連載
posted:2016.5.20 from:広島県呉市・庄原市 genre:暮らしと移住
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〈 この連載・企画は… 〉
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。
writer profile
Hiromi Kajiyama
梶山ひろみ
かじやま・ひろみ●熊本県出身。ウェブや雑誌のほか、『しごととわたし』や家族と一年誌『家族』での編集・執筆も。お気に入りの熊本土産は、808 COFFEE STOPのコーヒー豆、Ange Michikoのクッキー、大小さまざまな木葉猿。阿蘇ロックも気になる日々。
photographer profile
Tada
ただ
写真家。池田晶紀が主宰する写真事務所〈ゆかい〉に所属。神奈川県横須賀市出身。典型的な郊外居住者として、基地のまちの潮風を浴びてすこやかに育つ。最近は自宅にサウナをつくるべく、DIYに奮闘中。いて座のA型。
http://yukaistudio.com/
credit
Supported by 広島県
2014年度から移住・定住促進に力を入れて取り組んでいる広島県。
相談窓口の設置やセミナーの開催、
移住サポートメディア『HIROBIRO』での情報発信など、
移住希望者に向けてアプローチを行ってきた。
なかでもきめ細やかなフォロー態勢で、移住希望者から支持されているのが、
東京交通会館6階にある〈ひろしま暮らしサポートセンター〉だ。
NPO法人ふるさと回帰支援センター内にあるこのサポートセンターでは、
県職員の平野奈都子さんがひろしまライフスタイリストとして常駐し、
移住希望者と受け入れる側である広島県内の地域、双方をつなぐ役割を果たしている。
このセンターの利用者のうち、2015年度に移住を決めたのは30世帯。
ひと月に2世帯以上が、広島での生活を始めたことになる。
平野さんに広島の魅力について尋ねると、
「大都市もあり、海も島も山もあること。
さらにそれぞれが近い距離に位置しているので、
広島市内に住みながら週末は自然を楽しめますし、
山海に住んでいても1時間で都市に出られるコンパクトさです」という答えが。
新たな暮らしを求めてやってくる人々の声を聞き、地域の人につなげること。
同時に、受け入れ側のニーズを把握し、移住希望者に伝えること。
今回はここでのサポートを受け、東京から瀬戸内海に浮かぶ
大崎下島に移住した写真家のトム・宮川コールトンさんと、
広島県庄原市出身で、広島市からUターンして
現在は広島市内で飲食店を経営しながら、自然農法に取り組む栗栖伸明さんを訪ねた。
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広島駅から車で走ること約1時間30分。
海を横目に島をつなぐ4つの橋を渡って辿り着いたのは、
人口わずか200名程度の小さな港町。
目の前には海が広がり、国の重要伝統的建造物群保存地区として選ばれたまち並みは、
雨に打たれ、いつにも増してしっとりとした風情をまとっている。
ここは呉市豊町御手洗、大崎下島と呼ばれる島。
フリーランスの写真家として活躍するトム・宮川コールトンさんが、
2015年の3月からから暮らしている場所だ。
イギリス人と日本人の両親のもと、東京に生まれ、イギリスで育ったトムさんは、
現地の大学を卒業後、「ちゃんと日本に暮らしてみたい」という思いから、
2009年の秋に単身東京へ。スコットランド留学中に知り合った真伊さんと結婚し、
将来を考えたときに、移住という選択肢が浮かんできた。
大きく影響を受けたのは、『オーガニック・アメリカンズ』という本を
撮影・執筆した際に滞在したアメリカのオーガニックファームだった。
「安全な食べものを自分たちでつくり、食べる。
僕たちがそうしたいと思うような生活をしていて、感動しました。
それから、妻とこれから何を大切に生きていこうか話し合うようになりました。
ふたりで決めたことは、健康的な生活が送れることと、
ゆくゆく子育てをすることを考えて自然豊かな環境で暮らすことのふたつ。
