困った空き家をカリアゲる。 新事業をスタート。 ルーヴィス vol.6

ルーヴィス vol.6

皆さま、こんにちは。
ルーヴィスの福井です。
最終回は2015年から新たに始めた「カリアゲ」というサービスについてお話します。

僕がこの仕事を始めた理由は以前お話ししましたが、
「家具は直せば価値が上がるのに、不動産はなんでだめなんだろう?」
という疑問があったからで、賃貸物件の空室をどうやって減らしていくかが、
自分の中で最も興味のあることのひとつでした。

この10年間いくつもの賃貸物件にたずさわる機会を得て、
リノベーションは空室改善に効果的な手法であることを確信しましたが、
空き家は統計調査ごとに増え続けており、
現在は東京都でも約81.3万戸の空き家があります。
空き家が社会問題化している昨今でも、
オーナーの不安である「こんなに古い物件を直して本当に入居者がいるかの?」とか
「数百万もかけて、資金は回収できるのか?」という疑問は拭い去ることはできず、
建物の老朽化や費用負担がオーナーの大きな不安となっているならば、
そのリスクをこちらで負うことにして、空き家を活用していこうと思い、
始めたのが「カリアゲ」というサービスです。

まず、このサービスは「築30年以上で1年以上空いている空き家」を対象にしたもので、
リノベーション後の想定賃料の42か月分(3年半)まで、
リノベーション費用を弊社で全額負担します。

その条件のもと、オーナーから借り上げ、入居者に転貸する取り組みです。
1年以上空いている空き家を対象としているのは
「1年以上空いている=打つ手がなく放置されてしまっている」と定義したためです。
現在の対象エリアは空き家が最も多い東京都内を対象としていますが、
少しずつ対象エリアは広げていこうと考えています。

第一号の「カリアゲ」についてお話ししていきます。
この物件は目黒区下目黒にある2階建ての空き家です。

元水路に面している、築年数不明の戸建。1階が住居で2階が下宿だったようです。

何年空いていたかもわかりませんが築年数は不明で、
この建物は元水路に面し、公道には面していないため、
建て替えることのできない、再建築不可の物件です。

建物は傾いていて、基礎と土台は白アリ被害や経年劣化で腐食し溶け落ちており、
建物自体が壁で支えられているような状態でした。
再建築不可物件が多くあるような住宅密集地において、
このような建物を放置し続けることは、建物倒壊のリスクがあり、
放置したまま空き家にしておくことは、放火による延焼など、
建物単体のリスクではなく地域全体のリスクとなっており、
第一号案件としては難易度が高いけれど、
モデルケースとしてはちょうどよく、チャレンジすることにしました。

解体前の1階です。傾きがあるものの、ある程度は綺麗な状態でした。

解体前の2階です。2階は4部屋に仕切られており、残置物も多く厳しい状態でした。

モデルケースとしては、ちょうどいいのですが、
実際のところ、放置された空き家の改修は結構大変です。
流通している不動産は古くても商品ですので、多少の劣化があったとしても管理されています。
空き家の場合は、ほぼ放置されてしまっているので、
建物に気を払う人が誰もいない状態のまま年数が経っていった結果、
見えないところからボロボロになり、内部へも影響が出てきます。
改修プロセスは以下の写真のとおりです。

内装は全解体しました。

ジャッキアップ:建物の傾きを補正するために、建物全体を1.5メートルほど持ち上げました。

柱を足して建物全体を補強しています。

断熱材が入っていなかったので、断熱材を敷き詰めています。

屋根もかなり厳しかったのではり替えます。

請負の場合は、クライアントの意向もあり、仕上げなど見栄えする所に
コストをかけることも多いのですが、今回は耐震や断熱など、
建物の基本性能をアップすることに重点を置いた結果、
仕上げにかけるコストが少なくなってしまったため、
本来見せ場になる部分は入居者に委ねることにしました。

決壊した鬼怒川の ドローン映像や航空写真を 国土地理院がWebで公開。 シェアも可能

記録的な豪雨によって、北関東、東北の大規模な範囲に
甚大な被害をもたらした台風18号。
茨城県では茨城県常総市の鬼怒川の堤防が決壊し、
大きな被害がありました。
被災された地域の皆様には、心からお見舞い申し上げます。

このたび、国土交通省の国土地理院が、
被害が大きい鬼怒川や西仁連川の破堤箇所を
ドローンで撮影した映像を公開しました。
カメラを搭載したドローンを対岸から飛行させて、
高度10mから撮影したもの。
機動力の高いドローンならではの迫力のある映像で、
その被害の大きさがわかります。

長島町副町長 井上貴至さん

地域の成功事例を積み上げていく

鹿児島県の北西部に位置する長島町。
長島本島ほか大小の島々からなる長島町で副町長を務める井上貴至さんは、
実は総務省から2015年4月に出向してきた官僚だ。
井上さんは長島町を「長島大陸」と呼ぶ。
「長島は海があって山があって大地がある。
そのなかで独自の文化や歴史が育まれていて、九州本土とも全然違うんです。
自然エネルギーも食糧自給率も100%を超えていて、出生率が2.0。
魚が日本一おいしくて、いいところですからぜひ来てください」
と、会うなり長島町の魅力をPRしてくれた。

長島町の針尾公園からの眺め。美しい島々の風景が広がる。

井上さんは大阪府出身の29歳。
緑が少ない土地で育ち、多くの企業が東京に進出していくのを見て、
地方行政にはもっと可能性があるのではないかと考えていた。
東京大学在学中、地方に行ってさまざまな現場を見て回る楽しさを知った。
大学を卒業して総務省に入り、1年目に愛知県の市町村課に派遣される。
そこでおもしろい地域の人たちに出会い、
「地域には隠れたヒーローがたくさんいるんだな」と感じ、
ますます地域の現場に入ることが好きになったという。
その後、東京に戻るが、週末にはあちこちの地域の現場を訪ねて回った。
「地域で活躍する人はホームグラウンドで最も輝くと思っています。
東京で総務省の官僚という立場で会うこともできますが、
それより現場に行くと深い話ができます。そこは大事だと思っています」

好きな場所には何度も何度も足を運ぶ。
徳島県の神山町や長野県の小布施町は何度訪ねたかわからない。
各地で得たことを、自分なりに考え、まとめてブログで発信してきた。
「地域のいい事例を自分だけのものにしないで、
広げて伝えていくことも大事だなと思ってブログを始めました。
いまの日本は本当にこれでいいのかなともやもやしたものがあったんですが、
震災があってはっきりしました。若手官僚で唯一、実名で書いているので、
いつお叱りを受けるかわかりませんが(笑)」

政府が地方創生を掲げるなか、井上さんは〈地方創生人材支援制度〉を提案。
地方創生に積極的に取り組む市町村に対し、意欲ある国家公務員や研究者などの人材を、
市町村長の補佐役として派遣するというもの。
そこで手を挙げた長島町に赴任してきたというわけだ。

「世の中をよくしていくときに、国は国で役割があると思っています。
いまのシステムや制度には理由があるし、そのしがらみを変えていくのは難しい。
それより地域で新しいものをつくって、小さな成功事例を積み重ねていって、
その輪を広げていくほうがうまくいくんじゃないかと思うんです。
地域には課題もたくさんありますが、それが見えやすいし、プレーヤーも見えやすい。
だから逆に解決しやすいとも言えます。
それと地域の問題は地域の人だけでは解決しにくい。
いろいろな役割の人が必要で、サッカーに例えると、
隣の人にパスしたりドリブルするだけでなく、ロングパスや鋭いパスも必要。
広い視野で俯瞰して、最適なところにパスできる人が、地域にはなかなかいないんです。
僕はより広い範囲にパスが出せるのが強みだと思っています」

食材が豊富な長島町で、井上さんが一番感動した食材のひとつというのがタコ。タコ漁も体験。

トヨオカム! ヒアリングジャーニー説明会、 次回は京都で開催

8月28日(金)に、東京で行われた、〈トヨオカム! ヒアリングジャーニー説明会〉。
兵庫県豊岡市への移住に興味がある人たちが集まって、
Iターン移住の先輩方を交えての意見交換会を行いました。

次回の説明会は〈ホテル アンテルーム京都〉で9月4日(金)に行われ、
その参加者を募集しています。
説明会応募フォームはこちら

東京会場の説明会では、
豊岡市の6地域(豊岡・城崎・出石・竹野・日高・但東)の紹介後に、
3名の移住者に、豊岡のどんなところに惹かれて移住をしたのか、
豊岡で転職を成功させた人はどんな仕事をしているのか、
それぞれプレゼンテーションをしていただきました。

豊岡と言えば「鞄のまち」。鞄づくりのアトリエ・ショップ・専門学校〈TOYOOKA KABAN ARTISAN AVENUE〉のマネージャー林 健太さん(大阪からのIターン移住者)のメッセージ。「地方にはチャンスだらけ。すべてを受け入れて楽しんでください!」

城崎温泉で歴史ある旅館〈山本屋〉を営む高宮浩之さん。豊岡に移住してから地ビールのブルワリーや飲食店も兼業しています。

豊岡が誇る有機米「こうのとり米」のおにぎりが振る舞われました。

さらに、移住の先輩を囲んで豊岡での暮らしについて尋ねました。
参加者からは、衣類品はどこで買う? 移住前と移住後では収入と支出はどう変わる?
など、生活に関わる鋭い質問が飛び交い、活発なディスカッションの場となりました。

