「港のある暮らし」はいかが? 福島県・いわき市で 古民家再生に取り組む 〈中之作プロジェクト〉が ガイドブックを発行

「港のある暮らし」を伝えるガイドブック

福島県の東南端に位置するいわき市。
南端は茨城県、東は太平洋に接し、約60キロの海岸線を有しています。
その海岸部に、江戸時代商港として栄えた中之作港に面し、
当時の古き良きまち並みを残す「中之作・折戸地区」があります。

この地区で、古民家再生などを行う〈中之作プロジェクト〉が、
地域の魅力を伝えるガイドブック『港のある暮らし』を発行しました。

誌面では、地区の歴史や、港のある土地ならではのレジャーや食事スポットが紹介されています。

誌面では、地区の歴史や、港のある土地ならではのレジャーや食事スポットが紹介されています。

地域の食材を生かした料理教室など、区内の活発な交流の様子も紹介。中之作港は、暖流と寒流の交わる潮目で、特にカツオは東北屈指の水揚げ量を誇りました。鮮なカツオの刺身は祝い事のごちそうとして欠かせない品なのだとか。

地域の食材を生かした料理教室など、区内の活発な交流の様子も紹介。中之作港は、暖流と寒流の交わる潮目で、特にカツオは東北屈指の水揚げ量を誇りました。新鮮なカツオの刺身は祝いごとのごちそうとして欠かせない品なのだとか。

中之作プロジェクトが立ち上がったのは、2011年秋のこと。
目の前に海が広がるこの地区にも、東日本大震災で津波が押し寄せました。
被害を受けた多くの建物が、震災前より進んでいた過疎化の影響もあり、
修復されることなく解体されていったといいます。

撮影:中之作プロジェクト

撮影:中之作プロジェクト

いわき市内で設計事務所を営んでいた豊田善幸さんは、
震災前、中之作にある江戸時代の古民家の改修の依頼を受けていましたが、
その所有者の方もまた、津波の被害を受けたことで建物の解体を決めてしまいます。

「手をかければ、まだ生かすことができる。
解体をなんとかくい止めたい。貴重な建物やまち並みを後世に残したい」
と考えた豊田さんは、建物を買い取ることを決意。
ここから中之作プロジェクトはスタートしました。

さまざまな業界のアイデアを集結!
5Gが実現する、多様性がある社会

5Gは社会システムにどのような影響をもたらすのか

日本でも5Gサービスがスタートして、約1年が経った。
まだその恩恵を実感する人は少ないかもしれないが、
高速大容量通信、低遅延、多接続など、
従来の通信インフラにないさまざまな特性を備えた5Gは、
これから人々の生活様式を大きく変えることになるはずだ。

5Gとは
5th Generation Mobile Communication System(第5世代移動通信システム)の略。
つまり、1G、2G、3Gと連綿と進化を遂げてきた通信システムの最新規格である。

しかし、数年前に3Gから4Gにアップデートした頃と比べ、
今回の進化はより劇的だ。
よく語られる「2時間の映画が3秒でダウンロードできる」ことは、
あくまで5Gが持つポテンシャルの一端に過ぎない。

例えば低遅延性は自動運転車の普及を強力に後押しすることになるし、
多数の端末への同時接続が可能になることで、
家庭内のめぼしい電化製品がインターネットでつながり、
スマートな暮らしを実現する一助となる。

そしてもちろん、社会システムに及ぼす影響も計り知れない。
5G通信が日本全土を埋め尽くしたとき、私たちの暮らしはどのように変わるのか。
各分野で活発に行われている実証の様子からは、
みんなでアイデアを出し合い、協業しながら実現する姿が見られた。

別府〈湯とひとと〉 温泉文化の本質を見つめた 9人9湯のショートムービー

ゴールデンウィークもお家でまったりと過ごした人は多かったのでは?

どこにも行けない日々はまだ続きそうですが、
旅した気分になる映画やムービーなどを見て、
自由に旅行できる日を待ち侘びたいもの。

今日ご紹介する、大分は別府にて撮影された〈湯とひとと〉は、
温泉文化とそれにまつわる人々の想いをまとめたショートムービー。

旅行できない今だからこそ観たい、日本一の温泉文化の本質に触れ、
その営みや文化のすばらしさを知ることができる内容となっています。

自然とともにある〈夢幻の里 春夏秋冬〉

撮影の舞台となったのは、
約5000を超える源泉のなかから厳選された9つの地。
そして別府の湯にたずさわる9人。

温泉を自然からあずかる、ということ|夢幻の里 春夏秋冬 藤崎謙太郎

別府の山間に佇む立ち寄り湯〈夢幻の里 春夏秋冬〉
ここには、四季折々の風景を楽しめる白濁の硫黄泉があります。

歴史を感じさせるクラシックな岩風呂や
迫力の滝を背に、美しい自然を独り占めできる露天風呂。
心身ともに大自然の恩恵を受け取ることができそうな、そんな極上の空間です。

約100年以上もこの地で受け継がれてきた硫黄泉を継承し、
当時の趣を残した営みを陰で支えるのは温泉の管理人・湯守の藤崎謙太郎さん。
そんな藤崎さんらの、入浴できる状態にするまでの手間隙や想いなどが、
趣向を凝らした美しい映像とともに知ることができます。

日々のたゆまぬ努力から成り立つ〈夢幻の里 春夏秋冬〉。
それがいかに尊いものか、このムービーからひしひしと伝わってきます。

自由な温泉時間を〈ゆふいん束ノ間〉

発展途上にある、温泉保養集落|ゆふいん束ノ間 堀江洋一郎

にぎやかな湯布院中心部より車で5分。
もくもくと立ち上る蒸気を分け入ったところにあるのが
温泉保養集落〈ゆふいん束ノ間〉です。

淡いブルーの温泉が美しい大露天風呂がある同館は、
“温泉のある時間”を自らクリエイトして
自由な滞在を楽しんでほしいというコンセプトで運営されています。
そして、ワーケーションにも対応した現代湯治宿舎〈湯倫舎〉がこの夏オープン予定。

美しい温泉ですが、自噴のためコントロールが難しく、
広々とした敷地も相まって、管理はかなり手がかかるといいます。

「うちだけの話じゃなくて、
みなさん温泉トラブルで苦労していると聞きます。
けれどそれ以上に、温泉に浸かったときの豊かさというのは、
これをやり続けないと味わえないからしゃあないなと思っています」

と、オーナーの堀江洋一郎さん。
ムービーを観て、大変な労力を知ったうえで入る〈ゆふいん束ノ間〉の湯は、
きっととても心に沁みることでしょう。

いちき串木野市の廃校の記憶を
記録に残す、地域映画プロジェクト。
「かんぷくシネマ」

地域プロデュースとして映画をつくる

2010年に鹿児島県南九州市で〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉という
フェスを始めてから10年以上が経ち、
運営している僕たち〈リバーバンク〉のチームには
商業施設や公園といった「公開空地」でのイベント企画や、
人が集まる場としてのショッププロデュースといった依頼が
舞い込むようになっていました。

そのなかで、リバーバンクが活動している南九州市ではなく、
鹿児島県いちき串木野市という自治体から、
地域を盛り上げるための企画を考えてほしいという依頼がありました。

地域では古くから、霊山として大事にされてきた冠岳の風景。

地域では古くから、霊山として大事にされてきた冠岳の風景。

いちき串木野市は市来(いちき)と串木野というふたつのまちが合併してできた、
人口3万人弱の地方都市です。市来も串木野も東シナ海に面した港町ですが、
内陸に入った中山間地域に冠岳という霊山があります。
その冠岳地区と麓の生福(せいふく)地区もまた、御多分に漏れず過疎化に悩む地域。

この地域を、芸術文化を切り口に関係人口を創出して盛り上げられないか、
というのが自治体からのオーダーでした。
ひとくちに芸術文化といっても、
それこそ子どもたちの書道や絵画展から現代アートまで、想定される領域は広大です。
これまで僕らも全国あちこち見て回るなかで、
いきなりエッジの効いたキレキレのアートを持ち込んでも、
地域に古くから暮らす人たちには響かないという事例をいくつも見てきました。
だからといってクオリティ度外視でなんでもありの展覧会などでは、
そもそも域外からの関係人口の巻き込みは難しい。

