私たちはコミュニティを リノベーションしている。 不動産屋が米づくりする理由

omusubi不動産 vol.9

こんにちは。おこめをつくるフドウサン屋、omusubi不動産の殿塚建吾と申します。

私たちは「自給自足できるまちをつくろう」を合言葉に、
毎年、手で植えて手で刈るアナログな田んぼを続けながら、
空き家を使ったまちづくりを生業としています。

私は一応、omusubi不動産の代表をつとめています。
父方の家業が都内で不動産屋、母方の家業は千葉県白井市で梨農家を営んでいて、
それぞれの文脈にバッチリと影響を受けながら、
出身地の松戸市でomusubi不動産を立ち上げました。

この連載では、omusubi不動産のメンバーが代わる代わる書き手となり、
思い入れの深い物件とその物語をご紹介させていただきました。

連載9回目は、田んぼのお話をお届けします。

「田んぼ」という私たちの原点

田んぼというと「リノベーションと関係ないじゃん」という声が
聞こえてきそうでドキドキします。

そもそも、これまで私たちが手がけた事例をいくつかご紹介してきましたが、
その建物の多くは建築士やデザイナーによる劇的なbefore・afterではなく、
使い手によるDIYなど、時間とともに育てられ、変化していくものが多いです。

しかも田んぼとなると、もはや土地です。それの何がリノベなのでしょうか。

その答えとして、私たちは「コミュニティ自体をリノベーションしている」
のではないかと考えています。

そして、その根底にあるのは、田んぼであると信じています。
今回はそのお話をさせてください。

「神々廻の森」にある田んぼ。

「神々廻の森」にある田んぼ。

自給率0%の自分が情けなかった

私たちの田んぼは、松戸から車で40分くらいの
千葉県白井市の神々廻(ししば)という場所にあります。
周りは目の前にある市民プール以外は森に囲まれていて、
その地名の通り、いまでも神聖な空気を感じられる場所です。
そこに1反ちょっとの小さな田んぼを借りています。

田んぼを借りた理由。
それはシンプルで、自分の自給率を上げたかったからです。

仕事の意義はたくさんありますが、
私は最終的には食べるために働いていると考えています。
それなのに食べ物をつくっていない自分が情けない。
そして本業である不動産はゼロからイチをつくるより、
あるものを横に流すイメージを持たれていて、
事実そういう側面もあることは否定できない。
なので、ちょっとでも本質に近いことをやっている
免罪符がほしかった、というのが当時の心境でした。

使われていない空間を 小さな工夫で生かしてみよう。 武庫川女子大学 〈◯◯のチカフェ〉プロジェクト

多田正治アトリエ vol.11

京都を中心に関西で建築設計をしながら、紀伊半島の熊野エリアでも
地域に関わる活動をする多田正治(ただ まさはる)さんの連載です。

最終回は、大学の中庭で開催したカフェ企画について。
なにか新しくモノを建てずとも、ささやかな設えとアイディアによって、
使われない場所に新しい意味をもたらしていく。
そんな小さな場づくりのヒントとなる事例をお届けします。

誰も寄りつかない校舎の中庭

こんにちは。多田正治アトリエの多田です。
〈リノベのススメ〉は最終回となりました。
今回はいつものリノベーションではなく、広義のリノベとして、
大学で開催したカフェ企画〈◯◯のチカフェ〉についてご紹介したいと思います。

私は2024年の9月に武庫川女子大学の生活環境学科に准教授として着任し、
多田研究室(建築・地域デザイン研究室)を持つことになりました。
着任早々、3回生11名の学生たちがゼミ生として配属され、
そこで初めてのゼミ活動として企画・運営したのが〈◯◯のチカフェ〉です。

武庫川女子大学は、兵庫県西宮市にある大学で、
関西の女子大のなかでは最も学生数が多い大学です。

キャンパスも校舎もオシャレでキレイで、
大学生活を送るには申し分ない環境なのですが、
大学に着任して大学内を見て回っていたとき、
気になる場所を見つけました。それが中庭です。

中庭の様子。四方全部がガラス張り、うち三方が教室などに面していて、残る一方はガラスブロック。4階分の吹き抜け空間で、斜めに配置されたらせん階段がある。北欧風デザインの外灯も1本立っている。

中庭の様子。四方全部がガラス張り、うち三方が教室などに面していて、残る一方はガラスブロック。4階分の吹き抜け空間で、斜めに配置されたらせん階段がある。北欧風デザインの外灯も1本立っている。

生活環境学科の校舎はガラス張りで、廊下や教室、ラウンジから中庭を見下ろせます。
中庭にはイスとテーブルが置かれ、各階につながるカラフルな、
らせん階段が垂直に伸びています。

とてもいいデザインの空間なのですが、なぜかあまり人が使っている気配がありません。
学生たちに聞いてみると「立ち入ったことがない」
「入っていい場所だとは思わなかった」とのこと。

校舎の中心部にあって、いろいろなところから見える場所なのに、
誰も立ち入らない中庭になっていたのです。
「このよそよそしい場所をもっと親しみのある場所に変えられないだろうか」
と思ったのが、〈◯◯のチカフェ〉を立ち上げたきっかけでした。

中庭を実測して図面にしました。

北側の「実体験ラボ」は実際に座って学べるよう、名作椅子がズラリと並んでいる部屋。南側の「総合スタジオ」はファッションショーの練習などができるスタジオ。

北側の「実体験ラボ」は実際に座って学べるよう、名作椅子がズラリと並んでいる部屋。南側の「総合スタジオ」はファッションショーの練習などができるスタジオ。

断面の模式図を書いたものがこちらです。

地上3階・地下1階建ての建物が生活環境学科の校舎。3階に出入り口があるので、中庭は学生たちの動線から外れている。

地上3階・地下1階建ての建物が生活環境学科の校舎。3階に出入り口があるので、中庭は学生たちの動線から外れている。

じつはこの中庭は地下にあります。

地下といっても、地盤面から少し掘り下げられたぐらいの半地下で、
光が入る明るい空間です。

生活環境学科の校舎はすこし変わったつくりで、3階に出入口があり、
中庭は学生たちの動線から外れているのが疎遠になる要因のひとつだと思います。

『阿寒アイヌアートウィーク』 から考える これからのアイヌのカタチ

木彫りのお土産物からアートへ

「アイヌ」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。
最近では実写映画・ドラマ化もされた
マンガ『ゴールデンカムイ』で興味を持った人も多いだろう。

樺太から北海道の先住民族であるアイヌ民族は、
北海道の各地に「コタン」と呼ばれる集落を形成している。
そのひとつ、阿寒湖にあるコタンを舞台に、
昨年11月から12月にかけて『阿寒アイヌアートウィーク』が開催された。
アイヌ作家のみならず、ほかの地域から訪れた現代作家たちが
アーティスト・イン・レジデンスとして現地に滞在し、作品を生み出した。

そもそも阿寒湖アイヌコタンは、観光地としての阿寒湖温泉とともに歩んできた。
コタンはひとつのエリアに集まっており、通りの両サイドには、
アイヌ作家が経営するお店が立ち並んでいる。
ほとんどの1階はお土産物店になっていて、それぞれのオーナーは2階に住んでいる。

お土産物として売られているものの多くは、木彫りの商品である。
伝統的な「マキリ」というナイフから、定番の木彫りの熊、
お土産に最適なかわいいキーホルダーまで。

オープニングイベントでは、普段は外部の人間はなかなかお目にかかることができない伝統儀式「カムイノミ」が特別に行われた。

オープニングイベントでは、普段は外部の人間はなかなかお目にかかることができない伝統儀式「カムイノミ」が特別に行われた。

彼らが先祖代々受け継いできた木彫技術は、お土産物として現代に受け継がれてきたが、
その様子が変わってきたのは数年前から。

「それまでは『俺が彫った木彫りは俺の店で売るんだ』で済んだのです」
と話してくれたのは、
『阿寒アイヌアートウィーク』の監修をしている「デボ」こと秋辺日出男さん。
自身も木彫りの作品を出展しているアイヌの作家でもある。

秋辺日出男さんはデボさんと呼ばれている。映画『urar suye』のひとコマから(後述)。

秋辺日出男さんはデボさんと呼ばれている。映画『urar suye』のひとコマから(後述)。

「数年前に、あるブランドとコラボして作品をつくる機会がありました。
向こうも商品だから『もうすこし軽やかにしてくれ』
『お客様の手に本当に届くような魅力あるものにしてくれ』などの注文がくるんです。
私たちと違う目線で秤にかけられるんですね。
そうした経験を経て、
アイヌのつくり手ひとりひとりの意識も変わってきたと思っています」

流木の形を生かしたデボさんの『魚』。全体に鱗彫りやアイヌ文様が彫り込まれ、黒漆も施されている。

流木の形を生かしたデボさんの『魚』。全体に鱗彫りやアイヌ文様が彫り込まれ、黒漆も施されている。

そこで阿寒湖アイヌコタンの潜在能力を感じたという。

「こうした技術や感性をもっと磨き上げたいと思っていた矢先に、
このアートウィークの話が浮上してきたんです」

今回は14名の阿寒アイヌの作家が出展。
アイヌ文様を施した木彫や刺繍の作品、伝統楽器のトンコリなどが展示され、
オープニングイベントではアイヌ古式舞踊などを鑑賞できた。

