連載
posted:2021.5.10 from:鹿児島県いちき串木野市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。
text
Shuichiro Sakaguchi
坂口修一郎
さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。
2010年に鹿児島県南九州市で〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉という
フェスを始めてから10年以上が経ち、
運営している僕たち〈リバーバンク〉のチームには
商業施設や公園といった「公開空地」でのイベント企画や、
人が集まる場としてのショッププロデュースといった依頼が
舞い込むようになっていました。
そのなかで、リバーバンクが活動している南九州市ではなく、
鹿児島県いちき串木野市という自治体から、
地域を盛り上げるための企画を考えてほしいという依頼がありました。
いちき串木野市は市来(いちき)と串木野というふたつのまちが合併してできた、
人口3万人弱の地方都市です。市来も串木野も東シナ海に面した港町ですが、
内陸に入った中山間地域に冠岳という霊山があります。
その冠岳地区と麓の生福(せいふく)地区もまた、御多分に漏れず過疎化に悩む地域。
この地域を、芸術文化を切り口に関係人口を創出して盛り上げられないか、
というのが自治体からのオーダーでした。
ひとくちに芸術文化といっても、
それこそ子どもたちの書道や絵画展から現代アートまで、想定される領域は広大です。
これまで僕らも全国あちこち見て回るなかで、
いきなりエッジの効いたキレキレのアートを持ち込んでも、
地域に古くから暮らす人たちには響かないという事例をいくつも見てきました。
だからといってクオリティ度外視でなんでもありの展覧会などでは、
そもそも域外からの関係人口の巻き込みは難しい。
まずは、この地域に足を運んで見て回ろうということで
僕が代表を勤めるディレクション会社〈BAGN Inc.〉のメンバーと
地域を歩き回ってリサーチを始めました。
実は本当にたまたまですが、僕の父は合併前の串木野市の出身で、
子どもの頃は夏休みになると市街地にあった祖父母の家に預けられたりしていました。
しかも祖父母のルーツはそこから車で20分ほどの冠岳〜生福地域。
墓参りなどでときどき来ていたこともあり、多少の土地勘はありました。
でも僕自身はこの地域のことはほとんど知らなかった。
ここに自分のルーツがあるということも、
この仕事のオファーがあって調べているうちにあらためて認識したくらいでした。
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この依頼を受託してほどなく、この地域の冠岳小学校が廃校となることが決まり、
またしても期せずして僕らは廃校に関わることになったのです。
山あいの自然豊かな環境にある冠岳小学校は、2019年時点で全校生徒8人。
全員が女の子でした。その年にふたりが卒業し、
2020年になって1年生に男の子がひとり入って、全校生徒7人になりました。
ですが地域にはもう小学生以下の子どもがほとんどいないこともあって、
2021年3月を持って閉校が決まったのです。
冠岳〜生福地区は、霊山・冠岳をバックにお遍路道があったり、
中国からやってきた徐福という偉人の伝説があったり、温泉も湧いていたりと
いろいろコンテンツは見つかる場所です。
廃校になる小学校も、明治からの歴史もあります。
あらためていろいろと情報を集めていると、なんと冠岳小学校の目の前に
僕の父親名義の土地があるということがわかりました。
そういえば、祖父母が亡くなり家の遺品整理をしていたとき、
大正や昭和という彼らが生きていた頃の古い写真やアルバムが
たくさん出てきたことを思い出しました。
こういう地域の記録は、ほかの家にもたくさん残っているはずです。
それを掘り起こして、なにかつくっていけないだろうか。
古い写真だけではなく8ミリフィルムなどで動画が残っていたりしたら、
そこから地域の人々が懐かしい記憶を辿れるようなものがつくれるかもしれない。
それがコンテンツとなれば地域外の関係人口を巻き込む装置にもなります。
単なる記録媒体としてだけでなく、
作品をつくるプロセスそのものもアートになり得ます。
古い記録を発掘してどうやって形のあるものに落とし込むか考えているなかで、
全国で昭和の8ミリフィルムを発掘して「地域映画」をつくる活動をしている
三好大輔さんという存在に行き着きました。
長野に住んでいる三好さんにすぐに会いに行って構想を伝え、
協力してもらうことになりました。
