三重で始めた暮らしで考えた、
大きな環境の変化と移住の難しさ

美杉町への移住はうまくいくのか…?

移住先探しの旅を経て、三重県津市の美杉町に仮住まいを見つけた一家。
昨年12月に家族3人で1週間ほど過ごしてみて、なかなかいい感じ。
年が明けてから、いよいよ東京の家を引き払い、
美杉でもう少し暮らしてみようということに。
この仮住まいでお試し暮らしができるのは3か月間。
はたして、ここに落ち着くことになるのでしょうか…?
今回は久しぶりに、妻のフォトグラファー、徹花さんが綴ります。

北海道・長沼のまちの大工さん
〈yomogiya〉の
すてきな小屋と心地いい空間づくり

写真提供:yomogiya

夫が憧れた大工、yomogiyaさんに、会いに行く!

あるとき、珍しく夫がわたしに頼みごとをした。
それは、「取材という口実をつくって、
〈yomogiya〉さんに連絡をとってほしい」というものだった。

yomogiyaとは、岩見沢から車で30分ほどのところにある
長沼の大工・中村直弘さんの屋号。
2年ほど前に同じ町内の南インドカレー屋さん〈shandi nivas cafe'〉の敷地に
古材を使った物置小屋を中村さんが建てており、建築途中を見た夫は、
同じ大工仲間として、その仕事ぶりに大きな共感を抱いたことがあった。

そして、わたしたちがいま改装をしている美流渡(みると)の古家について、
中村さんに一度相談をしてみたいと夫は考えており、
そのきっかけをなんとかつかみたかったようだ。

shandi nivas cafe'(シャンディ ニヴァース カフェ)は、カレーとともにスイーツもおいしいお店。店舗脇に建てられた小屋の制作中の様子。(写真提供:yomogiya)

完成した小屋。屋根のトタン以外は、すべて廃材とデッドストックの材料でつくったそう。(写真提供:yomogiya)

わたしもyomogiyaさんの活動にはとても興味を持っていたので、
ぜひ取材をしてみたいと思っていた(口実ではなくて本当に!)。
ホームページのコンセプトにあった「yomogiya」=「町の大工さん」
というフレーズに心惹かれるものがあったからだ。

手がけるのは「小屋づくり、リフォーム、店舗づくり」といった大工仕事だけでなく、
「古物のリメイク」、そして「web作成、チラシ作成」まで。
きっと何十年か前の大工さんって、住民の困りごとに
なんでも気軽に応えてきたんじゃないかと想像するが、
そんな関係をいまに蘇らせようとしているように感じられたのだ。

長沼の隣町・由仁町にある〈Gallery teto²〉。このギャラリーはこれまで縁側から入る構造になっていたが、古材を使って玄関を増設。わたしと夫も、ときどきここを訪ねており「yomogiyaさんの仕事なのか!」と興奮しながら見たことがあった。(写真提供:yomogiya)

知人を介して中村さんに連絡をとり、
自宅兼仕事場を訪ねることになったのは昨年11月のこと。
この日、中村さんは札幌に納品するための仕事を抱えて忙しそうな様子だったが、
にこやかにわたしたちを迎え入れてくれた。まず案内してくれたのは、
事務所兼モデルハウスにしようと考えているという制作中の小屋。

「週末に、ちょっとひとり暮らしができるくらいの小屋をつくろうと思って」

長沼の自宅であり仕事場に、小屋を建てていた中村さん。

6畳以下の小屋は建築確認申請が不要なサイズ。スペース的には小さいが、ここで最低限暮らせるようにと中村さんは考えている。

全体が6畳と小さいものだが、随所に中村さんのアイデアが生かされていた。
コンポストトイレを設置し、水道は引かずタンクに水をためて使うなど
オフグリッドな小屋を目指しているのだという。

感心しながら中村さんの話を聞いていた夫は上機嫌。そして、こんな話を始めた。
「カレー屋さんで小屋の骨組みを見たとき、
こういう仕事をする人が北海道にいるんだと、すごく感動しました。
納め方に誠実さを感じるんです。ずっと友だちになりたいと思っていました」

夫は自分の意見を物怖じせずに言うタイプだが、
自分よりも10歳くらい若い大工さんに向かって
「友だちになりたいと思っていました」という素直な発言には正直驚いた。
よほど「納め方」にほれ込んだのではないかと思う(納め方とは、大工さんが
よく使う言葉で、仕上げにセンスがあるとか、出来がいいとかそんな感じだろうか)。

中村さんも、わたしたちが古家を改装していることに興味を持ってくれたようで、
いずれは美流渡に行きたいと語ってくれた。

飛騨の移住者たちに聞く「働き方」
地域のためになる仕事、
地域だからできる働き方

Uターンして高山市で飛騨信用組合に勤める古里圭史さんと、
下呂市でNPO法人〈飛騨小坂200滝〉に勤める熊崎潤さんの、飛騨での働き方を聞いた。

肉体労働から金融という異業種へ飛び込む

大学浪人&留年、就職活動もしなかったような男が、公認会計士の資格を取り、
いまでは飛騨のために働いている。
〈飛騨信用組合〉(ひだしん)の経営企画部長である古里圭史さんは、
一般的には遠回り人生を送っているようだが、
豊かな人生経験が、飛騨で人に会う仕事に生きているようだ。

〈飛騨信用組合〉の経営企画部長である古里圭史さん。

飛騨市の古川町出身で、高校卒業後名古屋で1年間大学浪人生活。
その後、早稲田大学に入学するも、留年して1年余計に通い、
大学5年目には日雇いの肉体労働系アルバイトばかりしていた。
その後、派遣会社を通して、総務の設備関係、そして監査対応の仕事に就いた。
経済・金融はまったく未知の世界だった。

「監査対応の仕事がおもしろいと思って、簿記や公認会計士の勉強を始めたんです。
昼休みにおにぎり片手に勉強していましたね。
“1浪1留”で就職も遅れていて、同級生たちに遅れをとっていたので、
焦りの気持ちもありました」

その後、監査法人の〈トーマツ〉に入社。働きながら公認会計士の資格も取った。
古里さんの人生が大きく舵を切っていく。

飛騨の木材を使った吹き抜けのフロアは明るく気持ちがいい。

Uターンして気がついた地方の「経済生態系」

「飛騨信用組合の方々に、
“戻ってきて一緒に働かないか”と声をかけてもらいました。
東京にまで会いに来てくれて、夢やビジョンを語ってもらいました」

これを帰るチャンスととらえた古里さん。
2012年にUターンし、飛騨信用組合に入社する。
トーマツで働いていた6年間は、一部上場企業や
上場を目指す有力なベンチャー企業などを相手に仕事をしていた。
ところが、飛騨では中小企業や小規模事業主が仕事相手になる。

「これまでの正論がまったく通用しないんですね。
数字だけ追っていると実態が見えない。
中小企業を取り巻く、まったく新しい生態系があることを知りました。
しかしよく考えると、そういう会社のほうが日本には多くて、
実際に日本を地方から支えている。実はここが一番大切なのではないかと」

それまでの監査の仕事とは、扱うものは同じ「お金」であっても、
仕事内容のベクトルは正反対なのだ。

高いパーテーションやポスターなどがなく、落ち着いた雰囲気のカウンター。

イベントなども開催しているひだしんの中庭をバックに。

地域にフィットするクラウドファンディングを!

飛騨の中小企業の現状を見ていて、
「飛騨で新規のベンチャーなどが生まれてこない理由のひとつに、
お金の調達手段が少ないことに気がついた」という古里さん。
そこでメニューを増やそうと試みる。
東京では、いろいろな資金調達のメニューがあり、
それらを組み合わせて事業を運んでいくことができる。

そこで〈ミュージックセキュリティーズ〉と業務提携した
投資型クラウドファンディングや、
もっと手軽な購入型クラウドファンディング〈FAAVO飛騨・高山〉を立ち上げる。
また、子会社を立ち上げてより本格的なシステムとして〈結ファンド〉もつくった。

「地元企業がもっとチャレンジをしやすいように、とにかくツールを揃えたい。
金融機関の役割ってそういうことなんじゃないかなと思っています」

信用組合というのは、一般的に規模としては一番小さい業態の金融機関だ。
ひだしんは、飛騨市、高山市、白川村でしか営業できない。
地元の人としか取引ができない。
だから地域が衰退すれば、ひだしんもともに衰退していく。
“売り上げが悪いから飛騨から撤退”なんてことはあり得ないのだ。
だから地域との接点はおのずと増えていく。

「クラウドファンディングは、地域特化していれば、
より企画を練り込んでいくことができます。
また資金調達以外にも、地元の人たちのおもしろい活動にお金を出すことで
当事者意識を持つという、ネットワークづくりにも役立っていると思います」

ひだしんにも地域のナレッジが集まり、
活動を「見える化」することにもつながるだろう。

「少しずつ地域カタログのようになったらいいなと。
僕が東京にいたときは、飛騨のことが全然わかりませんでしたから」

「ビズコン飛騨」では、ビジネスのコンシェルジュとして、ひだしんの取引先でなくても、誰でも無料で相談を受けつけている。

人に会って、親身になって、一緒に何かを生み出す

古里さんと一緒に〈エブリ東山〉というスーパーマーケットを訪れた。
もともとひだしんの取引先であったが、
一番目立つ場所に支店である〈ひだしんリビング〉と
ファブリケーション施設〈フレッシュラボ高山〉がある。

「最初にひだしんリビングに勤務していた支店長と次長は、夫婦でした。
本来ならあり得ないことですが、スーパーに土日に来る家族や夫婦にとって
一番の相談相手になるんです」

夫婦で店舗を回すなんて、まるで定食屋かラーメン屋か。
そんな親密感もあって、売り上げも上々。
窓際で明るく、子どもが入りやすい開けた店舗設計。
制服もなく週休3日制と、実験的な働き方も進めている店舗だ。

金融機関とは思えないひだしんリビングの店舗。

子どもに人気の木彫りのクマさん。チェーンソーでつくられた作品だとか。

隣には〈フレッシュラボ高山〉。
スーパーの施設であるが、レーザーカッターや3Dプリンターなどのツールがあり、
キッチンスタジオも完備したファブリケーション施設。
食関連のイベントなども行われている。

「この場所をつくらせてもらったときに、いろいろと関わらせていただきました。
どんな場所にしたいかというワークショップにも混ぜてもらいました」

フレッシュラボ高山の山下貴士さんと近況報告。

スーパーマーケットに突然ファブ施設!

