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父から子へと伝える、
雪の闇夜から現れた化身
前郷のやまはげ|Page 5

あたらしい糸に - 祭礼がつむぐ東北
vol.002

Page 5

一年に一度出会う神

を迎え、雪に抱かれる時期になると、山から下りてくる〈なまはげ〉
そして、〈やまはげ〉のことを思い出す。
〈なまはげ〉といえば、秋田を代表する伝統行事のひとつだ。

赤と青の大ぶりな鬼面をかぶり、「悪い子いねえがあ?」と叫び、
子どもたちを震え上がらせるその存在はあまりにも有名だ。
このなまはげのイメージとなっているのは
男鹿半島の真山神社に伝わるものだが、この男鹿のなまはげ以外にも、
男鹿から庄内にかけての日本海沿岸に、
〈やまはげ〉や〈あまはげ〉などと
少しずつ名を変えながらなまはげ的世界が存在している。

僕はある時期、このなまはげの世界に興味を持ち、毎年冬が来ると、
どこかのなまはげを訪ね歩くようになるのだが、
そのきっかけをつくってくれたのが前郷のやまはげだった。

前郷のやまはげの特徴は、なまはげのなかでは異彩と称される装束にある。
般若を想起させる無色の面に、
八郎潟の海藻でつくった“モグ”と呼ばれる髪をかぶる。
そして、藍で染められた分厚い夜着をまとい、注連縄の帯を巻く。
どこかユーモアを感じさせる多くのなはまげ装束に比べ、
やまはげのそれは、異界の厳しさ、恐ろしさを物語るように思えた。
しかも、これが静まり返った雪の闇夜から登場するのである。
どんどんと荒々しく叩かれる戸板の音に、
多くの子どもたちが震え上がってきたことだろう。

僕が訪れたその日のやまはげの恐ろしさも十分だった。
夕方から美しい粉雪が降り続け、前郷の集落を白く包み込んでおり、
雪をかぶったやまはげがヌッと玄関先から顔を出す瞬間は
恐怖そのものだった。

やまはげの後を追い、集落の1軒1軒を訪ねていくと、
どこの家でもやまはげの登場に、叫び声と歓声があがった。
やまはげから逃げ惑う子ども。家長の威厳を示しながら、
やまはげに挨拶をするおじいさん。
甲斐甲斐しく燗酒や肴をすすめるお母さん。
その様子は芝居というよりも、どこか“物語”めいていて、
僕を不思議な気持ちにさせた。そして、その感覚はかつて、
“物語を語る”ことについて興味を抱いていた頃のことを思い起こさせた。

ずっと前のことになるが、京都での学生時代、
僕はネイティブアメリカンの文化を研究するゼミを専攻していた。
歴史や思想など、彼らの世界を学ぶなかで当時の僕が特に魅かれたのが、
彼が口承で受け継いできた“物語”だった。
クマ、キツネ、カラス、彼らの神話にはさまざまな動物たちが、
神のような存在として登場し、人間もまた同等の存在として、
世界の有りように深く関わる彼らの、
のびやかな神話や口承詩は、若い僕の中に染み込んでいった。
その一方で、彼らがこうした物語を語り続ける理由に疑問を持った。

いや、何もネイティブアメリカンだけではない。人は、
あやふやとして単純な示唆ではない事象を前にしたときに物語を用いる。
何かの教え、何かの諭し、過去や未来に起こる出来事の意味ついて、
抽象的な世界を前にしたとき、“物語”を用いるのは、
僕たち日本人も含めた人間共通の文化だろう。

でも、なぜ、人は現実を生きるために架空の物語を必要とするのだろうか。
なぜ、直截的な言葉を用いず、物語という流れのなかに、
メッセージを溶け込ませるのだろうか。

僕には前郷のやまはげもその通りのように思えた。

しかも、やまはげの場合、神話や伝説といった口承ではなく
可視化された物語によって伝えられてきた。
その理由はどこにあるのだろうか。
人にとって物語とは、きっと、大切なことを伝えるための道具だ。
そして、道具は必要だからこそ生み出され、
必要がなければ忘れ去られていく。
演劇性すら伴うやまはげに込められたメッセージは、
やまはげを続けてきた当事者たちにとって
絶対に必要と呼べるものであったはず。
いや、かつてはその必然があったとしても、
現代にそのような物語をつむぐ意味を、
今を生きる人はどこに見出しているのだろうか。
この問いは、今の時代に祭礼をつむぐことへの問いかけと
同義ではなかろうか。