まずは、この地域に足を運んで見て回ろうということで
僕が代表を勤めるディレクション会社〈BAGN Inc.〉のメンバーと
地域を歩き回ってリサーチを始めました。
実は本当にたまたまですが、僕の父は合併前の串木野市の出身で、
子どもの頃は夏休みになると市街地にあった祖父母の家に預けられたりしていました。
しかも祖父母のルーツはそこから車で20分ほどの冠岳〜生福地域。
墓参りなどでときどき来ていたこともあり、多少の土地勘はありました。
でも僕自身はこの地域のことはほとんど知らなかった。
ここに自分のルーツがあるということも、
この仕事のオファーがあって調べているうちにあらためて認識したくらいでした。

かつてこの地を訪れた中国の伝説の人物、徐福の像。

かつてこの地を訪れた中国の伝説の人物、徐福の像。

旭川市〈Cafe Sunao〉
歴史ある商店街の居酒屋を
コミュニティカフェに

野村パターソンかずたか vol.8

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。

元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

最終回の今回は、旭川市の中でもひときわ長い歴史を持つ
銀座商店街にあった居酒屋を、地域の人が集えるコミュニティカフェとして蘇らせた
〈Cafe Sunao〉さんをご紹介します。

旭川銀座商店街にある店舗。外観ビフォー。

旭川銀座商店街にある店舗。外観ビフォー。

かつては賑やかだった旭川銀座商店街

日本全体で見ると、名前に「銀座」と入る商店街は300を超えるらしい。
旭川銀座商店街もそのひとつで、市内では最も古い歴史をもつ商店街のひとつだ。
実は自分の先祖のルーツがある場所でもある。

私の曾祖父は、戦後に金沢から北海道に移住し、くず鉄拾いからシイタケ栽培まで、
生き抜くためにあらゆる商売をやってきたと聞いている。
銀座商店街の一角に店舗を構えていた彼の商店は、その後も場所やかたちを変え、
最終的には米菓製造に落ち着くことになる。

〈野村製菓〉という米菓会社は、餅の製造に加えて、江戸揚げを主力製品としていた。
江戸揚げは、「かぶきあげ」とも呼ばれ、蒸したもち米をついて、
米油で揚げ、粗塩をふりかけただけのシンプルな菓子だ。
最盛期には、このお菓子を北海道中で何億円分と販売していたというから驚きだ。

残念ながらこの会社はなくなってしまったが、
曾祖父からバトンを譲り受けた祖父に連れられて何度も訪れた旭川銀座商店街の風景は、
自分の幼少期の原風景として記憶に残り続けている。
活気あふれる野菜市、いつ行っても賑わっていた多くのお客さん。
全国どこの商店街も同じかもしれないが、いまとは比較にならない活気に包まれていた。

築51年、元居酒屋の空き店舗

今回紹介する物件の周辺には商店街の顔ともいえる建物が多く存在したが、
年を追うごとにどんどん解体されていった。
個人商店が多く入っていたRCの建物や、吹けば飛ぶような木造2階建てなど、
大通りに近いほうが徐々に潰されていった。

店舗の数には不釣り合いな駐車場だけが目立ち始めていた2019年、
元居酒屋の店舗が売りに出された。
もとは〈千鶴寿司〉という評判の寿司屋だった店舗が、
居酒屋として約10年利用されたあとに閉店して、店舗兼住居として売りに出されていた。
放っておけばまた駐車場がひとつ増えるだけだろう。
家族のルーツがあるこのエリアの物件の取得に向けて動くことにした。

内見パーティの様子。このあと人数は3倍ほどに膨れ上がる。

内見パーティの様子。このあと人数は3倍ほどに膨れ上がる。

物件の購入に合わせて恒例の内見を兼ねたパーティイベントを開催し、
たくさんの人が集まった。2021年のいまとなっては、
マスクもせずに何十人も集まり同じ空間で過ごしたあの夜は、もはや昔話のようだ。

熊本地震を伝える
ミュージアム〈記憶の廻廊〉
旧東海大学阿蘇キャンパスを訪れて

熊本県の阿蘇地方は、カルデラや草千里といった自然豊かな大地が広がる。

2016年の4月14日と16日に発生した熊本地震。

28時間以内に2度も震度7を記録する大地震は観測史上初めてのことだった。
四季折々の美しい姿を見せてくれる阿蘇も、
地震により甚大な被害を受けた地域のひとつだ。

震災から5年。
熊本地震の記憶を伝える場所があるということで、南阿蘇村を訪れた。

熊本地震の記憶を未来へつなぐ

熊本市内から車で約1時間、2020年10月に開通した
国道57号を北上すると阿蘇の玄関口に差し掛かる。

ここは、「数鹿流(すがる)崩れ」と呼ばれる
大規模山腹崩壊や、阿蘇大橋の崩落が起きた場所だ。
黒川を挟んだ対岸に残された橋の一部が見える。
その生々しい光景に、思わず足がすくんでしまう。

地震によって崩れ落ちた阿蘇大橋。

地震によって崩れ落ちた阿蘇大橋。

未だ災害の爪痕が残るその場に立つと、被害の大きさが肌で伝わってくる。

熊本地震の経験から得られた教訓を後世に伝えるために、
熊本県と関係市町村は、さまざまな地域に点在する
「震災遺構」と情報発信の「拠点」を広域的に巡る、
フィールドミュージアムの取り組みを進めている。

それが、熊本地震 震災ミュージアム〈記憶の廻廊〉だ。

この震災ミュージアムは回廊型である。
県内8市町村(熊本市、宇城市、益城町、南阿蘇村、宇土市、
御船町、西原村、大津町)が連携し、震災遺構や防災拠点センター、
役場庁舎、熊本城などの拠点を広く巡ってもらおうという取り組みである。

この日訪れたのは、その震災ミュージアムの
拠点のひとつである〈旧東海大学阿蘇キャンパス〉だ。

南阿蘇村に位置する旧東海大学阿蘇キャンパスは、
「地表地震断層」と「1号館建物」が震災遺構として
保存されており、県防災センターと並ぶ
震災ミュージアムの中核拠点として機能する。

旧東海大学阿蘇キャンパスへ

高台にある白い建物

高台にある白い建物が旧東海大学阿蘇キャンパスの校舎だ。
以前はここで農学部の学生たちが集い学んでいた。

実習フィールドを残してキャンパスはすでに移転してしまったが、
旧校舎は取り壊されることなく、震災遺構として
2020年8月1日から一般公開されている。

「震災遺構」というと重々しく感じてしまうが、
校舎の周りののどかな風景は、開放的で清々しい。

「もし自分がこの場所に通えるなら居心地がいいだろうな」と、
そんなイメージを膨らませてしまうほど、気分がいい。

この日の案内人である鉄村拓郎さん。

この日の案内人である鉄村拓郎さん。

笑顔で出迎えてくれたガイドの鉄村さんにさっそく案内をしていただく。
ガイドは30名ほど在籍しているそう。
団体を除いて、多い時に1日で100名前後を案内するという。

時間は30〜40分程度、阿蘇独特の地形から、震災遺構である地表地震断層、
1号館建物や地域のことについて丁寧に解説してもらえる。
阿蘇は隆起の激しい珍しい地形だとあらためて驚く。

断層が校舎を貫く凄まじさ

地表地震断層と呼ばれる地割れは、校舎裏の広場に当時のままの状態で保存されている。
断層は一直線に校舎へ向かっている。

断層の種類や性質など図解でわかりやすい。右横ずれ断層の特徴である雁行(がんこう)についての説明を聞く。

断層の種類や性質など図解でわかりやすい。右横ずれ断層の特徴である雁行(がんこう)についての説明を聞く。

本来一体である校舎の倒壊を防ぐために、1号館建物は4分割にされていた。
窓ガラスが割れ、階段や壁に大きく亀裂が伸びている。
断ち切られた校舎や波のように割れた地面が痛々しい。

「中央の校舎の被害が左右に比べて大きいのはなぜでしょうか?」
と突然クイズが投げかけられた。

来場者が受け身になりすぎず、一緒になって考えることが必要なのだと気づかされる。
答えは、ぜひ訪れた際に確認してほしい。

壊れた柱や外壁もそのまま保存されている。

壊れた柱や外壁もそのまま保存されている。

外から見る事務室の中には、散乱した家具やバスの時刻表、
カレンダーが当時の日付のまま掲示されていた。

通常、損壊した建物は取り壊されて再建されるのが一般的だ。
さらに震度6強の揺れを受けながら倒壊しなかった
大規模な建物と断層が一体となって保存されている事例は、国内に例を見ないという。

解説パネルや写真、映像では伝えきれない現実。

リアルな環境だからこそ、目で見ること、声を聞くことで実感となり、
「自分にも関わること」として受け止めやすくなる。
現地に来なければわからないことだと感じた。

マガジンハウスが 新たなメディアプロジェクト始動。 福祉をたずねるクリエイティブマガジン 〈こここ〉創刊!

