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飛騨の移住者たちに聞く
「教育・子育て」
ローカル特有のつながりで育む、
子どもたちの未来

あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?
vol.007

posted:2017.1.24   from:岐阜県高山市/白川村  genre:暮らしと移住

sponsored by 飛騨地域創生連携協議会

〈 この連載・企画は… 〉  最近、飛騨がちょっとおもしろいという話をよく聞く。
株式会社〈飛騨の森でクマは踊る〉(ヒダクマ)が〈FabCafe Hida〉をオープンし、
〈SATOYAMA EXPERIENCE〉を目指し、外国人旅行者が高山本線に乗る。
森と古いまち並みと自然と豊かな食文化が残るまちに、
暮らしや仕事のクリエイティビティが生まれ、旅する人、暮らし始める人を惹きつける。
「あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?」

writer profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer

Daisuke Ishizaka

石阪大輔(HATOS)

高山市で35年以上培ってきたアートやものづくりの土壌

〈ぽころこアートスクール〉では、35年以上前から高山で美術を教えている。
鹿児島から移住してきた弓削義隆さん・陽子さんの夫婦が始めた教室だ。
現在ではふたりに加え、息子の一平さんと奥さんの知嘉子さんも加わり、
4人で運営に当たっている。
親のアートスクール仕込みで自由奔放に育った一平さん。
現在は高山に落ちついているが、それまでは動き回っていたユニークな経歴。
高校までは高山で育ち、その後フランスに渡る。

「フランスではいろいろやりました。
アンティークのギャラリーで家具の修復とかクリーニングをしたり、
古着の買い付けやカメラマンのアシスタントもやりましたね。
本当は芸術学校に入ろうと思って行ったのですが……」

その後は、世界各国を旅して回る。
登山が好きだったので山行を中心に、アメリカや南米を旅する。
アンデス山脈のアコンカグア、アラスカのマッキンリーにも登った。
合間には日本に帰ってきて、北アルプスの焼岳や富士山などの山小屋で働き、
お金を貯めては海外を旅する生活。その旅の途中で、知嘉子さんとも出会った。

高台にあるアトリエは遠く山々を望む。

旅も落ち着き、一度東京で暮らす。
しかし、両親がアートスクールの行く末を迷っているタイミングでもあり、
高山に戻ることを決めた。

「高山の自然の中で育った一平くんは、東京よりも、
やはり高山のほうが生き生きとしているように感じました。
それなら私がこっちに移住しようかな」と、
東京生まれ東京育ちの知嘉子さんも高山への移住を決意した。

一平さんにとっては海外も含めた大きなUターン、知嘉子さんはIターンである。
こうして、高山で両親とともにアートスクールに携わっていくようになる。

階段や家具など、義隆さんの手づくりも多い。

自然とともに遊びながら学ぶ〈ぽころこアートスクール〉

現在、ぽころこには幼児から高校生まで50人以上の生徒がいる。
幼児は母親の陽子さん、高校生が父親の義隆さんが担当し、一平さんは小学生担当だ。
父親の代から、ぽころこは単純なアートスクールではなかった。
デッサンなどのアートは教えるが、それ以外の部分も充実している。

「凧をつくって揚げたり、ブーメランをつくって飛ばしたり。
この間の合宿ではイカダをつくりました」

広義のアート。木工のまち高山らしい取り組みともいえる。

「デッサンだけは毎回やるようにしていますが、
いろいろ広がり過ぎて、もうアートスクールなのかも微妙ですね(笑)」

ときには知嘉子さん主導で料理もつくることもある。
スパイスをゴリゴリ摺ってカレーをつくったり、
生クリームからバターをつくってホットケーキを食べたり。
「食の成り立ちを学ぶ」ことが目的だ。

子どものうちに経験したことは、大人になったとき、自分のなかに意外と残っている。
だから子どものうちにたくさんのことを経験させたいという。

「大人になったときに、自身が体験してきたことを組み合わせることで、
新しいアイデアが生まれるんだと思います。だから経験は大切」

遠くから見てもすぐにわかるユニークな建物。

現在、高山市街地の教室と、アトリエであり両親の自宅でもある
「国府教室」の2か所がある。
国府教室の裏はすぐに山で、羊が2匹いて、ツリーハウスもある。
市街地から車で20分程度だが自然が豊か。
必然的にこちらの教室ではアウトドア要素が強くなる。
特に一平さんは、親の代から受け継いで、自分だからできることを目指したいという。

「僕が得意なことをどんどんやりたい。
毎年、焼岳の3000メートル近いところまで登る登山教室も開催しています。
国府教室のほうが、みんな伸び伸びしていますね。
お題を与えなくても、勝手にそのあたりに落ちている枝で
何かをつくり始めたりしています。
デッサンに使う題材も、捕まえてきた虫とか、カエルとか(笑)」

