シャクヤクよ、棚田に咲き誇れ。 限界集落がつないだ100人以上の 「大家族」の挑戦

「棚田をシャクヤクでいっぱいに!」
とある夫婦と100人の若者たちは、どう耕作放棄地をよみがえらせたか

高知県大豊町。
四国のほぼ中央に位置し、高知随一の豪雪地帯としても知られる。
平均標高450メートルの山岳地帯に位置する大豊町は、平地がとても少ない。
代わりにここの人たちが先祖代々つくりあげてきたのが、
急勾配の山の斜面に延々と続く棚田である。
田植えの時期は青々とした水田が、稲刈りの時期は黄金色の稲穂が、
冬には積もった雪が、季節ごとに色を変えて棚田をパレットのように染める。
フィリピンでは、山肌に沿って空まで続く棚田のことを「天国への階段」と表現するが、
なるほど確かに言い得て妙だ。

大豊町は四国有数の豪雪地帯。雪が積もると棚田は白い階段に装いを変える。

その大豊町で、耕作放棄地となった棚田に
シャクヤク(芍薬)を咲かせるプロジェクトが始まっている。
発起人のひとりが、8年前に大豊町に移住をしてきた大谷一夫・咲子ご夫妻だ。
「山が好きだったから、登山に来たことが最初のきっかけ。
来てみたら、すっかりこの棚田の風景に惚れ込んでしまって。
ちょうどお父さんの主治医から、
空気のいいところに引っ越した方がいいって言われたこともあって移住を決めたの」

しかし、大豊町は四国で最初に限界自治体を迎えたまちでもある。
「だんだん、集落の人も年をとっていって、野良仕事が難しくなっている。
人が入らなくなくなった棚田は、耕作放棄地になって、すぐに崩れていく。
この美しい棚田の景色に惚れ込んできたのに、それがなくなっていくことが悲しくてね。
なんとかできないかって集落の人たちと作戦会議をしたの」

大谷一夫さん(左)と咲子さん(右)。この日は咲子さんの誕生日を祝って大学生がケーキを持ってきていた。

大谷さんご自慢の家からの景色。この景色を見ながら、ふたりに会いに来た若者とごはんを食べるのが恒例行事。

耕作放棄地となった棚田(左)と、農作地の棚田(右)。放棄地となった棚田は、草木が生い茂り、土砂崩れなどの原因にもなる。

高知大学の教授や、地域の要人が集まった会議で、棚田をどのように生かせるか、
どうしたら大豊の棚田を残せるかを話し合った。
人もいない、予算もない、でもなんとかしたい。
そんななかで、プロジェクトは咲子さんのひと言で決まった。
「棚田をシャクヤクでいっぱいにしよう」

咲子さんに聞くと、
「シャクヤクにしようと言ったのは、この辺りに準絶滅危惧種の
ヤマシャクヤクが自生してるっていうのもあるんだけど……
しんどいことは嫌! と思ったから(笑)。
ほかの花と違って、シャクヤクは1株植えたら毎年花を出してくれる。
もちろんお世話は必要だけど、
これだったら人がいないこの土地でもみんなの力でできると思った。
私たちの力で、私たちの土地を守っていけるって」
そして2013年、〈大豊シャクヤクの会〉は誕生した。

準絶滅危惧種に指定されているヤマシャクヤクの花。

耕作放棄地となった棚田にシャクヤクを咲かせるべく、毎週のように開墾作業や会議を続けた。
高知大学の浜田和俊先生と集落のつながりもあって、大学生ボランティアも徐々に増えていった。
ここでも中心になったのは一夫さん。
農機具の使い方や生活の知恵に至るまで、大学生と一緒に畑に立って、
ひとつひとつ手ほどきをしながら教えた。
民間の助成金や寄付金を募る傍ら、
クラウドファンディングにも挑戦して全国から120万円の資金も集めた。
地元民の力、地域の大学生の力が合わさって、
限界集落に少しずつシャクヤク畑が広がっていった。
1年目は500平米だった畑も、2016年の今年は2000平米へと広がった。

シャクヤクの植えつけ作業をする高知大学生団体MBのメンバー。

声をつないで、縁をつくる。 移住者を引き寄せる広島県の試み

1年で30世帯をマッチングしたサポートセンター

2014年度から移住・定住促進に力を入れて取り組んでいる広島県。
相談窓口の設置やセミナーの開催、
移住サポートメディア『HIROBIRO』での情報発信など、
移住希望者に向けてアプローチを行ってきた。

なかでもきめ細やかなフォロー態勢で、移住希望者から支持されているのが、
東京交通会館6階にある〈ひろしま暮らしサポートセンター〉だ。
NPO法人ふるさと回帰支援センター内にあるこのサポートセンターでは、
県職員の平野奈都子さんがひろしまライフスタイリストとして常駐し、
移住希望者と受け入れる側である広島県内の地域、双方をつなぐ役割を果たしている。

このセンターの利用者のうち、2015年度に移住を決めたのは30世帯。
ひと月に2世帯以上が、広島での生活を始めたことになる。

平野さんに広島の魅力について尋ねると、
「大都市もあり、海も島も山もあること。
さらにそれぞれが近い距離に位置しているので、
広島市内に住みながら週末は自然を楽しめますし、
山海に住んでいても1時間で都市に出られるコンパクトさです」という答えが。

新たな暮らしを求めてやってくる人々の声を聞き、地域の人につなげること。
同時に、受け入れ側のニーズを把握し、移住希望者に伝えること。

今回はここでのサポートを受け、東京から瀬戸内海に浮かぶ
大崎下島に移住した写真家のトム・宮川コールトンさんと、
広島県庄原市出身で、広島市からUターンして
現在は広島市内で飲食店を経営しながら、自然農法に取り組む栗栖伸明さんを訪ねた。

灘五郷のお酒をめぐる旅。 歴史ある神戸の酒造〈櫻正宗〉と 3杯でほろ酔い〈三杯屋〉

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神戸出身で、コロカルで『たびのみ散歩』
連載中のイラストレーター平尾香さん。
お酒好きな平尾さんが、日本酒の産地である神戸灘五郷をめぐる旅を
2回にわたりお届けします。

神戸、酒造めぐりの旅へ

酒蔵めぐりのたびのみ散歩は、灘五郷とよばれる神戸の東側。
たくさんの酒造メーカーが日本酒をつくっているのです。
神戸生まれの神戸育ちの私ですが、最近もっぱら日本酒好き、
地元の酒蔵めぐりにワクワク。

降り立った阪神魚崎駅から六甲山を見上げると、
山頂あたりに3月というのに雪が積もって寒い空。
神戸は山と海に挟まれたまち。六甲山から吹き降ろす北風、
阪神タイガースの応援歌としても有名な六甲おろしが、
お酒の発酵を促す麹のをつくるのになくてはならない風なのです。

海へと流れる住吉川の河川敷を流れに沿って歩きます。
川の水は、マンションが立ち並び、国道が横切る
まちの中を流れているとは思えないほど澄んでいて、水量も豊富です。
六甲山からの急流は、その昔、日本酒の原料のお米を精米する水車に
好都合だったのです。

そして、山田錦を生んだ兵庫の豊かな土地でつくられるお米、
六甲山の花崗岩を通ったミネラル分の多い地下水と
日本酒の原材料の調達にも恵まれていました。
運送面でも海が近く、江戸へ運ばれた灘のお酒はたちまち大評判。
多くの好条件がお酒づくりを支えていたのですね。

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国道43号線と阪神高速の南側が、酒蔵のまちなみ。
蔵風の落ち着いた建物に瓦屋根の塀、杉玉を掲げた入り口、
松並木の道、色とりどりの酒瓶ケースが積み上げられた駐車場など。
寒造りの繁忙期、ダクトから白い湯気がたちこめ、ほんのりお酒の香りも漂っています。

