“よそ者”たちが移住先で叶える夢 一度訪れた旅人が移住者になる 温泉街・温泉津の不思議な引力

世界遺産エリアの小さな温泉街・温泉津(ゆのつ)での暮らしを楽しみながら、
未来にこのまちを繋げていきたい一心で日々奮闘中の私、近江雅子ですが、
世の中の価値観が大きく変わったコロナ禍がきっかけになり、温泉津も変わり始めました。

長年、この温泉津の価値を大切に守り続けていた
地元の方々の努力があるからこそ、
〈WATOWA(わとわ)〉という、
ちょっとしたスパイスがその起爆剤になったように思います。

の温泉街の中心に位置する複合施設〈WATOWA〉。

温泉津の温泉街の中心に位置する複合施設〈WATOWA〉。

前編では、私が温泉津にやってきて12年、〈WATOWA〉をはじめ、移住してから7つのゲストハウスを開業するにいたった経緯をお届けしました。

後編では〈WATOWA〉が完成してから多くの移住者が集まり、
それぞれが夢を持って活動している
「まちも人も温泉のようにアツアツに湧く」温泉津のいまをお届けします。

旅人が料理を振る舞い
まちの人も旅行者ももてなす〈旅するキッチン〉

手前がランドリー、奥にはキッチンと客席。ドミトリーや客室も完備する〈WATOWA〉。

手前がランドリー、奥にはキッチンと客席。ドミトリーや客室も完備する〈WATOWA〉。

〈WATOWA〉は、私が温泉津にやってきて
2021年に立ち上げた4つ目のゲストハウスです。

このまちの価値を十分に感じていただけるように、
温泉津の人たちと関わり合って、温かい人間関係を味わってほしい。

ほかの観光地や温泉地に見られる、つくられたアクティビティではなくて、
私たちのありのままの生活文化を体験してほしい。

そうしたらきっと温泉津のことが大好きになってくれるはず!

そのためには、温泉津で暮らすように、
中長期滞在できる宿をどうやってつくり出すか、その仕組みづくりと向き合ってきました。

〈WATOWA〉の名前に込めたのは、
「中の輪(ローカル)」と「外の輪(観光客や移住者)」が
つながる場所になればということ。
中長期滞在者には必須のランドリーと、安価で滞在しやすいドミトリー、
みんなが輪になって囲む「旅するキッチン」の3つの機能をもった複合施設です。

ドミトリーは男性専用と女性専用をそれぞれ4ベッド完備。

ドミトリーは男性専用と女性専用をそれぞれ4ベッド完備。

2Fには4名の和室2部屋。家族で貸しきりもできる。

2Fには4名の和室2部屋。家族で貸しきりもできる。

どうして複合施設にしたかというと、
ひとつだけでは、この田舎町での運営していくのは難しいのかもしれないけど、
まちの課題(洗濯・食事・宿泊のバリエーション)を解決しながら、
相乗効果を出すことができればと、総合的な事業計画にしてみました。

観光客にも喜ばれ、地元の人にも喜ばれる機能。
今まで温泉津に来たことのないようなお客さんも
温泉津を目指してきてくれるような、目的になる場所として、
事業計画書を繰り返し書き直しながら何度も銀行に通い、
融資を受けるための相談をしました。

銀行も、よくもこんな主婦の想いに大きな融資をしてくれたなと本当に感謝しています。

高齢者の多いこのまちで、コインランドリーは旅人だけではなく、
地元の方も大型の洗濯物があるときは隣町のまで行く方が多かったので、
きっとコインランドリーがあれば、まちの人にも喜ばれるのではないかと思ったのです。

温泉津は、国の重要伝統建築物群保存地区に指定された日本で唯一の温泉街。

温泉津は、国の重要伝統建築物群保存地区に指定された日本で唯一の温泉街。

それでも、ランドリー業者の方には、こんな人口では
大赤字になるからやめたほうがいいと止められました(笑)。

では、どうやったらコインランドリーがやっていけるのか。

もっと安く泊まれるドミトリーのような宿泊施設があったら、
中長期滞在しやすく、コインランドリーの需要も生まれるのではないかと考えました。

そして「こんな小さな温泉街に飲食店をオープンしてくれる人なんていないだろう」
という懸念を逆手に取って生まれたのが〈旅するキッチン〉です。

私たちが施設改修をはじめ、お皿やカトラリーなど備品もすべてそろえて、
体ひとつで旅するように料理をつくりに来てくれる人だったらいるかもしれないと、
何の根拠もつがりもないのに、すごい思い込みでこの飲食店を始めたのでした。

シェフには滞在する家と、必要なら車も使っていただけるように準備をしました。

湧くで温泉津! まちも人もアツアツに湧く温泉街で キャリアなしの私が 7つのゲストハウスを開業するまで

ただの主婦でしかなかった私、近江雅子が
温泉津に移住して12年が過ぎようとしています。

「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読む、
島根県の小さな温泉と港町のタグラインは「湧くで温泉津!」。
温泉も、まちも、ここで暮らす人々もアツアツに湧き上がる温泉街です。

前編では先ずは自己紹介とこのまちへ移住してきてから、
事業をはじめるきっかけについてお話します。

2013年3月末に僧侶の夫、中学入学を控える長女、小学校4年生になる次女の
家族4人でまちの小さなお寺に移住してきました。

最初は大反対していたこのまちへの移住でしたが、
いざ住み始めると毎日が楽しく刺激的で……。
ゲストハウスを7軒も開業することになるとは。
田舎町は日本全国にたくさんあるけど、ここでの生活文化はここにしかなく、
そんな温泉津の暮らしについてお話したいと思います。

後編の記事はこちら:一度訪れた旅人が移住者になる温泉街・温泉津の不思議な引力

2013年に温泉津にやってきて10年。末っ子は温泉津生まれ。

2013年に温泉津にやってきて10年。末っ子は温泉津生まれ。

自力でアメリカの高校に入学
大学1年で結婚、20歳で第一子出産

1979年10月に島根県江津(ごうつ)市という田舎町に生まれ、
中学まで江津市で育ちました。
中学3年生の秋に、アメリカのボストン郊外にある公立高校を受験し、
見事合格をしまして、先生や友だちからの反対(心配)もありましたが、
高校1年からは単身アメリカに渡りホームステイをしながら高校に通いました。

帰国後は日本の京都のある大学に入学し、
生活を謳歌していた大学1年生の冬に東京の大学に通う今の主人と出会い、
半年で結婚を決意。秋に大学を中退し東京へ引っ越し結婚することに……。
親の大反対も聞かず結婚すると決めたのでした。

移住当時の近江さん一家。

移住当時の近江さん一家。

留学も結婚も、とにかく決めたら即行動。
人の反対には揺るがない性格だということがわかっていただけるかと思います。

20歳で長女を産み、資格や経験もないので子供育てしながら、
パートタイムでスーパーのレジ打ちや清掃の仕事に就き、
夫は大学を卒業して学生時代からお世話になっていた青山にあるお寺で勤務。

そのまま、一生東京で暮らすものだと思っていましたが、
ある日夫から「島根の温泉津にあるお寺の住職になる」という話を聞き、大反対。

娘だって慣れ親しんだ地域で友だちもたくさんいるし、家だって購入したのに……。
行くならひとりで行けばいい!
田舎のお寺なんて絶対大変だし、私にはそんなことはできない!
とだいぶ長い間話を聞こうともしませんでした。

旦那さんが住職を務める西念寺。1571年建立。

旦那さんが住職を務める西念寺。1571年建立。

そんなとき東日本大震災が起こり、
大きな揺れのなか、どうやって我が家まで帰ろうか……。
携帯電話もつながらず心が引き裂かれそうな不安な時間でした。

何とか帰宅し、娘たちを探しに行くと、
親切なお友だちのお母さんが次女と犬も一緒に預かってくれていました。

スーパーからも物がなくなり、いつもすぐ乗れる電車もなかなか乗れなくなり……。
そんな震災後の都会の生活を経験したことで、
田舎での暮らしも考えられるようになりました。
「よし、温泉津に行こうか!」。主人の変わらぬ思いにようやく心が動きました。

アンテナショップの「正解」とは? 乃村工藝社に聞いた、 ローカルをつなぐお店のつくり方

2024年8月8日、新潟県の新たなアンテナショップ〈銀座・新潟情報館 THE NIIGATA〉が
銀座5丁目のすずらん通りにオープンした。

銀座のメインストリートから一本離れた通りであるすずらん通りには、
老舗料理店が並び、格式高い雰囲気が漂っているが、
そのなかでも、ひと際開放的な雰囲気を放っているのが〈THE NIIGATA〉だ。

