99%が輸入のアボカド。 生産量日本一を目指す 愛媛県松山市で、第1回 「日本アボカドサミット」開催

「森のバター」と呼ばれるほど栄養素が高く、
ビタミンやミネラルが豊富な果物、アボカド。
クリーミーでリッチな食感で女性を中心に人気を呼び、
日本国内での消費量が急速に伸びています。
しかし、日本ではほとんど生産されておらず
輸入が99%を占めているのだそう。

そんなアボカドを、他の地域に先駆けて、
日本一の産地化になろうと活動しているのが、
愛媛県の松山市。
市が苗木の供給や栽培指導等の支援を行い、
現在では市内で約70名の方がアボカドを栽培。
栽培面積では、現在日本一の3ヘクタールにまで拡大するなど、
全国有数のアボカド産地となっているんです!

そしてこのたび、松山市にて、
第1回「日本アボカドサミット」が開催。
日本の熱帯果樹指導の権威である米本仁巳さんや、
ハワイでアボカドの産地化や地産地消のプロジェクトに取り組むケン・ラブさん、
海外のアボカド料理コンクールで入賞経験を持つ
佐藤俊介さんらによる基調講演の他、
アボカド栽培に力を入れている鹿児島県、和歌山県が、
産地の現状を紹介。
その他、アボカドの品種の展示や、
アボカド料理人による料理紹介や試食もあります。

アボカドの輸入量は、
1993年には4,600トンだったものが、
2014年までの約20年間で5万7,600トンまで増加。
愛媛県では、従来の特産品で、
価格の低迷や、生産者の高齢化という問題を持つ
伊予柑や温州みかんに代わって、
栽培労力が少なく、単価の高いアボカドを
特産にしていく狙いがあるのだそう。
国産アボカド、ぜひ応援していきたいですね。

第1回「日本アボカドサミット」

日程:2015年11月26日(木)

時間:13:00~16:45(開場:12:00 / 開会:13:00)

会場:松山市総合コミュニティセンター キャメリアホール

住所:愛媛県松山市湊町7丁目5

ITベンチャーと自治体のコラボ。 武雄市・鹿島市・嬉野市にふれる 「知ろう、行こう、住もう、 佐賀フェスタin東京」

2015年10月に始まった、「知ろう、行こう、住もう佐賀プロジェクト」。
ITベンチャーの株式会社クラウドワークスと、
佐賀県、県内の武雄市、鹿島市、嬉野市の行政4団体、
民間4社が共同する移住喚起のための取り組みです。

この「知ろう、行こう、住もう佐賀プロジェクト」が、
来る11月22日(日)、東京でリアルイベントを開催。
「行こう、知ろう、住もう佐賀フェスタin東京」として、
佐賀県西部地域の風土や人々の暮らしの紹介、
各自治体による移住相談会の他、
クラウドソーシングを活用した佐賀県での新しい働き方と移住成功事例や、
佐賀県の魅力とスペース活用の可能性についてのトークイベント、
特産品の販売などを実施します。

浜宿 漬物蔵たぞう(鹿島市)

忍者村肥前夢街道(嬉野市)

「知ろう、行こう、住もう佐賀プロジェクト」では、
地域との接点創出を軸として、
「武雄市図書館」や鹿島市の「浜宿 東蔵」、
嬉野市の「忍者村肥前夢街道」など、佐賀県内の
文化財や公共施設などを会場に、「佐賀県に行きたい!」と
思えるようなイベントのアイデアを、
求人サイト「クラウドワークス」上で募集しました。

イベントでは、集まったアイデアの中から、
佐賀県西部地域での実際の開催を想定し、
県外からの集客が期待でき、
ユニークかつ実現性の高いイベント案を選定。
プロジェクト参加団体が選びぬいた10案に対し、
SNSを活用した公開事前投票を経て、
「知ろう、行こう、住もう、佐賀フェスタin東京」にて
最終選考会を行い、グランプリ並びに
3自治体(武雄市/鹿島市/嬉野市)による特別賞を決定します。

さらに本イベントでは、
佐賀県西部地域の風土や人々の暮らしの紹介、
佐賀県による就職相談会、
武雄市、嬉野市、鹿島市によるによる移住相談会の他、
クラウドソーシングを活用した佐賀県での新しい働き方と移住成功事例や、
佐賀県の魅力とスペース活用の可能性についてのトークイベント、
佐賀県のツアーを紹介するとともに行われる地酒試飲会、
特産品の販売など、同地域の「人」と「モノ」に触れ合う機会を提供なども。
事前申込なしでも入場可能ですが、
こちらより事前申込をいただいた方には、
粗品が進呈されます。

知ろう、行こう、住もう、佐賀フェスタin東京

日時:2015年11月22日(日)13:00~17:00(入退場自由)

会場:移住・交流ガーデン(東京都中央区京橋1丁目1-6越前屋ビル1F)

熊本のひっとでとらす人たちに 会いに行こう! 遊んで学んで、発見する2日間 「meet up! KUMAMOTO CITY」

11月21日(土)22日(日)、熊本市内にて
「meet up! KUMAMOTO CITY」が開催されます。

これは、熊本の“ひっとでとらす”人たちの案内で、
熊本市内のスポットを巡る、一泊二日のイベント。
(1パートのみの参加も可)

内容は、日本最南端のワイナリーのひとつ「熊本ワイン」の見学や、
「ちかけん工房」での竹あかりづくりワークショップ、
熊本在住のクリエイターとの交流会などなど!

“ひっとでとらす”とは熊本弁で“飛び出ている”という意味だそう。

サンワ工務店の山野潤一さん

今日のおやつ: サクサクサブレ「シラカボ」は 北海道美深町から。 地元産の小麦・南瓜・ 白樺樹液を使用

今日のおやつは、北海道美深町のパイサブレ「シラカボ」。
パイとサブレの中間のようなサックサクの食感で食べ応えありです。
お味は甘さ控えめで、洗練された印象。
地元の名物がふんだんに使われています。

生地には北海道を代表する小麦「ハルユタカ」を使い、
甘みが人気のかぼちゃ「クリユタカ」を練りこみました。
そして表面のアイシングには、
ミネラルなどが豊富に含まれる「白樺樹液」を使っているのが味の決め手。
パッケージもすごくおしゃれで、
おみやげにしても喜ばれることうけあいです。
お値段は、一箱7枚入1,000円(税込)となっています。

美深町は、北海道の北部、最北端の稚内と旭川の
まんなかぐらいに位置するまち。
寒暖差が大きいのが特徴で、麦の作付け北限地域でもあります。

こちら美深町から。白樺樹液が採れる、仁宇布地区にある滝。

勝手に作る商店街サンド: 島根県・隠岐の島町編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。
必ずといっていいほどおいしいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。

今回は、島根県の離島・隠岐の諸島にやってきた。

フェリーでいくと鬼太郎たちが出迎えてくれる。水木しげるさんの祖先が隠岐の島に縁があるらしく、鳥取県境港市の〈水木しげるロード〉同様、 隠岐の諸島にもあちこちに妖怪の像が設置されている。

隠岐の諸島は4つの有人島と約180の無人島からなっている。
海の浸食による奇岩や断崖絶壁が見られたり、島独自の進化をとげる動植物があったりと、
古代の姿を残す美しい島々だ。
その貴重さゆえ「世界ジオパーク」にも認定されている。
そのなかでも今回は、一番大きい有人島・島後(どうご)の
隠岐の島町でサンドを作ることにした。

隠岐の島町にきたら玉若酢命神社の〈八百杉〉は必見。樹齢約2000年。写真では伝わらないほどの迫力だ。

遊覧船やカヤックなどで海に出ると、奇岩がたくさん見られる。こちらは穴の形も変だが、周りにムンクの叫びのような顔がたくさん見えてこわい。

夕日がまるで灯火のように見える〈ロウソク島〉。高さ20メートルの細長い奇岩は、今も侵食を続けている。あと数十年後には見られなくなるかもしれない貴重な光景だ。ちなみにこの撮影ポイントまでは船が出ており、船長さんの操縦テクが見もの。

隠岐の島町でアノ人の末裔と作る!

また、隠岐の島といえばかつて島流しの地であったことでも知られている。
流されたのは高貴な身分の人が多く、
有名どころでは後鳥羽上皇、後醍醐天皇。
そして、絶世の美女と名高い小野小町の祖父、小野篁(おののたかむら)だ。
小野篁は高官であり百人一首にも出てくるような文人でもある。

と、なぜ小野篁について詳しく述べたかというと、
今回サンド作りにつきあってくれた井上靖之さんが
その小野篁と恋仲になった「門古那姫(あこなひめ)」の末裔だったからだ。
初めて聞く名前ばかりでピンとこないけど、きっと凄いにちがいない。

今回つきあってくれた隠岐の島町出身、隠岐観光協会の井上さん。小野篁とゆかりある方だ。

「子どものころは島を早く出たくて仕方なかった」という井上さん。
高校を卒業後に島を出たが最近になって自分の出自を知り、
思うところあって戻って来たそうだ。
フェリー乗り場からすぐ近くの〈愛の橋商店街〉を案内してもらいながら
一緒に食材をさがすことにした。

商店街は神社から始まり、食事どころがいくつか。そのあと花屋さん、靴屋さん、おもちゃ屋さん、クリーニング屋さんなどがポツポツと並ぶ。シャッターをおろす店も多い。

お酒を作る時に使うおいしい水の試飲ができるという酒屋さん。

漁港のまちなので魚屋さんもところどころにある。しかしとれた魚は島で消費しきれないため、ほとんど本島に出荷される。

生活用品や加工品を扱う商店を発見。しかしサンドに合いそうなものは見つけられず。

井上さんは今回の商店街サンドをやるにあたり、
食材が集められるかとても不安だったようだ。

魚介類はそのままではサンドに挟めないし、
大型スーパー(車でちょっと行くとある)や
商店に売っている加工品は本島のものが多い。
そして食事は自分の家でとる人がほとんどなので、
買ってその場で食べるようなお惣菜はあまりないのだという。

