千葉県市川市〈アークタウン〉 小さなショッピングモールが もう一度、地域に愛される場所へ

omusubi不動産 vol.8

こんにちは。
おこめをつくるフドウサン屋〈omusubi不動産〉の
高橋隆幸(たかはし たかゆき)と申します。

私たちomusubi不動産は「自給自足できるまちをつくろう」を合言葉に、
毎年、手で植えて手で刈るアナログな田んぼを続けながら、
空き家を使ったまちづくりを生業としています。

この連載では、omusubi不動産の個性豊かなメンバーが代わる代わる書き手となり、
思い入れの深い物件とその物語をご紹介します。

今回は、千葉県市川市の小さなショッピングモール
〈アークタウン〉の再生プロジェクトについて紹介します。

賑やかなアークタウンを取り戻すために

omusubi不動産の拠点となる千葉県松戸市に隣接する市川市。
アークタウンは北総線北国分駅から徒歩1分に位置する、
ヨーロッパの雰囲気がある小さなショッピングモールです。
建物の構成はテナント区画が13室、ワンルーム住居室が6室となります
(2024年11月現在)。

外観はヨーロッパのプラザ(人が多く集まる広場)をイメージしてつくられました。
先代のオーナー様が設計士さんにイメージを伝え、
一緒にアイデアを膨らませながら設計していったとのこと。
その想いが実り、1999年の開業当時はレストラン、カフェ、フラワーショップ、
海外の駄菓子屋さんなど小さなお店がたくさん入居し、多くの人で賑わっていたそうです。

omusubi不動産での管理をきっかけに作成されたアークタウンのイメージ図。

omusubi不動産での管理をきっかけに作成されたアークタウンのイメージ図。

そして開業から約20年。
共通の知人を通じてオーナーさまと出会い、こんな相談を受けました。

「もう一度、アークタウンを日常的に人が集まる場所にできないだろうか」

開業当時は多くのお客様で賑わっていたものの、年数の経過とともに
店舗の入れ替えが進み、学習塾などの非来店型のテナントが増えたことも影響して、
だんだんと開業時の賑わいはなくなっていきました。

弊社にご相談があった2020年8月の段階で、室内は古く、店舗の半数は空室の状態。
外からの視認性が良く、来客が見込める条件のいい道路沿いの店舗も空室になっていました。

しかし、ヨーロピアンな外観と店舗空間の広すぎず狭すぎずのちょうど良いサイズ感に
物件としてのポテンシャルを感じ、スタートアップを行うお店にはおすすめできると思い
このご依頼を受けさせていただくことにしました。

空室が目立つ頃のアークタウン。

空室が目立つ頃のアークタウン。

キャンプのその先へ。 京都で 薪ストーブのあるログハウスで暮らす

薪ストーブが置ける家を探して

京都駅から車で約1時間半。
谷さんとあやかさんご夫妻は、山に囲まれた自然環境の中に建つ
〈BESS〉のログハウス「G-LOG なつ」で暮らしている。
谷さんはもともとこのあたりの出身。
「都会に憧れて」京都市内で就職、そして市内で10年間暮らした。

2階「NIDO(ベランダ空間)」から。周辺では最も若いおふたりなのだそう。

2階「NIDO(ベランダ空間)」から。周辺では最も若いおふたりなのだそう。

あやかさんと結婚し、
新しい家に求めたのは「薪ストーブを気兼ねなくつけて過ごせる」こと。
夫婦ともにキャンプが趣味で、その延長で浮かんだアイデアだ。
谷さんいわく、当初は京都市内で探していたのだそうだ。けれど…。

「市内にはそんな家も、建てられる環境も見つけられなくて。
探しているうちに自然豊かなこの場所まで来てしまいました(笑)。
でも都市の生活も十分に満喫したし、なによりキャンプで自然環境の魅力に気がついた。
それにこの家が似合う環境はやっぱり自然の中かな、と。
ここは田舎だけど、
スーパーにも車で10分くらいで行けるので不便さは感じていませんね」

まるでキャンプ場のような約300坪の敷地内に
「G-LOG なつ」を建てたのは2023年の春。
この家との出会いは京都・久御山のLOGWAY(BESSの展示場)にて。
さまざまな住宅展示場を巡るなかで、薪ストーブの設置が可能であること、
それに「カントリー調のかっこいい雰囲気」に惹かれた。
このロケーションもBESSからの紹介だそうだ。

薪ストーブを前にロッキングチェアに揺られるのも至福の時間。

薪ストーブを前にロッキングチェアに揺られるのも至福の時間。

あやかさんは、昔から「三角の屋根の家」が憧れだったという。
だからBESSの展示場で三角の屋根が特徴的な「G-LOG なつ」を見るなり、
「理想の家がそこにあった」と驚いた。
あやかさんの出身は静岡県の富士山の麓で
「京都市内は車も自転車も多いし将来的に自分が住むところではないな、
田舎のほうが向いている」と感じていたそうだ。

心地良い陽射しが差し込む2階はおふたりの寛ぎスペース。

心地良い陽射しが差し込む2階はおふたりの寛ぎスペース。

古民家「断熱リノベーション」で 室温が8度もUP! ワークショップレポート

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

築80年の古民家に住む私たちは、
ここ数年「断熱リノベーション」に熱心に取り組んでいます。

これは、壁や床に断熱材を入れたり、気密性を高めていくことで、
外気温の影響を減らし、暖かく快適な住環境をつくるリノベーションのこと。

田舎暮らしといえば、
昔ながらの古民家の生活に憧れる人は多いと思います。
ですが、断熱・気密性能が低い古民家は
冬場の室温が10度以下になることも珍しくなく、
通気性のいいつくりのため、暖房の効きが悪く、
光熱費がかさんでしまうデメリットもあります。

昨冬は自分たちで簡単にできるプチ断熱をご紹介しましたが、
今回は、専門の知識を持った講師をお呼びして、
我が家のリビングの床、壁、天井と一気に断熱リノベーションを進めた
ワークショップについてレポートしていきたいと思います。

作業中のリビングに集合したワークショップ参加者の集合写真。

断熱ワークショップ参加者のみなさん、講師の内山さん、そして大工さんたち!

結論からいうと、断熱した部屋はとても快適! 

・リラックスして子どもと遊べるようになった

・体調を崩しにくくなった

・暖気が逃げないので、光熱費の節約になった

・灯油などの化石燃料の使用を抑えることで、ささやかな地球温暖化対策につながっていく

と、メリットだらけ。
「もっと早くやっておけばよかった!」と思うほど。

天井にスタイロフォームという断熱材を入れている男性数名の写真。

天井にスタイロフォームという断熱材を入れているところ。

そして、あらためて
「リノベする前に断熱について知っておきたかった〜!」とも思いました。

我が家はこれまで、独自に古民家リノベーションを行ってきました。
そうして手に入れたすてきな空間も、
断熱材を入れるとなれば、また解体することに。
そうなると、時間も手間も2倍かかります。

これから古民家リノベーションに挑戦する方が、
私たちのような苦労をしなくて済むように。
この記事が誰かのお役に立てたらうれしいです!

建築デザインユニット〈Kii〉 新井里志さん、中富慶さん 人々の思いや背景からつくる、 居心地のいい場所

〈コンランショップ・ジャパン〉代表取締役の中原慎⼀郎さんが推薦したのは
建築デザインユニット〈Kii〉の新井里志さんと中富慶さんです。

推薦人

中原慎⼀郎さん

中原慎⼀郎

〈コンランショップ・ジャパン〉
代表取締役

Q. その方を知ったきっかけは?

2024年6月にコペンハーゲンで行われた『3daysofdesign』に参加。宿泊したホテルが一緒で、朝ごはんの会場などで顔を合わせて話すようになり、最終日には丸1日、いろんな場所を一緒に訪ねました。

Q. 推薦の理由は?

新井くんと中富さんそれぞれの経歴もすばらしいですが、彼らのオフィスは、リノベーションのバランスが僕にはない軽やかさとリズム感、カラーリングなどいろいろ驚かされました。何より居心地のよさと、おふたりのウェルカムなキャラクターに甘え、何度もご飯を食べに行ったことも。インテリアのなかでも、ダイニングテーブルは彼らの"らしさ"が詰まった作品。テーブルはまるで絵画のようであり、ラグのような存在感です。

住まい兼職場はローカル感を感じて
選んだヴィンテージマンション

「東京で近所の人と仲良くなることなんてあるかなって
思っていたけれど、普通に住んでいるから生まれる
コミュニティっていうのがちゃんとありました」

建築デザインユニット〈Kii〉として活動する
新井里志さんと中富慶さんが、仕事場兼住まいとして
設計デザインした〈House K〉は、
築50年ほど経ったマンションの最上階にある。

Kiiのふたりで設計デザインした〈House K〉

ふたりで設計デザインした〈House K〉。

「僕らは地方出身ですが、今はまだ東京に拠点があるほうがいい。
そう思って物件を探しました。
古い一軒家など、たくさん現地を見て検討した上で
集まって住むことにみんなが希望を持っていた時代に
建設されたマンションに住もうという結論になりました」

そんなふうに新井さんは職場を兼ねた自宅で
現在の住まいを選んだ理由を教えてくれた。

House Kがあるのは山手線の駅から10分ほど歩いた
集合住宅と戸建て住宅が向かい合わせに並ぶ地域。
2年以上に渡って100近い物件を見て歩くうちに、
この辺りは都心にありながらローカル感が強い場所だと感じた。

