京都で狩猟・ジビエを考える。 手作りグッズやフードも充実の マーケット「出町市場Um!」

狩猟した野生鳥獣の肉を意味する言葉、「ジビエ」。
もともとヨーロッパの伝統料理として発展してきた食文化ですが、
ちかごろ獣害による農業被害などから、
日本にもその文化が浸透しつつあります。
それは古都・京都でも例外ではありません。
とくに北部は獣害被害が多く、ジビエ料理を使った町おこしが
行われているのですが、もともとの原因が環境バランスの崩壊によるため、
なかなか問題は解決しません。食べられるはずの肉が、
大量に廃棄されていという現実があります。

そんな京都の京都市上京区にある「Deまち」にて、今週末、
2015年6月27日(土) と28日(日)の二日間にわたり、
ジビエがテーマのイベント「出町市場Um!」が開催されます!
主催は、「京都好きが知らない京都」をコンセプトに、
京都のディープな情報を発信するウェブサイト「ナポリタン」。
彼らは毎月、ひとつのテーマに沿った市場を開催しており、
今月はジビエがテーマというわけです。

鹿骨アクセサリーブランド「hai」岡本梨奈さんの作品

出店するのは各日10店舗。
いずれもジビエを様々な方法で調理、製造する猟師や、
獣の皮を利用して作品づくりをする人々です。
ニホンジカの処理頭数が日本一で、
2014年には獣害による農業被害額は5,000万円にもなったという
岡山県美作市で獣害を考えるアート作品 「LIFETERIOR」を作る
アーティストの喜多村雄真さんや、
「家で食べるジビエ」をコンセプトに、鹿肉の加工品を製造・販売する
大阪の「山肉デリ」らが出店。
狩猟・ジビエに対する考えをそれぞれのやり方で提案します。

カフェギャラリー&陶芸教室 ネストの無添加ジビエソーセージ

細見花子さんの鹿肉入りスイーツ

中古の海上輸送用コンテナの リノベーションで、 市民の憩いの場をつくる。 WORKVISIONS vol.4

WORKVISIONS vol.4

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村浩です。
vol.1vol.2vol.3に引き続き、
僕の故郷佐賀のまちづくりについてお話したいと思います。
前回は、佐賀市のまちなかの空き地に芝生を張って原っぱをつくり、
元気のない地方都市の新陳代謝を活発化して、
人の活動を呼び起こすいい循環に繋げるという、
「空き地のリノベーション」についてでしたが、
今回は、芝生の原っぱづくりと一緒に実践してきた、
「わいわい!!コンテナプロジェクト」についてです。

とりあえずやってみるという新たな都市計画手法

このプロジェクトは、
「まちにどういうコンテンツがあれば、
なかなか元気のないまちなかに市民が足を運んでくれるか」
ということを検証するための“社会実験”として始まりました。
まちなかに増え続ける空き地のひとつを借地して、
そこに芝生を張って原っぱをつくり、木製のデッキでテラスをつくりました。
さらに、中古の海上輸送用コンテナをリノベーションした建築を設置して、
そこを雑誌図書館にしてみることから始めました。
場所は佐賀市内の商業地のど真ん中。昔は人で溢れていた商店街ですが、
今は、夜の飲屋街になっていて、昼間にはほとんど人の姿が見えないような場所です。
利用料は無料です。
そして、あくまでも実験ですから、
とりあえず1年間限定のプロジェクトのはずでした。

そもそも、なぜ実験なのか?
それは、まちなか再生に効果的な方法が何なのか、
誰にも確信が持てないからなのです。
一般市民の方々は当然のこと、建築や都市計画といった専門家でさえも、
今の疲弊し続ける地方都市を救えるような特効薬を知らないのです。
なぜなら、20世紀には右肩上がりに増え続けてきた人口が、
2005年をピークに急激な減少局面に入りましたが、
これまでに人口減少局面の社会を経験したことがある人間は、
今の子どもたち以外に、この日本中にひとりもいないからです。
もちろん、20世紀にもまちづくりや
地域活性化のプログラムは実践されてきましたが、
あくまでも人口が増えている時代の出来事であって、
価値観が大きく変わったこの現代に、
その時代に編み出されたまちづくりや都市計画の手法をトレースしても、
効果が出ないことは明らかです。
人口やそれに伴う経済規模が縮退する時代に生きた人がいないわけですから、
すべての人々にとって未知の世界であり、だからこそ「やってみる」という
チャレンジが必要な時代が到来していると思っています。

ただし、あくまでも実験であり、成功も失敗もあるわけですから、
大きなリスクを負ってのチャレンジは、当然やめたほうがいい。
20世紀に編み出された「再開発」とか「巨大な公共施設」なんかは、
右肩上がりの時代には成功事例もあったかもしれませんが、
今は、ただの大きなリスク。
だからこそ、小さなチャレンジをたくさん繰り返して、
軌道修正しながら道筋を探す手法こそが、
これからの新しい都市計画手法だと思うのです。
佐賀市のまちなかで実践している「わいわい!!コンテナプロジェクト」は、
まさに、21世紀の都市計画に相応しい、
最先端の小さな小さなチャレンジなんです。

ぼろぼろの中古コンテナが見違えるような空間に

さて、このプロジェクトで使用したコンテナは、
神戸で購入し輸送してきた中古品です。
中古コンテナ自体の価格は、輸送費は別途かかりますが、驚くほど安価です。
佐賀では、20ftと40ftのコンテナを使用しました。
中古なので、サビが出てたり、鉄板がボコボコにへこんでいたり、
外装の鉄板には海上輸送会社のロゴやコンテナの製造情報が
表面に記載されていたりしていますが、そういったコンテナの履歴が、
逆になかなかのいい雰囲気をつくりだしてくれるように思います。
まさに、一般の建築同様に、
古さと新しさを重ね合わせることがリノベーションの醍醐味だと思います。

郊外の作業場に並べられた中古コンテナ。

ここからは、この中古コンテナを利用目的にあった、
空間に仕立てていくプロセスについて紹介します。
まずは、現地ではなく、郊外にある広い作業場に中古コンテナを搬入し、
そこでサッシを取り付けるための開口部や、
コンテナを連結する部分の処理など、
コンテナ自体の加工を事前に行います。
鉄板部分の切断や溶接による工事音はかなり響くので、
この騒音に対する配慮が必要なことと、
敷地が狭いと複数のコンテナの切り回しが難しいことなどから、
今回のわいわい!!コンテナプロジェクトの敷地のように
中心市街地のど真ん中のような場合には、
別の広い敷地で基本的な加工を済ませてから、
敷地に搬入して据え付けることをおすすめします。

とはいえ、僕自身もコンテナを扱うのは初めての経験で、
まさにやってみないとわからないことだらけでした(笑)。
ですから、ひと言にコンテナといっても
製造メーカーによって微妙にディテールが違うことが納品後に発覚したりして、
違うディテールのコンテナを連結するのに、結構苦労したりしました。
購入時に、できるだけ同じディテールのコンテナを選定することが
大事なポイントだと学びました。

加工中の中古コンテナ。

サッシ取り付けのために開口部の穴あけなどの基本的なコンテナの加工が終わると、
コンテナをまちなかの設置現地へトレーラーで搬入して、定位置に据え付けます。
後は、通常の建築と同様の手順で、サッシの取り付けや仕上げを行い、
コンテナ建築の完成です。

現地に設置された仕上げ前の中古コンテナ。

佐賀では、仕上げが終わっていないボコボコにへこんだ中古コンテナが
設置場所に搬入された姿を見た市民の方々から、
「こんなぼろぼろのコンテナでほんとに大丈夫?」
と心配の声をたくさんいただきました。

しかし、内外の塗装をして、木製の家具の搬入が終わって完成した際には、
「いやー、中古のコンテナでもこんなにいい空間になるんだー!」
とうれしい悲鳴をいただく結果となりました。

中古コンテナのリノベーションで、完成したわいわい!!コンテナ1。300種類の雑誌と絵本、漫画を自由に読める雑誌図書館として2011年6月にオープン。ここは2012年1月末までの実施しでしたが、現在も別敷地にて「わいわい!!コンテナ2」が継続中。

多様な生き方がつくる、 古マンションの活用。 403architecture [dajiba] vol.3

403architecture [dajiba] vol.3 
使われ方から生まれる新しいかたち

今回は、2013年1月に竣工した「渥美の収納」の施主、
原田ちか子さんにお話を伺いました。
原田さんは、僕らが拠点を置く浜松市内で
長年ニットの手編み教室を営んでいる先生です。

最初にお会いしたのは、僕らも参加した2010年の浜松建築会議。
これは、浜松出身の建築に携わるメンバーが中心となった実行委員会が主催し、
地方都市での建築家の役割や中心市街地のあり方を
建築的な観点から考えることを目的としたイベントでした。
2010年はその第1回目となるもので、
以降は、不定期にこれまで3回開催されています。

この企画のひとつに市街地に増えていた空き室を
建築学生とワークショップを通して活用していく試みがありました。
いまは、さまざまなショップが入居し、
浜松のカルチャーの発信地ともいえる「カギヤビル」も、
当時は2階以上になると空き室が目立っていて、
このワークショップを通して活用が考えられた建物です。

カギヤビル

浜松市内の東海道筋となっているゆりの木通りにある共同建築。
数年前までは、2階以上がほぼ空き室となっていたが、
現在は、丸八不動産グループの平野啓介社長(後にインタビューに登場)が運営を行い、
現在は写真家が経営する本屋やアンティークショップ、デザイン事務所が入居している。
403architecture [dajiba]の事務所からも徒歩3分ほど。

そんなカギヤビルの1室に住み、別の1室で手芸教室をしていた原田さんが、
家を僕たちの事務所も入居する「渥美マンション」に引っ越すにあたり、
部屋を改修して、別々だった住居と手芸教室を一体化させたいということで
仕事を依頼してくれたのが「渥美の収納」というプロジェクトの始まりでした。

彌田

当時はカギヤビルの3階に住みながら、
「チカコズコレクション」という手芸教室を1階で営んでましたよね?
原田さんは、ずっとカギヤビルでやられていたんですか?