絶景が多く観光にはもってこいの島ではあるが、
食べ歩きができるようなザ・観光地というよりは
静かなまち、のんびりとしたまちといった感じのようだ。

瓶ビールや日本酒のパックが入っている自販機を発見。時が止まったかのようなお店がいくつか。

説得に3年。 元資材置き場が生まれ変わった。 〈KUHONJI GENERAL STORE〉 ASTER vol.1

ASTER vol.1
妄想を、最高のかたちにする。

みなさまはじめまして。ASTERの中川と申します。
僕たちASTERは熊本市を拠点に活動している内装屋です。
個人住宅、賃貸物件、店舗などのリノベーションを主に
デザイン、設計、施工まで行っています。

この連載では僕らがこれまで実際に関わってきた物件事例をベースに
僕らが思う熊本の魅力的な建物、場所、人を紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

まず初回なので僕が今の仕事をすることになった経緯と
今僕らで運営している店をつくった話をしたいと思います。

僕はもともと建築の知識や興味があったわけではありません。
二十歳ぐらいの頃、建設現場でのアルバイト経験をきっかけに、
その後熊本市内の新規オープンの家具屋へ就職しました。
はじめは家具の配送と接客をやっていて、
後に住宅のリフォームコーナーへ配属になりました。
この頃から内装にも徐々に興味がわいてきたのだと思います。

ようやく仕事にも慣れたころ、
実家から仕事を手伝ってくれとの連絡が。
僕の実家は熊本市内にある畳屋。
畳屋といってもつくるのではなく、
畳をつくる畳屋に材料を卸す畳資材の卸売業をやっていました。
内装工事部門もあり、そこの人手が足りないということで、
僕は実家に戻ることになりました。
まあ内装の仕事はインテリア関係だからいいかと。
それが現在のASTERです。

理想と現実のギャップ

戻ってきたからには、
やる気を出して頑張ろう! カッコいい空間をつくるぜ!
と奮起していましたが、そんな気合いは空回りしました。
当時の仕事は地場の工務店や不動産屋の下請け業務。
特に賃貸アパートの原状復帰がメインでカッコいい空間とはほど遠く、
どれも同じ内装ばかり。
毎日決まった同じ品番の壁紙の張り替えを、
職人さんへ依頼することが僕の仕事でした。
仕事だから文句は言えないけど、さすがにずっとそれじゃつまらない。
部屋に合わせて壁紙を選ぶことなど現在では当たり前ですが、
当時はもとの壁紙と同じ柄を探す行為が、唯一壁紙を選ぶというものでした。

いつか自分たちで自由に考えたカッコいい空間をつくってみたい。
でもやり方がわからない。
そんな想いを常に抱いて日々過ごしていました。

リノベーションとの出会い

たまに県外などへ行ったときはいろんなショップ巡りをするのが
当時の僕の楽しみでした。
そして2003年。
たまたま大阪のインテリアショップでみつけたフライヤーに
こんな言葉が書いてありました。
「STOCK×RENOVATION」
大阪を拠点に活動されている業界の先駆者、
〈アートアンドクラフト〉が開催していたリノベーション展のフライヤーでした。
古い空間が魅力的に改修されていて、とにかくカッコいい。
「コレばい!」と直感的に思い、冊子『STOCK×RENOVATION』も取り寄せました。

アートアンドクラフトが2003年に出版した『STOCK×RENOVATION』の冊子。

実家の仕事に違和感を感じていたなかで、
初めて知った“リノベーション”という方法。
「僕がやりたかったのはこんな空間づくりだ!」
と、リノベーションについてすぐに調べ始めました。
そうして知ったのがデザインだけでなく、
日本は欧米に比べ、家の平均寿命がとても短いことや、
年々空き家が増えて家が余っていることなど、
日本の住宅事情について、このとき初めて知りました。

そしてリノベーション事業の草分け会社である、
東京の〈ブルースタジオ〉を知り、
パイオニア的存在であるこの2社に憧れ、
このときをきっかけにただの内装会社から、
物件の価値を高めることができる
リノベーション専門の内装屋へなることを目指しました。

もちろん最初はほとんどリノベーションと言える仕事はなく、
内装の手直し工事やリフォームばかりでしたが、
目指すところがあると俄然日々の仕事もやる気がでます。
その後、徐々に熊本にもリノベーションという言葉が露出し始め、
2007年ごろから僕らも少しずつですが仕事の依頼が来るようになってきました。

僕らがリノベーションをするとき、
使用する建材やパーツに特にこだわります。
建材店や近くのホームセンターには好みの建材やパーツが売っていないこともあるので、
インターネットで建材をよく買っていました。
そしてスタッフとともにいつも言っていました。

「近くにこんなお店あったらいいよね」と。

それでだんだんと欲求が高まり、
僕らが使いたい建材やパーツをストックして置く場所がほしい。
いや、いっそのことショップにして販売もしよう!
と、自分たちの店をつくる目標ができ、熊本市内で突如物件探しが始まりました。

岩崎ビルとの出会い

僕らの事務所は熊本市内の九品寺というまちにあります。
熊本城やアーケードがある中心市街地から徒歩圏内にあり、
学校なども多いエリアです。
数年前、いつも通る道路で信号待ちをしていて、
ふと横を見ると、とても魅力的な建物が。
ずいぶん昔からあったようけど特に気に留めることもなかったビル。
ただじっくり見るとなんとも魅力的なビルでした。
築48年。RC造3階建で、建築資材屋さんが所有する〈岩崎ビル〉でした。

施工前の岩崎ビル外観

外壁に貼ってある渋いブラウンのタイルや
2階部分のスチールサッシなど
48年前の建材がそのまま残っている建物はほかにない味わいがあり、
ここで僕らの店ができたら最高だなと勝手に妄想が始まりました。
そうして僕は居ても立ってもいられず
大家さんのところへこの場所を貸してくれないかと交渉に行きました。

もともとは建材屋さんの資材置場だった。

“食と職”を 大切にした日常の沖縄 琉Q 後編

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観光ではない、沖縄の姿

〈琉Q(ルキュー)〉は、沖縄県産にこだわったブランド。
もともと障がい者就労支援のために生まれたブランドであるが、
商品のクオリティの高さから人気を博している。

海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、
パッションフルーツバター、塩パインバターなど、
名前を聞くだけでおなかが空いてきそうなものばかりだ。

「沖縄のイメージとなると、南国、海、青い空。
それらはもちろん素晴らしいのですが、日常的にいいものもたくさんあります。
それらを紹介していきたいというのが琉Qのコンセプトです」と話すのは、
仕掛け人のひとり〈沖縄広告〉の仲本博之さん。

できたて新鮮なアセローラジャム。

アートディレクターは渡邉良重さんと植原亮輔さんによる
デザインユニット〈KIGI〉に依頼した。
KIGIのことは、〈D-BROS〉のプロダクトを手がけていたことなどで知っていたという。

「沖縄で広告関係の仕事をしていると、
“ハイビスカスやシーサーを入れて青っぽく”というような発注が多いのです。
でも、沖縄に住んでいる僕からしてみると、意外と曇り空が多いことも知っています。
KIGIのいい意味でクールなデザインで、
外部からの沖縄のイメージではなく、普段の沖縄を表現したいと思ったんです。
まったく面識はありませんでしたが、突然連絡して熱意だけでお願いしました(笑)」

打ち合わせを重ねているうちに、
「沖縄もまだまだエキゾチックだし、わからない部分も多い」という話になった。
そこで生産者からの言葉をQ&Aというかたちで打ち出していこうとなった。
そこから〈琉Q〉というブランド名が生まれた。

ホームページもただ商品紹介をするに留まらず、ユニークな仕掛けになっている。
沖縄に関する素朴なQ=質問を県外の人から集め、
それに対して“しまんちゅ”が答えていく。
質問は観光スポットを尋ねるものや、ライフスタイルに関するものなど。
なかには「ニガイのが苦手ですが、ゴーヤーのおいしいレシピは?」というQに対して、
「暑いところに行ってください。自然に苦いゴーヤーを身体が欲します」という、
答えになっていないような厳しめの(!?)回答も。
通り一遍の観光的沖縄ではなく、
もっと生活に根づいているリアルな沖縄を感じてほしいという思いだ。

元気に育った塩パイン。

沖縄ならではの農作物から

実際に、人気商品である〈東村の塩パインバター〉の原料である
塩パイン農家のカナンスローファーム・依田啓示さんを訪れた。
那覇からかなり北上した、沖縄本島北部の東村にある。

塩パインとは、海水を与えながら育てたパイナップルのこと。
ここでは7種類のパイナップルを育てているが、
琉Qの塩パインバターに加工されているのは、スナックパインとスムースカイエンだ。
土からも海水を吸わせ、上からも海水をかける。
海水に含まれるミネラルが効果てきめんなのだ。少し小ぶりだが、甘味がとても強い。
もちろん化学肥料や農薬は一切使っていない。

カナンスローファームのハウス。パインのほかにもドラゴンフルーツもある。

パイナップルは真夏が最盛期。11月ごろになると酸味が出てくるというが、
加工品にはそのくらいの時期のものがいいらしい。
こうして加工された塩パインバターは、果肉もたっぷり、とてもやさしい甘さに仕上がる。

カナンスローファーム・依田啓示さん。

いま、地域をもりあげる 実践家が集結。トークイベント 「日本の未来をデザインする ローカル あたらしいアタマの使い方」が 江戸川大学で開催!

