豊岡市民が綴る、豊岡の日常。 ポータルサイト 〈飛んでるローカル豊岡〉の 市民ライターに聞く

豊岡市民による、市民になりたい人への情報サイト

兵庫県豊岡市。日本海に面した兵庫県の北部にあるまちです。
大都市のような大きさや競争はないけれど、
コウノトリの野生復帰を行っていることや、独自の教育法を実施していること、
日本一のカバン産業をさらに成長させるために学校をつくったことなど、
このまちにしかない資産を生かし、また新たな価値を創造しています。
そんな豊岡市では、〈飛んでるローカル豊岡〉というスローガンのもとで、
移住定住事業を行っています。

2016年9月には、移住定住のポータルサイト〈飛んでるローカル豊岡〉がオープン。
一般のポータルサイトの記事のつくり方は、
編集やライターがネタを探し、ライターが取材しに行き、カメラマンが写真を撮り、
それを編集がまとめるというフローですが、
この〈飛んでるローカル豊岡〉は少し違います。

先輩移住者を中心とした市民が、自分でネタを探し、自分で執筆し、自分で写真を撮る。
編集はそれを監修したりアドバイスするという分担なのです。
移住メディアの雛形編集部とコロカル編集部がその編集役を担っています。

だから〈飛んでるローカル豊岡〉の記事は、市民だからこそ知っていることや、
地域と暮らしに根ざしたネタがたっぷり。
豊岡市民にとっては日常の話なのですが、驚きに満ちた情報を提供してくれます。
そこで、今回は〈飛んでるローカル豊岡〉で執筆をしているふたりの方に、
〈飛んでるローカル豊岡〉の市民ライターについて、どう感じているかを聞いてみました。

〈飛んでるローカル豊岡〉

〈飛んでるローカル豊岡〉編集会議の様子。

京都府北部の多様な移住スタイルを
「編集」するプロジェクトが始動!
「ひとつ先の京都へ」を掲げる
冊子と動画が登場。

多種多様な移住のカタチを伝える、
新しい移住・定住促進プロジェクト

京都府北部地域の福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町。
これらの7市町が広域連携し、
2016年に移住・定住促進プロジェクト「たんたんターン」が始まった。
このプロジェクトをサポートしているのが、
地域社会のブランディングを支援する「ロコブラ」などを手がける博報堂、
移住定住を推進するメディア『雛形』を運営するオズマピーアール、
そしてコロカル編集部が連携した「地域エディットブランディング」チームだ。
京都府北部にはどんな魅力や暮らしのスタイル、働き方があるのか。
移住者はどんな暮らしを営んでいるのか。
半年をかけてそれを探り、新しい価値を見つける活動を自治体とともに行ってきた。
ここには、想像以上に多種多様な移住のかたちがあり、
それを受け入れる地域のふところの深さがあった。

海のまちも、山のまちも、
都市とつながるまちも。

日本海沿いにある京丹後市、伊根町、宮津市、舞鶴市。
緑豊かな田園風景が広がる与謝野町、福知山市、綾部市。
これらの7市町までは、京都市内から車で1時間30分〜2時間程度。
“いわゆる京都”のちょっと先の場所に位置している。
この地域には今もなお、なつかしい里山の景色が残り、
ゆったりとしたリズムで穏やかな時間が流れている。

伊根町には〈舟屋〉と呼ばれる民家が伊根湾に沿って建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。舟屋は、230軒ほどがずらっと並び、その長さは5キロメートルにもわたる。

京丹後市にある八丁浜のビーチ。

海とともに暮らすまちにある壮大な景色。水がきれいで、心地よい浜風を浴びながら、
自由気ままなライフスタイルを過ごせる。
釣りはもちろん、サーフィンなどのアクティビティも充実。
また、海沿いにある公園は、夜になればきれいな星空の下、
友人たちと語らいの場としても使われることも。

棚田や民家など集落を含めた里山景観が注目される、宮津市の上世屋集落。四季折々に移ろう大自然のエネルギーを身近に感じられる。

舞鶴市の昔なつかしい日本家屋。伝統的なつくりを残しつつリノベーションで特別な空間に。

山には穏やかな空気が流れ、棚田や笹葺き屋根の家屋からは日本特有の情緒が漂う。
歴史文化も7市町に内在するキーワード。
景観、家のつくり、集落など、レトロでなつかしいまち並みが残り、
後世へと受け継がれている。
農業をしながら自給自足の生活を営む人もなかにはいて、
生きる工夫が生活の豊かさにつながっていく。
人それぞれ、十人十色の暮らし方がここにはある。

京丹後市のとれたての魚をネタにしたお寿司。ときには、みんなでお寿司づくりを楽しむパーティーが開催される。

海の幸、山の幸ともに充実し、旬の魚、野菜、果物をたらふく食べることができる。
今朝あがったばかりの魚、収穫したばかりの野菜や果物などを使った
贅沢なごちそうを常日頃から味わえる。水がきれいだからお米もおいしい。
そして、おいしいごちそうを一緒に食べる仲間に囲まれて、
楽しい団欒のひと時もこの地域の魅力のひとつ。

2015年には、京都府北部地域と京都市内をつなぐ自動車専用道路が開通された。
市内からさほど遠くなく、簡単に遊びに行けるため、住民たちの行き来も多くなっている。
なかでも、綾部市は京都市内へ通勤圏内という場所でもある。
適度にアクセスがよく、自然だけでなく伝統文化や食文化、
レジャーなど豊富な地域資源を使った楽しみもあるため、最近では観光業が発展してきている。

なにより人同士のつながりが強い京都府北部地域。
この地域のこれらの魅力に惹かれて、移住を決めた人たちがいる。
彼らがどういった経緯で移住を決心して、現在はどんな暮らしを送っているのか? 
「地域エディットブランディング」チームが、7人のキーパーソンの移住スタイルを追った。

家をつくる、暮らしをつくる、
〈HOMEMAKERS〉

離れを少しずつ直して、宿泊棟に

農家の冬は夏に比べたらだいぶゆったりしています。
夏は何よりも暑さと草との戦い。
すごい勢いで成長する雑草たちに負けないように刈り続け、抜き続け、
そしてトマトやピーマン、ナス、キュウリなど毎日収穫、
メンテナンスしないといけない野菜たちの世話。
雨が降らなければ、水やりも欠かせない。
それを猛烈な陽射しのもとでやらないといけない。
畑仕事以外のことはほとんど何もできずに毎日が終わっていきます。

冬は、野菜も雑草も成長スピードがゆっくりなので、そこまで追われ続けません。
ただ春に向けての準備や、収穫・販売の作業はあるので決して暇ではないのですが、
私たちは毎年1月2月はカフェ営業もお休みし、自分たちの体も含め、
働く環境、暮らす環境のメンテナンスをする期間にしています。
私たちにとってこの期間は本当に大事な時間です。

ほこりを被っていた大きな棚。拭いて塗って蘇る。

とにかく掃除。流木や引き出しなどいいなーと思ったものをどんどん集めてきてしまうので、とにかくうちはものが多い。

置き場に困っていたソファを外に置くことに。ここを畑作業の憩いの場にします(笑)。

今年の冬はどこに手を入れようか。野菜出荷場、農具や工具の収納場所、
これから民泊できるようにしようと思っている離れの建物。
それから家のリビングやデスクまわり。
直したいところは山ほどあって、たぶんこの冬中には全部できないので
できるところから。

自分たちの暮らす場所、働く場所をつくりあげていくことは、
私たちにとって何よりも楽しい時間。
自分たちが毎日過ごす拠点=HOMEを快適で楽しい場にする、
そしてそこにいろんな人たちを招き、いい時間を共に過ごす、
それこそが私たちのしたいことなんだよなーと思っています。

そのHOMEっていうのは、家という物理的な建物だけじゃなくて、
庭も畑も含まれているし、もう少し広げて、
私たちが暮らしている肥土山(ひとやま)地区、さらには小豆島も。

ただあまり広げすぎてしまって、真ん中の部分が手抜きになってしまったら
楽しくないし強くもないので、まずは自分たちの拠点をひとつずつ、つくっていきます。

イルミネーションを屋根の下にとりつけ。夜になってピカピカさせるといい雰囲気。

蔵と離れの間のスペースがだいぶスッキリしました。休みの日はいろは(娘)もお手伝い。

ストーブを直すたくちゃん(夫)の横で、宿題をするいろは。うちはいつもこんな感じ。

入学予定の小学校は在校生8人!
少人数学級ならではの魅力とは?

移住する一番の問題は、息子の小学校入学

岩見沢の中山間地、美流渡(みると)への移住計画については、
この連載で何度も触れてきているが、今回は、
息子がこの春から入学する小学校のことを書いてみたい。

そもそも、この時期の移住を決めたのは、
息子が新1年生になるタイミングというのが大きかったし、移住計画の当初、
親戚や知人が反対する一番の理由に、息子の小学校問題があったからだ。

現在の住まいは、岩見沢駅から車で5分ほどのところで、
この学区にある小学校の児童数は約300人。
1年生は2クラスあり、人数は岩見沢市街のほかの学校と同様の規模だ。
しかし同じ市内であるものの、ここから車で30分ほどの美流渡地区にある
美流渡小学校まで行くと、在校生はたったの8名(2016年度)。
昨年入学した1年生はおらず、2・3年生と5・6年生が同じ教室で学ぶ、
複式学級となっているのだ。

美流渡小学校は、現在の児童数は少ないが、ほかの市街地の小学校と校舎の規模は変わらない。一部の壁にレンガが使われていて味わい深い。

移住を懸念していた親戚や知人は、生徒数の多い学校のほうが、
学力の面や学校行事を行ううえでも安心感を持っているようだった。
自分自身を振り返れば、1学年5〜6クラスという
第2次ベビーブーム世代であったため、わずか10人に満たない学校が
どんなところか想像が及ばず、児童数が多い学校のほうがいいのではないか? 
という意見に、なんと返したらいいのか言葉につまってしまうことも多かった。

そんななか、美流渡小学校について知っていくにつれて、
少人数には少人数なりの良さもあるんじゃないかと思うようになった。

改装中の古家からの通学路。両脇の雪を崩し崩し息子は歩く。

異学年が一緒に教室で授業を行う複式学級とは?

