連載
posted:2023.11.29 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。
https://www.instagram.com/michikokurushima/
私が代表を務める地域PR団体「みる・とーぶプロジェクト」が、
閉校になった旧美流渡(みると)中学校の活用を初めて3年目。
今年も展覧会やワークショップを多数開催してきたが、
今回はひっそりと行っていた畑のことについて書いてみたい。
中学校に生徒が通っていた頃、グラウンドと体育館の間に畑があった。
この畑をもう一度復活させられたらと思い、昨年、美唄市の農家・渡辺正美さんに
協力してもらい「畑の声を聞こう!」という月1回ほどのワークショップを開催した。
作業のほとんどを人力で。
スコップで土を耕し、ソバを育て、石臼で製粉をするという取り組みだった。
このワークショップはスタート時点では20名ほどの参加者がきてくれたが、
月を追うごとに人数が減っていき、秋には4名となっていた。
ワークショップといっても地味な農作業の連続。
みんなに魅力を感じてもらえるような要素をうまく提供できなかったことが、
人数が減っていった要因なのかもしれない。
「あんまり人もこないし、自分のところの畑も忙しいから、来年はワークショップやめるかな」
昨年のワークショップが終わったとき、渡辺さんがそう話した。
「来年は自分でソバを育てるので、脱穀と製粉のときに力を貸してもらえませんか?」
そう私は返事をした。
昨年のソバを育てた経緯を『そばの1年』という本にまとめ、
そのなかで書いたことが頭にあった。
労働と食べものの価値はお金でははかれないと思った。
そばの味は畑そのものの味。おいしいから食べるというよりも生きることそのもの。
とにかくそばづくりは来年もまたその先もつづけていきたい。
1年やるだけではわからない何かがそこにあるように思う。
まずは自分がひとりで畑作業に向かうことによって、
新しい気づきがあるんじゃないかと思った。
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雪解けの頃、渡辺さんから、今年は旧美流渡中学校で
新しい取り組みをやってみたいという話があった。
「学校の裏に湧き水が流れているから、あれを使って田んぼをつくってはどうだろう」
水量はそれほど多くはないけれど山から流れてくる水は確かにあって、
これを利用できないかということだった。
地域の農家さんから稲の苗をもらってきてほしいと私は頼まれ、ご近所さんにかけ合った。
田んぼは畳2畳ほど。大人3人ほどで2時間くらい穴を掘ってできあがった。
パイプで湧き水をこの田んぼに引き込んで準備が完了。
田んぼづくりとともに、渡辺さんは畑にも手を貸してくれた。
とにかく土を耕しておけば、好きなものを植えることができるだろうからと、
草を刈って耕運機を動かしてくれた。
今年はひと畝ずつ、野菜を育てたい人が自由にタネをまいたらどうだろうと思い、声をかけた。
いつも旧美流渡中学校の活動をともにしているメンバーが大根や春菊などを植えた。
5月、ソバの種まき。
「今年は自分でやります!」と言っておきながら、
結局は渡辺さんの手を借りて、無事にタネを植えることができた。
このほか、畑を遊ばせておくのはもったいないと、
亜麻やひまわり、大豆の種も植えてくれた。
さて、6月に入って、ソバの芽もぐんぐんと伸び始めてきたので、
動物よけのネットを張る必要があった。
このネットを張る作業も昨年は渡辺さんがやってくれたのだが、
せめてこのくらいは自分でやろうと思った。
土に杭を打って支柱に巻きつけ、それにネットをかけていくという作業。
周囲が何メートルくらいあるのかは、自分では見当もつかないが
70メートルくらいあるかな? と思われた。
半日かかってなんとか張り終えた。
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このあとからが、なかなか大変だった。
順調に作物は生育していったが、枝豆やきゅうりの葉がすっかり食べられてしまう日が続いた。
深夜、鹿がネットを超えて入ってきているようで、
ネットの背を高くしたり、夜に点滅するライトをつけたりして対策した。
また、とうもろこしもすべて倒されてしまった。
こちらはアライグマの仕業だろうと渡辺さんは話してくれた。
田んぼは6月初めに田植えをしたが、湧き水が冷たかったからか生育はあまりよくなく、
小さな溜池にいったん水を溜めて、少し温度を上げてから田んぼに引き入れるなどの工夫をした。
ほかの農家さんの田んぼと比べると半分くらいの背丈。
本当に実るのだろうかと思うような心細い感じだった。
渡辺さんは毎月、時間を見つけては田んぼと畑の様子を見にきてくれて、
畑の雑草を取るなど世話をしてくれた。
田んぼの生育はいまひとつだったが、渡辺さんは水辺があることで、
さまざまな生き物がやってくることのほうに関心があるようだった。
シオカラトンボやアマガエル、キアゲハの幼虫などがいて、
確かに田んぼは生き物たちがにぎやかに集まる場となっていた。
私はできるだけ田んぼや畑に顔を出し、トマトやネギなどの収穫をしたり、
ネットが倒れた部分の補修に励んだりした。
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9月の下旬、いよいよソバの収穫。
またしても、渡辺さんと、渡辺さんの友人2名が収穫を手伝ってくれた。
今年の生育も去年に続き上々。
縦横無尽に伸びていて、実がどこになっているのか見えなかったカボチャも現れ、
思った以上に豊作だった。
収穫したソバを干しておき、それを10月に入ってから選別した。
そんなに量がないからということで、今回は脱穀機を使わず棒でたたいて
ソバの実を落とし、唐箕というハンドルを回すと風が起こる機械で、
実とそれ以外とを選別した。
今回の収穫は2キロ!
冬になったら渡辺さんと一緒に製粉とソバ打ちをしようと約束した。
この日、合わせて、田んぼの稲刈りも行った。
本当に穂が垂れるのかと心配したが、ちゃんと実をつけてくれた。
収穫してみると、手で抱えられるくらい。
本当にわずかな量だったけれど、お米って自分の手でつくれるんだと実感できてうれしかった。
「これくらいの量なら、食べるんじゃなくて、しめ飾りにしようかね」
稲を干しながら、渡辺さんはそう語った。
確かにこれを食べてしまったら、1食分くらいにしかならないかもしれないけれど、
お正月を迎える飾りにして、平穏な日々を祈ることに向けられたら、
何よりすてきだと思えた。
最後に渡辺さんが、来年土がよくなるようにと畑には籾殻と米糠をまいてくれた。
そして田んぼの周囲には、堆肥としても役立つコンフリーという植物が
たくさん生えていたので、それを刈って田んぼに入れて来年の準備をした。
自分でやる宣言をしたわりには、昨年どおり渡辺さんにあれもこれもやっていただいてしまった。
「1年やるだけではわからない何かがそこにある」と私は本に書いたわけだが、
2年目となって、もっともっと続けなければわからないことばかりだと感じられた。
昨年とのわずかな変化は、ソバや米という作物の生育ばかりに気をとられるのではなく、
まわりの状況をよく観察できるようになったことかもしれない。
鹿やアライグマに作物が食べられるのは残念ではあるけれど、
ある程度、分け合うことでバランスが見つかったりしたらいいなあと思ったり、
渡辺さんのようにお米をつくるだけじゃなく、
ビオトープのような環境をつくるという気持ちを持てるのはすてきだなあと思ったり。
北海道はもうすぐ雪に閉ざされる。また春になったら土と向かい合いたい。
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