飛騨の4つの市村で聞いた 「ナゼヒダ?」 地元の人、移住者、観光客が 飛騨を好きなわけ。

いま飛騨地域が注目される理由とは?

飛騨市、高山市、下呂市、白川村、4つの市村からなる飛騨地域。
豊かな自然に、小京都とも言われる古いまち並みや温泉、世界遺産。
最近は映画『君の名は。』の舞台としても注目を集めるエリアだが、それだけではない。
伝統と新しい技術、あたたかい人、地域のコミュニティ。
そこで、ずっと飛騨に住んでいる人、移住者、そして外国人観光客に聞いてみた。

「あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?」

柴原敦子さん【白川村】

名古屋から移住し、2013年、〈アオイロ・カフェ〉をオープン。

「このあたりはパン屋さんがなくて、パン目当てのお客さんにも喜んでもらえています。ここはお店から川が見えるし、ウッドデッキでBBQしながらビールが最高です。周囲も、みんな顔見知りで、子どもをかわいがってもらえますね」

長坂風子さん【白川村】

名古屋から地域おこし協力隊として赴任して3か月。

「白川村は、みんなモノをくれるし(笑)、あたたかくて、地域との関わり合いが深いです。いまは村を回って、情報発信をしています。とにかく積極的に話しかけています。この立場をうまく使って、ここでしかできないことを吸収していきたいです」

今井登志雄さん(66歳)【下呂市】

1994年から下呂市で農業を始める。〈上原プロジェクト〉副代表。

「“回り舞台”が国の重要有形民俗文化財に指定されている芝居小屋〈白雲座〉があって、40年も素人歌舞伎が行われている地域です。まちはまち、田舎は田舎らしさをだそうと、下呂の温泉にプラス1泊できるような工夫を考えています。去年から〈上原プロジェクト〉として本格的に始めたのが、農業体験。田植え、稲刈り、しめ縄づくりなど行い、小学生も参加しています。昨年は4年に1回の“24時間ソフトボール大会”が開催されましたよ」

横関真吾さん、万都香さん【高山市】

東京都出身。ゲストハウス経営のために高山に移住し、2011年〈飛騨高山ゲストハウスとまる〉をオープン。

「実際にまちを歩いてみて、高山にゲストハウスをオープンしようと決めました。歩いて回れるので、お客さんの案内をしやすいですね。外国人ツーリストによく案内するのは、古民家の〈吉島家住宅〉や寺社巡りができる〈東山遊歩道〉です。子育ての環境もいいし、近所の人もアットホーム。まちを良くしようと考えている地元愛にあふれる若者もたくさんいます」

セルヒヨさん(35歳) グラフィスラさん(35歳)【高山市】

スペインのバレンシアから来たカップル。

「東京と京都に行ったけど、とてもビジーでした。山が見たかったので、松本を経由して高山に来ました。都市と雰囲気が違って、静かで落ちついているところが気に入っています」

イエスパさん ローズさん アマンダさん マットさん【高山市】

オランダ人の4人組。

「東京から来て、このあとは富士山と京都に行くつもりです。山をサイクリングしたり、トレッキングしたいと思っています。まだ高山に着いて1時間なんだけど、ビルがない小さなまちには、フレンドリーな人がたくさんいますね」

鈴木岳人さん【高山市】

神奈川県相模原市から高山市に移住して10年目。家具職人として〈山岳木工〉を営んでいる。

「飛騨地域は、祭り屋台や山車の修理などで培ってきた独特の木工技術があって、木工に関してのグレードの高さでいえば、特殊なエリアです。このあたりはすごく牧歌的。季節がはっきりしているところが好きです。ドライブするだけで、リフレッシュできますよ」

森本純子さん【飛騨市】

生まれも育ちも飛騨古川。1999年に〈壱之町珈琲店〉をオープン。

「古川でも古民家がどんどん壊されていくなかで、古民家を再利用したいと思ってお店を始めました。飛騨は自然の中に文化も溶け込んでいます。地元の人や近所の子どもたちの声などに、旅の人が入り込む風景が好きです。あと安峰山から見える朝霧は、とても美しい光景だと思います」

森口明子さん【飛騨市】

〈飛騨の森でクマは踊る〉勤務。

「自分の周りのデザイナーやクリエイターたちが遊びに来ていて古川祭・起し太鼓がおもしろいという話をしていました。それで興味を持っていたんです。仕事の話になっても、お金から始まらないところが好きです。お金よりやる気であって、心が最初にあるんです」

藤田敦子さん(23歳)【飛騨市】

北海道大学在学中。〈FabCafe Hida〉勤務中。

「昨年、休学して3週間インターンとして古川に来たんです。そうしたら古川のことが大好きになってしまって! エコとかの概念ではなく、人が当たり前のように自然の良さをとり入れていることに感動しました。いつもみんな家族のようにあたたかくて、みなさんに見守ってもらっています」

「山を買う」楽しさを本に! 自分で小さな仕事をつくる

山をテーマにした本をつくろうと思いたち……

この秋から、新しい本づくりの準備を始めている。
今年の春に、北海道・岩見沢にある8ヘクタールの山林を買ったことを
本にしようと考えているのだ。
タイトルは、いまのところシンプルに『山を買う』。
そしてサブタイトルは「必要なのはお金よりも“思い切り”」にしようかと検討中。

購入の経緯については、この連載(第18回)でも触れてきたように、
最初はエコビレッジづくりの拠点になればと考えていたのだが、
手に入れてみると、それだけでない発見が数多くあり、
また東京の友人に山購入の話をすると「私も買ってみたい!」と
興味を示してくれることも多く、ならば本を書こうと思いたったのだ。

もうひとつ、きっかけがある。
この連載でも紹介してきたように、私たちが買った山があるのは、
岩見沢の東部丘陵地域といわれるエリア。
過疎化の問題を抱えるこの地域の未来を考えるトークイベントがあり、
そのゲストとして来てくれたアクセサリーデザイナーの
岩切エミさん(第23回)とした約束もある。
その約束とは、この地域のピーアールをするためのイベントを、
来年4月に札幌市資料館でエミさん協力のもとに開催するというもので、
会場で販売するアイテムのひとつにこの本がなったらと考えているのだ。

内容は東京生まれ東京育ちで、アウトドアや登山経験がほぼゼロという私が、
なぜ山を買ったのか。購入1年目でどんなことができたのかについて、
イラストを交えながら紹介するというもの。

まずは本のラフスケッチを制作中。山林の土地を探すための方法や、購入するときに考えておきたいポイントなどを素人なりの視線で書こうと思っている。

山を購入してからは、山での活動を「山活!」と称して、
月に2〜3回ほど友人たちを募っていろいろな取り組みをしており、
それについても連載で触れてきた(第24回)が、
まだまだ書ききれなかった楽しみもあって、それらも本に収録したいと考えている。

とくにいまハマっているのは土器づくりだ。
土をスコップで掘り返してみたところ、その質は粘土のよう。
「山活!」に遊びに来ていた小学生が
「これ焼いたら、陶器になるんじゃない?」というひと言がきっかけとなった。
土を乾かして炭火に入れてみると、カーンといい音がして、
なんと素焼きすることができたのだった。

土を掘って根気よく練っていると……まさに陶芸用粘土と同じような質感に。

こんな感じで成形。縄文土器風!

炭火に入れること20分くらい。土がピンク色に変化し土器と土偶の完成!