その昔、木造の酒蔵がいくつも連なって建ち、水車が回り、
白い帆をあげた船が海に浮かんでいたと想像をめぐらせながら歩いていると、
六甲おろしの風で体も冷えてきました。
そろそろ本格的にお酒が飲める〈櫻正宗〉の記念館〈櫻宴〉へ。
木造蔵があった場所に震災後建てられた、
ダイニング、展示スペース、ショップなどが集合した複合施設です。
館内は、木造蔵の古材などがふんだんに使われて落ち着いた雰囲気。
古い酒づくりの道具やレトロなポスター、ロゴの入った粋な酒器などの展示も楽しい。

櫻正宗は、創業1717年と歴史ある酒蔵。
正宗とつく名前の日本酒は全国に多数あるけれど、
その名前を一番最初につけたのは、ここ櫻正宗の6代目当主の太左衛門氏。
仏教経典から正宗という音読みが「セイシュ」に近く縁起もいいので名づけたところ、
人気にあやかる同業者が続出し、正宗は清酒の代名詞となり広まったそう。
リンを多く含む酒造に適した宮水の発見。原料の米をさらに精米してつくる
高精白米仕込みという吟醸酒のおいしいお酒をつくり、
櫻正宗の酵母が最もすぐれた酵母として、1号酵母の名前で全国に領布されたり。
櫻正宗のストーリーは、酒席のネタに尽きないのです。

“二地域居住”の馬場未織さん を迎え、トークイベント開催。 〈二地域居住から見えてくるもの〉

2016年5月25日(水)、
兵庫県神戸市のデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)にて、
〈未来のかけらラボ vol.8 トークセッション
二地域居住から見えてくるもの〉が開催されます。
平日は都市で働き、週末は田舎で生活するという“二地域居住”を送る、
建築ライター・コーディネーターの馬場未織さんをゲストに迎えたトークイベントです。

コロカルでもライターとして寄稿いただいている馬場さん。
2007年から、家族5人とネコ2匹、そのほかその時に飼う生きものを連れて、
仕事場の東京と、暮らしの場の南房総を往復する暮らしを送っています。

ふたつの異なる環境に生活の拠点を置き、
そのどちらにも日常生活があるという暮らし方は、
旅行や別荘暮らしとも違う、もうひとつの住まい方。
いまの日本社会にとって、まったく新しいライフスタイルの
可能性と言えるかもしれません。

イベントの聞き手は、KIITOのセンター長、芹沢高志さん。
どうして“二地域居住”という選択をされたのか、そして里山での子育てや
里山環境の保全・活用や都市農村交流、社会問題への気づきなど、
二地域で暮らすことによって育まれた見方や考え方についてトークします。
また、神戸における二地域居住の可能性についても。
参加費は500円、お申し込みはKIITOのイベント申し込みページにて。

information

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未来のかけらラボ vol.8 トークセッション 二地域居住から見えてくるもの

日程:2016年5月25日(水)

時間:19:00〜20:30

会場:デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)

参加費:500円(1ドリンク付き)

定員:40名

主催:デザイン・クリエイティブセンター神戸

Web:公式サイト

育てた花でブーケをつくりたい。 北海道へ移住した花屋さん

美流渡を訪ねて2か月で移住を決断した理由

4月16日、岩見沢の山間部、美流渡(みると)地区に小さな花屋さんがオープンした。
人口が1000人を割り込み店舗の閉鎖も目立つこの地区に、
新しいお店ができたのは何年ぶりのことになるのだろう。
いま、わたしはこの地区の空き家を利用してゲストハウスをつくろうと考えているので、
近くに花屋さんができたことは、とてもうれしいできごとだった。
しかもこのお店を開いたのは、横浜から移住してきた大和田誠さん、由紀子さん夫妻だ。
わたしも美流渡への移住を計画していることもあって、
大和田さんがなぜここで花屋を開いたのか、その経緯を聞いてみたいと思っていた。

開店して2日目にお店を訪ねてみると、大和田さん夫妻は満面の笑顔で迎えてくれた。
お店の名前は〈Kangaroo Factory〉。
もともとオーストラリアの花が好きだったことからつけた名前だ。
ここはショップ兼工房となっており、
全国からフラワーアレンジメントの注文を受け発送も行っている。
ちょうどわたしの夫の誕生日が近かったことから、ブーケをひとつ頼むと、
真っ赤なダリアを中心に、さまざまな種類のグリーンをあしらってくれた。

「本当はもっと地元の花やハーブなどを増やしていきたいと思っているんですよ」
と誠さんは言う。由紀子さんも、
「地元の花を使って、この地の景色が感じられるようなアレンジにしたい」
と語っていた。

大和田誠さん(左)と由紀子さん(右)。ふたりは22年前に横浜で花屋を始め、その後、一軒家を借りてフラワーアレンジメントを制作するアトリエ〈Kangaroo Factory〉を設立した。

店内の様子。木製ドラムを白くペイントするなど手づくりで改装を行った。

店内のいたるところに美流渡の野山でとれた木の実や蔓などが飾られていた。

もともとKangaroo Factoryという名前は、大和田さん夫妻が
横浜で10年間、店舗を構えず注文によるフラワーアレンジメントを
制作していたアトリエにつけられていた名前だった。
個性的なアレンジが話題となりファンも定着していたが、
2014年に新天地となる北海道へ移住した。

きっかけとなったのは、美流渡で十数年のあいだパン屋〈ミルトコッペ〉を営み、
リンパ・ドレナージュ・セラピスト(リンパの流れをよくして血行を促進するセラピスト)
としても活躍する中川文江さん(連載14回)のすすめによるものだ。
中川さんは北海道だけでなく関東にもサロンを開いており、
由紀子さんがこのサロンに通ったことから交友が始まったという。

中川さんの誘いを受けてから、大和田さん夫妻の動きは早かった。
まず、2014年夏に花の生産が盛んで北海道とも気候が近い、
オランダへ視察旅行に出かけ、花との関わりを見つめ直す機会を得た。
その後、秋になって実際に美流渡を訪れ、この地にひと目惚れしたという。
地元の人々から温かな歓迎を受け、また満点の星空に心奪われ、
移住を即決意したそうだ。
そしてふたりは、たった2か月で横浜のアトリエを引き払い、
北海道へとやってきたのだった。

「ずっと横浜のアトリエで制作を続けていたとしても、
きっと充実した暮らしはできていたはずです。
けれど、ぼくたちは花を自分たちで育ててそれを売る、
そんな花屋になりたいと思っていたんですね」と誠さんは語る。
オランダを旅行中に、自分たちの理想としていた自家栽培をする花屋さんと出会い、
「やってみたらいい」と勇気づけられたことも大きかった。
また、誠さんは当時47歳。
50歳になる前に新しいことを始めたいという気持ちもあり、
「さまざまなタイミングが重なって」、
移住するならいましかないという思いに駆られたという。

美流渡の春は遅い。4月中旬だが、窓の外にはまだ大きな雪の山が残っている。

人と人とのつながりをつくる 小豆島の伝統行事 「肥土山農村歌舞伎」

みんなでつくる、つないでいく、伝統の舞台

1週間前からその日の天気予報がずっと気になってました。
5月3日。
年に一度の村の伝統行事、肥土山農村歌舞伎の日です。

晴れマークが続いているのに、なぜかその日だけ雨。
それもテレビのニュースでは大荒れになるとも。
どうにか雨の時間がずれますようにとずっと願っていました。

こんなに天気のことを気にするのは年に数回あるかないか。
というのも、農村歌舞伎は屋外の舞台で行われます。
舞台には屋根がありますが、観覧席(桟敷)には屋根もないし、
もちろん椅子なんかもありません。
地面にゴザを敷いて座ってみます。
気持ちのいい気候のなかで、お弁当を広げて、
家族や友人たちとワイワイしながら歌舞伎を見る。
それをしてもらいたい〜!

