農業を始めて4年目、 畑でともに働く仲間をつくる

仲間とともに働くということ

小豆島で農業を初めて4年目。
今年もまた暑さと雑草との戦いの夏の畑作業が始まりつつあります。

4年前、まったくの素人の状態から始めた農業。
いつどの野菜の種をまいたらいいのか、
そもそも畝はどうやってたてるのか、肥料はいつ入れるんだろう。
もう疑問しかない状況(笑)。
悩んで止まっていても始まらないから、まずは手を動かせと言われ、
見よう見まねで取り組み始めました。

そしていま、4年経っても相変わらず疑問だらけ(笑)。
ただ疑問の内容は少し深くなって、この病気はなんだろうとか、
どの養分が足りないんだろうとか。
4年前と比べたらちょっとは農家らしくなりました(自分で書くのもあれですが)。

今年から新しく借りた畑。もともとは田んぼで使われてなかったところ。

ハウスも新たに借りました。トマトを育てています。

そんななかで変わったことのひとつとして、
今年は定期的に島の友人たちに畑作業を手伝いに来てもらっています。
たくちゃん(夫)と私のふたりだけでは作業が追いつかないことが一番の理由ですが、
ふたりだけでやるよりもいろんな人に関わってもらって
ともに働くほうが楽しいだろうと思ったから。
まずは島の友人たちに来てもらっています。

4月上旬、友人たちに手伝いに来てもらって「生姜植え付け祭り」。

畑作業の合間のコーヒータイム。

せっせと生姜を植えていきました。

お昼ごはんはみんな一緒に庭で。

植物の声に寄り添って。 ハーブティーをつくる 〈白銀荘〉翔太さんと山を歩く

荒涼とした笹原をどうやって再生するのか

この春手に入れた山をこれからどのように活用していくのか。
この連載で何度か書いたように、わが山は木がすっかり伐採されており、
そのほとんどが笹原となっている。
ここに植物を植えて、ハーブガーデンのようにつくり変えられたら
ステキなんじゃないだろうか。
そんな思いがあり、北海道の長沼でハーブを育て、
ブレンドしたお茶の販売を行っている友人の柴田翔太さんを山に招き、
意見をうかがうことにした。

翔太さんが来てくれた5月25日は、北海道も気温が高く汗ばむような陽気となった。
わが山は、木がないので日差しがダイレクトに照りつける。
笹原が広がり、とくに伐採した木を運ぶためにつくられた
ブルドーザーの通る道“ブル道”は、土がむき出しになり乾燥が激しい。
しかしそんななかでも、翔太さんは、笹以外に
野バラのような植物があちこちに自生していることを教えてくれた。

柴田翔太さん。ハーブティーのブレンドを行う〈白銀荘〉を主宰。デザイナーや写真家としても活動を行っている。

わが山は木が伐採されているので笹原となっている。

ブル道のまわりは土がカラカラに乾いている。そんななかでも、バラ科の植物が地面を這うように生えていた。

翔太さんが発見してくれたもののひとつに笹の花がある。笹が花をつけることはめったにないようで、一説によるとその周期は50年以上とも言われている。

そして翔太さんは山を歩きながら、石狩の当別町にある
北海道医療大学が所有する山で行われている、ある取り組みについて教えてくれた。
この大学の薬学部では、薬用植物とこの地域の生態系の研究のために、
校舎に隣接する山林を〈北方系生態観察園〉として、
山に自生する植物を守り育てる活動を行っている。

「山野草の生育を助けるために、この大学がやっているのはとてもシンプルな作業です。
刈り払い機を使わずに、手作業で笹を根元から刈るというもの。
土の中にはたくさんの種が眠っています。
笹を刈ると地面に光が当たり、さまざまな植物が芽を出すんですよ」

そう言いながら、翔太さんが笹の根元をかき分けると、
小さな双葉がそこかしこに顔を出している。
いまは日光が遮られているため、芽を出した植物たちは
なかなか大きく成長することが難しいが、笹を刈ることによって
山野草がいっぱい咲く花畑ができるかもしれないと翔太さんは言う。

「一度、医療大学に見学に行きませんか? 
笹を刈ったあとの変化がどんなものか、きっとわかると思いますよ」
山をどうやって再生していけばいいのか、悩んでいた私にとって
願ってもないお誘いだった。
さっそく1週間後に、この大学を訪ねることにした。

翔太さんが笹をかき分けると、さまざまな植物が芽を出しているのを見つけることができた。

ブルドーザーが通った道は、土がえぐれている。荒れた山肌にも花を見つけてくれた翔太さん。

笹の影にならない部分に咲いていたのは黄色い花。荒れ地と思っていたところにも自然の営みがある。

亀の保護活動

車のなかではラジオでなく、もっぱらCDを聴いている。
今週のCDをセレクトして、小洒落たケースにきちんと並べて……なんてことは
生まれ変わった次の人生でもたぶんない。
車の収納やシートの上のあちこちに10枚ほどをほぼ置きっぱなしだ。
そんなCDのなかに、友人のタナカさんが貸してくれた
70〜80年代ポップスのコンピレーションがある。
バラードというくくりはあるもののセレクトは無節操で、
ヒット曲を右から左に並べたような雑な構成だけど、
どういうわけかしばらくこのCDを入れっぱなしにしてある。
6月のその日の朝も、このアルバムを聴きながら車を運転していた。

2曲目に入っているのがジャーニーの『Open Arms』。
生まれ変わった次の人生では
ドン・ヘンリー イーグルスの声で生まれてきたいとかねがね思っているが、
スティーヴ・ペリー ジャーニーも悪くない。
しかし、この曲に関しては声の魅力うんぬんより、
やっぱり彼の歌唱力に尽きる。この人、ほれぼれするくらいに歌がうまいのだ。
そして、曲の余韻は3曲目のイントロで完全にかき消される。
ワムの『Careless Whisper』。実はジョージ・マイケルは嫌いじゃない。
なにより、同い年のうえに生まれ月も同じという理由で、
ほかのどんなアーティストよりも親近感がある
(映画界ではジョニー・デップがそうです)。
でも、『Careless Whisper』はいただけない。
この曲がかかっているときだけは絶対に事故を起こしたくない。
想像してみてほしい。接触した相手の車が大破して、
慌ててかけよった車からこの曲が流れているシーンを。
エアバッグに血がべったりついて、鼻が折れ曲がってうめき声をあげていたとしても、
ぼくなら「大丈夫ですか!」と声をかけながらこみあげる笑いをこらえきる自信がない。

6月のその日の朝、チコリとツツを保育園に送ったあと、
ぼくは笠岡まで海沿いの道をドライブして銀行へと向かっていた。
保育園の帰りに娘たちとよく立ち寄る青佐海岸の少し手前、
車中の曲が例の『Careless Whisper』に移った直後だった。
片側一車線の県道のほぼ中央に黒っぽい塊を見つけた。
一瞬でそれが亀だとわかった。
首を精一杯伸ばして必死で道路を渡ろうとしている。
ぼくはすぐに車を道の脇に寄せた。前後とも視界に車はなし。
車から降りて、無謀な横断を試みている亀にかけより甲羅に手をかけた。
超ビッグなヤツだった。軽自動車のハンドルぐらいはあった。
ぼくはスピードを出した車が突然現れやしないかとヒヤヒヤしながら、
同時に開け放した車の窓から聞こえる『Careless Whisper』を
誰かに聞かれやしないかとやきもきしながら、
海側に広がっている原野のような茂みに足を踏み入れたそのときだった。
この亀クン、お尻の側から大量のおしっこを一気に吹き出した。
コップ一杯ほどもあったかもしれない。
避ける間もなく、まともに下半身に浴びた。お気に入りの麻のパンツが台無しだ。
それでもぼくは道路に出ちゃいけないと、茂みの奥のほうまで行って放してやった。