移住検討者向け豊岡ツアー〈ヒアリングジャーニー〉も開催間近。
ヒアリングジャーニーでは、豊岡での居住環境を実際に見て回るとともに、
城崎温泉などの豊岡の名所もしっかり堪能できます。
気になる方は一度豊岡を訪れてみてはいかがでしょうか。

第1回 9月19日(土)〜21日(月)
第2回 9月25日(金)〜27日(日)

ヒアリングジャーニーの応募フォームはこちら

Information

ヒアリングジャーニー説明会 in 京都

ヒアリングジャーニーに参加希望の方は必ずご出席ください。
9月4日(金)18:30〜20:30 HOTEL ANTEROOM KYOTO
◯説明会概要
(1)トヨオカム!プロジェクト全体オリエンテーション
(2)What Is Toyooka?魅力紹介プレゼンテーション
(3)先輩移住者3人によるショートプレゼンテーション
「わたしが豊岡市に決めた理由」
(4)先輩移住者・ヒアリングパーティー
「先輩の生の声、じっくり聴こう。」※豊岡市の食のおもてなしもご用意しています。
(5)ヒアリングジャーニーのご説明
【説明会応募フォーム】
https://enq3.dstyleweb.com/orca/00511895

ヒアリングジャーニー

移住希望者向けの、豊岡市6地域の多様な魅力を体験できる2泊3日のプログラム。
第1回 9月19日(土)〜21日(月)
第2回 9月25日(金)〜27日(日)
参加資格:将来的に、地域へのU・Iターンを検討している方。豊岡市のことをよく知ってみたいと思う方。
プログラム参加費:無料
宿泊費・交通費:各自負担(※交通費補助上限1万円を支給)
【ヒアリングジャーニー応募フォーム】
https://enq3.dstyleweb.com/orca/99017961

3つの廃校が美術館に! 大地の芸術祭の飛び地として 始まった秋田県 「KAMIKOANIプロジェクト」

ただいま、秋田県上小阿仁(かみこあに)村にて
現代アートを中心とした約70作品を展示するアートプロジェクト
「KAMIKOANIプロジェクト秋田2015~ただ、ここに、在り続けたい。~」が
開催されています。期間は9月13日(日)までです。

このプロジェクトは2012年に、
新潟で盛り上がりを見せている「大地の芸術祭」の飛び地としてスタート。
村にある3つの旧小学校(旧沖田面小学校、旧八木沢分校、旧小沢田小学校)を 拠点にして、
秋田の自然やマタギ文化、そこに住む人々を表現した
インスタレーション、写真、絵、彫刻などの作品を中心に展示しています。

旧沖田面小学校。ふだんは村の施設として使っている。

旧小沢田小学校。マタギ文化を感じる彫刻がお出迎え。

各教室や廊下には美術館かのように作品が並ぶ。

かつて小学生が描いたり作ったりした作品と一緒に。

旧沖田面小学校と旧小沢田小学校の会場では、
廊下や教室に作品が並び、まるで変わった美術館にきたかのよう。
かつて通っていた小学生たちが残していった絵や
工作とともに一緒に眺めることができ、
静かでのんびりとした会場と、現代アートの違和感が楽しめます。

メイン会場となる八木沢集落(旧八木沢分校)は
村の奥地にあり、たった十数人が暮らす小さな里山集落。
細く長い一本道を抜けた先にふと現れます。
そこにはお店は1軒もなく、見えるのはいくつかの家屋と2つの橋、
そして美しく波打つ田んぼだけ。
奥には秋田が誇る天然杉がモリモリと生えていて、
緑のグラデーションが美しい光景がずっと続いています。

メイン会場では外の展示も。散策しながら作品を見つけるのが楽しい!

勝手に作る商店街サンド: 東京都・町田駅前ワークショップ編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。
必ずといっていいほど美味しいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。

今回は、老若男女が集う賑やかなまち、東京都町田市にやってきた。
実は商店街サンドを町田市でやるのは今回で2回目。(前回の様子はこちら
なぜ再訪することになったかというと、
「まちだ自慢ミーティング」という、町田市を応援する人たちが定期的に行っている会で、
商店街サンドを一緒にやってみたいとお声がかかったからだ。

まちだ自慢ミーティング会場は市役所。槇文彦さんという有名な建築家がデザインしたというモダンで自然がいっぱいの建物。できてまだ3年、ピカピカだ。

平均年齢60歳の「オトナ」たちと一緒に作る!

前回、埼玉県川口市でやってきたワークショップ(こちら)では、
平均年齢10歳くらいの子どもたちとサンドを作った。
それが今回はなんとその6倍の、
平均年齢約60歳の方々と一緒に作ることに。
時折奇声を発するような元気な子どもたちとのサンド作りも
どうなっちゃうのか心配だったけど、
今回の大人すぎるメンバーでのワークショップもどうなるのか予測不能だ。

急に振り切りすぎじゃないか、と驚きつつ
どんな違いが出るものか楽しみである。

今回の自慢ミーティングの目的は「自分たちで町田らしさを見つけよう」というもの。商店街サンドはその企画例として紹介された。

当日の参加者は17名。
市役所の方々の挨拶から始まり、
進行役の方によって今回の目的が説明された。
みんなで商店街サンドを体験して町田のまちをもっと知ること、
そして同じように、町田の魅力をほかの地域の人に知ってもらうアイデアを
自分たちでも考えてみよう、というものだ。

チーム分け

動きやすいように4~5人にチーム分け。その中に私も混ぜてもらった。

大人チーム3組と、30代までの若者チーム1組に分かれた。
私が入ったチームには
町田のまちづくりにたくさん関わっている方が複数いて、
町田への愛をさっそく感じた。
もちろん、純粋にサンド作りの企画を楽しみにして来てくれた方もいる。

ひとまずみんなで駅前へ。町田について知らないことがないのでは、というお母さん(井上さん)が積極的にお店を案内。

いざ買い物へ!

買い物の時間は1時間半と決め、ぞろぞろと駅前に向かった。
買うエリアは自由なのだけど、やはり食材は駅前に揃っているのだ。
なかには以前のミーティングで顔見知りの人もいるようだが、
初めて参加する人も多い様子。
それでも、町田をよく知る人たち同士なので
どの辺りに住んでいるのか聞いたりと話の取っ掛かりのハードルは低く、
会話を楽しみながら向かった。

賑やかなエリアにやってきた。一か所目は、みんなが薦めるあのお店へ。

「守屋精肉店」だ。ここのチャーシューは絶対入れなきゃ、と井上さん。

なくなっては困ると、なんと予約までしていた。店員さんが持っているのは井上さんからの差し入れの漬物である。この地元感がいい(私も帰りに漬物をいただいた)。

井上さんはこの日のために、わざわざ予約をしていた。
予約してしまうとは、さすが大人である。
行き当たりばったりで買うのが商店街サンドの楽しみのひとつではあるものの、
生まれてからずっと住んでいる町田の代表としてはどうしてもここのチャーシューを
入れたかったそうだ。
うん、気持ちはわかる。

ちなみに一緒にいたほかの男性も
「今日の帰りにここで肉買って帰ろうと思ってた」と言うほどだ、
こちらのお店は間違いなくおいしいのだろう。期待は高まる。

狭いながらたくさんのお店が詰まっている「仲見世商店街」でも買い物。ここはやっぱり外せない。

魚屋さんで煮付けや明太子、ズワイガニ入り卵焼きなどを購入。

歩きながら、住んでる人たちだからこそ見えてくるまちの様子を教えてくれた。
いまはダリア園の花がきれいでオススメとか、
どこそこの公園は散歩にちょうどいいとか、
市役所は週末開いてる日があって便利、
中野屋さんという老舗の和菓子はおいしい、などといいところをたくさん話してくれた。
さすがまちだ自慢サポーターだ。

散歩好きで地理に詳しい男性もいたりと、
地元の方と一緒に歩いているとディープな情報が入ってきておもしろい。

「ののみち」で 中央線の高架下が楽しくなった! 東京・武蔵境駅と東小金井駅の 高架下回遊歩行空間

昨年の冬、東京・武蔵野の武蔵境駅と東小金井駅の間に
オープンした高架下回遊歩行空間「ののみち」。
最近こちらにすてきなお店が集まり、沿線に住む方々の憩いの場になっているんです。

「ののみち」とは、
中央線高架下「ののわプロジェクト」の一環としてつくられた、
まちの回遊性向上をめざし、訪れる方が快適に歩くための歩行空間。
高架下にシェアサイクル「Suicle」のポートやカフェ、
保育園、クリニックなどが並んでいます。

特にすてきなお店が集まっているのが
東小金井駅の東エリアにあるコミュニティステーション東小金井。
こちらにはコミュニティスペース「ヒガコプレイス」や
5組のつくり手による工房併設のストア 「atelier tempo(アトリエテンポ)」
などが入っています。

「ヒガコプレイス」

「atelier tempo」

「ヒガコプレイス」の運営を行っているのは、
「エリアマガジンののわ」の創刊以来「ののわプロジェクト」にたずさわり、
コミュニティーステーション東小金井の企画を手がけてきた
クリエイティブカンパニー「リライト」さん。
「ヒガコプレイス」ではフリーペーパー専門店「ONLY FREE PAPER」の協力のもとに
フリペライブラリを運営するほか、
地域のクリエイターが主宰する学びの場「街の教室」など、
さまざまなイベントを企画しています。