何軒目かに訪れた家でも一連のやまはげ登場劇があり、
酒と肴を愉しんだやまはげは立ち上がると、
「じゃあ、皆の者、まめに(達者に)暮らせや」と叫び、
荒々しく戸外へと出ていった。

僕も慌ててやまはげの背中を追って外に出た。
すると、そこには雪の道の真ん中で立ち、
今、訪れたばかりの家を眺めているひとりのやまはげの姿があった。
やまはげは、「結構酔ったべな」と言うと、2本の角を生やした面を取った。
前郷のやまはげは、男たちがふたり組となり手分けして集落を回る。
僕がついて行ったのは、
古谷昌規さんという僕の同世代で若手の中心人物だった。

古谷さんは「寒くないすか。おら、足が凍れた」

と藁靴を履いた脚をあげて笑いながら、
「ここ、おらの家なんですよ」と言った。

そして、満足そうな表情で「あいつ、まったく気づいてなかったな。
おらの息子のことです。泣き叫んでいたでしょう」と再び笑った。

「いつか気づくのかなあ、親父がやまはげだってこと。
でも気づかないほうがいいべね。やまはげはやまはげだもの。
さあ、あと半分、寒いし早く回りましょう」
そう言って古谷さんは、相棒のやまはげに促すと、雪の道をまた歩き出した。

さくさくと歩みを進めるたびに、軽やかな音が生まれた。
特に静けさが占める冬の夜、雪の音は驚くほどに大きい。

僕は、雪の音を聞きながら、
古谷さんが執拗に男の子を追いかけ回していたことを思い起こした。
前郷のやまはげは、叫び声など、声を発しないのが伝統だ。
しかし、子どもたちにとっては、
無言で迫ってくるその異形は恐ろしさを増幅させるにちがいない。
4歳になるという古谷さんの息子も
この恐ろしさには耐え切れず泣き出していたのだった。

その一連の様子を思い出した僕は古谷さんに追いつくと、
「息子さんと握手しましたよね」と言った。

すると古谷さんは

「そうそう、あんまり泣いてちょっとかわいそうかなって。
でも声をかけたりするとバレるし、急に抱きかかえてあげても変じゃない?
だから、握手って。あいつ、観念したのか震える手を出してきたよね。
でも、パニックだったんだろうね。
まったくおらだって気づいてなかったもの」

と面の奥で笑うと、次の家へと入っていった。

こうして、その日の前郷のやまはげ行事は無事に終わり、僕は家路に着いた。
岩手へと車を走らせながら、
古谷さんの息子がいつ、やまはげの舞台裏を知るのだろうと想像した。
友だちが密告めいた口調で話すこともあるだろう。
大人のふとした会話で気づくこともあるかもしれない。
しかし、自らの父親がやまはげだということに気づくのは、
あのやまはげの大きな手が父親の手の感触そのものだったと
気づく瞬間ではないだろうか。
そして、父親が自分の幸福を願って、やまはげに紛していたこと、
それを前に大泣きした自分をちょっと恥ずかしく思ったり、
父親のことを昨日よりも身近に感じたりするのだろうか。

もし、こうした瞬間が訪れるとしたら、
それは、“やまはげ”という“物語”がもたらすことができた
小さな気づきなのではないのだろうか。

人が物語をつむぐ意味、祭礼をつむぐ意味とは、
小さな火にも似た気づきを得るため、そうは思えないだろうか。

最後の一軒を回り終えたとき、古谷さんは、暗闇を指差すと、
「今年もこれでやまはげは終わり。あの山さ、みんな帰っていくんだよ」

とつぶやいた。

恐ろしいやまはげが山に戻ってくれた後になると帰ってくる父親たちを、
それぞれの家族はどのように迎え入れるのだろう。
お互いのその表情をいつか見ることができればと願った。
そんなことを考えていると、車は早くも県境を越え、岩手へと入っていた。
僕が暮らす雫石もまた、雪に抱かれていた。

写真・文 奥山淳志