花いっぱいの小豆島、
「自然と近い暮らし」のなかで
感じる“春”という季節

“コンパクトな田舎”で感じる春

4月、小豆島ではあっちこっちで春の景色が広がっています。

私が暮らしているところは、小豆島の肥土山(ひとやま)という農村集落で、
家のすぐうしろは山、家のまわりには畑や田んぼが広がっています。
わかりやすくいうと田舎です(笑)。

田舎にもいろいろあると思いますが、北海道みたいに遠くまで畑の風景が続くような
広大な田舎もあれば、小豆島のようにとってもコンパクトな田舎もあります。
ご近所さんの家がすぐ隣にあったり、家と家の間に小さな田んぼがあったりと、
狭いエリアに家や畑がぎゅっと集まっていて、それがこの場所の魅力でもあると思います。

わが家のすぐ隣の畑からの眺め。小さな畑が段々になっています。

わが家のすぐ隣の畑からの眺め。小さな畑が段々になっています。

さて、こんな場所で暮らしていると、
季節の移り変わりを教えてくれる要素がたくさんあります。
春がやってくるとき、最初に感じるのは「光」の変化。
2月上旬、立春の頃から、太陽の光が強くなっていき、
風景の色が少しずつ変わっていきます。

春が近づいてくると、海のキラキラ感がアップしてきます。ついつい車を停めて写真を撮りたくなる景色。

春が近づいてくると、海のキラキラ感がアップしてきます。ついつい車を停めて写真を撮りたくなる景色。

レモンの葉にあたる日差しも強くなり、葉っぱが輝いて見えるように。

レモンの葉にあたる日差しも強くなり、葉っぱが輝いて見えるように。

まだまだ気温は低く、山や畑も枯れ葉の茶色が目立ちますが、
日差しが強くなってくると、風景のコントラストも強くなっていき、
静かで穏やかだった冬もそろそろ終わりが近いなぁと
(農家としては繁忙期に入ってくるので)、ちょっとハラハラしてきます。

3月になると、わが家の庭のサクランボの花が咲き始めます。
サクランボの花は、観賞用の桜よりも1か月くらい早く咲きます。
うっすらピンク色の小さくて素朴な花ですが、
このサクランボの花が咲くといよいよ春がくるなといつも思います。

今年のわが家のサクランボは3月10日に開花宣言。

今年のわが家のサクランボは3月10日に開花宣言。

3月中旬頃には満開。サクランボの花はすぐにしおれてしまうけど、このあと5月頃にはかわいい赤い実をつけてくれます。

3月中旬頃には満開。サクランボの花はすぐにしおれてしまうけど、このあと5月頃にはかわいい赤い実をつけてくれます。

続いて、ご近所さんの家のハクモクレンが華やかに咲きほこり、
畑ではアブラナ科の野菜の黄色い菜の花や、
ルッコラの小さな白い花が次々と咲いていきます。

ルッコラの花。食べるとちゃんとルッコラの味がします。

ルッコラの花。食べるとちゃんとルッコラの味がします。

今年特にきれいだなぁと感じたのは、赤峰大根の花。
大根もアブラナ科なのですが、薄ピンク色の赤峰大根の菜の花がかわいいんです。
ちなみに食べるとピリ辛。

赤峰大根の菜の花。

赤峰大根の菜の花。

春の畑ではいろんな菜の花を楽しめます。大根の菜の花はぴりっと辛かった。

春の畑ではいろんな菜の花を楽しめます。大根の菜の花はぴりっと辛かった。

北海道で暮らして12年。
息子の小学校卒業で
移住にひと区切りがついたと感じて

北海道への移住や地域活動の原動力は、子どものことだった

3月19日、息子が小学校を卒業した。
美流渡(みると)からスクールバスで15分ほどのところにある、
全校児童30名ほどの小規模校・岩見沢市立メープル小学校に通っていた。
卒業生ひとりひとりが、自分の言葉で中学校へ向けての抱負を語り、
また両親や先生に向けた感謝の言葉もあった、あたたかな式だった。
背中のランドセルがやけに大きく感じたあの日から6年が経った。

卒業に際して制作した自画像と陶芸作品。

卒業に際して制作した自画像と陶芸作品。

東京から北海道へ一家で移住したのは息子が生後9か月の頃。
その成長は北海道で暮らした日々と重なる。
移住のきっかけは東日本大震災。
当時、原発事故による放射性物質がさまざまな場所に飛散し、
関東にもホットスポットができており、そこからできるだけ遠く離れ、
子どもを安全な場所でのびのび育てたいという思いがあった。

夫の実家のあった岩見沢市に身を寄せたのは2011年夏。
まちなかで暮らし始めたが、数年後に山あいの地区に縁ができ、美流渡へ引っ越した
息子は美流渡小学校に入学。児童が10名に満たない小さな学校。新入生は4名だった。

美流渡小学校の教室。(撮影:佐々木育弥)

美流渡小学校の教室。(撮影:佐々木育弥)

隣には美流渡中学校があった。
こちらも生徒の人数はわずかで行事を一緒に行い、つねに交流があった。
小中学校あげての運動会は、父母はもとより地域住民も参加し賑やかなものだった。
こんなふうに地域の拠点であったが、過疎化の波によって小中学校ともに2019年に閉校
小学校はメープル小学校に統合された。

小学校の閉校式。息子は2年生だった。(撮影:佐々木育弥)

小学校の閉校式。息子は2年生だった。(撮影:佐々木育弥)

「自分の人生でいちばん悲しかったことは、美流渡小学校が閉校したこと」

あるとき息子はそう語った。
閉校を食い止めるために、できる限りのことをしたのだろうかと私は自問自答した。
やがて閉校したことは受け入れるしかないが、校舎がそのまま寂れてしまうのは忍びない、
活用の道を探ってみたいと思うようになった。
そこで市民や大学生などを集めた校舎活用の話し合いの場をつくり、
意見交換をするようになった。

市役所の方針を知ることができず、話し合いは草の根の活動だった。
私は、話し合いの議事録をつくり、市に提出することを続けていった。

話し合いでは毎回、ゲストスピーカーを招いた。株式会社〈良品計画〉の廃校活用の取り組みなどを鈴木恵一さんに解説してもらったこともあった。

話し合いでは毎回、ゲストスピーカーを招いた。株式会社〈良品計画〉の廃校活用の取り組みなどを鈴木恵一さんに解説してもらったこともあった。

そんななかで画家のMAYA MAXXさんが東京から移住。
校舎の1階に打ちつけられた窓板に絵を描くなど、
活用の具体的な提案をMAYAさんがしてくれたことがきっかけとなって、
地域の仲間と一緒に中学校校舎の試験活用を行えることとなった。
一昨年、昨年と校舎でイベントを開催。
地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』
『みんなとMAYA MAXX展』はこれまでで合計5000名の来場者があった。
今年もゴールデンウィークにふたつの展覧会を実施予定。準備に追われている。

小豆島からまちへ。
朝6時半のフェリーに乗って
島から高校に通う

春からついに高校生になる娘

春がやってきますね。
小豆島では黄色のミモザ、白いモクレン、ピンクの桜、あちこちで春の花が咲いています。
鳥たちの鳴き声も増えて、日に日に春らしくなっていくのを感じます。

さて、この3月に我が家のひとり娘が中学校を卒業しました。
小豆島に移住してきた頃は、幼児園の年中さん。
それから小学校、中学校と9年間、島の学校に通い、無事に卒業。
この春からは小豆島から船に乗って高松市の高校に通うことになりました。

春の瀬戸内海を進むフェリー、オリーブライン。小豆島と高松を結びます。

春の瀬戸内海を進むフェリー、オリーブライン。小豆島と高松を結びます。

高校受験の前日、高速艇に乗って高松へ。島外の学校を受験する島の子たちは、試験当日船が動かないと困るので、前日から移動します。

高校受験の前日、高速艇に乗って高松へ。島外の学校を受験する島の子たちは、試験当日船が動かないと困るので、前日から移動します。

小豆島に引っ越すことを決めて準備をしていた頃、
「島って子どもの教育的には大丈夫なの?」と聞かれたことがあります。
そのときはなるようになる! とあまり深く考えませんでしたが、
たしかに子どもが成長するにつれていろいろ考えることも増えました。
今回はそのことを書いておこうと思います。

小豆島に引っ越してきたばかりの頃の娘。陽気ですね。

小豆島に引っ越してきたばかりの頃の娘。陽気ですね。

今の時代、「少子高齢化」という言葉をよく耳にすると思いますが、小豆島ももれなく少子高齢化。
小豆島に引っ越してきて、通い始めた幼児園の同級生は5人。
それまで通っていた愛知県の保育園と比べたらとっても小規模になりましたが、
違う年齢の子たちと触れ合うことも多く、田んぼや山道をよく歩いたりして、
自然のなかで、みんなでのびのびと過ごす様子がとてもいいなぁと感じていました。
ちなみに、小豆島にはこども園や幼稚園など全部合わせると10か所以上あり、
定員が230人ほどの大きなところもあります。