自らリスクを負って、 まちに関わるということ。 WORKVISIONS vol.6

WORKVISIONS vol.6

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村 浩です。
vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5と話を進めてきましたが、
今回でいよいよ連載も最終回。
vol.1のワークヴィジョンズの東京オフィスのリノベーションの話から始まり、
vol.2では、初めて市民の方々との協働で取り組み、
ひとつの建物を越えて、
“まちのリノベーション”という考え方を意識した、
三重県の鳥羽のプロジェクトについて、
そしてvol.3以降は、
私の故郷佐賀のまちなか再生のプロセスを紹介してきました。
最終回では、これまでの経験を通じて、
ほんの少しみえてきた地方都市のにぎわい再生のコツのようなものを、
僕なりに整理をしてみたいと思います。

どうしたら、小さな小さな建物のリノベーションが、
大きなまちのリノベーションの物語につながっていい連鎖と循環をつくれるか。
そのヒントになるような話になれば、最終回らしい締めができるかな?(笑)
僕と同じように、
全国各地で故郷を元気にしようとがんばっている方々に向けて、
少しでも参考になればうれしいです。

自ら、まちのプレイヤーになる

ひとりの市民の方からの1本の電話をきっかけに、
かなり疎遠になっていた故郷佐賀に
東京から足を運ぶようになったのが2008年。
その後、佐賀市からの依頼で、
佐賀市のまちなか再生に取り組むようになって数年が経ち、
ありがたいことに佐賀でも民間の建築や
リノベーションの仕事もいただけるようになっていきました。
そうなると、僕やスタッフが東京から佐賀にうかがう頻度もかなり多くなるわけで、
当然のことながら、飛行機代や宿泊費なんかの経費が
びっくりするほどかかるようになりました(汗)。
これでも僕は一応経営者なので(笑)、
佐賀の仕事の経費削減に頭を悩ませることに……。
それを解決するための答えは、
東京とは別に佐賀にも仕事の拠点を持つことでした。
ここから、僕の2拠点での働き方が始まりました。
そこで、さっそくオフィスの場所探しから始めました。
まちなか再生に取り組むわけですから、希望はまちのど真ん中。

ところが、ネットで検索していてわかったことは、
佐賀でも意外に家賃が高いことと、
僕らのような小規模起業のスタイルに合う適当な広さの物件が
とても少ないということでした。
また、佐賀市のまちを歩くとシャッターだらけの状態にもかかわらず、
賃貸物件自体もとても少ない。
これにはいくつかの理由があって、
シャッターが閉まっていても不動産オーナーの方が奥に住んでいるとか、
知らない人に貸すのはめんどくさいと感じているとか、
相続関係の手続きが進んでいない……、
単純に貸し手と借り手のミスマッチだけではなさそうだということもわかりました。

そこで、最終的には空き地を借地して、〈わいわい!!コンテナ〉と同じように、
コンテナを使って、自分たちの場所をつくっちゃおう!
ということになりました。

それが佐賀市呉服元町に誕生した、
http://co-cotoco.jp/〉というスペースです。
ガラスの多い建物ですから、内部の様子が外からよく見え、
まちのにぎわいにもつながるしかけになっています。
僕も佐賀に行くと、気持ちのよい窓際で仕事をすることが多いのですが、
外からよく見えるので、知り合いが僕を見つけてよく立ち寄ってくれます。
ただ、おかげで、なかなか仕事がはかどらなくて
困ることもあるんですけど(笑)、とてもうれしいことです。

商店街の空き地を借地してつくったまちのタマリバ。

そして、これで僕も不動産オーナーになってしまったわけで、
当然、借金をして投資をして、この場所を得たわけですから、
お金を稼ぐことを考えなければなりません。
そこで、ここには、ワークヴィジョンズの佐賀オフィスのほか、
マチノシゴトバとしてのコワーキングスペースと、カフェを併設しました。

カフェとコワーキングスペースの様子。

また、さまざまなイベントや市民活動の場としても活用してもらっています。
COTOCO SAGA 215というスペースがまちに生まれて、
ようやく1年が過ぎたところですが、
人と人のつながりをつくり、
さまざまな市民活動やまちの情報が集まる場として、
少しずつ認知されてきたように思います。

さまざまな市民活動やイベントの様子。

子どもたちも遊びにくるようになってきた。

梶井基次郎「檸檬」でおなじみ、 「丸善 京都本店」がカフェ併設 の大型書店として復活!

明治5年にその歴史が始まった、書店「丸善」の京都支店(丸屋善吉店)。
明治40年、三条通麩屋町にオープンした「丸善」は、
梶井基次郎の小説『檸檬』の舞台として知られるところ。
主人公が、近くの八百屋で買ったレモンを丸善で並ぶ画集の上に
そっと置き、爆弾に見立てるというクライマックスに
登場しました。

丸善はその後、河原町通蛸薬師に移転し、
2005年、時代の波とともに惜しまれながら閉店しました。
閉店に際しては、積み上げられた本の上に、
レモンを乗せた絵柄の記念スタンプを設置。
小説「檸檬」の文庫本を購入される方も多く、
異例の1000冊の追加発注を行ったのだそう。
また、小説さながらに、店内にレモンをそっと置いて行く方も
いたのだそうです。

復活の「丸善 京都本店」

そんな歴史ある「丸善 京都本店」が2015年8月21日(金)、
10年の時を経て復活!
豊富な和書の品揃えに加え、カフェ・洋書・文具にも力を入れた店舗になります。
復活に際しては、店内にレモンを置くカゴを設置し、
新たなデザインの記念スタンプもご用意。
また、四条河原町の京都髙島屋地階の「八百一」および
「フルーツショップホソカワ」では、レモンのそばに、
丸善とレモンについてのPOPを設置。
「丸善にレモンを置きに行こう!」と呼びかけています。
小説『檸檬』の中で主人公がレモンを購入した
「八百卯」は2009年に閉店してしまったのだそう。

丸善 京都本店オリジナル「檸檬ノヲト」など、限定のオリジナルグッズも

また復活に際しては、グランドオープン記念キャンペーンとして、
「開店記念おすすめ文具セット」の販売や、
購入者様に数量限定でオリジナル文具のプレゼントもあります。

モフモフのアルパカが ウェディングをお祝い! 那須のリゾートホテルの 結婚式サービスにアルパカ登場

各施設がしのぎを削る、結婚式のサービス合戦。
栃木県那須の総合リゾートホテル「ホテルエピナール那須」では、
斬新なオプションサービス「アルパカによるリングボーイ」が行われ、
いま話題を呼んでいます!

「リングボーイ」とは、
欧米スタイルの挙式で行われる演出で、
男の子が結婚指輪を載せたリングピローを運ぶというもの。
この役を、真っ白なアルパカがやってくれるのだから
会場は盛り上がるコト間違いなしです。
7月に行われたこの演出がインターネットで話題となり、
海外の通信社にも報道されたことで、世界各地から
ホテルに問い合わせが入るようになったのだそう。

幸せいっぱい

日本の「良いもの」を瓶詰めにする TOKYO BINZUME CLUBが始動。 第一弾は愛媛みかん3種をギュッ!

日本全国の「良いもの」を瓶詰めにしていこうというプロジェクト
「TOKYO BINZUME CLUB」がスタートしました。

青果物の小売・卸や、野菜をつかった鮮やかなケータリングの提供、
さらに、全国の農家さんから直送された野菜が評判の
ビストロ「EDIBLE GARDEN」を運営している
東京の八百屋集団「Sunshine Grown」がプロデュース。
メンバーが全国で見つけてきた農家の野菜や果物など、
「良い素材」だけを瓶詰めにしていきます。

その第一弾めとなる瓶詰めが、愛媛県のみかん3種をブレンドした
「Mikan Juice(みかんジュース)」。

100%ストレートのMikan Juice(1500円/税抜き)。飾らないネーミングに自信を感じさせますね。

Mikan Juiceは、
愛媛県宇和島市で江戸時代から続く柑橘農家「大久保農園」と
共同開発したもの。
大久保農園がもつジュースの製造知識をいかし、
こだわりのブレンドが仕上がりました。
日本人にはお馴染みの甘い「うんしゅうみかん」に、
オレンジのようにサッパリとした「はれひめ」、
香りのよい「えひめかしだい28号」がギュっとつまっています。
こだわりは、甘さだけでなく、酸味もしっかり表現しているところ。
さらに、収穫時期を遅らせて完熟栽培させたというみかんは
一般のみかんよりも濃厚な味わいとなっているそうです。

収穫時期を樹上で遅らせることで、みかん自体の「コク」に違いが出ます。わかりやすくいうと「味が濃いみかん」になるそうです。

小さなリノベーションを 繰り返すことで、見えてくる都市。 403architecture [dajiba] vol.5

403architecture [dajiba] vol.5

第5回目となる今回は、浜松の中心市街地、ゆりのき通りにある〈三展ビル〉にて
〈EE〉というセレクトショップを営む、松尾龍一さんに話をうかがっています。
第1回を担当した、橋本健史がインタビューしてきました。

三展ビルには、第1回でインタビューした林さんの美容室〈enn〉、
EE、さらにもうひとつ手がけたプロジェクトがあるので、
僕たちのプロジェクトが合計3つも同居しているビルでもあります。

また、松尾さんは、三展ビルのリノベーションの前に、
僕らが浜松市内のマンションの一室をリノベーションした、
プロジェクト〈海老塚の段差〉に入居していたということもあって、
場所も人もさまざまにつながっています。

©kentahasegawa

「海老塚の段差」

不動産のマネージメント会社から依頼で、築40年のRC造3階建のマンションの一室をリノベーション。もともとは小さな4つの部屋にわかれていたが、壁をなくし、さらに床の半分を取り壊してスキップフロアのワンルームとした。天井高の高いフローリングのエリアと、一般的な天井高のコンクリート平板を敷き詰めたエリアがある。松尾さんが入居後は、セレクトショップ<EE>として、オープンしていた。

橋本: まずは僕らが〈海老塚の段差〉と呼んでいる、
物件に入居された経緯からお話いただけますか?