雨予報だったので、地元の大工さんが仮設の屋根を設置してくれました。

朝から猛烈な風。のぼりがバタバタとはためき、土が舞い上がっていました。

そして迎えた当日。
朝起きると昨日までの暑いほどの晴天が一変。
空は曇り、ビュービューとすごい風。
なんでよりによってこの日に。

まぁでも、天気だけはどうしようもない。
あとはひどくならないことを祈り、舞台に向かいました。

年に一度のこの日のために、多くの人が関わり準備を進めてきました。
表に立つ役者さんだけでなく、裏を支える人たちがたくさんいます。
すべてのとりまとめをするのは、今年の担当組の組長さん。
今年はそんな天気予報だったので、地元の大工さんたちが
仮設だけども強い風にも負けない屋根を組んでくれました。
そしてお母さんたちは、毎回稽古のときにお茶やお菓子を用意してくれたり、
当日も朝2時台からみんなのお弁当づくり。
着付け、化粧、音響、大道具……、みんなそれぞれの役割を担います。

お母さんたちがつくってくれたお弁当。

役者の子どもたち。お弁当をみんなで食べて本番に備えます。

第28話・山菜の女王、 オオバラの天ぷらを食べる

第28話
山菜の女王、
オオバラの天ぷらを食べる

春の味覚といえば山菜。
グレアムさんはお友達に誘われて、
神戸の長田にある友人のおばあちゃんのおうちへ。
そこでは、美味しさではタラの芽をも凌ぐという
“山菜の女王”、オオバラことハリギリの天ぷらが
振る舞われました。
独特の苦味が癖になるというオオバラ。
毎年めぐる季節に、想いをはせるグレアムさんです。

ついに山を購入。 「山活!」がスタート!

地元の人たちとのつながりから実現した山の購入

ついに山を買いました!
東京で暮らしていたときは、まさか自分が山を買うなんて想像もしなかったけれど、
いろいろな縁があって土地が手に入った。
まずひとつ目の縁となったのが、この連載第1回で紹介した
農家の林宏さんが山を買うというアイデアを私に教えてくれたことだった。

昨夏に林さんが山の土地を探していると知って以来、
一緒に山を探すようになり、そして今回、山を共同購入することになった。
もうひとつの縁は、岩見沢にふたつの山を持ち、
山のことにとても詳しい日端義美さんとの出会いだ(連載第7回)。
日端さんは、私たちに地主さんを紹介してくれ、
また山でのさまざまな楽しみ方を教えてくれたのだった。

地主さんと土地購入の話が具体的にまとまったのは、
昨年の雪が本格的に降り出し始めた頃だった。
山の広さは約8ヘクタール(ちなみに東京ドーム1個分が4.7ヘクタール)。
岩見沢の市街地から車で30分弱のところにある。
この地域の山林の値段は、相場によると1ヘクタール20〜30万くらいのようだが、
それよりも安い金額設定に地主さんがしてくださった。
購入金額についてここで書くことは控えるが、
値段というものは「あってないようなもの」であることを今回知った。

山の達人である日端さんが、あるときこんなことを言っていたのを思い出す。
「地主さんがずっと大事にしてきた土地を譲ってもらうわけだから、
自分ができる最大限のところを示すという誠意が必要だよね」
確かに日端さんの言うとおりで、不動産屋から土地を買うのとはわけが違う。
土地には地主さんの想いがつまっていて、値段などはつけられない場所であるはずだ。
そこを譲っていただくのだから、相場という観点よりも、
地主さんと購入側の気持ちから出てきた金額設定というのが何より大切なんだと思う。

山の土地を買うなんて初めての経験だが、加えて土地登記の手続きについても、
司法書士に頼まず自分たちでやろうということになった。
司法書士に手続きを頼むと10万円以上はかかるらしい。
林さんが知人に聞いたところによると、
「3回くらい法務局に行けば、自分たちでも手続きはできる」のだという。
そこで、地主さんと売買契約書を自分たちで取り交わし、
法務局で必要書類の作成方法について教わりながら手続きを進めていった。
割り印の押し方も、収入印紙の貼り方もわからない私だったが、
林さんが書類の作成から法務局のアポ入れなど、どんどん進めてくれたことで、
登記をスムーズに進めることができた(林さんのおかげ!)。

いざ、法務局へ! この日は法務局で書類作成の説明を受けた。その後書類を提出し、最後に登記が完了した証明書をもらいに行き、本当に3回訪ねて手続き完了。半月ほどかかった。

こんな経緯があって、3月末、晴れて土地が手に入り、
さっそく林さんと山を訪ねることにした。
どうしてもすぐに山に行きたかったのにはわけがある。
整備されていない山にはたいてい笹など下草がたくさん生えていて、
思うように歩くことができない。
けれどこの時期は、まだ一面が雪に覆われており、
その上を歩くことができるため行動範囲がかなり広がるのだ。
しかも、雪がギュッと圧縮されているので、
カンジキがなくても上を歩くことができるところもいい。

これが購入した山! 木がほとんど伐採されているので、奥に見える木々の手前までが境界。8ヘクタールの広さは一望ではとらえきれない。

NGO 〈ピースウィンズ・ジャパン〉 ペットと避難ができる 災害用避難テントを提供。

長期化が予想される、
平成28年熊本地震の被災者の方たちの避難生活。
日本生まれの国際NGO〈ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)〉は、
熊本県益城町にて、現在はペット連れ、女性、車中泊の方などを主な対象に、
災害用避難テントやバルーンシェルターを設置するなどの
支援活動を行っています。

バルーンシェルターは、ピースウィンズが繊維メーカー〈帝人〉と
共同で開発した緊急支援活動用の大型テント。
30分で設置できるうえに、軽量の素材を空気を送り続けて
維持するので、倒壊の心配がないというもの。
新潟県中越地震でも活用されました。

バルーンシェルター

益城町で行う支援活動は、ピースウィンズ・ジャパンと、
パートナー団体(公益社団法人Civic Force、アジアパシフィックアライアンス)
との緊急支援合同チームによるもの。
現在バルーンシェルターは閉鎖されていますが、
益城町総合体育館芝生広場に災害用避難テントを設置し、
妊婦さんを含む女性やペット連れの被災者の方122名と、
ペット計40頭が避難生活を送っています。

益城町総合体育館芝生広場の災害用避難テント

ピースウィンズ・ジャパンでは、活動のための緊急寄付を募集中。
ホームページからPaypal、クレジットカード、
楽天銀行を通じて寄付ができるほか、
政府(自治体)が行うクラウドファンディングで、
すべての寄附がふるさと納税の対象となる
ガバメントクラウドファンディング〉でも寄付が可能です。

〈ピースウィンズ・ジャパン〉熊本地震・緊急支援

募金の詳細は、
ピースウィンズ・ジャパン公式サイト、もしくは
ふるさと納税ポータルサイト〈ふるさとチョイス〉にて。

information

ピースウィンズ・ジャパン

肥土山農村歌舞伎、 本番までの100日間

今年も伝統行事、農村歌舞伎の舞台へ

毎年5月3日に開催される「肥土山農村歌舞伎」。
私たちが暮らす小豆島・肥土山地区で300年以上続く農村の伝統行事です。
今年もまたその季節がやってきました。

肥土山農村歌舞伎は、自治会、歌舞伎保存会の方々が中心になって毎年準備を進めます。
肥土山自治会の中には6つの組があり、
去年は私たちの組が担当組でした(6つの組で順番に担当していきます)。
歌舞伎の担当組は準備をするだけでなく、役者としても出演します。
去年、たくちゃん(主人)といろは(娘)はふたり揃って歌舞伎の舞台に立ちました。

そして今年!
去年から歌舞伎保存会に入ったたくちゃんは今年も役者として出ることに。
いろはも子どもたちだけだけで演ずる子ども歌舞伎に出ることに。
というわけで、今年も歌舞伎本番に向けてふたりは稽古の日々です。
そんな日々のことを今日は書こうと思います。

