連載
posted:2022.10.19 from:北海道札幌市 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
3年前に閉校した旧美流渡(みると)中学校の活用プロジェクトを
私たちが本格的に始めたのは昨年の夏。
その頃から、親身になって活動をともにしてくれたアーティストがいる。
三笠市の幾春別地区にアトリエがあり、札幌市立大学名誉教授の
上遠野敏(かとおの・さとし)さんだ。
その来歴や美流渡との関わりについては以前の連載で紹介したが、
今回は、札幌にある〈500m美術館〉で10月26日まで開催中の
『上遠野敏展 命と祈りの約束』が生まれるまでのプロセスについて書いてみたい。
〈500m美術館〉は、札幌市営地下鉄の大通駅とバスセンター前駅を結ぶ
コンコースを利用してつくられており、今回は8基あるガラスケースに作品が展示された。
それぞれにテーマが設けられていて、「羊毛・毛皮」「綿毛・植物」「塩」といった
上遠野さんが関心を寄せる素材から展開したものや、
神仏の伝承がある風景を撮影した写真や天気図を集めたものなど、多様な作品が発表された。
1基目のガラスケースには、羊毛を素材とした作品が並べられている。
羊の原毛に洗剤をかけ圧力や振動を加えてフェルト化させることによって、
これまでさまざまな作品が生み出されてきた。
例えば『MOTHER』シリーズでは、ガウンのようなかたちのなかに
臍の緒をかたどった紐状のものがあり、内側には1頭の子羊が隠れている。
このシリーズは、塩などの別の素材によっても展開されていて、
それらは「生命はどこから来て、どこへ向かうのか」という、
大きな問いかけのなかから生まれてきたものだという。
羊毛による新シリーズとなったのは『家族の肖像』。
SNSで提供を呼びかけ集まった9家族のぬいぐるみをフェルトで包んだ作品。
ぬいぐるみには、子どもたちが愛情を傾けた想いや家庭で過ごした時間が蓄積されている。
それらをフェルト化させた羊毛で封印し一堂に並べることで、
時代性や地域性が浮かび上がってくるのではないか。そんな考えをもとに制作された。
「僕は彫刻家ですが、作為的ではない表現をしていきたいと思っています」
昨年、上遠野さんのアトリエを訪ねたとき、ちょうど『家族の肖像』シリーズの制作中だった。
ぬいぐるみの表面に羊毛を置いてニードルという専用針で刺すことによって、
繊維を絡ませフェルト化していくのだが、予想を超える手間のかかる作業だった。
ぬいぐるみの色が透けないようにするためには、羊毛を3層以上重ねる必要がある。
さらに縫い目の部分にニードルが当たると、針が折れてしまうことがあるので、
慎重にそこを避けながら刺さなければならない。
「大きいものだと1か月くらいかかります」
今回の展覧会では、60体のフェルトでくるまれたぬいぐるみが展示された。
集まったぬいぐるみは全部で270体。展示終了後もこのシリーズは継続されるという。
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上遠野さんの作品の特徴のひとつ。それは本人の言葉を借りるならば「数もの」。
たいていの人が、手がかかりすぎるからと諦めてしまうような領域まで突き進んでいく。
5基目のガラスケースに展示されたのは、1992年から2001年までの10年間の
朝夕の新聞に掲載された天気図約6000枚を展示した作品『西へ向かうかたち』。
天気図収集のきっかけは、1993年に東京から札幌市立高専に
教員として赴任することが決まったこと。
また、この10年の間に自身が海外で展覧会を開催することになるだろう
との予想があったからという。
天気図に自分がその日にいた場所を記し、そこで行った活動も記録するなかで、
空間概念の拡張が意識されるのではないかと考えたそうだ。
上遠野さんの予想通り、2001年にはドイツ・ハンブルクでの展覧会に出品。
ドイツの天気図も作品に加えることができた。
印字や台紙など未完成の天気図が3年ほどあったそうで、
今回それらを整えて10年分すべてを展示。
自分という存在を軸にして浮かび上がる天気図の集合体は、
地球規模の視点から個人を見つめるような感覚を呼び起こすものだった。
天気図のように長期にわたって制作された作品はほかにもある。
今回、24年間寝かせた、チョコレートやバターとその油分を
紙に染み込ませた作品も展示された。
上遠野さんは、作品としていつか世に出したいと考えている
「出番待ち」の素材をたくさんアトリエにかかえている。
時間の経過によって形状が変化したり、新たな側面が見えてきたり。
すぐに答えを求めず、素材をじっくりと熟成させながら作品へとつなげていく。
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「数もの」の新作となるのは、ガラスケース6基目の『引き受け地蔵』。
手のひらに収まるサイズのお地蔵様を6556体並べた。
この作品が制作されるきっかけとなったのは美流渡での活動だ。
今年の春から、旧美流渡中学校で畑づくりなどさまざまなワークショップを行ってきたが、
そのひとつに「木曜日の木彫研究室」という活動があった。
私はいつか木彫り熊をつくってみたいという夢があって、
上遠野さんにそれを話したところ、週1回、校舎で一緒に木彫をしてくれることになった。