地域の資源を再発見し、
デザインの力でその魅力を再生しようとする動きが、
全国各地で活発になっていて、
さまざまなクリエイターが地域で活躍しています。
今回、コロカルでも取材しました鈴木輝隆先生をコーディネーターに、
グラフィックデザイナーの梅原 真さんなど、
各地域で地元をもりあげている方々が登場するトークイベントが
明日13:00から江戸川大学現代社会学科で開催されます。

同学科では、国土交通省「国土グランドデザイン2050」の課題に、
地方をもりあげている現場の実践から
夢のある日本の未来を見出だしたいとフォーラムを行います。
「日本の美意識は観光資源」をテーマに、
日本のデザインから継続的な地域活性かの実現を議論していきます。

明日のトークイベントは二部構成。
13:00〜梅原真さんの基調講演に、
14:20〜「日本の未来をデザインするローカル」をテーマに、
引き続き梅原さんに加え、
熱海の再生に取り組む〈NPO法人atamista〉代表理事の市来広一郎さん、
岩手県の八幡平で温泉の地熱を活用しさまざま取り組む、
〈企業組合 八幡平地熱活用プロジェクト〉代表の船橋慶延さん、
外国人バックパッカーに人気を博すゲストハウス〈あなごのねどこ〉を運営する、
〈NPO法人尾道空き家再生プロジェクト〉の神田太郎さん、
都市農村交流をテーマに新潟県・山古志村、宮城県の牡鹿半島など、研究に取り組む
江戸川大学講師の清野 隆さんの5名でローカルの未来について議論します。

八幡平地熱活用プロジェクトの、馬由来資源と地熱を活用した、オーガニックファーム・ジオファーム。

〈NPO法人尾道空き家再生プロジェクト〉のゲストハウス、あなごのねどこ。

3年間空き店舗だった場所をリノベーションしてできた熱海の新しい使い方・楽しみ方を考えていくまちづくり会社の運営するコミュニティカフェ〈CAFÉ RoCA〉。

現在、実践している方々の貴重なトークイベント。
リアルな地域の事情が聞けそうですね。
参加費無料なので、お近くの方はぜひ。

■江戸川大学現代フォーラム

「日本の未来をデザインするローカル あたらしいアタマの使い方」

11月3日(火・祝)

13:10〜14:20

梅原 真氏 基調後援『あたらしいアタマ」

14:20〜16:30

パネルディスカッション「日本の未来をデザインするローカル」

江戸川大学B棟1階メモリアルホール

住所 千葉県流山市駒木474

http://www.edogawa-u.ac.jp/

投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その2)。 一般社団法人ノオト vol.6

一般社団法人ノオト vol.6

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト理事 兼
株式会社NOTEリノベーション&デザイン代表取締役の藤原(ふじわら)です。
株式会社NOTEリノベーション&デザインは一般社団法人ノオトと
REVIC(株式会社 地域経済活性化支援機構)が出資するファンドのための
SPC(Special Purpose Company)です。

今回は、vol.5につづき、投資ファンドと古民家再生についてお話したいと思います。

日本初!〈篠山城下町ホテル NIPPONIA〉の取り組み

2015年10月3日にオープンしたばかりの篠山城下町ホテル NIPPONIA(ニッポニア)は
投資ファンドを使った古民家再生事業であると同時に
国家戦略特区を活用した日本初の取り組みです。
まずは、事業概要を簡単にご説明したいと思います。

NIPPONIAの4つのホテルのうちのひとつ、ホテルONAE(オナエ)棟の受付ロビー。

NIPPONIAの事業コンセプト
「我々が再生したのは宿やホテルではない。
日本の暮らし文化を体験するように泊まれる空間である。
400年の歴史に、とけこむように泊まる」
約400年の歴史を持つ篠山城は、兵庫県篠山市の中心に位置する城跡で、
国の史跡に指定されています。
篠山城下町ホテルNIPPONIAは、
この篠山城を含む城下町全体を「ひとつのホテル」に見立てるという構想です。
城下町に点在している空き家となった古民家を、
歴史性を尊重しながら客室・飲食店・店舗として再生し、
篠山の文化や歴史を実感できる宿泊施設としてオープンしました。
時間を重ねた歴史ある客室、
丹波篠山をはじめとした、地域の豊かな食材をふんだんに使った創作フレンチ、
既存の歴史施設・飲食店・店舗などと連携した歴史的城下町のまち歩きアクティビティなど、
「歴史あるまちに、とけこむように泊まる」をコンセプトとした、
地域の暮らし文化を体験する、新しいスタイルの宿泊施設です。

ONAE棟:蔵をリノベーションした客室。

事業体制について

この事業は各分野のエキスパートが参画しています。
全体プロデュースに関してはプロデューサー、デザイナー、
クリエイター、プロモーションを担当するプロフェッショナルや個人や団体。
マネジメントでは、セールス、アセットマネジメント、
オペレーションマネジメントを担う専門企業や団体。
ファイナンスでは、ファンド・キャピタル会社、銀行。
建築においても、もちろんヘリテージマネージャーを取得した一級建築士をはじめ、
大工さん、左官屋さん……。行政では地方自治体や中央官庁。

こういったあらゆるプロが集結し、実現することができました。
しかし、これらの体制は急に立ち上がったのではありません。

このプロジェクトに先駆けて2年前からベースとなる準備組織をつくってきました。
地域資産活用協議会(OPERA)」といいます。
我々は7年間で30棟以上の古民家を再生してきた実績によりノウハウだけでなく、
各分野のプロフェッショナルとつながりをもつことができました。

投資会社〈観光活性化マザーファンド〉とは

NIPPONIAは国家戦略特区を活用した古民家を活用した宿(ホテル)として
日本初の取り組みとなります。
本プロジェクトは、国家戦略特区(関西圏)の特区事業に認定されていて、
旅館業法の玄関帳場(フロント)設置義務についての規制緩和などを受けています。
これにより、複数の分散した古民家の宿泊施設を、
一体化して運営管理することが可能になっています。

今回の古民家再生におけるファンドの仕組みは図1のようになります。
一般社団法人ノオトとマザーファンドが、
共同出資の会社(株式会社NOTEリノベーション&デザイン)を設立し、
その会社を通じて物件を買い取って、改修を行います。
改修した物件を事業者に貸し出すことで、全体の収益構造をつくっています。
(なぜ、ファンドと連携することになったかは、vol.5にて)

図1:ファンド方式

今回、投資決定いただいたのは〈観光活性化マザーファンド〉といいます。
地域の観光活性化を目的として株式会社地域経済活性化支援機構、
株式会社日本政策投資銀行、株式会社リサ・パートナーズの3社で組成された、
マザーファンドです。

〈観光活性化マザーファンド〉の概要。

※株式会社地域経済活性化支援機構についてはこちらより。

ローカルから取り組む、 グローバルへの挑戦 〈MORE THAN プロジェクト〉

Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの“デザイン”を手がける
クリエイティブ・エージェンシー〈ロフトワーク〉がお届けする
「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」。
連載第3弾は、日本発の商材・サービスを海外へ届けたい中小企業と
プロジェクトチームのビジネス機会創出・魅力発信を行う、
経済産業省の〈JAPANブランドプロデュース支援事業〉
(通称:〈MORE THAN プロジェクト〉)について。
昨年に続き、今年もプロジェクトマネジャーを務める秋元友彦がご紹介します。

MORE THANプロジェクトとは?

「日本のイメージって、どんなもの?」と、海外の友人に尋ねたら、
こんな答えが返ってきたことがある。
「えーっと、フジヤマ、サムライ、スシ、ゲイシャ……?」
私は少しびっくりしてしまったが、その友人は冗談ではなく本気でそう思っていたようだ。
地域の特色ある食品・工芸品・お祭り、おもてなし精神が宿った施設やサービス、
世界を奮させるコンテンツ、先端技術だってあるのに。

これは、〈MORE THAN プロジェクト〉のコンセプト文の一部です。
「いやいや、もっと伝わっているはずなのに」と、
私たちプロジェクトメンバーも半信半疑でしたが、
海外に行ってみてこれは現実のことなんだと実感します。
そんな、まだまだ伝わっていない日本の“今”の魅力をもっともっと海外の人に届けたい ——そんな思いから本プロジェクトは始まりました。

あるようでなかった新しい仕組みのプロジェクト

海外進出を目指す中小企業の多くは、海外の展示会(見本市)に出展します。
しかしいざ出展しても、現地の知見や海外展開のノウハウがなく、
言葉の壁もあって思うようにいかず、
商品の魅力を伝えきれずに商談がうまくいかないことも多々あるそうです。
また海外向けに新たに商品開発を行うことも重要で、
これにも現地のビジネス慣習やデザインの知識が必要になります。

これまでの国主導の「日本企業の海外進出支援」は、
展示会への出展費や商材改良のための開発費を補助金として拠出するというパターンが
主なものでした。

MORE THAN プロジェクトとは、
海外に挑むローカル企業が自信をもって製品の魅力を伝えて海外進出を成功させるために、
地域企業とタッグを組む経験豊富なプロデューサーやデザイナーの活動資金を一部支援し、
海外での商談成立(商品取り扱いの実現など)を目指すプロジェクトです。

ロフトワークは、2014年度から事務局として本プロジェクトに携わり、
クリエイティブやコミュニケーションをサポートしています。

“地域から都心へ”ではなく、“地域から世界へ”

プロジェクトチームのひとつ〈播州刃物〉は、播州地域に住むデザイナーが立ち上げ、
プロデュースしている刃物ブランドです。
兵庫・播州地域の刃物産業は後継者不足が課題となっていました。
高齢化で工場を畳む職人が増え、そのためにほかの工場にしわ寄せがきて、
後継者育成まで手が回らない……という悪循環。
そこで、OEM(委託者のブランドで製品を生産すること)ではない、
組合独自の製品をつくり、価格もこれまでの相場と比べて約2倍に設定しました。
個々に活動していた職人たちを〈播州刃物〉というひとつのブランドで組合化し、
一社に負荷がかかりすぎないようにしながら
商品価値を高めるビジネスモデルがつくられました。
プロデューサーは、そのブランディングからデザイン・広報までを一手に引き受け、
播州刃物は海外のセレクトショップや美容室で取り扱われるなど、
海外で数々の商談を成立させています。

もうひとつの播州刃物の課題は、
刃物を長く使うためのカルチャーを理解してもらった上で活用してもらうこと。
刃物は研がないと劣化するのに、海外では研磨できる職人がいません。
ブランド誕生から3年目のいま、現地に研ぎ師のネットワークとビジネスモデルを形成し、
販売網を徐々に広げています。2015年のグッドデザイン賞ではその取り組みが評価され、
ビジネスモデルの部門でBest100に選出されました。
播州刃物はMORE THAN プロジェクトが始まる前から活動しているブランドですが、
その活動プロセスの一部にMORE THAN プロジェクトの補助金や
ネットワーク間のコミュニケーションも活用した事例のひとつでしょう。