銀行での支払いよりも着替えである。
ぼくはまっすぐ家に帰ってパンツを脱ぎ、洗面所のシンクで手洗いした。
外で洗濯物を干していたタカコさんが入ってきて、
パンツを洗っている下着姿のぼくを見た。
「どうしたの?」
「どうしたと思う?」
「また漏らしちゃったの?」
「おいおい、オレいつお漏らししたよ?」
「じゃあどうしたのよ?」
「ちょっと長めの話になるんだけどね−−−−」
案外短く伝えることができた。
「そんなことがあるのねえ」
「東京じゃまずないね。今年は恩を徒で返される年だな」
言いながら、パンツを干そうと外に出た。
「赤星さん、竜宮城に連れて行ってくれるかもよ」
タカコさんはそう言ってひとり笑った。断言しよう、ヤツはウミガメじゃない。
サイズはデカいが、普通に池にいるヤツだった。池に竜宮城は、ない。

倉敷で亀の本を書いている人がいる。著者は古書店〈蟲文庫〉の田中美穂さん、
タイトルは『亀のひみつ』(WAVE出版)。
この本のなかに登場する、彼女が飼っている亀の一匹に、
「児島にいる知り合いが犬の散歩中に保護した」という紹介がなされている。
その「知り合い」というのがなにを隠そうぼくのこと。
あのときはまわりに放すような場所がなかったので、
救いを求めるかのように彼女のもとに届けたのだった。
そういえば、彼女には拾った子猫を数日預かってもらったこともある。
なにかと動物系の困りごとで助けてもらっている田中さんなのだが、
冒頭のCDを貸してくれたタナカさんとは別人である。

町内会でつくったというゴキブリ団子が配られてきた。市販のものよりも効果があるらしい。容器が瓶の蓋というのがシブい!

今年初めて挑戦したマイ畑。春に耕した3畳ほどのスペースに、ホームセンターで買った種とか苗をかなりいい加減に植えている。手前にあるボリューミーな緑はすべてパクチー。その向こうの白い花はルッコラ。ほかにセロリ、ズッキーニ、トマトなどが夏の有望株。

今帰仁(なきじん)で手に入れた 家とカフェ、そして野菜 〈カフェこくう〉

高台からの眺望は最高! 長居したくなるカフェをつくった夫婦

ちょっと不安になるくらいクネクネと山道をクルマで上って行く。
しばらくすると突然パッと開ける場所に出る。
山の上に分譲住宅地があって、まだすべては埋まってはいないが、
そのなかでも海を一望できる一等地ともいえる場所に〈カフェこくう〉がある。
沖縄っぽい雰囲気がありながらもモダンな建物が目印だ。

真冬以外は大きな窓も開け放して、風がよく通る。
海へ向かうカウンター席もあって、
たとえ家族連れでも横並びでそちらに座ってみたくなる。
それだけ、この眺望は格別だ。

自宅併設のカフェを夫婦で営む。

木で溢れる店内。

お店がオープンしたのは2012年。
店を営む熊谷祐介さんと友紀子さん夫婦は、2008年に沖縄に移住してきた。
まずは那覇の都心部に住む。でもそれは仮住まいで、長く住むつもりはなかったのだという。

「小さなお店をふたりでやりたいねと話していました。
でも土地勘がないので、まずは那覇に住みながら沖縄をすべて見て回ったんですよ。
南城市も読谷村もステキだったんですが、
やはりココ今帰仁村(なきじんそん)が気に入りましたね」と話す熊谷祐介さん。

カフェは自宅を隣に併設している。
当初は古民家に憧れていて、移築して住みたいと思っていた。
しかしなかなかいい物件もなく、
建築士さんに「沖縄は風も日差しも強いから、数年で古民家みたいになるよ(笑)」
と言われ、新築を建てることに。

とにかく抜けが最高!

実際に施工を担当したのは宮大工さん。
すでに沖縄にも宮大工は2社しか残っていないという。
建物は沖縄らしい工夫がつまっているものになった。
ボルトなどの金属は使わず、木だけで組み上げている。
家を建てる土地に小さな家を建て、
時間ごとの日差しを計算したり、沖縄の自然環境に合わせて親身になって教えてくれた。
だから土地を購入してから実際に建物が完成するまでに、3年かかったという。
建物は台風などで風に揺れて、どんどん締まっていくという。
台風のたびに強くなる建築なんて、なんとも沖縄らしい。

じっくりとていねいに。
沖縄時間なんてよくいわれるが、それは熊谷さん夫婦のリズムにも合っているようだ。
いまは少しずつ色の変化や味を楽しみながら育てている段階。
沖縄特有の強い風と日差しで、どのように経年変化していくのか楽しみだ。

かわいい色の瓦が目印。

小豆島から徳島へ! ゼロ・ウェイストをめざす上勝町と IT企業が集まる神山町

「ゼロ・ウェイスト」をめざすまちのブルワリー

突然ですが小豆島って何県かご存知ですか。
瀬戸内に浮かぶひとつひとつの島が、岡山県、広島県などの本州側に属するのか、
香川県や愛媛県などの四国側に属するのか、いまだにほとんど知らない気がします。
で、小豆島はといういうと香川県でした。

地図で見ると小豆島は香川県の北東のほうにあります。
県庁所在地の高松市には、小豆島内の4か所の港から船で行くことができ、
高速艇なら30分で行き来できます。
そんな感じなので、小豆島で暮らすようになってからは四国が本当に身近になりました。
香川だけじゃなくて、徳島、高知、愛媛もぐっと近い存在に。
こっちに来る前(名古屋在住時)は、高知なんてどんだけ遠い〜って思ってましたが、
いまでは船と車で2時間もあれば行けます。

先日、ふらっと徳島を訪れることに。
たまたま時間ができたのと、見てみたいなと思っていた建築があったので。
「あさって徳島行こか!」
そんなのりで、徳島行き決定。

目的地は徳島の上勝(かみかつ)町にある
RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store〉。
上勝町は「ゼロ・ウェイスト宣言」をしていて、
ゴミをゼロに近づける活動を町全体でしています。
RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Storeは、
そのゼロ・ウェイストを楽しく理解してもらうための施設だそうで、
クラフトビールを製造されています。

それまでは廃棄されていた、上勝特産の柑橘である柚香(ゆこう)の
果汁を絞ったあとの皮を、香りづけに使用したり、
クラフトビールをつくる過程でできた麦芽粕をお菓子やグラノーラなどに再利用したり。
建物自体も、使われなくなった建具や棚などが生かされています。

何枚もの建具を組み合わせた大きな窓が印象的。

町内の製材所で出てくる端材をもらい受け、外壁に利用したそうです。

上勝特産の柚香を利用したフルーティーなクラフトビールをいただきました。

ゴミステーションにあった建具、家具などを利用したディスプレイ。

空きビンを丁寧に加工してできたシャンデリア。

まちの活動自体を物理的に体感できる場所っていいなぁと。
それが難しいものじゃなくて、かっこよくて楽しいものであること。
きれいな景色を見たり、おいしいごはんを食べたりするのももちろんいいのですが、
旅を楽しみながら、その土地の活動に触れたり、
その土地の人と話したりできると、自分にとってぐっと身近な場所になる。

山を楽しむ「山活!」 十数年後の山の未来へ 想いを馳せて

春に欠かせない山の手入れとは?