このように地域と密接になって、“どうしたらうまくいくか”考える。
常にそれを意識していくのが、地域の金融機関における古里さんの働き方。

現在のように足を使って、人に会って、親身になって、
一緒に何かを生み出す働き方が合っているのかもしれない。

「飛騨ではリアルな対面のコミュニケーションが重要です」
こうして地域のハブになろうとしている。

information

map

飛騨信用組合

■『グッとくる飛騨』では、こちらのインタビューも↓

恩師が見てきた、古里さんのアナザーストーリー

カレッジの名に偽りなし! 岡山県備前市の 食と暮らしに会いにいく、 〈備前_暮らしカレッジ〉に 潜入してみた

備前市で『食と暮らし』をテーマにしたオープンカレッジが開講

『コロカル』内でひっそり「鴨方町六条院回覧板」を書いている赤星です。
ぼくの現在のホームタウンは
連載のタイトルからもおわかりのように、岡山県の浅口市鴨方町。
岡山県では西の端に近く、南は瀬戸内海に面している。
だから、同じく瀬戸内海に面しているとはいえ、
東の端にある備前市の制作物のオファーがきたときは、
「備前……遠い」という感想しかなかった。

その制作物の内容というのは、備前市内への移住者や起業者を増やすことを目的とした、
社会実験的な学校のPR用ポスターとチラシ。遠いうえに、馴染みが薄い。
しかも、移住者や起業者を誘致するための試験的な試みといっても、
いまの時代、さほど珍しいとは言いがたい。
正直、ピンと来ないまま話を聞いていた。
しかし、特定したキャンパスを持たず、備前市内を広く学びの場とすること、
補助金の種類や申請の実際等を教えるカリキュラムがあるなどの
学校の特色のレクチャーを受けている際に、聞き捨ててはおけない言葉が。

「この学校はですね、『食と暮らし』をテーマにしているんです」

この学校のいろいろをよどみなく説明してくれているのは
フードディレクターの久保陽子さん。
情報の疎さには自信があるぼくでも名前を知っているほど
精力的に活躍している方で、彼女がこの学校の運営団体の窓口になっている。
なるほど、道理で彼女なわけだ。
「食」がテーマと聞いて俄然気持ちが入ってきた。
ちなみにぼくは朝ご飯を食べながらその日のランチに思いをめぐらし、
いきおいで晩ご飯のメニューまで組み立ててしまうようなタイプである。

学校名を〈備前_暮らしカレッジ〉という。
今夏に開校を迎えるにあたり、1月から3月まで月に一度オープンカレッジを開催している。
以下はその第1回に同行したレポートだ。

Facebookや直接のメールで申し込みのあった20名が出席。全員が岡山県内からの参加だった。

集合場所はJR赤穂播州線の伊部(いんべ)駅。
このつつましい駅舎の一画にカフェがある。名前は〈UDO(うど)〉。
ダクトや配線がむき出しの天井に、壁紙をはいだままのコンクリートの壁。
このスケルトンの内装のみならず、
器からメニューにいたるまでセンスのよさを感じさせる。
郷愁をそそるような年季の入った駅舎に、
まさかこんなにクールなカフェがあろうとは。
しかし、それもそのはずなのだ。
店主は現在岡山県内で5店のコーヒーショップを展開している木下尚之クン。
ぼくがかつて〈マチスタ〉というコーヒースタンドをやっていた時代からのコーヒー仲間で、
まこと研究熱心な焙煎人であり、おまけに店舗のプロデュースにも定評がある。
実はこのオープンカレッジの講師のひとり目が、誰であろう木下クンなのだった。
彼は備前の西隣、瀬戸内市牛窓の出身。
伊部の地元の人たちからの要請があって、
もともと伊部駅にあった喫茶店の経営を継いだカタチだ。

オープンカレッジひとコマ目の場所はもちろんこの〈UDO〉。
岡山県内から集まった参加者20名が、
備前焼で供されたコーヒーを飲みながら、木下クンの話に熱心に耳を傾けている。
話を聞くだけでなく、ほとんど全員がメモをとっている。
場所がカフェだからか、学校というかたい感じは一切ない。
でも、だからといってくだけた感じでもない。
たぶん、参加している人たちの話を聞く姿勢にあるのだと思うけれど、
場の雰囲気には一種の緊張感さえあった。
学校に見えない。でも、「カレッジ」の名に偽りなし。
その雰囲気が伝わっていたのだろう、
木下クンも久保さんから投げかけられる質問に、
努めて言葉を選んで丁寧に話していた。
短めのつばのキャップをかぶった木下クンはいつもの感じだけど、
ウールの黒いジャケットが先生らしさというか、
若干フォーマルな感じを出そうとしている意図がうかがえる。
そんな真面目さも彼らしい。

思えば、木下クンと会っているときに、店づくりの話なんて聞いたことがない。
「この話を早く聞いておけば、もしかしたら〈マチスタ〉を閉めずにすんだかも」
とは思わなかったけど、個人的に興味深い話ばかりだった。
これから飲食で起業を考えていた人にはなおさらだったろう。

蛇足ではあるが、木下クンが話している間、
店の厨房では若い女性スタッフがひとり、
コンロや冷蔵庫、棚といったステンレスの厨房器具を
それこそピカピカに磨きあげていた。
その半端のない丁寧さに、木下クンの店づくりの一端を見た思いがした。

30歳で「キノシタショウテン」(瀬戸内市邑久町)を立ち上げた木下尚之さん。現在は異なるスタイルのコーヒーショップを5店経営している。カフェやコーヒー関連のお店のプロデュースも手がける。

オープンカレッジ、ふたコマ目は〈UDO〉から徒歩3分。
駅前通りの突き当たりにある備前焼の〈一陽窯〉へ。
講師はここの3代目、木村肇さん。
店を抜けた奥にある、前後に長く連なった巨大な窯の前で木村さんが待っていた。
開始の合図も、ちゃんとした自己紹介もなにもないまま、
そこからいきなり窯の説明を始めた木村さん。

「最初に火が入るこの窯を“運”ぶ“道”と書いて“運道(うど)”といいます。
みなさんがさきほどまでいた〈UDO〉の名前はここから来ているんです」

備前焼の作家というと重々しい印象があったけど、
木村さんはむしろ若々しくてカジュアルだ。
明るめのグリーンのダウンジャケットを羽織ったその姿は、
どちらかというと古着屋のお兄さんといった感じ。
そんな木村さんが、続けて窯の前で備前焼と伊部の歴史を語り始める。
備前焼の歴史は約1000年。ここ伊部の土を掘って粘土をつくり、
伊部の山に群生している赤松を燃やして長い時間をかけて焼き固める。
上(かみ)から下(しも)まで
伊部という狭いエリアで完結していたのが備前焼であり、
それは1000年経った現在もほとんど変わっていない、云々……。
次にろくろのある工房に案内してくれた。職人さんがひとり、
ろく座と呼ばれる、ろくろを仕込んでいる板間で作業をしていた。
工房にはろく座が5〜6席はあったと思う。
木村さんが子どもの頃は、このろく座がすべて埋まるぐらい大勢の職人さんが
ここで備前焼をつくっていたという。
木村さんはその職人さんたちから備前焼を教えられた。
「菊練り」と呼ばれる、成形前の粘土を練り上げる作業から始まり、
高校を卒業する頃には一通りの作業をこなせるようにまでなっていた。

2番目のプログラムでは一陽窯の3代目・木村 肇さんが講師を務めた。中国電力のテレビCMに出演しているので岡山県人にはお馴染みの人でもある。

ここで備前焼について簡単に述べさせていただく。
備前焼は瀬戸焼や信楽焼と並んで
日本六古窯のひとつに数えられる焼き物で、
瓶やすり鉢、徳利など、実用本意の庶民の器として普及していた。
土が緻密であり、千数百度の高温で長時間焼き固められることから、
落としても簡単に割れないような丈夫さが
大きな特徴のひとつとされている。
(焼きによってもたらされる「窯変」と呼ばれるさまざまな種類の表情も特徴のひとつ)。
茶器として使用されるようになった室町時代から桃山時代にかけて、
その芸術性が注目されるようになる。
現代においても備前焼の芸術としての評価は健在で、
金重陶陽や藤原啓などこれまで5人の人間国宝を輩出している。

〈一陽窯〉は伊部に現在も多い作家性を打ち出した窯ではなく、
暮らしに沿った器としての備前焼を提供している窯だ。
当然、3代目の木村さんもギャラリーで個展を開いて、という活動はしていない。
とはいえ、松屋銀座で毎年開催される
「銀座・手仕事直売所」というイベントに参加したり、
東京のシチリア料理店でのワインのイベント用に
備前焼のワイングラスをつくって参加したりと、
目にとまるようなオリジナルな活動をしている。

しかし、ぼくがとくに興味をそそられたのは
彼のつくるすり鉢だった。何かの雑誌かネットで見たのだ。
備前焼のすり鉢なんて見たことがなかった。
一見、なんてことのないすり鉢なんだけど、
写真からずっしりとした重量が手に伝わってくる感じがして、
なんとも具合がよさそうだった。
このすり鉢だけとっても、なんとなく人がわかるような気がした。
はたして木村 肇さんはぼくのにらんでいた通り、
紛うことなき「食」の人だった。

工房から場所を移し、ミーティングルームのような部屋で約30分のお話。
久保さんとのやりとりに、木村さんという人柄がよく表れていた。
当然、核には備前焼があって、
木村さんの話からは備前焼の知識を深めることができたのだけれど、
彼はピュアにその周辺にいろんな興味を持っていて、
それがまた備前焼に通じている。
そんな話が楽しくないはずがなく、
30分という時間はあっという間に過ぎてしまった。
話が終わると同時、ぼくは急いで店舗に向かって、
念願のあのすり鉢をひとつ購入した。
思っていたよりも若干重いぐらいの重量があった。
買ってからまだ数日しか経っていないので一度も使っていないが、使うのが楽しみだ。
ちなみに、お店でこのすり鉢の説明をしてくれたのは
木村さんのお父さん、レジで会計してくれたのは木村さんのお母さんだった。

噛みあわなさ加減が絶妙におもしろかった木村さんとフードディレクター・久保さんとのやりとり。備前焼というとかたそうなイメージだけど、その日もっとも笑いを誘う楽しい話だった。

注目の教育法! 教育先進都市・豊岡市の 「コミュニケーション教育」を 都内で体験

“飛んでるローカル”こと兵庫県豊岡市から、
子どものコミュニケーション力を育むワークショップが登場!