地域から都心ではなく、直接世界へ。「地方だから仕方ない」と思う必要はありません。
いいものがあれば自分たちの力で盛り上げる、
それが難しければまずは誰かと共に取り組むことも成功への架け橋となるはずです。

東京都には11の島がある! 伊豆諸島・小笠原諸島ナイト& 利島・神津島・御蔵島フェア開催

東京都には11の島がある!のだそうです。
知らなかった、、、そんな東京の離島・伊豆諸島・小笠原諸島をテーマにしたイベント、
伊豆諸島・小笠原諸島ナイト <都会を離れた東京都スペシャル・離島編>」が
東京・お台場の「東京カルチャーカルチャー」にて開催されます。
イベントでは、島料理・島焼酎の紹介や
くさやの原液も登場する島トリビアのほか、
在島経験者の方にも来店頂き、島での生活を大公開。
また利島から巨大サザエが登場し、「通」な食べ方を伝授致します。
さらに、青ヶ島太鼓と小笠原古謡のパフォーマンスも。
一夜限りのセッションが行われるそう。

利島

神津島

御蔵島

そして、竹芝客船ターミナルにある
伊豆諸島・小笠原諸島のアンテナショップ
「TOKYO ISLANDS CAFE」では、
伊豆諸島の中でも規模が小さいながらも、
知る人ぞ知るスポットとして注目を集める、
利島・神津島・御蔵島の3島フェアを開催中。
本日10月28日(水)から11月30日(月)までの約1ヵ月間、
各島の食材を使ったランチメニューの提供や、
島外初出荷の特産品の販売などを行います。

障がい者が参加できる ブランドをつくる 琉Q/4NA4NA 前編

障がい者作業の工賃アップ作戦!

〈琉Q(ルキュー)〉は、沖縄県産にこだわったブランド。
海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、
パッションフルーツバター、塩パインバターなどを発売している。

この生産には、県内の障がい者の方々が製造に関わっている。
おもな作業は掛け紙、ラベル貼り、梱包などだ。
施設でビンの管理をしてもらい、近くの工場まで配送するという仕事もある。
これらの仕事をコーディネートしているのは、
障がい者を支援する県の外郭団体である〈一般財団法人 沖縄県セルプセンター〉の
萱原景子さんだ。

「施設それぞれで、商品をつくっては売るということをやっていますが、
もちろんものづくりも販売もプロではなく素人集団。
デザインの概念もありませんし、同情で売れていることが多いです」という萱原さん。

沖縄県セルプセンターの萱原景子さん。

全国の障がい者の就労施設では、施設利用者がさまざまな仕事に従事している。
しかしその工賃は、
全国平均で1か月に14,377円(平成25年度/厚生労働省障害福祉課調べ)だ。
国は、工賃を倍増させようと試みているが、なかなかうまくいかないのが現状である。
商品の力をつけて売る手法を考えないと、利用者の工賃を上げることはできない。
そこで〈沖縄広告〉とともに、このような現状を打破すべく動き出した。

「各施設でつくっているものをお祭りやフェアなどで販売するお手伝いから始めました。
しかし、どうしても商品のクオリティが高くないなかで、情で買われてしまいます。
そういうコミュニケーションの仕方には、限界があると思うんです」
と話してくれたのは、沖縄広告の仲本博之さん。

社会貢献として捉えられてしまい、一時的な売り上げにしかならない。
日常としては受け入れてもらえない。そこで考え出されたのが、〈琉Q(ルキュー)〉だ。
ブランド化し、障がい者のストーリーはあくまでバックグラウンドにすることで、
消費者に感覚的に共感してもらえる商品でなくてはならない。
まずは、沖縄の各地でつくられている滋味豊かな食を、
デザイン性も高く、パッケージする。
ここに共感を持ってもらうことが大切だった。

沖縄広告の仲本博之さんは、沖縄生まれのしまんちゅ。

これまでは施設が自由につくったものを売るという流れだったが、
ひとつのブランドをつくり、
その中のいくつかの作業を施設に発注していくという流れに変えた。
ものづくりのフローを逆向きにし、まずは商品力を高める。
結果、売り上げが伸びることで、生産数を増やしたり、
新しい商品や工程を生むことで工賃に還元できる仕組みだ。

“もの自体の良さ”で売っていくということは、
市場のものと同じ土俵で勝負するということ。その意味では、クオリティも重要だ。
クオリティを一定に保って、納期を守る。
ごく当たり前のことのように思えるが、施設だとそれが難しい場合もある。
消費者に言い訳はきかない。ここに矛盾があるという。

「仕事ではあるけど、施設にとって、一番は利用者さん。
無理をしてまでやらせたくないという心情が働きます。
それで納期が遅れていくということもあります」(萱原さん)

「国が工賃アップといいながらも、福祉とビジネスは切り離して考える風潮があります。
日本が抱える問題がコンパクトなかたちで表れていると思います」(仲本さん)

ロゴ入り傘を自販機で無料貸出し! ダイドードリンコ、 大阪で初の試み

自販機にこだわり、ペットボトルへの対応や
ルーレット、おしゃべり、ポイントカードなど
様々な機能をいちはやく搭載してきた
飲料メーカーのダイドードリンコ。
そんなダイドーさんが、
自動販売機を活用した地域社会貢献活動を開始。
なんと自販機に傘を取り付け、急な雨の際は無料で貸出をするというもの。
2015年10月21日(水)より、大阪市内の「ダイドービバレッジサービス」の
なにわ営業所が管理する自動販売機60台でスタートしました。
これから3カ月間、試行されるのだそう。

実際に設置しているところ

ただ自販機に傘が差してあるだけなので、
持ち去りも多そうですが、
ロゴ入りの傘ということで、持ち去られても
宣伝効果があるのかも... ?!

使ったあとは元の場所に返却を

ストリップ劇場が 「旧劇場」になるまで。 IVolli architecture vol.1

IVolli architecture vol.1

はじめまして。〈アイボリィアーキテクチュア〉の永田賢一郎 と申します。
アイボリィアーキテクチュアは横浜市の黄金町というまちを拠点に
活動している設計事務所です。
2014年にもともとストリップ劇場だった建物を仲間と改修し、
〈旧劇場〉というシェアスタジオを立ち上げて活動をしています。
アーティストや木工職人、カメラマンやライターといった
異なる分野の人間たち9人でつくった場所で、
それぞれ個々に活動しながらも、ときに協働したりしながら動いています。
今回より6回にわたって、このスタジオができるに至った経緯や、
拠点を持ったことで生まれた地域との関わりについて、
またスタジオをシェアする仲間たちとの協働プロジェクトなどについて
紹介していきたいと思います。

まずはじめに私たちについてですが、
アイボリィアーキテクチュアは永田賢一郎と原﨑寛明のふたりで活動しています。
もともと上海と横浜という別々の場所で働いていたのですが、
僕が上海より帰国した際に、大学時代の同期だった原﨑に声をかけて活動を始めました。
大学が横浜にあったこともあり、
学生時代に過ごしていた場所も横浜だった僕らは、
自然と活動の拠点を横浜にしていたのですが、
そのなかでも、もとから黄金町に縁があったわけではなく、
事務所を始めたばかりの頃は横浜市内の別の場所で活動していました。

始まりはハンマーヘッドスタジオ

2013年当時、みなとみらいの新港埠頭に
〈ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」〉という巨大なシェアスタジオがあり、
そこの一区画を僕らは借りていました。
ここには50組以上のアーティストやクリエイターが入居していて、
毎日スタジオに通うだけで実に多様な人たちに触れ合うことができました。
年齢もジャンルも超えたフラットな空気感がそこにはあり、
常に刺激をもらえる環境がありました。

ハンマーヘッドスタジオ。たくさんの方々が日々制作をしていました。© BankART1929 photo Tatsuhiko Nakagawa

残念ながらハンマーヘッドスタジオは2年間限定のスタジオだったので、
2014年の4月には解体されてしまいましたが、
横浜の関内外エリアという場所は
以前から多くのクリエイターやアーティストが拠点を持って活動しているエリアなので、
スタジオ解体後もまちの中に拠点を移しやすい環境ではありました。
これだけ多くの人がシェアしているスタジオがあるということ自体奇跡的でしたが、
それ以上に、多数のアーティストやクリエイターが
一度にまちに拡散していくという状況が生まれたことが大変特殊な出来事でした。

ひとつの大きな場所からたくさんの小さな拠点となって、
まちの中にアーティストやクリエイターが散らばっていくことがどんな影響を及ぼすのか。
そもそもまちの中に拠点を構えるとはどういうことなんだろうか、
とスタジオ解体までの間よく話していました。
実際にはほかの地域へ移られる方もいましたし、
新たに自分で横浜に拠点を持つ方もいました。
そういった状況のなかで、僕らと同世代のメンバーは
「自分だけで場所を賄う体力はまだあまりないけども場所は必要」
と境遇も近かったので、自然と共同で場所を借りようという話になりました。

次は自分たちで拠点をつくる

集まったメンバーは建築事務所2組4人、
ライター、木工職人、現代美術家、アーティスト、カメラマンの計9名。
それぞれ仕事の仕方も違うし、必要な場所のスペックも予算も違いました。

木材を搬出入できる天井の高い場所が必要。
音が出る作業ができる空間がいい。
絵が描ける環境にしたい。
建築模型をつくれるだけの広さは欲しい。
1階だとなおいい。
スタジオ内でも地域とも交流が持てる環境がつくりたい……と、
それぞれの仕事場として最低限の必要な条件と、
その場所がどうなってほしいかを毎日のように話し合いながら、
拠点としてふさわしい場所はどこなのかを模索していました。

それぞれ分野の異なる仲間が集まりました。

物件ありきで後からシェアを募るのではなく、
最初からメンバーと具体的な使い方を固めてから
共同で場所を使うという流れができていたので、
不動産市場では埋もれてしまうような特殊な物件などでも
積極的にその使い方を考えていました。
そしてそんな最中、僕らは黄金町にあった元ストリップ劇場という、
とても魅力的な建物に出会うことになりました。

