舞台芸術を中心とした芸術活動のための滞在制作
(=アーティスト・イン・レジデンス)を行う施設として、
開館以来、多くの国内外のアーティストを受け入れてきた、
兵庫県の〈城崎国際アートセンター〉。
2022年4月1日、そんな同施設に、テレワーク拠点となるスペース
〈WORKATION IN TOYOOKA @KIAC〉が誕生しました。
観光の核を「モノ」や「食」の消費から、
「豊岡のローカル」への憧れや共感へと切り替え、
来訪者が市内の人々と交流することで、まちに共感し、
あこがれや愛着を抱き、何度も訪れ、長期滞在してもらう
「コミュニティツーリズム」の実現を目指す豊岡市。
新たにできたここは、城崎温泉の「まち全体がひとつの旅館」という考えのもと、
まちぐるみで人々を迎え入れてきた経緯から、泊まる・食べる・買うに、
今回新しく「働く」を加え、新たなテレワーク拠点としてつくられました。
設計は、スキーマ建築計画が担当。
近年の急速な働き方の変化でワーケーションの需要拡大が予想される中、
城崎温泉の強みを活かし、豊岡独自のローカルを感じ、
メリハリをつけて仕事ができる環境をコンセプトに設計。

ワーキングデスク


個人客が多い城崎温泉の特徴から、独立したワーキングデスク(11台)と、
オンライン会議にも対応する空間としてワーキングルーム(個室/2室)を整備。
SNSを日常的に使う現代において
何かをつくり、発信したり、表現したりする人も少なくありません。
辞書を引いてみると、クリエイターとは「何かを創造する人」という
一説が記されています。
今回紹介するのは、
まちの特産品や特色を生かして“創造”している人たち。
あなたのまちにはどんなクリエイターがいますか?
その活動から地元を盛り上げるヒントを見つけてみてください。
岡山県浅口市の港町・寄島町で生まれ育った三宅由希子さんは
「このまちを知ってほしい」という思いから、
貝殻アクセサリーをつくっています。

ハンドメイドでアクセサリーづくりをしている三宅由希子さん。
コンセプトは「アクセサリーでまちおこし」。
近くの海岸で見つけた貝殻を砕き、レジンで固め、
色とりどりのアクセサリーに仕上げていきます。
なかには、寄島の特産品の牡蠣の貝殻からつくられるものも。

こちらは牡蠣貝殻の紫色の部分を手作業で選別し、色つきのレジン液と混ぜて制作しているもの。
天文関連施設が多くあることから
「天文のまち あさくち」と呼ばれている浅口市。
アクセサリーの名前はまちの特色を反映し、
〈星のかけら〉になりました。

「うちの店でも販売したい」「こんなアクセサリーはつくれる?」と、
星のようにきらめく貝殻アクセサリーの輪が広がってきています。
photo & text

こばん
大阪府出身。〈カブ〉で旅するフォトライター。全国各地を愛車と旅する様子をインスタグラムに投稿するのが趣味。フォトジェニックな「星と海のまちあさくち」に一目惚れし、2017年5月、岡山県浅口市地域おこし協力隊に着任。浅口の魅力を取材し、紙面やWEB、SNSで発信中。
愛媛県の南予と呼ばれるエリアで、2022年4月24日から12月25日まで
「えひめ南予きずな博(以下、きずな博)」が開催されている。
2018年7月の豪雨災害からの復興と、
新型コロナウイルス拡大以降の働き方の変化の受け皿を目指すことを趣旨とした
プロジェクトだ。
南予とは、県の西南部に位置する、宇和島市、八幡浜市、大洲市、西予市、
内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町の、合わせて9つの市町の総称。
愛媛県内の一部地域とひと括りにできないほど、
山や森、海の雰囲気も、特産品として販売されている食べ物も、
それぞれ異なるのが見どころのひとつ。
地域おこし協力隊のメンバーなどが体験プログラムに関わっていることもあり、
通常の旅行では味わえないほど深くまちを知ることができるのが特徴だ。

たわわに実る愛南ゴールド。
「きずな博」の目玉のひとつが、「南予暮らし体感ツアー」だ。
南予で活躍する地域おこし協力隊の暮らしや仕事に密着し、
その地域に暮らす人びとのコミュニティに入り、
お互いに関わりながら楽しく暮らす様子を体験できるツアーを実施する。
まずは第1弾で八幡浜市、西予市、伊方町へ。
第2弾では、鬼北町、松野町エリアへ。
そして、第3弾では、宇和島市、愛南町エリアの体験ツアーが予定される。
このうち、第3弾の愛南町のツアーアテンドを担当している
地域おこし協力隊の関根麻里さんは、東京生まれ東京育ち。
東日本大震災のボランティアを経験してから「田舎暮らし」を志すようになり、
移住先を探すなかで、愛南町に出合った。
縁もゆかりもないまちにもかかわらず、
見ず知らずのおじいちゃんおばあちゃんがよくしてくれたことから、
人のあたたかさを感じ、この地に移住することに決めたという。
「愛媛のなかでも海の近くに住みたい、と言うと、愛南町がいいと勧められました。
移住するまでに3回訪れたのですが、毎回新しい発見があって。
もともと、飲食関係の仕事に就きたいと思っていたのですが、
地域おこし協力隊の業務のなかで、特産品のPRや開発もできて食に関われる、
とわかったのが決め手のひとつです」
地元の人たちからは、季節が違うと見える景色も作物も違うから、
焦らず、回数を重ねて実際に暮らす環境を見てからの移住でもいいのではないか、
と言われたそうだ。
「最初に来たときはゴールデンウィークが終わった頃。
漁協の水揚げに連れて行ってもらったのですが、とにかくサバが大量に獲れる時期で。
1トン2トンなんてレベルじゃないんです。
船の上でサバが溢れかえっている光景に衝撃を受けました。
まちなかには柑橘の花が咲いていて、歩いているだけでもいい香りが漂ってきて、
愛媛らしさを感じられたことを覚えています」

サバ以外にもカツオもとれます。愛南町はカツオの水揚げが四国NO.1!
2度目の訪問は冬。
1度目が海だったこともあり、山の暮らしを見ることに。
そこではジビエの解体なども見る機会があり、
「海だけでない」という感覚があったとのこと。
3度目には観光はほとんどせず、地元の飲み屋で出会った町内の人と飲みに行くなど、
早速地域に溶け込んでいったようだ。
淡路島の西海岸に、人の流れが生まれている。
〈GARB COSTA ORANGE〉というレストランがオープンし、
「ガーブコスタオレンジ前」というバス停もできた。
周辺には〈KAMOME SLOW HOTEL〉〈LONG〉〈中華そば いのうえ〉
〈しまのねこ〉〈酒場ニューライト〉など、飲食店やホテルが続々とオープン。
関西や徳島などからも客が訪れるエリアになっている。
これらを仕かけているのが、全国に飲食店などを展開する〈バルニバービ〉だ。
そしてバルニバービのあらたな事業として、
廃校をリノベーションした複合スペース〈SAKIA〉が生まれた。
飲食店のほか、こども図書館、コワーキングスペースを備え、
施設内の至るところに現代アートが飾られている。

