今回グレアムさんが紹介したのは……
第33話
「今日も大漁!」
塩屋漁港でのうれしい出会い
秋にはツバスやハマチ、ブリなども
釣れる、人気の釣り場である塩屋漁港。
グレアムさんも、休憩をかねて
ちょくちょく出かけています。
最近、この港でよく会う人がいるそう。
その人の釣りを眺めつつ、あれこれ世間話。
この日の釣果はいかに。
瀬戸内国際芸術祭2016(以下、瀬戸芸)の舞台のひとつである「犬島」。
地図で見ると小豆島の北西にある小さな島です。
海の上を直線距離で行けば、小豆島から高松に出かけるよりも近いのですが、
小豆島と犬島は普段は船でつながっておらず、実際に行くとなると遠い。
それが瀬戸芸開催期間中だけは、1日数本、
小豆島と犬島を結ぶ高速艇が運航されています。
そんなわけで、その期間中に行ってみようと、島の友人たちと計画して、秋の犬島遠足!
「週末だし船混んでるかもね。30分くらい前に行けば大丈夫だよね」
なんて言いながら船乗り場に着くと、すでに整理券配布終了〜。
あー(涙)。読みが甘かった。
定員75名の高速艇はあっという間に満員に。
瀬戸芸期間中、各島の港でよく見られるのが、この船に乗れない問題!
臨時便が出ることもあるし、やむなく次の便を待つことも。
私たちはというと、次の便を待つか、犬島行きを諦めるか……。
どっちもなぁと迷ったあげく、「海上タクシー使おうか!」
お、その手があったか。

定員オーバーで予定してた高速船に乗れないハプニング。急きょ海上タクシーで。

小さい船は迫力が違う(笑)。海と風を感じながら犬島へ。

途中、ヨットや船とすれ違いながら。
海の上を走っているのは定期運航しているフェリーや高速艇だけじゃなくて、
いわゆるタクシーみたいに電話で呼んで乗せていってもらえる海上タクシーがある。
ダメもとで電話してみるとなんとOK!
同じように船に乗れなかった人を誘って、いざ犬島へ!
割り勘すれば料金もそこまで高くなく、なんとか計画通り行けることに。

犬島が見えてきた! 製錬所の煙突が印象的な風景。

この船に乗って犬島にやってきました。〈犬島精錬所美術館〉のすぐ横を走り抜けて行きます。
犬島には閉鎖されてしまった銅の製錬所があり、
そこを改修してつくられたのが〈犬島精錬所美術館〉。
残された製錬所の煙突がそびえ立つ風景がとても印象的な島です。
全盛期は3000〜5000人もの人たちがこの島で暮らしていたそうですが、
いまは50人にも満たないそうです。

ちょっと曇った空によく合う煙突。

精錬所美術館の建築は三分一(さんぶいち)博志さんによるもの。自然エネルギーを活用し、煙突が空調システムの役割を果たしています。
岩見沢の市街地に住みながら、山間部・美流渡(みると)の古家をリノベーションし、
来春には移住をしようと考えているいま、
地元の人たちとのつながりが少しずつ深まりつつある。
来年4月、美流渡をはじめとする東部丘陵地域と呼ばれるこの場所を
広く知ってもらうための展示を札幌で計画しており、
そのチームにわたしも参加させてもらっているのだ。
チームのメンバーは、このエリアの地域おこし推進員(協力隊)や
地域活性を目指すNPOに所属する人たちなど。
今夏より計画を練っており、ようやく概要が固まってきた段階だ。

展示をする会場は札幌市資料館。大通公園にある施設で、建物は国の登録有形文化財に選定。大正時代に建てられた趣のある部屋の一部がギャラリーとして使用できる。

概要を企画書にまとめた。プロジェクト名は〈ミル・トーブ〉。東部丘陵地域を見てもらいたいという願いを込めて。
この展示の一番の目的は、岩見沢の東部丘陵地域について知ってもらうこと。
そのためにエリアマップを作成し、会場で配布する計画だ。
この地図は、単なるスポット紹介ではない、とびっきりの工夫を凝らそうと考えている。
コンセプトは「人の顔が見える地図」。
この地域には、誰もが知っているレジャー施設や
地域全体を包括するような物産があるわけではない。
東部丘陵地域とひと口に言っても、そこには、万字、毛陽、
美流渡、朝日、宮村、宝水、上志文、上幌といくつもの地区があり、
元炭鉱街として大きく栄えていた場所や、農村だった場所などさまざまだ。
個々の地区ごとに特色があるのが東部丘陵地域らしさであり、
この多様性が住民の魅力にもつながっているように思う。

レジャー施設などはほとんどないが興味深いスポットもあるので、それも地図に落とし込んでいきたいと思っている。万字線の廃線に伴い廃駅となった朝日駅は、現在、万字線鉄道公園となっている。大正3年に全線開業した万字線は、万字炭鉱や美流渡炭鉱、朝日炭鉱などの石炭輸送で大変な活況を見せた。

万字にある炭鉱森林公園はズリ山の跡地。ズリ山とは、石炭を採掘して出た岩石や廃石(ズリ)を長年堆積させてできた山のこと。当時は真っ黒い山だったが、いまでは木々に覆われ、自然が再生していく力の強さを感じさせてくれる場所。
この地域と関わるようになって1年ほど経つが、
地域の人々の考えや暮らし方に接すると、いつも興味深く刺激的に思えるのだ。
この地域は過疎化が進み、人口も1000人にも満たないが、
美流渡地区に唯一残った食堂のおかみさんや、
あえて住民の多くない土地でひっそりと営業を続ける美容師さんなど、
それぞれが自分なりのこだわりを貫き通す姿を見ていると、
清々しい気持ちになってくる。
また、ここに移住してきた人たちも個性的な面々が多く、
地域おこし推進員のふたりを例にあげれば、
ひとりは元バックパッカーでDIY精神をもつインテリアデザイナー、
もうひとりは昨年まで青年海外協力隊としてフィリピンで活動していた人物と、
ひと癖もふた癖もあっておもしろい。
こうした地域に住む人そのものがおもしろいということを
ダイレクトに伝えるために、人々の似顔絵とひと言コメントを、
地区ごとにマップに落とし込んでいきたいと考えたのだ。
ひと言入れるコメントは、できればここに観光で訪れた人や
移住を検討したいと思っている人に向けたものになったらと思っている。
例えば「ここでは陶芸が体験できるよ」とか、「花火大会の企画をしているよ」とか、
そんな親しみのある言葉が集められたらいいのではないか。

地図づくりの構想を書いた企画書。地域の人々を似顔絵にして、ひと言ずつコメントを入れたイラストマップをつくってみたい。

似顔絵のイメージは、こんな感じ! 地元の有機野菜を販売する〈やおやのVeggy〉との共同企画でつくっている農家の取材記事「泣いて笑って、野菜の話」では、わたしが文章のほかにイラストも描いている。
淡路島のオーガニック農家を中心に開催されるマーケット〈島の食卓〉。
8月に行われた第一回に続き、二回目となる〈島の食卓 2016秋〉が
2016年11月5日(土)に開催されます。
〈島の食卓 2016秋〉は、淡路島の農業生産者を発起人に、
加工品や飲食物を提供する人から消費者まで、
さまざまな立場の人が集いスタートしたイベント。
「オーガニックの島、淡路島」を目指し、
オーガニックがたくさんの人にとって身近なものになるように
マーケットの開催以外の仕組みづくりにも取り組んでいます。