昨年秋に、学校の様子を知りたいと、美流渡小学校に見学に行ったことがある。
複式学級の授業とは、ひとつの教室に異学年の生徒がいて、
授業時間をだいたい半分に分けながら、
先生が各学年の授業を進めていくというやり方だ。

例えば同じ学級となっていた2・3年生の教室を見ると、
前と後ろに黒板が設置されていて、先生が2年生の授業を前の黒板で行ったら、
次に後ろの黒板に移って3年生の授業を行っていた。
別の学年の授業が行われているあいだ、もう1学年の生徒は
自主的に学ぶ時間となり、生徒はプリントで問題を解いていた。

このように先生が語る時間は限られるが、このとき2・3年生はひとりずつのため、
ほぼマンツーマン。もし理解ができていない部分があったら、
個別に対応できる環境があることがわかってきた。

また、人数が少ない場合に工夫が必要な授業は体育。
全学年で行うほか、他学校との交流授業などをしながら
カリキュラムをつくっているという。

2月になってこの春新1年生となる子どもたちの体験入学が行われた。
この日、移住予定の美流渡の古家から、息子と通学路を歩いてみることにした。
今年、岩見沢は降雪量がとても少ないが、それでもこの地区には雪がたっぷり。
大人の足だと小学校までは15分ほどだが、息子は雪山で遊びながら歩くので、
倍くらいの時間がかかった。

美流渡の古家。屋根につもった雪が玄関先に落ちてきており、山になっている。除雪をしないとなかに入れない状態。

息子はたっぷりの雪に大喜び。「学校に行くよ〜」と声をかけても知らんふりで、ソリ遊びに夢中。

通学路の途中でばったり会ったのは、この地域で果樹園を営む東井さん母子と、
美流渡の駐在所に夫が勤務している曽我さん母子。
子どもたちは、わが家と同じ新1年生。
すでに息子と何度も遊んだことがある友だちで、
お互い笑い合いながら、並んで学校のほうへと駆け出した。

2017年度の1年生は、いまのところ息子を含めて4人(例年に比べると多い!)で、
そのうちの2人の両親とはすでによく知る間柄というのは、
実はわたしにとって、とても心強いことだった。

以前から、父母会などの集まりには、すぐに馴染むことができず、
初めてのママさんたちとの会話は結構苦手。
息子の幼稚園が新学期になって顔合わせの父母会があると、
ちょっと気が重いような、そんな気持ちになっていた。
ましてや小学校など新しいところに飛び込むとなると、
わたし自身も相当なプレッシャー。
だから、美流渡小学校に知り合いが多いというのは、本当にありがたいことなのだ。

通学路でばったり会った新1年生の友だち。学校の雪山に登ってさっそく遊びが始まる。

そして移住先探しの旅は続く。
心機一転、新たな旅へ

振り出しに戻って、再出発?

三重県津市美杉町への移住を考え、試しに暮らし始めた一家。
ところが5歳の娘が環境の変化になじめず、
いったんは東京に引き上げることに。
このまま移住を断念せざるを得ないのか? 
そして自分たちにとって、本当に大事なこととは……? 
悩む津留崎さん夫妻ですが、ずっと悩んでるばかりじゃないのがこのふたり。
新しい決断をしたようです。

飛騨に移住した人たちに聞く
「起業」
「ルールもマナーもわからない」。
思いきった方向転換を果たした
2人の起業の心得

Uターンして飛騨市で〈kongcong〉を立ち上げた千原誠さんと、
白川村に移住し〈ホワイエ〉を起業した柴原孝治さんに、
飛騨での仕事のつくり方について聞いた。

飛騨であえてクリエイティブディレクション

飛騨市古川町にある〈kongcong(コンコン)〉は、
一見カフェと見間違えてしまいそうなクリエイティブオフィス。
雪を連想させる名前。ともに雪国・飛騨出身でUターンしてきた
千原誠さんと森瀬なつみさんのユニットだ。

クリエイティブディレクターの千原さんは、古川のまちで育ち、高校卒業後、名古屋へ。
25歳頃までは音楽活動をしていて、インディーズながらCDもリリースしていた。
音楽のイベント制作会社の人たちと一緒にイベントをつくり上げていくなかで
広告の大切さやPRすること自体に興味を持ち、広告代理店に入社。
その後は独立してフリーランスでディレクター職に就き、
百貨店のディスプレイ企画や催事のキュレーションなどを手がけるようになる。

kongcongのクリエイティブディレクター、千原誠さん。

この頃には少しずつ「地元、飛騨の魅力を外へ伝えることを、
クリエイティブの力でやりたい」と思うようになる。
また、現在の仕事のパートナーである森瀬さんも、ひと足先に飛騨に戻っており、
当時の仕事から独立しようとしていた。
いくつかのタイミングが重なり、千原さんも家族でUターンすることにした。

グラフィックデザイナーの森瀬なつみさんも、古川出身でUターンしてきた。

そして2016年5月からkongcongをスタートする。
飛騨に来て地ならしすることもなく、移住していきなり自分たちの事務所を始めた。
高校生までいたとしても、飛騨での社会人経験はない。
飛騨に自分のような職種の需要があるのか、
飛騨の人たちが何を大切にしているのかなどもわからない。

「すごく不安でしたよ。だから飛騨に帰ると決めてから、たくさんの人に会いました。
飛騨の人にも、東京の人にも、名古屋の人にも。
僕が『飛騨でこういうことをやりたい』と話すと
『それならこうしたら?』とか『こういう人がいるよ』とか、
みんなアドバイスをくれましたね。
そのなかで出会ったつながりはいまでも残っているし、
話していくうちに自分の考えもまとまって、移住後の仕事の方向性が見えてきたんです」

千原ファミリー。奥さんの清花さんも、子育てと並行してフリーランスライターとして活動している。

ローカルの視点と都会の視点

現在ではさまざまなイベントの企画、ブランディングなど
クリエイティブディレクターとして働いている。
職種としては名古屋時代とそう変わったわけではないが、飛騨での位置づけを考えた。

「働き方や事務所としてのコンセプトはすごく考えました。
ただでさえわかりにくい仕事なので、ちゃんと言葉にすることで、
自分たちのできることや大切にしたいと思っていることを、自分でも再認識し、
関わっていただける人たちに伝えたいと思いました」

立ち上げ当初に考えたコンセプトシートの一部。

千原さんはUターン。その強みは存分に生かしながら、
しかし自分が外から持ってきた視点も忘れないように気をつけているようだ。

「飛騨に暮らすことで、人の結びつきや思いに直に触れられるので
課題は見えやすくなると思うのですが、
その分、客観的な立ち位置でものごとを見ることが難しくなっていきます。
愛着や思いが出てしまうので……。だからバランスがすごく大切だと思っています。
クライアントさんの思いはちゃんと受け止めつつも
アウトプットするときに自分が客観的な立ち位置でどう魅力を引き出せるのか。
この仕事の一番の難しいところでもあり醍醐味でもあります」

カフェと間違える人が多いらしい。

はるかに効率がいいローカル特有の働き方

「クライアントさんとの距離が物理的に近いので
電話しているうちにオフィスに来ちゃったり、突然やって来たりすることもありますが、
これは僕とクライアントさんの気持ちの距離感みたいなものが
ぐっと近くなったことでもあります。
意外ですが、結果として信用していただける部分も増え
ミーティングなどの時間が全体的に減りました」

直接的に会って話すことが多くなるのが地方での働き方。
だからこれまでの時間の使い方とは大きく変わるだろう。

「午前中に資料整理しようと思っていたら、年賀状のつくり方がわからないとか、
野菜を持ってきたよとか、訪問客が結構来ます。
名古屋で仕事をしていたときは基本的に、
自分ひとりであれこれ考えて働いていましたが、
飛騨に来てからは、子どもと過ごしたり、
いろんなことを妻やなっちゃん(森瀬)に相談したり共有することで、
作業の効率が格段に上がりました。
名古屋にいた頃には、考えもつかないやり方でした。
kongcongはデザイナーも妻も子どもも含めてkongcong。
飛騨に来てクリエイティブをする環境として一番大切な場所になっています」

就農を支援するパンフレットを制作。

kongcongとして、飛騨での具体的な仕事を教えてもらった。
まずは〈JAひだ〉との仕事。
JAひだはこれまで年に100回程度もワークショップやイベントを企画していたが、
もっと若い世代の人にもこの活動を知ってほしいという相談がきた。
そこで期間限定カフェイベント〈LOL -Laugh out Loud in Hida-〉を企画。

若者を呼ぶには若者を知ることからということで、
農業を料理の側面からわかりやすく伝えながら、
空間やデザイン、プロダクトなどのライフスタイルを
飛騨で活躍する人たちとともにつくることで、クライアント自身も学びながらPRした。

「実際、本当の始まりはこれからだと思っています。
たくさんの課題が見つかったことで今度はそれをどうしたらクリアできるか。
僕自身、クライアントさんも含めて一緒に向き合っているところです。
まだまだ道半ば! というのが本当のところです」

〈三寺まいり〉を斬新なかたちで提案。

幾何学的でポップなデザインのお守り。

古川では毎年1月15日に〈三寺まいり〉という300年以上続く伝統行事がある。
文字通り古川にある3つのお寺をお参りするもの。
雪で覆われたまちが、和ろうそくや雪像ろうそくで灯され、幻想的な風景になる。
これをきっかけにした、通年楽しめる仕掛けを考えたいという仕事を受けた。

そこで「きつね火レッド」「春祭りピンク」「大銀杏イエロー」「白壁モノトーン」
などの、古川のまちをイメージしたお守りを用意。
来た人はそれを購入し、お寺にあるスタンプを捺し、
願いごとを書いてお守りに入れる。この仕組みが3月から始まる。
これで年1回の三寺まいりのアピールにもなるし、通年訪れるきっかけにもなる。

「ちゃんと機能するものをつくりたいと思って、客観的な目線は大切にして考えました。
このご相談については主体者の方はすごく熱意を持っておられたので、
あと大切なことは“外の目線”かなと、何となく感じました。
どちらかに依存して進めるのではなく、一緒に悩んで一緒にぶつかること。
継続的に続けたいと思ったので、いまはそうやって一緒に
“あーでもないこーでもない”と準備しているところです」

千原さんにとって、飛騨に移住して得た一番の財産は
「家族や仕事仲間とコミュニケーションする時間が増えたこと」だという。
本人がそうであったように、子どもにもこのまちを好きになってもらいたい。
そのために飛騨をおもしろい場所にしていきたい。そんな野望で道を拓いていく。

information

kongcong 

■『グッとくる飛騨』では、こちらのインタビューも↓

市の就農パンフレットにもデザインを、飛騨市が仕掛ける明るい就農支援

第36話・
グレアムさん、冬の有馬温泉へ。
〈金の湯〉で金泉につかり、
〈くつろぎ家〉で絶品釜飯を!

