連載
posted:2022.11.2 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
今年の春から、そばを育てそれを製粉するワークショップ『畑の声を聞こう』を、
私が代表を務める地域団体〈みる・とーぶ〉で行ってきた。
そばを栽培したのは、3年前に閉校した旧美流渡(みると)中学校。
これまで生徒たちが作物を育てていたというグランド脇のスペースを利用した。
そばの栽培方法を教えてくれたのは、北海道美唄(びばい)市の農家・渡辺正美さん。
昨年『おらの古家』という書籍を〈森の出版社ミチクル〉から刊行し、
本づくりを一緒にさせていただいた。
この本は、昭和初期に建てられた家にずっと住んできた渡辺さんが、
友人の手を借りながら自ら改修した記録をまとめたもの。
渡辺さんは祖父母や開拓のためにこの地にやってきた人々の暮らしに興味を抱いていて、
昔ながらの方法で餅つき会をしたり、藁で靴を編んだりと、さまざまな取り組みを重ねてきた。
農作業でも、納屋に残されていた古い道具を活用しており、
今回のワークショップは、できる限り電動機械を使わず人力で行うこととなった。
ワークショップ第1回は5月7日に開催。
スコップで畑を耕し、地中深く伸びている雑草の根を取り去る作業を行った。
北海道の家庭菜園は、どこもそれなりに広くて、
たいていは耕運機で耕しているが、今回はあえて手作業。
1平方メートルほどスコップで土をひっくり返すと、汗びっしょりになった。
土はそれほどかたくなかったが、タンポポやスギナなどの根が地中にはびっしり。
「畑でどんな声が聞こえるかな?」
そう渡辺さんは参加者に声をかけた。
地中にはミミズがいたり、芋が埋まっていたり。
機械で一気に耕したのでは気づかない動植物の営みが感じられた。
掘り返したあとは、農具のレーキで根を集めていって2時間ほどで作業は終了した。
続いて5月下旬にワークショップを開催。
そばとともに手のそれほどかからない作物を植えてみようと、
大豆とひまわりの種をまいた。
その後、1週間ほどして発芽。
しかし、その2日後、大豆の双葉が半分以上、何者かに食べられてしまっていた。
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「これはポッポのしわざだな」
畑の様子を見にきてくれた渡辺さんはそう話した。
ポッポとはヤマバトのこと。
そして、再び種をまき、その上に糸を張り巡らせ、笹をまわりに刺していった。
糸があったり笹がゆらゆらと揺れたりするのを鳥は嫌うそうだ。
けれど……、数日後にいってみると、やっぱり双葉が食べられ、
しかも地中の種も掘り返されている様子だった(ポッポ強し!)。
「困ったなぁ。別の場所に大豆をまいておいたら、そっちを食べてくれるかなぁ」
ということで、今度はわかりやすいところに大豆を置いてみた。
その後4、5回種をまき直したものの、やっぱり1/3ほどはポッポに食べられてしまった。
「畑の声を聞くんだから、ポッポの声も聞かなくちゃならないなー」
渡辺さんは、さらなる対策は講じなかった。
ついつい、1粒たりとも動物に食べられたくないという気持ちになってしまうが、
渡辺さんは「困ったなぁ」と言ってはいるものの、
この状況をやさしく受け止めているように思えた。
6月に入ってそばの種を植えた。
このとき渡辺さんが持ってきてくれたのは種まき機。
ケースに種を入れて畑の上をコロコロと転がすと一定の間隔で種が落ちるというもの。
そのほか、トマトやキュウリ、シシトウの苗を定植。
雑草が伸びるのを抑えるため、段ボールで周りを覆ってみた。
4、5日経って、そばの芽が現れた。
そばは生命力が強く荒地でも栽培できるそうで、肥料を入れなくても、
グングンと育っていった(ポッポはこちらには興味のない様子)。
8月に入ると枝豆やそのほかの野菜が収穫できた。
採れたての野菜をピザ生地にのせてオーブンで焼いてみた。
野菜のエネルギーを丸ごと頬張る。枝豆はさっと茹でて。
そばの畑は花盛りとなった。
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9月の作業は、忙しかった。
