連載
〈 この連載・企画は… 〉
新潟県を拠点にキャンプを中心としたローカルなライフスタイルを提案する
〈スノーピーク〉の社長・山井梨沙さんが、ローカルでありプラネット的なモノ・コト・ヒトに出会いながら、
コロナ後の暮らしのスタンダードを探し求める「フィールドワーク」の記録。
山井さんの著作『FIELDWORK―野生と共生―』の実践編となります。
photographer profile
Masaru Tatsuki
田附勝
1974年、富山県生まれ。全国のデコトラとトラックドライバーを撮影し『DECOTORA』を2007年に発表。2012年に『東北』で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞した。そのほか『その血はまだ赤いのか』、『KURAGARI』、『「おわり。」』、『魚人』などがある。社会で見過ごされてしまうものに突き動かされ、写真のテーマとして撮影を続けている。2020年3月新しい写真集『KAKERA』を発表。
この連載では、新潟県を拠点にキャンプを中心とした
ローカルなライフスタイルを提案する
〈スノーピーク〉代表取締役社長の山井梨沙さんが、
ローカルでありプラネット的なモノ・コト・ヒトに出会いながら、
コロナ後の暮らしのスタンダードを探し求める「フィールドワーク」の記録。
そして山井さんの著作『FIELDWORK―野生と共生―』の実践編となる。
初回は、そもそも「フィールドワーク」とは何か、
その言葉が生まれた人類学の研究者・石倉敏明さんに話を聞いた。
山井梨沙(以下、山井): ご無沙汰しています。
自著『FIELDWORK―野生と共生―』ではすてきな前書きをご執筆いただき、
ありがとうございました。
今回、その続編としてこの連載をさせていただくことになったのですが、
タイトルにも入っている「フィールドワーク」という言葉について、
あらためて石倉さんにお話をうかがえたらと思います。
石倉敏明(以下、石倉): 「フィールドワーク」とは自分が慣れ親しんだ世界の外に出て、
別の現実に触れる方法のことです。
人類学者は他者の世界に入り込んで、内側からその在り方を体験し、理解しようとします。
「他者」とはヒトだけでなく、人間を取り巻くすべてのモノを含んでいます。
大事なのは何かについての「知識」を得るだけでなく、
他者が体得している「知恵」に触れること。
だからこそフィールドでの体験が重要視されています。
フィールドでは他者との接触から、双方向的な変化が発生していく。
それを歴史学の言葉を借りて、「コンタクトゾーン(接触領域)」と呼ぶこともあります。
例えば、20世紀中盤のアメリカ・テネシー州で、
アフリカ系移民の文化とヨーロッパ系移民の文化が融合して
エルヴィス・プレスリーの歌声と腰つきが生まれ、
ロック音楽やポピュラー音楽となって世界中に広がっていったように。
山井: コロナ禍が続く今は、人との触れ合いが減っています。
大変なときですが、何か大きなシフトが起こりつつある時代という意味では、
コンタクトゾーンの話は参考になりそう。
石倉: フィールドワークは、社会という枠組みの外に出て、
世界そのものと再び接触(コンタクト)し直してゆくチャンスかもしれません。
その意味では、野外に出ることも重要です。例えば山に入って感じる木漏れ日や風の匂い、
湿度や雲の動きから何かを感じたりする経験。
フィールドに出ると、僕は幼少期の記憶みたいなものが蘇ってくるんです。
まだ看板の文字や標識の記号が読めなかった幼年時代。動物や子どものように、
文字や記号ではない、生々しい世界の見え方を追体験しているような感覚です。
梨沙さんも、著作の『FIELDWORK』で
子どもの頃のキャンプ体験のことを書いていましたけれど、
あれはまさにフィールドワークを通して味わうことになる感覚ですよね。
山井: 私は頭を使ってインストールするのが苦手で、事前に机上で得た知識でも、
とにかく現地に行って体感しないと、自分のなかでなかなか実感・定着しないんです。
新型コロナウイルスがやってきた当初は、
オンラインミーティングや画面上で目と頭だけで情報を得ることだけが続いて、
消化不良を起こしてしまっていたような気がします。
石倉先生にとってのフィールドワークとは、既存の学説を追体験して確認したり、
今までと違う情報や価値観に出合うことを期待するための行為なのでしょうか?