小豆島の子どもの人数はどんどん減っています。
小豆島にはふたつの行政(町)があり、
私たちが暮らしている土庄(とのしょう)町には小学校が1校、中学校が1校あります。
高校は小豆島全体で1校。
私たちが引っ越してきてから、こども園が統合され、小学校が統合され、
高校が統合され、現在も統廃合が進んでいます。

娘の中学の同級生は約90人いるのですが、
住民基本台帳ベースによると2021年の土庄町の出生数は45人。
約15年ほどで娘たちの同級生の数の半分まで減ってしまうなんて
(小豆島に引っ越してくるなどして、子どもの数が増える可能性もありますが)。
減少のスピードにびっくりしました。

小学1年生の頃、近所のお兄ちゃんと一緒にスクールバスの乗り場まで歩いていきました。

小学1年生の頃、近所のお兄ちゃんと一緒にスクールバスの乗り場まで歩いていきました。

帰り道にちょっと寄り道。田んぼのなかを歩く娘。

帰り道にちょっと寄り道。田んぼのなかを歩く娘。

絶品ご飯のおともから
焼酎といちじくを使用した
ショコラテリーヌまで。
「贈り物」にぴったりなまちの味


今月のテーマ 「贈り物」

ちょっとしたお礼や手土産、お祝いごとなどに欠かせない「贈り物」。
何を贈るかあれこれ悩む人も少なくないのでは?

そこで今回は全国にお住まいのみなさんに
まちの魅力が詰まったおすすめの「贈り物」を選んでもらいました。

お世話になった人や大切な人へのプレゼントにいかがですか?
もちろん、頑張っている自分へ贈るのもアリです。

【新潟県新潟市】
新潟のうまいもの大集結! 産直セレクトショップ〈KITAMAE〉で
人気の贈り物を紹介

新潟市の総合ショッピングセンター〈DEKKY401〉内にある
産直セレクトショップ〈KITAMAE〉は、
県内最大規模の産直ECサイト〈新潟直送計画〉の実店舗として人気を博しています。

今回は〈KITAMAE〉ギフトセットの考案などを担当している小野塚愛さんに
約1万6千点もの商品のなかから人気の贈り物を教えてもらいました。

ギフト担当の小野塚愛さん。

ギフト担当の小野塚愛さん。

まずは、県内の人気店の味を集めた焼き菓子の詰め合わせ。

焼き菓子の詰め合わせ 1197円。

焼き菓子の詰め合わせ 1197円。

内容は、長岡市〈加勢牧場〉のガンジーマドレーヌ、
ガンジーレモンケーキ(上段)と、
五泉市〈渡六菓子店〉のサンクフォンテーヌとタルトノア(下段)。
こだわりの味をぜひ召し上がれ。

お次は、白米が止まらなくなること間違いなし!
絶品ご飯のおともセット。

絶品ご飯のおともセット 3294円。

絶品ご飯のおともセット 3294円。

〈三幸〉の〈新潟三幸ごほうび便 かき〉、
〈KITAMAE〉の全商品のなかで人気No.1〈阿部幸製菓〉の〈柿の種のオイル漬け〉、
〈小川屋〉の〈紅さけ 荒ほぐし〉。
海の幸を堪能できるセットになっています。

最後に紹介するのは、予算を約1万円に設定して、
小野塚さんに特別に組み合わせてもらったこちら。

お母さんからの仕送りセット1万円。内容は、新潟の味であるのっぺい汁のパウチに、ちょっと変わり種の柿の種、名物バスセンターのカレーに車麩、お米、へぎそば、村上牛ビーフカレー、かんずり、のどぐろの味噌汁の素、日本酒、新潟五大ラーメンの詰め合わせです。

お母さんからの仕送りセット1万円。内容は、新潟の味であるのっぺい汁のパウチに、ちょっと変わり種の柿の種、名物バスセンターのカレーに車麩、お米、へぎそば、村上牛ビーフカレー、かんずり、のどぐろの味噌汁の素、日本酒、新潟五大ラーメンの詰め合わせです。

新潟の味であるのっぺい汁のパウチに、
お米やへきそば、かんずり、のどぐろの味噌汁の素など
お母さんの愛情が感じられる地元の味がぎゅっと詰まったラインナップ。
日本酒やちょっと変わり種の柿の種なども入っているのもたまりません。

今回ご紹介したものはオンラインショップ「新潟直送計画」
でも一部の商品を見つけていただけます。

大切な人への贈り物に、新潟の味をお楽しみくださいね。

information

map

KITAMAE

住所:新潟県新潟市中央区上近江4-12-20 DEKKY401 2F

TEL:025-378-0839

営業時間:10:00〜20:00

Web:KITAMAE

オンラインショップ:新潟直送計画

※表示価格は取材時と変更となっている場合がございます。

profile

齋藤悦子 さいとう・えつこ

新潟在住のフリーライター。しばらく勤め人でしたが、ひょんなことからライターの道へ。南魚沼市→新潟市→阿賀町→新潟市と県内を転居する生活をしています。寝るのが大好き、朝が苦手、スノーボードとたまに登山、ラジオとエッセイとレモンチューハイが好き。
Instagram:@suzuki_epi/

徳島市から阿南市、美波町、海陽町へ。
四国の右下、
海沿いを南下するサステナブルな旅

倉庫街のあり方を変えた〈アクア・チッタ〉

徳島県の県庁所在地である徳島市から西方向に目を向ければ、
ごみゼロを目指すゼロ・ウェイストで有名な上勝町や、
多くのサテライトオフィス誘致の事例がある神山町など、
先進的な取り組みをしている自治体が多い。
今回は徳島市から海沿いを南下して、高知県境まで旅をする。
こちらの地域もまたソーシャルな気づきを得られる旅となった。

まずは徳島駅から車で10分弱の万代中央ふ頭へ。
東西500メートルに渡るいわゆる倉庫街だが、近年、倉庫を転用した事務所の開設、
カフェや書店、家具店、古着店などのオープンが続いている。

万代中央ふ頭の倉庫街。

万代中央ふ頭の倉庫街。

その仕掛け人といえるのがNPO法人〈アクア・チッタ〉理事の岡部斗夢さんだ。

「近くに新しい港ができて、1990年代後半から物流機能が移転し、
倉庫としての機能が低下していきました」と教えてくれた。

「しかし港湾施設なので、簡単に転用ができません。
それでも地域の活性化を目指して、とにかく掃除から始めました。
そして2005年に『アクアチッタフェスタ』を開催し、19年までに15回開催。
最終的には1万7千人を集めるイベントになりました」

アクア・チッタの理事、岡部斗夢さん。東京の〈寺田倉庫〉の活用を見て刺激を受けたという。

アクア・チッタの理事、岡部斗夢さん。東京の〈寺田倉庫〉の活用を見て刺激を受けたという。

現在では20棟の倉庫のうちおよそ3分の2が転用され、
30の事業者が利用しているという。
最近では1棟貸しではなく、
小規模事業者に向けて分割して貸す取り組みも始まっている。

「倉庫に興味を持ってくださる方はたくさんいますが、
どれも100〜150坪という大きな倉庫なので、
リノベーションをするとすぐに1千万円くらいかかってしまいます。
そこで私の〈ユニフォーク〉という会社で倉庫を借りて分割し、
シェアショップとしてお貸ししています。
6坪くらいから、そして1日や1週間という単位でも貸し出し可能です。
立ち寄りやすい空間をつくることで、地域の回遊性を高めたいと思っています」

もともとあった倉庫名や壁の質感など、雰囲気を残したリノベも多い。

もともとあった倉庫名や壁の質感など、雰囲気を残したリノベも多い。

新しい箱をつくるのではなく、すでにあるものを再利用していく取り組み。
特にこのふ頭では、建物それぞれではなく地域で統一された、
倉庫街としてブランディングされた活性化を目指す。

「港の倉庫街という風情を残したい」と岡部さんは言う。
どの施設も、倉庫としての佇まいを残しながら、うまくリノベーションされている。
“倉庫街に出かけよう”というお出かけが、
徳島市内では少しずつ人気になっているようだった。

information

map

NPO法人アクア・チッタ

住所:徳島県徳島市万代町5丁目

web:NPO法人アクア・チッタ

弟子屈中学校の授業で
アカエゾマツの森を学ぶ。
動画『森の中へ』も完成!

