小豆島の廃校になった小学校を改装して
農村ホテル〈NOTEL〉をつくります!

農村に新しいホテルを!

2023年、私たちは大きな挑戦をします。
私たちが暮らす小豆島の肥土山(ひとやま)という農村に、新しいホテルをつくります。
今回の小豆島日記では、その挑戦について今までの経緯と
現時点での状況についてお伝えしたいと思います。

農村にホテル!?
いつオープンするの? 何部屋あるの? どんな雰囲気? 
なんでホテルやるの? 誰がやるの?
はてながいっぱいだと思いますので、わたし自身も整理しながら、
ひとつずつお伝えしていきますね。

まずは、誰がやるの?
私たちHOMEMAKERSは、小豆島の真ん中に位置する
肥土山という農村を拠点に農業をしています。
約200世帯、500人ほどが暮らしている農村集落です。

この農村でともに暮らす30〜40代の仲間5人。
普段からごはんを一緒に食べたり、ともに働いたり、
いろんな話をする友人でもあり、ご近所さんでもある存在。
この5人で、自分たちが暮らす肥土山という場所にホテルをつくろう! 
と動き出しました。

7月の肥土山の田園風景。本当に美しい農村です。奥に見えるのは「肥土山農村歌舞伎舞台」。

7月の肥土山の田園風景。本当に美しい農村です。奥に見えるのは「肥土山農村歌舞伎舞台」。

写真左から、三村拓洋(農家)、柿迫恵(商店店主)、柿迫航(デザイナー)、佐々木恵(建築家)、三村ひかり(農家)。

写真左から、三村拓洋(農家)、柿迫恵(商店店主)、柿迫航(デザイナー)、佐々木恵(建築家)、三村ひかり(農家)。

事業をはじめるにあたり、5人が同じ立ち位置で活動できるようにと
「肥土山ランドスケープ合同会社」という法人を立ち上げました。
会社の名前は、自分たちが暮らす肥土山の美しい風景がこの先も続いていくように、
そして新たな風景を自分たちがつくれたらいいなという思いを込めて。

さて、なんでホテルをやるのか?
これは前々からずっと困っていたことなのですが、
友人や知り合いが小豆島に遊びに行くよ! となったときに、
おすすめできるちょうどいい滞在場所がないんです。

ようこそ! と、自分の家でお迎えしたい気持ちは山々なのですが、
毎回自分の家に誰かを招くのはなかなか大変なこと。
布団を準備したり、掃除したり、食事のことを考えたり……。
お互いにとって快適な距離感で、近すぎもなく遠すぎもなくお迎えできて、
私たちが日々食べているおいしいものや時間の過ごし方を共有できる、
そんな場所が欲しい。

そして、島の外から来る人たちのためだけじゃなくて、島で暮らす自分たちにとっても、
日々の生活のなかでふらっと立ち寄れる、好きな場所が欲しい。
お茶したり、買いものをしたり、仕事をしたり、本を読んだりできる場所。

そんなことを考えていたとき、気になっていた建物があったんです。

そこに生えてくる草花を楽しむ。
手入れをほとんどしない庭に
教えてもらうこと

イネ科の雑草と、外来種のセイタカアワダチソウだけを抜いてみた

気持ちが落ち込んだり、疲れが溜まったりしたら、仕事場の庭に裸足で出て、
とにかく植物をじっと見ることにしている。
以前は、四季は同じように繰り返されると思っていたけれど、
庭の草花は、その年々でまったく違っている。

この仕事場を借りたのは4年ほど前。3軒が連なった長屋の1軒だ。
前の住人がいつまで住んでいたのかは定かではないけれど、
おそらく8年ほどは空き家になっていたのではないかと思う。
入居したその年はイネ科の雑草が繁茂していて、
夫がそれらを刈ってくれていたこともあって、
庭にどんな植物が根づいているのかはよくわかっていなかった。

手入れをしていないとイネ科の雑草が元気に伸びる(これはこれでキレイだなあと思います)。

手入れをしていないとイネ科の雑草が元気に伸びる(これはこれでキレイだなあと思います)。

冬の庭。屋根からの落雪で2メートル以上の雪が積もっている。

冬の庭。屋根からの落雪で2メートル以上の雪が積もっている。

借りた翌年、雪解けを過ぎてみると、チューリップやバラの芽が現れてきた。
ここにはもしかしたらいろいろな植物が植えられていたのかもしれないなと思いつつ、
目立って生えていたイネ科の雑草と、外来種のセイタカアワダチソウだけを
春先から抜いていくようにした。
以前に自宅の庭が、イネ科の雑草に覆い尽くされた経験があったこと、
またセイタカアワダチソウは根から毒素を出して
ほかの植物が育たないような環境をつくると聞いたことがあったからだ。

雪が溶けたあとの庭は枯れた草で覆われている。そこから芽を出すフキノトウ。

雪が溶けたあとの庭は枯れた草で覆われている。そこから芽を出すフキノトウ。

2年ほど、このふたつだけを抜くということを続けていたら、
ヨモギ、フキ、アカツメクサ(赤クローバー)などが、どんどん大きくなっていき、
それぞれが棲み分けをして、調和が生まれていったように思えた。
また、ところどころに、赤紫蘇やレモンバーム、ワイルドベリーなどを新しく植えて、
植物の種類を増やしていった。
だんだんと庭で過ごす時間が増えていって、
いつしか庭につけた小さな道を裸足で歩くようになった。

秋田市〈ヤマキウビル〉。
3つのリノベプロジェクトで
“見放された地”亀の町が人気エリアに。

See Visions vol.3

こんにちは。株式会社See Visionsの東海林諭宣(しょうじ あきひろ)です。
第3回目となります。よろしくお願いします。

今回は〈ヤマキウビル〉の後編です。
前編は、〈酒場カメバル〉〈サカナカメバール〉に続く
3つ目の“まちの共有地づくり”を目指して見つけた空きビル
〈ヤマキウビル〉をお借りするため、オーナーへの交渉に踏み出した時期のお話でした。

今回は、3つ目の拠点ができたことによる
「開業後の運営と変化の兆し」をお伝えいたします。

まちに関わる人を増やしたい

オーナーへ2度のダイレクトアタックを試みるも、
交渉のテーブルに着くまでに至らず、時は過ぎていきます。

それでもなぜ立ち向かい続けるのか。その気持ちの根源について、
「"まちの共有地"は廃れていく秋田に、きっと必要なものだ!」という高尚な思いは、
実はほんの少しであり、大部分を占めていたのは、古くて使われていないものに
自分たちが変化を起こすことで、まちに関わる人が増えていくことへの期待感と楽しさでした。

それは、前回までの酒場カメバル、サカナカメバールで実証され、
着実に結果が出ていたからです。

ビルの賃貸借契約のキーマン現る

そんなときに朗報が届きます。
1拠点目として立ち上げた酒場カメバルに、
ヤマキウビルオーナーのご子息の小玉康明さんがお客様としていらしている、と。

僕は急いで『亀の町プロジェクト ヤマキウビル活用のご提案』の
プレゼンシートを持ってカメバルに行き、
不躾(ぶしつけ)にも康明さんの隣の席でプレゼンを始めました。

これまでにもヤマキウビルの敷地は、ビルを壊してマンションにしないか、
葬儀場にしないか、スーパーにしないか、など大きな企業からも引き合いがあったものの、
康明さんにはどれもピンとこなかったそう。
その理由のひとつとして「まちが新しく変わっていくのは悪いことではないけれど、
それまでなじみのあった建物や景色が壊されることへの寂しさがあった」といいます。

僕たちの提案は「まちの風景はそのままに、建物をリノベーションして活用する」でした。
それならばとヤマキウビルのオーナーであり、康明さんのお父様である
康延(やすのぶ)社長にプレゼンする機会をいただくことに。

康明さんと出会うことができたのも、酒場カメバルという場所をつくったからこそ。
さらに、亀の町に新たな人の流れが生まれていたことに
康明さんが信頼と期待を寄せてくれていたことも、大きな要因だったと確信しています。

1店舗目の酒場カメバル。

1店舗目の酒場カメバル。

貸すつもりがないオーナーに、いざプレゼン

康明さんにも同席していただき、ついに康延社長にプレゼン。
一緒にプレゼンをしに行ったプロジェクトメンバー曰く、
僕は相当緊張していたようでした(笑)。

緊張を抱えながらもていねいに思いを伝え、
ようやく康延社長からヤマキウビルをお借りすることに承諾をいただくことができました。

さらには、設備・内装の工事費用として数千万円を投資していただき、
家賃で返済していくという事業スキームの提案も受け入れていただけることに。
不動産投資をしている〈株式会社ヤマキウ〉だったからこそ、ご理解をいただけたものでした。

当時について、康明さんはこのように振り返ってくれました。

「資料など見た目にはキレイだが、どこか夢物語で誇大表現にも思えるプレゼン。
しかもそんなに滑舌がよくない(笑)。しかし、熱意だけは伝わってきて、
東海林さんが本気であることがわかりました。

父に受け入れた決め手は何かと聞くと、“勘”だといいます。
人生を積み上げてきた人間の勘とは、思いつきではなく経験に由来するもの。
意識しなくても伝わってくる情報から、自然に判断することであると話してくれました」

こうして3拠点目となる、ヤマキウビルのリノベーションが始まります。

緊張のなか、初めての現場調査。

緊張のなか、初めての現場調査。

図面は50年ほど前のもので、詳細を見ることができなかったので、
現地調査であらためて建物の全貌が見えてきました。
強固な鉄筋コンクリート3階建てのビルで、屋上からは亀の町を見晴らすことができます。

小豆島で開業して10年、
これまでとこれからの
HOMEMAKERS!

開業してついに10周年!

