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移住先探しの旅は岡山へ。
心揺さぶられた
牛窓町の陶芸家夫妻の暮らし|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.002

Page 3

すべてがひと続きに
なっている暮らし

岡山に住む友人の寺園家も、私たちを激しく揺さぶってくれた人たちだ。
時間にとらわれない丁寧な暮らしをしている彼らに出会ったことで、
自分たちが進みたい方向がはっきりと見えた気がする。

寺園家を初めて訪ねたのは昨年の秋のこと。
証太さん(以降、証ちゃん)とゆうこさん(ユウ)と私は、
同じ大学に通っていた。
卒業してからふたりが結婚したことは聞いてたのだが、
どんな暮らしをしているのかは知らないまま18年が経っていた。
たまたま共通の友人から、証ちゃんが陶芸家になったこと、
その暮らし方が独特で魅力的だと聞き、ちょうど岡山に行く
用事があったので、ついでに寄らせてもらうことにした。

寺園家が住んでいるのは、岡山市から車で1時間ほど東寄りの
瀬戸内市牛窓(うしまど)町。
豊かな自然がありつつ市街地も近いというのは、
子どもを育てるうえでもとても生活しやすい環境だと思う。

寺園家は牛窓に土地を購入して、ハーフビルドという方法で自宅を建てている。
基礎や構造は業者に依頼して、内装などは自分たちで自由につくるというのが
ハーフビルド。
自分たちでつくり上げたという家の内部は、普通とは少し違っている。
それは、仕切りが極端に少ないこと。
トイレとお風呂以外は一切壁がなく、
生活スペースと仕事場もすべてがつながっている。
作陶するときはどこかにひとりこもるんだよね? と思ってしまうが、
寺園家の場合はすべてが混在している。

寺園家は「無理だからあきらめる」という思考から
遠いところにいるのだろう。自宅に隣接している登り窯は、
家族や友人で3年の歳月をかけてつくり上げたという。
立派な窯を目の前にすると、
「どうやったらこれ自分たちでつくれるの? 無理でしょ……」
とつぶやいてしまう。

もうひとつ驚いたエピソードは、次女モモちゃんを自宅出産したこと。
しかも、ユウは40才を超えていて、助産師もなしの完全家族だけ。

「無理でしょ……」

証ちゃんの工房は、ダイニングのすぐ横にあり、ピアノの隣。
そもそも、そこが工房なのか玄関先なのかダイニングの延長なのか、
区別がつかない。なんだかその、どっちにも属さない、どっちでもいいような
曖昧な雰囲気というのがとても心地よいのだと、そのとき初めて知った。

長女の空ちゃんがピアノを弾いていると、
そのすぐ隣で証ちゃんがろくろをゆっくりと回し始める。
かたわらには裸ん坊で走り回る、次女のモモちゃんと愛犬のクロ、
そして2匹の猫。子どもや動物がウロウロしているこの状況で、
私ならとても集中できない……。
けれども、証ちゃんは土に吸い寄せられるようにして、
いつの間にかその世界に入っていく。
その姿はとても印象的で、すてきすぎてうらやましい。

作陶が一段落すると、何ごともなかったように台所に立ち、
夫婦で食事の支度を始める。寺園家にとってはこの家のつくりと同様、
仕事も子育ても炊事も区別がない。
すべてがひとつ線上にあって、行ったり来たりするだけ。
それぞれが好きな時間を好きな場所で過ごしている彼らは、
象のような穏やかな動物の群れのように見えた。
無理のないその暮らし方がとても魅力的に映り、
人としてもともとのあるべき姿のようにも感じられた。

ユウがつくってくれる料理はシンプルで力強い。素材の味がダイレクトに伝わってきて、野菜とは、そもそも命なんだと感じる。

近所の方にいただいた金糸瓜をお浸しにしていただく。金糸瓜は東北や中国地方でよく食べられていて、切って茹でると、繊維が金の糸のようにほどけてくるちょっと変わった野菜。

彼らと再会して以来、これまで自分たちが
当たり前だと思い込んでいたことに違和感を感じるようになった。
わが家は、夫が会社を辞めるまではそれぞれが別の場所へ仕事にでかけ、
日中どんな様子なのかもお互いに知らず、
夜ごはんを一緒に食べるのも週の半分くらいという、
都市部ではよくある生活スタイルだった。
岡山から帰ってからのある日、夕食を子どもとふたりで食べていることが
不思議に思えた。

「なんで夫はいないんだろう、家族なのに」

寺園家と過ごしたことで確実に思考が変わり、何かが動き出したのだと思う。

昨年の再会をきっかけに、寺園家と連絡を取り合うようになった。
夫が会社を辞めた翌月の2016年7月、
証ちゃんが作品の展示会をやるというので、
再び訪ねてみることにした。