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急遽、東京を離れられなくなってしまった妻を残し、
娘とふたり、仮住まいの物件確認、家主さんとの顔合わせのために
三重県美杉へと出発しました。
家主さんと会う約束の前日に美杉に到着し、
その夜はこの連載でもおなじみの美杉で仲良くさせていただいている友人、
沓沢家(連載4回目で詳しく紹介)にお世話になる予定です。
美杉で始まる暮らしに、期待に胸を膨らませ車を走らせます。
到着するとわが家の娘と仲良くしてくれている沓沢家の長女が、
待っていてくれていたのか迎えに来てくれました。
そして、開口一番、「チャチャが死んじゃった」と。
チャチャはもともとは田んぼの除草のために飼い始めた鴨だったそうですが、
沓沢家の一員ともいえるほどにその暮らしに溶け込んでいました。
そうか、死んでしまったのか……。
家族に愛されていたチャチャの死。
自分も子どもの頃から犬、猫からインコまでいろいろと飼っていて、
その死の際は本当に悲しかったのをよく覚えています。
特に、冷たくなってしまったその感触はいまでも忘れられません。
でも、子どもにとってはその身近な動物の死はとてもよい経験ともいえます。
わが家では動物を飼っていないので、
娘にとってはたびたび訪れている沓沢家の動物たちが、
もっとも近い存在の動物です。
身近な動物の死を経験したことのない娘は
事態がよく飲み込めず何がなんだかよくわからない様子。
家にいた沓沢夫妻に挨拶を済ませ、チャチャについて聞いたところ、
その2日ほど前、店が終わり戻ってきたら、
怪我をしていて死んでしまっていたというのです。
そして、その日の夜ごはんの話に。
「今日は鍋だよ。鴨鍋……」
そうなのです。
どんなにかわいがっていても、死んでしまえば「肉」になるのです。
例えば、かわいがっていたペットの大部分がそうされるように、
土に埋めてお墓をつくっても実際にはその「肉」は
土の中の虫や微生物に食べられる。それが、命の営みというものです。
そのような土に埋める行為とは違うかたちですが、
その肉を食し、食した者の血となり肉となる。
それも、命の営みというものです。
供養の仕方としては究極なのかもしれませんが、事が終わったいまは、
愛あってこその行為だったんだと感じています。