日南市〈JR日南駅〉
「待つ駅」から「行く駅」へ、
新しいまちの居場所が誕生

PAAK DESIGN vol.5

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市の中心地にある〈JR日南駅〉のリノベーションがテーマです。
多様な世代が集う新たなまちの居場所となった日南駅が
どのようにしてできあがったのか、振り返っていきます。

日南駅の存在

日南駅は、日南市の中心市街地にある駅です。
隣には城下町として栄えた飫肥(おび)駅と、
マグロ漁で栄えた油津(あぶらつ)駅があり、
市の名前がついている駅にしては少し影の薄い駅でした。
また、近年のJR利用者数は年々減り、
10年前と比べて約半分という状況でもありました。

日南駅は、日南市役所や県の出張所、高校などの最寄りの駅で
一定の利用者があるので、当面は廃線になることはないまでも、
このまま利用が減っていけば将来どうなるかはわかりません。

2015年以降は、日南市がJRから駅業務を受託して運営する簡易委託駅となり、
建物所有権もつい最近JRから日南市へ譲渡されたばかり。
市の施設としてあらためて駅舎の活用を検討しなければならない状況になりました。
建物自体は築60年ほどで、いままで外壁の塗装や看板のつけ加えがあった程度。
今回が初めての大規模なリニューアルとなります。

正面玄関のビフォー。サッシと看板が古く、くたびれた印象のファサード。

正面玄関のビフォー。サッシと看板が古く、くたびれた印象のファサード。

切符売り場と待合スペースのビフォー。駅舎全体の約半分以上は活用されておらず、この壁の向こう側には使用されていないスペースが存在した。

切符売り場と待合スペースのビフォー。駅舎全体の約半分以上は活用されておらず、この壁の向こう側には使用されていないスペースが存在した。

学生を交えたワークショップの開催

駅舎のリニューアルにあたって始めたのは、駅の利用者や近隣の学生、
子育て世帯を対象とした駅の空間づくりのためのワークショップでした。

このプロジェクトは、日南市が事業主体として行い、
企画プロデュース、ワークショップデザインやデザイン監修について、
〈無印良品〉でおなじみの〈良品計画〉さん、
全国でさまざまな集客施設・商業施設を手がける〈乃村工藝社〉さんのサポートがあり、
日南市と協働で〈PAAK DESIGN〉も地元企業として設計に携わることになりました。

ワークショップは3回ほど行い、
「どんな駅なら利用してみたいか」
「駅に何を求めるか」など、学生とその親世代、
近くで働くビジネスマンにも参加してもらい、
それぞれの立場から意見を発表してもらいました。

小中高生からは「子どもだけでも気軽に行ける場所になってほしい」、
ビジネスマンからは「列車を待つ間に読書がしたい、
仕事が快適にできるようwi-fiのある場所が欲しい」、
そして親世代からは「子どもを送迎する際にちょっと立ち寄れる
ミニスーパーのような場所があると便利!」など、いろいろな意見が出てきました。

また、既存の駅舎はただ待つだけの場所になっており、
「JRを利用する以外で行きたいと思ったことはない」
「暗くて寒くてきれいじゃないから、長時間は待ちたくない」
「市の名前がついた駅なのに自慢できない」など、
あまりいいイメージを持っていないこともわかりました。

ワークショップの様子。既存の駅舎の使用していないスペースを借りて行った。

ワークショップの様子。既存の駅舎の使用していないスペースを借りて行った。

駅の近くにある子育て支援施設〈ことこと〉でのワークショップの様子。想定利用者であるママ層の意見に耳を傾ける。

駅の近くにある子育て支援施設〈ことこと〉でのワークショップの様子。想定利用者であるママ層の意見に耳を傾ける。

熊谷〈原口商店★エイエイオー〉前編
空き家だった酒屋を
地域のレンタルスペースへ

ハクワークス vol.3

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

今回のテーマは、熊谷市の中心市街地、星川エリアの再生を目指して生まれた拠点
〈原口商店★エイエイオー〉。
まちの人がチャレンジできる場を目指し、
シャッターが閉じられていた酒屋を地域のレンタルスペースへ。
今回はその誕生のプロセスからオープンまでを振り返っていきます。

熊谷20年妄想。空き家を開き家に

いまから書く話は20年後にもつながり、
将来的にいまの子どもたちに「熊谷っていいね!」と
読み返してもらえることを期待しています。
20年後、子どもたちが大学を卒業する頃に、
地元・熊谷も住むまち、働くまちの選択肢のひとつとなりますように。

熊谷の中心市街地を流れ、熊谷のシンボルでもある星川。川の両サイドには歩道と車道、飲食店や商店などもあります。「星川」というシンプルな名前も好きです。

熊谷の中心市街地を流れ、熊谷のシンボルでもある星川。川の両サイドには歩道と車道、飲食店や商店などもあります。「星川」というシンプルな名前も好きです。

前回書いたように、10年前に出産を機に妻の地元である熊谷に越してきました。
当時、整然とした見事な風景にもかかわらず人がいない状況を見て驚き、
どうにかできないかと思っていた矢先に、
地元・草加市のリノベーションまちづくりイベントを知り、
草加市にてキッチンスタジオ〈アオイエ〉を設立。

そこを運営しながら同時に熊谷でも空き家を利用して、
地域がちょっと元気になるようなアクションができればと考えていました。

熊谷駅。新幹線も停まります。

熊谷駅。新幹線も停まります。

ミッション1:チームをつくれ

とはいえ、仲間がいませんでした。
まずは、興味のありそうな人に猛烈にアタックを開始。
リアクションがよかったのは、僕も所属している
建築士事務所協会熊谷支部にいる同年代の3人でした。

3人とも熊谷に個人の設計事務所を開設していて、
やはり建築と近しいまちづくりには興味があったようです。
さらに驚いたのは、3人中、ふたりが僕と同様に、
嫁が熊谷出身で子育てのために移住した建築士でした。
千葉、長野から来て、「星川の哀愁をどうにかできないか」という
感想を持っていたのです。

この3人に「胸が熱いぞ!熊谷」という題名の
プレゼン資料80枚でアタックし、話が進みます。

ただ、定説では、まちづくりのチームには多様なキャラクターが求めらます。
さまざまなスキルを持ち寄って活動できるからだと思うのですが、
ここにいるのは僕を含めて同じ職種の4人。
果たしてプロジェクト「熊谷20年妄想。空き家を開き家に」はどうなるのか。
不安も含め、20年の旅路のスタートを切ります。

子どもも大人もシシになる!
鹿踊(ししおどり)の体験を通して
継承の想いを未来につなぐ

伝統ある岩手の「鹿踊」に訪れた危機とは?

世界遺産で知られる平泉町にほど近い、岩手県一関市厳美町の本寺地区。
美しい田園風景が広がるこの地域は、その昔「骨寺村(ほねでらむら)」と呼ばれ、
中尊寺の所領としてお米を納めた荘園だった。
中世の景観がほぼそのままのかたちで維持されていることから、
地域の貴重な遺産として大切に守られている。
こうした歴史を伝える骨寺村荘園交流館で、2021年10月31日、
鹿踊(ししおどり)団体の踊りの披露と体験ワークショップが開催された。

天に向かってすっくと立ち上がるササラが印象的な鹿踊。鹿頭から垂れ下がる喉紋(のどもん)には、伊達家お墨付きの家紋「九曜(くよう)」を染め抜いている団体が多い。地域ごとに衣装や踊りも微妙に異なるという。

天に向かってすっくと立ち上がるササラが印象的な鹿踊。鹿頭から垂れ下がる喉紋(のどもん)には、伊達家お墨付きの家紋「九曜」を染め抜いている団体が多い。地域ごとに衣装や踊りも微妙に異なるという。

