三重で始めた暮らしで考えた、
大きな環境の変化と移住の難しさ
美杉町への移住はうまくいくのか…?
移住先探しの旅を経て、三重県津市の美杉町に仮住まいを見つけた一家。
昨年12月に家族3人で1週間ほど過ごしてみて、なかなかいい感じ。
年が明けてから、いよいよ東京の家を引き払い、
美杉でもう少し暮らしてみようということに。
この仮住まいでお試し暮らしができるのは3か月間。
はたして、ここに落ち着くことになるのでしょうか…?
今回は久しぶりに、妻のフォトグラファー、徹花さんが綴ります。
姉一家と一緒に、
美杉町・太郎生(たろお)に借りた家へ

三重の仮住まいの家が決まったということで、
東京の家を年始に引き払うことにしました。
年末年始は、その東京の家で同居している母や姉家族とともに、
のんびりと過ごしました。
我が家の娘と姉の子どもふたりも、毎日じゃれあいながら遊んでいます。
いまどき珍しくなりましたが、大家族で暮らす賑やかで楽しい時間を
じっくりと味わいました。
そして、年始から本格的に引っ越し準備を始めました。
余談になりますが、まあ無駄なものが多く、
可燃、不燃、粗大ゴミが出るわ出るわ。
いままでどれだけのお金と物を無駄にして、
無駄なものたちに囲まれて生活してきたのか自覚しました。
今年から心を入れ替えようと決意。
仮住まいとなる家には家具がひと通り揃っているので、
普段使っている愛着のある茶碗や布団など、
必要最低限のものだけを持っていくことにしました。
それでも意外とかさばっていくもので、車内はすでにパンパン。
「これ、3人乗れなくない?」ということで、
急遽私と娘は翌日の電車で行くことにして、夫だけ先に車で出発しました。
私の姉とその子どもたちも、翌日から3泊4日で
三重の家に遊びに来る予定だったので、一緒に向かうことに。
いままで三重との行き来は車だったので、電車で移動するのは初めてです。
私たちがこれから住むのは、三重県津市美杉町の
太郎生(たろお)という集落。
東京駅からまずは名古屋を目指します。
子どもたちは新幹線に気分が上がり、
お菓子を食べながら遠足気分を満喫しています。
名古屋まで1時間40分、そこから「快速みえ」に乗り継ぎ
1時間弱で、夫と待ち合わせをしている津駅に到着しました。
うんうん、ここまではなかなかスムーズ。
けれど、仮住まいのある太郎生まではさらに車で1時間半かかります。
途中「まだ? まだ?」と子どもたちの声に責め立てられ、
それをなだめるうちに大人も疲労困憊。
東京の自宅を出てからおよそ5時間半、
「やっと着いたー!」という子どもたちの声とともに到着しました。
大人たちが温かいお茶でひと息ついていると、
元気いっぱいの子どもたちはさっそく裏山へ探検に出かけて行きました。
3人組の探検隊ごっこ、意気揚々と木の枝を振り回し、
我先にと裏山に登っていきます。
自然の中にただ放り込めば、自分たちで自在に遊びを
見つけ出すことができるんだな~、とあらためて感じました。
東京ではあまり見ることのできない子どもたちの姿を見て、
ほのぼのとした気持ちになりました。



夫もいきいき。楽しげにゴミを燃やしています。
着いたその日は、近所の温泉にのんびり浸かり、
夕食には地場の瑞々しい野菜を味わい、その後早めに就寝。
翌日は美杉でいつもお世話になっている沓沢家を訪ねました。
[ff_assignvar name="nexttext" value="急な娘の発熱! さてどうする?"]
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あらためて気づく、東京との環境の違い
この日は雲ひとつない気持ちのよい快晴。
青空の下、総勢10人で賑やかに食卓を囲みました。
澄み切った空気のなか、みんなで一緒に食べるごはんは格別で、
それだけで本当にぜいたくな時間です。
美杉に来てまず感じるのは、東京と空気が違うこと。
無色透明で、何もひっかからず、すっと体の奥にしみ込んでいくような空気。
それを体いっぱいに吸い込むと、
「いよいよここでの生活が始まるんだ」という実感が湧いてきて、
身の引き締まる思いと新たな暮らしへの期待に包まれました。


