?

來嶋: 玉ねぎ2年分ぐらいあるんですよね。

小林: 超ほしい! あ、食でいえば先輩に聞きたいことがあって。近くにパン屋さんがないけどどうしてもおいしいパンが食べたくて。そういう、買えないけど食べたいものがあるとき、つくったりしていますか?

來嶋: パンは近くで買えないので、ホームベーカリーを買いました。岩見沢って小麦の産地でもあるので、自分でつくっています。そのほうがむしろおいしい。

小林: そうなんだー! 私もこれまでとは違う食文化のなかで、どうしようかってすごい考えて、いよいよパンを焼きはじめたんですけど。

井出: 私も焼きはじめたよ。でも、すぐに焼かなくなったけど(笑)。

小林: やばい! 私も焼かなくなるな、それは(笑)。私、スタバのチョコスコーンや551蓬莱の豚まんが大好きなんですけど、食べたすぎてつくり続けていたら、かなり近づいてきました。

來嶋: すごい! 東京の友人が泊まりにくると、自分で焼いたパンと、もらったブルーベリージャム、よつ葉の発酵バターを朝ごはんに出すんです。私からすればなんてことない朝食なんだけど、「ホテル並みだね」って喜んでくれて。素材がいいから。

小林: 素材もそうだし、情熱が違いますよね。心の底から食べたいと思って試行錯誤してつくったものだから。

來嶋: 完熟したブルーベリーをそのままバクバク食べると、「あれ、今まで食べてきたものってなんだったんだろう」みたいな。

木によって味が違うブルーベリー。

木によって味が違うブルーベリー。

小林: いいな。ブルーベリーができるんですね。

井出: 小林さんちのすぐそばに畑があるよ、春になったら摘みに行けるよ。

小林: え、教えてほしいです。

來嶋: 木によって甘さが違うから、一番甘い木を探すんです。

小林: 楽しみー!

連載200回記念! 北海道に移住した編集者 3人のオンライン座談会

北海道岩見沢市で暮らしている、編集者の來嶋路子さん。
この連載「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」も
2015年の開始から約9年、ついに200回を迎えました。
連載200回を記念した特別企画として、
北海道へ移住した3人の編集者の座談会を実施!

2011年の東日本大震災後に移住した來嶋さん、
2018年に帯広へ、3年後に弟子屈町へ移住した井出千種さん、
そして、井出さんを頼りに2023年に移住したという小林百合子さん。
3人とも編集者という共通点があり、出身地ではないのに北海道へ移住されています。
取材などで各地を行き来する機会の多い編集者が惹かれる北海道の魅力って?

座談会の参加者

來嶋路子「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」著者。東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。

來嶋路子
「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」著者。東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。

井出千種弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。コロカルで「弟子屈の森から」を連載。

井出千種
弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。コロカルで「弟子屈の森から」を連載。

小林百合子1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人からなる山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)、『山小屋の灯』(山と溪谷社)など。2023年に北海道の弟子屈町へ移住。

小林百合子
1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人からなる山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)、『山小屋の灯』(山と溪谷社)など。2023年に北海道の弟子屈町へ移住。

地元の人が教える 牡蠣のおいしい食べ方から 季節のビッグイベントまで。 わたしのまちの 「冬の過ごし方」


今月のテーマ 「冬のお約束」

日々の習慣をはじめ、
人それぞれ決まった手順や日課などがあるはず。
それは、季節の過ごし方にも言えるのではないのでしょうか。

今回は、「その土地ならではの冬の楽しみ、過ごし方」を
全国にお住まいのみなさんに紹介してもらいました。
冬の定番食べ物を味わったり、お決まり行事を友だちと毎年開催したりと、
楽しみ方もさまざま。

寒い寒いと、家のなかでぬくぬくしているのも
冬のリラックスタイムとして至福のひとときですが
ぜひ自分なりの季節ごとの楽しみを探してみてください。

【岡山県浅口市】
冬といえば寄島牡蠣!