2023年6月17日、何事もなくいつも通りに過ぎていきましたが、
実はその日は〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉という事業を
開業してからちょうど10年経った日でした。

事業を始めたばかりのころに販売していた野菜セット。「2013年秋オープン予定」と書いてあるショップカードとともに。

事業を始めたばかりのころに販売していた野菜セット。「2013年秋オープン予定」と書いてあるショップカードとともに。

HOMEMAKERS10歳です。
おめでとう! 私たち(笑)。

10年前の2013年6月17日、インターネットの世界に
HOMEMAKERSのホームとなる場所をつくって、
私たちのことを紹介し、野菜の販売を始めました。
小豆島に引っ越してきてから、約8か月後のことです。

畑を始めたばかりの三村家。この『小豆島日記』の連載第1回の最初の1枚です。

畑を始めたばかりの三村家。この『小豆島日記』の連載第1回の最初の1枚です。

2013年春に収穫した野菜たち。小豆島で自分たちが育てた最初の野菜。そら豆、ラディッシュ、絹さやえんどう、ルッコラ、ニンジン、レタス、玉ねぎ、いちご。さくらんぼの実はおまけ。

2013年春に収穫した野菜たち。小豆島で自分たちが育てた最初の野菜。そら豆、ラディッシュ、絹さやえんどう、ルッコラ、ニンジン、レタス、玉ねぎ、いちご。さくらんぼの実はおまけ。

名古屋で暮らしていた頃、私も夫のたくちゃんも、
約10年間会社勤めをしていましたが、ほぼ同時にふたりとも会社を辞めて、
無職の状態で小豆島にやってきました(汗)。
もともと自分たちで起業しようと考えていたので、引っ越してきた直後から、
自分たちのやりたいことを実現するために少しずつ準備をしていました。

そもそも私たちは小豆島で何をしようと考えていたのか?
私たちは大学で建築を学んでいたものの、私はインターネットの会社で働き、
たくちゃんはカフェで働いたのち造園会社で働いていました。
建築家でもないし、webデザイナーでもないし、
専門家として仕事を受けられるようなスキルもノウハウも持っていませんでした。
ふたりともカフェという場が好きで、人が集える場を開き、
運営することをしたいなぁと考えていました。

自宅の改修工事。工事中に友人たちが訪ねてきてくれることも。こんなふうに友人や地域の人たちが集える場所になるといいなぁと思っていました。 

自宅の改修工事。工事中に友人たちが訪ねてきてくれることも。こんなふうに友人や地域の人たちが集える場所になるといいなぁと思っていました。 

移住してちょうど1年経った頃。畑の面積は少しずつ広くなり、手伝いにきてくれる仲間も。

移住してちょうど1年経った頃。畑の面積は少しずつ広くなり、手伝いにきてくれる仲間も。

漠然と思い描いていたのは、自宅の一部をカフェとして開き、
web制作や撮影の仕事をしながら、自分たちの食べる野菜を畑で育てるという暮らし。
とにかく自分たちができることからやってみようと、
じいちゃんが残してくれた畑に種をまき、家の改修工事を進め、
島のいろんな人たちと関わりをつくりながら、ときどき知り合いの仕事
(写真撮影やチラシの作成など)を手伝ったりしていました。

少しずつ自分たちのやりたいかたちが見えてきて、
ようやく提出した個人事業の開業届出書。
職業欄には「農業」と記入しました。

小豆島に引っ越してきて8か月後に提出した個人事業の開業届出書。

小豆島に引っ越してきて8か月後に提出した個人事業の開業届出書。

ん!? 農業?

まさか職業を「農業」として開業するとは思ってなかったのですが、
小豆島の肥土山(ひとやま)という農村で暮らし、自分たちが食べる野菜を育て、
地域の人たちと関わりながらその営みを見ていたら、農家としてがんばっていこう! 
という気持ちが自然と強くなっていったのでした。

うちの裏山から見渡した小豆島・肥土山(ひとやま)集落。集落のあちこちに小さな田んぼや畑が点在する農村です。

うちの裏山から見渡した小豆島・肥土山(ひとやま)集落。集落のあちこちに小さな田んぼや畑が点在する農村です。

親戚のお母さんに教えてもらいながら、見よう見まねで始めた農業。

親戚のお母さんに教えてもらいながら、見よう見まねで始めた農業。

北九州市〈寿百家店〉。
商店街をリノベーション。
シャッターを開き、商いとともに暮らす

タムタムデザインvol.8

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回は北九州市八幡西区の黒崎にある商店街の一角
〈寿通り〉のリノベーションについてお届けします。
活動のテーマは「商いとともに暮らす」。
まるで百貨店の中身をまちに散りばめるように、
シャッターが降りた商店街に地域の専門店をオープンさせ、
それらの2階をシェアハウスにするプロジェクト〈寿百家店〉について、
前後編に分けてお送りします。

暗い寿通りでポツンと営業するお店

2016年、北九州市八幡西区の黒崎というまちに、
僕が足しげく呑みに行くワインバーがありました。
〈トランジット〉という名前で、カウンター席が5席ほどの小さなお店。

そのトランジットがある〈寿通り〉は黒崎駅から徒歩7分ほどです。
ちなみに黒崎駅は北九州市内で小倉に続く第2の商業エリアであり、
駅前には戦後から人々の暮らしを支える商店街があり栄えてきましたが、
年々人通りが減り、空き店舗が目立つようになっていました。

〈寿通り〉はその大きな商店街に挟まれた小さな通りで、
当時は13店舗中、5店舗しか営業してない見事なシャッター商店街でした。

2015年当時の寿通り。昼間でも店は営業していなかった。

2015年当時の寿通り。昼間でも店は営業していなかった。

当時の寿通りの内部の様子。シャッターは落書きだらけで治安も良くなかった。

当時の寿通りの内部の様子。シャッターは落書きだらけで治安も良くなかった。

そんな通りでひっそりと活動していたトランジットのオーナーが、
福岡佐知子さん(以後、さっちゃん)。
普段はPR/広報の事業を生業としており、昼間はこの店を事務所に、
夜はワインバーにして、おもしろい活用をしていました。

さっちゃんは日々「この通りを元気にしたいのよね」と話し、
そのまちづくりにかける想いは熱く、僕と誕生日が2日しか違わない
同い年だったこともあり意気投合。
それがトランジットに通う理由でもありました。

暗い寿通りでポツンとトランジットは営業していた。

暗い寿通りでポツンとトランジットは営業していた。

人々が集まり、通りにはみ出ている様子。

人々が集まり、通りにはみ出ている様子。

暗い夜の通りのなかで、このお店だけがふわっと明るく、
さっちゃんの人柄もあり、そこはまちの拠りどころのような存在になっていました。
僕は勝手に「まちづくり系ガールズバー」と呼んでいたのですが(笑)、
このお店が居心地よく、いつのまにか人が集まる場所になっていたのは
自然の摂理かも、と思います。

「起業支援金」で
200万円の助成を受けて、
飲食店&陶芸工房を開業

移住者のつくる小さなお店 したたむ vol.2

静岡県掛川市の山間での暮らしを始めて4年目、
料理人の夫と陶芸家の妻による、ごはん屋さんと陶芸工房〈したたむ〉。

完全予約制のランチ営業のみで、Instagramで1か月分の予約を開始すると
すぐに埋まってしまい、キャンセル待ちができるほどの人気店です。
車でしか行けない山奥にあり、決して利便性の良い立地ではないものの、
ここまでの人気店に成長したのはなぜなのか、本連載を通してひも解いていきます。

前回は、料理人の夫・奥田夏樹(おくだ なつき)さんが、
飲食店を開こうと考えたきっかけや、お店を出すための土地探しについて振り返りました。

今回は妻で陶芸家の吉永哲子(よしなが のりこ)さんが
資金調達について書いてくれました。

自己資金でどこまでできる?

移住先を探していた頃、私は世田谷区の上町で陶芸教室〈陶工房〉を経営しながら、
自分の作品をつくる生活をしていました。
先代の先生から引き継いだ教室も13年目に入り、
次の展開をなんとなくですが考えている時期でもありましたので、
「夫とふたりで新しい土地でお店を始める」というビジョンは、
その頃の私にとってワクワクするものでした。

そして、出合った物件が私の実家の近く、しかも陶芸の工房がついている!
これは帰ってこいということか。
不動産会社に「持ち帰って考えます」と言ったところで、
ふたりの気持ちは固まっていたように思います。

静岡県掛川市で見つかった物件。ここがのちに〈したたむ〉となる古民家です。

静岡県掛川市で見つかった物件。ここがのちに〈したたむ〉となる古民家です。

最初に物件を探し始めたときは、どのくらいの予算でどんなものが手に入るのか検討もつかず、
空き家バンクや物件サイトで探しながら、大体300〜500万円くらいと目処をつけました。
我が家は結婚当初からお財布は別で東京時代の生活費も折半していたので、
それぞれの貯金から出し合って、ギリギリ何とかなる金額もこのくらいかな?
という話し合いも、物件を探しながら詰めていきました。

当初から「借り入れをしないで自己資金内に収まるように」と考えていましたが、
この物件を購入すると、リフォーム代に充てられるお金がほとんど残らないことになります。
今から思うと驚きの見積もりの甘さです。
最初はざっくりと、300万円くらいの物件を200万円くらいかけてリフォームする、
くらいに考えていたものの、
実際には良いと思う物件はそれなりの値段がついていて手が出ず、
安いものは破格のリフォーム代がかかることがわかりました。

長く空き家になっていた物件は安くはありますが、住めるようにするまでが大変です。
さまざまな土地や家を見てきたなかで、水回りの大規模なリフォームが必要なく、
古い家でも柱などの躯体はしっかりしていて手を入れなくても住むことができる
この物件は、現実的にみても最善の選択ではないか! との結論に辿り着きました。
多少強引ではありますが、そのくらいこの家を気に入ってしまったということだと思います。