原田

30歳の時にカギヤビルでやるようになってからは、ずっとカギヤビル。
当時は編み物ブームだったから生徒さんがすごかったの。
90人くらいを1週間に分けて、教えてたんだから。
複数階のフロアを借りたこともあったし、
カギヤビルの中で何回か場所は動いてはいるんだけど、
40歳を超えた1990年くらいから
1階だけで編み物教室を始めて、3階に住むようになったの。

彌田

へー。ずっと1階で手芸教室をされていたんだと思ってました。
たまに銭湯に行くところを見かけたりしてましたけど、よく行かれていたんですか?

原田

お風呂が使えなかったから、
「巴湯(浜松の市街地にある唯一の銭湯)」に通ってたの。
ここに引っ越してからもたまに行っているよ。

彌田

あ、そうなんですね。
てっきりずっとそういうライフスタイルなのかと思っていました。
1970〜80年代の歌に、銭湯ってよく登場するじゃないですか。
お風呂は銭湯で入るのが普通なのかなって勝手に思っていたんですが、
ちょっと違う事情があったんですね(笑)。

原田

そう(笑)。お風呂があった時は家で入ってましたよ。

こちらが原田さん。

彌田

この仕事を僕らに依頼していただいたのは、どうしてですか?

原田

浜松建築会議のときに辻くんに知り合ったからだったと思う。
彌田くんとも、現在のようなカギヤビルとして運用される以前に、
空いている部屋を活用してクリエイターの活動拠点になっていた、
「KAGIYA HOUSE」でよく会ってたし、
商店街で行うイベントを手伝ってくれていたから毎月の定例会でもよく会ってたしね。
顔なじみというか、そういうのだと思う。
浜松建築会議とKAGIYA HOUSEがなかったら、こうなってなかったかもね。

©Takumi KAWAGUCHI

KAGIYA HOUSE

2010年、2階以上がほぼ空き室となっていたカギヤビルの2階と4階の一部を
地元のクリエイターが主体となってギャラリースペースとして活用していく試み。
展示を始め、ワークショップや商店街の会合などの際にも使用され、
アーティストだけでなく多くの人が訪れる場所となっていた。
2011年5月からビルのオーナーが丸八不動産グループとなるまで運営されていた。

彌田

それはありがたいですね。でも原田さんは
大工さんのお知り合いもいらっしゃるじゃないですか。
普通だったら、大工さんとかに頼むと思うんですが……。

原田

それは、もともとあった手芸教室の棚を使ってもらいたかったから。
この棚自体は、大工さんがつくってくれたものだけど、
この棚を生かして何かつくるっていうのは、大工さんはしないじゃない。
つくる時に少しお金もかけたしね(笑)。
長年使った思い入れもあって、引っ越しても使いたいなぁと思ってたの。

彌田

なるほど。それは僕らにピッタリのプロジェクトですね。
原田さん、隣の部屋(「渥美の床」がある部屋)は見たことあります?

原田

うん。一度だけ入ったことある。

彌田

あの部屋の一部も僕たちがやらせてもらっていて、
寝室の寄せ木みたいな床(vol.1に登場)は、天井にあった木材を細かく切って、
床に敷いているんです。もとの状態とは違いますが、
あっちにあった素材をこっちに持ってきて作ったプロジェクトなんですね。
そう考えると、
「渥美の収納」は木材が収納に置き換わったようなプロジェクトですね。

2DKの間取りから、収納棚を壁面に配した手編み教室兼リビングとなる広々とした空間に。この部屋のほかに寝室、キッチンがある。©kentahasegawa

「渥美の収納」

築40年ほどのマンションの1室の改修。居住機能に加えて、
施主が営んでいる手編み教室を行うためのスペースが併設されている。
手編み教室で必要となる毛糸などを収納する棚は、
施主からの要望であった既存の棚の一部を使用。
棚板や仕切り板同士の間隔はもともとの寸法を参照し、つくられている。
教室部分は、生徒がいない時には施主のリビングとしても使われるため、
毛糸や教科書などの教室に必要な道具に加え、
暮らしの道具も混在することが想定された。
以前から使われていた家具そのものや家具が持つ寸法を用いることで、
両方の道具が新たな環境になじむような状態を目指した。

右のガラス戸の奥が玄関になっている。©kentahasegawa

写真集「ことでん 仏生山工場」 100年前から 走ってきた「ことでん」の 魅力と再生の記録。

100年前から香川県高松市のまちや山を
走ってきた高松琴平電気鉄道。
「ことでん」という名前で親しまれている、
とってもかわいい電車です。

この鉄道の心臓部ともいわれる仏生山工場と、
そこで働く人たちを写した写真集があります。

©GABOMI.

でも、田園を走る風景でもなく、
車窓風景でもなく、なぜ工場?
そのわけは、仏生山駅の隣に立つ巨大な工場の中にありました。

こちらはただの整備工場ではなく、
東京の京浜急行や京王電鉄の30年落ちの中古車を改造補修し、
ぴかぴかの「ことでん」によみがえらせる工場なんです。

©GABOMI.

2011年の冬、たまたまこの工場を訪れ、
その技と技術者さんたちに惚れ込んでしまったのが、
高知県生まれの写真家・GABOMI.(がぼみ)さん。

足りない部品は鉄を加工してつくる、
生まれ変わった電車は数十年寿命を延ばす……
GABOMI.さんはそんなエピソードに興奮し、
気づいたら「写真を撮らせて下さい!」と言っていたそう。

©GABOMI.

おりしも、GABOMI.さんが工場を訪れたのは、
1911年(明治44年)に「ことでん」の前身のひとつ
「東讃電気軌道」が走り出し、
ちょうど100年目を迎えようとしていた頃。

その時、高松琴平電気鉄道の
取締役・真鍋康正さん(当時)は
“百年目の現在を記録して地域の方に伝え、
新たな未来を描いていきたい”という思いを抱いていました。
そこで、GABOMI.さんに撮影を依頼。

それからGABOMI.さんは、撮影のために何度も工場を訪れました。

©GABOMI.

工場では、約25名の技術者の方たちが、
日々80を超える車両の点検を行っていました。
車両は数年おきにねじ一本まで分解され、
洗浄・点検・修理をほどこされます。

足りない部品を自分たちでつくるのは、
古い交換部品がないから。
マニュアルのようなものもありません。
だからここでは、つくれるものは買わずにつくる、
使えるものはできるだけ長く使う、ということが
伝統的に行われてきたのです。

香川の工場の奥で、
こんなにすごいことが行われていたなんて!

©GABOMI.

そして同年の冬、GABOMI.さんは
ことでん開業100周年記念イベントにて
「ことでん百年目の写真展」を開催。
写真展は反響を呼び、イベントも大成功を収めました。

©GABOMI.

そんな「ことでん」にも
存続が危ぶまれた大変な時期がありました。
しかもそれは、「ことでん」の長い歴史の中では、つい最近のことでした。

奥田民生氏が表紙の 「カンパイ!広島県」。 広島県が贈る究極のガイドブックが 今年も登場!