会場となるプレーパーク〈淡路島マンモス〉は、
広大な里山を活かした空間で、自然と一体化した会場は
イベントの趣旨にもぴったり。

写真は8月に行われた第一回の様子。木々の間から太陽の光が射し、地面には枝や葉の美しい影が落ちる。
ブランコやハンモックなどの遊具もあるので、
大人だけでなく子供も一緒に楽しむことができます。
ようやく過ごしやすい季節になりました。
秋! 私の一番好きな季節です。
今年の夏は雨がまったくと言っていいほど降らず、本当に暑い夏でした。
私にとって小豆島暮らし4回目の夏ですが、たぶん最も過酷。
その酷暑の中、瀬戸内国際芸術祭2016(以下、瀬戸芸)夏会期は
開催されていたわけですが、作品めぐりはとてもしんどかったと思います。
それでもやっぱり夏休みだけあってたくさんの方々が訪れていましたが。
その暑さが落ち着き、10月8日からスタートした瀬戸芸秋会期。
個人的にはベストシーズンだと思います。
ほんとに気持ちのいい気候の中を歩きながら、作品や風景を楽しめます。

毎年この時期になると咲くコスモス。秋の風景。

まだ稲刈りが終わっていない田んぼもちらほら。

小豆島をまわるなら、小豆島観光協会がつくっている『まるごと小豆島・豊島本 秋』(無料)があると便利です。バスや船の時間もまとめてあります。
そんな秋会期ですが、小豆島ではこの秋から新しく登場する作品がいくつかあります。
私がその中でも楽しみにしていたのが、稲刈り後の田んぼに現れる「わらアート」です。
今回で瀬戸芸は3回目となりますが、毎回つくられているおなじみの作品でもあります。
武蔵野美術大学のわらアートチームと肥土山自治会のみなさんによる作品です。

わらアートが出現した小豆島・肥土山の田んぼ。

いまにも襲いかかってきそう(汗)。
初回はマンモス、2回目はトリケラトプスとマウンテンゴリラ、
そして3回目となる今回はサル!
今年の干支にちなんでお猿さんになったそうです。
子猿を背負ったやさしい表情の親猿、勇ましい表情の若い(?)猿、
おじいちゃん猿があっちの田んぼ、こっちの田んぼに立っています。

人とわらアートの大きさはこんな感じです。

秋空のもと、田んぼのあぜ道を歩きながら。
photo:MOTOKO
真鶴の港を上から望むと、 港を中心にすり鉢状に家々が広がっているのがわかる。
屋根の色は赤や青、緑とさまざまだが、地形に沿って家が並び、
大きなマンションが空に突き出したりはしていない。
さらにひとつひとつの家と家の間をよく見ると、そこにはなんらかの緑がある。
「絶景」とは言い難いが、どこか安心する、懐かしい風景。
もしもこの風景が、20年後も、30年後も同じまま残っていくとしたら……?
その風景の価値はいまよりもさらに上がっていくだろう。
その可能性が真鶴には大いにある。『美の基準』があるからだ。

1993年に制定された『美の基準』。その内容が評価され、世界デザイン都市サミットにも招聘されたことがある。(photo:MOTOKO)
『美の基準』は景観条例のひとつとして捉えられることが多い。
しかし、実際は景観に限ったものではないし、規制するものでもない。
『美の基準』は“真鶴らしさ”をまとめた規範であり、
より広い意味での景観、「生活風景」を残すことを目的としているのだ。
美の基準は69のキーワードからできている。
例えば、「小さな人だまり」というキーワードのページを開いてみよう。

キーワードはどれも口に出して読みたくなる言葉ばかり。「小さな人だまり」「静かな背戸」「終わりの所」など。(photo:MOTOKO)
そこには、写真やイラストを交えながらこんな説明がある。
人が立ち話を何時間もできるような、
交通に妨げられない小さな人だまりをつくること。
背後が囲まれていたり、真ん中に何か寄り付くものがある様につくること。
これらは真鶴にとって“真鶴らしさ”であるかもしないが、
実はかつて日本のどのまちにもあったはずの、失いかけているものでもある。
『美の基準』ができて約23年。未だにファンは多く、
『美の基準』が好きで真鶴に移住を決めた人が多くいる。
人を惹きつけてやまない魅力が『美の基準』にはあるのだ。

『美の基準』の中でもとくに印象的なキーワード、「実のなる木」。庭にはみかんなどの実のなる木を植えることを推奨している。(photo:MOTOKO)
1980年代後半、日本はバブル景気に沸いていた。
政府が開発を奨励するリゾート法を制定したことにより、
真鶴の近隣である熱海や湯河原にも次々とマンションが建ち始める。
多くは人が住むためではない。
地価がどんどん上がっていくなかで、投資目的の建設が多かったという。
「当時、真鶴町役場にも大量の建設計画が持ち込まれ、
毎日のようにスーツを来た人たちが押しかけてきていました。
僕はまだ別の課にいたのですが、対応に苦慮しているのは見ていました。
自分が担当になったらあの対応をやらなければいけないという、
覚悟のようなものは持っていましたね」
そう語るのは、現在『美の基準』担当のまちづくり課課長を務める岩本幹彦さんだ。

岩本さんは『美の基準』が施行されて12年後、2005年から『美の基準』の担当になる。担当になる前から、『美の基準』自体の策定の過程を手伝ったりもしたという。
真鶴がほかの地域と違ったのは「水」だった。
もともと水源に乏しい真鶴は、隣の湯河原町から一部の水を買っていた。
たびたび断水もあったという。そのため町民は、マンション建設により
人口が増え、さらに水が不足することを懸念していたのだ。
「マンションを建設するかどうか、当時まち中で政治が語られていました。
そんななか、町長選ではっきりとマンション建設に反対を掲げた
三木邦之さんが選ばれたんです」
「三木町長についていけば間違いない」、と言われるほど
カリスマ性を持つ三木町長は、就任3か月の速さで「給水規制条例」を制定する。
「ある一定規模以上の開発に対して新たな水の供給を行わない」というものだ。
開発を進めようとする国の施策と正反対をいくこの条例はニュースになり、
真鶴町は一躍有名になる。
しかし、これだけでは事業者から裁判を起こされてしまえば負ける可能性のある、
危うい条例であった。そこで次の一手としてできたものが、
『美の基準』を含む「まちづくり条例」である。

真鶴のまちを上から見ると、家と家の間に緑が多いことに気づく。建築と建築の間に花や緑を置き、スペー スを豊かにすることも『美の基準』で推奨される。

飛騨市、高山市、下呂市、白川村、4つの市村からなる飛騨地域。
豊かな自然に、小京都とも言われる古いまち並みや温泉、世界遺産。
最近は映画『君の名は。』の舞台としても注目を集めるエリアだが、それだけではない。
伝統と新しい技術、あたたかい人、地域のコミュニティ。
そこで、ずっと飛騨に住んでいる人、移住者、そして外国人観光客に聞いてみた。
「あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?」