空気や水、食の環境がよければ東京でもそういう暮らしは探せたかもしれないけれど、
物や人のあふれる東京の生活より、少しゆとりのある地方の暮らしのほうが
バランスよく暮らせるんじゃないかと思ったんです。
でも、いざ移住するといっても、何から始めればいいのかわからなかったので、
移住先の条件はシンプルに決めました。
『海と山ならどっち?』『暖かいのと寒いのなら?』という風に」
トムさんと真伊さん、お互いの両親の故郷が山にあったので、
逆に海を近くに感じる温暖な地域に絞って移住先を探すことに決まった。
「どこに暮らすかを具体的に決めるというよりは情報をたくさん集めたい」
との思いから、まず向かったのは、永田町にある都道府県会館。
そこで、ふるさと回帰支援センターの存在を知り、平野さんと出会うことができた。
トムさんは平野さんとのやりとりの印象をこんな風に話してくれた。
「平野さんのところに行ってよかったなと思ったのは
そこに住む“人”で具体的にまちを紹介してくれたことです。
こういう人がこんな場所でこんなことをしています、こんな仲間を探していますよと。
たいていは、『この辺はこんなところで……』と大きく説明されて終わり。
平面の地図で説明されていたのが、一気にストリートビューで見るように
リアルに感じられたんです」
そこに暮らす人を通して、まちを知ってもらう。
これは、平野さんが意識的にとり入れているやり方だ。
その姿勢は、毎月1度のペースで東京で開催されるセミナーでも同じ。
県内の各地域や、「起業」「大人女子限定」など、
そのときのテーマにふさわしいスピーカーを広島から呼び、
実際の暮らしを聞けるようにコーディネートしている。
平野さんの話を聞くなり、興味を持ったトムさんは、
1か月経たないうちに御手洗を訪ねることにした。
「柑橘を食べて『おいしい!』というのが最初の印象です(笑)。
本当においしかったので。そして、まち並みも景色もすごくきれいだと思いました。
『ここしかない!』というよりは、『ここがいいんじゃない?』という感じ。
移住には不安がつきものです。この選択が100%正しいと思えるまで探すようじゃ、
結局移住はしないままになると思いました。
その後、真伊とここでどうやったら食べていけるのかアイデアを出し合いました」
収入源はひとつより複数あったほうが生活がしやすいと考えたトムさんは、
写真の仕事を続けるのは前提で、農業やゲストハウス、
山羊を飼って草を食べさせる除草サービスなども考えたという。
真伊さんは、呉市が地域おこし協力隊を募集していることを知り応募することにした。
協力隊の条件は各市町で異なるが、呉市の場合は、
3年間地域に関する仕事をしながら、空き家に住み、
その間にそれ以降定住するための環境を整えることができるという、
トムさん夫妻にとって「最初の一歩を支えてくれるような制度」だった。
2015年の2月に呉市で面接を受け、中旬に採用が決まり、引っ越したのが3月中旬。
東京の生活を1か月で片づけるスピード移住となった。
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それから1年と少し。現在、真伊さんは引き続き協力隊の一員として働いている。
トムさんは雑誌などの撮影の仕事に加え、元郵便局の建物を改装した写真館
〈トムの写真館〉をオープンさせ、証明写真や家族写真を撮っている。
行事があった際には集合写真を撮るなど、すっかりまちに溶け込んでいる印象だ。
「写真館を開いたのは、外から来た私たちが
何か地域のためになることをしたかったからです。
私たちが来ることでプラスにならないと意味がないと思いました。
もし、東京近郊でこんな雰囲気の写真館を開くのであれば、
鎌倉かどこかに空き家を探すところから始めないといけないですよね。
家賃だけでも相当かかるはず。移住してよかったのは、
こういう場所を始めるスペースとチャンスがあることです。
アイデアがあればそんなにお金をかけることなく始められます」
また、英語が堪能なことを生かし、
瀬戸内を紹介するネットコンテンツのプロデュースをしたりと、
以前よりも仕事の幅が広がっているそう。
実際に暮らしてみてどんなことを思ったのだろう?