エコビレッジづくりの可能性を探るために、この春、わたしは山を買った。
ここに家を建てたりビレッジ化したりするプランはまだまだ先の話になるが、
木が伐採された笹原のようなこの地をどのように活用していくのか、
いま計画を練る段階に入っている。
山での活動、略して「山活!」と勝手に命名し、
まず、わが山の隣の土地を所有し、山に詳しい日端義美さんに弟子入り(?)しつつ、
山の手入れや楽しみ方を教わることを始めている。

ゴールデンウィークは絶好の「山活!デー」だ。
日端さんは、わが山のとなりとともに、岩見沢の上幌地区にも山を持っている。
5月2日、この上幌の山で、日端さんが理事を務める〈みどりのおやゆび チュプ〉の
メンバーによる、春のこの時期に欠かせない山の整備が行われた。
〈みどりのおやゆび チュプ〉とは、以前この連載(第7回)で紹介した
岩見沢を中心に活動をしている〈自然エネルギーを考える会〉が、
NPO法人の申請をするにあたって新たにつけた名称で、
日端さんの山で自然の恵みを暮らしに還元する
さまざまな活動を行っている(ちなみにわたしもメンバー)。

まず行われたのが、山ブドウとコクワの棚上げ。枝を棚に広げるようにすると秋に実が収穫しやすくなる。

棚上げしていない状態のコクワ。蔓が絡みついたような状態になっている。コクワは、サルナシという木の愛称。実は素朴な甘みがあってキウイフルーツに似た味わいがする。

クルミなどの幹から出た新しい枝を剪定する。この枝より上部にある枝の生育を妨げないようにするための作業。

この日のメインの作業となったのはニセアカシアの駆除だ。
幼木のうちに根元から切り倒し、切り株に農薬を塗布するというもの。
ニセアカシアは北米原産のマメ科の木で、荒れ地でもよく育つことから、
緑化のために、明治以降に導入された。
ハチミツの蜜源になるなど役立つ面もあるようだが、
繁殖力が旺盛なため、生態系バランスが崩れてしまう恐れも指摘されており、
近年では駆除が必要だと考えられるようになっている。

たしかに日端さんの山を歩いてみると、草原のあちこちに
ニセアカシアの幼木が1〜2メートルくらい伸びているのを見つけることができた。
しかも根元から切り倒しても、脇から再び芽が出てくるようで、
簡単には駆除できないものだという。
外来種が多くなっている現状を考えると、木々を伐採した土地を放置しておくだけでは、
多様性を持つ本来の森の姿に戻るわけではないのだということを実感した。

草原となっているところにもニセアカシアの幼木が多数見つかった。数か月で1メートル以上も伸びるという。

息子も伐採のお手伝い。ニセアカシアには大きなトゲがあるので、刺さらないように注意しながら。

みんなで汗を流したあとは、この時期の山のお楽しみ!
フキ、ヨモギ、イラクサ、ニリンソウなど山菜採りに精を出した。
「今日の晩のおかずが一品これでできるねー」なんて、
おしゃべりしながら葉をつんでいく。
日端さんをはじめ会のメンバーのみなさんは、山菜にもとても詳しく、
これは胡麻和えにするといいよなど、食べ方もいろいろと教えてくれた。

ヨモギ。すりつぶして団子に入れるだけでなく、若芽は天ぷらにしてもおいしいそうだ。

可憐な白い花をつけるニリンソウ。こちらもおひたしなどで食べられる。

つんだ山菜を家に帰ってさっそく調理。写真はイラクサ。葉にトゲがあるが、ゆでて胡麻和えにしてみると、葉の味が濃くておいしい。

山の上の城? 瀬戸内海の島で一番高い 〈星ヶ城山〉を登る

まだまだ知らないところだらけ! 不思議な光景に出会う

小豆島での暮らしも4年目。
地図で見ると小さな島ですが、暮らしてみるとほんとに大っきな島。
いまだに知らない場所、行ったことがない場所が島の中にたくさんあります。

5月の連休に私の両親が島に来ていたので、
せっかくだから行ったことがないところへ行ってみよう! というわけで島探検へ。
新緑が美しいこの季節、さてどこに行きましょか。

私がずっと気になっていて行けてなかったのが
〈星ヶ城山〉(ほしがじょうやま)という小豆島で一番高い山。
標高817メートルで、瀬戸内海の島々の中で一番高い場所です。

そびえ立つヒノキ林の写真だったり、石を積み上げたお城のような建物の写真。
友人たちが星ヶ城山で撮った写真を見て、
いったいどんなところなんだろうといろいろと想像していました。

いまの季節、山の中を歩くのはさぞ気持ちいいだろうな。
そうだ、星ヶ城山に行こう!
連休最後の日の午後、山を登ることに。

星ヶ城山の駐車場までドライブ。

山歩きの道が整備されていて、楽しみながら歩けます。

星ヶ城山に登るにはいくつかのコースがあります。
標高ほぼ0メートルの草壁港から3時間くらい歩いて登る本格的なコース。
ロープウェイなどで寒霞渓山頂まで行き、そこから1時間弱くらい歩いて登るコース。
そして一番気軽に行けるのが、星ヶ城園地の駐車場まで車で行き、そこから歩くコース。
今回は初めてということもあり、一番気軽なコースで(笑)。

駐車場に着くと、まわり一面ヒノキの森。
その中の道をえっさほいさと進んでいきます。
まっすぐにそびえ立つ木々。少し冷たい空気。
歩いているだけで気持ちいい。

まっすぐそびえ立つヒノキの森。圧巻。

〈マムシソウ〉というらしい。あちこちに生えていました。

ひんやりとした空気の中、歩くだけで気持ちがいい。

星ヶ城山には東峰(標高817メートル)と西峰(標高805メートル)があります。
登っていくと途中に分かれ道が。

東峰と西峰に向かう分かれ道。

東峰に向けて登っていきます。

第29話・神戸の ファーマーズマーケットに お出かけ

第29話
神戸のファーマーズマーケット
にお出かけ

今週のグレアムさんは
神戸の東遊園地で、毎週土曜日朝に開催されている
ファーマーズマーケットにお出かけ。
新鮮な卵や野菜、お豆腐にチーズケーキも! 
生産者さんとのおしゃべりもマーケットの楽しみのひとつです。

シャクヤクよ、棚田に咲き誇れ。 限界集落がつないだ100人以上の 「大家族」の挑戦

「棚田をシャクヤクでいっぱいに!」
とある夫婦と100人の若者たちは、どう耕作放棄地をよみがえらせたか

高知県大豊町。
四国のほぼ中央に位置し、高知随一の豪雪地帯としても知られる。
平均標高450メートルの山岳地帯に位置する大豊町は、平地がとても少ない。
代わりにここの人たちが先祖代々つくりあげてきたのが、
急勾配の山の斜面に延々と続く棚田である。
田植えの時期は青々とした水田が、稲刈りの時期は黄金色の稲穂が、
冬には積もった雪が、季節ごとに色を変えて棚田をパレットのように染める。
フィリピンでは、山肌に沿って空まで続く棚田のことを「天国への階段」と表現するが、
なるほど確かに言い得て妙だ。

大豊町は四国有数の豪雪地帯。雪が積もると棚田は白い階段に装いを変える。

その大豊町で、耕作放棄地となった棚田に
シャクヤク(芍薬)を咲かせるプロジェクトが始まっている。
発起人のひとりが、8年前に大豊町に移住をしてきた大谷一夫・咲子ご夫妻だ。
「山が好きだったから、登山に来たことが最初のきっかけ。
来てみたら、すっかりこの棚田の風景に惚れ込んでしまって。
ちょうどお父さんの主治医から、
空気のいいところに引っ越した方がいいって言われたこともあって移住を決めたの」

しかし、大豊町は四国で最初に限界自治体を迎えたまちでもある。
「だんだん、集落の人も年をとっていって、野良仕事が難しくなっている。
人が入らなくなくなった棚田は、耕作放棄地になって、すぐに崩れていく。
この美しい棚田の景色に惚れ込んできたのに、それがなくなっていくことが悲しくてね。
なんとかできないかって集落の人たちと作戦会議をしたの」

