間伐材を有効利用する アトラクションも! 福井県池田町 に日本最大の冒険の森 「Tree Picnic Adventure IKEDA」 2016年春オープン!!

2016年春、福井県池田町に「Tree Picnic Adventure IKEDA」が
オープンします。
これは、池田町の山林に出現する日本最大の冒険の森!
登場するアトラクションは、山の尾根を滑走する〈メガジップライン〉や
森のジャングルジム〈アドベンチャーパーク〉など、遊びごたえたっぷりです。

池田町は町土の約92%が森林で、足羽杉の産地として知られ、
下池田地区には樹齢100年を超える杉の美林があります。
かつては林業の町として栄えていましたが、国内の林業は衰退の一途をたどり、
池田町においても森林資源の利用が減少していました。
そこで、森の再生と伐採した間伐材の利用をする「木望のまち プロジェクト」を推進。
まちの活性化とともに、子供たちが森や木々に触れあいながら遊び、
学ぶことができる木育施策を行っています。
このような状況の中で木や森の新たな価値を創造しようと
創りあげるのが、この冒険の森というわけです。

〈Tree Picnic Adventure IKEDA〉

〈メガジップライン〉

こちらがメインアトラクションの〈メガジップライン〉。
山の尾根(標高339m)からスタートし、
2つの谷を越えて往路480m・復路510mを滑走します。
この距離は日本最長!
さらに高さも20階建てのビルに相当する、地上高60m。
鳥の視点で志津原の森の上空から壮大さや美しさを見渡せます。
お一人でなく、友人やカップルで同時に飛ぶことができるのも楽しい!

〈アドベンチャーパーク〉

そしてこちらは樹上に広がる森のジャングルジム、
〈アドベンチャーパーク〉。
コースは、
樹上の38エレメントに挑戦するディスカバリーコース、
のんびりツリーハウスでくつろぐピクニックコース、
幼児向けのキッズコース、
木のクライミングを楽しむツリークライムコース
の4つ。
その他にも、ゆったりと森の時間を楽しめるアウトドアエリアを完備。
コテージ(8棟)、バーベキューハウス、キャンプ場、
散策道やテラスカフェなど充実です。

ピクニックコース(ツリーハウスや樹上ハンモックでゆっくり寛ぐコース)

音楽も地域も生活も、 “ものの見方”を変えたなら。 豊嶋秀樹 後編

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アーティストの違う側面が見られるイベント

〈gm projects〉の豊嶋秀樹さんは、多くの地方で、
さまざまなワークショップやイベントを開催している。
なかでも豊嶋さんらしいところは、
これまでのアート活動の人脈で培ったアーティストやクリエイターが
ふんだんに登場することだ。

「アーティストやクリエイターって、専門の職能だけではなく、
違うことをやったとしてもおもしろい人が多いんです。
だから、いろいろな役割で関わってもらうようにしています」

だから、できあがるものはアート作品でも展覧会でもなく、
音楽イベントであったり、ワークショップの集まった学校形式だったりする。

今回参加させてもらったワークショップで、開催前の挨拶をする豊嶋秀樹さん(左)とミュージシャンの坂口修一郎さん(右)。

例えば〈岩木遠足〉。
青森の岩木山麓で育まれた風土や文化を体験する遠足型のイベントで、
2009年から13年にかけて行われた。ねぷた製作の現場やこけしの工人、
縄文遺跡などを訪れ、マタギ体験も行った。
それらの場所にはバスで向かうのだが、
そのバスガイドがクリエイターやアーティストだったりする。
バスガイド役とはいえ、話す内容は自分のこと。
この移動がレクチャーの時間になっているのだ。
最近ではこのイベントをまとめた
『岩木遠足 人と生活をめぐる、26人のストーリー』(青幻舎)を
上梓したばかりでもある。

例えば〈津金一日学校〉。
山梨県北杜市で開催されたイベントで、
今は使われなくなってしまった木造校舎に1日だけの登校日をつくった。

「僕は教育者ではないので、普通に子どもたちに教えることはできないし、意味がない。
自分の小学生時代を振り返ってみると、授業の内容よりもむしろ、
おもしろい先生がいたという記憶が鮮明に残っているんです。
だから“おもしろい大人”に会える場所にしようと考えました。
そこで子どもたち30人の先生役として、
いろいろな意味でクリエイティブな人たちを招くことにしました」

参加したのは鉄割アルバトロスケットの戌井昭人さん、
珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝さん、サバイバル登山家の服部文祥さん、
音楽家のトウヤマタケオさんなど、多様な面々。
この日は授業参観日という設定にした。だから子どもたちを対象にしながらも、
後ろで大人たちも熱心に聴いているという入れ子構造だ。

「アーティストは作品で見せるのではなく、
先生として子どもたちにわかりやすく話さないといけません。
すると大人たちにも伝わりやすいのです」

参加した音楽ワークショップの会場となった〈森をひらくこと、T.O.D.A.〉。

例えば〈陸前高田ミーティング(つくる編)〉。
現地で何かをつくっている人を訪ねて回る、2泊3日の合宿スタイル。
仮設住宅で手芸を教えていたら自然とでき上がったコミュニティや、
英語で震災体験を綴っている人など、アーティストではなく普通の人を訪れた。

「震災ですべてを失いながらも、
何かをつくることで日々の自分自身をつなぎとめている人たちと直に出会うことが、
重要ではないかと思いました」

陸前高田ではかさ上げ工事を行っているが、
「盛り土を山から直接、長いベルトコンベアのようなもので運んできている」
というような壮絶な仕事。それも風景を“つくる”のひとつであり、みんなで見学した。

「手芸も別に発表することはなくて、ただつくっているだけ。
つくっているという行為と、つくっている時間に意味があるんです。
このように、つくることで生かされているという現状もあります。
つくることは、原始的なモチベーションに作用するんですね。
自分たちの“生きるをつくっている人たち”から、
“つくる”とは何か? ということを感じました」

富山県の日本酒を スマホアプリで検索。 102銘柄、約160種類をグラフで 紹介する〈一期一酒〉

いま、地域の観光資源として注目度の高まる”日本酒”。
全国にある蔵元は実に約1,500蔵。
その銘柄数は五千から一万にも及ぶと言われています。
それだけに、「どのお酒を選んでいいのかわからない」
「おいしいお酒を選べない」という理由から、
日本酒が敬遠されてしまうことも。
そんな日本酒ビギナーが日本酒を楽しむための
スマホアプリ、〈一期一酒(いちごいっしゅ)〉が
リリースされました。
これは、富山県内の15酒蔵がつくる日本酒を紹介するアプリ。
北陸地方で30年以上の実績を持つ出版社と、
富山県酒造協同組合が連携し作られました。

〈一期一酒(いちごいっしゅ)〉の特徴は、
日本酒を直感的に選ぶ仕掛けをしていること。
県内の各酒造から提供された膨大な日本酒銘柄データを
もとに開発した〈香味グラフ〉によって、
自分の好みの日本酒をシンプルかつ直感的に検索したり、
見た目から直感的に選ぶために〈画像検索〉をしたり。
日本酒ビギナーと日本酒が、セレンディピティ(=偶然の幸運)
によって、良き“一期一会”が出来ることを目的に作られているそう。
これから全国でもこうした取り組みが増えそうですね。

〈一期一酒(いちごいっしゅ)とやま〉

Android版

iPhone/iPad版

目線を変えることで 新しい働き方が生まれる。 豊嶋秀樹 前編

ゆるく連携した働き方

豊嶋秀樹さんは、〈岩木遠足〉や〈津金一日学校〉などの地域イベントを手がけてきた。
地域に人を集めて催しをすることは、今や珍しいことではないが、
豊嶋さんが手がけるイベントは、都会的なエッセンスがありながらも、
カタヒジはっていないような、なんだか独特の心地よい空気に包まれている。
その秘密を探るべく、まずはこれまでの略歴をうかがった。

「アーティスト志望で、アメリカの美術系大学に通いました。
当時から、製作していたものは絵画や彫刻というよりも、
インスタレーションやパフォーマンスアート。
状況自体を作品化したいという気持ちでした」

卒業後、日本に帰国。
大阪で、クリエティブユニット〈graf〉を立ち上げる前のメンバーたちと出会う。

「grafの初期メンバーたちは、デザイナーとか家具職人とかいろいろいました。
当時の僕は頭でっかちで、“アートが一番”と思っていました。
でも、みんなは生活にダイレクトに使える実用的なものをつくっているのに対して、
アートは使えないなと(笑)。
メンバー自身の嗜好を見ても、デザイン的なものだけでなく、
音楽も、食も、ファッションも好き。それって生活ですよね。
そういった出会いから、みんなで一緒に何かつくってみようと、grafが発足したんです」

福岡に移住したが、全国を飛び回っているという豊嶋秀樹さん。

豊嶋さんは、そのgrafから派生したgmというセクションを担当し、
展覧会を開催するなどアート的な活動に従事していく。
その部署を独立させるかたちで、現在の〈gm projects〉になった。
grafは同じ職種の集まりではなかったが、gm projectsも同様。
ウェブディレクター、家具職人など、バラバラの職種が集まっている。

「働きたい人が働きたい分量で働く。それぞれのライフステージに合わせた
自由なあり方でいることができて、つながりたいところは、
その都度、つながることができるという、
“イイトコドリ”な組織ができないか試していると思っています」

メンバーそれぞれは、自分の屋号やレーベルなどで活動していたり、
ほかの会社の会社員だったりもする。
これは、豊嶋さんとgm projectsの仲間なりの働き方や組織の実験でもある。