SAKIAの入り口からは、元小学校だったことがわかる。
これらはすべて徒歩圏内にあり、さながら新しいまちができあがったようだ。
バルニバービが、「Frogs FARM ATMOSPHERE」という
地方創再生プロジェクトをはじめ、
淡路島の西浦エリアで活動している理由を、佐藤裕久会長に聞いた。

バルニバービの佐藤裕久会長。教室の面影が残る会議室から。
2022年7月から、〈秋田市文化創造館〉で
月1回の料理教室〈うましき台所帖〉が始まります。
教室で学ぶことができるのは、料理の手順やコツだけではなく、
秋田での暮らしの魅力。
講師が土地の風土や気候に向き合いながら身につけてきた
知恵や技術を、料理をつくりながら感じとっていきます。
月ごとに講師が変わり、テーマもさまざま。
第1回は、秋田に伝わる「寒天」の文化を学びます。

秋田県の一部の地域には、
一般的にイメージできるフルーツや牛乳のみならず、
サラダやシイタケ、卵など、
「なんでも寒天で固めてしまう」といわれるほどの寒天文化が根付いています。
講師は、寒天づくりを始めて60年以上という美郷町在住の照井律さん。
寒天料理のレパートリーは400種類にのぼるのだとか。
照井さんと寒天をつくりながら、秋田での暮らしや生きるヒントを学んでいきます。

第1回の講師の照井律さん。今まで寒天料理を教えた生徒は2万人を超えるそう。
僕が監事として末席に名を連ねさせてもらっている
〈薩摩リーダーシップフォーラムSELF〉という団体が鹿児島にあります。
鹿児島でいろいろな活動をしている若い経営者や団体のリーダーの集まりです。
この団体が始まるきっかけの“ひとつ”は
僕があるとき、無責任に言い放ったちょっとした言葉でした。
「明治維新を、それを成した人物を輩出したこの薩摩から前向きに手放しましょう!」
そんな思いを、維新150年を盛り上げようと集まった、
地元の偉い人の前でわーっと口走った(口走ってしまった)。

〈薩摩リーダーシップフォーラムSELF〉のウェブサイトより。
もちろん思いつきで言ったのではなく、いきさつはこうです。
2018年は、明治維新150周年という節目の年でした
(※どの時点で明治維新元年とするかは諸説ある)。
鹿児島は大河ドラマ『西郷どん』も決まり、
ここぞとばかりに維新バンザ〜イ! みたいな感じ。

西郷さんの銅像。
でも東京と鹿児島を行き来していた僕は、
鹿児島のその雰囲気に違和感を感じていました。
東京やほかの県で明治維新を祝うって感覚はほとんどない。
勝てば官軍で、明治維新150年なんて言ってるのは、日本でも一部。
福島では戊辰(戦争)150年と呼んでいます。
そりゃそうです。
明治維新を牽引したのは「薩長土肥」(薩摩、長州、土佐、肥前)。
明治維新以降、
内閣総理大臣はやっと大正時代になって19代目の原敬が出てくるまで
ほぼ山口と鹿児島(薩長)が牛耳っていて、
それは今でも通奏低音のように続いています。
維新を世界史的にもまれな“無血革命”だという説もありますが、
実際には同じ日本人同士が血で血を洗う戦いを行った。
21世紀のいまになっても、
長州(山口)や薩摩(鹿児島)に良くない思いを持っている人がゼロではない。
そのことを“旧薩長土肥”の人たちはほとんど知らないか、
見ないことにしているんじゃないだろうか。
「春に小豆島で食料品店をオープンする予定なんです」
と、素敵な女性がうちのカフェにやってきてくれたのは冬のこと。
あれから数か月、彼女の言葉通り、2022年6月18日に小豆島に新しいお店ができました。
〈クマ グローサリー〉という名前の小さな食料品店です。

2022年6月18日にオープンした食料品店〈クマ グローサリー〉。

〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉のシロップ・ドレッシングも並んでいます。
お店をオープンされたのは、奈良から引っ越してこられた
三浦隆洋さん・奈苗さんご夫妻。
笑顔が素敵すぎる、爽やかなおふたりです。
隆洋さんのお父さんのご実家は小豆島。
お店を開くにあたって、ほかの土地もいろいろ見に行かれたそうですが、
どこもしっくりこず。
そういえば小豆島はどうだろうと訪れてみると、ここがいい! と感じたそう。
適度に大きくて、人もいる。田舎すぎないけど、海も山もある島。
小豆島でお店を開こう。
- 元は美容院だった古い民家を自分たちの手で改装してお店に。
- 食料品などのセレクトショップで働いていた経験があるおふたりのディスプレイはさすがです!
〈クマ グローサリー〉は、土庄(とのしょう)町の中心エリアにある
オリーブ通りにオープンしました。
島のなかで1番都会なエリアです。夜も明るい(笑)。
買い出しなどで島の人たちがよく通る道なので、お店がオープンする前から
「あそこ工事してたよ。お店ができるみたいだよ」と噂になっていました。
さて、まず気になるのはお店の名前。
クマ? 動物のクマ?
ではなくて、素敵な意味が込められています。
お店のwebサイトにはこんなふうに書かれています。
“COOMYAH”とはある国の言葉で
「こっちへおいでよ」という意味です。
現地での正しい発音は資料に乏しく実はわからないのですが、
私たちは勝手に「クマ」と発音しています。
大好きなアメリカのミュージシャンが歌う曲のタイトルから名づけました。
Come here!
ウェルカムな感じがふたりにぴったりなお店の名前。