大谷一夫さん(左)と咲子さん(右)。この日は咲子さんの誕生日を祝って大学生がケーキを持ってきていた。

大谷さんご自慢の家からの景色。この景色を見ながら、ふたりに会いに来た若者とごはんを食べるのが恒例行事。

耕作放棄地となった棚田(左)と、農作地の棚田(右)。放棄地となった棚田は、草木が生い茂り、土砂崩れなどの原因にもなる。

高知大学の教授や、地域の要人が集まった会議で、棚田をどのように生かせるか、
どうしたら大豊の棚田を残せるかを話し合った。
人もいない、予算もない、でもなんとかしたい。
そんななかで、プロジェクトは咲子さんのひと言で決まった。
「棚田をシャクヤクでいっぱいにしよう」

咲子さんに聞くと、
「シャクヤクにしようと言ったのは、この辺りに準絶滅危惧種の
ヤマシャクヤクが自生してるっていうのもあるんだけど……
しんどいことは嫌! と思ったから(笑)。
ほかの花と違って、シャクヤクは1株植えたら毎年花を出してくれる。
もちろんお世話は必要だけど、
これだったら人がいないこの土地でもみんなの力でできると思った。
私たちの力で、私たちの土地を守っていけるって」
そして2013年、〈大豊シャクヤクの会〉は誕生した。

準絶滅危惧種に指定されているヤマシャクヤクの花。

耕作放棄地となった棚田にシャクヤクを咲かせるべく、毎週のように開墾作業や会議を続けた。
高知大学の浜田和俊先生と集落のつながりもあって、大学生ボランティアも徐々に増えていった。
ここでも中心になったのは一夫さん。
農機具の使い方や生活の知恵に至るまで、大学生と一緒に畑に立って、
ひとつひとつ手ほどきをしながら教えた。
民間の助成金や寄付金を募る傍ら、
クラウドファンディングにも挑戦して全国から120万円の資金も集めた。
地元民の力、地域の大学生の力が合わさって、
限界集落に少しずつシャクヤク畑が広がっていった。
1年目は500平米だった畑も、2016年の今年は2000平米へと広がった。

シャクヤクの植えつけ作業をする高知大学生団体MBのメンバー。

声をつないで、縁をつくる。 移住者を引き寄せる広島県の試み

1年で30世帯をマッチングしたサポートセンター

2014年度から移住・定住促進に力を入れて取り組んでいる広島県。
相談窓口の設置やセミナーの開催、
移住サポートメディア『HIROBIRO』での情報発信など、
移住希望者に向けてアプローチを行ってきた。

なかでもきめ細やかなフォロー態勢で、移住希望者から支持されているのが、
東京交通会館6階にある〈ひろしま暮らしサポートセンター〉だ。
NPO法人ふるさと回帰支援センター内にあるこのサポートセンターでは、
県職員の平野奈都子さんがひろしまライフスタイリストとして常駐し、
移住希望者と受け入れる側である広島県内の地域、双方をつなぐ役割を果たしている。

このセンターの利用者のうち、2015年度に移住を決めたのは30世帯。
ひと月に2世帯以上が、広島での生活を始めたことになる。

平野さんに広島の魅力について尋ねると、
「大都市もあり、海も島も山もあること。
さらにそれぞれが近い距離に位置しているので、
広島市内に住みながら週末は自然を楽しめますし、
山海に住んでいても1時間で都市に出られるコンパクトさです」という答えが。

新たな暮らしを求めてやってくる人々の声を聞き、地域の人につなげること。
同時に、受け入れ側のニーズを把握し、移住希望者に伝えること。

今回はここでのサポートを受け、東京から瀬戸内海に浮かぶ
大崎下島に移住した写真家のトム・宮川コールトンさんと、
広島県庄原市出身で、広島市からUターンして
現在は広島市内で飲食店を経営しながら、自然農法に取り組む栗栖伸明さんを訪ねた。

灘五郷のお酒をめぐる旅。 歴史ある神戸の酒造〈櫻正宗〉と 3杯でほろ酔い〈三杯屋〉

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神戸出身で、コロカルで『たびのみ散歩』
連載中のイラストレーター平尾香さん。
お酒好きな平尾さんが、日本酒の産地である神戸灘五郷をめぐる旅を
2回にわたりお届けします。

神戸、酒造めぐりの旅へ

酒蔵めぐりのたびのみ散歩は、灘五郷とよばれる神戸の東側。
たくさんの酒造メーカーが日本酒をつくっているのです。
神戸生まれの神戸育ちの私ですが、最近もっぱら日本酒好き、
地元の酒蔵めぐりにワクワク。

降り立った阪神魚崎駅から六甲山を見上げると、
山頂あたりに3月というのに雪が積もって寒い空。
神戸は山と海に挟まれたまち。六甲山から吹き降ろす北風、
阪神タイガースの応援歌としても有名な六甲おろしが、
お酒の発酵を促す麹のをつくるのになくてはならない風なのです。

海へと流れる住吉川の河川敷を流れに沿って歩きます。
川の水は、マンションが立ち並び、国道が横切る
まちの中を流れているとは思えないほど澄んでいて、水量も豊富です。
六甲山からの急流は、その昔、日本酒の原料のお米を精米する水車に
好都合だったのです。

そして、山田錦を生んだ兵庫の豊かな土地でつくられるお米、
六甲山の花崗岩を通ったミネラル分の多い地下水と
日本酒の原材料の調達にも恵まれていました。
運送面でも海が近く、江戸へ運ばれた灘のお酒はたちまち大評判。
多くの好条件がお酒づくりを支えていたのですね。

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国道43号線と阪神高速の南側が、酒蔵のまちなみ。
蔵風の落ち着いた建物に瓦屋根の塀、杉玉を掲げた入り口、
松並木の道、色とりどりの酒瓶ケースが積み上げられた駐車場など。
寒造りの繁忙期、ダクトから白い湯気がたちこめ、ほんのりお酒の香りも漂っています。

その昔、木造の酒蔵がいくつも連なって建ち、水車が回り、
白い帆をあげた船が海に浮かんでいたと想像をめぐらせながら歩いていると、
六甲おろしの風で体も冷えてきました。
そろそろ本格的にお酒が飲める〈櫻正宗〉の記念館〈櫻宴〉へ。
木造蔵があった場所に震災後建てられた、
ダイニング、展示スペース、ショップなどが集合した複合施設です。
館内は、木造蔵の古材などがふんだんに使われて落ち着いた雰囲気。
古い酒づくりの道具やレトロなポスター、ロゴの入った粋な酒器などの展示も楽しい。

櫻正宗は、創業1717年と歴史ある酒蔵。
正宗とつく名前の日本酒は全国に多数あるけれど、
その名前を一番最初につけたのは、ここ櫻正宗の6代目当主の太左衛門氏。
仏教経典から正宗という音読みが「セイシュ」に近く縁起もいいので名づけたところ、
人気にあやかる同業者が続出し、正宗は清酒の代名詞となり広まったそう。
リンを多く含む酒造に適した宮水の発見。原料の米をさらに精米してつくる
高精白米仕込みという吟醸酒のおいしいお酒をつくり、
櫻正宗の酵母が最もすぐれた酵母として、1号酵母の名前で全国に領布されたり。
櫻正宗のストーリーは、酒席のネタに尽きないのです。

“二地域居住”の馬場未織さん を迎え、トークイベント開催。 〈二地域居住から見えてくるもの〉

2016年5月25日(水)、
兵庫県神戸市のデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)にて、
〈未来のかけらラボ vol.8 トークセッション
二地域居住から見えてくるもの〉が開催されます。
平日は都市で働き、週末は田舎で生活するという“二地域居住”を送る、
建築ライター・コーディネーターの馬場未織さんをゲストに迎えたトークイベントです。

コロカルでもライターとして寄稿いただいている馬場さん。
2007年から、家族5人とネコ2匹、そのほかその時に飼う生きものを連れて、
仕事場の東京と、暮らしの場の南房総を往復する暮らしを送っています。

ふたつの異なる環境に生活の拠点を置き、
そのどちらにも日常生活があるという暮らし方は、
旅行や別荘暮らしとも違う、もうひとつの住まい方。
いまの日本社会にとって、まったく新しいライフスタイルの
可能性と言えるかもしれません。