「おもしろい人は集まっているけど、ビジネスは集まっていません」

結局は人間関係。であれば、会社という組織である必要もない。
“人が集まる舞台があればいい。そこにいる人たちでやればいい”。
当初から持っていたそんな考えが、のちの豊嶋さんの活動のベースにもなっている。

豊嶋さんがディレクションしている那須にあるスペース、〈森をひらくこと、T.O.D.A.〉

アートと地域イベントの共通点

gm projectsとして独立してからも、固定の場所ではなくなったが、
アート活動を続けている。
それは作家としてだったり、空間構成やキュレーターだったりとさまざま。
しかし「どれも基本的な考え方は同じで、アウトプットの違いだけ」だという。

この流れで、地域に場をつくる活動も増えてきた。
例えば青森県の〈岩木遠足〉、山梨県の〈津金一日学校〉、
岩手県の〈陸前高田ミーティング(つくる編)〉。
これらは、これまで豊嶋さんが企画運営してきた
アートイベントやギャラリーなどと地続きであるという。
それは豊嶋さんがアートにのめり込んだ理由からわかる。

「アートは、物の見方を変えてくれるきっかけになっていることが多いと思うんです。
それがアートのおもしろいところだし、自分が興味があるのもそういう“アート”でした」

豊嶋さんにとって、アートは異世界に入っていく方法。
最近ハマっているという山登りにも、同じ効果があるという。

「八ケ岳の山頂から見下ろすと、物理的にパースペクティブを変えられてしまいますよね。
世界を旅することも、まるで違う異文化の価値観を突きつけられたりして、
衝撃を受けたり、興奮したりします」

物の見方を変えてくれるものは、豊嶋さんにとってはアートだったが、
こうした思考回路は、イベントにも応用できる。

発売中の『岩木遠足 人と生活をめぐる、26人のストーリー』。写真提供:gm projects

江戸時代の商家建築に生まれた まちのサンドイッチ屋さん。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.2

仏生山まちぐるみ旅館 vol.2 
大好きなパンづくりから生まれた店

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。
建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、
まち全体を旅館に見立てる、
〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを進めています。
まちぐるみ旅館にとって、仏生山温泉から徒歩数分のところに、
おいしいお店がオープンするのはとてもうれしい。
2014年、〈天満屋呉服店〉の隣にオープンした〈仏生山天満屋サンド〉もそのひとつです。

〈天満屋呉服店〉は江戸時代からある老舗です。
建物も江戸時代後期に建てられ、
その後増改築を繰り返しながら現在にいたっています。
法然寺を中心とした門前町である仏生山のなかでは、
代表的な商家建築です。南北に間口の長い木造2階建、
虫籠窓(むしこまど)や、南西の隅には鏝絵が施された“うだち”があり、
これまでの歴史を伝えるような趣ある店構えです。

リノベーションする前の天満屋呉服店外観。

リノベーションを行うまでは、
半分は呉服店として、
もう半分はご主人である佐藤誠治さん夫婦が洋服店を運営していました。

リノベーション前の洋服店だったときの内観。

今回のリノベーションはご両親が経営する呉服店はそのままにして、
佐藤さん夫婦の洋服店を
サンドイッチを提供するカフェにすることでした。

佐藤さんの奥さん、美香さんは、
おいしいものを食べるのが大好き。
とくにパンが好きで、洋服店を経営するかたわら、
ときどき自分自身でパンを焼いては近所にお裾分けをしていました。

そのうち、友人たちを通じて、パンがおいしいと評判になり、
友人を招いたパンの食事会や、注文を受けてつくったりしていました。
そういうことが数年続いたのち、
ある日、「えいっ」
と業態変更したのが、〈仏生山天満屋サンド〉の始まりです。

客人、暮らし、新旧の建物が寄り添うカフェ空間とは

リノベーションの計画を進めるにあたって、
最も大切にしたのは、
100年以上の時間を経た天満屋呉服店の既存の建物に
新しくつくられる空間がしっかり寄り添いながら、
これからの何十年かの時間を
共にしていける存在になれるかということでした。

淡路島ならではの 商品開発の現場を追う 淡路はたらくカタチ研究島 前編

2015年の〈淡路はたらくカタチ研究島〉はどんな商品を開発したか

淡路島の雇用創出を図るプロジェクト〈淡路はたらくカタチ研究島〉。
厚生労働省の委託事業として、2011年から事業がスタートし、
2013年からは、より実践的な取り組みが行われている。
島の豊かな地域資源を生かした家業・生業の起業や、
島内観光ツアーや商品開発をサポートするプロジェクトで、
起業に興味を持つ人、島内への移住を希望する人に、
“働く”こと、“仕事をつくる”ことをあらためて考えるきっかけを与えている。
島外からスーパーバイザーやアドバイザー、デザイナーを招き、
島という閉鎖的なイメージになりがちな立地を、オープンにしたことも評価され、
いまや、地方での仕事づくりや働き方のロールモデルとなっている。

この事業のひとつ「淡路島ならではの付加価値商品開発」は、
商品の企画開発からパッケージデザイン、試験販売までをワンストップで行い、
全国向けの販路開拓も積極的に行っている。
こうした開発のノウハウは島内の事業希望者に対して広く公開され、
地域に還元されているのも特徴だ。
昨年、コロカルでもその開発の様子をお伝えしたが、
今年も新たに4商品が開発され、
11月24日(火)より渋谷ヒカリエで商品発表会を行うということで、
昨年に引き続き商品開発の舞台となった淡路島を訪れた。

実践支援員のみなさん。左から竹下加奈子さん、藤澤晶子さん、大村明子さん、加藤賢一さん。

商品開発には12件の応募があり、平成27年度は4件が採択された。

・ 建材としての新しい瓦製品
・ 淡路島の花をとじこめた石けん
・ 淡路島産デュラム小麦の小麦粉
・ 島の自然素材で作った日用道具

この4件の開発の現場を知るために、淡路島中を巡った。

淡路瓦をシンプル&モダンに

淡路島は瓦の三大産地のひとつとして知られている。
特に、南あわじ市の津井は、約80社が集まる淡路島を代表する産地だ。
淡路瓦の特徴は、焼き上がりのあとに燻す工程があること。
燻すことで、表面は強く、耐久性を増し、
“いぶし銀”の由来の通りの鈍くて渋みのある銀色を帯びる。
いまだに島内の住宅の多くに使われているが、
家のデザインが西洋様式になってきたこと、屋根材の種類が豊富になってきて、
淡路瓦以外の選択肢を選ぶ人が増えたことに、関係者は危機感をもっていた。

瓦の窯元である〈株式会社タツミ〉の興津祐扶(ゆうすけ)さんもそのひとり。
「一般の人に使ってもらう機会が少なくなってきているので、
“瓦といえば昔ながらのもの”というイメージを払拭したいと思いました。
それに、タツミ一社だけではなく淡路の地場産業として、
淡路瓦の業界全体が上向きになってくれればと思い、企画書を出しました」
その企画が、「淡路瓦の建材としての利用」。
香川県高松市の仏生山温泉などで活躍する建築家岡 昇平さんと
家具のデザインを手がけるアンチポエムの松村亮平さんのふたりで
〈こんぶ製作所〉というユニット名でデザイナーとして開発に携わった。

「水を弾く、表面がかたいという利点からも、
エクステリアや床材としての利用も検討したのですが、
やはり屋根であってこその淡路瓦だろう、と。
しかし用途が屋根だけだと需要が少ないのも事実。
そこで、ひとつのパターンの瓦で、壁材としても、屋根材としても使えるような、
現代の感性に合った新しい和瓦をつくろうということになったのです」
と話すのは、実践支援員の竹下加奈子さん。

岡さん、松村さんの提案は「現代の建築に合うシンプル・モダンなデザインの瓦」。
湾曲しているのが定番の瓦を“あえてフラットに”というのは岡さんの発案だった。
さらに、薄いほうがモダンに見える、と瓦の薄さにもこだわった岡さん。
途中で割れるリスクもあり、薄く焼くのは熟練の職人でも難しかったと
興津さんも開発当初を振り返るが、「それでも企画や方向性を決めるのが
一番難しくて、試作は少なくて済みました」と言うから、
淡路島で育まれる確かな技術力があってのことだったのだろう。

淡路島の瓦産業はパーツごとに製造する完全分業制で、
タツミは、鬼瓦とのし瓦を専門につくっているが、
門や塀に使う小瓦だけ、軒の部分の瓦だけという工場(こうば)もある。
一棟の家の屋根を葺くのに、複数社のメーカーが関わる。
そのため“競合”というより“協業”の意識があり、強い連帯感を持つ。
それぞれのメーカーで製造しているものが違うので、不公平が出ないよう、
「特別な金型が必要でなく、どのメーカーでも製造できる瓦をつくる」ということも
クリアしなければならなかった。

こうしてできた瓦は、大きさいろいろ、厚みも選べて、幅も3種類用意した。
さらに、岡さんのリクエストにより、
はけ土と呼ばれる上塗りの土を塗らないようにしたことで、
経年変化しやすいうえに、色の焼きムラが出る。
昔は均一に焼くのがいい職人の仕事とされてきたが、
「この一枚一枚のムラが並べたときにかえっていい表情になる」のだと、
興津さんは言う。
模様は〈つるつる(フラット)〉と
縦方向に無数の線が入った〈しましま(スクラッチ)〉。
それぞれ1種類だけを使ってもいいし、
ミックスしてもスクラッチがほどよいアクセントとなってかっこいい。
何より、ランダムに並んだ瓦は陰影が美しい。
見る角度によって、銀色の濃さ、薄さ、スクラッチの強弱も異なり、
それも家の個性となる。そんな自由な使い道が新しい瓦は、
〈まちまち瓦〉と名づけられた。

