連載
posted:2015.7.15 from:石川県羽咋市 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
地域を見つめることで新しい日本が見えてくる。
新しい視座で日本の地域を再発見していく人にインタビューする新ローカル論。
editor profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画やカルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではとにかくおいしいものを食べることに余念がない。
credit
撮影:水野昭子(ポートレート)
限界集落を活性化させるために奮闘するスーパー公務員を描くTBS系のドラマ
『ナポレオンの村』(7月19日スタート)には、実在のモデルがいる。
『ローマ法王に米を食べさせた男』の著者でもある
石川県羽咋市の職員、高野誠鮮さんだ。
公務員とは思えない発想の豊かさと類い希な行動力で、
これまで数々のプロジェクトを成功させてきた。
高野さんは1996年、日本で初となる宇宙科学博物館
〈コスモアイル羽咋〉の創設に尽力し、
UFOのまちとして羽咋市のまちおこしを先導していた。
ところが2002年に農林水産課に異動、
宇宙とはまったく違う分野である農業に向き合うことに。
そして与えられたのは過疎高齢化集落の活性化と、農作物のブランド化という命題。
予算はほとんどない。普通だったらそこで腐ってしまうが、
高野さんは「やってやろう!」と思い立つ。
「できないと言われるとカチンときて心に火がつくんですよ。
どうしてできないと言うんだろう、こうすればできるんじゃないかと考えてみる。
失敗したらどうしようなんて考えません。
成功するまでやってみればいいという単純な考え方なんです」
と高野さんは笑う。
一般的に、65歳以上の高齢者が人口の半数以上の割合を占める集落は
限界集落と呼ばれる。
能登半島の西の付け根に位置する羽咋市の神子原(みこはら)地区も
過疎高齢化が進む中山間地域で、いわゆる限界集落だった。
この神子原地区の活性化のための最初のプロジェクトが
2004年にスタートした「空き農地・空き農家情報バンク制度」。
過疎となった集落には空き家や耕作放棄地がたくさんある。
そこに新たな住民を招き入れる空き家バンク制度は、
いまでは全国の自治体が取り組み、珍しくはない。
ただ神子原では「来てください」と頭を下げるのではなく、
集落の人たちが新しい住民を面接して選抜するのだ。
よそ者を受け入れるのに厳しかった村の人たちも、
この人ならいいだろうと納得してから受け入れる。
そうやって迎えられた人たちは集落に本当に定着していくという。
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2005年に始めた〈烏帽子(よぼし)親農家制度〉もおもしろい。
平安時代から室町時代にかけ、元服を迎えた若者に
烏帽子(えぼし)をかぶせて盃をかわし、仮の親子関係を結んだという
古来の文化にちなみ、若い人を農家に呼んで、仮の親子関係を
結んでもらうというもの(能登では烏帽子を「よぼし」と読むのだそう)。
それで最初に募集した烏帽子子は「お酒の飲める女子学生」。
高野さんの狙いどおり、朝は早くから農作業をし、
夜は楽しく一緒にお酒を飲む女子学生は、すぐに農家の人たちと打ち解けたという。
それがきっかけで毎年20人ほどの学生が「援農合宿」にやって来るように。
そのときも、学生たちに「何でもするので泊めてください」と、
直接農家をまわって交渉させるのだという。
2週間ほど滞在すると、すっかりその家の子どものようになり、
その後も交流が続いている烏帽子親・烏帽子子は多いようだ。
空き農地・空き農家情報バンク制度を知って、
古い農家の家をカフェにしたいというビジョンを持って
岐阜県からやって来た30代の青年は、
神子原地区のなかでも特に高齢化が進んでいた菅池という集落に住み、
やがて農家カフェ「神音(カノン)」をオープン。
いまでは自然栽培の野菜を育て、加工してカフェで販売もしており、
若い観光客や、村のおじいちゃんおばあちゃんが農作業のあとに立ち寄る
交流の場になっているという。
また18年間子どもがいなかった菅池に、
そのカフェのオーナー夫婦の赤ちゃんが生まれたことは、
とてもうれしかったと高野さんは言う。
2010年には菅池の高齢化率は47.5%にまで下がり、限界集落から脱却できた。
2015年現在、13家族39人が神子原地区に移住しているという。
「最初はいろいろ内部からの批判もありました。
でも、無駄なことをやって、という人は何もしていないんです。
何もしていない人は失敗もしないですよね。
だから経験のない人の話は聞かないことにしました」
そんな高野さんを後押ししてくれたのは当時の農林水産課の課長。
高野さんのそれまでの仕事を高く評価してくれていた課長は