地元の中学生と歩いた「アカエゾマツの森」

きっかけは、地域おこし協力隊の同期、高橋志学くんからの誘いだった。
「弟子屈中学校の先生から
『協力隊と一緒にできることはないでしょうか?』と相談を受けました」

昨年の初夏のこと。
「アカエゾマツの森」を、できるだけ多くの人(とくに町民)に
知ってもらいたいと考えていた私は、迷わず手を挙げた。

そして実現したのが、2日間におよぶ
弟⼦屈中学校1年生 × 東京農業⼤学教授・上原巌先⽣
「川湯の森の散策と森林講座」
(この模様は、上原先生のブログに楽しく紹介されているので、
ぜひご覧ください)

2020年から毎年、弟子屈町の森を訪れている、東京農業大学教授・上原巌先生。「川湯の森の散策と森林講座」は、弟子屈町の広報誌の表紙も飾った。

2020年から毎年、弟子屈町の森を訪れている、東京農業大学教授・上原巌先生。「川湯の森の散策と森林講座」は、弟子屈町の広報誌の表紙も飾った。

1日目は中学校の講堂でスライドを観ながら、
「森とは何なのか?」「弟子屈町にはどんな森があるのか?」など
アカエゾマツなどの蒸留をしつつ学んだ。

2日目は「アカエゾマツの森」と、近くにある「川湯の森」をみんなで歩いた。
「この森は、どんな風に感じる?」「この葉っぱ、どんな形をしている?」
上原先生は、いつも問いかける。
そして参加者は、眺めるだけでなく、考えるようになる。
すると木や森は、いつもとは違う姿をどんどん見せてくれるのだ。

2日目には「アカエゾマツの森」。中学生はタブレットを持ち、写真を撮りながら歩く。

2日目には「アカエゾマツの森」。中学生はタブレットを持ち、写真を撮りながら歩く。

地域紹介の似顔絵マップ、
更新を続けて6年! 
まちの変化の大切な記録となって

地域の話題を入れ込んで、次第に充実!!

私が住む北海道・岩見沢の山あいの地域を紹介するマップづくりを始めたのは2017年。
マップの名前は〈みる・とーぶmap〉
この地域一帯は東部丘陵地域と呼ばれていて、
「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉とつけた。

毎年欠かさず更新を続けていて、今回で6度目の更新となる。
表面は写真とスポット紹介、裏面は似顔絵マップとなっていて、
似顔絵の制作やデザインも私が担当している。
当初は、いわゆる観光スポット的な場所の少ない地域にあって、
いちばんの魅力はそこに暮らす人なのではないかと考えて、
似顔絵がメインのマップとなっていた。
表面には、この地域がさまざまなエリアに分かれていたため、
その特徴をざっくりと紹介してきた。

2017年、最初につくったマップ。表面では万字、毛陽、美流渡、朝日などエリアごとの特徴を紹介。

2017年、最初につくったマップ。表面では万字、毛陽、美流渡、朝日などエリアごとの特徴を紹介。

それがやがて年を重ねるごとに、ゲストハウスや体験施設が増え、
旅人が立ち寄れるスペースもできたことから、
店舗などの紹介コーナーを設けるようになっていった。

昨年のもの。店舗など立ち寄れるスポットが増えている。

昨年のもの。店舗など立ち寄れるスポットが増えている。

今年の更新では、思い切ってイメージを大きく変えることにした。
表紙となる部分には、これまで「みる・とーぶ」のロゴマークを掲載していたのだが、
今回からは美流渡に3年前に移住した画家・MAYA MAXXさんが描いたクマの顔に。
また、クマのまわりにはMAYAさんが描いてくれたハートを散らした。

右側が表紙の部分。地域全体を示したマップにはMAYAさんが描いたクマの絵がどこで見られるのかのポイントも入れた。

右側が表紙の部分。地域全体を示したマップにはMAYAさんが描いたクマの絵がどこで見られるのかのポイントも入れた。

そして一昨年、昨年とMAYAさんが地域のさまざまな場所に描いた
絵についての紹介コーナーを設けた。
それは看板やシャッターといった平面だけではない。
赤字が続いていた路線バスが廃止され、
昨年春より運行が始まったコミュニティバスの車体にも絵が描かれた。
そのほか、MAYAさんの活動拠点となっている旧美流渡中学校をはじめ、
巨大な食品倉庫に描いたクマなど、地域にひとつまたひとつと絵が増えている状況も紹介。
いずれの絵もバス路線にそって設置されているので、
バスに乗りながらMAYAさんの絵を見る旅もできるようになっている。

左下がコミュニティバスの紹介。右側がMAYAさんの絵が見られるスポット紹介。

左下がコミュニティバスの紹介。右側がMAYAさんの絵が見られるスポット紹介。

コミュニティバスの車窓からもMAYAさんの絵を見ることができる。(撮影:久保ヒデキ)

コミュニティバスの車窓からもMAYAさんの絵を見ることができる。(撮影:久保ヒデキ)

地元のお米で米麹づくり、
米麹たっぷりの味噌をつくる

味噌づくりのための施設で米麹からつくる

小豆島で2015年から始めた味噌づくり。
今年で8年目になります。

毎年、年が明けると「今年は味噌をいつ仕込もうかねぇ」と友人と話し出します。
味噌は、大豆やお米、麦などの穀物に、塩と麹を加えて発酵させてつくる発酵食品。
暑い時期に仕込むと、温度、湿度が高いためにカビが生えやすかったり、
一気に発酵が進んでしまうことでおいしい味噌にならなかったり。
家庭でつくる場合は冬場に仕込むことが多いと思います。
私たちもだいたい2〜4月くらいに味噌づくりをして、
半年後の夏の終わり頃から食べ始める感じです。

去年仕込んだ味噌。1年経っておいしいお味噌になりました。

去年仕込んだ味噌。1年経っておいしいお味噌になりました。

今年は、島の友人と3人で味噌づくりをすることに。
私たちの味噌づくりは米麹づくりから始まります。

今年は友人と3人で味噌づくり。もうひとりは写真を撮ってくれた牧浦知子ちゃん。

今年は友人と3人で味噌づくり。もうひとりは写真を撮ってくれた牧浦知子ちゃん。

まずは味噌づくり0日目の夜、お米15キロを洗って水に浸しておきます。
15キロ! 1斗です、言い換えると10升です、つまり100合です!
洗うだけでもひと苦労。

なぜ15キロかというと、1回で15キロの米麹をつくることができる
自動製麹(せいぎく)機を使うことができるからなんです。
私たちが味噌づくりをしている場所は、地域で管理している味噌づくり専用の施設
(私たちは「みそ小屋」と呼んでいる)で、地元の人はその施設を利用できます。
そこに製麹機があり、この機械が温度を管理してくれるので、
安定した米麹をつくることができるんです。
このみそ小屋があるのは本当にありがたい。

加温したり冷却したり、温度管理をしてくれる自動製麹機。

加温したり冷却したり、温度管理をしてくれる自動製麹機。

米麹って価格がけっこう高いものなんです。
だから、米麹の割合が多い味噌は贅沢品です。
甘めのお味噌になります。

さて、水に浸しておいた15キロのお米ですが、味噌づくり1日目の朝、
ざるに上げて水をしっかり切っておきます。
水が切れたら、40分ほどお米を蒸します。

15キロのお米を2段の蒸し器3台で蒸します。お米に指で穴を開けて、全体に蒸気が行き渡るように。

15キロのお米を2段の蒸し器3台で蒸します。お米に指で穴を開けて、全体に蒸気が行き渡るように。

蒸した米4〜5粒を指で7〜8回ひねって餅になるくらいになったら、布の上に広げます。
しっかり広げて、何度もひっくり返して、人肌くらいに冷まします。
冷めたら、種麹となる麹菌(粉状になってます)をぱらぱらとふりかけて、
米全体になじませるように混ぜ込みます。

蒸したお米を広げて急いで温度を下げます。40度くらいに冷めたら麹菌をふりふり。

蒸したお米を広げて急いで温度を下げます。40度くらいに冷めたら麹菌をふりふり。

ここポイントですが、あっつあつの蒸したお米に種麹をまぶしたら、
“こうじくん”たちが死んでしまいます。
人肌くらいのやさしい温かさが快適で、その快適な環境を保つことで、
麹菌はどんどん増えていきます。

新幹線でビュンと移動、
城下町・信州上田で
ワーケーションする良さとは?

新幹線でビュンと移動、城下町・信州上田でワーケーションする良さとは?