以来、土器や土偶などをたくさんつくっており、
山活メンバー(とくに子どもたち)にも大好評の遊びのひとつとなった。

そのほかの山の楽しみ。夏には野生のベリーが収穫できた。

春には山菜、夏にはベリーと季節ごとに山ではいろいろなものが採れることもわかってきた。

また、山を買った噂が近所に広まっていて、
何やらおもしろそうなことをしているらしいと、
いろいろな人が訪ねてくれるようになったことも、うれしい出来事。

この本では、東京でこれまで会社員として働くだけだった私でも、
新車を買うよりも安い値段で山を手に入れることができ、
しかもなんとか楽しむことができているということを伝えてみたい。

秋の「山活!」に集まってくれたみなさん。友人のつながりから、私たちのことを直接知らない人が訪ねてくれることも。

日々、人間関係や仕事の重圧でたまってくるストレスが、山を前にすると小さいことのように感じられるのもいいところ。

高知の〈日曜市〉、 400店が建ち並ぶ歴史ある巨大市へ

人が集まり、活気あふれる市の楽しさ

小豆島から高知市内へは、フェリーと車で2時間半くらいで行けます。
ちょっとパワーはいりますが、それでもふらっと行けないこともない距離。
そんなわけで小豆島で暮らすようになり、高知へは何度か遊びに行っていますが、
一度訪れてみたかったのが、高知の〈日曜市〉。
毎週日曜日の朝から夕方まで、高知市内にある高知城の追手門から
約1.3キロにわたっていろんなお店が並びます。

野菜、魚、漬物からその場で食べられるお寿司やお餅、植物の苗もあったり。
その数400店以上!
以前写真で見た大きなシュロの木の下に並ぶお店の様子が、
どこかのアジアの国の市場みたいで、これは行ってみたいとずっと思っていました。

その日ははりきって早朝のフェリーに乗って小豆島から高松港へ。
島を一番早く出る船は、池田港から5時30分に出発します。
10月ともなるとまだ日の出前。
この時間の船に乗る時はいつもちょっとワクワクします。

朝一番のフェリーからの眺め。静かな瀬戸内海を行き交う小さな漁船。

フェリーで高松港まで行き、そこからは車です。
高速道路を走って、高知市内には9時前に到着。
そっさくお店が並んでいる「追手筋」という通りへ。

追手筋に並ぶ露店。シュロの木が立派!

追手筋は高知市内の中心を走る4車線の大通り。
その片側2車線にずらーっと露店。
道路の真ん中に並ぶ大きなシュロの木。
写真で見ていたその風景を見て興奮!
暑さと人の熱気に汗かきながら、いろんなものに目移りしながら、
売り手のおばちゃんとお話しながら、欲しいなと思うものをひとつずつ買っていく。
あー、やっぱり「市」って楽しい。

高知といえば生姜。どこのお店にもたくさん並んでました。

唐辛子。鮮やかな赤色。生き生きしてる!

多肉植物の苗たち。とても元気がよくて、ついつい買って帰りました。

チコリの夏

前の晩に申し合わせでもしていたかのように、
村のあちこちで彼岸花がいっせいに咲いた。その時期、まさにお彼岸。
それから1週間後、今度はキンモクセイがいっせいに黄色い花を咲かせる。
こうした自然界のルーティンを目の当たりにするのが田舎の生活だ。
でも、この秋はふたまわりめ、昨年と感じ方がちょっと違っていたりする。
驚きや感動の度合いは低いものの、
この手の自然の営みをしみじみ味わう余裕があるというか。
ここ鴨方町六条院での暮らしも、二度目の夏を経てずいぶん肌に馴染んできた。
子どもたちはというと、もうすっかり村の子だ。
チコリもツツもこの夏でまたひとまわり逞しくなった。

梅雨に入る少し前あたりだった。
唐突にチコリの、「今日からひとりで寝ます」の宣言があった。
これまでは八畳の和室にシングルの布団を二組敷き並べ、
広縁に近い障子の側から、ぼく、チコリ、ツツ、タカコさんの順で寝ていた。
早島のアパートのときもそう。
ツツが生まれた2013年の秋以来、このオーダーが崩れたことはない。
つまり30か月もの長きにわたって、ぼくはチコリとひとつの布団で寝ていたのだった。
「なになに、おとうさんと一緒に寝たくない、と?」
「そうじゃないの」
「じゃあなんでだよ、普通そういうのってもっと先じゃないの?」
ちなみにチコリは宣言当時、5歳と5か月。
「いいじゃん、ひとりで寝たいの!」
「あ、そう。なんか寂しいな。おとうさんチームは解散か?」
「冬になったらまた一緒に寝てあげるから」
「………」
そしてその夜から、チコリは八畳間のすみっこ、
襖と襖の角地にひとりだけの安息の地を見つけ、
保育園で以前使っていた子ども用の小さな布団をそこに敷いて寝るようになったのだった。

父親のぼくが言うのもどうかと思うが、チコリは結構なおとうさんっ子だ。
ぼくが出張で家を空けるときは、夜寝るときに無言でしくしく涙をこぼすらしい。
タカコさんが「こっちで一緒に寝よう」と言っても布団から移ることはせず、
ぼくのパジャマを抱きしめたままひとり眠りにつくという。

いまから思うと、ほぼ同じ時期だった。これまたチコリから唐突に、
「お迎えをもっと遅くして」と言われた。
これまで早い時間に迎えに行く「早迎え」がリクエストの常だった。
ぼくも小学校に上がるまで保育園に預けられた口で、
早く迎えにきてほしい気持ちはよくわかる。
しかし、遅いお迎えとは……理由はさっぱりわからない。
チコリにたずねてもはっきり言おうとしない。
釈然としない気持ちを抱えたまま夏本番を迎え、そしてとある日の夕方。
その日は遅迎えのリクエストを無視して、閉園1時間前の午後5時に迎えに行った。
それまでもぼくの都合で何度か5時前後に迎えに行ったことはあったが、
その日は車のなかで「今日のお迎え、早かった!」と
軽からずのクレームがあった。
遅迎えの要望の度合いがそこまで強いとは思っていなかった。
ぼくは再度理由を聞きただした、なぜにそんなに遅いお迎えがよいのかと。
手を替え品を替えで、何度か聞き方を変え、
重たい口をようやく開かせることができた。
「……一緒に遊びたいの」
「うん? 誰と? あゆみちゃん? あやかちゃん?」
「ううん……Iくん」
そのとき父親は車を運転しながら冷静に状況把握に努めていた。
(誰だ、Iくんというのは? まったく顔が浮かんでこない、
それにしてもチコリのこの恥じらいようはなんだ? 
まるで恋をしている乙女のような……我が娘が、恋をしている?)
午後5時とはいえまだ陽は高い。窓の外は瀬戸内の真っ青な海。
運転席の隣で、壊れたおもちゃのようにツツが『海』をエンドレスで歌っている……。

チコリの告白から2週間ほどして、保育園の夏祭りがあった。
チコリもツツも前から楽しみにしていたイベントであるが、
ぼくの関心ごとはただひとつ、「Iくんはどいつだ?」
わりと早い時間帯で判明した。
チコリが担当している屋台を一緒になってふたりで店番していたのがIくんだった。
体格のいい子だった。男前とはいえないが、男の子らしい顔をしていた。
しっかりとした顔の骨格、小さな目、でも乱暴な感じはない。
ふたりのやりとりを眺めていると、チコリへの物言いが紳士的でさえある。
チコリは表情に出していないが、父親のぼくには手にとるようにわかる。
一緒にいるのがうれしいのだ。そうか、チコリの恋の相手はこの子だったか。

その夜、子どもたちは昼のお祭りで疲れていたのだろう、布団に入ると速攻で寝た。
ぼくとタカコさんは、普段は子どもたちよりも先に寝てしまうことも少なくなく、
寝る間際の会話というのがほとんどないのだが、
その夜は眠っている子どもたちを間に挟んで久々に話した。
話題はもちろんIくんだ。
「なんか、いい子みたいだな」
「うん、すごく優しいよ、チコリにも」
「チコリはあれかな、男っぽい子がタイプなんかな?」
「そうね、そうかもね」
「オレは案外冷静に見れたよ」
「なんのこと?」
「いや、Iくんのこと。ほら、娘の父親だからさ、オレは」
「そんなのあたりまえじゃん」
タカコさんはぼくの父親心情なんかどうでもよろしいようで。
素っ気なくそう言うと、くるりと背を向け眠ってしまった。

9月に入って、チコリはひとり寝をやめ、またぼくと一緒に寝るようになった。
遅いお迎えはいまだ継続中。でも、Iくんの名前はほとんど耳にしなくなった。
チコリとIくんとの間にとくになにがあったというわけではなく、
たんに女の子の友達と遊ぶのが楽しくなったようだ。
いまは女の子の友達との間で手紙のやりとりに夢中だ。

ツツと一緒に使っている本棚。最近までまったく気にならなかったが、そこにある絵本やおもちゃが急にチコリには幼すぎるように見え始めた。

離れの前にあるザクロの樹。昨年はまったく実がつかなかったのに、今年はどういうわけかたわわに実がついた。すっきりとした甘みがあり、酸味もさわやか。いっぺんでザクロが好きになった。

飛騨で 地域編集部の結成を目指し、 コロカルがワークショップを開催!