石倉: フィールドワークは、理論の向こう側にある生きた現実を現地で体感し、
受け止め直していく実践だと思っています。
断片的な情報などを手がかりに現地に行ってみると、
実際には期待を裏切られることも多いのですが、
立ち止まる経験も含めて大切なのかもしれないですね。
どんな記録も決して完全なものではなく、そこに視点や感覚のズレがあるからこそ、
新しい発見の余地があります。
キャンプでの火の起こし方とか、水場の位置とかはgoogleで検索できるけど、
炎の熱さや水の冷たさは絶対にググっても感じられない。
それと同じで、客観的に調べることの重要性は踏まえつつも、
書物で調べてもわからないことを、ほかの人の体ではなく、自分の体で体験したい。
そしてその体験を表現して、その場にいない誰かと共有したい。
これはアーティストや人類学者にとっては、とても大事な衝動だと思うんです。
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山井: だから石倉先生の活動って、アーティストとのコラボレーションも多いんですね。
石倉: 僕が学生だった1990年代、
一部のアーティストと人類学者の間に同盟のような関係が現れてきました。
「民族誌的転回」といって、
それまでスタジオの中に篭って制作していたアーティストたちが、
世界中のフィールドに出て、とてもユニークな実践をするようになっていたんですね。
僕が人類学を研究するようになったのは、そうした大きな転換期と重なっていたので、
研究の過程で自然とアーティストたちとの協働研究をするようになっていきました。
高木正勝さんと一緒に神話に関係する映像やCDをつくったり、
田附勝さんと一緒に民俗学的なフィールドワークしながら対話したり、
鴻池朋子さんと「根源的暴力」というテーマで本をつくったり。
そうした仕事から、
自分とは異なる視野を持った人たちとの協働を意識するようになりました。
山井: 自分のフィールドでも、違った視点を入れると発見がありますしね。
相互に絡み合うからおもしろい。
でも、シンパシーを感じる人と全然感じない人がいるじゃないですか。
実際に同じ場所で同じことをしてみないと、そういうのってなかなかわからないですよね。
それこそ野生の勘みたいなものって、実際に体験しないと備わっていかないと思います。
山井: そもそも、どうして人類学に興味を持ったのですか?
石倉: 実は中学生の頃、とても音楽が好きだったのですが、
同時にかなりハードな「仏教オタク」だったんですよ(笑)。
母が小学校の図工教師をしながら画家を続けていたのですが、
彼女が好きだった仏像やお寺のリサーチのために、毎年京都や奈良に出かけて行きました。
その関係で、土門拳が撮影した十二神将や観音菩薩の写真が、
実家の廊下や階段の壁にズラッと並べて貼ってあったんです。
実は幼少期はその仏像の目つきが怖くて、
毎晩仏像の写真全部に手を合わせないと安心して眠れなかったんですけれど……(笑)。
中学2年のとき、
急に「インドとパキスタンに行きたいから、ボディーガードとして同行しなさい!」
と言われて。ブッダの生涯に関係する聖地や、
ガンダーラ地方の仏像をたどる2週間のフィールドワークに行きました。
このときにアレキサンダー大王が連れてきた石工がつくった
ギリシア彫刻のような仏像を見たり、
チベットから亡命してきた僧侶たちと出会った体験が
その後の人生でジワジワと効いてきました。
のちに師事する人類学者の中沢新一先生の
『チベットのモーツァルト』という本と出会ったのもその頃です。
最初は難しくてなかなか読めなかった。でも「孤独な鳥の条件」という章に、
チベット仏教の瞑想修行を通して自分の現実感覚が変容していく
というエピソードがあって、すごくおもしろいなと思って読み進めました。
それで実際にインドに行き、ガンジス川で火葬した遺灰が撒かれているのを見たり、
亡命者としてインドで暮らすチベット人の僧侶たちにも出会って、
「こんな世界が本当にあるんだ!」と衝撃を受けましたね。
帰国後には、ダライ・ラマ法王の伝記や仏教書を買って読み漁りました。