〈House K〉のバルコニー

今の部屋を選んだ決め手は、最上階に広いバルコニーがあり、建物全体がよく手入れされていたこと。

「道の向こう側に行くと地元に根づいたお店がいろいろあって、
小さいコミュニティもいくつも存在していました。
ここに住んだら楽しそうだなと思ったんですよ」と新井さんがいう通り、
その時点でふたりが想定していた地元コミュニティは、
喫茶店や個人経営の商店のようなものだった。

多くの分譲マンションは管理会社と契約し、管理人が派遣されているが、
このマンションは自主管理の形態をとっている。
自主管理のマンションで、手入れが行き届いている建物は珍しく、
それは住民の多くがマンションに愛着を持つ証拠だ。

〈House K〉の書斎

Kiiのふたりが住み始めて3年ほどだが、この間に大規模修繕も経験した。
その過程では、マンション内のコミュニティがしっかりしていて
マンション外の近隣住民ともつながっていることがわかった。
結果としてご近所さんとの交流も生まれるようになった。

最近では、おすそわけを持ってきてくれたマンションの老婦人と
少しだけと談笑していたら、
いつの間にか1時間ほど経っているということも何度かあった。
そんなことも都会のマンションを選んだふたりにとって
予想外の楽しい出来事だ。

渋谷、恵比寿、代官山の中間点で開催 『アートゴールデン街 by NoxGallery x Superchief x Brillia』

アートイベントが取り壊し予定の「ビルの終活」

1950年代から70年代の⾼度経済成⻑期に建てられた
たくさんのビルが建て替えの時期を迎えつつあります。
渋谷、恵比寿、代官山の中間点にある〈セゾン代官山〉も
2025年2月に解体されるのを待っています。
解体作業が始まるまでの約20日間、ビル全体を会場にしたアートイベントが開かれています。

セゾン代官山

セゾン代官山は1986年築。跡地はよりよい活用が計画されています。

セゾン代官山は10階建てで、
1階は店舗、2階はオフィスなど、3階から10階が賃貸マンションとして使われてきました。
移り変わりの早い都心で、よりよい活用に向けて取り壊されることになっています。

大きな建物は建て替えの方針が定まってから、
実際に解体作業が始まるまでに、さまざまな理由で時間が必要です。

その間、建物周辺のにぎわいを絶やさず、
所有者にとってもメリットがあるような活用方法とはどんなものがあるか。
その時期の活用について「ビルの終活」と位置付けたことが
アートイベント『アートゴールデン街 by NoxGallery x Superchief x Brillia』に
つながりました。約50組のアーティストが、各部屋に作品を展示しています。

10階の一室にあるPol Kuruczの作品。

10階の一室にあるPol Kuruczの作品。

ほとんどの部屋はユニットバスやミニキッチンを備えた1ルームや1K。
美術館やギャラリーでの展示と違って、ほとんどの部屋はドアを閉めることができます。
そのため鑑賞者は外部と遮断された作品の世界に没入できるというメリットがあります。

Yu MaedaとHamadaraka、2組の日本人アーティストが展示を行う部屋

Yu MaedaとHamadaraka、2組の日本人アーティストが展示を行う部屋はキッチンスペースにも作品を展示。

さらにイベント終了後に解体されることを利点として、
部屋全体を使った作品も少なくありません。

CLOWN VAMPの作品。

CLOWN VAMPの、右のボタンを押すとAIが都度作成する画像がプリントされる作品。

ロサンゼルスの写真家、PARKER DAYの作品。

特殊メイクをしたポートレートを制作するロサンゼルスの写真家、PARKER DAYの作品。

奥能登国際芸術祭がつないだ縁。 〈サポートスズ〉と 〈奥能登珠洲ヤッサープロジェクト〉

芸術祭がきっかけとなり移住

能登半島の最北端に位置し、能登半島地震の甚大な被害を受けた珠洲市。
それまで珠洲という地名を知らなかった人も多いかもしれないが、
アートに関心のある人たちには知られていた。
2017年から珠洲市を舞台に〈奥能登国際芸術祭〉が開かれていたからだ。

「さいはての地に最先端の美術を」と始まった芸術祭は
3年に1度開催するトリエンナーレ形式で、
2020年はコロナ禍のため翌年開催となったが、2023年までに3回開催された。
芸術祭を訪れ、アートだけでなく、その圧倒的な自然や美しい里山里海の風景、
そして巨大な行燈の山車が引き回されるキリコ祭りなど独特の文化に触れ、
この地に魅了された人は多い。筆者もそのひとりだ。

2017年の芸術祭から常設されているトビアス・レーベルガー『Something Else is Possible/なにか他にできる』。この作品は被害はほとんどなかった。

2017年の芸術祭から常設されているトビアス・レーベルガー『Something Else is Possible/なにか他にできる』。この作品は被害はほとんどなかった。

双眼鏡をのぞくと、看板の「Something Else is Possible」という文字が見える。いま見ると何か別の意味を帯びてくるようにも感じられる。

双眼鏡をのぞくと、看板の「Something Else is Possible」という文字が見える。いま見ると何か別の意味を帯びてくるようにも感じられる。

芸術祭を機に、珠洲に移り住んだ若者たちもいる。
芸術祭実行委員会とともに運営に関わる仕事をしたり、
会期後も作品のメンテナンスなどをする一般社団法人〈サポートスズ〉の一員である
小菅杏樹さんと西海一紗さんも、2022年に珠洲に移住してきた。

小菅さんは、2021年の芸術祭「奥能登国際芸術祭2020+」で
実行委員会事務局で活動していた姉を訪ねて珠洲に遊びにくるうち、
自身も芸術祭に関わりたいと移住。
西海さんは東京で働いていたが、違う場所で暮らしたいと思っていたときに
サポートスズの求人を見つけ、面接のため訪れたのが初めての珠洲だった。
そのときに「ビビッときた」そうで、面接にも合格して移住してきたのだという。

2022年に珠洲に移住してきた〈サポートスズ〉の小菅杏樹さん(左)と西海一紗さん(右)。

2022年に珠洲に移住してきた〈サポートスズ〉の小菅杏樹さん(左)と西海一紗さん(右)。

それからは芸術祭の準備で忙しい日々を送り、
2023年9月23日から11月12日まで開催された芸術祭を駆け抜け、
会期後も後処理などであっという間に年の瀬を迎えたところに、地震が起きた。

元日、西海さんは珠洲にいた。たまたま友人の家にいたが、自分の家は全壊。
1月10日に珠洲を出て、金沢から小松空港へ向かい、北海道の実家へ。
それから3月までは実家で過ごした。

小菅さんは実家の奈良にいたが、珠洲に置いてきた猫の様子を見るため
地震からまもなく珠洲を訪れると、地域の人たちが猫を保護してくれていた。
猫を救出していったん奈良に戻り、3月は新潟県の越後妻有〈大地の芸術祭〉の
運営チームであるNPO法人〈越後妻有里山協働機構〉に1か月間出向したという。

傾いたままの電柱はあちこちに見られる。

傾いたままの電柱はあちこちに見られる。

周囲の人たちも被災し、この先どうなるかわからず、不安と混乱の日々が続いたが、
東京ではいち早く、芸術祭の総合ディレクターを務める北川フラムさんが
〈奥能登珠洲ヤッサープロジェクト〉を発足。

「ヤッサー」は珠洲のお祭りで使われる掛け声。
芸術祭で生まれた縁を大事にしながら復興の力となるため動き始め、
芸術祭の作品制作を担う〈アートフロントギャラリー〉のスタッフが
毎週のように珠洲を訪れ、地域の手伝いや作品の状況を確認していったという。

台本カフェ・バーを備える マイクロコンプレックス 〈下北現像所〉がオープン

下北沢のミニシアター〈K2〉の運営に携わるMotionGalleryによる〈下北現像所〉

映画好きにとってたまらない場所、
何度も行きたい場所ができました。
12月1日(日)、東京・下北沢の複合施設〈ボーナストラック〉に
「映画が身近にあることで日々がちょっと豊かになることが実感できる場所」
を目指した、(超)マイクロ・コンプレックス〈下北現像所〉がグランドオープン。
国内最大級のクラウドファンディング・プラットフォーム〈MOTION GALLERY〉、
そして下北沢のミニシアター〈K2〉の運営に携わる〈MotionGallery〉社が手がけています。

〈下北現像所〉

今回〈下北現像所〉がオープンした場所には、世界中のショートフィルムを
ブラウン管テレビで楽しむことができるVHSカフェ〈TANPENTON〉がありました。
そのバトンを運営のNOTHING NEWより引き継ぎ、映画を「楽しむ」ための
新しい体験を“現像”していくことを目的としてこの名がつけられています。
また、「映画の原点、原液」とも言える台本を起点として、
新しい映画製作体験の提供をNOTHING NEWとともに挑戦。
〈下北現像所〉は、制作~参加~発信まで、映画文化にまつわるクリエイションの循環が
起こる場所として、新しい映画文化を発信していくことを目指しています。