沓沢家のご主人、敬さんが近所の方の畑で採ってきてくれた七草。これをお雑煮に入れていただきました。採れたての野草は力強く、香りがとてもよく美味。スーパーで買うのではなく、こうして近所で摘んでくるような暮らしに憧れます。

子どもたちと近所を散策しました。沓沢家のすぐ横を流れる雲出川で休憩。水は透き通っていてとてもきれいで、昨年の夏には娘も水遊びを楽しんでいました。
翌日、娘が急に発熱。
38度台をいったりきたり、涙を流し、かなりつらそうな様子。
私はこういう状況にとても弱く、すぐに動揺してしまいます。
東京では車で10分のところに娘を出産した総合病院があり、
救急の受け入れもしているので、
不安になると診てもらうようにしていました。
けれど、ここから救急病院までは30分以上かかります。
いつもと違うその条件が、私を不安にさせるのです。
「本当に病院に連れていかなくていいのかな」と夫に聞くと、
「風邪だと思うから、寝かせてあげるのが一番だと思うよ」という返事。
本当に大丈夫なのか、何かあってからじゃ遅い……。
「病院で検査だけでもしたほうがいいんじゃないかな」
そう姉に話すと、「どう見たって風邪でしょ、大丈夫だって」となだめられ、
姉が娘の背中をゆっくりとなでてくれました。
こんな弱気な母親ではいけない……、もっとどっしりと構えなくては……。
そう思うものの、娘のつらそうな姿を見ていると不安で仕方ないのです。
どうにか早く治してあげたいと、
愛読している『自然療法』の本を開きました。
この本には、自然の恵みを利用した手当法や食事療法などが書かれています。
私は昨年から、筆者である東城百合子先生の料理教室に通い、
先生方から自然療法を教えていただいています。
数年前までは、我が家も市販の薬や病院で処方される薬を
服用していたのですが、いまはほとんど口にしません。
それこそ、頭痛持ちの夫はよくアスピリンを飲んでいましたが、
いまは梅干しをこめかみに貼っていますし、
胃弱の私は梅肉エキスに助けられています。

私は胃腸不良のときや、どうも体調がイマイチというときに梅肉エキスを飲みます。そのほか、最近入手した梅干しの黒焼きも疲れたときや風邪、下痢、冷え性などにもよいとされています。大きい瓶はビワの葉を焼酎に漬けた自家製ビワエキスで、我が家では大活躍しています。虫に刺されたとき、火傷や切り傷、喉の痛み、歯痛などなど。一度つくっておくと大いに活躍してくれます。
娘は咳がひどく、喉が赤く腫れ、胸からはぜーぜーした音が聞こえます。
気管支の症状には「レンコン治療」がよいと本に書いてあったので、
夫が近所の道の駅にレンコンがあるか問い合わせたところ、
置いていないとのこと。
考えてみれば、沼地でしか育たないレンコンは
どこでも採れるわけじゃないのです。
東京にいると、そんなことすら忘れています。
レンコンを入手するには、車を30分走らせて
最寄りの都市部のスーパーまで行くしかない。
フットワークの軽い夫が、すぐに買いに行ってくれました。
レンコンをすりおろし、絞り汁を何度かに分けて娘に飲ませます。
子どもが好む味ではないのですが、がんばって飲んでみてと
言い聞かせると飲み干してくれました。
東京の自宅ならば徒歩5分のところにスーパーがありますが、
これから住もうとしている太郎生はいままでの環境とはまったく違います。
レンコンを通して、あらためてそのことに気づかされました。

梅干湿布(上)は、梅干しの果肉をガーゼに薄く伸ばし、背中と気管支に貼ります。咳が止まらないときによいとされています。里芋湿布(下)は里芋粉というものが市販されていて、それを水で溶いて木綿の布にのばして包んだもの。熱のある痛みや、ねんざ、のどの痛みなどのときに患部に貼ります。生の里芋を使うときは皮をむいてすりおろし、生姜のすりおろしと小麦粉を混ぜ、同じく布に包んで使用します。
レンコン治療や梅干し湿布、里芋湿布などをしながらひと晩が過ぎ、
翌朝になると咳もだいぶ治まり顔色も回復し、
その日はいとこたちとテレビを見たりしながら、
家でのんびりと療養しました。