コロナ禍を機に、テレワークに切り替えた企業も多かったため、
全国各地にテレワーク施設が増えた。
そのなかで、地方の観光を楽しみながら
通常通りに仕事も行う「ワーケーション」という新しいワードも登場。
今やすっかり定着、普及した。

オフタイムの過ごし方も合わせ、
地域ごとに個性を打ち出しているワーケーションだが、
テレワーカーからすると、どこに出かけて仕事をしたらいいのか
と迷うばかりである。

そんな人には東京駅から新幹線で約90分と、アクセスしやすい長野県上田市がおすすめだ。
上田の特色は企業向けワーケーションに力を入れていること。
テレワーク施設には、テレワーカーたちの力になるコンシェルジュ的存在なる
「コーディネーター」が常勤し、相談すると地元とのコネクションを考えてくれる、
力強い味方だ。

そんな上田をまずはバケーション視点での魅力から紹介しよう。

上田は戦国時代の氏族、真田家発祥の地であり、真田昌幸から続く三代の本拠地。歴史好きに人気の観光地だ。

上田は戦国時代の氏族、真田家発祥の地であり、真田昌幸から続く三代の本拠地。歴史好きに人気の観光地だ。

上田駅到着と同時に、まるで時代を飛び越えたような感覚になるのは、
NHK大河ドラマ『真田丸』でもおなじみ、真田幸村の銅像が迎えてくれるからだろうか。
ここは、真田一族ゆかりの地で、信州きっての城下町。
放映当時の2016年は、721万人も観光客が訪れたという。

上田城跡公園。戦国時代、難攻不落といわれた上田城であるが、関ヶ原の戦い後、真田昌幸、幸村父子は九度山(和歌山県)に幽閉され、上田城は徳川氏に破壊されている。その後も歴史とともに数奇な運命をたどり、櫓などが復元され、現在の上田城跡公園としての形ができあがった。

上田城跡公園。戦国時代、難攻不落といわれた上田城であるが、関ヶ原の戦い後、真田昌幸、幸村父子は九度山(和歌山県)に幽閉され、上田城は徳川氏に破壊されている。その後も歴史とともに数奇な運命をたどり、櫓などが復元され、現在の上田城跡公園としての形ができあがった。

上田城の東虎口櫓門には、「信州上田おもてなし武将隊」の真田幸村たちが旅行者をもてなしている。

上田城の東虎口櫓門には、「信州上田おもてなし武将隊」の真田幸村たちが旅行者をもてなしている。

東京駅からは新幹線で90分の距離だ。
都内に通勤している人がいてもおかしくはない。

とはいえ、せっかく古都風情を味わえるまちなのだから、
滞在しないのはもったいない。
山間の城下町で、暮らす気分でテレワーク。
これが上田ワーケーションの醍醐味だ。

旧北国街道の古き良き風情を残す、柳町のまち並み。映画のロケ地にもなっている。パンの〈ルヴァン〉や日本酒〈亀齢〉の〈岡崎酒造〉、ワイナリーの〈はすみふぁーむ〉直営カフェもあり、周辺には、フレンチ、イタリアンなどの個人店が点在し、ランチめぐりも楽しい。

旧北国街道の古き良き風情を残す、柳町のまち並み。映画のロケ地にもなっている。パンの〈ルヴァン〉や日本酒〈亀齢〉の〈岡崎酒造〉、ワイナリーの〈はすみふぁーむ〉直営カフェもあり、周辺には、フレンチ、イタリアンなどの個人店が点在し、ランチめぐりも楽しい。

しかも、上田市内には、「美人の湯」で知られる信州最古の温泉、別所温泉もある。
風情のある温泉街と地域のソウルフードが好きな人にはたまらないワーケーション先だろう。

上田から上田電鉄別所線で別所温泉まで約30分。

上田から上田電鉄別所線に乗って別所温泉までは約30分。

ミントグリーンのレトロな駅舎は撮影地としても人気。

ミントグリーンのレトロな駅舎は撮影地としても人気。

平安時代から続くといわれる、いで湯の里・別所温泉にもコワーキング施設が点在する。ランチの後に、さっと無料の足湯〈ななくり〉でリフレッシュできるのも温泉地でのワーケーションならでは。もちろんリモートワーク後に、共同浴場の湯めぐりで疲れを癒すことも可能。

平安時代から続くといわれる、いで湯の里・別所温泉にもコワーキング施設が点在する。ランチの後に、さっと無料の足湯〈ななくり〉でリフレッシュできるのも温泉地でのワーケーションならでは。もちろんリモートワーク後に、共同浴場の湯めぐりで疲れを癒すことも可能。

もう少し足を延ばすと、鹿が教えた湯といわれる
「鹿教湯(かけゆ)温泉」も上田にはある。

下田に移住したカメラマンが撮り続けた
海人の姿。
写真展『海と、人と』開催

海人さんから学んだ、生き方と食の原点

かつて九州の天草諸島で撮影して以来、
海人さんの存在に強く惹かれていた津留崎徹花さん。
下田に移住してからも、積極的に海人さんを撮影し続け、
とうとう東京で写真展を開催することになりました。
徹花さんが感じた、
自然と寄り添う海人さんの生き方や考え方、
そして食の原点を、
写真を通して改めて考える機会になりそうです。

特別な道具がなくても麹はできる?
赤ちゃんを育てるように
麹を育てた冬の味噌づくり

東京から移住して、保存食づくりが日課に

移住して暮らしに変化があったことのひとつが、保存食をつくるようになったこと。
東京で出版社に勤務していた頃は、毎日のように終電で帰り、
土日も取材で出かけることが多く、料理に時間をかけることはほとんどなかったし、
つくることにそれほど興味を持っていなかった。
けれど北海道で暮らしていると保存食を上手につくっている人が、
周りにたくさんいることを知った。

またホームセンターでは、季節になると保存食づくりの材料が豊富に売られていて、
自分でもやってみたいと思うようになった。

毎年の恒例行事となっているのが梅干しづくり。

毎年の恒例行事となっているのが梅干しづくり。

梅干し、ジャム、トマトピューレ、乾燥野菜など、
時期に合わせていろいろつくっていて、今年は久々に味噌に挑戦することにした。
初めて味噌をつくったのは2015年。
教えてくれたのは、有機栽培の野菜や無添加食品を扱う八百屋さんを通じて知り合った、
おがわまさえさん。

おがわさんの家では祖母、母、おがわさんと3代にわたって味噌をつくっているという。

2015年、初めての味噌づくり。

2015年、初めての味噌づくり。

2年ほど一緒につくらせてもらっていたのだが、
その後は仕事も忙しかったこともあって時期を逃してしまっていた。
重い腰が上がらなかった理由は、味噌づくりは量によっては半日以上かかるし、
ひとりで黙々とやるのはしんどいから。
そんななか、今年は近所の友人が一緒につくろうと声をかけてくれた。

友人とは、この連載でその活動を紹介したこともある笠原麻実さん
私の住む美流渡(みると)から車で10分ほど山あいに行った万字地区で、
〈麻の実堂〉という名でハーブブレンドティーの販売と
タイ古式マッサージのサロンを営んでいる。

笠原麻実さん。オーガニックハーブを使ったワークショップも地域で開催している。写真はリップバームづくりの様子。

笠原麻実さん。オーガニックハーブを使ったワークショップも地域で開催している。写真はリップバームづくりの様子。

「路子さん、麹から一緒につくりませんか? 楽しいですよ!」

そう麻実さんは提案してくれた。味噌の材料は大豆と塩、そして麹。
私はこれまで麹は麹屋さんで買っていた。
なんとなく自分でつくるのは大変そうというイメージがあったのだが、
麻実さんによると特別な道具がなくても大丈夫なのだという。
ということで、2月初旬、まずは麹づくりからやってみることとなった。

〈モノサス〉副社長・永井智子さん
「どこでも仕事はできる」
周防大島町に
サテライトオフィスをつくる

リモートワークやテレワークという言葉は今や日常的に使われるようになった。
実際に、ネットワーク環境さえ整っていれば働けるという職種も少なくない。

東京・代々木に本社を構える〈株式会社モノサス〉は、
Web制作事業を主にマーケティングやプランニング、
デザイン、コーディング、運用などを行うIT企業である。
2017年、取締役副社長の永井智子さんが東京から山口県の周防大島町に移住し、
徳島県の神山町に続くふたつめのサテライトオフィスを開設した。

永井さんは島ではどのような働き方、暮らし方をしているのだろう。

周防大島町の母の生家をオフィスに

周防大島町は青い海に囲まれ、平均気温15℃ほどという年間を通して温暖な気候だ。
モノサスのサテライトオフィスがある地家室(じかむろ)は
周防大島町の中心部から離れた南の沿岸部に位置する。

山口県のガードレールは夏みかん色。その奥に見える集落が地家室と呼ばれる地区だ。

山口県のガードレールは夏みかん色。その奥に見える集落が地家室と呼ばれる地区だ。

オフィス周辺に到着すると永井さんが出迎えてくれた。

「目印になるものはコカ・コーラの自販機です」

この地区唯一の自販機を曲がった突き当たりの木造の建物が
モノサスのサテライトオフィスだ。

この辺りは海に近く、塩害から家を守るために焼杉を使った民家が多いという。

この辺りは海に近く、塩害から家を守るために焼杉を使った民家が多いという。

オフィスに改装した古民家はもともと永井さんの母親の生家だった。
東京と変わらない快適なネット環境を整えたオフィスで、
現在4名の仲間と日々仕事に励む。

「主にホームページを制作する会社で、
私はWebディレクターとして各スタッフにデザインやコーディングの指示、
プロジェクトの進行状況を管理しています。
クライアントによっては週1で打ち合わせをしたり、
メンテナンスやサポートの仕事を行ったりします」