柴原敦子さん【白川村】
名古屋から移住し、2013年、〈アオイロ・カフェ〉をオープン。
「このあたりはパン屋さんがなくて、パン目当てのお客さんにも喜んでもらえています。ここはお店から川が見えるし、ウッドデッキでBBQしながらビールが最高です。周囲も、みんな顔見知りで、子どもをかわいがってもらえますね」

長坂風子さん【白川村】
名古屋から地域おこし協力隊として赴任して3か月。
「白川村は、みんなモノをくれるし(笑)、あたたかくて、地域との関わり合いが深いです。いまは村を回って、情報発信をしています。とにかく積極的に話しかけています。この立場をうまく使って、ここでしかできないことを吸収していきたいです」


今井登志雄さん(66歳)【下呂市】
1994年から下呂市で農業を始める。〈上原プロジェクト〉副代表。
「“回り舞台”が国の重要有形民俗文化財に指定されている芝居小屋〈白雲座〉があって、40年も素人歌舞伎が行われている地域です。まちはまち、田舎は田舎らしさをだそうと、下呂の温泉にプラス1泊できるような工夫を考えています。去年から〈上原プロジェクト〉として本格的に始めたのが、農業体験。田植え、稲刈り、しめ縄づくりなど行い、小学生も参加しています。昨年は4年に1回の“24時間ソフトボール大会”が開催されましたよ」


横関真吾さん、万都香さん【高山市】
東京都出身。ゲストハウス経営のために高山に移住し、2011年〈飛騨高山ゲストハウスとまる〉をオープン。
「実際にまちを歩いてみて、高山にゲストハウスをオープンしようと決めました。歩いて回れるので、お客さんの案内をしやすいですね。外国人ツーリストによく案内するのは、古民家の〈吉島家住宅〉や寺社巡りができる〈東山遊歩道〉です。子育ての環境もいいし、近所の人もアットホーム。まちを良くしようと考えている地元愛にあふれる若者もたくさんいます」

セルヒヨさん(35歳) グラフィスラさん(35歳)【高山市】
スペインのバレンシアから来たカップル。
「東京と京都に行ったけど、とてもビジーでした。山が見たかったので、松本を経由して高山に来ました。都市と雰囲気が違って、静かで落ちついているところが気に入っています」

イエスパさん ローズさん アマンダさん マットさん【高山市】
オランダ人の4人組。
「東京から来て、このあとは富士山と京都に行くつもりです。山をサイクリングしたり、トレッキングしたいと思っています。まだ高山に着いて1時間なんだけど、ビルがない小さなまちには、フレンドリーな人がたくさんいますね」

鈴木岳人さん【高山市】
神奈川県相模原市から高山市に移住して10年目。家具職人として〈山岳木工〉を営んでいる。
「飛騨地域は、祭り屋台や山車の修理などで培ってきた独特の木工技術があって、木工に関してのグレードの高さでいえば、特殊なエリアです。このあたりはすごく牧歌的。季節がはっきりしているところが好きです。ドライブするだけで、リフレッシュできますよ」


森本純子さん【飛騨市】
生まれも育ちも飛騨古川。1999年に〈壱之町珈琲店〉をオープン。
「古川でも古民家がどんどん壊されていくなかで、古民家を再利用したいと思ってお店を始めました。飛騨は自然の中に文化も溶け込んでいます。地元の人や近所の子どもたちの声などに、旅の人が入り込む風景が好きです。あと安峰山から見える朝霧は、とても美しい光景だと思います」

森口明子さん【飛騨市】
〈飛騨の森でクマは踊る〉勤務。
「自分の周りのデザイナーやクリエイターたちが遊びに来ていて古川祭・起し太鼓がおもしろいという話をしていました。それで興味を持っていたんです。仕事の話になっても、お金から始まらないところが好きです。お金よりやる気であって、心が最初にあるんです」

藤田敦子さん(23歳)【飛騨市】
北海道大学在学中。〈FabCafe Hida〉勤務中。
「昨年、休学して3週間インターンとして古川に来たんです。そうしたら古川のことが大好きになってしまって! エコとかの概念ではなく、人が当たり前のように自然の良さをとり入れていることに感動しました。いつもみんな家族のようにあたたかくて、みなさんに見守ってもらっています」

この秋から、新しい本づくりの準備を始めている。
今年の春に、北海道・岩見沢にある8ヘクタールの山林を買ったことを
本にしようと考えているのだ。
タイトルは、いまのところシンプルに『山を買う』。
そしてサブタイトルは「必要なのはお金よりも“思い切り”」にしようかと検討中。
購入の経緯については、この連載(第18回)でも触れてきたように、
最初はエコビレッジづくりの拠点になればと考えていたのだが、
手に入れてみると、それだけでない発見が数多くあり、
また東京の友人に山購入の話をすると「私も買ってみたい!」と
興味を示してくれることも多く、ならば本を書こうと思いたったのだ。
もうひとつ、きっかけがある。
この連載でも紹介してきたように、私たちが買った山があるのは、
岩見沢の東部丘陵地域といわれるエリア。
過疎化の問題を抱えるこの地域の未来を考えるトークイベントがあり、
そのゲストとして来てくれたアクセサリーデザイナーの
岩切エミさん(第23回)とした約束もある。
その約束とは、この地域のピーアールをするためのイベントを、
来年4月に札幌市資料館でエミさん協力のもとに開催するというもので、
会場で販売するアイテムのひとつにこの本がなったらと考えているのだ。
内容は東京生まれ東京育ちで、アウトドアや登山経験がほぼゼロという私が、
なぜ山を買ったのか。購入1年目でどんなことができたのかについて、
イラストを交えながら紹介するというもの。

まずは本のラフスケッチを制作中。山林の土地を探すための方法や、購入するときに考えておきたいポイントなどを素人なりの視線で書こうと思っている。
山を購入してからは、山での活動を「山活!」と称して、
月に2〜3回ほど友人たちを募っていろいろな取り組みをしており、
それについても連載で触れてきた(第24回)が、
まだまだ書ききれなかった楽しみもあって、それらも本に収録したいと考えている。
とくにいまハマっているのは土器づくりだ。
土をスコップで掘り返してみたところ、その質は粘土のよう。
「山活!」に遊びに来ていた小学生が
「これ焼いたら、陶器になるんじゃない?」というひと言がきっかけとなった。
土を乾かして炭火に入れてみると、カーンといい音がして、
なんと素焼きすることができたのだった。

土を掘って根気よく練っていると……まさに陶芸用粘土と同じような質感に。

こんな感じで成形。縄文土器風!