アイヌ文様が刺繍された、西田香代子『ルウンペ』。

アイヌ文様が刺繍された、西田香代子『ルウンペ』。

まるでヘビメタのヘッドバンギングのように女性が髪を振り回す『アイヌ古式舞踊』の演目のひとつ「フッタレチュイ(黒髪の踊り)」。

まるでヘビメタのヘッドバンギングのように女性が髪を振り回す『アイヌ古式舞踊』の演目のひとつ「フッタレチュイ(黒髪の踊り)」。

【座談会】コミュニティをつくるための 「対話的な装い」とは? ローカル×ファッションの現在地

2024年11月、都内某所。平日の午後とあって隣の公園は人もまばら。
そんななか、とあるアパートの一角に集まった面々。
編集者やライター、キュレーターやリサーチャーといった肩書きを持つ林 央子さん、
美術家であり大学准教授の西尾美也さん、
リメイクのブランドを主宰する山下陽光さん、
編集を軸に幅広く活動する影山裕樹さんの4人だ。

書籍『拡張するファッション』(2011)で著者の林さんは
「ファッションは楽しいし、ファッションについて考えることも楽しい」と語っている。
ファッションは、当然ながら限られた人だけのものではないし、
もっと自由かつ主体的に楽しむべきである、と。

公園という場所がだれにとってもひらかれているように、ファッションもまた、
あらゆる人にとっての居場所やつながりを生む可能性になれるはず。
さらに、その延長線上に浮かび上がってきたのは
「ファッションは社会に対してどのようなアプローチができるか?」という問いである。
ここに集まったメンバーで、
ローカル×ファッションについてのあれこれを自由に語り合ってみたい。

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集合場所は林央子さんの事務所のはず。しかし隣にある小さな公園に、なぜか集まってくる面々。

集合場所は林央子さんの事務所のはず。しかし隣にある小さな公園に、なぜか集まってくる面々。

2010年以降、ローカルにおけるファッションの現在地

影山裕樹(以下、影山): 今回の座談会企画のきっかけは、
西尾さんがディレクター、林さんがキュレーターとして参画されている
『浦安藝大』というアートプロジェクトのプログラム「拡張するファッション演習」でした。
あらためて、浦安藝大とはなんですか?

西尾美也(以下、西尾): 浦安藝大は、
東京藝術大学と浦安市が連携して2022年に発足した、
社会課題へのアプローチをアートで模索しようとするプロジェクトです。
メンバーはキュレーターに林さん、
ファッション研究者の安齋詩歩子さんをリサーチャーに迎えています。
具体的には、人間にとっての「装い」を
「対話としてのファッション」として学び直しながら、
社会的孤立の問題に対して何ができるかを考え、実践する試みです。
本プロジェクトでは高齢化と孤立という課題に取り組んでいますが、
単に高齢の方だけの問題ではないと思っています。

林 央子(以下、林): 本格始動したのは2023年4月で
「拡張するファッション演習」がスタートしたのもそのときからです。
さまざまな専門家たちが外部講師として参加してくれて、
レクチャーやワークショップを行ったり、浦安市内の理髪店や美容院の協力のもと、
まちなかで「浦安するファッション」という展示もしました。

影山: 個人的に印象に残っているのは、
ローカルでセレクトショップを営む人たちの座談会です。
僕は東京が地元なんですけど、10代の頃は裏原ファッションの全盛期で、
誰もが人と被らないような個性的な格好をしていた時代でした。
よく、東京を出たら奇抜な格好は通用しないっていいますけど、
その座談会で「ファッションとは住んでいる地域と自分を切り離すためのものだった」
という話がありました。
要するに、地方における狭いコミュニティに属することなく
自分を確立するための手段でもあったのだと。

一方で、これからの時代は切り離すのではなく巻き込むような形の、
ローカルならではのファッションを媒介にしたコミュニティのつくり方も
あるのではないかと感じています。
今、どのような流れや動きがあるのか、そこにはどんな可能性があるのか、
事例なども挙げつつ話してみたいと思いました。

林: ローカルでいうと、そもそも日本は世界のローカルですよね。
だから自分たちがおもしろいと思っているものは、
世界からは外れているものだったりする。
たとえば、かねてから私が憧れていた雑誌は『i-D』ですが、
セントラル・セント・マーチンズに留学していたときに図書館にあったのは
『VOGUE』だけ。『i-D』はロンドンで創刊された雑誌なのに、置いてなかったんです。
つまり世界のローカルである日本、
そしてマイノリティである私たち日本人が熱烈に憧れたり興味を抱いたりしながら
輸入してきたファッションの文化は、
世界のなかで見るとすごく偏ったものだったのかなあとも思いましたよね。

影山: なるほど。

林: 影山さんの話にあった
「ローカルでコミュニティをつくるうえでのファッション」に
おもしろみを感じられるようになってきたのは、
おそらく2010年以降ではないかと思っています。

影山: 2010年以降というと、西尾さんと山下さんはまさにそこに当てはまりますよね。
西尾さんが手がけるブランド「NISHINARI YOSHIO」はどんなブランドですか?

西尾: 元たんす店を創作の拠点として活用しながら、
大阪の西成区山王という地域の女性たちとの共同制作で立ち上げたブランドが
NISHINARI YOSHIO」です。
芸術家やアーティストが地域資源を素材として制作したり、
そこに住む人たちと協働するというアートプロジェクトは、
2000年代に日本各地で実践されてきました。
こういった手法を地域に根ざしたファッションの可能性に置き換えて考えた場合、
それを誰が担うのかは重要です。
いずれにせよ、地域との関わりを持ちながら創作できる機会と場所があれば、
そこでしか生み出せない新たなものが出てくる可能性はあるということですね。

キーワードは「火袋」と「通り土間」。 築120年の京町家の建築様式が よみがえる住宅リノベーション

多田正治アトリエ vol.10

京都を中心に関西で建築設計をしながら、紀伊半島の熊野エリアでも
地域に関わる活動をする多田正治(ただ まさはる)さんの連載です。

今回は築120年以上の歴史がある京町家の住宅リノベーションについてお届けします。

町家を引き継ぐ

京都市の主要な東西の通りのひとつ、丸太町通りから少し北に上がったところにある町家。
この建物をリノベーションしたのが、今回ご紹介する〈丸太町の町家〉です。

建築主はぼくの古くからの友人。
彼のお祖父さんの住まいだったこの町家を引き継ぎ、
夫婦と小さなお子さんの3人で住むにあたり、
現代的な住まいを提案してほしいという依頼が2014年にありました。

工事前の様子。ファサードの青い瓦が特徴。

工事前の様子。ファサードの青い瓦が特徴。

築120年以上の歴史をもつ町家。
道路に面して母屋があり奥に庭があるという一般的な京町家の構成です。
間口約6メートルに対して奥行が35メートルほどあり、
極端に奥深く敷地の半分以上は庭でした。

この町家の履歴を調べるために、彼のお父さんにヒアリングをしました。
お父さんが子どもの頃に住んでいた家でもあるからです。

明治時代から建っていたこと、昔は奥に長屋があって複数の家族が住んでいたこと、
隣との間に昔は路地があってその長屋へとアクセスできていたことなど、
町家とその周りの環境の変遷がわかってきました。

また、お祖父さんは食品関係の仕事で道路に面した部分をビジネスに使っていたこと、
2階に使用人が住んでいたこと、またお祖母さんが庭の奥に茶室を建てたり、
庭や座敷に名物を並べたりと、趣向を凝らした道楽をされていたこともわかりました。

敷地の奥にある庭(工事前)。お祖母さんの趣味の気配が残りながら、木々や草花が野生化していた。

敷地の奥にある庭(工事前)。お祖母さんの趣味の気配が残りながら、木々や草花が野生化していた。

それから時を経て、昭和50年代に1階の道路に面した部分を大きく改装しました。
一部減築をして駐車スペースを設け、外装をタイル張りにし、
室内には応接間をつくりました。

そんな一家の歴史と町家の歴史を知ったうえで、設計プランを提案していきました。
次第に彼ら自身もどのような家に住んでいくのかイメージが固まっていったようです。

暮らしの困りごとから本気のDIYまで。 築50年の団地をサポートする 「グッデイさん家」とは?

名島団地内のやや奥まった場所に位置する「グッデイさん家」。「どこでもドア」風のフォトスポットが目印。

昭和30〜40年代の高度経済成長期から今にいたるまで、
日本各地で多くの家族が生活を営んできた「団地」。
現在では、設備の老朽化や空き家問題を解決するべく、
全国でさまざまな取り組みが行われています。
九州大学箱崎キャンパス跡地の再開発に期待が集まる福岡市東区でも、
「ホームセンター×団地」という異色のプロジェクトが始まっています。

団地の一軒家が「DIYのコンビニ」に!