ですから、人類学との出会いの前に、仏教との出会いがあったんです。
そういえば、インド旅行中、ちょうど思春期の多感な頃合いだったので、
ホテルの部屋で母とずっと一緒にいるのが辛くなって、
夜更けにひとりでまちに出ちゃったんです。
そしたら野犬に追いかけられて、必死で逃げていたら道に迷ってしまった。
大晦日でしたので、運よく夜中に家の前で火を焚いてパーティーをしている人に出会い、
助けてもらいました。なんだか打ち解けて、生まれて初めて密造酒を飲まされた(笑)。
結局朝方になって、そのひとりがバイクでホテルまで送ってくれて。
一方、母は地元の警察に捜索届を出して朝まで僕を探していて、こっぴどく叱られました。
いま考えれば、当然のことですが……。
それが最初のディープなフィールドワークだったのかもしれない。
自分の知らない世界があってその扉が開かれたときに、
「自分がここで生まれていたらどうなっていたんだろう」と想像しながら、
異なる世界と出会い直すことにハマっていったんです。
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山井: 音楽もそうですけど、人類学って語りかけてきますよね。
それこそフィールドワークで得たことを学生だったり、
書籍や講演、展覧会などを通してみんなに伝えるのが
石倉さんの今のお仕事だと思うんですけど、
伝えるということについて、なにか意識していることはありますか?
石倉: 大学院生のとき、改めてインドに行って自分の研究を始めました。
ダージリンで行った最初の現地調査で、
現地では神仏の化身と考えられているグルン族の聖者に出会いました。
彼と3か月くらい一緒に旅をしているとき、
よく「自分は池の水ではない。泉の水だ」と言っていたんです。
「自分は貯水池に貯めた知識を教えるのではなく、
常に泉のように沸きだしてくる知恵を人びとに伝えている」と。
この比喩を今でもよく思い出します。
火が刻一刻と生まれては消えていくように、水が常に湧き出して流れていくように、
常にそこで生成している知恵の感覚です。
誰かに伝えたり表現したりするとき、自分が知っている情報を誰かに教えてあげるという、
上から目線なやり方では限界があると思います。
キャンプでの焚き火もそうだと思うんですけど、
知恵は共有することではじめて具体的なかたちになる。
火を渡すだけではなく、その人もまた自分で火を熾したり、
それを使って別の用途へと変えていけるような力を、
自分も学生たちも一緒につけていけるようになれたらうれしいですよね。
もちろん知識を得ることは重要ですが、それが生活や体から分離しないように、
常に世界の内側に入り込んでいくことが重要だと思っています。
山井: それはスノーピークがずっと大切にしてきたところです。
もともとザイルなど、ロッククライミング用品から始まり、
キャンプから「衣食住働遊」に関わるローカルなライフバリューの提案へと
進化し続けている。でも、その根底には「自然との共生」という考えがあって、
ずっと変わらずに持ち続けています。
自然と文化って、急速に分け隔てられてきた感じがありますけど、
そもそも人間も自然の一部なわけで、
これからの時代にあったかたちでまた融合させていかなければならないと思うんです。
石倉: 人間が自然と再会し、再び融合するために、どう文明を変形させていったらいいか。
これまでの資本主義は無限の経済成長を夢見てきましたが、
本当に価値のあるものの有限性という認識については、あまりにもナイーヴでした。
今、僕たちが囲んでいる焚火台のように、
原始的な営みをすごくコンパクトな仕かけとして現代的に取り出してみると、
エネルギーが有限なものだということが、すごくよくわかりますよね。
自然はもちろん有限で、使い尽くしたら生物種の数は減っていく。
実際、現代は「第六の大量絶滅期」と呼ばれて、ものすごい数の希少種が消滅し、
人間の文明も危機に瀕しています。
この危機に対して産業や流通の構造を変えていくためには、
企業自身が、自らの基軸みたいなものをしっかりと持っていないといけないと思う。
そのためには「自然のエコロジー」だけでなく、