2017年3月4日(土)に、
東京都目黒区にある〈ノアスタジオ 学芸大スタジオ〉で、
豊岡市が実践する演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」や
幼児期の子どもと親が一緒に行う「親子運動遊び」を
体験するワークショップが開催されます。

豊岡と言えば、城崎温泉や、片岡愛之助が毎年歌舞伎を仕掛ける芝居小屋「出石永楽館」、
カバンのまち豊岡などで有名ですが、もうひとつ注目すべきなのが、
演出家・平田オリザさんが芸術監督を務める
舞台芸術を中心としたアーティストインレジデンス「城崎国際アートセンター」です。

この施設は、世界から著名な劇作家やダンサーが滞在、制作し、
新しい演劇を生み出す場所ですが、
この演劇が、豊岡市内の小学校の教育で生かされ、
教育の先進的なまちとして注目されているところでもあるのです。

そのひとつが、演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」。
豊岡市は、演劇の役割として注目されている
「合意形成能力」「恊働性」「多様化への理解を育む」機能に着目し、
演劇的手法を用いた授業を行っています。
自分の役割をきちんと果たしたり、誰に何を伝えるかを意識したりする
“コミュニケーション能力”を、楽しみながら身につけ、
子どもたちの新たな可能性を引き出すことを目指しています。
現在、豊岡市では市内5つの小中学校のモデル校で授業が行われていますが、
平成29年度からは、市内の全小中学校の小学校6年生と
中学1年生のクラスで授業が行われます。
今回は、10歳から12歳のお子さんを対象に、
この「コミュニケーション教育」のワークショップが行われます。

また、もうひとつ体験できるのが、
2歳から6歳向けの「親子運動遊び」のプログラムです。
豊岡市の保育園・幼稚園で行われている、「親子運動遊び」。
幼児期の身体を動かす遊びや運動は、
丈夫な身体をつくるためだけでなく、
「脳」や「こころ」の発達にも大きく役立つことがわかってきました。

現在、子どもたちの遊びは「動的な」ものから「静的な」ものになっています。
そこで、豊岡市では、子どもたちが心身ともに健やかに成長できるよう、
幼児期における「親子運動遊び」を積極的に展開しています。

たとえば、鉄棒や跳び箱などのほかに、
クマさん歩き、ワニさん歩き、カンガルー跳びでいろいろな動物に変身したり、
身体を使ったゲームなどを行って、
日常生活ではあまり使われない筋肉を、楽しく遊びながら動かし、
支持力、跳躍力、懸垂力、逆さ感覚などの基礎体力や、
達成感、挑戦する意欲、友だちとのコミュニケーション能力を身につけています。
しかも驚くことに、豊岡市内のすべての保育園、幼稚園で、
この「親子運動遊び」が行われているのです。

今回体験できるワークショップのコースは、年齢ごとに分かれて3種類あります。

・「親子運動遊び 〜2、3歳児編〜」

・「親子運動遊び 〜4、5、6歳児編〜」

・演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」(10歳〜12歳が対象)

お子さんの年齢に合わせて選択してみてください。

日本の現代演劇界を担う劇作家、演出家の平田オリザさん。豊岡市の芸術文化参与も兼務しています。撮影:青木 司

今回のワークショップでは、
豊岡市で演劇的手法を用いた「コミュニケーション教育」の
指導にあたる平田オリザさんのほかに、
NPO法人PAVLIC、豊岡市親子運動遊び指導員の方々が、手ほどきをしてくれます。

参加費は無料。応募締め切りは3月1日。
定員は、親子運動遊びが各回15組30名で、
10歳から12歳を参加対象にする、演劇的手法を用いた
「コミュニケーション教育」は50名です。

最先端の教育手法に興味がある方は、
まずは、豊岡市の移住ポータルサイト『飛んでるローカル豊岡』
イベントエントリーフォームからお申し込みを!

information

飛んでるローカル 子どもワークショップ

日程:2017年3月4日

会場:ノアスタジオ 学芸大スタジオ(東京都目黒区碑文谷5-25-10 ノアビル22 3階Cスタジオ)

Web:飛んでるローカル豊岡

「うだつ」があがるまち!? 徳島県三好市をぶらぶら歩き

東は徳島、西は愛媛、北は香川、南は高知に接する、
ボーダレスカルチャーが魅力の三好市

徳島県三好市ってどんな場所?と聞かれると
きっと旅行で訪れた人ならば、
景勝地である大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)のある祖谷(いや)や温泉など
徳島の奥地だからこそ出会える秘境の美しさについて話すはずだ。

ところが実際に三好に暮らしている住人たちは、こう答える。
「四国の真ん中にあって、あちこち行くのに便利なんですよ」。
旅人の四国行脚の拠点として滞在を勧めるあたりは
さすが、「おせったい」のお遍路文化が息づく徳島県人だ。
と決めつけてかかると、
「そうはいっても、自分たちは “徳島県人”というアイデンティティ意識は
薄いかもしれない」と地元人から戻ってきた。
なぜなら、隣県のあちこちに通勤している人も多いことから使う方言はバラバラ。
県外から三好に働きに来る人、引っ越してきた人もいる。
三好は四国4県の市町村の中でもっとも大きな面積を持ち、
東は徳島、西は愛媛、北は香川、南は高知に接しているから
ボーダーレスな感覚の人が多いのかもしれない。

筆者は以前、高知龍馬空港から祖谷方面に入ったことがある。
吉野川をたどりながら池田町に向かう際には、徳島阿波おどり空港からだった。
今回は、ピンポイントで池田町に一番近い空港といわれている高松空港を利用。
到着寸前まで、なぜか高知に到着すると勘違いしていた。
まあ、それほどまでにアクセスの選択肢も多いということだ。

標識は、徳島行きやら、高松行きやら。反対方向から見ると松山行きになってしまうのだから、四国の交差点のような場所というのもうなずける。

三好市池田町のメインストリート、駅前通り。平日昼間はひっそりとしているが、夏になると入りきらないほど人が集まり、阿波踊りが繰り広げられる。

2006年に6町村が合併して三好市となるまで、
現在の三好市役所のある池田町は、三好郡池田町だった。
全国高校野球選手権大会優勝3回、準優勝2回の実績があり、
「やまびこ打線」「さわやかイレブン」で知られるあの池田高校のある池田だ。

土讃線 阿波池田駅から続くアーケード商店街、駅前通りを歩く。
個人商店の看板や風情に、どことなく昭和の残り香が漂い、
右へ左へと立ち寄りたくなってしまう。
なかでもひときわ目をひくのは、喫茶〈21世紀〉。
20世紀の時代には、21世紀というと遠い未来のように感じたのが、
すでに21世紀となってしまった今、このネーミングを目にするだけで、
急に昭和の時代へとタイムスリップさせてくれる。

駅前通りにある、ひときわ目をひくショーウインドウ。オムライスやミックスフライ定食など、洋食好きにはたまらないメニューがずらり。

笑顔が素敵な看板娘の内田貴子さん。「一押しメニューはチキン南蛮です」。ちなみに21世紀というネーミングは創業した1979年創業当初に21世紀まで続けられますように、という店主の願いから名づけられた。

おすすめのチキン南蛮は手前のお皿。見よ! このボリューム! お腹をすかせたティーンエイジャー(池田高校生)の聖地だけあり、ボリュームたっぷり。

小豆島でボルダリング! まちの課題をスポーティーに解決

スポーツで島を楽しく、豊かに

小豆島にはおもしろい人たちが次々に引っ越してきます。
カカオ豆を焙煎する人、豚を育ててる人、カフェを営んでいる人……。
先日もハーブティをつくられてる方から連絡があり、
この2月に小豆島に引っ越してくるそう。
ほんとにおもしろい人たちがいっぱいで、
この連載でももっともっと紹介したいなと思っています。

そんな外から来た人たちと島の人たちが一緒になって、
この1月に期間限定でオープンしたのが小豆島初の「クライミングウォール」。
私がずっと挑戦してみたかった「ボルダリング」を楽しめる場所です。

まちの体育館の中にできたクライミングウォール。

壁に取りつけられたホールドを使って登っていきます。

ボルダリングというのは、クライミングの一種で
ロープを使わずに身ひとつで登っていくスポーツです。
山や川、海など自然の中にある岩(ボルダー)を登ったり、
ボルダリングジムなどの人工的につくられた壁を登ったりします。

この施設はたくさんの人たちの手によって実現したのですが、
主体となって企画されたのが、数年前に移住されてきた渡部勝之さんと
去年移住されてきた渡利知弘さん。

渡部さんは、土庄町役場に「町の課題をスポーティに解決する」プロジェクト
(愛称トノショーチョースポーティプロジェクト)を持ちかけ、
町役場と島民が運営する団体〈小豆島スポーティサービス〉の発起人です。
これまで、プロバスケットボールチーム球団運営経験を生かして、
プロ球団の小豆島でのキャンプや、子ども向けのイベント
「小豆島スポーツパーク」などを企画する、いわばスポーツの仕掛け人。

一方、渡利さんは20年以上登り続けているクライマーであり、家具職人。
実はちょうど1年前の冬に東京のイベントでお会いし、
「近いうちに小豆島に移住しようと思っていて家を探しに行きます」
という感じのお話をしたような。
奥さまのみきさんとご夫婦で小豆島に引っ越してこられました。

子どもたちに登り方や決まりなどを話す渡利さん。

登り方を教えてくれるので、初心者でも楽しくできます。

その渡部さんと渡利さんがタッグを組んで完成したのが今回のクライミングウォール。
小豆島スポーティサービスのプロジェクトとして、
島で暮らす人々がスポーツを楽しむ場がつくられました。

今回のクライミングウォールは約1か月間の期間限定でオープン。

「あそぼっ」と書かれた看板。体育館というより室内の公園という雰囲気だった。

第35話・ディープな神戸観光、 今日は新長田をご案内! パンに明石焼き、お好焼き行脚。

第35話
ディープな神戸観光、
新長田をパノラマイラストでご案内!