2014年7月、広島県の新・観光キャンペーン「泣ける!広島県」
の発表とともに発行され、異例の品切れを巻き起こした
ガイドブック「泣ける!広島県」。

今年も、広島県による究極のガイドブックがやってきます!
広島県の今年の観光スローガン、
「カンパイ!広島県 ~見んさい!食べんさい!飲みんさい!~」
にちなみ、タイトルは「カンパイ!広島県」。
2015年6月16日(火)より、全国の美容室、カフェ、
コンビニや広島県関連施設などで無料配布されるんです。

前回はPerfumeが表紙・巻頭を飾ったこのガイドブック。
今回の「カンパイ!広島県」では、
広島県出身のアーティスト、奥田民生さんが登場。
マツダスタジアム、鉄家、キング軒など
民生さんがお気に入りの広島のスポットを巡ります。

一石二鳥! 岩手県で路線バスを活用した 宅配便輸送開始。 岩手県北バスとヤマト運輸 が開発

いま地方では、高齢化や過疎化により、
住民が通院や買い物などに利用する路線バスなどが
廃止になることも多く、公共交通ネットワークの整備が
求められています。

またその一方で、物流業界においては、
人手不足などから物流網の維持が困難になるケースも多く、
こちらも効率化などの対応が課題となっています。

さてこのたび、岩手県にて、この2つの問題を解決するための
取り組み「貨客混載」が開始しました。
これは、岩手県の路線バス「岩手県北バス」と、「ヤマト運輸」による
プロジェクト。
両社が協力し、路線バスの空きスペースに荷物を積み込むことができる
新しい車両「ヒトものバス」を開発!
岩手県北バスが運行する「都市間路線バス」と「重茂路線バス」に導入し、
住民と宅急便という一石二鳥の輸送を実現しました。

こちらが荷台スペース

岩手県北バスのバスガイドとヤマト運輸のキャラクター「シロネコ、クロネコ」に囲まれ握手する長尾社長(中央左)と松本社長(中央右)

この路線バスの空きスペースで荷物を輸送するという
取り組みによって、バス路線網の維持に繋がるとともに、
ドライバーの集配効率とともに作業効率の向上にも繋がるという
効果が期待されているそう。

梅雨の時期だけのマーケット! 用水路の上にビルが並ぶ豊橋名物 「水上ビル」で 「雨の日商店街」開催

梅雨の時期でも傘いらずの特別マーケット「雨の日商店街」が
6/13(土)・14(日)/20(土)・21(日)の4日間、
愛知県の豊橋市にある大豊商店街で開催されます!

JR豊橋駅近くにある名物建築「水上ビル」をご存知でしょうか。
駅の南を流れる「用水路の上」に、東西800メートルにわたって
建てられているという珍しいビル群です。
その両サイドには商店街のアーケードがあり、
雨の日でも買い物を楽しむことができます。
誕生から50年たったいまでも、
当時から続く八百屋さんや、花火屋さん・駄菓子屋さんなどの問屋が並び、
ノスタルジックな風情を味わうことができます。
しかしその一方で、空き店舗も目立つようになってきました。

珍しい「水上ビル」。上空からの写真を見ると、水路が分かりやすいです。

今回のイベントでは、そうした空き店舗を開放し、
カフェやアンティーク、雑貨などのお店を集めて
商店街を盛り上げます。
集まるショップは、愛知県東三河地区で
活躍してるお店が多く出店。
従来より営業しているお店35店舗に加え、
延べ約40店舗のお店が出店する予定です。

ヴィンテージ雑貨やオリジナルの手づくり雑貨屋さんが多く並ぶ予定。

レトロな商店街にふさわしく、
古道具が目玉。
昭和30-40年代の乙女な雑貨や
メキシコのカラフルな雑貨、
ちょっとユニークな民俗アイテム、懐かしの映画ポスターなど
掘り出し物を見つけるチャンスです。
シトシトと降る雨の音を聞きながら、歴史のある商店街を
そぞろ歩くのも風情があっていいですね。
もちろん、晴天でも決行しますよ!

「雨の日商店街」
日時:6/13(土)・14(日)/20(土)・21(日)11:00~17:00
開催場所:大豊商店街
     愛知県豊橋市駅前大通2~3丁目
     大豊ビル
     水上ビル(狭間公園周辺)
     JR豊橋駅東口より徒歩8分
     豊鉄市内線(路面電車)駅前大通電停より徒歩3分
     豊鉄市内線(路面電車)新川電停より徒歩3分

雨の日商店街(Facebook)

秋田県大館市から、 秋田犬「ののちゃん」日記第9回。 ついに、ののの写真集が発売のん!

ちらり

みなさ〜ん、どうもこんにちのん!!!

今日も元気のん? 
ののは元気に毎日おさんぽしてるのん。

でも、朝は出社のあとはまずは、ひなたぼっこで日光浴のん。

秋田も最近は30度になる日もあったりで暑かったのん。
そんな日は、お水をガブガブ♪

氷をシャリシャリ♪ 暑い日の氷は格別のん!

お花もきれいのん。

ののは意外とここを歩くのが好きのん。

カラフルな場所のん。ウキウキするのん!

そうこうしてるうちに夕暮れのお時間になったのん。
川の向こうにシラサギさんがいて気になるのん。
サギさ〜ん!ののとあそぼ〜の〜ん♪

さて、おさんぽしたあとは、ごはんのん♪

今日も美味しく作ってくださいのん〜♪

あ、今回は大事なおしらせがあるのん!
ついにののの写真集が発売の6月6日が迫ってきたのん!

知る人ぞ知る名所! 徳島県鳴門市「大塚国際美術館」 にて「美びビフェスティバル」開催

徳島県鳴門市、「うずしお」で有名な徳島県鳴門市国立公園内にある
「大塚国際美術館」をご存知ですか?
※コロカルでのご紹介はこちら
知る人ぞ知る、モノスゴイ美術館なんです!
そもそもこちらの美術館、世界の名画がたくさん展示してあるのですが、
全て原寸大で作られたレプリカ。オリジナルはひとつもありません。
さらに、入館料は日本最高値とも言われる「3,240円」。
それでも、旅の口コミサイト「tripadvisor」の
「行ってよかった美術館&博物館ランキング2011」では
美術館部門で1位に輝く、大人気の美術館なんです。

こちらが美術館外観

エル・グレコ「エル・グレコの祭壇衝立復元」

この美術館を作ったのは、「オロナイン」や
「ポカリスエット」でお馴染みの、大塚グループ。
1998年に、創立75周年記念事業として設立しました。
「陶板」は油絵などと違って、温度や湿度、陽射しや風雨
にも強く、2000年もの間劣化しないと言われる素材。
しかも細かな色彩表現やディテールも再現出来るんです。
大塚グループの「大塚オーミ陶業株式会社」が
美術陶板、建築陶板などをてがけています。
「大塚国際美術館」では、世界中の美術館で原画を写真撮影し、
特殊技術で陶板の上に忠実に転写・焼成して作っているんだそう。
冒頭の写真は、ゴッホの描いた「ヒマワリ」。
第二次世界大戦の折に焼失し、二度とみることができない
通称"芦屋のヒマワリ"を原寸大の陶板で再現しました。

■独自イベント「美びビフェスティバル」

美びビフェスティバル

「大塚国際美術館」では自主イベントを開催しています。
今年の夏、2015年7月17日(金)から
行われる「美びビフェスティバル」。
ルノワール、ゴッホ、ロートレックたちが集ったパリを表す「ベル・エポック」
をテーマに、大人も子どもも楽しめるイベントです。
その内容は、高さ16mのアート作品「美びビツリー」や、
絵画に登場する衣装を着て、パリジャン&パリジェンヌ気分
で記念撮影したり、地元の匠である表具師の戸田あさおさんと、
屏風を使って新しいアートを作るワークショップも開催。
地下二階では、ゴッホの幻の「ヒマワリ」がかき氷になった
メニューが楽しめたりするんですよ。

長野県茅野で 日本初の「小屋フェス」開催! 参加ショップ、クリエイター、 アーティスト大募集

自分らしい暮らし方を実現するツールとして、
いま注目を集めている「小屋」。
2015年7月25日(土)~8月2日(日)の9日間、
長野県茅野市にて日本初の
「小屋フェスティバル」(以下、小屋フェス)
が開催されます。
これは、計20棟のユニークな小屋が集まるほか、
地元の食材を使った飲食ブースや物販、DIYワークショップ、
ステージから流れてくる音楽を楽しみながら、
小屋という小さな空間を思いきり体験できるフェスティバル。
ただいま、このフェスに出展・出店される方を募集中です。

募集しているのは、例えばこんな方。

・小屋で食べる食事の提案をしたい飲食店の方
・小屋暮らしに似合う道具・雑貨を販売したい方
・小物から家具、小屋づくりまでDIYのワークショップを開催したい方
・小屋を舞台に演劇や音楽のステージを行ってみたい方 

などなど。
お申込みはこちらから。
応募の締め切りは6月10日(水)です。

中古物件の環境と構造を生かす。 海が見える週末住宅。 ルーヴィス vol.3

ルーヴィス vol.3
海や山、土地の息づかいを感じられる空間へ。

みなさんこんにちはルーヴィスの福井です。
今回は個人邸のリノベーションのお話です。

ルーヴィスを立ち上げて4年が過ぎると、
個人のクライアントからの依頼が増えてきました。
そんなとき神奈川県横須賀市にある、
「昭和39年に建てられた平屋を週末住宅にしたい」という依頼がありました。

クライアントからの要望は、
「頑張りすぎず、落ち着いた感じがいい」ということでした。
後日、現地を見に行くと、
その平屋は、ただの平屋ではなく、
リビングから海が見渡すことができる、眺望が最高の立地。