イベントの聞き手は、KIITOのセンター長、芹沢高志さん。
どうして“二地域居住”という選択をされたのか、そして里山での子育てや
里山環境の保全・活用や都市農村交流、社会問題への気づきなど、
二地域で暮らすことによって育まれた見方や考え方についてトークします。
また、神戸における二地域居住の可能性についても。
参加費は500円、お申し込みはKIITOのイベント申し込みページにて。

information

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未来のかけらラボ vol.8 トークセッション 二地域居住から見えてくるもの

日程:2016年5月25日(水)

時間:19:00〜20:30

会場:デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)

参加費:500円(1ドリンク付き)

定員:40名

主催:デザイン・クリエイティブセンター神戸

Web:公式サイト

育てた花でブーケをつくりたい。 北海道へ移住した花屋さん

美流渡を訪ねて2か月で移住を決断した理由

4月16日、岩見沢の山間部、美流渡(みると)地区に小さな花屋さんがオープンした。
人口が1000人を割り込み店舗の閉鎖も目立つこの地区に、
新しいお店ができたのは何年ぶりのことになるのだろう。
いま、わたしはこの地区の空き家を利用してゲストハウスをつくろうと考えているので、
近くに花屋さんができたことは、とてもうれしいできごとだった。
しかもこのお店を開いたのは、横浜から移住してきた大和田誠さん、由紀子さん夫妻だ。
わたしも美流渡への移住を計画していることもあって、
大和田さんがなぜここで花屋を開いたのか、その経緯を聞いてみたいと思っていた。

開店して2日目にお店を訪ねてみると、大和田さん夫妻は満面の笑顔で迎えてくれた。
お店の名前は〈Kangaroo Factory〉。
もともとオーストラリアの花が好きだったことからつけた名前だ。
ここはショップ兼工房となっており、
全国からフラワーアレンジメントの注文を受け発送も行っている。
ちょうどわたしの夫の誕生日が近かったことから、ブーケをひとつ頼むと、
真っ赤なダリアを中心に、さまざまな種類のグリーンをあしらってくれた。

「本当はもっと地元の花やハーブなどを増やしていきたいと思っているんですよ」
と誠さんは言う。由紀子さんも、
「地元の花を使って、この地の景色が感じられるようなアレンジにしたい」
と語っていた。

大和田誠さん(左)と由紀子さん(右)。ふたりは22年前に横浜で花屋を始め、その後、一軒家を借りてフラワーアレンジメントを制作するアトリエ〈Kangaroo Factory〉を設立した。

店内の様子。木製ドラムを白くペイントするなど手づくりで改装を行った。

店内のいたるところに美流渡の野山でとれた木の実や蔓などが飾られていた。

もともとKangaroo Factoryという名前は、大和田さん夫妻が
横浜で10年間、店舗を構えず注文によるフラワーアレンジメントを
制作していたアトリエにつけられていた名前だった。
個性的なアレンジが話題となりファンも定着していたが、
2014年に新天地となる北海道へ移住した。

きっかけとなったのは、美流渡で十数年のあいだパン屋〈ミルトコッペ〉を営み、
リンパ・ドレナージュ・セラピスト(リンパの流れをよくして血行を促進するセラピスト)
としても活躍する中川文江さん(連載14回)のすすめによるものだ。
中川さんは北海道だけでなく関東にもサロンを開いており、
由紀子さんがこのサロンに通ったことから交友が始まったという。

中川さんの誘いを受けてから、大和田さん夫妻の動きは早かった。
まず、2014年夏に花の生産が盛んで北海道とも気候が近い、
オランダへ視察旅行に出かけ、花との関わりを見つめ直す機会を得た。
その後、秋になって実際に美流渡を訪れ、この地にひと目惚れしたという。
地元の人々から温かな歓迎を受け、また満点の星空に心奪われ、
移住を即決意したそうだ。
そしてふたりは、たった2か月で横浜のアトリエを引き払い、
北海道へとやってきたのだった。

「ずっと横浜のアトリエで制作を続けていたとしても、
きっと充実した暮らしはできていたはずです。
けれど、ぼくたちは花を自分たちで育ててそれを売る、
そんな花屋になりたいと思っていたんですね」と誠さんは語る。
オランダを旅行中に、自分たちの理想としていた自家栽培をする花屋さんと出会い、
「やってみたらいい」と勇気づけられたことも大きかった。
また、誠さんは当時47歳。
50歳になる前に新しいことを始めたいという気持ちもあり、
「さまざまなタイミングが重なって」、
移住するならいましかないという思いに駆られたという。

美流渡の春は遅い。4月中旬だが、窓の外にはまだ大きな雪の山が残っている。

人と人とのつながりをつくる 小豆島の伝統行事 「肥土山農村歌舞伎」

みんなでつくる、つないでいく、伝統の舞台

1週間前からその日の天気予報がずっと気になってました。
5月3日。
年に一度の村の伝統行事、肥土山農村歌舞伎の日です。

晴れマークが続いているのに、なぜかその日だけ雨。
それもテレビのニュースでは大荒れになるとも。
どうにか雨の時間がずれますようにとずっと願っていました。

こんなに天気のことを気にするのは年に数回あるかないか。
というのも、農村歌舞伎は屋外の舞台で行われます。
舞台には屋根がありますが、観覧席(桟敷)には屋根もないし、
もちろん椅子なんかもありません。
地面にゴザを敷いて座ってみます。
気持ちのいい気候のなかで、お弁当を広げて、
家族や友人たちとワイワイしながら歌舞伎を見る。
それをしてもらいたい〜!

雨予報だったので、地元の大工さんが仮設の屋根を設置してくれました。

朝から猛烈な風。のぼりがバタバタとはためき、土が舞い上がっていました。

そして迎えた当日。
朝起きると昨日までの暑いほどの晴天が一変。
空は曇り、ビュービューとすごい風。
なんでよりによってこの日に。

まぁでも、天気だけはどうしようもない。
あとはひどくならないことを祈り、舞台に向かいました。

年に一度のこの日のために、多くの人が関わり準備を進めてきました。
表に立つ役者さんだけでなく、裏を支える人たちがたくさんいます。
すべてのとりまとめをするのは、今年の担当組の組長さん。
今年はそんな天気予報だったので、地元の大工さんたちが
仮設だけども強い風にも負けない屋根を組んでくれました。
そしてお母さんたちは、毎回稽古のときにお茶やお菓子を用意してくれたり、
当日も朝2時台からみんなのお弁当づくり。
着付け、化粧、音響、大道具……、みんなそれぞれの役割を担います。

お母さんたちがつくってくれたお弁当。

役者の子どもたち。お弁当をみんなで食べて本番に備えます。

第28話・山菜の女王、 オオバラの天ぷらを食べる

第28話
山菜の女王、
オオバラの天ぷらを食べる

春の味覚といえば山菜。
グレアムさんはお友達に誘われて、
神戸の長田にある友人のおばあちゃんのおうちへ。
そこでは、美味しさではタラの芽をも凌ぐという
“山菜の女王”、オオバラことハリギリの天ぷらが
振る舞われました。
独特の苦味が癖になるというオオバラ。
毎年めぐる季節に、想いをはせるグレアムさんです。

ついに山を購入。 「山活!」がスタート!