高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村からなる、
岐阜県の飛騨地域。
ここは、インバウンド観光、移住・定住、起業、伝統産業の継承など、
いま、さまざまな面から注目を集めるところ。
コロカルでもロフトワークの連載などで飛騨のことを
お伝えしてきました。

そしてこのたび、コロカルにて
特集『あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?(ナゼヒダ?)』がスタート!
コロカル視点で、飛騨地域の暮らし、仕事、子育て、ライフスタイルの魅力を
掘り起こし、ストーリーを発信する記事を続々
お届けしていきますのでお楽しみに!

未来の地域編集部をつくるワークショップ

この特集のスタートにともない、飛騨でワークショップを開催します!
会場はクリエイティブなコワーキングスペース〈co-ba HIDA TAKAYAMA〉
対象は、飛騨地域で生まれ育った人々、UターンIターン等の先輩移住者で、
次の地域づくりを担う15歳以上の方であれば、クリエイティブの経験がなくてもOK!

プロの編集者、フォトグラファー、ウェブディレクターが講師となり、
ウェブサイトや冊子の編集を学びながら、
未来の地域づくりやその発信を行っていくネットワークづくりを行います。
日程はこちら。

第1回 編集とはなにかを知る 2016年10月30日(日) 13:00〜17:00

第2回 目次(取材プラン)づくり 2016年11月27日(日) 13:00〜17:00

第3回 記事制作について 2017年1月15日(日) 13:00〜17:00

第4回 編集部運営について 2017年2月19日(日) 13:00〜17:00

※内容は変更の可能性あり

目標は、“自発的に飛騨地域の魅力を発信する「未来の地域編集部」(仮)”
を結成すること。
飛騨地域総合移住ホームページ『グッとくる飛騨』の記事を制作し、
制作した記事は『グッとくる飛騨』に実際に掲載する予定です。
また、卒業制作として、コロカルの記事制作にも挑戦していただきます!
これからの地域づくりに不可欠な、クリエイティブと
発信を行う人材の発掘と育成を目指す新しいこころみ。
なんと参加費は無料です。
こちらのフォームよりお申し込みください。

この特集とワークショップは、これからの地域創生の課題となっている
“地域での自立した発信力”づくりを、
自治体とメディアが連携して行う新たな取り組みです。
ぜひ、ご注目ください!

information

飛騨「未来の地域編集部」準備室ワークショップ

■ワークショップ日程

第1回 2016年10月30日(日)13:00〜17:00

第2回 2016年11月27日(日)13:00〜17:00

第3回 2017年1月15日(日)13:00〜17:00

第4回 2017年2月19日(日)13:00〜17:00

■開催場所

co-ba HIDA TAKAYAMA(コーバ・飛騨高山)

住所:岐阜県高山市本町3-7(高山印刷1F 宮川側入口)

アクセス:JR高山駅徒歩10分

http://tsukuruba.com/co-ba/hidatakayama/

■参加費

無料

※交通費は各自負担ください。

■定員

20名(先着順)

■申し込み

http://hida-iju.com/editors-workshop/

こちらのフォームよりお申し込みください。

※原則、全日程を参加できる方を優先いたします。

■応募についてのお問い合わせ

http://hida-iju.com/contact/

info@hida-iju.com

飛騨好きが増えてるって本当? そもそもどこ? そこに旅する人、暮らす人、 通う人に聞く「ナゼヒダ?」

そもそも飛騨エリアって?

飛騨エリアとは、岐阜県の高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
最近では、外国人を含めた観光客増加の増加が注目されるが、
それだけでなく、新しい拠点やプロジェクトが生まれ、そこに訪れる人も増えている。

また、観光客が触れたいと思っているのは、
実は飛騨に生活する人々の暮らしぶりであったり……。
飛騨の魅力とは、暮らしと観光と仕事との新しい可能性モデルかもしれない。
ずっと飛騨に住んでいる人、移住者、そして外国人観光客に聞いてみた。

「あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?」

井之丸広幸さん(53歳)【飛騨市】

1908年創業、味噌煎餅本舗〈井之廣〉4代目。

「こいこい会という若者たちが主催して花火をあげている〈ナチュールみやがわ〉というキャンプ場がおすすめです。いろいろなイベントをやっていて楽しい場所です」

宮地元治さん(65歳)【飛騨市】

イラスト入りのPOPが美しい、自身いわく「よろず屋」。生鮮からお菓子まで、整然としたディスプレイで、商品が見やすいお店。

「山があって当たり前の生活を送っているので、山が見えないと息苦しくなりますね」

福山良子さん【飛騨市】

古川のまちで唯一の精米所である福山米殻店。〈しゃべりばち☆おとめの会〉として、まちのマップや飛騨弁カルタをつくるなど、地域活動をしている。

「古川の人は、元気だけど奥ゆかしい。自分のまわりの道も掃除するのが当たり前です。観光に来ても、そんな普段の生活をこっそり見てもらえると思います」

井畑仁志さん(37歳)【飛騨市】

飛騨市役所企画部企画課に勤務。

「家の近所にある、荒城川の桜並木が好きです。古川は互助の精神が強く、つい最近までお葬式も近所の人たちでやっていました。草刈りや川そうじは当たり前ですね。野菜や鮎をもらえたりと、コミュニティが濃いと思います」

藤垣武史さん 奥原美智子さん【高山市】

高山市役所ブランド戦略課のふたり。藤垣さんは高山市生まれ。

「ロードバイクで乗鞍岳の頂上まで登るのはとてもハードですが、登ったあとの景色は最高です。飛騨弁は早口ですが、あたたかくて好きです」

奥原さんは愛知県生まれ。結婚を機に高山へ。

「湿気がなくて住みやすいですね。よく家の周りにある田んぼの真ん中を散歩しています。私にとって飛騨弁は、“日本語じゃないのかな”くらい早口で難しい(笑)」

大道雅司さん(51歳)【高山市】

〈大道たばこ店〉の3代目。

「昔は飛騨の人は引っ込み思案だと思っていたんですけど、やるときはやりますね。古い文化が残りながらイベントなども多くて、古いものと新しいものが融合している気がします。活動的な若者を上の世代が邪魔しないので、世代間が交じり合っていますね」

ジョンさん(34歳) ルーベンさん(36歳)【高山市】

イギリス人のふたり、ジョンさんはサンフランシスコ在住、ルーベンさんはタイ在住。

「東京に3、4日いて、昨日、高山に来ました。伝統が守られているまちで、旅館体験がすごく良かった。風鈴の音が聞こえてとても静かですね。このあとは京都と直島に行く予定です」

野田真司さん(41歳)【白川村】

川魚の養殖をしている野田さんは合掌造りの家に住んでいる。

「白川村には『結』という助け合いの精神が残っています。かつては田植えや冠婚葬祭、いまでも屋根葺きや葬儀はみんなで行います。なんと数年前までは自分たちで火葬してたんですよ」

森下清子さん【白川村】

「人にごはんを食べてもらうのが生き甲斐になっているのよ。次男がゲストハウスをやっているので、食事を持っていったり。外国人も家庭料理を喜んでくれます。この前、布ぞうりをフランス人にプレゼントしたらすごく喜んでくれたわ。このあたりはみんな仲良しで、祝い事などでは七福神の扮装をして村を回るのよ」

二村有三さん(37歳)【下呂市】

下呂市生まれ。東京でお笑い芸人となり、10年ほど前にUターン。現在は川魚の養殖業〈馬瀬川水産〉に従事。

「馬瀬エリアは何もないです。だからいいんです。川には排水もまったく流れていないので、その水で育てたアマゴ、イワナ、マスは最高です。コレが都会には絶対にないこと。生きているなって感じます」

洞 千香子さん【下呂市】

料理が評判の宿〈丸八旅館〉2代目女将。

「この馬瀬地区は、信号もない、もちろんコンビニもありません。でも、馬瀬にしかない風景があります。馬瀬川も上流はもっと澄んでいますよ。こんなところでも、外国人ツーリストが来るんですよ。のんびり、ゆっくりしたいという人が多いです。料理はなるべく地元のものを使っています。ほかから仕入れてしまったら、お互いのためになりませんから。地元があっての旅館だと思っています」

加藤英樹さん【下呂市】

1918年創業の〈柏屋酒店〉3代目。湯之島サンロード発展会会長。

「かつては社員旅行が多かった下呂温泉ですが、最近では個人旅行が増えてきました。だから歩いていて楽しいまちづくりを心がけています。下呂=ゲロにあやかって、カエルをキャラクターにしたり、古いまち並みを残す努力をしています。お店でも、お酒の試飲コーナーを設けて、お客さんと積極的にコミュニケーションをとるようにしています」