「個と個で一緒にできること」を合言葉に、ウェブマガジン始動

2021年4月15日、マガジンハウスは
福祉とクリエイティブをテーマに新たなメディアプロジェクトをスタートしました。

メディアプロジェクトの第一弾として創刊したのは、ウェブマガジン〈こここ〉
「個と個で一緒にできること」を合言葉に、
福祉につらなる人や場所、活動、表現、創造性をたずね、
紹介していくメディア事業を軸に展開していきます。

〈コロカル〉に続く、社会課題に向き合うウェブマガジン

マガジンハウスでは、
2012年1月に「日本の地域」をテーマにした〈コロカル〉を創刊。
日本各地のユニークな取組みやパワフルなプレイヤーを紹介しながら、
その根底にある雇用不足や高齢化、過疎化などの問題に向き合ってきました。

新たにはじまるウェブマガジン〈こここ〉もまた、
高齢化社会を迎える日本での介護人材の不足、
「生きづらさ」や「わかりあえなさ」を感じる人の増加などの
社会課題を背景に創刊します。

福祉の現場には、社会に生きるひとりひとりの心身や
置かれた状況に日々向き合い、汗をかき、奔走してきた経験が宿っています。
同時に、社会全体の構造的な課題にさらされ、
立ち向かうことを求められてきた領域でもあります。
また、近年では、福祉の現場から驚くほど創造的な活動や表現も生まれ、
さまざまなクリエイターやアーティスト、専門家が関わっています。

ウェブマガジン〈こここ〉では、「クリエイティブ」を入り口に、
福祉領域に関わる人・活動・テーマをたずね、
やわらかく紹介していくことで、
これからの社会を共に生きていくうえでのヒントを読者とともに考えます。

メディア運営には、
2012年コロカルを立ち上げた及川卓也が統括プロデューサーとして、
編集長は、これまでアートプロジェクトや
コミュニケーションプランニングの領域で活動してきた中田一会さんが参加。

熊本地震から5年。
南阿蘇〈ひなた文庫〉が振り返る
あのときのこと、これまでのこと

2015年に、南阿蘇鉄道の無人の駅舎にオープンした小さな古本屋〈ひなた文庫〉。
その翌年、2016年に熊本地震が起き、鉄道が不通のいまも、
同じ駅で週末だけの営業を続けています。
そのひなた文庫の店主が、この5年を振り返り、いまの思いを綴る特別寄稿です。

大きな2度の地震

5年前の4月14日、熊本県益城町を中心に起きた大きな地震。
南阿蘇村の隣、大津町の自宅のベッドで横になっていて強い揺れを感じた。
本棚からバラバラと落ちてくる本から頭を守りながら
訳もわからないまま揺れが収まるのを待った。
熊本が震源の大きな地震なんていままで記憶になかったので、まさかという思いだった。

私たちの近所や自宅アパートはそんなに被害はなかったものの、
風呂場のタイルが剥がれて使えなくなったので、
翌日は南阿蘇の実家に泊まることにした。

昼の間も体に感じる揺れは何度もあったが、通常通り仕事を終え、
〈ひなた文庫〉のある駅舎の様子を見に行った。
建物に被害もなく安心し、帰って家族でごはんを食べながら、
「益城町はひどいことになっている、まだ余震もあるから怖いね」
などと話して床についた。

深夜午前1時25分、 ゴゴゴゴという
どこから聞こえてくるのかわからない大きな地響きと、
肩を掴んで思い切り揺さぶられたような激しい揺れにいきなり襲われた。
14日に感じたものとは比べものにならなかった。
声にならない悲鳴が口から漏れ、早く収まることだけを願っていた。
真っ暗闇のなか、必死に耐えたあのときの恐怖は未だに忘れられない。

揺れが収まるのと同時に、隣で寝ていた夫と、
別の部屋で寝ていたお義母さん、お義父さんはおばあちゃんをおんぶして、
やっとの思いで縁側から外へ出た。
すると家の裏山の方向から、カラカラと石の転がる音がしていた。

その後、この地震は震度7を2度も記録した観測史上初の大きな地震だったとわかり、
14日に起きた地震を前震、16日に起きた地震を本震と呼び、
「熊本地震」と名づけられた。

この地震によって崩落した阿蘇大橋は実家から車で2分もかからない場所にあった。
裏山は阿蘇大橋を丸ごと押し流してしまった山と同じ地続きの山だ。
あのカラカラと聞こえてきた音を思い出すとぞっとする。
ほんの少しでも時間や場所が違っていたら、逃げる方向が違っていたら、
そう考えると、あの地震で死を免れたというのは偶然のことなのだと思う。

阿蘇大橋を押し流した山崩れの跡。

阿蘇大橋を押し流した山崩れの跡。

三浦半島の先端のまちに
ユニークな野菜直売所が出現。
小屋×アート〈koyart〉とは?

神奈川県の南東部。
三方を海に囲まれた三浦半島は漁業と同様、農業も盛んな土地として知られる。
温暖な気候を利用して栽培されているのは、大根やキャベツといった露地野菜。
海岸近くまで延びる広大な台地に、見渡す限りの畑が広がる、
独特な農の景色を見せている。

ここ三浦半島で、いま、おもしろいプロジェクトが進行しているのをご存知だろうか? 
その名も小屋とアートを重ね合わせた造語〈koyart(コヤート)〉。
空間やアート、サイエンスを専門とする団体が、
生産者(農家)、地域の学生らと共創し、
主に野菜の販売小屋をテーマにした作品づくりを通して、
訪れた人と地域のコミュニケーションの広がりを目指すという。

直売所に置かれたバス停のような看板。各農家の特徴をとらえたマークは、横須賀市横須賀総合高等学校美術部の生徒が制作した。

直売所に置かれたバス停のような看板。各農家の特徴をとらえたマークは、横須賀市横須賀総合高等学校美術部の生徒が制作した。

3月のある日、そのkoyartのイベントが1日限りで開催。
常設の2か所に、建築を学ぶ学生が制作した3か所を新たに加えた、
計5か所で実際に野菜販売を行った。

それらを周遊するための仕組みとして、各所にバス停のような看板を設置し、
ほかの直売所の位置情報を掲出。
同時に、野菜を購入した人が次の人のために、売られている商品の状況を
インスタグラムを使ってアップロードする取り組みも。

地元・三浦の人々と学生、そして企業が一緒になって、地域の未来を考える。
その現場を訪ねた。

岩手県洋野町をもっと知りたくなる!
地域との関わりをつくる
『ひろのの栞』を読む

三陸沿岸の北部にあり、青森県に隣接する岩手県洋野町(ひろのちょう)。
東に太平洋を望み、内陸の北上山系に囲まれた海と高原の美しいまちだ。
しかし、この場所で一般社団法人〈fumoto〉を立ち上げた大原圭太郎さんは言う。

「自然と生活が共存する里山の風景は、日本中にたくさんあります。
洋野町は、地域おこし団体や移住者の数がまだまだ少なく、
いい意味で、“地方創生”のフロンティアのような状態です」

アパレルから転身した大原圭太郎さん。

アパレルから転身した大原圭太郎さん。

事実、洋野町が国の推進する地域おこし協力隊の受け入れを始めたのは2016年と、
第一歩を踏み出してまだ日が浅い。
そんな洋野町に移住し、fumotoを立ち上げた大原さんは、
洋野町の「地域おこし協力隊」第1号、その人でもある。

アパレル店員から岩手県洋野町「地域おこし協力隊」第1号へ

太平洋を望む洋野町。マリンレジャーから豊かな海産物まで洋野町の暮らしを育む。

太平洋を望む洋野町。マリンレジャーから豊かな海産物まで洋野町の暮らしを育む。

大原圭太郎さんは仙台出身だが、
奥さんの出身地である洋野町は第2の故郷のような場所だった。

それまでは仙台や東京で服飾の仕事をしていたが、東日本大震災をきっかけに
「より地域に根ざした仕事」、そして「自分が本当にやりたいこと」を見つめ直したとき
洋野町の地域おこし協力隊募集の知らせが目に入った。

それまで考えていた、仙台から新しいものを生み出したいという気持ちは、
アパレル業界ではなくても、実現できるのではないか、
アパレルでやってきたことも実は地域おこしに近く、
洋服はあくまで手段だったんだと思うようになった。

それならば洋野町で地域おこしをするのもおもしろいのではないか、という考えにいたった。

「父が気仙沼出身でよく遊びに行っていたということもあり、
洋野町の生活圏と自然との距離感や海が見える風景に親しみを感じました」

そして2016年10月、はれて洋野町の地域おこし協力隊として、
洋野町の仕事に携わることになった。
自治体のHP制作や、移住者誘致のイベントへの出展、近隣地域と協力した取り組みなど
洋野町の観光振興推進員として、まちの観光協会の業務などを中心に行ってきた。