企業のコーポレートサイトなどの制作に関わる業務内容は
東京にいた頃とさほど変わっていないという。
変わったことといえば、打ち合わせの方法。
以前は月に2、3回ほど打ち合わせのために上京していたが、
コロナ禍で東京に行くことは大幅に減った。

「移住して3年くらいは、
東京に行って打ち合わせしないと仕事になりませんでした。
でも最近ではお客さまからリモート会議でお願いしますといわれることも増えて、
環境のほうが変わりましたね」

地方で仕事をする距離的なデメリットが減り、偶然にも時代の流れにマッチした。

近所を一望できる高台へ。仕事の気分転換のためによく散歩するという。

近所を一望できる高台へ。仕事の気分転換のためによく散歩するという。

永井さんは都会から島へ生活環境を変えて、すんなり地域に溶け込めたのだろうか。

「地域に溶け込むのにハードルは感じませんでした。
閉校した近くの地蔵小学校で祖父母が先生をしていたので、
『先生にお世話になったから』といって近所の方によくしてもらうこともありました。
もう50〜60年も前の話なのにね」

学校の夏休みに遊びに来ていた記憶から、地域での暮らしをある程度は予想できたという。

「インターネット通販で注文すれば、翌々日には届きます。
車の運転は、20年以上ペーパードライバーだったんですけど、
さすがに車を買って練習しました。
最初の1、2年は大変でしたが、Wi-Fi環境はむしろ東京よりもいいし、
不自由を感じることはありませんね」

東京ではほぼ外食だったが、移住してからは自炊が増えたという。
自分たちの畑で育てた野菜や魚屋さんで手に入る新鮮な魚が永井家の食卓を彩る。

オフィスの裏手にある畑で季節に合わせた野菜をつくっている。夫婦ふたりで食べる野菜は8割がた賄えるそう。

オフィスの裏手にある畑で季節に合わせた野菜をつくっている。夫婦ふたりで食べる野菜は8割がた賄えるそう。

「スーパーで食材を買ったり、親戚がお米をつくっているので送ってもらったり。
といっても、ピザもパスタもインスタントラーメンも食べるし、
田舎ならではのメニューばかりでもないですよ」

移住後すぐは新しい拠点整備に大わらわだったそうだが、
今では生活にも慣れ地域に馴染んでいる。

小豆島の遍路道をトレッキング。
歩くことで、10年暮らしても
知らなかった景色に出会う

小豆島の遍路道を歩いてみる

ここ数年、冬のアクティビティとして楽しみにしていることがあります。
小豆島の遍路道をトレッキングすること!

「お遍路」といえば四国が有名だと思いますが、
小豆島にも八十八か所の霊場(お寺や庵など)があり、
その霊場をまわる遍路道があります。
昔と比べたらお遍路する人の数はぐっと減ってしまったと思いますが、
今でも白衣(はくえ)を着て菅笠(すげがさ)をかぶり、
金剛杖(こんごうつえ)を持って歩いているお遍路さんの姿を時々見かけます。

お遍路の案内表示。前の札所、次の札所と遍路道を歩いて巡礼します。

お遍路の案内表示。前の札所、次の札所と遍路道を歩いて巡礼します。

意識して歩いていると、遍路道の案内表示は小豆島のいたるところにあります。こういう案内表示をたよりに歩いていきます。

意識して歩いていると、遍路道の案内表示は小豆島のいたるところにあります。こういう案内表示をたよりに歩いていきます。

2020年の春、新型コロナウィルス感染症が広がり始め、
子どもたちの学校が休みになり、遠出しにくくなり、
大人数で集まれなくなってしまったときに、私たちは静かに歩き始めました。
小豆島には遍路道というすばらしいトレイル(歩く道)がある。
そこを歩いてみようと。歩き始めたときのことは、
小豆島日記vol.268「小豆島ハイキング! 景色を楽しみながら遍路道を歩く」
に書いているのでぜひ読んでみてください。
どうやって歩き始めたらいいかなど、まとめてあります。

「第56番 行者堂」付近の遍路道。瀬戸内海がよく見渡せます。

「第56番 行者堂」付近の遍路道。瀬戸内海がよく見渡せます。

「第88番 楠霊庵」から「第12番 岡ノ坊」へ続く山の中の遍路道。

「第88番 楠霊庵」から「第12番 岡ノ坊」へ続く山の中の遍路道。

小豆島の遍路道は全行程で約150キロ、どれくらいで歩き終えられるかわからないまま、
少しずつ時間があるときに歩き続けて、この冬で4年目。
つい先日も1日で10キロほど歩いて、これで96キロ歩き終えました。
全体の3分の2ほど歩いたことになります。


iPhoneのアプリを使って記録した、歩いてきた軌跡です。だいぶ道がつながってきました。

地元民が愛する吉祥寺のコロッケ、
旬のハタハタ、
実家で食べるおいしい料理と酒。
「ごちそう」といえば何?

今月のテーマ 「ごちそう」

ひと言に「ごちそう」と言っても
いつも食べているけど大好きなものや、
季節のおいしい食材、誰かの手料理などなど、思い出すものは人それぞれ。

今回は全国にお住まいのみなさんに
「ごちそう」をテーマにおいしいものをリサーチしてみました。

家族が集まるイベントが多いこの時期、
おいしいものを食べた人も少なくないはず。
みなさんが「ごちそう」と聞いて思い出すものは何ですか?

【東京都武蔵野市】
人気グルメの裏に隠れた名物あり!素材にこだわったお総菜とは?

東京・武蔵野市にある吉祥寺はグルメタウンの一面を持っていて、
話題のグルメやスイーツのお店が代わる代わるオープンしています。
店の入れ替わりが激しい激戦区のなかで、
流行りのグルメに負けない、吉祥寺名物があります。

「元祖 丸メンチカツ」目当ての行列が絶えない。

「元祖 丸メンチカツ」目当ての行列が絶えない。

なかでも、黒毛和牛専門店の〈吉祥寺 さとう〉の「元祖 丸メンチカツ」は
テレビや雑誌にもたくさん登場している吉祥寺名物の代表格。
そんな「丸メンチカツ」人気の裏に隠れた名物があるんです。

NHK大河ドラマ『天地人』をはじめ、数々の映画やドラマ、イベントの題字を手がける書道家・武田双雲氏がロゴをデザインした袋。

NHK大河ドラマ『天地人』をはじめ、数々の映画やドラマ、イベントの題字を手がける書道家・武田双雲氏がロゴをデザインした袋。

それは「コロッケ(180円)」。
同店の初代が修業していた洋食店のレシピでつくったこだわりの逸品。
「コロッケのほうが好き!」という地元民も多く、
隠れた人気商品なのです。

コロッケ

ひと口食べるとじゃがいものゴロゴロ感としっとりなめらかな舌触りが楽しめます。

ひと口食べるとじゃがいものゴロゴロ感としっとりなめらかな舌触りが楽しめます。

メンチカツと違い、行列に並ばずに購入できるので
タイミングが合えば揚げたてのコロッケが購入できます。
国産の素材にこだわったコロッケはまさに「ごちそう」。
ソースをつけずに、そのままパクッ!
じゃがいもの甘みとお肉のジューシーな味わいが口いっぱいに広がります。
吉祥寺を訪れたら、ぜひ〈吉祥寺さとう〉のコロッケも味わってみてくださいね。

information

map

吉祥寺さとう

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-1-8

TEL:0422-21-6464

営業時間:10:00~19:00(コロッケの販売は10:00〜、メンチカツの販売は10:30〜)

定休日:年始のみ

Web:吉祥寺さとう

photo & text

Momo*Kinari きなり・もも

ライター・エディター。東京在住。Webや雑誌、旅行ガイドブックで撮影・執筆。 国内外でグルメや観光スポットを取材。たまに料理やモノづくり、イラストの仕事もしています。 Twitter:@Momo_kinari

写真家・高橋ヨーコ
東京→カリフォルニア・ベイエリア
→横須賀
形もルールも違う「移住」という双六

「東京は引きこもるには最高なんです」

「カメラマンとして独立したころは都会が好きでした。
人がたくさんいて、ひっきりなしに動いているまちの感じが。
誰もいないところでのんびりと、という気持ちはなかったですね。
いまは都会がそこまで好きかはわかりませんけど」