屋根だけでなく、壁でも使える瓦。きめ細かないぶし銀が美しい。

器をつくるかのような瓦の制作風景。瓦の土もすべて淡路島で採れる。

実践支援員の竹下加奈子さんと、提案者の興津祐扶さん。

淡路島の花をぎゅっと詰め込んだ石けん

昨年度、淡路島の花々の香りを閉じ込めた
エッセンシャルオイル〈Suu(スウ)〉を開発したように、
淡路島と言えば“花”というイメージは強い。
特に、淡路島は県下一の花の産地で、大事な地域の産業となっている。
その淡路市でカレンデュラ(マリーゴールド)を栽培している花農家の廣田さんは、
はたらくカタチ研究島の研修で観賞用以外にもハーブとしての用途を知り、
無農薬栽培に一部切り替えた。
五色ふるさと振興公社による「菜の花ひまわりエコプロジェクト」のひまわり油と、
アイランド・ラベンダーのエッセンシャルオイルを閉じ込めた石けんは
〈Suu BOTANICAL SOAP〉という名になった。

デザインは、増永明子さん(マスナガデザイン部)。

石けんの原材料となるひまわり油の生産現場を案内してくれたのは、
洲本市役所の農政課でエコプロジェクトを推進する野口拓真さん。
油の食用以外での活用方法として、石けんの商品開発を提案した人でもある。
複合施設ウェルネスパーク五色の一角にある、
菜種油とひまわり油の搾油所と、バイオディーゼル燃料の精製所にうかがった。
10月の取材時にもまだ咲いていたひまわり。ひまわりって夏のものでは?
「菜の花(菜種)との二毛作の農家さんも多いので、いま咲いているひまわりは、
7月に種を蒔き、10月に咲き、10月後半から11月初旬に種を収穫するんです」
と野口さん。5月に種を蒔き、7月に咲くひまわりの花もあるが、
温暖で日照時間の長い淡路島だからこそできる、秋のひまわり。
なかには、無農薬で栽培する農家さんもいるのだという。

いいひまわりの種の条件は、かたくて大きいもの。
花をしっかり枯れさせて、その種を採取する。
種は90度で20分間焙煎してからゆっくりと搾油機で絞る。
残った油かすは肥料や飼料になり、“循環”していく。
もちろん、食用にしてもおいしいひまわり油。
あっさりしていて、油臭さがないのが特徴だ。
また、ビタミンEを多く含むことから、
健康の面からもひまわり油が見直されることが多いのだという。

“循環”といえばもうひとつ。
家庭で使い切ったひまわり油を含む食用油を回収し、
バイオディーゼルエンジン車の燃料用として精製。
市内を走るバス2台や、フォークリフトの燃料になっている。
年間1万5000リットルもの廃油を回収している、エコ最前線の市なのだ。

バイオディーゼル燃料で走るフォークリフトは車体もひまわり色。

Suu BOTANICAL SOAPの試作は2回。
無添加の石けんづくりを行う、兵庫県三木市の石けん製造会社へ依頼して、
火を入れず、石けんの反応熱のみを使い、
ビタミンなどの成分をできるかぎり残す、コールドプロセス製法でつくられた。
サンプルをつくっては関係者などに配り、
色や香り、使用感についてフィードバックをもらってできたのが、
カレンデュラの花びらが散りばめられた、見た目にもかわいらしい石けん。
ひまわり油とカレンデュラの保湿成分で、洗いあがりはしっとりとし、
ラベンダーが心地よく香る。
「太陽の恵みを、花を通じて石けんに閉じ込めました」と実践支援員の藤澤晶子さん。
淡路島の花を凝縮させたこの石けんは、実販売の機会をいまかいまかと待っている。

洲本市役所の野口拓真さん。BDF(バイオディーゼル燃料)の普及など、エコプロジェクトに取り組む。

よく枯れたひまわりとその種。今年は少し小粒なのだそう。

カレンデュラの花びら。石けんにたっぷり混ぜる。

淡路島産だから“アイランド・ラベンダー”と呼ばれる、香り高いラベンダー。

99%が輸入のアボカド。 生産量日本一を目指す 愛媛県松山市で、第1回 「日本アボカドサミット」開催

「森のバター」と呼ばれるほど栄養素が高く、
ビタミンやミネラルが豊富な果物、アボカド。
クリーミーでリッチな食感で女性を中心に人気を呼び、
日本国内での消費量が急速に伸びています。
しかし、日本ではほとんど生産されておらず
輸入が99%を占めているのだそう。

そんなアボカドを、他の地域に先駆けて、
日本一の産地化になろうと活動しているのが、
愛媛県の松山市。
市が苗木の供給や栽培指導等の支援を行い、
現在では市内で約70名の方がアボカドを栽培。
栽培面積では、現在日本一の3ヘクタールにまで拡大するなど、
全国有数のアボカド産地となっているんです!

そしてこのたび、松山市にて、
第1回「日本アボカドサミット」が開催。
日本の熱帯果樹指導の権威である米本仁巳さんや、
ハワイでアボカドの産地化や地産地消のプロジェクトに取り組むケン・ラブさん、
海外のアボカド料理コンクールで入賞経験を持つ
佐藤俊介さんらによる基調講演の他、
アボカド栽培に力を入れている鹿児島県、和歌山県が、
産地の現状を紹介。
その他、アボカドの品種の展示や、
アボカド料理人による料理紹介や試食もあります。

アボカドの輸入量は、
1993年には4,600トンだったものが、
2014年までの約20年間で5万7,600トンまで増加。
愛媛県では、従来の特産品で、
価格の低迷や、生産者の高齢化という問題を持つ
伊予柑や温州みかんに代わって、
栽培労力が少なく、単価の高いアボカドを
特産にしていく狙いがあるのだそう。
国産アボカド、ぜひ応援していきたいですね。

第1回「日本アボカドサミット」

日程:2015年11月26日(木)

時間:13:00~16:45(開場:12:00 / 開会:13:00)

会場:松山市総合コミュニティセンター キャメリアホール

住所:愛媛県松山市湊町7丁目5

ITベンチャーと自治体のコラボ。 武雄市・鹿島市・嬉野市にふれる 「知ろう、行こう、住もう、 佐賀フェスタin東京」

2015年10月に始まった、「知ろう、行こう、住もう佐賀プロジェクト」。
ITベンチャーの株式会社クラウドワークスと、
佐賀県、県内の武雄市、鹿島市、嬉野市の行政4団体、
民間4社が共同する移住喚起のための取り組みです。

この「知ろう、行こう、住もう佐賀プロジェクト」が、
来る11月22日(日)、東京でリアルイベントを開催。
「行こう、知ろう、住もう佐賀フェスタin東京」として、
佐賀県西部地域の風土や人々の暮らしの紹介、
各自治体による移住相談会の他、
クラウドソーシングを活用した佐賀県での新しい働き方と移住成功事例や、
佐賀県の魅力とスペース活用の可能性についてのトークイベント、
特産品の販売などを実施します。

浜宿 漬物蔵たぞう(鹿島市)

忍者村肥前夢街道(嬉野市)

「知ろう、行こう、住もう佐賀プロジェクト」では、
地域との接点創出を軸として、
「武雄市図書館」や鹿島市の「浜宿 東蔵」、
嬉野市の「忍者村肥前夢街道」など、佐賀県内の
文化財や公共施設などを会場に、「佐賀県に行きたい!」と
思えるようなイベントのアイデアを、
求人サイト「クラウドワークス」上で募集しました。

イベントでは、集まったアイデアの中から、
佐賀県西部地域での実際の開催を想定し、
県外からの集客が期待でき、
ユニークかつ実現性の高いイベント案を選定。
プロジェクト参加団体が選びぬいた10案に対し、
SNSを活用した公開事前投票を経て、
「知ろう、行こう、住もう、佐賀フェスタin東京」にて
最終選考会を行い、グランプリ並びに
3自治体(武雄市/鹿島市/嬉野市)による特別賞を決定します。

さらに本イベントでは、
佐賀県西部地域の風土や人々の暮らしの紹介、
佐賀県による就職相談会、
武雄市、嬉野市、鹿島市によるによる移住相談会の他、
クラウドソーシングを活用した佐賀県での新しい働き方と移住成功事例や、
佐賀県の魅力とスペース活用の可能性についてのトークイベント、
佐賀県のツアーを紹介するとともに行われる地酒試飲会、
特産品の販売など、同地域の「人」と「モノ」に触れ合う機会を提供なども。
事前申込なしでも入場可能ですが、
こちらより事前申込をいただいた方には、
粗品が進呈されます。

知ろう、行こう、住もう、佐賀フェスタin東京

日時:2015年11月22日(日)13:00~17:00(入退場自由)

会場:移住・交流ガーデン(東京都中央区京橋1丁目1-6越前屋ビル1F)

熊本のひっとでとらす人たちに 会いに行こう! 遊んで学んで、発見する2日間 「meet up! KUMAMOTO CITY」

11月21日(土)22日(日)、熊本市内にて
「meet up! KUMAMOTO CITY」が開催されます。

これは、熊本の“ひっとでとらす”人たちの案内で、
熊本市内のスポットを巡る、一泊二日のイベント。
(1パートのみの参加も可)

内容は、日本最南端のワイナリーのひとつ「熊本ワイン」の見学や、
「ちかけん工房」での竹あかりづくりワークショップ、
熊本在住のクリエイターとの交流会などなど!