生徒たちも製作を手伝っているツリーハウス。「くれぶき」という屋根の技法が用いられている。

「小屋をつくったり、羊の世話に追われている」と一平さんは笑う。

自分で集めて、自分で考えて、自分でつくったほうがおもしろい。
それには都会ではないほうがやりやすいことが多い。

「美術館やギャラリーに行って刺激を受ける、
ということに関しては都会よりも不利だと思います。
しかしそれ以外は有利なことがほとんど。
展示に行くにしても、それを選びとって、しっかりそれを見てくるという意味では、
体験や深さとしては意味がある。
僕がパリにいたときは、美術館やギャラリーによく通っていましたが、身近過ぎて、
いま考えると、その価値までしっかりと感じ取れていなかったと思います」

この日は凧づくり。

身の回りに溢れているがゆえに漫然としているより、数少なくても、
自分の意志が込められている体験のほうが、結果、強く残る。

「教育の環境としては、完成されたものばかりを“見る”より、
やわらかく自由な発想で“考える”ことが重要だと思います」

余計な知識は入れないで、感性に任せること。
それが一平さんの考える教育方針。

子どもたちの自主性を遮らないように気を配っていた。

生徒の親は弓削さん夫婦と同世代だったり、実際の同級生もいる。
そうした人たちのなかで、ぽころこ卒業生のモデルケースが一平さんなのかもしれない。

「一平くんがのびのび育ったのを見て、ぽころこに通わせるのが
いいんじゃないかという親の視点もあるみたいです」と知嘉子さん。

「ぽころこ出身の人は高山にもたくさん住んでいて、おもしろい人が多い。
2代どころか、3代で通っている人もいますよ。
高山なので木工関係などものづくりの仕事に就いている人も多く、
子どもに芸術やものづくりを学ばせることに理解のある親も多いです」

自然環境が豊かというほかに、木工のまちであるということ。
さらにはぽころこが35年以上にわたって
この地に培ってきた芸術的センスやクラフトマンシップの感性。
それがまた高山のものづくりへとフィードバックされているのかもしれない。
もともとの飛騨の手仕事DNAに加えて、こうした「ものを生み出せる子どもたち」が
クリエイティブなまちをつくっていけばすばらしい。

小学生と接する一平さんと知嘉子さん。
無邪気な子どもたちは、世話をするのに手を焼く。
しかし上からでも下からでもなく、素直に向き合っているようにみえる。
子どもたちが、自由に楽しく創作に向かえるように。

information

map

ぽころこアートスクール

桐生教室

住所:岐阜県高山市桐生町2-173 岡田ビル1F

TEL:0577-34-7286

国府アトリエ

住所:岐阜県高山市国府町名張596

TEL:0577-72-3895

http://www.hidatakayama.ne.jp/pocoloco/

■弓削さんたちの教育についてはこちらのインタビューも↓

弓削さんに羊飼いになることを
勧めた夫婦

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地域みんなで子どもを育てる

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地域で育てる意識が強い白川村。コミュニティに“甘える”移住とは

「移住のきっかけはテレビ番組でした」
と話す木村美由紀さんは、赤ちゃんを連れてやってきた。

「大阪の豊中に住んでいたのですが、テレビで地方移住の特集をやっていて、
初めてそのような選択肢があると気がつきました。
実際に移住して暮らしている人がいるなんて思ってもいませんでしたね」

ちょうど子どもがひとり産まれ、子育ての環境にも迷っていた頃。
保育園には入れるかもわからず、入れたとしても人数はパンパン。

「まずは近畿圏などの近いところからインターネットで探してみました。
でもあまりいいところがなくて。次に東海や中国地方まで広げてみました。
岐阜は父親が単身赴任していたこともあるし、白川郷には観光で来たことがありました。
それくらいの軽い気持ちで調べてみたら、すごくいろいろな支援も手厚くて。
観光地だけあって、ホームページも見やすくてしっかりしていました」

子育てや仕事、住宅の支援など、近畿圏にはない手厚い支援があった。
大阪にいながら下調べができるという安心感は大きかったという。

保育園の園庭が毎日の遊び場。

その後の行動は早い。
テレビで見て調べ始めた2か月後には、白川村に下見に来ていた。

「移住を担当していた地域おこし協力隊の方が
『後悔しないようにいつでも下見してほしい。
移住を無理強いもしないし、気軽にいいところも悪いところも見てほしい』と
アドバイスしてくださったことがありがたかったです」