売り主の方が直前まで住まわれていたため、大きな改修工事は不要、水回りも問題なくそのまますぐに住める状態でした。

売り主の方が直前まで住まわれていたため、大きな改修工事は不要、水回りも問題なくそのまますぐに住める状態でした。

ほかに必須でかかる費用としては、車と引っ越し代。
車は、ネットの中古車サイトで探しました。
私の仕事柄、クラフトマーケットや納品などで荷物をたくさんのせるシーンが多いので、
後部座席と荷台がフルフラットになるという条件で、
HONDAの「モビリオ スパイク」に焦点を合わせ検索しました。
そこそこの走行距離、車検つきのモビリオを見つけ、
本体価格10万円で購入、今も元気に走っています。

引っ越し業者は相見積もりをとって決めました。
東京から掛川まで20万円くらいだったかと記憶しています。
工房の引っ越しもあったのですが、こちらは自力でやることにして、
2トントラックをレンタル、友人の手を借りてなんとか積み込みました。
初めてのトラックで高速道路と山道をよく行ったなーと、思います。

物件は、クネクネとカーブが続く山道の先にあります。

物件は、クネクネとカーブが続く山道の先にあります。

過去最高2000人超えの来場者!
アートの展示、作品やフードの販売、
それに遊び場もある自由な展覧会

校舎の敷地全体を使ったイベント。5つのエリアに多彩な楽しみが

近隣の閉校した校舎を舞台に13日間開催した『みる・とーぶ展』と
『みんなとMAYA MAXX展』が5月14日に終了した。
私が代表を務める〈みる・とーぶ〉プロジェクトが、
2021年よりこのふたつの展覧会を開催しており、今回で5回目。
市内だけでなく、全道から、そして道外からも訪れる人があり、
過去最高となる2261名が来場した。

校舎のひさしには画家・MAYA MAXXさんがつくった赤いクマの立体がある。奥が体育館。展覧会中はその前にテントを張り、フードブースが設けられた。

校舎のひさしには画家・MAYA MAXXさんがつくった赤いクマの立体がある。奥が体育館。展覧会中はその前にテントを張り、フードブースが設けられた。

校舎の敷地全体を会場としていて、1階、2階、3階の各教室、体育館、屋外と
エリアは5つに分けられる。
今回、私が感じたのは、それぞれのエリアごとの個性が
今まで以上に際立ってきたのではないかということだった。

MAYAさんの絵がかわいい、みる・とーぶ展会場マップ。

MAYAさんの絵がかわいい、みる・とーぶ展会場マップ。

まず、『みる・とーぶ展』のメイン会場となったのは1階エリア。
元職員室があり、ここでは主に地域のつくり手の作品が販売された。
焼き菓子、陶芸、木工、織物、ハーブティーやハーブアイテム、スパイス類、
本、作品などさまざまなアイテムが揃った。
旧校舎での展覧会が始まって以来、継続して参加するメンバーが多く、
販売するアイテムがどんどん磨かれていっている。

〈麻の実堂〉の新作。ハーブを蒸留してつくったアロマスプレー。

〈麻の実堂〉の新作。ハーブを蒸留してつくったアロマスプレー。

例えばハーブアイテムを販売する〈麻の実堂〉は、ハーブティーブレンドの種類が増え、
アロマスプレーなど新しい商品も登場。
スパイス類を中心に販売するカレー屋〈ばぐぅす屋〉も、
スナックをラインナップに加えるなど、毎回、工夫を凝らしている。

〈ばぐぅす屋〉は、定番のスパイスとともに、ポテトチップスやスリランカのお菓子「トフィ」なども販売。

〈ばぐぅす屋〉は、定番のスパイスとともに、ポテトチップスやスリランカのお菓子「トフィ」なども販売。

もうひとり、新しい挑戦をしたのは〈つきに文庫〉
美流渡地区で月に2回、古本を販売している小さなお店だ。
店主の吉成里紗さんは、これまで『みる・とーぶ展』ではセレクトした古本を並べていたが、
何かもっと自分自身の感性を表せるものはないかという思いがあり、
今回は本と一緒に「絵本のおやつ」と題してケーキを出すことにした。

今回の『みる・とーぶ展』では絵本を中心とした古本を販売。

今回の『みる・とーぶ展』では絵本を中心とした古本を販売。

選んだ本のひとつは『赤毛のアン』で、牧師さん夫婦をお茶会に招待して振る舞った
レモンタルトからイメージしたケーキをつくった。

「ジャムやフルーツの砂糖漬けでお菓子を作っていた時代なので、
レモンソースとメレンゲの素朴なお菓子にしました」と里紗さん。

レモンタルト。

レモンタルト。

もうひとつは、せなけいこさんの絵本『ちいさなうさぎはんしろう』からとったキャロットケーキ。

「母さんがたくさんにんじんを買ってきたのに、食べさせてもらえないはんしろう。
いじけていると、母さんがキャロットケーキをつくってくれたというお話から選びました」

レモンケーキは、レモンの甘酸っぱさが口いっぱいに広がる爽やかで上品な味わい。
キャロットケーキは、にんじんとくるみ、ひまわりの種がたっぷりと入っていて
味わい深くボリュームも満点だった。

吉成里紗さん。小さな古本屋を営むほか、アフリカンダンサーとしても活動中。

吉成里紗さん。小さな古本屋を営むほか、アフリカンダンサーとしても活動中。

元職員室の前の廊下では、自分の山で化石発掘を行っている日端義美さんによる展示が行われた。
発掘した化石をパズルのように組み合わせるゲームも用意され、
大人から子どもまで、まじまじと石に見入っていた。

小豆島の農村歌舞伎、
家族や友人と一緒に食べる
「わりご弁当」

農村歌舞伎のときに食べる「わりご弁当」とは?

2023年5月3日、小豆島の伝統行事である『肥土山農村歌舞伎』が開催されました。
今年は実に4年ぶりの開催!
江戸時代から続いてきたこの行事も、感染症拡大の影響でここ数年は中止されていました。
この4年の間に移住してきた人など「農村歌舞伎を初めて見る!」という友人も多く、
久しぶりの歌舞伎の開催をみんな楽しみにしていました。

2023年5月3日に開催された肥土山農村歌舞伎。天気もよく、たくさんの人で賑わいました。

2023年5月3日に開催された肥土山農村歌舞伎。天気もよく、たくさんの人で賑わいました。

せっかくみんなが見に来てくれるし、今年は「わりご弁当」をつくろうか!
農村歌舞伎を見るために島に遊びに来ていた私の母と妹と相談して、
一緒にわりご弁当をつくることにしました。

そもそも、わりご弁当とは?

わりご(割子)弁当というのは、容器の中をいくつかに分けて(割って)
ごはんやおかずを入れたお弁当。
割子=小さく割ったものということですね。
割子を食器として使う習慣は平安時代からあり、
「源氏物語」にも桧破籠(ひわりご)として登場しているそうです。

小豆島では、この「わりご弁当」という郷土料理が、
農村歌舞伎という伝統行事とともに残っているんです。

小豆島のわりご弁当は、大きな木箱の中に約20個のわりごを入れて
持ち運べるようになっています。
ひとつのわりごが1人前。20人分のお弁当!
特徴的なのはわりごのかたちで、長方形の木箱を斜めにふたつ割りにしたものが多いです。
つまり、台形のお弁当。
とんがった場所には具を詰めにくいし、なんでこのかたちになったのか
気になって調べてみたのですが今のところわからず。引き続き調査中です(笑)。

小豆島のわりご弁当。うちにはないので、いつも共同で管理しているものを貸してもらっています。

小豆島のわりご弁当。うちにはないので、いつも共同で管理しているものを貸してもらっています。

このわりご弁当の木箱が、昔は各家庭にあって、
農村歌舞伎の当日朝からそれぞれの家でつくっていたそうです。
何人家族よ! と言いたいところですが、親戚などの分も含めて
20食ほどつくっていたんでしょうね。

このお弁当を農村歌舞伎の演目の合間にみんなで食べるのが、昔から続く小豆島の文化。
歌舞伎を見に来てくれた親戚や友人にふるまったり、
ご近所さんとお弁当を交換したりもしていたそうです。
うちの味、おたくの味を楽しむ。
交換したわりごが返ってこなくて、どこかにいってしまうこともあったそう(笑)。
そうならないように、ひとつひとつのわりごの裏側には名前が書いてあるんです。

わりご弁当の裏側には各家の屋号が書かれています。

わりご弁当の裏側には各家の屋号が書かれています。

定番のわりご弁当。つき飯ふたつに、煮しめ、卵焼きなど。

定番のわりご弁当。つき飯ふたつに、煮しめ、卵焼きなど。

わりご弁当の中身は?