●1月23日(土)
年が明けて、
「今年の歌舞伎は誰が出るんだろうね~」
「なんの演目をやるんだろうね~」
なんて話がちらほらされるように。
「いろはちゃん、今年も歌舞伎よろしくね。」
と言われたり。
ほんとに今年も出るのかなと思ってましたが、
去年、役を演じたいろはは意外とやる気。
すんなりと今年も出ることに決まった本番101日前。
まだどんな役になるかはわかりませんが、
今年も化粧をして衣装を着て舞台に立つことに。

●2月16日(火)
顔合わせ。
子ども歌舞伎の役者全員が初めて集まりました。
今年は小学1年生~6年生まで10名で演じます。
初めて集まったと言っても、毎日放課後子ども教室で
一緒に過ごしている近所の友だちたち。
学年が違ってもここの子どもたちはみんなほんとに仲がいい。
演目と配役が発表され、友だちの名前を台本に書き込みます。

今年の子ども歌舞伎の演目は『恋女房染分手綱 重の井子別れの段(こいにょうぼうそめわけたづな しげのいこわかれのだん)』。

台本は読めない漢字だらけ。ふりがなをうちます。

●2月22日(月)
セリフの読み合わせ。
台本は読めない漢字だらけ。
大人の私でも読めない漢字や意味のわからない表現がたくさん。
ふりがなをうって、とにかくまずは自分のセリフの確認。
この日から歌舞伎本番まで週2回練習が続きます。
台本3ページにわたるような長いセリフがある子も。
それも昔の言い回し、そして歌舞伎独特のイントネーション。
こんなの覚えられるんだろうか。

●3月3日(木)
セリフの読み合わせが続きます。
もうセリフを暗記し始めてる。
子どもたちすごい。
そして友だちたちと夜集まって練習するのがとても楽しそうです。

●3月6日(日)
練固め(ねりがため)。
「ねりがため」なんて、最初は読めませんでした。
キックオフみたいな日です。
歌舞伎に関わる人たち全員で集まって挨拶をして、ごはんを一緒に食べます。
子どもたちも自己紹介。

練固め(ねりがため)の日。みんなで頑張りましょう! の乾杯。

子ども歌舞伎に出る子どもたちの自己紹介。

●3月7日(月)
今日から立ち稽古。
地元の公民館には歌舞伎の練習部屋があります。
動きも確認しながら練習。
練習が終わってから、かつら合わせ。
いろはは人生で初めてちゃんとしたかつらをかぶりました。

立ち稽古スタート。練習着と練習用の小物。

今回の演目はみんなですごろくをするシーンがあります。普段と同じように遊ぶ。

かつらの試着。

マムシとムカデ

早島町のアパートで暮らしていた当時のこと。
アパートのすぐ前は私有地で車の通りもほとんどなかった。
でも、まったくないかというとそうでもなく、
奥に2棟あるアパートの住人たちが駐車場の出入りで行き来する。
子どもたちはそんなことはおかまいなしだ。
アパートを出るなり駆け出そうとするから、大声で「走っちゃダメ!」と叫ぶことになる。
児島の元浜倉庫も歩道があるもののすぐ前が道路。
子どもたちを連れて来た日には「走っちゃダメ!」と何度も叫ぶ。
この「走っちゃダメ!」が、存外気が滅入る。
というのが、ダメと叫びながら同時に「子どもって走るもんだよ」との思いもあって、
これが苦々しい。親なら誰もが子どもたちには存分に走らせてやりたいのだ。
現在の家はそれができる。家を出て走り出そうがなにしようが放ったらかしだ。

浅口市の通達や広報誌、JAからの通知といった、
回覧板として回ってくるいろいろのなかに『パトロール遙照』なるものがある。
発行しているのは浅口市を管轄とする玉島警察署(倉敷市)。
主には地域の犯罪状況の報告や防犯の啓発を目的としたもので、発行は月1回、
A4サイズのペラもの2枚程度で構成されている。
4月初旬に回ってきたそれのタイトルは
「気をつけよう! コミュニティサイトに潜む危険」。
平成26年度は15件だったネット関連の被害件数が、
平成27年には37件と急増しているとあった。
子どもたちがこの手の犯罪に巻き込まれるケースも多いようで、
携帯電話回線のフィルタリングや無線LANのフィルタリング、
アプリ用のフィルタリングの利用を勧めていた。
「フィルタリング」が重要なキーワードであることは間違いないが、
フィルタリングそれ自体がどういうものかの説明はそこになかった。
たぶん、ぼくの住んでいる六条院西T村で
フィルタリングについて知っている人はほとんどいないだろう。
だからといって調べることもないと思う。
ぼくの村では、未成年者はうちの子たち以外ひとりしかいない。

鴨方町六条院西、通称「西六(にしろく)」地区の最大の脅威。
それはネット犯罪じゃないし空き巣でもない。米や野菜の盗難でもない。
これからの時期、その脅威は日に日に増すことになる……マムシである。
「ハミィ、出たんか!」
近所のおじさんが血相変えてうちに来た。
あれは六条院西に引っ越す前、去年の5月だったと思う。
10年以上手をつけていない荒れ放題の畑を草刈り機で刈っていた。
そのとき、茂みにいたヘビを草刈り機の刃ではじいてしまい、
千切れた胴体がはじかれた勢いでそのまま畑の向こうの道路まで飛んで行った。
うちに血相を変えてやってきたのは、そのヘビの死骸を見た近所のおじさんだ。
「すいません! 何かはみ出てました?」
「いや、ハミ、出たんじゃろう?」
「………?」
「ハミじゃ、ハミ。マ・ム・シ」
この西六ではマムシと呼ぶ人はいない。みんながみんな、「ハミ」と呼ぶ。
「気をつけられえよ、子どもは長靴はかさんといけんで」
おじさんが帰った後にまじまじと見た。マムシを見るのは生まれて初めてだった。
体長はたぶん20センチほど、案外小さい。
背中には畳の縁にあるような丸い文様があって、かなり和な感じがする。
その後半年の間で3度見た。そしてその半年の間に、
すぐ近所のおばあちゃんが夜家を出たところでマムシに噛まれ、救急車で運ばれた。
その時期、村の話題を独占するような大事件だった。
幸い、昨年の被害件数はそれ一件だけ。そう頻繁に遭遇することもないようだ。
それにしては、村の人たちのマムシに対する恐れと嫌悪は尋常でない。
それが村の合い言葉でもあるかのように、
ふたことめには「気をつけられえよ」といまもって言われる。

昨年の夏のことだ。夜、洗い物をしていたタカコさんが突然悲鳴をあげた。
うずくまっている彼女のすぐ横、
炭を混ぜたコンクリでうった真っ黒な土間の表面を
20センチほどの長い物体がもぞもぞとはっている。
目にした瞬間、さっと血の気が引いた。マムシにやられた、そう思ったのだ。
でも、次の瞬間、引きあげた血がどっと戻った。
マムシじゃなかった、ムカデだ。マムシに比べればかわいいものだ。
それにしても見事なムカデだった。太さといい長さといい、
魚拓にでもとりたくなるような。漆黒の胴体に照明の加減で紫の色目が浮き出る。
そのカタチ、色みの美しさに反して、おびただしい脚の数と動きのおぞましいこと。
神様は実にヘンテコな生き物を作ったものだと感心しながらも、
子どもが噛まれたら大変という親の思いが押し寄せ、
「すまぬ、許せよ!」と心のなかで叫びながら箒で退治した。
それからタカコさんの手当。噛まれた足の一か所に5分ほど熱いお湯をかけ流す(約50℃)。
いつか児島の友人のフジタくんが教えてくれた処置を聞いたとおりに施した。
その手当の効果のほどには、ぼくもタカコさんも驚いた。
痛みはすぐにひき、その後の腫れもまったくなかった。
人生なにが起こるかわからないので、この治療法は是非憶えておいてもらいたい。
ちなみに、フジタくんは家でサラダを食べようとして、
葉ものにくっついていた小さなムカデに唇を噛まれたという。