私が暮らす岡山県浅口市の港町・寄島町(よりしまちょう)は、牡蠣が特産です。
だいたい11月下旬から3月末頃限定で手に入る、冬限定の味覚です。
寄島牡蠣は1年もので小粒ですが、栄養たっぷりの瀬戸内海でぷくぷく育ち、
濃厚な味わいが特徴で、指名買いされる老舗料亭もあるとか。

生ではなく必ず火を通して食べますが
移住して殻つき牡蠣の手軽な食べ方を教えていただきました。

軽く洗ったら平らな皿に並べて、ふんわりラップをして、レンジでチン。
加熱時間は牡蠣の量によりますが、
3つで1分半くらい、殻が開いていなかったら数十秒さらに加熱し、
殻が開いたら完成です。

ポン酢などで食べる人も多いですが、私はそのまま、
じゅわーっと広がる海の味わいを楽しむのが好きです。

photo & text

こばん

大阪府出身。〈カブ〉で旅するフォトライター。全国各地を愛車と旅する様子をインスタグラムに投稿するのが趣味。フォトジェニックな「星と海のまちあさくち」に一目惚れし、2017年5月、岡山県浅口市地域おこし協力隊に着任。浅口の魅力を取材し、紙面やWEB、SNSで発信中。

ローカルの仲間と活動しよう! 〈小豆島カメラ〉というチームが 10年続いた理由とは?

小豆島カメラ10周年の写真展

2013年10月に〈小豆島カメラ〉というチームを結成し、
「見たい、食べたい、会いたい。」をテーマに小豆島の写真を撮り続けてきて10年!
2024年1月、小豆島カメラ10周年の写真展
『10年たってもやっぱり!見たい、食べたい、会いたい』が、
東京・新宿にある〈OM SYSTEM PLAZA〉で開催されました。

小豆島カメラ結成当時からサポートしていただいているカメラ〈OM SYSTEM〉(結成当時はOLYMPUSでした)のショールームの一角で写真展が開催されました。

小豆島カメラ結成当時からサポートしていただいているカメラ〈OM SYSTEM〉(結成当時はOLYMPUSでした)のショールームの一角で写真展が開催されました。

写真展を開催するのは5年ぶり。5年間に撮りためた数千枚の写真から24枚をセレクトして展示しました。

写真展を開催するのは5年ぶり。5年間に撮りためた数千枚の写真から24枚をセレクトして展示しました。

あらためて、まずは〈小豆島カメラ〉というチームについて。
小豆島カメラは、小豆島で暮らす女性7人と、
カメラメーカーのオリンパス(現在はOMデジタルソリューションズ)、
写真メディア『PHaT PHOTO』、写真家MOTOKOさんが一緒になって進めてきた
地方×カメラプロジェクト。
私たち島のメンバー7人が、それぞれの日常の暮らしのなかで出会うシーンを
カメラで撮影し、Webサイトや写真展、イベントなどを通して発信してきました。

2014年7月に小豆島で初めて開催した写真展の様子。島の友人たちに手伝ってもらって写真を飾りました。

2014年7月に小豆島で初めて開催した写真展の様子。島の友人たちに手伝ってもらって写真を飾りました。

この小豆島日記でも2014年から2019年にかけて
何度か小豆島カメラのことを書いています。
気になる方はぜひそちらもご覧ください。以下、その一部です。

vol.043『小豆島で暮らす、写真を撮る』(2014.2.10)

小豆島カメラ立ち上げまでの話

vol.051『「小豆島カメラ」本格始動』(2014.4.7)

具体的に活動が始まった頃の話

vol.141『地方で仲間をつくって活動するということ』(2016.2.22)

活動2年目、「生産者と暮らしに出会う旅」の様子など

vol.208『〈小豆島カメラ〉を始めて5年。活動を続けていくということ』(2018.9.24)

活動5年目、写真展のことや当時の思い

下田ならではのエコツーリズムとは? 環境問題を学ぶ大学生の フィールドトリップに参加して。

海へ、山へ、里山へ!
下田で開催したエコツーリズム

津留崎家が住む伊豆下田の基幹産業は「観光」です。
津留崎鎮生さんは「エコツーリズム」に注目し、活動を始めています。

そんななかで大学生が下田で行うフィールドトリップの授業に
参加する機会を得ました。
参加して得た体験が今後の活動のヒントになりそうです。
どんなフィールドトリップだったのでしょうか?