「社会のエコロジー」や「精神のエコロジー」を
しっかりと組み込んでいくことが重要です。
哲学者のフェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』という本で語っていることですが、
それこそが自然と文化をつなぎ直す実践につながってくるはずです。
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山井: 自然に対する配慮や尊敬とか、大切なものとして扱う姿勢は、
生活のなかにあると思うんですよね。非日常じゃなく、日常に。
薪を割って火を焚べたり、魚を焼いたりお米をといで炊いて食べたり、
日々の営みのすべてが自然とつながっている。
100年くらい前までは当たり前にやっていたことをまた当たり前にしていくのに、
キャンプはいいきっかけになると、私は信じています。
自然って、どこに軸足を置くかで意味合いが大きく変わってくると思うんですけど、
石倉さんにとって自然とは、どんなものですか?
石倉: 最近、コロナ禍で人のいるところに行けない代わりに、
休日には近所の海辺に行って魚釣りをしています。
すると、魚が釣れても釣れなくても、海中に釣り糸を垂らしているだけで、
太陽と海や大地の間で「垂直的なエネルギー交換」をしていることを
強烈に意識させられます。
光合成する植物プランクトンは動物プランクトンに食べられて、さらに魚に食べられる。
またその魚を人間が食べて、太陽のエネルギーが世界の中を循環して行きます。
そのことを意識すると、地球の中にちょっと場所を借りて、
魚釣りによってエネルギーの交換に参加している、という人間の条件が見えてきます。
この世界にあるすべての資源は、自然界から生まれてきている。
人間はそれを拠り所にして、少しの間「間借り」しているにすぎません。
そう考えると、都市の周りにある自然を「アウトドア」なんて言って、
都合よく「インドア」と行き来すること自体、疑わしくなります。
そのことを思い出すためにも、キャンプはいいきっかけになると思います。
キャンプを「日常」に取り込むことは、
惑星的な交換をすごく身近なレベルに引き戻す行為だと思います。
人間の周りに広がる「空間的自然」だけでなく、
人間のなかにある「時間的自然」を意識することにもつながるはず。
人間は、魚や鳥や昆虫と同じで、
原生生物から膨大な時間をかけて進化してきた自然界の一部です。
他者でありその一部でもある、多種多様なものとして自然とつき合っていくことが、
これからはもっと重要になっていくのではないかと思います。
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山井: テクノロジーはどんどん進化しているのに、
こうやって焚火を囲むことが新しいとされていることとか、なんだかおもしろいですよね。
今後を考えていくのは、こういう原始的な風景を見て、
結局はまた火から始まるというか。
石倉: アンドレ・ヴァラニャックという人類学者が言っていることなんですが、
20世紀は良くも悪くも「原子力とコンピューターの時代」だったと思うんです。
「原発とコンピューター」と言い換えてもいいけど、
結局は「電気の文明」だったじゃないですか。
電源や資源のことよりも、
電気がもたらす生活の便利さとか拡張性の方に関心が集まっていた。
その延長上で、僕らもコロナ禍においてずっとオンラインの画面上に投影された
拡張現実や、電気で動いている生活必需品に接しています。
電気が媒介するコミュニケーションは、もちろんすごく便利なんだけど、
それは「飼い慣らされた炎」みたいなもので、なかなか心と心がつながらない。
これに対して、火という現象は、人間が身体を持って接することができる
最も原初的なエネルギーだと思います。
コロナ禍でキャンプや焚火の需要が高まっている背景には、
そういった「火の直接性」への憧れがあるのかもしれない。
原発で生まれたエネルギーは防護服を着ないと接することができないし、
スマホやコンピューターだって脳の機能を外に取り出しているようなものだから、