黄金町とストリップ

ご存知の方も多いかもしれませんが、
横浜市の黄金町と言えばかつては違法風俗で栄えた歓楽街で
今でもまちを歩けば250件もあった売春宿の一部を名残として見ることができます。
10年ほど前からは地域住民によって環境浄化運動が始まり、
2009年には〈特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンター〉も設立されて、
黄金町というまちのイメージは刷新されてきています。

かつての売春宿はアーティストの活動拠点やイベントスペースに。

独特な歴史がもたらすまちの空気感が個性的な場所を多く生み出し、
ドラマ『私立探偵濱マイク』の舞台などでも使われていました。
僕らが出会った建物もそのような黄金町の真ん中にあり、
つい最近までは「黄金劇場」という名前のストリップ劇場で、
近くを走る京急線からも大きな看板が目立っていました。

黄金劇場があったころの様子(画像提供: 三日画師)。

新しい桃太郎は 地味で目立たない、でもいいヤツ。 岡山県の新PRムービー 「新・桃太郎」公開

岡山県が昨年9月から始めたPRキャンペーン「もんげー岡山!」。
「もんげー」とは、岡山弁で「すごい」という意味。
このたび、新コンテンツの第一弾となるムービー「新・桃太郎」が公開されました。
桃太郎役は岡山県出身の俳優、前野朋哉さん。
桃太郎といえばキリリとしたイメージがありますが、
岡山が贈る新・桃太郎は、地味で目立たない存在。
でも、すごくいいやつなんです!
昔話の桃太郎とも、テレビCMの桃太郎とも異なる、
全く新しい桃太郎の物語が誕生しました。

舞台は、岡山県内にある「白桃農園」。
そこで新入りとして働き始めた桃太郎と、
桃太郎を温かく見守る農園の親方が登場します。
桃太郎を演じるのは、倉敷市出身の俳優・前野朋哉さん。
映画「桐島、部活やめるってよ」や、
ドラマ「マッサン」への出演などで注目される個性派俳優さんです。
親方を演じるのは、俳優の宇梶剛士さん。
さらに倉敷市出身のフィギュアスケーター、高橋大輔さんも特別出演しています。

桃太郎を演じる前野朋哉

宇梶剛士(白桃農園の親方)。宇梶さん主演の岡山県PRムービーはこちら

SUPER VISIONSフォーラム

田舎から日本を変えよう!

8月19日、2回目となる〈SUPER VISIONSフォーラム〉が、
安倍昭恵総理夫人の協力のもと、内閣総理大臣公邸にて行われた。
「田舎から日本を変えよう!」というテーマを掲げたこのフォーラムには、
主にふたつの目的がある。
ひとつは、日本各地で地方創生のさまざまな取り組みを実践して、
成果を上げている方々に活動報告をしてもらい、
フォーラム参加者それぞれの活動に生かす勉強会としての場。
そしてもうひとつは、同じように奮闘している参加者とゲスト、
あるいは参加者同士がつながるネットワークづくりの場だ。

今回、活動報告をしたゲストは15名。
地域づくりというジャンルにおいては、どの方も一目置かれている“豪傑”ばかりだ。
バラエティに富んだその活動内容を、それぞれのプロフィールとともに
ダイジェストとして紹介しよう。

“ジャポニック”を世界へ 高野誠鮮さん

石川県羽咋市役所・文化財室長の高野誠鮮さんは、神子原のお米のブランド化に成功。その活躍ぶりは、コロカルの「Innovators インタビュー」でも詳しく紹介。

石川県羽咋市役所・文化財室長の高野誠鮮さんは、
限界集落を蘇らせた“スーパー公務員”。
地元・神子原産のお米の知名度を上げるべく、ローマ法王に献上し、
実際に食べてもらったことで大きな話題となり、農家の年収アップに貢献。
農業移住者の増加にもつながった。
さらには“奇跡のリンゴ”で知られる木村秋則さんとともに
無農薬・無肥料の自然栽培を行い、「ジャポニック」と命名。
現在はJAと共同でその指導に取り組んでいる。
「実はいま、モナコ公国の食材と、東京オリンピックの選手村の食材を
すべてジャポニックにできないか、虎視眈々と狙っているところです」
とさらなる壮大な夢を語る、高野さん。その野望はとどまることを知らないようだ。

島留学で“グローカル”な人材育成 奥田麻依子さん

島根県の海士町で〈隠岐島前高校魅力化プロジェクト〉を手がける奥田麻依子さん。地域に根ざしながら世界とつながる“グローカル”人材の育成を目指す。

奥田麻依子さんが取り組む〈隠岐島前高校魅力化プロジェクト〉の目的は、
人口減少により廃校の危機に瀕していた高校で魅力的な教育を行い、
地域の教育をブランド化すること。
地域が抱える課題に対して、自分たちのできることを高校生自らが考え、
解決に向けて行動することで、地域に根ざしながら世界とつながる
“グローカル”人材の育成を目指している。
現在は島留学というかたちで全国から生徒を募集し、
160人の在校生のうち約半数が東京や大阪を中心とする全国各地から集まってきている。
「いままでは高校中心に取り組んできましたが、
今後は保育園から小中高校まで連携した教育を目指していきたいと考えています」
昨年度からは教師の全国募集も始め、都道府県で連携できるかたちを模索中だ。

里山の元気な高齢者を紹介 イザベル・プロハスカ=マイヤーさん

ウィーン大学日本学科講師・博士のイザベル・プロハスカ=マイヤーさん。2014年にはドキュメンタリー映画『山村で暮らす高齢者たち』を制作。

イザベル・プロハスカ=マイヤーさんは、ウィーン大学日本学科の講師・博士。
オーストリアの地方でも過疎化・高齢化の問題を抱えており、
長野県と山梨県の3つの山村で高齢者がどのような日常を過ごし、
自治体はどのような対策を練っているのか、フィールドワークを行った。
イザベルさんは「日本の田舎は魅力的で、無限の可能性がある」と主張する。
「高齢者は介護の対象と見られがちですが、
私が出会った方々はまさにアクティブ・エイジングでした。
もちろん人生でつらかったこと、苦労したこともうかがいましたが、
ユーモアのあるポジティブな姿勢にはとても感心しました」
イザベルさんはこうした日本の山村の現状をより多くの人に紹介したいという思いから、
ドキュメンタリー映画も制作している。

農家民宿でエコツーリズムを 井上かみさん

山口県油谷島で〈アジアンファームハウス百姓庵〉を運営する井上かみさん。百姓の営みにより本当に豊かな暮らしを実践している。

〈アジアンファームハウス百姓庵〉の井上かみさんは、
結婚を機に12年前に山口県油谷島に移住。
ご主人と耕作放棄地を開拓して、ほぼ自給自足の暮らしをするかたわら、
1日1組限定の農家民宿を営んできた。
8年前からは、昔ながらの立体式塩田で〈百姓の塩〉という天然塩を製造販売。
いまでこそ油谷島の海は美しいが、移住当初は漂着ゴミがひどかったそうで、
ご主人がひとりで始めた海岸清掃が、いまでは1000人規模のイベントになっている。
「問題はストイックに取り組んでもなかなか解決しません。
楽しいところに自然と人は集まってくるので、
こうしたイベントも楽しさを重視して企画しています」
もともと旅行業界にいた経験を生かし、今後はエコツーリズムのメッカとして
油谷島の魅力を世界に発信していきたいと考えている。

花火と水産業でまちに笑顔を 高田佳岳さん

追悼と復興の花火を打ち上げる一般社団法人〈LIGHT UP NIPPON〉代表理事の高田佳岳さん。水産業で地場産業を盛り上げたいと語る。

高田佳岳さんが代表理事を務める一般社団法人〈LIGHT UP NIPPON〉は、
東日本大震災の追悼と復興の祈りを込めて花火を打ち上げるイベントを企画している。
岩手県大槌町に縁のある高田さんは、広告代理店に勤めていた経験を生かし、
エンターテインメントで復興支援を考えた。
鎮魂の意味があるだけでなく、子どもたちを笑顔にして、
さらにはコミュニティの再生にもつながる花火はうってつけだった。
現在はこの活動のかたわら、被災地の漁師が釣った魚を
東京の飲食店に卸す“魚屋”を営んでいる。
「こういう場で農村のテーマは多く見聞きしますが、
島国なのに漁村の話はほとんど出てきません。
僕は農業の成功例を参考にしながら、水産業を応援して
日本中の沿岸地域を活性化していきたいと思っています」

芝浦工業大学有志団体 「木沢の『わ』プロジェクト」 徳島県那賀町、 築146年の空き家を再生する!

全国的な問題になっている「空き家」。
いま、徳島県那賀町木沢地域で空き家となっている
築146年の古民家を、東京・芝浦工業大学の学生有志団体が
再生するプロジェクトが現在進行中!
その名も「木沢の『わ』プロジェクト」。
建物の完成は2016年4月の予定。
学生たちはプロジェクトにあたって、
地域に入って丁寧にヒアリングを行い、
住民と一体となって古民家の改修活動を行っています。
時には地域に住む大工や左官などベテランの伝授を受けながら、
設計から施工まで地域住民と協働して手掛けているんです。

学生が製作した古民家の設計模型

この古民家の完成後は、地域住民が集う憩いの場であるとともに、
料理教室や自然体験の現地体験プログラムの提供、
また木沢の年配者が古来からある文化や暮らしの知恵を来訪者に伝える場としても機能。
地域活性化のためのゲストハウスとして運営されていくそうです。

地元製材所にて木材の講習

新設の縁側を施工中

そもそもこの木沢地区は、徳島市内から車で約1時間半、
97%が森林に覆われ、高齢化率は約58%という限界集落。
2014年には、唯一あった小学校も閉鎖してしまって、
町民たちが意気消沈しつつありました。
その現状に危機感を覚えた、「那賀町地域おこし協力隊」の桑高仁志さんは、
あるプロジェクトを始めます。
それが「杉の娘」の結成。
平均年齢73歳の地域の元気な年配女性たちを集め、
現状打破のために民間学校「杉の娘楽校(すぎのこがっこう)」を発足。
女性たちが「杉の娘」となって、
生徒同士で各自の特技を教え合い、
地域コミュニティを再生させる活動を始めました。

