地元のお米で米麹づくり、
米麹たっぷりの味噌をつくる

味噌づくりのための施設で米麹からつくる

小豆島で2015年から始めた味噌づくり。
今年で8年目になります。

毎年、年が明けると「今年は味噌をいつ仕込もうかねぇ」と友人と話し出します。
味噌は、大豆やお米、麦などの穀物に、塩と麹を加えて発酵させてつくる発酵食品。
暑い時期に仕込むと、温度、湿度が高いためにカビが生えやすかったり、
一気に発酵が進んでしまうことでおいしい味噌にならなかったり。
家庭でつくる場合は冬場に仕込むことが多いと思います。
私たちもだいたい2〜4月くらいに味噌づくりをして、
半年後の夏の終わり頃から食べ始める感じです。

去年仕込んだ味噌。1年経っておいしいお味噌になりました。

去年仕込んだ味噌。1年経っておいしいお味噌になりました。

今年は、島の友人と3人で味噌づくりをすることに。
私たちの味噌づくりは米麹づくりから始まります。

今年は友人と3人で味噌づくり。もうひとりは写真を撮ってくれた牧浦知子ちゃん。

今年は友人と3人で味噌づくり。もうひとりは写真を撮ってくれた牧浦知子ちゃん。

まずは味噌づくり0日目の夜、お米15キロを洗って水に浸しておきます。
15キロ! 1斗です、言い換えると10升です、つまり100合です!
洗うだけでもひと苦労。

なぜ15キロかというと、1回で15キロの米麹をつくることができる
自動製麹(せいぎく)機を使うことができるからなんです。
私たちが味噌づくりをしている場所は、地域で管理している味噌づくり専用の施設
(私たちは「みそ小屋」と呼んでいる)で、地元の人はその施設を利用できます。
そこに製麹機があり、この機械が温度を管理してくれるので、
安定した米麹をつくることができるんです。
このみそ小屋があるのは本当にありがたい。

加温したり冷却したり、温度管理をしてくれる自動製麹機。

加温したり冷却したり、温度管理をしてくれる自動製麹機。

米麹って価格がけっこう高いものなんです。
だから、米麹の割合が多い味噌は贅沢品です。
甘めのお味噌になります。

さて、水に浸しておいた15キロのお米ですが、味噌づくり1日目の朝、
ざるに上げて水をしっかり切っておきます。
水が切れたら、40分ほどお米を蒸します。

15キロのお米を2段の蒸し器3台で蒸します。お米に指で穴を開けて、全体に蒸気が行き渡るように。

15キロのお米を2段の蒸し器3台で蒸します。お米に指で穴を開けて、全体に蒸気が行き渡るように。

蒸した米4〜5粒を指で7〜8回ひねって餅になるくらいになったら、布の上に広げます。
しっかり広げて、何度もひっくり返して、人肌くらいに冷まします。
冷めたら、種麹となる麹菌(粉状になってます)をぱらぱらとふりかけて、
米全体になじませるように混ぜ込みます。

蒸したお米を広げて急いで温度を下げます。40度くらいに冷めたら麹菌をふりふり。

蒸したお米を広げて急いで温度を下げます。40度くらいに冷めたら麹菌をふりふり。

ここポイントですが、あっつあつの蒸したお米に種麹をまぶしたら、
“こうじくん”たちが死んでしまいます。
人肌くらいのやさしい温かさが快適で、その快適な環境を保つことで、
麹菌はどんどん増えていきます。

特別な道具がなくても麹はできる?
赤ちゃんを育てるように
麹を育てた冬の味噌づくり

東京から移住して、保存食づくりが日課に

移住して暮らしに変化があったことのひとつが、保存食をつくるようになったこと。
東京で出版社に勤務していた頃は、毎日のように終電で帰り、
土日も取材で出かけることが多く、料理に時間をかけることはほとんどなかったし、
つくることにそれほど興味を持っていなかった。
けれど北海道で暮らしていると保存食を上手につくっている人が、
周りにたくさんいることを知った。

またホームセンターでは、季節になると保存食づくりの材料が豊富に売られていて、
自分でもやってみたいと思うようになった。

毎年の恒例行事となっているのが梅干しづくり。

毎年の恒例行事となっているのが梅干しづくり。

梅干し、ジャム、トマトピューレ、乾燥野菜など、
時期に合わせていろいろつくっていて、今年は久々に味噌に挑戦することにした。
初めて味噌をつくったのは2015年。
教えてくれたのは、有機栽培の野菜や無添加食品を扱う八百屋さんを通じて知り合った、
おがわまさえさん。

おがわさんの家では祖母、母、おがわさんと3代にわたって味噌をつくっているという。

2015年、初めての味噌づくり。

2015年、初めての味噌づくり。

2年ほど一緒につくらせてもらっていたのだが、
その後は仕事も忙しかったこともあって時期を逃してしまっていた。
重い腰が上がらなかった理由は、味噌づくりは量によっては半日以上かかるし、
ひとりで黙々とやるのはしんどいから。
そんななか、今年は近所の友人が一緒につくろうと声をかけてくれた。

友人とは、この連載でその活動を紹介したこともある笠原麻実さん
私の住む美流渡(みると)から車で10分ほど山あいに行った万字地区で、
〈麻の実堂〉という名でハーブブレンドティーの販売と
タイ古式マッサージのサロンを営んでいる。

笠原麻実さん。オーガニックハーブを使ったワークショップも地域で開催している。写真はリップバームづくりの様子。

笠原麻実さん。オーガニックハーブを使ったワークショップも地域で開催している。写真はリップバームづくりの様子。

「路子さん、麹から一緒につくりませんか? 楽しいですよ!」

そう麻実さんは提案してくれた。味噌の材料は大豆と塩、そして麹。
私はこれまで麹は麹屋さんで買っていた。
なんとなく自分でつくるのは大変そうというイメージがあったのだが、
麻実さんによると特別な道具がなくても大丈夫なのだという。
ということで、2月初旬、まずは麹づくりからやってみることとなった。

小豆島の遍路道をトレッキング。
歩くことで、10年暮らしても
知らなかった景色に出会う

小豆島の遍路道を歩いてみる

ここ数年、冬のアクティビティとして楽しみにしていることがあります。
小豆島の遍路道をトレッキングすること!

「お遍路」といえば四国が有名だと思いますが、
小豆島にも八十八か所の霊場(お寺や庵など)があり、
その霊場をまわる遍路道があります。
昔と比べたらお遍路する人の数はぐっと減ってしまったと思いますが、
今でも白衣(はくえ)を着て菅笠(すげがさ)をかぶり、
金剛杖(こんごうつえ)を持って歩いているお遍路さんの姿を時々見かけます。

お遍路の案内表示。前の札所、次の札所と遍路道を歩いて巡礼します。

お遍路の案内表示。前の札所、次の札所と遍路道を歩いて巡礼します。

意識して歩いていると、遍路道の案内表示は小豆島のいたるところにあります。こういう案内表示をたよりに歩いていきます。

意識して歩いていると、遍路道の案内表示は小豆島のいたるところにあります。こういう案内表示をたよりに歩いていきます。

2020年の春、新型コロナウィルス感染症が広がり始め、
子どもたちの学校が休みになり、遠出しにくくなり、
大人数で集まれなくなってしまったときに、私たちは静かに歩き始めました。
小豆島には遍路道というすばらしいトレイル(歩く道)がある。
そこを歩いてみようと。歩き始めたときのことは、
小豆島日記vol.268「小豆島ハイキング! 景色を楽しみながら遍路道を歩く」
に書いているのでぜひ読んでみてください。
どうやって歩き始めたらいいかなど、まとめてあります。

「第56番 行者堂」付近の遍路道。瀬戸内海がよく見渡せます。

「第56番 行者堂」付近の遍路道。瀬戸内海がよく見渡せます。

「第88番 楠霊庵」から「第12番 岡ノ坊」へ続く山の中の遍路道。

「第88番 楠霊庵」から「第12番 岡ノ坊」へ続く山の中の遍路道。

小豆島の遍路道は全行程で約150キロ、どれくらいで歩き終えられるかわからないまま、
少しずつ時間があるときに歩き続けて、この冬で4年目。
つい先日も1日で10キロほど歩いて、これで96キロ歩き終えました。
全体の3分の2ほど歩いたことになります。


iPhoneのアプリを使って記録した、歩いてきた軌跡です。だいぶ道がつながってきました。

小豆島の里山暮らし、
冬は薪を切ったり割ったり
「薪活」が楽しい

薪ストーブを導入して初めての越冬

昨年3月に薪ストーブを我が家に導入してから初めての本格的な冬を過ごしています。
クリスマス寒波、1月下旬の寒波と、今シーズンは小豆島も
雪がちらつくような極寒の日が何日かありましたが、
薪をがんがん燃やしているので、薪ストーブの暖かさに救われています。
(薪ストーブの導入については、小豆島日記vol.290もぜひ読んでみてください)