通りに開けた明るいファサードに惹かれて店内に入ると、
従来のアンテナショップのイメージとは大きく異なる、
セレクトショップのような洗練された内装と随所に施された工夫に目が奪われる。

そんな〈THE NIIGATA〉のショップ、イベントスペース、
〈にいがた暮らし・しごと支援センター〉のデザイン・設計をはじめとした
企画・施工・ロゴデザイン・ビジュアルデザインを手がけたのが、
さまざまな空間の総合プロデュースを手がける乃村工藝社だ。

2024年8月8日にグランドオープンした〈THE NIIGATA〉。新潟県のアンテナショップは、表参道から心機一転、銀座5丁目すずらん通りにオープンした。

2024年8月8日にグランドオープンした〈THE NIIGATA〉。新潟県のアンテナショップは、表参道から心機一転、銀座5丁目すずらん通りにオープンした。

本特集「アンテナショップ、進化論。」では、
誕生から現在までのアンテナショップの変遷をたどりながら、
進化を続けてきたアンテナショップに焦点を当てた

その流れのなかで、オフィスや商業施設、ホテルなどを手がける
乃村工藝社のような空間づくりのプロフェッショナルたちが
アンテナショップを手がけるようになった。
そこでは、どのようにしてアンテナショップ〈THE NIIGATA〉が
つくられていったのだろうか。

今回のプロジェクトメンバーのなかから、
施設のコンセプトづくりなど企画を担当したプランナーの二宮咲さん、
空間デザインを担当した清水茂美さん、
ロゴなどのグラフィックデザインを手がけた萩谷(はぎや)綾香さんの3名に話を伺った。
新時代のアンテナショップに求められるものを、
空間をプロデュースする側からひもといていく。

左からプランナーの二宮さん、空間デザインを担当した清水さん、グラフィックデザインを手がけた萩谷さん。

左からプランナーの二宮さん、空間デザインを担当した清水さん、グラフィックデザインを手がけた萩谷さん。

客観と主観の間で揺れる
アンテナショップの「正解」

――今回、〈THE NIIGATA〉の空間づくりを手がけるうえで、
まずどのようなことを心がけたのですか。

二宮: アンテナショップの空間づくりをするうえで、モノを買うためだけの場所ではなく、
きちんと情報をインプットできて、「新潟に行きたい」という気持ちを
抱くような場所にしたいと思っていました。

そのためには、インターネット上ではなく
リアルな場だからこそ得られる情報とはどんなものなのかを考えました。

越後妻有で開催されている〈大地の芸術祭〉に参加したことがあるなど「プロジェクト始動前から新潟県には親近感を感じていた」と二宮さん。

越後妻有で開催されている〈大地の芸術祭〉に参加したことがあるなど「プロジェクト始動前から新潟県には親近感を感じていた」と二宮さん。

例えば、新潟清酒の利き酒ができる有料の試飲スタンド〈THE SAKE Stand〉では、
壁一面に酒瓶をきれいに並べて視覚的に楽しめる空間にしています。

また、中央に設置した大きなテーブルは、
訪れた人たちでテーブルを囲んで、コンテンツの入った情報タブレットを触りながら
お喋りができる空間を演出しました。
店内でより濃い時間を過ごしていただくことで、
新潟への気持ちが高まるのではないかという狙いがあります。

〈THE NIIGATA〉2階の〈THE SAKE Stand〉。日本一の酒蔵数を誇る新潟の日本酒が、中央のテーブルを囲むように並ぶ。

〈THE NIIGATA〉2階の〈THE SAKE Stand〉。日本一の酒蔵数を誇る新潟の日本酒が、中央のテーブルを囲むように並ぶ。

清水: 酒蔵へのリスペクトも込めて、酒瓶はひとつひとつプロダクトとして
ちゃんと見せたい思いがありました。
ラベルのデザインはもちろんですが、
同じ一升瓶でも酒蔵によってビンの色味が違いますし、
それらがきれいに見えるような照明にもこだわりました。

日本酒が美しく見えるようにデザインされた陳列棚。照明にもこだわりが。

日本酒が美しく見えるようにデザインされた陳列棚。照明にもこだわりが。

二宮: 1階の階段奥には新潟の「ものづくり」に焦点を当てた
〈新潟のものづくり採集〉コーナーがあります。
そこには新潟の職人さんたちが実際に使っていた道具や素材を見て、触れて、学べる、
リアルだからこその情報が詰まっています。

「感覚的にストーリーを感じてもらう」というコンセプトは、
〈THE NIIGATA〉としてかなりこだわった部分です。
だから単なるパネル展示で終わらせるのではなく、
実際に店内での「体験」を大切にしています。

〈新潟のものづくり採集〉は3人が新潟に繰り返し足を運んで、見て・聞いて・感じたことが表現されている。

〈新潟のものづくり採集〉は3人が新潟に繰り返し足を運んで、見て・聞いて・感じたことが表現されている。

ーー一般的な店舗や商業施設、オフィスなどの空間デザインとは異なり、
アンテナショップの場合、あくまで自治体が手がけているという点がありますよね。
そのうえで、まずはその地域について「知ってもらうこと」が重要になってきますが、
どのような空間デザインを意識しましたか?

清水: 空間をつくるということ、つまり「3次元で表現する」うえで、
新潟県をどう表現すればいいのか、ということは意識しました。

二宮さん同様、〈大地の芸術祭〉に参加経験のある清水さん。本プロジェクトを経て、さらに新潟愛が深まった様子。

二宮さん同様、〈大地の芸術祭〉に参加経験のある清水さん。本プロジェクトを経て、さらに新潟愛が深まった様子。

ポイントとしては、床材に新潟の川砂利を混ぜてみたり、
商品の陳列棚やイスなどに新潟の木材を使用したり、
来館者の方々から見える場所、触れる場所には
できるだけ県産材のものを使用していることです。

ただし、来館者の方々にこうした情報を得てもらうことは重要ですが、
どこまで「説明」するかは、デザイナーとして葛藤がありました。
商品説明や内装のこだわりはポップなどでも紹介もしていますが、
やはりリアル空間ならではの「感覚的に触れてもらう」ということを大切に考えていました。

萩谷: 私は新潟に行くのが今回のプロジェクトでほぼ初めてだったんです。
ロゴやアイコンなどビジュアルデザインを担当するうえで、
地元の方や関係者との対話を重ねて、新潟のことや先方の想いをしっかりと汲みながら
デザインに起こそうと考えていました。

二宮: 大変だったよね。みなさん地元の特産物に対する思い入れが強いから、
いろいろビジュアルモチーフに関しては細かいところまでフィードバックがあったり。

萩谷さんは「初めての新潟」だったからこそ客観性を持ち、新潟県の人たちとの対話を通してデザインを心がけた、とのこと。

萩谷さんは「初めての新潟」だったからこそ客観性を持ち、新潟県の人たちとの対話を通してデザインを心がけた、とのこと。

萩谷: そうでしたね(笑)。ノドグロのビジュアルに関しては
ヒレの角度とか、アゴのしゃくれ具合とか……みなさんのこだわりを感じました。

これはノドグロの話に限らず、新潟県の方々が思い入れのある「主観」と、
新潟を外から見てきた私たちがいいと思う「客観」に、
ギャップがあることを目の当たりにしました。

でも、そこで県庁さんの想いだけでもなく、
私たちの色に染めるだけでもなく、
これから銀座でお店に来てくれるお客さんにも、
また、新潟県出身の方にもそうでない方にも親しんでもらうためには、
それぞれの視点がアンテナショップには必要なんだと感じました。

新潟の「N」をモチーフにした〈THE NIIGATA〉のロゴ。「見る人によって地図だったり、工芸品だったり、いろんな方向に想像が膨らむデザインにした」と萩谷さん。

新潟の「N」をモチーフにした〈THE NIIGATA〉のロゴ。「見る人によって地図だったり、工芸品だったり、いろんな方向に想像が膨らむデザインにした」と萩谷さん。