台本ライブラリーや8ミリフィルムの販売やワークショップも

「台本ライブラリー」

〈下北現像所〉ではクリエイターが集う場所、アイデアを実現する場所、
自然にクリエイターになれる場所にすべく、4つのサービスを展開しています。

そのひとつがアーカイブ機能を意識した、台本図書館の「台本ライブラリー」です。
新旧織り交ぜて、さまざまな作品の台本をアーカイブしていき、販売や持ち出しは行えない、
ここでしかできない体験とし、映画のタイムレスな魅力に浸れる場所を目指しています。
また、製本していない作品は、積極的に製本し、アーカイブしていきます。

ふたつ目のサービスが8ミリフィルムに関するサービス。
映画の歴史を遡ると、やはり重要な媒体であるのが「フィルム」です。
制作体制はより一層デジタルに移行する中、相対的にそのアーカイブ性からも
フィルムの重要性が高まりつつあります。

そんなフィルムも台本に並ぶ映画の重要な要素であることに着目し、
〈下北現像所〉では新しいフィルムコミュニティを創っていきたいと考えています。
カメラ・フィルム販売はもちろん、フィルムに関するワークショップ(不定期)、
現像撮影された8ミリフィルムを預かり、8ミリカラーネガフィルムの現像や
HDオーバースキャンサービスを展開予定です。

自然に近い暮らしを自らの手で。 広葉樹の森に佇む 「つくりたくなる」家

子どもが自由に遊べる広葉樹の森で

子どもたちが、家の中で外で、自由に遊んでいる。
周囲は日が差し込む森と落ち葉の絨毯。
親が心配するような要素はほとんどない。

西岡恭平さん・まどかさん夫妻は〈BESS〉の「カントリーログ」を山梨県北杜市に建て、
千葉から移住してきた。
現在、3人のお子さんとともに、広葉樹に囲まれた森の中で暮らしている。

西岡さん一家。長女は今春から小学校に入学し、バスケットに打ち込んでいるという。

西岡さん一家。長女は今春から小学校に入学し、バスケットに打ち込んでいるという。

自然豊かなこの地に家を建て、移住しようと思ったきっかけはふたつ。
まずひとつは、千葉で暮らしていたあるとき、
恭平さんは重度のアトピーに悩まされたこと。そのときに暮らしを見直そうと思った。

「仕事は楽しくやっていたので、何かストレスがひどかったとかではないんですが、
多分暮らしが雑だったんでしょうね。それから食事や暮らしを見直すようになりました。
そのなかで、
都市から離れて自然の中で丁寧な暮らしをしていきたいと強く思うようになったんです」

家の中でのお気に入りの空間は薪ストーブがある1階の空間だという。焼き芋も時々つくるそうだ。

家の中でのお気に入りの空間は薪ストーブがある1階の空間だという。焼き芋も時々つくるそうだ。

そしてコロナウイルスが流行する。ふたり目の子どもの出産、育児のタイミングだった。
自由がなく、先が見えない状況での育児に憔悴していたと、
まどかさんは当時を振り返る。

「あの頃は子どもを公園に連れていくのもダメ、
賃貸だから外で遊べる自分たちのスペースもないし、保育園にも通えませんでした。
そういう状況でふたりの子育てはかなりしんどくて、すごく生きづらさを感じました。
自分たちだけの家や庭があれば、子どもをもっと自由に遊ばせられるのになと。
それが土地探しの私の原動力になりました」

「移住するなら今しかない」

まどかさんはそう決意を固め、文字通り死ぬ気で土地を探したという。
そして夫婦の希望だったナラやクヌギといった広葉樹の森に囲まれた
今の土地に運良く出合うことができた。
すぐに不動産屋に電話し、その土地を契約。
2021年に山梨県北杜市での暮らしが始まった。

家からの借景。広葉樹の森が好きだったという西岡さん夫妻。季節によって色合いを変える森の絶景に今も感動するという。

家からの借景。広葉樹の森が好きだったという西岡さん夫妻。季節によって色合いを変える森の絶景に今も感動するという。

減築して中庭をつくる。 京都特有の暮らしの風景をつなぐ、 長屋のリノベーション

多田正治アトリエ vol.9

こんにちは。多田正治アトリエの多田正治と申します。
2019年に連載をしておりまして、このたび5年ぶりに
再開させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。

私は設計事務所を京都に構えており、京都を中心に関西で建築設計をするかたわら、
紀伊半島の熊野エリアでも10年にわたり地域に関わる活動をしています。
前回はその様子を京都・熊野の2部構成でお送りしました
(ご興味ある方は、ぜひバックナンバーも併せてご覧ください)。
現在も変わらず、関西と熊野で活動をしていますので、
引き続きそれぞれのプロジェクトについて紹介していこうと思います。

再開1回目の物件は、京都市中心地の細路地の奥にある長屋〈仏光寺の家〉。
京都特有の風景を守りながら現代の住宅にリノベーションしていくプロセスをお届けします。

暮らす人の息づかいを感じる長屋

京都市の中心地、四条駅の近くに〈佛光寺(ぶっこうじ)〉というお寺があります。
南北を走る烏丸通りと東西を走る四条通り。
京都市でもっとも賑わうこのふたつの通りに挟まれた繁華街にありながら、
大きな境内に足を踏み入れると周辺の喧騒が嘘のような空間が広がるお寺です。
ぼくの印象では神聖で静寂な空間というよりは、
誰に対しても開かれた公園のような場所、という感じです。

佛光寺の境内の様子。(撮影:阿部彩音)

佛光寺の境内の様子。(撮影:阿部彩音)

今回紹介するのはそんな佛光寺の近くにある住宅です。
このエリアでは、繁華街から一本通りを中に入ると、住宅街になります。
昔ながらの町家もあれば、新しく住宅、マンション、
最近ではオフィスビルに建て替わっていたりもしている職住近接のまちです。

〈仏光寺の家〉の近隣のまち並み。(撮影:阿部彩音)

〈仏光寺の家〉の近隣のまち並み。(撮影:阿部彩音)

そのエリアの一角にある長屋を住宅として改修しました。
立地は、「トンネル路地」と呼ばれる路地の先。
幅の狭い、しかも頭上にはほかの家の2階がまたがっているような、
まさにトンネルのような路地です。

トンネル路地を見る。奥の正面に見える建物が今回の物件。

トンネル路地を見る。奥の正面に見える建物が今回の物件。

この路地は、奥にある数戸の住宅のための生活道路です。
路地を抜けた先には井戸(もう使えないですが)やお地蔵さまもあり、
この路地自体が数戸の住人たちの共用の生活の場となっていることがうかがえます。

このようなトンネル路地や長屋がひしめき合う住宅地の風景から、
古くから続く京都の暮らしの営みをいまでも感じることができます。

既存図面。トンネル路地の先にある長屋。枠内が該当部分。

既存図面。トンネル路地の先にある長屋。枠内が該当部分。

美術家 深澤孝史さん 歴史や文化、 そして人々の思いを 地域に深くダイブしてアートにする

〈アートフロントギャラリー〉代表の北川フラムさんが推薦したのは、
〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉など、
日本のローカルを舞台に作品を発表する美術家・深澤孝史さんです。

推薦人

北川フラムさん

北川フラム

アートフロントギャラリー・
アートディレクター

Q. その方を知ったきっかけは?

東日本大震災で被災した東北の子どもたちを〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉で受け入れた際、実によく動き楽しくさせた。停電など、スクランブルがかかった際、アクシデンタルな事態に適格な人間として記憶に残った。

Q. 推薦の理由は?

以降、奥能登国際芸術祭、内房総アートフェスなどに参加してもらったが、そのひとつひとつで地域を読み込み、地域の人たちの中に入って優れた仕事をしてくれた。

特に〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024〉では、2年間秋山郷に入り、7人のアーチストと共に、地域を浮かびあがらせる作品展示『アケヤマ -秋山郷立大赤沢小学校-』を、2020年に廃校になった小学校で行った。これは地域住民、美術関係者、民俗学関係者だけでなく一般の観客にもその深さ、楽しさが伝わり、多くの人が自然と人間のかかわりの大切さを知ったと思う。

縁もゆかりもなかった札幌で、なぜ彼は制作を行うのか

11月下旬。
札幌市にある天神山緑地はうっすらと雪化粧をして、冬の訪れを告げた。

緑地の敷地内には、アーティストインレジデンスである
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉があり、
美術家の深澤孝史さんも、かつて制作活動を行うときに
スペースを借りていたことがあると話す。

「大きいものをつくるときに、広い場所が必要だったので。
いま、作業はほぼ札幌市内の自宅で行っています」

札幌市が運営する、〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。滞在だけでなく、市民の交流場所としても利用されている。

札幌市が運営する、〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。滞在だけでなく、市民の交流場所としても利用されている。

滞在中アーティストの作品などが展示されるスペースもある。

滞在中アーティストの作品などが展示されるスペースもある。

山梨県に生まれ、静岡県の大学に進学し、卒業後も浜松市に8年ほど居住していた深澤さん。
移住のきっかけは、〈札幌国際芸術祭2014〉に参加したときに出会った奥さまだ。

「僕の活動の場所が国内を転々とするので、
札幌出身在住の妻の拠点に合わせようという軽い気持ちで移り住みました。
実際、地方への移動は結構大変なのですが、気持ちのいいまちです」

札幌市内でありながら自然豊かで、空気が澄んでいる天神山緑地。

札幌市内でありながら自然豊かで、空気が澄んでいる天神山緑地。

深澤さんがこれまで参加してきたグループ展やアートプロジェクトは、
活動年表にするだけでもずらりと長く、その場所も日本全国に広がっている。
それぞれの地域に根差し、土地の歴史を学び、人と交わりながら
“一緒に作品をつくっていく”のが深澤さんのやり方だ。