西粟倉村のローカルベンチャー。 〈村楽エナジー〉のゲストハウスと バイオマスエネルギー供給

ローカルベンチャー発祥の地、西粟倉村での取り組み

今年の6月から、北海道岩見沢の美流渡(みると)と朝日地区で、
東部丘陵地域未来会議というトークイベントが行われている。
東部丘陵地域とは、美流渡や朝日、毛陽、万字(まんじ)、宮村など、
岩見沢の山間部に近い地域全体のことを指す。
いずれも過疎化の問題を抱えており、これらの地域を
いかに活性化させるかが課題となっている。

わたしたち家族は、いま美流渡地区の空き家を改装し、
ゲストハウスのような場所をつくろうと考えており、
地域の未来について、住民の皆さんとともに考えていきたいと思っているところだ。
そのため、この会議の企画のサポートをしており、コロカルの連載でも
イベント第1回からレポートを掲載してきている。

その第4回目が9月9日に、岩見沢市の朝日コミュニティ交流センターで開催となった。
トークのゲストは、岡山県西粟倉村で
〈村楽エナジー〉という会社の代表を務める井筒耕平さん。
西粟倉村は人口約1500人の小さな村だが、近年、移住者が増え、
次々と起業家が生まれ、地域活性のモデルとして、全国から注目を集めている場所だ。
この村で井筒さんは、樹木などの有機物を原料にした
バイオマスによるエネルギーの供給やゲストハウスの経営、
コンサルティングと多彩な仕事を行っており、これらの経験を踏まえて、
「ローカルベンチャーでちゃんと稼ぐ」をテーマに今回は話をうかがうことにした。

井筒耕平さんの出身は愛知県。専門は再生可能エネルギーと林業に関する実践および調査研究。岡山に移住したのは11年前。現在、西粟倉村で村楽エナジーという会社を運営する。

西粟倉村に移住する以前、近隣の上山集楽で地域おこし協力隊として活動していた井筒さん。ここで林業を自ら体験。獣害対策として、猟師が仕留めた鹿を自らさばくこともあったという。

トークのはじまりは井筒さんの仕事内容から。
井筒さんは大学で環境学を学んだ後、エネルギー事業のコンサルタントを手がけており、
バイオマスエネルギーが専門だった。
自身の知識や経験を生かして、西粟倉村の日帰り温泉施設に薪ボイラーを設置。
2015年からエネルギー供給をスタートさせた。燃料となる薪は、
住民やこの地域の林業の経営母体となっている役場から買い取っている。

西粟倉村は、村の95%を森林が占め、そのうち86%が人工林。
スギやヒノキが植林されていたことから、〈百年の森林構想〉を掲げ、
林業を軸とした地域再生に乗り出している。
薪は地域に豊富にあり、井筒さんはC材と呼ばれる、
家具や建材では使用できない木材を買い取っている。
「C材はパルプなどの原料になりますが、外に売るととても安くなってしまうので、
地域の中で使うことを考えました。
C材を少し高めの値段で買って、林業を支えることができたらと」

木材の購入によって地域を潤すだけでなく、エネルギーを自分たちでつくり出すことは、
地域外へのお金の流出を抑制することにもつながるという。
井筒さんの調べによると、エネルギーに対して人々が支払う金額は、
1500人の村で数億円であり、村としては巨額になるという。

住民や役場から買い取ったC材をカットして薪にする。

カットした薪をボイラーのある施設に運ぶ。

新型の薪ボイラー。ボイラーには3〜5時間に1回、薪を投入する必要があるという。バイオマスエネルギーによるメリットは多数あるが、人件費がかかり、なかなか利益があがらないという課題もある。

〈はじまりのローカル コンパス〉 ナビゲーターに聞く 「益子町/栃木市の魅力って なんですか?」

「暮らしにローカルを10%プラスする」という発想

ローカルで暮らすことや移住することを選択し、
独自のライフスタイルを切り開く人が増えるなか、
移住をサポートするさまざまな取り組みが各都道府県で行われている。
そんななか「あなたの暮らしに、ローカルを10%プラスする」というコンセプトのもと、
都市部に住みながら栃木と関わりを持つ暮らしを提案しているのが、
栃木県と若者の社会参画を後押しする
NPO法人とちぎユースサポーターズネットワークとの協働により
2015年に開始された〈はじまりのローカル コンパス〉という取り組み。

現在このコンパスでは、10月8日に行われる
東京でのオリエンテーションを皮切りとした
2016年度の体験ツアー〈ひととまちとつながる旅〉の参加者を募集中。
「実際にとちぎとつながる」をテーマとしたこのツアーでは、
益子町と栃木市のいずれかを訪れ、地域プロジェクトを行っている方々をナビゲーターに、
栃木での暮らしや仕事を体感するという内容。
各地域のナビゲーターとして参加される方々に、彼らが行っている地域プロジェクトや、
暮らしているまちの魅力についてうかがった。

ものづくりたちが集まるまち、益子町

焼きものや陶器に詳しくない人でも、一度は耳にしたことがあるであろう益子焼。
その産地であり、焼きもののまちとして知られる益子町の地域ナビゲーターとなるのは、
2009年に町で開催されたアートイベント
〈Earth Art Festa 土祭(ひじさい)〉をきっかけに誕生した地域コミュニティ
〈ヒジノワ〉に参加している3人。

土祭以降、カフェやギャラリースペースとして活用されている〈ヒジノワ CAFE & SPACE〉。手仕事作家のマーケットも開催されている。

「土祭では築100年の古民家を改修して展示会場にしたのですが、
土祭が終わったあとにそこを閉じてしまうのはどうかと思ったんです。
そこで『みんなで何かやろうよ』と始まったのがヒジノワです」と話すのは、
ヒジノワの立ち上げから参加している大工の高田英明さん。

宇都宮市の南にある、上三川出身の高田さん。益子にあるギャラリー・カフェとの出会いをきっかけに益子で暮らしはじめた。

現在は30人程度のメンバーがいるというヒジノワだが、
その8割近くが県外から益子にやってきた人たち。
「県外や都内に暮らしていて、
月に1〜2回ヒジノワ CAFE & SPACEで日替わりのカフェを出店する方もいます。
メンバーも陶芸家や建築家といったものづくりをしている人だけでなく、
役場の職員さんや茨城でスケート教室の先生をしている人もいる。
世代もバラバラで、大学を卒業して間もない若い人もいれば、80歳近い方もいます」

元は焼き肉屋だったという建物を改装した高田さんのご自宅。家具も手製のものが多い。ティピはお子さんへのクリスマスプレゼントなのだとか。

「大工の修業であちこちの地域に通っていた時期も含めれば、
益子に暮らして17〜18年になります。
でもヒジノワに入るまでは職場と自宅の往復だけだったので、
地域とのつながりはそんなになかったんですよ。
ヒジノワを通してさまざまな人と接点を持つようになり、だいぶ生活が変わりました」
と高田さん。

高田さんと奥さまの純子さん。宇都宮出身の純子さんも「かつて益子はおじちゃんやおばちゃんが行く場所というイメージでしたが、いまはおしゃれな人が来るようになりましたね」と、まちの変化を感じている。

窯業と農業のまちとして知られる益子での暮らしは、
さぞかしゆったりとしたものかと思いきや
「イベントが多かったり、意外とゆったりしてない」のだそう。
移住をするにせよ二拠点居住にせよ、地域とのつながりを持つと持たないとでは、
ライフスタイルに大きな違いが生じるようだ。

移住先探しの旅は岡山へ。 心揺さぶられた 牛窓町の陶芸家夫妻の暮らし

夫婦で交互に綴る
暮らしと移住のはなし

コロカルで『美味しいアルバム』を連載する
フォトグラファー津留崎徹花が
夫、鎮生とともに移住を決意。
夫は今年6月に会社を辞め、現在は無職。
ふたりと5歳の娘は、改造したワンボックスカーで
移住先探しの旅に出ることに。
夫婦で交互に綴る連載、今回は妻の徹花が見た、
岡山の陶芸家夫妻の暮らしについて。