昭和50年代に1号店がオープンしてから今にいたるまで、
福岡のDIYシーンを牽引してきたと言っても過言ではない
ホームセンター「グッデイ」。福岡に住んだことのある人なら、
一度は足を運んだことがあるのではないでしょうか。
そんなグッデイが2024年9月、福岡市東区にある名島団地の敷地内に
くらしサポートセンター「グッデイさん家」をオープンしました。

訪れてみると、現れるのは完全に普通の一軒家。
「団地なのに、なんで一軒家が?」と不思議に思いますよね。
この物件は団地の敷地内にもともと建てられていた家で、
空き家になった数年前から維持管理や活用のしかたについて
検討が重ねられていたのだそう。

「グッデイさん家」店内

DIY製品と日用品に加え、駄菓子もならぶ「グッデイさん家」。

DIYのコンビニエンスストアのような品揃えでありながら、
昭和の駄菓子屋さんを彷彿とさせる「グッデイさん家」。
グッデイのベテラン社員である佐瀬さんが「家主」となり、
名島団地に住む人たちの「生活の困りごと」を解決するため、
さまざまな製品やアイデアでサポートしてくれます。

くらしサポートセンター「グッデイさん家」はどのように誕生し、
なぜここまで愛されるようになったのでしょうか。
福岡県住宅供給公社の井上さん、グッデイ広報の島村さん、
「グッデイ団地プロジェクト」担当の塚本さんにお話を伺いました。

築50年の団地に活気を生み出すDIY

12棟330戸の名島団地。

12棟330戸の名島団地。建物の間隔が広く、開放的な敷地内。

築50年を超える名島団地は、全国の他の団地と同様、
住民の高齢化や空き家問題などに直面しています。
それらの問題を解決し、地域コミュニティを活性化するため、
ホームセンター「グッデイ」と福岡県住宅供給公社がタッグを組み、
2023年の秋、「グッデイ団地プロジェクト」が始まりました。

リノベーションルームの玄関ドア

リノベーションルームの玄関ドアには「グッデイ団地プロジェクト」のロゴが。

「エレベーター付きの集合住宅と違い、階段のみの団地は
4階以上の居室の借り手が少なく、入居率が低下しています。
小さなお子さんがいるような若い世代の家族にも入居してもらうため、
以前から『DIYが可能な賃貸物件』と打ち出してはいたものの、
なかなか浸透しない、という状況でした。そこで、
グッデイさんに力を貸していただくことになったんです」
(福岡県住宅供給公社・井上さん)

リノベーションルーム室内

リノベーションは床と壁のみ。天井や建具はそのまま使われている。

最初のプロジェクトは、2つの居室のリノベーション。
ほぼ同じ間取りの2室が、DIYでまったく違う雰囲気のお部屋に
生まれ変わりました。この2室はDIYモデルルームとして、
またワークショップ用のスペースとして活用されています。

DIYで和テイストなプロヴァンス風に生まれ変わった団地の和室。

DIYで和テイストなプロヴァンス風に生まれ変わった団地の和室。訪れた人も思わずくつろいでしまうとか。

リノベーションを担当したのは、グッデイのスタッフさんたち。
「ホームセンターの社員とはいえ、中にはもちろん
『DIYしたことないです』というスタッフもいまして(笑)。
初心者がペンキ塗りに失敗したり、貼った壁紙も微妙にシワが
残ったりしたとしても、それもDIYの『味』なんですよね。
『完璧にキレイにしなくてもいいんだ』と思ってもらうことで、
DIYに対する心理的なハードルを低くしたいんです」
(グッデイ団地プロジェクト担当・塚本さん)

千葉県市川市〈アークタウン〉 小さなショッピングモールが もう一度、地域に愛される場所へ

omusubi不動産 vol.8

こんにちは。
おこめをつくるフドウサン屋〈omusubi不動産〉の
高橋隆幸(たかはし たかゆき)と申します。

私たちomusubi不動産は「自給自足できるまちをつくろう」を合言葉に、
毎年、手で植えて手で刈るアナログな田んぼを続けながら、
空き家を使ったまちづくりを生業としています。

この連載では、omusubi不動産の個性豊かなメンバーが代わる代わる書き手となり、
思い入れの深い物件とその物語をご紹介します。

今回は、千葉県市川市の小さなショッピングモール
〈アークタウン〉の再生プロジェクトについて紹介します。

賑やかなアークタウンを取り戻すために

omusubi不動産の拠点となる千葉県松戸市に隣接する市川市。
アークタウンは北総線北国分駅から徒歩1分に位置する、
ヨーロッパの雰囲気がある小さなショッピングモールです。
建物の構成はテナント区画が13室、ワンルーム住居室が6室となります
(2024年11月現在)。

外観はヨーロッパのプラザ(人が多く集まる広場)をイメージしてつくられました。
先代のオーナー様が設計士さんにイメージを伝え、
一緒にアイデアを膨らませながら設計していったとのこと。
その想いが実り、1999年の開業当時はレストラン、カフェ、フラワーショップ、
海外の駄菓子屋さんなど小さなお店がたくさん入居し、多くの人で賑わっていたそうです。

omusubi不動産での管理をきっかけに作成されたアークタウンのイメージ図。

omusubi不動産での管理をきっかけに作成されたアークタウンのイメージ図。

そして開業から約20年。
共通の知人を通じてオーナーさまと出会い、こんな相談を受けました。

「もう一度、アークタウンを日常的に人が集まる場所にできないだろうか」

開業当時は多くのお客様で賑わっていたものの、年数の経過とともに
店舗の入れ替えが進み、学習塾などの非来店型のテナントが増えたことも影響して、
だんだんと開業時の賑わいはなくなっていきました。

弊社にご相談があった2020年8月の段階で、室内は古く、店舗の半数は空室の状態。
外からの視認性が良く、来客が見込める条件のいい道路沿いの店舗も空室になっていました。

しかし、ヨーロピアンな外観と店舗空間の広すぎず狭すぎずのちょうど良いサイズ感に
物件としてのポテンシャルを感じ、スタートアップを行うお店にはおすすめできると思い
このご依頼を受けさせていただくことにしました。

空室が目立つ頃のアークタウン。

空室が目立つ頃のアークタウン。

キャンプのその先へ。 京都で 薪ストーブのあるログハウスで暮らす

薪ストーブが置ける家を探して

京都駅から車で約1時間半。
谷さんとあやかさんご夫妻は、山に囲まれた自然環境の中に建つ
〈BESS〉のログハウス「G-LOG なつ」で暮らしている。
谷さんはもともとこのあたりの出身。
「都会に憧れて」京都市内で就職、そして市内で10年間暮らした。

2階「NIDO(ベランダ空間)」から。周辺では最も若いおふたりなのだそう。

2階「NIDO(ベランダ空間)」から。周辺では最も若いおふたりなのだそう。

あやかさんと結婚し、
新しい家に求めたのは「薪ストーブを気兼ねなくつけて過ごせる」こと。
夫婦ともにキャンプが趣味で、その延長で浮かんだアイデアだ。
谷さんいわく、当初は京都市内で探していたのだそうだ。けれど…。

「市内にはそんな家も、建てられる環境も見つけられなくて。
探しているうちに自然豊かなこの場所まで来てしまいました(笑)。
でも都市の生活も十分に満喫したし、なによりキャンプで自然環境の魅力に気がついた。
それにこの家が似合う環境はやっぱり自然の中かな、と。
ここは田舎だけど、
スーパーにも車で10分くらいで行けるので不便さは感じていませんね」

まるでキャンプ場のような約300坪の敷地内に
「G-LOG なつ」を建てたのは2023年の春。
この家との出会いは京都・久御山のLOGWAY(BESSの展示場)にて。
さまざまな住宅展示場を巡るなかで、薪ストーブの設置が可能であること、
それに「カントリー調のかっこいい雰囲気」に惹かれた。
このロケーションもBESSからの紹介だそうだ。

薪ストーブを前にロッキングチェアに揺られるのも至福の時間。

薪ストーブを前にロッキングチェアに揺られるのも至福の時間。

あやかさんは、昔から「三角の屋根の家」が憧れだったという。
だからBESSの展示場で三角の屋根が特徴的な「G-LOG なつ」を見るなり、
「理想の家がそこにあった」と驚いた。
あやかさんの出身は静岡県の富士山の麓で
「京都市内は車も自転車も多いし将来的に自分が住むところではないな、
田舎のほうが向いている」と感じていたそうだ。

心地良い陽射しが差し込む2階はおふたりの寛ぎスペース。

心地良い陽射しが差し込む2階はおふたりの寛ぎスペース。

古民家「断熱リノベーション」で 室温が8度もUP! ワークショップレポート

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

築80年の古民家に住む私たちは、
ここ数年「断熱リノベーション」に熱心に取り組んでいます。

これは、壁や床に断熱材を入れたり、気密性を高めていくことで、
外気温の影響を減らし、暖かく快適な住環境をつくるリノベーションのこと。

田舎暮らしといえば、
昔ながらの古民家の生活に憧れる人は多いと思います。
ですが、断熱・気密性能が低い古民家は
冬場の室温が10度以下になることも珍しくなく、
通気性のいいつくりのため、暖房の効きが悪く、
光熱費がかさんでしまうデメリットもあります。

昨冬は自分たちで簡単にできるプチ断熱をご紹介しましたが、
今回は、専門の知識を持った講師をお呼びして、
我が家のリビングの床、壁、天井と一気に断熱リノベーションを進めた
ワークショップについてレポートしていきたいと思います。

作業中のリビングに集合したワークショップ参加者の集合写真。

断熱ワークショップ参加者のみなさん、講師の内山さん、そして大工さんたち!

結論からいうと、断熱した部屋はとても快適! 

・リラックスして子どもと遊べるようになった

・体調を崩しにくくなった

・暖気が逃げないので、光熱費の節約になった

・灯油などの化石燃料の使用を抑えることで、ささやかな地球温暖化対策につながっていく

と、メリットだらけ。
「もっと早くやっておけばよかった!」と思うほど。

天井にスタイロフォームという断熱材を入れている男性数名の写真。

天井にスタイロフォームという断熱材を入れているところ。

そして、あらためて
「リノベする前に断熱について知っておきたかった〜!」とも思いました。

我が家はこれまで、独自に古民家リノベーションを行ってきました。
そうして手に入れたすてきな空間も、
断熱材を入れるとなれば、また解体することに。
そうなると、時間も手間も2倍かかります。

これから古民家リノベーションに挑戦する方が、
私たちのような苦労をしなくて済むように。
この記事が誰かのお役に立てたらうれしいです!