炭火に入れること20分くらい。土がピンク色に変化し土器と土偶の完成!
以来、土器や土偶などをたくさんつくっており、
山活メンバー(とくに子どもたち)にも大好評の遊びのひとつとなった。

そのほかの山の楽しみ。夏には野生のベリーが収穫できた。

春には山菜、夏にはベリーと季節ごとに山ではいろいろなものが採れることもわかってきた。
また、山を買った噂が近所に広まっていて、
何やらおもしろそうなことをしているらしいと、
いろいろな人が訪ねてくれるようになったことも、うれしい出来事。
この本では、東京でこれまで会社員として働くだけだった私でも、
新車を買うよりも安い値段で山を手に入れることができ、
しかもなんとか楽しむことができているということを伝えてみたい。

秋の「山活!」に集まってくれたみなさん。友人のつながりから、私たちのことを直接知らない人が訪ねてくれることも。

日々、人間関係や仕事の重圧でたまってくるストレスが、山を前にすると小さいことのように感じられるのもいいところ。
小豆島から高知市内へは、フェリーと車で2時間半くらいで行けます。
ちょっとパワーはいりますが、それでもふらっと行けないこともない距離。
そんなわけで小豆島で暮らすようになり、高知へは何度か遊びに行っていますが、
一度訪れてみたかったのが、高知の〈日曜市〉。
毎週日曜日の朝から夕方まで、高知市内にある高知城の追手門から
約1.3キロにわたっていろんなお店が並びます。
野菜、魚、漬物からその場で食べられるお寿司やお餅、植物の苗もあったり。
その数400店以上!
以前写真で見た大きなシュロの木の下に並ぶお店の様子が、
どこかのアジアの国の市場みたいで、これは行ってみたいとずっと思っていました。
その日ははりきって早朝のフェリーに乗って小豆島から高松港へ。
島を一番早く出る船は、池田港から5時30分に出発します。
10月ともなるとまだ日の出前。
この時間の船に乗る時はいつもちょっとワクワクします。

朝一番のフェリーからの眺め。静かな瀬戸内海を行き交う小さな漁船。
フェリーで高松港まで行き、そこからは車です。
高速道路を走って、高知市内には9時前に到着。
そっさくお店が並んでいる「追手筋」という通りへ。

追手筋に並ぶ露店。シュロの木が立派!
追手筋は高知市内の中心を走る4車線の大通り。
その片側2車線にずらーっと露店。
道路の真ん中に並ぶ大きなシュロの木。
写真で見ていたその風景を見て興奮!
暑さと人の熱気に汗かきながら、いろんなものに目移りしながら、
売り手のおばちゃんとお話しながら、欲しいなと思うものをひとつずつ買っていく。
あー、やっぱり「市」って楽しい。

高知といえば生姜。どこのお店にもたくさん並んでました。

唐辛子。鮮やかな赤色。生き生きしてる!

多肉植物の苗たち。とても元気がよくて、ついつい買って帰りました。
前の晩に申し合わせでもしていたかのように、
村のあちこちで彼岸花がいっせいに咲いた。その時期、まさにお彼岸。
それから1週間後、今度はキンモクセイがいっせいに黄色い花を咲かせる。
こうした自然界のルーティンを目の当たりにするのが田舎の生活だ。
でも、この秋はふたまわりめ、昨年と感じ方がちょっと違っていたりする。
驚きや感動の度合いは低いものの、
この手の自然の営みをしみじみ味わう余裕があるというか。
ここ鴨方町六条院での暮らしも、二度目の夏を経てずいぶん肌に馴染んできた。
子どもたちはというと、もうすっかり村の子だ。
チコリもツツもこの夏でまたひとまわり逞しくなった。
梅雨に入る少し前あたりだった。
唐突にチコリの、「今日からひとりで寝ます」の宣言があった。
これまでは八畳の和室にシングルの布団を二組敷き並べ、
広縁に近い障子の側から、ぼく、チコリ、ツツ、タカコさんの順で寝ていた。
早島のアパートのときもそう。
ツツが生まれた2013年の秋以来、このオーダーが崩れたことはない。
つまり30か月もの長きにわたって、ぼくはチコリとひとつの布団で寝ていたのだった。
「なになに、おとうさんと一緒に寝たくない、と?」
「そうじゃないの」
「じゃあなんでだよ、普通そういうのってもっと先じゃないの?」
ちなみにチコリは宣言当時、5歳と5か月。
「いいじゃん、ひとりで寝たいの!」
「あ、そう。なんか寂しいな。おとうさんチームは解散か?」
「冬になったらまた一緒に寝てあげるから」
「………」
そしてその夜から、チコリは八畳間のすみっこ、
襖と襖の角地にひとりだけの安息の地を見つけ、
保育園で以前使っていた子ども用の小さな布団をそこに敷いて寝るようになったのだった。
父親のぼくが言うのもどうかと思うが、チコリは結構なおとうさんっ子だ。
ぼくが出張で家を空けるときは、夜寝るときに無言でしくしく涙をこぼすらしい。
タカコさんが「こっちで一緒に寝よう」と言っても布団から移ることはせず、
ぼくのパジャマを抱きしめたままひとり眠りにつくという。
いまから思うと、ほぼ同じ時期だった。これまたチコリから唐突に、
「お迎えをもっと遅くして」と言われた。
これまで早い時間に迎えに行く「早迎え」がリクエストの常だった。
ぼくも小学校に上がるまで保育園に預けられた口で、
早く迎えにきてほしい気持ちはよくわかる。
しかし、遅いお迎えとは……理由はさっぱりわからない。
チコリにたずねてもはっきり言おうとしない。
釈然としない気持ちを抱えたまま夏本番を迎え、そしてとある日の夕方。
その日は遅迎えのリクエストを無視して、閉園1時間前の午後5時に迎えに行った。
それまでもぼくの都合で何度か5時前後に迎えに行ったことはあったが、
その日は車のなかで「今日のお迎え、早かった!」と
軽からずのクレームがあった。
遅迎えの要望の度合いがそこまで強いとは思っていなかった。
ぼくは再度理由を聞きただした、なぜにそんなに遅いお迎えがよいのかと。
手を替え品を替えで、何度か聞き方を変え、
重たい口をようやく開かせることができた。
「……一緒に遊びたいの」
「うん? 誰と? あゆみちゃん? あやかちゃん?」
「ううん……Iくん」
そのとき父親は車を運転しながら冷静に状況把握に努めていた。
(誰だ、Iくんというのは? まったく顔が浮かんでこない、
それにしてもチコリのこの恥じらいようはなんだ?
まるで恋をしている乙女のような……我が娘が、恋をしている?)
午後5時とはいえまだ陽は高い。窓の外は瀬戸内の真っ青な海。
運転席の隣で、壊れたおもちゃのようにツツが『海』をエンドレスで歌っている……。
チコリの告白から2週間ほどして、保育園の夏祭りがあった。
チコリもツツも前から楽しみにしていたイベントであるが、
ぼくの関心ごとはただひとつ、「Iくんはどいつだ?」
わりと早い時間帯で判明した。
チコリが担当している屋台を一緒になってふたりで店番していたのがIくんだった。
体格のいい子だった。男前とはいえないが、男の子らしい顔をしていた。
しっかりとした顔の骨格、小さな目、でも乱暴な感じはない。
ふたりのやりとりを眺めていると、チコリへの物言いが紳士的でさえある。
チコリは表情に出していないが、父親のぼくには手にとるようにわかる。
一緒にいるのがうれしいのだ。そうか、チコリの恋の相手はこの子だったか。
その夜、子どもたちは昼のお祭りで疲れていたのだろう、布団に入ると速攻で寝た。
ぼくとタカコさんは、普段は子どもたちよりも先に寝てしまうことも少なくなく、
寝る間際の会話というのがほとんどないのだが、
その夜は眠っている子どもたちを間に挟んで久々に話した。
話題はもちろんIくんだ。
「なんか、いい子みたいだな」
「うん、すごく優しいよ、チコリにも」
「チコリはあれかな、男っぽい子がタイプなんかな?」
「そうね、そうかもね」
「オレは案外冷静に見れたよ」
「なんのこと?」
「いや、Iくんのこと。ほら、娘の父親だからさ、オレは」
「そんなのあたりまえじゃん」
タカコさんはぼくの父親心情なんかどうでもよろしいようで。
素っ気なくそう言うと、くるりと背を向け眠ってしまった。
9月に入って、チコリはひとり寝をやめ、またぼくと一緒に寝るようになった。
遅いお迎えはいまだ継続中。でも、Iくんの名前はほとんど耳にしなくなった。
チコリとIくんとの間にとくになにがあったというわけではなく、
たんに女の子の友達と遊ぶのが楽しくなったようだ。
いまは女の子の友達との間で手紙のやりとりに夢中だ。