「犯罪以外なら何をやってもいい。全部俺が責任をとる」と言ってくれたそう。
「いまでは僕が部下にその言葉をかけていますよ」
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集落に若い人を呼び込むことに成功したら、次は農作物のブランド化だ。
神子原地区の耕作地は110ヘクタール。そのほとんどが棚田だ。
標高150~400メートルの急峻な傾斜地にあり、寒暖差が激しいことから
稲が鍛えられ、また豪雪地帯の豊富な雪解け水に育てられるため、
幸いにも神子原地区のお米はおいしかった。
だが、農家の平均所得は87万円。これでは離農する人が増えてしまうのも当然だ。
高野さんは、JAに頼るのではなく、生産者である農家が自分たちで作物の値段をつけ、
流通させるしくみをつくらなくてはいけないと訴えるが、
聞き入れられるはずもない。それならばまずは自分で売ってやろう、
それができたら農家の人たちに売ってもらおうと考えた。
誰か影響力のある人物に神子原の米を食べてもらいたい。
そう考えた高野さんは、天皇陛下や米国大統領に食べてもらえないかと画策。
それは叶わなかったが、ローマ法王に献上することができた。
その後、神子原米は驚くように売れたのだという。
「神子原の農作物をいかにして人に知ってもらうか。
世界に通用するものを考えないと、国内ブランドにならないと思ったんです。
最初から国内ブランドを考えていたら、地域ブランドに落ち着いてしまう。
ひとつ上を狙うんです」
神子原米はデパートで売られるようになり、
神子原米でつくった日本酒〈客人(まれびと)〉も
高級日本酒としてブランドになっている。
「何かひとつ高い農作物をつくらないといけないと思いました。
山を高くして裾野を広げれば、お米以外のものも引っ張り上げられる。
そのためのブランド化です」
数々のプロジェクトを成功させてきた勝因に、高野さんの情報戦略がある。
「棚田オーナー制度」もいまや各地で試みられているが、
神子原の棚田オーナー第1号は、イギリスの領事館員だった。
というのも、神子原のオーナー制度の情報を、
アメリカのAP通信、フランスのAFP、イギリスのロイターという
3大通信社に流したのだ。
それでイギリスのガーディアン紙の記事を見た領事館員が、
オーナー第1号になったというわけ。
ほかにも、UFOでまちおこしをしたときは、
北海道や東北、九州などで先に情報を流し始めた。
遠いところから評判がたつと、地元の人たちは自信がつくのだ。
「近所のおばちゃん作戦です(笑)。
日本人は近い存在を過小評価する傾向があります。
自分の子どものいいところはなかなか言えない。
けれど近所のおばちゃんがほめてくれると、はっと気づくんです。
つまり他県の人に評価されたり海外の新聞で書かれることが大事。
よそさまに言われることによって、そうか、と思うんです」
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自分がお米を売ってみせたら、
今度は農家のみなさんが会社をつくって販売してください。
それが約束のはずだった。ところが一筋縄ではいかない。
「赤字になったらどうするんだ」
「倒産したら誰が責任をとるんだ」
これだけさまざまな実績を上げてきた高野さんに対しても、
集落の人たちは厳しかった。まさに四面楚歌。
「四面楚歌だったら上を向く。上は開けていたんですよ」
この精神が成功のもとなのだろう。長期戦を覚悟して何度も何度も話し合い、
45回も会議を重ねた結果、農家の人たちが折れた。
169世帯中131世帯が出資者となり、
2007年に農業法人〈神子(みこ)の里〉が設立された。
JAも市もいっさいお金は出さず、
直売所の建設費などはすべて農林水産省からの補助金でまかなわれた。
ここでは神子原米だけでなく、さまざまな農作物や加工品が売られる。
1年目は赤字を覚悟していたというが、大幅な黒字に。
翌年は出資者が147世帯に増え、資本金も700万円に増資。
出荷農家は200人を超え、商品点数は約1000種類。
売り上げも右肩あがりで、いまでは1億を超えるという。
「限界集落で自活、自立するには会社をつくるしかないと思いました。
役所や農協という補助輪に頼らず、自分たちで自活してもらう。
だから『役所はもういいよ、あとは自分たちでやれるから』
と言われたときはうれしかったですね」
高野さんの考えを理解してもらうのには、相当時間がかかった。
住民たちの意識が変わり始めたのは、お米が売れるようになってきてからだという。
「おまえ、いつになったら市議会議員選に出るんだ、入れてやるから
と言われました(笑)。そんなことはまったく考えていませんよ。
早く管理職になりたいとか、そんなことも思っていません。
本当に集落のことを考えているんだということがわかってもらえたときに、
感情的な反発がなくなってきました。