建築デザインユニット〈Kii〉 新井里志さん、中富慶さん 人々の思いや背景からつくる、 居心地のいい場所

〈コンランショップ・ジャパン〉代表取締役の中原慎⼀郎さんが推薦したのは
建築デザインユニット〈Kii〉の新井里志さんと中富慶さんです。

推薦人

中原慎⼀郎さん

中原慎⼀郎

〈コンランショップ・ジャパン〉
代表取締役

Q. その方を知ったきっかけは?

2024年6月にコペンハーゲンで行われた『3daysofdesign』に参加。宿泊したホテルが一緒で、朝ごはんの会場などで顔を合わせて話すようになり、最終日には丸1日、いろんな場所を一緒に訪ねました。

Q. 推薦の理由は?

新井くんと中富さんそれぞれの経歴もすばらしいですが、彼らのオフィスは、リノベーションのバランスが僕にはない軽やかさとリズム感、カラーリングなどいろいろ驚かされました。何より居心地のよさと、おふたりのウェルカムなキャラクターに甘え、何度もご飯を食べに行ったことも。インテリアのなかでも、ダイニングテーブルは彼らの"らしさ"が詰まった作品。テーブルはまるで絵画のようであり、ラグのような存在感です。

住まい兼職場はローカル感を感じて
選んだヴィンテージマンション

「東京で近所の人と仲良くなることなんてあるかなって
思っていたけれど、普通に住んでいるから生まれる
コミュニティっていうのがちゃんとありました」

建築デザインユニット〈Kii〉として活動する
新井里志さんと中富慶さんが、仕事場兼住まいとして
設計デザインした〈House K〉は、
築50年ほど経ったマンションの最上階にある。

Kiiのふたりで設計デザインした〈House K〉

ふたりで設計デザインした〈House K〉。

「僕らは地方出身ですが、今はまだ東京に拠点があるほうがいい。
そう思って物件を探しました。
古い一軒家など、たくさん現地を見て検討した上で
集まって住むことにみんなが希望を持っていた時代に
建設されたマンションに住もうという結論になりました」

そんなふうに新井さんは職場を兼ねた自宅で
現在の住まいを選んだ理由を教えてくれた。

House Kがあるのは山手線の駅から10分ほど歩いた
集合住宅と戸建て住宅が向かい合わせに並ぶ地域。
2年以上に渡って100近い物件を見て歩くうちに、
この辺りは都心にありながらローカル感が強い場所だと感じた。

〈House K〉のバルコニー

今の部屋を選んだ決め手は、最上階に広いバルコニーがあり、建物全体がよく手入れされていたこと。

「道の向こう側に行くと地元に根づいたお店がいろいろあって、
小さいコミュニティもいくつも存在していました。
ここに住んだら楽しそうだなと思ったんですよ」と新井さんがいう通り、
その時点でふたりが想定していた地元コミュニティは、
喫茶店や個人経営の商店のようなものだった。

多くの分譲マンションは管理会社と契約し、管理人が派遣されているが、
このマンションは自主管理の形態をとっている。
自主管理のマンションで、手入れが行き届いている建物は珍しく、
それは住民の多くがマンションに愛着を持つ証拠だ。

〈House K〉の書斎

Kiiのふたりが住み始めて3年ほどだが、この間に大規模修繕も経験した。
その過程では、マンション内のコミュニティがしっかりしていて
マンション外の近隣住民ともつながっていることがわかった。
結果としてご近所さんとの交流も生まれるようになった。

最近では、おすそわけを持ってきてくれたマンションの老婦人と
少しだけと談笑していたら、
いつの間にか1時間ほど経っているということも何度かあった。
そんなことも都会のマンションを選んだふたりにとって
予想外の楽しい出来事だ。

渋谷、恵比寿、代官山の中間点で開催 『アートゴールデン街 by NoxGallery x Superchief x Brillia』

アートイベントが取り壊し予定の「ビルの終活」

1950年代から70年代の⾼度経済成⻑期に建てられた
たくさんのビルが建て替えの時期を迎えつつあります。
渋谷、恵比寿、代官山の中間点にある〈セゾン代官山〉も
2025年2月に解体されるのを待っています。
解体作業が始まるまでの約20日間、ビル全体を会場にしたアートイベントが開かれています。

セゾン代官山

セゾン代官山は1986年築。跡地はよりよい活用が計画されています。

セゾン代官山は10階建てで、
1階は店舗、2階はオフィスなど、3階から10階が賃貸マンションとして使われてきました。
移り変わりの早い都心で、よりよい活用に向けて取り壊されることになっています。

大きな建物は建て替えの方針が定まってから、
実際に解体作業が始まるまでに、さまざまな理由で時間が必要です。

その間、建物周辺のにぎわいを絶やさず、
所有者にとってもメリットがあるような活用方法とはどんなものがあるか。
その時期の活用について「ビルの終活」と位置付けたことが
アートイベント『アートゴールデン街 by NoxGallery x Superchief x Brillia』に
つながりました。約50組のアーティストが、各部屋に作品を展示しています。

10階の一室にあるPol Kuruczの作品。

10階の一室にあるPol Kuruczの作品。

ほとんどの部屋はユニットバスやミニキッチンを備えた1ルームや1K。
美術館やギャラリーでの展示と違って、ほとんどの部屋はドアを閉めることができます。
そのため鑑賞者は外部と遮断された作品の世界に没入できるというメリットがあります。

Yu MaedaとHamadaraka、2組の日本人アーティストが展示を行う部屋

Yu MaedaとHamadaraka、2組の日本人アーティストが展示を行う部屋はキッチンスペースにも作品を展示。

さらにイベント終了後に解体されることを利点として、
部屋全体を使った作品も少なくありません。

CLOWN VAMPの作品。

CLOWN VAMPの、右のボタンを押すとAIが都度作成する画像がプリントされる作品。

ロサンゼルスの写真家、PARKER DAYの作品。

特殊メイクをしたポートレートを制作するロサンゼルスの写真家、PARKER DAYの作品。

奥能登国際芸術祭がつないだ縁。 〈サポートスズ〉と 〈奥能登珠洲ヤッサープロジェクト〉

芸術祭がきっかけとなり移住

能登半島の最北端に位置し、能登半島地震の甚大な被害を受けた珠洲市。
それまで珠洲という地名を知らなかった人も多いかもしれないが、
アートに関心のある人たちには知られていた。
2017年から珠洲市を舞台に〈奥能登国際芸術祭〉が開かれていたからだ。

「さいはての地に最先端の美術を」と始まった芸術祭は
3年に1度開催するトリエンナーレ形式で、
2020年はコロナ禍のため翌年開催となったが、2023年までに3回開催された。
芸術祭を訪れ、アートだけでなく、その圧倒的な自然や美しい里山里海の風景、
そして巨大な行燈の山車が引き回されるキリコ祭りなど独特の文化に触れ、
この地に魅了された人は多い。筆者もそのひとりだ。

2017年の芸術祭から常設されているトビアス・レーベルガー『Something Else is Possible/なにか他にできる』。この作品は被害はほとんどなかった。

2017年の芸術祭から常設されているトビアス・レーベルガー『Something Else is Possible/なにか他にできる』。この作品は被害はほとんどなかった。

双眼鏡をのぞくと、看板の「Something Else is Possible」という文字が見える。いま見ると何か別の意味を帯びてくるようにも感じられる。

双眼鏡をのぞくと、看板の「Something Else is Possible」という文字が見える。いま見ると何か別の意味を帯びてくるようにも感じられる。

芸術祭を機に、珠洲に移り住んだ若者たちもいる。
芸術祭実行委員会とともに運営に関わる仕事をしたり、
会期後も作品のメンテナンスなどをする一般社団法人〈サポートスズ〉の一員である
小菅杏樹さんと西海一紗さんも、2022年に珠洲に移住してきた。

小菅さんは、2021年の芸術祭「奥能登国際芸術祭2020+」で
実行委員会事務局で活動していた姉を訪ねて珠洲に遊びにくるうち、
自身も芸術祭に関わりたいと移住。
西海さんは東京で働いていたが、違う場所で暮らしたいと思っていたときに
サポートスズの求人を見つけ、面接のため訪れたのが初めての珠洲だった。
そのときに「ビビッときた」そうで、面接にも合格して移住してきたのだという。

2022年に珠洲に移住してきた〈サポートスズ〉の小菅杏樹さん(左)と西海一紗さん(右)。

2022年に珠洲に移住してきた〈サポートスズ〉の小菅杏樹さん(左)と西海一紗さん(右)。

それからは芸術祭の準備で忙しい日々を送り、
2023年9月23日から11月12日まで開催された芸術祭を駆け抜け、
会期後も後処理などであっという間に年の瀬を迎えたところに、地震が起きた。

元日、西海さんは珠洲にいた。たまたま友人の家にいたが、自分の家は全壊。
1月10日に珠洲を出て、金沢から小松空港へ向かい、北海道の実家へ。
それから3月までは実家で過ごした。

小菅さんは実家の奈良にいたが、珠洲に置いてきた猫の様子を見るため
地震からまもなく珠洲を訪れると、地域の人たちが猫を保護してくれていた。
猫を救出していったん奈良に戻り、3月は新潟県の越後妻有〈大地の芸術祭〉の
運営チームであるNPO法人〈越後妻有里山協働機構〉に1か月間出向したという。