鹿踊とは、岩手県と宮城県に広く伝えられている郷土芸能で
岩手県は日本一多くの鹿踊団体が活動する聖地。
その由来や歴史は地域によってさまざまだが、山への感謝と命の供養、
五穀豊穣を祈る芸能として、お盆や祭りの時期に各地で踊り継がれているものだ。
様式は地域によって「幕踊り系」と「太鼓踊り系」に大別され、
一関地域の鹿踊は「太鼓踊り系」。
腹に太鼓を下げ、踊り手自らが歌を歌い、太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが特徴で、
ササラと呼ばれる竹を一対つけ、頭上高く掲げているのが印象的である。
装束も独特で、鹿を模した鹿頭(ししがしら)に本物の角を立て、
馬の黒い毛をザイ(髪)とし、さまざまな文様を鮮やかに染め抜いた衣装をまとう。

鹿踊の由来については、狩猟で犠牲になった鹿の命を供養する説、春日大社に起因する説など、地域によってさまざま。説は違えど、自然に対する感謝と畏敬の念が込められているという。

鹿踊の由来については、狩猟で犠牲になった鹿の命を供養する説、春日大社に起因する説など、地域によってさまざま。説は違えど、自然に対する感謝と畏敬の念が込められているという。

「太鼓踊り系」の鹿踊は、ひとり3役。太鼓を叩き、自ら歌い、舞い踊るため、かなり体力を使うハードな踊りである。ダイナミックな跳躍は行山流鹿踊の特徴だ。

「太鼓踊り系」の鹿踊は、ひとり3役。太鼓を叩き、自ら歌い、舞い踊るため、かなり体力を使うハードな踊りである。ダイナミックな跳躍は行山流鹿踊の特徴だ。

ササラを振り、太鼓を叩きながら大地を踏み鳴らし、時にダイナミックに、
時にユーモラスに踊る様子は、鹿たちが戯れ、遊んでいるかのよう。
戦争で一時中断した団体も多かったが、それぞれの地域の努力によって
後継者を育てながら、連綿と受け継がれてきた。
最近は、参加する若者も少しずつ増えるなど、好転しつつあった現況を
大きく変えたのが新型コロナウイルス感染症の感染拡大だった。
各地の祭りや催事の多くが中止・延期になり、鹿踊を披露する機会が激減。
ほとんどの団体が、約2年にわたって活動の自粛に追い込まれたのだ。

日南市〈ADDress Kado〉
商店街の空き店舗を、
定額制・住み放題サービスの拠点へ

PAAK DESIGN vol.4

宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。

今回は、日南市・油津商店街にある空き店舗をリノベーションした
〈ADDress Kado〉がテーマです。

〈ADDress(アドレス)〉とは、全国どこでも定額制・住み放題のサービスで、
定住でも所有でもない新しいライフスタイルを提案するもの。
以前、コロカルの記事でもご紹介しました。
ここでは、どのようにして日南にアドレスの拠点ができあがったのか、
振り返っていきます。

アドレス代表・佐別当隆志さんとの出会い

アドレス代表の佐別当(さべっとう)隆志さんとの出会いは突然でした。
2019年1月、引き渡し間際の物件で仕上げ作業に没頭している最中、
「こんにちは」と挨拶され、ふと顔をあげると男の人が立っていました。
僕のクライアントでもあり、いつもいろんな人とつなげてくれる
田鹿基倫さんも立っていて、「佐別当さんです」と紹介され、
設計の相談をしていただいたのです。

佐別当さんからアドレスの事業について説明を聞き、
淡々とした会話のトーンとは裏腹に、
ものすごく魅力的な未来が描かれていて心が打たれました。

これを4月から全国に展開していく予定で、海や自然が近いこと、
サテライトオフィス誘致の取り組みで話題となっていたこと、
手頃ないい物件が商店街内にあることなど、
さまざまな理由から我が日南にも拠点をおきたいということで、
ワクワクと胸を踊らせたのを覚えています。

〈ADDress〉代表の佐別当隆志さん。オープニングセレモニーでの挨拶の様子。

〈ADDress〉代表の佐別当隆志さん。オープニングセレモニーでの挨拶の様子。

地熱を自熱に。 秋田県湯沢市の魅力を伝える 『あちちの地 展』開催中!

秘められた「地熱」

秋田県の最南に位置する湯沢市。
その名の通り多くの湯(温泉)が湧き出る、「地熱」エネルギー豊かなこの地には、
アツく、力強く、たくましく生きる「自熱」を持った人々がいる――。
以前、コロカルでは、湯沢市の「じねつのチカラ」を
4回にわけて紹介しました(記事はコチラ)。

SDGsでも推奨される「地熱」で注目される湯沢市では、
昨年度、「地熱のまち・湯沢」に暮らす人々に秘められた「自熱」を見つめ、
「みんなで元気になろう!」というプロジェクト〈あちちの地〉がスタート。
コンセプトBOOKも発行されました。

数量限定で配布された、湯沢の「自熱」の魅力を伝えるコンセプトBOOK『あちちの地』。

数量限定で配布された、湯沢の「自熱」の魅力を伝えるコンセプトBOOK『あちちの地』。

秋田市の〈ココラボラトリー〉で現在開催中の『あちちの地 展』は、
このコンセプトBOOKでとりあげた、「木地(熱)山こけし」、
「地元熱血編集部 ゆざわざわざわゆざわざわ」、
「職人の爺熱に学ぶ」など、湯沢で、アツく、たくましく暮らすヒト・モノ・コトを、
あらためて紹介する企画展です。

ココラボラトリーでの展示の様子。会場でもコンセプトBOOKを入手できるかも(先着順・1名1冊限り)。

ココラボラトリーでの展示の様子。会場でもコンセプトBOOKを入手できるかも(先着順・1名1冊限り)。

草加市〈キッチンスタジオ アオイエ〉
人と人、人とまちがつながる
ダイニングキッチン

ハクワークス vol.2

埼玉県熊谷市にて、空き家を使った設計、事業の立ち上げや場の運営も行うなど、
“空き家建築士”として活動する、〈ハクワークス〉の白田和裕さんの連載です。

そもそもなぜ白田さんは、建築家でありながら、
空き家を使った場の運営までも行っているのでしょうか。
今回はエピソードゼロ。きっかけは、白田さんの地元・埼玉県草加市で実施された、
まちづくりのイベントにありました。

こんにちは、熊谷

10年前、出産をきっかけに、奥さんの実家である熊谷へ引っ越してきました。
そのときの印象は
「まち並みはきれいに整っている。なのに、人がいない」ということでした。

熊谷市の中心市街地を流れる星川と遊歩道。

熊谷市の中心市街地を流れる星川と遊歩道。

熊谷の中心市街地にある星川通りは、終戦の前日に空襲を受けました。
終戦後、まちが再編されて、川と通りが直線的に抜ける、
緑豊かな、いまで言う“インスタ映え”抜群なロケーションに。
ただ、その後の社会の変化で、星川付近の商店街は元気を失っていきました。

ふわっと建築に携わる者として、大学でもなじみのあったまちづくり。
「この星川を元気にしたい」となんとなく思ったのですが、すぐ壁にぶつかります。

「まちづくりって、どうやるねん」

モヤモヤを抱えながら、時間は経っていきます。

リノベーションまちづくり@そうか

そんなある日、日本全国のまちづくり事例を調べていくなかで、驚きの発見が。

「え! 地元の草加でまちづくりやってんじゃん! 
しかも、テーマがリノベーション!!」

草加市主催で、「リノベーションまちづくり@そうか」という
イベントが行われていたのです。

実際の空き家を利用して、地域課題解決も含めた事業をつくり上げる
民間応援型のイベント。前段の説明会では、佐賀でまちづくりを行う方の講演が行われ、
「こんな方法があるのか!」と心打たれて、すぐに参加の申し込みをしました。

残念ながら、子どもの運動会の日程と被っていましたが、
どうにか奥さんの了承を得て、いざ参加へ。

リノベーションスクール@そうかの告知ポスター。

リノベーションスクール@そうかの告知ポスター。

デザイナー・二俣公一
福岡での暮らしに軸足を置きながら
日本そして世界を見据える

生活のリアルに軸足を持っていたい

住宅や商業施設をはじめ、多岐に渡るデザインを
国内外で手がける空間・プロダクトデザイナーの二俣公一さん。
1998年にデザイナーとしてのキャリアを福岡でスタートし、
2005年に東京事務所を開設して以来、
福岡と東京、2拠点での活動を続けている。