3棟の平屋が廊下でつながっている面白い物件で、
築50年近いとはいえ傷みも少なく、広さも十分の平屋でした。

前所有者が使っていたときに見学へ。ここは真ん中の1棟の空間。バリ風のインテリアで整えられていました。

「頑張り過ぎず」という要望でしたが、物件を見てしまうと、
「頑張りたい」気持ちで一杯になってしまったのを今でも覚えています。

それから数週間、
「頑張り過ぎず」というキーワードと
「頑張りたい」という気持ちの狭間で
もやもやしたまま初回のプレゼンテーションの日を迎えます。
今思い返しても、このプロジェクトほど
奥歯にものが挟まったようなプレゼンをした記憶はほかにないです。

プレゼンを終えると、クライアントとそのまま食事をご一緒したんですが、
僕はそのお店で、
「正直、どうすることがベストか僕自身わからなくなってしまっています」
と打ち明けました。
今振り返れば、これから請負うプロとしての言葉か? と思うのですが、
返事としては「1日、一緒に合宿してみよう」ということでした。
思い返せば、クライアントの返しも秀逸です。

そして、僕とクライアントは、家具も何もない暖炉だけある、
大きな平屋に真冬の夜に集合して、この平屋で求めている過ごし方や、
クライアントの仕事のことなど、いろんな話をして過ごしました。

前所有者の引っ越しが終わり、家具などが何もなくなった真ん中の1棟。この空間で合宿しました。

とにかく寒かったですが、
夜空が近い感じや、夜が明けていくにつれて見えてくる漁港の風景や
明け方の澄んだ空気や冬空を見て、
「自分のプレゼンしたことって、自然体じゃなかったかも」
と、この合宿を通じて感じました。
当初のプランは、すべての和室を無くすなど、
全体的に変えるようなもので、
この建物が刻んできた歴史みたいなものもすっ飛ばしていた気がします。

力みや欲のようなものが、すっかりなくなり、
新たなプランは、
左右の棟は、直したかどうかわからない程度に整え、
中央の棟を重点的にリノベーションすることに。

もともとの玄関を生かし、外壁を塗り替えるだけでフレッシュな印象に。

玄関から続く最初の棟を寝室にしました。

左端の窓は浴室です。ここにもともとあった目隠しは撤去し、開口部を広げています。デッキを右から左まで新調し、隣地に建物がないため、浴室からデッキへもアクセスできるようにしました。

なかでも手を入れた真ん中の平屋は、
海がより大きく見えるリビング棟としました。

DINING OUT (ダイニング・アウト)日本平

食を通して地域の魅力を掘り起こす。
プレミアム・レストラン「ダイニング・アウト」が人気の理由。

美食の国ニッポン。でもまだまだ知らないニッポンだらけ。
本当に美味しいものは地元でしか味わえないものばかり。
時間と労力とお金をかけて味わいに出向くことこそがプレミアムと言えるだろう。

「ダイニング・アウト」はそういった意味でも特別なレストランだ。
ひとつの地域の厳選食材で、一流のシェフが腕によりをかけてつくる料理を、
最高のロケーションでいただく。ディナータイムでの開催のため、
遠方からの人は現地で宿泊しなければならない
(パッケージツアーがあり、大抵の参加者は利用している)。
しかも、当日体験するまで情報は制限されているものだから、
いったいどんなロケーションで、どんなすばらしい体験ができるのだろうかと、
参加者はみな胸を躍らせて開催を待つしかない。
たった一食の食事のために!? と思うことなかれ。
この“わざわざ”感がダイニング・アウトの人気のポイントなのだ。
なんと言ってもこの機会を逃すと二度と再現できない。
そんな数日限りの極上の野外レストラン、それがダイニング・アウトだ。

ダイニング・アウトが初めて開催されたのは、2012年の秋。
場所として選ばれたのは新潟・佐渡だった。
能堂を前に繰り広げられた壮大なレストランは成功を収め、
メディアに紹介されたり、参加者の口コミで評判が広がっていった。
食を通じてその地域ならではの新しい魅力を伝えるために、
著名なクリエイターをパートナーとして招聘し、
自治体や賛同者とともにつくりあげていくというスタイルはこの頃から変わらない。

過去には、広尾<ア・ニュ・ルトゥルヴェ・ヴー>の下野昌平シェフ
(「DINING OUT YAEYAMA 2013」を担当)や、
赤坂<TAKAZAWA>の高澤義明シェフ
(「DINING OUT SADO 2013」・「DINING OUT SPECIAL SHOWCASE」を担当)など、
世界からも熱い視線をあびているシェフらを起用してきた。

もともとは、博報堂DYメディアパートナーズによる社内の新規事業であったが、
“食を通じて地方に残された美しい自然や伝統文化、歴史、地産物などを
再編集し新たな価値として顕在化させ、地域経済の活性化を目指す”
というコンセプトや、“良質な時間を提供する”、“驚きの体験を提供する”
という点で共感した高級車ブランドLEXUS(レクサス)が、
第2回目からパートナーとして参加しており、
よりダイニング・アウトの世界観やブランド認知も深まってきた。

集落丸山が教えてくれたこと。 一般社団法人ノオト vol.02

一般社団法人ノオトvol.02

みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト代表の金野(きんの)です。
弊社はどうやらフラットな組織のようで、入社したばかりの担当者から、
連載第2回目を執筆するよう指示がありました。
〆切厳守とのことです。
そんなわけで、弊社スタッフもあまり知らない創業期のことを書くことにします。

空き家と景観

昨今は、全国で「空き家問題」が取りあげられるようになってきましたが、
ノオトが創業した平成21年頃はそうでもありませんでした。
私はまだ兵庫県の篠山市役所に籍があって、
景観まちづくりの仕事もしていたので、
景観条例に基づく景観地区、景観重要建造物の指定に向けて、
その候補地、候補物件を探していました。
実は、ここから、空き家問題、空き家活用事業の創業に辿り着いたのです。
役所のことを書き始めると文章がどうしても固くなりますね。

篠山市のほぼ中央に位置する篠山城から北に車を走らせると、
多紀連山に向けて、小さな谷筋に入って行きます。
7分も走れば、もう行き止まるのですが、
そこに「丸山集落」があります。
ほとんどの家屋が、茅葺き屋根にトタンを葺いたもので統一されていて、
家と家との距離感や、各家の配置が何とも絶妙なんです。
石積みや水路や樹木も、その景観を構成しています。
計算され尽くしたような、と言いますが、
昔の人は本当に計算し尽くしたのだと思います。
土地を読み、気候を踏まえ、暮らしを想像し、
名もなき人たちが長い時間をかけて
ひとつの有機体として設計し続けてきたのでしょう。
それは現代社会の「計算」とは違う計算の方法です。

私は最初、この美しい集落の景観地区指定のことを考えていました。
平成20年春のことです。
しかし、よく眺めていると空き家が多数あることに気がつきました。
空き巣が入った形跡も見受けられ、少しすさんで残念な印象をもったのを憶えています。
後日、自治会長であった、
佐古田直實さん(現在はNPO法人集落丸山の理事長)と話をする機会があり、
全12戸のうち7戸が空き家であること、
かつては城下町水源を守る「水守」の集落であったこと、
集落の未来に危機感を抱いていることなどを伺ったのでした。

法令に基づく景観地区指定やルールづくり(景観形成基準など)は
とても重要な政策ですが、
それだけでは美しい景観を守ることができない。
私たちはそういう時代に生きている。
ルールをつくっても開発が押し寄せてくるわけではない。
ルールを使うシーンはあまりなく、建物が空き家となり、農地が放棄地となり、
景観は内側から朽ちていく。
だから、何かその空間にエネルギーを注ぎ込む政策がなければ、
景観を守れない。何より地域を守れない。
私たちは、そのことを丸山集落で学んだのでした。

活用の対象となった古民家(奥の3戸)。

関東一の職人を決定する 「鳶-1GP in関東」 千葉県八千代で開催。 日本の未来を支える「鳶職」 を救え!

2015年5月24日(日)、
関東の鳶職人たちがその技を競う
技能競技会「平尾杯争奪 鳶-1GP in 関東」
が千葉県八千代市で開催されます。
主催は大阪府茨木市の平尾化建株式会社。
3月15日に佐賀県で行われた第1回大会に続き、
本大会はその第2回に当たります。

鳶職人という職業は知っていても、
具体的にどんな仕事か知っている人は少ないのではないでしょうか?
彼らがいないと建物が建たない、直らない、
日本経済の要のような存在ですが、
全国の鳶職の有効求人倍率は平均7倍(2014年9月)。
圧倒的に人が足りない状況で、
現場を回せない地域も出始め、
いま危機が迫っています。
やりたい人がいない理由は、
そもそも鳶職人についての情報発信がなさすぎるからではないか?
ということで、このグランプリが開催されるんです。

2015年3月15日佐賀県みやき町で開催された「鳶-1グランプリ in 九州」

競技内容は、事前に渡された同じ図面を元に、
参加6チーム(1チーム3名)が一斉に足場を架け、
安全性、スピードを競うというもの。
審査員は、参加各企業から1名ずつ。
また大手ゼネコンから審査員長を招いて
採点します。

勝手に作る商店街サンド: 埼玉県・川口駅前編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチをつくってみる企画。
必ずといっていいほど美味しいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。

今回は埼玉県の南端、川口市にやってきた。
人口は、なんと鳥取県を超える59万人(2015年5月現在)。
鋳物と植木と太郎焼と、昔SMAPにいた森くんが出ている
川口オートレース場で有名なまちである。

川口駅前。図書館などの公共施設が入る建物や大きいデパートが目の前にあり、きれいで住みやすそうなまちだ。

あんこがギッシリ入った名物「太郎焼」。全国では今川焼きと呼ばれているものを川口市民はかたくなに太郎焼と呼ぶ。詳しくはこちら

川口で子どもたちと一緒につくる!