野毛山〈藤棚デパートメント〉後編
商店街に開かれたシェアキッチンと
設計事務所

YONG architecture studio vol.3

横浜市の野毛山エリアにて、
オフィスや住宅、アトリエなど複数の拠点をつくり活動する
〈YONG architecture studio〉永田賢一郎さんの連載です。
現在は長野県にも拠点を持ち、2地域で活動を展開しています。

今回は藤棚商店街で始まったシェアキッチンのプロジェクト
〈藤棚デパートメント〉の後編。
資金集めから工事、オープン後の変化についてお届けします。

実現の方法を考える

藤棚商店街で構想を始めたシェアキッチン計画ですが、果たしてどう実現していくか。
最適な物件とやりたい計画はすでにありましたが、
手元に活動資金が全然ありませんでした。
そこでまずは「野毛山ミーティング」の資料や〈藤棚のアパートメント〉の活動など、
新たに商店街でやりたいことを企画書にまとめ、銀行や信用金庫を回ることにしました。

藤棚商店街の中にある横浜信用金庫さん。

藤棚商店街の中にある横浜信用金庫さん。

まだ設計事務所として数年しか経っておらず、融資の実績もなかったので
「借りるのは無理でしょう」との声もありましたが、まずは相談。
すると、いくつか回るうちに商店街の中にある横浜信用金庫さんが
「地域のためになるならぜひ」と快く相談にのってくださることになりました。

事業化することは、設計の幅を広げること

融資を受けるには具体的な事業計画が必要です。
家賃の設定、月々の稼働時間、ランニングコスト、設計事務所の営業との両立など、
自分が事業者になって初めて見えてきたことがたくさんありました。

特に感じたのは、設計と運営、事業計画を一緒に考えることで
設計の幅を広げていける、ということでした。

内装設計をまとめ、見積もりを出して金額の調整をする。
そのとき提案の一部が削られても、アイデアを温存しておき、
その後の事業展開で再度取り込むことができます。

そこでまた工事が必要になった場合、
その資金は日頃の運営で得た収入から捻出するので、
使いやすい場所づくりができていれば収益が上がり、
新たな工事に投資できる額も増えます。

模型で使い方を検証。

模型で使い方を検証。

どういう場所が使いやすいのか。どれくらいの席数だと居心地がよくなるのか。
設計段階で検証したことが、運用されたときにリアクションとなって返ってきます。
空間に対するフィードバックが常にあり、
その都度使い方や仕様を検証しながらアップデートできる。

つまりは、設計者が事業をすることで、利用者さんすべてをクライアントとして
設計し続けているとも言えます。

気づくことで、豊かになる 滋賀の魅力が伝わる 移住PR動画を公開中!

豊かな自然環境に恵まれるとともに都市部への良好な交通アクセスを有する滋賀県。
琵琶湖を中心に東西南北で環境や人々の暮らしぶりが大きく異なるのが特徴です。

このたび、そうした「滋賀ぐらし」の魅力を発信するため、3種類の動画を制作しました。

ひとつ目は、InstagramなどのSNSを通じて、
たくさんの人から投稿された動画をもとに制作した「滋賀移住コンセプトムービー」。
滋賀の風景や暮らし、文化など「滋賀ぐらし」の日常を捉えた動画を
多くの方々から投稿いただきました。

投稿された動画には、雄大な琵琶湖や地域のお祭り、自然の中ではしゃぐ子どもたちなど
何気ない日常の風景が映し出され、
どこかホッとするような滋賀らしさ、滋賀の豊かさが感じられます。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

「滋賀移住コンセプトムービー」より。

また、動画のバックに流れる歌にもご注目。
澄んだ歌声が印象的なこの歌は、滋賀県民のソウルミュージック『琵琶湖周航の歌』です。
歌と編曲を手がけたのは、湖南市に移住した夫婦デュオ・よしこストンペアさん。
明るくポップな曲調が懐かしくも新しい印象です。

気仙沼をワクワクがあふれるまちに。
〈まるオフィス〉加藤拓馬さんが
手がける“人づくり”

宮城県最北端に位置する気仙沼市。
三陸リアス式海岸の一部である唐桑半島を有し、
東日本大震災で大きな被害を受けた土地のひとつだ。

震災直後、復興ボランティアとして気仙沼に入り、
以来まちをおもしろくする担い手のひとりとなっているのが、
〈一般社団法人まるオフィス〉代表理事の加藤拓馬さん。

緊急支援から観光事業を経て、現在は
「ワクワクしている次世代を育てる学びの仕掛け人」として、
中高生を中心とした教育事業に取り組んでいる。
震災から10年、まちはどう変わり、どんな未来を描いているのか取材した。

背中を押されて気仙沼へ

「東北に行け。後方支援は俺がする」

当時大学4年生だった拓馬さんが気仙沼へやってきたのは、
震災の翌日にかけられた、先輩のこの言葉がきっかけだった。
学生時代ハンセン病を研究し、中国の隔離村で道の舗装やトイレをつくるなど、
ワークキャンプの経験がある拓馬さんの力をかってのことだ。

現場でしか感じられないことがあることを、拓馬さんは知っていた。

「ハンセン病の回復者たちとともに時間を過ごしたことで、
長い間差別を受けてきたのにもかかわらず、
なぜ僕らを笑顔で受け入れてくれるんだろうと、
人間の魅力みたいなものを感じるようになりました。
それからは“誰かを助けに行く”というより、
“本物に出会いに行く”活動をしているという感覚になっていくんです」

〈一般社団法人まるオフィス〉代表理事の加藤拓馬さん。兵庫県出身で東京の大学に通い、4年生のときに東日本大震災が起きた。

〈一般社団法人まるオフィス〉代表理事の加藤拓馬さん。兵庫県出身で東京の大学に通い、4年生のときに東日本大震災が起きた。

この原体験が、拓馬さんの気仙沼への一歩を後押しする。

「3.11があって、東京でスーツを着て働く……それでいいのか、
僕が行かなきゃいけないんじゃないかみたいな、“勘違い使命感”が湧いてきました」

学生でも社会人でもない、何者でもない3月という時期、
4年間ワークキャンプをやってきたらからこその選択だった。

「これからは一緒にやって行くべしな」

内定を辞退したからには、数日・数週間の短期ではなく、
半年は腰を据えてやろうと長期ボランティアとして気仙沼へ入った拓馬さんだが、
移住しようとまでは思っていなかった。
半年経って瓦礫の撤去が落ち着いたら、東京に戻ろう。
当初はそう考えていた。

しかし、夏頃から地元の人たちの気持ちが落ち込んでいく様子を目の当たりにする。

「『がんばれ東北って言われるけど、もう言われたくない。
もう十分がんばっている』とか、
『唐桑にいてもダメだから仙台に行きたい。もうこのまちはダメだ』
という声を毎日のように聞いていました。短期で来たボランティアには、
『また来てね、がんばるからね』と言うけれど、
ずっといる僕に対しては、もう無理だって本音が出る。

僕にしか聞けない地元のことを聞いているんだなと思ったときに、
瓦礫が片づいたから帰るというのは薄情な気がしてきて、
この人たちはどうしたら元気になるんだっけ? と考え始めました。
まだ僕にやれることがあるんじゃないかって」

大きな被害を受けた気仙沼の中心部である内湾地区は、現在は整備され、さまざまな店舗が入った複合施設が並び、まち歩きもできる。

大きな被害を受けた気仙沼の中心部である内湾地区は、現在は整備され、さまざまな店舗が入った複合施設が並び、まち歩きもできる。

9月に瓦礫の撤去が落ち着いても、拓馬さんは帰らなかった。

「まさか10年いるとは思わなかったです。ずるずるといたという表現が正しい」
と拓馬さんは笑うが、2011年の年末に、印象的な出来事があった。
お酒を飲むといつも「ありがとうな」と言ってくれていた居候先の馬場康彦さんが、
「これからは一緒にやっていくべしな」とぽろっと言ったのだそう。

「それまでは、地元の人間がやらなくてはいけない瓦礫の撤去を、
外から来た支援者がやってくれているという気持ちで
言葉をかけてくれていたと思うんです。
でもこれからは被災者と支援者じゃなくて、
地元の人と、外から来た“風の人”として、
一緒にまちづくりを考えられるかもしれないと思いました」

中長期的におもしろいことができるかもしれない。
2012年、拓馬さんは住民票を気仙沼へ移した。

栃木・裏那須の〈Chus〉が6周年! 食が集うワークショップが目白押しの 「Something nice !」開催

祝・アニバーサリー!