松尾: 結婚を機に夫婦ふたりで住むための部屋を探していたときに、
知り合いから「こんな物件があるよ」って教えてもらったのがきっかけかな。
普通に住むためだけの物件をいろいろ探してたんだけど、
まぁ、どこも変わり映えしないし、自分の気に入った家は、半ばあきらめてた。
でもあの物件を見たら、そのとき副業として、
週末だけカフェの一角で服を売ってたんだけど、
ここなら、店もやれるんじゃないかと思って。

入居前。©kentahasegawa

入居後。©kentahasegawa

橋本: じゃあ、最初から店舗兼住宅を探していたわけじゃなかったんですね。

松尾: そうだね。物件に出会って、思いついた。

橋本: 入居後、店舗用にいろいろご自分で手を入れてましたよね?
水道管を加工して、天井から吊り下げたハンガーラックとか。
天井に穴をあけて、ラックをつくるなんてかなりの技術が必要ですよ。

松尾: 入居初日から天井に穴を開けたら、上の階の人から怒られた(笑)。

橋本: 天井ってコンクリートですからね(笑)。
コンクリートとなると、専用の道具が必要ですけど、ハンマードリルとかは持ってたんですか?

松尾: ennの林さんに借りた。
ハンマードリルじゃなくて振動ドリルだったから、時間もかかるし音もすごいし。

橋本: あと、スキップフロアの下に設置していた、木の階段を移動させてましたよね。
あれって、もともとは床を支えてた梁材というか、大引っていうんですけど、
かなりしっかりした部材を切断して積み上げたものだったので、めちゃくちゃ重いんですよ。
プラン的に動かす可能性があるので、あえて床に固定はしてなかったんです。
ただ、つくってみたら重すぎで、誰も動かせないかもと思ってたんですが、
まさかスキップフロアの上に持ち上げられるとは予想外でした。

松尾: あれねえ、ほんとに重すぎて、俺うんこもらしたもん(笑)。

橋本: (笑)。

松尾: 超がんばったよ。

松尾さんが天井に取り付けた水道管のハンガーラック。移動した階段は、シューズディスプレイとして転用されている。©kentahasegawa

橋本: あと、寝室と店舗を仕切るカーテンも自作されてましたね。

松尾: もともとあったカーテンは、ちょっと透け気味だったから。

橋本: カーテンの奥が寝室になってましたからね。
初めてお店にうかがったときに、使いこなし方にはびっくりしました。
まずもって水道管をこんなに自由に扱えるというのは、
明らかに僕らよりも技術があるというか。カットしてちゃんとネジも切っていて……。

松尾: 水道管ラックのネジ切りは人に頼んだんだよ。
周りにそういうことをやってくれる業者さんがいるから。

橋本: はじめはスキップフロアの上のほうだけがお店で、
下のほうは住宅として使っていたじゃないですか。
その後、全体がお店になりましたよね。あれはなぜそうなったんですか?

松尾: だんだん販売スペースが手狭になってきたのと、
住むスペースとしてもやっぱりちょっと狭かったから。
そしたらちょうど、弟夫婦が住んでた、実家の隣の一軒家が
まるまる空いたっていうのもあって、住む場所だけ引っ越した。

橋本: なるほど。マンションの一室で、洋服屋さんをやるっていうのは、
この辺だとあんまりないっていうか、駅から車で15分とやや離れてますし、
知ってる人じゃないとまず行けない場所でしたけど、そのあたりはどう考えてましたか?

松尾: もともと浜松で雇われで服屋さんをやってたから浜松のお客さんが多いんだけど、
浜松のあと、車で40分くらいの掛川市のカフェで、週末営業していて。
それでもまぁまぁ浜松から来てくれた。
そういう経験があったから、どこでもいいってわけじゃないけど、
アクセスのよさよりは、おもしろいとこでやるのがいいんじゃないかと思って。
雇われてたときは路面店だったんだけど、
そのあとカフェの一角でやって、マンションでやって、
いまここは2階だしね。あんまり誰でも入りやすいような感じにはしたくなくて。

©yoichirosuzuki

橋本: ふらっと入ってくる人はほとんどいないっていうか、
基本的には知り合いが来る感じですよね。

松尾: まぁ、そんなにウチで扱ってる服って、安いとは思わないし、
やっぱり誰かからの紹介で来る場合のほうが、買ってくれる確立も高いわけ。
お店も狭かったから、あんまり回転させるというイメージがなくて、
それだったらじっくりひとりひとり接客したいなと。

ennは、美容院だし基本1対1じゃない。
ああいう感じで、予約こそしないけど、
かなりプライベート感のある空間にしたかったというのはある。
あと、あそこはキッチンもあったから、
そういう商品も扱って、生活空間が見せられるからこその提案もできたし。

©kentahasegawa

橋本: 洋服を売るお店として使う場合、キッチンがあると邪魔になりそうなものですが、
逆にキッチン関連の商品も扱うようにするっていう発想がすごいですよね。

僕としても、使われている状況を見たときは相当衝撃的で。
というのも、海老塚の段差では、段差の上にあたるコンクリート平板を敷き詰めたところと、
段差の下の天井高の高いフローリングの場所とをつくっているんですが、
これがそれぞれどういう使われ方をするかは、一応いろいろ想定しているわけです。
ダイニングテーブルを配置するならこういうパターン、
SOHOとしてデスクが置かれるならこういう感じとか、
ベッドはどちらにも置くパターンがありえるとか。

基本は住むことが前提で、プラスアルファで仕事をしたり、
なにかものをつくったりする人が入ることを想定はしていたんですが、
実際に使われている状況は、想像をまったく超えていて。まさか店を開いちゃうとは。

入居前。写真右のコンクリート平板の下は、収納スペースになっている。©kentahasegawa

松尾: そうなんだ(笑)。あの場所だから、お店ができるなと思ったんだけどね。

橋本: そうなんです。
そういう、使い手が空間から影響を受けることによって何か発想が起きて、
その使い手の想像力に影響を受けて、またつくり手が新しい発想を得るというのが、
健全な関係というか。使いたい通りにつくらせるとか、つくった通りに使わせるとか、
そういう一方的なものではなくて、空間を通したコミュニケーションが起こることが、
創造的なことだと思うんですよ。

海老塚の段差から出て、ここ三展ビルに移転して来たのは、どういう理由からですか?

松尾: 正直、別に全然出ようと思ってなかったんだけど、
三展ビルが空いたってennの林さんに聞いて。
それまでも何回かennをイベントで使わせてもらったりしてたから、
お客さんにも場所にもなじみがあったし、
〈海老塚の段差〉が手狭になってきたっていうのもあったから。
家賃的なこととかも林さんがかけあってくれたり。
それだったら、移転してみようかなと。
三展ビルの雰囲気とか、ennの内装とかは好きだったけど、
まさか自分が入るとは思ってなかったけどね。

橋本: そうして僕らに設計を依頼していただいてできたのが、
この〈三展の天井〉なわけですね。
インテリア全体をつくり込んでいくというよりは、バックルームをどうつくるか、
という相談って感じでしたね。それ以外は、結構入れ変わるし、
什器もご自分で選んだものがあるからと。

©kentahasegawa

「三展の天井」

古いRC造のビル〈三展ビル〉にある、セレクトショップ。30ミリ角の木材とスチール角パイプが格子状に組まれ、天井から吊られている。バックルームとしてストックなどを収納するほか、ハンガーを直接かけたり、照明の取付、配線スペース、ディスプレイのガイドなど、入れ替わりの激しい店舗としての運営をサポートする。

アートで東北支援する 〈リボーンアートフェスティバル〉 小林武史の「つくる」後編

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震災後の復興のなかで

音楽プロデューサー小林武史さん。
小林さんはいま新しいプロジェクトに着手した。
その名も〈リボーンアートフェスティバル〉。
“アート”で“東北支援”する音楽&地域再生のイベントである。
いったい何を“つくる”のか。小林さんにその概要を聞いてみた。

「東北でアートフェスティバルをやろうというのは、構想からいうと3年になるんですよ。
アーティストはいろんな循環のなかで、宇宙でも何にでも、
つながりでつくれる自由を持っているわけじゃないですか。
その場所に来て、祭りの中のひとつの作品として、
そこにメッセージを込める役割を担える自由がある。
僕はそういうことを取り戻す場所、取り戻すきっかけになる祭りにしたいと思ったんですよね」