「教員免許を取って、大学卒業後に浜松の定時制高校で非常勤を務めながら、
〈NPO法人クリエイティブサポートレッツ(現在は認定NPO法人)〉に
関わるようになったのですが、
それが、いまの活動のベースになっているかもしれないです」

前橋市〈馬場川通り アーバンデザインプロジェクト〉 川と遊歩道と道路を一体でデザイン

この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。

今回は、2024年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した、
群馬県前橋市の〈馬場川通りアーバンデザインプロジェクト〉を訪ねた。

前橋は、〈白井屋ホテル〉を藤本壮介さん、
〈まえばしガレリア〉を平田晃久さん、
〈しののめ信用金庫〉を宮崎晃吉さん、
ほかにも永山祐子さん、長坂常さん、高濱史子さんら著名建築家が市内中心部で
次々に意欲的なプロジェクトを行うことで、現在最も耳目を集めているまちだ。

その要因は、「前橋アーバンデザイン」というまちづくりの明確な指針があり、
そしてそれを実現する個々の建築と、それらをつなぎ、
まちのアイデンティティにもなる質の高い公共空間によるもの。
そうした視点で有効に機能しているのが、馬場川通りの再整備だ。

このプロジェクトは、単なる景観整備にとどまらず、
官と民が前例のないスキームで連携し、市民の力を結集させた
新しい都市再生の取り組みといえよう。

同プロジェクトの中心人物である
〈前橋デザインコミッション〉企画局長兼事務局長の日下田伸さんと、
〈ランドスケープ・プラス〉代表取締役の平賀達也さんに話を聞いた。

多くの地方都市同様、中心市街地の衰退に悩まされてきた前橋が、
どのような仕組みとプロセスで社会実装に成功したかを、
馬場川通りアーバンデザインプロジェクトを通して検証し、
「準公共」の最新の役割を探る。

「蓋がされていた川を開き、人と水の近さをデザインしました。バブルの頃の補助金で、クラシックなガス灯や、花壇などができたのですが、デザインコードがなく、ハチャメチャな状況でした。それを『レンガと緑と水』をデザインの骨格に据えて再整備しました」と平賀さん。

「蓋がされていた川を開き、人と水の近さをデザインしました。バブルの頃の補助金で、クラシックなガス灯や、花壇などができたのですが、デザインコードがなく、ハチャメチャな状況でした。それを『レンガと緑と水』をデザインの骨格に据えて再整備しました」と平賀さん。

民間の寄付で行う公共工事

矢島進二(以下、矢島): 「馬場川(ばばっかわ)通り」とは、
前橋中央通り商店街と〈アーツ前橋〉を結ぶ
幅員12メートル、距離約200メートルの通りの名称ですが、
最初に〈馬場川通りアーバンデザインプロジェクト〉の特徴を教えてください。

日下田伸(以下、日下田):  このプロジェクトは、2024年春にできた
前橋中心市街地の再生事業で、遊歩道公園、準用河川、道路、公衆トイレなどからなる
公共工事なのですが、地元の有志による資金で行い、
地域の団体による活動で管理運営を担っているのが最大の特徴です。

そして、かつての生活基盤であった水路のつながりを生かし、
グリーンインフラやウォーカブルな社会に資する環境基盤に再編し、
前橋の新たな拠点をデザインしたものです。

〈前橋デザインコミッション〉企画局長兼事務局長の日下田伸さん。以前は〈星野リゾート〉や〈東横イン〉、医療法人、環境ベンチャーなどで主に事業再生を手がけてきた経験をもとに、いまは「まちの再生」に取り組んでいる。

〈前橋デザインコミッション〉企画局長兼事務局長の日下田伸さん。以前は〈星野リゾート〉や〈東横イン〉、医療法人、環境ベンチャーなどで主に事業再生を手がけてきた経験をもとに、いまは「まちの再生」に取り組んでいる。

矢島: このプロジェクトが始まった背景について教えてください。

日下田: 前橋の中心部は県庁所在地のわりに、寂しいと言われていました。
昭和50年代の終わり頃は、メインストリートの週末の通行量が約2万人だったのが、
バブルの頃は車社会化が進んで1.5万人に、
2005年頃には2000人を切るまで落ち込みました。

いわゆるシャッター商店街をテーマにする報道があると、よくここの商店街が登場します。
ただ、テナント需要がないのではなくて、
実際は貸すのが面倒だから空いているところが多いですね。

日本の賃貸借契約は借り手に強くできているので、固定資産が下がっているいま、
人に貸すより物置にしていたほうがいいと思っているオーナーが多いのです。
そういう空気を変える活動も私たちはやっています。

東京都台東区〈KAMINARI〉。 築50年のレトロビルが、 浅草でクリエイティブな文化を興す

omusubi不動産 vol.7

はじめまして。おこめをつくるフドウサン屋
〈omusubi不動産〉の小野洋平(おのようへい)と申します。

私たちomusubi不動産は「自給自足できるまちをつくろう」を合言葉に、
毎年“手で植え、手で刈る”というアナログな田んぼを続けながら、
空き家を使ったまちづくりを生業としています。

この連載では、omusubi不動産の個性豊かなメンバーが書き手を担い、
思い入れの深い物件の物語を綴っています。

連載7回目を数える今回は、東京・浅草のクリエイティブビル
〈KAMINARI(かみなり)〉をご紹介。じつは筆者はomusubi不動産に
入社する前からこのビルに足しげく通っていたものの、これまでの背景はつゆ知らず。
そこで、誕生の経緯から入居者による改装内容、これまでの活用方法などなど、
関係者へのインタビューを通じて浅草のクリエイティブシーンを
盛り上げるKAMINARIの歴史を紐解いていきます。

クリエイティブビル〈KAMINARI〉とは?

KAMINARIの外観(before)。

KAMINARIの外観(before)。

東京都台東区浅草、雷門から徒歩1分の並木通り裏に位置する〈KAMINARI〉。
昭和42年築の4階建てで、かつては日本人形材料店が営まれていました。
古い建物ではありますが、今では乾物を扱うカフェ&バー〈ほしや〉、
「スタディスト」と名乗る活動家、岸野雄一氏、
食に関わる方をクリエイティブで応援するデザインオフィス〈ゆいろ〉、
プロダクト、イベントディレクションを手がけるデザインチーム〈MA+OI〉と、
個性豊かな方々が入居しています。

また、これまでにアート、デザイン、音楽、食……
ジャンルを問わないイベントを通じて、さまざまなクリエイターが集う
活動拠点としても親しまれてきました。

現在は地域のクリエイティブシーンを支える存在となったKAMINARIですが、
過去を遡ると空きビルの期間もあり、オーナーさんも活用方法に困っていたとか。
では、どういった経緯で今のクリエイティブビルにまで
発展していったのでしょうか。
まずは、omusubi不動産との出合いから紹介していきます。

「あの頃のような賑わいを……」
omusubi不動産、東京での初挑戦

omusubi不動産がKAMINARIと出合ったのは2016年。
オーナーさんが日本人形材料店を営んでいたこともあり、
1階はもともと人形や反物の倉庫、2〜4階は住居として利用されていました。
しかし、徐々に使用頻度も少なくなっていき、オーナーさん自身も
物件の新たな活用方法を模索していたそうです。

そこで、まずは外観を変えようと、地場の工務店
〈駿河屋(※)〉に依頼したのが事の発端。
外壁を塗り直してもらい、次の活用方法を考える段階になって、
omusubi不動産に白羽の矢が立ちました。

※駿河屋…創業365年。東京都墨田区を拠点に、自然素材を使った注文住宅・リノベーションを行う建築会社。

当時のomusubi不動産代表・殿塚建吾(以下殿塚)。

当時のomusubi不動産代表・殿塚建吾(以下殿塚)。

便利な時代だからこそ不便な暮らしを。 自然とつながることで楽しむ、 趣味の延長上の家

伝説のわな猟師の生き様に感動して始めた狩猟

「狩猟をやっていると、自分はほかの動物の命に生かされていることに
気づかされるんです。
自分で命を獲ったものを、自分で解体して食べる。
その“命をいただく”感覚に感動したんです」

茨城県笠間市の郊外で、BESSの「ワンダーデバイス」に暮らす菅谷一成さんは
「狩猟」の醍醐味をこう語る。

菅谷一成さんと妻の恵子さん。

菅谷一成さんと妻の恵子さん。

菅谷さんは自動車ディーラーで営業の仕事をするかたわら、
わな猟の狩猟免許を取得している。
笠間市は近年イノシシやハクビシンなどの獣害に悩まされており、
一成さんは地域の捕獲団体に所属して、イノシシなどの獣害対策に当たっている。
家の周辺にはいくつかの箱罠を仕掛けており、これを毎朝チェックするのが日課だ。

「もしイノシシが入っていたら、その後仕事に行かなければならなくても
朝のうちにシメます。
営業と狩猟というなんだか両極端なことをしているものですから、
どうやら会社では『菅谷ってやべえ奴だぞ』と、評判が立っているようですが(笑)」

自宅近くに設置された箱罠。取材に訪れる数週間前には2頭のイノシシが罠にかかっていたという。

自宅近くに設置された箱罠。取材に訪れる数週間前には2頭のイノシシが罠にかかっていたという。

狩猟にのめり込んだきっかけは、3年ほど前にたまたま見た、
伝説の罠猟師・片桐邦雄を追ったドキュメンタリー番組だった。

「もともと猟には興味があったのですが、
片桐さんの生き様を見ていたらもう一気に狩猟の世界に惹き込まれてしまいまして。
本格的に狩猟をやってみたいと思い始めました。
そうしたらちょうど住んでいる地区にあるイノシシの駆除隊から、
メンバーに入ってくれないかとお誘いがあったんです」

リビングの本棚には伝説の罠師・片桐邦雄さんの書籍が。

リビングの本棚には伝説の罠師・片桐邦雄さんの書籍が。

願ってもないタイミングで声がかかり、迷わず駆除隊に入隊することを決めた菅谷さん。
偶然にも笠間市には茨城県の狩猟者研修センターがあり、
狩猟免許を取りやすい環境も整っていた。
そして憧れの片桐さんと同じく、「わな猟師」の免許を取得した菅谷さん。
この日は一成さんのお気に入りの場所だという広いウッドデッキで、
仕留めた猪肉を振る舞ってくれた。

北海道・洞爺湖芸術館で 野生の学舎による展覧会。 みんなで探る「いのちのかたち」とは?