地元の人たちとのつながりから実現した山の購入

ついに山を買いました!
東京で暮らしていたときは、まさか自分が山を買うなんて想像もしなかったけれど、
いろいろな縁があって土地が手に入った。
まずひとつ目の縁となったのが、この連載第1回で紹介した
農家の林宏さんが山を買うというアイデアを私に教えてくれたことだった。

昨夏に林さんが山の土地を探していると知って以来、
一緒に山を探すようになり、そして今回、山を共同購入することになった。
もうひとつの縁は、岩見沢にふたつの山を持ち、
山のことにとても詳しい日端義美さんとの出会いだ(連載第7回)。
日端さんは、私たちに地主さんを紹介してくれ、
また山でのさまざまな楽しみ方を教えてくれたのだった。

地主さんと土地購入の話が具体的にまとまったのは、
昨年の雪が本格的に降り出し始めた頃だった。
山の広さは約8ヘクタール(ちなみに東京ドーム1個分が4.7ヘクタール)。
岩見沢の市街地から車で30分弱のところにある。
この地域の山林の値段は、相場によると1ヘクタール20〜30万くらいのようだが、
それよりも安い金額設定に地主さんがしてくださった。
購入金額についてここで書くことは控えるが、
値段というものは「あってないようなもの」であることを今回知った。

山の達人である日端さんが、あるときこんなことを言っていたのを思い出す。
「地主さんがずっと大事にしてきた土地を譲ってもらうわけだから、
自分ができる最大限のところを示すという誠意が必要だよね」
確かに日端さんの言うとおりで、不動産屋から土地を買うのとはわけが違う。
土地には地主さんの想いがつまっていて、値段などはつけられない場所であるはずだ。
そこを譲っていただくのだから、相場という観点よりも、
地主さんと購入側の気持ちから出てきた金額設定というのが何より大切なんだと思う。

山の土地を買うなんて初めての経験だが、加えて土地登記の手続きについても、
司法書士に頼まず自分たちでやろうということになった。
司法書士に手続きを頼むと10万円以上はかかるらしい。
林さんが知人に聞いたところによると、
「3回くらい法務局に行けば、自分たちでも手続きはできる」のだという。
そこで、地主さんと売買契約書を自分たちで取り交わし、
法務局で必要書類の作成方法について教わりながら手続きを進めていった。
割り印の押し方も、収入印紙の貼り方もわからない私だったが、
林さんが書類の作成から法務局のアポ入れなど、どんどん進めてくれたことで、
登記をスムーズに進めることができた(林さんのおかげ!)。

いざ、法務局へ! この日は法務局で書類作成の説明を受けた。その後書類を提出し、最後に登記が完了した証明書をもらいに行き、本当に3回訪ねて手続き完了。半月ほどかかった。

こんな経緯があって、3月末、晴れて土地が手に入り、
さっそく林さんと山を訪ねることにした。
どうしてもすぐに山に行きたかったのにはわけがある。
整備されていない山にはたいてい笹など下草がたくさん生えていて、
思うように歩くことができない。
けれどこの時期は、まだ一面が雪に覆われており、
その上を歩くことができるため行動範囲がかなり広がるのだ。
しかも、雪がギュッと圧縮されているので、
カンジキがなくても上を歩くことができるところもいい。

これが購入した山! 木がほとんど伐採されているので、奥に見える木々の手前までが境界。8ヘクタールの広さは一望ではとらえきれない。

NGO 〈ピースウィンズ・ジャパン〉 ペットと避難ができる 災害用避難テントを提供。

長期化が予想される、
平成28年熊本地震の被災者の方たちの避難生活。
日本生まれの国際NGO〈ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)〉は、
熊本県益城町にて、現在はペット連れ、女性、車中泊の方などを主な対象に、
災害用避難テントやバルーンシェルターを設置するなどの
支援活動を行っています。

バルーンシェルターは、ピースウィンズが繊維メーカー〈帝人〉と
共同で開発した緊急支援活動用の大型テント。
30分で設置できるうえに、軽量の素材を空気を送り続けて
維持するので、倒壊の心配がないというもの。
新潟県中越地震でも活用されました。

バルーンシェルター

益城町で行う支援活動は、ピースウィンズ・ジャパンと、
パートナー団体(公益社団法人Civic Force、アジアパシフィックアライアンス)
との緊急支援合同チームによるもの。
現在バルーンシェルターは閉鎖されていますが、
益城町総合体育館芝生広場に災害用避難テントを設置し、
妊婦さんを含む女性やペット連れの被災者の方122名と、
ペット計40頭が避難生活を送っています。

益城町総合体育館芝生広場の災害用避難テント

ピースウィンズ・ジャパンでは、活動のための緊急寄付を募集中。
ホームページからPaypal、クレジットカード、
楽天銀行を通じて寄付ができるほか、
政府(自治体)が行うクラウドファンディングで、
すべての寄附がふるさと納税の対象となる
ガバメントクラウドファンディング〉でも寄付が可能です。

〈ピースウィンズ・ジャパン〉熊本地震・緊急支援

募金の詳細は、
ピースウィンズ・ジャパン公式サイト、もしくは
ふるさと納税ポータルサイト〈ふるさとチョイス〉にて。

information

ピースウィンズ・ジャパン

肥土山農村歌舞伎、 本番までの100日間

今年も伝統行事、農村歌舞伎の舞台へ

毎年5月3日に開催される「肥土山農村歌舞伎」。
私たちが暮らす小豆島・肥土山地区で300年以上続く農村の伝統行事です。
今年もまたその季節がやってきました。

肥土山農村歌舞伎は、自治会、歌舞伎保存会の方々が中心になって毎年準備を進めます。
肥土山自治会の中には6つの組があり、
去年は私たちの組が担当組でした(6つの組で順番に担当していきます)。
歌舞伎の担当組は準備をするだけでなく、役者としても出演します。
去年、たくちゃん(主人)といろは(娘)はふたり揃って歌舞伎の舞台に立ちました。

そして今年!
去年から歌舞伎保存会に入ったたくちゃんは今年も役者として出ることに。
いろはも子どもたちだけだけで演ずる子ども歌舞伎に出ることに。
というわけで、今年も歌舞伎本番に向けてふたりは稽古の日々です。
そんな日々のことを今日は書こうと思います。

●1月23日(土)
年が明けて、
「今年の歌舞伎は誰が出るんだろうね~」
「なんの演目をやるんだろうね~」
なんて話がちらほらされるように。
「いろはちゃん、今年も歌舞伎よろしくね。」
と言われたり。
ほんとに今年も出るのかなと思ってましたが、
去年、役を演じたいろはは意外とやる気。
すんなりと今年も出ることに決まった本番101日前。
まだどんな役になるかはわかりませんが、
今年も化粧をして衣装を着て舞台に立つことに。

●2月16日(火)
顔合わせ。
子ども歌舞伎の役者全員が初めて集まりました。
今年は小学1年生~6年生まで10名で演じます。
初めて集まったと言っても、毎日放課後子ども教室で
一緒に過ごしている近所の友だちたち。
学年が違ってもここの子どもたちはみんなほんとに仲がいい。
演目と配役が発表され、友だちの名前を台本に書き込みます。

今年の子ども歌舞伎の演目は『恋女房染分手綱 重の井子別れの段(こいにょうぼうそめわけたづな しげのいこわかれのだん)』。

台本は読めない漢字だらけ。ふりがなをうちます。

●2月22日(月)
セリフの読み合わせ。
台本は読めない漢字だらけ。
大人の私でも読めない漢字や意味のわからない表現がたくさん。
ふりがなをうって、とにかくまずは自分のセリフの確認。
この日から歌舞伎本番まで週2回練習が続きます。
台本3ページにわたるような長いセリフがある子も。
それも昔の言い回し、そして歌舞伎独特のイントネーション。
こんなの覚えられるんだろうか。

●3月3日(木)
セリフの読み合わせが続きます。
もうセリフを暗記し始めてる。
子どもたちすごい。
そして友だちたちと夜集まって練習するのがとても楽しそうです。

●3月6日(日)
練固め(ねりがため)。
「ねりがため」なんて、最初は読めませんでした。
キックオフみたいな日です。
歌舞伎に関わる人たち全員で集まって挨拶をして、ごはんを一緒に食べます。
子どもたちも自己紹介。

練固め(ねりがため)の日。みんなで頑張りましょう! の乾杯。

子ども歌舞伎に出る子どもたちの自己紹介。

●3月7日(月)
今日から立ち稽古。
地元の公民館には歌舞伎の練習部屋があります。
動きも確認しながら練習。
練習が終わってから、かつら合わせ。
いろはは人生で初めてちゃんとしたかつらをかぶりました。