〈THE NIIGATA〉のショッパーやホームページのデザイン等に使用された、新潟の魅力を訴求するビジュアルデザイン。

〈THE NIIGATA〉のショッパーやホームページのデザイン等に使用された、新潟の魅力を訴求するビジュアルデザイン。

売り切れ御免! 県民だけが知っている アンテナショップ目玉商品10選

世の中にこれだけネット販売が充実していても、
アンテナショップにはそこでしか手に入らない商品が数多く販売されている。

現地以外では、アンテナショップにしか流通しない“幻のローカルフード”を求めて、
店舗に列をなし入荷日のうちに即完売、という商品も少なくない。

今回は数ある商品のなかから、選りすぐりの数量限定・即完売商品を紹介しよう。

レインボーラムネ┃奈良まほろば館@新橋

奈良県生駒市生まれの「幻のラムネ」といわれる〈レインボーラムネ〉。
ふるさと納税の返礼品として登録されたものの、
人気のあまりわずか8分で品切れになったという逸話があるほどだ。

〈奈良まほろば館〉では、月・木曜の週2回、10個限定で販売され、ひとり1点限り。

人気の秘密は、カラフルな見た目はもちろんだが、
外はカリっと、中身はトロっとした食感がやみつきになるのだとか。

その評判は大手お菓子メーカーの目に留まり、
本家〈イコマ製菓本舗〉と〈UHA味覚糖〉が共同開発した姉妹品が流通
しているが、オリジナルの〈レインボーラムネ〉を定期的に入荷しているのは、
都内では〈奈良まほろば館〉だけとのこと。

information

【レインボーラムネ】

内容量:77グラム

価格:550円

入荷日:月・木曜

販売場所:奈良まほろば館

水だんご┃日本橋とやま館@日本橋

〈水だんご〉は、富山県黒部市生地(いくじ)地域の家庭で
古くから親しまれている夏菓子。
材料は富山県産コシヒカリの米粉、北海道産片栗粉、おいしいお水だけ。

冷水にしっかりとさらし、特製の青大豆きなこをかけて食べることからその名がついた。

〈日本橋とやま館〉では、富山県魚津市の水だんご専門店〈藤吉〉から
毎週水曜に入荷されているが、その日のうちに売り切れることもしばしば。

〈藤吉〉の店舗では、ソフトクリームと合わせて提供されており、
〈日本橋とやま館〉で購入したら自宅でアレンジしてみるのもよさそうだ。

information

【水だんご】

内容量:180グラム

価格:415円

入荷日:毎週水曜日

販売場所:日本橋とやま館

バラパン┃日比谷しまね館@日比谷

〈日比谷しまね館〉で入荷日になると、
多くの人が買い求めている姿が見られるのが〈バラパン〉。
発売から70年以上、世代を超えて愛される島根県出雲市のソウルフードだ。

ひとつひとつ手づくりされ、
くるくると巻かれた生地に挟まっているオリジナルのバタークリームは、
島根県民ではなくてもどこか懐かしさを感じるはず。

〈日比谷しまね館〉では、毎週土曜にプレーン味とコーヒー味を入荷。
そのままかぶりつくもよし、花弁を解きながら食べるもよし。

information

【バラパン】

価格:プレーン味 242円、コーヒー味 278円

入荷日:毎週土曜

販売場所:日比谷しまね館

ローカルの“地元自慢”を体験しよう! ニューオープンから“特化型”店舗まで 注目のアンテナショップ7選

2023〜24年にかけてアンテナショップは注目の年を迎えている。
ニューオープンやリニューアルを果たした店舗が次々と登場し、
ローカルの魅力を打ち出した多彩なコンテンツが盛りだくさんだ。

行ったことない地域でも、縁もゆかりもない県でも、
そこを訪れればきっと何か新しい発見があるはず。

今回は、そんなニューオープン・リニューアルしたアンテナショップと、
独自の進化を遂げた“特化型”アンテナショップを取り上げた。

ニューオープン・リニューアルした
注目のアンテナショップ

まずは2023年、2024年にニューオープン・リニューアルした
アンテナショップのなかから注目の店舗をピックアップ。

新規オープンのショップでは、陳列されている商品だけでなく、
県産材を使っていたり、伝統技術で手がけた什器を設置していたり、
意匠を凝らした内装も見どころのひとつだ。

また、お酒の試飲コーナーやギャラリースペース、レストランを併設する店舗など、
ローカルを「体験」できるからくりが盛り込まれているので、
そんなところに注目しながらアンテナショップめぐりを楽しんでほしい。

新潟県|THE NIIGATA@銀座

2024年8月8日、銀座5丁目のすずらん通りにグランドオープンしたのが
〈銀座・新潟情報館 THE NIIGATA〉。

9階建てのビルのうち、地下1階と地上1〜3階と8階の全5フロアからなり、
店内で握った魚沼産コシヒカリのおにぎりを提供する〈THE ONIGIRI・Ya〉や、
30種類以上の日本酒を試飲できる(1500円で5杯)
〈新潟清酒・THE SAKE Stand〉を展開している。

8階には、ものづくりのまち・新潟県燕三条を本拠地とするイタリア料理店
〈Tsubamesanjo Bit〉が〈THE NIIGATA Bit GINZA〉として出店している。

米どころ・新潟なのにイタリアン?
と思うかもしれないが、お米はしっかりと新潟産を使用。
イタリアンのコースのなかで際立つ新潟米を楽しめるでしょう。
そして、食材だけではなく、お酒やカトラリー、うつわにいたるまで
新潟の商品で統一するというこだわりも。

ここまで「新潟一色」に統一された空間は、現地でも体験できない、
〈THE NIIGATA〉だからこそ実現できた空間なのかもしれない。

関連記事:〈THE NIIGATA〉がグランドオープン!進化した新潟の玄関口が銀座にやってきた(新潟のつかいかた)

information

map

【銀座・新潟情報館 THE NIIGATA】

住所:東京都中央区銀座5-6-7 SANWAすずらんBldg. B1〜3階・8階

TEL:

ショップ 03-6280-6551

にいがた暮らし・しごと支援センター 03-6281-9256

営業時間:

ショップ 10:30〜19:30 ※新潟清酒・THE SAKE Standは12:00~19:00

にいがた暮らし・しごと支援センター 10:30〜18:30

定休日:

ショップ 年始

にいがた暮らし・しごと支援センター 火曜・祝日、年末年始

WEB:THE NIIGATA

Instagram:@the_niigata

information

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【THE NIIGATA Bit GINZA】

TEL:03-6228-5636

営業時間:ランチ11:30〜14:00(L.O.13:30) ※土・日曜、祝日は〜15:00(L.O.14:30)

ディナー18:00〜22:00(L.O.21:00)

定休日:月曜、不定休

座席数:46

WEB:THE NIIGATA Bit GINZA

Instagram:@bit_ginza

時代とともに「進化するローカル」。 変遷をたどって見えてきた アンテナショップの次なる役目とは?

東京にいながらにして、地域の特産品や食材を手に入れることができ、
ローカルの雰囲気を楽しむことができる「アンテナショップ」。

現在、自治体のアンテナショップは
銀座、有楽町、日本橋エリアに約30の店舗が点在している。
その歴史は古く、昭和初期から東京駅近辺に集まりだし
バブル崩壊や東京駅の再開発など紆余曲折を経て、
現在のような「アンテナショップ特区」が広がっている。

そんなアンテナショップの動向をつぶさに見てきた、
〈地域活性化センター〉のメディアマーケティングマネージャーの畠田千鶴さんに
アンテナショップの変遷についてうかがった。

アンテナショップの先駆け!
東京未上陸の味で躍進した沖縄と鹿児島

〈かごしま遊楽館〉は1995年の開業当時の場所・日比谷で現在も営業。

〈かごしま遊楽館〉は1995年の開業当時の場所・日比谷で現在も営業中。

「1990年代、東京駅の八重洲口にあった鉄道会館と国際観光会館のふたつのビル
(現在のグラントウキョウ ノースタワー付近)には、
都道府県や市町村など約30の自治体の観光案内所が入居しており、
地域の玄関口として機能していました。

それが東京駅八重洲口の再開発による同ビルからの立ち退きと、
バブルの崩壊による銀座周辺の地価の下落によって、
それまでビル内に入居していた自治体の観光案内所が
銀座の一等地に個別の路面店型アンテナショップとしてオープンしたのです」

このときに現在のアンテナショップの原型となった
沖縄県の〈銀座わしたショップ本店〉(1994年)と
鹿児島県の〈かごしま遊楽館〉(1995年)が登場。
第1次アンテナショップブームへとつながっていく。

首都圏でPRに成功したうちなーごはんと芋焼酎

1994年に銀座一丁目でオープンした〈銀座わしたショップ本店〉は2023年に東京交通会館1階に移転。

1994年に銀座一丁目でオープンした〈銀座わしたショップ本店〉は2023年に東京交通会館1階に移転。

〈銀座わしたショップ本店〉と〈かごしま遊楽館〉は、
それまで現地を訪れなければ味わうことのできないローカルの味を
首都圏でPRすることに成功し、多くの顧客を獲得している。