写真提供:野生の学舎

自然の中から引き出される、原初のものづくり

北海道南西部に位置し、日本で3番目に大きいカルデラ湖を持つ洞爺湖町に
〈野生の学舎〉という学び舎がある。
野生の学舎という名は、ヘンリー・ソローの著書からとられている。
ソローは、たったひとり湖畔に自ら建てた小屋で自給自足の暮らしを営み、
森を毎日何時間も歩くなかで思索を深めたアメリカの思想家だ。
野生の学舎を主宰するアーティストの新井祥也さんは、ソローのように自然から学び、
フィールドワークを通じて、「人がものをつくることの根源とは何か」を探り続けている。

2019年に洞爺湖町に移住し野生の学舎を主宰する新井祥也さん。

2019年に洞爺湖町に移住し野生の学舎を主宰する新井祥也さん。

学び舎の活動は、子どもから大人までが集まって
湖にある大きな岩に石を画材にして何かを描いたり、
周囲の音に耳を澄ませて、それらをオノマトペとして描き表したり。
自然との接触から生まれたこれらの活動は、もうすぐ100回目を迎えようとしている。
最初のものづくりとは個人的な営みではなく、
集合的な意識から生まれてきたものであり、
自然のことばに耳を澄まし、物の語りを聴くことからすべては始まっていく。

さまざまな石を拾い集め、それをチョークのように使って湖畔の岩に描く。(写真提供:野生の学舎)

さまざまな石を拾い集め、それをチョークのように使って湖畔の岩に描く。(写真提供:野生の学舎)

この学び舎がスタートしたのは2020年。
以来4年間で行った数々の取り組みを紹介する展覧会が、
洞爺湖芸術館で10月から11月にかけて開催されている。
タイトルは『いのちのかたち』。
新井さんは展覧会にこんな言葉を寄せた。

「野生の学舎が取り組んできたすべての活動のなかで、
その根源には“いのち”というテーマが流れています。
生きることを支えるいのちの大きな働きは、
目で捉えることも触れることもできず形を変えながら動き続けています。
洞爺湖という土地や自然、過去や未来、
わたしたちの個々の記憶が交わりながら、いのちにかたちを与える。
そこには、表現行為のはじまりの姿が見えてきます。
いのちが重なり、境界が溶けていく向こう側には
どのような光景がひろがってゆくのでしょうか」

旧洞爺村の役場の建物を利用した洞爺湖芸術館。円形の緑地帯には野生の学舎と函館在住のアーティストBOTANによる『草木塔』が立てられた。

旧洞爺村の役場の建物を利用した洞爺湖芸術館。円形の緑地帯には野生の学舎と函館在住のアーティストBOTANによる『草木塔』が立てられた。

展示会場には『いのちのかたち』と題された作品があった。
活動に参加した主に小学生によってつくられたものだ。
子どもたちと新井さんは対話やスケッチなどを繰り返しながら、
自身の内側にあるものを表すための試行錯誤をしていったという。
構想が決まったら流木と針金を骨組みに使い、かたちの大枠をつくり、
そこに紙を何層にも貼り重ね、それぞれに等身大スケールのかたちを生み出した。
それらは、生き物のようにも鉱物のようにも分裂する細胞のようにも見えた。

展示風景より。『いのちのかたち』。(写真提供:野生の学舎)

展示風景より。『いのちのかたち』。(写真提供:野生の学舎)

『いのちのかたち』と同じ空間に展示されていたのは『大地の創造』。
この作品は町内外から集まった60人以上と共同制作した5×6メートルにもなる絵画だ。
洞爺湖にある土や石から顔料をつくり、下絵をつくらずに即興で描いていった。
土や石も何億年もの時間をさかのぼれば、火山活動や動植物の堆積によって生まれたものだ。
茶褐色のなかに無限のトーンがあり、それらはまるで星雲のようなダイナミックさを感じさせた。

展示風景より。『大地の創造』。(写真提供:野生の学舎)

展示風景より。『大地の創造』。(写真提供:野生の学舎)

石や土を砕いて顔料とした。砕く前の石も作品の上に置かれていた。(写真提供:野生の学舎)

石や土を砕いて顔料とした。砕く前の石も作品の上に置かれていた。(写真提供:野生の学舎)

なにごとにも全力で! 暮らしと共にある趣味を楽しむ [BESSの家の場合]

趣味が楽しすぎる!

暮らしのなかで趣味を最大限に楽しむこと。
好きなことをやっているのだから当たり前にできそうなものの、
こだわりをもって実現させるのは、意外とできていない人も多いだろう。

そこで、暮らしを楽しむ人の家を拝見する
連載『わが家が楽しすぎる! BESS×colocal』から、
趣味を楽しんでいる「9人の趣味人」を紹介する。
〈BESS〉はログハウスなど木の家を得意とする住宅ブランドで、
そこに住んでいる人は、
家の中でも、外でも、趣味に全力な人が多い。

はたしてどのように趣味に向き合っているのだろうか。

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SUP、スノーボードをそのまま収納/福井県福井市

若い世代からも慕われる“遊びの達人”である竹下光彦さん。
「横乗り系の遊びは全部、やりました」と語る竹下さんは、福井県鯖江市で生まれ、
若い頃はスケーターとしても北陸で名を知られた。

さすがに若い頃と比べて横乗り系の遊びには出かけられなくなったというが、
玄関口にはスケートボードが立てかけられ、
吹き抜けのリビングの一角には、3メートル近くありそうな
サップ(SUP=Stand Up Paddleの頭文字。立ったままパドルを漕いで乗る板)が、
立てかけられている。

「空気を入れて膨らませるタイプなので、本当は小さく収納もできます。
ただ、丸めてしまうと素材も傷みます。
いろいろ保管場所を考えたのですが、
これほど大きなサップをそのまま置ける場所といえば、ここしかありませんでした。
リビングの窓が大きく、ウッドデッキにもつながっているので、
サイズのある道具でも出し入れがラクです」

確かに竹下さんのように、さまざまな道具を駆使しながら屋外の遊びを存分に楽しむ人には、
このような家でないと窮屈かもしれない。

◎本編の記事はこちら

地元食材を生かすお菓子づくり/長野県松本市

お菓子づくりが趣味の的場友恵さんが、
この家でこだわり抜いたというのがアイランドキッチンだ。
キッチンにはあらゆる調理器具を取りそろえ、それに合わせてキッチンを調整した。
〈ミーレ〉の食洗機やオーブン、〈キッチンエイド〉のミキサー、
〈ロボクープ〉のフードプロセッサーなど、
プロ顔負けのキッチンツールが並んでいる。

松本に移住して、
東京暮らしのときにはなかなか挑戦しづらかったお菓子にもチャレンジしている。

「東京に住んでいたときは、マンションの手狭なキッチンがとにかく窮屈でした。
このキッチンなら下の女の子3人も広く使うことができるので楽しいし、
ストレスなく料理できるようになりました」

とくにマカロンは、簡単そうで意外と難易度の高いお菓子。
すぐにひび割れてしまったり、オーブンが変わるだけでも微妙な誤差が生じるので
マカロンづくりに実験的な楽しさを見出している。

新しいレシピに挑戦することも日々の楽しみ。
松本に来てBESSの家で暮らすことで、自然を身近に感じ、
本格的に家庭菜園を始めたり、地元の特産食材にも注目するようになった。

地元で採れたブルーベリーやルバーブは新鮮でおいしい。
そうした地元の食材を、どうしたらお菓子としてさらにおいしくなるか、
研究しながらお菓子をつくることがとにかく楽しいようだ。
友恵さんの料理への探究心と情熱は、松本に来てより一層燃え上がっている。

◎本編の記事はこちら

土地の植生を生かした雑木の庭/長野県安曇野市

雑木の庭において重要なのが、その地域の里山を意識すること。
「安曇野の自然植生が師匠ですね」と、五郎丸良輔さんは言う。

高木のクヌギやコナラに、アオダモやソヨゴなど中高木、低木、地被植物を寄せて、
数種類の木々で構成して島をつくっていく。
その島をいくつも配置し、
多くの草木を組み上げていくのが五郎丸さんの雑木の庭づくり。
安曇野の里山に自生している木々を植栽するので、病気にもなりにくい。