住まいは福岡。週の前半に東京へ行き、後半に福岡へ戻って
週末はできるだけ福岡で家族と過ごす、というのが1週間の基本サイクル。
「生活のベースはあくまでも福岡。
仕事の拠点も東京だけにしようと思ったことはない」と言う。

二俣さんが主宰する2つの会社の福岡オフィス。

二俣さんが主宰する〈CASE-REAL(ケース・リアル)〉と〈KOICHI FUTATSUMATA STUDIO〉の福岡オフィス。

「ちょうど30歳になるタイミングで東京事務所を開設した当時は、
自分の建築やデザインの行く先を広げるためにも、
東京を知る必要があると思いましたし、
地方の“ゆったり感”に慣れてしまうことへの不安もありました。
実際に東京事務所を開設し、仕事が増えてきてからは
福岡と東京を頻繁に行き来することで
それぞれの場所のよさも悪さもわかる、というメリットが
大きかったように思います。
東京のようにコマーシャルやビジネス中心で動く世界って、
実はすごく特殊で、
それはみんなの“当たり前”じゃない気がするんです。
食べて、寝て、生活をする、暮らし中心の世界が
たぶん、多くの人の“当たり前”で、
やっぱり、軸足としては地方の空気感なり、
地方の生活をベースに持っておくほうが、
僕自身は判断を間違えない、かなと」

建築も家具や日用品も、それが人の暮らしを支えるものである以上、
暮らしのリアルから完全に離れてしまっては、
何をデザインのよりどころにしていいのか、わからなくなる。

「日本って、47都道府県あって、
東京がメインで地方がサブかというと、そうじゃなくて、
東京以外の46道府県を合わせた面積のほうが
圧倒的に広ければ、人も多い。
日本のマジョリティというか、リアルって、本当は地方にあると思うんです。
もちろん、東京にも暮らしはあるわけで否定する気はまったくないし、
ビジネス上はいろんな尺度があっていいと思うんですけど、
日々の生活とかそのリズムを考えると、
地方の暮らしのリアルをきちんと自分の中の尺度として
持っておくのは大事だと思っているんです」

ミーティングルームに貼られたポスター

ミーティングルームの一角。「DESIGN REAL」のポスターはドイツ人デザイナー、コンスタンチン・グルチッチがキュレーターを務めたデザイン展のときのもの。

「僕は鹿児島で生まれ育ったこともあって
九州の風土が性に合っているってことも自分でよくわかっているし、
バランスという意味でも、
鹿児島を知り、福岡を知り、東京を知り、海外も含めて、
そのどれかひとつだけに振り切って考えるのではなく、
わけ隔てなく、フラットに捉えながら、
無理のないラインを探るというのが
16年間、2拠点を続けて
今、一番大事にしていることかもしれません」

お米を“天日干し”する理由とは?
稲刈りと、お米にまつわる小話

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

青々とした稲が黄色くなり、稲穂が垂れる頃。
ここ福岡県糸島は、稲刈りの季節になりました!

いとしまシェアハウスでは4年前から、
まちの人や企業さんたちと一緒にお米を育てる「棚田オーナー制度」を行っています。

黄金色に実った稲穂の前で、大勢の棚田オーナーと記念撮影の写真

オーナーさんたちと稲刈り。

オーナーさんは

・田舎に移住しなくても棚田に自分の田んぼが持てて

・お米が育つまでのプロセスを体験でき

・さらに自分が育てた棚田米を食べられる!

という里山体験プロジェクト。

日々の草刈りや水の管理などはシェアハウス住人や集落の人たちが行うので、
忙しい人でも気軽に参加できる仕組みです。

棚田オーナー制度の詳細は、コロカルの過去記事でどうぞ! 

高齢化が進む私たちの集落で、
棚田を耕作放棄地にしないよう生み出されたプロジェクトですが、
参加者からは「知らなかったお米の豆知識が体験しながら学べる」と好評です。

今回は、オーナーさんから質問の多かった“お米”にまつわる小話を紹介します。

稲穂の寄り写真

収穫を待つ稲。

お米を干す理由って?

「なんでお米を干すんですか?」
今年初めてオーナーになってくださった方から、素朴な質問をいただきました。
諸説ありますが、我が家で天日干しをする理由は大きく3つ。

(1)お米の水分が多いとカビや虫がつき、梅雨を越せない

主食のお米を1年間保存するとなると、水分をしっかりと抜く必要があります。
収穫したてのお米は水分量20%程度ですが、乾燥させて15%程度まで減らします。

熟練のご近所さんたちは「お米をかじって、カリッとしたらいいけん!」
と教えてくれたのですが
夫はその感覚を習得するまでに5年くらいかかったそうです。

女の子がはざに束ねた稲穂を掛ける様子

子どもたちも積極的に稲刈りをします。

(2)お米を干している間に、稲藁の栄養が実に移る

稲刈りをしたら、稲を束ねて縛り、竹で組んだ「はざ」にかけて
数週間日光や風に当てて乾燥させます。

じつは、刈られてもまだ稲にはエネルギーが残っています。
稲は最後の力を振り絞り、エネルギーを次の世代に託そうと
藁の栄養を実に移していくのだそうです。
こうして天日干しの間にお米が熟成され、おいしいお米になるのです。

これについての科学的な論文は見つけられませんでしたが、
地域ではずっと昔からいい伝えられてきた手法です。

(3)ゆっくりと乾燥させることで、お米の旨みや栄養素を壊さずに収穫できる

高温で一度に乾燥させる機械乾燥方式は効率がよく、
お米を均一に乾燥させるメリットがあります。
ですが、急速乾燥の影響でお米の風味が落ちてしまうともいわれています。

一方、天日干しはお米にストレスを与えずゆっくりと乾燥させるので、
旨みがギュッと詰まったお米になります。

長野県や福島県の研究者の論文によると、
おいしさを数値化できる味度メーターなどを使用して両者を比較したところ、
光沢・口当り・粘りなどにおいて、天日干しのほうがすぐれている
という結果も出ています。

機会があれば、機械乾燥と天日干しのお米を
食べ比べてみるとおもしろいかもしれません。

稲狩りが終わった田んぼで、天日干しされる稲の写真

天日干しされる稲。

神戸の豊かな食文化を考える 〈KOBE URBAN FARMING EVENT〉が開催

実は神戸は農水産業が盛ん

都会的なイメージのある神戸。
しかし、山と海に囲まれ、北・西区には農業地域が、
南部には瀬戸内海などがあり、農水産業が盛んなまちでもあります。

そんな神戸の魅力を引き出そうと、
現在市は食文化の都「食都神戸」の構築を進めており、
その一環として、都市で農業に取り組む
「アーバンファーミング(都市農業)」を推進しています。

この10・11月は「神戸の食文化を考える月間」と銘打ち、
ワークショップをはじめ、神戸の食文化や
一次産業の理解を深めるきっかけとなるイベント
〈KOBE URBAN FARMING EVENT〉が開催中です。

大阪のクリエイティブユニット〈graf〉が企画・運営に入っているこちら。

実際に作るコンポストはこのような感じ。

実際に作るコンポストはこのような感じ。

2021年10月24日(日)には、オンラインにて、
自宅でできるコンポストづくりDIYワークショップが。

コンポストとは、生ゴミを肥料に変える容器のこと。

事前予約制で申し込み期間は終了してしまいましたが、
講師の先生とともにコンポストキットを組み立てながら、
コンポストの効果や注意点、意外な活用法などを楽しく学びます。

住まい手が自ら進める家づくり。
建築家集団〈HandiHouse project〉は
「家づくりを楽しむ文化」をつくる

ローカルでの暮らしを考えるうえで、一番の懸念事項とも言えるのが「住まい選び」だ。
賃貸にするのか、思い切って戸建てを購入するのか、選択肢はさまざまだが
空き家を活用するなど、セルフリノベーションをして
自分の思い描く理想の家と暮らしを手に入れようと考えている人も多いだろう。

