連載
posted:2015.6.26 from:兵庫県朝来市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer's profile
NOTE
一般社団法人 ノオト
篠山城築城から400年の2009年に設立。兵庫県の丹波篠山を拠点に古民家の再生活用を中心とした地域づくりを展開。これまでに、丹波・但馬エリアなどで約50軒の古民家を宿泊施設や店舗等として再生活用。2014年からは、行政・金融機関・民間企業・中間支援組織が連携して運営する「地域資産活用協議会 Opera」の事務局として、歴史地区再生による広域観光圏の形成に取り組む。
http://plus-note.jp
日本100名城のひとつで、雲海の上にそびえ立つ光景から
近年「天空の城」、「東洋のマチュピチュ」などと紹介され、
全国的にもその名前が知れ渡った「竹田城跡」の麓、
兵庫県朝来市和田山町竹田地区。
歴史的なまちの中心にある元酒蔵が、
観光交流拠点として再生され、
一躍人気観光地となった竹田城跡のブームとともに
順調に運営してきました。
しかし、それもひと段落。
すると、地域が抱える課題が見えてきました。
再生された元酒蔵で生まれた、たくさんの縁は広がり、
面白い動きが始まっています。
「子どもの頃、みんな入るのも怖いくらい、
緊張感漂う由緒ある酒蔵で、ここは遊んではいけない場所だった」
地元の人がそう回想していたのは、本瓦に本卯建を上げた、
城下町の中でもひときわ目をひく重厚な商家、「木村酒造場」。
1625(寛永2)年創業、約400年の歴史を誇る酒蔵でしたが、
1979年に日本酒販売不振のため、醸造業を停止。
以来、建物の老朽化が進み、土壁が落ち、屋根が崩れるほど傷みの
激しかった大屋敷を、城下町の新たな観光交流拠点として
生まれ変わらせるプロジェクトがスタートしました。
今から3年前、2012年の春のことです。
自己紹介が遅れましたが、一般社団法人ノオトの中原と申します。
現在、主に朝来市を中心に但馬・丹波エリアの古民家再生を入口とした
まちづくりの取り組みに関わっています。
半年ほど前にノオトの一員に加わったばかりのルーキーなので、
改修の経緯から現在に至るまで、当時の関係者の話にも耳を傾けながら、
これを機会に私もこの事例を振り返ってみようと思います。
さて、話を3年前に戻しましょう。
1998年に兵庫県の歴史的景観形成地区に指定された竹田地区は、
2005年より国土交通省の「街なみ環境整備事業」を活用して、
伝統的な建物を整備する計画をスタート。
竹田城跡が注目される以前から、
木村酒造場は地域の重要なシンボルとして利活用の議論が重ねられていたところでした。
木村酒造場を買い取った朝来市は、約3億6千万円を投じ、
ホテル、レストラン、カフェ、観光案内所などの機能を備えた、
複合観光交流施設の立ち上げを計画。
というのも、普通に文化財として整備し、公開施設にすると、
イニシャルコストとランニングコストばかりがかかってしまうので、
観光交流施設の指定管理者自身がビジネスを行いながら
施設の維持管理を行っていくという、
委託料ゼロ円での指定管理者を全国に公募しました。
これは、自治体が文化財保護の観点から建物改修のイニシャルコストを負担し、
民間が管理運営することでイニシャルコストの一部とランニングコストを負担するという、
自治体が持っている文化財的な古い建物を利活用するための新たな方法でした。
その頃のノオトは、前回紹介した集落丸山の宿泊事業に続き、
地元の篠山市で古民家を改修、サブリース方式で事業者を誘致して
地域の活性化につなげる取り組みで実績を積み重ねていました。
古民家改修を入口とした地域づくりにたしかな手応えを感じ始めていた矢先、
今回の木村酒造場のプロジェクトに出会ったのでした。
これまでのノウハウを結集したノオトの提案が認められ、