自生種の庭をつくると、その地域の虫や鳥などがやってくる。
そうなればもう、その庭は里山そのものといってもいい。
現在、五郎丸家の庭には、足元に生える宿根草が400〜500品種、
クヌギやコナラなど低木、中高木40〜50の原種や品種が植栽されている。

「庭づくりを続けることによって、個々の庭がつながっていくようにしたい。
自生種の庭はその地域の景観をつくり、まち並みをつくっていきます。
それが住む人にとってアイデンティティになり、
さらには文化にまで育っていけばいいなと思っています」

◎本編の記事はこちら

お坊さんが館長を務める静岡市唯一の ミニシアター〈サールナートホール/ 静岡シネ・ギャラリー〉

住職と檀家青年部など有志が立ち上げた文化施設〈サールナートホール〉

みなさんは館長がお坊さんであり、ロビーから墓地(&富士山)が見える
映画館があることをご存じでしょうか?
それは、静岡市唯一のミニシアター〈サールナートホール/静岡シネ・ギャラリー〉です。

〈サールナートホール〉

〈サールナートホール〉の創業は1995年。
同館向かいにある、臨済宗妙心寺派 宝泰寺が
静岡市民が文化活動をできる施設を建てようと
住職の藤原靖爾さんと檀家青年部らが数年の勉強会を経て設立しました。

〈サールナートホール〉館内

「サールナート」とは、インドに実際にある遺跡の名前で、
釈迦が初めて説法を説いた場所と言われています。
釈迦がそこから仏教を広めていったように、同館も東京からの文化を受け取るだけでなく
ここから文化を発信していこうという考えのもと、この名がつけられたそうです。

〈サールナートホール〉館内

1990年代頃まで、2000人を収容する市民文化会館を除き、静岡市内には市民による
文化活動ができるような200席前後のホールがありませんでした。
それまでは東京をはじめとする都市部の文化を輸入・受動する機会しかなく
この静岡市から発信する・はぐくむ機会が少なかったため、
〈サールナートホール〉がそういった拠点になれたらという想いも込め建てられています。

〈サールナートホール〉中庭

建物は〈静岡県立美術館〉を設計した設計士・高木滋生氏による設計です。
インドのサールナートを実際に訪れた、館長と設計士の経験が反映されていて
インドの遺跡をモチーフにした、趣のあるデザインになっています。
1995年には、しずおか市民景観大賞「奨励賞」も受賞しています。

フィリックス・コンランさん、日本での暮らしは、 クリエイティブにどんな影響を 与えてくれそうですか?

日本のクラフトマンシップに学ぶこと

インテリア雑貨や家具のセレクトショップ〈ザ・コンランショップ〉が、
1994年に新宿でオープンして今年30年になる。
創業者テレンス・コンラン卿の孫である、フィリックス・コンランさんは2024年春、
豊かな自然環境に魅了されて奈良県東吉野村に居を移し、
古民家の改修と家具の制作を手がけるデザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げた。

「何事にも丁寧に取り組む日本のクラフトマンシップ、
卓越したこだわりに深く惹かれています。
この“忍耐”と“細部へのこだわり”という哲学は、
私がいま学ぶべきものであると思うのです」

終の住まいとオフィスの移転先に、
イギリスのカントリーサイドのバートン・コートを選んだテレンス氏と、
言語も文化も異なる東吉野に活動の場を移したフィリックスさんの姿はどこか重なる。
そして、東吉野への移住については
「ほかの親族が唖然としても、祖父は理解してくれたと思います」と
2020年に亡くなったテレンス氏を偲ぶ。

「祖父が亡くなり、彼との関わりはより深まったと思います。
彼が生きていたときは、現在起きている出来事について話していました。
でも今は、彼がしてきたことを振り返ることができます。
彼と一緒に仕事をした人たちを通してね。
だから、私は彼の考え方や、世界で起きたことに対して、
どうナビゲートしていったのかを知ることで、
タイミングよくインスピレーションを得ることができています。
今こそ私は彼から学んでいるのです」

フィリックスさんにとってテレンス・コンラン氏はどういう存在だったのだろうか。
すぐれた経営の師匠か、メンター(先生)か、あるいは“いいおじいちゃん”か?

「祖父は、なぜそれが好きなのか、どのようにつくられているのか、
どうすればそれを改良できるのかを理解することの大切さを教えてくれた人。
加えて、生涯にわたる好奇心と革新への意欲を私に植えつけてくれた、
メンター的存在でした。
たしかに彼はビジネス界で名を馳せた優秀なビジネスマンではありましたが、
私と祖父の関係はごく個人的なものでした」

ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」

ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」

テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。

テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。

宮崎県都城市に 〈霧島酒造〉×〈スターバックス〉 のコラボ施設が2026年春オープン

建築を手がけるのは隈研吾氏。コーヒー豆かすやシラスを内装に活用したコラボレーション施設

1916年、宮崎県都城市で創業した本格焼酎メーカーの〈霧島酒造〉。
全国的知名度を誇る焼酎〈黒霧島〉は、九州産100%のさつまいもに、都城盆地の
地下水100%、麹米は国産100%、そして都城市の自社工場生産100%と、
地域と自然を大切にした焼酎づくりを行っています。

同社が〈スターバックス〉と共同プロジェクトとして現在進めているのが
2026年春オープンのコラボレーション施設です。

〈霧島酒造〉×〈スターバックス〉コラボ施設

「この場所が“みんなの憩いの場”となるように」と願いが込められた同施設。
自然環境と調和した、地域社会と共生していくための気づきや
アクションにつながる発信の場として展開されます。

施設の建築を手がけるのは、建築家・隈研吾氏。
霧島酒造とスターバックスが描く、持続可能な未来への想いを体現しつつ
「その土地の環境、文化に溶け込む建築」と両社の想いが融合した施設を目指しています。

建物は、和を感じられる竹の魅力を最大限に引き出すことで、
自然を感じながらゆったりと落ち着くことができるデザイン。
吸い込まれるような意匠が印象的なエントランスから施設に入ると、
晒竹(さらしだけ)のゆるやかな曲面の天井に包み込まれた、
竹本来の温かさが醸し出す開放的な空間が広がります。
壁面には〈スターバックス〉のコーヒー豆かすと、
九州南部の土壌を形成するシラスが混ぜ込まれた内装ボードを使用。
施設の随所で自然の恵みを感じられます。

約80種類の亜熱帯植物が楽しめる、ガラス張りの植物園も

施設の象徴となるガラス張りの植物園

施設の象徴となるガラス張りの植物園は、緑あふれる空間のなかで
人と自然の関わりを体感できる場所です。
「暮らしを支える植物」「味覚で楽しむ植物」「彩りを添える植物」「水と共に生きる植物」
の4つのテーマに沿った、約80種類の亜熱帯植物が楽しめます。

「味覚で楽しむ植物」のエリアでは、両社の商品を支える大切な原料である、
コーヒーの木やさつまいもなどを生育。
「水と共に生きる植物」のエリアでは、水辺の植物とともに錦鯉が泳ぐ姿を見ることができ、
水や緑、光が織り成す自然の豊かさを感じることができます。

芝生エリア

また、施設屋内に設けられる客席や、植物園内、芝生エリアにあるテラス席では、
くつろぎながらコーヒーを楽しめるのはもちろん、
子どもが自然と触れあいながら遊べる場としても利用できます。
さらに、エントランス横の階段を上った先には、
霧島山や沖水川の雄大な姿を一望できる屋上庭園も整備。
都城の豊かな自然の魅力を感じながら特別なひとときを過ごせます。

「地域おこし人材を育成する大学」が 岐阜県・飛騨で開校予定。 “真の地域おこし”プロジェクトって?

飛騨古川駅東開発と〈一般社団法人CoIU設立基金〉が
「Co-Innovation Valley」プロジェクトを始動。
“真の地域おこし”を掲げるこのプロジェクト、一体どんな構想なのでしょうか?

開業に先立ち、共創拠点の商業施設〈soranotani〉の建設予定地である
飛騨古川駅東口の工場跡地にて、プロジェクトのキックオフイベント
『Co-Innovation Festival』が開催されました。

地域おこしプロジェクト「Co-Innovation Valley」とは?

