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シャクヤクよ、棚田に咲き誇れ。
限界集落がつないだ100人以上の
「大家族」の挑戦

Local Action
vol.078

posted:2016.5.20   from:高知県大豊町  genre:暮らしと移住 / 活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

writer's profile

Ikuno Fujii

藤井郁乃

外資系OLを退職し、本州で一番人口の少ない市・室戸へ移住。普段はなかなか見えにくい生産者の想いや生産現場など、モノの背景にある物語を届けるべく活動中。地場産カフェの立ち上げや、地元食材を使った商品の開発の合間、畑仕事や自宅である古民家リノベにのんびり勤しみ中。
http://magazine-watashi.com/

「棚田をシャクヤクでいっぱいに!」
とある夫婦と100人の若者たちは、どう耕作放棄地をよみがえらせたか

高知県大豊町。
四国のほぼ中央に位置し、高知随一の豪雪地帯としても知られる。
平均標高450メートルの山岳地帯に位置する大豊町は、平地がとても少ない。
代わりにここの人たちが先祖代々つくりあげてきたのが、
急勾配の山の斜面に延々と続く棚田である。
田植えの時期は青々とした水田が、稲刈りの時期は黄金色の稲穂が、
冬には積もった雪が、季節ごとに色を変えて棚田をパレットのように染める。
フィリピンでは、山肌に沿って空まで続く棚田のことを「天国への階段」と表現するが、
なるほど確かに言い得て妙だ。

大豊町は四国有数の豪雪地帯。雪が積もると棚田は白い階段に装いを変える。

その大豊町で、耕作放棄地となった棚田に
シャクヤク(芍薬)を咲かせるプロジェクトが始まっている。
発起人のひとりが、8年前に大豊町に移住をしてきた大谷一夫・咲子ご夫妻だ。
「山が好きだったから、登山に来たことが最初のきっかけ。
来てみたら、すっかりこの棚田の風景に惚れ込んでしまって。
ちょうどお父さんの主治医から、
空気のいいところに引っ越した方がいいって言われたこともあって移住を決めたの」

しかし、大豊町は四国で最初に限界自治体を迎えたまちでもある。
「だんだん、集落の人も年をとっていって、野良仕事が難しくなっている。
人が入らなくなくなった棚田は、耕作放棄地になって、すぐに崩れていく。
この美しい棚田の景色に惚れ込んできたのに、それがなくなっていくことが悲しくてね。
なんとかできないかって集落の人たちと作戦会議をしたの」

大谷一夫さん(左)と咲子さん(右)。この日は咲子さんの誕生日を祝って大学生がケーキを持ってきていた。

大谷さんご自慢の家からの景色。この景色を見ながら、ふたりに会いに来た若者とごはんを食べるのが恒例行事。

耕作放棄地となった棚田(左)と、農作地の棚田(右)。放棄地となった棚田は、草木が生い茂り、土砂崩れなどの原因にもなる。

高知大学の教授や、地域の要人が集まった会議で、棚田をどのように生かせるか、
どうしたら大豊の棚田を残せるかを話し合った。
人もいない、予算もない、でもなんとかしたい。
そんななかで、プロジェクトは咲子さんのひと言で決まった。
「棚田をシャクヤクでいっぱいにしよう」

咲子さんに聞くと、
「シャクヤクにしようと言ったのは、この辺りに準絶滅危惧種の
ヤマシャクヤクが自生してるっていうのもあるんだけど……
しんどいことは嫌! と思ったから(笑)。
ほかの花と違って、シャクヤクは1株植えたら毎年花を出してくれる。
もちろんお世話は必要だけど、
これだったら人がいないこの土地でもみんなの力でできると思った。
私たちの力で、私たちの土地を守っていけるって」
そして2013年、〈大豊シャクヤクの会〉は誕生した。

準絶滅危惧種に指定されているヤマシャクヤクの花。

耕作放棄地となった棚田にシャクヤクを咲かせるべく、毎週のように開墾作業や会議を続けた。
高知大学の浜田和俊先生と集落のつながりもあって、大学生ボランティアも徐々に増えていった。
ここでも中心になったのは一夫さん。
農機具の使い方や生活の知恵に至るまで、大学生と一緒に畑に立って、
ひとつひとつ手ほどきをしながら教えた。
民間の助成金や寄付金を募る傍ら、
クラウドファンディングにも挑戦して全国から120万円の資金も集めた。
地元民の力、地域の大学生の力が合わさって、
限界集落に少しずつシャクヤク畑が広がっていった。
1年目は500平米だった畑も、2016年の今年は2000平米へと広がった。

シャクヤクの植えつけ作業をする高知大学生団体MBのメンバー。

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大谷夫妻の最高のおもてなし

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週末毎に朝から晩まで開墾作業に勤しむ大学生を、大谷ご夫妻は郷土料理でもてなす。
大学生たちも、呼び方が「大谷さん」から「お父さん、お母さん」に変わり、
シャクヤクのことだけでなく進路や恋愛の相談でも大豊を訪れるようになった。
今では大谷ご夫妻を父母と慕う若者が全国に100人以上いて、
年間で延べ300人以上の若者が大谷さんのもとを訪れる。
大豊町の人口が約4500人だから、
この人数はもはや「大谷集落」と呼ぶに値するかもしれない。
その中には〈大豊シャクヤクの会〉の活動がきっかけで、
大学卒業後にこの土地に移住をしてきた大学生もいる。
血のつながりはなくとも、大谷さんのもとには土地でつながる親子関係が確かにある。

大学生をもてなすために、山菜を採りに入る咲子さんと、メニューの山菜の天ぷら。

みんなで食卓を囲む、大家族の食事風景。

このプロジェクトがきっかけのひとつとなって、この地域に移住をした矢野大地さん。今は自身のページで地域の暮らしの様子を発信している(http://www.yanodaichi.com/)。

大豊シャクヤクの会の活動を振り返って、大谷夫妻はこう話す。
「たくさんの人が大豊に来てくれるようになって、生活がとても楽しくなった。
若い人たちとの交流は元気をもらえる。
それにね、集落の周りの人たちも集まってくるようになったのよ。
地域に若い子が入ることで、この集落全体が元気になってくれたような気がする」

近所に住む方が、自家製の巣箱に入ったとれたての蜂蜜を持ってきてくれた。大豊シャクヤクの会をきっかけに、交わることのなかった人たちの交流が生まれている。

「大豊は65歳以上が人口の半分以上。
でもこの土地にしかない文化や風習がたくさん残っている。
シャクヤクもそう。でも残していくには、やっぱり若い力が必要。
これからも若い人の力と地元の人たちの力で守っていきたい」

シャクヤクの見頃は5月末まで。
崩れかけていた天国への階段に、百花繚乱、5000本のシャクヤクが咲き誇る。

information

大豊シャクヤクの会

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