さて、第5回目となる商店街サンド、今回はイレギュラーな態勢だ。
これまでは、まちに詳しい方と2~3人で回ってつくっていたのだけど、
今回は大勢でトライすることになったのだ。
川口メディアセブン」という施設の方から
「子どもたちと一緒にワークショップとしてやってみたい」とお声をかけていただいた。
当日の参加者は15名。いったいどうなっちゃうんだろうか。

駅前にある公共施設「メディアセブン」でひとりひとり自己紹介。みんな川口に住んでいる人たちで、親子で参加する人もいれば、ひとりでやってきた子もいた。小学3~4年生くらいだ。

ワークショップの講師、ということで呼ばれていたので
自己紹介と、この単純明快な商店街サンドのやり方を説明した。

チーム分けとマップ用意

問題なのはこの人数をどうやってまとめるかである。
しかし、そこは普段からワークショップなどのイベントを開催しているメディアセブンだ。
スタッフさんたちが手際よく3つのチームに分け、それぞれに同行スタッフを配置してくれた。

アミダくじでチーム分け

スタッフの方が用意してくれたメモの紙と地図。地図にはパン屋さんと集合場所に目印が入っている。

それではいざ商店街へ。引率の先生みたいな気分。

商店街の入り口にあったパン屋さんの前で、各チームに分かれることに。
また1時間後に公園に集合し、そこでサンドイッチづくりをする段取りになった。
それにしてもすごいのが、この短時間の間で子どもたちが打ち解けていることだ。
ついさっき知り会ったばかりなのにもう親友みたいだ。

同じAチームになった男の子3人。みんなで割り勘して食パンを購入。

ワークショップには女の子もたくさん参加していたのだけど、
私が一緒になったのはみんな男の子。ひとりはお母さんも一緒だ。
さっそく「ほうげつ堂」というパン屋さんで食パンを購入した。

お金がなくなったら最終兵器!?

子どもたちは、親からだいたい千円のおこづかいを貰ってきていたようだ。
その金額のなかでどうにかサンドイッチをつくらねばいけないので
節約にとみんなでお金を出し合い食パン一斤を買っていた。なるほど……。
大勢でやると分け合えるのだ。きちんと計算している姿に偉いなあと感心する。

しかし、さっきから「もしお金がなくなっちゃっても最終兵器がある」と
子どもたちが笑っているのが気になる。
最終兵器とはなにかと聞くと、私たちおとなのことだった。
私たちの財布が狙われているのだ。計算しすぎである。

何つくろうかな、と楽しそう。計算の早いしっかりもの、独創的な子、目立ちたがりの子、と個性が強くて面白い。

ここからは、気になるお店があったらみんなに声をかけ、
買うのを待ってもらうという方針で進むことにした。
休日の昼前だが、駅前ということもあって商店街はとても賑やか。
川口市は鋳物で栄えたまちなので、
商店街にはあちこちに金属製のオブジェが見られて面白い。

昔ながらの情緒を残しつつ賑やかな商店街。「樹モール商店街」と「ふじの市商店街」がつながって500メートルほど続く。

ドン・キホーテのオブジェ。鋳物のまちなのでこういったオブジェがあちこちで見られる。ちなみにディスカウントストアのドン・キホーテもすぐ近くにある。

モノづくりに関わる店舗や職人が254組参加!御徒町~蔵前~浅草橋エリアで「モノマチセブン」開催

5月22日(金)から24日(日)までの3日間、
台東区の南部にあたる御徒町~蔵前~浅草橋エリアにて
モノづくりの魅力に触れられる一大地域イベント「モノマチセブン」が開催されます!
モノづくりに関わる店舗、メーカー、問屋、職人工房、
クリエイター、飲食店等がなんと254組も参加。
ファッション、生活雑貨、食料品、文具、伝統工芸、インテリア、
ギャラリー&スペース、クラフト・材料など
多岐に渡る分野のお店が並びます。

2キロ四方の中で254組が参加。はたして3日間で全部回れるのでしょうか?!

2キロ四方に渡るこの徒蔵(カチクラ)と呼ばれるエリアは
古くから続く製造・卸のお店が集まり、
また、最近では若いクリエイターたちによる活動が目覚ましいエリアです。

期間中は買い物が楽しめるのはもちろん、
いつもなら週末は閉まっているお店や工房の中を覗いて、職人さんと触れ合ったり、
ワークショップを体験することができます。
さらに、レトロな風情が感じられる「おかず横丁」で美味しい食事を味わったり、
全国各地から選りすぐりのクリエイターが集まる
「クリエイターズマーケット」(2会場で開催)も見逃せません。
とにかくジャンジャンまちを巡って、
どんなものが生み出されているのかを
味わうのがこのイベントの楽しみ方です。

2011年から「モノマチ」という名前で開催されてきたイベント。今回で7回目になりました。期間中は延べ10万人が訪れるそう!

数量限定のスタンプラリーや、たくさんのワークショップやイベントが企画されています。サイトを要チェック!

秋葉原駅と御徒町駅の間にある「2k450」も会場のひとつ。

場所や道順など分からないことは、9箇所に設置されているインフォメーションセンターへ。

ぶらぶら歩きながら巡るのもいいですが、
自転車のレンタルスポットがいくつかあるので
時間がない人や体力に自信のない人は利用するといいかもしれません。

なお、モノマチセブンの開催にさきがけて、
松坂屋上野店1Fに職人たちによるこだわりの作品が一部並んでいます。(19日(火)まで。)
イベント詳細と併せてぜひWebサイトでチェックしてみてください。

「第7回モノマチ (通称:モノマチセブン)」
会 期:2015年5月22日(金)・23日(土)・24日(日)
会 場:台東区南部徒蔵地域一体(浅草通り、隅田川、神田川、中央通りに囲まれた地域)
参加店:254 組(店舗、メーカー、問屋、職人工房 等)

モノマチセブン

大館市よりお届け! 秋田犬 「ののちゃん」日記 第8回。 『のの写真展』開催中ですのん!

みなさ〜ん。またまたごぶさたでしたのん!
元気にしてたのん?ののはもちろん元気でしたのん!

気づけばたくさん雪が降ったののの街、大館。
冬はソリに乗ったり、、

デッカい秋田犬と雪遊びしたり、、

年明けには東京にいきましたのん。雪がなくて快適だったのん〜

そうそう、2015年1月10日でののも1才になりましたのん!
アーツ千代田3331でみんなに祝ってもらいましたのん♪

お父さんと記念写真。お父さんとの都会暮らしもなかなかいいものでしたのん♪

嶋田洋平さん

リノベーションで、暮らしをつくる、仕事をつくる、まちをつくる

人が減り、空き家が増え、元気のなくなってしまったまち。
日本のそこかしこで見られるようになったそんなまちを、
リノベーションという手法によって再生させる。
これを先陣切って実践し、普及させ、
建築、不動産関係者や全国の行政から
熱い視線を浴びているのは
東京都豊島区で「らいおん建築事務所」を主宰する嶋田洋平さんです。

彼は、実に多くのまちづくりプログラムの運営に関わっています。

遊休案件の事業化を実践で学ぶ「リノベーションスクール」、
民間型のまちづくり事業会社「北九州家守舎」、
同じく「都電家守舎」、
まち再生のための総合的なプログラムを提供する「リノベリング」。

一体、彼はどんな考えに支えられてこれらを生み出し、動かし、
人々を巻き込み続けているのだろうか。
それがどうしても知りたくて、インタビューをお願いしたら、
4時間にもわたるものに。
ここに記すのは建築家を志した北九州の若者が、
“リノベーションまちづくり”を確立するまでの半生記です。
(取材中にふらっと訪れた、「都電家守舎」の青木 純さんも登場します)

第一時代:モテたかった、建築設計期

(聞き手:馬場未織)

馬場

先日、嶋田さんの若い頃の写真を目にする機会がありました。
模型を掲げる横顔はまさに建築家を目指す若者で、
オシャレでアンニュイな文化系男子という雰囲気が
かっこよくて驚いたのですが、建築家を目指したきっかけは何だったのですか?