杉の娘による学生たちへのワークショップ

高松市ののどかな郊外で、 始まったこと。 仏生山まちぐるみ旅館 vol.1

仏生山まちぐるみ旅館 vol.1

こんにちは。
ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。
建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、
まち全体を旅館に見立てる〈仏生山まちぐるみ旅館〉という、取り組みを進めています。
今回の連載企画では、仏生山というまちとそれぞれの建物が、
どのような関わり方をもってリノベーションされているかということを
お伝えできればと思っています。

仏生山町は高松市の中心市街地から南に8キロ、車で20分ぐらいのところにあります。
私鉄の〈ことでん(琴平電気鉄道)〉だと高松駅から仏生山駅まで15分ぐらいです。
江戸時代の初期に高松藩の菩提寺として、〈法然寺〉とその門前町がひらかれました。
今でも当時の建物が少しだけ残り、その雰囲気を感じることができます。
住宅と田んぼが混ざり合う、のどかな地域で
1.5キロ四方に8,000人ぐらいの人が暮らしています。

法然寺の仁王門(左)と五重塔。

ぼく自身はこの仏生山で生まれ育ち、大学進学と共に県外に出ました。
東京での設計事務所勤務を含めると10年ほど仏生山から離れていました。
その後、家業の飲食、宴会施設の跡を継ぐのと同時に
設計事務所を始めるつもりで仏生山に戻りました。
当初ぼくが思っていた予定と少し違っていたのは父が温泉を掘ったことでした。

仏生山のまちの風景。

仏生山はもともと温泉街ではなく、どこにでもあるような普通の郊外です。
父は以前から温泉を掘りたいと言っていましたが、家族全員が冗談だと思っていました。
しかし、仏生山の下にある高松クレーター(現在は砂や水が堆積していてかたちは見えない)が
発見されたのを機に本当に温泉を掘削し始めたのです。

温泉を掘っているところ。

僕が仏生山に戻って来たら、ちょうど掘り終わって温泉が湧いていた、
という絶妙なタイミングでした。
温泉を掘るということは、かなりのリスクを伴います。
温泉が出るまでの間はとても不安でしたが、
出てきた源泉は、湯量、泉質、温度ともに申し分なく、
今となっては父の決断に感謝するばかりです。
そこから計画を進め設計事務所としても初めての仕事になる、
〈仏生山温泉〉が2005年に開業しました。
仏生山温泉は、宿泊のない日帰り入浴施設です。
家業に温泉業が加わり、ぼくは仏生山温泉番台を名乗ることになりました。

仏生山温泉の入り口。

仏生山温泉の浴場。

温泉の仕事を始めて何年か経ってみると、
運営の大切なことは現場の空気をちゃんと見ていくことだということに気づきました。
そうなると、もうこの仏生山というまちから、ちがう場所に移り住むことや、
ちょっとした旅行にもなかなか行きにくいということがわかりました。
いかに自分の住むまちを今よりも楽しい場所にして、
どうやったら、にやにやしながら暮らせるかということを考え始めました。
楽しい場所にする、と言ってもそんなに大それた望みがあるわけではありません。
毎日でも通いたいおいしい定食屋さんとか、
ゆっくり読書ができる居心地のいいコーヒー屋さんとか、
自分が行きたいと思えるお店がその場にあって、
毎日楽しくすごすだけで、
十分にやにやできると思いました。

仏生山温泉の休憩場。

そのお店を増やすための取り組みが〈仏生山まちぐるみ旅館〉です。

〈ありんこ文庫〉 主宰 池城かおりさん

宮古島に図書室をつくる

沖縄の宮古島で〈ありんこ文庫〉という絵本の図書室を主宰する、池城かおりさん。
ありんこ文庫は、宮古島市平良のアパートの1階にある。
赤ちゃん向け、低学年向け、高学年向けの部屋に分かれているものの、
3LDKの間取りに仕切りはなく、棚やソファがゆったりと置かれている。
日の光がさしこみ、車の音のほとんど聞こえない静かな部屋で、
子どもたちが来るのを待ちながら池城さんの話を聞いた。

宮古島 来間大橋 Photo: Chiaki Okuhira

筆者と池城さんの出会いは3年ほど前にさかのぼる。
私は2011年に、那覇の市場中央通りで〈市場の古本屋ウララ〉という古本屋を始めた。
池城さんは2012年、まだ〈ありんこ文庫〉が生まれていないときに、
その古本屋を訪ねてくれたことがある。

「今度、宮古島で絵本の図書室を始めようと思っています」
そんな風に話しかけられたのだったか。
「絵本を仕入れるには、どんな方法があるでしょう」
自分なりに知っていることを説明しながら内心では、
この人、本気かしらと怪しんでいた。
図書室というのはもちろん利益が出るものではない。
志だけでやっていこうというのだろうか。
こちらの勝手な心配をよそに、おそらく私と同年代の(あとで同学年だとわかった)
池城さんは、明るく笑っていた。

図書館が好き

Photo: Chiaki Okuhira

池城かおりさんは、ありんこ文庫のある宮古島市で生まれ育った。
子どものころは公民館や小学校の図書室に通い、科学の本を読みあさった。
高校のときにレイチェル・カーソンの『沈黙の春』に出会い、
環境問題に関心を持つようになって、大学は理系学部を選んだ。

「初めての東京で寮に入ってアルバイトもして、楽しく過ごしました。
ただ、自分には研究者としての適性がないことも思い知らされました。
子どものころから好きな分野だっただけに、苦しかったですね」

研究職に就くことをあきらめて、さて、この先どうするか。
教職をとったり、一般企業の採用試験を受けてみたりと試行錯誤を続けるうちに、
子どものころから通っていた図書館のために働きたいと思うようになった。

ある日、司書講習の実習の課題でウェブを検索していたら、
日本科学未来館の求人が出てきた。
図書館の司書は狭き門だから、まずは社会人になって経験を積んでおこう。
池城さんはお台場の日本科学未来館で、
解説や企画を担当するサイエンスコミュニケーターの仕事を始めた。

「科学館の役割は、科学の魅力を伝えて、相手の好奇心に火をつけることです。
探究心があれば、あとは自分で学んでいける。
家に帰ったら、地元の図書館で調べてほしいと思っていました」
科学館にいながら、池城さんの視線の先にはいつも図書館があった。

5年の任期を終えて、28歳になった池城さんは再び岐路に立つ。
いずれ宮古に戻ろうと決めてはいたものの、島で自分に何ができるかわからない。
そんなとき、宮古島の新聞社が主催するエッセイのコンクールに応募した。
宮古島に帰ったらやってみたいことや島への思いを、素直に書いた。

「入賞しなかったら帰るのやめようと思っていたら、優秀賞に入って。
私の思いが審査員の誰かの心を動かしたのなら、
帰ってもいいのかな、と感じられました」

絵本の図書室をつくる

来間島 長間浜 Photo: Chiaki Okuhira

2008年、池城さんは宮古島に戻り、少しずつ自分の仕事を探っていった。
地元の新刊書店でアルバイトもした。
「児童書の担当をしたのですが、本は商品だから、管理が優先になるでしょう。
思う存分、読ませてあげたいって思いました」
その思いから、2009年に〈はじめまして絵本プロジェクト〉を始めた。
島内外からの募金で絵本を購入して、島の赤ちゃんひとりひとりにプレゼントする。
池城さんが中心となってボランティアグループを結成し、いまも活動を続けている。

池城さんをこのような活動に向かわせたのは、宮古島の図書館の厳しい現状だった。
宮古島に帰ったとき、島には市立図書館が2館と、県立図書館宮古分館があった。
市立図書館は狭く老朽化しているため、2013年に新館が開館する予定だったのに、
2009年に突然、計画が白紙となり、その後計画は再検討に入っている。
さらに2010年には県立図書館の宮古分館が廃止されてしまった。
「すごくショックでした。私にとって図書館は、
電気や水道やガスと同じ、生活に欠かせない存在なのに」

調べてみると、市立図書館の利用カードを持っている市民は2割弱。
特に気になったのは6歳以下の利用状況だった。
「図書館の新設が延期されたのには、相応の事情もあるでしょう。
でも、子どもの成長は待ってくれません。
宮古島の子どもたちの多くは10代で島を離れます。
知らない土地で暮らすとき、図書館の使い方を知っていたらどれだけ心強いか。
自分でできる範囲で、いまの子どもたちのために何かやってみたいと思いました」

どんな子も気軽に来られるように、無料公開の図書室をつくりたい。
でもどうやって?
そこをあと押ししてくれたのが、クラウドファンディングだった。
インターネットを通じて、活動への支援金を集める方法である。
まずは友人や知人、元同僚などに支援をお願いすると、
その人たちがSNSなどで呼びかけを手伝ってくれて、どんどん輪が広がった。
おかげで2012年11月、見事に目標額を達成。
翌年の春、全国から寄せられた資金で絵本を揃えて、ありんこ文庫は開室できた。
所蔵する絵本のなかには、支援者が子どもたちに読んでほしいと
推薦した作品も並んでいる。

個人スポンサーが推薦した絵本の巻末には推薦者の名前が記載される。約600冊の蔵書のうち、52冊はスポンサーが薦めた作品たちだ。名前を見つけることが楽しく、興味津々でページをめくる子もいる。

私も少額ながら2年にわたってスポンサーとなり、
2冊の絵本をありんこ文庫に入れてもらった。
お金を通じて関われるのは、遠くから応援したい側としてもありがたい。
また、ありんこ文庫のブログでは個人スポンサーの人たちからのメッセージや、
推薦された絵本のリストを見ることができる。
全国から寄せられた応援コメントを読み、絵本のタイトルを眺めていると、
たくさんの人が宮古島のありんこ文庫に期待しているのが感じられて、
こちらまでうれしくなる。
ありんこ文庫は現在もスポンサーを募集している。
興味をもたれた方は、下のサイトから参加してみてはいかがだろうか。