冬の朝。窓から暖かい日差しも入ってきます。

冬の朝。窓から暖かい日差しも入ってきます。

電気も灯油もガスも使わないで部屋を暖められるというのは、思っていた以上にうれしい。
燃料にお金を払わなくていいので得した気分になるし、
身の回りにあるものを燃料にできるエコロジカルさがとても気持ちいいんです。
ちなみに去年までうちでは灯油ストーブとエアコンをメインで使っていました。
今年は灯油ストーブを使うのをやめたので、灯油はなし。
エアコンは薪ストーブがない部屋や、朝起きた直後などで使っています。

朝起きてすぐに薪ストーブの火をつけるのは私の仕事。

朝起きてすぐに薪ストーブの火をつけるのは私の仕事。

電気も灯油もガスも使わないかわりに燃料として使うもの、それは「薪」。
ストーブの中で燃やす薪が大量に必要なんです。
「たくさん薪いるよー」と薪ストーブを使っている先輩たちから
いわれていましたが、ほんとにたくさんいる!
家の軒下に積んである薪は、みるみるうちになくなっていきます。

家の軒下に積んである薪。これくらいの量だと1週間ほどでなくなる。

家の軒下に積んである薪。これくらいの量だと1週間ほどでなくなる。

さて、薪ってどうやってつくるんでしょ。

まずは薪となる丸太を集めます。
私たちは小豆島のなかで間伐された木や、
理由があって切り倒された木をもらってきています。
「薪が必要なんです」とあらかじめ友人や知人に伝えておくと、
切り倒された木の情報がたくさん入ってきます。これは本当にありがたいこと。

人の力で持ちあがらないような大きな丸太を運ぶ場合は
ユニック車などの重機が必要ですが、だいたいの場合は、
軽トラとチェンソーがあれば人力で運べるくらいの丸太が多いです。
時間があれば、軽トラに乗って現地まで行き、切られた木を集めてきます。

この日は、廃材をもらいに軽トラで出かけました。

この日は、廃材をもらいに軽トラで出かけました。

木材を固定するためのロープワーク。南京結びをようやく覚えました。

木材を固定するためのロープワーク。南京結びをようやく覚えました。

ふるえるほど好きな
アート、音楽、文学を熱く語る
MAYA MAXXのローカルラジオ
playpray

撮影:佐々木育弥

遊び、祈ることは、個を磨くために必要なこと

「こんばんは。MAYA MAXXです」
毎週金曜夜9時、そんなフレーズから始まるラジオ番組『MAYA MAXXのplaypray』は、
昨年4月からはじまり、もうすぐ1年が経とうとしている。
放送局は、北海道岩見沢市のローカルラジオ〈エフエムはまなす〉。
2020年、MAYAさんが東京から岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住したあと、
はまなすの番組にゲストで呼ばれたことがきっかけでスタートした。

MAYAさんが「playpray」という言葉を、美流渡でまず描いたのはアトリエの向かいに建つ倉庫だった。

MAYAさんが「playpray」という言葉を、美流渡でまず描いたのはアトリエの向かいに建つ倉庫だった。

playは「遊ぶ」。prayは「祈る」。
「人間や大人には、働くとか育てるとか、やるべき役割があるけれど、
そうした枠をなくした“個”として考えたときに、自分を磨くために必要なのは
遊ぶことと祈ることだと私は思います。
遊ぶとは、生き生きと魂がふるえ、喜ぶことです。
そういう魂の発露をどこに向けるのかといったら、それは祈りなんじゃないかと。
自分のボルテージが高い状態であるときの祈りは、
きっと世界全体をよくしていく力を持っているのではないかと思います」

ラジオは1時間。
その時々の気持ちに寄り添う曲を挟みながら、基本的にはMAYAさんのひとり語り。
毎回、ゆるやかにテーマを設定していて、初回から何回かにわたっては、
なぜ絵を描き始めたのかが語られた。

きっかけは27歳のとき。
今治から上京し早稲田大学に入学。
卒業後、自分が就職するというイメージがわかず、アルバイトをして暮らしていた。
ある日、銀座界隈のギャラリーにイベントポスターを配る仕事があった。
通りを自転車で走っていたとき、何かとても美しいものが目に入ってきたという。
窓越しに見えたのは画家・有元利夫の遺作展の会場だった。
仕事を忘れてMAYAさんは会場に入り、絵に引き込まれた。
2時間以上が経過して、そろそろ仕事に戻らなくてはと気づき、
ギャラリーの扉を開いたとき「絵を描いてみようかな」と思ったという。

第2回、第3回と話が進むにつれ、絵を描き始めたものの、
もともと内向的な性格だったこともあり、
その後数年間は引きこもりのような暮らしを続けていたこと、
そこから掃除のバイトを始めて、心身の健康を取り戻し、
やがてMAYA MAXXという名で活動を始めたことなどが語られていった。

MAYA MAXXという名で活動を始めたのは1993年。その後、ラフォーレ原宿などで個展を開催し人々に知られるようになった。その頃に制作された『Ten Supporters』。いつどんなときでも自分を応援してくれる人形がいたらと考えたという。(撮影:佐々木育弥)

MAYA MAXXという名で活動を始めたのは1993年。その後、ラフォーレ原宿などで個展を開催し人々に知られるようになった。その頃に制作された『Ten Supporters』。いつどんなときでも自分を応援してくれる人形がいたらと考えたという。(撮影:佐々木育弥)

東京で活動を続け、2008年にNYで滞在制作し、その後京都へ。この間、世界各地を旅し、その記憶についてもラジオで語られた。写真は2007年のワークショップの様子。

東京で活動を続け、2008年にNYで滞在制作し、その後京都へ。この間、世界各地を旅し、その記憶についてもラジオで語られた。写真は2007年のワークショップの様子。

北九州市〈室町シュトラッセ〉
“うなぎの寝床”の空きビルを複合施設へ

タムタムデザイン vol.5

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回のテーマは、北九州市小倉にある複合ビル〈室町シュトラッセ〉。
空きビルから飲食店やヘアサロン、オフィスなどが集まる複合ビルへと生まれ変わり、
新しい人の流れが生まれました。そのプロセスを振り返ります。

物件との出合い

2015年、全国にユニークなゲストハウスがいくつも誕生し、
「ゲストハウス戦国時代の始まり」を肌で感じていたときでした。
僕自身も出張先でいろんなゲストハウスに泊まり、その魅力にハマったひとりでもあり
「北九州でもおもしろいゲストハウスをつくってまちを盛り上げよう!」
という気持ちでいっぱいでした。

〈Linked office“LIO”〉の事務所から徒歩10分圏内を中心に物件探しをしていました。
ネットからではなく日常のまちを歩きながらのリアル探索。
そんなときに見つけた物件がこちら。

2階に貼られた「テナント募集」に目がとまり、管理会社に内覧を依頼した。

2階に貼られた「テナント募集」に目がとまり、管理会社に内覧を依頼した。

築45年、鉄骨造、1フロア約40坪の3階建て。
当初は2〜3階を借りてゲストハウスをはじめようとイメージして
建物を内見させてもらうことにしました。

管理会社の担当者から「ビルオーナーも同行していいですか?」と連絡があり、
「もちろんOKです。むしろいろいろとお話をうかがいたいです」と即答しました。
「管理会社が入って案内するのに、オーナーさんが自ら同行するケースは珍しいな」と
思ったことは記憶に残っています。

農家がつなぐ人と食材の輪。
小豆島の暮らしの循環型コミュニティ

農家にとって、冬はゆったり過ごせる季節

穏やかな冬の日々、私が大好きなシーズンです。
ホームメイカーズは、毎年1、2月はカフェの営業を冬季休業というかたちで
お休みしていて、いつもよりゆったりとしたペースで過ごしています。

この時期は私たちにとってとても大切で、昨年の野菜栽培や経理を振り返って、
今年の計画を立てたり、気になっていた場所や仕組みをメンテナンスしたり、
自分のことも、まわりの環境のことも、整える時間。
なんなら、ずっと続いてほしいと思うくらい好きな時期です。
とはいえ、働かなければ(笑)。