傾いたままの電柱はあちこちに見られる。

傾いたままの電柱はあちこちに見られる。

周囲の人たちも被災し、この先どうなるかわからず、不安と混乱の日々が続いたが、
東京ではいち早く、芸術祭の総合ディレクターを務める北川フラムさんが
〈奥能登珠洲ヤッサープロジェクト〉を発足。

「ヤッサー」は珠洲のお祭りで使われる掛け声。
芸術祭で生まれた縁を大事にしながら復興の力となるため動き始め、
芸術祭の作品制作を担う〈アートフロントギャラリー〉のスタッフが
毎週のように珠洲を訪れ、地域の手伝いや作品の状況を確認していったという。

台本カフェ・バーを備える マイクロコンプレックス 〈下北現像所〉がオープン

下北沢のミニシアター〈K2〉の運営に携わるMotionGalleryによる〈下北現像所〉

映画好きにとってたまらない場所、
何度も行きたい場所ができました。
12月1日(日)、東京・下北沢の複合施設〈ボーナストラック〉に
「映画が身近にあることで日々がちょっと豊かになることが実感できる場所」
を目指した、(超)マイクロ・コンプレックス〈下北現像所〉がグランドオープン。
国内最大級のクラウドファンディング・プラットフォーム〈MOTION GALLERY〉、
そして下北沢のミニシアター〈K2〉の運営に携わる〈MotionGallery〉社が手がけています。

〈下北現像所〉

今回〈下北現像所〉がオープンした場所には、世界中のショートフィルムを
ブラウン管テレビで楽しむことができるVHSカフェ〈TANPENTON〉がありました。
そのバトンを運営のNOTHING NEWより引き継ぎ、映画を「楽しむ」ための
新しい体験を“現像”していくことを目的としてこの名がつけられています。
また、「映画の原点、原液」とも言える台本を起点として、
新しい映画製作体験の提供をNOTHING NEWとともに挑戦。
〈下北現像所〉は、制作~参加~発信まで、映画文化にまつわるクリエイションの循環が
起こる場所として、新しい映画文化を発信していくことを目指しています。

台本ライブラリーや8ミリフィルムの販売やワークショップも

「台本ライブラリー」

〈下北現像所〉ではクリエイターが集う場所、アイデアを実現する場所、
自然にクリエイターになれる場所にすべく、4つのサービスを展開しています。

そのひとつがアーカイブ機能を意識した、台本図書館の「台本ライブラリー」です。
新旧織り交ぜて、さまざまな作品の台本をアーカイブしていき、販売や持ち出しは行えない、
ここでしかできない体験とし、映画のタイムレスな魅力に浸れる場所を目指しています。
また、製本していない作品は、積極的に製本し、アーカイブしていきます。

ふたつ目のサービスが8ミリフィルムに関するサービス。
映画の歴史を遡ると、やはり重要な媒体であるのが「フィルム」です。
制作体制はより一層デジタルに移行する中、相対的にそのアーカイブ性からも
フィルムの重要性が高まりつつあります。

そんなフィルムも台本に並ぶ映画の重要な要素であることに着目し、
〈下北現像所〉では新しいフィルムコミュニティを創っていきたいと考えています。
カメラ・フィルム販売はもちろん、フィルムに関するワークショップ(不定期)、
現像撮影された8ミリフィルムを預かり、8ミリカラーネガフィルムの現像や
HDオーバースキャンサービスを展開予定です。

自然に近い暮らしを自らの手で。 広葉樹の森に佇む 「つくりたくなる」家

子どもが自由に遊べる広葉樹の森で

子どもたちが、家の中で外で、自由に遊んでいる。
周囲は日が差し込む森と落ち葉の絨毯。
親が心配するような要素はほとんどない。

西岡恭平さん・まどかさん夫妻は〈BESS〉の「カントリーログ」を山梨県北杜市に建て、
千葉から移住してきた。
現在、3人のお子さんとともに、広葉樹に囲まれた森の中で暮らしている。

西岡さん一家。長女は今春から小学校に入学し、バスケットに打ち込んでいるという。

西岡さん一家。長女は今春から小学校に入学し、バスケットに打ち込んでいるという。

自然豊かなこの地に家を建て、移住しようと思ったきっかけはふたつ。
まずひとつは、千葉で暮らしていたあるとき、
恭平さんは重度のアトピーに悩まされたこと。そのときに暮らしを見直そうと思った。

「仕事は楽しくやっていたので、何かストレスがひどかったとかではないんですが、
多分暮らしが雑だったんでしょうね。それから食事や暮らしを見直すようになりました。
そのなかで、
都市から離れて自然の中で丁寧な暮らしをしていきたいと強く思うようになったんです」

家の中でのお気に入りの空間は薪ストーブがある1階の空間だという。焼き芋も時々つくるそうだ。

家の中でのお気に入りの空間は薪ストーブがある1階の空間だという。焼き芋も時々つくるそうだ。

そしてコロナウイルスが流行する。ふたり目の子どもの出産、育児のタイミングだった。
自由がなく、先が見えない状況での育児に憔悴していたと、
まどかさんは当時を振り返る。

「あの頃は子どもを公園に連れていくのもダメ、
賃貸だから外で遊べる自分たちのスペースもないし、保育園にも通えませんでした。
そういう状況でふたりの子育てはかなりしんどくて、すごく生きづらさを感じました。
自分たちだけの家や庭があれば、子どもをもっと自由に遊ばせられるのになと。
それが土地探しの私の原動力になりました」

「移住するなら今しかない」

まどかさんはそう決意を固め、文字通り死ぬ気で土地を探したという。
そして夫婦の希望だったナラやクヌギといった広葉樹の森に囲まれた
今の土地に運良く出合うことができた。
すぐに不動産屋に電話し、その土地を契約。
2021年に山梨県北杜市での暮らしが始まった。

家からの借景。広葉樹の森が好きだったという西岡さん夫妻。季節によって色合いを変える森の絶景に今も感動するという。

家からの借景。広葉樹の森が好きだったという西岡さん夫妻。季節によって色合いを変える森の絶景に今も感動するという。

減築して中庭をつくる。 京都特有の暮らしの風景をつなぐ、 長屋のリノベーション

多田正治アトリエ vol.9

こんにちは。多田正治アトリエの多田正治と申します。
2019年に連載をしておりまして、このたび5年ぶりに
再開させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。

私は設計事務所を京都に構えており、京都を中心に関西で建築設計をするかたわら、
紀伊半島の熊野エリアでも10年にわたり地域に関わる活動をしています。
前回はその様子を京都・熊野の2部構成でお送りしました
(ご興味ある方は、ぜひバックナンバーも併せてご覧ください)。
現在も変わらず、関西と熊野で活動をしていますので、
引き続きそれぞれのプロジェクトについて紹介していこうと思います。

再開1回目の物件は、京都市中心地の細路地の奥にある長屋〈仏光寺の家〉。
京都特有の風景を守りながら現代の住宅にリノベーションしていくプロセスをお届けします。

暮らす人の息づかいを感じる長屋

京都市の中心地、四条駅の近くに〈佛光寺(ぶっこうじ)〉というお寺があります。
南北を走る烏丸通りと東西を走る四条通り。
京都市でもっとも賑わうこのふたつの通りに挟まれた繁華街にありながら、
大きな境内に足を踏み入れると周辺の喧騒が嘘のような空間が広がるお寺です。
ぼくの印象では神聖で静寂な空間というよりは、
誰に対しても開かれた公園のような場所、という感じです。

佛光寺の境内の様子。(撮影:阿部彩音)

佛光寺の境内の様子。(撮影:阿部彩音)

今回紹介するのはそんな佛光寺の近くにある住宅です。
このエリアでは、繁華街から一本通りを中に入ると、住宅街になります。
昔ながらの町家もあれば、新しく住宅、マンション、
最近ではオフィスビルに建て替わっていたりもしている職住近接のまちです。

〈仏光寺の家〉の近隣のまち並み。(撮影:阿部彩音)

〈仏光寺の家〉の近隣のまち並み。(撮影:阿部彩音)

そのエリアの一角にある長屋を住宅として改修しました。
立地は、「トンネル路地」と呼ばれる路地の先。
幅の狭い、しかも頭上にはほかの家の2階がまたがっているような、
まさにトンネルのような路地です。

トンネル路地を見る。奥の正面に見える建物が今回の物件。

トンネル路地を見る。奥の正面に見える建物が今回の物件。

この路地は、奥にある数戸の住宅のための生活道路です。
路地を抜けた先には井戸(もう使えないですが)やお地蔵さまもあり、
この路地自体が数戸の住人たちの共用の生活の場となっていることがうかがえます。

このようなトンネル路地や長屋がひしめき合う住宅地の風景から、
古くから続く京都の暮らしの営みをいまでも感じることができます。

既存図面。トンネル路地の先にある長屋。枠内が該当部分。

既存図面。トンネル路地の先にある長屋。枠内が該当部分。

美術家 深澤孝史さん 歴史や文化、 そして人々の思いを 地域に深くダイブしてアートにする

〈アートフロントギャラリー〉代表の北川フラムさんが推薦したのは、
〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉など、
日本のローカルを舞台に作品を発表する美術家・深澤孝史さんです。

推薦人

北川フラムさん

北川フラム

アートフロントギャラリー・
アートディレクター

Q. その方を知ったきっかけは?

東日本大震災で被災した東北の子どもたちを〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉で受け入れた際、実によく動き楽しくさせた。停電など、スクランブルがかかった際、アクシデンタルな事態に適格な人間として記憶に残った。