内臓感覚や身体のほかの機能が欠けています。
でも、火に当たることによって、僕たちは熱源への適切な距離感だとか、
煙や灰の物質感、身体的な温もりの感覚が得られると思うんです。
極限まで進化した電気製品を使いこなしたり、
AIの助けを借りたりしてスマートな暮らしをすることは
現代人にとって大切なことだけれど、「生きる力」に触れるためには
やっぱり火に当たること、炎を見つめることが大切だなあ、と感じています。
山井: そういう身体性を取り戻していくために、
実際にフィールドに出て体感することが重要なんだと思います。
相変わらず世界中でコロナ禍が続くなかで、
もちろんテクノロジーも身体性を持つ方向に変わりつつあるとは思うんですけど。
石倉: そうですね。アーティストの宇川直宏さんはオンラインとオフラインの
ハイブリッドで展開している〈DOMMUNE〉の活動を
「魂の濃厚接触」と紹介していましたが、
遠隔と対面を織り合わせて接触体験を再定義していくことは今とても大切ですよね。
人と人の接触だけではなく、人と動物、人と植物など、
コンタクトゾーンを広げる芸術表現も次々に生まれています。
20世紀に「コミュニケーション」と呼ばれてきた何かが、
今改めて接触や交信の多種多様な回路として、
とらえ直されようとしているのかもしれません。
梨沙さんが『FIELDWORK』という本を書いたり、
フィールドに出て得られる体験について語ることは、とても意味があると思います。
人類学者はフィールドワークという手法でコンタクトゾーンの状況を記述したり、
自分自身もそのなかで変容していく体験を語ってきました。
今この言葉は、アカデミックな専門領域を超えて、
本当に多くの領域で使われるようになってきています。
人と人との接触自体が難しい今の時代だからこそ、
その必要性が再認識されてきているのかもしれません。
ここから何が見えてくるのか、フィールドの具体的な体験から、
どんな新しい文化が生まれてくるのかが鍵になると思います。
今までにないコンタクトの仕方を、一緒に考えていきましょう。
profile
TOSHIAKI ISHIKURA
石倉敏明
1974年東京生まれの人類学者。秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻准教授。シッキム、ダージリン丘陵、カトマンドゥ盆地や日本の東北各地でフィールドワークを行った後、環太平洋地域の比較神話学や非人間種のイメージを巡る芸術学的研究を続けている。美術作家や音楽家との共同制作活動も多く、2019年には「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際芸術祭」の日本館展示『Cosmo-Eggs 宇宙の卵』に参加。共著に『野生めぐり 列島神話をめぐる12の旅』『Lexicon 現代人類学』などがある。
Web:秋田公立美術大学 石倉敏明
profile
LISA YAMAI
山井梨沙
1987年、新潟県生まれ。創立者の祖父・幸雄、現代表取締役会長の父・太から代々続く〈スノーピーク〉の3代目。幼い頃からキャンプや釣りなどのアウトドアに触れて育つ。2014年の秋冬にアパレル事業を立ち上げ、スノーピークが培ってきた“ないものはつくるDNA“を受け継いだものづくりを次世代のフィルターを通し発信。2018年からはプロダクト全般の統括のほか、「LOCAL WEAR」プロジェクトなど、新たな試みも率先して牽引。2019年より代表取締役副社長。2020年3月より現職。
同子会社の株式会社スノーピーク地方創生コンサルティング取締役、Snow Peak London,Limited.ディレクター兼任。
「公正な対価と野生の素材や技法にこだわり、あらゆる境界線を取り払う“豊かさ”の定義を変える服」をコンセプトにした新ブランド「YAMAI」を立ち上げる。
著書に『FIELDWORK ─野生と共生─』、ドキュメンタリー映像として「HIJIRI -日知-」がある。
Web:スノーピーク
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