その背景には東北の“復興”とはなにか? という問いかけがあった。
3年の沈黙のなかで、小林武史さんは着々とその構想を膨らませていく。

「震災後、僕ら〈ap bank〉としても東北でボランティア活動を続けていたのですが、
アベノミクス以降、特に復興需要によって
仙台市とかめちゃくちゃ景気のいいまちに変貌するわけです。
日本で一番景気がいい、土地もどんどん上がっていくし……。
だけど、ちょっと離れて石巻とかでは、人口流出が止まらない。
人口流出というのはもちろん過疎のまちはどこも世界的な問題です。
都市に集まろうとして地域が疲弊していくっていうことがあるにしても、
それでもやっぱり10年くらい早回ししたって言われるくらい
カーブが急上昇していっているんですよ。
いまもそうなんですよ。福島のことを言い出したら、
これはまた全然違う話になるレベルで人口流出が起こっているわけですが」

そういうなかで“復興”ということを声高に言ってみて、
何が“復興”なのか? ということになるでしょう。
だから僕らは新潟の〈大地の芸術祭〉という北川フラムさんたちが行う
地域づくりの芸術祭の因子を僕らはもらって、
地域を足下から支えていく芸術祭をしたいと思ったのです」

〈大地の芸術祭〉は越後妻有の里山を舞台に開催される芸術祭。
その総合プロデューサーの北川フラムさんも今回、
〈リボーンアートフェスティバル〉の顧問として参加されている。
地域とアーティストが協働してこの地域の魅力をあらためて発見し、広く発信することで、
多くの人々がこの地域のことを知り、そして訪れる、そんな芸術祭を目指すという。

〈ap bank〉は、音楽プロデューサーの小林武史と、Mr.Childrenの櫻井和寿に、坂本龍一氏を加えた3名が拠出した資金をもとに、2003年に設立され、〈ap bank fes〉などさまざまな活動を行ってきた。そして2017年、東北を舞台にした芸術祭〈Reborn-Art Fes〉を石巻市と共に行う。写真は〈ap bank fes11〉 写真提供:ap bank

太陽の光と循環のフェスティバル

「“太陽の光と循環”ということが僕らのテーマになっています。
そもそも地球の自転だって何だって、太陽のおかげでしょう」と小林さん。

「ピカピカ光る都市があるけれども、その影みたいな場所にも命は宿っているし、
むしろ本質がそこで失われていないと言えることがたくさんあるんですよね。
太陽生物としての営みが、都市のピカピカでない影の部分に宿っている。
それが現代アートとか世界のいろんな感性とつながっていったり、
音楽とつながっていくことによって、人の思いや人のつながり、
感性のつながりができるんじゃないか。そういうことをやろうとしているわけです」

〈Reborn-Art Fes〉は「人の生きる術を蘇らせ取り戻すことにある」という。
それを〈Reborn-Art〉と名づけ、食や住や経済などの生活の技、アートや音楽やデザインの美の技、
地域の伝統と生活の叡智の技などとして、
さまざまな領域における〈Reborn-Art〉を発見—再発見しようという試みである。

2011年つま恋で開催された〈ap bank fes11〉での竹あかり。電気のピカピカではない、ほのかな光が会場を包んだ。〈ap bank fes11〉ではイベント収益金のすべてを東日本大震災の復興支援に充てている。 写真提供:ap bank

東北とのつながり

そもそもの東北とのつながりはどんなところからだろうか。
「2009年の新潟の震災で〈ap bank〉が炊き出しに行きました。
その時のチームやノウハウが〈ap bank〉や〈kurkku〉にあったから、
2011年の311の直後、1週間も経ってないうちにとにかく石巻に入ったんです。
最初は南三陸の気仙沼・石巻に入ったんですよ。でも石巻が一番複雑に傷んでいて。
石巻専修大学がグラウンドを開放してくれたので、ピースボートと組んで支援をしました。
僕らはそこで100人くらいでテントを張って、何か月間か東京からバスを出して、
ボランティア活動を支えていたりしていたんですよね。それが縁です。
若い人たちを中心にいろんな新しい復興のトライアルがあったんですよね。
なかでも〈ISHINOMAKI 2.0〉というチームがには地元の人もいますし、
東京に住んでいる人たちも絡んでいたりします。
松村豪太くんという代表理事がわれわれのフェスティバルを地域で支えるリーダーになったんです。
自分たちが主体となってやっていくという思いに、まずに火が点いた。
つながりをつくりながら、僕らの思いを相談していった。それは行政でも同じですけど、
復興して、仮設住宅からちゃんと住めるようになっても、
そのあとどのように暮らしていくのかという問題があります。
あとは外とどのようにつながっていくのかということが、絶対に問われてくるから、
そこに対して僕らがいま考えている構想が、
すごく有効なのではないかということを言っていたわけです」

牡鹿半島の浜の交流会での小林武史さん。地域とのつながりから〈Reborn-Art Fes〉がつくられていく。 写真提供:ap bank

牡鹿半島の浜の交流会では、採れたての牡蠣やあら汁など地元の豊富な魚介類がふんだんに振る舞われた。 写真提供:ap bank

若手クリエイターは家賃0円! 360°にクリエイターがいる 住まい「360&365creators」

石川県金沢市の郊外にあるマンションにて、
若手クリエイターへ0円の住まいを提供する
「360&365creators(サンロクゼロ・サン ロクゴ クリエイターズ)」
というプロジェクトがはじまります。

これは、学生を中心とした若手クリエイターに
0円で住まいを提供する代わりに、
金沢の企業から0円でデザインの仕事を引き受けてもらうというもの。
学生はクリエイターとして成長し、企業はデザインのクオリティ向上が望めます。

デザイン料0円となったら、依頼が集中してしまうのでは?と心配になりますが、
デザイン換算費が本来の家賃を超える場合は、差額を支払ってもらえるそう。

このプロジェクトが目指すのは、
360°にクリエイターがいる住まいをつくることと、
クリエイターが365日クリエイターでいられる空間をつくること。

ここに暮らすクリエイターたちがお互いを高め合い、
クライアントからの依頼を通じて
一緒に成長していけるコミュニティを築いていきたいのだとか。

『土祭 2015』 益子の風土を受け継ぎ、 新たな祭りをつくる この土地で生きることの祭り

9月13日(日)〜28日(月)、
栃木県益子町にて「土祭(ひじさい)」が開催されます。
益子は関東平野の北東、八溝山地の南端に位置する、
農業と焼きもののまち。
縄文・弥生期の住居跡が残り、
民藝運動の拠点となった土地でもあります。

土祭は、そんな古代より人のいとなみが重ねられてきたまち、益子で
9月の新月から月が満ちる、15日間のあいだに開催されるお祭り。
「土祭」という名は、古代の土や泥の呼び方のひとつ
「ヒジ・ヒヂ」に由来しているそう。
第1回土祭の総合プロデューサーであった故・馬場浩史さんと
旧知の文筆家・武田好史さんの発案によって名づけられました。

今年は環境デザイナーの廣瀬俊介さんを土祭風土形成ディレクターに迎え、
地域の60代から80代の方からお話を聞くなど、
さまざまな角度からリサーチを行い、
町づくり・地域づくりにつながる祭りを構想していくそう。
「この土地で生きることの祭り」をテーマに、
44人の作家による展示や、陶器や農産物などが並ぶ市場、
演劇、映像上映、演奏会、トークショー、ワークショップなどが開催されます。

展示の見どころは、旧濱田庄司邸で開催される展示「益子の原土を継ぐ」。
益子で採れる原土を用いて、
陶芸家・染織家・日本画家・左官、計24名が新しい表現に挑戦します。
民藝運動の創始者のひとり、
濱田庄司さんが暮らした茅葺の邸宅もゆっくり見たい!

中古ビルの セルフリノベーションをサポート。 家族でつくる個性光る家。 ルーヴィス vol.5

ルーヴィス vol.5

みなさま、こんにちは。ルーヴィスの福井です。
今回は〈途中の家〉と名付けた、
現在も進行中のプロジェクトについて
施主のメッセージも交えながら紹介します。

このプロジェクトが始まったのは、2012年の夏頃だと記憶しています。

ある日、まだ20代だった高田陽介さん、尚子さんご夫婦が事務所に相談に来ました。
「RC地下1階地上3階建の事務所ビルを買ったのでリノベーションしたい」
いつもの相談と少し違ったのは
「自分たちでできる限りDIYしながらやりたいので、
できない部分をお願いしたい」ということでした。

その頃、“塗装は自分たちでやりたい!”というクライアントも増えていた時期。
ただ、日常の関係で挫折してしまう人も多く、
一瞬、不安を覚えましたが、陽介さんと尚子さんは、
初回の打ち合わせで自分たちが子どもの頃から思い描いていた
理想の家をものすごい熱意で話してくれました。
背景をうかがっていくと、陽介さんの両親は、
「理想の住まいを追い求めているうちにセルフビルドで一軒家を建ててしまった」方たち。
さらに、尚子さんは、
「子どもの頃に読んだ『三匹の子豚』の物語が忘れられず、
ひとつずつレンガを積んで家を建てるのが夢」と言います。
とにかく「自分たちの住む家は、自分たちの手でつくりたい!」
という熱意は人一倍感じたのを覚えています。
ふたりのあまりの熱意に
「なんとかなるんじゃないですか?」と返事をしたものの、
少し半信半疑だったのも正直なところでした。