栃木県の那須塩原市に店を構える〈Chus(チャウス)〉。

“大きな食卓”というコンセプトのもと、
朝市を日常的に楽しめる直売所〈MARCHE〉、
その食材を使った料理を味わえるダイニング〈TABLE〉、
そして魅力あふれる那須の旅の拠点にできる宿泊施設〈YADO〉で
構成されるChusが、めでたく6周年を迎えます。

以前は家具を扱う大型の倉庫だったという〈Chus〉の店舗。味のある看板が目印。

以前は家具を扱う大型の倉庫だったという〈Chus〉の店舗。味のある看板が目印。

1Fは、那須の野菜や加工品が並ぶ「MARCHE」、その奥に那須の食材をたのしめる「TABLE」。広々とした空間が広がります。

1階は、那須の野菜や加工品が並ぶ〈MARCHE〉、その奥に那須の食材をたのしめる〈TABLE〉。広々とした空間が広がります。

2Fの「YADO」にはさまざまなタイプのお部屋が。

2階の〈YADO〉にはさまざまなタイプのお部屋が。

もともと、年に2回開催していた「那・須・朝・市」という
マルシェイベントを実店舗に落とし込んだというChus。

店長の森俊崇さんは、
「Chusがある黒磯は、那須の温泉地のお膝元で“裏那須”と呼ばれる地域。
移住者やこの土地のよさを再認識して帰ってくる人も多く住みやすいまちです。
黒磯は、〈SHOZO COFFEE〉というコーヒー屋さんの周りに
個性的なお店が集まってきたことで、徐々に今のまちが形成されてきました。
Chusもその一部として、この土地の人たちと関わり合いながら
お店を営んでいます」と話します。

個性豊かな人たちが集まっているという〈Chus〉メンバー。

個性豊かな人たちが集まっているというChusメンバー。

那須のおいしいものと出会い、そのおいしさをわかち合い、
笑顔が溢れ、心がつながるーー。
Chusは大きなテーブルをみんなで囲むことで
ひとつの家族のようになれる場所になったらと、
そんな願いが込められているそう。

できることからアクションを!
「わたしのまちのSDGsの取り組み」

今月のテーマ 「わたしのまちのSDGsの取り組み」

最近耳にすることの多くなったSDGs。
持続可能な世界を実現するために
貧困や教育、資源、気候変動など
17のゴールから構成された取り組みのことです。

企業や団体が取り組んでるもの、と思っている人もいるのでは?
実は、私たちひとりひとりが行動・意識を持つことで
目標を達成する一助となることができます。

そこで今回は〈地域おこし協力隊〉のみなさんに
まちで行われているSDGsアクションについて紹介してもらいました。

大きな目標ですが自分の身近なところから始めるられる
SDGsの取り組みについて考えるヒントを探ってみてください。

※SDGsについての詳しく知りたい人は、
こちらをチェックしてみて。

【岩手県奥州市】
人×モノ×コト。SDGsを身近なものへと変える掛け算

奥州市環境市民会議〈奥州めぐみネット〉は2010年に発足。
奥州市環境基本計画である
「未来を見つめる100年循環都市 地球と共存する奥州(まち)」の
実現に向けて現在約90名の会員が
さまざまな取り組みを実施しています。

代表の若生和江さんは
「SDGsという言葉ができる前から環境問題に意識を向けていました。
自分がしていることはなんとなく大事と思っていましたが、
SDGsという目標が国連で掲げられたことをきっかけに
これまでの活動の意義が明確になった。
背中を押されたと感じました」と話してくれました。

若生さんは岩手県環境アドバイザーとして「エコクッキング」などの講座もされています。

若生さんは岩手県環境アドバイザーとして「エコクッキング」などの講座もされています。

これまでの米・野菜づくりも
やり方次第で環境に負荷をかけていることにも気づけたそう。
岩手は自然が豊かな分、環境やリサイクルなどの
SDGsの目標を都市部より身近に感じられるので、
ひとつのことが多方面へ影響することを痛感するそうです。

SDGs目標を体験できるよう開催された稲刈りイベント。飢餓や土地の豊かさを経験を通して考えるきっかけになりそうです。

SDGs目標を体験できるよう開催された稲刈りイベント。飢餓や土地の豊かさを経験を通して考えるきっかけになりそうです。

市営バスで巡る地元の歴史を辿るツアー。ツアーを通して「住み続けられるまちづくり」や、「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」などのSDGs目標を実現する取り組み。

市営バスで巡る地元の歴史を辿るツアー。ツアーを通して「住み続けられるまちづくり」や、「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」などのSDGs目標を実現する取り組み。

最近では地元の南部鉄器の会社が
他業種の企業とタッグを組んでイベントを開催。
お互いの持ち味を生かしながら
SDGsが掲げる目標への取り組みを
幅広い世代に伝えるきっかけづくりの場になっています。

南部鉄器の及源鋳造とコラボイベント。地元企業がつくる商品を使うことで「つくる責任 使う責任」、「質の高い教育教育をみんなに」などを体験を通して感じられます。

南部鉄器の及源鋳造とコラボイベント。地元企業がつくる商品を使うことで「つくる責任 使う責任」、「質の高い教育教育をみんなに」などを体験を通して感じられます。

「SDGsそのものは世の中を変える魔法の言葉ではなく、
各々が意識・行動を変えることで
初めて意味を成していくんです」と、話す若生さん。

〈奥州めぐみネット〉は豊かな暮らしのバトンをつなげられるよう
まずは自分ができることから始められるイベントや、
新たな地域交流の場を生み出す環境づくりを進めています。

information

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奥州めぐみネット事務局(奥州市役所市民環境部生活環境課内)

住所:岩手県奥州市水沢大手町1丁目 1 番地

TEL:0197-24-2111

FAX:0197-51-2374

Mail:seikatsu@city.oshu.iwate.jp

Web:奥州市めぐみネット

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小川ちひろ おがわ・ちひろ

東京都品川区出身。大学で移民を学び、言語や異文化に興味を抱く。オーストラリア留学、台湾ワーキングホリデーと海外生活を経験。着任前は都内ギャラリーカフェに勤務。2018年5月岩手県奥州市地域おこし協力隊着任。今年度は台湾向けに東北のリアルライフスタイルやカルチャーシーンを伝えるウェブメディア立ち上げを目指し、自身も旅するように東北でしか味わえない経験を堪能中。

野毛山〈藤棚デパートメント〉前編
空き店舗を使って、
商店街の課題解決に挑む

YONG architecture studio vol.2

横浜市の野毛山エリアにて、
オフィスや住宅、アトリエなど複数の拠点をつくり活動する
〈YONG architecture studio〉永田賢一郎さんの連載です。
現在は長野県にも拠点を持ち、2地域で活動を展開しています。

前回は藤棚の商店街で始まった〈藤棚のアパートメント〉と、
そこから地域へと広がる暮らしについてご紹介しました。
今回は次第に見えてきた商店街や地域の課題、
その後に立ち上げたシェアキッチンのプロジェクト
〈藤棚デパートメント〉の成り立ちを振り返っていきます。

暮らすことで聞こえてきた地域の課題

藤棚商店街では、毎年5月に「こども商店街」というイベントが開催されます。
地域の方々が商店街に露店を出し、地域の子どもが店長になって
お店を出したりと家族で楽しめるお祭りで、毎年多くの人が
商店街にやってきます(昨年はコロナで中止となってしまいました……)。

〈藤棚のアパートメント〉も屋台を出させてもらえることになり、
いつもお世話になっているご近所の方たちと一緒におやつやスープなどを出しました。

ちなみにこの屋台は、本連載で以前に紹介した、
同じ神奈川県の山北の間伐材を使った屋台です。
当時のプロジェクトを知っていてくれた商店街の方が
「ぜひ、商店街でも使ってください」と声をかけてくれたのがきっかけで、
藤棚まで運ぶことになりました。

「こども商店街」では商店街を歩行者天国にして露店が賑わう。

「こども商店街」では商店街を歩行者天国にして露店が賑わう。

また、夏休みには、商店街の近くにある映画館
〈シネマノヴェチェント〉さんでのアニメ上映との連動企画として、
藤棚のアパートメントでアニメキャラお菓子ワークショップなども開催。
ご近所の方々が親子で参加してくださり、小規模ですが盛況のうちに終わりました。