[ff_assignvar name="nexttext" value="想像以上の娘の異変"]
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本当の娘の気持ちを知る
翌日は姉家族が東京へ帰る日。
まだ本調子ではない娘も、腫れぼったい目のまま
玄関先でいとこたちを見送りました。
涙こそ見せなかったけれど、小さい背中は寂しい気持ちいっぱいに
包まれていて、私のほうが泣き出す始末。
その日は娘の寂しさをどうにか紛らわせようと、
押し入れに基地をつくってみたり、紙で工作をしたり。
娘も楽しそうにしていたのでほっと胸をなで下ろしました。
昨年末に太郎生の家で過ごしたときは娘の機嫌もよく、
はしゃいで踊りを披露してくれるほどでした。
きっと太郎生での暮らしに馴染んでくれるはず、そう思っていたのです。


娘が『ドラえもん』を見て、のび太君のママがつくっていたピーマンの肉詰めを食べてみたい! ということで、一緒につくりました。夏野菜のピーマンも近所では入手できず、30分離れた都市部のスーパーで購入。東京で暮らしていると、レンコンがどこで採れたものなのか、いま旬の野菜は何か、それをつい忘れてしまいます。旬に採れたその土地のものを食べる暮らしに一度回帰してみたい、そんなことを感じました。
翌日の早朝、むくっと起きた娘が
「いとこたちに会いたい、いとこたちの住む家に帰りたい」
と急に泣き出したのです。
夫が娘をひざに乗せてゆっくり話をしていると、
しだいに落ち着きを取り戻しました。
いとこたちと離れること、生まれ育った家を離れることは、
娘にとってはつらいだろう。
しばらくは泣いて過ごすかもしれない、それくらいの心構えはしていました。
けれどもその晩、寝ていたはずの娘が急に叫びだしたのです。
「イヤダー!イヤダー!」
そのひと言をただ繰り返し、身をよじらせて泣き叫びます。
抱きかかえようとしても足で蹴り、拒絶。
おそらくパニックになっている状態だったのだと思います。
その状態がおそらく1時間近く続きました。
抱きかかえようとした夫の手を強く払いのけた反動で、
娘は私の胸元にすっぽりと収まり、
「もうわかったから、カホの気持ち全部わかったから、
もう大丈夫だから、心配しなくていいから」
そう背中をなでると、ようやく落ち着いて眠りに落ちていったのです。
こんな娘の姿を見たのは初めてのことでした。
あまりにもつらそうで、かわいそうで。
こんなにつらい気持ちを我慢していたのかと思うと、切なくて。
娘の気持ちに気づかず、ここまで進めてきた自分を責める気持ち。
こんなにつらい思いをさせてまで移住をするべきなのか。
移住をするのは自分たちのエゴなのではないのか。
自問自答しながら、涙が止まりませんでした。
寝息を立てている娘がいつもより小さく見えて、
言葉にできない感情が次から次へと湧いて、
しばらくのあいだ私も夫も黙って娘の寝顔を見つめていました。
「のど乾いたね、ビールでも飲もうか」
夫も私も同じことを考えていました。
いったん東京に戻ろう。
このまま進めることは、娘にとって負担が大きすぎる。
夫は天井を見ながら「さ、これからどうしようかね~」と、
うっすら笑みを浮かべていて、心が揺らいでいるのだとわかりました。

太郎生の家から見上げる満天の星空。
[ff_assignvar name="nexttext" value="いったん東京へ"]
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大事なことに気づかせてくれた1本の映画
翌朝、朝食を食べながら家族3人で話しました。
「東京へ戻ろうか、みんなに会いに帰ろうか」
すると、娘の表情はパッと晴れやかになり、大きく頷きました。
翌日、持ってきた荷物の一部を段ボールに詰め直し、
東京へと引き返したのです。
娘が生まれたのは2011年。
5歳になるいままで、私の母と姉家族と実家で3世帯同居してきました。
姉には9歳の男の子と4歳の女の子、ふたりの子どもがいます。
私たちが移住を考え始めた数年前までは、
子どもたちの関係はそんなに密ではありませんでした。
それぞれがバラバラに遊んでいたり、
絡み始めたと思ったら喧嘩ばかりという雰囲気で。
けれど、昨年一年で子どもたちの関係は確実に変わっていたのです。
3人がしっかりと結びつき、子どもたちだけの世界が形成されてきて、
お互いにかけがえのない無二の存在となっていました。
それでも、私たち両親と一緒にいればなんとかなるだろうと考えていました。
家族3人が揃っていれば娘も安心して暮らせるだろうと。
けれど、そうではなかった。
年末年始にいとこたちと毎日過ごし、
そのあと彼らと急に引き離されたことは、私たちが想像していた以上に
娘にとっては負担だったのだと思います。
東京に戻ってきてから娘にはいつもの笑顔が戻り、
子どもたちは以前のようにじゃれあっています。
その姿を見てほっとするとともに、
私は不安な気持ちに包まれていったのです。
一度出発したのに、また元の生活に戻ることへのいら立ちや、
この先ずっと東京から離れることができないのかもしれないという不安から、
どんどん落ち込んでいきました。
落ち込んだとき、私は気分を変えるために映画を観に行きます。
上映作品を調べてみると、ちょうど気になっていた
『人生フルーツ』がありました。
愛知県春日井市に住む、90歳の津端修一さんと
87歳になる英子さんご夫妻を追ったドキュメンタリー映画です。