嶋田

まあね、その頃は髪もふさふさでしたしね(笑)。
いや、僕は北九州の出身なんですが、
大分出身の建築家・磯崎 新さんの建築作品が九州にいくつかあって、
高校時代にゴミ拾いのボランティアで彼の設計した北九州市立美術館に行ったときに
「でかくてかっこいい建物だなあ、こういうのをつくったらモテるだろうなあ!」
と、つくづく思ったんです。
磯崎 新みたいな世界的なスーパースターになれば絶対モテる、
という思い込みが、建築家を志したきっかけです。

こちらがうわさの嶋田さんの学生時代。(photo:らいおん建築事務所)

馬場

不純な動機ですが、ある意味、純粋な高校生ですね。

嶋田

田舎で育ち、モテることだけを純粋に追求して決めた進路ですからね!
なおかつ理系でデザインに興味があったため、
東京理科大学の理工学部建築学科に入学。小嶋一浩さんの研究室に入りました。
小嶋さんは、ユニットで活動する、
建築設計事務所「シーラカンス」を主宰する建築家。
当時の僕には、小嶋さんの一挙手一投足がむちゃくちゃかっこよく見えました。
コム・デ・ギャルソン着て、
「きみだって、自分の髪はオシャレな人に切ってもらいたいでしょ。
家を頼む建築家も、同じだよ」と言われると、すごく説得力があって。

馬場

東京に出てきてそんな建築家に会ったら、
確かにカルチャーショックを受けますよね。

嶋田

影響されまくって、
僕も大学院時代からみかんぐみに在籍した頃まで、
全身コム・デ・ギャルソンでキメてました(笑)。

その頃、小嶋さんが言っていたことは、今でも強烈に心に残っています。
たとえば「世の中はフィクションだ」という言葉。
「貨幣経済そのものが“フィクション”なんだよ。
そういう社会の中で何かつくろうとするのだから、
ポジティブでいいんじゃないか?
フィクションの上にフィクションを重ねているだけなんだから」
と言われたときは、痺れましたね。
また、修士1年の頃には、
これから日本では新築の仕事は激減するだろう。
リノベーションばかりになっているだろう。

建物を建てたいなら、海外に行け。中国、アジアに出て行け」
と言われていました。
当時は僕、その言葉がどうもピンとこなかったんですけれどね。

馬場

その後、就職はしたのですか?

嶋田

はい。海外にポートフォリオを持って飛び出していく友だちを横目で見ながら、
自分はどうしようかなあ、組織事務所には入りたくないし、
入りたい事務所も特にないし……と考えていたときに、
4人のユニットで設計活動をする「みかんぐみ」という建築事務所で
働くのはどうかと勧められて、所員になりました。メンバーの出身地を見ると、
曽我部昌史さんは福岡出身、加茂紀和子さんは北九州市の小倉出身だった。
そのことに何となく背中を押されたかんじがあります。

馬場

みかんぐみでも、全身コム・デ・ギャルソンだったのですか?

嶋田

一転して、ユニクロ・スニーカー・フリース・ダウンといういでたちが
デフォルトの環境になりました(笑)。
それがみかんぐみのスタイルだったのです。
ですので僕も最近は、すっかりその路線ですね。

みかんぐみは、発想の原点もプロジェクトの進め方も
シーラカンスとまったく違ったので、僕にとってはとても新鮮でした。

この事務所は、ほかの人が思いつかないようなアイデアを出して、
相手をワクワクさせればその案が通る、というやり方をしていました。
上下関係も関係なく。これは燃えますよね。
さあ、みんなが唸る案を出してやろう! ってね。

ただ、所員という立場では、
業務をこなすためのいろいろなワザを習得しなきゃならなかった。
ボス4人がそれぞれ、昨日と今日で言うことも考えることも違う、
という一貫性のない状態に臨機応変に対応するワザです(笑)。
額面通りに言葉を捉えていると、本当に混乱するんです。
でもね、僕はこの、毎日言うことの違う4人のメンバーを
「病気の一症状」と見立てるようにした(笑)。
そうしたら振り回されることもなくなり、心も消耗しない。
しかも場数を踏んでいくと、病的な発言でもないことがわかってきた。
含意やニュアンスをよーく聞き分けていくと、
彼らの言外の、暗黙のコミュニケーションが読み取れるようになり、
会話の優先順位も見えてきたんです。そんな日々を送っていたら、
むちゃくちゃコミュニケーション能力が高くなりました。

馬場

すみません、
そんな繊細な技を持っている方だとは思っていませんでした!
通じないとすぐ怒っちゃうようなタイプかと。

嶋田

いやいや、本当は僕、そういう丁寧なコミュニケーションができるんですよ。
でもね、そういうあうんの呼吸をほかの人にも求めるところがある。
自分の出す指示が雑になることがあり、そこは反省しています。

第二時代:リノベーションの力を知った、過渡期

馬場

事務所を辞めたきっかけは、なんでしたか?

嶋田

当時の建築事務所は、所員は3~5年で辞めて、
独立するというのが一般的なスタイルでしたが、
気がつけば、入所して6年目になっていました。
事務所の大多数の所員を統括して、
いくつもあるプロジェクトの現場を仕切るのは実質的に僕になっていました。
自分の思うように仕事ができて、居心地は最高にいいですよね。
しかも、2006年に電撃入籍し、子どももできて子育てが楽しくなって。
生活を支える収入も、チーフという立場になって大分安定してきたという状態。
そんな環境がもう本当に……ダサくてダサくて(笑)。僕は常々、
「アトリエの番頭ほどカッコ悪いものはない!」と思っていましたから。

いつ辞めよう、とタイミングを見計らい、
さあ今日いよいよ相談しようと思っていたら、なんとまったく同じ日、
タッチの差で同僚の吉岡寛之さん(イロイロトリドリ代表)が
「辞めようと思います」とボスたちに先に相談してしまった。
その直後に僕も、
「みかんぐみを辞めさせていただきたいと思っている相談を
させていただきたいんですが……ダメですよね?」と持ちかけると、
間髪を入れず「ダメ」と即刻突き返されました(笑)。

いよいよみかんぐみを辞めることになったのは、
結局2010年になってからでしたが、
辞める宣言した直後、これまでバリバリ働いて家計を分担していた奥さんが
ふたり目を妊娠。……ナイスタイミングですよ、本当に。
まあそれでも、辞めた。辞めると同時に「らいおん建築事務所」をつくり、
すぐスタッフをひとり雇いました。
スタッフを雇うことで、本気度が増すから。

馬場

そこからキッパリ、個人で仕事をとるようになったのですか?

嶋田

実は、みかんぐみに在籍しながら、
個人で受けていた仕事がいくつかありました。
そのひとつは、後から思えば僕の未来を左右することになった、
文京区にある「白山の家」です。

白山の家、外観。(photo:中村絵)

白山の家、内観。(photo:中村絵)

嶋田

2009年の夏、都心に暮らしたいと考えている30代のご夫婦から
「自分たちの住みたい住まいが新築でまったく見つからない」
と相談がありました。そこで、古家付きの土地の購入を勧めました。
見つかったのですが、いろいろ問題があって。
その土地には、増改築を繰り返した結果、建築物が敷地からはみ出していて、
法律の基準からは容積率も、建蔽率もオーバーしている、
バリバリの違法建築があったんです。
解体費を割引いた価格で売られていたものの、
違法建築が建っているせいでローンが組めない。
かといって解体、新築したら予算オーバーになる。

そんな、にっちもさっちもいかない条件をにらんだ挙句、
僕はこの三重苦のような違法建築を合法状態にし、
なおかつ「事務所と自宅を兼ねた空間を持ちたい」という
都心ではそうそう実現できない夢を実現させるべく、
リノベーションを試みました。
すると、建築費用は予算内、4500万円に納まった。
合法建築になったのでローンもつけられるようになった。
さらに、夢も叶ってしまった。
新築を建てていたらいずれも、ありえなかったことです。
リノベーションという手法で、複数の課題を重ねて一気に解決できるんだ、
という手応えを感じました。

馬場

なるほど。設計、特にリノベーションは、
課題を解決する行為だとも言えますよね。

嶋田

「医者と弁護士は困ったときに相談されるが、
建築家は調子がいいときに相談される」と小嶋さんはよく言っていましたが、
僕のところに相談してくる施主は基本的に困っているんですね。
困っていることを解決するということは、
社会の課題に接続することでもある。

社会の課題を解くことこそが、僕のやりたかったことなんだと自覚しました。

それから、自分の事務所を立ち上げた後に
みかんぐみ最後の仕事として関わったのは、
鹿児島にあるデパートのリノベーションでした。

馬場

ナガオカケンメイさんがプロデュースを手がけた
「マルヤガーデンズ」ですね?