工務店というのは現場を管理するのはもちろんですが、
工程どおりに職人を現場で動かしつつ、
クライアントが求める日までに適正なクオリティで
工事を完了して引き渡すことが求められます。
施主が通しで工事に参加することは、
スケジュール通りに工事が進行しないリスクを受け入れることになります。
直前で工程をリスケすることは職人の生活にも直結します。

どのような取り組み方がいいのかを考えた結果、
「施主と工務店の工事区分をしっかりとしたうえで、完成を前提としない」ことにしました。
当時、工務店が工期を明確にしないというのは、
建設業者として社会的には、疑念を抱かれるかもと思っていましたが、
高田夫妻の理想を実現するために、
そのリスクを負い、竣工しないことを肯定することにしました。
施主が途中でリタイアして、職人を入れたとしても費用が莫大に増えない、
もしくはあとからでも施主が対応可能な仕様を
仕上げとして逆算しながらプランを考えました。

工事スタート

陽介さんと尚子さんの「自分たちでできる限りDIYしたい」という話を信頼し、
まずはふたりに解体をお願いしました。

「壊すことから始まった家づくり。壁の石膏ボードはコンクリートの躯体にがっちりと接着されていて、開始早々苦戦を強いられることに」(陽介さん)

「学校の教室に貼ってありそうなプラスチックのタイルは、ペッカーという見たこともない機材をレンタルしてひたすら削り取りました」(尚子さん)

「大量に出た瓦礫を外に運び出す作業は、想像以上に重労働でした……」(陽介さん)

「躯体のコンクリートの素材感が気に入った部分は、壁をつくり直すのを止めて、グラインダーで表面を整えたまま内装として残すことにしました」(陽介さん)

慣れない解体作業に苦闘するふたりの様子は、facebookにアップされていき、
僕らは見守るだけでした。

「真夏の解体作業は過酷でしたが、
丸裸の家を見れたおかげでどこに何がついているかよくわかりました。
それに“夢のマイホーム”だからと言って買ったまま大事にとっておく必要はなくて、
むしろ家も暮らしの道具だと思ってどんどん使い込めばいいんだ、
と割り切った気持ちでスタートできたのはよかったと思います」(陽介さん)

解体作業終了まで、もうすぐ。

正直、解体作業って大変です。
粉塵まみれになるし、ケガもしやすい。
特に夏場は汗に粉塵がまとわりついて不快指数も上がります。
陽介さんと尚子さんのfacebookの写真を見て、
「もしかして、このふたりならこのままいけるかも」と僕は思い始めていました。

さらに驚いたのは陽介さんのお父さんのプロ並みの技術です。
多少スケジュールがずれたりもしましたが、
こちら側の工程進行に支障がないように少しずつ確実に進んでいくのです。

「すごく心強かったのが父の存在。僕の父は、母と力を合わせて独学でマイホームを建ててしまった“家づくりの師匠”とも呼べる人です」(陽介さん)

「壁の下地を組み、断熱材を入れて、石膏ボードを貼る。そういった内装の基礎はすべてお父さんに教わりながら進めていきました」(尚子さん)

「父に工具の使い方を教わっているときは、
子どもの頃に戻ったようでちょっと懐かしい気分でした」(陽介さん)

「父に教わりながら、リビングのフローリング用に合板で捨て張りをしていきます」(陽介さん)

荒川区がアフリカの町に!? 泥染めワークショップや交流会で アフリカを知る 「アラカワ・アフリカ6」

東京都荒川区で、たくさんの「アフリカ」を
感じることができるのをご存知でしょうか。

荒川区にはむかし、アフリカからの働き手が多くいたそうで、
今でもアフリカの布専門店があったり、
アフリカで仕事をしている日本人の拠点となっていたりするそうです。
また、アフリカの方を荒川区に連れて行くと
道幅がナイロビと似ていると感じるそうで、
生活の中にもちょっとした共通点が見えるのだとか。

そういった、荒川区にある「アフリカ」を掘り起こし、
アートや文化を通してより深く新しいアフリカを知るプロジェクト
『アラカワ・アフリカ』が8月17日(月)~8月23日(日)に開催します!

昨年の料理教室の様子。アフリカの伝統料理を一緒に作りました。

第6回目となる今回は、
頭の上にいろいろなモノを乗せて外で撮影し、
新しい人間のシルエットを楽しむ「頭の上の展覧会」や、
老舗のエクステ・ブラックヘアサロンの店長さんにアフリカ風の編みこみを教わったり、
綿の織り布に好きなデザインを描いて
コースターや鍋敷きを作る「泥染め」のワークショップを開催。

「頭の上の展覧会」はアフリカの頭上運搬から着想。ワークショップや展示会があります。

こちらは泥染めワークショップの作品。

歴史ある銀行建築の再生から始まった、新しい地域づくり。 一般社団法人ノオト vol.04

一般社団法人ノオト vol.04

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオトの星野新治です。
vol.1に引き続いて担当します。

今回は兵庫県豊岡市の中心市街地を舞台として、
歴史的建築物の再生から動き出す、地域づくりについてお話していきます。

北但大震災から復興したまち、豊岡。

豊岡市は兵庫県北部に位置する但馬地域の中心都市で、
国の天然記念物「コウノトリ」を再生し、共に暮らすまちとして全国的に知られています。
そのほか、風情ある外湯めぐりの「城崎温泉」や、
歴史的城下町の景観が残る出石地区などの観光名所から、
地場産業の「カバン製造」など、さまざまな顔を持っています。
そして何よりも、カニなど日本海の海の幸から、神戸牛のルーツである但馬牛、
豊かな土壌が育む農産物までが揃う「豊かな食の宝庫」のまちです。

兵庫県立コウノトの郷公園で行われているコウノトリの飼育。

城崎温泉のまち並み。

多様な魅力を持つ豊岡ですが、
実は今から90年前、1925年の北但大震災により、壊滅的な被害を受けました。

M6.8・最大震度6の巨大地震は、
豊岡市街地や城崎を中心に、大半の建物が焼失するなどの被害をもたらしました。
現在の豊岡や城崎は、その壊滅的な状況から復興して築いてきた、
大切な「まち並み」や「生業」なのです。

当時の人々は復興に際して、
災害に強いまちを目指して、道路拡大や耐火建築の促進に取り組み、
復興建築として鉄筋コンクリートの建物が数多く建設されました。

そのひとつとして1934年に建てられたのが、〈兵庫県農工銀行豊岡支店〉です。
当時の洋風建築の要素を取り入れた、ルネッサンススタイルの重厚な銀行建築で、
長年の間銀行として活躍したのち、市役所の南庁舎別館として利用されていました。
登録有形文化財にも登録されている「近代化遺産」です。

その古き良き建築物を未来へつなげ、新たな地域づくりの拠点として再生する、
それが〈豊岡1925〉のプロジェクトです。

1934年に建設された兵庫県農工銀行豊岡支店の竣工当時の外観。

兵庫県農工銀行豊岡支店の竣工当時の内観。

復興建築から、新たな地域拠点へ。

豊岡1925のプロジェクトは、2012年にスタートしました。

開発の手法は、vol.3でご紹介した朝来市の〈旧木村酒造場 EN〉と同様に、
新しい公民連携の仕組みが取り入れられました。

豊岡市が施設の整備計画を公募し、運営事業者が選定されます。
その整備計画に基づいて、市は、施設整備(設計/工事)を実施。
そして、管理運営は、選定された運営事業者が整備計画に基づいて実施する、
という方式です。

豊岡1925の整備運営手法(豊岡市HP「豊岡市役所南庁舎 運営事業者の募集」より作成)。

豊岡市は2012年10月に運営事業者の公募を開始。
その結果、ノオトの提案が採用運営者として選定されました。

ホテル、レストラン&カフェ、ショップ、ギャラリーなど
市民や観光客をはじめとしたさまざまな人々が、
交流・観光拠点として気軽に利用できるような新しい用途を加えながら、
収益も確保できるような、持続可能な機能を持たせることで、
歴史ある建築を次の時代へつなげていく試みを提案しました。

また、お菓子の神として古事記や日本書記にも記されている、
〈田道間守(タジマノモリ)〉が祀られる総本社・中嶋神社が豊岡にあることから、
スイーツショップを設置し「お菓子のまち」としての要素を取り入れました。

リノベーションにあたっては、
当時の銀行建築の古き良き趣をできるだけ生かすように、
天高の高い窓口・ホール部分は、開放感のあるカフェやスイーツショップとして、
趣のある執務室は、宿泊施設やレストランの個室などとして、
重厚な金庫は、ギャラリーや倉庫として活用しています。

そして、2014年4月に〈豊岡1925〉としてオープンしました。

豊岡1925の外観。

豊岡1925のスイーツショップとカフェ。

豊岡1925のホテル客室。

『さっぽろ八月祭 2015』 スーツでも浴衣でも、 全員参加大歓迎! みんなでつくるお祭り

8月7日(金)、8日(土)、札幌市北3条広場(アカプラ)に新しいお祭りが誕生します。
その名も「さっぽろ八月祭」。
昨年、札幌国際芸術祭2014で開催された
「フェスティバルFUKUSHIMA!北3条広場で盆踊り」を引き継ぐお祭りです。
昨年の盆踊りがあまりにも盛り上がったため、
新たなお祭りとしてスタートすることになったのだそう。