クマさんって覚えやすい。
それと、「クマ」という名前にしたのは、
“こっちへおいでよ”という気持ちと、シンプルですぐ覚えてもらえる響きだからだそう。
たしかにクマさんって覚えやすくて親しみやすくて呼びやすい。いい名前。
北海道函館市で設計事務所を営みながら、施工や不動産賃貸、店舗経営など、
幅広い手法で地域に関わる、〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。
今回お届けするのは、〈函館ドック外人住宅〉として建てられ、
その後フランス料理の名店として使われていた建物を引き継いだ
映画監督が、菜園つきのカフェへとリノベーションしたお話です。
前回お届けした〈港の庵〉の見学会にて、
函館に暮らす映画監督の大西功一(おおにし こういち)さんとの出会いがありました。
沖縄県宮古諸島の古代の歌を描いた『スケッチ・オブ・ミャーク』など、
失われゆく原風景を作品に残している映画監督です。
見学会での出会いを経てまもなく「外国人住宅を引き継いだ」と連絡をいただき、
2014年末に内見にうかがうことになりました。
外国人住宅があるのは、時任町(ときとうちょう)。
旧市街西部地区から車で15分ほどの場所で、
近代に西欧文化が取り入れられた住宅街です。
明治10年から函館支庁長になった時任為基(ときとう ためもと)が
このエリアで洋式の模範牧場となる〈時任牧場〉を営んだことを由来に
時任町と名づけられました。
アメリカ人宣教師が西部地区の元町に開校した〈遺愛学院(いあいがくいん)〉が
明治41年頃に移転してきたほか、
当時郊外だったこの地域は“文化村”と呼ばれ、
函館の発展に合わせて大正期に電気が引かれるなど、
函館市東部の住宅地開発において重要な役割を果たした地域です。
外国人住宅はちょうど遺愛学院の裏側に位置します。
- 〈旧函館ドック外人住宅〉の向かいにある遺愛女子中学校・高等学校内にある〈遺愛学院旧宣教師館〉(通称ホワイトハウス)。1908年に建築家のジェームズ・マクドナルド・ガーディナーによって建てられ、2001年に国の重要文化財に指定された。
- 遺愛の向かいには1902年に建てられた〈函館YWCA〉がある。筆者もリノベに関わり、2017年には国の登録有形文化財に指定された。
温暖なイメージのある四国のなかでも、
年間平均気温が17度前後とさらに温暖な愛媛県南予地方。
県の西南部に位置する、宇和島市、八幡浜市、大洲市、西予市、
内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町の、合わせて9つの市町の総称だ。
愛媛県の3分の1の面積を占める広大な南予地方だが、
特徴はひとくくりにできるものではなく、
海も山も里も、それぞれの魅力が市町ごとに際立っている。
まずは、北部のまち内子町。
築100年以上の古民家などが軒を連ねる町並みも見どころのひとつだ。
白壁の豪商屋敷や、重要文化財に指定された芝居小屋〈内子座〉など、
当時の生活の気配が色濃く残っている。
山と川のめぐみを味わえる小田地区や、野菜収穫の体験ができる御祓(みそぎ)地区など、
多様な豊かさを味わえるのが特徴だ。

内子町の町並み。
大洲市は城下町として、伊予の小京都と呼ばれる伝統あるエリア。
真珠や真鯛の養殖で日本一という宇和島市では、海の幸も楽しみたい。
伊方町は四国の最西端。
佐田岬半島でしか見ることのできない、海に囲まれた景色も堪能できる。
自然と共存するために石垣で積み上げられた小さな集落の風景が残るのは愛南町。
清流に囲まれた山出温泉も南予を楽しむスポットとして欠かせない。

内子町の景観。
この南予で2022年4月24日から12月25日まで
「えひめ南予きずな博(以下、きずな博)」が開催されている。
2018年7月の豪雨災害からの復興と、
新型コロナウイルス拡大以降の
働き方の変化の受け皿を目指すことを趣旨としたプロジェクトで、
南予で感じられる豊かさ、そしてあたたかさを体験できるツアーやアクティビティを
展開している。


〈COWORKING-HUB nanyo sign(南予サイン)〉はコワーキングスペースだけでなく移住相談窓口も設けている。
〈tohokuru〉で販売中のポーチ
岩手県盛岡市名須川町。
「岩手」の名前の由来になった伝説の残る〈三ツ石神社〉のそばに、
戦後から女性だけでホームスパン製品をつくり続けてきた
〈みちのくあかね会〉の社屋があります。

社屋の外観。 写真:まちの編集室
木造平屋の建物は、築80年以上の病院施設だった建物。
第二次世界大戦で未亡人となった女性の自立支援のため、
当時の市会議員横田チエ(岩手県初の女性議員)などが中心となり発足した
「婦人共同作業所」を前身に、
同所が製造するホームスパン製品を販売する会社として
〈みちのくあかね会〉は設立されました。
以来60年にわたって、ホームスパン製品をつくり続けています。

「家で紡ぐ」を意味するホームスパンは、羊毛を手で紡ぎ、
手織りして生み出す製品のこと。
明治期に軍服や公務員の制服などへの需要から国策として国が生産を奨励し、
岩手県では約100年に渡り、その技術が受け継がれてきました。

糸を手で紡ぎ、手織りする紡織室。

機(はた)にかけられた経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を織り込んでいきます。

原毛を染め、毛の繊維を揃えてから手紡ぎをします。

ホームスパンのマフラー。手紡ぎ糸を手織りするため、空気を含み、やわらかくふんわりとしています。
最高に天気のいい初夏の日曜日、
小豆島で『内海湾をSUPでいっぱいに』というイベントが開催されました。
内海湾(うちのみわん)は、小豆島の南東にある、
ふたつの半島に囲まれたとても穏やかな湾です。
ぐるりと陸で囲まれているので、風がない日は水面が鏡みたいで、静かな湖のよう。
この湾のなかに「オリーブビーチ」という海水浴場があり、
穏やかな海と白い砂浜が人気で、夏になるとたくさんの人たちで賑わっています。
今回のイベントはそのオリーブビーチで行われました。

上空から見るオリーブビーチ。(写真提供:cubic_tt)

観光スポット「オリーブ公園」のすぐそばにあるオリーブビーチは、アクセスしやすく人気の海水浴場。
SUP(サップ)というのは、
「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」の略で、
ボードの上に立ってパドルを漕いで、海・川・湖などの水面を進んでいく
アウトドアアクティビティ。
スーイスーイと海の上を進んでいけるのがとても気持ちいい、
子どもも大人も気軽に楽しめる遊びです。
今回イベントを企画したのは、小豆島の小部オートキャンプ場を拠点に活動する
〈シマアソビ〉の大川大地くん。
小豆島出身の大地くんは2014年に島にUターンし、
キャンプ場の運営、SUPインストラクターとしての活動などをしています。

今回のイベントの企画者、大川大地くん。写真中央でSUPレースを中継しています。

今回のイベントのためにつくられたチームユニフォーム。(写真提供:大川大地)
小豆島をSUPの島にしたい!
それを実現するための第一歩として、島中のSUPボードを集めて、
島中のSUP好きの人を集めて、もちろん島の外からも人を呼んで、
内海湾をSUPで埋め尽くそうというのが今回の企画。

島のあちこちから運び込まれたSUPボードがオリーブビーチに並びます。
当日の朝、オリーブビーチには80艇ほどのボードがずらり。
今、小豆島にあるレンタルボード、個人が所有しているマイボード
すべてが集まったんじゃないかなと(笑)。
ライフジャケットを着て、乗り方や漕ぎ方のレクチャーを受けて、いざ海へ!
みんなで一斉に漕ぎ出しました。