3月8日は「町家の日」! 町家を起点にしたイベントが 3月2日~10日に全国各地で開催

町家が持つ知恵や工夫を見直す1週間に

マーチ(3月)・ヤ(8日)で〈町家の日〉。3月8日を挟む1週間、
2024年3月2日(土)から3月10日(日)を「町家Week」とし、
京都をはじめ日本全国で町家を舞台にしたイベントが開催されます。

「町家の日」とは、全国で毎日のように姿を消している町家の
保全と再生を行う「京町家情報センター」主催の取り組み。
京都のみならず全国に残る町家の魅力を発信すべく、2017年からスタートし、
2024年で8年目を迎えます。町家が持つ知恵や工夫を見直し、
その伝統価値や素晴らしさを広めるきっかけづくりを行っています。

参加地域は年々増えており、今回は京都、姫路、越後高田など、
5都市以上での開催を予定。町家を活用したアートギャラリー、ワークショプ、
お茶会のほか、講演会やミニコンサート、地域主催のマルシェなど、
各地で趣向を凝らしたイベントが目白押しです。

古きよき日本の町家

上方講談師による講談が行われた、2023年開催時。

上方講談師による講談が行われた、2023年開催時。

町家リノベの住まい見学やマルシェ、伝統工芸のワークショップも

古きよき日本のまち並みと町家をめぐるツアーや、
普段はお目にかかれない指定有形文化財の公開などもあり、
土地の歴史や文化が色濃く反映される町家に触れられる良い機会。
建築、デザイン、工芸、地域再生などに興味のある方にも見逃せないイベントです。

会場のひとつである京都では、これまでになかった取り組みとして
実際に住まいとして使われている町家を開放するオープンハウスを実施予定。
外観からは想像できないリノベーションを施した町家を見学することで、
「こういう暮らし方もありかも」といった発見や新たな価値観に出会えそうです。

住まいとしての町家。内装や暮らしぶりも興味深い。

住まいとしての町家。内装や暮らしぶりも興味深い。

また、手織りや紙漉き、型染といった伝統工芸体験や
町家と切っても切れない内装にまつわるワークショップも開催予定。
特別な空間、非日常になりつつある町家が、体験を通して身近に感じられるかもしれません。

2023年に行われた、京からかみのはがき摺り体験。

2023年に行われた、京からかみのはがき摺り体験。

紙漉きのワークショップ。今回も行われる予定。

紙漉きのワークショップ。今回も行われる予定。

浅草・合羽橋〈釜浅商店〉の WEB講座「育てる料理道具学」が 京都芸術大学で2月から開講

包丁研ぎをWEB上でレクチャー。合羽橋の料理道具店が教える「料理道具を育てること」

東京の上野と浅草の間くらいに位置し、
飲食業向けの食器や調理器具などが集まる問屋街・合羽橋。

そんな合羽橋に店を構える〈釜浅商店〉は、
1908(明治41)年創業の料理道具店。
4代目店主・熊澤大介氏が考える「料理道具を育てること」とは?

学校法人瓜生山学園 京都芸術大学の藝術学舎では、
副学長の小山薫堂氏が率いるオレンジ・アンド・パートナーズ社が
プロデュースする「熱狂!○○学」シリーズのひとつとして、
熊澤氏を講師に迎え、「料理道具を育てること」について考え
実践する講座を開講します。
WEB上の一般公開講座なので、誰でも気軽に遠隔での参加が可能です。
2024年2月10日(土)・17日(土)・3月9日(土)・16日(土)の
計4回の講座となります。

創業116年の老舗が考える「良い理の道具」とは

使いやすく、タフで永く使える料理道具を扱う〈釜浅商店〉は、
116年もの長きにわたり、料理人と料理道具に向き合ってきました。
そのなかで導き出された「良い道具には、良い理(ことわり)がある」
=「良理道具」という考え。
日々の料理に欠かせない、包丁、まな板、フライパンなどにも、
それぞれに“理(ことわり)”があり、
それらの特性や持ち味を生かすことで良い仕事をしてくれる。
しかし、どんなに“良い理”がある道具も、
手入れをしてあげなければ、その力を発揮できなくなってしまうことも。