札幌国際芸術祭(SIAF)2014での実施風景 撮影 ハレバレシャシン

札幌国際芸術祭(SIAF)2014での実施風景 撮影 ハレバレシャシン

札幌国際芸術祭(SIAF)2014での実施風景 撮影 ハレバレシャシン

今年は市民の皆さんはもちろん、
オフィス街で働く人たちもおどり出してしまうような、
全員参加大歓迎の盆踊りを目指しているとか。

別府の商店街で営業中! 大分のオススメ品を揃えた、 大分ブランド 「Oita Made」専門店

コロカル商店でもご紹介している、
大分県産品を紹介するブランド「Oita Made」は、
大分県じゅうをめぐって見つけた生産者、
素材・商品を「Oita Madeブランド」として
紹介するプロジェクト。
大分県内でとれたものを主原料に、
地元で暮らす人々が手仕事で
丁寧に仕上げた品物を現代的なパッケージに包んでいます。

そんな「Oita Made」のショップが、
大分県別府市にありました!
別府銀座商店街の「platform02」に、
専門店「Oita Made Shop」として、
2015年1月にオープンしたんです。
空き店舗をリノベーションしたスタイリッシュなお店に、
「Oita Made」のアイテムが、
親切な解説とともに並んでいます。

ウインドウには「Oita Made」のロゴが

豊富な品ぞろえ

説明も充実

MORIUMIUS(モリウミアス)

雄勝で始まる、MORI(森)とUMI(海)、そしてUS(明日・私たち)

石巻市雄勝。平成の大合併で町から市となり、宮城県の北東に位置するまちだ。
名産は雄勝硯(おがつすずり)。国内90%のシェアを誇る硯石が採掘され、
書道で使う硯に限らず、食器や装飾品などさまざまな品に加工される。
また、海の幸山の幸も豊富で、海ではカキやホタテ、ホヤ、銀鮭の養殖、
平野ではササニシキが育つなど、第一次産業がまちの支えとなっている。
そして、ここもまた東日本大震災の大きな被害を被った地である。
約600棟あった沿岸部の民家は津波にさらわれ、
まちの8割の建物を倒壊させた。高台への移転は難航しており、
人口は震災前の4分の1にまで減ってしまったのだという。

そんな雄勝の東の先端にある旧桑浜小学校は、
2002年の閉校までのおよそ90年間で500名以上の卒業生を送り出してきた
歴史ある小学校である。少子化により閉校となったその桑浜小学校を、
「体験型宿泊施設」として蘇らせ、2015年7月18日にオープンを迎えるのが、
〈MORIUMIUS〉だ。

読んで字のごとく、MORI(森)とUMI(海)、
そしてUSには明日と私たち(US)がかけられている。
数日間にわたる集団生活を通して、
農業体験、林業体験、漁業水産体験といった第一次産業の職業体験ができる。
ガイドはそれぞれの分野の地元のプロフェッショナルたち。
一次産業従事者との交流を通じて、“食育”、“教育”から
さらに深いところへ踏み込んだ、子どもたちにとって忘れられない体験になるだろう。
施設内には食事や宿泊場、風呂も完備。
小学生から中学生を体験の主な対象としているが、
企業研修やゼミ合宿、アーティストによるレジデンスなどの
大人たちの利用にも対応している。

運営団体である、公益社団法人〈sweet treat 311〉理事の油井元太郎さんは、
豊洲のキッズパーク〈キッザニア〉を日本で展開した会社の立ち上げメンバーだ。
“子ども”と“職業体験”というキーワードをここ雄勝で拡張させた。
ただし、キッザニアと大きく異なるのが、
MORIUMIUSは宿泊施設を有する複合的な体験施設であるということ。
建物の大規模修繕も初めてのことだった。
「2013年4月にこの学校を取得してから、
利用についてのワークショップなどを経て大規模な改修作業が始まりました。
まさにイチからの改修です」
建築家・隈研吾氏はじめスタンフォード大の学生などがデザイン企画をしたり、
フィールドワークでは、90年間木造校舎を支えてきた力強い梁を見て、
隈氏をはじめとする建築関係者は、
その立派さや当時の雄勝の職人の技術に驚いていたのだという。
MORIUMIUSでも耐震補強もなされたうえで、梁を生かした設計となった。

約2年間の大プロジェクトには4500人を超すボランティアや企業・団体の協力があった。
地元の大工さんの指導のもと、解体の手伝いや、左官の手伝い、
屋根に用いた硯石の加工など、地域住民とうまく連携し合い、
完成の日を迎えた。
「循環」というのもひとつのテーマ。
浄化された水を更にきれいにするビオトープなど
サステナブル(持続可能)な社会を学ぶというのも意識している。
「子どもたちにはさまざまな体験を通じて自然の循環を学び、
その中で生きる力を身につけてほしいですね」と油井さんは話す。

公益社団法人sweet treat 311理事の油井元太郎さん(写真左)。代表理事の立花 貴さん(写真右)。立花さんは東洋経済社の「新世代リーダー50人」に選出された。

平屋造かと思いきや、2階部分もある。かつて校長室だった2階は、休憩室(サロン)のような役割に。

学校の面影を残す。卒業制作の彫刻や黒板もここが旧桑浜小であった記録だ。卒業生でなくてもここが懐かしい場所に思えてくる。

90年にわたって子どもたちを守ってきた梁や柱は現役続行。

高野誠鮮さん

失敗を恐れずにやってみる

限界集落を活性化させるために奮闘するスーパー公務員を描くTBS系のドラマ
『ナポレオンの村』(7月19日スタート)には、実在のモデルがいる。
『ローマ法王に米を食べさせた男』の著者でもある
石川県羽咋市の職員、高野誠鮮さんだ。
公務員とは思えない発想の豊かさと類い希な行動力で、
これまで数々のプロジェクトを成功させてきた。

高野さんは1996年、日本で初となる宇宙科学博物館
〈コスモアイル羽咋〉の創設に尽力し、
UFOのまちとして羽咋市のまちおこしを先導していた。
ところが2002年に農林水産課に異動、
宇宙とはまったく違う分野である農業に向き合うことに。
そして与えられたのは過疎高齢化集落の活性化と、農作物のブランド化という命題。
予算はほとんどない。普通だったらそこで腐ってしまうが、
高野さんは「やってやろう!」と思い立つ。
「できないと言われるとカチンときて心に火がつくんですよ。
どうしてできないと言うんだろう、こうすればできるんじゃないかと考えてみる。
失敗したらどうしようなんて考えません。
成功するまでやってみればいいという単純な考え方なんです」
と高野さんは笑う。

美しい棚田の風景が広がる神子原地区。石川県で一番大きい棚田だという。

一般的に、65歳以上の高齢者が人口の半数以上の割合を占める集落は
限界集落と呼ばれる。
能登半島の西の付け根に位置する羽咋市の神子原(みこはら)地区も
過疎高齢化が進む中山間地域で、いわゆる限界集落だった。
この神子原地区の活性化のための最初のプロジェクトが
2004年にスタートした「空き農地・空き農家情報バンク制度」。
過疎となった集落には空き家や耕作放棄地がたくさんある。
そこに新たな住民を招き入れる空き家バンク制度は、
いまでは全国の自治体が取り組み、珍しくはない。
ただ神子原では「来てください」と頭を下げるのではなく、
集落の人たちが新しい住民を面接して選抜するのだ。
よそ者を受け入れるのに厳しかった村の人たちも、
この人ならいいだろうと納得してから受け入れる。
そうやって迎えられた人たちは集落に本当に定着していくという。

人が集まるところに市が立つ。 状況が一気に好転するリアリティ。 WORKVISIONS vol.5

WORKVISIONS vol.5

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村 浩です。
vol.1vol.2vol.3vol.4に引き続き、佐賀のまちなか再生のお話です。

全6回なので、残すところ、あと2回。
vol.3vol.4では、まちなかの遊休地を地域の方々の手で
芝生の「原っぱ」に変えていくお話や、
中古の海上輸送用コンテナのリノベーションで、
まちなかに市民の活動の場をつくる、
「わいわい!!コンテナプロジェクト」について紹介をしてきましたが、
今回は、そういった「点」のしかけから、
佐賀のまちなか商店街が
少しずつ変わっていった様子を紹介したいと思います!