木村酒造場の指定管理者に選ばれることとなりました。
地域の観光振興、まちづくりの拠点として人と人との縁を結ぶ場所になってほしい。
そんな願いを込めてこの施設を「旧木村酒造場 EN(えん)」と名付けました。
今回のプロジェクトでは、事業主である朝来市が指定管理者である当社の
古民家再生ノウハウに基づき、地元の松本一級建築士事務所が設計、
株式会社阿野建設が施工を行い、ホテル・レストラン・カフェの運営は、
全国15か所に上る歴史的建築物の婚礼会場、レストランの管理運営実績のある、
バリューマネジメント株式会社が担うという、手法としては新しい、
全国でもほかに例のない公民連携の取り組みとなりました。
これまでは、行政が先行して建物をつくってから、
指定管理者を公募する進め方が一般的でしたが、
設計の段階から構造・間取り・仕上げ・デザインなど、
運営する事業者の意見を取り入れながらも、
竹田城下町のまちなみ景観と建物の歴史性を尊重するかたちで、
可能な限り「そのまま」にリノベーション。
4室の客室に地元の新鮮な食材を使った本格的な
フレンチレストランを併設し、1泊2食付きで2万円台。
心を込めたおもてなしとともに昔ながらの日本の生活空間を体験できる
ホテル・レストラン・カフェに生まれ変わりました。
そこに竹田城の魅力と歴史に触れることができる観光案内所と、
地元の農産品やお土産品などが購入できる2軒のチャレンジショップ、
どぶろく醸造所が加わり、2013年11月に旧木村酒造場ENがオープンしました。
ノオトは指定管理者として、古民家の再生活用のノウハウを提供するだけに留まらず、
運営においては、施設に誘致した複数の事業者と、事業主である朝来市や、
地域住民の方々との橋渡し役として、城下町への誘客を促すイベントの企画や、
施設全体のマネージメントを担っていくことになります。
朝来市のまちづくりの1プレイヤーとして現場に飛び込んでいく、
そんな新たな挑戦が始まりました。
ENがオープンした頃の竹田城跡は、登城者数が3年続けて前年比200%以上と急増し、
年間50万人に届く勢いでした。秋の雲海シーズンの真っただ中、
これまでに経験したことのない多くの観光客をいかにトラブルなく受け入れるか、
とにかくそれに対応するのに精一杯という状況でした。
そんな幸運なタイミングでオープンしたENは、
城跡やJR播但線の車窓からも望める好立地ということもあり、
登城者を城下町や市内へ誘導する呼び水として
予想以上の反響をいただくことができました。
以降は、宿泊やレストランも順調に予約が入り、
厳しい寒さの但馬の冬も何とか乗り越えて、
オープン1周年には過去最高の来場者と売上を記録。
一見すると全てが順風満帆に進んでいるかのように思われました。
そんな中、ENオープンから2回目の冬に、
朝来市は増え続ける登城者による降雪時のトラブルや、
文化財保護の観点から、冬季期間(12月~3月)限定の
入山禁止措置に踏み切りました。
半年前の2014年12月のことです。
ENの運営は大変なことになりました。
Page 2
その頃にENの担当となった私には、
観光客が激減して閑散とする冬の城下町を目の当たりにして、
順調に見えた観光施策にいくつかの課題があることが見えてきました。
最も気になった課題は、観光客の滞在時間が短いという点です。
竹田城跡を見た後、すぐに別の観光地へ移動してしまい、
ほとんどが城下町への誘客までには至っていませんでした。
結果として経済効果は限定的で、リピーターも生まれにくい状況です。
そもそも竹田城跡以外の観光資源の掘り起こしやPRも不十分で、
飲食店や土産物屋など店舗の数も少ないために、
せっかくの竹田のまちなみの魅力を生かしきれていません。
そのほか、駐車場や観光客目線のサイン(情報提供)不足など、
基本的なインフラの整備にも課題を抱えています。
しかしながら、一方で竹田城跡という観光資源が全国的に