Q. 推薦の理由は?

以降、奥能登国際芸術祭、内房総アートフェスなどに参加してもらったが、そのひとつひとつで地域を読み込み、地域の人たちの中に入って優れた仕事をしてくれた。

特に〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024〉では、2年間秋山郷に入り、7人のアーチストと共に、地域を浮かびあがらせる作品展示『アケヤマ -秋山郷立大赤沢小学校-』を、2020年に廃校になった小学校で行った。これは地域住民、美術関係者、民俗学関係者だけでなく一般の観客にもその深さ、楽しさが伝わり、多くの人が自然と人間のかかわりの大切さを知ったと思う。

縁もゆかりもなかった札幌で、なぜ彼は制作を行うのか

11月下旬。
札幌市にある天神山緑地はうっすらと雪化粧をして、冬の訪れを告げた。

緑地の敷地内には、アーティストインレジデンスである
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉があり、
美術家の深澤孝史さんも、かつて制作活動を行うときに
スペースを借りていたことがあると話す。

「大きいものをつくるときに、広い場所が必要だったので。
いま、作業はほぼ札幌市内の自宅で行っています」

札幌市が運営する、〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。滞在だけでなく、市民の交流場所としても利用されている。

札幌市が運営する、〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。滞在だけでなく、市民の交流場所としても利用されている。

滞在中アーティストの作品などが展示されるスペースもある。

滞在中アーティストの作品などが展示されるスペースもある。

山梨県に生まれ、静岡県の大学に進学し、卒業後も浜松市に8年ほど居住していた深澤さん。
移住のきっかけは、〈札幌国際芸術祭2014〉に参加したときに出会った奥さまだ。

「僕の活動の場所が国内を転々とするので、
札幌出身在住の妻の拠点に合わせようという軽い気持ちで移り住みました。
実際、地方への移動は結構大変なのですが、気持ちのいいまちです」

札幌市内でありながら自然豊かで、空気が澄んでいる天神山緑地。

札幌市内でありながら自然豊かで、空気が澄んでいる天神山緑地。

深澤さんがこれまで参加してきたグループ展やアートプロジェクトは、
活動年表にするだけでもずらりと長く、その場所も日本全国に広がっている。
それぞれの地域に根差し、土地の歴史を学び、人と交わりながら
“一緒に作品をつくっていく”のが深澤さんのやり方だ。

「教員免許を取って、大学卒業後に浜松の定時制高校で非常勤を務めながら、
〈NPO法人クリエイティブサポートレッツ(現在は認定NPO法人)〉に
関わるようになったのですが、
それが、いまの活動のベースになっているかもしれないです」

前橋市〈馬場川通り アーバンデザインプロジェクト〉 川と遊歩道と道路を一体でデザイン

この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。

今回は、2024年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した、
群馬県前橋市の〈馬場川通りアーバンデザインプロジェクト〉を訪ねた。

前橋は、〈白井屋ホテル〉を藤本壮介さん、
〈まえばしガレリア〉を平田晃久さん、
〈しののめ信用金庫〉を宮崎晃吉さん、
ほかにも永山祐子さん、長坂常さん、高濱史子さんら著名建築家が市内中心部で
次々に意欲的なプロジェクトを行うことで、現在最も耳目を集めているまちだ。

その要因は、「前橋アーバンデザイン」というまちづくりの明確な指針があり、
そしてそれを実現する個々の建築と、それらをつなぎ、
まちのアイデンティティにもなる質の高い公共空間によるもの。
そうした視点で有効に機能しているのが、馬場川通りの再整備だ。

このプロジェクトは、単なる景観整備にとどまらず、
官と民が前例のないスキームで連携し、市民の力を結集させた
新しい都市再生の取り組みといえよう。

同プロジェクトの中心人物である
〈前橋デザインコミッション〉企画局長兼事務局長の日下田伸さんと、
〈ランドスケープ・プラス〉代表取締役の平賀達也さんに話を聞いた。

多くの地方都市同様、中心市街地の衰退に悩まされてきた前橋が、
どのような仕組みとプロセスで社会実装に成功したかを、
馬場川通りアーバンデザインプロジェクトを通して検証し、
「準公共」の最新の役割を探る。

「蓋がされていた川を開き、人と水の近さをデザインしました。バブルの頃の補助金で、クラシックなガス灯や、花壇などができたのですが、デザインコードがなく、ハチャメチャな状況でした。それを『レンガと緑と水』をデザインの骨格に据えて再整備しました」と平賀さん。

「蓋がされていた川を開き、人と水の近さをデザインしました。バブルの頃の補助金で、クラシックなガス灯や、花壇などができたのですが、デザインコードがなく、ハチャメチャな状況でした。それを『レンガと緑と水』をデザインの骨格に据えて再整備しました」と平賀さん。

民間の寄付で行う公共工事

矢島進二(以下、矢島): 「馬場川(ばばっかわ)通り」とは、
前橋中央通り商店街と〈アーツ前橋〉を結ぶ
幅員12メートル、距離約200メートルの通りの名称ですが、
最初に〈馬場川通りアーバンデザインプロジェクト〉の特徴を教えてください。

日下田伸(以下、日下田):  このプロジェクトは、2024年春にできた
前橋中心市街地の再生事業で、遊歩道公園、準用河川、道路、公衆トイレなどからなる
公共工事なのですが、地元の有志による資金で行い、
地域の団体による活動で管理運営を担っているのが最大の特徴です。

そして、かつての生活基盤であった水路のつながりを生かし、
グリーンインフラやウォーカブルな社会に資する環境基盤に再編し、
前橋の新たな拠点をデザインしたものです。

〈前橋デザインコミッション〉企画局長兼事務局長の日下田伸さん。以前は〈星野リゾート〉や〈東横イン〉、医療法人、環境ベンチャーなどで主に事業再生を手がけてきた経験をもとに、いまは「まちの再生」に取り組んでいる。

〈前橋デザインコミッション〉企画局長兼事務局長の日下田伸さん。以前は〈星野リゾート〉や〈東横イン〉、医療法人、環境ベンチャーなどで主に事業再生を手がけてきた経験をもとに、いまは「まちの再生」に取り組んでいる。

矢島: このプロジェクトが始まった背景について教えてください。

日下田: 前橋の中心部は県庁所在地のわりに、寂しいと言われていました。
昭和50年代の終わり頃は、メインストリートの週末の通行量が約2万人だったのが、
バブルの頃は車社会化が進んで1.5万人に、
2005年頃には2000人を切るまで落ち込みました。

いわゆるシャッター商店街をテーマにする報道があると、よくここの商店街が登場します。
ただ、テナント需要がないのではなくて、
実際は貸すのが面倒だから空いているところが多いですね。

日本の賃貸借契約は借り手に強くできているので、固定資産が下がっているいま、
人に貸すより物置にしていたほうがいいと思っているオーナーが多いのです。
そういう空気を変える活動も私たちはやっています。

東京都台東区〈KAMINARI〉。 築50年のレトロビルが、 浅草でクリエイティブな文化を興す

omusubi不動産 vol.7

はじめまして。おこめをつくるフドウサン屋
〈omusubi不動産〉の小野洋平(おのようへい)と申します。

私たちomusubi不動産は「自給自足できるまちをつくろう」を合言葉に、
毎年“手で植え、手で刈る”というアナログな田んぼを続けながら、
空き家を使ったまちづくりを生業としています。

この連載では、omusubi不動産の個性豊かなメンバーが書き手を担い、
思い入れの深い物件の物語を綴っています。

連載7回目を数える今回は、東京・浅草のクリエイティブビル
〈KAMINARI(かみなり)〉をご紹介。じつは筆者はomusubi不動産に
入社する前からこのビルに足しげく通っていたものの、これまでの背景はつゆ知らず。
そこで、誕生の経緯から入居者による改装内容、これまでの活用方法などなど、
関係者へのインタビューを通じて浅草のクリエイティブシーンを
盛り上げるKAMINARIの歴史を紐解いていきます。

クリエイティブビル〈KAMINARI〉とは?

KAMINARIの外観(before)。

KAMINARIの外観(before)。

東京都台東区浅草、雷門から徒歩1分の並木通り裏に位置する〈KAMINARI〉。
昭和42年築の4階建てで、かつては日本人形材料店が営まれていました。
古い建物ではありますが、今では乾物を扱うカフェ&バー〈ほしや〉、
「スタディスト」と名乗る活動家、岸野雄一氏、
食に関わる方をクリエイティブで応援するデザインオフィス〈ゆいろ〉、
プロダクト、イベントディレクションを手がけるデザインチーム〈MA+OI〉と、
個性豊かな方々が入居しています。

また、これまでにアート、デザイン、音楽、食……
ジャンルを問わないイベントを通じて、さまざまなクリエイターが集う
活動拠点としても親しまれてきました。

現在は地域のクリエイティブシーンを支える存在となったKAMINARIですが、
過去を遡ると空きビルの期間もあり、オーナーさんも活用方法に困っていたとか。
では、どういった経緯で今のクリエイティブビルにまで
発展していったのでしょうか。
まずは、omusubi不動産との出合いから紹介していきます。

「あの頃のような賑わいを……」
omusubi不動産、東京での初挑戦

omusubi不動産がKAMINARIと出合ったのは2016年。
オーナーさんが日本人形材料店を営んでいたこともあり、
1階はもともと人形や反物の倉庫、2〜4階は住居として利用されていました。
しかし、徐々に使用頻度も少なくなっていき、オーナーさん自身も
物件の新たな活用方法を模索していたそうです。