さて、わりご弁当の中身はというと、酢飯を木型で突き固めた「つき飯」がふたつ、
おかずは煮しめ、卵焼きなどとてもシンプルです。
唐揚げやミニトマトを入れたりする家庭もあります。
これじゃないとだめという決まりはなくて、
自分たちが楽しめる内容にしたらいいんじゃないかとわたしは思っています。

というわけで、今年の我が家のわりご弁当のごはんは、
ひとつはつき飯、ひとつはお稲荷さんにしました。
つき飯はひとつ75グラム程度の炊いたごはんを使うのですが、
ふたつともつき飯より、ひとつはお稲荷さんのほうが味も違うし楽しめるかなぁと思って。
これはわたしの母のアイデアですが。

つき飯とお稲荷さんをまずは詰めていきます。

つき飯とお稲荷さんをまずは詰めていきます。

娘も手伝ってくれて、ひたすらわりご弁当にごはんをつめていきました。
ちなみにつき飯をつくるための木型は、
数年前に近所の大工さんがつくってくれたものです。
酢水につけた木型に、測った酢飯を入れて、木の棒でとんとんと突くと、
直方体のつき飯ができあがり。最後に山椒の葉をのせます。

娘も一緒にわりご弁当づくり。家族みんなでつくる時間が楽しい。

娘も一緒にわりご弁当づくり。家族みんなでつくる時間が楽しい。

数年前に近所の大工さんにつくってもらった、つき飯をつくる木型。

数年前に近所の大工さんにつくってもらった、つき飯をつくる木型。

そしておかず。
なるべく旬の素材を使いたいねということで、畑で育てたブロッコリー、ニンジン、
保管しておいた紅はるか、近所のお母さんからいただいたスナップエンドウ。
鶏肉を炊いたものと、卵焼き、ちくわ、かまぼこなど。
お弁当屋さんになった気分で、ひとつずつひたすらつめていきます。
20人分つくるって大変なことです。

並べるとみると感動! きれいだなぁ。

並べるとみると感動! きれいだなぁ。

無事にお弁当を詰め終えて、歌舞伎舞台へ木箱を運びます。
これが重たい……(汗)。
ごはんも愛もどっしり詰まってます。

来てくれた友人や知り合いにふるまって、みんなで一緒にわりご弁当を食べながら農村歌舞伎を楽しみました。

来てくれた友人や知り合いにふるまって、みんなで一緒にわりご弁当を食べながら農村歌舞伎を楽しみました。

農村歌舞伎を眺める大勢の人たち。ここでわりご弁当を食べます。

農村歌舞伎を眺める大勢の人たち。ここでわりご弁当を食べます。

最近では、わりご弁当をつくってきている家庭はほとんどありません。
そもそも家族で農村歌舞伎を見にくる人たちも減りました。
今年はたくさんの方が見に来てくれましたが、地元の人たちは少なかったそうです。
歳をとって身体的に見に行くのが難しくなったお年寄りが増え、
一方で若い世代はそもそも数が少ないという状況。

かつて、この桟敷席いっぱいに地元の人たちみんながわりご弁当を広げて、
歌舞伎を見ながら楽しんでいた光景を想像すると、
さぞ賑やかだったんだろうなぁと思います。
ほんとうにすばらしい文化。伝統。

「農村歌舞伎」と「わりご弁当」というこの風景を残したいと思うのは、
ただ伝統だからという理由じゃなくて、とても良いひとときだから。
美しい風景とおいしい弁当とともに楽しむ人たちがいる。

来年はどんな「わりご弁当」にしようかな。
みんなで一緒に食べながら農村歌舞伎を楽しみたいです。

余った食材を活用しよう!
フレッシュな春の新玉ねぎで、
万能玉ねぎソースをつくる

水分が多くてジューシーな新玉ねぎ

春だけ楽しめる野菜のひとつに「新玉ねぎ」があります。
水分が多くてとってもジューシー。
辛みが少ないので、スライスして生のままでも食べられます。
もちろん、焼いたり、スープにしたりしても甘味が増してとってもおいしいです。

ある日のHOMEMAKERSのまかないごはん。新玉ねぎをカットしてパプリカパウダーやターメリックで味つけしてロースト。シャキシャキ食感が残っていておいしかった。

ある日のHOMEMAKERSのまかないごはん。新玉ねぎをカットしてパプリカパウダーやターメリックで味つけしてロースト。シャキシャキ食感が残っていておいしかった。

ちなみに、スーパーなどで一年中売られている玉ねぎは、
長期間保存できるよう、収穫後に乾燥させてから出荷されたものです。
玉ねぎって冷蔵庫で保管しなくても、涼しいところに置いておけば
すぐには腐らず長持ちしますよね。水分が少ないからです。
この乾燥させて皮が茶色のものが、いわゆる玉ねぎです。

3~5月頃に収穫したものを乾燥させずに、そのまま出荷したのが新玉ねぎ。
水分が多いので、温度や湿度が高いところに置いておくとすぐに傷んでしまいます。
冷蔵庫で保管がおすすめです。

今年の3月、新玉ねぎの畑。

今年の3月、新玉ねぎの畑。

5月、収穫後半時期の新玉ねぎ。

5月、収穫後半時期の新玉ねぎ。

この新玉ねぎ、今年は豊作でして、しっかり大きく育ちました。
毎日、サラダにしたり、焼いてみたり、お味噌汁の具にしたり、
いっぱい食べていますが、まだまだあります(汗)。
ちょっと傷んでいたり、とう立ちして中心が固くなってしまったものなど
出荷できないものも結構たくさんあって、さてどうしようかなぁと思っていたところ、
友人が「玉ねぎソースつくりましょう!」と企画してくれたので、
一緒につくってみることにしました。

大量の新玉ねぎを活用!
玉ねぎソースづくりのはじまり〜。

半分生きてる? ちょっと怖い⁉︎
旧美流渡中学校で
『ミチクルのアニマル展』

みる・とーぶ展の一室で開催した動物オブジェの展覧会

ゴールデンウィークを含め、13日間開催した『みる・とーぶ展』がついに終了した。
4年前に閉校した旧美流渡(みると)中学校を舞台に、
地域のつくり手の作品発表をするこの展覧会は、今回で5回目。
美流渡は人口減少が進む300人ほどの集落だが、延べ2261人が来場した。

旧美流渡中学校。美流渡在住の画家・MAYA MAXXが仲間とつくった赤いクマの立体が目印。

旧美流渡中学校。美流渡在住の画家・MAYA MAXXが仲間とつくった赤いクマの立体が目印。

この展覧会の全体については、いずれこの連載で書きたいと思っているが、
今回は、期間中に私が教室の一室で行った『ミチクルのアニマル展』について紹介したい。

これまで〈森の出版社 ミチクル〉という名で、
北海道の自然や人々に触れるなかで生まれた書籍を刊行してきた。
これらの本の販売を『みる・とーぶ展』で続けてきたが、
昨年からは作品も発表するようになっていて、そのひとつが動物マスクだった。

なぜ、動物のマスクをつくるようになったかは、以前、連載に書いた。
三笠市で〈湯の元温泉〉を営み、プロレスラーでもある杉浦一生さんに頼まれて、
リング入場用の衣装をつくったときのこと。
衣装に合わせてクマのマスクもつくったらいいんじゃないかと思い、
やってみたところ、とても良い仕上がりになり、そこから動物マスクづくりが始まった。

杉浦一生さんがマネージャーとなっている覆面レスラー北海熊五郎の入場用マスク。

杉浦一生さんがマネージャーとなっている覆面レスラー北海熊五郎の入場用マスク。

昨年秋の『みる・とーぶ展』では机ひとつ分の動物マスクを展示。
来場者のみなさんに、被った写真を撮ってもらった。
素材として使ったのは着られなくなった毛皮のコート。
近年では毛皮のコートの需要が減っていて捨てられる運命にあるものも多いことから、
それらをもう一度動物に戻してみたら、毛皮も喜ぶ(?)んじゃないかと考えた。

昨年秋の『みる・とーぶ展』に出品した動物マスク。売り場の一角に展示した。

昨年秋の『みる・とーぶ展』に出品した動物マスク。売り場の一角に展示した。

展示してみると、今度はライオンをつくってみたいとか、
ツノのあるものもいいんじゃないかとか、アイデアが広がって、
「よし、次回の『みる・とーぶ展』では、教室で個展をやろう」と思うようになった。

春の展覧会に向けて準備を始めたのは昨年の10月頃から。
展示する場所は、以前コンピューター室として使われていた教室。
8×8メートルと結構な広さがあった。
この規模のスペースで個展をするのは初体験。
いったい、どのくらいつくれば充実感が出るのか手探りだった。

元コンピューター室。配線が出ているので、それを隠すように台を置いてみた。

元コンピューター室。配線が出ているので、それを隠すように台を置いてみた。

小豆島の農家が教えるレシピ。
島内産の完熟レモンで、
簡単レモンジャムづくり

小豆島で実り始めたレモンの赤ちゃん

国産レモンの旬の時期っていつだかご存知ですか?
スーパーなどでは、海外産のレモンが1年中販売されているので、
旬がいつなのかって意外とわからないですよね。
夏にシュワッと飲みたくなるレモンソーダですが、
国産のレモンを収穫できるのは秋から春の間なんです。

ちょっとここで、小豆島でのレモンの1年についてご説明。
春になると赤い新芽がでてきてつぼみが膨らみ、5月頃にたくさんの花が咲きます。
実はレモンは四季咲きで、5月、7月、9〜11月頃に花を咲かせるのですが、
しっかりとした大きさの実に成長するのは春に咲いたもの。
まさに今、うちのレモンの木にはたくさんのつぼみがついています。

5月の青空、新緑、レモンの花。

5月の青空、新緑、レモンの花。

レモンの花のあとに、濃い緑色の小さな果実ができます。レモンの赤ちゃん。
これが、梅雨の時期から夏にかけてぐんぐん成長していきます。
10月頃になると、大きさは一般的に販売されている100グラムくらいの大きさになります。
まだ黄緑色で果汁は少ないですが、爽やかな香りと酸味が最高の
「グリーンレモン」として一部収穫をはじめます。
グリーンレモンというのはそういう品種があるわけではなく、
黄色く色づく前の若いうちに収穫したレモンです。

9〜10月頃のレモン。まだ黄色く色づく前の状態。フレッシュな香りが最高。酸味と苦味が強く、果汁は少ない。

9〜10月頃のレモン。まだ黄色く色づく前の状態。フレッシュな香りが最高。酸味と苦味が強く、果汁は少ない。

12月頃には、熟し始めて黄色に色づきます。
一般的に流通しているレモンは12〜1月頃に収穫されたものだと思います。
だいだい100〜150グラムくらいの大きさでしょうか。

レモンのほかにも温州みかんや橙(だいだい)など小豆島では冬は柑橘の収穫シーズン。

レモンのほかにも温州みかんや橙(だいだい)など小豆島では冬は柑橘の収穫シーズン。

レモンを冬に収穫せずに木につけたままにしておくと、
春頃まで熟し続けどんどん大きくなっていきます。
実はレモンってよく見るサイズよりももっと大きく育つものなんです。
ただ、長い間実をつけておくことは木にとっては負担がかかることですし、
枝や葉とこすれて傷なども増えていくので、早めに収穫されることが多いです。