では、自らの力だけで、リノベがうまくいくのだろうか。
リノベのやり方を教えてくれるところなんて聞いたことがないし、
大工や建築家の知り合いもいない。

そんなときに、住まい手のサポートをしてくれるのが、
〈HandiHouse project(ハンディハウスプロジェクト)〉だ。
専門家たちとともに、住まい手が中心となった「家づくり」を
広めようとしている21人の若手建築集団で、
日本全国を舞台にさまざまなプロジェクトを推進している。
そんな彼らが掲げているビジョンが「家づくりを楽しむ文化」を醸成することだ。

〈HandiHouse project〉の事務所。〈Handi Labo〉もプロジェクトのひとつで、参加者で家づくりを実践したり、工作を行うコミュニティをつくっている。

〈HandiHouse project〉の事務所。〈Handi Labo〉もプロジェクトのひとつで、参加者で家づくりを実践したり、工作を行うコミュニティをつくっている。

“家づくり”をすることで、家への理解が深まる

神奈川県・鶴見市。東急東横線の綱島駅から車で10分ほどの
「駒岡」という地区にある大きな倉庫が〈HandiHouse project〉の事務所だ。といっても、
21人のメンバーの多くは個人事業主でもあり、
プロジェクトごとにチームを組んで活動しているので、
ここは〈HandiHouse project〉という活動母体のコアと
言ったほうが正しいのかもしれない。

事務所の倉庫部。さまざまなプロジェクトを実践した形跡が残されている。

事務所の倉庫部。さまざまなプロジェクトを実践した形跡が残されている。

彼らは、それぞれ別々の下積み時代を送っていたのだが、
建築家としてのキャリアを積む過程で生まれた日本の住宅事情に対する疑問が、
〈HandiHouse project〉として団結し、同じ方向に向かって歩むこととなった。

「家づくりって、営業、設計、施工、大工さんと、登場人物が多すぎる。
だから住まい手は、誰に思いを託したらいいのかわからなくなっちゃうんですよね。
まずはそこを取っ払って、設計の段階から施主さんを徹底的に巻き込む。
ここがほかとはまったく違うところだと思います」

発起人である中田裕一さん(左)と加藤渓一さん(右)。

発起人である中田裕一さん(左)と加藤渓一さん(右)。

と語るのは、発起人のひとりである加藤渓一さん。
人は、お金を出して買った瞬間、それを「モノ」として扱ってしまう。
特に家においては、誰がどうつくっているか、何でできているのかというところは
一切わからないまま、完成した家に何の疑問も持たずに住むことになる。
それでいて、住み始めてから初めて気がつくちょっとした傷や汚れには敏感だ。
家を「モノ」にしないために、〈HandiHouse project〉では、
家づくりを通して施主の意識を変えていくということをひとつのゴールにしている。

「家って完成したらそこで終わりで、
なんとなくもう触っちゃいけないというイメージがありませんか?
僕たちとしては完成がゴールではなくて、住み始めがスタート。
施工の過程で 『家をつくる』ということに対して理解が深まっていくと、
住み始めてからも能動的に手を加え続けるようになるんです。
自分たちでつけてしまった傷や汚れも、思い出として受容するようになる。
そうすると、家の価値って下がらずに、どんどんと魅力が増していく。
僕たちはそこを目指しています」(加藤さん) 

結成当時の様子。家づくりを楽しんでいるこの写真はHPに掲載されている印象的なカット。

結成当時の様子。家づくりを楽しんでいるこの写真はHPに掲載されている印象的なカット。

彼らの出会いは2009年。

初期メンバー4人のうちの中田裕一さんと坂田裕貴さんが、ちょうど独立を考えていた時期。
渋谷のハロウィンパーティーで偶然知り合い、意気投合。
「設計・施工という過程のなかに施主を
完全に組み込んでしまうって、おもしろくない!?」と、
その場でチームの基盤ができた。
それから、それぞれの友人を誘ったのが〈HandiHouse project〉のはじまりだ。

「お互い仮装していたんで、素顔は全然見えない状況でした(笑)。
でも、考えは同じでした。家づくりに施主が参加するということが、
日本人の住宅に対するリテラシーを向上させていくと、
あのときから本気で考えていましたね」(中田さん)

「多くの人は、家がどんな手順で、どんな材からできているかを知らないんです。
もちろん学校でも教えてもらえないですし、社会に出ても知るきっかけがない。
家を買うタイミングで初めて調べ始める。それじゃ遅いんです。
あれよあれよという間に完成してしまう。
僕らの仕事は、家づくりに対して興味を持ってもらうきっかけをつくってあげること。
その本質は、『住まいに対するリテラシーの醸成』なんです」(加藤さん)

DIYできる賃貸〈アパートキタノ〉。住まい手が自由にカスタムできる工夫が詰まっている。

DIYできる賃貸〈アパートキタノ〉。住まい手が自由にカスタムできる工夫が詰まっている。

自治体だけの仕事じゃない
「わたしのまちのPR」

今月のテーマ 「わたしのまちのPR」

今や、まちの特色をアピールするのは
自治体だけにとどまりません。
そのまちに住む個人や有志のグループが集まり、
イベント開催、動画配信などを行っていることが増えてきました。

今回はそんなまちのPRについて
〈地域おこし協力隊〉のみなさんに教えてもらいました。

オンライン、オフライン、さまざまなかたちでPRされる
まちの特色をぜひご覧ください。

【秋田県にかほ市】
まちの特産物と文化をモチーフにしたMV

秋田県にかほ市には、
地元の人たちでつくり上げたミュージックビデオがあります。

数年前、にかほの風景を描いた楽曲を
つくってくれたミュージシャンがいました。
その曲のタイトルは『いちじく忘れない』。

にかほ市の特産物であるいちじくと、
それを甘露煮という保存食にして贈り合うという
まちの文化がモチーフになった曲。
歌詞にはにかほの美しい風景や日常が描かれていて、
にかほの魅力が詰まったすてきな歌です。

その曲のミュージックビデオがつくれないか? という
地元から生まれたアイデアがかたちになった動画です。
プロの振付家、カメラマンと地域の人たちが協力し合い、
半年ほどの月日をかけて完成しました。

「地元があらためて好きになった」などと涙を流すがいるほど、
思いの込もったミュージックビデオになりました。
地域を楽しい場所にするには、地域を誇りに思うことが不可欠。
その力強い一歩になった動画です。

photo & text

國重咲季 くにしげ・さき

京都府出身。秋田県の大学に進学したことを機に、東北各地の1次産業の現場を訪ねるようになる。卒業後は企業に勤めて東京で暮らした後、にかほ市で閉校になった小学校の利活用事業「にかほのほかに」に携わるべく秋田にAターン。地域で受け継がれてきた暮らしを学び、自給力を高めることが日々の目標。夢は食べものとエネルギーの自給自足。

墨田区の防災意識が詰まった 〈防災観光ふろしき〉 クラウドファウンディング実施中!

迅速なワクチン接種で話題となっている東京都墨田区。

北斎でも知られる古き良き江戸文化が今も息づく同区は、
区の面積21%超が木造住宅密集市街地で、かつ全域が海抜ゼロメートル地帯が多い地域。
地震や水害の危険度が高いエリアとしても認識されています。

それゆえ、昔から区民の防災に関する意識も非常に高いとか。

現在、そんな同区の魅力を伝えつつ、災害から身を守る知恵を育むための
防災観光ふろしきプロジェクト〉のクラウドファウンディングを実施中。

なんと、こちらふるさと納税制度が利用できるクラウドファウンディングとなっているんです。

同プロジェクトは、芝浦工業大学の学生プロジェクト団体
〈すみだの'巣'づくりプロジェクト〉とNPO法人〈燃えない壊れないまち・すみだ支援隊〉が、
地域内外のボランティアと共同発案したもの。

東京都墨田区の防災マップを、はっ水加工の布を使った風呂敷に印刷。

絞るとシャワーのようにもなります。

絞るとシャワーのようにもなります。

普段あまり見かけない同区の防災マップを、はっ水加工の布を使った風呂敷に印刷。
風呂敷としてはもちろん、非常時は避難の道しるべに、
端を結ぶとバケツになったりとさまざまな活用が可能です。