浜から一斉に海へ。ボードに乗ってパドルを漕いで。(写真提供:cubic_tt)

海の上で1列になって撮影。1列になるのはほんと大変でした(笑)。(写真提供:cubic_tt)
80艇ほどのボードが集まった内海湾のその光景は、
すでに小豆島はSUPの島だ! と思わせてくれるものでした。
純粋にみんな小豆島の海を楽しんでいる感じがとてもよかった。
あ、もちろん私もそのなかのひとりとして海に浮いています!
5月の海水は少しひんやりしていましたが、この日は最高気温30度ほど。
最高のSUP日和でしたね。

オリーブビーチにある海の家からの眺め。海からの風が気持ちいい。

海の家で食べられるアイランドバーガー。海で遊んで大迫力のバーガーを食べるのは最高です!
撮影:佐々木育弥
昨年から旧美流渡(みると)中学校の校舎を生かして、
さまざまな取り組みをスタートさせた。
春には『みる・とーぶ展』と『みんなとMAYA MAXX展』を行い、
4月から10月まで月1回ペースで開催する連続ワークショップも立ち上げた。
アフリカ太鼓や日本舞踊など、地域の仲間が講師となった教室がいくつかあり、
今回はそのなかで、万字(まんじ)地区で〈麻の実堂〉という名で
ハーブティーブレンドの販売を手がける
笠原麻実さんが開いているワークショップについて書いてみたい。
タイトルは『魔女のお茶会』。
校舎の花壇でハーブを育て、毎回季節に応じたハーブティーを飲むというもの。

笠原麻実さん。校舎のある美流渡地区から山間へと車を走らせると万字地区があり、ここで夫の将広さんと息子さんと暮らしている。(撮影:佐々木育弥)
「“魔女”は特別なものではなくて、身近なお母さんのようなそんな存在です」
お茶会に“魔女”とつけた麻実さんは、そう語る。
魔女の歴史を紐解けば、自然界にあるものを生かして
病気や怪我の治療にあたっていた存在だ。
それは子どもが風邪を引いたら梅干し番茶を入れたり、
怪我をすれば傷口に手を当てたり。
親が子どもに行ってきたケアに近い感覚といえるのかもしれない。
さまざまな効能のあるハーブを暮らしに取り入れて、
日々健やかに生きていく力にできればと麻実さんは考えている。

2回目のワークショップ。校舎の花壇にスペアミントを植える。「この環境で無理なく育つ、生命力の強いハーブを選んでいます」。
ワークショップは全7回。これまで2回が開催された。
朝晩の気温が低くてもすくすく育つ、スペアミントやタイム、
ミツバやアサツキなどの苗を麻実さんは用意。
参加者と一緒に花壇に植えていった。
1時間ほど汗をかいたら、そのあとにお茶会。
2回目となった5月14日は「Green witch’s tea time」と題し、
できたてホヤホヤのホーステイル&バンブーのブレンドティーが振る舞われた。

ホーステイルとバンブーをブレンドしたお茶。
2018年に発足した〈リバーバンク〉は、
地域の人と地域外の人が関わるコミュニティづくりを活動の軸としてきました。
〈リバーバンク森の学校〉では、
コロナ禍でも夏には子どもたちのサマーキャンプを開催したり、
〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉も規模を縮小し参加者を絞って開催。
こうしたイベントを中心に、
森の学校を大事に感じてくれる人たちの会員制度を募ってキャンプ利用をしたりと、
静かな環境を守りながら活動しています。

制限した人数で静かに盛り上がるグッドネイバーズ・ジャンボリー。
同時にリバーバンクのメンバーであるジェフリー・アイリッシュさんを中心に
周辺の空き古民家を洗い出し、大家さんとの交渉を経て6軒の家を改修。
それ以外にも空き家の紹介などを通じて
27名の人たちが地域外から移住して来てくれました。

ジェフリーさんがこだわって改修した空き家。
移住してきた人たちは、シェフやデザイナー、陶芸家やモデルなど職業はさまざまですが
主にクリエイティブ・クラスと呼ばれるようなタイプの若い世代の人たち。
人口はだいたい周辺地域で1200名強(600世帯)なので、2%強の増加です。
年間平均で20軒近くの空き家が出る地域に6世帯が増え、
こうした人たちが森の学校周辺の地域に暮らすようになったというのは
大きなインパクトがあります。
このような活動を続けているうちに、
僕らリバーバンクに新しいプロジェクトの話が出てきました。
それは、小さな川辺町(かわなべちょう)のなかでも
さらに小さな高田地区というエリアでの活動だったところから、
川辺の中心街でのプロジェクトでした。

空き店舗も目立つようになってきた中心商店街。
川辺町が属している南九州市の地方創生のための総合戦略のなかに
「サテライトオフィス」をつくって企業誘致をするという項目があり、
なんとかこれを実現しなければいけない。しかし、具体的にどうしたものか……。
市のほうでも悩んでいるという相談がありました。
ただサテライトオフィスをつくるといっても漠然とし過ぎています。
鹿児島市から車で約1時間かかる山あいのまちに、どういうものが必要なのか。
そもそもサテライトオフィスってなんなのか。
役所の人たちと話をするなかで、
サテライトオフィスとコワーキングオフィスという言葉も入れ混じったりしていたので、
まずはいろいろとリサーチをして、言葉の定義を確認するところから始めました。
クリエイティブ事務所〈homesickdesign(ホームシックデザイン)〉による
『ほどく! homesickdesign展』が、岩手県・盛岡市の〈Cyg art gallery〉で開催中です。
2006年、代表の清水真介さんがhomesickdesignの屋号で活動をスタートし、
2017年に合同会社化。盛岡市を拠点にショップカードやパッケージデザイン、
施設のブランディングなど、数々の仕事を手がけてきました。
「ほどく!」と題された今回の展覧会では、成果物のみならず、
お目見えするまでの「つくられていく過程」が公開されているのが見どころ。
数あるクライアントワークのなかから10の事例を取り上げ、
発表・発売に至るまでのスケジュール、プレゼン資料やラフ案などが紹介されています。

実際にまち中で掲示されたポスターや販売された商品とともに、各事例の課題、成果物に至った解決のためのポイントなどが整理されて展示されています。

実際のクライアントへの提案資料の一部も展示。
展覧会は、デザインの仕事に携わる人や、デザインを学んでいる人はもちろん、
デザインのことはよくわからないという人にも楽しんでもらいたいと考えられた構成。
今、homesickdesignが考える、「デザイン」「アートディレクション」
「クリエイティブディレクション」「ブランディング」など、
現場で使われている言葉の意味を説明するコーナーも設けられています。