三好さんによると8ミリフィルムというのは、
ビデオテープに取って代わられる1980年代くらいまでに
日本国内でも1億本ほど販売されていたそう。
単純計算では、日本人ひとり1本くらいは存在することになるということでした。
家財道具などは処分されてしまうことは多いけど、
フィルムは意外と残っていることが多く、
どの地域で発掘活動をしても必ず見つかるのだとか。
三好さんは長野の安曇野や、茨城の笠間などでも作品を制作しています。
アプローチは同じでも、地域が変われば素材も関わる人も違うので、
オリジナルの作品がつくれるだろうということに。
当初は僕らの思いつきだったアイデアですが、
実際に形にしている人とつながることで、一気にプロジェクトが走り始めたのでした。
僕らBAGN Inc.のメンバーから黒瀬優佳と大重絵里という2名を中心に、
山梨から地域おこし協力隊としてこの地域に赴任してきた
小林史和さんなども入れて〈えんたく〉というグループを新たにつくり、
このプロジェクトに当たることになりました。
冠岳と生福という地域の映画なので両方からひと文字ずつもらって、
タイトルは「かんぷくシネマ」。
タイトルやコンセプトも決まってこれからフィルム探しです。
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まずは地元の写真館を訪ね
古い8ミリフィルムが残っていないか聞き込みから始めました。
ビデオが普及する前は手軽に映像を残す記録媒体は8ミリしかなく、
写真館経由で現像していたので確かに写真館からは古い8ミリが
いくつも見つかりました。
また自治体のアーカイブを探してもらうといくつも出てきて、
幸先のいいスタートに思えました。
ところがそこから先、いちき串木野市全体としては70本以上見つかったものの、
実際に冠岳〜生福エリアという狭い地域に限定して映像を探すと、
なかなかその地域だけが映っているというものが少なかった。
地域住民から出てきたのはひとりだけで、
30分のロールが8本は見つかったもののフィルムにタイトルもなく、
ほかの地域に旅行に行ったときの映像だったりしました。
地域の文化を掘り起こすということで始まったプロジェクトでしたが、
当時、この地域では脈々と同じ生活を続けているだけで
突出した文化はないと考えていたのか、
なかなかフィルムに定着されたものがなかったのです。
8ミリがどこそこにあった……というような声も拾えず、地域には写真館もなかった。
海側の隣町の映像は結構出てきたのですが、山間地域の映像はなかなか出てきません。
三好さんの地域映画プロジェクトでは、
家々を直接訪ねてフィルムを探していく作業のなかから地域の物語を拾い上げ、
1本のドキュメンタリー映画にします。
そのプロセスから地域のシビックプライドのかたちが
浮かび上がってくることを狙っています。
しかし、今回はコロナ禍でもあり、接する相手も高齢者が多いということもあって、
このプロセス自体が難航するということになってしまいました。
なかなかフィルムが出てこないこと、探索にも制限がかかること、
そしてこの地域で140年以上続いた冠岳小学校が廃校になることなどが重なって、
地域映画プロジェクトは方針を転換することにしました。
冠岳小学校は特認校といって、
自然の中の学校に子どもを通わせたいという親御さんの意思で
域外から通ってくる子もいたため、近隣の小学校と統合にはなりませんでした。
子どもたちも先生も、廃校になったら全員がばらばらになってしまいます。
なので発掘した8ミリフィルムを使いつつも、
小学校の最後の在校生と一緒に
冠岳小学校の最後をフィルムにすることで地域に記憶を残す、
という方向になったのです。
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映画をつくるには、フィルムの発掘や撮影だけではなく、
地域の物語を聞き取り調査するところから始めます。
その後、音楽をつくったり効果音を入れたり(古い8ミリは音が入っていないため)、
タイトルや宣伝するためのポスターのデザインをしたりと
多くの分野の専門家が関わります。
この映画づくりに、最後の在校生と地域の人にワークショップのかたちで
関わってもらうことになりました。
それぞれの分野には東京からも専門家を招き、
小学校の総合学習の時間で授業をしてもらいひとつひとつみんなでつくっていきました。
まず最初にノンフィクション作家の川内有緒さんによる、
どうやって話を聞いたら盛り上がるか、話を引き出せるかなど、
インタビューの姿勢を学ぶ授業を行いました。
実際に後日、地域の卒業生を呼んでインタビューするという実習までを行いました。