防災マップには防災情報だけではなく、小さな博物館などの観光・文化資源も記載。

イラストは葛飾北斎が絵手本として発行した〈北斎漫画〉がモチーフとなっており、
生活の必需品だった風呂敷を使う様子も描かれています。

現在墨田区の課題としてあがっているのは、
高齢化に伴う住民と行政、企業、福祉間の連携不足。

この〈防災観光ふろしき〉を通じ、地域の防災を担う町内会と小学校など、
様々な「つながり」を生み出すのも、同プロジェクトの目標だといいます。

そして、小学校や中学生や高校生にも防災に関わる働きかけをしていく予定とのこと。

画家・MAYA MAXXの描く姿勢に
地域の人たちは……?
校舎の窓板に絵を描くプロジェクト

雪止めの板に絵を描くプロジェクト、1か月経過

前回の連載で、2年前に閉校になった
岩見沢市の美流渡(みると)小・中学校の窓に張られた板すべてに、
画家のMAYA MAXXさんが絵を描くプロジェクトについて書いた。

雪から窓を守るために打ち付けられた板は、およそ40枚。
幅が5メートルにもなるものもあり、
前回はようやく5枚描き上げたところまでだったが、
あれから約3週間が経過して、メインの部分が仕上がる段階までこぎつけた。

並んで建つ小学校と中学校。そのすべての窓板をタイムプラスで撮影してみた。

8月中旬まではSNSで告知を行い、ペイントをサポートしてくれる仲間を募ったが、
それ以降は、MAYAさんが単独で黙々と制作を続けるようになっていった。

MAYAさんは本当に毎日まったく休まない。
窓板ペインティングの制作期間中、故郷・今治での展覧会開催のため、
1週間ほど美流渡を離れたことがあった。
今治の美術館では設営を行い、展覧会オープン後はギャラリートークなどの
イベントを行うという目まぐるしいスケジュールだったが、
美流渡に戻ると、何事もなかったかのようにすぐに窓板に絵を描き始めた。

今治で開催された『みんなとMAYA MAXX展』、ギャラリートークの様子。

今治で開催された『みんなとMAYA MAXX展』、ギャラリートークの様子。

小学校から始めたペイントも、ようやく中学校へ行き着いた。

小学校から始めたペイントも、ようやく中学校へ行き着いた。

その姿勢に引きつけられるように、地域の人たちも動き出した。
学校の向かいにあるお寺の住職さんが、
閉校してから伸び放題になっていた草を刈ってくれ、
また近隣のカフェのオーナーが、板に下地となる白いペンキを塗ってくれた。
そのほか、農家さんがドローンで制作中の記録映像を撮ってくれたりもした。

それぞれ一緒にお昼を食べたり休憩したりすることもなく、
作業が終わるとスッと自分の仕事に戻っていった。

このプロジェクトが進むにつれ、MAYAさんを“手伝う”という意識を離れ、
自分のこととして、これを進めようとする人たちが
増えていったように私には感じられた。

草がきれいに刈られ、絵がとても見やすくなった。

草がきれいに刈られ、絵がとても見やすくなった。

建築家・谷尻誠
広島・東京の2拠点から学んだ
“谷尻流”働き方と発想力

キャリアは広島から始まった

「悔しかったんですよ。
いい建物を設計しても、わざわざ広島まで見に来る人は少ない。
だったらどうしても見に来たくなる、
本当にいい建物をつくろうと思いました。
仕事の本質は、“どこで活動するか”より“いいものをつくる”ことにある。
ずっとそう思っているんです」

こう話すのは谷尻誠さん。肩書きは建築家で起業家。
今、「ジャンルを超えて注目される人物」といえば、
間違いなくその名前が挙がるはずだ。

住宅からホテルまで建築家としての活躍に加え、
“絶景”物件を扱う不動産会社や工務店、家具制作会社に映像制作会社、
情報検索サービスからキャンプ用品ブランドまで、
次々と事業を立ち上げては話題を集めている。

たとえば、東京都渋谷区にある〈社食堂〉もそのひとつ。
ここは、ダイニングカフェであると同時に、
谷尻さんが建築家の吉田愛さんと共同主宰する
建築設計事務所〈SUPPOSE DESIGN OFFICE〉のオフィスでもある

〈社食堂〉でスタッフと談笑する谷尻さん

〈社食堂〉のデスクスペース。写真右手にキッチンを挟んでダイニングカフェがある。

いちばんの特徴は、一般客がランチを食べるスペースと、
設計事務所のデスクスペースとが、
オープンキッチンを挟んで仕切りなくつながっていること。
所長である谷尻さんの専用デスクはなく、
カフェの座席や壁づけのソファベンチなど、
その日パソコンを広げた場所が仕事場になる。

カフェエリアで仕事をする谷尻さん

この日の谷尻さんのデスクは壁づけのソファベンチ。

そんな谷尻さんは広島県出身。
建築家として独立し、最初にオフィスを構えたのも広島だった。
やがて東京での仕事が増えてきたのを機に、
2008年、東京にもオフィスを開設。
広島と東京を週イチで往復する2拠点生活が始まった。

08年といえば、クリエイティブな仕事をするなら東京で、
と考える人もまだ多かった頃。
なぜ東京に拠点を移さず、
2拠点というスタイルを選んだのだろうか?

その答えが冒頭の言葉。
「仕事の本質は“どこで活動するか”より
“いいものをつくること”だからです」。

豊田市足助町にステイしながら まちのためのプランを考える。 滞在型プログラム参加者募集中

1か月の共同生活でどんなことができるだろう?

愛知県豊田市足助町が、地域での活動や事業創生、2拠点生活などに
関心のある若者を募っています。
期間は1か月。共同生活を送りながら、
地域内外の新たな関わりのかたちを生み出すきっかけをつくる、という
地域滞在プログラムです。

足助町は愛知県豊田市中心部から車で30分、名古屋から車で1時間。
大都市にほど近い中山間地域に位置しています。
かつては街道の商家町として栄え、
その面影は今も重要伝統的建築物保存地区に選定された
美しいまち並みとして残っています。

秋の香嵐渓。

秋の香嵐渓。

足助のまち並み。

足助のまち並み。

石巻が舞台の総合芸術祭 〈Reborn-Art Festival〉 夏会期が始まっています!

『White Deer(Oshika)』名和晃平

23組のアーティストが石巻を彩る

現在、宮城県石巻市が舞台のアート・音楽・食の総合芸術祭
〈Reborn-Art Festival〉の2021年夏会期がスタートしています。

3回目となる同イベントのテーマは「利他と流動性」。

今年は東日本大震災から10年という節目。
引き続き、地域の内側からの復興と新たな循環を生み出す目的のもと、
利他と新しい日常や本質を形作る想像力、関係性に
改めて向き合うべく、さまざまな催しが企画されています。

毎回盛りだくさんのアートは、今回新たに女川エリアも加えて、
全6会場で参加アーティスト23組の作品を展示。

『Wish Trees』[1996 / 2021] オノ・ヨーコ

『Wish Trees』[1996 / 2021] オノ・ヨーコ

『Coho Come Home』 [2021] 岩根愛

『Coho Come Home』 [2021] 岩根愛

『forgive』 [2021] 森本千絵 × WOW × 小林武史

『forgive』 [2021] 森本千絵 × WOW × 小林武史

『億年分の今日』 [2021] 志賀理江子+栗原裕介+佐藤貴宏+菊池聡太朗

『億年分の今日』 [2021] 志賀理江子+栗原裕介+佐藤貴宏+菊池聡太朗

キュレーターの窪田研二さんのキュレーションのもと、
廣瀬智央さん(石巻市街地エリア)、オノ・ヨーコさん(女川エリア)、
岩根愛さん(桃浦エリア)、森本千絵さん × WOWさん × 小林武史さん(桃浦エリア)、
片山真理さん(荻浜エリア)、志賀理江子さん+栗原裕介さん+
佐藤貴宏さん+菊池聡太朗さん(小積エリア)などなど、
多彩なラインナップがまちを彩ります。