春まで木につけたまま完熟したレモンってどんなものになるのか。
気になりますよね。
はい、こんな感じです。

5月に収穫した完熟レモン。第一印象は「でっかい!」。

5月に収穫した完熟レモン。第一印象は「でっかい!」。

重さを測ってみると、ひとつ300グラムのレモンも。

重さを測ってみると、ひとつ300グラムのレモンも。

ひとつ200グラム以上のサイズまで成長します。
普段見慣れているレモンよりもだいぶ大きいので、
これって違う品種のレモン? って思ってしまいます。
完熟したレモンは果汁たっぷり。
糖度が増しているので、若い頃のレモンに比べてまろやかな酸味がとてもいい。
そして苦味がほぼない! 
白いワタの部分も食べてみましたが、ほとんど苦味がなく、
果肉、ワタ、皮と丸ごと食べられます。
おいしいなー、完熟レモン。

秋田市〈ヤマキウビル〉
亀の町の半径60メートルを
エリアリノベーション

See Visions vol.2

こんにちは。〈株式会社See Visions〉の東海林諭宣(しょうじ あきひろ)です。
第2回目となります。よろしくお願いします。前回は、2006年の会社設立から、
2013年からスタートした〈酒場カメバル〉の立ち上げを通して感じた
「まちの共有地づくりの始まり」についてのお話でした。

今回は、その後2015年にオープンした〈ヤマキウビル〉の
リノベーションプロジェクトがテーマです。
〈ヤマキウビル〉の前にオープンした弊社が運営する2店舗目
〈サカナカメバール〉も絡めながら、少し詳しく前編「開業までのプロセス」と
後編「開業後の運営と兆し」に分けてお伝えいたします。

連続して共有地をつくる決意をする

2013年に亀の町で〈酒場カメバル〉を開き、
自分自身がまちのプレイヤーとなったことで、
これまでとは少し「角度の違う視点」でまちを見ることができるようになりました。

「角度の違う視点」とは、「今ここに必要なコンテンツは何か」と
「それは誰が(運営)できるのか」と考えることであり、
そうすることでまちの景色が魅力的に見えてきます。
それは長年住んでいる、または普段からその場所を利用している方々には
見つけにくいことなのかもしれない、ということにも気がつきました。

カメバルを訪れた方々もあらためて、見逃していた"余白"となっている場所に
魅力を感じ始めていたようです。
毎夜、カメバルのカウンターでは「亀の町に〇〇があったらいいなぁ」
「飲食店をやりたいって言っている知り合いがいるけど、
亀の町でやったらいいんじゃないか」など、楽しい談義が行われるようになりました。

カメバルはいわゆる亀の町エリアの「拠点」となって、関わる方が増え、
人材が発掘されたり、周辺の空き店舗の相談や情報が集まったりすることが多くなりました。
それは、亀の町エリアの熱量の高まりを予感させるものでした。

酒場カメバルのカウンターでは夜な夜なまちの可能性が語られる。

酒場カメバルのカウンターでは夜な夜なまちの可能性が語られる。

この熱を生かすことが必要だと感じたものの、僕たちの生業はデザイン会社であり、
飲食業や小売店などまちのプレイヤーとなる方々のお手伝いをするのが本業です。
自らが店舗の拡大を目指すことで、デザイン会社としての本分を
逸脱してしまうのではないか、という懸念もありました。

しかし、そもそも会社の成り立ちを振り返ると
「僕たちが暮らすまちにある課題を事業で解決し、住みやすく楽しい場所にしていくこと」
も必要であると感じていたので、やはりこの事業はやるべきことだと認識し、
「1年に1店舗ずつ、3年間で3店舗」という目標を社内で決定したのです。
ここから、僕たちは「亀の町のエリアリノベーション構想」へ前進することになります。

『みんなとMAYA MAXX展』開幕。
いいしれぬ不安と
その先にある希望を描いた新作

森のようでもあり海のようでもある、青い背景に浮かび上がる人物

2021年から閉校となった美流渡(みると)中学校の利活用が始まり、
今年で5回目となる『みんなとMAYA MAXX展』がゴールデンウィークに開幕した。
画家のMAYA MAXXさんが東京から美流渡に移住して3年。
自然に囲まれたアトリエで過ごすなかで数々の新作が生まれ、
それらを校舎に展示してきた。
一昨年は抽象的な色彩が画面を埋め尽くした作品を、
昨年は北海道に生息する動物たちを愛らしい姿で描いた作品を発表。

そして今春の展示されたのは、青い背景に浮かび上がる人物。
木枠に貼らずに布のままのキャンバスに描かれた作品で、
横幅が3メートルあり、6点のシリーズとなっている。

「勇気を持つために  No.3」

「勇気を持つために No.3」

この絵でまず目に飛び込んでくるのは、青い画面だ。
キャンバスを床に置き、その上にMAYAさんは乗って、
最初は青の油性ペンで円を描いていったという。
次にリキッドタイプのアクリル絵の具のボトルを手に持ち、
クルクルと自分が回転しながらそれを垂らしていく。
30分ほどキャンバスの上で回っていると、ふっと気の済む瞬間が訪れる。
そこで手を置き、今度は霧吹きで水を画面にかけていくそうだ。

開催中の『みんなとMAYA MAXX展』で描き方について語るMAYA MAXX。

開催中の『みんなとMAYA MAXX展』で描き方について語るMAYA MAXX。

霧吹きによって線がにじみ、青い面になっているところがあったり、
線がそのまま残っているところがあったり。

「以前は、霧吹きをかけ過ぎてしまったなと後悔することもありました。
また、線を一度描いただけの部分も、そのまま残しておくことができず、
上から擦ったりしていました。でもいまは、『これでいいんだ』と
心の底から思えるようになりました。この画面がいいかわるいかを自分で判断しない。
判断を捨てることができたんですね」

MAYAさんは、まったくの独学で絵を始めたため、これまで
「本当にこれでいいんだろうか、もっと何かできるんじゃないだろうか」
という気持ちがつねにあったのだという。

ごはん屋さん&陶芸工房〈したたむ〉。
料理人の夫と陶芸家の妻が
静岡・掛川に移住して開いた小さなお店

移住者のつくる小さなお店 したたむ vol.1

静岡県掛川市の山間での暮らしを始めて4年目、
料理人の夫と陶芸家の妻による、ごはん屋さんと陶芸工房〈したたむ〉。

完全予約制のランチ営業のみで、Instagramで1か月分の予約を開始すると
すぐに埋まってしまい、キャンセル待ちができるほどの人気店です。
車でしか行けない山奥にあり、決して利便性のいい立地ではないものの、
ここまでの人気店に成長したのはなぜなのか、本連載を通してひも解いていきます。

料理人の夫・奥田夏樹(おくだ なつき)さんは、もともと横浜で
Mac用のアプリを開発するプログラマーとして働いていました。
初回となる今回は、飲食業とは縁がなかった奥田さんが、
飲食店を開こうと考えたきっかけや、お店を出すための土地探しについて振り返ります。

勢いのあるIT業界に身を置いているなか、抱いていたモヤモヤ

スティーブ・ジョブズ氏が初代iPhoneを発表した2007年、
私は横浜みなとみらいにあるオフィスで、プログラマーとして
Mac用のアプリ開発をしていました。
今まで想像していなかったiPhoneのタッチインターフェイスによる操作性に未来を感じ、
新たな時代が始まるワクワク感と、それに関わる仕事ができる喜びとで
胸が躍ったのを覚えています。

最先端の技術を使って仕事ができる誇りと、勢いのあるIT業界に身を置く華々しさ、
そしてなによりプログラムをつくることが楽しかったのですが、
一方で過酷な労働環境があることは実体験として感じていました。

「AI技術の進歩でいずれなくなる仕事」としてプログラマー職も挙がっていたこと、
テクノロジーの進歩によって便利になりすぎる未来へのえもいわれぬ恐怖、
そして2011年の東日本大震災の発生により、
ワークライフバランスや自然に近い暮らしなどへの興味を持ち、
この先ずっとは、この仕事を続けることはないなと、漠然と心にモヤモヤを抱いていました。

この頃の私は、朝から深夜までずーっとMacのモニターにかじりついたまま
カチャカチャとキーボードを叩き続ける毎日。
休みの日も家でMacBookを開き、暇さえあれば仕事、仕事、仕事。
このような生き方が、はたして良い生き方なのかと考え始め、
妻との話し合いにより、一緒にいる時間を増やせるような仕事をしよう、
という流れから転職を検討し始めました。

今年も春に『みる・とーぶ展』開催。
さまざまな世代が混じり合って、
好きなことを実現!!