ありんこ文庫の個人スポンサー受付専用サイト

ありんこ文庫の時間

Photo: Chiaki Okuhira

話を聞いているあいだ、何人かお客さんがやってきた。
4歳の男の子は、来るなり奥の部屋に駆けこんで、畳の上に絵本を広げた。
力を入れすぎたのかページがバリッとはがれ、お母さんが真っ青になる。
「大丈夫ですよ、直せますから」
にっこり笑って補修を始めた池城さんを、男の子が下からおずおずと覗きこむ。
「心配いらないよー」
明るい声に安心したのか、男の子は「お茶、お茶」と声をあげ、
池城さんに入れてもらったさんぴん茶を飲みほした。

1歳4か月の女の子は次々に本を引っぱりだし、テーブルに積み重ねていく。
お母さんは、女の子がお腹にいるときからここに来ていたという。
「絵本が好きなんです。私は関東の出身で、向こうでは本屋によく行っていました。
この子はまだ公園に行ってもうまく遊べないんですけど、ここは落ち着けますね」
先に来ていた男の子は、小さな女の子に絵本を渡したりそっと抱っこしたり、
まるでお兄ちゃんのようにふるまった。

その様子を眺めていたら、別の女の子が私のほうに絵本を持ってきた。
読み聞かせているうちに男の子も近づいてきて、みんなで読んだ。
こんなふうに本を読ませてくれて、
私もありんこ文庫の仲間に入れてもらえたようでとてもうれしかった。

Photo: Chiaki Okuhira

ドライなまちづくりと 時間をつなぐリノベーション  403architecture [dajiba]  vol.6

403architecture [dajiba] vol.6

最終回となる今回は、浜松市の市街地をベースにした地元不動産、
〈丸八不動産株式会社〉の若社長、平野啓介さんにお話をうかがいました。
これまで幾度も登場している〈カギヤビル〉という4階建ての古いビルを購入し、
現在の姿につくりあげた仕掛人です。
vol.5の三展ビル同様、
このカギヤビルにもdajibaのプロジェクトはいくつかあり、
この建物が現在のような場所になった経緯や、
共同事業でもある〈ニューショップ浜松〉の運営についてなど、
お話はさまざま展開しました。

辻: 平野さんは現在、この連載で何度か紹介した、
カギヤビルのオーナー会社の社長として、
dajibaともいくつかのプロジェクトでご一緒させていただいていますよね。
僕らと関わり始めたきっかけですが、
僕が記憶しているのは、
最初は"海老塚の段差"に内見にきてくださったときだと思うんですけど、
合ってます?

平野: そうそう、ゴリさん(〈手打ち蕎麦 naru〉の石田貴齢さん、vol.2に登場)に
勧められたのかな。おもしろいことやってる若いやつらがいるよと。
それでネットで調べてお邪魔して、
世の中にはおもしろいことやってるやつがいるもんだと知ったというか。

辻: カギヤビルを購入されたのは2012年でしたっけ?
たしかその直前までは、
2階の一部でKAGIYAハウス(vol.3で登場)として運営されていた
ギャラリースペースと、
既存のお店の数店舗以外は空きが目立っていたと思います。

平野: 今年で丸3年だから2012年だね。

辻: その後、カギヤビルはいまや全国的にも知名度があるほどの
クリエイティブスポットに生まれ変わりました。
ここまでの経緯は、僕が知る限りでは、
社長の感性でひたすら店子を一本釣りをしまくるという認識だったんですけど、
具体的にどういう風に場所づくりをしていこうと思われたんですか。

平野: 買う理由というのは、いまも当時も変わらないんだけど、
はじめからリノベーションをしておもしろいことをしようというより、
ごくごく普通の不動産屋の発想として、
建物ではなく、あくまでも魅力的な土地を取得していきたいという考えだね。
不動産の開発をするうえでは囲碁や将棋と同じで
まず角をおさえるのが基本というか、交差点に立地していたし。
もちろん、以前から、
なかなか面構えのいいビルだなとはずっと思っていたこともあったけどね。
だから構想があったかというと購入した時点では何もなかったのね。
で、とりあえず買いましたと。

当然社内では、
「ボロボロだし貸すなんて無理ですよ”」とか、
あるいは極論を言えば
「取り壊して駐車場のほうがいいんじゃないか」
という意見のほうが普通にたくさんあった。
ただ、僕はそうは思わなかった。
なかに入って一部解体してみたら
二度とつくれない、時間が刻まれた味わいがあって、
簡単に言えば、これいけんじゃねというのがあったんで、スタートさせた。
究極的には、こういうボロいビルをおもしろがって使える人は絶対いると。
だからともかく掃除して解体して天井外して、
電気ガス水道のインフラだけ
使えるようにしてくれればいいからと言って始まった。

そこで勉強したのは、
ボロビルの再生というのは安上がりにはできないということ。
思ったより金がかかる(笑)。
スケルトンにしてインフラを引き直すだけで
安上がりだと思われるかもしれないけど意外とコストがかかる。

こちらが平野さん。インタビュー場所はニューショップ浜松。

辻: そうだったんですね。とにかく始めたと。
でもリーシング(テナント誘致)に関しては戦略的な印象を受けましたけど、
その辺りはいかがですか。

平野: そう、そこは、ある程度戦略的に考えないといけなかった。
どうしたもんかというときに、写真家の若木信吾さんの存在があって。
若木さん自身もプロフィールに静岡県“浜松市“出身と書くくらい
浜松に愛着がある人で、当時からカギヤビルの近くで
小さなお店を持たれていたんで話を持ちかけたんです。
興味を持ってくれたので、
それで2階に若木さんの店、
4階にギャラリーをつくろうという話ができて、それでいまの方向性ができた。

あとは家賃ありきというか、
そこは浜松の同級生の起業家にヒアリングして、
コスト感、広さ感はつかめたんで、
もともとの部屋割りはいまよりもゆったりしていたから、
それじゃあそれくらいのサイズで区切るだけ区切ろうかと。
そこからは若木さんの知名度ももちろん手伝って、数珠つなぎに。

辻: 2階に若木さんのお店の〈BOOKS AND PRINTS〉、
4階の〈KAGIYAギャラリー〉ができて、
残りのスペースを割る、適正な広さに
テナントスペースを仕切り直すところまでは主導されたということですね。
各部屋の内装も少し手を入れていますよね?

平野: 2階から4階までの各部屋で、
天井を解体して、床もコンクリートのまま、
壁は間仕切りしてクロスなどは貼らず、
ガス水道は共用部まで、電気は各部屋の分電盤までしかやりませんと。
ただ、あとは勝手に、入居者さんが何をやっても構いません、
現状回復もなしという条件にして。

その代わりと言っていいかわからないけど、
一般的に家主がやるべきこと(俗にいうA工事)の一部をやってないわけだから、
工事期間中のフリーレント(家賃なし)くらいはみましょうと。
あとは保証金もとりませんよと。それで募集をかけた。

辻: あらためて聞くと、新しい一歩を踏み出したい若者にとっては、
かなり参入しやすいですね。
いま実際、3年ちょっと運営されて、手応えはありますか?
現在のような状況は想像してなかったという話なので、
想像を超えていたかどうかもわからないかもしれないですが、
結果的にいまはほとんど満室じゃないですか。

平野: おかげさまでそうなんだよね。
世の中ではメディア上で
リノベーションされた古くていい感じのビルが数年前から流行ってて、
それは見聞きしている人は浜松にも絶対いる。
そういうところに自分も事務所を持ちたい、
お店を始めたいという人は浜松市の人口80万人中、
0.5%とかそのくらいはいるだろうという想定はあった。
仮に4000人いたとして、そこにアナウンスができれば
10人くらいはくるでしょ?と思ったわけ。

ゴリさんや美容室〈enn〉の林さん(vol.1で登場)のような存在が
既にいるわけだし、そこは割り合いの問題、という考え方だね。
だからこの建物と同じ規模だったり、雰囲気だったりするビルが
5棟も10棟も浜松にあったら確実に空くと思うんだよね。
常にものごとは需給だから。

辻: この規模なら売り手市場になる目算が立っていたんですね。
リーシングの基準は決めていたんですか?

平野: 厳密ではないけど、
できれば若い人にやってもらいたいというところがひとつ。
あとはおもしろかったり、センスがいいという部分。
目標というか、志していたことは、
まちなかに若い人が集まるコミュニティができてほしいということがあった。
テナントさん同士の相互間のやりとりが広がるようなビルであってほしい、
近所づき合いを超えた何かがあるといいなと。
その意味でいうと、この人はほかのテナントさんとうまくいくかな?
という方は、遠慮いただくこともある。

ただ、類は友を呼び過ぎるとおもしろくないので、
近しいけどご縁がなかったという人たち同士を意図的に入れたというか、
そういう部分はすごく意識した。
例えばゴリさんも林さんのことも知らないみたいな方も、
積極的に入ってもらったほうがいいと思って。

辻: その辺りのバランス感覚がすごいですね。
コミュニティ礼賛でもなく、経済合理性ありきでもない。

平野: というのも、あまり僕が常連さん商売が得意じゃないからかもしれない。
ただまさか結果的にこうなるとは本当に思ってもいなかった。
いまカギヤビルにあるシェアオフィスにしても、
ゲストルームにしてもライブハウスにしても。

辻: 各テナントは本当に多様ですね。そのひとつでもあり、
dajibaと丸八の共同事業でもあるこの〈ニューショップ浜松〉は、
仕組み自体は最初の提案から変わっていないですけど、
何度かプロジェクトの場所も動いていて、
結局ここに落ち着いたって感じで、構想がかなり長かったですよね。

©kentahasegawa

「ニューショップ浜松/鍵屋の敷地」

105角のスギ材と100角のタイルを組みあせた什器を
一本あたり100円/月で貸し出す場所貸しの仕組みと内装を提案。
店鋪運営は〈メディアプロジェクト・アンテナ〉。

辻: そもそも発注の形式が、
売り子つきのショップインショップを
カギヤビルでやりたいというものでしたけど、
詳しい部分は一緒に考える感じだったかと思います。
こういう形式で僕らにお願いしようと考えられたきっかけはあったんですか?