嶋田

そうです。そもそもは老舗の地場のデパートだった「丸屋」が、
紆余曲折を経て「三越鹿児島店」へと変わり、
それも経営不振で2009年に閉店してしまった。
この、鹿児島市の中心地にある施設の再生計画にみかんぐみが参入したのです。
テナントが去ってしまったこの施設を前に、
これからの時代に社会が求める商業施設とは
一体どういうものだろうかということを根本から構想して、
客やテナントが有機的に交わり合う場を持つ
マルヤガーデンズ」として復活させました。

グリーンに覆われる、現在のマルヤガーデンズの外観(photo:マルヤガーデンズ)。

屋上庭園の「ソラニワ」(photo:マルヤガーデンズ)。

嶋田

思えばマルヤガーデンズのプロジェクトでは、
山崎亮さん、コピーライターの渡辺潤平さん、
映像作家でクリエイティブディレクターの菱川勢一さん、
D&DEPARTMENT PROJECT 代表のナガオカケンメイさんなど、
ずいぶん多くの出会いがありました。なかでも山崎さんの存在は大きかった。
「日本の人口は今後、減る。つまり建物が余り始める。
それなのに、建築家はなぜ新たに建て続けるのか?」

と山崎さんに言われた時には、ひっくり返りそうになりました。
だって僕、磯崎新になろうと思っていたんですよ。
でかい、かっこいい建物を建ててモテてやるって(笑)。
でも、よーく考えてみたら以前から小嶋さんは
「これから日本では新築の仕事は激減するだろう、
リノベーションばかりになるだろう」
と言っていたよな……と、急に思い出したんです。

馬場

つながった!

嶋田

そう! つながった!
これからの日本の軸は、そっち側にある。と、僕が確信した瞬間でした。
小嶋さんよりだいぶ遅いけど(笑)。

傘をよみがえらせるプロジェクト「CASA PROJECT」。いらなくなった傘がカラフルなテントに!

どこかに置き忘れてきてしまったり、すぐに壊れてしまったりする傘。
「CASA PROJECT」は、そんな傘をテントやバックなどに
生まれ変わらせてしまうプロジェクトです。

たとえば、傘の生地をパッチワークして、
こんなにかわいい自転車カバーができます。

「自転車カバー」モノトーン10,800円 / カラフル12,960円

傘の防水性を生かしたナイスアイデア!
色味を抑えたモノトーンカラーもあります。

こちらはサドルカバー。

「サドルカバー」2.160円

これがあれば、もうサドルにスーパーのビニールを
かぶせるなんてこと、やめられそう。
いずれも「トーキョーバイクギャラリー」でお取り扱いしています。

こちらは、つぎはぎ感がかわいいコースター。

「コースター」998円

コースターやバックなどは、六本木の国立新美術館内
「スーベニアフロムトーキョー」でお取り扱いしています。
一つひとつ色や柄が異なるので、選ぶのもたのしい。

CASA PROJECTは、主催者のHOUKOさんが学生だった頃、
空間設計の課題がきっかけで生まれたプロジェクトです。
日本国内で年間約1億2000万本消費さている傘に着目し、
「身近にあるものを活用して“自分でつくる”ことを楽しみたい」とはじめました。

そこには、一人ひとりが必要以上にものを買うことをやめ、
必要なものを自分でつくるようになれば、
新しい未来が見えてくるはず、という思いがあったそう。

空き地のリノベーションで 地方都市を元気に。 WORKVISIONS vol.3

WORKVISIONS vol.3

みなさん、こんにちは! ワークヴィジョンズの西村浩です。
vol.1vol.2に続けて、
今回からは、ひとりの佐賀市民の方からの一本の電話から始まった、
僕の故郷佐賀のまちづくりに話を進めていきたいと思います。
その始まりは、地方都市の行く末を大きく変える
「空き地のリノベーション」という発想でした。

まちをなんとかしたい

ひとりの佐賀市民の方からの電話から、故郷佐賀に足を運んで、
たくさんの市民の方々にお話を聞く機会が増えました。
一般市民の方々に加えて、
佐賀県や佐賀市の行政職員の方々も加わるようになり、
佐賀のまちなかの状況について、
さまざまな視点からお話を聞く事ができました。

僕の両親は、今でも佐賀に住んでいて実家もありますが、
僕自身は、小学校卒業と同時に佐賀を離れてしまったので、
30年ぐらいの時の経過とともに
佐賀がどう変わってきたのかを知るのにとても助かりました。

実は、お電話をいただいた後に、
久しぶりに佐賀のまちなかの商店街に足を運び、その現実に驚いていました。
子どものころの記憶では、
アーケードの中にたくさんのお店がぎゅうぎゅうに軒を連ね、
人で溢れかえる、活気のある商店街です。
昔は、買物と言えば、この商店街に家族と一緒に足を運んだものでした。

昭和30年代の活気あふれる佐賀のまちなか商店街。(上下写真ともに松本功さん所蔵)

ところが、久しぶりに訪れた商店街は、
僕の記憶にあるものとは全く違ったものでした。
アーケードの入口から覗いた商店街は、薄暗く、
ほとんどのお店がシャッターを閉めていて、
商店街の象徴だったアーケードそのものもぼろぼろに塗装が剝がれて、
いまにも朽ち果てそうな状態でした。
いわゆるシャッター通り化しているわけですから、
当然のことながら、人通りもまばら。
僕の記憶にある商店街そのものが消え失せたといってもいい状況で、
とても悲しい気持ちになりました。

2008年ごろの佐賀のまちなかの商店街の様子。

そんな時に、佐賀市から僕のところに
「まちをなんとかしたい」との依頼をいただいたのです。
子どものころ、僕が迷子になった記憶もあるほど活気に溢れていた商店街、
自慢の商店街でしたから、僕も全くの同感。
この時、まちをなんとかしようと強く心に思いました。

この商店街の状況を見て、とても心配なことがあります。
僕自身は、子供のころ、この商店街で両親や兄弟と楽しい時間を過ごし、
たくさんの思い出があります。
ところが今、随分と寂れてしまった商店街には、人々があまり訪れていません。
大人がいないわけですから、
当然、子どもたちもこの商店街にはあまり足を運んでいないわけです。

まちづくりとは、とても時間がかかるものです。
ですから、僕たち大人だけでできることは限られていて、
子どもたちの世代にバトンを渡し続けることが、
まちづくりそのものではないかと思うのです。

ところが、今、まちなかに子どもたちの姿はほとんどありません。
まちの楽しさを経験していない子どもたちが、
将来、僕たちの世代のように「まちをなんとかしたい」と、
果たして思うでしょうか? そうなんです。
今、地方都市のまちなかは、
将来、まちの担い手がいなくなってしまう危機にあるのです。
だから、僕は今、まちなかに子どもたちが
当たり前のように遊びにくる日常を取り戻すには、
どうしたらいいんだろうと、日々考えています。
50年後、100年後も、
「まちをなんとかしたい」と思う仲間がいてくれるように……。

こちらも、2008年ごろの佐賀のまちなかの商店街の様子。

駐車場だらけの地方都市

佐賀のまちなかを歩いていて気づいたことがありました。
ひとつは、先ほどふれたように、
子どものころは、軒を連ねていた商店が軒並みシャッターを下ろしていること。

もうひとつは、空き店舗となった建物が次々と解体され、ついには更地となり、
駐車場として使われていることです。これは、佐賀だけの話ではありません。
車社会の地方都市のほとんどが、今、駐車場だらけ、
スカスカの虫食い状態のまちになってしまっているんです。

まちぐるみで開催!「にわのわ アート&クラフトフェア・チバ」「にわのわカフェ」もオープン

5月30日(土)・31日(日)、
千葉にゆかりのある作家と飲食店など約130組が
集うマーケット「にわのわ アート&クラフトフェア・チバ」が開催されます。

「よい作家がたくさん住んでいる千葉のことをもっと多くの方に知ってほしい」
という思いから生まれたこのマーケット。
2012年にはじまり、昨年は2日間で約1万5千人を動員。
いまでは千葉県を代表するイベントのひとつになりました。

会場は千葉市民の憩いの場、佐倉城址公園。
「本丸跡地」のまわりに、個性ゆたかなテントが並びます。

クラフト部門では、公募によって選ばれた作家さんが作品を展示販売。
陶磁器、木工、漆、ガラス、金属、染色、
布、皮革、彫刻、素描などの作家さんが集います。

千葉県出身の直井真奈美さんの陶磁器。当日は子どものための器や花器、燭台、コンポート、ブローチなどを出展予定。

千葉県浦安市にある「うらたすみよ織工房」さんの手織布。天然繊維の糸を使った手織布のふろしき、ハンカチ、ストールなどを展示販売します。

千葉県長生郡で「左藤吹きガラス工房」をいとなむ左藤玲朗さんのグラス。初夏にぴったりのグラスが見つかりそう。

千葉県千葉市に工房をかまえる一ノ宮 千佳さんの花器。ちょっと珍しい色のガラスの器や花器などを展示予定。

このほかにも、「まちのわproject」や
ローカルフードが並ぶテントなど、たのしい催しがたくさん!