穏やかな冬の農村。山歩きしたときに、山の上から眺めた私たちが暮らす小豆島肥土山(ひとやま)集落。

穏やかな冬の農村。山歩きしたときに、山の上から眺めた私たちが暮らす小豆島肥土山(ひとやま)集落。

カフェは冬季休業中ですが、野菜の栽培と出荷作業はいつもどおりしています。
毎週火曜日と金曜日が野菜の収穫&発送日です。

野菜出荷作業の日。畑で収穫してきた野菜をひとつひとつ整えていきます。

野菜出荷作業の日。畑で収穫してきた野菜をひとつひとつ整えていきます。

洗ったにんじん。なるべく葉っぱも含めてまるごとお届けするようにしています。

洗ったにんじん。なるべく葉っぱも含めてまるごとお届けするようにしています。

先日の野菜出荷の日、とってもいいなぁと感じたことがありました。
今回はそのいいなぁと感じたことについて書きたいと思います。

野菜出荷の日は、いつもの畑作業メンバーに加えて、出荷お手伝いメンバーが来てくれます。
私と同世代の女性たち。
小豆島で暮らすようになってから仲よくなった友人だったり、
もともとは野菜を購入してくれていたお客さんだったり、
つながったきっかけはさまざまですが、今はみんなともに働く仲間であり、
友人でもあるメンバーです。
収穫チーム4人、出荷チーム4〜5人の合計8〜9人で朝から作業をしています。

人が9人くらい集まって働くと、まぁまぁ賑やかで活気があります。
各自がパソコンの前に座って働くような、いわゆるデスクワークではないので、
みんな動きながら話しながら、ワイワイガヤガヤ働きます。
出荷の手伝いに来てくれる友人たちはみんなおしゃべりするのが大好きで、
手を動かすのと同じくらい口も動いてますね(笑)。

夕方4時頃になると、事前に注文していただいた野菜セットを
お客さんたちが受け取りに来ます
(野菜セットは遠方の方には郵送でお届けしていますが、
近くの方は直接取りに来られます。送料がかからなくてお得です)。
朝からせっせと洗ったり、切ったり、選別したりして整えられた
野菜を詰め合わせたセットをお渡しします。
受け取りに来るのは、主には小豆島で暮らしている人たちなのですが、
時々旅行で島に訪れた方がバーベキューや自炊するための食材として
注文していただき受け取りに来られることもあります。

その時期に採れる旬の野菜9品ほどを詰め込んだ「旬野菜セット」。

その時期に採れる旬の野菜9品ほどを詰め込んだ「旬野菜セット」。

自然素材が身近にあるからこそできた。
縄文土偶を野焼きで再現!

どこでもバーベキューをしているのを見て、アッと思った

北海道岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住して、本当によかったと思うことがある。
私は自宅とともに、仕事場も同じ地区に借りていて、どちらも敷地は広く、
何台か車をとめられるし、花火やバーベキューもできる(除雪は大変ですが!)。

北海道にやってきて驚いたのは、短い夏を惜しむかのように
休日ともなれば、みんな外で頻繁にバーベキューを楽しんでいること。
公園の専用スペースに行くのではなく、
庭先でキッチンの延長線上のような感覚(!?)で行っている。
我が家はアウトドア熱がまったくないので、年に1、2回しかしていなかったが、
いつでもバーベキューができる環境があってこそ、実現したことがあった!!

仕事場の周囲。以前は住宅が建ち並んでいたが、その一部が取り壊され、空き地となっている。

仕事場の周囲。以前は住宅が建ち並んでいたが、その一部が取り壊され、空き地となっている。

昨年の夏からこれまで3回、陶芸作品を焚き火で焼く「野焼き」にチャレンジした。
発端は、以前からずっと好きだった縄文時代の土器や土偶を自分で再現してみたいと
思うようになり、近くで陶芸ができる施設に時々通って、2年間制作を続けていたこと。
これまでその施設の電気窯で焼成をしてもらっていたが、そこが昨年休館となってしまった。

制作した土偶。施設の電気窯で焼成し、絵具で着彩して風合いを縄文土偶と近づけた。

制作した土偶。施設の電気窯で焼成し、絵具で着彩して風合いを縄文土偶と近づけた。

ならば、縄文時代と同じ方法で焼成をやってみたらいいのではないか!
バーベキューができる環境があるのだから!! と、あるとき思い立った。
ネットで「土器」「野焼き」と検索すると、その方法は詳しく出ていたし、
実際に野焼きをしたことのあるという友人からもアドバイスをもらうことができた。

野焼きの材料は周りにいくらでもあった!

まずは手のひらサイズの土偶や耳飾りなどで試してみることにした。
準備は、耐火煉瓦と廃材、そして家の周りの草を刈って干した藁
(イネ科の雑草なので、ここでは藁と呼びます)を大量に用意しておいた。
そして、重要なのはバーベキューとは違うので消防署への届出!! 

縄文の耳飾りの再現。最大のものの直径は約10センチ! 耳たぶにピアス状の穴を開け、そこに耳飾りを入れて少しずつその穴を大きくしていったのではないかといわれている。

縄文の耳飾りの再現。最大のものの直径は約10センチ! 耳たぶにピアス状の穴を開け、そこに耳飾りを入れて少しずつその穴を大きくしていったのではないかといわれている。

野焼きを行うことにした場所は、仕事場の家の裏にあった倉庫を
撤去したあとのコンクリートの土台。ここに耐火煉瓦を四角く並べた。
大物を焼くときは土に穴を掘って炉にするようだが、
煉瓦のほうがお手軽で火のコントロールがしやすそうと考えたからだ
(あくまでバーベキューのイメージで)。

レンガをロの字に組んだ。着火剤として使ったのは松ぼっくり。油分があってすぐに火がつく。

レンガをロの字に組んだ。着火剤として使ったのは松ぼっくり。油分があってすぐに火がつく。

函館市〈街角NEWCULTURE〉
地域の人がチャレンジできる、
複合ポップアップ施設ができるまで

富樫雅行建築設計事務所 vol.10

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースやシェアキッチンの運営など、
幅広い手法で地域に関わる〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

最終回は、複合ポップアップ施設〈街角NEWCULTURE〉の後編です。
舞台は築90年を超える旧商店の店舗(旧昆布館)と
焼き肉店(キングオブキングス、以下オブキン)がくっついた建物。
前編では、基礎的な工事からポップアップストアについてお伝えしました。
後編では、チャレンジショップやオフィス、喫茶やバーなどが集まる
複合施設の完成に向けて、少しずつ歩んでいくプロセスをお届けします。

〈カルチャーセンター臥牛館〉を手放す決断

インターン生の企画から生まれた、4日間にわたるポップアップストアは
大成功に終わりました。その4日間を踏襲(とうしゅう)するかたちで、
建物の一部にはいろんな人がチャレンジできるポップアップストア用のスペースを常設し、
建物名も〈街角NEWCULTURE〉と命名しました。

旧昆布館は街角NEWCULTUREと名前をあらため、11月までの間、無料のポップアップを始めた。9月に開催したマルシェでのコンサートの様子。

旧昆布館は街角NEWCULTUREと名前をあらため、11月までの間、無料のポップアップを始めた。9月に開催したマルシェでのコンサートの様子。

テナント入居後、2階エントランスに扉を新設。正面と左側の2か所に設置した。

テナント入居後、2階エントランスに扉を新設。正面と左側の2か所に設置した。

そんな2021年9月末のある日、臥牛館1階で〈学童クラブ ひのてん〉を営む
〈ヒトココチ〉代表の曽我直人さんから相談を受けました。
家賃がかさむので、いっそ1軒家を買って移転しようか検討しているというお話でした。

大家にとっては悲劇の瞬間です。
通常であれば、家賃を安くするか、新たな入居者を募集するでしょう。
ところが赤字の段階でさらなる値引きは死活問題であり、
なにより地域にとって子どもたちの元気な声はかけがえのない財産であり、失いたくない。

カルチャーセンター臥牛館。左側が〈ひのてん〉の入り口。

カルチャーセンター臥牛館。左側が〈ひのてん〉の入り口。

振り返ると、僕が地元の老舗エネルギー会社〈池見石油店〉の社長さんから
「臥牛館を買わないか」と言われたとき、
「ひのてんさんがビルを買えば、家賃がかからなくなるうえ、
家賃収入で上手く回していけるので、まずは相談してみてください」と
頼んだことを思い出しました。

まだ臥牛館の投資分を回収しきる前で、かなり厳しい判断ではありましたが、
このまちには子どもの存在が必要だと思い、あらためて聞いてみました。
「ほかで探すのであれば、このビルを買いませんか?」と。
曽我さんもこのビルに愛着があり、前向きに検討してくれることになりました。

池見さんも利益をかえりみず僕にこのビルを譲渡したように、
僕も譲歩しお互いを信頼しながら、不動産屋さんを挟まずに売買することで、
11月にビルの譲渡が決まりました。