中旬にそばの収穫を行うこととなった。
生育は上々だったが、台風による大雨などがあって一部が倒れてしまい、
曲がった茎を刈りとるのが難しかった。
そばを束ねて稲藁でしばって、屋根つきの場所で乾燥させることになった。
その2週間後、今度は脱穀。
昔の人は「千歯扱き(せんばこき)」という櫛のような形状の
鉄製の歯がついた道具を使って脱穀していたそう。
思うように種は落ちず、すぐに歯に茎などが引っかかってしまって、
これはなかなか時間のかかる作業だと思った。
渡辺さんはそれ以外に、足踏みの脱穀機も持ってきてくれた。
「千歯扱き」に比べてスムーズ。
電動機械にはかなわないのかもしれないが、それでも作業がサクサク進んだ。
しかし、脱穀できても道半ば。
葉っぱやガク(?)など大量に種でない部分が混じっている。
昨年、私は手作業で種とそれ以外を分けたことがあるが……
膨大な時間がかかり、結局すべてをキレイに選別することはできなかった。
今回、渡辺さんは、ハンドルを回すと風が起こり、
その力を利用して、実とそれ以外を分ける道具「唐箕(とおみ)」を持ってきてくれた。
歴史資料館などに同じ構造の木製のものが展示されているのを見たことがある人もいるかもしれない。
ハンドルを回してみると、受け口から種がポロポロと出てきた(!!!)
昨年、種のより分けに非常に苦労したので、
こんな便利な道具があるのかと気持ちが盛り上がった。
この道具を2回通すと、ほとんど種だけになった。
脱穀から選別の作業までおよそ5時間。
収穫量は8.5キロ!
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10月、いよいよ最終コーナーを回った段階へ。
天日で乾かしたそばの種を製粉!
渡辺さんが持ってきてくれたのは石臼。
石と石との間に溝が彫られていて、
それをすり合わせることによって種をくだき粉にしていく。
「最後は電動機械を使おう。本当は水車で回したいけれどね」
そう言って出してくれたのは、電動製粉機。
電動といってもとても控えめなもので、種を砕く歯がグルグルと周り、粉となっていった。
こうして粉になった種をふるいにかけて、殻と選別。
もう1度、製粉機にかけてから、目の細かいふるいにかけて選別。
ついに(!)半日かかってそば粉ができあがった。
「そば打ちもやってみる?」
ほとんど素人だから……と渡辺さんは言っていたが、包丁は自作(!)
農家になる以前、溶接の仕事をしていたことがあり、
渡辺さんは鉄を使ってなんでもつくってしまう(自宅の薪ストーブも自作)。
そばをこねて、薄く伸ばして、包丁で切って、茹でて。
できたそばをみんなでちょっとずつ分け合って食べた。
口の中に入れてみると、ガツンとそばの香りが広がった。
今まで食べてきたそばとは違う、野性味あふれる畑の味がした。
不思議なことだが、ほんの少し食べただけでお腹がいっぱいになった。
「ばあちゃんの家で食べたそばと同じだ」
参加者のひとりが、しみじみと語った。
春から育て、多くの手間をかけ、ここまでようやくたどり着いた。
渡辺さんは、そばの種が穂から地面に落ちてしまったり、
種が床にこぼれたりすると、「いたましい」という。
東北や北海道の方言で「もったいない」という意味だけれど、
それを聞くたびに、私は「心が痛がっている」、そんなふうに聞こえる。
すべての工程を経てここにある食べ物を、
ほんの少しだって無駄にできないという気持ちが自然と湧き上がってくる。
「国内で消費されるそばの7割は輸入品なんだって。
本当にそれでいいのかって考えてみてもいいのかもしれないよ」と渡辺さんは語った。
5か月間、穀物を育てそれを製粉して食べるという営みに
じっくり向き合えたことによって、自分のなかの何かが変化したように思う。
まだはっきりとはそれについて言葉にできないのだが、
お金には換算できない手作業の尊さや、穀物を食べるということの重みを感じとっている。
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