平野: 正直、こういうよくわからない話に、
いいアイデアを持ってきてくれるのはdajibaなんじゃないかって
直感的に思っただけなんだよね。

人とクマが共存できる土地へ。 軽井沢「ピッキオ」が導入した クマを追い払う犬 「ベアドッグ」とは

長野県・軽井沢を拠点に、エコツアーや
環境教育を行うエコツーリズムの専門家集団「ピッキオ」。
野生動植物の調査およびツキノワグマの保護管理、
自然の不思議を解き明かすエコツアーを行う団体です。
このたびこのピッキオが、「ベアドッグ」の「タマ」と「ナヌック」、
2頭を迎え入れることになりました。

「ベアドッグ」という聞き慣れない言葉。
これは北米で誕生した訓練法で、クマの匂いを察知し、
大きな声で吠え立てて、森の奥に追いやることができる
特別な訓練を受けた犬のこと。
クマを傷つけることなく、人の居住エリアから
遠ざけることができるんです。
できるだけクマを殺さずに、
人とクマが共存していくことを目指し、導入されました。

この「タマ」と「ナヌック」は、二代目のベアドッグ。
ピッキオでは最初、2004年にアメリカの
ベアドッグ育成機関「Wind River Bear Institute」より、
アジアで初めてとなるベアドッグを導入。
クマを吠え立てて導く「追い払い」によって、
軽井沢町内でのクマの目撃を減らしてきたんです。
しかし、2013年4月に初代ベアドッグが病気で急死。
それから地元の方の支援を得て、このたび二代目を
迎えることができました。

ピッキオ

この2頭のベアドッグは、2015年10月8日の深夜に軽井沢に到着!
10月12日には軽井沢の方や、支援者のためのお披露目として
「タマ&ナヌックふれあい会」が行われます。
「Wind River Bear Institute」の代表であり、
「クマ撃退スプレー」の開発者でもあるキャリー・ハント氏も来日される予定です。

「ベアドッグがやってきた!〜クマ対策犬 タマ&ナヌックふれあい会」

日時:2015年10月12日 11:00〜11:30

会場:ピッキオビジターセンター

住所:〒389-0194 長野県北佐久郡軽井沢町星野

TEL:0267-45-7777

みんなから愛される 島であり続けるために。 石垣島〈USIO Design Project〉

「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」連載第2弾は、
デザインの力を通して石垣島の魅力を再発見する、
沖縄県石垣市主催の〈USIO Design Project〉。
本プロジェクトに関わって2年、
ロフトワークのシニアクリエイティブ・ディレクターの寺井翔茉がご紹介します。

USIO Design Projectとは?

プロジェクト名の〈USIO〉の由来は、海の〈潮(うしお)〉のこと。
異なる海流がぶつかる〈潮目〉は、豊かな漁場になるというエピソードと、
島の象徴である美しい海のイメージを重ね、
デザインのチカラを通して“外の視点”と
“島で生まれるモノ、働くヒト、育まれる知恵”がぶつかり、
新しい豊かさを生みだしたい!そんな想いが込められています。
プロジェクトは2013年秋より約8か月をかけて、
石垣島の島内で生産される10の名産品を対象に、
新しいパッケージデザインの公募と商品化を行いました。
リデザイン公募へは国内外204名のデザイナーが参加し、
約2か月という短い公募期間にも関わらず、
世界中から431点のデザインが寄せられました。

みんなから愛される島であり続けるために

USIO Design Projectは、いわゆる〈地域活性化プロジェクト〉ではありません。
むしろ、活性化しすぎた地域の中で“自分たちの良さ”を見直すためのプロジェクトです。
石垣島は沖縄本島から400km、台湾から270km離れた場所にあり、
車で一周すると2時間程度の島。
もともと人気の強い島でしたが、2013年3月の新空港開設とLCCの就航により、
島民4万8,000人の島に年間100万人の観光客が訪れるようになり、
ますます島は賑わうようになりました。
一方、急速な観光者数の増加に戸惑う住民と、
都会と同じレベルのサービスを求める観光客の間で、
これまで想定していなかった観光客とのトラブルも起き始めたそうです。
2013年は石垣島にとってターニングポイントであり、
そのような状況の中で始まったのがUSIO Design Projectでした。

「観光バブルの中で、このまま求められるものに応えるだけで良いのだろうか?」
「たくさんの人が石垣島に来てくれて人気者になることはありがたいが、
自分たちらしさを見失ってしまわないだろうか?」
「そもそも石垣島らしさ、八重山らしさって何なんだろうか?」

大切な島の環境をキープしたままで、みんなから愛され続ける場所であり続けるために、
今までとは違う視点で考えてみること。これがこのプロジェクトの目的でした。

その“今までと違う視点”として
“デザイン”という考え方を全面に持ってくることにしました。
デザインする対象の魅力を、きちんと深く理解しなければデザインはできない。
デザイナーは“魅力を引き出す目利き”になってもらう必要がある。

これがUSIO Design Projectが“今までと違う視点”としてデザイナーを起用した理由で、
そのプロセスとしてより多くの人が参加できる“公募”というかたちを採用しました。

投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その1)。 一般社団法人ノオト vol.5

一般社団法人ノオト vol.5

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト理事 兼
株式会社NOTEリノベーション&デザイン代表取締役の藤原です。
本シリーズ5回目となり、連載の中盤ということもあり
「古民家再生分野におけるビジネス的な観点」を含め、
今秋にオープンする、投資ファンドを利用した事例
〈篠山城下町ホテルNIPPONIA(ニッポニア)〉に関するお話をしていきたいと思います。

まずは本編「その1」では全体的な概要をお話したいと思います。

そもそもなぜ「投資ファンド」を利用しようと考えたのか?

約3年前となる2012年頃の話です。
きっかけは、いつものように代表の金野とふたりでご飯を食べながら
NOTEの目標について語っている時でした。

金野: 国内には約149万棟の歴史的建築物(古民家)があるんだよ。

藤原: けっこう、ありますね~。

金野: すべては残せないと思うけど2割ぐらいは残せるんじゃないかな~。
今にも潰れそうな古民家が大半だろうから30年以内にやらないと残せないよね。

藤原: ということは30万棟を30年間で実現するということですね。
わかりました。今の体制では、それを実現するための
「人」「金」「もの(手法)」も足りないと思うので考えてみます。

と……何気なく「30万棟/30年」という目標が決まりました。

篠山市の後川新田原集落にあった改修前の古民家。

愚直な私は30万棟を30年間でやる仕組みを夜な夜な考えました。
計算では1日30棟が再生していくペースです。
1棟の再生に3,000万~4,000万円の資金が必要になります。
年間1万棟を行うとなると、
必要となる資金は3,000~4,000億円が必要になるという計算です。
これは公共・行政の補助事業だけでは不可能だし、
やっぱり民間産業として確立するしかないと思いました。
民間事業として活性化する場合、そのために必要なビジネススキームと
お金の流れ(資金調達から返済フローまで)をつくらないといけません。
当時、銀行も古民家に投融資することも難しい状況でした。

そこでまずは、
「投資家に古民家再生事業の魅力を伝え、投資ファンドで資金調達しよう!」
という考えに至ったわけです。

ファンドと収益化と産業化

古民家への投資ファンドを活用するにあたり、
投資家に伝えていくためには、事業計画や収益モデルが重要になってきます。
つまり、投資ファンドが成立するということは、
投資家にとって十分な収益があるという判断を得ることになります。
それが古民家再生事業の産業化への近道でもあると言えます。

その反面、古民家を活用した収益化で苦しんでいる地域がたくさんあります。
古民家を利用した田舎暮らし・レストラン・宿をしたいという方にとっても
最も大切になってくるのが“収益”になってきます。

我々も十分な収益が現時点で取れているかというと、
収益化できているものと、そうでないものが混在しています。
しかし、過去7年間で60軒以上もの古民家再生を行ってきた結果、
得られた知見やノウハウを元に収益を上げながら、
産業化していくためのヒントを得ることができました。

〈集落丸山〉の内観。

1.リノベーション・改修費用をかけ過ぎない。
※投資回収が難しくなる。
2.直し過ぎて歴史がつくり上げた風合いを損ねない。
※直し過ぎると、一般的な和風建築物と同じになる?。
3.新しい市場を開くためのマーケティング戦略が必要。
※新しい価値観を普及させるためのブランド・広報戦略。
単一事業の繰り返しではなく、ストック型のビジネスモデル。

これらのことを踏まえながら、
投資家に対して事業ごとの収益状態や経営状態をひとつひとつ丁寧に説明し、
我々の事業をデューデリジェンス(※注釈1)していただきました。

<一例>
●集落丸山(篠山市)は限界集落の農家民宿型ホテル(vol.2で紹介)。
採算は稼働率30%で黒字化するモデルであるということ。
●旧木村酒造場EN(朝来市)は竹田城下町ホテル(vol.3で紹介)。
人通りの少ない空き家の目立つ城下町にありながら平均70%稼働であるということ。

旧木村酒造場ENの、客室の内観。

東京から何度もデューデリジェンスに足を運んでいただいた投資担当の方々は、
驚きを隠せないようでした。
それは僻地ともいえる過疎地域で、
このような採算性のある事業ができていたのか?! ということです。
しかも、社会的な事業性は高く、投資家の心にも響かせることができる。

結果「これなら投資できる!」と言ってもらうことができました。

※注釈1:投資を行う際に、本当にその投資対象に十分な価値があるのか、
またリスクはどうなのかを詳細に調査する作業のこと。

「道の駅 保田小学校」 オープン! 千葉県南房総の廃校を 都市交流施設に再利用。

少子化とともに、全国で増える廃校。
そんな廃校を利用した「道の駅」が登場。
2015年12月11日(金)、千葉県の南房総にある
安房郡鋸南町に都市交流施設「道の駅 保田小学校」が
グランドオープンします。

広々とした施設には、
旧体育館を使った直売所「里山市場 きょなん楽市」や、
旧校舎棟のベランダを使った交流所「まちの縁側」、
旧校舎棟2階の教室を利用した宿泊施設「学びの宿」などが登場。
また宿泊者向けの温浴施設「里の小湯」も造られるほか、
観光案内所、飲食店舗も!

旧保田小

旧体育館を使った直売所「里山市場 きょなん楽市」

里の原っぱ