講座の第1回はそんな「料理道具を育てること」について、
熊沢氏の講義を通して、一緒に考えていきます。

1908(明治41)年創業の料理道具店〈釜浅商店〉

包丁の産地を知る、つくりを知る、違いを知る

第2回は包丁について、より深く知り、学んでいく講座。
日本を代表する包丁の産地である、岐阜県関市、大阪府堺市、
福井県越前市をとり上げ、それぞれの違いに迫ります。
同じ包丁でも、鋼材・刃の構造・ハンドル・耐久性などがまったく異なるそう。
包丁の産地、種類による特徴や違いを理解することで、
これからの料理にも生かせるのでは。

包丁の産地を知る、つくりを知る、違いを知る

もうすぐ10周年の 〈HOMEMAKERSカフェ〉、 新たな場所へ

自宅でのカフェ営業を終了して移転します!

2014年2月22日、ニャンニャンニャンの猫の日に
〈HOMEMAKERSカフェ〉はオープンしました。
あの日からもうすぐ10年が経とうとしています。

カフェ玄関を入ると目の前にカウンターがあって、そこで私たちが料理しています。

カフェ玄関を入ると目の前にカウンターがあって、そこで私たちが料理しています。

2023年12月16日のカレー&サラダ。収穫できる野菜は毎週違うので、サラダも毎週変わります。それが楽しみでもある。

2023年12月16日のカレー&サラダ。収穫できる野菜は毎週違うので、サラダも毎週変わります。それが楽しみでもある。

HOMEMAKERSの畑で育てた野菜を食べられる場所として、
当初から6年間は週に2日、コロナ禍以降は週に1日、土曜日にオープン。
農業も続けながら、よくカフェを続けてこられたなぁというのが今の本音です(笑)。
週に1日しかやってないので、その1日を休むわけにはいかないと、
体調不良や子どもの行事など、特別なことがない限り、
冬季休業期間をのぞいた10か月間は毎週土曜日にカフェを開いてきました。

来年2024年2月で10周年を迎えます。
ちょうどその節目となるタイミングで、
今の場所でのHOMEMAKERSカフェの営業を終了し、
新たな場所へ移転することに決めました。
HOMEMAKERSカフェ、10周年のお引越しです!

どうして新たな場所に引っ越すことにしたのか?
今の私たちの思いを書いておこうと思います。

カフェ玄関前にあるリュウゼツランが10年でずいぶん大きくなりました。「これなんですか?」とお客さんによく聞かれます。地下茎でつながって新しい株がどんどん増えているので、新しい場所にも植えたいなと思っています。

カフェ玄関前にあるリュウゼツランが10年でずいぶん大きくなりました。「これなんですか?」とお客さんによく聞かれます。地下茎でつながって新しい株がどんどん増えているので、新しい場所にも植えたいなと思っています。

海と山の 豊かな恵みに彩られる秋の食卓。 地域の循環、豊かな暮らし

お裾分け食材から感じる豊かな暮らし

伊豆下田に移住して、無事6年目の米づくりを
終えることができた津留崎家。
極上の新米を土鍋で炊いていただいているといいます。

秋の津留崎家の食卓は豊かな食材が彩ります。
しかもその多くは友人や近くに住む人たちからのお裾分け。
最近の津留崎家の食卓を紹介してもらいます。

〆切に追われる苦しさから抜け出して、 自分の時間はいくらでもある! と意識改革をしてみた

連載のペースがゆっくりとなるのをきっかけに気づいたこと

この連載が199回、あと1回で200回となるところまできた。
第1回が2015年8月に始まって、8年半の間には次女の出産など
さまざまな変化があったけれど、月2回、ほぼコンスタントに記事を書くことができた。
コロカルの連載は、原稿を書くというありがたい訓練の場であったし、
地域の人々に取材をして、互いに仲よくなる機会となったりもした。