日本一小さなフィルム映画館〈シネマノヴェチェント〉。

日本一小さなフィルム映画館〈シネマノヴェチェント〉。

〈藤棚のアパートメント〉にて。アニメ映画のキャラクターのお菓子づくりは親子で参加。

〈藤棚のアパートメント〉にて。アニメ映画のキャラクターのお菓子づくりは親子で参加。

こうして日々、商店街や地域と関わりながら暮らし、活動しているうちに、
次第に地域の課題や本音を耳にするようになります。

「商店街で教室を開ける場所があったらいいのに」
「気軽に集まれる場所が商店街の中にあったら」
「ランチの選択肢があまりない」

地域の人たちの声はさまざま。

地域の人たちの声はさまざま。

一方その頃、お祭りや映画イベントなどを経て
商店街の理事会にもたまに参加させていただくようになり、
お店の方々の声も聞くことができました。

「空き店舗が増えてきた」
「若い人がもっと商店街に来てくれるといいのだけれど」

店舗が突然立ち退いてしまったり、理事会の人数が減って
商店街の運営が難しくなった時期があったりと、
みなさん地域を守るために苦心されてきたようです。

商店街の理事のみなさん。

商店街の理事のみなさん。

そんななか、商店街の理事のひとりである、かまぼこ屋さんの今井宏之さんから
「お祭りで使っていた屋台をポップアップショップとして商店街で使えないか」
という提案をいただきました。

藤棚の商店街では、歩道にアーケードがかかっています。
そこに屋台を置いて、1日限定出店というかたちで新しい人を外から呼べたら、
話題にもなるし、賑わいになるのでは、という相談でした。

「ぜひやりましょう!」とすぐ返事をして意気込んでいましたが、
これがなかなか難しかった……。
軒先を使わせてくれる店舗が見つからず、
また、屋台をストックしておく場所もネックとなりました。

商店街の新たな活動を牽引する老舗かまぼこ屋〈今井かまぼこ店〉の今井宏之さん。

商店街の新たな活動を牽引する老舗かまぼこ屋〈今井かまぼこ店〉の今井宏之さん。

スチールラックと間伐材でつくったワゴン。

スチールラックと間伐材でつくったワゴン。

お手本としている神山町。
小さなまちから学んだ地域のあり方を
鹿児島県・川辺に生かす

鹿児島県・川辺と徳島県・神山の共通点

今回はこれまでの連載「文化の地産地消を目指して」で
ずっと書いてきた鹿児島県南九州市川辺町から少し離れて、
僕らがシンパシーを感じるもうひとつのローカルについて書いてみたいと思います。

ミュージシャンとして活動していると、
いろんなまちに演奏に出かける機会があります。
長年そういう暮らしをしていると、1度だけじゃなく何度も訪れるまちが出てくる。
何度も手招きされて訪れているうちに友人も増え、
そのうちふらっと訪れても顔見知りにばったり会って
「おかえり」なんていわれるようになる。そんな気の合うまちというのができてきます。
そうやって地域と人は精神的な距離を縮め、
物理的な距離のハードルが低くなり関係人口化していくのだと思います。
関係人口はまず「歓迎人口」から。

そのなかで僕らがベースにしている鹿児島の川辺町と同じくらいの規模感で、
なにかと気になってお手本としているのが徳島県の神山町です。
このふたつの小さなまちにはいくつかの共通点があります。

まず、近隣の中心市街地から車でだいたい40〜50分の位置にあること。
中山間地域で豊かな里山はあるものの、特別目立った観光資源があるわけではないこと。
古くから農業と林業で成り立ってきたということ。
それぞれ過疎化と少子高齢化に悩む地域であるということ、などなどです。

山あいの神山の風景。

山あいの神山の風景。

こうした地域課題は全国どこでも見られるものではありますが、
特に神山町はその課題解決の先進地として有名なので、
地域の課題に関心のある人にとってはよく知られたまちでもあります。

前橋〈白井屋ホテル〉で
建築とアートを堪能。
まちづくりの新拠点となる!

世界的アーティストが集結し、ローカルの拠点となるホテル

創業300年を超える〈白井屋旅館〉。
1975年にホテル業態に変更したものの、2008年に惜しまれつつ廃館してしまった。
群馬県前橋市民にとっては馴染みのあるこの跡地に、
何ができるのか? どうなるのか?
市民が興味深く見守っていたところ、2020年12月12日、
前橋の地域創生に深く関わってきたアイウエアブランド〈JINS〉の代表、
田中仁さんが引き継ぐかたちで〈白井屋ホテル〉として再生。
コミュニティの拠点となる宿泊業態がまちからひとつ減ることを免れ、
結果として、新しいまちづくりの拠点ができた。
白井屋ホテルと田中さんによる、前橋を盛り上がる挑戦のひとつである。

かつてと同じ宿泊施設ではあるが、その様相は大きく異なる。
国道50号沿いを歩いていると、突然、ホテルのポップな看板が現れる。
ニューヨークの作家、ローレンス・ウィナーさんによるタイポグラフィだ。

無機質な国道沿いのビルの並びのなかに、異質なサイン。(写真提供:木暮伸也)

無機質な国道沿いのビルの並びのなかに、異質なサイン。(写真提供:木暮伸也)

これ以外にも、エントランスからロビー、各部屋にいたるまで、
アートがあふれる空間になっている。
象徴的なのが、ロビーの吹き抜けスペースにあるレアンドロ・エルリッヒさんの作品。
まるで水道の配管のように設置された「ライティング・パイプ」には
LEDライトが仕込まれていて、季節や時間帯によってさまざまな表情を見せてくれる。

さらにアーティストがまるごとプロデュースを手がけた
4部屋のスペシャルルームがかなり豪華だ。

まずひとりめは上述のアルゼンチンの作家、レアンドロ・エルリッヒさん。
ロビーと同様のライティング・パイプが部屋では金属製に変わり、
天井に張り巡らされている。
それほど広くない部屋なのでパイプの密度を高く感じ、「アートを体感」できる部屋だ。

次にイタリアの建築家、ミケーレ・デ・ルッキさん。
本来は外装に用いるような板葺きで部屋の内壁を覆った部屋。
合計2725枚の板からできている。
やわらかな表層を生み出す伝統的な技法から着想され、
日本の雪国の雰囲気もあり、板から漏れ落ちる光がとても美しい。
落ち着いた気分になれそう。

ロンドンのプロダクトデザイナー、ジャスパー・モリソンさんが手がけたのは、
木製の箱に入ったかのような部屋。
床も木なので素足が気持ちいい(ちなみにこの部屋は土足禁止)。
日本らしいヒノキの浴槽も、彼のオリジナルデザインである。
広い部屋にポンとベッドが置いてあり、
空間の余白を生かしたミニマルなつくりになっている。

最後にホテルの全体設計を担当している建築家の藤本壮介さんの部屋だ。
LEDライトに照らされた植物により、
前橋のまちづくりコンセプトである「めぶく。」が表現されている。
絨毯は、壁や天井などの打ちっ放しのコンクリートを模した柄で、
藤本壮介さんのオリジナルデザイン。
これは館内のほかの客室にも一部採用されている。

〈TRIP BASE COCONEEL〉
松田寛之さん
美祢の観光体験を
1軒のゲストハウスから変える

日本最大級のカルスト台地・秋吉台。
春や夏は石灰岩が降り積もってできた台地に緑が生い茂る。
秋には枯れて黄金色になり、すすきが風にそよぐ。
地下には、日本最大規模の鍾乳洞・秋芳洞など400以上の洞窟が広がっている。

自然の力と雄大さを感じられるこの地で、
ゲストハウス〈TRIP BASE COCONEEL〉を営んでいるのが、松田寛之さん。
秋吉台のある美祢(みね)市で生まれ育ち、
東京での暮らしを経て、2019年4月にUターンした。

54平方キロメートルもの面積を誇る秋吉台。毎年2月には山焼きが行われる。一年を通して、さまざまな景色を見せてくれる。

54平方キロメートルもの面積を誇る秋吉台。毎年2月には山焼きが行われる。一年を通して、さまざまな景色を見せてくれる。

宿泊業はほぼ未経験ながら、ゲストハウスを開業。
以来、外からの観光客はもちろん、地元の人たちのたまり場としても親しまれている。

周りに「何もない場所」といわれた美祢を
「観光地として成立する」と言い切る松田さん。
一度美祢を出たからこそわかる地域の魅力や、観光のバリエーションを増やす取り組み、
ゲストハウスの役割について聞いた。

ゲストハウスの経営なら美祢で生活できる

美祢市で生まれ育ち、バンド活動のために22歳で上京。
アルバイトなどをしながら12年間活動したが、30代半ばで方向展開。
結婚を機にシステムエンジニアとして都内の企業に勤めた。

