連載
posted:2023.3.29 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。
https://www.instagram.com/michikokurushima/
https://www.facebook.com/michikuru
3月19日、息子が小学校を卒業した。
美流渡(みると)からスクールバスで15分ほどのところにある、
全校児童30名ほどの小規模校・岩見沢市立メープル小学校に通っていた。
卒業生ひとりひとりが、自分の言葉で中学校へ向けての抱負を語り、
また両親や先生に向けた感謝の言葉もあった、あたたかな式だった。
背中のランドセルがやけに大きく感じたあの日から6年が経った。
卒業に際して制作した自画像と陶芸作品。
東京から北海道へ一家で移住したのは息子が生後9か月の頃。
その成長は北海道で暮らした日々と重なる。
移住のきっかけは東日本大震災。
当時、原発事故による放射性物質がさまざまな場所に飛散し、
関東にもホットスポットができており、そこからできるだけ遠く離れ、
子どもを安全な場所でのびのび育てたいという思いがあった。
夫の実家のあった岩見沢市に身を寄せたのは2011年夏。
まちなかで暮らし始めたが、数年後に山あいの地区に縁ができ、美流渡へ引っ越した。
息子は美流渡小学校に入学。児童が10名に満たない小さな学校。新入生は4名だった。
美流渡小学校の教室。(撮影:佐々木育弥)
隣には美流渡中学校があった。
こちらも生徒の人数はわずかで行事を一緒に行い、つねに交流があった。
小中学校あげての運動会は、父母はもとより地域住民も参加し賑やかなものだった。
こんなふうに地域の拠点であったが、過疎化の波によって小中学校ともに2019年に閉校。
小学校はメープル小学校に統合された。
小学校の閉校式。息子は2年生だった。(撮影:佐々木育弥)
「自分の人生でいちばん悲しかったことは、美流渡小学校が閉校したこと」
あるとき息子はそう語った。
閉校を食い止めるために、できる限りのことをしたのだろうかと私は自問自答した。
やがて閉校したことは受け入れるしかないが、校舎がそのまま寂れてしまうのは忍びない、
活用の道を探ってみたいと思うようになった。
そこで市民や大学生などを集めた校舎活用の話し合いの場をつくり、
意見交換をするようになった。
市役所の方針を知ることができず、話し合いは草の根の活動だった。
私は、話し合いの議事録をつくり、市に提出することを続けていった。
話し合いでは毎回、ゲストスピーカーを招いた。株式会社〈良品計画〉の廃校活用の取り組みなどを鈴木恵一さんに解説してもらったこともあった。
そんななかで画家のMAYA MAXXさんが東京から移住。
校舎の1階に打ちつけられた窓板に絵を描くなど、
活用の具体的な提案をMAYAさんがしてくれたことがきっかけとなって、
地域の仲間と一緒に中学校校舎の試験活用を行えることとなった。
一昨年、昨年と校舎でイベントを開催。
地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』と
『みんなとMAYA MAXX展』はこれまでで合計5000名の来場者があった。
今年もゴールデンウィークにふたつの展覧会を実施予定。準備に追われている。
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北海道に移住したこと、地域で校舎活用に本腰を入れて関わるようになったことは、
息子が導いてくれたことなのではないかといまにして思う。
結婚してからも子どもを授かるまで5年以上の月日が経っていたので、
以前はこのまま夫婦ふたりで、東京で暮らしていくのかなと考えていた。
おそらく東日本大震災以降も、夫婦だけなら東京に留まっていただろう。
人生にこんな展開が待っているとは予想もしていなかった。
畑の作業を手伝う息子と友だち。自然がそばにある暮らしをするとは思っていなかった。
息子が6年生になったある日、つらつらと
「自分が死ぬ前に何がしたいか」と考えていたことがあった。
ふと浮かんできたのは、息子が以前につくってくれたシフォンケーキを食べることだった。
その数日後、息子はお腹が空いたといって、レシピ本をめくりながら芋もちをつくり始めた。
ジャガイモの皮をむき、茹でてすり潰し、丸めてフライパンで焼く。
なかなか手間がかかる作業で、習いごとに出かける時間になってしまった。
慌てて食べて、いくつかをタッパーにつめて出かけていった。
そして「これは母ちゃんの分ね」とひとつ置いていってくれた。
息子がつくった芋もち。
誰もいなくなった部屋でポツンといた私は、シフォンケーキじゃないけど、
いま芋もちを食べることで「死ぬ前にしたいこと」を終わらせたらいいんじゃないかと思った。
よくよく考えてみたら、死ぬ前まで、このことを取っておいたら、
できなかったときに悔やみそうだし、大抵は叶わないだろうし。
そう思ってパクッと口の中に入れたら、涙がボロボロと溢れ出した。
なんで泣いているのか、ちょっと整理がつかないのだけれど、ボロボロ泣いて、
そのあとに、「もう息子のためとか自分のためとか考えるのはここで終わり、
これからはみんなに役に立つことに自分の人生を使っていこう」、そんな未来を思った。
校舎はまだ雪のなか。もうすぐ活動が再開する。
この一件は、なんだか不思議な体験だったけれど肩の力が抜けて
スッキリするような感覚があった。
そして、息子の卒業式に立ちあって、ああこれで本当にひとつ区切りがついたと思った。
東日本大震災で味わった恐怖、東京の友人との別れ、
移住による環境の変化で感じたストレスなど、
心のなかで渦巻いていたものがスーッと静まり、穏やかな気持ちが残った。
北海道にようやく遅い春がやってくる今、ここから新しいことが始まりそうな予感がする。
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