何より湧き上がる思いをアーカイブとして残せたことは、本当に幸せなことだったと思う。

第3子誕生のときに書いたコロカルの記事。

第3子誕生のときに書いたコロカルの記事。

いま、ここで書いておきたいのは、連載の本数が春から減るということ。
これまで月に3本原稿の締め切りがあって(コロカルが2本、別媒体の連載が1本)、
「締め切り」という名の妖怪が私の前につねに立ちはだかっていて、
月末に近くなると苦しめられるという状況になっていた。

多少遅れることはあるが、なんとか期日までに書き上げてきたわけだが、
そんな締め切りが春から月1本だけとなることになった。
コロカルの編集方針により更新が月2回から1回へと変わり、
もう1本別の媒体の連載も3月で終了が決まったのだ。

コロカルと並行して連載していた『The JR Hokkaido』。特急列車で配布される車内誌で、北海道で個性的な活動を続ける人々を紹介。

コロカルと並行して連載していた『The JR Hokkaido』。特急列車で配布される車内誌で、北海道で個性的な活動を続ける人々を紹介。

立て続けに連載が減るという話がきて、最初は不安になった。
連載は定期的にお金が振り込まれる、フリーランスとしてはお給料的にありがたい存在。
それが2本も減るのだから、その分、どうやって金銭的に挽回すればいいのかなあと思った。

これまでの私だったら、連載がなくなった分、
自分でマガジン的なメディアを立ち上げてそれを課金形式にしてみようと考えたと思う。
このプランは一瞬頭をよぎったものの、その後、子どもからインフルエンザがうつり、
何日か寝込むことなって思考停止の状態となった。

コロカルの連載の締め切りを1週間延ばしてもらい、あとは別媒体の原稿だけを、
なんとか月末までに1本仕上げればいいように調整した。
熱は2日で下がったが、そのあとは咳が続き、調子が上がらなかった。
パソコンに向かっても言葉が浮かばず、仕方がないので、昼寝をしたりして過ごした。
原稿の締め切りまであと3日の時点でも結局昼寝をしたり、ちょっと掃除をしたり。
そしてあと2日となり、ついにその日がきてしまった。

このとき原稿は半分くらいしか進んでいなくて、
さすがにまずいと思い、とにかく最後まで書き切った。
最後の締めの言葉は曖昧なままだったが、翌日、
締めの言葉がふっと浮かびなんとか原稿が仕上がった。

美流渡は本格的な冬の時期となった。仕事場の窓から見えるのは銀世界。

美流渡は本格的な冬の時期となった。仕事場の窓から見えるのは銀世界。

ごはん屋さん&陶芸工房〈したたむ〉。
暮らしと仕事が近いことの
意外なデメリットとは?

移住者のつくる小さなお店 したたむ vol.6

静岡県掛川市の山間での暮らしを始めて4年目、
料理人の夫と陶芸家の妻による、ごはん屋さんと陶芸工房〈したたむ〉。

完全予約制のランチ営業のみで、Instagramで1か月分の予約を開始すると
すぐに埋まってしまい、キャンセル待ちができるほどの人気店です。
車でしか行けない山奥にあり、決して利便性の良い立地ではないものの、
ここまでの人気店に成長したのはなぜなのか、本連載を通してひも解いていきます。

器を妻が、料理を夫が担当。

器を妻が、料理を夫が担当。

これまで、飲食店を開こうと考えたきっかけや、お店を出すための土地探し
資金調達セルフリノベ屋号やコンセプトの決め方について教えてもらいました。
今回は、陶芸家の妻・吉永哲子(よしなが のりこ)さんが、
それぞれが異なる事業を行う2本柱で働くからこそのメリットと、
夫婦での役割や話し合いについて執筆してくれました。

陶芸家の妻・哲子さんと、料理人の夫・夏樹さん。

陶芸家の妻・哲子さんと、料理人の夫・夏樹さん。

ごはん屋さんがオープンして、作陶の時間がない……!