“ひっとでとらす”とは熊本弁で“飛び出ている”という意味だそう。

サンワ工務店の山野潤一さん

今日のおやつ: サクサクサブレ「シラカボ」は 北海道美深町から。 地元産の小麦・南瓜・ 白樺樹液を使用

今日のおやつは、北海道美深町のパイサブレ「シラカボ」。
パイとサブレの中間のようなサックサクの食感で食べ応えありです。
お味は甘さ控えめで、洗練された印象。
地元の名物がふんだんに使われています。

生地には北海道を代表する小麦「ハルユタカ」を使い、
甘みが人気のかぼちゃ「クリユタカ」を練りこみました。
そして表面のアイシングには、
ミネラルなどが豊富に含まれる「白樺樹液」を使っているのが味の決め手。
パッケージもすごくおしゃれで、
おみやげにしても喜ばれることうけあいです。
お値段は、一箱7枚入1,000円(税込)となっています。

美深町は、北海道の北部、最北端の稚内と旭川の
まんなかぐらいに位置するまち。
寒暖差が大きいのが特徴で、麦の作付け北限地域でもあります。

こちら美深町から。白樺樹液が採れる、仁宇布地区にある滝。

勝手に作る商店街サンド: 島根県・隠岐の島町編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。
必ずといっていいほどおいしいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。

今回は、島根県の離島・隠岐の諸島にやってきた。

フェリーでいくと鬼太郎たちが出迎えてくれる。水木しげるさんの祖先が隠岐の島に縁があるらしく、鳥取県境港市の〈水木しげるロード〉同様、 隠岐の諸島にもあちこちに妖怪の像が設置されている。

隠岐の諸島は4つの有人島と約180の無人島からなっている。
海の浸食による奇岩や断崖絶壁が見られたり、島独自の進化をとげる動植物があったりと、
古代の姿を残す美しい島々だ。
その貴重さゆえ「世界ジオパーク」にも認定されている。
そのなかでも今回は、一番大きい有人島・島後(どうご)の
隠岐の島町でサンドを作ることにした。

隠岐の島町にきたら玉若酢命神社の〈八百杉〉は必見。樹齢約2000年。写真では伝わらないほどの迫力だ。

遊覧船やカヤックなどで海に出ると、奇岩がたくさん見られる。こちらは穴の形も変だが、周りにムンクの叫びのような顔がたくさん見えてこわい。

夕日がまるで灯火のように見える〈ロウソク島〉。高さ20メートルの細長い奇岩は、今も侵食を続けている。あと数十年後には見られなくなるかもしれない貴重な光景だ。ちなみにこの撮影ポイントまでは船が出ており、船長さんの操縦テクが見もの。

隠岐の島町でアノ人の末裔と作る!

また、隠岐の島といえばかつて島流しの地であったことでも知られている。
流されたのは高貴な身分の人が多く、
有名どころでは後鳥羽上皇、後醍醐天皇。
そして、絶世の美女と名高い小野小町の祖父、小野篁(おののたかむら)だ。
小野篁は高官であり百人一首にも出てくるような文人でもある。

と、なぜ小野篁について詳しく述べたかというと、
今回サンド作りにつきあってくれた井上靖之さんが
その小野篁と恋仲になった「門古那姫(あこなひめ)」の末裔だったからだ。
初めて聞く名前ばかりでピンとこないけど、きっと凄いにちがいない。

今回つきあってくれた隠岐の島町出身、隠岐観光協会の井上さん。小野篁とゆかりある方だ。

「子どものころは島を早く出たくて仕方なかった」という井上さん。
高校を卒業後に島を出たが最近になって自分の出自を知り、
思うところあって戻って来たそうだ。
フェリー乗り場からすぐ近くの〈愛の橋商店街〉を案内してもらいながら
一緒に食材をさがすことにした。

商店街は神社から始まり、食事どころがいくつか。そのあと花屋さん、靴屋さん、おもちゃ屋さん、クリーニング屋さんなどがポツポツと並ぶ。シャッターをおろす店も多い。

お酒を作る時に使うおいしい水の試飲ができるという酒屋さん。

漁港のまちなので魚屋さんもところどころにある。しかしとれた魚は島で消費しきれないため、ほとんど本島に出荷される。

生活用品や加工品を扱う商店を発見。しかしサンドに合いそうなものは見つけられず。

井上さんは今回の商店街サンドをやるにあたり、
食材が集められるかとても不安だったようだ。

魚介類はそのままではサンドに挟めないし、
大型スーパー(車でちょっと行くとある)や
商店に売っている加工品は本島のものが多い。
そして食事は自分の家でとる人がほとんどなので、
買ってその場で食べるようなお惣菜はあまりないのだという。

絶景が多く観光にはもってこいの島ではあるが、
食べ歩きができるようなザ・観光地というよりは
静かなまち、のんびりとしたまちといった感じのようだ。

瓶ビールや日本酒のパックが入っている自販機を発見。時が止まったかのようなお店がいくつか。

説得に3年。 元資材置き場が生まれ変わった。 〈KUHONJI GENERAL STORE〉 ASTER vol.1

ASTER vol.1
妄想を、最高のかたちにする。

みなさまはじめまして。ASTERの中川と申します。
僕たちASTERは熊本市を拠点に活動している内装屋です。
個人住宅、賃貸物件、店舗などのリノベーションを主に
デザイン、設計、施工まで行っています。

この連載では僕らがこれまで実際に関わってきた物件事例をベースに
僕らが思う熊本の魅力的な建物、場所、人を紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

まず初回なので僕が今の仕事をすることになった経緯と
今僕らで運営している店をつくった話をしたいと思います。

僕はもともと建築の知識や興味があったわけではありません。
二十歳ぐらいの頃、建設現場でのアルバイト経験をきっかけに、
その後熊本市内の新規オープンの家具屋へ就職しました。
はじめは家具の配送と接客をやっていて、
後に住宅のリフォームコーナーへ配属になりました。
この頃から内装にも徐々に興味がわいてきたのだと思います。

ようやく仕事にも慣れたころ、
実家から仕事を手伝ってくれとの連絡が。
僕の実家は熊本市内にある畳屋。
畳屋といってもつくるのではなく、
畳をつくる畳屋に材料を卸す畳資材の卸売業をやっていました。
内装工事部門もあり、そこの人手が足りないということで、
僕は実家に戻ることになりました。
まあ内装の仕事はインテリア関係だからいいかと。
それが現在のASTERです。

理想と現実のギャップ

戻ってきたからには、
やる気を出して頑張ろう! カッコいい空間をつくるぜ!
と奮起していましたが、そんな気合いは空回りしました。
当時の仕事は地場の工務店や不動産屋の下請け業務。
特に賃貸アパートの原状復帰がメインでカッコいい空間とはほど遠く、
どれも同じ内装ばかり。
毎日決まった同じ品番の壁紙の張り替えを、
職人さんへ依頼することが僕の仕事でした。
仕事だから文句は言えないけど、さすがにずっとそれじゃつまらない。
部屋に合わせて壁紙を選ぶことなど現在では当たり前ですが、
当時はもとの壁紙と同じ柄を探す行為が、唯一壁紙を選ぶというものでした。

いつか自分たちで自由に考えたカッコいい空間をつくってみたい。
でもやり方がわからない。
そんな想いを常に抱いて日々過ごしていました。

リノベーションとの出会い

たまに県外などへ行ったときはいろんなショップ巡りをするのが
当時の僕の楽しみでした。
そして2003年。
たまたま大阪のインテリアショップでみつけたフライヤーに
こんな言葉が書いてありました。
「STOCK×RENOVATION」
大阪を拠点に活動されている業界の先駆者、
〈アートアンドクラフト〉が開催していたリノベーション展のフライヤーでした。
古い空間が魅力的に改修されていて、とにかくカッコいい。
「コレばい!」と直感的に思い、冊子『STOCK×RENOVATION』も取り寄せました。

アートアンドクラフトが2003年に出版した『STOCK×RENOVATION』の冊子。

実家の仕事に違和感を感じていたなかで、
初めて知った“リノベーション”という方法。
「僕がやりたかったのはこんな空間づくりだ!」
と、リノベーションについてすぐに調べ始めました。
そうして知ったのがデザインだけでなく、
日本は欧米に比べ、家の平均寿命がとても短いことや、
年々空き家が増えて家が余っていることなど、
日本の住宅事情について、このとき初めて知りました。

そしてリノベーション事業の草分け会社である、
東京の〈ブルースタジオ〉を知り、
パイオニア的存在であるこの2社に憧れ、
このときをきっかけにただの内装会社から、
物件の価値を高めることができる
リノベーション専門の内装屋へなることを目指しました。

もちろん最初はほとんどリノベーションと言える仕事はなく、
内装の手直し工事やリフォームばかりでしたが、
目指すところがあると俄然日々の仕事もやる気がでます。
その後、徐々に熊本にもリノベーションという言葉が露出し始め、
2007年ごろから僕らも少しずつですが仕事の依頼が来るようになってきました。

僕らがリノベーションをするとき、
使用する建材やパーツに特にこだわります。
建材店や近くのホームセンターには好みの建材やパーツが売っていないこともあるので、
インターネットで建材をよく買っていました。
そしてスタッフとともにいつも言っていました。

「近くにこんなお店あったらいいよね」と。

それでだんだんと欲求が高まり、
僕らが使いたい建材やパーツをストックして置く場所がほしい。
いや、いっそのことショップにして販売もしよう!
と、自分たちの店をつくる目標ができ、熊本市内で突如物件探しが始まりました。

岩崎ビルとの出会い

僕らの事務所は熊本市内の九品寺というまちにあります。
熊本城やアーケードがある中心市街地から徒歩圏内にあり、
学校なども多いエリアです。
数年前、いつも通る道路で信号待ちをしていて、
ふと横を見ると、とても魅力的な建物が。
ずいぶん昔からあったようけど特に気に留めることもなかったビル。
ただじっくり見るとなんとも魅力的なビルでした。
築48年。RC造3階建で、建築資材屋さんが所有する〈岩崎ビル〉でした。