注目されたことがきっかけで、この地域に関わる人材が増えてきたことは、
必然であったのかもしれませんが、とてもよい出来事でした。
そこにもともと住んでいた地元の人に加えて、観光業に関わる人、
農業やメディアに関わる人、新たにお店を始める人も出てきました。
GoogleのCMで紹介されてからわずか1年半、さまざまな人が集まり、
各々のネットワークがつながってきた今、地域の課題解決につながるような
新たなアイデアが生まれては消える。そんな面白い科学反応が日々起こっています。
ENともつながりが深い3つの取り組みを少しだけ紹介してみましょう。
この春、地方新聞の新たな方向性を模索する神戸新聞社が
まちづくりに関する連携協定を朝来市と結びました。
これまで伝えるだけの役割だった新聞社がその発信力とネットワークを生かして
地域課題に積極的に関わっていくというメディアの在り方を変える新たな挑戦です。
その一環として、朝来市がこの冬設けた竹田城跡の3か月間の
冬季入山禁止をめぐり、関係する事業者の代表約30人が参加して
立場を超えて意見を交換する「竹田地域ビジョン会議」が
朝来市が事務局、神戸新聞社がコーディネーターとなって発足しました。
民間の事業者ですが、一方で地方メディアという公共性と
当事者意識を持ち合わせた神戸新聞社がコーディネーターを務めることで、
これまでのしがらみに捉われない活発な議論が始まっています。
竹田城下町の出入り口。丸山川の土手沿いに昭和の建物を
店主たち自らの手で改修したお店があります。
1階の喫茶店と花屋を中心に2階の各部屋を店舗や事務所として
貸出しをしている複合施設で「竹田劇場」と呼ばれています。
近くにある日蓮宗法延山・妙泉寺28代目の住職でありながら、
ENの設計にも携わった松本一級建築事務所の松本智翔さんと、
わくわくするような不思議な花や植物を扱う「木まもり」の河邊佑樹さんが
共同経営していますが、個性的な複数の店舗が集まる建物に
喫茶店が併設されていることで、個人で活動するクリエイターなどが集まり、
自然発生的にコラボレーションが生まれるコワーキングスペースとなりつつあります。
最後のひとりは、新しいことにチャンレジしている若手農家です。
Page 3
竹田城跡に向かう谷筋に広がる田園風景。
真っ黒に日焼けした若手農家が黙々とトラクターで代掻きをしています。
無農薬・無肥料の自然栽培で米や豆を中心に栽培する、
「ありがとんぼ農園」の岡村康平さんです。
30代半ばにして既にキャリア14年目のベテラン農家であり、
農産品の生産に留まらず、味噌やうどん、どぶろくなどの加工品も人気です。
農閑期に山から切り出した間伐材を薪として活用していることも注目されています。
味はもちろん、そのライフスタイルにも惹かれたファンが全国に広がっており、
見学者は後を絶たず、今年も彼を頼って若者が朝来市に移住してきました。
生まれ変わった木村酒造場は、地域の文化財を保全しながら、観光交流拠点として
自立して運営できる仕組みをつくった点でひとつの成果を得ることができました。
しかしながら、それが最終的なゴールではなく、この場所が多様な人たちの
交流拠点となり、地域の課題を解決していくきっかけが生まれる環境を
いかにしてつくっていくか? そんなことをいつも我々は考えています。
晴天に恵まれた6月の某日、
ENで初めての結婚式が執り行われました。
かつてこのまちのシンボルだった400年の歴史を誇る酒造場跡で、
永遠の愛を誓い合う地元出身の新郎と新婦。
指輪を交換するふたりの姿は、この建物の過去と未来がつながっていく、
そんな始まりを予感させる瞬間なのでした。
人と人の縁が結ばれる場所として、
地域の誇りと向かうべき方向性を指し示す場所として、
木村酒造場再生のプロジェクトはまだ始まったばかりです。
information
旧木村酒造場 EN
Feature 特集記事&おすすめ記事