下見に来たときは、移住候補地であった平瀬エリアのゲストハウスに泊まった。
夜は居酒屋で村民と交流。平瀬がある白川村の南部エリアは、
外から移住してくる人が増えていて、移住者に対してウエルカムな雰囲気を肌で感じた。
まだいなかには閉鎖的であるというイメージが強い。
でも実際に訪れたり暮らしてみると、そうでもないことも多い。

「移住を考え始めた頃から、主人も林業に携わりたいと考え始めました。
大阪では営業職だったのですが、手に職を持つ仕事をしたいと
かつてより思っていたようです。
そんな話をしていたら、なんと、ちょうど飛騨高山森林組合で
募集がかかっていると。その担当の方ともすぐに会うことができて。
旦那の仕事もトントン拍子で決まってしまいました!」

仕事、そして保育園にすぐ入れるということ。
これが決まれば木村さんの不安はほとんど解消されたようなもの。
豊かな自然も気に入り、下見で会った人たちのあたたかさにも触れ、
白川村に移住を決意した。

かつては「保育園落ちた日本死ね」に共感してしまったという木村さん。白川には無縁の流行語だ。

子どもが近所のおばあちゃんと当たり前に遊べる安心感

6月に下見して、8月には移住。
そんな流れだったから、住む家も決まっていない状態。
最初は仮住まいとして建設会社の寮に1か月住んでいた。
そのとき向いに住んでいたのが、小川貞子さん。

「ゴミ出しやラジオ体操など具体的なことから、村の雰囲気まで、
いろいろ教えてくれました。お祭りや食事も招待してくれて。
1日に何回も来てくれたから、最初は正直、戸惑いましたけどね(笑)」

大阪で生まれた長女のリコちゃんは、「ばあちゃん」と呼んで、
すごく貞子さんになついている。ひとりで泊まることもできる。
もう第3の実家だ。

「貞子さんにはすごくお世話になっています。
飛騨では雪が降る前に、家に雪囲いをしなくてはならないのですが、
それときも貞子さんがやってきて、子どもを見てくれると。
こちらからはお願いしづらくても、さりげなく散歩みたいな感じでやってきてくれます」

親戚のように接してくれる貞子さん。

白川村に移住して1年半。
木村さんは子育ての環境は良くなったと感じている。
大阪にいたときはあきらめかけていたふたり目の子どもも、
白川村に来てから産むことができた。
旦那さんも早く帰ってくるので育児も家事も手伝ってもらえる。
なにより地域全体で子どもを大切にしている雰囲気が魅力だ。

「大阪にいたときは、ママ友のコミュニティに入ることもなく、
ひっそりと子育てしていました(笑)。でもここではコミュニティが濃厚。
困ったことをひとりでインターネットで検索するより
同世代で子育ての話を共有したり、先輩ママたちに相談できることは、
気持ちがまったく違います」

リコちゃんも、マリちゃんもお世話になっています!

地域の横のつながりは当然、都会より密接。
雪が大変な地域だから、助けあって生きていくという気持ちが白川村のみんなにはある。

「野菜とかいつもいただいてしまうので、
たまに大阪に帰ったときにおみやげを買って行くと
『お金使わんでいいのに』って、またそれ以上いただいてしまったりして」

それに応えるのは、もしかしたら物質ではなく子どもの笑顔なのかもしれない。
村民にはそちらのほうがうれしいのではないか。

木村さんと一緒に、リコちゃんを保育園に迎えに行った。
知らない取材チームがいるから少し緊張している。
園庭ですこし散歩をしてから、その足で貞子さんのお宅へ。
すると、さっきまでとはまったく異なる明るい笑顔で貞子さんと遊ぶリコちゃん。
これが当たり前の光景であることを感じさせる。

木村さんは週末に遊びに来ていいか、なにやら貞子さんに相談している。
子育て期間は実家の近くに住む人も多いが、
ここでは村内で同じような役割ができているようだ。

「私たちが来たことを喜んでくれているというのがわかると、すごくうれしい。
そこで拒絶されてしまったら早々に逃げ出していたかも。それが心地よい理由です」

木村さんと貞子さんの関係性だけが特別なのではなく、
ほかの誰でも同じようなことが起きるのであろう。
飛騨の人は世話好きで、子どもを宝だとも思っている。
過疎が進むローカルでは、どこも子どもは宝のはず。
コミュニティ全体で子どもを大切にする地域は、
きっと子育てに向いているのだろう。

子育てが一段落したら働きたいという木村美由紀さん。

■木村さんの子育てについてはこちらのインタビューも↓

子育て移住を選択した木村さんと、
ご近所さんの関係

■飛騨地域の移住者たちをもっと知るには↓

あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?

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