今週のグレアムさんは
ブルックリン在住のイラストレーター、ナタリーをおもてなし。
彼女のリクエストは「ディープな神戸観光」とのことでした。
というわけで、向かったのは新長田。名物モニュメントから、
地元のみなさんに愛されている絶品グルメまで。 
しかも、今回は装いも新たにパノラマイラスト! 
スルスルと横にスライドしながら、新長田散歩をお楽しみください。

美流渡に古家リノベ仲間あらわる! 27歳DIY女子の空き家改装

美流渡の空き家を活用する実験がスタート!

北海道・岩見沢の中山間地である美流渡(みると)に、
いよいよ春に移住しようと思っているわが家。
住まいとなる古家は改装が必要なのだが、連載で何度も書いているように、
大工である夫の作業は遅々として進んでいない(う〜ん)。
夫の重い腰がいつ上がるのか、いい加減ハラハラしてきたなかで、
ひとつうれしい知らせがあった。

連載第16回で紹介した地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんが、
わが家よりさらに山あいの上美流渡で、この冬に古家を取得し、
なんと改装に乗り出したのだった。
ご近所に改装仲間がいれば、夫のやる気にも弾みがつくかも!! と期待が……。

築年数は不明。炭鉱街としてにぎわっていた時代は遊郭として使われていたそう。右の丸窓がその名残り。

家には増築の跡があり奥がかなり広い。1階は5部屋、2階は2部屋。

吉崎さんから最初に古家取得の話を聞いたときには、
思い切った決断をしたものだと驚いたが、同時にこれまで自分が考えてきたことを、
いよいよ実行に移すときが来たのだと納得もした。

彼女は地域おこし推進員であり、インテリアデザイナーという顔も持っている。
ただし、一般的なデザイナーのようにデザインだけをするのではなく、
DIY精神を生かし、模索しながら自分の力で改装を行っているのだ。
札幌の実家が経営していたアパートの一室を自ら改装したのを手始めに、
美流渡の花屋さんや自宅の内装も行い、
そのプロセスを『earth garden』というウェブで発信もしてきた。

自宅を少しずつ改装中。奥にあるドアには板を細かく貼って模様を描いた。手前のスタンディングデスクもお手製。

こうした経験を持つ彼女にとって、美流渡の空き家は
宝の山のように感じられるのだという。

以前は炭鉱街として栄え、閉山後に急激に人口が減少したこの地域には、
築年数もわからないような古家がいたるところにある。
それらは所有者がわからないものも多いが、吉崎さんは2年前に
地域おこし推進員になってから、NPOと連携しながら古家の調査を実施。
昨夏には活用方法をみんなで考える取り組みとして、
〈美流渡ビンテージ古家巡り〉というイベントも開催した。

「空き家はあるけれど、いまは活用する人がいない状態です。
移住希望者に空き家を見せる機会もありますが、ほぼ“廃屋”みたいな家がほとんど。
『直せば住めますよ』なんて言っても、なかなかイメージしにくいもの。
わたし自身も内装はやっていますが、廃屋を直すなんて
やったことがないので全然説得力がない。だからまず自分が実践して
“After”の状態をみんなに見てもらおうと思いました」

吉崎さんはさっそく改装を始め、1月には内壁をはがす作業を実施。
多くの仲間が集まった。ワークショップのように人を集めて改装をしていくことで、
地域の人たちのリノベーションスキルがアップすれば、空き家活用の機会が
さらに増えていくんじゃないか、そんな想いも持っているのだそう。

壁や天井をはがすと50年以上たまったホコリが! 前が見えなくなるほどの煙が舞い上がることもあったとか。

キッチンスペースの内壁もすべてはがすことに。

はがし終わったところ。仲間が手伝ってくれたので1日でここまで完了。

飛騨の移住者たちに聞く 「教育・子育て」 ローカル特有のつながりで育む、 子どもたちの未来

高山市で35年以上培ってきたアートやものづくりの土壌

〈ぽころこアートスクール〉では、35年以上前から高山で美術を教えている。
鹿児島から移住してきた弓削義隆さん・陽子さんの夫婦が始めた教室だ。
現在ではふたりに加え、息子の一平さんと奥さんの知嘉子さんも加わり、
4人で運営に当たっている。
親のアートスクール仕込みで自由奔放に育った一平さん。
現在は高山に落ちついているが、それまでは動き回っていたユニークな経歴。
高校までは高山で育ち、その後フランスに渡る。

「フランスではいろいろやりました。
アンティークのギャラリーで家具の修復とかクリーニングをしたり、
古着の買い付けやカメラマンのアシスタントもやりましたね。
本当は芸術学校に入ろうと思って行ったのですが……」

その後は、世界各国を旅して回る。
登山が好きだったので山行を中心に、アメリカや南米を旅する。
アンデス山脈のアコンカグア、アラスカのマッキンリーにも登った。
合間には日本に帰ってきて、北アルプスの焼岳や富士山などの山小屋で働き、
お金を貯めては海外を旅する生活。その旅の途中で、知嘉子さんとも出会った。

高台にあるアトリエは遠く山々を望む。

旅も落ち着き、一度東京で暮らす。
しかし、両親がアートスクールの行く末を迷っているタイミングでもあり、
高山に戻ることを決めた。

「高山の自然の中で育った一平くんは、東京よりも、
やはり高山のほうが生き生きとしているように感じました。
それなら私がこっちに移住しようかな」と、
東京生まれ東京育ちの知嘉子さんも高山への移住を決意した。

一平さんにとっては海外も含めた大きなUターン、知嘉子さんはIターンである。
こうして、高山で両親とともにアートスクールに携わっていくようになる。

階段や家具など、義隆さんの手づくりも多い。

自然とともに遊びながら学ぶ〈ぽころこアートスクール〉

現在、ぽころこには幼児から高校生まで50人以上の生徒がいる。
幼児は母親の陽子さん、高校生が父親の義隆さんが担当し、一平さんは小学生担当だ。
父親の代から、ぽころこは単純なアートスクールではなかった。
デッサンなどのアートは教えるが、それ以外の部分も充実している。

「凧をつくって揚げたり、ブーメランをつくって飛ばしたり。
この間の合宿ではイカダをつくりました」

広義のアート。木工のまち高山らしい取り組みともいえる。

「デッサンだけは毎回やるようにしていますが、
いろいろ広がり過ぎて、もうアートスクールなのかも微妙ですね(笑)」

ときには知嘉子さん主導で料理もつくることもある。
スパイスをゴリゴリ摺ってカレーをつくったり、
生クリームからバターをつくってホットケーキを食べたり。
「食の成り立ちを学ぶ」ことが目的だ。

子どものうちに経験したことは、大人になったとき、自分のなかに意外と残っている。
だから子どものうちにたくさんのことを経験させたいという。

「大人になったときに、自身が体験してきたことを組み合わせることで、
新しいアイデアが生まれるんだと思います。だから経験は大切」

遠くから見てもすぐにわかるユニークな建物。

現在、高山市街地の教室と、アトリエであり両親の自宅でもある
「国府教室」の2か所がある。
国府教室の裏はすぐに山で、羊が2匹いて、ツリーハウスもある。
市街地から車で20分程度だが自然が豊か。
必然的にこちらの教室ではアウトドア要素が強くなる。
特に一平さんは、親の代から受け継いで、自分だからできることを目指したいという。

「僕が得意なことをどんどんやりたい。
毎年、焼岳の3000メートル近いところまで登る登山教室も開催しています。
国府教室のほうが、みんな伸び伸びしていますね。
お題を与えなくても、勝手にそのあたりに落ちている枝で
何かをつくり始めたりしています。
デッサンに使う題材も、捕まえてきた虫とか、カエルとか(笑)」

生徒たちも製作を手伝っているツリーハウス。「くれぶき」という屋根の技法が用いられている。

「小屋をつくったり、羊の世話に追われている」と一平さんは笑う。

自分で集めて、自分で考えて、自分でつくったほうがおもしろい。
それには都会ではないほうがやりやすいことが多い。

「美術館やギャラリーに行って刺激を受ける、
ということに関しては都会よりも不利だと思います。
しかしそれ以外は有利なことがほとんど。
展示に行くにしても、それを選びとって、しっかりそれを見てくるという意味では、
体験や深さとしては意味がある。
僕がパリにいたときは、美術館やギャラリーによく通っていましたが、身近過ぎて、
いま考えると、その価値までしっかりと感じ取れていなかったと思います」

この日は凧づくり。

身の回りに溢れているがゆえに漫然としているより、数少なくても、
自分の意志が込められている体験のほうが、結果、強く残る。

「教育の環境としては、完成されたものばかりを“見る”より、
やわらかく自由な発想で“考える”ことが重要だと思います」

余計な知識は入れないで、感性に任せること。
それが一平さんの考える教育方針。

子どもたちの自主性を遮らないように気を配っていた。

生徒の親は弓削さん夫婦と同世代だったり、実際の同級生もいる。
そうした人たちのなかで、ぽころこ卒業生のモデルケースが一平さんなのかもしれない。

「一平くんがのびのび育ったのを見て、ぽころこに通わせるのが
いいんじゃないかという親の視点もあるみたいです」と知嘉子さん。

「ぽころこ出身の人は高山にもたくさん住んでいて、おもしろい人が多い。
2代どころか、3代で通っている人もいますよ。
高山なので木工関係などものづくりの仕事に就いている人も多く、
子どもに芸術やものづくりを学ばせることに理解のある親も多いです」

自然環境が豊かというほかに、木工のまちであるということ。
さらにはぽころこが35年以上にわたって
この地に培ってきた芸術的センスやクラフトマンシップの感性。
それがまた高山のものづくりへとフィードバックされているのかもしれない。
もともとの飛騨の手仕事DNAに加えて、こうした「ものを生み出せる子どもたち」が
クリエイティブなまちをつくっていけばすばらしい。

小学生と接する一平さんと知嘉子さん。
無邪気な子どもたちは、世話をするのに手を焼く。
しかし上からでも下からでもなく、素直に向き合っているようにみえる。
子どもたちが、自由に楽しく創作に向かえるように。

information

map

ぽころこアートスクール

桐生教室

住所:岐阜県高山市桐生町2-173 岡田ビル1F

TEL:0577-34-7286

国府アトリエ

住所:岐阜県高山市国府町名張596

TEL:0577-72-3895

http://www.hidatakayama.ne.jp/pocoloco/

■弓削さんたちの教育についてはこちらのインタビューも↓

弓削さんに羊飼いになることを
勧めた夫婦

古材をレスキュー!  リビルディングセンタージャパンの 東野さん夫妻に会いに行く

撮影:MOTOKO

諏訪の古材販売の拠点&カフェを訪れて考えた、ふたつのこと

2017年が始まり、2週間が過ぎました。
私たちは相変わらず、小豆島の農村で畑をしたり、家を直したりして暮らしています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