北海道に移住して12年。
カバンの中身から
移住のリアルを語ってみる

いつでもどこでも軍手が活躍

東京から北海道へ移住して、今年で12年目。
出版社に毎日出勤していた頃と、暮らしは本当に大きく変わった。

この連載では、仕事、家庭、子育てなどをテーマに北国での生活について書いてきたけれど、
なんだか核心部分を伝えきれていないような気がしてならない。
それは頭で理解する部分ではなくて、体が反応する部分。
それをどうやって書き表したらいいのだろうかと考えていたとき、
ふとカバンの中身が思い浮かんだ。
東京生活で必需品だったものが消え、予想もしなかったものが加わっていたからだ。

私の住む岩見沢市は豪雪地帯。元旦の夜から降り始めた雪は、4日間断続的に降り続き、胸くらいまで積もった。

私の住む岩見沢市は豪雪地帯。元旦の夜から降り始めた雪は、4日間断続的に降り続き、胸くらいまで積もった。

こちらに来てから、いつも持ち歩いているのは、A4サイズくらいのサコッシュ。
スマートフォンやお財布、手帳は、以前と変わらぬアイテム。
そこに新たに加わったのはゴムのグリップつき軍手、ハサミ、懐中電灯、車のキー。

MAYA MAXXさんのクマの絵がプリントされたサコッシュをいつも持ち歩いている。畑仕事をしたり山に入ったりするので、結構汚れている……。

MAYA MAXXさんのクマの絵がプリントされたサコッシュをいつも持ち歩いている。畑仕事をしたり山に入ったりするので、結構汚れている……。

軍手はとにかくよく使う。
春から秋にかけて私は庭とともにある。
基本的には植物が生えたいように生えてくるのをじっと見つめているだけだが、
ほんの少し手をかける。
小道の草を整えたり、一角で草花を育てたり。
そうした細かな作業のときに軍手は欠かせない。

また、家のまわりを歩いていると、山菜や木の実を見つけるので、ここでも軍手が活躍する。
さらには、最近、蔓カゴ編みにハマっていて、道すがら木に絡まっている蔓を採ることも。
植物の採取には、軍手とともにハサミも使っている。

あらゆるところに素材がある。つい蔓を見つけると編まずにはいられない衝動がわく。

あらゆるところに素材がある。つい蔓を見つけると編まずにはいられない衝動がわく。

東京にいたときも、公園で落ち葉を拾ったり、クローバーで花の冠をつくったり
していたけれど、その何十倍もの頻度で土や植物を触っている。
以前は「自然と触れ合う」というような言葉を使っていたが、
今ではその表現は他人行儀な感じがする。
家を一歩出ればそこは自然。
ときおり私もその一部なんだという思いが溢れてくることがある。

11月、北海道は朝晩、氷点下となる。雪に覆われる前のいっとき、植物が凍って朝日に輝く姿は本当に美しい。

11月、北海道は朝晩、氷点下となる。雪に覆われる前のいっとき、植物が凍って朝日に輝く姿は本当に美しい。

小豆島で暮らす人たちの
手でつくられた本と展示
『月樹舎のアトリエと原画展』

新年に訪れてほしい展覧会

あけましておめでとうございます。
2023年が始まりましたー!
今年も『小豆島日記』をどうぞよろしくお願いいたします。

さて、この新しい年の始まりに、小豆島で訪れてほしい場所があります。
棚田が美しい農村、中山地区にあるギャラリーショップ〈うすけはれ〉で開催中の
『月樹舎のアトリエと原画展』です。

小豆島の中山地区にある〈うすけはれ〉。もとはそうめん工場だった建物を改修した、とても素敵なお店です。

小豆島の中山地区にある〈うすけはれ〉。もとはそうめん工場だった建物を改修した、とても素敵なお店です。

店内には、セレクトされた衣服や陶器、雑貨などが並びます。企画展やライブなども開催。

店内には、セレクトされた衣服や陶器、雑貨などが並びます。企画展やライブなども開催。

昨年、小豆島で草木染めをしている〈月樹舎(つききしゃ)〉の植松優子さんと、
絵を描いたりアート雑貨を制作したりしている
〈artHouse tematoca(アートハウス・テマトカ)〉の高野ゆっこさんと
『植物からのメッセージ』という本をつくりました。
優子さんが草木染めをしているときに受け取った植物からのメッセージを、
ゆっこさんの素敵な絵とあわせて伝える本です。

私は編集という立場で本づくりに携わりました。
詳しくは小豆島日記vol.301をご覧ください。

〈artHouse tematoca〉のゆっこさん(左)と〈月樹舎〉の優子さん(右)。

〈artHouse tematoca〉のゆっこさん(左)と〈月樹舎〉の優子さん(右)。

2022年に月樹舎から出版された『植物からのメッセージ』という絵本。

2022年に月樹舎から出版された『植物からのメッセージ』という絵本。

昨年秋に発売し、多くの友人たちが手にとって読んでくれました。
「植物からのメッセージ読んだよ! めっちゃ感動した。すごくよかったよー」
と言ってくれた友人が何人かいて、わー、こんなに反響があるんだと
とてもうれしくなりました。

うすけはれの店主、上杉道代ちゃんも本を読んでくれて、
とてもよかったと話してくれました。
彼女がこの本を初めて読んだときに感じたぬくもりややさしさを、
ほかの誰かとも共有したい、本とはまた別のかたちで届けたいという思いから、
展示会『月樹舎のアトリエと原画展』を企画してくれました。

函館市〈街角NEWCULTURE〉
築90年の建物を活用する
ポップアップストア

富樫雅行建築設計事務所 vol.9

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースやシェアキッチンの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

今回は、チャレンジショップやオフィスなどの複合ビル
〈街角NEWCULTURE〉がテーマです。
前回ご紹介したビル〈カルチャーセンター臥牛館〉(以下、臥牛館)の隣にある建物で、
コロナ禍の逆境においても「前に進めなければ」という思いから生まれたプロジェクト。
オープンに向けて歩んだ道のりを前編と後編に分けてお届けします。

地域に守られてきた建物

2019年の7月に臥牛館を引き継いでから、リノベーションをしながら
徐々にテナントも増えていきました。
2020年6月にはコロナ禍でもスタッフを増やし、近くの古民家で
チャレンジショップ併設の町工場〈RE:MACHI&CO〉(以下マチコ)を立ち上げ、
そのなかに〈街角クレープ〉がオープン。
臥牛館を軸に隣接エリアが変わりつつありました。

もう大きな変化は起きないだろうと思っていた矢先、転機が再びやってきました。
2021年4月の頭、臥牛館のときと同じく池見石油の石塚社長から相談が。
「向かいの建物も引き継いでくれませんか」というものでした。

向かいの建物とは、かつて海産商の旧田中商店の店舗だった〈昆布館〉と
焼き肉バイキング店〈キングオブキングス〉(以下オブキン)がくっついた建物のこと。

左からカルチャーセンター臥牛館、道を挟んでキングオブキングスと昆布館。

左からカルチャーセンター臥牛館、道を挟んでキングオブキングスと昆布館。

左がオブキン、右が昆布館。オブキンと昆布館は2階でつながっている。昆布館の横には世界最大といわれる真昆布のモニュメントが残っていた。

左がオブキン、右が昆布館。オブキンと昆布館は2階でつながっている。昆布館の横には世界最大といわれる真昆布のモニュメントが残っていた。

昆布館(旧田中商店)は鉄筋コンクリート造で、
1932年に海産商の旧田中商店によって建てられました。
バブル期にマンション開発の荒波に飲まれ周辺の建物の解体が進むなか、
解体する間際に池見石油店の先代である故石塚与喜雄さんが
建物の保存を訴えて解体を止めさせ、開発業者から買い取ったという伝説の建物です。

買い取ったのち、先代は旧田中商店につけ加えるようにして、下が駐車場の建物を増築。
1991年、地元の肉屋さんが増築部分にオブキンを開業しました。
旧田中商店の1階は、昆布と北前船にまつわる歴史資料を展示する昆布館となりました。

旧昆布館(旧田中商店)に残っていた建築時の写真。立派な海産商だったことがわかる。

旧昆布館(旧田中商店)に残っていた建築時の写真。立派な海産商だったことがわかる。

旧昆布館の1階ビフォー。一時的に明かりのショールームになっていたが、漆喰が剥がれ落ちていた。

旧昆布館の1階ビフォー。一時的に明かりのショールームになっていたが、漆喰が剥がれ落ちていた。

オブキンは地元で親しまれつつも、業界の競争激化によって2005年に閉店。
空き家となってからは屋根からの雨漏りが激しく、至る所の天井が抜け落ちた状態。
まさに廃墟となっていました。