撮影:佐々木育弥

25組中、5組が初参加。懐かしの焼き菓子やこだわりサンド

一昨年から、近隣にある閉校した中学校を活用して、
地域のつくり手の作品を展示販売する『みる・とーぶ展』というイベントを行っている。
北海道岩見沢市の山あいは東部丘陵地域と呼ばれていて、
そのなかに私が住む美流渡地区をはじめ、
朝日、毛陽(もうよう)、万字(まんじ)など多彩なエリアがある。
「みる・とーぶ」という名前は、「東部」を「見る」という意味と、
「美流渡」をかけてつけたもので、私はこのイベントの主催団体の代表を務めている。

4年前に閉校になった旧美流渡中学校。地域に住む画家・MAYA MAXXさんの絵や立体物が学校を彩る。

4年前に閉校になった旧美流渡中学校。地域に住む画家・MAYA MAXXさんの絵や立体物が学校を彩る。

2021年は秋に1回、2022年は春夏秋と季節ごとに3回、『みる・とーぶ展』を行ってきた。
開催期間はそれぞれ約2週間で、これまでのべ5000人が来場した。
美流渡地区は過疎化が進み、人口わずか330人の集落。
ここに予想を超える人々が足を運んでくれたことは、
イベントを企画した私たちにとって大きな喜びとなった。

昨年の『みる・とーぶ展』の様子。雑貨や工芸作品などが並ぶ。(撮影:佐々木育弥)

昨年の『みる・とーぶ展』の様子。雑貨や工芸作品などが並ぶ。(撮影:佐々木育弥)

そして今年は春と秋、2回の『みる・とーぶ展』を企画している。
春はゴールデンウィークに合わせて開催。
いよいよ準備も大詰めとなっている。
今回は全体で25組が参加。
地域の木工作家や陶芸家、ハーブティーのお店、ピザやカレーなど、
お馴染みの顔ぶれに加えて、5組が初参加となる。
ここでは初参加のみなさんにスポットを当てて紹介してみたい。

展覧会のチラシ。

展覧会のチラシ。

フード系では〈グランマヨシエ〉。
辻村淑恵さんは、岩見沢市の図書館勤務を経て定年退職後に焼き菓子工房を始めた。
昭和のお母さんが手づくりしていたような素朴なお菓子で、
地元素材にこだわった安心安全なものを提供しようとメニューを開発。
また、こうした活動を通じて、岩見沢の歴史や地域の魅力も
伝えられたらと辻村さんは考えている。

かつて暮らしていた築100年超えの古家に厨房を設える辻村さん。

かつて暮らしていた築100年超えの古家に厨房を設える辻村さん。

ネーミングにもこだわって。美流渡と名づけられた焼き菓子は、イタリアの「ミルト」というリキュールが入っている。

ネーミングにもこだわって。美流渡と名づけられた焼き菓子は、イタリアの「ミルト」というリキュールが入っている。

もう1軒の初参加は〈きなり〉。
〈きなり〉は2017年に吉成厚人さんが始めた岩見沢の繁華街にある小さな居酒屋さん。
北海道産木炭で焼鳥や焼肉を楽しめるだけでなく、
自家農園野菜や支笏湖産姫鱒が食べられる時期も。
素材にこだわり丁寧に仕上げた料理を提供している。
『みる・とーぶ展』では、北海道産全粒粉の手づくりチャパティに道産鶏肉と有機野菜、
オリジナルソースをのせた無添加ナチュラルサンドを販売予定だ。

〈きなり〉のチキンと野菜のサンド。このほか「八雲ソマチット水よもぎ茶」も提供予定。

〈きなり〉のチキンと野菜のサンド。このほか「八雲ソマチット水よもぎ茶」も提供予定。

4年ぶりに開催される
小豆島の伝統行事
『肥土山農村歌舞伎』

4年ぶりの開催となる伝統芸能

日に日に新緑がまぶしくなっていく季節。
毎年この季節に開催されるのが小豆島の伝統行事『肥土山(ひとやま)農村歌舞伎』です。

肥土山農村歌舞伎舞台の周辺の新緑。毎年5月のこの景色はとても美しい。

肥土山農村歌舞伎舞台の周辺の新緑。毎年5月のこの景色はとても美しい。

2019年5月3日に開催されたのを最後に、もう4年も経ってしまいました。
感染症の影響で世のなかからさまざまなイベントや行事がなくなった3年間。
300年以上続いてきた農村歌舞伎もその影響を受け、
この4年間は中止したり、規模を大幅に縮小したりして行ってきました。

2022年5月の肥土山農村歌舞伎は、序幕である「三番叟(さんばそう)」奉納のみ行いました。

2022年5月の肥土山農村歌舞伎は、序幕である「三番叟(さんばそう)」奉納のみ行いました。

農村歌舞伎というのは、豊作祈願と娯楽として昔から各集落で行われてきた行事です。
そこで暮らす人々が企画し、演じ、楽しむイベント。
小豆島でも昔は各集落に歌舞伎舞台があり、農村歌舞伎が行われていたそうですが、
今では私たちが暮らす肥土山地区と、お隣の中山地区の2地区のみで開催されています。

山々に囲まれた美しい田園地帯にある肥土山農村歌舞伎舞台。

山々に囲まれた美しい田園地帯にある肥土山農村歌舞伎舞台。

行事というのは、定期的に続けていくことがとても大切なんだなとあらためて思いました。
毎年続けていくと、上の歳の人から下の歳の人へ、やることが自然と引き継がれていきます。

たとえば、うちの娘は、小学生の間、子どもだけで演じる
子ども歌舞伎に出演させてもらっていましたが、上級生の子たちに教えてもらいながら、
演じ方や練習の仕方、大人へのあいさつなど学んできました。
自分が上級生になったときには、下の子たちに教えてあげていたと思います。

親である私たちも、何をしたらいいのか、
先輩お母さん、お父さんにいろいろと聞いていました。

小学生時代の娘・いろはは農村歌舞伎とともに成長してきました。歳を重ねるにつれてセリフが増え、難しい役になっていきました。

小学生時代の娘・いろはは農村歌舞伎とともに成長してきました。歳を重ねるにつれてセリフが増え、難しい役になっていきました。

会社ではないし、マニュアルなんてないんです。
作法みたいなものは、なかなかマニュアル化しづらいですしね。
地域の先輩方に聞きながら、教えてもらってやってきました。
受け継いでいくってそういうことなんだなぁと。

先輩のお姉ちゃんたちと一緒に練習。たくさんのことを教えてもらいました。

先輩のお姉ちゃんたちと一緒に練習。たくさんのことを教えてもらいました。

昔から変わらない台本。ふりがなをうったり、区切りをつけたりして、読みやすく。

昔から変わらない台本。ふりがなをうったり、区切りをつけたりして、読みやすく。

北九州市〈Oneness Coffee Brewers〉
家族のクリーニング店がカフェに。
まちの新たな拠り所へ

タムタムデザイン vol.7

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回のテーマは、小倉にある店舗兼住居のリノベーション。
家族で営むクリーニング店をカフェへと改修し、新しいまちの拠り所になりました。
家族の思い出やアンティーク品など、時を積み重ねたアイテムを織り込んだ
空間ができるまで、そのプロセスをご紹介します。

商店街ならではの店舗兼住宅

2018年4月、知人を通じてカフェの設計のご相談を受けました。
依頼主は津村茂樹(つむら しげき)さんという男性。
周りからはツムツムさんと呼ばれていました。
タムタムとツムツムというだけで親近感を覚えたのは、いうまでもありません(笑)。

初めて弊社にいらっしゃったツムツムさんは、
身長が185センチ(体感190センチ)くらいあって
シュッとしてセンスもよく、僕のなかでは完全に“イケてる大人枠”に入っていました。
お話をうかがうと、アートや骨董品などの時代を経たものがお好きで、
僕ともすごく気が合う方だなと思ったことを覚えています。

ご相談としては、ご実家の店舗兼住宅をリノベしたいという内容でした。
小倉北区黄金の商店街の入り口にある物件。
当時はツムツムさんのお父さん(以後、ツムパパ)が
1階でクリーニング店と氷店を営んでおり、
2階が住居という商店街ならではのつくりでした。

着手前の写真。1階がクリーニング店と氷店、2階が住居だった。

着手前の写真。1階がクリーニング店と氷店、2階が住居だった。

このクリーニング店を閉め、ツムツムさんがツムパパから譲り受け、
一念発起してカフェを開業するというお話でした。

ツムツムさんは当時、公務員として勤めながら独立の準備として
オフタイムにいろんなコミュニティで自ら淹れたコーヒーを振る舞ったり、
お店がオープンする告知をしたり、とても精力的に活動されていました。
なので共通の知人も多く、
「タムタムさん、ツムツムさんのお店のデザインしてるんでしょ?」って聞かれました。
韻を踏んだ感じで楽しいですよね(笑)。

築90年、家族の歴史が詰まった家

さっそく現況調査に行きました。木造で建築面積が約19坪の総2階建て。
ご両親のお話から築90年にはなるという建物。そこから現況図を起こしました。

1階にはクリーニング店と氷店、それと以前、
ツムツムさんのお母さん(以降:ツムママ)がスナックをされていた名残がありました。
スナックの部分はリビングとして使われており、囲炉裏(いろり)があって、
団欒で火を囲んでいる様子がわかりました。
この1階の氷店は残し、そのほかの空間をカフェにしていきます。

2階は住居空間。天井裏を見てみると立派な小屋組(屋根部分の骨組み)があったので、
この小屋組は見せていきたいなと思いました。

天井裏を見る田村と、チラッと見える小屋組の様子。

天井裏を見る田村と、チラッと見える小屋組の様子。

ツムツムご一家は仲がよく、現場調査しているとき、
普段の会話からもその様子が伝わってきました。
特にツムママの料理がおいしいとのことで、
僕にもお食事のお誘いをいただいたりしました。

そんなご家族が暮らしてきたこの建物にはみなさんが愛着を持っており、
ツムツムさんも解体のときに出る廃材で使える部材があれば、
ぜひ残してほしいと相談も受けました。
本当に時を培ってきたモノや空間に対しての価値を
大切にされているんだなと感じたことを覚えています。

植物のツルや草、茎。
森にある素材でカゴができる!
自由に編むのを楽しんで

何気なくツルをとってきたら無性にカゴ編みがしたくなって

北海道にきてから、素材が手に入ると、ときどきカゴを編んでいた。
初めて体験したのは5年前。
カゴ作家で埼玉・秩父在住の長谷川美和子さんが、美流渡(みると)地区で
カゴ編みのワークショップを開催してくれたときのこと。
このときはブドウのツルを主に使ったカゴ編みと、
クルミの木の皮など山での素材の採取方法も教えてくれた。