ツツと一緒に使っている本棚。最近までまったく気にならなかったが、そこにある絵本やおもちゃが急にチコリには幼すぎるように見え始めた。

離れの前にあるザクロの樹。昨年はまったく実がつかなかったのに、今年はどういうわけかたわわに実がついた。すっきりとした甘みがあり、酸味もさわやか。いっぺんでザクロが好きになった。
高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村からなる、
岐阜県の飛騨地域。
ここは、インバウンド観光、移住・定住、起業、伝統産業の継承など、
いま、さまざまな面から注目を集めるところ。
コロカルでもロフトワークの連載などで飛騨のことを
お伝えしてきました。
そしてこのたび、コロカルにて
特集『あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?(ナゼヒダ?)』がスタート!
コロカル視点で、飛騨地域の暮らし、仕事、子育て、ライフスタイルの魅力を
掘り起こし、ストーリーを発信する記事を続々
お届けしていきますのでお楽しみに!
この特集のスタートにともない、飛騨でワークショップを開催します!
会場はクリエイティブなコワーキングスペース〈co-ba HIDA TAKAYAMA〉。
対象は、飛騨地域で生まれ育った人々、UターンIターン等の先輩移住者で、
次の地域づくりを担う15歳以上の方であれば、クリエイティブの経験がなくてもOK!
プロの編集者、フォトグラファー、ウェブディレクターが講師となり、
ウェブサイトや冊子の編集を学びながら、
未来の地域づくりやその発信を行っていくネットワークづくりを行います。
日程はこちら。
第1回 編集とはなにかを知る 2016年10月30日(日) 13:00〜17:00
第2回 目次(取材プラン)づくり 2016年11月27日(日) 13:00〜17:00
第3回 記事制作について 2017年1月15日(日) 13:00〜17:00
第4回 編集部運営について 2017年2月19日(日) 13:00〜17:00
※内容は変更の可能性あり
目標は、“自発的に飛騨地域の魅力を発信する「未来の地域編集部」(仮)”
を結成すること。
飛騨地域総合移住ホームページ『グッとくる飛騨』の記事を制作し、
制作した記事は『グッとくる飛騨』に実際に掲載する予定です。
また、卒業制作として、コロカルの記事制作にも挑戦していただきます!
これからの地域づくりに不可欠な、クリエイティブと
発信を行う人材の発掘と育成を目指す新しいこころみ。
なんと参加費は無料です。
こちらのフォームよりお申し込みください。
この特集とワークショップは、これからの地域創生の課題となっている
“地域での自立した発信力”づくりを、
自治体とメディアが連携して行う新たな取り組みです。
ぜひ、ご注目ください!
information

飛騨「未来の地域編集部」準備室ワークショップ
■ワークショップ日程
第1回 2016年10月30日(日)13:00〜17:00
第2回 2016年11月27日(日)13:00〜17:00
第3回 2017年1月15日(日)13:00〜17:00
第4回 2017年2月19日(日)13:00〜17:00
■開催場所
co-ba HIDA TAKAYAMA(コーバ・飛騨高山)
住所:岐阜県高山市本町3-7(高山印刷1F 宮川側入口)
アクセス:JR高山駅徒歩10分
http://tsukuruba.com/co-ba/hidatakayama/
■参加費
無料
※交通費は各自負担ください。
■定員
20名(先着順)
■申し込み
http://hida-iju.com/editors-workshop/
こちらのフォームよりお申し込みください。
※原則、全日程を参加できる方を優先いたします。
■応募についてのお問い合わせ

飛騨エリアとは、岐阜県の高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
最近では、外国人を含めた観光客増加の増加が注目されるが、
それだけでなく、新しい拠点やプロジェクトが生まれ、そこに訪れる人も増えている。
また、観光客が触れたいと思っているのは、
実は飛騨に生活する人々の暮らしぶりであったり……。
飛騨の魅力とは、暮らしと観光と仕事との新しい可能性モデルかもしれない。
ずっと飛騨に住んでいる人、移住者、そして外国人観光客に聞いてみた。
「あなたはなぜ飛騨を好きになったのですか?」


井之丸広幸さん(53歳)【飛騨市】
1908年創業、味噌煎餅本舗〈井之廣〉4代目。
「こいこい会という若者たちが主催して花火をあげている〈ナチュールみやがわ〉というキャンプ場がおすすめです。いろいろなイベントをやっていて楽しい場所です」

宮地元治さん(65歳)【飛騨市】
イラスト入りのPOPが美しい、自身いわく「よろず屋」。生鮮からお菓子まで、整然としたディスプレイで、商品が見やすいお店。
「山があって当たり前の生活を送っているので、山が見えないと息苦しくなりますね」

福山良子さん【飛騨市】
古川のまちで唯一の精米所である福山米殻店。〈しゃべりばち☆おとめの会〉として、まちのマップや飛騨弁カルタをつくるなど、地域活動をしている。
「古川の人は、元気だけど奥ゆかしい。自分のまわりの道も掃除するのが当たり前です。観光に来ても、そんな普段の生活をこっそり見てもらえると思います」

井畑仁志さん(37歳)【飛騨市】
飛騨市役所企画部企画課に勤務。
「家の近所にある、荒城川の桜並木が好きです。古川は互助の精神が強く、つい最近までお葬式も近所の人たちでやっていました。草刈りや川そうじは当たり前ですね。野菜や鮎をもらえたりと、コミュニティが濃いと思います」


藤垣武史さん 奥原美智子さん【高山市】
高山市役所ブランド戦略課のふたり。藤垣さんは高山市生まれ。
「ロードバイクで乗鞍岳の頂上まで登るのはとてもハードですが、登ったあとの景色は最高です。飛騨弁は早口ですが、あたたかくて好きです」
奥原さんは愛知県生まれ。結婚を機に高山へ。
「湿気がなくて住みやすいですね。よく家の周りにある田んぼの真ん中を散歩しています。私にとって飛騨弁は、“日本語じゃないのかな”くらい早口で難しい(笑)」

大道雅司さん(51歳)【高山市】
〈大道たばこ店〉の3代目。
「昔は飛騨の人は引っ込み思案だと思っていたんですけど、やるときはやりますね。古い文化が残りながらイベントなども多くて、古いものと新しいものが融合している気がします。活動的な若者を上の世代が邪魔しないので、世代間が交じり合っていますね」

ジョンさん(34歳) ルーベンさん(36歳)【高山市】
イギリス人のふたり、ジョンさんはサンフランシスコ在住、ルーベンさんはタイ在住。
「東京に3、4日いて、昨日、高山に来ました。伝統が守られているまちで、旅館体験がすごく良かった。風鈴の音が聞こえてとても静かですね。このあとは京都と直島に行く予定です」