旧美流渡小・中学校に
アートの力で賑わいを。
窓板にMAYA MAXXが絵を描く

30枚以上の窓板に絵を描く新たな挑戦

6月に、私の仕事場の向かいにある、
2年前に閉校した旧美流渡(みると)中学校の活用プロジェクトが始まり、
前回の連載では7月に行った活動についてリポートした。
今回紹介したいのは、8月に入って、
校舎の1階の窓に打ちつけられた板に絵を描く取り組みについてだ。

活用を進めている中学校に隣接して、同じく閉校になった小学校があり、
どちらの窓にも落雪による破損を防ぐために、閉校してすぐに板が張られた。
岩見沢市は豪雪地帯であるため雪止めの板を張るのは仕方のないこと。
けれど、ここが閉鎖された場所であることが強く感じられて、
建物全体が物悲しい印象となっていた。

煉瓦造りの小学校の校舎。窓に貼られた板の1枚は幅5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

煉瓦造りの小学校の校舎。窓に貼られた板の1枚は幅5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

白い壁の小学校の校舎。こちらにも大きな窓板が10枚ある。(撮影:佐々木育弥)

白い壁の小学校の校舎。こちらにも大きな窓板が10枚ある。(撮影:佐々木育弥)

この校舎活用の中心的なメンバーとなっている、
昨年美流渡に移住した画家のMAYA MAXXさんは、
あるとき窓の板に絵を描いてはどうだろうと提案してくれた。

窓にたくさんの板が張られているのは主に小学校側。
この校舎は築年数も古く、内部の活用は難しいのではないかという話が
持ち上がっており、それならばせめて廃墟のようなイメージにならないように
外観だけでも明るい印象にできたらとMAYAさんは考えてくれた。

そこで、私は市役所や教育委員会、町内会のみなさんと相談をし、
さらに市内にある北海道教育大学岩見沢校にも協力を呼びかけ、
8月6日から「MAYA MAXX 窓板ペインティング」を実施することとなった。

先頭に立って動くMAYA MAXXさん。(撮影:佐々木育弥)

先頭に立って動くMAYA MAXXさん。(撮影:佐々木育弥)

ペインティングの初日、北海道教育大学の学生9名と
札幌などからSNSを見て駆けつけた数名が集まった。
窓の板は非常に大きく、小学校の煉瓦造りの校舎にある3枚は、
高さ約2メートル、幅5メートル。
高い位置にあるため足場を組んでの作業となった。

まず、周囲にペンキがかからないように養生をして、
合板のヤニを止めるためにシーラーを塗る作業から始めていった。
しかし、この日は午前中で32度。
風通しが悪く壁面から反射する熱もあって、体感温度はそれ以上。
熱中症にならないようにこまめに休みを入れたものの、
体力の消耗が激しく、午前中で作業は終わらせることにした。

壁面にペンキがつかないように養生をする。(撮影:佐々木育弥)

壁面にペンキがつかないように養生をする。(撮影:佐々木育弥)

2日目も10数名の参加者が集まってくれたのだが、
この日もたいへんな猛暑だったため、思うように作業ははかどらなかった。
日陰部分の作業を優先させつつ、ようやくメインの壁面のシーラーが塗り終わり、
上から下地となる白いペンキを少し塗り始めたところで作業が終了。
当初の予定では、この時点で下地となる白いペンキをすっかり塗り終えて
絵を描いているだろうと予想をしていたが、状況はまったく違っていた。

あまりの暑さに水道水をかぶるMAYAさん。

あまりの暑さに水道水をかぶるMAYAさん。

「手伝いに来てくれる人は、下地塗りじゃなくて
絵を塗りたいと思っているんじゃないかな。
早く絵を描ける状態になったらいいよね」

そんなふうにMAYAさんも語っており、
とにかくどこか1面だけでも下地を完成させる必要があると私は感じた。

そこで、次の日、私は集合より2時間早く現場に行って、白ペンキを塗ることにした。
白ペンキは1度塗っただけでは下の板の色がうっすらと見えてしまうので、
2度塗りが必要。
なんとか集合時間までに2度塗りまで仕上げられれば、
すぐにMAYAさんが絵を描き始められるんじゃないかと考えた。

窓に張られていた板はOSB合板。細かな凹凸があるため刷り込むようにペンキを塗る。(撮影:佐々木育弥)

窓に張られていた板はOSB合板。細かな凹凸があるため刷り込むようにペンキを塗る。(撮影:佐々木育弥)

キャンプ民泊とローカルの旗振り役。
ふたつの顔を持つ〈NONIWA〉と
新しいキャンプのかたち

アウトドアブームで、キャンプ人口は増加の一途というけれど、
そのほとんどは自宅とキャンプ場の往復に終始し、
訪れた地域のいいところを何も見ずに帰ってしまうという。
せっかく多くの人がその土地に足を運んでいても、
地域の魅力を発見するチャンスを逃しているといえる。

確かにキャンプの目的は自然の中で過ごす時間。
でも、その土地のおいしいものやいい感じの温泉なんかを味わわないのはもったいない。

そんなキャンプブームの裏側に着目し、ユニークな取り組みをしているのが
埼玉県ときがわ町にあるキャンプ場〈キャンプ民泊NONIWA〉だ。
キャンプ場と民泊を組み合わせた施設で、
オーナーの青木さん夫婦はときがわ町の魅力を発信しながら
アウトドアの楽しさを伝えている。

埼玉県ときがわ町にあるキャンプ場〈キャンプ民泊NONIWA〉。場所は非公開で利用するには事前の申し込みが必要。

埼玉県ときがわ町にあるキャンプ場〈キャンプ民泊NONIWA〉。場所は非公開で利用するには事前の申し込みが必要。

リサーチに2年かけて見つけた移住先

都心からクルマで90分、埼玉県の中央部に位置するときがわ町。
少し足を延ばせば、秩父・長瀞といったアウトドア・レジャーの名所があり、
手前には多くの観光客でにぎわう川越がある。その中間に位置し、
山と川に囲まれた日本の里山風景が残るエリアが埼玉県比企郡ときがわ町である。

「妻の影響でキャンプにハマって以来、
いつかは仕事と趣味が一緒になったような生活をしてみたいと思っていました。
でも、一気に環境を変えるのは怖くて。当時働いていた会社が川越にあったので、
まずは都内から川越に引っ越しをして、そこを拠点に
近隣エリアで良いところはないかを探し始めました」

と語るのはオーナーの青木達也さん。
つい最近まで、川越に本社がある輸入商社に勤めながら、
二足のわらじで〈NONIWA〉の運営を進めてきた。

青木さん夫婦は、「野あそび夫婦」としてSNSやYouTubeチャンネルを運営するなど、積極的に情報発信も行っている。

青木さん夫婦は、「野あそび夫婦」としてSNSやYouTubeチャンネルを運営するなど、積極的に情報発信も行っている。

一方、奥さんの江梨子さんはテレビ制作会社のディレクターというキャリアを持ち、
移住に向けてのリサーチは彼女が積極的に担ってきたという。

「ローカル線の旅番組のディレクターをやっていて、
いろんな土地の方にも取材でお会いしていたんです。
だから、行きあたりばったりで移住するのはよくないというのは知識としてあって。
かなり念入りにリサーチして、実際に移住するまで2年くらいかかりました」(江梨子さん)

達也さんの仕事の兼ね合いもあり、
川越まで通勤できるという条件で絞り込んだのがときがわ町。
決め手となったのは東京から近いわりに里山の風景があり、
自然環境が厳しすぎないことだった。さすが旅番組のディレクター。
リサーチ力は当然プロレベルだった。

「でも実際は、ときがわ町を調べ出したのはひらがな表記でかわいかったからです(笑)。
個人経営のカフェがいっぱいあるし、気になるお店に足を運んでいくうちに、
若い移住者が多いということもわかっていきました。
農家民宿を運営している方の移住相談にも泊りがけで行きましたし、
地元の企業がやっている起業塾にも参加しました。
そういった人たちとの出会いが財産になっていて、
いまでも大変助かっています」(江梨子さん)