次はフィルム技術者の郷田真理子さんと
映像作家の石川亮さんによる映像教室です。
スマホで簡単に動画の撮影や編集ができる時代に、
あえてフィルムで映像を撮影するとはどういうことか。
その原理や実際の撮影にも挑戦しました。
8ミリフィルムを実際に監督と撮影者に分かれて撮ってみて、
映像・映画づくりの基礎を学び、撮る側、撮られる側も体験。
こういうふうに撮影したいというアイデアも子どもたちに考えてもらい、
実際にその映像もドキュメンタリーフィルムに素材として使いました。
映像ができたら次は効果音教室。フォーリーアーティストの滝野ますみさんを迎えて、
発掘した音の入っていない8ミリフィルムや、
自分たちで撮影したフィルムに効果音をつけていきます。
地域から出てきた数少ない映像に音をつけることで、映像に命を吹き込む体験に。
フォーリー(効果音)は自由なので、
映像を見て想像力を働かせて音をつくる授業になりました。
最後はタイトルも含めたデザイン教室。
グラフィックデザイナーの中野由貴さんと一緒に手を動かしながら、
タイトルロゴも小学生と一緒に制作。DVDのパッケージや映画のタイトルロゴなど、
素材づくりを通じて視覚で伝えるという仕事を学んでもらいました。
最後はこの映画の監督、三好さんがすべての素材を編集して完成しました。
将来の夢は「映像クリエイター」だと語ってくれた卒業生がいました。
もともとスマホなどでの動画編集に興味があったようなのですが、
本物のクリエイターの仕事を目の当たりにして夢が現実に近づいたのかもしれません。
地方ではなかなか出会うことがないクリエイターと直に接したことは、
子どもたちにとって大きな経験になったと思います。
これらの制作のプロセスももちろん撮影して、
小学校最後の授業として記録に残していきました。
地域に足を運びながら子どもたち、先生と一緒になってつくった
メイキング自体がドキュメンタリームービーの本編になるという
「メタ構造」の地域映画がこうして完成しました。
このプロセスでは、僕らBAGN Incのメンバーはとにかく地域に足を運びました。
特に映画担当だった大重は小学校だけで月2〜3回は通って、
子どもたちや先生との関係性を築いていきました。
ほかにも地域の人たちと廃校後の活用を考え続けた黒瀬も月に2〜3回は必ず足を運び、
地域に暮らしている移住者の小林君を筆頭に
地域の運動会、芋掘り、草刈り、餅つきなど
地域行事にも駆り出されるような関係性になっていきました。
とにかく足を運ぶということを通じて地域の人の理解も深まり、
校長先生もあと押ししてくれて、地域に理解者が増えていきました。
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完成上映会は、冠岳小学校142年の歴史を閉じる閉校式と同時になりました。
卒業生もみんな一堂に会する機会にこの映画が上映できて、
地域の人たちが一番喜んでくれました。
冠岳小学校の日常を見て「これがなくなってしまう」という感覚を持ったのは、
子どもたちより地域の大人のほうだったようです。
さみしい気持ちだけではなく、
「このプロジェクトを次につなげていきたいと思った」という声も寄せられました。
閉校によって7人の子どもたちはみんなばらばらになります。
8人の先生たちもまた次の赴任地へと異動していきます。
このままだともう二度と会うことがない人も出てくるでしょう。
しかし上映が終わったあと、
10年後にもう一度上映会をやってみんなで会おうというプランも持ち上がりました。
このフィルムはタイムカプセルのようになりました。
今回の映画づくりプロジェクトを通して、少しでも地元に愛着を持ってくれて、
10年、20年後にまた地元に帰りたいなと思うきっかけになってくれたらいい。
これまで廃校には関わってきましたが、
閉校の瞬間に立ち会うというのは僕らも初めての体験でした。
いま全国で廃校は小中高を入れると
毎年約4〜500件(文部科学省 廃校施設活用事例集より)もあって
特別なことではなくなっています。しかし、その数だけストーリーがあって閉じていく。
特に歴史のある小学校は周辺に暮らす人々が代々通う場所なだけに、
地域みんなの原風景です。
その風景がなくなるということの重さは、地域の人にしかわかりません。
その意味を受け止め、記憶・記録として残すこのプロジェクトは、
あらためて僕らに、地域で行うプロジェクトの責任を感じさせるものになりました。
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えんたく
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