そこで、まずは外観を変えようと、地場の工務店
〈駿河屋(※)〉に依頼したのが事の発端。
外壁を塗り直してもらい、次の活用方法を考える段階になって、
omusubi不動産に白羽の矢が立ちました。

※駿河屋…創業365年。東京都墨田区を拠点に、自然素材を使った注文住宅・リノベーションを行う建築会社。

当時のomusubi不動産代表・殿塚建吾(以下殿塚)。

当時のomusubi不動産代表・殿塚建吾(以下殿塚)。

便利な時代だからこそ不便な暮らしを。 自然とつながることで楽しむ、 趣味の延長上の家

伝説のわな猟師の生き様に感動して始めた狩猟

「狩猟をやっていると、自分はほかの動物の命に生かされていることに
気づかされるんです。
自分で命を獲ったものを、自分で解体して食べる。
その“命をいただく”感覚に感動したんです」

茨城県笠間市の郊外で、BESSの「ワンダーデバイス」に暮らす菅谷一成さんは
「狩猟」の醍醐味をこう語る。

菅谷一成さんと妻の恵子さん。

菅谷一成さんと妻の恵子さん。

菅谷さんは自動車ディーラーで営業の仕事をするかたわら、
わな猟の狩猟免許を取得している。
笠間市は近年イノシシやハクビシンなどの獣害に悩まされており、
一成さんは地域の捕獲団体に所属して、イノシシなどの獣害対策に当たっている。
家の周辺にはいくつかの箱罠を仕掛けており、これを毎朝チェックするのが日課だ。

「もしイノシシが入っていたら、その後仕事に行かなければならなくても
朝のうちにシメます。
営業と狩猟というなんだか両極端なことをしているものですから、
どうやら会社では『菅谷ってやべえ奴だぞ』と、評判が立っているようですが(笑)」

自宅近くに設置された箱罠。取材に訪れる数週間前には2頭のイノシシが罠にかかっていたという。

自宅近くに設置された箱罠。取材に訪れる数週間前には2頭のイノシシが罠にかかっていたという。

狩猟にのめり込んだきっかけは、3年ほど前にたまたま見た、
伝説の罠猟師・片桐邦雄を追ったドキュメンタリー番組だった。

「もともと猟には興味があったのですが、
片桐さんの生き様を見ていたらもう一気に狩猟の世界に惹き込まれてしまいまして。
本格的に狩猟をやってみたいと思い始めました。
そうしたらちょうど住んでいる地区にあるイノシシの駆除隊から、
メンバーに入ってくれないかとお誘いがあったんです」

リビングの本棚には伝説の罠師・片桐邦雄さんの書籍が。

リビングの本棚には伝説の罠師・片桐邦雄さんの書籍が。

願ってもないタイミングで声がかかり、迷わず駆除隊に入隊することを決めた菅谷さん。
偶然にも笠間市には茨城県の狩猟者研修センターがあり、
狩猟免許を取りやすい環境も整っていた。
そして憧れの片桐さんと同じく、「わな猟師」の免許を取得した菅谷さん。
この日は一成さんのお気に入りの場所だという広いウッドデッキで、
仕留めた猪肉を振る舞ってくれた。

北海道・洞爺湖芸術館で 野生の学舎による展覧会。 みんなで探る「いのちのかたち」とは?

写真提供:野生の学舎

自然の中から引き出される、原初のものづくり

北海道南西部に位置し、日本で3番目に大きいカルデラ湖を持つ洞爺湖町に
〈野生の学舎〉という学び舎がある。
野生の学舎という名は、ヘンリー・ソローの著書からとられている。
ソローは、たったひとり湖畔に自ら建てた小屋で自給自足の暮らしを営み、
森を毎日何時間も歩くなかで思索を深めたアメリカの思想家だ。
野生の学舎を主宰するアーティストの新井祥也さんは、ソローのように自然から学び、
フィールドワークを通じて、「人がものをつくることの根源とは何か」を探り続けている。

2019年に洞爺湖町に移住し野生の学舎を主宰する新井祥也さん。

2019年に洞爺湖町に移住し野生の学舎を主宰する新井祥也さん。

学び舎の活動は、子どもから大人までが集まって
湖にある大きな岩に石を画材にして何かを描いたり、
周囲の音に耳を澄ませて、それらをオノマトペとして描き表したり。
自然との接触から生まれたこれらの活動は、もうすぐ100回目を迎えようとしている。
最初のものづくりとは個人的な営みではなく、
集合的な意識から生まれてきたものであり、
自然のことばに耳を澄まし、物の語りを聴くことからすべては始まっていく。

さまざまな石を拾い集め、それをチョークのように使って湖畔の岩に描く。(写真提供:野生の学舎)

さまざまな石を拾い集め、それをチョークのように使って湖畔の岩に描く。(写真提供:野生の学舎)

この学び舎がスタートしたのは2020年。
以来4年間で行った数々の取り組みを紹介する展覧会が、
洞爺湖芸術館で10月から11月にかけて開催されている。
タイトルは『いのちのかたち』。
新井さんは展覧会にこんな言葉を寄せた。

「野生の学舎が取り組んできたすべての活動のなかで、
その根源には“いのち”というテーマが流れています。
生きることを支えるいのちの大きな働きは、
目で捉えることも触れることもできず形を変えながら動き続けています。
洞爺湖という土地や自然、過去や未来、
わたしたちの個々の記憶が交わりながら、いのちにかたちを与える。
そこには、表現行為のはじまりの姿が見えてきます。
いのちが重なり、境界が溶けていく向こう側には
どのような光景がひろがってゆくのでしょうか」

旧洞爺村の役場の建物を利用した洞爺湖芸術館。円形の緑地帯には野生の学舎と函館在住のアーティストBOTANによる『草木塔』が立てられた。

旧洞爺村の役場の建物を利用した洞爺湖芸術館。円形の緑地帯には野生の学舎と函館在住のアーティストBOTANによる『草木塔』が立てられた。

展示会場には『いのちのかたち』と題された作品があった。
活動に参加した主に小学生によってつくられたものだ。
子どもたちと新井さんは対話やスケッチなどを繰り返しながら、
自身の内側にあるものを表すための試行錯誤をしていったという。
構想が決まったら流木と針金を骨組みに使い、かたちの大枠をつくり、
そこに紙を何層にも貼り重ね、それぞれに等身大スケールのかたちを生み出した。
それらは、生き物のようにも鉱物のようにも分裂する細胞のようにも見えた。

展示風景より。『いのちのかたち』。(写真提供:野生の学舎)

展示風景より。『いのちのかたち』。(写真提供:野生の学舎)

『いのちのかたち』と同じ空間に展示されていたのは『大地の創造』。
この作品は町内外から集まった60人以上と共同制作した5×6メートルにもなる絵画だ。
洞爺湖にある土や石から顔料をつくり、下絵をつくらずに即興で描いていった。
土や石も何億年もの時間をさかのぼれば、火山活動や動植物の堆積によって生まれたものだ。
茶褐色のなかに無限のトーンがあり、それらはまるで星雲のようなダイナミックさを感じさせた。

展示風景より。『大地の創造』。(写真提供:野生の学舎)

展示風景より。『大地の創造』。(写真提供:野生の学舎)

石や土を砕いて顔料とした。砕く前の石も作品の上に置かれていた。(写真提供:野生の学舎)

石や土を砕いて顔料とした。砕く前の石も作品の上に置かれていた。(写真提供:野生の学舎)

なにごとにも全力で! 暮らしと共にある趣味を楽しむ [BESSの家の場合]

趣味が楽しすぎる!

暮らしのなかで趣味を最大限に楽しむこと。
好きなことをやっているのだから当たり前にできそうなものの、
こだわりをもって実現させるのは、意外とできていない人も多いだろう。

そこで、暮らしを楽しむ人の家を拝見する
連載『わが家が楽しすぎる! BESS×colocal』から、
趣味を楽しんでいる「9人の趣味人」を紹介する。
〈BESS〉はログハウスなど木の家を得意とする住宅ブランドで、
そこに住んでいる人は、
家の中でも、外でも、趣味に全力な人が多い。

はたしてどのように趣味に向き合っているのだろうか。

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SUP、スノーボードをそのまま収納/福井県福井市

若い世代からも慕われる“遊びの達人”である竹下光彦さん。
「横乗り系の遊びは全部、やりました」と語る竹下さんは、福井県鯖江市で生まれ、
若い頃はスケーターとしても北陸で名を知られた。

さすがに若い頃と比べて横乗り系の遊びには出かけられなくなったというが、
玄関口にはスケートボードが立てかけられ、
吹き抜けのリビングの一角には、3メートル近くありそうな
サップ(SUP=Stand Up Paddleの頭文字。立ったままパドルを漕いで乗る板)が、
立てかけられている。

「空気を入れて膨らませるタイプなので、本当は小さく収納もできます。
ただ、丸めてしまうと素材も傷みます。
いろいろ保管場所を考えたのですが、
これほど大きなサップをそのまま置ける場所といえば、ここしかありませんでした。
リビングの窓が大きく、ウッドデッキにもつながっているので、
サイズのある道具でも出し入れがラクです」

