連載
posted:2015.6.18 from:静岡県浜松市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer's profile
403architecture [dajiba]
2011年に彌田徹、辻琢磨、橋本健史によって設立された建築設計事務所。静岡県浜松市を拠点に活動している。2014年に第30回吉岡賞受賞。
彌田徹(やだ・とおる)1985年大分県生まれ。2011年筑波大学大学院芸術専攻貝島研究室修了。
辻琢磨(つじ・たくま)1986年静岡県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。現在、大阪市立大学非常勤講師。
橋本健史(はしもと・たけし)1984年兵庫県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。現在、名城大学非常勤講師。
credit
メイン写真:kentahasegawa
今回は、2013年1月に竣工した「渥美の収納」の施主、
原田ちか子さんにお話を伺いました。
原田さんは、僕らが拠点を置く浜松市内で
長年ニットの手編み教室を営んでいる先生です。
最初にお会いしたのは、僕らも参加した2010年の浜松建築会議。
これは、浜松出身の建築に携わるメンバーが中心となった実行委員会が主催し、
地方都市での建築家の役割や中心市街地のあり方を
建築的な観点から考えることを目的としたイベントでした。
2010年はその第1回目となるもので、
以降は、不定期にこれまで3回開催されています。
この企画のひとつに市街地に増えていた空き室を
建築学生とワークショップを通して活用していく試みがありました。
いまは、さまざまなショップが入居し、
浜松のカルチャーの発信地ともいえる「カギヤビル」も、
当時は2階以上になると空き室が目立っていて、
このワークショップを通して活用が考えられた建物です。
カギヤビル
浜松市内の東海道筋となっているゆりの木通りにある共同建築。
数年前までは、2階以上がほぼ空き室となっていたが、
現在は、丸八不動産グループの平野啓介社長(後にインタビューに登場)が運営を行い、
現在は写真家が経営する本屋やアンティークショップ、デザイン事務所が入居している。
403architecture [dajiba]の事務所からも徒歩3分ほど。
そんなカギヤビルの1室に住み、別の1室で手芸教室をしていた原田さんが、
家を僕たちの事務所も入居する「渥美マンション」に引っ越すにあたり、
部屋を改修して、別々だった住居と手芸教室を一体化させたいということで
仕事を依頼してくれたのが「渥美の収納」というプロジェクトの始まりでした。
彌田
当時はカギヤビルの3階に住みながら、
「チカコズコレクション」という手芸教室を1階で営んでましたよね?
原田さんは、ずっとカギヤビルでやられていたんですか?
原田
30歳の時にカギヤビルでやるようになってからは、ずっとカギヤビル。
当時は編み物ブームだったから生徒さんがすごかったの。
90人くらいを1週間に分けて、教えてたんだから。
複数階のフロアを借りたこともあったし、
カギヤビルの中で何回か場所は動いてはいるんだけど、
40歳を超えた1990年くらいから
1階だけで編み物教室を始めて、3階に住むようになったの。
彌田
へー。ずっと1階で手芸教室をされていたんだと思ってました。
たまに銭湯に行くところを見かけたりしてましたけど、よく行かれていたんですか?
原田
お風呂が使えなかったから、
「巴湯(浜松の市街地にある唯一の銭湯)」に通ってたの。
ここに引っ越してからもたまに行っているよ。
彌田
あ、そうなんですね。
てっきりずっとそういうライフスタイルなのかと思っていました。
1970〜80年代の歌に、銭湯ってよく登場するじゃないですか。
お風呂は銭湯で入るのが普通なのかなって勝手に思っていたんですが、
ちょっと違う事情があったんですね(笑)。
原田
そう(笑)。お風呂があった時は家で入ってましたよ。
彌田
この仕事を僕らに依頼していただいたのは、どうしてですか?
原田
浜松建築会議のときに辻くんに知り合ったからだったと思う。
彌田くんとも、現在のようなカギヤビルとして運用される以前に、
空いている部屋を活用してクリエイターの活動拠点になっていた、
「KAGIYA HOUSE」でよく会ってたし、
商店街で行うイベントを手伝ってくれていたから毎月の定例会でもよく会ってたしね。
顔なじみというか、そういうのだと思う。
浜松建築会議とKAGIYA HOUSEがなかったら、こうなってなかったかもね。
KAGIYA HOUSE
2010年、2階以上がほぼ空き室となっていたカギヤビルの2階と4階の一部を
地元のクリエイターが主体となってギャラリースペースとして活用していく試み。
展示を始め、ワークショップや商店街の会合などの際にも使用され、
アーティストだけでなく多くの人が訪れる場所となっていた。
2011年5月からビルのオーナーが丸八不動産グループとなるまで運営されていた。
彌田
それはありがたいですね。でも原田さんは
大工さんのお知り合いもいらっしゃるじゃないですか。
普通だったら、大工さんとかに頼むと思うんですが……。
原田
それは、もともとあった手芸教室の棚を使ってもらいたかったから。
この棚自体は、大工さんがつくってくれたものだけど、
この棚を生かして何かつくるっていうのは、大工さんはしないじゃない。
つくる時に少しお金もかけたしね(笑)。
長年使った思い入れもあって、引っ越しても使いたいなぁと思ってたの。
彌田
なるほど。それは僕らにピッタリのプロジェクトですね。
原田さん、隣の部屋(「渥美の床」がある部屋)は見たことあります?