「〈銀座わしたショップ〉さんは、それまであまり馴染みのなかった
泡盛の古酒や、ジーマーミ豆腐、海ぶどうなどの沖縄の食材を取り扱い、
イートインスペースでは本場・沖縄の味を提供するなど、
現在でもアンテナショップのなかで全国トップクラスの売上を誇ります」

その後、「わしたショップ」の名で
北は〈札幌わしたショップ〉から、南は地元〈那覇空港わしたショップ〉まで
計11店舗を展開しており、アンテナショップの成功例として各自治体から注目されている。

〈かごしま遊楽館〉とともに展開をする飲食店〈いちにぃさん〉。

〈かごしま遊楽館〉とともに展開をする飲食店〈いちにぃさん〉。

同様に、鹿児島県〈かごしま遊楽館〉もローカルの味をフックに、
東京でのプロモーションに成功している。

「〈かごしま遊楽館〉さんは、鹿児島の民間の飲食店〈いちにぃさん〉と共同で
レストランを併設した店舗を日比谷でオープンしました。
当時、東京には流通していなかった芋焼酎や黒豚、柚子胡椒などの
ローカル特産品を積極的にPRし、多店舗展開を実現します。

首都圏では、焼酎といえば甲類・乙類という分類が主流だった時代に
いまや全国区の知名度を誇る鹿児島の〈森伊蔵〉〈魔王〉などを取りそろえ、東京で受け入れられたのです。

これまで地域でしか消費されていなかったものが、
首都圏でも支持されるという『ローカルの可能性』を見出した事例といえます」

沖縄県や鹿児島県のように、路面店型のアンテナショップが登場する一方で、
立ち退きを余儀なくされたそのほかの自治体の観光案内所が、
東京交通会館にアンテナショップとして転換していったのもこの時期。

現在、交通会館には12店舗が入居しファンにとって
「アンテナショップの聖地」として連日多くの客でにぎわっている。

種でつながる、東京とローカルの輪。 東京発〈江戸東京野菜〉は 日本中を旅しながら江戸にやってきた

〈練馬大根〉や〈谷中生姜〉〈内藤トウガラシ〉など、
東京には、東京の地で栽培されてきた在来種や
在来栽培法に由来する野菜、52品目が〈江戸東京野菜〉として登録されている。

その名の通り、東京各地の地名に由来し
「古くから東京で継承されてきた品種」ともとれるが、
そのルーツをひもとくと、多くの〈江戸東京野菜〉が江戸・東京とローカルを結び、
長い年月をかけて日本中を旅して紡いだ、“種の物語”が見えてくる。

手間のかかる〈江戸東京野菜〉と
海外から購入されているF1品種

〈江戸東京野菜〉という呼称が生まれたのは意外にも最近で、
2011(平成23)年にJA東京中央会や農業従事者などから構成された
江戸東京野菜推進委員会によって制定された。

「それまでの長い間、江戸・東京で栽培されてきた在来種、固定種は衰退し、
その存続は危機に瀕していました。
きっかけとなったのは、1950年代から始まる高度成長期です」

そう教えてくれたのは、JA東京中央会で江戸東京野菜推進担当の川並三也さんだ。

当時、東京の住宅不足を解消するため、
東京にあった大量の農地を“宅地並み”に課税対象とする
「宅地並み課税」が課せられ、農地は激減。
東京の在来種、固定種は行き場をなくし、
都市への人口集中にともなう野菜の安定供給のために
量と質の規格化された野菜、いわゆる「F1品種」の野菜が
ますますと流通を占めていったのだ。

スーパーでも簡単に手に入るF1品種。ほとんどが海外でつくられたもの。

スーパーでも簡単に手に入るF1品種。ほとんどが海外でつくられたもの。

「一代交雑種」とも呼ばれるF1品種だが、その歴史は古く、1926(大正15)年には、
埼玉県立農事試験場(現・農業技術研究センター/埼玉県熊谷市)で
ナスのF1品種が世界で初めて誕生している。

F1品種の野菜は、形・大きさのそろいがよく、成長も早いうえに、
同時期に一斉に収穫できるなど、経済合理性の高い野菜。
だが、意外と知られていないのは、
F1品種からは種を採取することはできず、種苗業者から購入しなければならないということ。
F1品種の種子からは同じ品質の野菜を収穫することはできないのだ。

「一方で、〈江戸東京野菜〉は、形や大きさが不ぞろいだったり、
病気や気候変化などに弱いなど、
安定的に生産するには多くのデメリットを抱えていますが、
自家採取により親から子へと命を繋いでいくことができます。

そして、その歴史を辿ると、地域に根づいた食文化があり、
本当の意味での『ローカルな食材』といえるのではないでしょうか」

明治から昭和中期にかけて試験研究の資料として描かれた「三寸胡蘿蔔(さんすんにんじん)」。(イラスト提供:東京都農林総合研究センター)

明治から昭和中期にかけて試験研究の資料として描かれた「三寸胡蘿蔔(さんすんにんじん)」。(イラスト提供:東京都農林総合研究センター)

波佐見焼ってどんな器?
人気ブランドから立ち寄りスポットまで
「波佐見焼」をたっぷりご紹介!

「器にこだわる」というと、少し敷居が高く感じるかもしれませんが、
テイクアウトした料理を器に盛りつけ直すだけで
気分があがる、その気持ちには少なからず共感があるのではないでしょうか。

おうち時間の楽しみ方にも慣れた今、
日々の食卓を豊かに彩る器にも関心が高まっているようです。

そんななか、最近よく耳にするのが「波佐見(はさみ)焼」。
毎日のなにげない生活で、
気負わず気軽に使える器として注目を集めています。

波佐見焼とは、長崎県波佐見町近辺でつくられる焼きものの総称ですが、
実は波佐見焼と呼ばれるようになったのは、ごく最近のこと。
20年ほど前までは「有田焼」として流通されていた日用食器です。

料理映えしそう、手入れがしやすそうなど、
器を購入する基準はさまざまで、産地を知らなくても、
食事を楽しむのに支障はありません。
でも、もう少し踏み込んで知ることで、
毎日使う器選びはもっと楽しくなることでしょう。

今回は、江戸時代から庶民の器をつくり続ける焼きもの産地「波佐見」と、
波佐見焼にまつわるあれこれを紹介します。

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日用食器の産地として400年の歴史をもつ波佐見焼

全国各地に多数の陶磁器産地がありますが、
日本初の磁器として知られ、
焼きものとしての知名度も高いのが有田焼です。
その産地である佐賀県有田町に隣接する長崎県波佐見町もまた、
有田と同様に400年の歴史をもつ窯業(ようぎょう)のまちとして栄えてきました。

江戸時代より鍋島藩の藩窯として、
献上品となる上質な磁器を制作していた有田に対し、
波佐見焼は大村藩の支援を受け庶民的な磁器を制作。
「くらわんか碗」の産地としても知られています。

「くらわんか碗」とは、江戸時代、大阪の淀川を往来する大型船の乗船客相手に、
船上で飯や酒を売る〈くらわんか舟〉で使用された
丈夫で安価な雑器のことで、普段使いの器として定着しました。

「くらわんか碗」。「くらわんか」の語源は、商売人の「くらわんか」(「食べないか」の方言)というかけ声だといわれている。

「くらわんか碗」。「くらわんか」の語源は、商売人の「くらわんか」(「食べないか」の方言)というかけ声だといわれている。

当時、長崎の出島から酒や醤油を詰めて輸出する「コンプラ瓶」をつくっていたのも波佐見。

当時、長崎の出島から酒や醤油を詰めて輸出する「コンプラ瓶」をつくっていたのも波佐見。

波佐見焼としての再出発

そんな日用食器の生産を担ってきた「波佐見」の名は
表に出ることはなく、分業制という焼きもの産地の特性から、
生地屋や型屋を共有している背景もあり、
長い歴史のなかで有田焼として出荷されてきた波佐見の焼きもの。

それが、2000年頃に話題となった食品の産地偽装問題をきっかけに、
陶磁器にも正確な産地表示が求められるようになり、
波佐見町で生産した器は波佐見焼として出荷されるようになりました。

アパートのリノベーション事例集!
アトリエ、宿泊施設、スタジオ……
リノベで生まれ変わるアパートの可能性

日本全国で見られる空き家問題、
その約半数は賃貸用住宅だといわれています。
老朽化した古いアパートも例外ではなく、
リノベーションによって、新たな活用方法が見出されています。