去年の夏は、ぼくが蜂に刺されるという小事件もあった。
さほどの蜂でもないと思うんだけど、痛みと腫れがひどく、
最後はかゆみになって長く残った。
かように、田舎暮らしには田舎暮らしなりの脅威がある。

子どもたちは、ヘビであれムカデであれ、
それが死体であっても目にした途端に色めき立って興奮状態になる。
ぼくはそんな彼女たちに言い聞かせるようにしている。わからなくても言い聞かせる。
「こいつらだって悪いことをしようと思って生きてるわけじゃない、
むしろ臆病なんだよ。噛むのは自分の身を守るためだ。だから無闇に殺しちゃダメだよ」
彼女たちの目の前で殺し、その死骸を前にして言うのだから
伝わりづらいことこのうえなし。
でも、機会があるごとにずっと言い続けてきているから、
最近のチコリは少しだけわかってきたかもと感じることもある。
少なくとも、見つけたらすぐさまつぶしていたダンゴ虫は、
家のなかで見つけると外に逃がしてあげるようになった。

ぼくの娘たち、チコリとツツは自然の脅威に囲まれて育っていくことになる。
都市部の脅威から子どもたちが得るものはない。
でも、この田舎の脅威からはすごく大切なことを学ぶことができるとぼくは思っている。

春が来たら、寒々しかった裏庭と裏山が一気に気持ちのいい場所になった。なだらかに下る裏山もこれからの季節は子どもたちの遊び場。チコリとツツにはいつかツリーハウスをつくってやりたい。

左側にあるのはうちの山から切り出したクヌギ、右側がついこの間まで使っていた薪。冬にはあれだけ必要としていたストーブの暖かさが、ある日突然不要のものとなる。薪もこれだけ余らせてしまった。

北海道にも春がきた。 いよいよ空き家の改装スタート!

改装の第一歩は除雪から……

4月3日、岩見沢の美流渡(みると)地区にある空き家のカギをもらい、
いよいよこの場所の改装計画が始まることになった。

そのために、なによりも先にやらなければならないのが除雪作業。
北海道内で有数の豪雪地帯として知られる岩見沢。
その中でも美流渡は山間部にあり、この時期になっても
まだまだ雪がたっぷり残っている。
カギを開けて中に入るためには、玄関先まで
とにかく雪かき(この地域の人は雪ハネという)をしなければならない。

……といっても、私は東京育ちで、まったくの素人。
下手にやっても迷惑なので、夫がひとり黙々と雪と格闘することになった。

道路は路面が見えているが、手つかずの場所は4月に入っても雪が1メートルほど積もっている。除雪機を使わず手作業となったため、ここに3日ほど通うことになった(夫が)。ようやく家までの道が開けた。

さて、この連載で何度か書いてきたように、私はこの赤い屋根の空き家を、
エコビレッジづくりの足がかりにしようと考えている。
まずは、大工である夫にここを改装してもらって、
ゲストハウスをつくろうと思っていて、その計画がようやく具体的に動き始めた。

私は夫に、友人たちが宿泊でき、小さな子どもたちが遊べ、
そして私たちが暮らせるスペースにしたいと、大まかな要望を伝えているのだが、
細かな点はすべて夫にお任せというかたちになっている
(あれこれ首を突っ込みすぎると喧嘩になるので)。
夫は一応わかってはくれているようだが、改装方法について多くを語ろうとはしない。
あまり突っ込んで聞いても煙たがられるだけなので、
こちらも話題にすることはめったにない。

そんななか、友人との飲み会の席で、ご機嫌な夫が、
ついに改装計画を語ってくれたのだった。
その内容はこんな感じだ。
まず、壁などはすべて壊し、電気や水道の整備から始める。
あの空き家は、現在お風呂場に水道の蛇口がなく、
台所から水をホースで引っ張ってきており、無理な増築の跡があるようだ。

また、1階は台所と居間、その奥には床の間や
寝室として使えるスペースがあるのだが、全部壁を取払いワンフロアにするという。
2階のプランは検討中のようだが、夫としては吹き抜けをつくり、
ポールを立てて子どもたちが滑り降りる(消防士の出動シーンに出てくるような)、
そんなしかけも考えているらしい。

さらに、「イメージは〈アルテピアッツァ美唄〉のような内装」と友人に語った夫。
岩見沢に近い美唄(びばい)にある〈アルテピアッツァ美唄〉は、
彫刻家・安田侃(かん)さんがつくった野外彫刻公園で、
屋内の展示スペースとして旧栄小学校の木造校舎を利用している。
床は木、壁は漆喰で、懐かしい木造校舎の雰囲気を残しつつ、
洗練された心地いい空間をつくり出していて、夫は前々から気に入っていた場所だった。

この空き家は、玄関から廊下があり居間へとつながるが、廊下部分の壁をすべて取り壊し、ワンフロアにしようと計画中。

2階は2部屋。1室は床を壊して吹き抜けにするか、ゲストが寝られるスペースにするかを検討中だ。

扉にはめ込まれたガラスにはさまざまな模様がついている。改装でこうしたガラスも生かせるとおもしろそうだ。

第27話・ 神戸の美しい公園といえば? 〈須磨離宮公園〉

第27話
神戸の美しい公園といえば?
〈須磨離宮公園〉

神戸に春がやってきました。
ぽかぽかの晴れた日は、絶好のお散歩日和。
グレアムさんのお気に入りは、
神戸市須磨区にある〈須磨離宮公園〉。
ここはかつて天皇陛下の別荘だった、“須磨離宮”跡に作られた公園。
広大な敷地に、よく整備された庭園やバラ園を擁する、
優雅で美しい公園なんです。
グレアムさんのステキなイラストエッセイでお楽しみください。

芸術祭、春会期も残りわずか! 小豆島の“迷路のまち”で 白黒世界に迷い込む

旧醤油倉庫に広がるアートの世界

3月20日から始まった瀬戸内国際芸術祭2016(以下、瀬戸芸)。
残すところ春会期も1週間です。
4月17日が春会期の最終日となり、7月18日から夏会期が始まります。

小豆島には069番から109番までの作品が展開されています。
その数41作品。
前回の瀬戸芸のときは、移住して半年後くらいで、
家の片づけやカフェ改修、農業研修に行っていたりでなんだかんだと落ち着かず、
ほとんど作品を見に行くことができませんでした。
瀬戸芸期間中は、犬島や直島と小豆島をつなぐ直行便(高速艇)も臨時運航されるのに、
島外の作品にいたってはひとつも見に行けず……。
瀬戸内の島で暮らしていながらそれはもったいない!
なので今回の瀬戸芸では作品を見に行くというのをきっかけに、
小豆島のいろんな地区やほかの島も訪れようと企んでいます。

というわけで、先日訪れたのは小豆島の土庄本町エリア。
土庄港からバス停ふたつ分くらいの距離にある地区です。
ここは“迷路のまち”とも呼ばれ、
昔懐かしいまち並みが残る地域(小豆島日記vol.112参照)。
海賊から島民の生活を守るため、また海風から建物や日常生活を守るために
複雑に入り組んだ路地が迷路のよう。

細い路地が入り組む“迷路のまち”地区。迷いながら歩くのもオススメ。

実はここには去年、統合により廃校になってしまった小学校があります。
今回の瀬戸芸ではそこが案内所になっています。
一度行ってみたかったすてきな小学校です。
細い道に面した2階建ての旧土庄小学校。
校門から入ると芝生のグラウンドが広がっています。
板張りの廊下がなんともやさしい雰囲気で、
つい最近まで子どもたちがここで過ごしていたんだなぁと思うと
なんだか少し寂しくなりました。