原田
うん。一度だけ入ったことある。
彌田
あの部屋の一部も僕たちがやらせてもらっていて、
寝室の寄せ木みたいな床(vol.1に登場)は、天井にあった木材を細かく切って、
床に敷いているんです。もとの状態とは違いますが、
あっちにあった素材をこっちに持ってきて作ったプロジェクトなんですね。
そう考えると、
「渥美の収納」は木材が収納に置き換わったようなプロジェクトですね。
「渥美の収納」
築40年ほどのマンションの1室の改修。居住機能に加えて、
施主が営んでいる手編み教室を行うためのスペースが併設されている。
手編み教室で必要となる毛糸などを収納する棚は、
施主からの要望であった既存の棚の一部を使用。
棚板や仕切り板同士の間隔はもともとの寸法を参照し、つくられている。
教室部分は、生徒がいない時には施主のリビングとしても使われるため、
毛糸や教科書などの教室に必要な道具に加え、
暮らしの道具も混在することが想定された。
以前から使われていた家具そのものや家具が持つ寸法を用いることで、
両方の道具が新たな環境になじむような状態を目指した。
Page 2
彌田
「渥美の収納」では、住居としてだけではなく、
手編み教室となる場所をつくりたいというのが大きな特徴かなと思います。
部屋の大きさの割合からすると、
手編み教室に住居がくっついたと言ったほうが正確かもしれませんが。
一緒にされようと思ったのはどういったことからですか?
原田
そりゃあ、年齢とともに楽になっていきたいものなんですよ(笑)。
彌田
前も十分近かったと思いますが、
たしかに、一緒になっているほうが楽ですよね(笑)。
でも結果的に住まいという単一の機能のためにつくられたマンションに、
住む以外の機能が入り込んでくることになったのは
すごく面白いなーと思います。
原田
彌田くんたちだってそうでしょ。
彌田
あ、そうですね。日常になりすぎてすっかり忘れてましたけど、
僕たちも事務所に住居というか、寝室がくっついたみたいな感じですね(笑)。
「渥美の個室」
渥美マンションの一室にある403architecture [dajiba]の事務所。
2DKだった既存の間取りを改修し、
風通しのよい広い事務所スペースと打ち合わせスペースをつくりつつ、
その余剰として最低限のスペースを確保した個室をつくっている。
事務所機能を併設するために必要となった棚の柱材には
もともとの間取りを解体した時に出た廃材を使用している。
彌田
たしかに住居とは異なる機能が入り込むという点では同じなんですが、
事務所はどちらかと言えばクローズドな気がします。
もちろん依頼者や大工さんが打ち合わせに来たり、
学生が遊びにきたりはしますけど基本的には僕らの仕事場なわけです。
その点、手編み教室は、
生徒さんが来ることによって成り立つ場所なんでオープンですよね。
最初の打ち合わせの時に「外から家のなかを見えるようにしたい」
という原田さんの要望は、すごく印象的でした。
生徒さんが来た時に入りやすいようにという意図でしたね。
最初は玄関扉をガラス戸にしようかとも思っていましたが、
予算の都合や生徒さんがいらっしゃらない時には、
教室部分がリビングのように使われるので、考え直しました。
そこで、玄関から上がったところに
できる限り広い開口部をつくり、木製建具のガラス戸を入れることにしました。
住まいだけじゃない使い方だからこそ、出てきたかたちなのかと思います。
原田
あれは正解だったねぇ。みんなあれに感心するよ。
彌田
それはよかったです(笑)。教室をやっているときに訪れると、
玄関扉を開けっ放しにして中の様子が垣間見えるのが、今見ても新鮮です。
逆説的かもしれませんが、こういうオープンな住居もあっていいんじゃないかと、
想像をかき立てられますね(笑)。
彌田
こういう改修がしたくて渥美マンションにしたんですか?