野田真司さん(41歳)【白川村】
川魚の養殖をしている野田さんは合掌造りの家に住んでいる。
「白川村には『結』という助け合いの精神が残っています。かつては田植えや冠婚葬祭、いまでも屋根葺きや葬儀はみんなで行います。なんと数年前までは自分たちで火葬してたんですよ」

森下清子さん【白川村】
「人にごはんを食べてもらうのが生き甲斐になっているのよ。次男がゲストハウスをやっているので、食事を持っていったり。外国人も家庭料理を喜んでくれます。この前、布ぞうりをフランス人にプレゼントしたらすごく喜んでくれたわ。このあたりはみんな仲良しで、祝い事などでは七福神の扮装をして村を回るのよ」


二村有三さん(37歳)【下呂市】
下呂市生まれ。東京でお笑い芸人となり、10年ほど前にUターン。現在は川魚の養殖業〈馬瀬川水産〉に従事。
「馬瀬エリアは何もないです。だからいいんです。川には排水もまったく流れていないので、その水で育てたアマゴ、イワナ、マスは最高です。コレが都会には絶対にないこと。生きているなって感じます」

洞 千香子さん【下呂市】
料理が評判の宿〈丸八旅館〉2代目女将。
「この馬瀬地区は、信号もない、もちろんコンビニもありません。でも、馬瀬にしかない風景があります。馬瀬川も上流はもっと澄んでいますよ。こんなところでも、外国人ツーリストが来るんですよ。のんびり、ゆっくりしたいという人が多いです。料理はなるべく地元のものを使っています。ほかから仕入れてしまったら、お互いのためになりませんから。地元があっての旅館だと思っています」

加藤英樹さん【下呂市】
1918年創業の〈柏屋酒店〉3代目。湯之島サンロード発展会会長。
「かつては社員旅行が多かった下呂温泉ですが、最近では個人旅行が増えてきました。だから歩いていて楽しいまちづくりを心がけています。下呂=ゲロにあやかって、カエルをキャラクターにしたり、古いまち並みを残す努力をしています。お店でも、お酒の試飲コーナーを設けて、お客さんと積極的にコミュニケーションをとるようにしています」

今年の6月から、北海道岩見沢の美流渡(みると)と朝日地区で、
東部丘陵地域未来会議というトークイベントが行われている。
東部丘陵地域とは、美流渡や朝日、毛陽、万字(まんじ)、宮村など、
岩見沢の山間部に近い地域全体のことを指す。
いずれも過疎化の問題を抱えており、これらの地域を
いかに活性化させるかが課題となっている。
わたしたち家族は、いま美流渡地区の空き家を改装し、
ゲストハウスのような場所をつくろうと考えており、
地域の未来について、住民の皆さんとともに考えていきたいと思っているところだ。
そのため、この会議の企画のサポートをしており、コロカルの連載でも
イベント第1回からレポートを掲載してきている。
その第4回目が9月9日に、岩見沢市の朝日コミュニティ交流センターで開催となった。
トークのゲストは、岡山県西粟倉村で
〈村楽エナジー〉という会社の代表を務める井筒耕平さん。
西粟倉村は人口約1500人の小さな村だが、近年、移住者が増え、
次々と起業家が生まれ、地域活性のモデルとして、全国から注目を集めている場所だ。
この村で井筒さんは、樹木などの有機物を原料にした
バイオマスによるエネルギーの供給やゲストハウスの経営、
コンサルティングと多彩な仕事を行っており、これらの経験を踏まえて、
「ローカルベンチャーでちゃんと稼ぐ」をテーマに今回は話をうかがうことにした。

井筒耕平さんの出身は愛知県。専門は再生可能エネルギーと林業に関する実践および調査研究。岡山に移住したのは11年前。現在、西粟倉村で村楽エナジーという会社を運営する。

西粟倉村に移住する以前、近隣の上山集楽で地域おこし協力隊として活動していた井筒さん。ここで林業を自ら体験。獣害対策として、猟師が仕留めた鹿を自らさばくこともあったという。
トークのはじまりは井筒さんの仕事内容から。
井筒さんは大学で環境学を学んだ後、エネルギー事業のコンサルタントを手がけており、
バイオマスエネルギーが専門だった。
自身の知識や経験を生かして、西粟倉村の日帰り温泉施設に薪ボイラーを設置。
2015年からエネルギー供給をスタートさせた。燃料となる薪は、
住民やこの地域の林業の経営母体となっている役場から買い取っている。
西粟倉村は、村の95%を森林が占め、そのうち86%が人工林。
スギやヒノキが植林されていたことから、〈百年の森林構想〉を掲げ、
林業を軸とした地域再生に乗り出している。
薪は地域に豊富にあり、井筒さんはC材と呼ばれる、
家具や建材では使用できない木材を買い取っている。
「C材はパルプなどの原料になりますが、外に売るととても安くなってしまうので、
地域の中で使うことを考えました。
C材を少し高めの値段で買って、林業を支えることができたらと」
木材の購入によって地域を潤すだけでなく、エネルギーを自分たちでつくり出すことは、
地域外へのお金の流出を抑制することにもつながるという。
井筒さんの調べによると、エネルギーに対して人々が支払う金額は、
1500人の村で数億円であり、村としては巨額になるという。

住民や役場から買い取ったC材をカットして薪にする。

カットした薪をボイラーのある施設に運ぶ。

新型の薪ボイラー。ボイラーには3〜5時間に1回、薪を投入する必要があるという。バイオマスエネルギーによるメリットは多数あるが、人件費がかかり、なかなか利益があがらないという課題もある。
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、
独自のライフスタイルを切り開く人が増えるなか、
移住をサポートするさまざまな取り組みが各都道府県で行われている。
そんななか「あなたの暮らしに、ローカルを10%プラスする」というコンセプトのもと、
都市部に住みながら栃木と関わりを持つ暮らしを提案しているのが、
栃木県と若者の社会参画を後押しする
NPO法人とちぎユースサポーターズネットワークとの協働により
2015年に開始された〈はじまりのローカル コンパス〉という取り組み。
現在このコンパスでは、10月8日に行われる
東京でのオリエンテーションを皮切りとした
2016年度の体験ツアー〈ひととまちとつながる旅〉の参加者を募集中。
「実際にとちぎとつながる」をテーマとしたこのツアーでは、
益子町と栃木市のいずれかを訪れ、地域プロジェクトを行っている方々をナビゲーターに、
栃木での暮らしや仕事を体感するという内容。
各地域のナビゲーターとして参加される方々に、彼らが行っている地域プロジェクトや、
暮らしているまちの魅力についてうかがった。
焼きものや陶器に詳しくない人でも、一度は耳にしたことがあるであろう益子焼。
その産地であり、焼きもののまちとして知られる益子町の地域ナビゲーターとなるのは、
2009年に町で開催されたアートイベント
〈Earth Art Festa 土祭(ひじさい)〉をきっかけに誕生した地域コミュニティ
〈ヒジノワ〉に参加している3人。

土祭以降、カフェやギャラリースペースとして活用されている〈ヒジノワ CAFE & SPACE〉。手仕事作家のマーケットも開催されている。
「土祭では築100年の古民家を改修して展示会場にしたのですが、
土祭が終わったあとにそこを閉じてしまうのはどうかと思ったんです。
そこで『みんなで何かやろうよ』と始まったのがヒジノワです」と話すのは、
ヒジノワの立ち上げから参加している大工の高田英明さん。