去年は1年365日のうちの350日くらい家にいました(たぶん)。
本当はもう少しいろんなところへ行きたいなと思ったりもしますが、
ま、いまはこれでいいんです。
毎日自分たちが畑に出て作業し、週末は家でカフェ営業をする。
いまの私たちは「土の人」で、1か所にとどまり、
その場所を育て、人が来てくれるのを待っている。
その暮らし方が好きで、そんなにあちこち行かなくても全然つまらなくない。

ただ、年末年始だけは少し長いこと島を出ます。
長いことと言っても、1週間くらいだけれど。
畑も比較的落ち着いていて、娘も冬休み。
ここぞとばかりに、実家に帰ったり、都会で欲しいものを買い出したりします。

そしてこの年末年始は、思ってたよりもいろんなところへ行き、
いろんな人に会いました。
年に1度、実家のある愛知に帰るのですが、なかなかこっちのほうには来られないし、
少し時間もあるからどこか行きたいねと話していて
思いついたのが〈リビルディングセンタージャパン〉(以下、リビセン)。

リビセンは、上諏訪駅から歩いて10分ほどのところにあります。

たくさんの古材が置かれた倉庫。奥には作業場も。

レスキューされた古材たち。レスキューとは引き取って、新たな価値をつけてあげること。

リビセンは、2016年9月末に長野県諏訪市にオープンした
古材や古い家具などを販売するお店です。
ただ古材を売るだけの場所じゃなくて、「ReBuild New Culture」という理念を掲げ、
古いもの、使われなくなったもの、廃棄されてしまうようなものに新たな価値を見出し、
もう一度使う、そういう文化を日本で広げていこう、その拠点となる場所です。

建物2階では、家具や建具などが販売されていました。

KEEPシールがたくさん貼られてました。

「ReBuild New Culture」たくさんの人たちがこの理念に共感して集まってくる。

子どもが朝市に出店? 松浦真さん・智子さんが展開する 教育プログラム 秋田そだち Vol.3

秋田の豊かな自然と風土のなかで育まれてきた人、そして育まれていく子どもたち。
秋田の恵みをたっぷり受けながら暮らす人を全3回のシリーズでお伝えしていきます。

直感で移住を決めた結果は……?

移住の決め手は人それぞれだが、直感というのはとても大事な要素かもしれない。
2016年4月に大阪から一家4人で秋田県五城目町に移住してきた、
松浦真さん・智子さんご夫婦の話を聞いていると、そう思えてしまう。

知り合いだった丑田さんご夫婦が移住していたこともあり、
2015年の7月に初めてここに遊びにきました。
いろいろお話を聞きながら案内してもらったなかで、
周辺の環境や〈BABAME BASE〉の窓から見える景色がすごくすてきだったので、
ふたりで相談して移住することに決めました」(智子さん)

BABAME BASEとは、旧馬場目小学校の校舎を利用した施設で、
起業した人やコミュニティ活動をする人たちが入居するシェアオフィス。
松浦さんたちが運営する合同会社〈G-experience〉もここに入っている。

「そのとき、五城目町に到着してまだ2時間くらいしか
経っていなかったんですけどね(笑)。窓から景色を眺めながら、
『人生一度しかないのだから、ここに住むべきだね』
『うん』と決めてしまった感じです」(真さん)

五城目町地域活性化支援センター、通称〈BABAME BASE〉にはさまざまな人たちが集い、まちの活性化が進む。

松浦さん夫婦の移住の決め手となった、BABAME BASEからの景色。

もちろん、それまで移住を考えたことがなかったわけではない。

「どこか田舎に行きたいね、とは話していました。
7歳の息子と5歳の娘がいるのですが、子どもたちが大きくなるにつれて、
人口の密集した都市部での子育てだったり、
マンモス校の教育環境などに限界を感じるようになって。
かといって具体的にどこへ移住するかは、決めかねていたのですが。
実際移住してみて、ストレスが10分の1に減りましたね」(智子さん)

秋田市から車で約30分ほどのところにある五城目町。八郎潟からもほど近く、豊かな自然が広がる。

松浦さんたちが初めて五城目町を訪れたときに滞在した〈シェアビレッジ町村〉。築130年を超える古民家を改築。「年貢」と呼ばれる年会費を払うと「村民」になれる。「寄合」という名の飲み会も。

子どもたちが商品を企画して朝市に出店

生まれも育ちも大阪で、仕事のパートナーでもあるふたりは、
2007年にNPO法人〈cobon〉を立ち上げ、大阪を拠点に
小学生を中心とした教育プログラムを実施してきた。

cobonの活動で代表的なのが、まちづくり体験型ワークショップ〈こどものまち〉。
子どもたちが自ら考えて、架空のまちづくりを行うワークショップで、
30年以上の歴史があるドイツの「ミニ・ミュンヘン」がモデルとなっている。

「子どもたちが100人から多いときは500人くらい集まって行うのですが、
そのまちのルールや必要と思う仕事を自分たちでつくって、まちを運営していきます。
そのプロセスが働き方や生き方そのものを自分で考える手助けとなるのです」(真さん)

これまで2万人を超える子どもたちにこうしたプログラムを提供してきたが、
直感で移住した五城目町では、さらにそれを進化させたプログラムが
実現可能であることに気づく。
松浦さんが着目したのは、この地で520年もの歴史がある朝市だった。

「こどものまちはあくまでも架空のまちをつくる設定でしたが、
〈キッズクリエイティブマーケット〉は、小学生が実際に
五城目町の朝市に出店するプロジェクトなんです」(真さん)

例えば2016年9月に行われた、第1回キッズクリエイティブマーケットでは、
日々疲れているお母さんのために子どもたちが3、4人でチームを組んで、
商品やサービスを企画・販売。お母さんが毎日どんな行動をして、
その都度どんなことを感じているのかをリサーチして書き出し、
お母さんの気持ちに寄り添って、商品やサービス内容を考えた。

その結果生まれたのが、肩こりに悩むお母さんのためのマッサージ券、
木の枝や松ぼっくりなどをLEDで装飾したクリスマスツリーのような鑑賞用商品、
お母さんや家族の願いが叶うミサンガなど。
これらを〈ごじょうめ朝市plus+〉で販売して、
2時間で合計2250円の売り上げを出したそう。

キッズクリエイティブマーケットでのワンシーン。肩こりに悩むお母さんにマッサージするのも商品のひとつ。(写真提供:G-experience)

ほかにもユニークな商品がいろいろ。世界的なアーティスト、ジェームズ・タレルの作品にインスパイアされて、朝でも夜の空間になる体験型アートも登場。子どもたちの商品開発の力に脱帽。(写真提供:G-experience)

「自分たちがつくりたいものではなく、ニーズを汲み取り、
ユーザーに喜ばれるものを考える。
仕事であれば当然のことですが、学校で受け身になっているだけでは、
なかなか身につかない力といえます。

いい仕事っていうのは、受け取った側だけでなく、
やった側もうれしかったりするじゃないですか。
相手が求めていることを確認して、きちんと届けることの大切さを
子どもの頃から当たり前に感じてほしいし、仕事は選ぶだけじゃなくて、
つくることができるのだと知ってほしいんですよね。
“つくる仕事”ではなく“選ぶ仕事”というのは、どうしても数が限られてしまうし、
就職する時点で何かと比べていいか悪いかを判断する、
相対的なものになってしまいます。

私たちは普段、ふたつの商品のどっちが安いかとか、
1000円の差で機能がどう違っているのかなど、
消費者目線で瞬時にものを選ぶクセがついていますよね。
仕事や会社を消費者目線で選んでしまうと、誰かと比べることでしか、
良し悪しを判断できないような人生になってしまう。

一方で、自分でつくればおのずと愛着が生まれるし、
それを必要としている人に届けるという考え方が根づいていれば、
あとはそこに専門的な学びを付随していけばいいんです」(真さん)

移住して半年足らずで、このようなイベントを実現してしまったことに驚くが、
五城目町だったからできたのだと松浦さんは感じている。

「子どもが朝市にこんなに簡単に出店できる場所なんて、
おそらくほかにはないですよね。520年以上続いているからこそ、
すぐに受け入れてくださる懐の深さがあったのだと思います。
そういう意味でもまちのことを知れば知るほど、
先進的な教育活動ができる場所だという思いが強くなっています」(真さん)

ここでは先進的な教育活動の可能性を感じると話す松浦真さん。

〈みる・とーぶ〉プロジェクトと 美流渡への移住。 春に向けて忙しい年明け!

なかなか改修が進まない古家……、今後の見通しは?

今年はいよいよ岩見沢の市街地を出て、中山間地である美流渡(みると)に移住する年。
昨年、古家の取得手続きも完了し、引っ越し目標は雪が解けたあとの5月!

……と、勢いよく書き出してみたが、実は11、12月は
古家の改修をまったく進めることができず、
目標までに移住できるかは、まだまだ予断を許さない状況だ。

改修は大工である夫が進めており、10月までは古家に足しげく通い、
内壁を壊すところまでは終わったのだが、それ以降は、東京からの来客が多かったり、
岩見沢市内でイベント開催の手伝いをしたりなど、夫の手を借りる場面も多かったため、
いったん止まってしまったのだ(結局、わたしがまいたタネが原因なのだけれど)。
一度、手が止まってしまうと糸が切れたような状態になり、
もともと夫は腰が重いタイプというのも重なって……。

岩見沢は豪雪地帯。古家の中に入るためにまず必要なのは除雪。たっぷり雪がつもると、さらに足は遠のく。

ただ、わが家族には移住を先延ばしにできない理由がある。
今年息子は小学1年生。4月からは美流渡の小学校に通う手続きを進めており、
引っ越しするまでは、現在の自宅から車で30分かけて通うこととなる。
朝8時になっても起きない息子を、登校時間までに学校に送り届けるというのは
頭の痛い問題のひとつ。

どう考えても美流渡に早く引っ越すのがベストなのだが、
わたしが改修に協力できるのは多少のお金を出すことだけで、実際に動くのは夫。
これからの段取りを細かく聞けば煙たがられるので、
内心気をもんではいるものの、見守るしかないのが現状だ。

作業の手を止めてしまう要因は家の状況にも。内壁をはがしてみると、梁が途中で切れていて、変なところに補強のための柱があったり。梁を強化する必要があるか、夫は悩み中なのだ。

同時並行で進めているイベントも、準備が佳境…!