じゃあ銅像建ててやろうと言われましたけど(笑)」
農業法人をつくって直売所で販売するということは、
従来のJAのやり方とは大きく異なる。それを役人が率先してやっているのだから、
さぞかしJAと険悪なのでは……と思いきや、
「JAは敵ではないんです、最大の味方ですよ。
JAは本来、農家のためにつくった組織ですから」と高野さん。
組織とは何のための組織か。ここにも高野さんの考え方が表れている。
「あまりにも組織を大事にしていると、組織や体面は残りますが、
大事なものをなくしてしまいます。
会社は残ってもクライアントがいなくなっては意味がない。
農協という組織を残しても農家がいなくなったり、
役所を大事にしても住民がいなくなってしまっては本末転倒なんです」
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いま高野さんは、JAと組んで自然農のプロジェクトに取り組んでいる。
化学肥料や農薬を使って収穫量を増やすことを推進してきたJAと
自然農は、一見結びつかない。
だが、TPPに勝つためにはこれしかないという高野さんの考えに、
組合長は賛同してくれたのだ。
まだTPPの問題がそれほど大きく報道されていなかった2009年のこと。
化学肥料や有機肥料、農薬や除草剤も使わずに自然の力で育てる
「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんを招いて
自然栽培実践塾を開き、神子原で自然栽培の米を作っている。
自然栽培のプロジェクトは羽咋市のみにとどまらない。
風評被害に苦しむ福島県いわき市のJAとも手を組み、
木村さんの自然栽培実践塾をいわきでも開催することになった。
いま高野さんは東北を自然栽培の聖地にすることを夢見ている。
「人が本当に心から喜んでくれて、健康になれる作物を作る。
それが日本人が次にやらなければならない使命だと思っています。
九州の米と北海道の米のどちらがおいしいか競うのではなく、
みんなが手を結んで世界が認める〈ジャポニック〉として売り出すべきです」
高野さんは国や社会、地域を人体になぞらえて考える。
「右手と左手はけんかしませんよ。
こいつが邪魔だからと右手が左手の指を切ったりしません。
血液は貨幣で、必要なところに必要な血液がいく。
過疎の村は動かしていないから細胞がやせていきます。
でもリハビリして活発化していけば、また動くようになるんです。
北海道も沖縄も福島も、人体の一部。
東北が苦しんでいたらみんなで助けに行くだけです。
もうそろそろ行政の縦割りの壁を取り外してもいいんじゃないかと思います。
地方から新しいモデルがつくれるんじゃないか。ポスト資本主義というか、
現状にとってかわるような新しい提案を、地方からできるんじゃないかと思うんです。
そういうときに必要なのは愛と知恵。合わせるとフィロソフィー、哲学なんです」
ところで、最初に高野さんがたてた5か年計画〈山彦計画〉の最後の項は、
なんと「映画化、ドラマ化」だったという。
5年では叶わなかったが、10年後の2015年、実現する。
時代がようやく高野さんについてきたということか。
「少しこっぱずかしいですけどね。現実のほうがドロドロしていますし。
でも、現実にはドラマ以上の生の感動があります。
移住者の若い人が作った自然栽培の米で炊いたご飯を食べたときは、涙が出ましたよ。
だからぜひ、やってみてほしい。とにかくやってみることが大事です」
高野さんは来年3月で定年退職を迎える。
それでもまだまだやりたいことがあるそう。
そのプランを話す高野さんはとても楽しそうだ。
「楽しいですよ。辛いことは長続きしませんから。
いつもおもしろくてしょうがないんです」
profile
JOSEN TAKANO
高野誠鮮
1955年石川県羽咋市生まれ。科学ジャーナリスト、テレビ番組の構成作家を経て、1984年に羽咋市役所臨時職員に。その後1990年に正式に職員となり、1996年に宇宙科学博物館〈コスモアイル羽咋〉を設立し話題になる。2002年に農林水産課に配属となり、過疎高齢化が進んでいた神子原地区の活性化に着手。2007年に農家が自ら経営する直売所〈神子の里〉を開設し、農家の収入の向上と限界集落からの脱却に成功。2013年より羽咋市教育委員会文化財室長を務める。代々続く日蓮宗の僧侶でもある。
information
日曜劇場
『ナポレオンの村』
7月19日(日)スタート 毎週日曜21:00~
原案:高野誠鮮著『ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』
脚本:仁志光佑
演出:岡本伸吾 平野俊一 塚原あゆ子
出演:唐沢寿明 麻生久美子 山本耕史 イッセー尾形 沢村一樹
http://www.tbs.co.jp/Napoleon_no_mura/
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