掛川に移り住んで、〈したたむ〉の営業を開始するまでの1年間は、
開業準備や家の改装など、それなりにやることはありながらも、
今思うと割とマイペースに過ごしていたように思います。

7月に引っ越して9月には陶芸の仕事を再開していたので、
例えば午前中に作陶して午後から壁を塗るなど、
自分のペースで仕事ができる時期でした。

丸皿を乾かしているところ。

丸皿を乾かしているところ。

漆喰塗りにも挑戦しました。

漆喰塗りにも挑戦しました。

夫のほうは、助成金関係の書類作成や、家やその周りの整備で忙しいながらも、
開店準備のワクワクのなか、もともと好きなDIYを楽しんでいたようでした。

実際にごはん屋〈したたむ〉を開店してみて、私にとって一番問題になったのは、
時間がとにかく足りないということです。
考えてみれば、ごはん屋も陶芸の仕事も片手間にできるものではありません。

ごはん屋の調理など、ほとんどの仕事は夫が一手に引き受けてくれていますが、
営業日の準備や接客は私の仕事です。
週に4日の営業ですと、陶芸に当てられる日は週3日となり、
時間が足りなすぎるということになります。

〈したたむ〉をごはん屋と陶芸工房の2本柱で立ち上げようと構想を練っていたときは、
「お互いの仕事を助けあっていけばいいよね」という、ゆるふわな考えで、
このあたりのシミュレーションがまったくできていませんでした。
まだ完全には解決していないこの問題を、時間とお金の面から整理してみたいと思います。

ソバと米を育てた1年。
獣害や生育不良もあったけれど、
自然に身を置く幸せを感じて

旧美流渡中学校の畑。今年は「自分でやる!」

私が代表を務める地域PR団体「みる・とーぶプロジェクト」が、
閉校になった旧美流渡(みると)中学校の活用を初めて3年目。
今年も展覧会やワークショップを多数開催してきたが、
今回はひっそりと行っていた畑のことについて書いてみたい。

中学校に生徒が通っていた頃、グラウンドと体育館の間に畑があった。
この畑をもう一度復活させられたらと思い、昨年、美唄市の農家・渡辺正美さんに
協力してもらい「畑の声を聞こう!」という月1回ほどのワークショップを開催した。
作業のほとんどを人力で。
スコップで土を耕し、ソバを育て、石臼で製粉をするという取り組みだった。

美唄の農家・渡辺さん。私が移住してまもない頃から、渡辺さんの野菜を買わせてもらっていた。2022年には私の出版活動「森の出版社ミチクル」から『おらの古家』を刊行した。

美唄の農家・渡辺さん。私が移住してまもない頃から、渡辺さんの野菜を買わせてもらっていた。2022年には私の出版活動「森の出版社ミチクル」から『おらの古家』を刊行した。

昨年の「畑の声を聞こう!」ワークショップ。まずは土を人力で耕すことから始まった。

昨年の「畑の声を聞こう!」ワークショップ。まずは土を人力で耕すことから始まった。

このワークショップはスタート時点では20名ほどの参加者がきてくれたが、
月を追うごとに人数が減っていき、秋には4名となっていた。
ワークショップといっても地味な農作業の連続。
みんなに魅力を感じてもらえるような要素をうまく提供できなかったことが、
人数が減っていった要因なのかもしれない。

収穫をして実を選別し、石臼で製粉し、ようやくソバ打ち。

収穫をして実を選別し、石臼で製粉し、ようやくソバ打ち。

「あんまり人もこないし、自分のところの畑も忙しいから、来年はワークショップやめるかな」

昨年のワークショップが終わったとき、渡辺さんがそう話した。

「来年は自分でソバを育てるので、脱穀と製粉のときに力を貸してもらえませんか?」

そう私は返事をした。
昨年のソバを育てた経緯を『そばの1年』という本にまとめ、
そのなかで書いたことが頭にあった。

労働と食べものの価値はお金でははかれないと思った。
そばの味は畑そのものの味。おいしいから食べるというよりも生きることそのもの。

とにかくそばづくりは来年もまたその先もつづけていきたい。
1年やるだけではわからない何かがそこにあるように思う。

まずは自分がひとりで畑作業に向かうことによって、
新しい気づきがあるんじゃないかと思った。

イラストと手書きの文字とでまとめた『そばの1年』(森の出版社ミチクル)。

イラストと手書きの文字とでまとめた『そばの1年』(森の出版社ミチクル)。