施工前の岩崎ビル外観

外壁に貼ってある渋いブラウンのタイルや
2階部分のスチールサッシなど
48年前の建材がそのまま残っている建物はほかにない味わいがあり、
ここで僕らの店ができたら最高だなと勝手に妄想が始まりました。
そうして僕は居ても立ってもいられず
大家さんのところへこの場所を貸してくれないかと交渉に行きました。

もともとは建材屋さんの資材置場だった。

“食と職”を 大切にした日常の沖縄 琉Q 後編

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観光ではない、沖縄の姿

〈琉Q(ルキュー)〉は、沖縄県産にこだわったブランド。
もともと障がい者就労支援のために生まれたブランドであるが、
商品のクオリティの高さから人気を博している。

海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、
パッションフルーツバター、塩パインバターなど、
名前を聞くだけでおなかが空いてきそうなものばかりだ。

「沖縄のイメージとなると、南国、海、青い空。
それらはもちろん素晴らしいのですが、日常的にいいものもたくさんあります。
それらを紹介していきたいというのが琉Qのコンセプトです」と話すのは、
仕掛け人のひとり〈沖縄広告〉の仲本博之さん。

できたて新鮮なアセローラジャム。

アートディレクターは渡邉良重さんと植原亮輔さんによる
デザインユニット〈KIGI〉に依頼した。
KIGIのことは、〈D-BROS〉のプロダクトを手がけていたことなどで知っていたという。

「沖縄で広告関係の仕事をしていると、
“ハイビスカスやシーサーを入れて青っぽく”というような発注が多いのです。
でも、沖縄に住んでいる僕からしてみると、意外と曇り空が多いことも知っています。
KIGIのいい意味でクールなデザインで、
外部からの沖縄のイメージではなく、普段の沖縄を表現したいと思ったんです。
まったく面識はありませんでしたが、突然連絡して熱意だけでお願いしました(笑)」

打ち合わせを重ねているうちに、
「沖縄もまだまだエキゾチックだし、わからない部分も多い」という話になった。
そこで生産者からの言葉をQ&Aというかたちで打ち出していこうとなった。
そこから〈琉Q〉というブランド名が生まれた。

ホームページもただ商品紹介をするに留まらず、ユニークな仕掛けになっている。
沖縄に関する素朴なQ=質問を県外の人から集め、
それに対して“しまんちゅ”が答えていく。
質問は観光スポットを尋ねるものや、ライフスタイルに関するものなど。
なかには「ニガイのが苦手ですが、ゴーヤーのおいしいレシピは?」というQに対して、
「暑いところに行ってください。自然に苦いゴーヤーを身体が欲します」という、
答えになっていないような厳しめの(!?)回答も。
通り一遍の観光的沖縄ではなく、
もっと生活に根づいているリアルな沖縄を感じてほしいという思いだ。

元気に育った塩パイン。

沖縄ならではの農作物から

実際に、人気商品である〈東村の塩パインバター〉の原料である
塩パイン農家のカナンスローファーム・依田啓示さんを訪れた。
那覇からかなり北上した、沖縄本島北部の東村にある。

塩パインとは、海水を与えながら育てたパイナップルのこと。
ここでは7種類のパイナップルを育てているが、
琉Qの塩パインバターに加工されているのは、スナックパインとスムースカイエンだ。
土からも海水を吸わせ、上からも海水をかける。
海水に含まれるミネラルが効果てきめんなのだ。少し小ぶりだが、甘味がとても強い。
もちろん化学肥料や農薬は一切使っていない。

カナンスローファームのハウス。パインのほかにもドラゴンフルーツもある。

パイナップルは真夏が最盛期。11月ごろになると酸味が出てくるというが、
加工品にはそのくらいの時期のものがいいらしい。
こうして加工された塩パインバターは、果肉もたっぷり、とてもやさしい甘さに仕上がる。

カナンスローファーム・依田啓示さん。

いま、地域をもりあげる 実践家が集結。トークイベント 「日本の未来をデザインする ローカル あたらしいアタマの使い方」が 江戸川大学で開催!

地域の資源を再発見し、
デザインの力でその魅力を再生しようとする動きが、
全国各地で活発になっていて、
さまざまなクリエイターが地域で活躍しています。
今回、コロカルでも取材しました鈴木輝隆先生をコーディネーターに、
グラフィックデザイナーの梅原 真さんなど、
各地域で地元をもりあげている方々が登場するトークイベントが
明日13:00から江戸川大学現代社会学科で開催されます。

同学科では、国土交通省「国土グランドデザイン2050」の課題に、
地方をもりあげている現場の実践から
夢のある日本の未来を見出だしたいとフォーラムを行います。
「日本の美意識は観光資源」をテーマに、
日本のデザインから継続的な地域活性かの実現を議論していきます。

明日のトークイベントは二部構成。
13:00〜梅原真さんの基調講演に、
14:20〜「日本の未来をデザインするローカル」をテーマに、
引き続き梅原さんに加え、
熱海の再生に取り組む〈NPO法人atamista〉代表理事の市来広一郎さん、
岩手県の八幡平で温泉の地熱を活用しさまざま取り組む、
〈企業組合 八幡平地熱活用プロジェクト〉代表の船橋慶延さん、
外国人バックパッカーに人気を博すゲストハウス〈あなごのねどこ〉を運営する、
〈NPO法人尾道空き家再生プロジェクト〉の神田太郎さん、
都市農村交流をテーマに新潟県・山古志村、宮城県の牡鹿半島など、研究に取り組む
江戸川大学講師の清野 隆さんの5名でローカルの未来について議論します。

八幡平地熱活用プロジェクトの、馬由来資源と地熱を活用した、オーガニックファーム・ジオファーム。

〈NPO法人尾道空き家再生プロジェクト〉のゲストハウス、あなごのねどこ。

3年間空き店舗だった場所をリノベーションしてできた熱海の新しい使い方・楽しみ方を考えていくまちづくり会社の運営するコミュニティカフェ〈CAFÉ RoCA〉。

現在、実践している方々の貴重なトークイベント。
リアルな地域の事情が聞けそうですね。
参加費無料なので、お近くの方はぜひ。

■江戸川大学現代フォーラム

「日本の未来をデザインするローカル あたらしいアタマの使い方」

11月3日(火・祝)

13:10〜14:20

梅原 真氏 基調後援『あたらしいアタマ」

14:20〜16:30

パネルディスカッション「日本の未来をデザインするローカル」

江戸川大学B棟1階メモリアルホール

住所 千葉県流山市駒木474

http://www.edogawa-u.ac.jp/

投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その2)。 一般社団法人ノオト vol.6

一般社団法人ノオト vol.6

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト理事 兼
株式会社NOTEリノベーション&デザイン代表取締役の藤原(ふじわら)です。
株式会社NOTEリノベーション&デザインは一般社団法人ノオトと
REVIC(株式会社 地域経済活性化支援機構)が出資するファンドのための
SPC(Special Purpose Company)です。

今回は、vol.5につづき、投資ファンドと古民家再生についてお話したいと思います。

日本初!〈篠山城下町ホテル NIPPONIA〉の取り組み

2015年10月3日にオープンしたばかりの篠山城下町ホテル NIPPONIA(ニッポニア)は
投資ファンドを使った古民家再生事業であると同時に
国家戦略特区を活用した日本初の取り組みです。
まずは、事業概要を簡単にご説明したいと思います。

NIPPONIAの4つのホテルのうちのひとつ、ホテルONAE(オナエ)棟の受付ロビー。

NIPPONIAの事業コンセプト
「我々が再生したのは宿やホテルではない。
日本の暮らし文化を体験するように泊まれる空間である。
400年の歴史に、とけこむように泊まる」
約400年の歴史を持つ篠山城は、兵庫県篠山市の中心に位置する城跡で、
国の史跡に指定されています。
篠山城下町ホテルNIPPONIAは、
この篠山城を含む城下町全体を「ひとつのホテル」に見立てるという構想です。
城下町に点在している空き家となった古民家を、
歴史性を尊重しながら客室・飲食店・店舗として再生し、
篠山の文化や歴史を実感できる宿泊施設としてオープンしました。
時間を重ねた歴史ある客室、
丹波篠山をはじめとした、地域の豊かな食材をふんだんに使った創作フレンチ、
既存の歴史施設・飲食店・店舗などと連携した歴史的城下町のまち歩きアクティビティなど、
「歴史あるまちに、とけこむように泊まる」をコンセプトとした、
地域の暮らし文化を体験する、新しいスタイルの宿泊施設です。

ONAE棟:蔵をリノベーションした客室。

事業体制について

この事業は各分野のエキスパートが参画しています。
全体プロデュースに関してはプロデューサー、デザイナー、
クリエイター、プロモーションを担当するプロフェッショナルや個人や団体。
マネジメントでは、セールス、アセットマネジメント、
オペレーションマネジメントを担う専門企業や団体。
ファイナンスでは、ファンド・キャピタル会社、銀行。
建築においても、もちろんヘリテージマネージャーを取得した一級建築士をはじめ、
大工さん、左官屋さん……。行政では地方自治体や中央官庁。

こういったあらゆるプロが集結し、実現することができました。
しかし、これらの体制は急に立ち上がったのではありません。

このプロジェクトに先駆けて2年前からベースとなる準備組織をつくってきました。
地域資産活用協議会(OPERA)」といいます。
我々は7年間で30棟以上の古民家を再生してきた実績によりノウハウだけでなく、
各分野のプロフェッショナルとつながりをもつことができました。