宇都宮市の南にある、上三川出身の高田さん。益子にあるギャラリー・カフェとの出会いをきっかけに益子で暮らしはじめた。
現在は30人程度のメンバーがいるというヒジノワだが、
その8割近くが県外から益子にやってきた人たち。
「県外や都内に暮らしていて、
月に1〜2回ヒジノワ CAFE & SPACEで日替わりのカフェを出店する方もいます。
メンバーも陶芸家や建築家といったものづくりをしている人だけでなく、
役場の職員さんや茨城でスケート教室の先生をしている人もいる。
世代もバラバラで、大学を卒業して間もない若い人もいれば、80歳近い方もいます」

元は焼き肉屋だったという建物を改装した高田さんのご自宅。家具も手製のものが多い。ティピはお子さんへのクリスマスプレゼントなのだとか。
「大工の修業であちこちの地域に通っていた時期も含めれば、
益子に暮らして17〜18年になります。
でもヒジノワに入るまでは職場と自宅の往復だけだったので、
地域とのつながりはそんなになかったんですよ。
ヒジノワを通してさまざまな人と接点を持つようになり、だいぶ生活が変わりました」
と高田さん。

高田さんと奥さまの純子さん。宇都宮出身の純子さんも「かつて益子はおじちゃんやおばちゃんが行く場所というイメージでしたが、いまはおしゃれな人が来るようになりましたね」と、まちの変化を感じている。
窯業と農業のまちとして知られる益子での暮らしは、
さぞかしゆったりとしたものかと思いきや
「イベントが多かったり、意外とゆったりしてない」のだそう。
移住をするにせよ二拠点居住にせよ、地域とのつながりを持つと持たないとでは、
ライフスタイルに大きな違いが生じるようだ。
コロカルで『美味しいアルバム』を連載する
フォトグラファー津留崎徹花が
夫、鎮生とともに移住を決意。
夫は今年6月に会社を辞め、現在は無職。
ふたりと5歳の娘は、改造したワンボックスカーで
移住先探しの旅に出ることに。
夫婦で交互に綴る連載、今回は妻の徹花が見た、
岡山の陶芸家夫妻の暮らしについて。
山形市から、南へ約1時間半。
多様な樹木や山菜、きのこや蔓(つる)植物が自生する豊かな山々の間に、
「玉庭(たまにわ)地区」と呼ばれる集落があります。
茅葺屋根の家が残る、古きよき農村の風景が広がるこの地区では、
2014年から、里山再生事業に取り組んできました。
里山再生事業が目指しているのは、
「里山の資源を見直し、山を使う技術でマネタイズし、暮らしを成立させる」こと。
さまざまなモノが都市から供給されるようになった現代において、
かつて暮らしのすぐそばにあった「山」という資源をどう活用するのか。
山の素材の採集や、山の素材を使ったものづくりを通して、
あらためて山との関係を問い、
その関係をふたたび築き直そうという試みです。


古くから伝わる「山を使う技術」を扱い、具体的に新たな製品を提案するのは、
〈技術〉と名付けられた製品デザイン部門。
山形在住の若手デザイナーや作り手が実際に山に入り、
伐採や採集、フィールドワークを重ね、製品を企画。
玉庭地区の職人や大工さんたちと連携し、
里山の木材や蔓を用いた製品の制作・販売を行っているといいます。

そんな、玉庭地区・里山再生事業〈技術〉のみなさんが、
9月30日(金)、〈山の使い方:「技術」アケビ蔓の採集講座〉を開催します。
講座では実際に玉庭地区の山に入り、
アケビ蔓の見分け方や、細工に適した蔓の見極め方、
素材にするまでの下ごしらえや、
来年も蔓を採集するための知恵などを学んだ上で、
簡単なカゴを作ってみるそうです。
“日本一子どもを育てやすい県”のスローガンのもと、
〈子育て県かがわ〉を提唱する香川県。
温暖で災害が少ないこと、面積が日本一小さい県で、
コンパクトな中に都市の利便性と自然が調和していること、などの理由により
子育てに最適な環境ということをアピールする
〈イクケン香川〉プロジェクトを昨年より行っています。
そんな香川県が、
“うどん県”副知事の要潤さんが出演する、独自すぎるPR動画を公開!
なんと要潤さんが赤ちゃんのいる家庭を訪れ、
泣く赤ちゃんの前でうどんをすすって、
その音で泣き止ませようとする…というもの。
なぜうどんの音で赤ちゃんを泣き止ませようとするのかというと、
「赤ちゃんが胎内で聞いていた母親の腸や心臓の音と、
うどんのすする音が似ている」という観点から。
そんなうどんの隠された力を実証するべく、
うどんをすする音で本当に赤ちゃんが泣きやむかを検証します。


颯爽と向かう副知事

成功!
そしてその結果は、10人の赤ちゃんのうち、9人が泣きやむという大成功!
うどんの力が実証されたというわけです。
ようやく暑さが落ち着いた9月。
青々としていた田んぼはあっという間に黄色くなり、あちこちで稲刈りをしています。
私たちが暮らす小豆島・肥土山(ひとやま)では、多くの人がお米を育てています。
広ーい田園というより、集落の中のあちこちに小さな田んぼがぽつぽつある感じで、
うちのすぐ横も田んぼです。
だから6月頃から夏にかけてはカエルの鳴き声がすごい。
ゲコゲコゲコゲコ。そんな鳴き声も夏が終わりようやく静かになりました。

上空から見た肥土山集落。田んぼと家々がぎゅっと集まってる感じ。(撮影:坪佐利治)
肥土山ではこのお米づくりが暮らしの一部であり、何百年と続く「農村歌舞伎」や
「虫送り」などの伝統文化のベースでもあるように思います。
その昔、水不足で困っていた農民たちのためにつくられたため池(現在の蛙子池)。
その完成を祝って小屋を建てて芝居をしたのが農村歌舞伎の始まりと言われていて、
以後300年以上にわたって奉納歌舞伎を続けています。
虫送りは、稲につく虫を追い払い豊作を願う行事です。
米づくりと暮らし、文化はダイレクトにつながっています。

田んぼの向こうにあるのが、肥土山農村歌舞伎舞台。

虫送りはこの田んぼの中を歩いていきます。
そんな肥土山でお米を育てている方たちと一緒に、
昨年から育てたお米を売るプロジェクトを始めています。
プロジェクトというと大げさですが、お米をパッケージングして、
オンラインショップなどで販売しています。
まずは、お米に名前をつけるところから。
小豆島日記vol.129でも少し触れましたが、
ラベルやロゴのデザインで悩んでいるときに、
グラフィックデザイナーの平野甲賀さんとフォントデザイナーの鳥海修さん、
ヨコカクさんによる展覧会『文字に文字展』を訪れたことがきっかけで、
できあがった名前とロゴ。〈肥土山そだち〉に決まりました。