札幌で、もうひとつの
『みんなとMAYA MAXX展』。
不安や心の影が現れた絵画を展示して

まるで洞窟のような空間に、東京時代の絵を並べて

春、夏、秋の年3回、北海道の美流渡(みると)地区で
『みんなとMAYA MAXX展』を開催してきた画家・MAYA MAXXさん。
今年の締めくくりとして、もうひとつの『みんなとMAYA MAXX展』を
札幌で2022年12月14日から2週間開催。
場所は「HUG(ハグ)」の愛称で呼ばれている
〈北海道教育大学アーツ&スポーツ文化複合施設〉。

札幌軟石でつくられた石蔵をギャラリーとして改装した空間で、
まるで洞窟のような重厚な雰囲気を感じさせる。
窓から山々が見渡せる開放的な旧美流渡中学校の展示スペースとは対照的で、
「この空間にはどんな作品が合うのだろうか?」と考えるところから
展示の構想はスタートした。

2022年1月にもHUGで『みんなとMAYA MAXX展』が開催された。MAYAさんが骨折中に描いた鹿の連作が展示された。(撮影:佐々木育弥)

2022年1月にもHUGで『みんなとMAYA MAXX展』が開催された。MAYAさんが骨折中に描いた鹿の連作が展示された。(撮影:佐々木育弥)

これまで描いたもののなかから、コロナ禍となる少し前に
東京で描いたキャンバス作品を選んだ。
2008年から10年、京都で制作発表を行っていたMAYAさんは、
その後、東京に戻って活動を再開させた。
約1年、原宿にある美容サロンの一角で絵を描き、
2020年に吉祥寺に部屋を借りてアトリエをつくった。

展示されたのは、その頃の作品。
木枠に貼らずに切りっぱなしのキャンバスに海や動物、人物などが描かれている。
それぞれに一貫したテーマはないが、
いずれの作品にもどこか所在なげな雰囲気が漂っているのが特徴だ。

美流渡のアトリエに比べると決して広くはなかった吉祥寺のアトリエだが、床いっぱいにキャンバスを広げると250センチほどの幅まで描くことができた。

美流渡のアトリエに比べると決して広くはなかった吉祥寺のアトリエだが、床いっぱいにキャンバスを広げると250センチほどの幅まで描くことができた。

「東京は大学時代からふるさとにいるよりも長く住んでいた場所。
だけど10年ぶりに戻ってみたら、周りの人との関係が変わっていました。
仕事で知り合った人たちは、前よりずいぶん偉くなって時間が取れなくなっていたり、
仕事を辞めたり、連絡がつかなくなっていた人も」

これから自分はどうやって東京で人との関係をつくっていけばいいのかと
考えていた矢先に描いたのがこれらの絵だった。

「あのときの不安な状態が出ている絵を、この薄暗い石蔵に展示したら
シュールな感じになるんじゃないかと思いました」

三村家の春夏秋冬。
2022年も小豆島で
ドラマチックな暮らし

小豆島での2022年を振り返る

いよいよ2022年も残りわずかとなりました。
今年はどんな1年だったかなと写真を見ながら振り返ってみると、
なんだかんだと、いろいろあったなぁと。

私たちにとって小豆島暮らし10周年となった2022年。
10年経っても、日々新しい出会い、発見、学びがたくさんあって、
まだまだ飽きることはありません。
三村家の個人的なことも含めて、今年最後の小豆島日記で、
この1年の大きな出来事、これからの生き方の
ターニングポイントになるであろう出来事について書いておこうと思います。

小豆島暮らし10年目。庭のサクランボの木もずいぶん大きくなりました。

小豆島暮らし10年目。庭のサクランボの木もずいぶん大きくなりました。

三村家に新たなメンバーが加入!

それではさっそく、2022年の三村家トピックスひとつめ!
とっても個人的な出来事なのですが、今年は年明け早々、
我が家に新たなメンバーがやってきました。

保護したときは、推定生後1か月のハチワレ子猫ちゃん。

保護したときは、推定生後1か月のハチワレ子猫ちゃん。

出会いは元旦の夜。
家のすぐ近くで「ミャーミャーミャーミャー」と鳴く声がずっとしていて、
もういてもたってもいられないうちのお父ちゃん(旦那)と娘。

伐採されて積まれた枝のなかに隠れていて、
ちらりと顔を見せたのは小さなハチワレの子猫ちゃん。
目があった瞬間から保護しようと決めていたそう(旦那の後日談)。
その日は逃げてしまったのですが、三村家の心のなかから消えることはなく、
こんな寒いなかでは長く生きられないだろうと心配はつのるばかり。

3日後、また庭で子猫の鳴き声が。あの子に間違いない!
痩せた小さな体で家の前をちょろちょろと走り回っていました。
とても寒い時期だったので、そのまま外に放置することもできず、保護することに。

幸い健康状態はそこまで悪くなく、ごはんも自力で食べました。

幸い健康状態はそこまで悪くなく、ごはんも自力で食べました。

小さい猫はとってもとってもかわいいんです。でも保護するなら責任も大きい。

小さい猫はとってもとってもかわいいんです。でも保護するなら責任も大きい。

すでにうちには体調を崩していた15歳の老犬と、先住猫1匹がいるのに、
さらに増えて大丈夫なのかという思いもよそに、気づけば我が家の一員になっていました。

我が家のワンニャンズ。縁側でそろって日向ぼっこしていた2022年春。

我が家のワンニャンズ。縁側でそろって日向ぼっこしていた2022年春。

そんなこんなで2022年は新年早々新メンバーが加わり、
ベイビーニャンコに長老ワンコと、毎日生き物をお世話しました。
犬も猫もかわいい、でもやっぱり老いたときのお世話はとても大変で、
お金がかかったり、気兼ねなく出かけることもできなかったりします。
それでもともに暮らすことを我が家は選びました。
心配することもあれば、癒やされることもあり、
大変だけどそれが家族だなとあらためて思います。

労働と食べ物はお金では換算できない。
そばを育てた記録を小さな本に

下書きなしで一気に書き上げる

11月のこの連載で、そばを育て、それを収穫し、
製粉して食べるまでの道のりについて書いた。

そのとき、私は
「まだはっきりとは言葉にできないのだが、お金には換算できない手作業の尊さや、
穀物を食べるということの重みを感じとっている」と締めくくった。
その後、この重みとは一体なんだろうと、おりに触れ考えるようになった。
そして急に、そばづくりのプロセスを1冊にまとめるアイデアが浮かんだ。

閉校した中学校の敷地でそばを育てた。秋にはたわわに実をつけた。

閉校した中学校の敷地でそばを育てた。秋にはたわわに実をつけた。

以前に私が刊行した『山を買う』『続・山を買う』のように、
文字も絵も手書きの、手のひらサイズの本をつくることにした。

A6サイズの小さな本。文字も絵もすべて手書きした。

A6サイズの小さな本。文字も絵もすべて手書きした。

いつものように、ページ構成をメモしたり、下書きはせずに、
頭からぶっつけ本番で一気に走り切る。
ページ配分を先に決めてしまうと、できたような気分になって
ワクワク感が半減するし、下書きから清書という段階を踏むと、
新鮮さが失われるように感じられるからだ。
鉛筆で書くので、間違ったところがあれば消しゴムで消して書き直す。

まずは、そばづくりを一緒にやってくれた美唄市の農家・渡辺正美さんの紹介から。
その後、4月からひと月ごとに行った作業について書いていった。
そばは、夏の間はほとんど手間いらずなのだが、
10月には脱穀、選別、製粉作業が待っていた。
電動機械はできるだけ使わないようにしたいと渡辺さんの提案があり、
昔ながらの道具で作業を進めることになった。

『そばの1年』より。

『そばの1年』より。

今回使ったのは、郷土資料館にあるような農耕器具で、それらは素晴らしく役立った。
これまでも、こうした道具を見る機会はあったが、触ったことがなかったため、
さして気にも留めてこなかったが、今回ググッと距離が縮まったように思った。
特に、タネとそれ以外の葉っぱや茎、ホコリなどを選別する
唐箕(とうみ)という道具には感動した。
ハンドルを回すと風が起こり、タネより軽いものを吹き飛ばすことができるのだ。

実は昨年、手でよりわけたり息を吹きかけたりすることによって、
タネとそれ以外を分けてみたのだが、
数時間かかって選別できたのは、手のひらにのるくらいの量。
しかも、息を吹きかけすぎて酸欠状態になって、完全にきれいにはできなかった……。
昔の人も、きっとそんな経験があったはず。
中国から伝来したという唐箕を初めて使ったとき、本当に喜んだに違いないと実感した。

『そばの1年』より。

『そばの1年』より。

林業と高齢者の課題と向き合う
北九州市〈団らん処 和菜屋〉と
〈和才屋 デイサービス〉

タムタムデザインvol.4

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回は北九州市小倉の団地にオープンしたお惣菜屋さんの話。
健康面でも精神面でも高齢者たちの拠り所になりながら、
地域の林業の課題解決にも寄与している場所。
その誕生のプロセスを振り返ります。

お惣菜店と林業をつなげる?