第36話
グレアムさん、冬の有馬温泉へ。
お気に入りスポットを一気にご紹介!

今回のグレアムさんは、日本三古湯のひとつとも言われる有馬温泉へ。
何度も訪れているだけあって、お気に入りの場所があちらこちらに! 
人気の外湯からおすすめのグルメまで、いろいろ紹介してくれました。
まずは有馬温泉駅からスタート! 
スルスルと横にスライドしながら、有馬温泉散策を
お楽しみください。

農園で研修、香川の有機農園
〈よしむら農園〉

有機JAS認証の農園で学んだいろいろなこと

私たちは農業を生業にして田舎で暮らしています。
まだまだ生業とは言えないような所得ですが、それでも野菜を育てて、売って、
そのお金が生計の大きな部分を占めています。

移住を考えてる人やまわりの人などから
「どうやって農業を勉強したの?」
とよく聞かれます。
たしかに農業っていきなりやろうとしても、何から始めたらいいのか、
どんな道具がいるのかまったくわからないですよね。
今日はそのことを書こうと思います。

私たちが小豆島に引っ越してきたのは、2012年10月。
そのときは自分たちが食べる分くらいの野菜を育てたいなと考えていました。
『半農半Xの種を播く』『家族で楽しむ自給自足』『月3万円ビジネス』
そんな本を読みながら、思い描く暮らし方はありました。

ただ具体的な働き方、稼ぎ方は、いまにして思うと明確には決めていませんでした。
そんな状態で夫婦揃って会社を辞めて引っ越してきたんだから、
ある意味すごい勇気だなと自分たちのことながら思います(笑)。
ま、でもそれくらい当時の働き方、生き方を変えたいという思いが
強かったんですけどね。

引っ越してきた数日後には、じいちゃんが残してくれた道具を使って畑を耕し始め、
種をまいたり苗を植えたりしていました。
名古屋で暮らしていた頃は、プランターで
ミニトマトくらいしか育てたことがなかった私たち。
とにかく見よう見まねでやる、近所のおじちゃん、おばちゃんたちにも教えてもらって、
少しずつできることが増えていきました。

大きな転機は翌年の春。
小豆島で暮らすようになり半年経った頃、農業に関する補助金の話もあり、
本格的に農業を頑張ってみよう! と新たに農地も借り、
中古の軽トラも購入し、野菜の販売も始めました。

ただ圧倒的に知識も技術も足りない。
農薬は使いたくない、化学肥料は使いたくない、
そんな何も知らない素人の思いだけしかない。
有機農業をしたいならちゃんと研修を受けたほうがいいという
まわりからのアドバイスもあり、農園に研修に行くことになりました。
そのとき出会ったのが、香川県にある〈よしむら農園〉さんです。

よしむら農園の皆さん。

よしむら農園で育てられたお野菜たち。

よしむら農園は、香川県・讃岐平野のほぼ中央部、丸亀市にあります。
化学農薬、化学肥料や除草剤を使わない有機農業で野菜を栽培し、
有機JASの認証も受けている農園です。
常に研修生が何人か来ていて、私たちが連絡したときも空きがない状態だったのですが、
運よく研修させてもらえることになりました。

寒い寒い冬の作業。レタスの苗を植えます。

ひと苗ひと苗、丁寧に。

苗を植えてから、これまた丁寧に水やりします。

三重で始めた暮らしで考えた、
大きな環境の変化と移住の難しさ

美杉町への移住はうまくいくのか…?

移住先探しの旅を経て、三重県津市の美杉町に仮住まいを見つけた一家。
昨年12月に家族3人で1週間ほど過ごしてみて、なかなかいい感じ。
年が明けてから、いよいよ東京の家を引き払い、
美杉でもう少し暮らしてみようということに。
この仮住まいでお試し暮らしができるのは3か月間。
はたして、ここに落ち着くことになるのでしょうか…?
今回は久しぶりに、妻のフォトグラファー、徹花さんが綴ります。

北海道・長沼のまちの大工さん
〈yomogiya〉の
すてきな小屋と心地いい空間づくり

写真提供:yomogiya

夫が憧れた大工、yomogiyaさんに、会いに行く!

あるとき、珍しく夫がわたしに頼みごとをした。
それは、「取材という口実をつくって、
〈yomogiya〉さんに連絡をとってほしい」というものだった。

yomogiyaとは、岩見沢から車で30分ほどのところにある
長沼の大工・中村直弘さんの屋号。
2年ほど前に同じ町内の南インドカレー屋さん〈shandi nivas cafe'〉の敷地に
古材を使った物置小屋を中村さんが建てており、建築途中を見た夫は、
同じ大工仲間として、その仕事ぶりに大きな共感を抱いたことがあった。

そして、わたしたちがいま改装をしている美流渡(みると)の古家について、
中村さんに一度相談をしてみたいと夫は考えており、
そのきっかけをなんとかつかみたかったようだ。

shandi nivas cafe'(シャンディ ニヴァース カフェ)は、カレーとともにスイーツもおいしいお店。店舗脇に建てられた小屋の制作中の様子。(写真提供:yomogiya)

完成した小屋。屋根のトタン以外は、すべて廃材とデッドストックの材料でつくったそう。(写真提供:yomogiya)

わたしもyomogiyaさんの活動にはとても興味を持っていたので、
ぜひ取材をしてみたいと思っていた(口実ではなくて本当に!)。
ホームページのコンセプトにあった「yomogiya」=「町の大工さん」
というフレーズに心惹かれるものがあったからだ。

手がけるのは「小屋づくり、リフォーム、店舗づくり」といった大工仕事だけでなく、
「古物のリメイク」、そして「web作成、チラシ作成」まで。
きっと何十年か前の大工さんって、住民の困りごとに
なんでも気軽に応えてきたんじゃないかと想像するが、
そんな関係をいまに蘇らせようとしているように感じられたのだ。

長沼の隣町・由仁町にある〈Gallery teto²〉。このギャラリーはこれまで縁側から入る構造になっていたが、古材を使って玄関を増設。わたしと夫も、ときどきここを訪ねており「yomogiyaさんの仕事なのか!」と興奮しながら見たことがあった。(写真提供:yomogiya)

知人を介して中村さんに連絡をとり、
自宅兼仕事場を訪ねることになったのは昨年11月のこと。
この日、中村さんは札幌に納品するための仕事を抱えて忙しそうな様子だったが、
にこやかにわたしたちを迎え入れてくれた。まず案内してくれたのは、
事務所兼モデルハウスにしようと考えているという制作中の小屋。

「週末に、ちょっとひとり暮らしができるくらいの小屋をつくろうと思って」

長沼の自宅であり仕事場に、小屋を建てていた中村さん。

6畳以下の小屋は建築確認申請が不要なサイズ。スペース的には小さいが、ここで最低限暮らせるようにと中村さんは考えている。

全体が6畳と小さいものだが、随所に中村さんのアイデアが生かされていた。
コンポストトイレを設置し、水道は引かずタンクに水をためて使うなど
オフグリッドな小屋を目指しているのだという。

感心しながら中村さんの話を聞いていた夫は上機嫌。そして、こんな話を始めた。
「カレー屋さんで小屋の骨組みを見たとき、
こういう仕事をする人が北海道にいるんだと、すごく感動しました。
納め方に誠実さを感じるんです。ずっと友だちになりたいと思っていました」

夫は自分の意見を物怖じせずに言うタイプだが、
自分よりも10歳くらい若い大工さんに向かって
「友だちになりたいと思っていました」という素直な発言には正直驚いた。
よほど「納め方」にほれ込んだのではないかと思う(納め方とは、大工さんが
よく使う言葉で、仕上げにセンスがあるとか、出来がいいとかそんな感じだろうか)。

中村さんも、わたしたちが古家を改装していることに興味を持ってくれたようで、
いずれは美流渡に行きたいと語ってくれた。

飛騨の移住者たちに聞く「働き方」
地域のためになる仕事、
地域だからできる働き方

Uターンして高山市で飛騨信用組合に勤める古里圭史さんと、
下呂市でNPO法人〈飛騨小坂200滝〉に勤める熊崎潤さんの、飛騨での働き方を聞いた。

肉体労働から金融という異業種へ飛び込む

大学浪人&留年、就職活動もしなかったような男が、公認会計士の資格を取り、
いまでは飛騨のために働いている。
〈飛騨信用組合〉(ひだしん)の経営企画部長である古里圭史さんは、
一般的には遠回り人生を送っているようだが、
豊かな人生経験が、飛騨で人に会う仕事に生きているようだ。

〈飛騨信用組合〉の経営企画部長である古里圭史さん。

飛騨市の古川町出身で、高校卒業後名古屋で1年間大学浪人生活。
その後、早稲田大学に入学するも、留年して1年余計に通い、
大学5年目には日雇いの肉体労働系アルバイトばかりしていた。
その後、派遣会社を通して、総務の設備関係、そして監査対応の仕事に就いた。
経済・金融はまったく未知の世界だった。

「監査対応の仕事がおもしろいと思って、簿記や公認会計士の勉強を始めたんです。
昼休みにおにぎり片手に勉強していましたね。
“1浪1留”で就職も遅れていて、同級生たちに遅れをとっていたので、
焦りの気持ちもありました」

その後、監査法人の〈トーマツ〉に入社。働きながら公認会計士の資格も取った。
古里さんの人生が大きく舵を切っていく。

飛騨の木材を使った吹き抜けのフロアは明るく気持ちがいい。

Uターンして気がついた地方の「経済生態系」

「飛騨信用組合の方々に、
“戻ってきて一緒に働かないか”と声をかけてもらいました。
東京にまで会いに来てくれて、夢やビジョンを語ってもらいました」

これを帰るチャンスととらえた古里さん。
2012年にUターンし、飛騨信用組合に入社する。
トーマツで働いていた6年間は、一部上場企業や
上場を目指す有力なベンチャー企業などを相手に仕事をしていた。
ところが、飛騨では中小企業や小規模事業主が仕事相手になる。

「これまでの正論がまったく通用しないんですね。
数字だけ追っていると実態が見えない。
中小企業を取り巻く、まったく新しい生態系があることを知りました。
しかしよく考えると、そういう会社のほうが日本には多くて、
実際に日本を地方から支えている。実はここが一番大切なのではないかと」

それまでの監査の仕事とは、扱うものは同じ「お金」であっても、
仕事内容のベクトルは正反対なのだ。

高いパーテーションやポスターなどがなく、落ち着いた雰囲気のカウンター。

イベントなども開催しているひだしんの中庭をバックに。

地域にフィットするクラウドファンディングを!