写真家の高橋ヨーコさんが
10年間続いたカリフォルニアのベイエリアでの生活にひと区切りつけ、
神奈川県横須賀市秋谷の家に拠点を移したのは
2020年、パンデミックの最中だった。

渡米までは東京に暮らしていた高橋さん。
旅をベースにさまざまな撮影を続ける高橋さんにとって、
ローカルシフトは必然のことかと思いきや、
東京での生活にさしたる不満はなかったようだ。

「独立した頃は東京で引きこもっているか、
海の向こうで写真を撮っているという2択の生活でした。
幸い外から見ると身軽に見えるのか、いろいろな撮影が舞い込んできました。
景気もよかったですし、いい時代でしたね。

そもそも自分は京都で育って、最初は市内にいました。
のちに田舎に引っ越して、それが嫌だった記憶があります。
引きこもるには東京は最高なんです(笑)。
人が多いので、そんなに寂しくもないですし、仕事もあります。
むしろ地方で引きこもるのは辛いと思いますよ。
とことん孤独になりますから。

当時、住んでいたのは目黒でした。
低層のささやかな集合住宅で、高級という感じではなかったですが、
場所も家も環境も最高でした。
さりげない中庭にふわっと光が灯っていて、
夜に帰ると、なんか気分が上がるんですよ。
『外国みたいで、いいところだな』と帰るたびに思っていました。
ほんとうに満足で、東京にいてこれ以上のところはもうないだろうなと。
仕事も順調でしたし、双六のゴールのように“あがり”かなと」

塗装をし直すなどの手は加えたもののほぼオリジナル。

横須賀の家は、塗装をし直すなどの手は加えたもののほぼオリジナル。

そんな不満のない環境のなか、高橋さんは海外への移住を決意する。
目的地として選んだのはカリフォルニア、サンフランシスコに近いバークレー。
せっかくあがりまで進めたコマをまた振り出しに戻した。

「振り出しといっても、変なところに止まって戻されたのではなくて、
また新しい双六が始まった気分でした。
いつか海外に住んでみたいという小さな夢はあったんです。
大きな夢はある程度、東京で叶えたというか、やりたいことはやってきたので、
今度はちょっとささやかな願望に手をつけたいと」

仕事関連ではある程度の感触を得た高橋さんを駆り立てたのは、
海外移住という、以前から抱いていた夢。
きっかけは海外との仕事で意思の疎通が難しいことがよくあり、
もう少しスムースに進められないかという悩みだった。

「それには海外に住むのが一番かなと思ったんです。
だとするとアメリカかなと。
LAは仕事でよく行っていましたが、広すぎるし、クルマもすぐに必要。
サンフランスコも候補に上がりましたが、最初は嫌でした。
なんかおばさんの観光地みたいな印象があったんです。
そうしたら長尾(智子・料理研究家)さんが
『バークレーはどう?』って薦めてくれたのです。
バークレーってどこですか? から始まって、いろいろと調べていたら、
大学があったり、ヒッピーカルチャーがいまだ息づいていたりと、魅力的でした。
で、『バークレーにします』ってことになったわけです(笑)」

グラフィックデザイナーの黒田益朗さんとつくった庭。春に向けて手入れする。

グラフィックデザイナーの黒田益朗さんとつくった庭。春に向けて手入れする。

小豆島の里山暮らし、
冬は薪を切ったり割ったり
「薪活」が楽しい

薪ストーブを導入して初めての越冬

昨年3月に薪ストーブを我が家に導入してから初めての本格的な冬を過ごしています。
クリスマス寒波、1月下旬の寒波と、今シーズンは小豆島も
雪がちらつくような極寒の日が何日かありましたが、
薪をがんがん燃やしているので、薪ストーブの暖かさに救われています。
(薪ストーブの導入については、小豆島日記vol.290もぜひ読んでみてください)

冬の朝。窓から暖かい日差しも入ってきます。

冬の朝。窓から暖かい日差しも入ってきます。

電気も灯油もガスも使わないで部屋を暖められるというのは、思っていた以上にうれしい。
燃料にお金を払わなくていいので得した気分になるし、
身の回りにあるものを燃料にできるエコロジカルさがとても気持ちいいんです。
ちなみに去年までうちでは灯油ストーブとエアコンをメインで使っていました。
今年は灯油ストーブを使うのをやめたので、灯油はなし。
エアコンは薪ストーブがない部屋や、朝起きた直後などで使っています。

朝起きてすぐに薪ストーブの火をつけるのは私の仕事。

朝起きてすぐに薪ストーブの火をつけるのは私の仕事。

電気も灯油もガスも使わないかわりに燃料として使うもの、それは「薪」。
ストーブの中で燃やす薪が大量に必要なんです。
「たくさん薪いるよー」と薪ストーブを使っている先輩たちから
いわれていましたが、ほんとにたくさんいる!
家の軒下に積んである薪は、みるみるうちになくなっていきます。

家の軒下に積んである薪。これくらいの量だと1週間ほどでなくなる。

家の軒下に積んである薪。これくらいの量だと1週間ほどでなくなる。

さて、薪ってどうやってつくるんでしょ。

まずは薪となる丸太を集めます。
私たちは小豆島のなかで間伐された木や、
理由があって切り倒された木をもらってきています。
「薪が必要なんです」とあらかじめ友人や知人に伝えておくと、
切り倒された木の情報がたくさん入ってきます。これは本当にありがたいこと。

人の力で持ちあがらないような大きな丸太を運ぶ場合は
ユニック車などの重機が必要ですが、だいたいの場合は、
軽トラとチェンソーがあれば人力で運べるくらいの丸太が多いです。
時間があれば、軽トラに乗って現地まで行き、切られた木を集めてきます。

この日は、廃材をもらいに軽トラで出かけました。

この日は、廃材をもらいに軽トラで出かけました。

木材を固定するためのロープワーク。南京結びをようやく覚えました。

木材を固定するためのロープワーク。南京結びをようやく覚えました。

LivingAnywhere Commons伊豆下田
都市と地方の
「スキルの交換」の場をつくる

ローカルに必要なことは、
スキルの交換である

2022年4月から
ワーケーション施設〈LivingAnywhere Commons 伊豆下田〉の
運営に携わるようになった津留崎鎮生さん。

場所にとらわれずに働くリモートワーカーに接することで感じた、
伊豆下田に起こった変化を綴ってくれます。

リモートワーカーと地域がお互いに必要性と理解を高める肝は、
観光地と観光客のような一方通行の流れではなく、
「スキルの交換」。

それが進めば、地方に人が集まり、
地方が活性化される未来を感じたといいます。

ふるえるほど好きな
アート、音楽、文学を熱く語る
MAYA MAXXのローカルラジオ
playpray

撮影:佐々木育弥

遊び、祈ることは、個を磨くために必要なこと

「こんばんは。MAYA MAXXです」
毎週金曜夜9時、そんなフレーズから始まるラジオ番組『MAYA MAXXのplaypray』は、
昨年4月からはじまり、もうすぐ1年が経とうとしている。
放送局は、北海道岩見沢市のローカルラジオ〈エフエムはまなす〉。
2020年、MAYAさんが東京から岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住したあと、
はまなすの番組にゲストで呼ばれたことがきっかけでスタートした。

MAYAさんが「playpray」という言葉を、美流渡でまず描いたのはアトリエの向かいに建つ倉庫だった。

MAYAさんが「playpray」という言葉を、美流渡でまず描いたのはアトリエの向かいに建つ倉庫だった。

playは「遊ぶ」。prayは「祈る」。
「人間や大人には、働くとか育てるとか、やるべき役割があるけれど、
そうした枠をなくした“個”として考えたときに、自分を磨くために必要なのは
遊ぶことと祈ることだと私は思います。
遊ぶとは、生き生きと魂がふるえ、喜ぶことです。
そういう魂の発露をどこに向けるのかといったら、それは祈りなんじゃないかと。
自分のボルテージが高い状態であるときの祈りは、
きっと世界全体をよくしていく力を持っているのではないかと思います」

ラジオは1時間。
その時々の気持ちに寄り添う曲を挟みながら、基本的にはMAYAさんのひとり語り。
毎回、ゆるやかにテーマを設定していて、初回から何回かにわたっては、
なぜ絵を描き始めたのかが語られた。

きっかけは27歳のとき。
今治から上京し早稲田大学に入学。
卒業後、自分が就職するというイメージがわかず、アルバイトをして暮らしていた。
ある日、銀座界隈のギャラリーにイベントポスターを配る仕事があった。
通りを自転車で走っていたとき、何かとても美しいものが目に入ってきたという。
窓越しに見えたのは画家・有元利夫の遺作展の会場だった。
仕事を忘れてMAYAさんは会場に入り、絵に引き込まれた。
2時間以上が経過して、そろそろ仕事に戻らなくてはと気づき、
ギャラリーの扉を開いたとき「絵を描いてみようかな」と思ったという。