そして、もうひとつ同じ時期に重要なイベントが控えていることも、
引っ越しが遅れそうな予感を感じさせる。
ただこれも、わたしがまいたタネだし、
この地域にきっと新しい何かが起こるきっかけとなると思っているので、
気を引き締めて取り組んでいきたいと思っている。

そのイベントとは、この連載の29回で経緯について書いた
〈みる・とーぶ〉プロジェクトだ。
このプロジェクトは、美流渡を含めた岩見沢の中山間地である
東部丘陵地域をもっとみんなに知ってもらうための取り組みで、
“東部”を“見る”という意味を込めて〈みる・とーぶ〉。

工夫を凝らした東部丘陵地域の地図をつくり、
イベントを開催して配布していこうと考えている。
第1回目のイベントはすでに日程が決まっていて、
4月に札幌市資料館で6日間、開催予定だ。

地図はいままさに制作中で、単なるスポット紹介ではなく「顔の見える地図」がテーマ。
東部丘陵地域の魅力はなんといっても人ということで、
地域の人々にひと言ずつコメントをもらい、
似顔絵を入れてマッピングしていこうというものだ。

岩見沢の地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんと上井雄太さんが中心となって、
いま地域に回覧板を回したりしながら参加者を募っているところ。
集まっているのは、まだ10名ほどなので、そろそろこちらも積極的に動いていかないと
間に合わなさそうな感じがしている。

写真をもとに地域の人たちの似顔絵を制作中。これらを地図に落とし込んで仕上げる予定。

ようやく家族3人そろって、 三重県津市での お試し移住生活のはじまり

家族で過ごした仮住まいでの1週間

三重県美杉町の仮住まいで、ついに父と娘の田舎暮らしがスタート! 
と思いきや、娘の「東京に戻りたい」発言で、いったん東京へ。
移住はやはり一筋縄ではいかないようです……。
それでも気持ちを落ち着かせ、今度は家族3人揃って美杉町へ。
まずは1週間、仮住まいで暮らしてみることに。
さて、今回はうまくいくのでしょうか……?

限定1組! 国宝 松江城の天守で 結婚式を挙げたい カップルを募集

「結婚式、どこで挙げよう?」

そんな悩みを抱えている皆さんに朗報です。
せっかくの節目ですもの、松江城で江戸時代に
タイムスリップしたかのような結婚式を挙げるのはいかが?

松江城といえば、1611年の完成以来、400年以上の歴史を誇り、
全国に現存する12天守のひとつ。
松江城二之丸にある松江神社から、築城当時の祈祷札が
見つかったのが決め手となり、2015年7月には天守が
国宝指定となったことでも話題を集めました。

1611年に完成した松江城。2015年には天守が国宝に指定された。

今回の募集内容は、2017年3月4日(土)に
一般公募で選ばれたカップル1組が天守最上階の〈天狗の間〉で
結婚式を挙げられるというもの。

当日、新郎は甲冑、新婦は打掛、さらに参列する親族も
時代衣装に身をつつみます。
松江城の築城とその城下町の建設を開始し、
事業の実現に尽力したと伝えられる「松江開府の祖」堀尾吉晴公を
なぞらえているんだとか。

〈天狗の間〉に向かうまでは、お城の周りを囲む堀を
遊覧船で移動する〈花嫁船〉や、大手前広場から
城山公園二之丸、本丸天守入口までを甲冑武者姿の松江武者応援隊が、
ほら貝・笛・太鼓を奏で、祝福する〈花嫁時代行列〉も行われます。

〈花嫁船〉

〈花嫁時代行列〉の様子。その場に居合わせた一般客からも祝福を受けられる。

理想のライフスタイルを 追い求めて、選んだのは 西和賀町でした

西和賀にんげん図鑑Vol.2 
渡辺農園 渡辺哲哉さん

西和賀町に移住する人も、岩手に移住して初めて農業を始める人も、
いまでは珍しくなくなった。
でも渡辺哲哉さんのように、「西和賀町で農業を始める人」はけっして多くない。
しかも当時住んでいた東京から移住したのは、
「Iターン」という言葉がまだ一般的でない、20年前のことだ。

農業を始める人のきっかけが、「こんな作物をつくりたい」
「自分でつくった作物を食べたい」「こんなスタイルの農業に挑戦したい」というなかで、
渡辺さんのそれは、「『耕す暮らし』を追究したい」だった。
「大学生の時に哲学者ハイデガーの現代思想と出合い、
『自由な存在のあり方を取り戻せる、理想のライフスタイルとは何か』ということへの
関心が高まった。行き着いたのが『耕す暮らし』だったんです」

宮沢賢治の世界観のイメージもあって、就農する場所として岩手県は有力候補だったが、
「平野が広がる内陸筋は、ある意味関東圏と違いが少ないような気がした」ことから、
奥羽山系や北上山系がいいと思っていた。
そんなとき、知人の紹介で西和賀町沢内を訪れ、
茅葺き屋根が似合う田舎らしい景観に魅了されて移住を決意。
農業で生計を立てている専業農家が多い点も、新規就農者としては安心だった。

とはいうものの、当時から今まで、苦労は数え切れないほど多い。
自然相手のことなので、思うようにいかないのは当たり前。
また、移住当初は独身だったので生活はシンプルだったが、
結婚して子どもが生まれると経済面の悩みや子育てなどの家仕事も加わり、
冬場家族を置いての他県への出稼ぎの辛苦も味わった。
そんななかでありがたかったのは、
まちの人たちが渡辺さんを「地域の人」として受け入れてくれ、見守り、
困った時には助けてくれたこと。
「移住当時、田畑を借りていた家の70歳過ぎのおばあちゃんが
隣の集落から自転車で毎日通ってきて、農作業を手伝ってくれ、
地元に生きる術を授けてくれたことは忘れられないですね」と懐かしむ。

りんどう畑。写真:渡辺さん提供

たらの木。芽は山菜として人気がある。写真:渡辺さん提供

丁寧な暮らしとは? 移住とは? 娘とふたりで過ごした 三重の仮住まいで考えたこと。

いよいよ仮住まいでの
暮らしがスタート!?

いくつかの旅を経て、何かと縁を感じる三重県津市美杉町への
移住を考えるようになった津留崎さん一家。
仮住まいの物件も見つかり、いよいよ物件の確認に向かいます。
ただし、今度は父と娘の初めてのふたり旅。
最初はわくわく、テンションも上がっていたのですが……?

小豆島の大師市、 100年続いてきた冬のまちの風景

年末の空気を感じる、西光寺の行事

いよいよ2016年も年末。
今年中にこれをやってしまいたい、あれも終わらせなきゃ、
きれいな身で年を越したいと妙に焦る時期。
ま、何かが劇的に変わるわけではなく、単に2016年から2017年になるだけなのですが、
やっぱりいろいろすっきりさせてお正月休みを過ごしたいなと思うわけです。

そんな年末のちょっとそわそわした時期に、毎年開かれるのが小豆島の「大師市」。
大正3年(1914年)の春以降、毎年4月21日と12月21日の年2回、
小豆島霊場第58番、西光寺の門前通りで開催されています。
ちなみに21日は弘法大師の月命日にあたり、
大師を偲ぶとともに、まちの活性化をはかろうと始まったそうで、
100年にわたって続けられてきた「市」です。今年は朝一番で行ってきました。

朝一番で大師市へ。9時からスタートです。

お正月用の葉ボタン。

花の苗や球根も販売されてます。

この大師市では、お正月用の花や柑橘の苗木などが売られています。
地元のおじちゃん、おばちゃんたちがこなれた様子で苗木を買っているのを見ると、
あーこうやって大師市で苗木を買って、庭や畑に植えて育てるというのが
この人たちにとってはいつものことなんだろうなと感じます。

スダチ、ダイダイ、金柑などのいろんな種類の柑橘の苗木。

「勉強して~」「しょうがないねぇ~」と平和な会話。

寂しいことに年々出店されるお店の数が減っているそうで、
食べ物系の屋台は特に少なかったように感じました。
毎年来ている刃物屋さんも、もう今年で終わりだから~とお客さんと話していて、
わいわい賑わっていたかつての門前通りの雰囲気を想像すると、
いまはだいぶ静かなんだろうなと思ってしまいます。

西光寺へお参りへ。朱色の三重塔が今日もきれい。

朝の光の中で手を洗う。

こういうひとつひとつの仕草がとても穏やかでいい。

と、いろいろ考えながら、西光寺へお参りへ。
手を洗い、線香を上げ、ロウソクを買って、おまけのくじを引く。
(私はいまだかつて当たったことがなく、いつも小さなお菓子をいただく)
そしてそのあとで、地元のお母さんたちがお接待でご用意してくださった
ぜんざいをいただく。あー、今年も年末だなとしみじみ感じる瞬間。

ロウソクを買うとくじを引けます。みなさんの笑顔がとても印象的でした。

ぷりっぷりのみかんのお接待。

地元のお母さん方によるおぜんざい。あー、おいしかった。

季節を感じさせてくれるいつもの行事。
何十年、何百年にわたって続けられてきた行事。
そういうのってなくなったら寂しいなぁとしみじみ思う。
また来年もここに来て、くじを引いてぜんざいを食べて、年末を感じたい(笑)。

〈北海道アール・ブリュット〉で 造本作家・駒形克己さんが語った “共有”する絵本づくり

岩見沢で障がい者によるアートプロジェクトが開催

わたしの住む岩見沢にずっと来てほしいと思っていた人がいる。
グラフィックデザイナーであり造本作家の駒形克己さんだ。
駒形さんについては連載第28回でも触れたことがあるように、
わたしの本業である本づくりの大、大先輩だ。
造本作家として新しい発見や体験をもたらすような絵本をつくり、
これらを既存の出版流通とは一線を画した独自の販売方法で読者に提供している。
こうした駒形さんの活動に、わたしは日頃から大きな影響を受けている。

北海道に移住して以来、駒形さんといつかこの地で仕事ができたら、
そんな想いを持ち続けていたのだが、いよいよ夢が叶うときがやってきた。
今年の11月12、13日に開催された
〈北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢〉のプログラムの一環として、
基調講演とワークショップを行う機会をもうけることができたのだ。