確かに竹下さんのように、さまざまな道具を駆使しながら屋外の遊びを存分に楽しむ人には、
このような家でないと窮屈かもしれない。

◎本編の記事はこちら

地元食材を生かすお菓子づくり/長野県松本市

お菓子づくりが趣味の的場友恵さんが、
この家でこだわり抜いたというのがアイランドキッチンだ。
キッチンにはあらゆる調理器具を取りそろえ、それに合わせてキッチンを調整した。
〈ミーレ〉の食洗機やオーブン、〈キッチンエイド〉のミキサー、
〈ロボクープ〉のフードプロセッサーなど、
プロ顔負けのキッチンツールが並んでいる。

松本に移住して、
東京暮らしのときにはなかなか挑戦しづらかったお菓子にもチャレンジしている。

「東京に住んでいたときは、マンションの手狭なキッチンがとにかく窮屈でした。
このキッチンなら下の女の子3人も広く使うことができるので楽しいし、
ストレスなく料理できるようになりました」

とくにマカロンは、簡単そうで意外と難易度の高いお菓子。
すぐにひび割れてしまったり、オーブンが変わるだけでも微妙な誤差が生じるので
マカロンづくりに実験的な楽しさを見出している。

新しいレシピに挑戦することも日々の楽しみ。
松本に来てBESSの家で暮らすことで、自然を身近に感じ、
本格的に家庭菜園を始めたり、地元の特産食材にも注目するようになった。

地元で採れたブルーベリーやルバーブは新鮮でおいしい。
そうした地元の食材を、どうしたらお菓子としてさらにおいしくなるか、
研究しながらお菓子をつくることがとにかく楽しいようだ。
友恵さんの料理への探究心と情熱は、松本に来てより一層燃え上がっている。

◎本編の記事はこちら

土地の植生を生かした雑木の庭/長野県安曇野市

雑木の庭において重要なのが、その地域の里山を意識すること。
「安曇野の自然植生が師匠ですね」と、五郎丸良輔さんは言う。

高木のクヌギやコナラに、アオダモやソヨゴなど中高木、低木、地被植物を寄せて、
数種類の木々で構成して島をつくっていく。
その島をいくつも配置し、
多くの草木を組み上げていくのが五郎丸さんの雑木の庭づくり。
安曇野の里山に自生している木々を植栽するので、病気にもなりにくい。

自生種の庭をつくると、その地域の虫や鳥などがやってくる。
そうなればもう、その庭は里山そのものといってもいい。
現在、五郎丸家の庭には、足元に生える宿根草が400〜500品種、
クヌギやコナラなど低木、中高木40〜50の原種や品種が植栽されている。

「庭づくりを続けることによって、個々の庭がつながっていくようにしたい。
自生種の庭はその地域の景観をつくり、まち並みをつくっていきます。
それが住む人にとってアイデンティティになり、
さらには文化にまで育っていけばいいなと思っています」

◎本編の記事はこちら

お坊さんが館長を務める静岡市唯一の ミニシアター〈サールナートホール/ 静岡シネ・ギャラリー〉

住職と檀家青年部など有志が立ち上げた文化施設〈サールナートホール〉

みなさんは館長がお坊さんであり、ロビーから墓地(&富士山)が見える
映画館があることをご存じでしょうか?
それは、静岡市唯一のミニシアター〈サールナートホール/静岡シネ・ギャラリー〉です。

〈サールナートホール〉

〈サールナートホール〉の創業は1995年。
同館向かいにある、臨済宗妙心寺派 宝泰寺が
静岡市民が文化活動をできる施設を建てようと
住職の藤原靖爾さんと檀家青年部らが数年の勉強会を経て設立しました。

〈サールナートホール〉館内

「サールナート」とは、インドに実際にある遺跡の名前で、
釈迦が初めて説法を説いた場所と言われています。
釈迦がそこから仏教を広めていったように、同館も東京からの文化を受け取るだけでなく
ここから文化を発信していこうという考えのもと、この名がつけられたそうです。

〈サールナートホール〉館内

1990年代頃まで、2000人を収容する市民文化会館を除き、静岡市内には市民による
文化活動ができるような200席前後のホールがありませんでした。
それまでは東京をはじめとする都市部の文化を輸入・受動する機会しかなく
この静岡市から発信する・はぐくむ機会が少なかったため、
〈サールナートホール〉がそういった拠点になれたらという想いも込め建てられています。

〈サールナートホール〉中庭

建物は〈静岡県立美術館〉を設計した設計士・高木滋生氏による設計です。
インドのサールナートを実際に訪れた、館長と設計士の経験が反映されていて
インドの遺跡をモチーフにした、趣のあるデザインになっています。
1995年には、しずおか市民景観大賞「奨励賞」も受賞しています。

フィリックス・コンランさん、日本での暮らしは、 クリエイティブにどんな影響を 与えてくれそうですか?

日本のクラフトマンシップに学ぶこと

インテリア雑貨や家具のセレクトショップ〈ザ・コンランショップ〉が、
1994年に新宿でオープンして今年30年になる。
創業者テレンス・コンラン卿の孫である、フィリックス・コンランさんは2024年春、
豊かな自然環境に魅了されて奈良県東吉野村に居を移し、
古民家の改修と家具の制作を手がけるデザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げた。

「何事にも丁寧に取り組む日本のクラフトマンシップ、
卓越したこだわりに深く惹かれています。
この“忍耐”と“細部へのこだわり”という哲学は、
私がいま学ぶべきものであると思うのです」

終の住まいとオフィスの移転先に、
イギリスのカントリーサイドのバートン・コートを選んだテレンス氏と、
言語も文化も異なる東吉野に活動の場を移したフィリックスさんの姿はどこか重なる。
そして、東吉野への移住については
「ほかの親族が唖然としても、祖父は理解してくれたと思います」と
2020年に亡くなったテレンス氏を偲ぶ。

「祖父が亡くなり、彼との関わりはより深まったと思います。
彼が生きていたときは、現在起きている出来事について話していました。
でも今は、彼がしてきたことを振り返ることができます。
彼と一緒に仕事をした人たちを通してね。
だから、私は彼の考え方や、世界で起きたことに対して、
どうナビゲートしていったのかを知ることで、
タイミングよくインスピレーションを得ることができています。
今こそ私は彼から学んでいるのです」

フィリックスさんにとってテレンス・コンラン氏はどういう存在だったのだろうか。
すぐれた経営の師匠か、メンター(先生)か、あるいは“いいおじいちゃん”か?

「祖父は、なぜそれが好きなのか、どのようにつくられているのか、
どうすればそれを改良できるのかを理解することの大切さを教えてくれた人。
加えて、生涯にわたる好奇心と革新への意欲を私に植えつけてくれた、
メンター的存在でした。
たしかに彼はビジネス界で名を馳せた優秀なビジネスマンではありましたが、
私と祖父の関係はごく個人的なものでした」

ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」

ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」

テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。

テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。

宮崎県都城市に 〈霧島酒造〉×〈スターバックス〉 のコラボ施設が2026年春オープン

建築を手がけるのは隈研吾氏。コーヒー豆かすやシラスを内装に活用したコラボレーション施設

1916年、宮崎県都城市で創業した本格焼酎メーカーの〈霧島酒造〉。
全国的知名度を誇る焼酎〈黒霧島〉は、九州産100%のさつまいもに、都城盆地の
地下水100%、麹米は国産100%、そして都城市の自社工場生産100%と、
地域と自然を大切にした焼酎づくりを行っています。

同社が〈スターバックス〉と共同プロジェクトとして現在進めているのが
2026年春オープンのコラボレーション施設です。

〈霧島酒造〉×〈スターバックス〉コラボ施設

「この場所が“みんなの憩いの場”となるように」と願いが込められた同施設。
自然環境と調和した、地域社会と共生していくための気づきや
アクションにつながる発信の場として展開されます。

施設の建築を手がけるのは、建築家・隈研吾氏。
霧島酒造とスターバックスが描く、持続可能な未来への想いを体現しつつ
「その土地の環境、文化に溶け込む建築」と両社の想いが融合した施設を目指しています。

建物は、和を感じられる竹の魅力を最大限に引き出すことで、
自然を感じながらゆったりと落ち着くことができるデザイン。
吸い込まれるような意匠が印象的なエントランスから施設に入ると、
晒竹(さらしだけ)のゆるやかな曲面の天井に包み込まれた、
竹本来の温かさが醸し出す開放的な空間が広がります。
壁面には〈スターバックス〉のコーヒー豆かすと、
九州南部の土壌を形成するシラスが混ぜ込まれた内装ボードを使用。
施設の随所で自然の恵みを感じられます。

約80種類の亜熱帯植物が楽しめる、ガラス張りの植物園も

施設の象徴となるガラス張りの植物園

施設の象徴となるガラス張りの植物園は、緑あふれる空間のなかで
人と自然の関わりを体感できる場所です。
「暮らしを支える植物」「味覚で楽しむ植物」「彩りを添える植物」「水と共に生きる植物」
の4つのテーマに沿った、約80種類の亜熱帯植物が楽しめます。

「味覚で楽しむ植物」のエリアでは、両社の商品を支える大切な原料である、
コーヒーの木やさつまいもなどを生育。
「水と共に生きる植物」のエリアでは、水辺の植物とともに錦鯉が泳ぐ姿を見ることができ、
水や緑、光が織り成す自然の豊かさを感じることができます。

芝生エリア

また、施設屋内に設けられる客席や、植物園内、芝生エリアにあるテラス席では、
くつろぎながらコーヒーを楽しめるのはもちろん、
子どもが自然と触れあいながら遊べる場としても利用できます。
さらに、エントランス横の階段を上った先には、
霧島山や沖水川の雄大な姿を一望できる屋上庭園も整備。
都城の豊かな自然の魅力を感じながら特別なひとときを過ごせます。