連載
posted:2023.6.20 from:福岡県北九州市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
profile
Seiichiro Tamura
田村晟一朗
たむら・せいいちろう●株式会社タムタムデザイン代表取締役。国立大学法人 九州工業大学 非常勤講師。1978年高知県生まれ北九州市在住。建築設計事務所に勤めつつ商店街で個人活動を広げ2012年タムタムデザインを設立。建築設計監理や飲食店経営、転貸事業を軸とした不動産再生プロジェクトも企画・運営しており、まちづくりや社会問題の解決などに向け活動中。商店街再生のキーマンとして、2021年1月にはテレビ東京『ガイアの夜明け』にとり上げられた。アジフライと鍋が好き。http://tamtamdesign.net/
credit
編集:中島彩
福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。
今回は北九州市八幡西区の黒崎にある商店街の一角
〈寿通り〉のリノベーションについてお届けします。
活動のテーマは「商いとともに暮らす」。
まるで百貨店の中身をまちに散りばめるように、
シャッターが降りた商店街に地域の専門店をオープンさせ、
それらの2階をシェアハウスにするプロジェクト〈寿百家店〉について、
前後編に分けてお送りします。
2016年、北九州市八幡西区の黒崎というまちに、
僕が足しげく呑みに行くワインバーがありました。
〈トランジット〉という名前で、カウンター席が5席ほどの小さなお店。
そのトランジットがある〈寿通り〉は黒崎駅から徒歩7分ほどです。
ちなみに黒崎駅は北九州市内で小倉に続く第2の商業エリアであり、
駅前には戦後から人々の暮らしを支える商店街があり栄えてきましたが、
年々人通りが減り、空き店舗が目立つようになっていました。
〈寿通り〉はその大きな商店街に挟まれた小さな通りで、
当時は13店舗中、5店舗しか営業してない見事なシャッター商店街でした。
そんな通りでひっそりと活動していたトランジットのオーナーが、
福岡佐知子さん(以後、さっちゃん)。
普段はPR/広報の事業を生業としており、昼間はこの店を事務所に、
夜はワインバーにして、おもしろい活用をしていました。
さっちゃんは日々「この通りを元気にしたいのよね」と話し、
そのまちづくりにかける想いは熱く、僕と誕生日が2日しか違わない
同い年だったこともあり意気投合。
それがトランジットに通う理由でもありました。
暗い夜の通りのなかで、このお店だけがふわっと明るく、
さっちゃんの人柄もあり、そこはまちの拠りどころのような存在になっていました。
僕は勝手に「まちづくり系ガールズバー」と呼んでいたのですが(笑)、
このお店が居心地よく、いつのまにか人が集まる場所になっていたのは
自然の摂理かも、と思います。
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こうして地域に愛されるトランジットから次なる活動が生まれてきました。
小さな店だったこともあり、隣の元お茶屋さんを借りて
DIYでサテライトスペースをつくり出し、そこにもいろんな人が集まるようになりました。
そして、その反対側の空き店舗でさっちゃんが次に展開したのはお惣菜屋さん。
ここから田村が実働に関わり始め、設計を担当しました。
弊社の設計は基本的にコスパがいいのですが、
限られた予算のなかだと設計費の割合が高くなってしまうので、
当時、弊社に来ていたインターン生が実務を担当することで、
設計費を生ハムの原木1本分にしたのはここだけの話(笑)。
お惣菜屋さんは〈コトブキッチン〉と名づけられました。
そのころにはトランジットは大学生が営む喫茶店〈喫茶ふじた〉に変わり、
隣のサテライトスペースにはお花屋さんが入居。
少しずつですが、寿通りに変化の兆しを感じていました。
さっちゃんの勢いはここで止まらず、コトブキッチンの前の空き店舗に
〈コトブキリビング〉というイベントスペースをつくりました。
ここも弊社で設計をしましたが、やはりインターン生の実務に限ることで
設計費は生ハムの原木2本目という(笑)。
以前のサテライトスペースにあった元お茶屋さんのガラスを活用して
ウィンドウをつくったので、窓ガラスの大きさがランダムになっています。
こうして空き店舗の活用を広げていく間にも、
さっちゃんは落書きだらけだったシャッターにペンキを塗る
ワークショップを重ねて関係人口を増やしていきました。
このシャッターを塗るワークショップは、童話『トムソーヤの冒険』で