このプロジェクトは、道内で芸術活動支援に取り組む
障がい福祉関係者らの手によって運営され、地元の学習センターである
〈いわなび〉の全施設を借り切り2日間にわたって行われた。
タイトルとなった「アール・ブリュット」とは、フランス発祥の言葉で、
専門教育を受けていない作家による「生(き)の芸術」という意味がある。

今回会場には、さまざまな障がいを持つ人たちの作品が展示されたが、
これらを障がいという枠でとらえるのではなく、既存の芸術とは異なる
大きなエネルギーに満ちた作品であるという広い視点に立って紹介したいという
実行委員会の想いが、アール・ブリュットというタイトルから感じることができた。

〈北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢〉のチラシ。作品展示、講演会、分科会、ライブなどさまざまな催しが行われた。主催しているのは、〈北海道アール・ブリュットネットワーク協議会〉。昨年度より障がい者の作品の調査発掘、発信、相談などの活動を行っている団体だ。

1階、2階の各部屋には多数の作品が展示された。これは好きな車をつくり続けているという河上優矢さんの作品。モーターショーをイメージして並べられたものだという。

田湯加那子さんの作品。色鉛筆があっという間に短くなるほどの筆圧で描かれた力強い作品。田湯さんは各地で展覧会を開催し精力的に活動を続けている。

今回、わたしも縁あって実行委員会のサポートをさせてもらうことになり、
北海道教育大学岩見沢校、三橋純予先生の研究室と連携し、
駒形さんの講演会とワークショップが実現することとなった。
このプロジェクトで、駒形さんにぜひ話していただきたいと思っていたのは、
彼がパリのポンピドゥー・センターとともにつくった、
視覚障がい者と健常者が一緒に楽しめる絵本が生まれた経緯についてだ。

以前から駒形さんの障がい者へ向けた本づくりには、
人と人とのコミュニケーションの本質を見つめ直す重要な問いかけがあるように
感じていたこともあって、このプロジェクトへの参加をお願いしたのだった。

鶏ちゃん、ねずし、etc. 温泉のまち、飛騨・下呂市で 愛され続ける絶品ソウルフードを 堪能してきた!

下呂市の美しい自然を堪能しながら舌鼓

飛騨エリアとは、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
しかしそれらは広く、全体としての特徴がありながらも、
それぞれには深い文化が醸成され、おもしろいスポットも誕生している。

日本三名泉のひとつに数えられる下呂温泉を有する下呂市。
飛騨のなかでも南に位置し、また異なる文化圏も見られる。
少し車を郊外に走らせれば、伝統の食と現代の食の両方を楽しむことができる。
下呂温泉と合わせて、魅力あるスポットが満載だ。

ノスタルジックな〈ジークフリーダ〉でドイツ菓子を

オープンの10時に合わせて、人が集まってくる。
下呂のまち中からは少し離れていて車がないと不便な場所だが、
それでも地元の人からも観光客からも人気がある〈ジークフリーダ〉。
2002年、北條達也さんが本格洋菓子のショップ兼カフェをオープンした。
北條さんは下呂市小坂町出身。名古屋のホテルに勤めた後、
ドイツとオーストリアでパティシエの修業をした。

「ドイツにいたときに、友だちにハイキングに連れていかれたんです。
山を登っていくと、ポツンとレストランがありました。
それほど人もいないような山の上なんですが、ドアを開けると人がたくさんいて、
すごく活気があって盛り上がっていたんです。
そのお店のイメージで、ちょっと離れた場所にお店をつくりました」

ジークフリーダという名前は、オーストリアでお世話になった
おばあちゃんの名前だという。ドイツ語のネーミングではあるが、
お菓子は地域に馴染むようにアレンジしている。

「この地域で食べてもらうのに、そのままドイツ菓子を出しても
受け入れてもらえないかなと。むしろオリジナルのお菓子のほうが多いです。
結局、おいしいと思ってもらえればいいわけで、
実は“ドコドコのお菓子”ということにはこだわっていません」

窓側の席からは、木々の隙間から飛騨川を見下ろすことができる。
秋冬になると木々の葉が落ちて、景色もひらける。
アンティークの木のイスや什器に囲まれた空間は、
ホッと息をつけるようなゆるやかな空気が流れている。

information

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ジークフリーダ

住所:岐阜県下呂市萩原町跡津1421-5

TEL:0576-53-3020

営業時間:10:00~18:30(日曜日は18:00まで)

定休日:月曜・第4火曜日

http://www.siegfrieda.com/

〈緑の館〉が仕掛けるコーヒー豆焙煎所

下呂には、1975年にオープンした〈緑の館〉という有名な喫茶店がある。
コーヒーを中心としながら、たくさんのアンティークの掛け時計やカメラ、
ライトなどに囲まれ、ジャズに包まれる。
マスター野村辰己さんのこだわりを感じられるお店だ。

その息子さんである2代目の野村祐貴さんは、
一度、一般のコーヒー会社に勤務し、緑の館に戻ってきた。
喫茶店の営業を手伝いながら、同時にコーヒー豆の自家焙煎を始めた。
当初は店で使用する分だけを焙煎していたが、次第に焙煎を突き詰めてみたくなった。

「もっとコーヒー豆を発売するということに特化してみたくなったんです」と祐貴さん。
2013年、緑の館の隣に新たに焙煎所を立ち上げた。
「基本的には物販ですが、コーヒー教室もできるし、コーヒー豆について
詳しくないお客様とコミュニケーションできるスペースにもなりました」

ところでコーヒーは全世界的に流行している。日本も例外ではない。
サードウェーブという言葉が用いられ、華やかでフルーティな味わいが
人気となっている。だが、そのような流行を追いかけるわけではない。

「基本的には、自分が好きで気に入ったものを販売しています。
こだわった豆を置いてはいますが、
それを一方的に押しつけるようなことはしたくありません。
たとえば浅煎りに特化したような売り方もできると思いますが、
この下呂では昔ながらのコーヒーの味が好きな人もたくさんいます。
そのような地元のニーズにはきちんと応えながら、
同時にサードウェーブのような新たなコーヒーの世界も提案していきたい」

コーヒーは多様化しているという。しかしゆるがない共通点もある。

「いいものを新しいうちに。
コーヒーはフルーツなので、生鮮食品だと思ってもらいたい。
新鮮なコーヒーのおいしさを知ってもらいたいです。
ひと昔前は、誰がつくっているかわからない豆がたくさんありましたが、
いまは、誰がつくっているのか、トレーサビリティも可能です。
農薬を使っているかどうかもすぐわかります」

常時、20種類程度のコーヒー豆を販売しているという緑の館。
瓶詰めのコーヒーやドリップ用パックも発売し、下呂でコーヒーの普及に努めている。
いつもよりちょっとこだわりたい、そんなときは緑の館に足を運んで相談してみよう。

information

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緑の館

住所:岐阜県下呂市萩原町花池125-1

TEL:0576-52-3220

営業時間:8:00~17:00

定休日:木曜日

http://www.midorinoyakata.com/

馬瀬の美しい自然が、美しい鮎を育てる

馬瀬川上流鮎は、2007年に開催された「利き鮎会スペシャル in TOKYO」で、
日本一に輝いたことがある。姿、味、香りを総合的に審査された鮎は、
水がきれいな川でないとおいしくないと言われている魚の最たるもの。

馬瀬川はほとんど生活用水が流れておらず、
健全な森が育んだ良質な水が川をつくっている。
鮎は、その美しい水に生えている苔を食べる。
山から管理して、森林保全にも取り組んでいる結果が、鮎に表れているのだ。

そんな良質な鮎だから、塩焼きでシンプルに食べるのが一番。
美食家として知られる北大路魯山人も著書『魯山人の食卓』(昭和7年)のなかで、
「やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、うっかり食うと火傷するような熱い奴を、
ガブッとやるのが香ばしくて最上である」と記している。

〈さとやまレストラン みず辺〉で提供される鮎の塩焼きは、
店の目の前の簗(やな)でとれた天然鮎。
塩のみの味つけだが、まずサイズが大きい。
魯山人にならって串に刺さったままかぶりつくのがいい。

30分かけてじっくりと焼かれた鮎は、肉厚でありながら
身がふんわりとして、口の中ですぐにほどけていく。
ハラワタもほんのりとした苦味にうまさが凝縮している。
串のままいただいたのに、あとにはきれいに骨しか残らない。

おいしい鮎を育んだ馬瀬川を目前で眺めながら、
馬瀬の美しい自然とそこから生まれた食を感じる贅沢な時間だ。

information

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さとやまレストラン みず辺

住所:岐阜県下呂市馬瀬西村1508-1

TEL:0576-47-2002

https://www.facebook.com/maze.satoyama.mizube/

「巌立」を見上げ、小坂の滝をまるごと楽しむ

「巌立(がんだて)」という荒々しいネーミングを持つ岩壁は
高さ約72メートル、幅約120メートル。
なんと5万4000年前の噴火による溶岩が冷え固まったものである。
無数の柱が集まっているように見える柱状節理という現象が起こり、幾何学的で美しい。

この周辺は「巌立渓」と呼ばれ、自然豊かな景勝地。
小坂町は日本一滝が多い町で、5メートルを超える滝が216もある。
巌立からも、散策路を歩いて三ツ滝まで15分程度。
季節によって移りゆく自然とともに楽しみたい。

小坂の滝を巡りたい場合は、NPO法人〈飛騨小坂200滝〉が
さまざまなコースをガイドしてくれる。
「里山ふれあいゾーン」「奥山挑戦ゾーン」「秘境探検ゾーン」と
ランク分けもされているので、自分と相談して決められる。
日本一の滝のまちだけに、夏の沢登りから冬の氷瀑まで、
滝のすべてを知ることができる。

information

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NPO法人 飛騨小坂200滝

〈まるはち食堂〉の鶏ちゃんは下呂のソウルフード

飛騨の南エリアでは、至るところで目にする「鶏(けい)ちゃん」。
鶏肉とキャベツを炒めて食べるシンプルなもの。
お店によって味つけなど多少アレンジが異なるが、
元祖ともいえるのが〈まるはち食堂〉だ。

現店主の伊藤みどりさんは3代目。鶏ちゃんを始めたのは、みどりさんの祖母である。
「豚ちゃんという豚肉を炒める料理がありましたが、
近くに養鶏場が多かったこともあり、それを鶏肉に変えて
鶏ちゃんを始めたんです。おばあちゃんの名前ではありません(笑)」