長谷川美和子さんがつくったカゴ。細いツルで、ゴッズアイと呼ばれる編み方をところどころにアクセントして加えている。

長谷川美和子さんがつくったカゴ。細いツルで、ゴッズアイと呼ばれる編み方をところどころにアクセントして加えている。

その後は年に1、2回、気が向いたときにつくっていたが、
昨年末ごろ、急にカゴ編み熱が高まって、たくさん編むようになった。
きっかけは、私が代表を務める地域PR団体〈みる・とーぶ〉で、
近隣の閉校した中学校の校舎の活用プロジェクトを始めたことだ。
校舎の脇には木が茂っていて、カゴ編みの素材になるツル植物もたくさんあった。
朝、何気なくそれを何本か切って持って帰り、その場ですぐにカゴを編んだことがあった。
編み物よりも自由度があって、特に規則的に編まなくてもかたちが決まる。
30分ほどで、なかなか立派なものができあがった。

朝、ツルをつんで思わずつくったカゴ。

朝、ツルをつんで思わずつくったカゴ。

私は編集や執筆の仕事をしており、ほとんど一日中パソコンにむかっている。
夕方になると脳みそだけがクタクタになっていて、体はほとんど動かさないため、
心身のバランスが悪い状態になってしまう。
そんななかで、カゴ編みの素材を採取しに外に出たり、自然素材に触れたりしながら、
指を使って編む業に集中すると、スーッと心が休まる感じがする。

この作業を体が欲しているのではないか!
最近では、だんだんカゴ編みの時間が長くなっていて、
「あっ、原稿の締め切りだった!」と気づいて慌ててパソコン作業に戻ることもある。

家にどんどん作品が溜まっているので、今年はこれらを販売したいと考えている。
私たちの団体が企画している、地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』。
春に旧美流渡中学校で行われる、この展覧会に出品しようと準備中だ。

花いっぱいの小豆島、
「自然と近い暮らし」のなかで
感じる“春”という季節

“コンパクトな田舎”で感じる春

4月、小豆島ではあっちこっちで春の景色が広がっています。

私が暮らしているところは、小豆島の肥土山(ひとやま)という農村集落で、
家のすぐうしろは山、家のまわりには畑や田んぼが広がっています。
わかりやすくいうと田舎です(笑)。

田舎にもいろいろあると思いますが、北海道みたいに遠くまで畑の風景が続くような
広大な田舎もあれば、小豆島のようにとってもコンパクトな田舎もあります。
ご近所さんの家がすぐ隣にあったり、家と家の間に小さな田んぼがあったりと、
狭いエリアに家や畑がぎゅっと集まっていて、それがこの場所の魅力でもあると思います。

わが家のすぐ隣の畑からの眺め。小さな畑が段々になっています。

わが家のすぐ隣の畑からの眺め。小さな畑が段々になっています。

さて、こんな場所で暮らしていると、
季節の移り変わりを教えてくれる要素がたくさんあります。
春がやってくるとき、最初に感じるのは「光」の変化。
2月上旬、立春の頃から、太陽の光が強くなっていき、
風景の色が少しずつ変わっていきます。

春が近づいてくると、海のキラキラ感がアップしてきます。ついつい車を停めて写真を撮りたくなる景色。

春が近づいてくると、海のキラキラ感がアップしてきます。ついつい車を停めて写真を撮りたくなる景色。

レモンの葉にあたる日差しも強くなり、葉っぱが輝いて見えるように。

レモンの葉にあたる日差しも強くなり、葉っぱが輝いて見えるように。

まだまだ気温は低く、山や畑も枯れ葉の茶色が目立ちますが、
日差しが強くなってくると、風景のコントラストも強くなっていき、
静かで穏やかだった冬もそろそろ終わりが近いなぁと
(農家としては繁忙期に入ってくるので)、ちょっとハラハラしてきます。

3月になると、わが家の庭のサクランボの花が咲き始めます。
サクランボの花は、観賞用の桜よりも1か月くらい早く咲きます。
うっすらピンク色の小さくて素朴な花ですが、
このサクランボの花が咲くといよいよ春がくるなといつも思います。

今年のわが家のサクランボは3月10日に開花宣言。

今年のわが家のサクランボは3月10日に開花宣言。

3月中旬頃には満開。サクランボの花はすぐにしおれてしまうけど、このあと5月頃にはかわいい赤い実をつけてくれます。

3月中旬頃には満開。サクランボの花はすぐにしおれてしまうけど、このあと5月頃にはかわいい赤い実をつけてくれます。

続いて、ご近所さんの家のハクモクレンが華やかに咲きほこり、
畑ではアブラナ科の野菜の黄色い菜の花や、
ルッコラの小さな白い花が次々と咲いていきます。

ルッコラの花。食べるとちゃんとルッコラの味がします。

ルッコラの花。食べるとちゃんとルッコラの味がします。

今年特にきれいだなぁと感じたのは、赤峰大根の花。
大根もアブラナ科なのですが、薄ピンク色の赤峰大根の菜の花がかわいいんです。
ちなみに食べるとピリ辛。

赤峰大根の菜の花。

赤峰大根の菜の花。

春の畑ではいろんな菜の花を楽しめます。大根の菜の花はぴりっと辛かった。

春の畑ではいろんな菜の花を楽しめます。大根の菜の花はぴりっと辛かった。

秋田市〈酒場 カメバル〉
“まちの共有地づくり”の始まり。
暗い路地に灯りと笑顔がもれる

See Visions vol.1

こんにちは。
秋田県秋田市で〈株式会社See Visions〉というデザイン事務所を運営している
東海林諭宣(しょうじ あきひろ)と申します。

2006年に秋田市で設立し、今はグラフィックデザイン、ウェブデザイン、
イベントの企画・運営、店舗デザイン、リノベーション、編集、出版、不動産、
施設運営、飲食店の経営など、事業は多岐にわたります。
ご依頼いただく内容はさまざまですが、過去のプロジェクトの共通点を挙げるとすれば
「そこに理由を見つけられた」こと。その価値を伝えるために、なぜ必要なのか、
なぜそこにあったのか、なぜ伝えたいのかを見出せることが、
私たちが動くモチベーションになっています。

多くの社会課題を抱える秋田県で事業を進めるなかで、私たちが、どんなことを考えて、
何を目指しているのか、全10回となるコラムを通してお伝えできればうれしいです。

初回となる今回は、2006年の創業から初のリノベーション事業となった
〈酒場カメバル〉についてご紹介します。

See Visionsのメンバー。2023年の初詣の風景。

See Visionsのメンバー。2023年の初詣の風景。

地元、秋田へUターン

2006年、秋田県でSee Visionsを設立しました。
東海林が東京で活動していた個人事務所の屋号をそのままいかした社名です。

大学を卒業後、就職氷河期といわれた時代に「自分の好きなことを仕事にしよう」と決め、
飲食店を中心とした店舗の設計・企画・デザインをする会社に勤めます。
やりたいことが仕事になった喜びで必死にデザインの基礎を学びました。
その後、都内でのフリーランスを経て、2006年に株式会社See Visionsを
秋田県秋田市で設立し、都内の仕事もあったので3年ほどは2拠点生活をしていました。

秋田県は若者の流出や少子化による過疎化、高齢化、経済面の弱体化など、
地方都市共通の課題を多く抱えています。データで見ても、出生率、婚姻率、死亡率が
ワースト1位で、「全国最悪のペースで進行する人口減少に歯止めがかからない」
というのが秋田県を取り巻く状況です。

Uターン直後はこうした秋田の厳しい状況を感じて日々を過ごしていました。
当初はデザイン料金を値切られることも多くありました。
デザインで飯を食うことの難しさを痛感していたものの、
デザイン事務所を開設する意義を「デザインとアイデアで笑顔をつくる」とすることで、
自分たちが住みやすく、楽しく生きていける環境をつくることができれば、自分にとって、
そして地域にとっての課題解決の一助になると信じ、奮い立たせる日々でした。

事務所近くにある公園で仲間たちと「たまご遊園地夏祭り」を企画し、開催した。

事務所近くにある公園で仲間たちと「たまご遊園地夏祭り」を企画し、開催した。

北海道で暮らして12年。
息子の小学校卒業で
移住にひと区切りがついたと感じて

北海道への移住や地域活動の原動力は、子どものことだった

3月19日、息子が小学校を卒業した。
美流渡(みると)からスクールバスで15分ほどのところにある、
全校児童30名ほどの小規模校・岩見沢市立メープル小学校に通っていた。
卒業生ひとりひとりが、自分の言葉で中学校へ向けての抱負を語り、
また両親や先生に向けた感謝の言葉もあった、あたたかな式だった。
背中のランドセルがやけに大きく感じたあの日から6年が経った。

卒業に際して制作した自画像と陶芸作品。

卒業に際して制作した自画像と陶芸作品。

東京から北海道へ一家で移住したのは息子が生後9か月の頃。
その成長は北海道で暮らした日々と重なる。
移住のきっかけは東日本大震災。
当時、原発事故による放射性物質がさまざまな場所に飛散し、
関東にもホットスポットができており、そこからできるだけ遠く離れ、
子どもを安全な場所でのびのび育てたいという思いがあった。

夫の実家のあった岩見沢市に身を寄せたのは2011年夏。
まちなかで暮らし始めたが、数年後に山あいの地区に縁ができ、美流渡へ引っ越した
息子は美流渡小学校に入学。児童が10名に満たない小さな学校。新入生は4名だった。

美流渡小学校の教室。(撮影:佐々木育弥)

美流渡小学校の教室。(撮影:佐々木育弥)

隣には美流渡中学校があった。
こちらも生徒の人数はわずかで行事を一緒に行い、つねに交流があった。
小中学校あげての運動会は、父母はもとより地域住民も参加し賑やかなものだった。
こんなふうに地域の拠点であったが、過疎化の波によって小中学校ともに2019年に閉校
小学校はメープル小学校に統合された。

小学校の閉校式。息子は2年生だった。(撮影:佐々木育弥)

小学校の閉校式。息子は2年生だった。(撮影:佐々木育弥)