岩手県陸前高田市で栽培されている〈三陸ジンジャー〉を広めようと、盛岡市の生姜町で開催された〈盛岡しょうが市〉の事例。認知度が低いイベントであることや、低予算という課題から、ポスターとフライヤーの機能を兼用する広報ツールが誕生しました。
課題やデザインのポイントを公開することで、なぜこの成果物が生まれたのか、
ふだん何気なく目にしているものに理由や意図があることに気がつかされる展示。
「ビジネスを考えるときのヒントにもなると思うんです」
と話すのは代表の清水さん。
「視覚的に伝えたり、整理するというデザインの視点は、
どんなことにも必要なことだと思っています。
つくられていく過程をみんなと共有して、社会をよくしていきたい。
そんな思いもあって、今回の企画に踏み切りました。
公開することで、私たちももっと成長していきたいと思っています」

森林経営・果樹生産・酪農・不動産賃貸などを行う〈三田農林株式会社〉へ提案したロゴラフ案の一例。メインで使用される場所によって、提案する形状も変わるというロゴ。どのような理由で案が考えられ、最終的にどんなロゴになったのか、製作の過程が垣間見えます。

「枠にとらわれないデザイン」というクライアントの要望や、事業に共通する「木」のイメージから考えられた〈三田農林株式会社〉のリンゴジュースのパッケージ案の一部。採用されなかったいくつものアイデアが公開されています。
「わらしゃんど」とは、岩手の言葉で「子どもたち」を意味します。
「子どもたちに、楽しみながら岩手を知ってもらい、
自分の住むまちを好きになってほしい」
そんな思いをもったクリエイターが集まり、
自主的に結成されたのが、〈チームわらしゃんど〉です。
岩手県の全33市町村の名所や名物を、
子どもの心をもった妖精わらしゃんどとしてキャラクター化し、
彼らが住む世界〈わらしゃんらんど〉を生み出しました。

チームわらしゃんどでは、
これまで、わらしゃんどが自分のまちを紹介するクイズ映像や、
「岩手」の名の由来になった鬼の伝説をアニメーションにした
「いわてものがたり」などをウェブサイトで公開。
映像をまとめたDVD を、
県内の認定こども園・保育所・児童養護施設などに届ける活動を行ってきました。
このわらしゃんらんどから、新たに誕生したのが、トランプ。
「オンラインゲームやYouTubeではない、
人と直に触れ合うアナログな遊びを通じて岩手を知ってもらいたい」と開発されました。

(左から)「擬宝珠」、「石割桜」、「南部鉄器」、「わんこそば」のわらしゃんどが描かれたトランプカード。
トランプには、岩手と言えば思い浮かべる人も多いであろう
「わんこそば」や「南部鉄器」、盛岡を代表する風景のひとつ「石割桜」や
中津川に架かる橋の「擬宝珠(ぎぼし)」をはじめ、
各まちの特産品や芸能などからアイデアを得たわらしゃんどが描かれ、
「んだなはん(そうだよね)」、「はかはかする(ドキドキする)」など、
キャラクターごとに違う方言が添えられています。

岩手県一高い「岩手山(いわてさん)」をモチーフにしたお相撲さんの〈いわてやま〉や、NHKの朝ドラ『あまちゃん』にも登場した「三陸鉄道」の形をした〈てっさん〉、大槌町の伝統芸能「虎舞(とらまい)」から着想を得た〈とーら〉もいます。
北海道函館市で設計事務所を営みながら、施工や不動産賃貸、店舗経営など、
幅広い手法で地域に関わる、〈富樫雅行建築設計事務所〉富樫雅行さんの連載です。
今回のテーマは、解体の危機にあった明治の米穀海産物委託問屋〈旧松橋商店〉。
1枚の古写真を手がかりに市民有志の手でリノベーションして復元し、
この場所を基点にスペインのバスク地方に伝わる美食倶楽部
「ソシエダ」が函館に誕生したお話をお届けします。
前回の〈常盤坂の家〉のリノベを2年半もかけてコツコツやっていると、
いろいろな人が訪ねてきてくれました。
そのなかのひとりが西部地区で生まれ育ち、お土産屋さんを営みながら、
函館の外国人居留地を研究する清水憲朔(しみず けんさく)さん。
「常盤坂を下ってすぐのご近所に、もうすぐ壊されてしまいそうな建物があり、
一度見てほしい」と相談を受け、2013年の夏、見に行くことになりました。

新島襄の石碑と緑の島を結ぶ新島橋。木立の上から見えているのは、2018年に函館出身のGLAYが5万人を動員した野外ライブのセット。
その建物は、函館港に突き出た「緑の島」への入口前にありました。
「緑の島」の橋の横には同志社の創立者である新島襄(にいじま じょう)が
ここからアメリカに密出国した記念碑があります。
周りはヨットハーバーになっていて、地元の釣り人がいたり、
花火大会があったり、屋外イベントなどにも親しまれるエリアです。
- 青いトタン屋根が旧松橋商店のビフォー。
- 建物の側面。手前に店蔵、その奥に木造の建物、さらに奥に蔵(左奥の赤い屋根)と、3つの建物が連なっている。
- 2階応接間からの眺め。橋の向こうが「緑の島」。
最近まで倉庫と事務所として使われていたそうで、どこにでもあるような外観の建物。
研究熱心な清水さんも元は何の建物だったかわからなかったようで、
「ひとまず解体は待ってほしい」と東京にいる所有者から借り受け、
私のところに建物の調査依頼がきたという流れでした。
中に入ると、幅約9メートルの空間を支える大きな梁に圧倒されました。
彫刻が施された階段を上がると、立派な床の間のある広間があります。
1階の奥には蔵前戸があり、ここが店蔵だったことがわかりました。

1階の奥に抜けると大きく重厚な観音扉の蔵前戸がある。この横だけ1枚積みのレンガが現れていた。
玄関を見返すと、ドリス式の鋳鉄の柱が大きな梁を支えていました。
この店蔵を抜けると通り土間が続き、木造2階建ての家屋と、
さらに奥には土蔵が残っていました。
私もこの建物が何だったのか、ますます知りたくなりました。
- 事務所の玄関を入って現れるカツラの木の大梁と、総ケヤキ造りの階段。左の扉の裏に蔵前戸がある。
- 玄関方向の見返し。真ん中に鋳鉄の柱が見える。
5月3日、新緑が美しいこの日に毎年開催されてきた
小豆島の伝統行事『肥土山(ひとやま)農村歌舞伎』。
その歴史は300年以上、江戸時代から続いています。