第2回、第3回と話が進むにつれ、絵を描き始めたものの、
もともと内向的な性格だったこともあり、
その後数年間は引きこもりのような暮らしを続けていたこと、
そこから掃除のバイトを始めて、心身の健康を取り戻し、
やがてMAYA MAXXという名で活動を始めたことなどが語られていった。

MAYA MAXXという名で活動を始めたのは1993年。その後、ラフォーレ原宿などで個展を開催し人々に知られるようになった。その頃に制作された『Ten Supporters』。いつどんなときでも自分を応援してくれる人形がいたらと考えたという。(撮影:佐々木育弥)

MAYA MAXXという名で活動を始めたのは1993年。その後、ラフォーレ原宿などで個展を開催し人々に知られるようになった。その頃に制作された『Ten Supporters』。いつどんなときでも自分を応援してくれる人形がいたらと考えたという。(撮影:佐々木育弥)

東京で活動を続け、2008年にNYで滞在制作し、その後京都へ。この間、世界各地を旅し、その記憶についてもラジオで語られた。写真は2007年のワークショップの様子。

東京で活動を続け、2008年にNYで滞在制作し、その後京都へ。この間、世界各地を旅し、その記憶についてもラジオで語られた。写真は2007年のワークショップの様子。

阿武町地域おこし協力隊・
藤尾凜太郎さん
全国で山口県に200頭しかいない
「無角和牛」の未来をつくる

「なにもない」を解決する人間になりたい

山口県北部にある人口約3000人のまち、阿武町。

日本海に面しているので冬は降雪もあるが年間を通して温暖な気候だ。
阿武町は萩市と合わせておよそ50か所に小型火山が分布する
阿武火山群と呼ばれる火山性土壌で、
古くから野菜や穀物、果物などの栽培が盛んに行われてきた。

山口市の中心部から車を1時間ほど走らせると、
緑豊かな山間にある〈無角和種繁殖センター〉に到着する。
そこで地域おこし協力隊として「無角和牛」に携わるのは藤尾凜太郎さんである。

無角和種繁殖センターの入口では牛が彫り込まれた巨大な看板が出迎える。

無角和種繁殖センターの入口では牛が彫り込まれた巨大な看板が出迎える。

神奈川県出身の藤尾さんは、
阿武町の地域おこし協力隊に着任する前は横浜の大学に通う大学生だった。

幼少期に祖父母の暮らす田舎への帰省や家族と訪れた旅先での思い出から、
生まれ育ったまち以外の地域に対する興味や憧れが芽生えたという。
大学では海外へ日本のよさを伝えたいと語学やまちづくりを学べる学科を選び、
4年次は地理学を専攻した。

「旅行や在学時のフィールドワークで地方を訪れたとき、
自分の知らない日本がまだまだ沢山あることに気づきました。
同時に、訪問した地域の人たちが『なにもない所によく来たね』と言うんです。
それがすごくもったいない。
『なにかある』と思って訪れているのに
『なにもない』と地元の人が突き返してしまうミスマッチ。
謙遜なんかいらないと感じていました。
もっと自信を持ってもらうには、
その地域をおもしろがる若者が必要なのではないだろうか。
将来、その『なにもない』を解決する人間になりたいと思っていました」

さらに、同級生が学校を休学して地域おこし協力隊の活動を始めたことも、
進路を考えるうえで大きなきっかけになったという。

アカエゾマツからどんどん広がる
北海道針葉樹の輪

ショップコンセプトは、森の研究室

森と湖の温泉郷、北海道弟子屈町。
アカエゾマツの森に隣接する〈川湯ビジターセンター〉で
ショップを始めることになって、考えた。
町民には「暗い」「怖い」という印象もあるこの森に、
少しでも関心を持ってもらうきっかけづくりができる場所。
それが、このショップの意義だと思った。

年末から連日の雪。川湯ビジターセンター裏にあるアカエゾマツの森は、真っ白な雪に包まれている。

年末から連日の雪。川湯ビジターセンター裏にあるアカエゾマツの森は、真っ白な雪に包まれている。

コンセプトは、森の研究室。
眺めた姿の美しさだけでなく、アカエゾマツを解剖して、
隠された魅力を引き出して、紹介する。
それらを来館者が、体験しながら感じることのできる空間。

ズラリと並んだのは、弟子屈町〈Pine Grace〉、陸別町〈種を育てる研究所〉、浜中町〈とどろっぷ〉、芽室町〈いろどりファーム〉、ニセコ町〈HIKOBAYU〉、下川町〈フプの森〉、道外から〈日本鳥類保護連盟〉の精油。いずれも道内のアカエゾマツやトドマツをメインにしてつくられている。

ズラリと並んだのは、弟子屈町〈Pine Grace〉、陸別町〈種を育てる研究所〉、浜中町〈とどろっぷ〉、芽室町〈いろどりファーム〉、ニセコ町〈HIKOBAYU〉、下川町〈フプの森〉、道外から〈日本鳥類保護連盟〉の精油。いずれも道内のアカエゾマツやトドマツをメインにしてつくられている。

主となるのは、精油と蒸留水。
弟子屈町には、アカエゾマツの蒸留所を構える
〈一般社団法人Pine Grace〉があり、精油や蒸留水だけでなく、
それらをベースにしたロウリュ水、芳香スプレー、マスク用シールなど、
ユニークな商品を開発している。

ほかにもアカエゾマツの商品を、と探したら、さらに3社見つかった。
う〜ん、もう少しほしい……。
選択肢を増やして、北海道の針葉樹をテーマにしたら、
トドマツの精油や蒸留水を販売する生産者が3社加わった。
計7社による「北海道針葉樹の香り嗅ぎ比べ」は、
ここならでは楽しみのひとつに。

次に扱いたいと思ったのが、ウッドチップ。
森に興味を持ってから、青森ヒバやヒノキのウッドチップと
その香りに触れる機会があり、
活用してみたいと気になっていた。
ところが探し始めると、アカエゾマツのウッドチップが見つからない。
弟子屈町にはこんなにたくさんアカエゾマツがあるのに……。
釧路管内2市10町1村まで捜索範囲を広げて、
厚岸町に工場がある〈土井木材株式会社〉に分けてもらえることになった。

アカエゾマツのウッドチップ袋詰め販売。インパクトのあるスコップもアカエゾマツ製。町内のカヌーガイド(兼、木工作家)の祖父江健一さん作。

アカエゾマツのウッドチップ袋詰め販売。インパクトのあるスコップもアカエゾマツ製。町内のカヌーガイド(兼、木工作家)の祖父江健一さん作。

農家がつなぐ人と食材の輪。
小豆島の暮らしの循環型コミュニティ

農家にとって、冬はゆったり過ごせる季節

穏やかな冬の日々、私が大好きなシーズンです。
ホームメイカーズは、毎年1、2月はカフェの営業を冬季休業というかたちで
お休みしていて、いつもよりゆったりとしたペースで過ごしています。

この時期は私たちにとってとても大切で、昨年の野菜栽培や経理を振り返って、
今年の計画を立てたり、気になっていた場所や仕組みをメンテナンスしたり、
自分のことも、まわりの環境のことも、整える時間。
なんなら、ずっと続いてほしいと思うくらい好きな時期です。
とはいえ、働かなければ(笑)。

穏やかな冬の農村。山歩きしたときに、山の上から眺めた私たちが暮らす小豆島肥土山(ひとやま)集落。

穏やかな冬の農村。山歩きしたときに、山の上から眺めた私たちが暮らす小豆島肥土山(ひとやま)集落。

カフェは冬季休業中ですが、野菜の栽培と出荷作業はいつもどおりしています。
毎週火曜日と金曜日が野菜の収穫&発送日です。

野菜出荷作業の日。畑で収穫してきた野菜をひとつひとつ整えていきます。

野菜出荷作業の日。畑で収穫してきた野菜をひとつひとつ整えていきます。

洗ったにんじん。なるべく葉っぱも含めてまるごとお届けするようにしています。

洗ったにんじん。なるべく葉っぱも含めてまるごとお届けするようにしています。

先日の野菜出荷の日、とってもいいなぁと感じたことがありました。
今回はそのいいなぁと感じたことについて書きたいと思います。

野菜出荷の日は、いつもの畑作業メンバーに加えて、出荷お手伝いメンバーが来てくれます。
私と同世代の女性たち。
小豆島で暮らすようになってから仲よくなった友人だったり、
もともとは野菜を購入してくれていたお客さんだったり、
つながったきっかけはさまざまですが、今はみんなともに働く仲間であり、
友人でもあるメンバーです。
収穫チーム4人、出荷チーム4〜5人の合計8〜9人で朝から作業をしています。

人が9人くらい集まって働くと、まぁまぁ賑やかで活気があります。
各自がパソコンの前に座って働くような、いわゆるデスクワークではないので、
みんな動きながら話しながら、ワイワイガヤガヤ働きます。
出荷の手伝いに来てくれる友人たちはみんなおしゃべりするのが大好きで、
手を動かすのと同じくらい口も動いてますね(笑)。

夕方4時頃になると、事前に注文していただいた野菜セットを
お客さんたちが受け取りに来ます
(野菜セットは遠方の方には郵送でお届けしていますが、
近くの方は直接取りに来られます。送料がかからなくてお得です)。
朝からせっせと洗ったり、切ったり、選別したりして整えられた
野菜を詰め合わせたセットをお渡しします。
受け取りに来るのは、主には小豆島で暮らしている人たちなのですが、
時々旅行で島に訪れた方がバーベキューや自炊するための食材として
注文していただき受け取りに来られることもあります。

その時期に採れる旬の野菜9品ほどを詰め込んだ「旬野菜セット」。

その時期に採れる旬の野菜9品ほどを詰め込んだ「旬野菜セット」。

アニメの聖地から
林業、漁業、航空開発まで。
まちを支える産業について
調査してみました!