「Co-Innovation Valley」とは、地域資源を活用する3つの事業を軸にした
“日本初の真の地域おこし”プロジェクトです。
ひとつ目の事業は、「“共創学”を主軸にした地域おこし人材を育成する大学の開校」。

地域の循環経済を生むような産業おこしができる人材育成を目指し、
まちづくりの拠点となる共創拠点として、2026年に地域とつながる共創拠点
「Co-Innovation University(仮称 CoIU)」の開学を目指し準備を進めています。

この大学の特長は、全国と連携した「共創学」。
1年次は飛騨をメインキャンパスとし、2年次以降は連携する
全国の連携地域から関心のある拠点を選択し、共創学を学びます。

地域との共創を大切にし、実際に地域で行われるプロジェクトに参画することで、
実践しながらリアルに学ぶことを目指しているのだとか。

また、2027年開業予定の共創拠点にはキャンパスの一部ができるだけでなく、
古民家や料亭を改築することでまち全体がキャンパスとなる、
地域に根差した大学を目指しています。

Co-Innovation University(仮称)。

Co-Innovation University(仮称)。

ふたつ目の事業は、「地域に根差したまちづくりを目指す商業施設」の開業。
同プロジェクトでは2027年に、地域とつながる新たな共創拠点の商業施設
〈soranotani〉を開業することを目指しています。

飛驒古川駅の東口のイメージパース。

飛驒古川駅の東口のイメージパース。

施設は飛驒古川駅の東口(東洋工場跡地)に建設予定。
藤本壮介氏が手がける建物は、飛騨の山に囲まれた盆地の上に
お椀のようなかたちの屋根を設計し、
建物のなかから上空を見上げると空に続いているような体験ができるなど、
ユニークな構造の施設になる予定です。

そして3つ目の事業は、「地域資源を使った再生可能エネルギー産業」づくり。
岐阜県飛騨エリアは面積の90%を森林が占めているにもかかわらず、
資源を活用しきれていないのが現状です。
この課題を解決すべく、地域資源をエネルギー産業に活用した
再生可能エネルギー事業や、まちづくりの拠点となる共創拠点を設立。

プロジェクトの名を「Co-Innovation Valley」と命名しました。

プロジェクトの名を「Co-Innovation Valley」と命名しました。

このように、地域資源を活用した3つの事業を組み合わせることで
“真の地域おこし”を目指すといいます。

フィリックス・コンランさん、 奈良県東吉野村で、 なにをしているんですか?

モダンデザイン&ファニチャー界の巨匠の回顧展が開催中

2024年10月12日から2025年1月5日まで、東京ステーションギャラリーにて
『Terence Conran: Making Modern Britain
(テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする)』が開催されている。

本展は、〈ザ・コンランショップ〉の創業者で実業家・デザイナーの、
テレンス・コンラン氏(1931〜2020年)がデザインした食器やテキスタイル、
家具などの初期プロダクトから、発想の源でもあった愛用品、著書、写真、映像まで
300点以上集めた回顧展。

彼のモットーである「Plain, Simple, Useful(無駄なくシンプルで機能的)」
という思考に触れながら「デザインとはなにか」を考える機会となりそうだ。

バートン・コート自邸内の仕事部屋、2004年撮影 Photo: David Garcia / Courtesy of the Conran family

バートン・コート自邸内の仕事部屋、2004年撮影 Photo: David Garcia / Courtesy of the Conran family

ザ・コンランショップの紙袋、1980年代、デザイン・ミュージアム/テレンス・コンラン・アーカイヴ蔵 Courtesy of the Design Museum / Courtesy of the Conran family

ザ・コンランショップの紙袋、1980年代、デザイン・ミュージアム/テレンス・コンラン・アーカイヴ蔵 Courtesy of the Design Museum / Courtesy of the Conran family

「祖父は生前、日本に生まれたかったと言っていました。
日本が大好きで、人々の技術に対する情熱と献身に深い感銘を受けたそうです」

そう話すのは、テレンス・コンラン卿の孫で、
自身も家具やプロダクトのデザイナーとして活躍するフィリックス・コンランさんだ。
実はフィリックスさんが現在暮らすのは、住民1500名ほどの小さな村、奈良県東吉野村。
パートナーのエミリー・スミスさんと2匹の犬とともに2024年4月に移住した。
そんな稀代のデザイナーを祖父に持つ青年の新天地での挑戦を追った。

千葉県松戸市〈科学と芸術の丘〉 文化の力でまちと市民の関わりを リノベーションする芸術祭

撮影:Ayami_Kawashima

omusubi不動産 vol.6

はじめまして。
おこめをつくるフドウサン屋〈omusubi不動産〉で
エリアリノベーションチームのプロジェクトマネージャーをしている
関口智子(せきぐちともこ)と申します。

私たちomusubi不動産は「自給自足できるまちをつくろう」を合言葉に、
毎年、手で植えて手で刈るアナログな田んぼを続けながら、
空き家を使ったまちづくりを生業としています。

この連載では、omusubi不動産の個性豊かなメンバーが代わる代わる
(ときには代表の殿塚も)書き手となり、思い入れの深い物件とその物語をご紹介します。

連載6回目のテーマは、松戸市と一緒に開催する国際芸術祭〈科学と芸術の丘〉について。

私は前職での多岐にわたるコンテンツのディレクション経験を生かして
芸術祭に携わるべく、2018年にomusubi不動産に参画し、
3年目の2020年からはディレクターとして芸術祭全体を統括する立場になりました。
芸術祭担当のかたわら、松戸市のエリアリノベーション事業も担当しています。

いち、まちの不動産屋さんが、松戸市の重要文化施策として
国際芸術祭を運営することになった経緯と続ける理由をご紹介します。

メイン会場の戸定邸での特別展覧会。(撮影:Ayami_Kawashima)

メイン会場の戸定邸での特別展覧会。(撮影:Ayami_Kawashima)

国指定重要文化財を舞台に、未来を試す新しい芸術祭

2018年にはじまった国際芸術祭〈科学と芸術の丘〉。
初年度よりオーストリア・リンツに拠点を置く世界的なメディアアートの文化機関
アルスエレクトロニカ」の協力を得て毎年開催しています。

「科学、芸術、自然をつなぐ国際的で創造的な未来の都市」
の実現を目指す、いわば未来を試す新しいタイプのお祭りで、
世界最先端の研究機関、研究者、アーティストによる
特別展覧会、トークイベント、ワークショップ、
まちのお店と連携したイベントなどを実施しています。

メイン会場は国指定重要文化財の戸定邸(とじょうてい)。
「伝統と先端科学、美しい自然の組み合わせのなかで、
新しい未来の可能性を感じてもらえたら」そんな想いを込めています。

戸定邸で行われたトークセッション。(photo:Ayami_Kawashima)

戸定邸で行われたトークセッション。(photo:Ayami_Kawashima)

八戸の横丁に行けば、 誰しも夜の魔法にかけられる。 「酔っ払いに愛を2024」が10月に開催

ディープな横丁の世界へようこそ

「お酒+α」で、そこに集った皆がつながるアートイベント
「八戸横丁月間 酔っ払いに愛を 2024」が今年も開催されます。
戦後の闇市が始まりといわれる、日本全国の横丁。狭い空間で肩を寄せ合い、
しっぽり飲むという、どこかアンダーグラウンドなイメージがつきまといます。
しかし、最近では、インバウンド人気や昭和リバイバルもあり、
誕生年数が少ない健全なイメージで、気軽に入れる横丁も全国に増えてきました。
青森県八戸市には、戦後にできたディープな横丁から、比較的新しい横丁まで、
なんと8つの横丁が存在します。

妖しい魅力で酔客を魅了する八戸の横丁文化

みろく横丁

まず紹介するのは、比較的入りやすい5つの横丁。
2002年東北新幹線八戸駅の開業を記念してできた〈みろく横丁〉は、
八戸市中心街にあり、道幅は狭いですが、外から店内が見えるため、
横丁初心者でも安心して楽しめます。みろく横丁と交差する〈花小路〉も、
マチニワや八戸ブックセンターに通じるため、人通りも多く入りやすい雰囲気。
藩政時代に牢屋があったため〈ロー丁(ろーちょう)れんさ街〉と呼ばれる横丁は、
戦後引き揚げ者のためにできたマーケットでした。
そこと隣接する〈長横町れんさ街〉は1945年から続く飲食店街で、
長横町の中ほどには、かつて駐留米兵のためのローラースケート場があったそう。
〈ロー丁れんさ街〉〈長横町れんさ街〉〈八戸昭和通り〉は比較的道幅も広く、
お店に入るハードルは低め。

そして、次の3つの横丁は、道幅も狭く薄暗い、ディープな雰囲気の横丁です。
〈たぬき小路〉は道幅の狭さや看板など、
古い映画のセットのように昭和の趣がそのまま残っています。
そこから続く〈五番街〉はひとりしか歩けないような小路沿いに、
隠れ家的なお店が並びます。〈ハーモニカ横町〉も、1945年から続く飲食店街で、
小料理屋からエスニック料理まで多種多様なお店が営業しています。

ポスター

これらの多彩な横丁を、初めての人でもディープに楽しんでほしい。
そのためにさまざまなイベントを10月に凝縮し、常連客や観光客関係なく、
誰もがピースに楽しむことができる催しにしたのが、
アートイベント「酔っ払いに愛を2024」なのです。
八戸の横丁の魅力をファンタジックに加速させるこのイベントについて、
実行委員会の方にお話をうかがいました。

八戸横丁の魅力を味わうアートプロジェクトとして2009年にスタート

現行の「酔っ払いに愛を」は2014年から始まりましたが、
そもそものはじまりは2009年でした。
八戸の10月は、夏祭り「三社大祭(さんしゃたいさい)」が終わった後の
飲食店の閑散期。また、全国の都市と同様に、八戸でも郊外化が進み、
中心街の空洞化が問題視されていました。
そういった横丁の課題や可能性をアートの視点から盛り上げることができないか。
八戸ポータルミュージアムが主導し、
民間の助成金事業としてスタートしたのが「横丁オンリーユーシアター」でした。