2015年のある日、知人の経営コンサルタントである田代智治(たしろ ともはる)さんから
「タムちゃん、ちょっと相談があるんよ」とお声がけがありました。

当時の僕は北九州市立大学のMBA(経営学)スクールに通う
社会人の方々と親交が多く、田代さんもそのひとりでした。
「みむちゃんがお惣菜屋を始めるから、いま手伝っているんだけどね」と。
みむちゃんとは、田代さんとMBA同期で元作業療法士の三村和礼(みむら かずゆき)さん。
「福祉業界から社会をよくしたい」と、物腰がやわらかい雰囲気からは
想像もつかないくらい情熱にあふれる人でした。

相談内容というのはふたつ。
まずは三村さんが始めるお惣菜屋さんの店舗設計。
もうひとつが田代さんと親交の深い大分県日田市にある
〈田島山業〉の田島信太郎社長が抱える事業課題の解決。
それらを同時に行いたいとのこと。

「お惣菜店と林業がどうつながるのか?」

なかなかピンとこない僕の顔を見つつ、
「とりあえず田島さんのところへ行こう」となりました。
店舗の施工を手がける〈ヴィリオ〉の寺井 智彦くん(vol.2を参照)も誘い、
田代さん、三村さんと一緒に日田の林業の現場へ。

林地残材の課題

大分県日田市中津江村の山奥に到着。田島さんに林業の現場を案内してもらいました。
鎌倉時代から先祖代々受け継がれてきた山への想いや、
それを未来へ継承していくことの責任など、
ひと言では語りつくせない現状に、僕らも少しですが触れることができました。

新緑も深く、空気もうまい!

新緑も深く、空気もうまい!

〈田島山業〉の現場。ここは製品となる日田杉の保管場所。

〈田島山業〉の現場。ここは製品となる日田杉の保管場所。

想いを語ってくれる田島社長。

想いを語ってくれる田島社長。

続いて案内されたのが、「林地残材」と呼ばれる丸太の置き場所。
道の脇には積み重ねられた大木の山があり、
これがまさに田島さんが課題としていることでした。

林地残材とは、商品価値がないとされる丸太です。
樹々は山の傾斜に生えながらも垂直に伸びるため、
根元の1〜2メートル程度が曲がります。
組合はその曲がった部分を商品価値がないものとして引き取らないため、
こうして道端に放置するか、費用をかけてバイオマスにするしかないとのこと。

バイオマスとはチップ状に粉砕して燃やす燃料のことですが、
田島社長は「先祖代々が育ててきたこの樹木たちを、
ただ燃やすだけに使うには申し訳なさすぎる」とおっしゃっていました。

確かに少し曲がっているけど、とても立派です。
この程度で商品価値がないと判断されるのは、もったいなさすぎると皆が実感しました。

今年の冬も小豆島から
〈HOMEMAKERS〉の
ジンジャーシロップをお届けします

ただいま、年末まで駆け抜け中!

やってきました! 12月。
クリスマスに大晦日。
あー、今年も年末がみえてきましたね。

私たちにとって、11月から年末にかけては毎年大忙しのシーズン。
収穫や加工などの農作業もいつもより大変なうえに、イベント出店なども重なる時期。
お正月休みを夢見ながら、年末まで一気に駆け抜ける感じです。

まさに今、現在進行系で駆け抜け中(笑)!
今年は初挑戦のジンジャーIPAビールづくりにも取り組み、
そのお披露目イベントでもあり、生姜の収穫を喜び味わうお祭り
〈GINGER FES〉の準備も進めています(小豆島日記vol.306)。
そして私たちにとってこの時期の大切な仕事が、ジンジャーシロップづくりです。

ジンジャーシロップをお湯で割って「ホットジンジャー」に。冬に欠かせない飲みもの。

ジンジャーシロップをお湯で割って「ホットジンジャー」に。冬に欠かせない飲みもの。

〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉のジンジャーシロップは
生姜を育てるところから始まります。
今年も春から生姜を育ててきました。

4月頃、普通に食べることもできる生姜を土の中に埋めます。
そうすると、生姜は自分が蓄えている栄養を糧に、まず地上に芽を出します。
茎を伸ばし、葉を広げ、太陽のエネルギーを得て成長に必要な栄養をつくりだし、
地中では最初に埋めた親となる生姜を核にして少しずつ大きくなっていきます。

私たちは、生姜が健やかに成長していくように、虫を取り除いたり、
強すぎる雑草を抜いたり、土を寄せてあげたりと
春、夏、秋にかけて約半年間、手入れし続けます。
収穫するのは10月頃。150グラムほどの親生姜はうまくいくと
10倍以上の2キログラムくらいまで大きくなることもあります。

私たちが生姜の栽培を始めたのは、小豆島に引っ越してきた翌年の2013年。
体の冷えが気になっていて、体を温める食材といえば生姜だ! 
自分たちで育ててみたい! 
と思ったものの、生姜栽培に関しての知識はゼロ。
でもとにかく育ててみようといろいろ調べて、種生姜を購入して土の中に埋めてみました。

おー、芽が出た! 茎が伸びてきた! と、何もかもが新鮮。
その頃は夫婦ふたりだけで農作業をしていて、まだ小さかった娘も一緒に草を抜いたり、
水やりをしたりしていました。ほんとに懐かしいなぁ。
初めての栽培でしたが、秋に無事に収穫することができました。

2013年秋、まだ幼稚園生だったいろは(娘)も一緒に生姜の収穫。

2013年秋、まだ幼稚園生だったいろは(娘)も一緒に生姜の収穫。

収穫した生姜で初めてつくったジンジャーシロップ。

収穫した生姜で初めてつくったジンジャーシロップ。

たべよう たべよう めしあがれ
心と身体が喜ぶ食卓の物語

写真:うえすぎちえ

ひわさんと囲んだ食卓での出来事をスケッチブックに記して

私が美流渡(みると)地区を拠点に続けている出版活動〈森の出版社 ミチクル〉では、
昨年からローカルブックスという仕組みを立ち上げ、
本づくりに思いを寄せる仲間と知恵を出し合い、「編集・印刷・流通・販売」を
ともに協力しながら本を刊行する取り組みを行ってきた。
これまで島牧(しままき)、美流渡、美唄(びばい)といった
ローカルな地域に住む人たちの、本に残しておきたい大切なことを綴ってきた。

これまで刊行してきたローカルブックス。左から『さくらの咲くところ』(吉澤俊輔)、『移住は冒険だった』(MAYA MAXX)、『おらの古家』(渡辺正美)。

これまで刊行してきたローカルブックス。左から『さくらの咲くところ』(吉澤俊輔)、『移住は冒険だった』(MAYA MAXX)、『おらの古家』(渡辺正美)。

12月、4冊目となる新刊が登場。
新千歳空港にほど近い長沼町にある〈大きなかぶ農園〉の
およそ13年前の食卓が舞台となっている。

本づくりの始まりは2008年。
札幌で音楽教育の講師を務めていた、うえすぎちえさんが、
この農園で小さなピアノコンサートが開かれることを知り、訪ねたことから。

「D型倉庫に案内された私は、不思議の国の物語の中の扉を開いてワクワクと恐る恐るの気持ちに揺れながら足を踏み入れました。そこには台所に立って洗い物をしている魔女。私を見るなり、コンサートのために知り合いの農家さんからいただいたお花をたくさんの小瓶に飾ってほしいと仕事を与えてくれたのです」(本書より、ちえさんの序文)

『たべよう たべよう めしあがれ 大きなかぶ農園の食卓の記録』より

『たべよう たべよう めしあがれ 大きなかぶ農園の食卓の記録』より

“魔女”と形容されたのは、永野ひわさん。
夫のさとしさんとともに、2001年から長沼で農園を営んでいる。
夫妻は作物を育て、各地の有機農産物や無添加の加工品などの販売を手がけている。

当時、母屋の改修が終わっていなかったふたりが住んでいたのは農業用D型倉庫。
住まいといっても床は土間。
靴を履き、近くの川から水をひき、薪ストーブひとつで暮らしていたという。