去年廃校になってしまった旧土庄小学校。瀬戸芸の案内所になっています。

校門から入ると広がるのは芝生のグラウンド。

板張りの廊下がなんともやさしい雰囲気。

子どもたちがいない学校は寂しい気持ちになります。

この旧土庄小学校から歩いてすぐのところにあるのが、
大岩オスカールさんによる『大岩島2』という作品。
かつて醤油屋さんの倉庫だった建物の中にあります。
というか、こんなところに醤油屋さんがあったなんて驚き。
まちのことって知らないことばかりですね。

昔は醤油屋さんの倉庫として使われていた建物。

三重県発の 〈#思いやりアクション〉 パートナーへの 感謝&愛情&信頼を伝えよう

三重県がスタートした、
〈結婚ポジティブキャンペーン『夫婦・恋人の絆』応援プロジェクト〉。
より多くの出逢いや結婚への希望がかなうことを目指すプロジェクトです。
このたび、第一弾として公開された
結婚ポジティブキャンペーン公式動画『#思いやりアクション』では、
三重のひとたちが、普段はなかなか伝えられない、
パートナーへの感謝、愛情、信頼を表す
メッセージを呼びかけています。

いつもパートナーに伝えているようで
伝えきれていない、思いやりの気持ち。
この動画の基本コンセプトは“しあわせのミエる化”。
パートナーへの感謝、愛情、信頼を “具体的なアクションとして表現する大切さを伝え、
若い方々に向けて結婚・家族形成に関するポジティブな
イメージを持ってもらうこと” が制作の目的なのだそう。
撮影は、おかげ横丁・猿田彦神社・夫婦岩・近鉄四日市駅等の
三重県内各所で行われました。

父から子へと伝える、 雪の闇夜から現れた化身 前郷のやまはげ

なまはげより、こわい神さま?

大ぶりな鬼面や猛々しい装束をまとう、
秋田県の伝統行事として伝わる神さま〈なまはげ〉。
その圧倒的な存在感は、大人でも驚くが、
さらに異彩を放つ神さまがいる。
秋田市の前郷地域に伝わる〈やまはげ〉だ。
声を発しないのが伝統で、
般若のような面に海藻をかぶった神さまが、
無言で近づくと、子どもは叫び声をあげて泣き出し、
大人は歓声をあげて迎えるという。

古くからやまはげがその異形の姿とともに、
この土地に伝えてきたこととは何だったのか。

アート作品の中で寝転んでみる。 瀬戸内国際芸術祭・小豆島の 大きな竹のドーム『オリーブの夢』

今年も同じ場所にできた、地元の竹でつくるアート

春の気配があちこちでする小豆島。
庭のサクランボの木の花は散り、新しい葉っぱが出てきました。
柿の木の新芽も。これ天ぷらにするとおいしいらしい。
毎年春の訪れはワクワクしますね。

いつもこの時期になると春休みということもあり観光客の方が増えます。
今年は瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)開催中ということもありより賑やか。

今回で3回目の開催となる瀬戸芸ですが、
作品の中には1回目から継続して展開されているもの、今回初めてのものがあります。
1回目からある作品については、その地区の人たちもよく知っていて、
「またあれができるんだね〜」
「◯◯さん(作家さん)もう来てるの〜?」
なんて感じで、制作の様子を見ていたり、制作の手伝いをしたりしています。

そんな作品のひとつが、小豆島・中山地区にある大きな竹のドーム『オリーブの夢』。
台湾のワン・ウェンチー(王文志)さんの作品です。
今回から少し形と名前が変わりましたが、
いつもと同じ場所に地元の竹を使ってつくられています。

小豆島・中山地区にある作品『オリーブの夢』。

3年前、いろは(娘)が幼稚園に通っていた頃は、春の親子遠足で歩いて行きました。
そして今年は、地元子ども会のイベントで歩いて行きました。
地元の子どもたちにもなじみのある作品です。

私たちが暮らす肥土山地区から『オリーブの夢』がある中山地区までは
歩いて20分ほどです。
田んぼの中を抜けて、川沿いに山の中の道を歩いていきます。
この道はときどき猿に出くわすこともあり
ちょっとスリリングですが、私的にはオススメの散歩道です。

肥土山地区から中山地区まで田んぼや森の中を歩いていきます。

中山地区に到着。上のほうに〈こまめ食堂〉が見えます。

『オリーブの夢』は何千本もの竹を編んでつくられているのですが、
間近で見るとほんとに美しい。
場所によって編み方が違っていて、いろんな表情を見せてくれます。
あー、竹って美しい。何度もそう思ってしまいます。

入口にあるのはオリーブの種だそう。カイコのマユみたいに編まれています。

波のように編まれた竹。流れが美しい。

この内側はトンネルになっています。力強い真っ直ぐな竹。

きれいに切りそろえられて並べられた竹の道。

キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 最終回: 奥津家の3拠点生活

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。
長崎滞在最終日。雲仙市に到着したテツカ。
奥津さん一家に移住前後の生活の変化についてうかがいました。

【その1:キャンピングカーを借りてみる】はこちら

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】はこちら

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】はこちら

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】はこちら

【その5:奥津家の3拠点生活】

「人生で、いまが一番幸せです」

東京から雲仙へ移住した奥津典子さんは、
すっとこちらを見ながら、そう話してくれた。
「東京の生活で失ってきたものを、取り戻すことができたんです」

人が移住するのには、さまざまなきっかけがある。
自然に魅了されたから、人との出会いに恵まれたから、
そして、“働き方や暮らし方を変えたい”という強い思い。

今回お話をうかがったのは、奥津 爾(ちかし)さん、典子さんご夫婦。
おふたりは、日本の在来種の野菜や種に関するイベントの企画、
マクロビオティックの教室やカフェなどを手がける
〈オーガニックベース〉を運営している。
その拠点を、東京から雲仙へと移したのは2013年のこと。
彼らが移住を決断したのには、どんな思いがあったのだろうか。
そして、暮らしはどのように変わったのか。
キャンピングカーの旅も、今回が最終章。
長崎県雲仙市の小浜町よりお届けします。

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島原半島には3つの市がある。
北東には島原市、南東には南島原市、そして北西に位置するのが、
今回訪ねた雲仙市。
雲仙市は、雲仙普賢岳や雲仙地獄などの険しい表情を見せる火山地帯と、
穏やかな有明海や橘湾に囲まれている。
私にとって、移住する上で大きな魅力のひとつが温泉。
雲仙には、全国的にも有名な雲仙温泉や小浜温泉などの温泉地がある。
共同浴場や旅館の立ち寄り湯も多いので、温泉三昧の日々が楽しめる。

まずは、雲仙市の移住相談窓口ご担当、中村昌太さんにうかがいました。
雲仙市【Q&A】 !

Q 子育に関する支援はありますか?

A 第2子以降が保育所や認定子ども園に入園した時、保育料が無料になります。
また、中学生までの児童を養育している家庭に対して、
5千円~1万5千円の児童手当てを支給いたします。
※「児童手当」の支給については、所得の状況、子どもの年齢、人数により
支給額が変わります。
詳しくは雲仙市健康福祉部子ども支援課までお問合せください。

Q 雲仙のおススメポイントは?

A 古くから湯治場として庶民に愛されてきた〈海の小浜温泉〉と、
日本最初の国立公園として認定された〈お山雲仙温泉〉というふたつの温泉があります。

Q 住宅補助金などはありますか?

A 住宅取得に対する補助金を整備してます。
雲仙市定住促進奨励補助金(新築住宅取得補助金)
→次の①と②の合計金額を5年間交付します。
①取得した住宅に係る固定資産税の2分の1相当額(上限10万円)
②18歳以下の子ども1人につき1万円
雲仙市定住促進小弟補助金(中古住宅購入補助金)
→次の①と②の合計金額を1回交付します。
①定額10万円
②18歳以下の子ども1人につき1万円
また、平成28年度より、空き家バンクを活用し、
賃貸借契約を締結した空き家のリフォーム工事に対し補助金を支給します。
詳しくは、雲仙市総務部政策企画課秘書政策班にお問合せください。

Q 食べ物でおいしいものはなんでしょうか?