子どもたちの声がまちなかの雰囲気をがらっと変えた

前回紹介しましたが、わいわい!!コンテナプロジェクトも、
今年で5年目に入り、ようやく認知度も高まって、
子どもたちからお年寄りまで多様な世代の人々が
日常的に集まり、憩い、活動する場所になってきました。
特に、子どもたちが集まる場所になったことは、
なかなか元気のない商店街の雰囲気を大きく変えました。
地元新聞記事に掲載された小学生たちのコメントには、
「いままでは、学校が終わったら、
ゆめタウン(近くの大型ショッピングモール)に行っていたけど、
いまは、いつも友だちがいるここ(わいわい!!コンテナ)に来るようになった」
というような言葉がありました。

そうなんですよね。
いままで、まちなかに子どもたちが来なかったのは、
まちなかに居場所がなかっただけなんですよね。
安全で楽しい場所さえあれば、子どもたちも集まってくる。
子どもたちは、自分たちだけの楽しい場所を見つけるのが
とても上手なように思います。

そしてなにより、商店街が明るくなった!
車だらけの夜の飲み屋街になりつつあったまちなかの商店街が、
夕方学校が終わるころになると子どもたちの声がするようになったのです。
わいわい!!コンテナの中で、本を読んだり勉強をしたり、
外では芝生を走り回り、虫取り網でとんぼを追いかける子もいました。

子どもたちで賑わうわいわい!!コンテナ2。

ある日、みんなで芝生を張った原っぱで、
サッカーをやる子どもたちを偶然見かけたことがあります。
ここは、商店街のど真ん中です(笑)。
なんとも不思議な気持ちになりました。
そして、この話には続きがあります。
とてもいい風景だったので、僕も写真を撮ろうとした瞬間、
子どもたちが勢いよく蹴ったサッカーボールが、
柵を越えて隣の駐車場に飛び、運悪く車に“ボッコン”と……(汗)。
まちなかの空き地、そんなに広くはないから、仕方ないですよね。
そして、残念ながら僕のカメラのシャッターが捉えたのは、
サッカーの様子ではなく、ばつの悪そうな子どもたち(笑)。

まちのど真ん中の商店街でサッカーを楽しんでいる(はずの)子どもたち。

そんな子どもたちのサッカー顛末を見ていて、
実は少し懐かしい気持ちになりました。
僕らも子どもの頃、家の近くの空き地で野球をやっていて、
お隣さんの庭にボールが入ってしまったり、
時にはガラスを割ってしまって、
思いっきり怒られたりしたことがありました。
おそらく、僕と同じ世代の方々は、
「そうそう!」と頷かれているんじゃないかと思います。
今や、住んでいる人が少なくなってしまった中心市街地ですが、
昔は、みんなまちなかに住み、
そして空き地は子どもたちの大切な遊び場だったんですよね。
子どもたちの周りには必ず大人が見守っていて、
そこに自然に地域の濃厚なコミュニティが存在していたわけです。

佐賀市のまちなかに生まれた、わいわい!!コンテナと原っぱは、
まちの中に昔ながらの人々の活動とコミュニティを
取り戻すきっかけになっているように思います。

古いビルの1室につくられた 宙に浮かぶゲストルーム。 403architecture [dajiba] vol.4

403architecture [dajiba] vol.4 
「自分のため」の空間を「誰かのため」に開くこと

第4回は、辻 琢磨がインタビュアーを務めます。
僕らの最新プロジェクトが、2015年4月に竣工した「鍵屋の階段」。
アトリエだった場所を、ゲストルームとしても使えるように改修しました。
今回は、その施主であるマシュー・ライアンさんにお話をうかがいます。
オーストラリア出身のマシューさん。
浜松のカルチャーの発信拠点として、
シェアオフィスやショップが入る築40年以上のカギヤビル(vol.3に登場)は、
かつては、空き室だらけでした。
地元不動産によるリニューアルを契機に、
カギヤビルに入居したマシューさんは、
4階の約25平方メートルのワンルームを自らのDIYで改修し、
映像制作などの創作活動をしたりしていました。

英会話教室も開いていましたが、
基本はマシューさん自身のためのアトリエ空間。
でも、浜松のまちの人との交流が始まるようになったことで、
この部屋をもっと多くの人を呼び込めるゲストルームとしても使えないかと
マシューさんは考え、僕らdajibaに相談がきたのです。
もともとマシューさんがDIYでつくり上げた空間はとてもすばらしいもので、
そこを生かすには、どんなゲストルームをつくればよいのか……
議論を重ねていくうちに、設計が決まるまでに要した期間はなんと7か月。
でもおかげで、お互いが納得いく空間となりました。

「鍵屋の階段/The Stairs of Kagiya」

築40年以上経つコンクリート造の共同ビルの1室の、ゲストルームへの改修計画。
コンクリートの既存の梁から箱形の空間を吊ることで、下部には無柱空間ができ、
箱の中には寝室となるロフトスペースが生まれている。

カギヤビルにつくった居心地のよいアトリエ。

辻: そもそもなんで、この小さな空間に、
ゲストルームをつくりたいと思ったの?

マシュー: iN HAMAMATSU.COMという、
浜松の観光プロモーションサイト運営に携わっているから、
観光に興味があったというのはあるんだけど、
中国にいたときにユースホステルを運営していた経験があって、
屋上でパーティしたり、
いろいろな人とのコミュニケーションが生まれていた。
何かそういうことをつなげたいとも思っていたんだ。

辻: なるほど。中国に数年いて、中国語も話せるんだったよね。
そもそもマシューはどんな縁で浜松に来たの?

マシュー: オーストラリアには、大学までいて。
そのときは、芸術史を専攻していたよ。
あと、お金を貯めてヨーロッパへたくさん旅行もした。
本物は本より大事なんだ。
オーストラリアでは、全部本の中でしか歴史に触れられなくてさ、
すべてのオーストラリアの建物は200歳より若くて、古い建物がない。
日本にあるお寺は600歳だったりするわけでしょう。
実際に、経験することで物事は本当に理解できるから、
僕にとって旅は、教育そのものだよ。

辻: それは僕も感じるよ。それで紆余曲折あって中国にたどり着いたと。
そこで今の奥さん(マシューの奥さんは日本人)と出会って、
日本に来ることになったんだよね?
でも、カギヤビルのこの部屋はどうして借りようと思ったの?
自分で決めたわけでしょう?

マシュー: ただ気に入ったんだよ。
僕が入った2012年頃は、ちょうど丸八不動産株式会社
平野啓介さん(第6回インタビュー予定)たちがカギヤビルを買った直後で。
それまであった昔ながらの喫茶店や洋服屋さんはいくつか入っていたけど、
ほかは空っぽのビルだった。

辻: リニューアルしてから、
マシューが最初の入居者ってことなの?

マシュー: 新規では、そうだね。
でも、浜松出身の写真家・若木信吾さんがオーナーを務める、
本屋「ブックスアンドプリンツ」と同じくらいじゃないかな。
ブックスアンドプリンツは、すばらしい場所だね。

マシュー: 僕は今まで、この部屋をアトリエや
英会話レッスンのためのスタジオに使っていたんだ。
最初は、コンクリートで囲まれた何もない空間だったけど、
英会話教室をするのに必要だったし、
自分でクリエイティブな活動をしたいのもあって、
DIYで部屋をつくり始めたんだ。

おかげでここは、僕の空間でとてもリラックスできる。
ここにいて、何かつくって、何か読んで。それだけで居心地がいい。
自分の「家」は子どももいて、とても忙しいからというのもあるけど(笑)。

でも、当時若木さんがよく来てくれたことは大きかったなぁ。
いつもおもしろい話をしてくれて。彼は英語も話せるし、会話がうまい。
インターナショナルなセンスがあって、いい関係を築けているよ。

そのときに彼が連れて来る知り合いがおもしろい人ばかりで、
教わったり、刺激をもらったり、次のものをつくって、また次をつくって、
と続けているうちに、空間ができあがっていって。
まずは、床を貼ることから始めたんだけど、
それから、西日が強かったからカーテン替わりにいい感じの布を窓に設えたり、
大きなテーブルをつくったり。
何でも描ける黒板を壁にかけたり、
あとは自分の好きな雑誌や作品やレコードが少しずつ増えていった感じで、
気づいたらできてた(笑)。

辻: 僕らより全然DIY上手いよ(笑)。
床の張り方も目地をずらして工夫しているし、
DIYでつくるところとそうでないところをしっかり見極めている。
素材の選び方のセンスもとってもいい。
この空間に散りばめられている家具、
レコードや昔の雑誌といった小物に至るまで、
古いものもあれば新しいものもあって、
でもなんとなく統一感がある、それがマシューらしさを表現していると思うな。

マシュー: とにかく、この部屋を通していろんなおもしろい人たちに出会った。
特に、まちの新しい使い方を見つけてくれた、
Camp Garden」のイベントはおもしろかったな。
カギヤビルの屋上でキャンプ場を皆でつくってたやつね。
そこで、初めてdajibaとも会ったんだと思う。 
そのときはdajibaが建築家なのかもわからなかったけど。

Camp Gardenの様子。403architecuture [dajiba]やennの林さん(vol.1に登場)、手打ち蕎麦naruの石田さん(vol.2に登場)、ブックスアンドプリンツの広報・写真家でもある中村陽一さんらが恊働して運営したイベント。2013年9月に開催された。©yo-ichi nakamura(BOOKS AND PRINTS)

辻: Camp Gardenを通して、
浜松の人たちとの交流が一層深まっていったんだね。

マシュー: そうだね。みんなフラッとこの部屋にやってくるんだよね。
例えば、ブックスアンドプリンツの中村陽一さんも、ただここに来て、
何も言わずに帰っていくような人でね。会話なく。僕も仕事して帰る。

でも、僕はここにいつもいるわけじゃないし、
いなかったら、ただのデッドスペースにもなるわけでしょう。
もっと生きた、みんなにとってもいい空間の使い方があるんじゃないかって。

辻: 自分で、自分のためにつくったはずの空間を、
まちに開いていくことの可能性を感じたんだね。