飛騨の中小企業の現状を見ていて、
「飛騨で新規のベンチャーなどが生まれてこない理由のひとつに、
お金の調達手段が少ないことに気がついた」という古里さん。
そこでメニューを増やそうと試みる。
東京では、いろいろな資金調達のメニューがあり、
それらを組み合わせて事業を運んでいくことができる。

そこで〈ミュージックセキュリティーズ〉と業務提携した
投資型クラウドファンディングや、
もっと手軽な購入型クラウドファンディング〈FAAVO飛騨・高山〉を立ち上げる。
また、子会社を立ち上げてより本格的なシステムとして〈結ファンド〉もつくった。

「地元企業がもっとチャレンジをしやすいように、とにかくツールを揃えたい。
金融機関の役割ってそういうことなんじゃないかなと思っています」

信用組合というのは、一般的に規模としては一番小さい業態の金融機関だ。
ひだしんは、飛騨市、高山市、白川村でしか営業できない。
地元の人としか取引ができない。
だから地域が衰退すれば、ひだしんもともに衰退していく。
“売り上げが悪いから飛騨から撤退”なんてことはあり得ないのだ。
だから地域との接点はおのずと増えていく。

「クラウドファンディングは、地域特化していれば、
より企画を練り込んでいくことができます。
また資金調達以外にも、地元の人たちのおもしろい活動にお金を出すことで
当事者意識を持つという、ネットワークづくりにも役立っていると思います」

ひだしんにも地域のナレッジが集まり、
活動を「見える化」することにもつながるだろう。

「少しずつ地域カタログのようになったらいいなと。
僕が東京にいたときは、飛騨のことが全然わかりませんでしたから」

「ビズコン飛騨」では、ビジネスのコンシェルジュとして、ひだしんの取引先でなくても、誰でも無料で相談を受けつけている。

人に会って、親身になって、一緒に何かを生み出す

古里さんと一緒に〈エブリ東山〉というスーパーマーケットを訪れた。
もともとひだしんの取引先であったが、
一番目立つ場所に支店である〈ひだしんリビング〉と
ファブリケーション施設〈フレッシュラボ高山〉がある。

「最初にひだしんリビングに勤務していた支店長と次長は、夫婦でした。
本来ならあり得ないことですが、スーパーに土日に来る家族や夫婦にとって
一番の相談相手になるんです」

夫婦で店舗を回すなんて、まるで定食屋かラーメン屋か。
そんな親密感もあって、売り上げも上々。
窓際で明るく、子どもが入りやすい開けた店舗設計。
制服もなく週休3日制と、実験的な働き方も進めている店舗だ。

金融機関とは思えないひだしんリビングの店舗。

子どもに人気の木彫りのクマさん。チェーンソーでつくられた作品だとか。

隣には〈フレッシュラボ高山〉。
スーパーの施設であるが、レーザーカッターや3Dプリンターなどのツールがあり、
キッチンスタジオも完備したファブリケーション施設。
食関連のイベントなども行われている。

「この場所をつくらせてもらったときに、いろいろと関わらせていただきました。
どんな場所にしたいかというワークショップにも混ぜてもらいました」

フレッシュラボ高山の山下貴士さんと近況報告。

スーパーマーケットに突然ファブ施設!

このように地域と密接になって、“どうしたらうまくいくか”考える。
常にそれを意識していくのが、地域の金融機関における古里さんの働き方。

現在のように足を使って、人に会って、親身になって、
一緒に何かを生み出す働き方が合っているのかもしれない。

「飛騨ではリアルな対面のコミュニケーションが重要です」
こうして地域のハブになろうとしている。

information

map

飛騨信用組合

■『グッとくる飛騨』では、こちらのインタビューも↓

恩師が見てきた、古里さんのアナザーストーリー

カレッジの名に偽りなし! 岡山県備前市の 食と暮らしに会いにいく、 〈備前_暮らしカレッジ〉に 潜入してみた

備前市で『食と暮らし』をテーマにしたオープンカレッジが開講

『コロカル』内でひっそり「鴨方町六条院回覧板」を書いている赤星です。
ぼくの現在のホームタウンは
連載のタイトルからもおわかりのように、岡山県の浅口市鴨方町。
岡山県では西の端に近く、南は瀬戸内海に面している。
だから、同じく瀬戸内海に面しているとはいえ、
東の端にある備前市の制作物のオファーがきたときは、
「備前……遠い」という感想しかなかった。

その制作物の内容というのは、備前市内への移住者や起業者を増やすことを目的とした、
社会実験的な学校のPR用ポスターとチラシ。遠いうえに、馴染みが薄い。
しかも、移住者や起業者を誘致するための試験的な試みといっても、
いまの時代、さほど珍しいとは言いがたい。
正直、ピンと来ないまま話を聞いていた。
しかし、特定したキャンパスを持たず、備前市内を広く学びの場とすること、
補助金の種類や申請の実際等を教えるカリキュラムがあるなどの
学校の特色のレクチャーを受けている際に、聞き捨ててはおけない言葉が。

「この学校はですね、『食と暮らし』をテーマにしているんです」

この学校のいろいろをよどみなく説明してくれているのは
フードディレクターの久保陽子さん。
情報の疎さには自信があるぼくでも名前を知っているほど
精力的に活躍している方で、彼女がこの学校の運営団体の窓口になっている。
なるほど、道理で彼女なわけだ。
「食」がテーマと聞いて俄然気持ちが入ってきた。
ちなみにぼくは朝ご飯を食べながらその日のランチに思いをめぐらし、
いきおいで晩ご飯のメニューまで組み立ててしまうようなタイプである。

学校名を〈備前_暮らしカレッジ〉という。
今夏に開校を迎えるにあたり、1月から3月まで月に一度オープンカレッジを開催している。
以下はその第1回に同行したレポートだ。

Facebookや直接のメールで申し込みのあった20名が出席。全員が岡山県内からの参加だった。

集合場所はJR赤穂播州線の伊部(いんべ)駅。
このつつましい駅舎の一画にカフェがある。名前は〈UDO(うど)〉。
ダクトや配線がむき出しの天井に、壁紙をはいだままのコンクリートの壁。
このスケルトンの内装のみならず、
器からメニューにいたるまでセンスのよさを感じさせる。
郷愁をそそるような年季の入った駅舎に、
まさかこんなにクールなカフェがあろうとは。
しかし、それもそのはずなのだ。
店主は現在岡山県内で5店のコーヒーショップを展開している木下尚之クン。
ぼくがかつて〈マチスタ〉というコーヒースタンドをやっていた時代からのコーヒー仲間で、
まこと研究熱心な焙煎人であり、おまけに店舗のプロデュースにも定評がある。
実はこのオープンカレッジの講師のひとり目が、誰であろう木下クンなのだった。
彼は備前の西隣、瀬戸内市牛窓の出身。
伊部の地元の人たちからの要請があって、
もともと伊部駅にあった喫茶店の経営を継いだカタチだ。

オープンカレッジひとコマ目の場所はもちろんこの〈UDO〉。
岡山県内から集まった参加者20名が、
備前焼で供されたコーヒーを飲みながら、木下クンの話に熱心に耳を傾けている。
話を聞くだけでなく、ほとんど全員がメモをとっている。
場所がカフェだからか、学校というかたい感じは一切ない。
でも、だからといってくだけた感じでもない。
たぶん、参加している人たちの話を聞く姿勢にあるのだと思うけれど、
場の雰囲気には一種の緊張感さえあった。
学校に見えない。でも、「カレッジ」の名に偽りなし。
その雰囲気が伝わっていたのだろう、
木下クンも久保さんから投げかけられる質問に、
努めて言葉を選んで丁寧に話していた。
短めのつばのキャップをかぶった木下クンはいつもの感じだけど、
ウールの黒いジャケットが先生らしさというか、
若干フォーマルな感じを出そうとしている意図がうかがえる。
そんな真面目さも彼らしい。

思えば、木下クンと会っているときに、店づくりの話なんて聞いたことがない。
「この話を早く聞いておけば、もしかしたら〈マチスタ〉を閉めずにすんだかも」
とは思わなかったけど、個人的に興味深い話ばかりだった。
これから飲食で起業を考えていた人にはなおさらだったろう。

蛇足ではあるが、木下クンが話している間、
店の厨房では若い女性スタッフがひとり、
コンロや冷蔵庫、棚といったステンレスの厨房器具を
それこそピカピカに磨きあげていた。
その半端のない丁寧さに、木下クンの店づくりの一端を見た思いがした。

30歳で「キノシタショウテン」(瀬戸内市邑久町)を立ち上げた木下尚之さん。現在は異なるスタイルのコーヒーショップを5店経営している。カフェやコーヒー関連のお店のプロデュースも手がける。

オープンカレッジ、ふたコマ目は〈UDO〉から徒歩3分。
駅前通りの突き当たりにある備前焼の〈一陽窯〉へ。
講師はここの3代目、木村肇さん。
店を抜けた奥にある、前後に長く連なった巨大な窯の前で木村さんが待っていた。
開始の合図も、ちゃんとした自己紹介もなにもないまま、
そこからいきなり窯の説明を始めた木村さん。

