連載
posted:2024.12.27 from:山梨県北杜市 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
sponsored by BESS
〈 この連載・企画は… 〉
ライフスタイルの基本は、やはり「家」。
ログハウスなど木の家を得意とする住宅ブランド〈BESS〉とともに、
わが家に好きなものをつめこんで、
最大限に暮らしをおもしろがっている人たちをご紹介します。
writer profile
Rihei Hiraki
平木理平
ひらき・りへい●静岡県出身。カルチャー誌の編集部で編集・広告営業として働いた後、2023年よりフリーランスの編集・ライターとして独立。1994年度生まれの同い年にインタビューするプロジェクト「1994-1995」を個人で行っている。@rihei_hiraki
photographer
Daisuke Ishizaka
石阪大輔(HATOS)
子どもたちが、家の中で外で、自由に遊んでいる。
周囲は日が差し込む森と落ち葉の絨毯。
親が心配するような要素はほとんどない。
西岡恭平さん・まどかさん夫妻は〈BESS〉の「カントリーログ」を山梨県北杜市に建て、
千葉から移住してきた。
現在、3人のお子さんとともに、広葉樹に囲まれた森の中で暮らしている。
自然豊かなこの地に家を建て、移住しようと思ったきっかけはふたつ。
まずひとつは、千葉で暮らしていたあるとき、
恭平さんは重度のアトピーに悩まされたこと。そのときに暮らしを見直そうと思った。
「仕事は楽しくやっていたので、何かストレスがひどかったとかではないんですが、
多分暮らしが雑だったんでしょうね。それから食事や暮らしを見直すようになりました。
そのなかで、
都市から離れて自然の中で丁寧な暮らしをしていきたいと強く思うようになったんです」
そしてコロナウイルスが流行する。ふたり目の子どもの出産、育児のタイミングだった。
自由がなく、先が見えない状況での育児に憔悴していたと、
まどかさんは当時を振り返る。
「あの頃は子どもを公園に連れていくのもダメ、
賃貸だから外で遊べる自分たちのスペースもないし、保育園にも通えませんでした。
そういう状況でふたりの子育てはかなりしんどくて、すごく生きづらさを感じました。
自分たちだけの家や庭があれば、子どもをもっと自由に遊ばせられるのになと。
それが土地探しの私の原動力になりました」
「移住するなら今しかない」
まどかさんはそう決意を固め、文字通り死ぬ気で土地を探したという。
そして夫婦の希望だったナラやクヌギといった広葉樹の森に囲まれた
今の土地に運良く出合うことができた。
すぐに不動産屋に電話し、その土地を契約。
2021年に山梨県北杜市での暮らしが始まった。
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西岡さん夫妻がカントリーログを選んだ大きな理由は、
そのコンセプトに惹かれたからだった。
「当時カントリーログは『不常識人』というコンセプトを打ち出していました。
常識なんかに囚われない、自分の信じる道をいく。
そんなアウトローなコンセプトに共感しました。
千葉で暮らしているときは、自分たちもどこか常識に囚われていたと思うんです。
自分たちの軸で考えて生きることが大事だ
というメッセージも刺さりました」
「この家の少し暗い感じもすごく気に入っているんです。
この不恰好だけど芯がある家の佇まいが
僕にとってはすごく心地よかったんです」(恭平さん)
西岡ファミリーがBESSの家で成し遂げようとした丁寧な暮らし。
そのために、カントリーログはピッタリの家だった。
ある意味不便さを受け入れる覚悟があったともいえるふたりだが、
それを象徴するように、家を建てる際にオプションはほとんどつけず、
家の中の間仕切りもできるだけ削ったという。
小さくシンプルに。
暮らしに必要なものは自分たちの手でつくっていこうと考えた。
それが西岡さん夫妻が考える丁寧な暮らしを実現させるひとつの方法だった。
「BESSの担当者の人も僕らの考え方にすごく理解がある人でした。
収納が心配だったので、屋根裏部屋をオプションでつけようかと思ったんですけど、
『西岡さんたちにはいらないですよ。必要なら自分でつくってください』って(笑)。
おかげで最初引っ越してきたときは、何もない床に皿を置いて食事していました(笑)。
いろいろなものをつくらないと生活が成り立たないような状況だったので、
とにかく急いで棚をつくったりしましたよ」
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工作が趣味だという恭平さん。
千葉にいたときから作業スペースを借り、
子どもの遊び道具などをつくっているうちに徐々に技術力が上がってきたという。
引っ越してきてからは、家の横に作業小屋を設け、さまざまなものをつくっている。
なんと洗面台や食器棚なども恭平さんの手によってつくられている。
最近ではバスケットボールを始めた長女のために、
木製のバスケットリングもつくったという恭平さん。
また、家族だけでなく、知り合いのお子さんの乳歯入れや、
地域のお祭りで木製のステッキをつくって、
それを塗装するワークショップを開いたりもしている。
そうして自身のものづくりを通して交流が広がっていくことで、
恭平さんのなかにはある変化が生まれたそうだ。
「昔は人としゃべることがあまり得意ではなかったんですけど、