2018年の肥土山農村歌舞伎。舞台前の桟敷にはたくさんのお客さんが歌舞伎を楽しみながらお弁当を食べたりビールを飲んだり。
そもそも農村歌舞伎ってなんでしょう?
江戸時代中期、小豆島の人たちの楽しみのひとつが歌舞伎を観ることでした。
今の私たちが映画やドラマ、音楽を楽しむのと同じですね。
当時、島の人たちは一生に一度、お伊勢参りをするのが夢で、
その道中、上方(今の大阪あたり)に立ち寄って、
歌舞伎などの芸能を観るのが楽しみだったそうです。
島に帰っても、その楽しかった歌舞伎のことが忘れられず、
上方の歌舞伎役者を島に呼んで歌舞伎を楽しんでいたそう。
現代でいうと、ミュージシャンを島に呼んで
ライブしてもらっているみたいですね(笑)。
そのうち観るだけじゃなくて、自分たちでも歌舞伎を演ずるようになりました。
毎回、遠方から歌舞伎役者を招くのは大変だったでしょうからね。
江戸時代の農村で暮らす人たちが演じた歌舞伎、
それが『農村歌舞伎』の始まりです。

歌舞伎を演ずるのは地元の人たち。化粧や衣装、舞台の準備などもすべて地元の人たちの手でつくりあげます。
その当時、肥土山集落では、農業用の水不足を解消するために、
集落から3キロメートル離れた山の上に大きなため池の工事を行っていました。
それはそれは大変な工事だったと思います。
工事開始から3年、1686年に「蛙子池(かえるごいけ)」として完成し、
その水が〈肥土山離宮八幡神社〉の横に流れてきたのを喜び、
境内に仮小屋を建てて盛大に歌舞伎を開催したそう。
その後、毎年開催されるようになったのが、現在も続く『肥土山農村歌舞伎』です。

〈肥土山離宮八幡神社〉の境内に歌舞伎舞台があります。

歌舞伎舞台の周囲は美しい田園。蛙子池の水を使っています。
ちなみに最盛期の明治・大正時代には、小豆島全体で歌舞伎舞台が30以上、
役者が約600人もいたといわれています。
現在は、肥土山農村歌舞伎舞台と中山農村歌舞伎舞台のふたつが残るのみ。
そのふたつの舞台では、今も農村歌舞伎が毎年開催されています。
私たちは、その残っている舞台のひとつ、
肥土山農村歌舞伎舞台がある肥土山という集落で暮らしていて、農業をしています。
300年前とスタイルは大きく違えど、今も蛙子池から流れてきている水を使って
農業をしていて、私たちも農村歌舞伎の役者として参加したり、
裏方仕事を手伝ったりしています。
歴史は続いているんだなぁ。

2019年、いろは(娘)が小学6年生の時、子ども歌舞伎の役者として(写真左)。
ひとことにお祝いごとといってもその内容は各地で異なります。
出産や長寿のお祝い、引っ越しや結婚など
みなさんはハレの日やちょっとしたお祝いのとき、
何かしていることはありますか?
今回は「お祝いごと」からまちの文化を探るべく
全国のみなさんに何をしているか聞いてみました。
普段何気なく行っているお祝いも、
実は伝統的なまちの風景だったようです。
秋田県にかほ市では、
お祝いごとがあると絵を贈り合うという文化があります。
誰かが引っ越ししたり、結婚したり、
退職したりするときに絵をプレゼントするんだそうです。
こちらの絵は、池田修三さんというにかほ市出身の木版画家さんのもの。
多色刷りという技法で描かれた色彩豊かな絵は、
子どもや、動物、花などのモチーフが描かれたものが多く、
印象的なものばかり。

市内のお店に飾られた『赤いりんご』。
市内のお店やお宅にお邪魔すると、
池田修三さんの絵が飾られているところが多く、
「子どもが生まれたときにもらったものだよ」
「夫が退職したときにいただいてね」などと、
絵にまつわる当時のエピソードを話してくださるんです。
私も、にかほ市に引っ越してしばらくした頃に
池田修三さんの絵をいただきました。

この絵を贈るという文化が
池田修三さんの木版画に彩られた、まちの風景をつくり出しています。
photo & text

國重咲季 くにしげ・さき
京都府出身。秋田県の大学に進学したことを機に、東北各地の1次産業の現場を訪ねるようになる。卒業後は企業に勤めて東京で暮らした後、にかほ市で閉校になった小学校の利活用事業「にかほのほかに」に携わるべく秋田にAターン。地域で受け継がれてきた暮らしを学び、自給力を高めることが日々の目標。夢は食べものとエネルギーの自給自足。
〈株式会社ケン・リース〉は、2022年4月6日に
広島産の新鮮野菜や果物を手軽に購入できるECサイト
〈FROM EATSオンラインストア〉をオープンしました。
なかでも注目したいのが、〈広島ひみつ野菜〉の定期便です。
その時期に旬の農産物が5〜6種詰め合わせになったセットで、
月1回コース、または隔週コースから選べます。

広島ひみつ野菜セット 1980円
広島県といえば柑橘類のイメージが強いですが、
実はさまざまな野菜の栽培が盛んに行われている地域です。
温暖な気候である瀬戸内島しょ部や、積雪量の多い県北部など、
それぞれの自然環境を生かして多種多様な野菜が育まれています。
例えば、春に有名なのはやわらかく旨みの強いアスパラやエンドウ。
朝晩の気温がぐっと下がる秋には甘みを蓄えた根菜類やキャベツなど
1年を通しておいしい野菜がたくさん採れるところなんです。

何より広島ひみつ野菜の特徴は
“新鮮でちょっと珍しい農産物”をコンセプトにしている点。
「しまなみリーフ」や「紅芯大根(こうしんだいこん)」、「スイスチャード」など、
スーパーでは見かける頻度の少ない、レアな農産物を詰め合わせています。
特に今は、瀬戸内海にある倉橋島で採れるフルーツトマトがおいしい季節です。
水を極力与えない栽培方法により、トマトの甘みがぎゅっと凝縮され、
なんと糖度は約10度にも及ぶそう!
一度食べるとやみつきになると話題なんです。
定期便には生産者や地元の飲食店シェフが考えたレシピもついてくるので、
はじめてお目にかかる野菜でもおいしく食べられますよ。
福岡県八女市に拠点を置く、〈地域文化商社 うなぎの寝床〉。
久留米絣の〈MONPE〉など、福岡や九州を中心とした商品を扱ううなぎの寝床が、
創業10年の節目に新たな企画を立ち上げました。
それは「地域文化って何だろう?研究会」。
4月25日にオープンした
〈うなぎの寝床 ららぽーと福岡店〉と、
〈うなぎの寝床 旧寺崎邸〉でこれから1年を通して
「地域文化って何だろう?研究会」が始まります。