今月のテーマ 「まちの産業」

特色を生かしたそのまちならではの特産物や名産品は全国に数多くあります。
今回はまちで盛んな「仕事」「産業」という側面から
全国の都市を深堀りしてみました。

自然の恵みを産業にしている地域から、
新たなものを創造する都市まで幅広く紹介します!

みなさんのお住まいのまちの産業について
ちょっと考えてみてください。
まちの新たな魅力が見つかるはずです。

【北海道羅臼町】
サケ、イカ、ブリ、サバがどっさり! 「魚の城下町」の定置網漁

世界自然遺産の知床を有する羅臼町は自然だけでなく
「魚の城下町」といわれるほど漁業も盛んなところ。
羅臼の海は一年通してさまざまな魚種がとれるのですが、
いちばん盛り上がるのは9~11月の秋鮭定置網漁。
漁獲量もほかの魚に比べて最も多いんです。

深夜2時頃、まちは寝静まっていますが、港にぞくぞくと漁師さんが集まってきます。
船に乗り込み、真っ暗な海原へ出港。

15分ほど進んで、定置網のポイントに着いたら全員で一斉に網を手繰ります。
網の中にはサケを中心にイカ、ブリ、サバなど
さまざまな魚がどっさり入っていました。

港に戻り、種類、雌雄、大きさごとに1匹ずつていねいに選別していきます。

港に戻り、種類、雌雄、大きさごとに1匹ずつていねいに選別していきます。

この魚たちは朝の間に羅臼漁港市場で競りにかけられて、
その日のうちに札幌や東京へ配送されていきます。
町内の加工場や飲食店へもすぐに配送されます。

羅臼で鮮魚を買うなら、道の駅〈知床・らうす〉の隣、羅臼漁協直営の〈海鮮工房〉へ。その日にとれた魚たちが並んでいるので、旬の魚を知るのにももってこいです!

羅臼で鮮魚を買うなら、道の駅〈知床・らうす〉の隣、羅臼漁協直営の〈海鮮工房〉へ。その日にとれた魚たちが並んでいるので、旬の魚を知るのにももってこいです!

遠くにお住まいの方は、ふるさと納税でも
羅臼の海産物がたくさん出品されていますのでぜひご覧ください!
ほかには、ブリやウニも羅臼のものはおいしい! と評判です。

information

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海鮮工房

住所:北海道目梨郡羅臼町本町361番地

TEL:0120-530-370

Web:海鮮工房

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佐脇 星 さわき・ひかり

兵庫県神戸市の人工島で生まれ育つ。子どものときに読んだ「シートン動物記」をきっかけに野生動物が好きになり、「野生動物の息吹を身近に感じられるところに住んでみたい」という思いから、大学卒業後、世界自然遺産の町である知床羅臼町の地域おこし協力隊に着任。関西人から見た羅臼町の魅力をSNSで発信している。

繰り返し使える「小豆カイロ」のつくり方と、
体を温めるツボ5選

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

体調不良のためしばらくお休みしておりましたが、
また無事に連載を再開できることになりました。
(あたたかく待っていてくださった皆さま、本当にありがとうございました!)

体調を崩して学んだのが、日頃のセルフケアの大切さ。
家で簡単にできる健康管理として、
今回は小豆を使った「カイロ」のつくり方を紹介したいと思います。

厳しい寒さが続き、体を冷やしやすいこの季節、
元気な体づくりのためにも手づくりカイロで体を温めてみませんか?

つくり方は簡単、小豆を布袋に入れて電子レンジでチンするだけ。
小豆に含まれる水分が蒸気になり、
穏やかな温もりで体を温める自然素材のカイロになります。
PCやスマホで疲れた目を癒すアイピローとしてもぴったり。
冷蔵庫で冷やせば、夏の冷感アイテムとしても使えます。

布袋に入れたり、手ぬぐいやハンカチに包むだけなので、
縫わずにつくれるのもポイントです。
繰り返し使えるからお財布にも地球にもやさしい◎

お正月のおせちやお料理で使いきれなかった小豆が、
キッチンに少しだけ余っていたりしませんか? 
簡単なつくり方のレシピから、お手入れ方法、
さらには体を効果的に温めるおすすめのツボまで、まるっとご紹介します。

あったかいアイピロー でリラックス。小豆には毒素を吸い取るデトックス効果もあるとされています。

あったかいアイピロー でリラックス。小豆には毒素を吸い取るデトックス効果もあるとされています。

自然素材が身近にあるからこそできた。
縄文土偶を野焼きで再現!

どこでもバーベキューをしているのを見て、アッと思った

北海道岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住して、本当によかったと思うことがある。
私は自宅とともに、仕事場も同じ地区に借りていて、どちらも敷地は広く、
何台か車をとめられるし、花火やバーベキューもできる(除雪は大変ですが!)。

北海道にやってきて驚いたのは、短い夏を惜しむかのように
休日ともなれば、みんな外で頻繁にバーベキューを楽しんでいること。
公園の専用スペースに行くのではなく、
庭先でキッチンの延長線上のような感覚(!?)で行っている。
我が家はアウトドア熱がまったくないので、年に1、2回しかしていなかったが、
いつでもバーベキューができる環境があってこそ、実現したことがあった!!

仕事場の周囲。以前は住宅が建ち並んでいたが、その一部が取り壊され、空き地となっている。

仕事場の周囲。以前は住宅が建ち並んでいたが、その一部が取り壊され、空き地となっている。

昨年の夏からこれまで3回、陶芸作品を焚き火で焼く「野焼き」にチャレンジした。
発端は、以前からずっと好きだった縄文時代の土器や土偶を自分で再現してみたいと
思うようになり、近くで陶芸ができる施設に時々通って、2年間制作を続けていたこと。
これまでその施設の電気窯で焼成をしてもらっていたが、そこが昨年休館となってしまった。

制作した土偶。施設の電気窯で焼成し、絵具で着彩して風合いを縄文土偶と近づけた。

制作した土偶。施設の電気窯で焼成し、絵具で着彩して風合いを縄文土偶と近づけた。

ならば、縄文時代と同じ方法で焼成をやってみたらいいのではないか!
バーベキューができる環境があるのだから!! と、あるとき思い立った。
ネットで「土器」「野焼き」と検索すると、その方法は詳しく出ていたし、
実際に野焼きをしたことのあるという友人からもアドバイスをもらうことができた。

野焼きの材料は周りにいくらでもあった!

まずは手のひらサイズの土偶や耳飾りなどで試してみることにした。
準備は、耐火煉瓦と廃材、そして家の周りの草を刈って干した藁
(イネ科の雑草なので、ここでは藁と呼びます)を大量に用意しておいた。
そして、重要なのはバーベキューとは違うので消防署への届出!! 

縄文の耳飾りの再現。最大のものの直径は約10センチ! 耳たぶにピアス状の穴を開け、そこに耳飾りを入れて少しずつその穴を大きくしていったのではないかといわれている。

縄文の耳飾りの再現。最大のものの直径は約10センチ! 耳たぶにピアス状の穴を開け、そこに耳飾りを入れて少しずつその穴を大きくしていったのではないかといわれている。

野焼きを行うことにした場所は、仕事場の家の裏にあった倉庫を
撤去したあとのコンクリートの土台。ここに耐火煉瓦を四角く並べた。
大物を焼くときは土に穴を掘って炉にするようだが、
煉瓦のほうがお手軽で火のコントロールがしやすそうと考えたからだ
(あくまでバーベキューのイメージで)。

レンガをロの字に組んだ。着火剤として使ったのは松ぼっくり。油分があってすぐに火がつく。

レンガをロの字に組んだ。着火剤として使ったのは松ぼっくり。油分があってすぐに火がつく。