A 雲仙市では「地元産の食材」を、方言で「じげもん」と言います。
農産物も海産物でも、とびきりおいしい「じげもん」があります。
これからの季節だと、じゃがいもが特におすすめです。
年に2回「春じゃが」と「秋じゃが」と呼ばれる新じゃがが取れますが、
どちらも風味と香りがともに豊かで、フワフワとやわらかく、
何度食べてもおいしいなーとしみじみ思う逸品です。

Q 保育園はすぐに入れますか?

A 待機児童は、いまのところいないようです。
他市に比べ比較的に入園しやすいと思います。
※希望する保育園に必ず入園出来るということではありません。
ご理解ください。

Q 中村さんが好きな場所はどこでしょうか。

A 高校生の時から、落ち込んだときなどに足を運ぶ場所があります。
何の変哲もない防波堤なんですが、そこから海に沈む夕日を眺めていると、
夕日と海が接する瞬間、海面上に光の橋が渡り、
夕日と自分が繋がっているように感じられます。
なんとなく元気になれる私なりのパワースポットです。

神戸で暮らす本当の喜びとは? 絵になる街角がある、神戸の毎日

山も、海も、レトロな風景も。すべてが神戸の魅力

「神戸の人は東西南北を覚えるのが苦手」
そんな話を聞いたことありませんか?
神戸では北側が山手、南が海、東は山手に向かって右、西はその逆。
つまり方角は山と海を基準に考えます。
だから例えば四方を山に囲まれた都市などへ行くと途端に、方向音痴になってしまう。
当然神戸の人は「あれ、私は方向音痴じゃないはずなんだけど」となる。

……とまぁ、これは神戸の人の特徴というよりも、
神戸の人がいかに海と山を生活と近づけているかがわかる逸話ですね。
それほどまでに神戸は、山も海も、人々の暮らしとともにあるのです。

海側から山手を見ると、山裾にまちがあります。
山手から海を見ると、なだらかにまちが、海へと向かっています。
そんなまちですから、歩いていてふと交差点を曲がると目の前に山が見えたり
海が輝いていたり、ハッとする光景に出会うことが多いのではないでしょうか。
つまり神戸は「絵になる街角」をたくさん持つまち、と言えます。

北野界隈を歩いていると気づくのは、異人館だけではないまちの魅力。光に包まれた路地、往時を偲ばせる石畳。ひとつひとつが絵になります。

神戸のまちを語るときにもうひとつはずせないこと、
それが神戸の中心部を海側に行った、旧居留地です。
開国当初は砂地だったこの場所に外国人のための住居や仕事場が次々と誕生し、
居留地を形成していきました。
ヨーロッパの近代都市計画をもとに造成されたまちにはレンガ造りの建物が並び、
やがてガス燈が灯るようになり、美しい景観を生み出していきます。

そして時は流れ。その片鱗は、いまも旧居留地を歩けば見ることができます。
レトロビルと近代的なビルが同居する異空間。だからこそ、ふとした街角に、
まるで絵はがきのような景色を見つけてハッとする。

旧居留地は、独特の景観を保っています。ぜひ歩きながら、絵になる街角を探してみてください。

山も、海も、レトロな風景も、すべてが神戸の魅力なんですね。
だからこのまちの人は、このまちが好き。
これこそ神戸に暮らす喜びにほかなりません。

ちなみに神戸のまちに点在するレトロビルには、佇まいとは違う魅力も。
ビルの中に入ってみると、そこには雑貨店や洋服店。
アンティークショップが入っているビルもあってりして、
それらを巡るのも、まち歩きの大きな楽しみなんです。

100円で約20リットル! おいしい水は、汲んで帰る。 〈神戸ウォーター水汲み場〉

水の豊かなまち、神戸の名水

神戸というまちは、よくよく考えると山裾に広がっています。
ということはつまり、山に降り注いだ雨が長い年月を経て
地表に湧き出している場所だってあるはずです。
調べてみたら、やはりありましたね、神戸市内にも名水が。

飲用の可否に関係なく数えてみると、その数15か所ほど。
なかには弘法大師伝説がある水もやっぱり存在しているので、
神戸でも湧水は、ありがたいものだと考えられていたのですね。
それだけ水が豊かなまち、ここに暮らす人は水の恵みを日々感じているのでしょうか。

三宮の中心部からフラワーロードを越え、山手幹線を東へ少し進んだところに、
〈神戸ウォーター水汲み場〉があります。
六甲山系から湧出する良質な天然水〈六甲布引の水〉を、
より多くの人に飲んでもらい、健康になってほしいという願いから、
ここでは100円で約20リットルの水を汲んで帰ることができるのです。
24時間いつでも、誰でも水を汲むことができるので、
朝も夜も、地元の人はもちろん少し離れたところに暮らす人まで、
いろんな人が車のトランクにポリ容器を積んで、ここを訪れています。

神戸国際会議場でも、年に1度、毎年4月に開催される須磨大茶会でも、
この神戸ウォーターが使われているそうです。
そういえば〈神戸ウォーター水汲み場〉の北側は新神戸。
そこには古くから名水として知られる〈布引の滝〉もあります。
神戸は水にも、ずっと守られているのですね。

神戸の水といえば、北野から歩いて行ける〈布引の滝〉が有名です。

ちなみに〈神戸ウォーター水汲み場〉があるのは、
多彩な温泉が楽しめる〈神戸クアハウス〉の入口です。
湯に浸かって疲れをとったあとに名水を飲むか、
ちょっと飲んでからじっくり湯に癒されるか。
神戸のまちでのお水とのつき合い、なかなか楽しそうですよ。

〈神戸クアハウス〉の北館に水汲み場があり、いつでも100円で約20リットル利用可能。ちょっと飲みたい、という人には、500ミリのペットボトルも販売されています。

名水といえば、温泉で有名な有馬は源泉として豊富な地下水が湧出しています。それらを訪ね歩く水巡りの旅も楽しそう。

information

map

神戸ウォーター水汲み場

住所:兵庫県神戸市中央区二宮町3-10-16

営業時間:24時間

料金:約20リットル 100円
http://www.kobewater.com/

産地ではないのに真珠のまち? 神戸に真珠産業が根づいた理由を 〈神戸パールミュージアム〉で知る

国際港神戸の知られざる一面

神戸に数ある産業のなかに、真珠があります。
でもなぜ? 神戸には真珠の養殖場なんてありません。
真珠の養殖技術が日本で確立されたのは昭和初期。
しかしその時代に真珠といえばとても高価で、
日本人にはなかなか手が出せない商品でした。
そのため国内ではなかなか人気が広まらず、当時世界へと開かれていた神戸から、
アメリカやヨーロッパへと輸出されていました。
その当時の真珠養殖場は、三重県を中心に四国、九州が主な地域。
それらの地域から最も近かった国際港が神戸だったのです。

やがて北野を中心に、神戸で真珠の選別や加工を行う企業が生まれていきます。
一説によると、山の南側斜面に広がる北野のまちは、
真珠の選別に適した陽光が安定して得られたから、産業が確立されたとも。
それらの企業が集まったのはいまの山本通あたりで、
山本通は別名「パールストリート」とも呼ばれていました。
一時はたくさんの真珠を持って坂道を歩くバイヤーの姿も見られたそうですよ。

山本通=通称パールストリートには、いまでも真珠関連企業が残っています。

そんな神戸の真珠産業の一端をうかがい知ることができる施設が、旧居留地にあります。
それが〈神戸パールミュージアム〉。なんと入場無料で、
養殖真珠の歴史や真珠ができるまでを展示から知ることができます。
約1万粒の真珠をひと粒ずつ手作業で連ねていった〈パールツリー〉が最大の見どころ。
さまざまな真珠製品も展示されていますので、
神戸の陽光が育てたやわらかな輝きを、ぜひその目で見てください。