ここで暮らしはじめてものづくりもいろいろ幅広くするようになっていったら、
人とのつながりも増えていきました。
積極的に人と関わるようになり、自分に自信を持てるようになりました。
人の目を見て話をするようになったんです。
なんか人間としての強さが引き出されていった感じがします」
同様に、奥さんのまどかさんにも大きな変化があった。
結婚当初は実家暮らしが長かったこともあり、
そこまで料理が得意ではなかったという。
しかし子どもにアレルギーがあったことがきっかけで食事にも気を遣うようになった。
そのクオリティは進化を続けている。
らに引っ越してきてからは、有機農家さんでパートでも働いていて、
食への関心は高まるばかりだ。
最近では自身がつくったお菓子をマルシェに出店したり、
お店に置いてもらったりもしているという。
「最初はそこまで好きではなかったお菓子づくりでも、
なんでも真剣にやってみると楽しいんだなってことに、
この暮らしを通して気づかせてもらいましたね。
あとは、材料になる果樹も育ててみたい気持ちもあるんです。
ここは標高の問題もあってなかなか果樹栽培は難しいんですけど、
本当はそういったところも含めて全部自分たちでつくってみたいんです」
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子どもたちも今の環境でのびのび育っている。
取材中も各々が好きなように家の中を元気に動き回り、遊んでいた。
そして家の外にもひとりで出ていき、
落ち葉の絨毯が広がる森の中を、何かおもしろいものがないかと歩き回っている。
ふたり目が生まれ、
コロナ禍の窮屈な子育てがきっかけで移住を決意した西岡さん夫妻にとっては、
こうした子どもの姿は眩しく映っているだろう。
「ここでの自由な暮らしがなければ、3人目の子は生まれてなかった」という。
家族が増えることを前向きに考えることができる、理想的な家だと恭平さんは語る。
「子どもの自由な発想を引き出す家ですよね。
どこにいても遊び場になる。
家の中でも外でも、『自由にどうぞ遊んで』といえるのはこの環境ならでは。
東京だったら子どもだけで外に遊びに行かせられないし、
賃貸の狭い家の中は自由に駆け回ることも難しいですからね。
僕自身福祉の仕事に従事しているので、子どもの発達についても勉強しています。
子どもの成長にとってある意味一番障害となっているのは親だ、という話も聞くんです。
子どもを抑制せず、自由にさせることが、子どもの発達においてとても重要なんだと。
それを実現できるのがこの環境と家です。
もちろん自由にさせることで、例えば子どもが壁とか床を傷つけたりしますけど、
それも塗り直せばいいだけですしね。それにその傷が家族の歴史にもなります。
まだ住み始めて3年ですけど、
既に『あのときの傷だなあ』って懐かしく思うことがあります」
西岡さん一家が暮らす地域には、
西岡さんたちと同様に子どもの教育を考えて移住してきた同世代の家族が多いという。
市全体では子どもの数は減っているが、
西岡さんの子どもが通う小学校は子どもの数がどんどん増えているそうだ。
子育てや自然を愛する生き方など同じような考え方の家庭が多いため、
保護者同士の関係性もとても良好で、いいコミュニティを築けていると語る。
2025年には同世代の家族と一緒に、無農薬米づくりを始める計画もある。
千葉に暮らしていたときにはなかった、新たな楽しみや挑戦。
この場所でBESSの暮らしを始めたことで
西岡さん夫妻の生き方や考え方、人間関係は大きく変わり始めた。
「今の生活が一番楽しい、ほかの場所ではもう住めないです」と
恭平さんは笑顔で語った。
しかし、まだまだ理想の暮らしへの道のりは長いらしい。
先日、工作作業の際に手を怪我して恭平さんは少し入院することがあった。
その際に時間ができた恭平さんはこれから挑戦したいことを
「やりたいことリスト」としてノートに書きまとめた。
すると、北杜市に引っ越してから始めたという
「バスケット教室の時間をもっと増やしたい」や
「子どもを対象にした運動教室を開きたい」、
「サウナ小屋を建てたい」といった
千葉での暮らしのなかからは生まれなかったであろう
自由で“不常識”な発想がどんどん浮かんできたそうだ。
「もう数えきれないくらいにやりたいことが浮かんできてしまって。
人生1回だけじゃ終われないなと思っています(笑)。
一番大きな夢は『自給自足を実現させること』。
最近は裏の土地で自然農業をやるための畑づくりにも取り組んでいますし、
いつかはエネルギーも自給できるようになれたらなんて思っています。
自分たちの手で生活に必要なものをつくりながら、
何にも依存しないで生きていけたらと思いますね」
どこまでも地に足をつけて、
自分たちの手で暮らしをつくり上げていくことを目指す西岡さん。
わかりやすい利便性や効率といった言葉に流されず、
自分の生き方を貫きたいと考えたとき、
この“不常識な”家は心強い存在になるのだろう。
「まだまだ僕らが目指す丁寧な暮らしは完全ではないですけど、
これからも自然界の一員としての感覚を持って、
一歩ずつ理想の暮らしを叶えていきたいと思っています。
そのときに僕らを支えてくれるのがこの家です。
この家には明確な軸があって、
その軸に沿って生きていくのが僕らにとってはとてもしっくりくる。
この家は僕らの思いを叶えて、寄り添ってくれる道具でもあるんです」
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