本記事では、各エリアに眠っているアパートが
新たなカタチに生まれ変わった実例をまとめてご紹介します。
アパートは建物の特性上、部屋が小分けにされていることから
工事内容に小回りが効き、低予算でもアレンジできるのが
アパートリノベの特性といえるでしょう。

アパートリノベ:01 
〈大辻の家〉アトリエ

大阪府大阪市此花区で建築事務所〈NO ARCHITECTS〉を営む
西山広志さんは、シェアハウス、通称〈大辻の家〉に住んでいます。
その大辻の家と繋がったアパート4室のうち2室をセルフリノベーションした事例です。

2室の空き部屋は、押し入れ付きの6畳の座敷がふた間と、
板の間の台所がひと間のL型2DK。
かなり長いあいだ空き部屋だったので、廃墟同然で
カビ臭いどんよりした空気が流れていました。

そこで西山さんは、同居人であるパティシエの遠藤倫数さん、
アパレルデザイナーの黒瀬空見さんと共用できる、
ものをつくったり考えたりするためのアトリエとして活用できないか考えます。

玄関を入ってすぐ左手は遠藤さんが使用するキッチンやバーカウンター、
その奥は共有のリビングで、みんなでごはんを食べたり、まったりできるスペースを想定。
右の突き当りの窓際あたりが黒瀬さんのブランド〈ツクリバナシ〉のアトリエです。

床は、下地の角材で高さを揃えてベニヤ板を張り、フラットなワンルームに。
玄関横の壁は、ほかの壁と仕様を変えて大壁(柱を見せない構造)にしました。
トイレ脇の押し入れを解体してできた小さな窪みは
遠藤さんの自転車のカスタムスペースになりました。

この時点ではまだ塗装はされておらず完工には至っていなかったものの
自由なスペースを自分たちらしく楽しく暮らしていけるように
つくり変えていく、という思いのもとに工事を進めていきました。

記事はこちら:NO ARCHITECTS vol.8:シェアしたみんなが思うようにつくる家 後編

アパートリノベ:02 
〈キッチンスタジオ アオイエ〉キッチンスタジオ

埼玉県熊谷市にある設計事務所〈ハクワークス〉の白田和裕さんは
建築家でありながら空き家を使った施設の運営を行っています。

白田さんの地元である埼玉県草加市で、
〈リノベーションスクール@そうか〉というイベントに参加した際、
プロジェクトの題材は取り壊しを待つばかりだった
草加駅前にある2階建て、木造風呂無し賃貸アパートでした。
スクールに参加した10人で構成されたユニットで
近隣のエリアに変化をもたらす事業提案に取り組みました。

白田さんチームは、地域コミュニティが弱体化する草加で、
食を通じて人がつながる地域の食卓のような場所をコンセプトに
料理教室を軸とした、新たな場づくりとして
〈キッチンスタジオ アオイエ〉を提案。

一部の違法な部分を適法化したり、断熱性能や耐震性の
向上を行いつつ、予算を抑えるため塗装は自分たちでやるなど
知恵を絞りながら進めていきました。

アオイエの隣には再建築不可の土地があり、そこに畑をつくり
畑で採れた野菜を使って料理をすることも考えました。

完成後、地元の飲食店のシェフや店主が
料理教室の講師を務めることで、さらに人とまちとがつながっていきました。
SNSでグループができたり、開催を楽しみにしてくれる方々も増えていっているようです。

記事はこちら:草加市〈キッチンスタジオ アオイエ〉 人と人、人とまちがつながる ダイニングキッチン

倉庫リノベーション実例集!
オフィス、カフェ、イベントスペースと
自由度が高い倉庫の再活用法を紹介

思い通りに間取りを設計できる倉庫のリノベーションは、
自由な発想が膨らみ、広々とした空間の使い道は無限に広がります。
そして、地域の交流の場をつくるという点においても
多くの人を集められる箱なので選択肢の広いテナントとして機能します。

本記事では、各エリアのリノベのプロが
これまで手がけた倉庫リノベーションの実例を紹介。
空っぽだった倉庫が、新しい活用方法で再生を遂げる物語をお届けします。

倉庫リノベ:01 
〈SOCO〉カフェ、コワーキングスペース

栃木県宇都宮市で不動産業を営む〈ビルススタジオ〉の塩田大成さんは、
宇都宮でオフィスを構えようと考えているお客さんが少ないことに
疑問を感じていました。

調べてみると自宅兼オフィスとして働いている人が多く、
「個人経営者同士が集まれるワークスペースをつくれば、
仲間同士でよりよい仕事が生まれるのではないか」と考え、
空き倉庫を探し、シェアオフィスとしてリノベーションすることにしました。

施設名はSOHOをもじって〈SOCO(倉庫)〉。

リノベーション工事は、仲間を募ってほとんどをDIYで進めていきます。
工事期間は3か月かかり、仲間たちとペイントしたり、
家具をつくったりしながら少しずつ進めていきようやく完工。
1階にはカフェ、2、3階にはコワーキングスペースが入居し
次々と施設内でのビジネスも生まれてきたようです。

マルシェイベントなども開催され、日々新しい出会いが創出されています。
宇都宮のまちに、またおもしろい場所ができました。

記事はこちら:ビルススタジオ vol.5:倉庫をDIY、はたらく場所をつくる

古民家のリノベーション実例集!
自宅、カフェ、ゲストハウスまで…
実践者たちが語る古民家DIY

築数十年の古民家を購入し、自分たちの住まいを
自分たちの手で仕上げていくことに、憧れている人も多いと思います。
古民家を解体し、床張りをして壁を塗り、
思い思いの家づくりを実践するためには、何から始めればいいのでしょうか。

この記事では、これまでコロカルが取材してきた、
古民家リノベーションの実例を紹介します。
移住者やローカルのプレイヤーたちは
試行錯誤しながらも、古民家のリノベーションを実践しています。

古民家のリノベ:01 
自宅古民家の床張りをDIY

静岡県下田市で暮らす津留崎家は、
伊豆に古民家を購入し自分たちの力でリノベーションを進めています。
大広間の畳をフローリングにし、キッチンを新設、
洗面台も一からつくるという、大規模なリノベーションをレポートしてくれました。

建築関係の仕事もしていた旦那さんを中心に
床の下地から、断熱材、床材の選定まで自分たちだけの力で
施工するのが津留崎流の家づくり。

断熱材として床下に籾殻くん炭を敷いたり、
防カビ対策に青森ヒバを撒いたり、試行錯誤しながら
オリジナリティあふれる家づくりを心がけています。

記事はこちら:家族でDIYリノベの家づくり。慣れない作業に妻も参戦!

古民家のリノベ:02 
古材・廃材を使ってシェアハウスをフローリングに!

福岡県糸島にある〈いとしまシェアハウス〉では、
ルームメイトとともに築80年以上の古民家の床をフローリングにDIYしました。

床材に使ったのは、使われなくなった廃材や、解体のときに出てきた古材。
新調した木材ではないので、汚れている部分を切り落とし、
表面を電動やすりで仕上げることで木材を再利用しています。

古民家はもともと家が傾いていたりするので、
廃材も古材も、ぴったりとはまらなくて当然。
小さな隙間や不揃いなところも、
数日過ごせば馴染んで気にならなくなるとのこと。

床板は、「ちょこちょこ直す」というのができないので
細かいことは目をつむり、一気に仕上げちゃうのも大事なポイントだそうです。

記事はこちら:古材・廃材で古民家リノベーション! 「床張り」を失敗しないDIYのコツとビフォー&アフターをご紹介

自給自足を始める5つのメソッド!
スーパー、エネルギーに頼らない
暮らしに必要なこととは

自分たちの食の一切をスーパーやコンビニに頼らずに
暮らしていくことはできるのでしょうか。
自らの手で住まいをつくり、電力を供給し
何ものにも頼らずに暮らす完全な「自給自足」の生活は難しいかもしれませんが、
衣食住を自分たちでまかなっていく暮らしに憧れて
少しずつでも自給自足の生活を実践している人がいます。

コロカルの連載「糸島での自給自足の日々を綴った ―田舎暮らし参考書―」
執筆している畠山千春さんもそのひとりです。

お米をつくることからはじまり、洗剤やエネルギー、食肉の自給まで、
〈いとしまシェアハウス〉の自給自足のメソッドをご紹介します。

自給自足のメソッド:01 
手軽に始められる洗剤ナシ生活

福岡県糸島で食べ物、エネルギー、仕事を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉を運営している畠山さんは、
上下水道が通っていない集落で、湧き水暮らしを実践しています。
自分たちが出した生活排水がそのまま畑や田んぼに流れ込むため、
化学的な洗剤などが使えない環境にあります。

日々当たり前のように食器洗剤を使っている人にとっては
想像がつかないかもしれませんが、畠山さんが実践する方法は

・汚れが落ちて
・お肌にやさしく
・環境にもよく
・さらに経済的!
・我慢しなくてOK!