〈肥土山そだち〉として、オンラインショップやイベントなどで販売。

東京の飲食店にもお届けしてます。
北海道はお盆が過ぎれば学校も始まり、秋の気配が感じられるようになる。
雪が降る季節まで、あと2か月ほどだ。
この連載で書いてきたように、夫は今春から岩見沢の山間部、
美流渡(みると)地区にある古家を改装中なのだが、
まだまだ先は長いように感じられる。
急かしても口論になるのでじっと見守っているが、今年中にどこまでできるのか、
さすがに最近、わたしも先行きに不安を覚えるようになってきた。
そんなさなかにタイミングよく、友人からある誘いがあった。
わたしたちと同じ時期に、北海道のほぼ中央に位置する東川町に
古家つきの土地を手に入れた清水徹さん、セキユリヲさん夫婦から、
家を見に来てはどうかという連絡をもらったのだ。
東川の古家は、夫が改装している家ととてもよく似ている。
ともに築年数は50年ほどで、2階建ての三角屋根だ。
参考にできることがありそうと、8月中旬に東川を訪ねることにした。
清水さんとセキさんはともにデザイナーで、妻のセキさんとわたしは
15年以上も前から雑誌や書籍づくりの仕事を一緒にしてきた仲だ。
ずっと家族ぐるみで交友があったこともあり、今回の土地購入の件は、
わたしにとってもとてもうれしい出来事だった。
ふたりはこれまでずっと東京に住み、東京に事務所を構えてきたわけだが、
清水さんの仕事の関係で東川にたびたび通っていたことが、土地購入へとつながった。
清水さんは、〈monokraft〉という名で
家具と内装のデザインや設計などを手がけており、デザインした家具の制作を
東川にある工房〈インテリアナス〉に依頼していた。
そして、家具の発注や検品のために東川を訪ねるうちにこの地に惹かれ、
5、6年前から、土地を探し始めたという。
なかなか「これ」という土地にめぐり合うことができなかったのだが、
知人の紹介から、ようやく待望の場所を見つけることができた。

清水徹さんが主宰する〈monokraft〉のコンセプトは、人とともに老いる家具。木は傷がつきやすく、反ったり色が変わったり、常に変化し朽ちていく。この変化を味わいとして楽しめる家具をつくりたいと考えている。

現在、セキユリヲさんは育児休暇中。これまでデザイナーとして活動を続けており、彼女が2001年に立ち上げた〈サルビア〉という活動では、「古きよきをあたらしく」をテーマに、職人の手仕事を生かした生活雑貨などをつくってきた。写真は世界各地をイメージしてデザインした「旅するハンカチーフ」。(撮影:masaco)

今夏『イラストノート』(No.39)誌で「サルビア特集」が組まれた。サルビアの立ち上げ当初からつき合いがあったということで、わたしが全体の構成と主要な記事の執筆を担当させてもらった。
清水さんは、契約を済ませ土地の引き渡しを受けたあとに、
初めて家の中に入ったという。
築年数がかなり経っている家には、家財道具の一部も残っていたそうで、
これからどうリフォームをしていくのか、途方に暮れてしまったという。
季節は3月。春と言っても北海道はまだまだ雪に覆われている時期で、
窓にちらつく雪を見つめ、心細く感じたと清水さんは当時を振り返る。

改装前の物件の写真。
そんななかではあったが、6月、7月に1回ずつ、1週間ほどここを訪れ、
寝袋で家に泊まり込みながら、とにかく具体的な作業を進めていくことにした。
まず、外壁と内壁を壊して片づける作業は業者に依頼。
そして、外壁に板を張る作業も近所の大工さんに頼んだという。
予算は限られていたため、これら最低限の作業はプロに頼み、
それ以外は清水さんが友人たちとともに行うことになった。

外壁と内壁の解体中。屋根裏には机などの荷物も置かれたままになっていた。

7月には外側のモルタルと内側の壁がはがされ躯体だけの状態になった。断熱材を入れる作業などは清水さんが友人らと行った。

8月の作業の様子。床には合板を、壁には石膏ボードを張った。
8月は集中的に作業をしようと、前半に1回、中旬にもう1回
東川に清水さんは滞在した。
わたしたち家族が家を見せてもらった8月中旬には、かなりリフォームが進んでいた。
外側はあとひと息で板が張り終わる状態になっており、内部は1階部分の床に
合板が張られ、壁には石膏ボードが取りつけられた状態になっていた。
「最初は本当に途方に暮れたけれど、だんだんできていくことで
少しずつ楽しくなりつつあるんだよね」と清水さん。
このあとは、屋根部分に断熱材を入れるなどして雪に備える準備をし、
内装のベースを今年中に完了する計画だそうだ。
来年に入ったら、薪ストーブやボイラーの設置、家具の取りつけを行い、
来夏の終わりにはリフォームを終わらせたいと清水さんは考えている。

右奥から、家のリフォームを手伝いに来ていた遠藤覚さん。その隣が清水さん。8月中旬にはセキさんも合流。この日は、わたしたち家族も改装中の家に1泊させてもらった。

断熱材などの建築資材は知り合いから安く購入したり、工具を大工さんから借りたりしているそうだ。
コロカルで『美味しいアルバム』を
連載中のフォトグラファー津留崎徹花。
地域の暮らしや食、人に触れるうち、
移住したいという気持ちが高まり、夫・鎮生と移住を決意。
けれど、どこへ移住するかはまだ決まっていません。
5歳の娘を連れ、いろいろな土地を巡りながら考えたいという
津留崎家の旅がいよいよ始まります。
今回で3回目の開催となる瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)。
9月4日で夏会期は終わり、10月8日から秋会期が始まります。
今回の瀬戸芸では「食」が大きなテーマになっています。
島の生活文化を最も表すものは「食」として、
2015年6月より「瀬戸内『食』のフラム塾」を開講。
県産料理や郷土料理、食と地域との関わり方などを学んだ参加者たちが、
瀬戸芸期間中に食プロジェクトとしてさまざまなプログラムを展開しています。
そんな食プロジェクトのひとつが〈本からうまれる一皿 壺井栄と庚申の夜〉です。
名前からしてどんな料理が出てくるんだろうと興味津々でした。
「小豆島といえば『二十四の瞳』」と言われるほど有名な小説があります。
島には映画のロケ地となった〈二十四の瞳映画村〉もあり、人気の観光地です。
その小説の作者が小豆島出身の壺井栄です。

小豆島出身の壺井栄の作品。
〈本からうまれる一皿〉の料理は、壺井栄の小説の中から探し出されています。
小豆島町立図書館〈むとす館〉所属の「読書会」の皆さん12名が
『壺井栄全集』全12巻をひとり1巻ずつすべて読まれて、
「食」にまつわる記述を書き出されたそうです。
その記述をもとに、主催者である岸本等さんが島のお母さんたちや仲間と一緒に
地元の味つけにこだわってつくったお料理。
ただ当時の料理を再現するだけでなく、「今」の小豆島でつくられている
塩、そうめん、醤油、佃煮、オリーブなどを生かしてアレンジ。
そんな風にひとつひとつ本当にこだわってつくられています。

ある月の〈本からうまれる一皿〉。どれもこれもこだわってつくられたお料理。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

毎月『ヒトサラ通信』が発行されています。その月の献立が丁寧に説明されています。

多いときには200皿近く用意されるそう。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

島のお母さんたちや仲間の皆さんと一緒に料理される岸本さん。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)
このプログラムはこれがコンセプトなんだな〜と思っていたら、
もうひとつ隠れていました。タイトルにもある「庚申の夜」。
はて? 庚申? こうしん?