「上京するときから、いずれ美祢に戻りたいという気持ちがありました。
バンドを諦めてからは、特に東京にいる必要もないし、
都会のあわただしさから逃れたいと思っていましたね」

一度外に出たぶん、美祢への思いは強い。上京するきっかけになったロックバンドでは、ギターを担当していた。

一度外に出たぶん、美祢への思いは強い。上京するきっかけになったロックバンドでは、ギターを担当していた。

思いは日に日に強くなり、2018年12月にUターンを決意。
奥さんは「もっと先のことだと思っていた。30代半ばでの移住は早いのでは」
と渋ったという。
ネックのひとつは、働く場所や職種が限られていて、
平均賃金も決して高いとはいえないことだった。

移住を諦めたくなかった松田さんは、美祢市について調べ、妻にプレゼンを重ねていく。
そのうちに、美祢市は年間の観光客数が130万人を超えているにもかかわらず、
秋吉台周辺には宿泊施設がほとんどないことに気づいた。

需要が見込める宿泊業をやることで、妻が懸念している課題を解消できるのではないか。
なにより、自分は人とコミュニケーションを取るのが好きだから、
それを生かす仕事がしたい。

ゲストハウスをやろう。決めてからの行動は早かった。
さっそく2019年の1月から宿泊業の認可を取るための講習などを受け始めた。

ロンドンパブへのあこがれを表現したゲストハウス&パブ

場所は、祖父母がかつて経営していた定食屋を改装することに決め、
2019年4月にUターン。
以降、オープンまでの5か月は父親とひたすらDIYで改装を行った。

秋吉台から車で10分足らずのところにあるTRIP BASE COCONEEL。周囲には、田畑が広がっている。天気がいい日はテラス席でくつろぐ人も。

秋吉台から車で10分足らずのところにあるTRIP BASE COCONEEL。周囲には、田畑が広がっている。天気がいい日はテラス席でくつろぐ人も。

「内装は、かっこよくビールを飲める、をコンセプトにしました。
パブで立ったままビールをラッパ飲みするの、いいなって。
本当はロンドンパブのようにしたかったのですが、
結果としていろんな要素が混じっていますね。
木の感じが好きなので、前面に出しています」

店内は、写真のフラッグのほか、だるまやオーディオセットなどが混在している。「僕が好きなものを集めていったらこうなりました。いずれいい味が出てくるといいな」と松田さん。

店内は、写真のフラッグのほか、だるまやオーディオセットなどが混在している。「僕が好きなものを集めていったらこうなりました。いずれいい味が出てくるといいな」と松田さん。

「みんながフラッと立ち寄ってくれる、かっこいい酒場のような場所にしたい」
そんな思いとこだわりを込めた改装は終わり、
2019年9月にTRIP BASE COCONEELはオープンした。

鎌倉に3店舗を展開。人気麻婆豆腐店
〈かかん〉の小嶋章太さんが追求する、
これからの飲食店のかたちとは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鶴岡八幡宮から海へと続く鎌倉の目抜き通り「若宮大路」。この通り沿い、古都と海の中間地点に、〈みやげ屋かかん〉が先日オープンした。

鶴岡八幡宮から海へと続く鎌倉の目抜き通り「若宮大路」。この通り沿い、古都と海の中間地点に、〈みやげ屋かかん〉が先日オープンした。

多くの人を惹きつける鎌倉発の麻婆豆腐

「鎌倉においしい麻婆豆腐のお店があるんでしょ?」
ここ1~2年の間に、東京に暮らす知人などからこんな質問をされる機会が増えた。
なかには、山椒が適度に効いた深みのある味わいの虜となり、
すでに何度も通っているという人も。

地元住民から観光客までを惹きつけてやまない麻婆豆腐を提供しているのは、
2016年に鎌倉・梶原で開業し、現在は市内に3店舗を構える〈かかん〉だ。
かかんの麻婆豆腐が生まれたのは、梶原店のオーナー・小嶋章太さんが、
旧知の仲だったシェフの小出幸生さんとともに、
現在の〈かかん鎌倉本店〉がある場所で営んでいたカフェバー〈カジェヘロ〉。
このお店で常連客たちに愛されていた名物メニューが、麻婆豆腐だったのだ。

適度な辛さと花山椒による痺れ、ひき肉の旨みが絶妙なハーモニーを奏でる〈かかん〉の「麻婆豆腐定食 」(1100円・税込)。一度食べたら癖になるその味わいが、鎌倉のローカルから旅行者までを惹きつけている。

適度な辛さと花山椒による痺れ、ひき肉の旨みが絶妙なハーモニーを奏でる〈かかん〉の「麻婆豆腐定食 」(1100円・税込)。一度食べたら癖になるその味わいが、鎌倉のローカルから旅行者までを惹きつけている。

各地でのイベント出店や数々のメディア露出などによって、
近年人気が全国区となりつつあったかかんの勢いは、
多くの飲食店に打撃を与えたコロナ禍においてもとどまることはなく、
先日、テイクアウト専門の新業態〈みやげ屋かかん〉を由比ヶ浜にオープンした。

小嶋さんのこだわりや美意識、ホスピタリティが凝縮したカジェヘロ、
地域の住民が気軽に立ち寄れる食堂〈かかん梶原店〉、
かかんブランドを全国に広める拠点となった鎌倉本店や各地でのイベント出店、
そして、高まるテイクアウト需要に応える新業態であり、
EC販売の拠点ともなるみやげ屋かかんーー。

常に自らが自由でいられるための選択肢を模索しながら、
個人の表現と店舗の経営の両立を図って進化してきたかかんは、
アフターコロナ時代における飲食店のあり方を体現しているように思える。
コロナ禍においても果敢なチャレンジを続ける小嶋さんに話を聞きに、
オープンしたばかりの新店舗を訪ねた。

島民の足が 新型コロナの影響で危機的状況!? 新潟・粟島のクラウドファンディングが締め切り間近

新潟県の北部に浮かぶ小さな島、粟島。
豊かで壮大な自然を舞台にしたアウトドア体験や、穏やかな時間を過ごすために、
年間約2万人の観光客がこの島を訪れます。

※粟島ってどんな島? 「新潟のつかいかた」の記事はこちら

レンタサイクルで3時間ほどで1周できてしまう小さな島。およそ350人が暮らしている風光明媚な島です。

レンタサイクルで3時間ほどで1周できてしまう小さな島。およそ350人が暮らしている風光明媚な島です。

しかし、新型コロナウイルスの影響により観光客が激減。
その煽りを受け経営が危機的状況に陥っている粟島汽船株式会社を支援するため、
2021年2月19日まで、クラウドファンディングを実施しています。

温泉熱を産業に活用!
〈栗駒フーズ〉と
湯沢に続々誕生する地熱発電所

秋田県の最南に位置する湯沢市。
山形県と宮城県に接し、その県境は国内でも有数の地熱地帯です。
湯沢市の大地をつくりあげたマグマは、いまも「見えない火山」として活動を続け、
観光や産業に生かされています。

湯沢市には、「地熱」という自然エネルギーの恩恵を受けながら、
アツく、力強く、たくましく生きる「自熱」を持った地元の人々がいる――。
新しいことがモクモク起きているこのまちの、新しいワクワクを紹介していきます。

温泉熱を活用した低温殺菌牛乳

「地熱のまち」湯沢の代表的な温泉郷「小安峡温泉」がある旧皆瀬村地域では、
1970年代から当時の村長の働きかけもあり、地熱の恵みである温泉の産業利用が盛ん。
野菜などの乾燥や、三つ葉やパクチーのハウス栽培、
暖房、融雪などに活用されてきました。

日本で初めて温泉熱を利用して低温殺菌処理をし、
牛乳やヨーグルトを製造販売する〈栗駒フーズ〉もそのひとつ。
1987年に地熱エネルギー利用モデル事業として認定を受け、
小安峡温泉に製造工場を構えています。

低温殺菌処理で製造された〈栗駒高原牛乳〉と〈栗駒高原ヨーグルト〉。創業当時からのロングセラー商品。

低温殺菌処理で製造された〈栗駒高原牛乳〉と〈栗駒高原ヨーグルト〉。創業当時からのロングセラー商品。

栗駒フーズの創業者・高橋惇さんはもともとは酪農家。
自らも乳製品の製造・販売を始めようと機械設備を導入する際、
ほかと差別化を図るために地元の資源である温泉を生かそうと考えました。

工場から約300メートルの湧出池から引く温泉水は約98度。熱交換機でその温泉水をエネルギーに変換し、工場の機器の動力として活用しています。写真はヨーグルトの発酵・殺菌を行う製造タンク。温泉の地熱で動いています。