投資会社〈観光活性化マザーファンド〉とは

NIPPONIAは国家戦略特区を活用した古民家を活用した宿(ホテル)として
日本初の取り組みとなります。
本プロジェクトは、国家戦略特区(関西圏)の特区事業に認定されていて、
旅館業法の玄関帳場(フロント)設置義務についての規制緩和などを受けています。
これにより、複数の分散した古民家の宿泊施設を、
一体化して運営管理することが可能になっています。

今回の古民家再生におけるファンドの仕組みは図1のようになります。
一般社団法人ノオトとマザーファンドが、
共同出資の会社(株式会社NOTEリノベーション&デザイン)を設立し、
その会社を通じて物件を買い取って、改修を行います。
改修した物件を事業者に貸し出すことで、全体の収益構造をつくっています。
(なぜ、ファンドと連携することになったかは、vol.5にて)

図1:ファンド方式

今回、投資決定いただいたのは〈観光活性化マザーファンド〉といいます。
地域の観光活性化を目的として株式会社地域経済活性化支援機構、
株式会社日本政策投資銀行、株式会社リサ・パートナーズの3社で組成された、
マザーファンドです。

〈観光活性化マザーファンド〉の概要。

※株式会社地域経済活性化支援機構についてはこちらより。

ローカルから取り組む、 グローバルへの挑戦 〈MORE THAN プロジェクト〉

Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの“デザイン”を手がける
クリエイティブ・エージェンシー〈ロフトワーク〉がお届けする
「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」。
連載第3弾は、日本発の商材・サービスを海外へ届けたい中小企業と
プロジェクトチームのビジネス機会創出・魅力発信を行う、
経済産業省の〈JAPANブランドプロデュース支援事業〉
(通称:〈MORE THAN プロジェクト〉)について。
昨年に続き、今年もプロジェクトマネジャーを務める秋元友彦がご紹介します。

MORE THANプロジェクトとは?

「日本のイメージって、どんなもの?」と、海外の友人に尋ねたら、
こんな答えが返ってきたことがある。
「えーっと、フジヤマ、サムライ、スシ、ゲイシャ……?」
私は少しびっくりしてしまったが、その友人は冗談ではなく本気でそう思っていたようだ。
地域の特色ある食品・工芸品・お祭り、おもてなし精神が宿った施設やサービス、
世界を奮させるコンテンツ、先端技術だってあるのに。

これは、〈MORE THAN プロジェクト〉のコンセプト文の一部です。
「いやいや、もっと伝わっているはずなのに」と、
私たちプロジェクトメンバーも半信半疑でしたが、
海外に行ってみてこれは現実のことなんだと実感します。
そんな、まだまだ伝わっていない日本の“今”の魅力をもっともっと海外の人に届けたい ——そんな思いから本プロジェクトは始まりました。

あるようでなかった新しい仕組みのプロジェクト

海外進出を目指す中小企業の多くは、海外の展示会(見本市)に出展します。
しかしいざ出展しても、現地の知見や海外展開のノウハウがなく、
言葉の壁もあって思うようにいかず、
商品の魅力を伝えきれずに商談がうまくいかないことも多々あるそうです。
また海外向けに新たに商品開発を行うことも重要で、
これにも現地のビジネス慣習やデザインの知識が必要になります。

これまでの国主導の「日本企業の海外進出支援」は、
展示会への出展費や商材改良のための開発費を補助金として拠出するというパターンが
主なものでした。

MORE THAN プロジェクトとは、
海外に挑むローカル企業が自信をもって製品の魅力を伝えて海外進出を成功させるために、
地域企業とタッグを組む経験豊富なプロデューサーやデザイナーの活動資金を一部支援し、
海外での商談成立(商品取り扱いの実現など)を目指すプロジェクトです。

ロフトワークは、2014年度から事務局として本プロジェクトに携わり、
クリエイティブやコミュニケーションをサポートしています。

“地域から都心へ”ではなく、“地域から世界へ”

プロジェクトチームのひとつ〈播州刃物〉は、播州地域に住むデザイナーが立ち上げ、
プロデュースしている刃物ブランドです。
兵庫・播州地域の刃物産業は後継者不足が課題となっていました。
高齢化で工場を畳む職人が増え、そのためにほかの工場にしわ寄せがきて、
後継者育成まで手が回らない……という悪循環。
そこで、OEM(委託者のブランドで製品を生産すること)ではない、
組合独自の製品をつくり、価格もこれまでの相場と比べて約2倍に設定しました。
個々に活動していた職人たちを〈播州刃物〉というひとつのブランドで組合化し、
一社に負荷がかかりすぎないようにしながら
商品価値を高めるビジネスモデルがつくられました。
プロデューサーは、そのブランディングからデザイン・広報までを一手に引き受け、
播州刃物は海外のセレクトショップや美容室で取り扱われるなど、
海外で数々の商談を成立させています。

もうひとつの播州刃物の課題は、
刃物を長く使うためのカルチャーを理解してもらった上で活用してもらうこと。
刃物は研がないと劣化するのに、海外では研磨できる職人がいません。
ブランド誕生から3年目のいま、現地に研ぎ師のネットワークとビジネスモデルを形成し、
販売網を徐々に広げています。2015年のグッドデザイン賞ではその取り組みが評価され、
ビジネスモデルの部門でBest100に選出されました。
播州刃物はMORE THAN プロジェクトが始まる前から活動しているブランドですが、
その活動プロセスの一部にMORE THAN プロジェクトの補助金や
ネットワーク間のコミュニケーションも活用した事例のひとつでしょう。

地域から都心ではなく、直接世界へ。「地方だから仕方ない」と思う必要はありません。
いいものがあれば自分たちの力で盛り上げる、
それが難しければまずは誰かと共に取り組むことも成功への架け橋となるはずです。

東京都には11の島がある! 伊豆諸島・小笠原諸島ナイト& 利島・神津島・御蔵島フェア開催

東京都には11の島がある!のだそうです。
知らなかった、、、そんな東京の離島・伊豆諸島・小笠原諸島をテーマにしたイベント、
伊豆諸島・小笠原諸島ナイト <都会を離れた東京都スペシャル・離島編>」が
東京・お台場の「東京カルチャーカルチャー」にて開催されます。
イベントでは、島料理・島焼酎の紹介や
くさやの原液も登場する島トリビアのほか、
在島経験者の方にも来店頂き、島での生活を大公開。
また利島から巨大サザエが登場し、「通」な食べ方を伝授致します。
さらに、青ヶ島太鼓と小笠原古謡のパフォーマンスも。
一夜限りのセッションが行われるそう。

利島

神津島

御蔵島

そして、竹芝客船ターミナルにある
伊豆諸島・小笠原諸島のアンテナショップ
「TOKYO ISLANDS CAFE」では、
伊豆諸島の中でも規模が小さいながらも、
知る人ぞ知るスポットとして注目を集める、
利島・神津島・御蔵島の3島フェアを開催中。
本日10月28日(水)から11月30日(月)までの約1ヵ月間、
各島の食材を使ったランチメニューの提供や、
島外初出荷の特産品の販売などを行います。

障がい者が参加できる ブランドをつくる 琉Q/4NA4NA 前編

障がい者作業の工賃アップ作戦!

〈琉Q(ルキュー)〉は、沖縄県産にこだわったブランド。
海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、
パッションフルーツバター、塩パインバターなどを発売している。

この生産には、県内の障がい者の方々が製造に関わっている。
おもな作業は掛け紙、ラベル貼り、梱包などだ。
施設でビンの管理をしてもらい、近くの工場まで配送するという仕事もある。
これらの仕事をコーディネートしているのは、
障がい者を支援する県の外郭団体である〈一般財団法人 沖縄県セルプセンター〉の
萱原景子さんだ。

「施設それぞれで、商品をつくっては売るということをやっていますが、
もちろんものづくりも販売もプロではなく素人集団。
デザインの概念もありませんし、同情で売れていることが多いです」という萱原さん。

沖縄県セルプセンターの萱原景子さん。

全国の障がい者の就労施設では、施設利用者がさまざまな仕事に従事している。
しかしその工賃は、
全国平均で1か月に14,377円(平成25年度/厚生労働省障害福祉課調べ)だ。
国は、工賃を倍増させようと試みているが、なかなかうまくいかないのが現状である。
商品の力をつけて売る手法を考えないと、利用者の工賃を上げることはできない。
そこで〈沖縄広告〉とともに、このような現状を打破すべく動き出した。

「各施設でつくっているものをお祭りやフェアなどで販売するお手伝いから始めました。
しかし、どうしても商品のクオリティが高くないなかで、情で買われてしまいます。
そういうコミュニケーションの仕方には、限界があると思うんです」
と話してくれたのは、沖縄広告の仲本博之さん。

社会貢献として捉えられてしまい、一時的な売り上げにしかならない。
日常としては受け入れてもらえない。そこで考え出されたのが、〈琉Q(ルキュー)〉だ。
ブランド化し、障がい者のストーリーはあくまでバックグラウンドにすることで、
消費者に感覚的に共感してもらえる商品でなくてはならない。
まずは、沖縄の各地でつくられている滋味豊かな食を、
デザイン性も高く、パッケージする。
ここに共感を持ってもらうことが大切だった。

沖縄広告の仲本博之さんは、沖縄生まれのしまんちゅ。

これまでは施設が自由につくったものを売るという流れだったが、
ひとつのブランドをつくり、
その中のいくつかの作業を施設に発注していくという流れに変えた。
ものづくりのフローを逆向きにし、まずは商品力を高める。
結果、売り上げが伸びることで、生産数を増やしたり、
新しい商品や工程を生むことで工賃に還元できる仕組みだ。

“もの自体の良さ”で売っていくということは、
市場のものと同じ土俵で勝負するということ。その意味では、クオリティも重要だ。
クオリティを一定に保って、納期を守る。
ごく当たり前のことのように思えるが、施設だとそれが難しい場合もある。
消費者に言い訳はきかない。ここに矛盾があるという。

「仕事ではあるけど、施設にとって、一番は利用者さん。
無理をしてまでやらせたくないという心情が働きます。
それで納期が遅れていくということもあります」(萱原さん)

「国が工賃アップといいながらも、福祉とビジネスは切り離して考える風潮があります。
日本が抱える問題がコンパクトなかたちで表れていると思います」(仲本さん)

ロゴ入り傘を自販機で無料貸出し! ダイドードリンコ、 大阪で初の試み

自販機にこだわり、ペットボトルへの対応や
ルーレット、おしゃべり、ポイントカードなど
様々な機能をいちはやく搭載してきた
飲料メーカーのダイドードリンコ。
そんなダイドーさんが、
自動販売機を活用した地域社会貢献活動を開始。
なんと自販機に傘を取り付け、急な雨の際は無料で貸出をするというもの。
2015年10月21日(水)より、大阪市内の「ダイドービバレッジサービス」の
なにわ営業所が管理する自動販売機60台でスタートしました。
これから3カ月間、試行されるのだそう。

実際に設置しているところ

ただ自販機に傘が差してあるだけなので、
持ち去りも多そうですが、
ロゴ入りの傘ということで、持ち去られても
宣伝効果があるのかも... ?!