〈fan! -ABURATSU-
Sports Bar & HOSTEL〉
宮崎県日南市の商店街に
“ファン”が集うゲストハウスを

PAAK DESIGN vol.1

はじめまして。
宮崎県日南市で〈PAAK DESIGN株式会社〉という
設計事務所の代表をしている鬼束準三と申します。

PAAK DESIGNは、地元にUターンして4年目に設立した会社です。
設計をしながら地域の課題に悪戦苦闘して向き合っていたところ、
いまでは設計だけでなく、宿泊や物販などさまざまな事業に取り組むようになりました。
大学や設計事務所で学んだ、建築の美しさや先進性を追求することからは
ずいぶん離れているなと感じながらも、
いまでは、設計をベースにどこまでできるかを試している感覚もあります。

そんな建築家やデザイナーとしては邪道とも思える現状や取り組みが、
地方においては、ものすごく大事なのではないかと思うのです。
この連載では、携わってきたリノベーションの事例を通して、
日南市の魅力ある活動や場所や人、まちの変化を伝えられたらと思っています。

第1回は、Uターンしたきっかけから、起業するまでの空白の3年間と、
商店街にオープンしたゲストハウス
〈fan! -ABURATSU- Sports Bar & HOSTEL〉の事例を振り返っていきます。

エントランスロビー兼カフェエリア。

エントランスロビー兼カフェエリア。

地元の魅力を再認識してUターン

大学を卒業して東京で設計事務所に勤務後、独立し、ひとりで建築の仕事を始めました。
上京して10年ほど経ち、仕事はなんとか続けられる状況になっていた頃、
ふと地元の日南市のことが気になり始めました。
いままで、2〜3年に1度しか帰らなかったのですが、
独立して自由に動けるようになり、年に何度も帰省してみると、
自分は地元のことをなにも知らないのだと自覚していきます。

ひとまず人脈づくりから始めようと、いろんな場所へ出向き、
気になる人に積極的に会いに行くことに。

すると、地元資源である飫肥杉(おびすぎ)のこと、
それにまつわる活動をする〈オビスギデザイン会〉という団体や、
少し前から日南に移住して商店街の活性化に尽力していた人、
そのほかにも、自然の魅力や、磨けば輝きそうな不動産などを含め、
たくさんの遊休資源と出合うことができました。

日南の自然(乱杭野山頂・霧島神社から)。

日南の自然(乱杭野山頂・霧島神社から)。

このいろいろな出会いが、その後の私のUターンを大きく後押ししました。
地元に根を張り、地域の課題と向き合っている人がいたり、
外から来て日南のためにとがんばってる人がいたり、
ふと顔をあげるときれいな自然があったり。

いま、動ける状況にあり、なおかつ地元人である私が
何かできることがあるのではないか、
自分も何か貢献しなければいけないのではないか? と一念発起し、
東京の事務所や家を引き払い、地元に戻ってきました。

日本一組みやすい自治体・日南市

最近の日南市では、日々いろんなことが起こっています。
2013年に崎田恭平さんが当時33歳の若さで市長になったことが話題になり、
就任後は若い民間人を積極的に登用して事業を行い、
商店街活性化事業を成功させたり、10社以上ものIT企業を誘致したり、
伝統的建造物群保存地区の利活用事業を推進したり。
いまでは「日本一組みやすい自治体」と言われたりしています。

なおかつ、海・山・川とすべての自然要素がすごく豊かで、
現在の日南市は日本の中でも「人」と「自然」の資源が豊富な地域のひとつです。

日南の海辺の風景。

日南の海辺の風景。

美しい飫肥杉林。

美しい飫肥杉林。

親子で一緒に! 岩手の〈鹿踊(ししおどり)〉。 継承への願いを込めたイベントを開催

自粛で踊る機会が失われた〈鹿踊〉を取り戻す!

岩手県内に広く多数伝わる〈鹿踊(ししおどり)〉。
大地を跳ね、踏みしめて地の悪魔・疫病を祓い、清浄にし、
生きる糧の豊穣を祈り願う郷土芸能です。
岩手県全域で踊られていますが、地域ごとに衣装や踊りも異なり、
郷土の誇りと特色を感じさせます。

独特な衣装の鹿踊。上半身を覆う「前幕」は、上下二枚を縫い目(ステッチ)で結び合わせて一枚の幕に仕立て、紋様を染め抜いているのが特徴。写真は行山流舞川鹿子躍。

独特な衣装の鹿踊。上半身を覆う「前幕」は、上下二枚を縫い目(ステッチ)で結び合わせて一枚の幕に仕立て、紋様を染め抜いているのが特徴。写真は行山流舞川鹿子躍。

ところが、昨今の自粛制限によって、各地の祭りや催事が延期・中止になり、
鹿踊を披露する機会も減少。
団体によっては集まることができないために練習もできない、
継承のモチベーションがあがらないなどの理由によって継承が難しくなったり、
収入減によって活動の維持が困難になるなど、
現状が長期化すればするほど活動継続を断念せざるを得ない状況となっています。

そこで、東北の地域文化の活動支援をする〈縦糸横糸合同会社〉と
一関市で染め物や祭り衣装などのプロダクトを手がける
〈京屋染物店〉が立ち上がり、
鹿踊の衣装に込められた色や形をもとにデザイン・制作した
手拭いを販売開始しました。
手拭いの売上金の半分は、鹿踊団体の活動資金に充てられます。

鹿踊の伝承が込められる縫い目(ステッチ)と、鹿踊の幕のスタンダード柄である九曜紋、不浄を吹き清める意味の扇をつないだデザイン。

鹿踊の伝承が込められる縫い目(ステッチ)と、鹿踊の幕のスタンダード柄である九曜紋、不浄を吹き清める意味の扇をつないだデザイン。

アフリカ太鼓に日本舞踊、壁画制作。
美流渡らしい旧校舎の活用が始まる

活用から1か月。こんなふうに使いたいという声が上がって

仕事場の向かいにある旧美流渡(みると)中学校。
2年前に閉校になったこの校舎の利活用の取り組みが、約1か月前から始まった。
私が代表を務める地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉が
活用の窓口になったことは、以前の連載で書いた。
その後、オンラインで校舎の試験活用についての説明会を行ったり、
月1回の清掃活動を行ったりするなかで、予想以上の広がりが生まれようとしている。

今年は試験活用期間ということで、
まず地域のみなさんにさまざまなかたちで使ってもらって、
意見をヒアリングして、今後につなげていこうと考えており、
さっそく、体育館を使ってみたいと申し出てくれたのは、
岩見沢市の山あいの万字地区に2018年に移住した岡林利樹さんと藍さんだった。

ふたりはアフリカ太鼓の奏者。週末に美流渡地区で開かれることになった
小さな音楽会に参加することになり、そのリハーサルを行いたいというのだった。
リハーサル当日には、道内各地からアフリカ太鼓仲間が集まってきて、
体育館で音合わせが行われた。

広々としたスペースでリハーサル。

広々としたスペースでリハーサル。

その傍らで、太鼓メンバーの子どもたちがボールを蹴って駆け回っており、
これだけ広いスペースがあれば、練習をする大人も、
それを待っている子どもも伸び伸びできてハッピーだということがわかった。

駆け回るスペースも十分。

駆け回るスペースも十分。

また、定期的に体育館を使いたいと言ってくれたのは、
一昨年に美流渡地区に移住した陶芸家のこむろしずかさん。
こむろさんは日本舞踊の名取にもなっていて、
地域の人たちと一緒に踊る教室を開くようになっている。

「ソーラン節」や「炭坑節」など、地域のお祭りがなかなか開催できないなかで、気分だけでも味わってほしいと、少人数で開催。

「ソーラン節」や「炭坑節」など、地域のお祭りがなかなか開催できないなかで、気分だけでも味わってほしいと、少人数で開催。

みる・とーぶでも、8月から9月にかけてイベントを企画。
校舎活用の中心的存在になってくれている、
昨年夏に美流渡に移住した画家のMAYA MAXXさんと
1階の窓に打ち付けられている雪止めの板に絵を描く企画を進めている。

期間は8月6~11日の6日間。
地元の人や市内にあるアートとスポーツに特化している
北海道教育大学岩見沢校の学生にも協力を呼びかけ、
MAYAさんの下描きをもとに、みんなで色を塗る予定。