「都会だと住んでいる場所と自分の生活ってあまり関係なかったりします。
自分なりの生き方を選んで、好きな人にだけ会って、
嫌なことは避けて……というようになりがちです。
でもここでの生活では、周りに住んでいる人たちと
毎日上手に楽しく生活することが大切になってくる。
そこが全然違います。東京にいた頃は、毎月高い家賃を払って、
家賃のために働いているような生活に疑問がありました。
ここだと収入は減るけれど、必要なお金も減って、
暮らしに対する余裕が生まれるからか、自然と地域のことを考えるようになるんです。
自分の勝手で動くよりは、地域との調和が必要になるけれど、
それがすごくよかったのかなと思っています。
東京では話さないような世代の違う人と話をして、
甘いところだけじゃなく苦いところや深いところも味わって。
それがおいしく感じるようになるんです」
御手洗は、まちの半分以上が空き家のまま。
トムさんは御手洗について情報を発信し、
外とのネットワークをつくってきたいと意欲的だ。
「そうすれば、いまよりもっと移住したいという人が来たり、
おもしろい人が集まって来るはずだから」
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トムさんのように県外から移住してくる人がいる一方で、
すでに広島で暮らしながら、 移住者を受け入れられるよう奮闘している人もいる。
広島駅から車で2時間弱。島根県、鳥取県、岡山県にも近い庄原市は、
2005年に近隣の1市6町が合併し、誕生したエリアだ。
現在はこの庄原市の一部となっている西城町で生まれ育った栗栖伸明さんは、
広島市内に飲食店を2店舗経営しながら、お店で使う野菜をこの場所で育てている。
広島市と庄原市を行ったり来たりの二拠点生活も4年目。
移住者の手助けができればと、移住・定住に関わる市や県の職員とも
積極的にコミットしている。
「移住してきた人が農業をして、生活をする基盤をつくってあげたいんです。
何のつながりもないなかで、外からやって来ていきなり農業をするというのは
けっこう難しいことなので、僕がパイプ役になれたらいいなと思っています」
現在のように二拠点生活をするようになったのは、
2008年、栗栖さんが30歳のときにカナダに滞在したことがきっかけだった。
のちに妻となる真理子さんが、カナダにワーキングホリデーに行くことになり、
栗栖さんも旅行するような感覚で2か月滞在。
バンクーバーや雄大な自然に触れつつ、WWOOF(*ウーフ)を利用し、
有機農法で生計を立てる夫婦の家に住みながら手伝いをした。
真理子さんが帰国後、結婚し、夫婦ふたりで飲食店を営むこと、
そこで使う野菜を自分たちでつくることを目標に、
2010年、広島市内に野菜と薫製が人気の居酒屋〈ごはんばー旬の畑食堂〉を、
翌年2011年には〈ワインバー堺町バル〉をオープンした。
「実は旬の畑食堂の物件を契約した時期に、妻の妊娠がわかって、
つわりがひどかったので急遽人を雇うことにしたんです。
ありがたいことに、自分の考えに共感してついてきてくれる
信頼できるスタッフに恵まれたので、いまはスタッフに店を任せて、
僕は農業に時間を割くことができています」
2011年、農薬も、肥料も使わない自然農法で野菜を栽培する
〈あちゅらむオーガニックファーム〉をスタート。
近隣の住民から借りている土地を合わせて、計8か所、約10反ほどの畑で、
年間40種類以上の作物を栽培している。
収穫した野菜は、自分の経営するお店で使うほか、県内外の飲食店に卸したり、
WEBサイトやSNS経由でオーダーを受け、個人宅にも発送している。
「農業については試行錯誤ですね。
カナダでしっかり学んだわけでもないですし、失敗ばかり。
祖母が家で食べるお米や野菜をつくる兼業農家だったのですが、
当時はまったく興味がなく手伝いもしなかったので
『あのとき手伝っていれば』と後悔しているくらいです。
でも、うちの畑でとれた野菜は味が濃いですよ。
にんじんなんて特にわかりやすいんですけど、
にんじん嫌いの子どもだと食べられないんじゃないかというくらい
ちゃんとにんじんの味がするんです。
肥料を与えない分、大きくならないので味が凝縮するみたいで。
カナダで滞在したファームでは豚を飼っていたのですが、
僕も同じように豚を育てて、その堆肥を使って農業で循環させたいんですよね」