な取り組みばかり。

食器洗いに使っているのは「米ぬか」と「ヘチマタワシ」。
油でギトギトになったお皿でも水で洗わず、そのまま米ぬかを振りかけます。
これまで数年間、米ぬかで食器洗いをしているそうですが
落ちなかった油汚れはほとんどないとのこと。
また、脱臭や手荒れ対策になり、
米ぬかにはビタミンEやフェルラ酸なども含まれているため保湿効果もあるそうです。

もうひとつの食器洗いの自給自足メソッドがヘチマタワシ。
ヘチマの繊維からつくられた100%天然素材のタワシで
プラスチックフリーなうえ、泡立ちもよく、使っていて気持ちがいいとのこと。
そのうえ、使い終わったら庭にポーンと放り投げておいても
自然に分解されるところが気に入っているそうです。

そのほかにも、洗剤を使わない衣類の洗濯方法についても教えてくれました。

記事はこちら:手軽に始められる“洗剤なし”生活! 食器洗い、洗濯、どんな方法があるの?

東京の森と暮らしをつなげていく。
〈東京チェンソーズ〉が目指す
小さくて強い林業が切り拓く未来

「林業」と聞くと、木を切って市場に流通させるハードワークなイメージがある。
逆に言えば、それ以上のことは何も知らないというのが一般的な感覚ではないだろうか?
〈東京チェンソーズ〉が生業としているのは、
東京の森に木を植え、育てて伐採したものを生かし、まちに届けること。
異業種から林業に飛び込んだ、4人の熱き“林業マン”たちから始まった
〈東京チェンソーズ〉は次世代に林業の可能性を届けること、
そして、林業をあらゆるかたちに事業展開し、
“小さくて強い、顔の見える林業”の実現で、
東京の森と暮らしの共生を目指している。

〈東京チェンソーズ〉の創業は2006年。4人からスタートし現在は若手を中心に30数名の社員・スタッフがいる。

〈東京チェンソーズ〉の創業は2006年。4人からスタートし現在は若手を中心に30数名の社員・スタッフがいる。

何も知らないまま林業の世界に飛び込んだ

〈東京チェンソーズ〉のある檜原村(ひのはらむら)は、都心からクルマで西へ約90分。
東京都の島しょ地域以外で唯一の「村」でありながら、
3番目に広い面積を有している。村内の約9割が山林であり、
約6割が秩父多摩甲斐国立公園の指定地域という自然豊かなエリアだ。

葉つきの枝から根っこまでを部位ごとに販売する「1本まるごと販売」。
子どもたちに木の心地良さを伝えるためのワークショップ「森デリバリー」。
「ウッドデザイン賞」を受賞した、
木製の雑貨やおもちゃをカプセルに封じた「山男のガチャ」など、
〈東京チェンソーズ〉は林業界でイノベーティブな活動を次々と展開している。

しかし、同社の主軸となる「林業」となると、
木を伐って市場で売ること以外はわからない、想像がつかない世界でもある。
そこで今回は、創業メンバーのひとりである
コミュニケーション事業部の木田正人さんに、各種取り組みについてお話を聞いた。

「私も林業のことはまったく知らなかったんです。
近年は担い手が少なく、山が荒れたことで
土砂災害が増えているというニュースを耳にしていたくらい。
自分がやるとは思ってもいませんでした。
そもそも転職してなるような職業だと思っていませんでしたから(笑)」

木田さんは田舎町をあてもなくドライブすることが趣味だったという。
その際、過疎の村や放置された自然の風景も目にしていた。
林業に興味を持ったきっかけは、山の仕事が特集された雑誌を読んだこと。
現代の木こりには転職組もいることを知り、さらに調べるようになった。

木田さんは〈東京チェンソーズ〉創業メンバーであり最年長。半分以上が20、30代の若手メンバーだ。

木田さんは〈東京チェンソーズ〉創業メンバーであり最年長。半分以上が20、30代の若手メンバーだ。

「林業には、木を切ったりする作業面と、自然の状態を整える環境面のふたつがあるんです。
私は環境面に興味を持ったタイプですね。
旅するなかで見た美しい景色を守るため、
自分も何か役に立つかもしれないと思ったわけです」

そこで見つけたのが東京都森林組合の募集だった。
森林組合は、山の所有者が組合員となって共同で山を管理・整備する組織。
組合員(所有者)のほかに作業を担当する者がいる。
当時の森林組合の仕事は、木がまだ大きく育ってないこともあり、
間伐や枝打ちなど育林と呼ばれる作業がほとんどだった。

「実際にやってみると、林業ってすごく楽しい仕事なんです。
間伐するとこれまで手つかずだった山がパッと明るくなって、
風が通ってすごく気持ちいい環境になるんです」

そのまま長く続けたいと思っていたが、
森林組合の稼ぎは決していいといえるものではなかった。

「結婚して子どもができるとなると、なかなか厳しいものがあるのが実情です。
そのことは森林組合の方々もわかっているわけですが、
年金を受給しながら働いている方なども多いなか、
若手の給料だけを上げるわけにもいかない。
そんななか、今後は作業の外注化も増やしていくことを聞き、
日本の森に対する考え方が近いメンバー4人で独立しようとなったんです」

独立して8年。初めて持った自分たちの山でまず行なったのが作業道づくり。

独立して8年。初めて持った自分たちの山でまず行なったのが作業道づくり。

廃校活用の新しい形!
フェス会場から醤油蔵まで
第二の人生を送る地域の資産

撮影:佐々木育弥

全国各地のローカルでは、廃校となった学校が数奇な運命を経て
あるゆる業態に姿を変えて、第二の人生を送っている。

公的施設や、地域の人のための体験交流の場なら想像に易いが、
音楽フェスの会場や、お花見会場、はたまた醤油蔵まで
「学校」を舞台にした、華麗なる変貌ぶりには
校舎の無限の可能性が感じられる。

2002年度から2020年度までに全国で廃校となった7398校のうち、
新たな人生を送っている校舎は74.1%の5481校。
これまでコロカルが取材してきたユニークな廃校利活用の事例を見ていこう。

廃校活用プロジェクト:01 
森の学校/みる・とーぶ

北海道岩見沢市に移住した來嶋路子さんは、
息子が通っていた岩見沢市立美流渡(みると)小・中学校の廃校を目の当たりにした。

見て見ぬ振りをしていてはいけないという思いと
荒んでいく学校を息子に見せたくないという
悶々とした気持ちを抱えていたときに、地元の北海道教育大学岩見沢校から、
來嶋さんが代表を務めている地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉に、
廃校活用に協力してほしいという依頼を受けた。

そこで來嶋さんは、炭鉱街として栄えた美流渡の小中学校を、
北海道教育大学の学生の手によって復活させるというプログラムを提案。
そこで誕生したのが、学生たちが炭鉱街としてにぎわった歴史を探り、
イベントや施設利用の企画を生み出し、発信していく
ラボスペース〈森の学校 ミルト〉だ。

展示会会場や、宿泊施設、保育園、アーティストインレジデンスなど
学生たちとともに、さまざまなアイデアを出し合うと、
まもなくして、閉校になった小学校に通っていた子どもたちを集めて
教育大生によるイベントが開催された。

撮影:tacaё

美流渡小・中学校は、その後決められた利活用方法が定まっていないが、
現在も〈みる・とーぶ〉が中心となって、地域の人と話し合いながら
時間をかけてさまざまな取り組みを進めている。

【美流渡小・中学校の廃校後の軌跡】
#01:全校生徒は7名。岩見沢の山あいの小学校が閉校
#02:小中学校を活用して〈森の学校 ミルト〉をつくりたい!
#03:美流渡の廃校、想いをかたちにするための方法を考える
#04:〈良品計画〉が取り組む廃校舎活用から考えるまちづくり
#05:旧美流渡中学校の校舎再生プロジェクト
#06:美流渡らしい旧校舎の活用が始まる
#07:旧美流渡小・中学校にアートの力で賑わいを
#08:閉校した校舎で移住者による展覧会
#09:多くの来場者が訪れた予想外のにぎわい