「横丁オンリーユーシアター」は横丁の路地や空き店舗を舞台に、
約10団体のパフォーマーが、ダンスやお芝居、お笑い芸などを披露。
横丁の酔客たちとハプニング的にコミュニケーションし、
その瞬間ならではのパフォーマンスを生み出します。
この「横丁オンリーユーシアター」に、
「地酒で乾杯!」「横丁飲みだおれラリー」
「八戸さんぽマイスターによる横丁探訪」といった
さまざまな主催者によるイベントが加わり、
現在の「八戸横丁月間 酔っ払いに愛を」という複合イベントになり、
毎年10月に開催されてきました(2021年のみ中止)。

ピンクの提灯

「酔っ払いに愛を」を統括し、「横丁オンリーユーシアター」のプロデュースを手がけるのは、
酔っ払いに愛を実行委員会の皆さん。
事務局・八戸ポータルミュージアムのコーディネーター・寺地菜摘さんと、
主査・坂本淳美さんが、このイベントの魅力について語ってくれました。

 左から、坂本淳美さんと寺地菜摘さん。八戸ポータルミュージアム〈はっち〉にて。

左から、坂本淳美さんと寺地菜摘さん。八戸ポータルミュージアム〈はっち〉にて。

「横丁は、人と人のつながりや、愛を感じられる場所。
その魅力を、初めての方にも安心して体験してもらえるのがこのイベントです」

15年前から続いているだけあり、
八戸というまちの個性が伝わるエピソードもたくさんあるといいます。

「今年も出演してくださるロービングパフォーマーのun-paさんが
2018年にパフォーマンスした際の話です。un-paさんは全身銀色で、
どう見てもパフォーマンスしている方なのに、白い紙を掲げて立つun-paさんを、
タクシーの運転手が乗せて走り去ってしまいました。
実行委員の担当者が慌ててタクシーを拾ってun-paさんを追跡したことがあります」

八戸は、酔っ払いだけではなく、タクシーの運転手もノリが良さそう。

“世界でも前例のない” 3Dプリンタ製の滑り台が 山梨県〈清春芸術村〉に登場

大人も見る価値のある滑り台

山梨県北杜市にある芸術文化施設〈清春(きよはる)芸術村〉。

廃校になった清春小学校の跡地を再活用し、1980年に誕生して以来、
建築家・谷口吉生の設計による〈清春白樺美術館〉(1983年開館)や
〈ルオー礼拝堂〉(1986年開堂)をはじめ、藤森照信の茶室〈徹〉
(2006年完成)、安藤忠雄の〈光の美術館〉(2011年開館)、
新素材研究所/杉本博司+榊田倫之のゲストハウス〈和心〉(2018年竣工)など
数々の名建築が集まる場所です。

〈清春(きよはる)芸術村〉

山梨県の天然記念物に指定されている約30本の桜の老木が敷地を囲みます。

その施設に9月3日、建築家・メタアーキテクトで
設計集団〈VUILD〉を主宰する秋吉浩気さんが設計した
3Dプリンタ製の滑り台『ホワイト・ループ(White Loop)』が
登場しました。

3Dプリンタ製の滑り台『ホワイト・ループ(White Loop)』

滑り台には柱などがなく、それ自体が構造体として自立しているつくり。対象年齢は3~5歳。photo:Hayato Kurobe

同施設が取り組む〈こどものための建築プロジェクト〉の一環として
つくられたもので、第1弾には建築家の内田奈緒さんが設計した
『遊びの塔(tower of play)』が6月に完成したばかり。

『遊びの塔(tower of play)』

エッフェル塔の階段から着想を得て、ネットの床を空に向かって積層させるイメージでつくられた『遊びの塔(tower of play)』。photo:筒井義昭

久留米絣を世界へ! 〈藍染絣工房〉と〈IKI LUCA〉が 切り開く、絣の新しい可能性

愛媛県の伊予絣(かすり)、広島県の備後絣とともに、
日本三大絣のひとつとされる福岡県の久留米絣。

その伝統を受け継ぐ〈藍染絣工房〉を、
久留米絣を用いたブランド〈IKI LUCA(イキルカ)〉の小倉知子さんとともに、
三菱UFJモルガン・スタンレー証券福岡支店の田中鈴音さん、矢原寛人さん、
三菱UFJフィナンシャル・グループ経営企画部の糸川佳孝さんが訪問。
久留米絣を世界へ、そして現代のライフスタイルへつなぐ方法を模索します。

手づくりと量産、共存してこそ成り立つ産地

福岡県南部の久留米市を中心とする筑後地方で
伝統的につくられてきた藍染めの綿織物、久留米絣。
糸の段階で染め分けて柄を織りなす先染めの織物です。

広川町にある〈藍染絣工房〉を訪れると、
織り上がった藍色の反物が青空の下にはためいていました。
1891年創業のこの工房は現在、4代目の山村健(たけし)さんと
5代目の山村研介さんが親子で営んでいます。

「私にとってこの工房は、藍染めの冒険が始まった場所なんです。
偶然ですが、研介さんと私は同い年。
隣町同士、筑後川の水で育ったので、妙に親近感が湧くんですよね(笑)」
と元気よく話すのは、久留米絣を100%使用したファッションブランド
〈IKI LUCA〉の代表を務める、久留米市荒木町出身の小倉知子さん。
金融業界から転身した、異色の経歴の持ち主です。

〈IKI LUCA〉の小倉知子さん。この日着ているのも同ブランドの服。

〈IKI LUCA〉の小倉知子さん。この日着ているのも同ブランドの服。

制作現場を見せてもらう前に、まずは久留米絣の歴史や特徴を
研介さんと小倉さんが説明してくれました。

「久留米絣は、1800年頃に井上伝という
当時12~13歳の少女が考案したと伝えられています。
着古した着物のかすれた部分に注目して、生地をほどいてみると、
藍染めの糸がところどころ白くなっていたんです。
そこから逆算して、糸に最初から白い部分をつくって織り上げたら、
模様ができるのではないかと考えたのです」(研介さん)

最初に作成する図案。黒く塗りつぶされているところに括りを入れる。出来上がりは、この部分が白くなる。

最初に作成する図案。黒く塗りつぶされているところに括りを入れる。出来上がりは、この部分が白くなる。

筑後地方には、九州最大の河川であり、日本三大暴れ川のひとつで
「筑紫次郎」の異名を持つ筑後川が流れ、
肥沃な大地では綿花や藍の栽培が盛んに行われていました。
そんな綿織物の産地で、久留米絣を発案した井上伝は、
やがて1000人もの弟子を抱えるほどに。
西南戦争の際は、官軍兵士が土産として久留米絣を持ち帰り、全国に広まっていきます。

同じ柄だが、左は新品で、右は40年着ている生地。「藍染めには青い成分以外に、アクと呼ばれる不純物が入っていて、繰り返し洗ううちにそれが抜けることで色が冴えてくるんです」(研介さん)

同じ柄だが、左は新品で、右は40年着ている生地。「藍染めには青い成分以外に、アクと呼ばれる不純物が入っていて、繰り返し洗ううちにそれが抜けることで色が冴えてくるんです」(研介さん)

「基本的には普段着の生地に用いられていたのですが、
当時の着物はほとんどが無地や縞、格子。
久留米絣ように柄の入った着物は革新的だったようです」(研介さん)

〈藍染絣工房〉4代目の山村健さん(左)と5代目の研介さん(右)。

〈藍染絣工房〉4代目の山村健さん(左)と5代目の研介さん(右)。

おしゃれな日常着として一世を風靡した久留米絣。
その歴史に驚きつつ、MUFGの糸川さんが質問をします。

「つくるのに手間も時間もかかったと思うのですが、
普段着のわりに高価格にはならなかったのでしょうか?」

「最盛期の戦前は、年間200万反も生産していたそうですが、
色や柄のバリエーションは少なく、効率重視で簡単につくっていました。
戦後は洋装化に伴い生産量が減り、デザインは逆に複雑化していきます」(研介さん)

白い部分が多いほど括りが多くなるので、そのぶん手間がかかる。細かなグラデーションも表現。

白い部分が多いほど括りが多くなるので、そのぶん手間がかかる。細かなグラデーションも表現。

生産量は現在も年々減っていて、10年ほど前は30軒あった織元が
20軒ほどになっているといいます。

「現代の久留米絣は、うちのような藍染め・手織りの織元と、
化学染料・機械織りのところの、2パターンに大きく分けられます」(研介さん)

IKI LUCAの生地は藍染絣工房ではなく、八女市の〈下川織物〉で織られたものですが、
そのようにさまざまな織元がいるのもこの産地の魅力。

「私が履いているこの赤いスカートは、IKI LUCAの最初のアイテムで、
化学染料で赤に染めた糸を機械織りした生地でつくっています。
無地の絣ですが、IKI LUCAでは、敢えてシンプルな
無地や縞の生地を使用した服を展開することで、
いままでアプローチできなかった層にも久留米絣が広がっていけばいいな、
という思いと狙いがあります。

なので、そういった生地をつくる工房に行くと、色とりどりの反物が置いてあって、
こことはまた異なる雰囲気ですよ」(小倉さん)

すると、MUFGの田中さんからも質問が。

「山村さんの工房のように昔ながらの伝統的なつくり方をしている方たちは、
化学染料・機械織りの久留米絣に対して、
どういう思いを持っていらっしゃるのでしょう?」

「価格的に手に取りやすいものと、昔ながらのもの、
両方あることが産地の強みだと思っています。
自分たちのような工房だけなら、おそらく産地として存続できていなかったと思うので、
このふたつがあって現在の久留米絣ということができるでしょう」(研介さん)