見た目からもわかるように、かなり古い建物ですし、
しかも道路からだと手前に建物があって、入り口もわかりにくいじゃないですか。
原田
住居と教室を一緒にするとなると、どうしても改修が必要でしょ。
あと、マンションって事業やっちゃいかんとこも多いし。
そうすると結構絞られちゃうからね。
でも、渥美マンションは昔から知ってるよ。
商店街の人が自宅を建て替える間の仮住まいによく使ってたから。
彌田
昔からこのまちに住む人にとっては馴染み深い建物なんですね。
僕らからすると、まちから忘れ去られているような印象だったので、
そういう風に使われていたのは新鮮です。
原田
昔はすごい人気だったんだって。
入居まで1年待ちだったってこともあるみたいよ。
彌田
そんなに人気だったんですね。
でも、人気が出るのもなんか分かります。
各階に2室ずつしかなくて、ちょっと特別感がありますし、
部屋の中もベランダに面した窓が天井いっぱいまであるので、開放的ですよね。
原田
そう。最初内見した時は、ずいぶん使われてなかったのもあって、
部屋は古くて汚かったけど、
窓が大きいから「わぁ広い」って思ったもん。ベランダも広いしね。
彌田
「ボイドスラブ」という構造をとっているので、
梁が天井に必要なくて、窓が大きくできるようになってるみたいですよ。
築40年くらいと聞いてますが、
窓が大きくできることで得られる開放感を消さないように、
ベランダが標準的なものより広く取られていたり、
素朴なんだけど丁寧な設計だなぁと思う建物です。
Page 3
彌田
実は、今空いてる事務所の隣も借りて、拡張を企てているところなんです。
使い方はまだ考え中なんですけど、
多分、単にメンバーの住まいという感じにはならないんじゃないかと思います。
例えば、大部分は誰でも仕事ができるスペースにしたり、
休んだりできるようになっているけど、一部はメンバーの寝室になっているみたいな。
いわゆる普通のマンションでは起こらないような使い方も
受け止めてくれる渥美マンションは僕らにとってすごい魅力的なんです。
でも、僕たちの住み方だけがすごく変わってるというわけじゃないと思うんです。
熱心な読書家でたくさん本を持っているとか、
仲のいい友だちが集まり、しょっちゅう家でお茶会するみたいな。
実は、多かれ少なかれそれぞれちょっと個性的な暮らし方をしている気がします。
そういう個性を生かした暮らしをしたいと思う人にとって、
渥美マンションのような場所って、大事なんじゃないかなって思うんです。
今回原田さんにインタビューしたいなと思ったのも、
そういう個性的な暮らしをしているなと思ったからというのもあるんです。
原田
ふーん。そうなんだ(笑)。
彌田
さっき、ちょっと話題になった銭湯に行くことも、
最初お聞きした時、なんかうらやましいなと思って。
その後、僕も何度か行ってます。
巴湯はザ・銭湯って感じでいいですね(笑)。
原田
実は最近あんまり行けてないんだけど、
やっぱり銭湯は広くて気持ちいいよね。あと、銭湯友だちもいるし(笑)。
彌田
銭湯友だちができるっていうのは、
僕らの世代だとあんまり考えられないですね。
原田
お風呂でちょっと話したりするくらいだけどね。
ほかにも通ってるお母さんにもよくしてもらったりして、
家で入るのもいいけど、そういうのも楽しいよ。
彌田
そこにいる人と気軽に会話できる場所になっているんですね。
カギヤビルにある老舗喫茶店の「さくらんぼ」も
そういう感じの場所になっているんですか。
原田
最初は手芸教室の隣だったから、やっぱ仲良くしとかんといかんじゃんと
思って通い始めたんだけど、いまは気心が知れた場所になってるね。
さくらんぼに行くとママが相談にのってくれたり、気分転換にもなるし。
彌田
そんな風に居心地のよい場所が家のほかにもあるっていうのがいいですよね。
原田
商店街にはそれぞれの人でそういう場所あるでしょ。
お店のお母さんが集まってるところみたいな。
彌田
あぁ、商店街の女将さんたちが集まっているところをたまに見かけます。
それぞれまちで生業がありながら、
近所に友だちと会って話せるような、暮らしの場もある。
実は商店街って仕事と暮らしが混ざったような場所なんですね。
そこで長年暮らしているからかもしれませんが、
原田さんにも、なんかそのフラっと寄れちゃう感覚をすごく感じるんです。
例えば、マンションですれ違うと
「筍ご飯炊いたけど食べる?」みたいな
おすそ分けをよくしてくれるじゃないですか。それってなんなんですかね?
原田
それはね。余ったから(笑)。
彌田
いや、そりゃそうなんでしょうけど(笑)。
なんかちょっとだけ気にかけてくれている気がするんです。
原田
それは、このまちで自分がずーっと、
そういうことをしてもらっているからかもしれないね。
手芸教室の生徒さんが何かを持ってきてくれたり、
さくらんぼのママやカギヤビルでご近所だった人が、
自分の用事のついでに私の用事もやってくれたり。
だからまわりまわって。
彌田
うんうん。かと言って、ベタベタしている感じもないんですよね。
そういうのが、フラっと喫茶店に立ち寄る感覚と通じている気がして、
個人的にはすごく好きです。
原田
私もカギヤビルで教室を始める前までは、
そんなことは全然したことなかったんだけど、
してもらったことがとってもうれしかったの。
彌田
ということは、30歳越えてから、
人生観のようなものが変わったってことですか。
原田
うん。そうね。周りにいた人がよかったんだろうね。
何かをしてもらってすごくうれしかった経験があると
その人は自分の周りにいる人にしてあげるようになるんだと思う。
逆に経験がないとできないものなのよ。人間って。
彌田
おー、原田さんが言うと説得力がありますね。
フラっと寄れる場所がいくつかあってそこで友人とも会えたりする、
家だけでは完結しない暮らし方や
自分の少しだけ周りの人を思いながら生活する感じも、
このまちだからこそできる暮らし方なのかもしれませんね。
Feature 特集記事&おすすめ記事
Tags この記事のタグ