使ったあとは元の場所に返却を

ストリップ劇場が 「旧劇場」になるまで。 IVolli architecture vol.1

IVolli architecture vol.1

はじめまして。〈アイボリィアーキテクチュア〉の永田賢一郎 と申します。
アイボリィアーキテクチュアは横浜市の黄金町というまちを拠点に
活動している設計事務所です。
2014年にもともとストリップ劇場だった建物を仲間と改修し、
〈旧劇場〉というシェアスタジオを立ち上げて活動をしています。
アーティストや木工職人、カメラマンやライターといった
異なる分野の人間たち9人でつくった場所で、
それぞれ個々に活動しながらも、ときに協働したりしながら動いています。
今回より6回にわたって、このスタジオができるに至った経緯や、
拠点を持ったことで生まれた地域との関わりについて、
またスタジオをシェアする仲間たちとの協働プロジェクトなどについて
紹介していきたいと思います。

まずはじめに私たちについてですが、
アイボリィアーキテクチュアは永田賢一郎と原﨑寛明のふたりで活動しています。
もともと上海と横浜という別々の場所で働いていたのですが、
僕が上海より帰国した際に、大学時代の同期だった原﨑に声をかけて活動を始めました。
大学が横浜にあったこともあり、
学生時代に過ごしていた場所も横浜だった僕らは、
自然と活動の拠点を横浜にしていたのですが、
そのなかでも、もとから黄金町に縁があったわけではなく、
事務所を始めたばかりの頃は横浜市内の別の場所で活動していました。

始まりはハンマーヘッドスタジオ

2013年当時、みなとみらいの新港埠頭に
〈ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」〉という巨大なシェアスタジオがあり、
そこの一区画を僕らは借りていました。
ここには50組以上のアーティストやクリエイターが入居していて、
毎日スタジオに通うだけで実に多様な人たちに触れ合うことができました。
年齢もジャンルも超えたフラットな空気感がそこにはあり、
常に刺激をもらえる環境がありました。

ハンマーヘッドスタジオ。たくさんの方々が日々制作をしていました。© BankART1929 photo Tatsuhiko Nakagawa

残念ながらハンマーヘッドスタジオは2年間限定のスタジオだったので、
2014年の4月には解体されてしまいましたが、
横浜の関内外エリアという場所は
以前から多くのクリエイターやアーティストが拠点を持って活動しているエリアなので、
スタジオ解体後もまちの中に拠点を移しやすい環境ではありました。
これだけ多くの人がシェアしているスタジオがあるということ自体奇跡的でしたが、
それ以上に、多数のアーティストやクリエイターが
一度にまちに拡散していくという状況が生まれたことが大変特殊な出来事でした。

ひとつの大きな場所からたくさんの小さな拠点となって、
まちの中にアーティストやクリエイターが散らばっていくことがどんな影響を及ぼすのか。
そもそもまちの中に拠点を構えるとはどういうことなんだろうか、
とスタジオ解体までの間よく話していました。
実際にはほかの地域へ移られる方もいましたし、
新たに自分で横浜に拠点を持つ方もいました。
そういった状況のなかで、僕らと同世代のメンバーは
「自分だけで場所を賄う体力はまだあまりないけども場所は必要」
と境遇も近かったので、自然と共同で場所を借りようという話になりました。

次は自分たちで拠点をつくる

集まったメンバーは建築事務所2組4人、
ライター、木工職人、現代美術家、アーティスト、カメラマンの計9名。
それぞれ仕事の仕方も違うし、必要な場所のスペックも予算も違いました。

木材を搬出入できる天井の高い場所が必要。
音が出る作業ができる空間がいい。
絵が描ける環境にしたい。
建築模型をつくれるだけの広さは欲しい。
1階だとなおいい。
スタジオ内でも地域とも交流が持てる環境がつくりたい……と、
それぞれの仕事場として最低限の必要な条件と、
その場所がどうなってほしいかを毎日のように話し合いながら、
拠点としてふさわしい場所はどこなのかを模索していました。

それぞれ分野の異なる仲間が集まりました。

物件ありきで後からシェアを募るのではなく、
最初からメンバーと具体的な使い方を固めてから
共同で場所を使うという流れができていたので、
不動産市場では埋もれてしまうような特殊な物件などでも
積極的にその使い方を考えていました。
そしてそんな最中、僕らは黄金町にあった元ストリップ劇場という、
とても魅力的な建物に出会うことになりました。

黄金町とストリップ

ご存知の方も多いかもしれませんが、
横浜市の黄金町と言えばかつては違法風俗で栄えた歓楽街で
今でもまちを歩けば250件もあった売春宿の一部を名残として見ることができます。
10年ほど前からは地域住民によって環境浄化運動が始まり、
2009年には〈特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンター〉も設立されて、
黄金町というまちのイメージは刷新されてきています。

かつての売春宿はアーティストの活動拠点やイベントスペースに。

独特な歴史がもたらすまちの空気感が個性的な場所を多く生み出し、
ドラマ『私立探偵濱マイク』の舞台などでも使われていました。
僕らが出会った建物もそのような黄金町の真ん中にあり、
つい最近までは「黄金劇場」という名前のストリップ劇場で、
近くを走る京急線からも大きな看板が目立っていました。

黄金劇場があったころの様子(画像提供: 三日画師)。

新しい桃太郎は 地味で目立たない、でもいいヤツ。 岡山県の新PRムービー 「新・桃太郎」公開

岡山県が昨年9月から始めたPRキャンペーン「もんげー岡山!」。
「もんげー」とは、岡山弁で「すごい」という意味。
このたび、新コンテンツの第一弾となるムービー「新・桃太郎」が公開されました。
桃太郎役は岡山県出身の俳優、前野朋哉さん。
桃太郎といえばキリリとしたイメージがありますが、
岡山が贈る新・桃太郎は、地味で目立たない存在。
でも、すごくいいやつなんです!
昔話の桃太郎とも、テレビCMの桃太郎とも異なる、
全く新しい桃太郎の物語が誕生しました。

舞台は、岡山県内にある「白桃農園」。
そこで新入りとして働き始めた桃太郎と、
桃太郎を温かく見守る農園の親方が登場します。
桃太郎を演じるのは、倉敷市出身の俳優・前野朋哉さん。
映画「桐島、部活やめるってよ」や、
ドラマ「マッサン」への出演などで注目される個性派俳優さんです。
親方を演じるのは、俳優の宇梶剛士さん。
さらに倉敷市出身のフィギュアスケーター、高橋大輔さんも特別出演しています。

桃太郎を演じる前野朋哉

宇梶剛士(白桃農園の親方)。宇梶さん主演の岡山県PRムービーはこちら

SUPER VISIONSフォーラム

田舎から日本を変えよう!

8月19日、2回目となる〈SUPER VISIONSフォーラム〉が、
安倍昭恵総理夫人の協力のもと、内閣総理大臣公邸にて行われた。
「田舎から日本を変えよう!」というテーマを掲げたこのフォーラムには、
主にふたつの目的がある。
ひとつは、日本各地で地方創生のさまざまな取り組みを実践して、
成果を上げている方々に活動報告をしてもらい、
フォーラム参加者それぞれの活動に生かす勉強会としての場。
そしてもうひとつは、同じように奮闘している参加者とゲスト、
あるいは参加者同士がつながるネットワークづくりの場だ。

今回、活動報告をしたゲストは15名。
地域づくりというジャンルにおいては、どの方も一目置かれている“豪傑”ばかりだ。
バラエティに富んだその活動内容を、それぞれのプロフィールとともに
ダイジェストとして紹介しよう。

“ジャポニック”を世界へ 高野誠鮮さん

石川県羽咋市役所・文化財室長の高野誠鮮さんは、神子原のお米のブランド化に成功。その活躍ぶりは、コロカルの「Innovators インタビュー」でも詳しく紹介。

石川県羽咋市役所・文化財室長の高野誠鮮さんは、
限界集落を蘇らせた“スーパー公務員”。
地元・神子原産のお米の知名度を上げるべく、ローマ法王に献上し、
実際に食べてもらったことで大きな話題となり、農家の年収アップに貢献。
農業移住者の増加にもつながった。
さらには“奇跡のリンゴ”で知られる木村秋則さんとともに
無農薬・無肥料の自然栽培を行い、「ジャポニック」と命名。
現在はJAと共同でその指導に取り組んでいる。
「実はいま、モナコ公国の食材と、東京オリンピックの選手村の食材を
すべてジャポニックにできないか、虎視眈々と狙っているところです」
とさらなる壮大な夢を語る、高野さん。その野望はとどまることを知らないようだ。