「最初に火が入るこの窯を“運”ぶ“道”と書いて“運道(うど)”といいます。
みなさんがさきほどまでいた〈UDO〉の名前はここから来ているんです」

備前焼の作家というと重々しい印象があったけど、
木村さんはむしろ若々しくてカジュアルだ。
明るめのグリーンのダウンジャケットを羽織ったその姿は、
どちらかというと古着屋のお兄さんといった感じ。
そんな木村さんが、続けて窯の前で備前焼と伊部の歴史を語り始める。
備前焼の歴史は約1000年。ここ伊部の土を掘って粘土をつくり、
伊部の山に群生している赤松を燃やして長い時間をかけて焼き固める。
上(かみ)から下(しも)まで
伊部という狭いエリアで完結していたのが備前焼であり、
それは1000年経った現在もほとんど変わっていない、云々……。
次にろくろのある工房に案内してくれた。職人さんがひとり、
ろく座と呼ばれる、ろくろを仕込んでいる板間で作業をしていた。
工房にはろく座が5〜6席はあったと思う。
木村さんが子どもの頃は、このろく座がすべて埋まるぐらい大勢の職人さんが
ここで備前焼をつくっていたという。
木村さんはその職人さんたちから備前焼を教えられた。
「菊練り」と呼ばれる、成形前の粘土を練り上げる作業から始まり、
高校を卒業する頃には一通りの作業をこなせるようにまでなっていた。

2番目のプログラムでは一陽窯の3代目・木村 肇さんが講師を務めた。中国電力のテレビCMに出演しているので岡山県人にはお馴染みの人でもある。

ここで備前焼について簡単に述べさせていただく。
備前焼は瀬戸焼や信楽焼と並んで
日本六古窯のひとつに数えられる焼き物で、
瓶やすり鉢、徳利など、実用本意の庶民の器として普及していた。
土が緻密であり、千数百度の高温で長時間焼き固められることから、
落としても簡単に割れないような丈夫さが
大きな特徴のひとつとされている。
(焼きによってもたらされる「窯変」と呼ばれるさまざまな種類の表情も特徴のひとつ)。
茶器として使用されるようになった室町時代から桃山時代にかけて、
その芸術性が注目されるようになる。
現代においても備前焼の芸術としての評価は健在で、
金重陶陽や藤原啓などこれまで5人の人間国宝を輩出している。

〈一陽窯〉は伊部に現在も多い作家性を打ち出した窯ではなく、
暮らしに沿った器としての備前焼を提供している窯だ。
当然、3代目の木村さんもギャラリーで個展を開いて、という活動はしていない。
とはいえ、松屋銀座で毎年開催される
「銀座・手仕事直売所」というイベントに参加したり、
東京のシチリア料理店でのワインのイベント用に
備前焼のワイングラスをつくって参加したりと、
目にとまるようなオリジナルな活動をしている。

しかし、ぼくがとくに興味をそそられたのは
彼のつくるすり鉢だった。何かの雑誌かネットで見たのだ。
備前焼のすり鉢なんて見たことがなかった。
一見、なんてことのないすり鉢なんだけど、
写真からずっしりとした重量が手に伝わってくる感じがして、
なんとも具合がよさそうだった。
このすり鉢だけとっても、なんとなく人がわかるような気がした。
はたして木村 肇さんはぼくのにらんでいた通り、
紛うことなき「食」の人だった。

工房から場所を移し、ミーティングルームのような部屋で約30分のお話。
久保さんとのやりとりに、木村さんという人柄がよく表れていた。
当然、核には備前焼があって、
木村さんの話からは備前焼の知識を深めることができたのだけれど、
彼はピュアにその周辺にいろんな興味を持っていて、
それがまた備前焼に通じている。
そんな話が楽しくないはずがなく、
30分という時間はあっという間に過ぎてしまった。
話が終わると同時、ぼくは急いで店舗に向かって、
念願のあのすり鉢をひとつ購入した。
思っていたよりも若干重いぐらいの重量があった。
買ってからまだ数日しか経っていないので一度も使っていないが、使うのが楽しみだ。
ちなみに、お店でこのすり鉢の説明をしてくれたのは
木村さんのお父さん、レジで会計してくれたのは木村さんのお母さんだった。

噛みあわなさ加減が絶妙におもしろかった木村さんとフードディレクター・久保さんとのやりとり。備前焼というとかたそうなイメージだけど、その日もっとも笑いを誘う楽しい話だった。

注目の教育法! 教育先進都市・豊岡市の 「コミュニケーション教育」を 都内で体験

“飛んでるローカル”こと兵庫県豊岡市から、
子どものコミュニケーション力を育むワークショップが登場!

2017年3月4日(土)に、
東京都目黒区にある〈ノアスタジオ 学芸大スタジオ〉で、
豊岡市が実践する演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」や
幼児期の子どもと親が一緒に行う「親子運動遊び」を
体験するワークショップが開催されます。

豊岡と言えば、城崎温泉や、片岡愛之助が毎年歌舞伎を仕掛ける芝居小屋「出石永楽館」、
カバンのまち豊岡などで有名ですが、もうひとつ注目すべきなのが、
演出家・平田オリザさんが芸術監督を務める
舞台芸術を中心としたアーティストインレジデンス「城崎国際アートセンター」です。

この施設は、世界から著名な劇作家やダンサーが滞在、制作し、
新しい演劇を生み出す場所ですが、
この演劇が、豊岡市内の小学校の教育で生かされ、
教育の先進的なまちとして注目されているところでもあるのです。

そのひとつが、演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」。
豊岡市は、演劇の役割として注目されている
「合意形成能力」「恊働性」「多様化への理解を育む」機能に着目し、
演劇的手法を用いた授業を行っています。
自分の役割をきちんと果たしたり、誰に何を伝えるかを意識したりする
“コミュニケーション能力”を、楽しみながら身につけ、
子どもたちの新たな可能性を引き出すことを目指しています。
現在、豊岡市では市内5つの小中学校のモデル校で授業が行われていますが、
平成29年度からは、市内の全小中学校の小学校6年生と
中学1年生のクラスで授業が行われます。
今回は、10歳から12歳のお子さんを対象に、
この「コミュニケーション教育」のワークショップが行われます。

また、もうひとつ体験できるのが、
2歳から6歳向けの「親子運動遊び」のプログラムです。
豊岡市の保育園・幼稚園で行われている、「親子運動遊び」。
幼児期の身体を動かす遊びや運動は、
丈夫な身体をつくるためだけでなく、
「脳」や「こころ」の発達にも大きく役立つことがわかってきました。

現在、子どもたちの遊びは「動的な」ものから「静的な」ものになっています。
そこで、豊岡市では、子どもたちが心身ともに健やかに成長できるよう、
幼児期における「親子運動遊び」を積極的に展開しています。

たとえば、鉄棒や跳び箱などのほかに、
クマさん歩き、ワニさん歩き、カンガルー跳びでいろいろな動物に変身したり、
身体を使ったゲームなどを行って、
日常生活ではあまり使われない筋肉を、楽しく遊びながら動かし、
支持力、跳躍力、懸垂力、逆さ感覚などの基礎体力や、
達成感、挑戦する意欲、友だちとのコミュニケーション能力を身につけています。
しかも驚くことに、豊岡市内のすべての保育園、幼稚園で、
この「親子運動遊び」が行われているのです。

今回体験できるワークショップのコースは、年齢ごとに分かれて3種類あります。

・「親子運動遊び 〜2、3歳児編〜」

・「親子運動遊び 〜4、5、6歳児編〜」

・演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」(10歳〜12歳が対象)

お子さんの年齢に合わせて選択してみてください。

日本の現代演劇界を担う劇作家、演出家の平田オリザさん。豊岡市の芸術文化参与も兼務しています。撮影:青木 司

今回のワークショップでは、
豊岡市で演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」の
指導にあたる平田オリザさんのほかに、
NPO法人PAVLIC、豊岡市親子運動遊び指導員の方々が、手ほどきをしてくれます。

参加費は無料。応募締め切りは3月1日。
定員は、親子運動遊びが各回15組30名で、
10歳から12歳を参加対象にする、演劇的手法を用いた
「コミュニケーション教育」は50名です。

最先端の教育手法に興味がある方は、
まずは、豊岡市の移住ポータルサイト『飛んでるローカル豊岡』
イベントエントリーフォームからお申し込みを!

information

飛んでるローカル 子どもワークショップ

日程:2017年3月4日

会場:ノアスタジオ 学芸大スタジオ(東京都目黒区碑文谷5-25-10 ノアビル22 3階Cスタジオ)

Web:飛んでるローカル豊岡

「うだつ」があがるまち!? 徳島県三好市をぶらぶら歩き

東は徳島、西は愛媛、北は香川、南は高知に接する、
ボーダレスカルチャーが魅力の三好市

徳島県三好市ってどんな場所?と聞かれると
きっと旅行で訪れた人ならば、
景勝地である大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)のある祖谷(いや)や温泉など
徳島の奥地だからこそ出会える秘境の美しさについて話すはずだ。

ところが実際に三好に暮らしている住人たちは、こう答える。
「四国の真ん中にあって、あちこち行くのに便利なんですよ」。
旅人の四国行脚の拠点として滞在を勧めるあたりは
さすが、「おせったい」のお遍路文化が息づく徳島県人だ。
と決めつけてかかると、
「そうはいっても、自分たちは “徳島県人”というアイデンティティ意識は
薄いかもしれない」と地元人から戻ってきた。
なぜなら、隣県のあちこちに通勤している人も多いことから使う方言はバラバラ。
県外から三好に働きに来る人、引っ越してきた人もいる。
三好は四国4県の市町村の中でもっとも大きな面積を持ち、
東は徳島、西は愛媛、北は香川、南は高知に接しているから
ボーダーレスな感覚の人が多いのかもしれない。

筆者は以前、高知龍馬空港から祖谷方面に入ったことがある。
吉野川をたどりながら池田町に向かう際には、徳島阿波おどり空港からだった。
今回は、ピンポイントで池田町に一番近い空港といわれている高松空港を利用。
到着寸前まで、なぜか高知に到着すると勘違いしていた。
まあ、それほどまでにアクセスの選択肢も多いということだ。

標識は、徳島行きやら、高松行きやら。反対方向から見ると松山行きになってしまうのだから、四国の交差点のような場所というのもうなずける。

三好市池田町のメインストリート、駅前通り。平日昼間はひっそりとしているが、夏になると入りきらないほど人が集まり、阿波踊りが繰り広げられる。

2006年に6町村が合併して三好市となるまで、
現在の三好市役所のある池田町は、三好郡池田町だった。
全国高校野球選手権大会優勝3回、準優勝2回の実績があり、
「やまびこ打線」「さわやかイレブン」で知られるあの池田高校のある池田だ。