トムが仲間を巻き込んで壁塗りをするエピソードにちなんで
「トムソーヤ大作戦」と名づけられ、オリジナルの手拭いを購入すると
その収益がペンキ代に変わるという仕組みでした。
こうして2015年から2019年にかけて寿通りは少しずつですが
さっちゃんの地道な一歩一歩が実を結び、確実に明るくなっていきました。
それ以降、彩り豊かに塗られたシャッターに落書きがされないのは
トムたちのようなイタズラ小僧たちも見守ってくれているのかな、
と勝手に想像してます(笑)。
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ここまで来ればもうあとひと押しで寿通りって完成するやん、と思いながら、
2階を活用してシェアハウスをつくりたいなぁと常々さっちゃんに話していました。
この背景にあったのが、2016年に弊社がリノベーション・オブ・ザ・イヤーで
グランプリをいただいた〈アーケードハウス〉というプロジェクトです。
「シャッター商店街」と「明りを灯す住宅」の共存関係を表現した手法であり、
寿通りでも実現できたらいいなと思っていました。
アーケードハウスは単一の住宅であり、シャッター商店街全体への波及効果としては
まだまだ弱さも感じていたので、シェアハウスにすれば商店と住まいのかけ算が
より大きくなり、もっと多様性が生まれるのではないかと、
アーケードハウスのいわゆるアップデート版をイメージしていました。
というのも、昭和後期から平成にかけて、中心市街地から郊外のニュータウンに人口が移る
「ドーナツ化現象」が社会問題になり、黒崎でも2008年ころからの人口減少が
中心市街地の商店街などの衰退に拍車をかけていました。
これを逆転させる必要があると思い、僕はまた中心市街地で人が暮らすことで
中心の密度を上げ、まちの活性化につなげることを目的とした
「あんドーナツ化」と名づけた計画を地道に進めていました。
商店街や寿通りの2階をシェアハウスにするには
たくさんの調整や資金、期間が必要になるので、
さっちゃんひとりでは難しいフェーズになります。
「そろそろ僕も本気で加わっていかなくちゃ」と思っていました。
ちょうどそのころ、全国を席捲(せっけん)していた
リノベーションスクール※(以後RS)が黒崎でも開催され、
寿通りの1区画も対象案件となりました。
RSの講師陣だったのが、〈大家の学校〉の青木純さん、
〈R不動産〉グループのパイオニアである吉里裕也さん、
〈THE MARKET〉の加藤寛之さん。
いずれも僕が敬愛する兄貴たちであり、
お三方もさっちゃんの活動をずっと見ていたので
「そろそろ(昇華するころ)じゃね?」みたいな雰囲気に(笑)。
兄貴たちのあと押しもあり、僕とさっちゃんが発起人となって2020年、
〈株式会社寿百家店〉を設立しました。
兄貴3人、そして学生たちをつないでくれる北九州市立大学の片岡寛之先生も含めた
6人が取締役という構成です。
※リノベーションスクールとは、リノベーションを通じたまちづくり、エリア再生手法を実践的に学ぶスクールのこと。
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法人名〈株式会社寿百家店〉は駅前の百貨店の閉鎖が由来になっています。
設立の前年、2019年に黒崎駅に隣接する百貨店〈黒崎メイト(黒崎井筒屋)〉が
61年の営業を終え閉館しました。
全国的な百貨店閉館の流れは、北九州でも顕著に表れています。
寿百家店プロジェクトでは、百貨店内の旧来の専門店を路面店に置き換え、
“専門店”は地域の人々が持つ技術やセンスを生かした“地域の専門店”に変え、
その2階に人が住まい、「商いとともに暮らす」という、
昭和40年代の商店街の在り方を描きました。
そんな社会課題が溢れるまちをリデザインするコンセプトが
“寿百家店”の名前の由来となっています。
さっちゃんと夜な夜な飲みながら考えた社名です。
ちなみに閉館した黒崎メイトは
2023年6月現在も手つかずの巨大な空きビルのままになっています。
さっちゃんが地道に活動を続け、次第に僕や心強い仲間たちが集まり、
ついには会社の設立にまで至りました。
このあとすぐにみなさんもご存じのコロナ禍に突入……。
どうやって計画を進め、どうやって資金を集め、どうやって入居者を探したのか、
などなど、いろんな事件を乗り越えて(笑)、現在も続くプロジェクトの様子を
後編でお話したいと思います。
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