中学校の隣に立つ、同時期に閉校した小学校側のものを合わせると、
窓は全部で40枚近く。
大きい窓は縦2メートル、横5メートルにもなるので、
絵ができたらきっと迫力あるものになるに違いない。

小学校の一部は煉瓦造り。窓は大きく幅は5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

小学校の一部は煉瓦造り。窓は大きく幅は5メートルにもなる。(撮影:佐々木育弥)

このほか9月には教育大学と連携しながら
教室にMAYAさんの作品を展示する計画も進行中だ。
現在、福岡アジア美術館で開催中の『おいでよ! 絵本ミュージアム』で、
MAYAさんは何十メートルにもなるダンボールに、動物や木々を描いており、
これをなんとか美流渡に運び入れて、こちらでも展示ができたらと
調整をしているところだ。

『おいでよ! 絵本ミュージアム』の展示風景。縄文文様のようにうねる木々をMAYAさんが現地で描いた。(撮影:小川真輝)

『おいでよ! 絵本ミュージアム』の展示風景。縄文文様のようにうねる木々をMAYAさんが現地で描いた。(撮影:小川真輝)

“山をのぼってでも食べたい” 〈南阿蘇のやさしい氷 2021夏〉 開催中! 大自然で贅沢なかき氷を楽しんで

南阿蘇でしか食べられない、特別なかき氷

熊本県の阿蘇地方といえば、
世界最大級の大きさを誇るカルデラや草千里など、
大自然を満喫できる人気の観光エリアです。

その自然あふれる南阿蘇で
2019年から始まった〈南阿蘇のやさしい氷〉。

南阿蘇周辺の飲食店が夏の期間、
それぞれの個性を生かしたかき氷を提供する取り組みです。

「南阿蘇のやさしい氷」がロゴになった暖簾。阿蘇のシンボルである阿蘇五岳と立ち上る噴煙、そしてお皿に盛られたかき氷をモチーフに制作された。

「南阿蘇のやさしい氷」がロゴになった暖簾。阿蘇のシンボルである阿蘇五岳と立ち上る噴煙、そしてお皿に盛られたかき氷をモチーフに制作された。

きっかけは、以前南阿蘇で行われた農業体験イベントで
参加者のために配布したという「かき氷マップ」。
県内外から集まった人たちに好評だったそう。

「南阿蘇はおいしいかき氷がたくさん!知らずに帰るなんてもったいない!」
という思いから、せっかくなので観光客の方々にも配ろうと
〈南阿蘇かき氷部〉が発足、かき氷マップを制作しているのです。

もう、イメージするだけで甘いシロップと
キンと冷たい氷が口の中で溶けていきそう……。

暑い日には、かき氷に引き寄せられてしまいますね。

今年参加しているのは7店舗。
どこも南阿蘇ではお馴染みのお店です。

ひとつずつ、ご紹介していきます!

シェアスタジオ〈南太田ブランチ〉
2拠点居住者の
新たな住まいのつくり方

YONG architecture studio vol.7

横浜市の野毛山エリアで活動しながら、
長野県立科町で地域おこし協力隊として活動する
〈YONG architecture studio〉永田賢一郎さんの連載です。

今回はついに最終回。横浜で新しく立ち上げた、
住居兼シェアスタジオについてご紹介していきます。

横浜での新たな暮らし方

2020年6月から始まった、横浜と長野の2拠点生活。
横浜には金・土・日の週3日の滞在になり、
それまで住んでいた〈藤棚のアパートメント〉から引っ越すことになりました。
日中は仕事場の〈藤棚デパートメント〉〈野毛山Kiez〉があるので、
夜に寝泊まりができる25平米くらいの小規模な物件を探すことになったのです。

4年間暮らした〈藤棚のアパートメント〉を出ることに。

4年間暮らした〈藤棚のアパートメント〉を出ることに。

藤棚のアパートメントの管理でお世話になっていた
〈東京R不動産〉さんに物件を問い合わせてみると、
横浜駅から京急本線で7分ほどの南太田にある物件を紹介されました。

4階建てのビルのうち3〜4階が住宅仕様で空いたままになっており、
主に3階が住居スペース、4階は倉庫と屋上という構成。
3〜4階の室内の面積は約180平方メートル、
屋上を合わせるとおよそ300平方メートルの物件です。

〈荒川電気商会〉さんという電気資材問屋の物件で、
3〜4階は前会長宅であったようでした。
老朽化が進んでいますが、改修して活用できそうか相談したいとのこと。
探していた物件は25平方メートル。かなりスペースを持て余しそうですが、
ひとまず現地へ行ってみることになりました。

南太田にある4階建てビル。

南太田にある4階建てビル。

3階の既存図面。3階には7つの部屋とキッチン、4階には広い屋上と倉庫がある。

3階の既存図面。3階には7つの部屋とキッチン、4階には広い屋上と倉庫がある。

全部で7部屋、各部屋が25平方メートルくらいはあります。
室内には以前の生活感が残りますが、それぞれ特徴のある仕上げで
そのまま使えそうな部屋もあり、とても魅力的な物件でした。
とはいえ、自分だけでは使い切れない大きさです。
何か活用できないかと考えていました。

雰囲気のあるテクスチャーの廊下が迎える。

雰囲気のあるテクスチャーの廊下が迎える。

寝室はRのかかった織り上げ天井に暖炉も。

寝室はRのかかった織り上げ天井に暖炉も。

子ども部屋は壁のクロスが印象的。

子ども部屋は壁のクロスが印象的。

グラフィックデザイナー・原研哉
「グローバル/ローカル」の時代。
価値はローカルに眠っています。

さまざまな分野の第一線で活躍するクリエイターの視点から、
ローカルならではの価値や可能性を捉える「ローカルシフト」。
その第1回は、日本を代表するグラフィックデザイナーであり、
自主的なプロジェクトやエキシビションも
数多く手がける原研哉さんに話を聞いた。

個人の視点で見出す風景

無印良品、ヤマト運輸、蔦屋書店、JAPAN HOUSE……。
原研哉さんは現代の日本を象徴するような数多くの企業やプロジェクトに、
グラフィックデザイナーとして関わってきた。
1959年に亀倉雄策らが創業した日本デザインセンターの社長を
2014年から務めていて、英訳された著書もあり、海外でもよく知られる存在だ。

この4月1日から使用が開始された〈ヤマトホールディングス〉の新しいクロネコマークやロゴも、原さん率いる日本デザインセンターが手がけた。

この4月1日から使用が開始された〈ヤマトホールディングス〉の新しいクロネコマークやロゴも、原さん率いる日本デザインセンターが手がけた。

そんな原さんが、〈低空飛行〉という新しいプロジェクトを
発表したのは2019年のことだった。
これはクライアントをもたない自主的なプロジェクトで、
原さんが日本各地を訪れ、自身で撮影し、原稿を書き、
月1回のペースでインターネットに公開していく。
現在までに巡った場所は北海道から九州の五島列島までの30か所以上に及ぶ。

日本には、こんなにすばらしいところがこれほどたくさんあったのか!
〈低空飛行〉を見ると、それぞれの美しさや豊かさに圧倒されてしまう。
ホテル、旅館、ミュージアム、庭園、ものづくりの現場など、
原さんの目にかなった場所が、彼ならではの研ぎ澄まされた
感性と考察を通して紹介されているのだ。

〈小田原文化財団 江之浦測候所〉で撮影する原さん。〈低空飛行〉の撮影や原稿執筆は、基本的に原さんがひとりで行っている。

〈小田原文化財団 江之浦測候所〉で撮影する原さん。〈低空飛行〉の撮影や原稿執筆は、基本的に原さんがひとりで行っている。

「〈低空飛行〉で取り上げるのは、長持ちしそうな場所ですね。
土地の魅力を見定めて、その魅力を生かすことを生業にする人がいることが大切です。
一方で新しさには執着しません。
僕は建築好きですが、建築的才能に頼って新しく奇抜なものをつくると、
建築が自然に対して屹立してしまいます。
ただしはっきりした選考基準はなく、基本は直感です」