土讃線 阿波池田駅から続くアーケード商店街、駅前通りを歩く。
個人商店の看板や風情に、どことなく昭和の残り香が漂い、
右へ左へと立ち寄りたくなってしまう。
なかでもひときわ目をひくのは、喫茶〈21世紀〉。
20世紀の時代には、21世紀というと遠い未来のように感じたのが、
すでに21世紀となってしまった今、このネーミングを目にするだけで、
急に昭和の時代へとタイムスリップさせてくれる。

駅前通りにある、ひときわ目をひくショーウインドウ。オムライスやミックスフライ定食など、洋食好きにはたまらないメニューがずらり。

笑顔が素敵な看板娘の内田貴子さん。「一押しメニューはチキン南蛮です」。ちなみに21世紀というネーミングは創業した1979年創業当初に21世紀まで続けられますように、という店主の願いから名づけられた。

おすすめのチキン南蛮は手前のお皿。見よ! このボリューム! お腹をすかせたティーンエイジャー(池田高校生)の聖地だけあり、ボリュームたっぷり。

小豆島でボルダリング! まちの課題をスポーティーに解決

スポーツで島を楽しく、豊かに

小豆島にはおもしろい人たちが次々に引っ越してきます。
カカオ豆を焙煎する人、豚を育ててる人、カフェを営んでいる人……。
先日もハーブティをつくられてる方から連絡があり、
この2月に小豆島に引っ越してくるそう。
ほんとにおもしろい人たちがいっぱいで、
この連載でももっともっと紹介したいなと思っています。

そんな外から来た人たちと島の人たちが一緒になって、
この1月に期間限定でオープンしたのが小豆島初の「クライミングウォール」。
私がずっと挑戦してみたかった「ボルダリング」を楽しめる場所です。

まちの体育館の中にできたクライミングウォール。

壁に取りつけられたホールドを使って登っていきます。

ボルダリングというのは、クライミングの一種で
ロープを使わずに身ひとつで登っていくスポーツです。
山や川、海など自然の中にある岩(ボルダー)を登ったり、
ボルダリングジムなどの人工的につくられた壁を登ったりします。

この施設はたくさんの人たちの手によって実現したのですが、
主体となって企画されたのが、数年前に移住されてきた渡部勝之さんと
去年移住されてきた渡利知弘さん。

渡部さんは、土庄町役場に「町の課題をスポーティに解決する」プロジェクト
(愛称トノショーチョースポーティプロジェクト)を持ちかけ、
町役場と島民が運営する団体〈小豆島スポーティサービス〉の発起人です。
これまで、プロバスケットボールチーム球団運営経験を生かして、
プロ球団の小豆島でのキャンプや、子ども向けのイベント
「小豆島スポーツパーク」などを企画する、いわばスポーツの仕掛け人。

一方、渡利さんは20年以上登り続けているクライマーであり、家具職人。
実はちょうど1年前の冬に東京のイベントでお会いし、
「近いうちに小豆島に移住しようと思っていて家を探しに行きます」
という感じのお話をしたような。
奥さまのみきさんとご夫婦で小豆島に引っ越してこられました。

子どもたちに登り方や決まりなどを話す渡利さん。

登り方を教えてくれるので、初心者でも楽しくできます。

その渡部さんと渡利さんがタッグを組んで完成したのが今回のクライミングウォール。
小豆島スポーティサービスのプロジェクトとして、
島で暮らす人々がスポーツを楽しむ場がつくられました。

今回のクライミングウォールは約1か月間の期間限定でオープン。

「あそぼっ」と書かれた看板。体育館というより室内の公園という雰囲気だった。

第35話・ディープな神戸観光、 今日は新長田をご案内! パンに明石焼き、お好焼き行脚。

第35話
ディープな神戸観光、
新長田をパノラマイラストでご案内!

今週のグレアムさんは
ブルックリン在住のイラストレーター、ナタリーをおもてなし。
彼女のリクエストは「ディープな神戸観光」とのことでした。
というわけで、向かったのは新長田。名物モニュメントから、
地元のみなさんに愛されている絶品グルメまで。 
しかも、今回は装いも新たにパノラマイラスト! 
スルスルと横にスライドしながら、新長田散歩をお楽しみください。

美流渡に古家リノベ仲間あらわる! 27歳DIY女子の空き家改装

美流渡の空き家を活用する実験がスタート!

北海道・岩見沢の中山間地である美流渡(みると)に、
いよいよ春に移住しようと思っているわが家。
住まいとなる古家は改装が必要なのだが、連載で何度も書いているように、
大工である夫の作業は遅々として進んでいない(う〜ん)。
夫の重い腰がいつ上がるのか、いい加減ハラハラしてきたなかで、
ひとつうれしい知らせがあった。

連載第16回で紹介した地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんが、
わが家よりさらに山あいの上美流渡で、この冬に古家を取得し、
なんと改装に乗り出したのだった。
ご近所に改装仲間がいれば、夫のやる気にも弾みがつくかも!! と期待が……。

築年数は不明。炭鉱街としてにぎわっていた時代は遊郭として使われていたそう。右の丸窓がその名残り。

家には増築の跡があり奥がかなり広い。1階は5部屋、2階は2部屋。

吉崎さんから最初に古家取得の話を聞いたときには、
思い切った決断をしたものだと驚いたが、同時にこれまで自分が考えてきたことを、
いよいよ実行に移すときが来たのだと納得もした。

彼女は地域おこし推進員であり、インテリアデザイナーという顔も持っている。
ただし、一般的なデザイナーのようにデザインだけをするのではなく、
DIY精神を生かし、模索しながら自分の力で改装を行っているのだ。
札幌の実家が経営していたアパートの一室を自ら改装したのを手始めに、
美流渡の花屋さんや自宅の内装も行い、
そのプロセスを『earth garden』というウェブで発信もしてきた。

自宅を少しずつ改装中。奥にあるドアには板を細かく貼って模様を描いた。手前のスタンディングデスクもお手製。

こうした経験を持つ彼女にとって、美流渡の空き家は
宝の山のように感じられるのだという。

以前は炭鉱街として栄え、閉山後に急激に人口が減少したこの地域には、
築年数もわからないような古家がいたるところにある。
それらは所有者がわからないものも多いが、吉崎さんは2年前に
地域おこし推進員になってから、NPOと連携しながら古家の調査を実施。
昨夏には活用方法をみんなで考える取り組みとして、
〈美流渡ビンテージ古家巡り〉というイベントも開催した。

「空き家はあるけれど、いまは活用する人がいない状態です。
移住希望者に空き家を見せる機会もありますが、ほぼ“廃屋”みたいな家がほとんど。
『直せば住めますよ』なんて言っても、なかなかイメージしにくいもの。
わたし自身も内装はやっていますが、廃屋を直すなんて
やったことがないので全然説得力がない。だからまず自分が実践して
“After”の状態をみんなに見てもらおうと思いました」

吉崎さんはさっそく改装を始め、1月には内壁をはがす作業を実施。
多くの仲間が集まった。ワークショップのように人を集めて改装をしていくことで、
地域の人たちのリノベーションスキルがアップすれば、空き家活用の機会が
さらに増えていくんじゃないか、そんな想いも持っているのだそう。

壁や天井をはがすと50年以上たまったホコリが! 前が見えなくなるほどの煙が舞い上がることもあったとか。

キッチンスペースの内壁もすべてはがすことに。

はがし終わったところ。仲間が手伝ってくれたので1日でここまで完了。

飛騨の移住者たちに聞く 「教育・子育て」 ローカル特有のつながりで育む、 子どもたちの未来

高山市で35年以上培ってきたアートやものづくりの土壌

〈ぽころこアートスクール〉では、35年以上前から高山で美術を教えている。
鹿児島から移住してきた弓削義隆さん・陽子さんの夫婦が始めた教室だ。
現在ではふたりに加え、息子の一平さんと奥さんの知嘉子さんも加わり、
4人で運営に当たっている。
親のアートスクール仕込みで自由奔放に育った一平さん。
現在は高山に落ちついているが、それまでは動き回っていたユニークな経歴。
高校までは高山で育ち、その後フランスに渡る。

「フランスではいろいろやりました。
アンティークのギャラリーで家具の修復とかクリーニングをしたり、
古着の買い付けやカメラマンのアシスタントもやりましたね。
本当は芸術学校に入ろうと思って行ったのですが……」

その後は、世界各国を旅して回る。
登山が好きだったので山行を中心に、アメリカや南米を旅する。
アンデス山脈のアコンカグア、アラスカのマッキンリーにも登った。
合間には日本に帰ってきて、北アルプスの焼岳や富士山などの山小屋で働き、
お金を貯めては海外を旅する生活。その旅の途中で、知嘉子さんとも出会った。

高台にあるアトリエは遠く山々を望む。

旅も落ち着き、一度東京で暮らす。
しかし、両親がアートスクールの行く末を迷っているタイミングでもあり、
高山に戻ることを決めた。

「高山の自然の中で育った一平くんは、東京よりも、
やはり高山のほうが生き生きとしているように感じました。
それなら私がこっちに移住しようかな」と、
東京生まれ東京育ちの知嘉子さんも高山への移住を決意した。

一平さんにとっては海外も含めた大きなUターン、知嘉子さんはIターンである。
こうして、高山で両親とともにアートスクールに携わっていくようになる。

階段や家具など、義隆さんの手づくりも多い。

自然とともに遊びながら学ぶ〈ぽころこアートスクール〉

現在、ぽころこには幼児から高校生まで50人以上の生徒がいる。
幼児は母親の陽子さん、高校生が父親の義隆さんが担当し、一平さんは小学生担当だ。
父親の代から、ぽころこは単純なアートスクールではなかった。
デッサンなどのアートは教えるが、それ以外の部分も充実している。

「凧をつくって揚げたり、ブーメランをつくって飛ばしたり。
この間の合宿ではイカダをつくりました」

広義のアート。木工のまち高山らしい取り組みともいえる。

「デッサンだけは毎回やるようにしていますが、
いろいろ広がり過ぎて、もうアートスクールなのかも微妙ですね(笑)」

ときには知嘉子さん主導で料理もつくることもある。
スパイスをゴリゴリ摺ってカレーをつくったり、
生クリームからバターをつくってホットケーキを食べたり。
「食の成り立ちを学ぶ」ことが目的だ。