〈アケビ蔓(つる)の採集講座〉 開催! 里山再生事業から 山の使い方を知る

山形市から、南へ約1時間半。
多様な樹木や山菜、きのこや蔓(つる)植物が自生する豊かな山々の間に、
「玉庭(たまにわ)地区」と呼ばれる集落があります。
茅葺屋根の家が残る、古きよき農村の風景が広がるこの地区では、
2014年から、里山再生事業に取り組んできました。

里山再生事業が目指しているのは、
「里山の資源を見直し、山を使う技術でマネタイズし、暮らしを成立させる」こと。

さまざまなモノが都市から供給されるようになった現代において、
かつて暮らしのすぐそばにあった「山」という資源をどう活用するのか。
山の素材の採集や、山の素材を使ったものづくりを通して、
あらためて山との関係を問い、
その関係をふたたび築き直そうという試みです。

古くから伝わる「山を使う技術」を扱い、具体的に新たな製品を提案するのは、
〈技術〉と名付けられた製品デザイン部門。
山形在住の若手デザイナーや作り手が実際に山に入り、
伐採や採集、フィールドワークを重ね、製品を企画。
玉庭地区の職人や大工さんたちと連携し、
里山の木材や蔓を用いた製品の制作・販売を行っているといいます。

そんな、玉庭地区・里山再生事業〈技術〉のみなさんが、
9月30日(金)、〈山の使い方:「技術」アケビ蔓の採集講座〉を開催します。
講座では実際に玉庭地区の山に入り、
アケビ蔓の見分け方や、細工に適した蔓の見極め方、
素材にするまでの下ごしらえや、
来年も蔓を採集するための知恵などを学んだ上で、
簡単なカゴを作ってみるそうです。

〈イクケン香川〉プロジェクト。 要潤副知事がうどんをすすれば 赤ちゃんが泣き止む!?

“日本一子どもを育てやすい県”のスローガンのもと、
〈子育て県かがわ〉を提唱する香川県。
温暖で災害が少ないこと、面積が日本一小さい県で、
コンパクトな中に都市の利便性と自然が調和していること、などの理由により
子育てに最適な環境ということをアピールする
〈イクケン香川〉プロジェクトを昨年より行っています。

そんな香川県が、
“うどん県”副知事の要潤さんが出演する、独自すぎるPR動画を公開!
なんと要潤さんが赤ちゃんのいる家庭を訪れ、
泣く赤ちゃんの前でうどんをすすって、
その音で泣き止ませようとする…というもの。

なぜうどんの音で赤ちゃんを泣き止ませようとするのかというと、
「赤ちゃんが胎内で聞いていた母親の腸や心臓の音と、
うどんのすする音が似ている」という観点から。
そんなうどんの隠された力を実証するべく、
うどんをすする音で本当に赤ちゃんが泣きやむかを検証します。

颯爽と向かう副知事

成功!

そしてその結果は、10人の赤ちゃんのうち、9人が泣きやむという大成功!
うどんの力が実証されたというわけです。

小豆島のお米〈肥土山そだち〉を 遠い人たちにも届ける

家族や身近な人のために育てたお米

ようやく暑さが落ち着いた9月。
青々としていた田んぼはあっという間に黄色くなり、あちこちで稲刈りをしています。

私たちが暮らす小豆島・肥土山(ひとやま)では、多くの人がお米を育てています。
広ーい田園というより、集落の中のあちこちに小さな田んぼがぽつぽつある感じで、
うちのすぐ横も田んぼです。
だから6月頃から夏にかけてはカエルの鳴き声がすごい。
ゲコゲコゲコゲコ。そんな鳴き声も夏が終わりようやく静かになりました。

上空から見た肥土山集落。田んぼと家々がぎゅっと集まってる感じ。(撮影:坪佐利治)

肥土山ではこのお米づくりが暮らしの一部であり、何百年と続く「農村歌舞伎」や
「虫送り」などの伝統文化のベースでもあるように思います。
その昔、水不足で困っていた農民たちのためにつくられたため池(現在の蛙子池)。
その完成を祝って小屋を建てて芝居をしたのが農村歌舞伎の始まりと言われていて、
以後300年以上にわたって奉納歌舞伎を続けています。
虫送りは、稲につく虫を追い払い豊作を願う行事です。
米づくりと暮らし、文化はダイレクトにつながっています。

田んぼの向こうにあるのが、肥土山農村歌舞伎舞台。

虫送りはこの田んぼの中を歩いていきます。

そんな肥土山でお米を育てている方たちと一緒に、
昨年から育てたお米を売るプロジェクトを始めています。
プロジェクトというと大げさですが、お米をパッケージングして、
オンラインショップなどで販売しています。

まずは、お米に名前をつけるところから。
小豆島日記vol.129でも少し触れましたが、
ラベルやロゴのデザインで悩んでいるときに、
グラフィックデザイナーの平野甲賀さんとフォントデザイナーの鳥海修さん、
ヨコカクさんによる展覧会『文字に文字展』を訪れたことがきっかけで、
できあがった名前とロゴ。〈肥土山そだち〉に決まりました。

〈肥土山そだち〉として、オンラインショップやイベントなどで販売。

東京の飲食店にもお届けしてます。

第32話・ 塩屋ローカルの おいしいつながり。

第32話
塩屋ローカルの
おいしいつながり

残暑厳しい神戸。
今週のグレアムさんは、ご近所さんの
家庭菜園でいただいたミントとゴーヤで
涼を感じていたようです。
ちなみに塩屋のおいしい繋がりは、
第2話にも登場!

北海道・東川に新たな拠点を。 〈monokraft〉による 古家のリノベーション

東川でようやくめぐり合えた、古家つきの600坪の土地

北海道はお盆が過ぎれば学校も始まり、秋の気配が感じられるようになる。
雪が降る季節まで、あと2か月ほどだ。
この連載で書いてきたように、夫は今春から岩見沢の山間部、
美流渡(みると)地区にある古家を改装中なのだが、
まだまだ先は長いように感じられる。
急かしても口論になるのでじっと見守っているが、今年中にどこまでできるのか、
さすがに最近、わたしも先行きに不安を覚えるようになってきた。
そんなさなかにタイミングよく、友人からある誘いがあった。

わたしたちと同じ時期に、北海道のほぼ中央に位置する東川町に
古家つきの土地を手に入れた清水徹さん、セキユリヲさん夫婦から、
家を見に来てはどうかという連絡をもらったのだ。
東川の古家は、夫が改装している家ととてもよく似ている。
ともに築年数は50年ほどで、2階建ての三角屋根だ。
参考にできることがありそうと、8月中旬に東川を訪ねることにした。

清水さんとセキさんはともにデザイナーで、妻のセキさんとわたしは
15年以上も前から雑誌や書籍づくりの仕事を一緒にしてきた仲だ。
ずっと家族ぐるみで交友があったこともあり、今回の土地購入の件は、
わたしにとってもとてもうれしい出来事だった。
ふたりはこれまでずっと東京に住み、東京に事務所を構えてきたわけだが、
清水さんの仕事の関係で東川にたびたび通っていたことが、土地購入へとつながった。

清水さんは、〈monokraft〉という名で
家具と内装のデザインや設計などを手がけており、デザインした家具の制作を
東川にある工房〈インテリアナス〉に依頼していた。
そして、家具の発注や検品のために東川を訪ねるうちにこの地に惹かれ、
5、6年前から、土地を探し始めたという。
なかなか「これ」という土地にめぐり合うことができなかったのだが、
知人の紹介から、ようやく待望の場所を見つけることができた。

清水徹さんが主宰する〈monokraft〉のコンセプトは、人とともに老いる家具。木は傷がつきやすく、反ったり色が変わったり、常に変化し朽ちていく。この変化を味わいとして楽しめる家具をつくりたいと考えている。

現在、セキユリヲさんは育児休暇中。これまでデザイナーとして活動を続けており、彼女が2001年に立ち上げた〈サルビア〉という活動では、「古きよきをあたらしく」をテーマに、職人の手仕事を生かした生活雑貨などをつくってきた。写真は世界各地をイメージしてデザインした「旅するハンカチーフ」。(撮影:masaco)

今夏『イラストノート』(No.39)誌で「サルビア特集」が組まれた。サルビアの立ち上げ当初からつき合いがあったということで、わたしが全体の構成と主要な記事の執筆を担当させてもらった。

清水さんは、契約を済ませ土地の引き渡しを受けたあとに、
初めて家の中に入ったという。
築年数がかなり経っている家には、家財道具の一部も残っていたそうで、
これからどうリフォームをしていくのか、途方に暮れてしまったという。
季節は3月。春と言っても北海道はまだまだ雪に覆われている時期で、
窓にちらつく雪を見つめ、心細く感じたと清水さんは当時を振り返る。