立ち稽古スタート。練習着と練習用の小物。

今回の演目はみんなですごろくをするシーンがあります。普段と同じように遊ぶ。

かつらの試着。

マムシとムカデ

早島町のアパートで暮らしていた当時のこと。
アパートのすぐ前は私有地で車の通りもほとんどなかった。
でも、まったくないかというとそうでもなく、
奥に2棟あるアパートの住人たちが駐車場の出入りで行き来する。
子どもたちはそんなことはおかまいなしだ。
アパートを出るなり駆け出そうとするから、大声で「走っちゃダメ!」と叫ぶことになる。
児島の元浜倉庫も歩道があるもののすぐ前が道路。
子どもたちを連れて来た日には「走っちゃダメ!」と何度も叫ぶ。
この「走っちゃダメ!」が、存外気が滅入る。
というのが、ダメと叫びながら同時に「子どもって走るもんだよ」との思いもあって、
これが苦々しい。親なら誰もが子どもたちには存分に走らせてやりたいのだ。
現在の家はそれができる。家を出て走り出そうがなにしようが放ったらかしだ。

浅口市の通達や広報誌、JAからの通知といった、
回覧板として回ってくるいろいろのなかに『パトロール遙照』なるものがある。
発行しているのは浅口市を管轄とする玉島警察署(倉敷市)。
主には地域の犯罪状況の報告や防犯の啓発を目的としたもので、発行は月1回、
A4サイズのペラもの2枚程度で構成されている。
4月初旬に回ってきたそれのタイトルは
「気をつけよう! コミュニティサイトに潜む危険」。
平成26年度は15件だったネット関連の被害件数が、
平成27年には37件と急増しているとあった。
子どもたちがこの手の犯罪に巻き込まれるケースも多いようで、
携帯電話回線のフィルタリングや無線LANのフィルタリング、
アプリ用のフィルタリングの利用を勧めていた。
「フィルタリング」が重要なキーワードであることは間違いないが、
フィルタリングそれ自体がどういうものかの説明はそこになかった。
たぶん、ぼくの住んでいる六条院西T村で
フィルタリングについて知っている人はほとんどいないだろう。
だからといって調べることもないと思う。
ぼくの村では、未成年者はうちの子たち以外ひとりしかいない。

鴨方町六条院西、通称「西六(にしろく)」地区の最大の脅威。
それはネット犯罪じゃないし空き巣でもない。米や野菜の盗難でもない。
これからの時期、その脅威は日に日に増すことになる……マムシである。
「ハミィ、出たんか!」
近所のおじさんが血相変えてうちに来た。
あれは六条院西に引っ越す前、去年の5月だったと思う。
10年以上手をつけていない荒れ放題の畑を草刈り機で刈っていた。
そのとき、茂みにいたヘビを草刈り機の刃ではじいてしまい、
千切れた胴体がはじかれた勢いでそのまま畑の向こうの道路まで飛んで行った。
うちに血相を変えてやってきたのは、そのヘビの死骸を見た近所のおじさんだ。
「すいません! 何かはみ出てました?」
「いや、ハミ、出たんじゃろう?」
「………?」
「ハミじゃ、ハミ。マ・ム・シ」
この西六ではマムシと呼ぶ人はいない。みんながみんな、「ハミ」と呼ぶ。
「気をつけられえよ、子どもは長靴はかさんといけんで」
おじさんが帰った後にまじまじと見た。マムシを見るのは生まれて初めてだった。
体長はたぶん20センチほど、案外小さい。
背中には畳の縁にあるような丸い文様があって、かなり和な感じがする。
その後半年の間で3度見た。そしてその半年の間に、
すぐ近所のおばあちゃんが夜家を出たところでマムシに噛まれ、救急車で運ばれた。
その時期、村の話題を独占するような大事件だった。
幸い、昨年の被害件数はそれ一件だけ。そう頻繁に遭遇することもないようだ。
それにしては、村の人たちのマムシに対する恐れと嫌悪は尋常でない。
それが村の合い言葉でもあるかのように、
ふたことめには「気をつけられえよ」といまもって言われる。

昨年の夏のことだ。夜、洗い物をしていたタカコさんが突然悲鳴をあげた。
うずくまっている彼女のすぐ横、
炭を混ぜたコンクリでうった真っ黒な土間の表面を
20センチほどの長い物体がもぞもぞとはっている。
目にした瞬間、さっと血の気が引いた。マムシにやられた、そう思ったのだ。
でも、次の瞬間、引きあげた血がどっと戻った。
マムシじゃなかった、ムカデだ。マムシに比べればかわいいものだ。
それにしても見事なムカデだった。太さといい長さといい、
魚拓にでもとりたくなるような。漆黒の胴体に照明の加減で紫の色目が浮き出る。
そのカタチ、色みの美しさに反して、おびただしい脚の数と動きのおぞましいこと。
神様は実にヘンテコな生き物を作ったものだと感心しながらも、
子どもが噛まれたら大変という親の思いが押し寄せ、
「すまぬ、許せよ!」と心のなかで叫びながら箒で退治した。
それからタカコさんの手当。噛まれた足の一か所に5分ほど熱いお湯をかけ流す(約50℃)。
いつか児島の友人のフジタくんが教えてくれた処置を聞いたとおりに施した。
その手当の効果のほどには、ぼくもタカコさんも驚いた。
痛みはすぐにひき、その後の腫れもまったくなかった。
人生なにが起こるかわからないので、この治療法は是非憶えておいてもらいたい。
ちなみに、フジタくんは家でサラダを食べようとして、
葉ものにくっついていた小さなムカデに唇を噛まれたという。

去年の夏は、ぼくが蜂に刺されるという小事件もあった。
さほどの蜂でもないと思うんだけど、痛みと腫れがひどく、
最後はかゆみになって長く残った。
かように、田舎暮らしには田舎暮らしなりの脅威がある。

子どもたちは、ヘビであれムカデであれ、
それが死体であっても目にした途端に色めき立って興奮状態になる。
ぼくはそんな彼女たちに言い聞かせるようにしている。わからなくても言い聞かせる。
「こいつらだって悪いことをしようと思って生きてるわけじゃない、
むしろ臆病なんだよ。噛むのは自分の身を守るためだ。だから無闇に殺しちゃダメだよ」
彼女たちの目の前で殺し、その死骸を前にして言うのだから
伝わりづらいことこのうえなし。
でも、機会があるごとにずっと言い続けてきているから、
最近のチコリは少しだけわかってきたかもと感じることもある。
少なくとも、見つけたらすぐさまつぶしていたダンゴ虫は、
家のなかで見つけると外に逃がしてあげるようになった。

ぼくの娘たち、チコリとツツは自然の脅威に囲まれて育っていくことになる。
都市部の脅威から子どもたちが得るものはない。
でも、この田舎の脅威からはすごく大切なことを学ぶことができるとぼくは思っている。

春が来たら、寒々しかった裏庭と裏山が一気に気持ちのいい場所になった。なだらかに下る裏山もこれからの季節は子どもたちの遊び場。チコリとツツにはいつかツリーハウスをつくってやりたい。

左側にあるのはうちの山から切り出したクヌギ、右側がついこの間まで使っていた薪。冬にはあれだけ必要としていたストーブの暖かさが、ある日突然不要のものとなる。薪もこれだけ余らせてしまった。

北海道にも春がきた。 いよいよ空き家の改装スタート!