第1回目は、「九州ってどんなところ?」と題したプロローグを。以降「木」「土」「石」「竹」「ゴム」「わた」「染」「織」「紙」「鋳」「茶」「食」をテーマに展開する。
私たちが「地域文化」と聞いて思い浮かべるもの。
それは、歴史ある街並みであったり
自然豊かな風景、郷土料理、地域の季節のお祭り、
伝統工芸や地域独自のコミュニケーション、方言など、
思い浮かぶものは百人百様ではないでしょうか。
これまで地域の伝統産業と深く関わり、
つくりてやものを通してその文化や魅力を発信し続けてきた、うなぎの寝床。
大きな研究テーマを「地域文化って何だろう?」として、
毎月考える視点や切り口を変えて、12回の催しが行われます。
今回立ち上がった研究会と、
ららぽーと福岡にオープンした新店舗について、
うなぎの寝床の代表・白水高広さんにお話しを伺いました。

白水高広さん。八女市にある〈うなぎの寝床 旧寺崎邸〉の前で。
地域文化をあらためて考え学んでいく企画展、
「地域文化って何だろう?研究会」を始めるきっかけとは?
「うなぎの寝床は2012年に八女で創業して、
これまで筑後のものづくりの先に、地域資源やつくりての背景、
地域文化をどう伝えるか? を仕事と思い、
『地域文化商社』という名称でやってきました。
昨年から今年にかけて、新しいスタッフが例年よりも多く加わったので
より社内で勉強していかないといけません。
200社近くの取り扱い商品があり、素材、種類、つくり手もいろいろ。
工業製品もあれば手仕事のものもあり製造工程もさまざまです。
地域文化という曖昧性のあるものを、
まず、自分たちがちゃんと学んでいくことを含めて、
地域文化を考える『研究会』という名前がいいんじゃないかと決めました」
- 〈うなぎの寝床 旧寺崎邸〉
- 久留米絣のもんぺを中心としたオリジナルブランドUNA PRODUCTS を取り扱う〈うなぎの寝床 旧丸林本家〉
- 本と人をつなぐというコンセプトの〈うなぎ BOOKS 旧塚本邸〉
- グループ会社の〈UNA ラボラトリーズ〉では、ホテル 〈Craft Inn 手【 té 】〉やツーリズムなどを手がけ、地域社会とのかかわりを広げている。
地域文化というものを、
明確に「これだ!」と定義することは難しいもの。
その土地に住んでいながらも、身の回りの地域や文化について
「実はよく知らない」という人は少なくないのではないでしょうか?
あらためて「地域文化って何だろう?」と、興味が湧いてきますね。
「林業」と聞くと、木を切って市場に流通させるハードワークなイメージがある。
逆に言えば、それ以上のことは何も知らないというのが一般的な感覚ではないだろうか?
〈東京チェンソーズ〉が生業としているのは、
東京の森に木を植え、育てて伐採したものを生かし、まちに届けること。
異業種から林業に飛び込んだ、4人の熱き“林業マン”たちから始まった
〈東京チェンソーズ〉は次世代に林業の可能性を届けること、
そして、林業をあらゆるかたちに事業展開し、
“小さくて強い、顔の見える林業”の実現で、
東京の森と暮らしの共生を目指している。

〈東京チェンソーズ〉の創業は2006年。4人からスタートし現在は若手を中心に30数名の社員・スタッフがいる。
〈東京チェンソーズ〉のある檜原村(ひのはらむら)は、都心からクルマで西へ約90分。
東京都の島しょ地域以外で唯一の「村」でありながら、
3番目に広い面積を有している。村内の約9割が山林であり、
約6割が秩父多摩甲斐国立公園の指定地域という自然豊かなエリアだ。
葉つきの枝から根っこまでを部位ごとに販売する「1本まるごと販売」。
子どもたちに木の心地良さを伝えるためのワークショップ「森デリバリー」。
「ウッドデザイン賞」を受賞した、
木製の雑貨やおもちゃをカプセルに封じた「山男のガチャ」など、
〈東京チェンソーズ〉は林業界でイノベーティブな活動を次々と展開している。
しかし、同社の主軸となる「林業」となると、
木を伐って市場で売ること以外はわからない、想像がつかない世界でもある。
そこで今回は、創業メンバーのひとりである
コミュニケーション事業部の木田正人さんに、各種取り組みについてお話を聞いた。
「私も林業のことはまったく知らなかったんです。
近年は担い手が少なく、山が荒れたことで
土砂災害が増えているというニュースを耳にしていたくらい。
自分がやるとは思ってもいませんでした。
そもそも転職してなるような職業だと思っていませんでしたから(笑)」
木田さんは田舎町をあてもなくドライブすることが趣味だったという。
その際、過疎の村や放置された自然の風景も目にしていた。
林業に興味を持ったきっかけは、山の仕事が特集された雑誌を読んだこと。
現代の木こりには転職組もいることを知り、さらに調べるようになった。

木田さんは〈東京チェンソーズ〉創業メンバーであり最年長。半分以上が20、30代の若手メンバーだ。
「林業には、木を切ったりする作業面と、自然の状態を整える環境面のふたつがあるんです。
私は環境面に興味を持ったタイプですね。
旅するなかで見た美しい景色を守るため、
自分も何か役に立つかもしれないと思ったわけです」
そこで見つけたのが東京都森林組合の募集だった。
森林組合は、山の所有者が組合員となって共同で山を管理・整備する組織。
組合員(所有者)のほかに作業を担当する者がいる。
当時の森林組合の仕事は、木がまだ大きく育ってないこともあり、
間伐や枝打ちなど育林と呼ばれる作業がほとんどだった。
「実際にやってみると、林業ってすごく楽しい仕事なんです。
間伐するとこれまで手つかずだった山がパッと明るくなって、
風が通ってすごく気持ちいい環境になるんです」
そのまま長く続けたいと思っていたが、
森林組合の稼ぎは決していいといえるものではなかった。
「結婚して子どもができるとなると、なかなか厳しいものがあるのが実情です。
そのことは森林組合の方々もわかっているわけですが、
年金を受給しながら働いている方なども多いなか、
若手の給料だけを上げるわけにもいかない。
そんななか、今後は作業の外注化も増やしていくことを聞き、
日本の森に対する考え方が近いメンバー4人で独立しようとなったんです」