二拠点生活(デュアルライフ)で
仕事や暮らしはどうしてる?
二拠点生活者たちが教えてくれた
2つの暮らしの過ごし方

暮らし方のひとつの選択肢として、ふたつの拠点をもって生活することが
より多くの人に受け入れられるようになりました。

この「二拠点生活」は、「二拠点居住」「デュアルライフ」と
さまざまな呼び名があるように、そのスタイルもさまざまです。
1か月を半分ずつ過ごしたり、仕事とプライベートを分けるように使ったり
二拠点生活者の数だけ暮らし方があると言えます。

コロカルでは、これまでさまざまなスタイルの二拠点生活者を取材してきましたが、
彼ら・彼女らが口をそろえて言うのが、ひとつの生活に縛られなくなることで
暮らしにも、仕事にも相乗効果や柔軟性が生まれているということ。

二拠点生活者たちは、どんなところにメリットを感じているのでしょうか。
二拠点生活の事例とともに紹介します。

これが私の二拠点生活:01
【東京&広島】建築家・谷尻誠さんの場合

「仕事の本質は“どこで活動するか”より“いいものをつくること”だから」。
そう話してくれたのは、建築家の谷尻誠さん。
「クリエイティブな仕事をするなら東京」という考えが一般的だった
2008年に広島と東京を週イチで往復する生活を始めました。

多くの人に「週イチで広島と東京を移動するなんて、大変でしょう?」と
言われ続け、あることに気づいたそうです。
それは「二拠点は、世の中ではまだ価値化されてないんだな」ということ。
でも、その“大変”を人より先に自分のものにしてしまえば、
ほかの人には真似できない働き方ができると考えました。

ふたつの拠点を毎週移動するのは、情報も移動し混ざり合っていくこと。
それによって、新しい働き方やアイデアが生まれるかもしれない。
働く時間としては非効率だが、
“いいものが生まれる”という意味の効率はよくなっていると言います。
つまりは、二拠点生活の価値化ということ。

時間的な効率より、いいものが生まれる効率に比重を置いているのです。

また、二拠点生活が住宅建築に与える影響についても語ってくれました。
今後二拠点生活者が増えると、家の建て方や在り方も大きく変わるそうです。

記事はこちら:建築家・谷尻誠 広島・東京の二拠点から学んだ“谷尻流”働き方と発想力

これが私の二拠点生活:02
【東京&根室】デザイナー・スズキタカユキさんの場合

ファッションデザイナーのスズキタカユキさんは、
北海道・根室の土地に魅せられ、東京と二拠点生活を送っています。

初めて根室を訪れた際、日本にこんなところがあるのかと驚くほど、
想像を超えた世界が広がっていたそうです。
北欧のようなドラマチックな光が差し込み、
こういう環境に身を置くことはおもしろそうだと感じたのです。

根室には、命の危険を感じるような場所や状況が当たり前に存在します。
「あと2時間ここにいたら死んでしまうかも」
と都会では考えもしないようなことに思いを巡らせます。

そして、この先も今のままでいいのかとか、
実はもっといろんな選択肢があるんじゃないかとか、
取るに足りないようなものに、意外と縛られていることに気がつくそうです。

ひとつの場所にとどまることで
自然と身についてしまっている常識や先入観から、
なるべく自由でありたいとスズキさんは考えています。

ひとつの場所しか知らなかったり、
逃げ場がないようなとき、そこが自分に合わなかったら本当につらいと言います。
その点、普段から見聞や見識を広げていれば、
今いる場所に生きづらさや不安を感じたり、満足感を得られないようなとき、
マイナス要素を回避する術を見つけやすいのです。
スズキさんは、そんな二拠点生活の良さを教えてくれました。

記事はこちら:デザイナー・スズキタカユキ 東京・根室、ふたつの拠点の往来が服づくりをより自由にする

これが私の二拠点生活:03
【東京&福岡】デザイナー・二俣公一さんの場合

住宅や商業施設をはじめ、多岐に渡るデザインを
国内外で手がける空間・プロダクトデザイナーの二俣公一さん。
1998年にデザイナーとしてのキャリアを福岡でスタートし、
2005年に東京事務所を開設して以来、
福岡と東京、2拠点での活動を続けています。

住まいは福岡。週の前半に東京へ行き、後半に福岡へ戻って
週末はできるだけ福岡で家族と過ごす、というのが1週間の基本サイクルです。

「日本って、47都道府県あって、
東京がメインで地方がサブかというと、そうじゃなくて、
東京以外の46道府県を合わせた面積のほうが圧倒的に広ければ、人も多い。

日本のマジョリティというか、リアルって、本当は地方にあると思うんです。
もちろん、東京にも暮らしはあるわけで否定する気はまったくないし、
ビジネス上はいろんな尺度があっていいと思うんですけど、
日々の生活とかそのリズムを考えると、
地方の暮らしのリアルをきちんと自分の中の尺度として
持っておくのは大事だと思っているんです」と二俣さん。

二俣さんの国内での仕事の半分は東京で、残り半分の“東京以外”は
福岡のみならず、千葉や神奈川の住宅設計、
兵庫の旅館の改装やランドスケープの整備など、
今や日本全国、驚くほど広範囲の“地方”に広がっています。

「地方のプロジェクトのクライアントさん自身が
ローカルに根ざしながら、見ているところはグローバルだったりする。

僕らは、海外の仕事も東京も地方も並列にやってきて、
相手の企業や施主も、そこをフラットに見ていて、
そのわけ隔てのない感覚が同調するというか、
超ローカルなところで、超ハイブリッドな仕事ができる、というのが
今、すごく楽しい」と語ります。

全国に点在する現場を行き来しながらも、
二俣さんは移動と移動の合間が1日しかなくても、福岡に戻ってくるそうです。

「例えると、掃除ロボットの“ルンバ”みたいな感じです。
移動でけっこう時間を無駄にするんですけど、
遠くても帰らないと充電できない。
自宅とか家族の存在というのも大きくて、逆に言えば、遠くても充電できる場所がある。
なんだかんだ言って、それがけっこう重要かな」

記事はこちら:デザイナー・二俣公一。福岡での暮らしに軸足を置きながら日本そして世界を見据える

住まい手が自ら進める家づくり。
建築家集団〈HandiHouse project〉は
「家づくりを楽しむ文化」をつくる

ローカルでの暮らしを考えるうえで、一番の懸念事項とも言えるのが「住まい選び」だ。
賃貸にするのか、思い切って戸建てを購入するのか、選択肢はさまざまだが
空き家を活用するなど、セルフリノベーションをして
自分の思い描く理想の家と暮らしを手に入れようと考えている人も多いだろう。

では、自らの力だけで、リノベがうまくいくのだろうか。
リノベのやり方を教えてくれるところなんて聞いたことがないし、
大工や建築家の知り合いもいない。

そんなときに、住まい手のサポートをしてくれるのが、
〈HandiHouse project(ハンディハウスプロジェクト)〉だ。
専門家たちとともに、住まい手が中心となった「家づくり」を
広めようとしている21人の若手建築集団で、
日本全国を舞台にさまざまなプロジェクトを推進している。
そんな彼らが掲げているビジョンが「家づくりを楽しむ文化」を醸成することだ。

〈HandiHouse project〉の事務所。〈Handi Labo〉もプロジェクトのひとつで、参加者で家づくりを実践したり、工作を行うコミュニティをつくっている。

〈HandiHouse project〉の事務所。〈Handi Labo〉もプロジェクトのひとつで、参加者で家づくりを実践したり、工作を行うコミュニティをつくっている。

“家づくり”をすることで、家への理解が深まる

神奈川県・鶴見市。東急東横線の綱島駅から車で10分ほどの
「駒岡」という地区にある大きな倉庫が〈HandiHouse project〉の事務所だ。といっても、
21人のメンバーの多くは個人事業主でもあり、
プロジェクトごとにチームを組んで活動しているので、
ここは〈HandiHouse project〉という活動母体のコアと
言ったほうが正しいのかもしれない。

事務所の倉庫部。さまざまなプロジェクトを実践した形跡が残されている。

事務所の倉庫部。さまざまなプロジェクトを実践した形跡が残されている。

彼らは、それぞれ別々の下積み時代を送っていたのだが、
建築家としてのキャリアを積む過程で生まれた日本の住宅事情に対する疑問が、
〈HandiHouse project〉として団結し、同じ方向に向かって歩むこととなった。