工場から約300メートルの湧出池から引く温泉水は約98度。熱交換機でその温泉水をエネルギーに変換し、工場の機器の動力として活用しています。写真はヨーグルトの発酵・殺菌を行う製造タンク。温泉の地熱で動いています。

「高温殺菌よりコストも時間もかかりますが、低温殺菌することで
味も成分も生乳に近い状態の牛乳やヨーグルトをつくることができます。
製法も味も特徴ある商品が生まれたんです」と、栗駒フーズの井上幸子さん。

お話をうかがった栗駒フーズの井上幸子さん。東京のホテルに勤務後、創業者である父を手伝うために秋田にUターン。ヨーグルトマイスターの資格を取得し、県内外の素材を使用した健康志向のヨーグルト開発に熱心です。

お話をうかがった栗駒フーズの井上幸子さん。東京のホテルに勤務後、創業者である父を手伝うために秋田にUターン。ヨーグルトマイスターの資格を取得し、県内外の素材を使用した健康志向のヨーグルト開発に熱心です。

(左から)イチゴ(秋田産)、レンコン(千葉産)、竹炭(高知産)を使用したヨーグルト。「大手メーカーさんがやっていないような、少ない量でもつくれる製品にチャレンジしています」と井上さん。一番右はモンゴル生まれの乳酸菌を利用した〈腸若返りヨーグルト〉。

(左から)イチゴ(秋田産)、レンコン(千葉産)、竹炭(高知産)を使用したヨーグルト。「大手メーカーさんがやっていないような、少ない量でもつくれる製品にチャレンジしています」と井上さん。一番右はモンゴル生まれの乳酸菌を利用した〈腸若返りヨーグルト〉。

ヨーグルトは酸味を出さないために発酵温度を36度に統一。
瓶詰めの前にひと晩寝かせるというひと手間をかけ、
よりおいしい商品づくりを目指しています。

人気の〈牛乳屋さんのソフトクリーム〉。脱脂粉乳や香料、卵を使用せず、生乳を半分になるまで成分を濃縮させているため、ねっとりとして生乳本来の味を感じられます。ワッフルコーンも自家製。生地に栗駒高原牛乳が使用されています。

人気の〈牛乳屋さんのソフトクリーム〉。脱脂粉乳や香料、卵を使用せず、生乳を半分になるまで成分を濃縮させているため、ねっとりとして生乳本来の味を感じられます。ワッフルコーンも自家製。生地に栗駒高原牛乳が使用されています。

那須〈板室温泉大黒屋〉で
アートと温泉に浸かる

下野の薬湯、板室温泉

那須連山の西端、深い山間に佇む湯治の里「板室温泉」。
その歴史は古く、平安時代に発見され、
「下野(しもつけ)の薬湯」と親しまれるように。
今では昔ながらの情緒と温泉文化が残る通りにモダンな旅館が立ち並び、
懐かしさと新しさが調和する温泉地として観光客を集めています。
その板室温泉に佇む老舗宿が、〈板室温泉大黒屋〉。

保養とアートの宿〈板室温泉大黒屋〉。

保養とアートの宿〈板室温泉大黒屋〉。

こちらは、アート愛好家やアーティストから噂を聞いて、
いつかは泊まってみたいと思っていた場所。
1551年に創業した老舗旅館でありながら、
ギャラリーや〈菅木志雄 倉庫美術館〉を併設し、
館内のあちこちに作品を配した、アートを取り入れている宿なのです。

小川に架かった小さな橋を渡り敷地に入っていくと、
鳥居のような形をした木の門が現れ、庭が見えてきました。
この庭は、世界的に知られる現代美術作家、菅木志雄さんの作品。
絶妙なバランスでもみじや岩石、オブジェなどが配されており、
そばを流れる川の向こうには紅葉した山肌が迫っています。

菅木志雄『木庭・風の耕路』(2009)。木の門は、大黒屋代表の室井俊二さんの「風」をつくってほしいという希望に菅さんが応えて手がけたもの。(撮影:宮越裕生)

菅木志雄『木庭・風の耕路』(2009)。木の門は、大黒屋代表の室井俊二さんの「風」をつくってほしいという希望に菅さんが応えて手がけたもの。(撮影:宮越裕生)

傍らの囲炉裏からは煙があがっており、薪の上には、大きな鉄瓶が。
宿泊客はここで自由にお茶を淹れて飲めるのですが、
その一服が、何とも言えずおいしい。
山の空気とともにいただくお茶の味は、格別です。

玄関

囲炉裏のそばには作家ものの湯呑みが多数置いてあり、好きな器で飲めるようになっています。

囲炉裏のそばには作家ものの湯呑みが多数置いてあり、好きな器で飲めるようになっています。

客室はすべて、那珂川に面した南向き。
窓からは山の緑が見え、川の音が聴こえてきます。
室内は黄土の壁や木目の美しい家具など、自然の素材を生かした落ち着く空間。

フロント主任の池田春子さんによると、
シングルルームは、物書きの方も気に入っている部屋なのだとか。
突然訪れ、一気に仕事を仕上げていくこともあるそうです。

松の館のシングルルーム。このほかに梅の館、竹の館があり、和室や和洋室もあります。

松の館のシングルルーム。このほかに梅の館、竹の館があり、和室や和洋室もあります。

朝ごはんと夜ごはんは、お部屋で(写真は朝食)。体の中から健康になるように、化学調味料などは一切使わず、地のものを生かし、ていねいにつくられた料理がいただけます。料理の味は、もちろん絶品。

朝ごはんと夜ごはんは、お部屋で(写真は朝食)。体の中から健康になるように、化学調味料などは一切使わず、地のものを生かし、ていねいにつくられた料理がいただけます。料理の味は、もちろん絶品。

楽しみにしていた温泉は、こんな感じ。

源泉かけ流しの「露天の湯」。このほかに「ひのきの湯」や「たいようの湯」、黄土浴「アタラクシア」があります。

源泉かけ流しの「露天の湯」。このほかに「ひのきの湯」や「たいようの湯」、黄土浴「アタラクシア」があります。

露天風呂も川に面しており、川のせせらぎを聞きながら温泉につかれます。
泉質はアルカリ性単純泉で湯温は約40度。
刺激が少なくいつまでも入っていられるので、ゆっくり温まれました。

佐賀県内の中高生の認知度100%!?
県民必見の〈佐賀日めくりカレンダー〉
2021年版が発売中!

「佐賀はなんもなか」から、郷土愛を育むために

佐賀県が発行する〈佐賀日めくりカレンダー〉をご存知ですか?

佐賀で起こった過去のできごとや、豆知識、著名人の格言など
佐賀にまつわる情報がたっぷり詰まった日めくりカレンダーです。

今年で4回目の発行となる佐賀日めくりカレンダー。
なぜ佐賀県は「日めくりカレンダー」を制作しているのでしょうか?

毎日楽しめる、ちょっとマニアックな佐賀の豆知識が満載! さらに日めくりカレンダーには珍しい、ピンク・ライトグリーン・オレンジ・青緑・紫の蛍光色を採用。

毎日楽しめる、ちょっとマニアックな佐賀の豆知識が満載! さらに日めくりカレンダーには珍しい、ピンク・ライトグリーン・オレンジ・青緑・紫の蛍光色を採用。

佐賀日めくりカレンダーを担当する
佐賀県さが創生推進課の宮﨑さんは、
「私は長崎出身ですが、佐賀は歴史もあって焼き物などの伝統工芸も盛んですし、
食べ物もおいしくてとても魅力的です。
ですが、佐賀県民の方は謙遜して『佐賀にはなんもなかもんね』
とおっしゃる方が多いです。
佐賀の魅力を自信を持って伝えるために、
日常的に佐賀のことに触れてほしいという知事や職員の思いがきっかけで、
2018年版から日めくりカレンダーの制作がスタートしました」と話します。

〈佐賀日めくりカレンダー2021〉を担当する宮崎咲江さん。

〈佐賀日めくりカレンダー2021〉を担当する宮崎咲江さん。

「佐賀日めくりカレンダーを使って
郷土愛を育んでもらおうと、
佐賀県内の中学校・高校、図書館などには毎年配布しています。
たくさんのお問い合わせががある人気商品なので、
今回は販売数をどんと増やして、
オンラインでの購入や多くの取扱店でお買い求めできるようになりました。
ご自宅用としてはもちろん、佐賀県出身のご友人や
これから佐賀について知ってほしい人への
プレゼントとしてもおすすめです!」(宮崎さん)