私以外にも、この研究室に参加したいと手を挙げたのが美流渡で活動を続ける
陶芸家のきくち好惠さんだった。あるとき、きくちさんから
「木彫を教えてもらうのであれば講師料はどうするのか」と質問された。
そのとき私がひらめいたのは、上遠野さんがもし陶芸をやりたいという気持ちがあれば、
それをきくちさんがサポートすることで、スキルとスキルの交換になるんじゃないか
ということだった。
上遠野さんにそのことを伝えると……。
「陶器でつくりたいと思っていたものがあったので、たいへんうれしい」という返事。
上遠野さんがきくちさんに相談したのは、小さなお地蔵様の陶器をつくること。
100年以上前から巣鴨のお菓子屋で売られていた「地蔵らくがん」を復活させたい
と考えていたそうで、上遠野さんが形にアレンジを加えつつ、それを3Dプリンタで再現。
その型を使って粘土を成型し、らくがん風の焼き上がりにするというものだった。
「1万体つくりたい。平和への祈りを込めて、1万人の人の手に渡ったら、
ウクライナへも届くんじゃないかと思うからね」
きくちさんと私は目を丸くした。
1万体という数は、途方もないものに思えた。
その後、週1回、木彫研究室で上遠野さんと会うこととなった。
4月、5月は、まだ余裕がありそうだったが、会期が迫るにつれ、
だんだんと口数が少なくなり、疲労が蓄積しているように見えた。
残っていた天気図を切り出したり、ぬいぐるみをフェルトで包んだり、
そして粘土でお地蔵様を型取りしたり。
「粘土の型取りは1日400個が限界。でも、千里の道も一歩からだからね」
そう語りながら作業は延々と続けられた。
その姿はSNSで毎日のように発信されており、それを見た元学生や知人が
アトリエで作業を手伝うようになっていった。
ぬいぐるみをフェルトで包む作業は、道具を借り受け自宅に持ち帰って行う人たちもいた。
上遠野さんに日頃お世話になっている美流渡やその周辺地域に住む私たちも、
何度かアトリエに出向いた。
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7月中旬、きくちさんのサポートにより、お地蔵様の陶器の焼成が行われた。
このとき上遠野さんが持ってきたのは6700個(!!!)。
ガラスケース1基分に展示する量を超える個数だった。
しかし、この焼成で作品が完成したわけではなかった。
らくがんのような風合いを出すために、陶器に「とのこ(石や土の粉末)」をつけ、
それをふきとってからメディウムで定着。
さらに展示のことを考えて、お地蔵様の裏面には画鋲を接着。
6700個×4工程で26800回(!!!!)の手作業が必要となった。
「自分は才能がないから、ついつい『数もの』に走っちゃうんだよね」
搬入日を1週間後に控え、アトリエに手伝いにいくと、上遠野さんは語った。
このとき、まだ作業が終わっていないお地蔵様の入ったダンボールが
うずたかく積み上げられていた。
私はお地蔵様にメディウムを塗りながら、「数もの」の制作について考えていた。
なぜ、これだけ膨大な作業を行っているのだろう?
そのとき、ふと「このひとつひとつの工程が、祈りにつながっているとしたら?」
そんなふうに思えてきた。
このお地蔵様は人々の痛みや傷を引き受ける「引き受け地蔵」であるという。
何度も何度も祈ることで願いは成就するというお百度参りの言い伝えがあるように、
祈りを届けるために回数を重ねることは、とても重要なことなのかもしれない。
「展示のあと、このお地蔵様を世界中に頒布したい」
お地蔵様の制作は搬入日の前日夕方についに終わった。
搬入作業は4日間。私は地域の仲間とお地蔵様の展示作業を手伝った。
展示作業は時間との戦いだったけれど、壁にお地蔵様をひとつずつつけていく作業中も
私は祈るような気持ちを込めてやっていった。
8月20日、展覧会は無事オープン。
ガラスケースに並べられた6556体のお地蔵様は圧巻だった。
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数日の休息の後、上遠野さんはまた新たな活動を始めていた。
植物の綿毛を集めたり、農家の収穫の手伝いに出かけたり。
これらすべてが、作品へとつながっていく。
展覧会準備が佳境となりお休みとなっていた『木曜日の木彫研究室』も、
10月に入って再開された。
上遠野さんはたくさんの端材を持ってきていて、
それを砕いて木端による仏像、「木端仏」をつくろうとしていた。
「自分の関わりのある人に似せた生仏の千体仏をつくりたいんだよね。
小さい仏様なら冬ごもりの時期にもつくれるしね」
私は再び目を丸くした。新たな「数もの」への挑戦が始まっていた。
上遠野さんの制作の様子を間近で見るようになって、
幾度となく繰り返される行為を通してしか見えてこない何かが、
きっとそこにはあると思うようになった。
膨大な数と膨大な時間の果てに表れるのは、いったいどんな領域なのだろうか?
木彫り熊をたった1体彫っただけの私には到底理解できないものだが、
上遠野さんの後ろ姿を見ながら、コツコツと制作を続けていきたいと思った。
500m美術館vol.39
上遠野敏展『命と祈りの約束』
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