子どものうちに経験したことは、大人になったとき、自分のなかに意外と残っている。
だから子どものうちにたくさんのことを経験させたいという。

「大人になったときに、自身が体験してきたことを組み合わせることで、
新しいアイデアが生まれるんだと思います。だから経験は大切」

遠くから見てもすぐにわかるユニークな建物。

現在、高山市街地の教室と、アトリエであり両親の自宅でもある
「国府教室」の2か所がある。
国府教室の裏はすぐに山で、羊が2匹いて、ツリーハウスもある。
市街地から車で20分程度だが自然が豊か。
必然的にこちらの教室ではアウトドア要素が強くなる。
特に一平さんは、親の代から受け継いで、自分だからできることを目指したいという。

「僕が得意なことをどんどんやりたい。
毎年、焼岳の3000メートル近いところまで登る登山教室も開催しています。
国府教室のほうが、みんな伸び伸びしていますね。
お題を与えなくても、勝手にそのあたりに落ちている枝で
何かをつくり始めたりしています。
デッサンに使う題材も、捕まえてきた虫とか、カエルとか(笑)」

生徒たちも製作を手伝っているツリーハウス。「くれぶき」という屋根の技法が用いられている。

「小屋をつくったり、羊の世話に追われている」と一平さんは笑う。

自分で集めて、自分で考えて、自分でつくったほうがおもしろい。
それには都会ではないほうがやりやすいことが多い。

「美術館やギャラリーに行って刺激を受ける、
ということに関しては都会よりも不利だと思います。
しかしそれ以外は有利なことがほとんど。
展示に行くにしても、それを選びとって、しっかりそれを見てくるという意味では、
体験や深さとしては意味がある。
僕がパリにいたときは、美術館やギャラリーによく通っていましたが、身近過ぎて、
いま考えると、その価値までしっかりと感じ取れていなかったと思います」

この日は凧づくり。

身の回りに溢れているがゆえに漫然としているより、数少なくても、
自分の意志が込められている体験のほうが、結果、強く残る。

「教育の環境としては、完成されたものばかりを“見る”より、
やわらかく自由な発想で“考える”ことが重要だと思います」

余計な知識は入れないで、感性に任せること。
それが一平さんの考える教育方針。

子どもたちの自主性を遮らないように気を配っていた。

生徒の親は弓削さん夫婦と同世代だったり、実際の同級生もいる。
そうした人たちのなかで、ぽころこ卒業生のモデルケースが一平さんなのかもしれない。

「一平くんがのびのび育ったのを見て、ぽころこに通わせるのが
いいんじゃないかという親の視点もあるみたいです」と知嘉子さん。

「ぽころこ出身の人は高山にもたくさん住んでいて、おもしろい人が多い。
2代どころか、3代で通っている人もいますよ。
高山なので木工関係などものづくりの仕事に就いている人も多く、
子どもに芸術やものづくりを学ばせることに理解のある親も多いです」

自然環境が豊かというほかに、木工のまちであるということ。
さらにはぽころこが35年以上にわたって
この地に培ってきた芸術的センスやクラフトマンシップの感性。
それがまた高山のものづくりへとフィードバックされているのかもしれない。
もともとの飛騨の手仕事DNAに加えて、こうした「ものを生み出せる子どもたち」が
クリエイティブなまちをつくっていけばすばらしい。

小学生と接する一平さんと知嘉子さん。
無邪気な子どもたちは、世話をするのに手を焼く。
しかし上からでも下からでもなく、素直に向き合っているようにみえる。
子どもたちが、自由に楽しく創作に向かえるように。

information

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ぽころこアートスクール

桐生教室

住所:岐阜県高山市桐生町2-173 岡田ビル1F

TEL:0577-34-7286

国府アトリエ

住所:岐阜県高山市国府町名張596

TEL:0577-72-3895

http://www.hidatakayama.ne.jp/pocoloco/

■弓削さんたちの教育についてはこちらのインタビューも↓

弓削さんに羊飼いになることを
勧めた夫婦

古材をレスキュー!  リビルディングセンタージャパンの 東野さん夫妻に会いに行く

撮影:MOTOKO

諏訪の古材販売の拠点&カフェを訪れて考えた、ふたつのこと

2017年が始まり、2週間が過ぎました。
私たちは相変わらず、小豆島の農村で畑をしたり、家を直したりして暮らしています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

去年は1年365日のうちの350日くらい家にいました(たぶん)。
本当はもう少しいろんなところへ行きたいなと思ったりもしますが、
ま、いまはこれでいいんです。
毎日自分たちが畑に出て作業し、週末は家でカフェ営業をする。
いまの私たちは「土の人」で、1か所にとどまり、
その場所を育て、人が来てくれるのを待っている。
その暮らし方が好きで、そんなにあちこち行かなくても全然つまらなくない。

ただ、年末年始だけは少し長いこと島を出ます。
長いことと言っても、1週間くらいだけれど。
畑も比較的落ち着いていて、娘も冬休み。
ここぞとばかりに、実家に帰ったり、都会で欲しいものを買い出したりします。

そしてこの年末年始は、思ってたよりもいろんなところへ行き、
いろんな人に会いました。
年に1度、実家のある愛知に帰るのですが、なかなかこっちのほうには来られないし、
少し時間もあるからどこか行きたいねと話していて
思いついたのが〈リビルディングセンタージャパン〉(以下、リビセン)。

リビセンは、上諏訪駅から歩いて10分ほどのところにあります。

たくさんの古材が置かれた倉庫。奥には作業場も。

レスキューされた古材たち。レスキューとは引き取って、新たな価値をつけてあげること。

リビセンは、2016年9月末に長野県諏訪市にオープンした
古材や古い家具などを販売するお店です。
ただ古材を売るだけの場所じゃなくて、「ReBuild New Culture」という理念を掲げ、
古いもの、使われなくなったもの、廃棄されてしまうようなものに新たな価値を見出し、
もう一度使う、そういう文化を日本で広げていこう、その拠点となる場所です。

建物2階では、家具や建具などが販売されていました。

KEEPシールがたくさん貼られてました。

「ReBuild New Culture」たくさんの人たちがこの理念に共感して集まってくる。

子どもが朝市に出店? 松浦真さん・智子さんが展開する 教育プログラム 秋田そだち Vol.3

秋田の豊かな自然と風土のなかで育まれてきた人、そして育まれていく子どもたち。
秋田の恵みをたっぷり受けながら暮らす人を全3回のシリーズでお伝えしていきます。

直感で移住を決めた結果は……?

移住の決め手は人それぞれだが、直感というのはとても大事な要素かもしれない。
2016年4月に大阪から一家4人で秋田県五城目町に移住してきた、
松浦真さん・智子さんご夫婦の話を聞いていると、そう思えてしまう。

知り合いだった丑田さんご夫婦が移住していたこともあり、
2015年の7月に初めてここに遊びにきました。
いろいろお話を聞きながら案内してもらったなかで、
周辺の環境や〈BABAME BASE〉の窓から見える景色がすごくすてきだったので、
ふたりで相談して移住することに決めました」(智子さん)

BABAME BASEとは、旧馬場目小学校の校舎を利用した施設で、
起業した人やコミュニティ活動をする人たちが入居するシェアオフィス。
松浦さんたちが運営する合同会社〈G-experience〉もここに入っている。

「そのとき、五城目町に到着してまだ2時間くらいしか
経っていなかったんですけどね(笑)。窓から景色を眺めながら、
『人生一度しかないのだから、ここに住むべきだね』
『うん』と決めてしまった感じです」(真さん)

五城目町地域活性化支援センター、通称〈BABAME BASE〉にはさまざまな人たちが集い、まちの活性化が進む。

松浦さん夫婦の移住の決め手となった、BABAME BASEからの景色。

もちろん、それまで移住を考えたことがなかったわけではない。

「どこか田舎に行きたいね、とは話していました。
7歳の息子と5歳の娘がいるのですが、子どもたちが大きくなるにつれて、
人口の密集した都市部での子育てだったり、
マンモス校の教育環境などに限界を感じるようになって。
かといって具体的にどこへ移住するかは、決めかねていたのですが。
実際移住してみて、ストレスが10分の1に減りましたね」(智子さん)

秋田市から車で約30分ほどのところにある五城目町。八郎潟からもほど近く、豊かな自然が広がる。

松浦さんたちが初めて五城目町を訪れたときに滞在した〈シェアビレッジ町村〉。築130年を超える古民家を改築。「年貢」と呼ばれる年会費を払うと「村民」になれる。「寄合」という名の飲み会も。

子どもたちが商品を企画して朝市に出店

生まれも育ちも大阪で、仕事のパートナーでもあるふたりは、
2007年にNPO法人〈cobon〉を立ち上げ、大阪を拠点に
小学生を中心とした教育プログラムを実施してきた。

cobonの活動で代表的なのが、まちづくり体験型ワークショップ〈こどものまち〉。
子どもたちが自ら考えて、架空のまちづくりを行うワークショップで、
30年以上の歴史があるドイツの「ミニ・ミュンヘン」がモデルとなっている。

「子どもたちが100人から多いときは500人くらい集まって行うのですが、
そのまちのルールや必要と思う仕事を自分たちでつくって、まちを運営していきます。
そのプロセスが働き方や生き方そのものを自分で考える手助けとなるのです」(真さん)

これまで2万人を超える子どもたちにこうしたプログラムを提供してきたが、
直感で移住した五城目町では、さらにそれを進化させたプログラムが
実現可能であることに気づく。
松浦さんが着目したのは、この地で520年もの歴史がある朝市だった。

「こどものまちはあくまでも架空のまちをつくる設定でしたが、
〈キッズクリエイティブマーケット〉は、小学生が実際に
五城目町の朝市に出店するプロジェクトなんです」(真さん)

例えば2016年9月に行われた、第1回キッズクリエイティブマーケットでは、
日々疲れているお母さんのために子どもたちが3、4人でチームを組んで、
商品やサービスを企画・販売。お母さんが毎日どんな行動をして、
その都度どんなことを感じているのかをリサーチして書き出し、
お母さんの気持ちに寄り添って、商品やサービス内容を考えた。