レトロビルの1階にある〈神戸パールミュージアム〉。建物のレトロな雰囲気が、パールをより輝かせています。

information

map

神戸パールミュージアム

住所:兵庫県神戸市中央区東町122 日本真珠会館1F

TEL:078-332-8050

営業時間:10:00~17:00

定休日:土曜、日曜、祝日

http://www.japan-pearl.com/museum/

瀬戸内国際芸術祭開催中! 小豆島・北海岸線の アートと海をめぐる

海を感じながらアートを楽しむ

今年で3度目の開催となる〈瀬戸内国際芸術祭〉(以下、瀬戸芸)。
回を重ねるほどに作品の数が増え、展開される場所も少しずつ広がっています。
小豆島では今回の瀬戸芸から、島の北側の大部・北浦地区と
〈二十四の瞳映画村〉がある堀越・田浦地区にも新たに作品が展開されています。

小豆島は皆さんが思っているよりもずっと大きな島です。
瀬戸芸の開催場所となっているほかの島と比べても圧倒的な大きさです。
とても1日でまわりきれるような広さではなく、
1週間滞在したとしてもすべての作品は見きれないかも。
といってもそんなに長く滞在するのは難しいと思うので、
行くところを絞ってめぐる感じですよね。

瀬戸芸が開幕した週末、今回新たに作品が展開されている
大部・北浦地区をさっそく訪れてみました。
私たちが暮らしているのは肥土山(ひとやま)という地区なのですが、
そこから車で20分くらいのところです。
この小豆島日記でも何度か書いていますが(vol.120vol.123)、
島の北側は観光地感が強くなく、静かで穏やかな暮らしを感じます。
その雰囲気がなんとも好き。

車で走って行くと、道沿いではためく青いフラッグ。
作品が近くにあるよ〜の印です。

海風にはためく瀬戸芸の青いフラッグ。

普通の暮らしのなかにポスターとフラッグがある感じがなんともいい。

大部に到着し、まずは腹ごしらえ。
大部には、岡山県の日生港とフェリーが行き来する大部港があります。
その港のすぐ横にある〈喫茶 サンワ〉へ。
鍋焼きうどんから焼肉定食、チャンポンメンまでメニュー豊富で、
田舎の良き喫茶店という感じのお店。
私はいつものナポリタンを注文。
鉄板の上に盛りつけられ、中のほうに生卵が入ってます。
いただきます!

大部港すぐ横にある〈喫茶 サンワ〉。

サンワのナポリタン(イタリアンスパゲッティ)は島の隠れた人気メニュー。

窓のすぐ外は海。大部港に入ってくるフェリーが目の前を通過。

絵になる男の、絵になる店。 三宮のレジェンド 〈BARふくろう〉

オリジナルレシピのカクテルとおしゃべりを楽しむ

路面店なのに、窓はない。実はちょっと入店をためらってしまう。
〈BARふくろう〉は、そんな店です。
1967(昭和42)年、お酒が大好きだった23歳の福田二郎さんは、
だったら自分で店を始めれば好きなお酒とともに過ごせる、
そんな軽い気持ちで店を開きます。

世間では国産ウイスキーがサラリーマンの圧倒的支持を得て大流行、
そんななか、洋酒をメインに始めた福田さんのお店は、なかなか客足がのびません。
奥さんと悩んだ末、お茶漬けを出したこともありました。
それが評判を呼び、贔屓にする人も増え始め……。
以来49年、東門街のはずれで〈BARふくろう〉は
今宵も、ふらりと訪れる人を待っています。

ヨーロッパの石畳のまち並みにぽつんとありそうな、小さなお店。年齢を感じさせない福田さんの笑顔が迎えてくれます。

福田青年も気づけば72歳、店も来年で50周年。
バーテンダーが一代で50年以上も立ち続ける店は、そうはありません。
もはやここは、レジェンドとでも言うべきでしょうか。
おそるおそる扉を開くと、カウンター越しににっこり微笑む福田さん。
席についたら、福田さんオススメのカクテルをオーダーしてみましょう。

ソルティーキャッツにソルティーマウス。
ん? ちょっとへんてこな店?? 
もちろんどちらも、ソルティードッグとはレシピが違います。
それ以上に違うのは「ソルティードッグはステアすれば完成。
それじゃあバーテンダーの活躍する場所がないじゃないですか」

背筋をピンと伸ばし、シェーカーを振る福田さん。時折目をつぶり、何か考えているかのように腕だけを動かします。

というわけで、オリジナルレシピ、シェイクして提供するこのカクテルが誕生したとか。

焼酎ベースのソルティーマウス(左、1000円)は、「森伊蔵が高くて飲めない」というお客さんの声で誕生したもの。森伊蔵をもっとおいしく飲んでもらいたい、そんな気持ちで誕生した焼酎ベースのカクテル。ソルティーキャッツ(右、1000円)は女性が楽しめるように考えられたフルーティーなカクテル。

〈BARふくろう〉のもうひとつの楽しみは、
そんな福田さんとのおしゃべりかもしれません。
かつての三宮の話、お酒の話。
店には時折、福田さんが「最高のパートナー」と呼ぶ奥さんも立ちます。
すると話はもっともっと、盛り上がるんですよ。

気がつけばすっかり時間が経っていたなんてこともしばしば、なこの店。
派手な特徴があるわけではありませんが、神戸で覚えておきたい、
できればたまにふらっと顔を出したい、そんなバーです。

これはなんと、27歳の頃の福田さん。常連のお客さんに写真家を志している人がいて、その人に撮ってもらったそう。

information

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BARふくろう

住所:兵庫県神戸市中央区中山手通1-9-9

TEL:078-332-2960

営業時間:18:00~翌2:00

定休日:日曜、祝日

食べる、歩く、読む、聴く。 神戸の日常を綴るエッセイ 『神戸、書いてどうなるのか』

神戸在住のロック漫筆家によるエッセイ

『神戸、書いてどうなるのか』は、神戸出身、在住の
“ロック漫筆家”安田謙一さんが神戸をテーマに書き下ろした一冊。
安田さんは音楽などポップカルチャーを中心に執筆活動をするほか、
ラジオ番組のディスクジョッキーとしても知られるが、
神戸について書いても、その軽妙な語り口は絶品なのであった。

帯には「ガイドブックには載らない神戸案内」とあるが、
かといってディープな神戸ガイド、というわけでもない。
もちろんその側面もあるが、神戸で生まれ育ち、1980年代は京都で過ごすものの、
また神戸に戻って現在も暮らす安田さんが、日常的な神戸を綴ったエッセイだ。
収められているのは、見開きで1本、全部で108本の文章、というのも
煩悩のようでキリがいい。

第1章「食べたり呑んだり、神戸」と第2章「ぶらぶら歩く、神戸」は、
現在も訪れることのできる飲食店やスポットについて触れる。
路地の奥にありそうな味わい深い店の数々は、
それこそガイドブックに載らないような店。だが、どれもうまそうだ。
ネーミングがおもしろい店もよく登場する。
著者が神戸の喫茶店の名前ベストスリーのひとつとして挙げる
〈思いつき〉というのもすごいが、洋食屋の〈赤ちゃん〉というのもいい。
しかも神戸には〈赤ちゃん〉という名前の洋食店が数軒あるというのだからすごい。
4日連続で〈赤ちゃん〉に通った、というエピソードもほほえましい。

それと印象的なのは、温泉がよく登場すること。
神戸というと有馬温泉が有名だが、ここに登場するのは、
灘温泉や湊山温泉、六甲おとめ塚温泉など、
散歩がてらにひとっ風呂浴びるといった、銭湯に近いイメージの温泉。
ぶらぶら歩いて食べて呑んで、浸かる。最高だ。
また、クレイジーケンバンドの小野瀬雅生さんや遠藤賢司さんなど、
著者となじみのミュージシャンがちょこちょこ顔を出すのも楽しい。

videotapemusicによる『神戸、書いてどうなるのか』の予告編動画も。