改装前の物件の写真。

そんななかではあったが、6月、7月に1回ずつ、1週間ほどここを訪れ、
寝袋で家に泊まり込みながら、とにかく具体的な作業を進めていくことにした。
まず、外壁と内壁を壊して片づける作業は業者に依頼。
そして、外壁に板を張る作業も近所の大工さんに頼んだという。
予算は限られていたため、これら最低限の作業はプロに頼み、
それ以外は清水さんが友人たちとともに行うことになった。

外壁と内壁の解体中。屋根裏には机などの荷物も置かれたままになっていた。

7月には外側のモルタルと内側の壁がはがされ躯体だけの状態になった。断熱材を入れる作業などは清水さんが友人らと行った。

8月の作業の様子。床には合板を、壁には石膏ボードを張った。

8月は集中的に作業をしようと、前半に1回、中旬にもう1回
東川に清水さんは滞在した。
わたしたち家族が家を見せてもらった8月中旬には、かなりリフォームが進んでいた。
外側はあとひと息で板が張り終わる状態になっており、内部は1階部分の床に
合板が張られ、壁には石膏ボードが取りつけられた状態になっていた。

「最初は本当に途方に暮れたけれど、だんだんできていくことで
少しずつ楽しくなりつつあるんだよね」と清水さん。

このあとは、屋根部分に断熱材を入れるなどして雪に備える準備をし、
内装のベースを今年中に完了する計画だそうだ。
来年に入ったら、薪ストーブやボイラーの設置、家具の取りつけを行い、
来夏の終わりにはリフォームを終わらせたいと清水さんは考えている。

右奥から、家のリフォームを手伝いに来ていた遠藤覚さん。その隣が清水さん。8月中旬にはセキさんも合流。この日は、わたしたち家族も改装中の家に1泊させてもらった。

断熱材などの建築資材は知り合いから安く購入したり、工具を大工さんから借りたりしているそうだ。

移住、どこで暮らす? 一家で移住先を探す旅へ

暮らしを考える旅。
津留崎家の移住について

コロカルで『美味しいアルバム』
連載中のフォトグラファー津留崎徹花。
地域の暮らしや食、人に触れるうち、
移住したいという気持ちが高まり、夫・鎮生と移住を決意。
けれど、どこへ移住するかはまだ決まっていません。
5歳の娘を連れ、いろいろな土地を巡りながら考えたいという
津留崎家の旅がいよいよ始まります。

瀬戸内国際芸術祭の食プロジェクト 〈本からうまれる一皿〉

小説に出てくる料理を、いまの小豆島の食材を使って

今回で3回目の開催となる瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)。
9月4日で夏会期は終わり、10月8日から秋会期が始まります。

今回の瀬戸芸では「食」が大きなテーマになっています。
島の生活文化を最も表すものは「食」として、
2015年6月より「瀬戸内『食』のフラム塾」を開講。
県産料理や郷土料理、食と地域との関わり方などを学んだ参加者たちが、
瀬戸芸期間中に食プロジェクトとしてさまざまなプログラムを展開しています。

そんな食プロジェクトのひとつが〈本からうまれる一皿 壺井栄と庚申の夜〉です。
名前からしてどんな料理が出てくるんだろうと興味津々でした。

「小豆島といえば『二十四の瞳』」と言われるほど有名な小説があります。
島には映画のロケ地となった〈二十四の瞳映画村〉もあり、人気の観光地です。
その小説の作者が小豆島出身の壺井栄です。

小豆島出身の壺井栄の作品。

〈本からうまれる一皿〉の料理は、壺井栄の小説の中から探し出されています。
小豆島町立図書館〈むとす館〉所属の「読書会」の皆さん12名が
『壺井栄全集』全12巻をひとり1巻ずつすべて読まれて、
「食」にまつわる記述を書き出されたそうです。
その記述をもとに、主催者である岸本等さんが島のお母さんたちや仲間と一緒に
地元の味つけにこだわってつくったお料理。
ただ当時の料理を再現するだけでなく、「今」の小豆島でつくられている
塩、そうめん、醤油、佃煮、オリーブなどを生かしてアレンジ。
そんな風にひとつひとつ本当にこだわってつくられています。

ある月の〈本からうまれる一皿〉。どれもこれもこだわってつくられたお料理。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

毎月『ヒトサラ通信』が発行されています。その月の献立が丁寧に説明されています。

多いときには200皿近く用意されるそう。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

島のお母さんたちや仲間の皆さんと一緒に料理される岸本さん。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

このプログラムはこれがコンセプトなんだな〜と思っていたら、
もうひとつ隠れていました。タイトルにもある「庚申の夜」。
はて? 庚申? こうしん?

地元有志がDIYでつくる! 星空案内もある 音楽フェス〈宇宙の森フェス〉

2016年9月10日(土)、北海道広尾郡大樹町(たいきちょう)で
初の野外音楽フェスティバル〈宇宙の森フェス〉が開催されます。
発起人は、地元に暮らす20代〜30代の若者たち。
“宇宙”と“大自然”をテーマに、
野外音楽ライブや地元食材を使った美味しい食事、マーケット、
ワークショップなど盛りだくさんのイベントが行われます。

会場となるカムイコタン公園キャンプ場

開催のきっかけは、大樹町に住む実行委員長の上田さんが、
もともと野外フェスが好きだったこと。
「こんなハッピーな空間を、私が住む大樹町でも創りだせたらどんなに楽しいだろう」
と考え、周りの友人知人に声をかけてこのイベントが生まれました。
フェスが行われる大樹町は、北海道十勝の南にある、人口が5700人の小さな町。
人口流出と高齢化が激しく、この20年間で人口はおおよそ20%減少という
さまざまな課題があるところです。
それでも、ずっと暮らしてきたこのまちの良さを見つめ直そうと、
開催のためにメンバーでアイディア出しをしてみると、豊かな自然や
おいしい食べ物など、自慢できるところがたくさんありました。

満点の星空

歴舟川(れきふねがわ)

そうして開催されるフェスティバルでは、
日本一の清流、歴舟川(れきふねがわ)のほとりに、ステージをたてて、
みんなでつくった手作りの装飾をほどこします。
出演ミュージシャンは荒井岳史(the band apart)さん、
カジヒデキさん、Keishi Tanakaさん、須永辰緒さんら豪華な面々。

また地場の食材を使った美味しい料理や、
道内各地から集まるこだわり雑貨のお店が集まる〈森のマーケット〉も見逃せません。

シスターたちの歌で伝える 長崎の教会の物語 『Nagasaki Harmony2』 動画公開中

ユネスコの世界遺産暫定リストにも登録され
注目を浴びている〈長崎の教会群とキリスト教関連遺産〉。
修学旅行などで、一度は国宝〈大浦天主堂〉を訪れたことがある! という方も、
少なくないのではないでしょうか?

ヨーロッパと日本の建築技術が出会い、生まれた、独特の建築様式。
ステンドグラスや細部の装飾に宿る荘厳な美しさは、訪れる人の胸を打ちます。

でも、長崎の教会やキリスト教関連遺産の素晴らしさは、
「目に見える」建築物としての美しさだけではありません。
キリスト教の伝来と繁栄、弾圧と潜伏、そして奇跡の復活という、
世界でも類を見ない歴史を生み出した、
「信じることをあきらめない人々の想い」の物語こそ、
本当に知ってほしい、感じてほしいことなのです。

そんな長崎の教会や関連遺産にまつわる“想い”の物語を伝える動画
『Nagasaki Harmony2』が、YouTubeにて公開されています。

アートは島の素材を ひきたてるスパイス! 瀬戸内国際芸術祭

見えていなかったものに気づかせてくれるアート

小豆島には6つの港があります。
そのなかのひとつが池田港。
島の南側の真ん中あたりにあります。
高松港とを結ぶフェリーが行き来し、そのフェリーのデッキには
キリンかパンダが乗っていて、見るたびに気持ちがほんわかします。
池田港には〈小豆ふれあい産直市場〉や小さな公園があり、
去年から〈小豆島日曜市〉というマルシェが不定期で開催されたりしていて、
島の人たちが普段の暮らしのなかでよく利用する場所です。