その結果生まれたのが、肩こりに悩むお母さんのためのマッサージ券、
木の枝や松ぼっくりなどをLEDで装飾したクリスマスツリーのような鑑賞用商品、
お母さんや家族の願いが叶うミサンガなど。
これらを〈ごじょうめ朝市plus+〉で販売して、
2時間で合計2250円の売り上げを出したそう。

キッズクリエイティブマーケットでのワンシーン。肩こりに悩むお母さんにマッサージするのも商品のひとつ。(写真提供:G-experience)

ほかにもユニークな商品がいろいろ。世界的なアーティスト、ジェームズ・タレルの作品にインスパイアされて、朝でも夜の空間になる体験型アートも登場。子どもたちの商品開発の力に脱帽。(写真提供:G-experience)

「自分たちがつくりたいものではなく、ニーズを汲み取り、
ユーザーに喜ばれるものを考える。
仕事であれば当然のことですが、学校で受け身になっているだけでは、
なかなか身につかない力といえます。

いい仕事っていうのは、受け取った側だけでなく、
やった側もうれしかったりするじゃないですか。
相手が求めていることを確認して、きちんと届けることの大切さを
子どもの頃から当たり前に感じてほしいし、仕事は選ぶだけじゃなくて、
つくることができるのだと知ってほしいんですよね。
“つくる仕事”ではなく“選ぶ仕事”というのは、どうしても数が限られてしまうし、
就職する時点で何かと比べていいか悪いかを判断する、
相対的なものになってしまいます。

私たちは普段、ふたつの商品のどっちが安いかとか、
1000円の差で機能がどう違っているのかなど、
消費者目線で瞬時にものを選ぶクセがついていますよね。
仕事や会社を消費者目線で選んでしまうと、誰かと比べることでしか、
良し悪しを判断できないような人生になってしまう。

一方で、自分でつくればおのずと愛着が生まれるし、
それを必要としている人に届けるという考え方が根づいていれば、
あとはそこに専門的な学びを付随していけばいいんです」(真さん)

移住して半年足らずで、このようなイベントを実現してしまったことに驚くが、
五城目町だったからできたのだと松浦さんは感じている。

「子どもが朝市にこんなに簡単に出店できる場所なんて、
おそらくほかにはないですよね。520年以上続いているからこそ、
すぐに受け入れてくださる懐の深さがあったのだと思います。
そういう意味でもまちのことを知れば知るほど、
先進的な教育活動ができる場所だという思いが強くなっています」(真さん)

ここでは先進的な教育活動の可能性を感じると話す松浦真さん。

〈みる・とーぶ〉プロジェクトと 美流渡への移住。 春に向けて忙しい年明け!

なかなか改修が進まない古家……、今後の見通しは?

今年はいよいよ岩見沢の市街地を出て、中山間地である美流渡(みると)に移住する年。
昨年、古家の取得手続きも完了し、引っ越し目標は雪が解けたあとの5月!

……と、勢いよく書き出してみたが、実は11、12月は
古家の改修をまったく進めることができず、
目標までに移住できるかは、まだまだ予断を許さない状況だ。

改修は大工である夫が進めており、10月までは古家に足しげく通い、
内壁を壊すところまでは終わったのだが、それ以降は、東京からの来客が多かったり、
岩見沢市内でイベント開催の手伝いをしたりなど、夫の手を借りる場面も多かったため、
いったん止まってしまったのだ(結局、わたしがまいたタネが原因なのだけれど)。
一度、手が止まってしまうと糸が切れたような状態になり、
もともと夫は腰が重いタイプというのも重なって……。

岩見沢は豪雪地帯。古家の中に入るためにまず必要なのは除雪。たっぷり雪がつもると、さらに足は遠のく。

ただ、わが家族には移住を先延ばしにできない理由がある。
今年息子は小学1年生。4月からは美流渡の小学校に通う手続きを進めており、
引っ越しするまでは、現在の自宅から車で30分かけて通うこととなる。
朝8時になっても起きない息子を、登校時間までに学校に送り届けるというのは
頭の痛い問題のひとつ。

どう考えても美流渡に早く引っ越すのがベストなのだが、
わたしが改修に協力できるのは多少のお金を出すことだけで、実際に動くのは夫。
これからの段取りを細かく聞けば煙たがられるので、
内心気をもんではいるものの、見守るしかないのが現状だ。

作業の手を止めてしまう要因は家の状況にも。内壁をはがしてみると、梁が途中で切れていて、変なところに補強のための柱があったり。梁を強化する必要があるか、夫は悩み中なのだ。

同時並行で進めているイベントも、準備が佳境…!

そして、もうひとつ同じ時期に重要なイベントが控えていることも、
引っ越しが遅れそうな予感を感じさせる。
ただこれも、わたしがまいたタネだし、
この地域にきっと新しい何かが起こるきっかけとなると思っているので、
気を引き締めて取り組んでいきたいと思っている。

そのイベントとは、この連載の29回で経緯について書いた
〈みる・とーぶ〉プロジェクトだ。
このプロジェクトは、美流渡を含めた岩見沢の中山間地である
東部丘陵地域をもっとみんなに知ってもらうための取り組みで、
“東部”を“見る”という意味を込めて〈みる・とーぶ〉。

工夫を凝らした東部丘陵地域の地図をつくり、
イベントを開催して配布していこうと考えている。
第1回目のイベントはすでに日程が決まっていて、
4月に札幌市資料館で6日間、開催予定だ。

地図はいままさに制作中で、単なるスポット紹介ではなく「顔の見える地図」がテーマ。
東部丘陵地域の魅力はなんといっても人ということで、
地域の人々にひと言ずつコメントをもらい、
似顔絵を入れてマッピングしていこうというものだ。

岩見沢の地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんと上井雄太さんが中心となって、
いま地域に回覧板を回したりしながら参加者を募っているところ。
集まっているのは、まだ10名ほどなので、そろそろこちらも積極的に動いていかないと
間に合わなさそうな感じがしている。

写真をもとに地域の人たちの似顔絵を制作中。これらを地図に落とし込んで仕上げる予定。

ようやく家族3人そろって、 三重県津市での お試し移住生活のはじまり

家族で過ごした仮住まいでの1週間

三重県美杉町の仮住まいで、ついに父と娘の田舎暮らしがスタート! 
と思いきや、娘の「東京に戻りたい」発言で、いったん東京へ。
移住はやはり一筋縄ではいかないようです……。
それでも気持ちを落ち着かせ、今度は家族3人揃って美杉町へ。
まずは1週間、仮住まいで暮らしてみることに。
さて、今回はうまくいくのでしょうか……?

限定1組! 国宝 松江城の天守で 結婚式を挙げたい カップルを募集

「結婚式、どこで挙げよう?」

そんな悩みを抱えている皆さんに朗報です。
せっかくの節目ですもの、松江城で江戸時代に
タイムスリップしたかのような結婚式を挙げるのはいかが?

松江城といえば、1611年の完成以来、400年以上の歴史を誇り、
全国に現存する12天守のひとつ。
松江城二之丸にある松江神社から、築城当時の祈祷札が
見つかったのが決め手となり、2015年7月には天守が
国宝指定となったことでも話題を集めました。

1611年に完成した松江城。2015年には天守が国宝に指定された。

今回の募集内容は、2017年3月4日(土)に
一般公募で選ばれたカップル1組が天守最上階の〈天狗の間〉で
結婚式を挙げられるというもの。

当日、新郎は甲冑、新婦は打掛、さらに参列する親族も
時代衣装に身をつつみます。
松江城の築城とその城下町の建設を開始し、
事業の実現に尽力したと伝えられる「松江開府の祖」堀尾吉晴公を
なぞらえているんだとか。

〈天狗の間〉に向かうまでは、お城の周りを囲む堀を
遊覧船で移動する〈花嫁船〉や、大手前広場から
城山公園二之丸、本丸天守入口までを甲冑武者姿の松江武者応援隊が、
ほら貝・笛・太鼓を奏で、祝福する〈花嫁時代行列〉も行われます。

〈花嫁船〉

〈花嫁時代行列〉の様子。その場に居合わせた一般客からも祝福を受けられる。

理想のライフスタイルを 追い求めて、選んだのは 西和賀町でした

西和賀にんげん図鑑Vol.2 
渡辺農園 渡辺哲哉さん

西和賀町に移住する人も、岩手に移住して初めて農業を始める人も、
いまでは珍しくなくなった。
でも渡辺哲哉さんのように、「西和賀町で農業を始める人」はけっして多くない。
しかも当時住んでいた東京から移住したのは、
「Iターン」という言葉がまだ一般的でない、20年前のことだ。

農業を始める人のきっかけが、「こんな作物をつくりたい」
「自分でつくった作物を食べたい」「こんなスタイルの農業に挑戦したい」というなかで、
渡辺さんのそれは、「『耕す暮らし』を追究したい」だった。
「大学生の時に哲学者ハイデガーの現代思想と出合い、
『自由な存在のあり方を取り戻せる、理想のライフスタイルとは何か』ということへの
関心が高まった。行き着いたのが『耕す暮らし』だったんです」

宮沢賢治の世界観のイメージもあって、就農する場所として岩手県は有力候補だったが、
「平野が広がる内陸筋は、ある意味関東圏と違いが少ないような気がした」ことから、
奥羽山系や北上山系がいいと思っていた。
そんなとき、知人の紹介で西和賀町沢内を訪れ、
茅葺き屋根が似合う田舎らしい景観に魅了されて移住を決意。
農業で生計を立てている専業農家が多い点も、新規就農者としては安心だった。

とはいうものの、当時から今まで、苦労は数え切れないほど多い。
自然相手のことなので、思うようにいかないのは当たり前。
また、移住当初は独身だったので生活はシンプルだったが、
結婚して子どもが生まれると経済面の悩みや子育てなどの家仕事も加わり、
冬場家族を置いての他県への出稼ぎの辛苦も味わった。
そんななかでありがたかったのは、
まちの人たちが渡辺さんを「地域の人」として受け入れてくれ、見守り、
困った時には助けてくれたこと。
「移住当時、田畑を借りていた家の70歳過ぎのおばあちゃんが
隣の集落から自転車で毎日通ってきて、農作業を手伝ってくれ、
地元に生きる術を授けてくれたことは忘れられないですね」と懐かしむ。

りんどう畑。写真:渡辺さん提供

たらの木。芽は山菜として人気がある。写真:渡辺さん提供