「自分の人生でいちばん悲しかったことは、美流渡小学校が閉校したこと」

あるとき息子はそう語った。
閉校を食い止めるために、できる限りのことをしたのだろうかと私は自問自答した。
やがて閉校したことは受け入れるしかないが、校舎がそのまま寂れてしまうのは忍びない、
活用の道を探ってみたいと思うようになった。
そこで市民や大学生などを集めた校舎活用の話し合いの場をつくり、
意見交換をするようになった。

市役所の方針を知ることができず、話し合いは草の根の活動だった。
私は、話し合いの議事録をつくり、市に提出することを続けていった。

話し合いでは毎回、ゲストスピーカーを招いた。株式会社〈良品計画〉の廃校活用の取り組みなどを鈴木恵一さんに解説してもらったこともあった。

話し合いでは毎回、ゲストスピーカーを招いた。株式会社〈良品計画〉の廃校活用の取り組みなどを鈴木恵一さんに解説してもらったこともあった。

そんななかで画家のMAYA MAXXさんが東京から移住。
校舎の1階に打ちつけられた窓板に絵を描くなど、
活用の具体的な提案をMAYAさんがしてくれたことがきっかけとなって、
地域の仲間と一緒に中学校校舎の試験活用を行えることとなった。
一昨年、昨年と校舎でイベントを開催。
地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』
『みんなとMAYA MAXX展』はこれまでで合計5000名の来場者があった。
今年もゴールデンウィークにふたつの展覧会を実施予定。準備に追われている。

小豆島からまちへ。
朝6時半のフェリーに乗って
島から高校に通う

春からついに高校生になる娘

春がやってきますね。
小豆島では黄色のミモザ、白いモクレン、ピンクの桜、あちこちで春の花が咲いています。
鳥たちの鳴き声も増えて、日に日に春らしくなっていくのを感じます。

さて、この3月に我が家のひとり娘が中学校を卒業しました。
小豆島に移住してきた頃は、幼児園の年中さん。
それから小学校、中学校と9年間、島の学校に通い、無事に卒業。
この春からは小豆島から船に乗って高松市の高校に通うことになりました。

春の瀬戸内海を進むフェリー、オリーブライン。小豆島と高松を結びます。

春の瀬戸内海を進むフェリー、オリーブライン。小豆島と高松を結びます。

高校受験の前日、高速艇に乗って高松へ。島外の学校を受験する島の子たちは、試験当日船が動かないと困るので、前日から移動します。

高校受験の前日、高速艇に乗って高松へ。島外の学校を受験する島の子たちは、試験当日船が動かないと困るので、前日から移動します。

小豆島に引っ越すことを決めて準備をしていた頃、
「島って子どもの教育的には大丈夫なの?」と聞かれたことがあります。
そのときはなるようになる! とあまり深く考えませんでしたが、
たしかに子どもが成長するにつれていろいろ考えることも増えました。
今回はそのことを書いておこうと思います。

小豆島に引っ越してきたばかりの頃の娘。陽気ですね。

小豆島に引っ越してきたばかりの頃の娘。陽気ですね。

今の時代、「少子高齢化」という言葉をよく耳にすると思いますが、小豆島ももれなく少子高齢化。
小豆島に引っ越してきて、通い始めた幼児園の同級生は5人。
それまで通っていた愛知県の保育園と比べたらとっても小規模になりましたが、
違う年齢の子たちと触れ合うことも多く、田んぼや山道をよく歩いたりして、
自然のなかで、みんなでのびのびと過ごす様子がとてもいいなぁと感じていました。
ちなみに、小豆島にはこども園や幼稚園など全部合わせると10か所以上あり、
定員が230人ほどの大きなところもあります。

小豆島の子どもの人数はどんどん減っています。
小豆島にはふたつの行政(町)があり、
私たちが暮らしている土庄(とのしょう)町には小学校が1校、中学校が1校あります。
高校は小豆島全体で1校。
私たちが引っ越してきてから、こども園が統合され、小学校が統合され、
高校が統合され、現在も統廃合が進んでいます。

娘の中学の同級生は約90人いるのですが、
住民基本台帳ベースによると2021年の土庄町の出生数は45人。
約15年ほどで娘たちの同級生の数の半分まで減ってしまうなんて
(小豆島に引っ越してくるなどして、子どもの数が増える可能性もありますが)。
減少のスピードにびっくりしました。

小学1年生の頃、近所のお兄ちゃんと一緒にスクールバスの乗り場まで歩いていきました。

小学1年生の頃、近所のお兄ちゃんと一緒にスクールバスの乗り場まで歩いていきました。

帰り道にちょっと寄り道。田んぼのなかを歩く娘。

帰り道にちょっと寄り道。田んぼのなかを歩く娘。

北九州市〈室町シュトラッセ〉。
通りからまちへ賑わいをつくる
空きビル再生プロジェクト

タムタムデザイン vol.6

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回は北九州市小倉にある複合ビル〈室町シュトラッセ〉の後編をお届けします。

築45年の3階建てのビル。1階はオーナー事業によるテナント村で、
2〜3階は田村さんによる転貸事業としてサロンや共有ラウンジ、レンタルスペースに。
こうした計画のもとプロジェクトは進んでいきました。

空きビルが活気ある複合ビルに生まれ変わるまで。
田村さん自らがバーをオープンするという意外な展開も含め、
オープン前後の取り組みについてご紹介します。

未来予想図を持ってリーシングと仲間集め

前編でお伝えした、ゲストハウスの企画倒れで3か月は凹んだ時期から一転、
心が前向きになるとどんどんアイデアが生まれて行動も起こせるから不思議ですね。

あ、そもそもなぜ〈室町シュトラッセ〉という名前になったかというと、
まずはここが室町というエリアであること。そしてビルオーナーのTさんの甥っ子さんが
ドイツにある有名メーカーで活躍されていると聞いたことから、
ネーミングをドイツ語に由来させることにしました。

「Straße(シュトラッセ)」とはドイツ語で「通り」という意味。
歴史ある“長崎街道”に面するこのビルで
「ビルから通りへ、通りからまちへ、賑やかさを広げていこう」
という意味を込めてつけた名前です。ロゴはもちろん〈Linked Office “LIO”〉の仲間で、
グラフィックデザイナーの岡崎友則くん(vol.2参照)に頼みました。

長崎街道はオランダから砂糖や氷砂糖をメインに運んできた運搬道でもあったので、その氷砂糖をモチーフにしたロゴマーク。かわいい。

長崎街道はオランダから砂糖や氷砂糖をメインに運んできた運搬道でもあったので、その氷砂糖をモチーフにしたロゴマーク。かわいい。

ビルのファサードの未来予想図。側面の外壁を開口してビルの顔部分を増やす計画。

ビルのファサードの未来予想図。側面の外壁を開口してビルの顔部分を増やす計画。

地域紹介の似顔絵マップ、
更新を続けて6年! 
まちの変化の大切な記録となって

地域の話題を入れ込んで、次第に充実!!

私が住む北海道・岩見沢の山あいの地域を紹介するマップづくりを始めたのは2017年。
マップの名前は〈みる・とーぶmap〉
この地域一帯は東部丘陵地域と呼ばれていて、
「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉とつけた。

毎年欠かさず更新を続けていて、今回で6度目の更新となる。
表面は写真とスポット紹介、裏面は似顔絵マップとなっていて、
似顔絵の制作やデザインも私が担当している。
当初は、いわゆる観光スポット的な場所の少ない地域にあって、
いちばんの魅力はそこに暮らす人なのではないかと考えて、
似顔絵がメインのマップとなっていた。
表面には、この地域がさまざまなエリアに分かれていたため、
その特徴をざっくりと紹介してきた。

2017年、最初につくったマップ。表面では万字、毛陽、美流渡、朝日などエリアごとの特徴を紹介。

2017年、最初につくったマップ。表面では万字、毛陽、美流渡、朝日などエリアごとの特徴を紹介。

それがやがて年を重ねるごとに、ゲストハウスや体験施設が増え、
旅人が立ち寄れるスペースもできたことから、
店舗などの紹介コーナーを設けるようになっていった。

昨年のもの。店舗など立ち寄れるスポットが増えている。

昨年のもの。店舗など立ち寄れるスポットが増えている。

今年の更新では、思い切ってイメージを大きく変えることにした。
表紙となる部分には、これまで「みる・とーぶ」のロゴマークを掲載していたのだが、
今回からは美流渡に3年前に移住した画家・MAYA MAXXさんが描いたクマの顔に。
また、クマのまわりにはMAYAさんが描いてくれたハートを散らした。

右側が表紙の部分。地域全体を示したマップにはMAYAさんが描いたクマの絵がどこで見られるのかのポイントも入れた。

右側が表紙の部分。地域全体を示したマップにはMAYAさんが描いたクマの絵がどこで見られるのかのポイントも入れた。

そして一昨年、昨年とMAYAさんが地域のさまざまな場所に描いた
絵についての紹介コーナーを設けた。
それは看板やシャッターといった平面だけではない。
赤字が続いていた路線バスが廃止され、
昨年春より運行が始まったコミュニティバスの車体にも絵が描かれた。
そのほか、MAYAさんの活動拠点となっている旧美流渡中学校をはじめ、
巨大な食品倉庫に描いたクマなど、地域にひとつまたひとつと絵が増えている状況も紹介。
いずれの絵もバス路線にそって設置されているので、
バスに乗りながらMAYAさんの絵を見る旅もできるようになっている。

左下がコミュニティバスの紹介。右側がMAYAさんの絵が見られるスポット紹介。

左下がコミュニティバスの紹介。右側がMAYAさんの絵が見られるスポット紹介。

コミュニティバスの車窓からもMAYAさんの絵を見ることができる。(撮影:久保ヒデキ)

コミュニティバスの車窓からもMAYAさんの絵を見ることができる。(撮影:久保ヒデキ)