注文してみると、ジンギスカン鍋のようなドーム型の鉄板に、
クッキングシートが敷かれ、その上に鶏肉とキャベツがたっぷり。
火をつけたら、焦げないように混ぜ続けなければならない。
クッキングシートを破かないように注意が必要。
慣れていない人は、肉かキャベツを掴んで混ぜればいい。

火が通ったら下部の受け部分に落としていく。
追加注文があれば、全部食べきる前に頂上に乗せていく。

男性なら、ご飯があれば2人前くらいはぺろり。
醤油ベースにニンニクが効いていて、箸が止まらなくなる。

「うちはシンプルに鶏肉とキャベツだけです。
味つけも特別なアレンジをしているわけでもありません。
でももう50年以上やっていますね」

シンプルだからこそ、飽きずに長く食べられる料理。
下呂市民に長く親しまれてきた味を堪能したい。

おみやげに冷凍商品も。通信販売もしている。

information

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まるはち食堂

住所:岐阜県下呂市御厩野139-1

TEL:0576-26-2077

営業時間:11:00~17:00

定休日:火曜日

お正月のごちそう「ねずし」

(写真提供:下呂市)

飛騨の冬の伝統料理のひとつ「ねずし」。
保存食として食べられてきたもので、本来はお正月にいただくものである。
冬場は雪も降るので野菜もとれず、漬け物が盛んな飛騨で、
保存食の文化は多様に広まっている。

つくり方を馬瀬にある〈さんまぜ工房〉の山本さとみさんに教わった。

「ご飯の中に、大根とにんじん、そしてマスを入れます。
麹を入れて2週間ほど寝かせます。そうして発酵したものがねずしです」

(写真提供:下呂市)

(写真提供:下呂市)

各地に発酵系の寿司はある。独特の酸味やにおいが苦手な人も多いかもしれないが、
ねずしはそれらに比べて甘酸っぱくマイルドで食べやすい。
お酒のおつまみとしても最適!

(写真提供:下呂市)

さんまぜ工房では、〈冬やわい〉という商品名で12月1日から発売を始めた。
ほかにも朴葉すしや五平餅など、馬瀬の食材ばかりを使った
手づくり商品を開発して販売。地元密着型の道の駅といえる。
馬瀬のお母さんたちの味を探しているならぜひこちらへ。

たかきび、かぼちゃ、よもぎ、紫いもなどの自家製あられを乾燥させていた。

information

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さんまぜ工房

住所:岐阜県下呂市馬瀬西村1461

TEL:0576-47-2133

営業時間:9:00~16:00(1月、2月は15:00まで)

■日本三名泉と美しい川や滝のある「下呂市」をもっと知るには↓

グッとくる飛騨:下呂市

のどかな五城目町に 子育て世代が集まるワケとは? 丑田香澄さん 秋田そだち Vol.2

秋田の豊かな自然と風土のなかで育まれてきた人、そして育まれていく子どもたち。
秋田の恵みをたっぷり受けながら暮らす人を全3回のシリーズでお伝えしていきます。

故郷秋田をなんとかしたい

魅力的な人が、魅力的な人を磁石のように引き寄せている地域が秋田にある。
八郎潟の東部に位置する五城目町だ。
秋田市と隣接しているこのまちは、市の中心から車で30分ほど。
ビルがなくなり、住宅街がなくなり、田んぼと山の間に集落が点在するような
風景に変わって、さらにしばらく車を走らせて辿り着くようなのどかな場所だ。

以前コロカルで紹介した、秋田県の映像プロジェクト〈True North, Akita〉vol.1の撮影の舞台ともなった五城目町。(画像:augment5 Inc.)

丑田香澄さんが夫と当時3歳の娘とともに、五城目町に移住したのは2014年春。
秋田市出身の丑田さんは、東京の大学に進学して、
就職先の大手IT企業でご主人と出会い結婚。五城目町への移住を切り出したのは、
意外なことに東京出身のご主人のほうだった。

「私としては、秋田は好きだけど、やりたい仕事は都会にあると思い込んでいたので、
東京にそのまま住み続けるんだろうなと漠然と思っていました」

そんな丑田さんの心境が変化するきっかけはいくつかあったが、
最も大きかったのは、子どもが産まれたことだった。

「東京では車通りの多いところに住んでいたので、
『絶対に飛び出しちゃダメだよ』と子どもの手をギュッと握り、
公園に着いてようやく離せるような状況でした。
私が生まれ育った秋田市もいまはだいぶ整備されたのですが、
小さい頃はひとりで勝手に外へ遊びに出かけて、
トンボなんかを捕まえているような感じだったんですよね」

マンションの中でも階下に響かないように、静かに歩くよう注意したり、
家の中でも外でも気を張っていなければいけなかった。
出産を通してライフスタイルや価値観が大きく変わる女性は多いけれども、
丑田さんの場合、それまで考えもしなかった起業をしてしまう。

「最初に就職した会社は3年くらいで飛び出してしまい、
より自分らしく働ける道を模索しながら右往左往していました。
そんななかで出産後の女性を支援する、〈ドゥーラ協会〉という法人を
仲間と一緒に2012年につくったんです」

ベビーシッターが赤ちゃんをお世話する存在だとしたら、
ドゥーラというのは赤ちゃんを育てるママをサポートする存在。
アメリカやイギリスではひとつの職業としても確立されているが、
里帰り出産の文化が根づいてきた日本では、地域の産婆さんや
出産した女性の母親が育児や生活のフォローをするのが一般的だったため、
それほど必要とはされてこなかった。

しかし出産年齢の高齢化により親の世代もまた高齢化し、
育児を手伝ってもらうことが難しくなったり、
近隣とのコミュニケーションが希薄な都市生活で、
困ったときにすぐに頼れる人がいなかったりという理由で、
ここ数年、産後うつの発症率が増えているのだそう。

丑田さん自身は、幸いそういった状況に陥らなかったものの、
ある助産師との出会いがきっかけで、これと思える仕事を見つけることに。

「やりがいのある仕事だったので、夫が秋田で事業をやりたいと言い始めたとき、
最初はやっぱり悩みました。ただ、秋田で子育てをしたい気持ちもあったし、
私にとっての次のテーマとして、おこがましいんですけど、
秋田をなんとかしたいっていう思いもどこかにあったんですよね。
故郷から聞こえてくるニュースは、少子高齢化が進んでいるとか、
自殺率が高いとか、悲しいことばかりだったので……」

故郷を離れている身としては、たくさんあるはずの明るいニュースを
かき消してしまうほど気がかりだったのだろう。
そして自分と同じく、母親として奮闘する女性の
さまざまな価値観に触れたことも大きかったのかもしれない。
ドゥーラ協会の直接的な運営を仲間に託して、
丑田さんは代表から理事という立場になり、家族とともに移住することを決意した。

動物の命をいただくということ。 移住前の洗礼にも感じられた 出来事について

お試し暮らし直前の、
象徴的な出来事とは?

移住先を探し、三重県津市美杉町で
お試し暮らしをすることになった津留崎家。
仮住まいの物件も見つかり、
いよいよ家主さんとの顔合わせのために現地へ向かいます。
そこで待っていたのは、友人一家が大切に飼っていた動物の死。
今回は、暮らしのすぐそばにある、命の営みについて。

「働く」を楽しむ! ショウガ収穫祭から ジンジャーシロップができるまで

みんなで働いてごはんを食べて、その時間を楽しむ

春に植えたショウガたち。
夏を乗り越え、秋、ようやく収穫です。

今年は、去年の倍の量のショウガを植えました。
去年までは私たち夫婦ふたりと友人数人に手伝ってもらって、
収穫からジンジャーシロップをつくるための加工までの作業をしていたのですが、
今年はそれでは間に合わなそう……、同じペースでは無事に年を越せない……。
そんなわけで、今年のショウガの収穫&加工はFacebookでショウガ収穫手伝い募集! 
と声をかけて、たくさんの方に手伝ってもらうかたちで行いました。

ショウガを掘る、茎を切る、洗うを分担しながら。

今年は大きなショウガがたくさん採れました。

WWOOF(ウーフ)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
World Wide Opportunities on Organic Farms
=「世界に広がる有機農場での機会」の頭文字で、有機農場を核とするホストと、
そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とをつなぐ仕組みです。

ホスト側である農場は「食事・宿泊場所」を提供し、
手伝う側であるウーファーは「力」を提供します。
手伝ってくれることに対してお金を支払うのではなく、
「食事・宿泊場所」と「力」を交換するかたちです。

春に植えたひと塊の親ショウガから子、孫ショウガとどんどん育っていきます。

ご近所さんへのおすそ分け用にわさわさと葉つきのまま収穫。

今回のショウガ収穫はそれに近いかたち。
手伝いに来てもらったら、私たちはそのお礼として、お昼ごはんや休憩時間のお茶、
それから収穫したショウガやジンジャーシロップをおすそ分け。
半日働いて数千円もらって終わりではなくて、半日働いてみんなでお茶して
ごはんを食べて、その時間自体を楽しんでもらえたらいいなという思いから。

あ、もちろん全員がそういうかたちではなく、継続的に働いてくれている仲間もいて、
その場合はお金を支払ったりもしています。

お昼ごはんは採れたての野菜でサラダ。

小豆島・肥土山産のお米でおにぎり。

11月22日から始まったショウガ収穫祭。
多い日には10人くらい手伝いにきてくれました。
今年は想定より多くのショウガが収穫でき、
この作業はいつまで続くんだろうと思ったりもしましたが、人の力はすごい!
畑にあったショウガはあっという間になくなり、
何十箱もあったコンテナいっぱいのショウガはきれいに洗われ、
ジンジャーシロップ製造を待つばかりの状態になりました。

お茶時間。忙しくてもこういう時間を大事にしたい。

ショウガを収穫し終えた畑を目の前にヨガ。これも働くを楽しむ大切な時間。

第34話・ トランクデザイン塩屋で作品展示。 今年も盛況! 〈しおさい 2016〉レポート

第34話
トランクデザイン塩屋で作品展示。
会場では嬉しい出会いの連続でした

塩屋のまちが丸ごと文化祭の舞台になる
〈しおさい〉が今年も開催されました。
例年にもまして盛況のなか、グレアムさんももちろん作品展示。
展示会場では、久しぶりの友人との嬉しい再会があったり、
神奈川県・真鶴からのゲストに刺激を受けたり。
さまざまなつながりを実感したようです。