*WWOOF:World Wide Opportunities on Organic Farmsの略で、有機農場での労働力と、食事や宿泊場所を交換する仕組み。金銭のやりとりはなく、有機農業を営む人と学びたいと思っている人のコミュニケーションの場として世界中に広まっている。
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栗栖さんと話していると、たびたび登場するのが「循環」というキーワードだ。
野菜を自然なサイクルでつくること、
自分で育てた野菜をお店で使うことも、まさに循環。
昨年からは醸造用の葡萄も育て始めたところで、ゆくゆくはワイナリーを開き、
オリジナルワインをワインバルで提供するという目標もある。
さらに広島への移住を希望している人に対しても、
循環できるものがあるのではと動いているところだという。
「どこで農業をやるか。正直なところ、それはどこでもよかったんです。
たまたま生まれ育ったのがこの辺りだったので、
育ててもらった環境に何かできたらいいなという想いが生まれて、
いまではここでおもしろいことをやりたいと意識するようになりました。
自分がやってみて思ったのは、
『農業はつくって終わりではなく、売るまでが農業』だということ。
ここで生まれ育った僕でさえ、最初に畑を借りるまでは大変だったので、
あいだに入ってできることをやってあげたい。
僕が販路を拡大することで、新たに就農する方に
卸し先を譲ってあげたりできないかなとも思っているんです。
ワイナリーだって、自分の畑と店の循環という意味ではもちろんですが、
雇用を増やすための手段のひとつとして捉えています」
「栗栖さんが出会いたい人はどんな人?」そう尋ねると、
「パン屋をやりたいと思っている人」という答えがすぐに返ってきた。
「自分で小麦を育てて窯もつくってパンを焼けたらいいなと思っているんですけど、
さすがにそこまでをひとりでやるのは難しいので、
ナチュラルな素材を使ってパンを焼きたいという人がいれば大歓迎です。
こうして口に出すことで、実際に人が来てくれたりするので
言うようにしているんですよね。
自分たちで食べるものは自分たちでつくるという循環の仕組みを地域につくり、
“ナチュラルなもの”を表現していきたいと思っています。
将来的には、野菜も米もワインも燻製も、店で出すものはすべて
自給できるレストランを、広島市内や地元の庄原につくるのが目標なんです。
せっかくUターンしたんですから、こうした構想を地域の人と連携して
実現していくことで、地元に雇用を生み、地域振興に貢献できればと思っています。
今度、自分の考えに共感し、庄原で一緒に働いてくれる人を求めて、
県や市の方と東京でセミナーを開く予定です」
この5月からは、第二子出産のために里帰りしていた真理子さんと、
子どもふたりの4人暮らしが始まる栗栖さん。
これまでは広島市内に住居を構えていたが、自分にできることを増やし、
自分がやりたいことを貫くために、庄原に拠点を移す予定だという。
「子どもには田舎で育っても、グローバルな視点を持ってもらいたい。
自分がWWOOFを利用したように、ここが県外の方だけでなく、
海外の方にも来てもらえる場所になれば
子どもにとってもいい影響があるんじゃないかと考えたり」
この日同行していた移住・定住促進に関わる県の職員も、
取材のあいだに細かくメモを取り、気になることがあれば栗栖さんに質問していた。
ここでのやりとりが、東京にいる平野さんと共有され、また新たな縁を生み出していく。
平野さんはこんなことを話していた。
「ここ(ひろしま暮らしサポートセンター)に来られた相談者の
夢や希望、ときには不安に思っておられることをお聞きして、
その人に響きそうな人の存在をお伝えするんです。
最終的なポイントは人とのつながりや縁だったりするんですよね」
現地の情報を細かく吸い上げ、移住を考える人に具体的な人や仕事を提示する。
それによって移住希望者は未来の姿を描くことができる。
人が人を呼ぶ、それこそが移住者が増えていく要因なのかもしれない。
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あちゅらむオーガニックファーム
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