『人生フルーツ』はポレポレ東中野ほか全国順次公開中。(c)東海テレビ放送
おふたりが住んでいるのは高蔵寺ニュータウンという住宅地。
ご自宅に一歩入ると、そこには森のような景色が広がっていて、
まわりが住宅地だということを忘れてしまうほどです。
その雑木林は、津端夫妻が50年前に購入した土地に自ら木を植え始め、
長い歳月をかけて家族みんなでこつこつとつくり上げてきたもの。
そのなかで畑を耕し、採れたての野菜や果実を味わい、
手間ひまを惜しまず日々の暮らしを丁寧に紡いでいるおふたり。
その姿を見ていたら、胸がわくわくと高鳴り、
それと同時に涙がこぼれました(本当に泣いてばかりで困ります……)。
こういうことでいいんじゃないか、そう気づかされたのです。

(c)東海テレビ放送
美杉への移住を断念せざるをえないのかもしれない。
もしそうなったら、この先どうすればいいんだろう……。
東京に戻ることになったら、どうしよう……。
そうした不安に私は押しつぶされそうになっていました。
けれど、津端夫妻のようにどこの土地であってもどんな環境であっても、
自分たちでその道を開拓していくことがきっとできるのです。
大事なのは、自分たちがどう生きたいのか、何を大事にしたいのか、
目標に向かってわくわくしたイメージを持ち続けること。
美杉の人たちの魅力に惹かれ、その土地で一緒に暮らしてみたいと
私たち夫婦は思い描きました。
けれど娘にとって、生まれ育った家やいとこたちと離れることが
大きな負担になるようであれば、方向を変える必要があります。
娘がもしこのまま美杉に馴染めないようであれば、
もう少し東京に近い土地を考えるかもしれません。
週末はいとこたちの住む東京に通うスタイルを試してみて、
娘の様子を見てみます。
それでもダメなら、移住を断念して東京に戻るかもしれません。
もし、東京でまた暮らすことになったとしても、
自分たちにできることはきっとあるはずです。
映画を観てから、そう思えるようになりました。
今回のことで、自分の気持ちが少し整理できたように思います。
母親として心構えが足りないことにも気づかされました。
娘が不安定になったのには、私の心持ちが影響していたのです。
娘が風邪をひいてしまったときも私自身がうろたえてしまい、
この土地で暮らすことを少なからず心細く思っていました。
子どもと母親というのは不思議なくらい影響し合うものです。
私が不安定ならば娘もそれにつられ、
私が楽しそうにしていたら自然と娘も楽しくなります。
東城先生がおっしゃっていました。
母親というのは木の根っこで、夫や子どもという枝葉を育てる役割がある。
根っこがしっかりしていないと、枝葉は元気に育たないのだと。
私に必要なのは、どんなときにでもリスクを覚悟して動揺しないこと。
私自身がもっと強い根っこにならなければ。
暮らしを考える旅には、どうやら終わりがないようです。

家の近所にある〈丸八酒店〉の女将さん。娘が泣いた翌日に私が落ち込んでいると、たまたま女将さんから電話がありました。ご自宅にうかがうと、「寒いでしょう」と電気アンカを持たせてくれて、梅酒やら味噌やら大根やらたくさんのおいしいものをくださいました。こんなに温かいご近所さんに巡り合えるなんて、そうそうあることじゃないよな~。そう思うとまた美杉に強く惹かれてしまうのです。