島留学で“グローカル”な人材育成 奥田麻依子さん

島根県の海士町で〈隠岐島前高校魅力化プロジェクト〉を手がける奥田麻依子さん。地域に根ざしながら世界とつながる“グローカル”人材の育成を目指す。

奥田麻依子さんが取り組む〈隠岐島前高校魅力化プロジェクト〉の目的は、
人口減少により廃校の危機に瀕していた高校で魅力的な教育を行い、
地域の教育をブランド化すること。
地域が抱える課題に対して、自分たちのできることを高校生自らが考え、
解決に向けて行動することで、地域に根ざしながら世界とつながる
“グローカル”人材の育成を目指している。
現在は島留学というかたちで全国から生徒を募集し、
160人の在校生のうち約半数が東京や大阪を中心とする全国各地から集まってきている。
「いままでは高校中心に取り組んできましたが、
今後は保育園から小中高校まで連携した教育を目指していきたいと考えています」
昨年度からは教師の全国募集も始め、都道府県で連携できるかたちを模索中だ。

里山の元気な高齢者を紹介 イザベル・プロハスカ=マイヤーさん

ウィーン大学日本学科講師・博士のイザベル・プロハスカ=マイヤーさん。2014年にはドキュメンタリー映画『山村で暮らす高齢者たち』を制作。

イザベル・プロハスカ=マイヤーさんは、ウィーン大学日本学科の講師・博士。
オーストリアの地方でも過疎化・高齢化の問題を抱えており、
長野県と山梨県の3つの山村で高齢者がどのような日常を過ごし、
自治体はどのような対策を練っているのか、フィールドワークを行った。
イザベルさんは「日本の田舎は魅力的で、無限の可能性がある」と主張する。
「高齢者は介護の対象と見られがちですが、
私が出会った方々はまさにアクティブ・エイジングでした。
もちろん人生でつらかったこと、苦労したこともうかがいましたが、
ユーモアのあるポジティブな姿勢にはとても感心しました」
イザベルさんはこうした日本の山村の現状をより多くの人に紹介したいという思いから、
ドキュメンタリー映画も制作している。

農家民宿でエコツーリズムを 井上かみさん

山口県油谷島で〈アジアンファームハウス百姓庵〉を運営する井上かみさん。百姓の営みにより本当に豊かな暮らしを実践している。

〈アジアンファームハウス百姓庵〉の井上かみさんは、
結婚を機に12年前に山口県油谷島に移住。
ご主人と耕作放棄地を開拓して、ほぼ自給自足の暮らしをするかたわら、
1日1組限定の農家民宿を営んできた。
8年前からは、昔ながらの立体式塩田で〈百姓の塩〉という天然塩を製造販売。
いまでこそ油谷島の海は美しいが、移住当初は漂着ゴミがひどかったそうで、
ご主人がひとりで始めた海岸清掃が、いまでは1000人規模のイベントになっている。
「問題はストイックに取り組んでもなかなか解決しません。
楽しいところに自然と人は集まってくるので、
こうしたイベントも楽しさを重視して企画しています」
もともと旅行業界にいた経験を生かし、今後はエコツーリズムのメッカとして
油谷島の魅力を世界に発信していきたいと考えている。

花火と水産業でまちに笑顔を 高田佳岳さん

追悼と復興の花火を打ち上げる一般社団法人〈LIGHT UP NIPPON〉代表理事の高田佳岳さん。水産業で地場産業を盛り上げたいと語る。

高田佳岳さんが代表理事を務める一般社団法人〈LIGHT UP NIPPON〉は、
東日本大震災の追悼と復興の祈りを込めて花火を打ち上げるイベントを企画している。
岩手県大槌町に縁のある高田さんは、広告代理店に勤めていた経験を生かし、
エンターテインメントで復興支援を考えた。
鎮魂の意味があるだけでなく、子どもたちを笑顔にして、
さらにはコミュニティの再生にもつながる花火はうってつけだった。
現在はこの活動のかたわら、被災地の漁師が釣った魚を
東京の飲食店に卸す“魚屋”を営んでいる。
「こういう場で農村のテーマは多く見聞きしますが、
島国なのに漁村の話はほとんど出てきません。
僕は農業の成功例を参考にしながら、水産業を応援して
日本中の沿岸地域を活性化していきたいと思っています」

芝浦工業大学有志団体 「木沢の『わ』プロジェクト」 徳島県那賀町、 築146年の空き家を再生する!

全国的な問題になっている「空き家」。
いま、徳島県那賀町木沢地域で空き家となっている
築146年の古民家を、東京・芝浦工業大学の学生有志団体が
再生するプロジェクトが現在進行中!
その名も「木沢の『わ』プロジェクト」。
建物の完成は2016年4月の予定。
学生たちはプロジェクトにあたって、
地域に入って丁寧にヒアリングを行い、
住民と一体となって古民家の改修活動を行っています。
時には地域に住む大工や左官などベテランの伝授を受けながら、
設計から施工まで地域住民と協働して手掛けているんです。

学生が製作した古民家の設計模型

この古民家の完成後は、地域住民が集う憩いの場であるとともに、
料理教室や自然体験の現地体験プログラムの提供、
また木沢の年配者が古来からある文化や暮らしの知恵を来訪者に伝える場としても機能。
地域活性化のためのゲストハウスとして運営されていくそうです。

地元製材所にて木材の講習

新設の縁側を施工中

そもそもこの木沢地区は、徳島市内から車で約1時間半、
97%が森林に覆われ、高齢化率は約58%という限界集落。
2014年には、唯一あった小学校も閉鎖してしまって、
町民たちが意気消沈しつつありました。
その現状に危機感を覚えた、「那賀町地域おこし協力隊」の桑高仁志さんは、
あるプロジェクトを始めます。
それが「杉の娘」の結成。
平均年齢73歳の地域の元気な年配女性たちを集め、
現状打破のために民間学校「杉の娘楽校(すぎのこがっこう)」を発足。
女性たちが「杉の娘」となって、
生徒同士で各自の特技を教え合い、
地域コミュニティを再生させる活動を始めました。

杉の娘による学生たちへのワークショップ

高松市ののどかな郊外で、 始まったこと。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.1

仏生山まちぐるみ旅館 vol.1

こんにちは。
ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。
建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、
まち全体を旅館に見立てる〈仏生山まちぐるみ旅館〉という、取り組みを進めています。
今回の連載企画では、仏生山というまちとそれぞれの建物が、
どのような関わり方をもってリノベーションされているかということを
お伝えできればと思っています。

仏生山町は高松市の中心市街地から南に8キロ、車で20分ぐらいのところにあります。
私鉄の〈ことでん(琴平電気鉄道)〉だと高松駅から仏生山駅まで15分ぐらいです。
江戸時代の初期に高松藩の菩提寺として、〈法然寺〉とその門前町がひらかれました。
今でも当時の建物が少しだけ残り、その雰囲気を感じることができます。
住宅と田んぼが混ざり合う、のどかな地域で
1.5キロ四方に8,000人ぐらいの人が暮らしています。

法然寺の仁王門(左)と五重塔。

ぼく自身はこの仏生山で生まれ育ち、大学進学と共に県外に出ました。
東京での設計事務所勤務を含めると10年ほど仏生山から離れていました。
その後、家業の飲食、宴会施設の跡を継ぐのと同時に
設計事務所を始めるつもりで仏生山に戻りました。
当初ぼくが思っていた予定と少し違っていたのは父が温泉を掘ったことでした。

仏生山のまちの風景。

仏生山はもともと温泉街ではなく、どこにでもあるような普通の郊外です。
父は以前から温泉を掘りたいと言っていましたが、家族全員が冗談だと思っていました。
しかし、仏生山の下にある高松クレーター(現在は砂や水が堆積していてかたちは見えない)が
発見されたのを機に本当に温泉を掘削し始めたのです。

温泉を掘っているところ。

僕が仏生山に戻って来たら、ちょうど掘り終わって温泉が湧いていた、
という絶妙なタイミングでした。
温泉を掘るということは、かなりのリスクを伴います。
温泉が出るまでの間はとても不安でしたが、
出てきた源泉は、湯量、泉質、温度ともに申し分なく、
今となっては父の決断に感謝するばかりです。
そこから計画を進め設計事務所としても初めての仕事になる、
〈仏生山温泉〉が2005年に開業しました。
仏生山温泉は、宿泊のない日帰り入浴施設です。
家業に温泉業が加わり、ぼくは仏生山温泉番台を名乗ることになりました。

仏生山温泉の入り口。

仏生山温泉の浴場。

温泉の仕事を始めて何年か経ってみると、
運営の大切なことは現場の空気をちゃんと見ていくことだということに気づきました。
そうなると、もうこの仏生山というまちから、ちがう場所に移り住むことや、
ちょっとした旅行にもなかなか行きにくいということがわかりました。
いかに自分の住むまちを今よりも楽しい場所にして、
どうやったら、にやにやしながら暮らせるかということを考え始めました。
楽しい場所にする、と言ってもそんなに大それた望みがあるわけではありません。
毎日でも通いたいおいしい定食屋さんとか、
ゆっくり読書ができる居心地のいいコーヒー屋さんとか、
自分が行きたいと思えるお店がその場にあって、
毎日楽しくすごすだけで、
十分にやにやできると思いました。

仏生山温泉の休憩場。

そのお店を増やすための取り組みが〈仏生山まちぐるみ旅館〉です。