私自身も北海道に移住してしばらくして、八百屋さんを通じてひわさんと知り合った。
ひわさんは、敷地に生えているハーブを薬代わりに活用するなど、
昔ながらの知恵を生かした暮らしをしており、
その姿を“魔女”と言ったちえさんの言葉はピッタリだと思った。

以前住まいとなっていたD型倉庫は、現在、野菜の貯蔵場所となっている。極寒の北国で断熱が十分でない倉庫で暮らしていたとは本当に驚く。(写真:うえすぎちえ)

以前住まいとなっていたD型倉庫は、現在、野菜の貯蔵場所となっている。極寒の北国で断熱が十分でない倉庫で暮らしていたとは本当に驚く。(写真:うえすぎちえ)

函館市〈カルチャーセンター臥牛館〉
ビルオーナーとして
建築家がまちに関わる

富樫雅行建築設計事務所 vol.8

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースやシェアキッチンの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

今回の舞台は、函館市十字街にある
〈カルチャーセンター臥牛館(がぎゅうかん)〉というビル。
建築家である富樫さん自らビルを受け継ぎ、
建物のオーナーとして、建築家として、まちのためになにができるかを模索するお話です。

まちを守っていくための新しいアプローチ

僕が臥牛館を引き継ぐことになったのは2019年7月のこと。
その日々を振り返ると今でも胸がゾクゾクします。

2011年に〈常盤坂の家〉を買って2012年に独立。
その後10年間で、新築住宅の設計が13件に対して、
リノベーションのプロジェクトには42件ほど携わってきました。

おかげさまで仕事も順調で、古民家のリノベーションでは、
コストを抑えつつセルフビルドやDIYがより円滑に進むように
施工も受けるようになりました。
打ち合わせに行っては図面をかいて現場を指揮して、というルーティーン。
土日の休みもなく夜中まで仕事をするような本当に忙しい日々でした。

2017年〈カネサ佐々木商店〉の復元リノベーション。

2017年〈カネサ佐々木商店〉の復元リノベーション。

常盤坂の家で自分自身がハーフセルフビルドを実践したので、
古民家を自分たちでリノベする施主の大変さは身に染みてわかります。
リノベやDIYって外から見ると楽しそうですが、実際には苦しさ9割、楽しさ1割くらい。
仲間と一緒に楽しく作業できるのはほんの一瞬です。

途中で挫折しそうになっても、あと戻りはできない。
それに耐えられるのか? 施主との打ち合わせではその人の適正を見極めながら、
おすすめできない人にはそのように伝えてきました。

そんな施主のみなさんの頑張っている姿を見ていると、
建築家として自分ももっと仕事以外にもなにか頑張らないといけない、
そんな気持ちになっていました。

そんな思いを抱えるなかで、もうひとつ考えていることがありました。

これまで函館の中心市街地の西部地区で多くの古民家のリノベを担当しましたが、
まちの衰退は著しく進んでいきます。

本当の意味でまちを守っていくにはどうしたらいいのだろう?
古民家を守るのも大事だけど、まちの中心部で暮らしながら生業(なりわい)を
営む人々を支え、またその芽を応援していくことが大切なのではないか。
それと同時に、古い建物を活用して次世代に残していくべきなのだろう。

このようなことを考えながらも、時間に追われる日々でした。

ブルワリー〈まめまめびーる〉 
農家〈HOMEMAKERS〉がコラボし 
小豆島のジンジャーIPAが誕生

小豆島のブルワリー〈まめまめビール〉とコラボ!

「実りの秋」とはほんとによくいったもので、
秋は野菜や果実など収穫するものがいっぱい。
さつまいもに始まり、生姜、レモンなどの柑橘、
栗や柿も、秋から冬の初めにかけてが収穫シーズンです。
秋に収穫して貯蔵する野菜もあり、収穫、保管、仕込みなど大忙しです。

そんななか、この秋に収穫した「生姜」を使って、
島のブルワリー〈まめまめビール〉と一緒にジンジャーIPAビールを仕込んでいます!

小豆島・坂手地区にある〈まめまめびーる〉の醸造所とお店。

小豆島・坂手地区にある〈まめまめびーる〉の醸造所とお店。

醸造所に併設されているお店のテラス席。海を眺めながらビール飲んでランチとか最高です。

醸造所に併設されているお店のテラス席。海を眺めながらビール飲んでランチとか最高です。

〈まめまめびーる〉の中田雅也・史子ご夫婦は、
2016年に小豆島に移住し、翌年醸造所をオープン。
醸造所には飲食できる店舗が併設されていて、
そこでは醸造所でつくられたビールが飲めて、
史子さんのつくるおつまみやランチをいただくことができます。

〈まめまめびーる〉があるのは坂手地区という島の南東にある港まち。
2013年の瀬戸内国際芸術祭以降、移住者が増え、ブルワリーもカフェもできて、
さらに集落からは海も見えて、今とても楽しそうなエリアです(ちょっと嫉妬、笑)。
これは完全に私のぼやきですが、私たちが暮らす農村、肥土山からは
車で30分くらいかかります。
島は車しか現実的な移動手段がない(バスは本数が少なすぎて、タクシーは高すぎる……)
となると、なかなか気軽に飲みに行けない。これはほんとに寂しいことです(涙)。

お店に入るとズラッと並ぶ瓶。ラベルは史子さんデザイン。

お店に入るとズラッと並ぶ瓶。ラベルは史子さんデザイン。

話は戻り、〈まめまめびーる〉のビールづくりのテーマは「小豆島×ビール」。
小豆島の素材を生かしたビール。
小豆島で飲んだとき、最高だなと感じるビール。
ちなみに、大阪出身の中田くんに醸造所の場所としてなぜ小豆島を選んだのか? 
と尋ねたら、「ここで飲むビールが1番うまいと感じたから!」と。
世界中探せばきっとビールがおいしい場所はたくさんあるだろうけど、
彼が「ここだ!」と感じたのは小豆島。

これまで、小豆島の柑橘やお米、〈ヤマロク醤油〉さんのもろみなどの素材を使って
醸造してきた「しろまめまめ」や「みどりまめまめ」などは
定番のまめまめシリーズとなりました。
定番シリーズのほかに季節限定商品として年間10種類ほどのビールを醸造しています。
※まめまめびーるの製品は、酒税法上は発泡酒です。

閉校した校舎がまた明るくなった!
MAYA MAXXがつくった
クマのAmiちゃん

できるかわからないから、やってみましょうよ!

地域で3年前に閉校になった旧美流渡(みると)中学校の活用を、
昨年からさまざまなかたちで行ってきた。
なかでも美流渡在住の画家・MAYA MAXXさんは、
今年は年3回の『みんなとMAYA MAXX展』を実施し、
子どもと絵を描くワークショップなども精力的に開催してきた。
さらにもうひとつ、校舎に立体物を設置するプロジェクトも立ち上げた。

みんなとMAYA MAXX展会場にて。(撮影:佐々木育弥)

みんなとMAYA MAXX展会場にて。(撮影:佐々木育弥)

以前からMAYAさんは、グラウンドに大きなクマの像を立てたいという構想を持っていた。
その高さは10メートル以上。もし実際に行うことになれば、
重機を使った大がかりな作業が必要になるのではないかと想像された。

クマの全身像をグラウンドの中央に設置したいとMAYAさんが描いた初期スケッチ。

クマの全身像をグラウンドの中央に設置したいとMAYAさんが描いた初期スケッチ。

資金的にも技術的にも未知数で、すぐに具体化するのは難しかった。
そんなあるとき、MAYAさんと話していて、
「まずはできる範囲から始めてみてはどうか」ということとなった。
クマの全身をつくるのは難しくても、顔だけならなんとかなるんじゃないか。

「『スタイロフォーム』を重ねて立方体をつくって、それを削っていこう!」

MAYAさんはそう語った。
プランは、校舎の玄関口にある庇(ひさし)の上にクマの顔を設置すること。

「スタイロフォーム」とは商品名で、正式な名称は押出発泡ポリスチレン。
住宅の断熱材として使用されている。
発泡スチロールより加工も簡単で丈夫なので、
大きな立体をつくるのにも向いているのではないかとMAYAさん。
早速、市内にある建築資材会社で入手することにした。

32枚の「スタイロフォーム」。

32枚の「スタイロフォーム」。

「スタイロフォーム」の規格サイズは180×90センチ。
厚さはいろいろあるが10センチのものを選んだ。
それを18枚重ね、2列分用意すると立方体となる。
この立方体をノコギリやカッターなどで削っていき球体をつくっていくこととなった。
春からワークショップのかたちにして参加者を公募することにした。

「ワークショップの前に、模型をつくったりしないんですか?」

私がたずねると、

「うん、大丈夫。頭のなかではイメージができてるから」

とMAYAさん。いきなり本番に入ることとなった。

プロジェクト名は〈ビッグベアプロジェクト〉。
活動日は第2、第4木曜。
参加を呼びかけるチラシにMAYAさんはこんなメッセージを添えた。

これ、作るのは大変かも? と思います
でも、出来たらめちゃ可愛い! と思います
大変だから、やってみたいです
出来るかわからないから、やってみましょうよ!
力を貸してください〜!