キリンのフェリーが停泊していました。こうやって遠くから見ると港のまわりは山だらけなんだなぁとあらためて。

その池田港のすぐ近くにも、今年は瀬戸内国際芸術祭の作品が
つくられてるよーと聞いて、先日立ち寄ってみました。
いったいどこにあるんだろうと思い、案内板をたよりに進んでいきました。

オリーブの木、凪いだ海、その奥にある島々、そんな風景の中にある青い案内板。

オリーブの木は緑の実をつけています。この夏は雨が少なくてしわしわ。

こんなところに何かあったっけ? という場所。
そもそも池田港のすぐ横に浜があったなんて全然知りませんでした。
この砂浜、満潮の時間になると、水位が上がってきて歩けなくなってしまうそう。
たまたま私が行った時間は潮が引いていたので通れましたが、
満潮のときは作品までたどり着けない!
なので確実に行きたい方は、事前に潮の時間を調べておいたほうがいいです(笑)。

池田港すぐ横にある浜。

浜の上まで海水が上がってくるため、満潮前後1時間は通行できないそう。

〈FC越後妻有〉 めざせなでしこリーグ! お米を育てる女子サッカーチーム

サッカーと、農業。
一見なんの関係もなさそうな、ふたつのジャンル。
2016年春、越後妻有(新潟県十日町市・津南町)に
このふたつを実践する農業実業団チームが誕生しました。

その名も〈FC越後妻有〉。
この名前を聞いて、ピンときた方もいるかもしれません。
越後妻有といえば、世界最大級の
国際芸術祭〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉の舞台。
本プロジェクトも、この芸術祭の一環で行われるものなのだとか。

写真:中村脩

大地の芸術祭2000年(第1回)写真:中村脩

チームの選手は、ただいま2名。
サッカー関係者を通して声をかけられ、越後妻有にやって来た西川美里さんと大平理恵さんです。

左から西川美里さん、大平理恵さん。

2人は十日町市に暮らし、朝は鳥のさえずりや虫の声を聞きながら田んぼに入り、
朝食後はサッカーのトレーニング、昼はゆっくり休み、
午後にはまた農作業をするという毎日を送っているそう。

活動拠点の〈奴奈川キャンパス〉。農業、食、生活、遊び、スポーツ、踊りを通してひとりひとりが得意なことを掘り起こすための学校です。さまざまな講座やアートプロジェクトを展開しています。

芸術祭会期中や通年でのイベント時には、 奴奈川キャンパスも展示会場になります。

このプロジェクトの目的は、女子サッカー選手が棚田の担い手として
移住・就農し、里山の風景を守っていくこと。
そして、都市部ではできないゆたかな暮らしとアマチュア競技スポーツの両立をはかること。

FC越後妻有のU-15サッカー教室

それにしても、なぜサッカーと農業という組み合わせが生まれたのでしょうか。
発起人は、FC越後妻有ディレクター/奴奈川キャンパス体育学科チューターの坂口淳さん。
サッカーを中心にさまざまな活動を行ってきた坂口さんは、
食に興味をもち、仕事の合間に全国の農業現場をめぐってきました。
そのうちに、後継者不足の問題に取り組みながら、
アマチュアサッカー選手のキャリアを支援する
このプロジェクトを思いついたといいます。

FC越後妻有ディレクター/奴奈川キャンパス体育学科チューター、坂口淳さん。日本サッカー協会のマネジメント人材養成講座〈JFAスポーツマネジャーズカレッジ〉ダイレクターでもあります。

「長い時をかけて山の上まで築かれたうつくしい棚田、
澄んだ空気と清らかな水、旨い米や野菜、山の恵みをいただく食生活、
心身をリフレッシュできる温泉、ゆっくり流れる時間。
越後妻有には、都市では味わえない豊かな暮らしがあります。

いま、越後妻有が若い力を必要としています。

先祖から引き継いできた田んぼはこの地域の人たちにとって誇りであり、
地域のシンボルであり、生きてきた証です。

80歳を超える年齢になっても何とか踏ん張って
山奥の田んぼをやってきたがそれも限界になる。
過疎高齢化で手の回らなくなった田んぼを守り、
里山の風景を未来に残すお手伝いをしていきたいのです。

ここで身につけた農業のスキルは、生涯選手たちの糧となり、
選手としてプレーができなくなった後の生活=セカンドキャリアも、
農業の担い手として自立する契機を与えてくれるはずです」(坂口さん)

いま、日本の農家の65%は65歳以上。
稲作にいたっては、70歳以上になります。(農林水産省「2015 農林業センサス」より)
「農業に若い力を呼び込めたら」という思いから始まったFC越後妻有。
たしかに、明るい光を灯す存在となってくれそうです。

しかも田んぼ作業は、バランス感覚が鍛えられたり、
共同作業によってコミュニケーション能力が磨かれたりと、
サッカーにもプラスになるのだとか!

グランドの芝刈りも自分たちでやっています。

ページトップ写真:米山典子

空き家のオーナーになってみる? 古家再生を探る美流渡の取り組み

空き家が点在する、美流渡のまちを歩いてみる

岩見沢の山間部にある美流渡(みると)地区には、
そこかしこに空き家が点在し放置されたままとなっている。
人口減少による空き家増加は、各地で問題になっており、この地区も例外ではない。
こうしたなかで、7月30日に〈美流渡ビンテージ古家巡り〉というイベントが行われた。
この地域はもともと炭鉱街として活気づき、
全盛期には人口が1万人以上になったというが、現在住むのは450人足らず。
日増しに高齢化も進んでおり、人口流出はいまなお続いている。

ひとつ、またひとつと家の灯りが消えていくことは寂しさを感じさせるが、
「空き家となった建物を地域の資源と捉え活用することはできないか」
そんな思いを抱く人たちが、いま美流渡で活動を始めている。
この地域の空き家対策と地域活性を目指すNPO〈M38〉を設立した
代表の菅原新(連載10回)さんらと、美流渡を中心として
活動する地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季(連載16回)さんだ。

昨年より本格的に実態調査を始めており、
今回のイベントは、この地区の空き家の現状を
まずはみなさんに見てもらう機会をつくろうと企画されたものだ。
午前中は菅原さんと吉崎さんが案内役となり空き家を実際に巡り、
午後はほかの地域の空き家活用の事例を見ながら、
その可能性について考えることとなった。

〈美流渡ビンテージ古家巡り〉ツアーの始まり。まずは吉崎さんお手製のマップが配られ、約1時間30分ほどで美流渡地区を一周することに。

案内役のひとりとなった吉崎祐季さん。インテリアデザイナーとして活動をしつつ、1年前から岩見沢の地域おこし推進員となった。

最初に訪ねたのは、昭和30年代に建てられた〈旧美流渡洋裁学院〉だ。
炭鉱街の面影を伝える主要な建物のなかで唯一残っているもので、
当時、ここで女学生たちが洋裁を学んでいたという。
木造3階建てで、カフェなどにしたらおしゃれな場所になりそうだが、
窓ガラスが壊れ、床板が抜けている部分も多く、
もし使うとなればかなりの手直しが必要そうだ。
「全体を修繕するとなると相当な費用がかかると思いますが、
まず一部分だけに手を入れて使っていくなど方法を考えたいと思っています」
と菅原さんは語っていた。

旧美流渡洋裁学院の建物。玄関があるのは2階部分。奥側を見ると3階建てになっている。

内部には洋裁学院の名残を感じさせる足踏みミシンが置かれていた。

次に向かったのは、青いトタンの屋根が印象的な個人宅。
その風情あるたたずまいに、吉崎さんがひと目で気に入ったという建物だ。
持ち主は年内に取り壊したいという意向があるようで、
「解体しないで残す道を探りたい」と吉崎さんは考えているという。

マンサード屋根と鮮やかな青いトタンが特徴的。屋根が途中で折れ曲がっているマンサード屋根は、積もった雪を落としやすくし、また天井部分に空間が取れることもあり北海道の納屋などでよく見かける構造。築80年ほどで、その後増築を繰り返したようで、構造的にもおもしろい。

その後、一本道を歩きながら、菅原さんは参加者に語りかけた。
「ここは美流渡の一番の繁華街だった場所です。
料亭や飲み屋が両脇にずらりと並び、パチンコ屋までありました。
炭鉱の仕事は1日3交替制で24時間フル稼働していたため、食堂などはほぼ終日営業。
いまは想像するしかありませんが、眠らないまちだったんです」