改装の第一歩は除雪から……

4月3日、岩見沢の美流渡(みると)地区にある空き家のカギをもらい、
いよいよこの場所の改装計画が始まることになった。

そのために、なによりも先にやらなければならないのが除雪作業。
北海道内で有数の豪雪地帯として知られる岩見沢。
その中でも美流渡は山間部にあり、この時期になっても
まだまだ雪がたっぷり残っている。
カギを開けて中に入るためには、玄関先まで
とにかく雪かき(この地域の人は雪ハネという)をしなければならない。

……といっても、私は東京育ちで、まったくの素人。
下手にやっても迷惑なので、夫がひとり黙々と雪と格闘することになった。

道路は路面が見えているが、手つかずの場所は4月に入っても雪が1メートルほど積もっている。除雪機を使わず手作業となったため、ここに3日ほど通うことになった(夫が)。ようやく家までの道が開けた。

さて、この連載で何度か書いてきたように、私はこの赤い屋根の空き家を、
エコビレッジづくりの足がかりにしようと考えている。
まずは、大工である夫にここを改装してもらって、
ゲストハウスをつくろうと思っていて、その計画がようやく具体的に動き始めた。

私は夫に、友人たちが宿泊でき、小さな子どもたちが遊べ、
そして私たちが暮らせるスペースにしたいと、大まかな要望を伝えているのだが、
細かな点はすべて夫にお任せというかたちになっている
(あれこれ首を突っ込みすぎると喧嘩になるので)。
夫は一応わかってはくれているようだが、改装方法について多くを語ろうとはしない。
あまり突っ込んで聞いても煙たがられるだけなので、
こちらも話題にすることはめったにない。

そんななか、友人との飲み会の席で、ご機嫌な夫が、
ついに改装計画を語ってくれたのだった。
その内容はこんな感じだ。
まず、壁などはすべて壊し、電気や水道の整備から始める。
あの空き家は、現在お風呂場に水道の蛇口がなく、
台所から水をホースで引っ張ってきており、無理な増築の跡があるようだ。

また、1階は台所と居間、その奥には床の間や
寝室として使えるスペースがあるのだが、全部壁を取払いワンフロアにするという。
2階のプランは検討中のようだが、夫としては吹き抜けをつくり、
ポールを立てて子どもたちが滑り降りる(消防士の出動シーンに出てくるような)、
そんなしかけも考えているらしい。

さらに、「イメージは〈アルテピアッツァ美唄〉のような内装」と友人に語った夫。
岩見沢に近い美唄(びばい)にある〈アルテピアッツァ美唄〉は、
彫刻家・安田侃(かん)さんがつくった野外彫刻公園で、
屋内の展示スペースとして旧栄小学校の木造校舎を利用している。
床は木、壁は漆喰で、懐かしい木造校舎の雰囲気を残しつつ、
洗練された心地いい空間をつくり出していて、夫は前々から気に入っていた場所だった。

この空き家は、玄関から廊下があり居間へとつながるが、廊下部分の壁をすべて取り壊し、ワンフロアにしようと計画中。

2階は2部屋。1室は床を壊して吹き抜けにするか、ゲストが寝られるスペースにするかを検討中だ。

扉にはめ込まれたガラスにはさまざまな模様がついている。改装でこうしたガラスも生かせるとおもしろそうだ。

第27話・ 神戸の美しい公園といえば? 〈須磨離宮公園〉

第27話
神戸の美しい公園といえば?
〈須磨離宮公園〉

神戸に春がやってきました。
ぽかぽかの晴れた日は、絶好のお散歩日和。
グレアムさんのお気に入りは、
神戸市須磨区にある〈須磨離宮公園〉。
ここはかつて天皇陛下の別荘だった、“須磨離宮”跡に作られた公園。
広大な敷地に、よく整備された庭園やバラ園を擁する、
優雅で美しい公園なんです。
グレアムさんのステキなイラストエッセイでお楽しみください。

芸術祭、春会期も残りわずか! 小豆島の“迷路のまち”で 白黒世界に迷い込む

旧醤油倉庫に広がるアートの世界

3月20日から始まった瀬戸内国際芸術祭2016(以下、瀬戸芸)。
残すところ春会期も1週間です。
4月17日が春会期の最終日となり、7月18日から夏会期が始まります。

小豆島には069番から109番までの作品が展開されています。
その数41作品。
前回の瀬戸芸のときは、移住して半年後くらいで、
家の片づけやカフェ改修、農業研修に行っていたりでなんだかんだと落ち着かず、
ほとんど作品を見に行くことができませんでした。
瀬戸芸期間中は、犬島や直島と小豆島をつなぐ直行便(高速艇)も臨時運航されるのに、
島外の作品にいたってはひとつも見に行けず……。
瀬戸内の島で暮らしていながらそれはもったいない!
なので今回の瀬戸芸では作品を見に行くというのをきっかけに、
小豆島のいろんな地区やほかの島も訪れようと企んでいます。

というわけで、先日訪れたのは小豆島の土庄本町エリア。
土庄港からバス停ふたつ分くらいの距離にある地区です。
ここは“迷路のまち”とも呼ばれ、
昔懐かしいまち並みが残る地域(小豆島日記vol.112参照)。
海賊から島民の生活を守るため、また海風から建物や日常生活を守るために
複雑に入り組んだ路地が迷路のよう。

細い路地が入り組む“迷路のまち”地区。迷いながら歩くのもオススメ。

実はここには去年、統合により廃校になってしまった小学校があります。
今回の瀬戸芸ではそこが案内所になっています。
一度行ってみたかったすてきな小学校です。
細い道に面した2階建ての旧土庄小学校。
校門から入ると芝生のグラウンドが広がっています。
板張りの廊下がなんともやさしい雰囲気で、
つい最近まで子どもたちがここで過ごしていたんだなぁと思うと
なんだか少し寂しくなりました。

去年廃校になってしまった旧土庄小学校。瀬戸芸の案内所になっています。

校門から入ると広がるのは芝生のグラウンド。

板張りの廊下がなんともやさしい雰囲気。

子どもたちがいない学校は寂しい気持ちになります。

この旧土庄小学校から歩いてすぐのところにあるのが、
大岩オスカールさんによる『大岩島2』という作品。
かつて醤油屋さんの倉庫だった建物の中にあります。
というか、こんなところに醤油屋さんがあったなんて驚き。
まちのことって知らないことばかりですね。

昔は醤油屋さんの倉庫として使われていた建物。

三重県発の 〈#思いやりアクション〉 パートナーへの 感謝&愛情&信頼を伝えよう

三重県がスタートした、
〈結婚ポジティブキャンペーン『夫婦・恋人の絆』応援プロジェクト〉。
より多くの出逢いや結婚への希望がかなうことを目指すプロジェクトです。
このたび、第一弾として公開された
結婚ポジティブキャンペーン公式動画『#思いやりアクション』では、
三重のひとたちが、普段はなかなか伝えられない、
パートナーへの感謝、愛情、信頼を表す
メッセージを呼びかけています。

いつもパートナーに伝えているようで
伝えきれていない、思いやりの気持ち。
この動画の基本コンセプトは“しあわせのミエる化”。
パートナーへの感謝、愛情、信頼を “具体的なアクションとして表現する大切さを伝え、
若い方々に向けて結婚・家族形成に関するポジティブな
イメージを持ってもらうこと” が制作の目的なのだそう。
撮影は、おかげ横丁・猿田彦神社・夫婦岩・近鉄四日市駅等の
三重県内各所で行われました。

父から子へと伝える、 雪の闇夜から現れた化身 前郷のやまはげ

なまはげより、こわい神さま?

大ぶりな鬼面や猛々しい装束をまとう、
秋田県の伝統行事として伝わる神さま〈なまはげ〉。
その圧倒的な存在感は、大人でも驚くが、
さらに異彩を放つ神さまがいる。
秋田市の前郷地域に伝わる〈やまはげ〉だ。
声を発しないのが伝統で、
般若のような面に海藻をかぶった神さまが、
無言で近づくと、子どもは叫び声をあげて泣き出し、
大人は歓声をあげて迎えるという。

古くからやまはげがその異形の姿とともに、
この土地に伝えてきたこととは何だったのか。