「まちのわproject」の一環でオープンする「にわのわカフェ」

現在ある素材で、 新たな環境をつくる。 403architecture [dajiba] vol.2

403architecture [dajiba] vol.2

第2回目のインタビュイーは、第1回目のennの林さん同様、
僕たちが日頃からお付き合いさせていただいている方のひとり。
403architecture [dajiba]を設立して、
おおよそ1年が経つ頃に店舗の改修を依頼していただいた
「手打ち蕎麦 naru」の石田貴齢さん、通称ごりさんです。 
naruは、蕎麦はもちろんそのほかの料理やお酒まで
こだわり抜く本格的なお蕎麦屋さんですが、少し変わった一面も。
蕎麦屋の奥に「conaru」と呼ばれるイベントスペースも運営していて、
ご飯を食べにくる人のほか、さまざまな人が集う場所となっています。
そんなnaruの石田さんとの話を通して、
僕たちのことや僕たちが関わる浜松という都市の状況が垣間見られればと思います。
今回は、彌田が担当します。

自分が見渡せる環境の中で、働く

彌田

お話を伺う前にあれなんですが、第1回目の記事は読んでいただけました?

石田

読みました。読みました。

彌田

どうでした?

石田

いいんじゃない。ありのままって感じで(笑)。今回は何を話す感じなの?

彌田

日頃聞けないことを聞ければうれしいです。
ごりさんと初めて会ったのは、
浜松出身の建築に携わる人が主催した「第1回浜松建築会議」の打ち上げの時です。
途中から来たのに学生のみんなが「ごりさん、ごりさん」と騒ぐのを遠目から見て、
ここらへんのお兄さん的な存在なんだと思いました。

石田

あーちらっとお店に言った時かぁ。
僕は、ちゃんと会ったのって3.11のあとだと思ってた。
でも、辻ちゃん(403architecture [dajiba]のひとり)は
その前から浜松で活動していて、
確か鍵屋ビル(前回登場したマシューが入居するまちなかの古い共同ビル)を
有効利用するとかしないとか、そんな話をした気がする。

彌田

それは、「untenor」としてですね。

※untenorは、辻のほかに、植野聡子さん、吉岡優一さんの3人を中心に、
2010年より浜松を拠点に「教育」と「まち」をテーマに活動するメディアプロジェクト。

石田

そう。で、どのタイミングだったかは忘れちゃったけど、
「4月から独立します」と言われて……。

彌田

僕と橋本がやってきたと。

石田

その時は、建築に使われる材料をリユースして……なんて言っていたよね。

彌田

「マテリアルの流動」ですね(笑)。

石田

「マテリアルの流動」ね(笑)。

手打ち蕎麦 naruの店内で、石田さん(左奥)に話を聞く。

石田

実は、そのとき僕もちょうどリサイクルについて考えていて。
naruをつくった時にいっぱいゴミが出て、それを捨てるのにお金がかかる。
でも、また新しい材を買うわけでしょ?
服とかだと古着として捨てる神あれば拾う神ありだけど、
建築ってすごいゴミを出すんだという実感があった。
でも、気持ちよい場所にするにはつくり変えなきゃいけないし。
そんな時に聞いたから、この子たちは応援しないといけないなと純粋に思ったんです。

彌田

僕らは設立当初、建築の制作過程をそこまで知らないながらも意識していたことは、
一般的には見落とされがちなものを
建築をつくるときの一部として捉えられないかということで。
廃材の活用は、その考えを実践する手法のひとつでした。

石田

そうだよ。dajibaの設立当時だったら、
僕のほうが詳しかったんじゃない? それこそここをつくったばっかりだったし。

彌田

たしか、お店の図面も自分でイラストレーターで描いたと言ってましたよね?

石田

時間がいっぱいあったから(笑)。
あと、普通、施主は現場にいないと思うんだけど、
暇だったから僕はここにいて、大工さんといろいろやり取りしてた。
例えば、キッチンの天井に後々戸棚を吊るかもしれないから
石膏ボードの下地に合板張っといてね。みたいな。
それを現場監理っていうかはわかんないけど。

彌田

そんなのつくり慣れていないとわからないですよ?

石田

年の功というか、手を動かすのが好きだったからね。
小学校の頃につくったラジコンとか。
ラジコンと言ってもサーキットで走らせるような本気の。
速く走らせるためにマシンを改造するんだけど、
そのときにドライバーとかちょっとした工具の使い方を学んだり、
適当にやったら、適当な結果になるということも学んでたんだよね。

彌田

へー。

石田

まぁ、小さい頃から何かをつくるのが好きだったってことかな。
仕事で事務所をつくるときも僕が担当したり、
ニューヨークでマンション借りた時も
棚付けたり、配線を通したり、自分で部屋をDIYしてたんだよね。

彌田

ニューヨークに住んでいたこともあるんですね。
お蕎麦屋さんになる前のお話は、聞く度に
いつも初めてのネタが出てきますね(笑)。
なんでお蕎麦屋さんを始めようと思ったんですか?

石田

それは、人が集まる所で何かをしていたいと思ったのが一番大きな理由かな。
奥さんの実家に帰省する度に、おいしいお蕎麦を食べていたこともあって、
蕎麦が身近なものだったし、
勉強してみたところお蕎麦って賞味期限が短くて、
気を使ってお客さまに出すには
席数はあまり多くできないっていうミニマムな世界だった。
自分が見渡せる中で仕事ができそうっていうのも大きいよね。

彌田

場所は、最初から実家がある浜松だったんですか?

石田

そうだね。今から10年ちょっと前のことだったけど
東京はなんかこれ以上住むと息が詰まる感じがしたんだよね。
あと、蕎麦ってすごいシンプルだから
お客さんの反応がダイレクトに返ってくるのも良いなぁと。
僕、DJもやってたじゃない?
DJの時も曲を変えるとお客さんの反応がすぐ返ってくるし、その辺りは似てるかな。

彌田

あー。そういう感覚はなんとなくわかります。
設計の仕事も打ち合せでお施主さんと直接お話するので、
良い悪いの反応がすぐわかりますね。
「開放的にしたいけどプライバシーは守りたい」と一見矛盾した要望もよくあるので、
提案のバランスはそのやり取りの中で決まっていくことが多いんです。
たしかにそこは面白いですよね。

88年の歴史に幕。宮城県民の思い出がつまった「マリンピア松島水族館」が2015年5月10日に閉館

宮城県松島町にある水族館、「マリンピア松島水族館」が
2015年5月10日(日)、老朽化を理由に閉館します。
松島水族館は昭和二年の開館から88年営業を続ける、
日本で2番目に長い歴史を持つ老舗の水族館。
2011年の東日本大震災時にも津波の被害から逃れ、
県民をほっとさせましたが、老朽化には敵いませんでした。
新しい水族館は、経営会社が変わり、仙台市へと移転。
仙台うみの杜水族館」として、今年の7月にオープンします。

名物の「ペンギンランド」

松島水族館といえば、
家族のレジャーで、学校の遠足で、恋人とのデートで、などなど
宮城に住むなら一度は訪れたことがあるはずのスポット。
アシカショーやパンダイルカ、80羽ものペンギンが遊ぶ「ペンギンランド」が名物。
震災で亡くなってしまった人気者のマンボウもいました。
松島水族館のマンボウは1984年に世界最長寿という記録を
打ち立て、町長から「準名誉町民」の称号を贈られるほどの人気ぶりだったんです。
震災後は茨城県大洗町のアクアワールド大洗水族館からマンボウが寄贈されたといういい話も。
そんな、県民に愛された水族館の想い出を残し、
いままでありがとうと伝えるために、地元クリエイターによる
プロジェクトが行われています。

まずひとつ目は、「Hello,Goodbye. 松島水族館」。
子供の頃に松島水族館に遊びにいった経験がある
地元クリエイターたちによるシンプルなWebサイトです。
美しい写真と音楽で、松島水族館の思い出を残しています。

「Hello,Goodbye. 松島水族館」写真:小野寺 真希 音楽:佐藤 那美 デザイン:小林 和貴 監督:高平 大輔

ボーダー柄を着ていくといいことがある! 鎌倉・由比ガ浜通り 「ボーダーフェスティバル」

5月17日(日)、鎌倉の由比ガ浜通りにて、
「ボーダーフェスティバル」が開催されます。

これは、ボーダー柄を身につけて由比ケ浜通りを歩くと、
色々なサービスを受けられるというフェスティバル。

由比ガ浜通りのお店の皆さんが
「あたらしいお店が増えた通りをもっと知ってもらいたい」と昨年からはじめました。
下の写真は昨年度の様子。初開催にも関わらず盛り上がりました!

鎌倉市非公認ゆるキャラ「おちむん」は今年も登場予定!11時~11時半にかけて由比ガ浜通りを歩きます。

当日は「ベストボーダー賞」を決めるコンテストも開催されます。
昨年は220組がエントリーし、鎌倉市にお住まいのNABEさんが大賞に!

ベストボーダー賞に輝いたNABEさん。シャツ、バッグ、スニーカー、サングラス、ソックスまでボーダーです。

「ベストボーダー賞」のほか、10のお店が選ぶ賞やペット部門もあります。

「NAVY YARD賞」に選ばれたゲゲゲの鬼太郎ルックのゆいくん。

エントリー方法は、当日会場でお申し込みの上、写真を撮ってもらうだけ。
「ベストボーダー賞」に選ばれた方には
全参加店で使える1万円の商品券が進呈されます。
ボーダー好きなら、ぜひ参加したいですね!