そして交差点のところまで来ると、菅原さんは山のほうを指差した。
この山は炭鉱ではおなじみのズリ山だ。
ズリ山とは石炭の採掘のときに出た捨石の集積場のことで、
小さな山のようになっているものだ。
「昭和45年に炭鉱が閉山して、ズリ山はそのまま放置されていました。
それがいまでは森になっているんです。植樹などをしたわけではなく、
何も手を入れていないのにもかかわらず、木が生い茂るようになった。
北海道には有名な原生林がありますが、そうしたところとは
まったく違う自然の有り様がここにあるんです」と菅原さんは語っていた。

炭鉱が稼働していたとき、ここが美流渡のメインストリートだった。

両脇には空き家が点在している。炭鉱の労働者たちが人づてに貸したり借りたりした建物もあり、所有者がわからないものも多いという。美流渡は北海道有数の豪雪地帯。放置された空き家は、雪の重みで屋根が壊れるケースがあとを絶たない。

道の向こうに、こんもりと見えるのがズリ山。炭鉱の閉山から45年以上が経過し、木々で覆われた森となった。

その後、炭住(炭鉱の労働者が住んでいた炭鉱住宅のこと)のひとつを訪ねた。
中に入ってみると、家財道具がそのまま残されている状態だった。
こうした状態を参加者に見せるべきかどうか、菅原さんと吉崎さんは迷ったそうだが、
この地域の空き家の現状を知ってほしいという想いから、公開に踏み切ったという。
「空き家のなかにある家財道具をどうするかは課題のひとつです。
不動産屋が扱っている物件とは違って、
まず荷物を整理しなければ、住める状態にはなりません」

全部で5軒の空き家を巡り、午前中のツアーは終了。
午後は、吉崎さんがこの春訪ねた福岡での
空き家の活用方法についての報告会が開催された。

空き家となった炭住。美流渡には炭住がいくつか残されており、木造の長屋形式のものが多い。

高台にある空き家。このエリアは炭鉱の管理職クラスの人たちが住んでいたそうで、建物のつくりも立派なものが多い。

廃校を改修して
アートと文化交流の拠点に。
瀬戸内国際芸術祭〈福武ハウス〉

閉校になった小学校が、また人が訪れる場所に

小豆島の北東のほうに「福田」という地区があります。
本州の姫路と小豆島を結ぶ福田港があり、その港を中心に集落が広がっています。
まわりは海! 山!
穏やかな時間が流れる、私の大好きな集落です。

福田地区へは、ホテルやスーパーなどが建ち並ぶ
島の繁華街(土庄港周辺)から車で約40分。
数えるほどしか信号がない道をひたすら走って40分くらいかかるので
なかなかの距離があります。
それゆえ頻繁には行けず……(ま、それほどまでに遠いわけではないのですが)。
先日ふと思いたち、久しぶりにその福田地区に行ってきました。

こんな景色を眺めつつ、島の北側の道を走っていきます。

かつて石の産地として栄えた福田地区。その周辺にはいまも現役の採石場が点在しています。

福田地区には、旧福田小学校を改修した〈福武ハウス〉があります。
この福武ハウスと、福田体育館を利用した〈福田アジア食堂〉、
旧福田郵便局を改修した〈家プロジェクト〉の3つの場所を中心に、
アート作品の展示、食を通した文化交流などのプログラムが展開されています。
また建築家の西沢立衛さんが設計した〈葺田パビリオン〉もあります。

旧福田小学校を改修した〈福武ハウス〉。

エントランスを入ると受付には島の友人がいました。

香港や韓国などアジア6か国のアーティストの作品が展示されています。

この夏、秋は瀬戸内国際芸術祭の会場にもなっていて、
アジア6か国のアートセンターと共同で
『福武ハウスパートナー共同展 2016 “In Search of Balance”』が展開されています。
前回の瀬戸芸のときには、まだ小学校としての雰囲気がだいぶ残っていましたが、
今年は各教室を仕切っていた壁が抜かれたりしていて、前回とは違う印象でした。

教室を仕切っていた壁や天井を抜いた広々とした空間。

キャロル・リー(香港)さんによるポストカードプロジェクト。

ヘミン・ソン&ジョン・リアードン(ソウル)さんによる発酵し続ける作品。島の果物が使われていて、期間終了時にはワークショップが開催され、参加者に配布されるそう。

旧福田郵便局を改修した〈家ブロジェクト〉「きょく」。

建物内には橋がかかっていました。人と地域をつなぐ、異なる互いの文化をつなぐ、その象徴としての橋。

ヒラメキがまちを救う! 高知県佐川町で「発明職」を募集中

高知県中西部仁淀川流域に位置する、人口13,000人のまち、高知県佐川(さかわ)町。
まちの70%を占める豊かな森林や、多種多様な草花、
お茶やしょうが、にら、梨などのおいしい農作物といった、
地域資源とデジタル技術を活用して、商品やサービス、仕組みを発明する、
佐川町「発明職」のスタッフを募集します。
地域おこし協力隊のポジションとしては、全国でもここだけとなる「発明職」。
なぜこのまちで、発明職が生まれ、今回の募集に至ったのでしょうか?

実はここ佐川町では、デジタルファブリケーションで地域課題を解決し、
生活を豊かにすることを目的とした、〈さかわ発明ラボ〉
2016年5月31日に新設されたばかり。
まちにつくられたラボのスペースには、
レーザーカッターやデジタルミシン、3Dプリンターなどの機器が充実。
町民や子どもたちが中心となってさまざまなものづくりに取り組んでいます。

ラボができる以前にも、町内の小学校の授業でデザイン、電子工作、プログラミングを学び、
子どもたちが世界でオンリーワンのロボットをつくる
ロボット制作キット〈さかわロボット動物園〉や、
佐川町が、NPO法人issue+design、博報堂と協同で制作し、
2015年のミラノサローネに出品され、カンヌクリエイティブライオンを受賞した、
勉強したくなる机〈Write More〉が、すでに成果としてあがっており、
“つくること”“発明すること”への高い意欲と、このまちでの可能性、発展性がうかがえます。

〈さかわロボット動物園〉でつくったロボットを手にする子どもたち。

カリカリ、ガリガリ、サラサラといった書くときにでる“筆記音”を大きくすることができ、書くことが楽しくなるボード〈Write More〉

そんな、デジタルファブリケーションを中心とする、
創造できる人材の育成に力をそそぐまちだからこそ、
地域おこし協力隊にも“ものをつくる力”を求めました。

発明職は、地域資源とデジタル技術を活用して、
モノや仕組みを“発明”し、佐川町を活性化させる人材に与えられる職種。
いわゆる“つくるプロ”を地域おこし協力隊として採用しようという試みです。
2017年4月より勤務できる方が対象となります。
想定される領域としては、デジタルファブリケーション、プログラミング、
電子工作、木工、手芸、アートなど。
好きなこと、得意なことを活かした就業が可能です。

この選考にあたっては、佐川町と東京2か所で開催される説明会兼ワークショップ選考会と、
10月8〜10日に開催される、
2泊3日の採用選考合宿〈発明キャンプ〉への参加が必須となります。
3日間を通して、佐川町の地域資源を用いた“発明”をするのが課題。
アウトプットは、プロダクト、サービス、ツール、仕組み、
場、イベント、メディアなど、何でもOK。
佐川の地域資源×あなたのスキルで、まだ誰も見たことがないような発明を生み出しませんか?

応募締め切りは8月31日(水)まで。
こちらの応募フォームより必要事項を記入し、ご応募ください。

information

issue+design「佐川町発明職」

採用担当 岡本、小菅

社会課題をデザインの持つ美と共感の力で解決するNPO法人issue+design。
佐川町で住民約500人の参加による全18回のワークショップを重ねて、
2025年の町の未来像とその実現のためのアクションプランをつくっています。

info@issueplusdesign.jp

http://issueplusdesign.jp

第31話・ここに行けば 神戸の面白い人に会える! 名物ビンテージ屋さん 〈スペイスモス〉

第31話
ここに行けば神戸の面白い人に会える!
名物ビンテージ屋さん〈スペイスモス〉

今週のグレアムさんは、ローカルブランドの
小さな雑貨店やセレクトショップが立ち並ぶ、
神戸・栄町エリアにおでかけ。
ファッションや音楽、映画などの
ポップカルチャーとゆかりの深いビンテージ屋さん
〈スペイスモス〉〈フリピエ・ゾエトロープ〉をご案内します。