独立して8年。初めて持った自分たちの山でまず行なったのが作業道づくり。
宮崎県日南市で建築デザイン、宿泊や物販など、幅広い手法で地域に関わる、
〈PAAK DESIGN株式会社〉鬼束準三さんの連載です。
築100年の日本中どこにでもあるような、
しかし徐々になくなりつつある古民家をリノベーションし、
宿として自社運営するお話です。
このプロジェクトでは、ハード部分として古民家の改修をするとともに、
自社で運営するにあたってソフト部分の設計・構築も行いました。
前編では、ハード部分の設計から
古民家のリノベーションが完成するまでをお届けします。
この古民家との出合いは、意図せず訪れました。
2017年、新卒入社したスタッフが他県から日南市に移住するにあたって、
住まいを探していたときでした。
最初はウェブで賃貸アパートを探していたのですが、
「せっかく田舎にきたんだから一軒家を借りて過ごすのもいいな」と、
日南市が運営する空き家バンクを見ていたところ、
売買物件であるこの古民家を見つけたところから始まります。
スタッフが「この物件、なにか活用できたりしますか?」と見せてきたとき、
敷地や建物規模も大きすぎず、
「建物の状態によっては、なにか活用できるのでは……」と思いました。
すぐ市に連絡して所有者にアポをとってもらい、物件を見に行ってみることに。

道路側から見た既存の外観。敷地面積:181.81㎡(55坪)/床面積:109.74㎡(33坪)
実際に見てみると、外壁はもともと木張りだったものが老朽化し、
上から木目調のトタンが張られ、屋根は昭和後期にのせ替えられたであろう
質の良くないコンクリート瓦が葺かれていました。
風呂、台所、トイレなどの水回りも、昭和後期に
母屋にとってつけたかのように増築され、ベニアなどで質素に仕上げられた様子。

既存の内観。
しかし、約20年近く空き家で放置されていたにもかかわらず、
雨漏りしていなかったこともあり、室内は空き家独特の湿った感じも少なく、
カラッとした空気感がありました。
私には、長い間誰にも見つけてもらえなかった宝物のような、
眠れる獅子が起こされるのを今か今かと待っているような、そんな感覚を覚えました。

既存内部(床の間)。床の間と縁側は状態が良く損傷も少なかった。床はところどころ床下地が老朽化して、今にも床が落ちそうな状態だった。
当時の所有者からは「飫肥城下町にある古い建物であり、
自身や先祖の思い出が詰まっているので、建物の持ち味をなるべく生かしてほしい」
との要望がありました。
日本中どこにでもある、だけどどんどん失われていく古き良き文化が詰まった建物と
このまちの風景を自分の手で残してみたいと思い、
2017年6月中旬、ちょうどパークデザインを創業した時期に
この築100年の古民家を購入することにしました。
大島、ひいては東京諸島全体を盛り上げるために東京都のバックアップのもと、
“あなたらしい大島の物語”をつくっていくことを目指し、
さまざまな活動を行っていく「東京都離島区大島プロジェクト」。
こちらの記事でプロジェクトのキーパーソンとして紹介した、
ウェブメディア『東京都離島区』を運営する
〈株式会社TIAM〉の伊藤奨さんと千葉努さんが、
4月22日(金)に東京〈OTEMACHI KORTO〉で
イベント〈Be Think 都市と離島のNew Being〉を開催します。

会場となるOTEMACHI KORTO。ここは、「働く人と働く場所の未来をつくる」をブランドパーパスに掲げ、多様化する働き方に順応した新たなワークスタイルや環境の創造に取り組む株式会社フロンティアコンサルティングの本社オフィスでもあります。
同イベントは、都市と東京諸島の関係性やそれぞれのリソースを見つめながら、
テーマに基づき参加者が対話を重ねアウトプットすることで、
イノベーションと共創を生み出していく、ワークショップ型イベントです。

キンメダイの煮付け。
記念すべき第1回目のテーマは「島の食」。
東京諸島の多様な風土や文化が育んできた「食」をテーマに
参加者と新たな可能性を探ります。
このイベントに参加することで、離島について学べたり、
新しい出会いや人脈が広がり、自分の知識やアイデアを生かし、
プロジェクトの企画・運営に関わることも可能なのだそう。
北海道の函館市で設計事務所を営む富樫雅行です。
事務所を立ち上げ、施工や不動産賃貸、店舗など小さく広く挑戦して10年。
この連載では、函館市西部地区を中心とする活動についてお届けしていきます。
まずは独立するにあたって、最初に基礎を築いた自邸、
〈常盤坂の家〉についてご紹介します。
私は愛媛生まれの千葉育ちで、大学から北海道の旭川に渡りました。
学生時代にはインターンで東京の事務所に通ったのですが、
多忙すぎる仕事と都市生活に「ここでは暮らせない」と、北海道に残る決意をしました。
北海道では誰が何をやっているか顔が見える規模で
人口20~30万くらいの都市に絞ろうと、古いまち並みの残る函館で就職。
ところが紆余曲折あり一度函館を離れ、その後また戻って
建築家・小澤武氏の元で修業し、32歳で独立することができました。
(独立までの長い道のりについてご興味のある方は、
ウェブメディア『IN&OUT』のインタビューをご覧ください)

いわゆる“THE 観光地”の金森赤レンガ倉庫群前の七財橋から函館山方向を見る。右が函館港。
独立するなら、函館のなかでも旧市街地の西部地区に居を構えようと決めていました。
函館も西部地区を離れて郊外に行けば、日本のほかのまちと変わらない風景が続きます。
ところが西部地区は函館山の麓に広がるエリアで、津軽海峡と函館港の海に囲まれ、
その向こうには駒ヶ岳が望めます。
まちには路面電車やロープウェーが走り、
開港都市として西洋文化の香るレトロな建物群もあり、
多様な要素によってつくりあげられた、“ここにしかない景観”が広がるまちなのです。

長い坂道が続く常盤坂の上から函館港を見下ろす。“THE 観光地”から少し外れた素朴な日常の暮らしの風景がまちの魅力に厚みを増す。左の古民家はのちにリノベした〈ごはんおやつシプル〉。
僕にとっては魅力溢れるまちですが、
地元の人にとっては雪国で坂道というダブルパンチで、
郊外への移転は増加傾向にあります。
所狭しと建てられた建物の越境問題や隣家に屋根の雪が落ちる問題もあり、
多くの建物は上手く継承されずに解体されていくのが現状です。
そもそも函館はペリーが来航し、横浜・長崎とともに
日本で最初に開港したまちとして有名です。
それ以前には北前船の寄港地として栄え、明治以降は北洋漁業の基地として栄え、
当時は函館が東京以北最大の都市であり、その中心が西部地区でした。
いまも多くの貴重な建物が残っていますが、
それらは観光地化された見世物としてではなく日常の暮らしと共存していて、
そんな素朴な雰囲気が気に入っています。
とはいえ、高度成長期後に建てられたのはマンションと建て売りの住宅ばかりで、
函館の個性を生かした建物は少なくなってきています。
古き良き時代の建物が残っていても、空き家が目立ち活用されるのはわずかで、
誰も見向きもしない。
「なぜ誰もやらないんだ」という思いから、
「それならば、独立をきっかけに自分がやろう。
西部地区で建築をやるからこそ意味がある」
と、そんな思いも西部地区に根を張るきっかけとなりました。