「家づくりって、営業、設計、施工、大工さんと、登場人物が多すぎる。
だから住まい手は、誰に思いを託したらいいのかわからなくなっちゃうんですよね。
まずはそこを取っ払って、設計の段階から施主さんを徹底的に巻き込む。
ここがほかとはまったく違うところだと思います」

発起人である中田裕一さん(左)と加藤渓一さん(右)。

発起人である中田裕一さん(左)と加藤渓一さん(右)。

と語るのは、発起人のひとりである加藤渓一さん。
人は、お金を出して買った瞬間、それを「モノ」として扱ってしまう。
特に家においては、誰がどうつくっているか、何でできているのかというところは
一切わからないまま、完成した家に何の疑問も持たずに住むことになる。
それでいて、住み始めてから初めて気がつくちょっとした傷や汚れには敏感だ。
家を「モノ」にしないために、〈HandiHouse project〉では、
家づくりを通して施主の意識を変えていくということをひとつのゴールにしている。

「家って完成したらそこで終わりで、
なんとなくもう触っちゃいけないというイメージがありませんか?
僕たちとしては完成がゴールではなくて、住み始めがスタート。
施工の過程で 『家をつくる』ということに対して理解が深まっていくと、
住み始めてからも能動的に手を加え続けるようになるんです。
自分たちでつけてしまった傷や汚れも、思い出として受容するようになる。
そうすると、家の価値って下がらずに、どんどんと魅力が増していく。
僕たちはそこを目指しています」(加藤さん) 

結成当時の様子。家づくりを楽しんでいるこの写真はHPに掲載されている印象的なカット。

結成当時の様子。家づくりを楽しんでいるこの写真はHPに掲載されている印象的なカット。

彼らの出会いは2009年。

初期メンバー4人のうちの中田裕一さんと坂田裕貴さんが、ちょうど独立を考えていた時期。
渋谷のハロウィンパーティーで偶然知り合い、意気投合。
「設計・施工という過程のなかに施主を
完全に組み込んでしまうって、おもしろくない!?」と、
その場でチームの基盤ができた。
それから、それぞれの友人を誘ったのが〈HandiHouse project〉のはじまりだ。

「お互い仮装していたんで、素顔は全然見えない状況でした(笑)。
でも、考えは同じでした。家づくりに施主が参加するということが、
日本人の住宅に対するリテラシーを向上させていくと、
あのときから本気で考えていましたね」(中田さん)

「多くの人は、家がどんな手順で、どんな材からできているかを知らないんです。
もちろん学校でも教えてもらえないですし、社会に出ても知るきっかけがない。
家を買うタイミングで初めて調べ始める。それじゃ遅いんです。
あれよあれよという間に完成してしまう。
僕らの仕事は、家づくりに対して興味を持ってもらうきっかけをつくってあげること。
その本質は、『住まいに対するリテラシーの醸成』なんです」(加藤さん)

DIYできる賃貸〈アパートキタノ〉。住まい手が自由にカスタムできる工夫が詰まっている。

DIYできる賃貸〈アパートキタノ〉。住まい手が自由にカスタムできる工夫が詰まっている。

島移住を比較してみよう!
あなたに最適な島は?
夢を実現した7つの家族の物語

6800あまりの島々からなる島国・ニッポン。
そのうち北海道・本州・四国・九州・沖縄本島を除く有人島は約400あると言われ、
総人口の0.5%にあたる約61万人が離島で暮らしています。

移住を考えるうえで、誰しもが一度は憧れる島の暮らし。
コロカルでは、これまでたくさんの移住者を取材してきましたが
そのなかから島への移住にまつわる7つの物語をお送りします。

こんな人は要注意!? 移住に向いていない人ってどんな人?

コロカルの人気連載のひとつ、
津留崎さん夫婦の「暮らしを考える旅 わが家の移住について」では、
下田に移住した夫婦が自らの経験をもとに、移住に向いていない人をこのように綴っています。

1. 収入を下げたくない
2. 虫、爬虫類と暮らせない
3. 心配性すぎる
4. 教育機関にこだわる
5. 免許がない、車の運転が苦

つまり、移住に向いているのは

「収入以外に価値をおいていて、虫が苦手でなく、
ポジティブシンキング、家族で過ごす時間が大切、
子育ては自然豊かな環境が一番と思っていて、そして運転が苦でない人!」

と夫の津留崎鎮生さんは語ってくれました。「移住はうまくいっているか?」と言われれば
万事がそうとは言えないケースがほとんどでしょう。
近所づき合いはもちろん、台風で家庭菜園が散らかされてしまったり、
欲しいものが手に入らなかったり、友だちと会う機会が減ってしまったり。

でも、それらの問題を「どうにかなる!」とポジティブに捉えられることこそ
移住して良かった、と思える秘訣なのでしょう。

記事はこちら:こんな人は要注意!?移住に向いていない人ってどんな人?

キャンプ民泊とローカルの旗振り役。
ふたつの顔を持つ〈NONIWA〉と
新しいキャンプのかたち

アウトドアブームで、キャンプ人口は増加の一途というけれど、
そのほとんどは自宅とキャンプ場の往復に終始し、
訪れた地域のいいところを何も見ずに帰ってしまうという。
せっかく多くの人がその土地に足を運んでいても、
地域の魅力を発見するチャンスを逃しているといえる。

確かにキャンプの目的は自然の中で過ごす時間。
でも、その土地のおいしいものやいい感じの温泉なんかを味わわないのはもったいない。

そんなキャンプブームの裏側に着目し、ユニークな取り組みをしているのが
埼玉県ときがわ町にあるキャンプ場〈キャンプ民泊NONIWA〉だ。
キャンプ場と民泊を組み合わせた施設で、
オーナーの青木さん夫婦はときがわ町の魅力を発信しながら
アウトドアの楽しさを伝えている。

埼玉県ときがわ町にあるキャンプ場〈キャンプ民泊NONIWA〉。場所は非公開で利用するには事前の申し込みが必要。

埼玉県ときがわ町にあるキャンプ場〈キャンプ民泊NONIWA〉。場所は非公開で利用するには事前の申し込みが必要。

リサーチに2年かけて見つけた移住先

都心からクルマで90分、埼玉県の中央部に位置するときがわ町。
少し足を延ばせば、秩父・長瀞といったアウトドア・レジャーの名所があり、
手前には多くの観光客でにぎわう川越がある。その中間に位置し、
山と川に囲まれた日本の里山風景が残るエリアが埼玉県比企郡ときがわ町である。

「妻の影響でキャンプにハマって以来、
いつかは仕事と趣味が一緒になったような生活をしてみたいと思っていました。
でも、一気に環境を変えるのは怖くて。当時働いていた会社が川越にあったので、
まずは都内から川越に引っ越しをして、そこを拠点に
近隣エリアで良いところはないかを探し始めました」

と語るのはオーナーの青木達也さん。
つい最近まで、川越に本社がある輸入商社に勤めながら、
二足のわらじで〈NONIWA〉の運営を進めてきた。

青木さん夫婦は、「野あそび夫婦」としてSNSやYouTubeチャンネルを運営するなど、積極的に情報発信も行っている。

青木さん夫婦は、「野あそび夫婦」としてSNSやYouTubeチャンネルを運営するなど、積極的に情報発信も行っている。

一方、奥さんの江梨子さんはテレビ制作会社のディレクターというキャリアを持ち、
移住に向けてのリサーチは彼女が積極的に担ってきたという。

「ローカル線の旅番組のディレクターをやっていて、
いろんな土地の方にも取材でお会いしていたんです。
だから、行きあたりばったりで移住するのはよくないというのは知識としてあって。
かなり念入りにリサーチして、実際に移住するまで2年くらいかかりました」(江梨子さん)

達也さんの仕事の兼ね合いもあり、
川越まで通勤できるという条件で絞り込んだのがときがわ町。
決め手となったのは東京から近いわりに里山の風景があり、
自然環境が厳しすぎないことだった。さすが旅番組のディレクター。
リサーチ力は当然プロレベルだった。

「でも実際は、ときがわ町を調べ出したのはひらがな表記でかわいかったからです(笑)。
個人経営のカフェがいっぱいあるし、気になるお店に足を運んでいくうちに、
若い移住者が多いということもわかっていきました。
農家民宿を運営している方の移住相談にも泊りがけで行きましたし、
地元の企業がやっている起業塾にも参加しました。
そういった人たちとの出会いが財産になっていて、
いまでも大変助かっています」(江梨子さん)