ワークショップというと、事前に失敗がないように準備するものという固定観念があったが、
「出来るかわからないから、やってみましょうよ!」という呼びかけが、
何ともMAYAさんらしいと思った。
自分自身にとっても未知のことにトライするという、ワクワク感がそこには感じられた。

旬のオリーブオイルを味わうなら
11〜12月がおすすめ。
秋の小豆島でオリーブ収穫!

小豆島ではオリーブの収穫時期

10月後半、ようやく空気が冷たくなってきた小豆島。
秋の小豆島は空気が澄んでいて、空は青く、瀬戸内海はキラキラしています。
そんな美しい景色のなか、島のあちこちで行われているのはオリーブの収穫。

小豆島でのオリーブ収穫風景。

小豆島でのオリーブ収穫風景。

秋の澄んだ青い空とオリーブ。美しい景色。

秋の澄んだ青い空とオリーブ。美しい景色。

オリーブの樹は、毎年5月頃に白い小さな花をたくさん咲かせ、
そのあと緑の実をつけます。
夏の間、少しずつ実が大きくなっていき、早いところでは9月頃から収穫が始まります。
オリーブの実は熟していくにつれて、果肉に含まれる油分が増え、
実の色は黄緑色から赤紫色に変わっていきます。

島のオリーブ生産者さんたちは、実の熟し具合、天候などの状況をみつつ、
収穫タイミングを決めて、11月頃まで収穫が続きます。

オリーブの実。まだ完熟する前の状態。ここから熟していくにつれて赤紫色に色づいていきます。

オリーブの実。まだ完熟する前の状態。ここから熟していくにつれて赤紫色に色づいていきます。

ちなみに収穫したオリーブの実は、オリーブオイルやオリーブの塩漬けに加工されて、
小豆島のお土産屋さんなどで販売されます。
加工品だからといって通年販売されているわけではなく、旬の時期があります。

小豆島産オリーブの新漬けは10月頃、オリーブオイルは11〜12月頃が旬!
小豆島のオリーブを楽しみたい! 味わいたい! という方は、
旅行するなら10〜11月がおすすめです。
オリーブ公園などでオリーブ収穫体験を楽しむこともできますし、
その年の新物のオリーブオイルを味わうことができます。

さて、私たちも毎年楽しみにしているオリーブ収穫&オリーブオイル。
今年も友人のオリーブ農家〈tematoca(テマトカ)〉の畑で
オリーブ収穫を手伝わせてもらいました。
小豆島で暮らしていると、オリーブのある風景があたりまえになってしまうのですが、
それってやっぱりスペシャルなことで、身近でオリーブの実を収穫できて、
その実から搾油したオイルを楽しめるなんて、なかなかできることじゃない。
なので、毎年秋にオリーブの収穫をお手伝いできるのはとてもありがたいことだし、
できれば続けていきたいなと思っています。

10月の日曜日、朝から友人のオリーブ畑で収穫お手伝い。

10月の日曜日、朝から友人のオリーブ畑で収穫お手伝い。

小豆島のオリーブ収穫作業は手摘みのところが多く、とても大変で時間のかかる作業。

小豆島のオリーブ収穫作業は手摘みのところが多く、とても大変で時間のかかる作業。

畑の声を聞きながらすべて手作業!
種から育て、石臼で粉をひき、
そば打ちまでの5か月

先人たちの知恵をいまによみがえらせたい

今年の春から、そばを育てそれを製粉するワークショップ『畑の声を聞こう』を、
私が代表を務める地域団体〈みる・とーぶ〉で行ってきた。
そばを栽培したのは、3年前に閉校した旧美流渡(みると)中学校。
これまで生徒たちが作物を育てていたというグランド脇のスペースを利用した。

ワークショップの下準備は4月から。まだ雪がたっぷりと残る畑に炭やコーヒーを融雪剤としてまいた。

ワークショップの下準備は4月から。まだ雪がたっぷりと残る畑に炭やコーヒーを融雪剤としてまいた。

そばの栽培方法を教えてくれたのは、北海道美唄(びばい)市の農家・渡辺正美さん。
昨年『おらの古家』という書籍を〈森の出版社ミチクル〉から刊行し、
本づくりを一緒にさせていただいた。
この本は、昭和初期に建てられた家にずっと住んできた渡辺さんが、
友人の手を借りながら自ら改修した記録をまとめたもの。
渡辺さんは祖父母や開拓のためにこの地にやってきた人々の暮らしに興味を抱いていて、
昔ながらの方法で餅つき会をしたり、藁で靴を編んだりと、さまざまな取り組みを重ねてきた。
農作業でも、納屋に残されていた古い道具を活用しており、
今回のワークショップは、できる限り電動機械を使わず人力で行うこととなった。

美唄から旧美流渡中学校までは車で約40分。渡辺さんは、たびたび畑に通ってくれた。

美唄から旧美流渡中学校までは車で約40分。渡辺さんは、たびたび畑に通ってくれた。

ワークショップ第1回は5月7日に開催。
スコップで畑を耕し、地中深く伸びている雑草の根を取り去る作業を行った。
北海道の家庭菜園は、どこもそれなりに広くて、
たいていは耕運機で耕しているが、今回はあえて手作業。
1平方メートルほどスコップで土をひっくり返すと、汗びっしょりになった。
土はそれほどかたくなかったが、タンポポやスギナなどの根が地中にはびっしり。

「畑でどんな声が聞こえるかな?」

そう渡辺さんは参加者に声をかけた。
地中にはミミズがいたり、芋が埋まっていたり。
機械で一気に耕したのでは気づかない動植物の営みが感じられた。
掘り返したあとは、農具のレーキで根を集めていって2時間ほどで作業は終了した。

続いて5月下旬にワークショップを開催。
そばとともに手のそれほどかからない作物を植えてみようと、
大豆とひまわりの種をまいた。
その後、1週間ほどして発芽。
しかし、その2日後、大豆の双葉が半分以上、何者かに食べられてしまっていた。

函館市〈ケントハウス〉。
写真スタジオを併設した半2世帯住宅

富樫雅行建築設計事務所 vol.7

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースやシェアキッチンの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

今回お届けするのは、築54年の平屋を仲間たちとともに
ハーフセルフリノベーションするお話。
この平屋を〈ケントハウス〉と名づけ、
コンテナの仕事部屋とフォトスタジオを併設させながら、
半2世帯住宅をつくるプロジェクトをご紹介します。

お祖父さんの家を住み継いでいく

ケントハウスとは、今回の主人公である水本健人(みずもと けんと)くんが
生まれ育ったご実家です。健人くんとは、vol.4で紹介した〈箱バル不動産〉での
ワークショップをきっかけに出会い、その後、古くなった実家について、
建て替えかリノベーションのどちらがいいかと相談を受けて
プロジェクトが始まっていきました。

実際に訪れてみると、屋根も外壁も真っ白に塗られ、玄関の庇(ひさし)の上には
シーサーが出迎え、なんだか沖縄の米軍ハウスに来たかのような印象。
「このままでカッコいいじゃん!」という家でした。

この家では、健人くん夫妻と健人くんのお母さん、犬、猫2匹の3人+3匹暮らし。
当時、健人くんと奥さんの久美子さんはともに看護師として働いており、
夫婦それぞれに夜勤があるため生活がすれ違い、
生活音の問題もあって苦労していると聞きました。

家のなかの暮らしを見てみると、健人くんのモノクロームな写真がド迫力で飾られ、
お母さんの趣味のドライフラワーがセンスよく吊るされ、棚や机もDIYでつくられていました。
なんと外壁も屋根も自分たちで塗り、色分けが面倒だから全部真っ白に塗ったとのこと。
この家はもともと健人くんのお祖父さんが建てたもので、
できることは自分たちの手を動かす丁寧な暮らしぶりから、
お祖父さんが建てた家を大事にしているんだなと感じました。

建て替えるのは簡単ですが、お祖父さんからお母さんへ、
そして健人くんへと引き継いできたこの家を
この先も大事に住み継いでいくほうがいいはずだと、
しっかりリノベーションしていこうと決意しました。